22.Jan.03    Bari→Terni
 
本日は、降って湧いた移動日。(今朝10時半に出る時にはT-shirt1枚でも良い程)暖かい南ItalyのBariから約7時間かけてRomeの少し北にあるTerni迄移動してきた。途中、今回は昼食をServiceAreaで摂ったが、そこで久し振りに生野菜を見て思わず食べてしまった。トマトが美味い。トマト料理が発達する訳だと思った。ServiceAreaでさえ此のトマトである。それは兎も角、若干野菜不足であったので有り難かった。ダンサー達の食事に野菜は足りているんだろうかと思って、聞いてみたら矢張り余り食べては居ないらしい。日本でもそうだが、外食ばかりになると野菜は不足しがちなので短い期間とは云え一寸心配でもある。

 この日記は若干泣き言めいた事が多くて辛気くさいと御思いの方もいらっしゃるかも知れないが、本当の処書いている本人はそれなりに楽しんでいるので本人としては今の所それほど辛気くさいとか、鬱陶しいと云った状況ではない。多分照明のSも底力の出し様が有って気持ち自虐的ではあるが楽しんでいると思う。そんな気もする。

 今日、着いたTernはそれなりの大きな町で、何か古い遺跡があるらしく観光地でもあるとのことである。Rome程雑然とした雰囲気もなくこぢんまりとして良い街のように思う。Hotelは綺麗で立派なHotelだ。多分一寸古い。由緒正しき雰囲気の有る所だ。冷蔵庫というか、ミニバーに鍵が付いていてこれが仲々開かない、コツがいる。私はやっとの事で開けられてミネラルウォーターをGetしたが、ガス入りであった。因みに残りもすべてガス入り。
 ここに来て初めてバスタブ付の部屋である。何となく嬉しい。

 今、坂本先生達と中華料理を食べてきたが、結構美味かった。実は坂本先生が中華料理を食べようと仰ることが多いので余程中華料理が好きなんだろうなと思っていたが、今日考えが変わった。小食がちの日本人が、世界中何処へ行っても一番野菜を食べやすいメニューがもしかしたら中華かも知れない。メインディッシュに気と腹を普通取られてしまいがちであるし、今回のTourのような状態では、軽食・ファーストフード(ItalyではBarの看板のある店でもサンドイッチを売っている)が多くなるので、海外に長くいて自炊できないときは中華はとても有効かも知れない。

 下の写真は途中で見た丘の上の街、そしてHotelと夜のTerniの街です。Terniは本当に感じの良い街だと思う(ホンの数十分いただけだけどね、今の所、そして明日の劇場だけだけど)。


 因みに明日は絶対更新出来ません。ここでの公演終了後約8時間掛かってSan Remoまで機材車と共に走ります。運転は現地Crewのchief、AngeroとRikiの2人、そのまま仕込みになる2人は大丈夫なんだろうか?大丈夫としたら、矢張り大したToughGuyで有る、2人とも。この旅では今後そういう日が多い。STAFFの身体も心配だけど、申し訳ない、公演に必要な機材・物資の安全な到着を願って止まない。兎に角幕を開けて、それなりに上手く閉めるのが私たちSTAFFの使命でもあるし、障害は少ないに越したことはない。
23.Jan.03    Terni - Teatro Verdi
 
地獄のロード初日!Hotelから歩いて5分程の劇場に歩いて午前8時過ぎに入る。程なく搬入開始、何となく今日はSTAFFの動きが早い。劇場側のSTAFFもよく働いてくれているように思う。
 11時にはサスが全部飛んで、取り敢えずCafeと言うことになった。今までのことを考えると画期的である。Bariの途中から参加のパコが矢張りよくやってくれる。Bariで機材トラブルの為に呼ばれて、SandraがSに「彼が一緒に行った方が良いか?」と聞くのでSが「出来れば一緒に来て欲しい」と言ったのでTourに参加することになった。一寸気の毒な気がしないでもないが、換わりにいなくなった坊やよりは数千倍戦力になる。こういう方が来てくれると大変助かるのである。

