18.Jan.03    Rome - Teatro Tendastrisce
 
本日はいよいよ、本当にいよいよ初日である。楽しみでもあるし、又何か阿保臭い事でも起きないかと心配でもある。午後9時開演!テントなので劇場内がとても寒いのではないかとも思われる。まあ兎に角頑張っていこう!
Andiamo!

 では終演後、続きを書きます。乞うご期待!Break a leg!

 午後11時24分終演!
 幕開きでは、嵐の中を漂う小舟の船長になった気分に一瞬なった。

 午前中に昨日Up出来なかった日記をUpして、午後1時に小屋入りした。私とSは、昨日現地の照明スタッフと約束した通り午後1時に小屋入りしようとロビーに行った所、TourManagerのSandra(15日の写真で坂本先生の左側に移っている人)が現地スタッフは午後2時にならないと来ないので行く必要は無いという。劇場と現地スタッフの契約はそうなっているらしい。然し万が一1時に来ていたら誠に申し訳ないので1時に小屋入りした。彼らは来ていた!約束通り1時に小屋入りして呉れていたのだ。1時に行って良かった。行かなかったら、日本人として人間として裏切り者になる所であった。然し2時にならないと電源は入らないと云われたので、Sと現地スタッフは調光卓を不滅電源の使える所へ移動してブラインドでデータを入力した。偉い!御陰で何とかリハーサル迄にデータを入力し確認する事も出来た。

 然しローマの現地スタッフ他の契約はどうなって居るんだろう?昨日まで電気を使い過ぎたので今日からはチェック、リハーサルそして本番以外では電源を落とすと言われてしまった。あらまっ、何とSevereな事!まあさあ、それ以外では余り使ったりしないけどさあ、一寸Severe過ぎない?全く嫌んなっちゃう。そこまで言うんだったら、至る所に割れ目があって、しかも手直しのしようのない波を打ってる様なMatなんか持って来るなようぉ。

 さてそんな事は兎も角、5時5分位にはスッタフ的には(若干甘く見て)近いに完璧なリハーサル!まあそれなりに良く出来たリハーサルを始められた。
 始まる前と終わった後でTVのInterviewがあって、時間がハッキリ言って乱された、けどまあ私も大人だから許して上げよう(国の内外を問わずTVのCrew、特に報道関係は人の感情や予定を弄んだり、踏み躙ったりするので好きではない)。

 やっと舞台上でのInterviewが終わって、幕を閉めたのは開場予定の8時を大きく過ぎた8時26分であった!夕食を摂る暇もない。これが無くても夕食をどうするかは、今後の劇場では特に大きな問題になるような気がするけどね。
 さて開演は?9時開演予定であったが、どんな催し物でも大概そうであるようにチャンと押した。然し5分程度ではない。始まる前から15分や20分は当たり前、30分の事だってヨーロッパではよくあると聞いてたのでそれほど驚かなかったが、然し!Sandraは交通事故があって渋滞しているので(唯でさえ1日中渋滞しているローマである!)、遅れて来る客が居るので9時25分にStartしたいと言ってきた。そして「Startする時は私がSignを出す」と言ったのに9時18分突然客電が消えた。照明にTroubleが起こったのかとSに「どうした」と言った処「勝手に消えた」という。ハテ面妖な、と訝っているとみんなでShowをStartしろと言う、私の横に立っているSandraに聞くと矢張り「Start」だという?SandraがSignを出すんじゃなかったの?開場直後は音響chiefのパウロがスタートの合図を出すと言われていた、のだが彼は、舞台監督である私(今回は舞台監督兼音響でイタリアに来ています)に何の断りもなく開演前のアナウンスのような事(イタリア語なので内容は不明)をガナリ用のマイクで言って、私の視界から去っていった。そのアナウンスの直前にSandraから交通事故の事を聞かされていたのでそれに絡んだアナウンスだと思っていたら、開演アナウンスだったみたい。その後客電が勝手に消えて、どうしたんだと思っていたらみんなから「始めろ!」と言われた。一体誰が最終判断を下して居るんだろう?誰でも良いからせめて5分前には舞台監督もやっている私にご連絡頂きたい(Sandraと主催の意見が分かれてSandraが負けたらしい、どうもそういう事だったらしいと終演後聞いた)。待ったの件も含めてSandraは、基本的には好意的である。それが仇になっているのかも知れない。BariからはSandraの会社のスタッフらしいので、もう少し良い状況で本番を迎えられると思う(そうあって欲しい!つくづくそう思います)。照明のTroubleなのか、誰かの悪戯なのかも分からないまま、PerformanceをStartするのは全く不安であるし、実に腹立たしい!責任者には出てきて貰って私に分かるように(日本語で)説明して頂きたい!

