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コンピュータ自体は何も生み出さない。ただそれは私たちが思考し、表現することを強力に支援してくれるだけだ。そしてそれは、私たちが世界をどのように見て、どのように問題を処理しようとしているのかを映し出す鏡なのだ。

■「コンピュータ」の働きから分かること

 「コンピュータ」が、私たちのさまざまな分野のさまざまな仕事に汎用的に利用されている。この事実から、その根底にある、私たちの思考にとっての「コンピュータ」の役割と、そして私たちの思考の在り方そのものを見出していけるはずである。その作業からのフィードバックは、思考と実践の二つのレベルの問題解決のための過程にも、十二分に活かすことができるだろう。


■「コンピュータ」、恐るるに足りず

 「コンピュータ」は、実践レベルの「思考と自己表現のための道具」となる。現代に生きるなら、「コンピュータ」を利用しない手はない。
 知らず知らずのうちに、「コンピュータ」を何か特別な存在として、それから一歩も二歩も引いてしまっている人や、逆にそれに仕えたり、使われてしまっている人がいる。しかし、「コンピュータ」とは私たちにとって道具にしか過ぎないし、また道具でしかないのだ。「コンピュータ」も、電気がなければただの箱にすぎないのだ。


■道具として使いこなすなら、まず相手を知れ

 「コンピュータ」の得意をうまく引き出せるなら、「コンピュータ」は私たちの無限の可能性を現実化させてくれる。ただしそのためには、私たちがその前提となる私たち自身のやり方(方法論)をきちんと持ち、さらに「コンピュータ」の面目躍如の部分、つまり何が得意であるかということ、そしてその反対に何が不得意なのかということを、正しく把握していなければならない。はさみと「偉大なる馬鹿」といわれる「コンピュータ」は使いようなのだ。


■「コンピュータ」の面目

 「コンピュータ」が得意とするところ、つまり通常の人間と比べて、非常にすぐれているのは、以下の四つの機能である。

○反復 高速演算 論理的思考を支援
○保存 データベース 思考(情報)の標準化/体系化、そして再利用を支援
○再構成ワープロ、グラフィックス・ツール 感性的思考(情報)の記述と表現を支援
○伝達 マルチメディア、インターネット、モバイル・コンピューティング 情報の伝達を支援


■論理的思考を支援する「コンピュータ」

 「コンピュータ」に行わせる私たちの論理的な作業は、どんなに複雑にみえても結局は、

  ○宣言(変数の型や使い方の宣言、作業の場の確保など)
  ○代入(データのやりとり)
  ○繰り返し(高速の反復計算)
  ○分岐(条件分岐)
  ○演算(関数計算、論理演算、文字列操作など)

といった限られた操作(エレメント)の組み合わせにしか過ぎないことが分かる。


■思考の標準化/体系化と再利用を支援する「コンピュータ」

 「コンピュータ」は、膨大な情報のコンパクトな整理と、時空の制限を越えた高速アクセスという、かつてない大きな力を私たちに与えてくれる。それは、外部情報を取り込むことで発展していく私たちにとって、「自分で考え、行動する」ために、なくてはならないものなのだ。
 ただし、どんなに高機能なデータベース・システムであっても、格納するデータがデジタル化されていなければ、使い物にならないのだが。


■感性的思考(情報)を支援する「コンピュータ」

 「コンピュータ」は情報の再構成により、私たちの直観や感性的思考を支援してくれる。中でも「ワープロ」は、単なるお清書機械としてよりも、私たちの思考と自己表現の過程そのものを強力に支援してくれる新しいメディアとして、最も身近で役に立つ道具である。


■情報の伝達を支援する「コンピュータ」

 伝達能力は、「コンピュータ」の反復(演算)や保存、再構成の能力がもたらす結果を、現実のものとする。それは私たちの「方法」の、時間的・空間的な再利用を促進するのだ。その可能性は、インターネットの発展をみれば明らかである。


■計算機から思考のためのメディアへの流れ

 「コンピュータ」は、ハードウェア、ソフトウェアの双方の驚異的な発展の中で、「電子計算機」(高速演算装置)から「データベース」、そして通信のための「コミュニケーション・ツール」、さらには、「マルチメディア」へと応用の裾野を広げてきた。そして「コンピュータ」の仕事に対する支援形態も、汎用機と呼ばれる大型コンピュータを、専門の部隊が集中管理する方法から、ダウンサイジングなどの思い切った改革を経て、ネットワーク環境の中での、部署や個人ベースによる分散管理が主流になってきた。
 つまり、「コンピュータ」は私たちの可能性を大きく拡張する能力を持って、私たちの手元にやってきたのであるが、それと同時に、それを活用(管理・運用)していく責任も、私たちのもとへ押し寄せてきたのだ。


■インフォメーション・リテラシのすすめ

 かつてメモ帳と鉛筆が、計算、作文、描画といったすべての思考活動のメディア(道具)として機能していたように、私たちは「自分で考えて行動する」ために、「コンピュータ」を無限の可能性を秘めた新しいパーソナル・メディア(ツール)として、自分流に(職場において)使いこなしていかざるをえず、また(家庭でも)活用していくべきなのだ。
 まだまだ使いにくいコンピュータに対し、私たちひとりひとりがインフォメーション・リテラシ(情報の読み・書き・そろばん)をしっかりと身につけて、自分流の「方法」を表現していこうではないか。


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