 さてそんなこんなで今日は何とリストランテに行って昼食を取ることが出来た!彼らはワインを呑んでいる(私も2杯頂いた)。1時間の筈が1時間30分近くになって昼食終了。残り少しの照明を仕込んでシュート開始。5時半から照明も付き合っての場当たりをするはずであったが、打ち込みに少し時間が掛かって6時18分から場当たりが始まった。
 開場時間を少し過ぎた8時10分、場当たり終了。さあ開場!と思ったら、音響のchiefにして現地Technicianの頭領Angeloが突然自分の好きな曲(ピンクフロイド)を大音量で掛けて音響checkをし始めた。しかも客席内では、音を聞きながら自分も大声で唸り、Guitarを弾く格好をしてそりゃもうノリノリである。こっちは早く開場しなくちゃと思っているので一寸ハラハラして、彼を見ていた。彼が満足そうな顔をした瞬間を逃さずに彼に「OK?」のポーズをして、そそくさとフェーダーを下げた。約2分間の出来事であった。待ったWomen'sTroubleで携帯が鳴りっぱなしの50男は何考えてんだか。然しまあBariの時もそうだったけどどうも大音響を出すのは彼の仕事中の儀式であるようだ。

 この劇場は下の写真を見て頂ければ分かると思いますが、可成り小さい。舞台の間口は5間有るか無いかで奥行きはもう少しある程度。客席もこぢんまりしていている、然し1,000名近く入るらしい(この日の入場者は800名以上とのことでした)。
 (分かるようなことを書いて置いてなんですが、矢張り上の写真では小さくてよく分からないかも知れませんが)本当に小さな劇場で名古屋で云えば大きめの文化小劇場位に感じられた。然し表は立派である。仲々重厚な雰囲気を持って聳え立っている様にも見えるが、近くで見るとそうでもない。でも矢張り仲々で有る。
 舞台は矢張り八百屋になっていて、劇場の大きさ、舞台の形状、客席の形状などから結構舞台がよく見える。仲々見易い劇場でSと私は名古屋に「こういう劇場があっても良いよね」等と帰りには言っていた。

 本日のShowは9時開演予定であったが御多分に漏れず大分押した。何せ最初に開演予定とした時間はまだBoxOfficeでチケットを買う為に並んでいる人が多くてとても始められる状態ではなかった。やっと始まったのが9時27分、今日はバラシが終わった後600q離れたSanremoに移動しなくては行けないので早く初めて早く終わりたかったが、仕様がない。

 Showは大変好評でBravoの声も多く聞かれたし、拍手も仲々長く続いた。そしてここでもJapaneseBusinessManの地下鉄の駅にエスカレーターで降りていく場面は受けた(笑いが起こったと言うことではく、拍手が巻き起こったと云うことです)。後作品の途中で拍手が必ずと言っていい程来るのは「Matsuri」の縄跳びの場面。(作品を見たことのない人には何の事やらサッパリでしょうが、2月11日名古屋市芸術創造センターで凱旋公演がありますのでそちらを御覧下さい。

 さて好評の内に幕を閉じ、バラシになった。早い、割と何時も思うがイタリア人のバラシはそこらの日本人よりも早い、これで仕込みも早ければ本当に有り難いのだが。11時30分を回って終演したにも拘わらず、1時過ぎには私たちを載せた車はSanremoに移動を始めた。600q、約7時間の旅の始まりである。因みに機材車のトラックを運転するのは頭領のAngelo、スッタフのワゴンを運転するのは音響見習いのRiki。朝仕込んで本番やって、バラして、600qの移動をSTAFFが運転するなんて、ハッキリ言って正気の沙汰ではありません。