 休憩後、第2部を何時に始めたら良いのか?誰からもその件についてご連絡頂けなかったので、試しにパウロに「私の希望は休憩は15分で、10時24分に開演したい」と言った所「No Problem! OK!」と言うのでその様に仕切らせて頂いた。嗚呼、開演時間が分かっていると何と楽な事か!
 それに付けても全く「船頭多くして何チャラ」という類である、やれやれ。

 ここの客は反応が一寸分かり難い所があるらしいが客の反応はまあまあであったと思う。終演後に拍手とブラボー(ベラボー、ではない)が結構続いたし、リハーサル等々から見ても一番出来の良い舞台であったと思う。客の入りが今一であったように思うが、明日もナポリのTVに出るし、今日の取材もあったので、明日からは満席近くになると思う。

 然しこの後の乗り打ちの日々を考えると、終演23時24分はきつい!

 今日は大した写真がないので絶った腹を納める為にホテル前で見た猫、未だご紹介していなかったホテルの入口、ちょっとWarmingUp風景などを貼り付けておきます。
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19.Jan.03    Rome - Teatro Tendastrisce
 
今日は日曜日。しかも天気がいいし、小屋入りも4時とゆっくりだし一寸街に出てみようと存ずる。まずはそろりそろりと参ろう。

 今日は日曜日、つまり観光地以外の普通の処にあるお店は大方休みだ(どうでも良い事だけどローマ三越だって日曜日はお・や・す・み)。

         

 
困った、私は(けして百姓と言う訳ではない)水飲みだ!酒呑みでもあるが水飲みでもある。水を求めて(一寸高いが)中心部に行った。矢張りあった、そして矢張りと言っていいと思うが込んでいる。特に日曜日に呑むワインを買い忘れたと思われる人が多い。それは兎も角、私は買える事を確認して街に(地下から)出た。

 Daniel(音響のサブ)が昨日探しに行ってくれたけど無かったTransformerを探しつつ、街をぶ〜らぶ〜らしていて一寸自分の居所が不安になったのでお巡りさん(親しみやすい言葉ですが差別用語らしい)に自分の居場所を持っていた地図(ホテルのロビーに置いてある物)で確認しようと思ったら、彼らは地図を見ても全く分からないらしく、警備していた建物の中に私を導いていった(ハッキリ言って一寸ビビりました。実はポリスの1人は自動小銃を持っていた)。
 然し彼は自分が分かりやすい(と思ったであろう)地図を見ても説明出来なかった!(内緒の話ですけど、多分、私の推測に過ぎませんが、彼は馬鹿かな)彼が困っているというか黙って地図を見ていると、彼の上司又は先輩と思われるおじさんが「何処に行きたいの?」と私に聞いたので「リパブリック」と答えると、それならこの建物を出て左に行って突き当たりを右に行って大通りに出たら左に行けと、何で其処にいるか分からないけどアメリカ人らしき人物が教えてくれた。お巡りさん!警察官!ポリス!しっかりしてよ!(でも私は、自分の地図の見方に間違いがない事を確認したので見送る若いお巡りさんに行った振りをして、全く違う方向へ行ったんだけどね)
 さてそんな事があったけど、Transformerも矢っ張り見つからなかったけどお昼ご飯の時間になりました。
 海外に限る訳ではないけど、知らない土地に行ったら1人で知らないお店にはいるのが好きな私は、まあ観光客用だとは思うけどとあるお店にお昼を食べに入った。(多分)本場のカルボナーラを初めて食べた!私の思いでは卵に火が入り過ぎ、だったけど乳(生cream)臭くなくて結構好きだった。量はhalfにして貰った、。お肉も食べたかったのでhalf(イタリア語では“メゾ”と言うらしい。例えばメゾソプラノ)にして貰ったんだけど、気楽にOKしてくれました。(ウェイターは、普通1人前は多すぎるよね、てな事を言っていた)
そしてlambも食べた。

 この文章を書いている今、私は酔っています!御免なさい(本当に御免なさい等とは全く思っていませんけどね)。

 さては南京玉簾!そろそろ舞台の話に軌道修正。
 今日の客は入ってくる時から昨日と違う!観たいと思って居る人が多いように思う。客席に入ってくる時の歩き方が昨日と多くの客とは明らかに違うのでそう思う。
 ここで問題勃発!突然照明(幕内の地明かり)が煽りだした!原因不明!この時現地スタッフは早かった。何とか対処してくれた!やるときはやるんだな、やればできるじゃん、とS君も感心していた。パラレルで操作出来るようにあっと言う間に調光卓を仕込んでくれたらしい。取り敢えず小屋主というか興行主以外はいい人ばかりみたい。
 今日は確かに受けた。反応が昨日よりも良かった様に思う(照明のSが客席側から見た感じでは、矢っ張り反応が変らしい、簡単に言うと思わぬ処で受けて受けが粘るような粘らないような、コールライトのOutする所を迷う感じらしい)。
 でも今日は確実に昨日よりも受けていた。カーテンコールも1回多くやらざるを得なかったし。今日もナポリのテレビに出たし(往復4時間以上掛かる)Bariからは本当に満席に違いあるまい。

 集合写真がなかったので今日の終演後、出演者と坂本先生で撮ってみました。
 むさ苦しい男3人の写真の中央が私で、右にいるの音響chiefのPaoloで左がDanielです。

 ※昨日のPaoloのアナウンスは、交通事故があったので開演が遅れると云う内容だったそうです。このアナウンスが(現在の処私たちには余りよく思われていない事になってしまった)主催者に聞こえた為にその直後に突然始まる事になってしまったらしい。
 取り敢えず現場はみんな、結構良い奴だ。
 本日はバラしている間にツアーバスに置いて行かれるというお茶目な事があったが照明の兄ーがタクシーを呼んでくれたので、それで宿に着くというお洒落事件もあった。

 
 
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20.Jan.03    Rome→Bari
 
本日はBariへの移動だけという(嵐の前の静けさの如き)楽な一日だ。ローマを10時30分に出発して、途中1回のトイレ休憩と1回の給油をしたのみで運ちゃんは休まず走り続けた。ほぼ16時にBariのHotel 7MARIに着いた。

 Bariは大変古い町で、イタリアにおける東側の国々(所謂オリエントですね)への門となって栄えてきた。このアドリア海に面した風光明媚な街は現在高級リゾート地としても有名である。ヨットハーバーには多くのヨットが停泊し、港には豪華客船が毎日のように寄港し、パーティを繰り広げている。然しこのBariリゾート地としての歴史は以外に浅く、その歴史の発端は昭和4年8月30日バリ(現インドネシア)の王であったマーサミ1世が避暑地として別荘を建てた事に始まる。Bariの地名は勿論それに因んだ物である。王マーサミはイスラムの神を深く信仰していたので別荘地であるこのBariにもモスクを建てた。それらの影響により今の繁華街の電気屋ではアラブ系ポップスが流れている処も少なくない。(3行目位から嘘が始まってます。但し電気店でアラブ系の音楽が掛かっていたのは本当)

 明日からは乗り打ち乗り打ちの日々で大変になる!と思っていたら、今朝GHQというか大本営と云うかの記者発表があり、日程の変更があった。明日はBari、次の日は移動日、そして何とその後11日間休み無し本番移動の毎日との事、嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼!!!!!常軌を逸したような距離の移動もあり、私たちは移動中が睡眠時間みたいな日も多々ある。この仕事を富士登山に喩えれば、今やっと静岡県に入って雲に浮かぶ富士山が見えた所だったのだ!五体満足な身体と精神で日本に帰るのが目標になりました(身体は兎も角、元々精神は人様に自慢出来るような満足な物ではありませんが)。

 今回のHotelは窓からアドリア海が見えて、しかも昨日までの部屋の4倍位広くて優雅である。リゾート気分になれるHotelだ!これで明日朝8時小屋入りじゃなくて、終演23時過ぎじゃなけりゃ良いのになあ。まっ、戯れ言ですけどね。
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21.Jan.03    Bari - Teatro Team
 
下の上左から今日の劇場、舞台から客席を観た所、Bar、ロビーに張られた過去にこの劇場で上演されたポスターの数々、下の写真は右から同じくポスター、照明機材が吊られた木のバトンとロープ(WeightでBalanceとるなどと云う事は勿論ない、屈強な男達数人で力任せに引き上げる!)、照明のSがここにバトンが欲しいと言ったので2番目の照明バトンを吊っている所、左下の写真でもよく分からないかも知れませんが、舞台は八百屋です。
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 さて本日より照明&音響のSTAFFは、Tourを仕掛けたCompanyのServiceに変わる。照明の仕込み的に一寸難のあったRomeと変わり今後は同じSTAFF、そして直接やり取りした会社とのTeamになるので少々安心して毎日が過ごせる。
 であろう、その筈だ、そうに違いない。と思っていたら大きな間違いであった。ローマは実は休日であったのだ。あれは将に「ローマの休日」と呼ぶべき気楽な状況だったのである、あれでも。
 午前8時仕込み開始、の筈が劇場に着いたのが8:30。それでもまあ、それなりにテキパキと搬入して、9時半位には仕込みが始まった。劇場を見て照明が最初のplan通りに仕込めない事はすぐに理解出来た。それはしようのない事だ。然しここで問題発生、色がない!無い、と云うよりも色が違う。Sが郵送した仕込み図は、何故かFaxで彼らの手元に届いており、色番号が潰れてハッキリしない、それは見た現地照明は勝手に色を判断して持ってきた。そしてSが「色が違う」というと「おまえの指定通りだ」と曰った。頭を抱えるS!
 然しそれはホンの序の口、本日の真打ちは後にドーーーンと控えていた。
まあ何とかこの日は遣り繰りする事にして仕込み、照明はシュートしようと思った頃、本日の一人目の真打ち登場。照明の仕込みが多過ぎるから減らしてムービングを使えと言われていたムービングライトが動かない。この修理というか、対応に時間をやたらと費やしてバトンが上がらずシュートが仲々出来ない。結局2時間程して使わないことが決定!(Sはその1時間位前に「諦めて、先に進みたい」と言ったので、私はchiefにその事を伝えたのだが彼らは仲々諦めなかった。もう一度Sandraを通じてその件を伝えたのだが、彼らもカリカリ来ていたらしく、Sandraに集中爆撃の如き言葉を浴びせかけて、Sandraは黙ってしまった)
 やっとシュートしようと思ったら、本日のTroubleのお家元登場!多分ムービングライトのTroubleもそれが原因ではないかと思われるんだけど、調光卓がTroubleでシュートすら出来ない!(この頃になるとSは「ローマは良かったね」と言いだしていた)
 やっと何とかなってシュートが始まったのが午後5時。然し未だすべてが解決された訳ではない。向こうも時間がないことは(私たちが何度も言ったので)分かっていたんだろう、シュートは結構早く1時間で済んだ(日本ではあの位の台数の場合、当然の時間)。やっと6時にDancersに舞台にのって貰うことが出来た。場当たりの開始である。然し照明はそれに付き合うことは勿論出来ない。何せRomeで使い、フロッピーに入れてきたデータが読み込めないので1からそれぞれのSceneを作ってメモリーしていかなくてはならないのだ、Sは頑張った、実に頑張った!
 
 処で音響に問題はなかったかというとそうではない。2台使うCDPlayerを同じ機種でと指定しておいた筈だが、全く違う物が来ていたことは勿論笑って許そう。1台が壊れていた!仕様がないのでバックアップ用に準備させて置いたMDで片側で掛ける予定の音楽をコピーをとって、本番に備えた。コピーをとっていると「何をして居るんだ」とchiefのアンジェロが言うのでPlayerはどうしても2台必要なので、1台分をコピーしていると言ったら「何だ心配するなCDPlayerはまだある。今持ってきてやる」と言う、有るんならさっさと出せよと思っていると持ってきたのはウォークマンタイプのポータブルであった。しかも電池切れ、電池は単3だったので、まあ問題なく使用出来る、と思ったら、コネクタの接触不良、彼はコネクターの辺りをガシガシグリグリして音が出たら「問題なし」と言ってニッコリ笑ってくれた。こんな不安な物で本番が出来るかあ〜。おまけに照明の遅れで出せなかった音をやっと出したら4発有るモニタースピーカーの内1発が飛んでいた。そんなことに構っていられる時間でがとっくになかったので「OK」と言うことで本番に突入。

 ギリギリの時間で照明を作ったSは、彼も底力を見せ、あの条件では考えられない位、何事もなかったようにplan通りの振りをした綺麗な明かりを作っていた。偉い!皆さん彼を褒めてやって下さい。本当に彼はよくやった。
 然し今回はRomeずっとから現地と日本STAFFの底力の見せ合い、出し合いのような仕事になっている。もっと普通にお仕事したいね。

 さて本題というか舞台のことですが、この劇場はBariでは一寸した所らしくBroadwayのMusicalや世界的なMusicianが公演にやってくる。上の写真をよく見て頂くと分かりますがここで公演しているのは仲々の出し物です。客も金持ちが多い、凄い毛皮のコートを着た人ばかりであった。因みに今日の入場料は(前の3ブロックは)何と110ユーロであった。その後ろが90ユーロ、その後ろが70ユーロ!

 結果的に舞台は多いに受けた!最後はStandingであった。本当に大変好評であった。STAFFとしても一寸救われる思いで幕を閉じることが出来た。本当に良かった。
 目指せ結果オーライ!の日々は、後11Stage、地獄のロードが続くのである。