 
24.Jan.03    Sanremo - Teatro Ariston
 
約1時にTerniを出発して途中夜食を摂ったり降りる必要のない高速を降りてトニーは、深夜だったがGenovaの街を見せてくれたりして(勿論単に間違えただけ)、7時間後の午前8時、San Remoの劇場に到着。600qをTime Lossを除くと約6時間で走り切った。途中狭いワゴンの中では殆ど寝られなかった。
 運転はTerniから夜食までがRiki、夜食でRikiだけBeerを呑まなかったので矢張り運転する時は呑まないんだと関心してたら、Beerを呑んでポケットにも1缶入れたトニーがここから明け方まで運転した。トニーは150qOverで高速をぶっ飛ばした!この時今回のTourの目標は“本当に生きて帰ることになった”と思った。明け方から劇場まではパコの運転。8時に着いたが劇場には入れるのが10時からなので搬入口で仮眠。でも矢張りそうそう寝られるものではない。
 9時15分頃に機材車のトラックを運転してアンジェロ到着。上り坂では殆どスピードが出ずに苦労したそうだ。顔はスッカリ憔悴していた。
 10時から搬入開始。日本・イタリアともTechnician達は、相当キテいるが、そろそろ仕込みになれて来ているので割と早い。1時に劇場が電源を落とすと云うので昼食となった。劇場の人に美味い店を聞いて、そこへ行った。Seafoodが美味い。然し高い!今日は本当に高い!取った物をみんなで取り合ったりするので当然割り勘だが、30ユーロは高い!こんな高い昼飯を食べていたのではとてもではないが財布が持たない、明日から何と貸せねば。通常昼食は割り勘である。従って多く食べた方が得だが、彼らに量で勝てる筈がない、普通なら。然しこの日は勝った!私はこの位の疲れの時は、食べて何とかする方なので、イタリア人Technicianが注文したのに食欲が出なくて食べられなかったステーキなどを頂いて食べた。勿論私が注文したエスカロップ・マシュルームを平らげた後である。日頃から肉料理については、胃を鍛えておいて良かった(私は脂身のないBeefsteakならば500g食べる)。

 昼食を食べながらの話題は、どうも今日明日の事らしい。今日600km走って来て、明日は400km移動して劇場に8時入りの予定である。話の処々に「クレイジー」という風に聞こえる単語があった。そこでアンジェロがサンドラに電話して、何事か言ったが話の途中で切れてしまった。
 イタリア人は、どうも相当怒っているらしい。食欲も出ない程疲れていて明日も似た様な状況では、普通不機嫌になるわなあ。どうも皆を(特にパコを)一番怒らせたのは、本日現地の助っ人が居なくて照明を3人で仕込まなくてはならなかった事らしい。" Help without everyone! " と盛んに言っていた。明日も同じだとも言っていた。どうも本当に怪しい雲行きである。

 サンドラが劇場に着くと、彼女は集中砲火を浴びて泣きそうな顔をしていた。サンドラに責任がある訳ではないが、矛先は彼女にしか向けようがなかった。パコは「状況が改善されないのならば、帰る!」位の事を言っているらしい。アンジェロは「まあまあProなんだから、兎に角仕事をしよう」かなんか言っているらしい。私もSもそろそろ時間がないので「シュートしようよ」と言いたいがとても言い出せる雰囲気ではない。
 結局Sが舞台に脚立を置き、私を手伝う素振りを見せたら、暫くしてシュートに掛かれた。彼らも時間が事は解っているし、各照明の当たりをパコが割と的確に覚えているのでそれなりに早い、が空気は重い。Sにパコが「本番やって自分たちで運転して、2日で1000kmを移動するなんてクレイジーだ」と言ったらしいが、矢張りイタリア人だってそう思うんだ。このスケジュールはイタリアでは普通かも知れないと思っていたので一寸安心した。
 サンドラが色々と段取りを取って状況は改善される事になったので(取り敢えず今日のバラシには6人の助っ人を追加、イタリア人Technicianは交代で仮眠、明日も助っ人を追加、入り時間を遅くする等)疲れていながらも皆の機嫌は良くなった。

 さて波瀾万丈編が長くなってしまったが、街と劇場について少し。San Remoは、国境を挟んでフランスの高級リゾート地Niceのすぐ隣で矢張りリゾート地である。Seafoodが美味いのは、海に面しているので当然、生牡蠣が有名らしい。又世界的に有名なSan Remo音楽祭の開催地としても知られ、そのVery Famous Music Festivalが催されるのが今日のこのTeatro Ariston である。客層は一寸見た限りでは如何にもお金持ちと云った雰囲気であった。


 
舞台は今日も八百屋。劇場は、斜面に建っているので客席は1階だが舞台後方、搬入口は3階である。搬入口にクレーンもあるが、実際には余り大きくないエレベーターで搬入した。
 劇場に入ってみて、今までに比べて懐が広いのは嬉しかったが、袖幕と文字の色を見て、Sは泣き出したくなりそうな気持ちになったようだ。凄い色であった。薄汚れた感じのする緑っぽいグレーである。如何に美しい照明であろうと見事に汚く見せてくれそうな見事に酷い色である。案の定、照明は何時も程美しく見えなかった。Halationも酷く、ブルーライト時の気色の悪さといったら特筆物であった。

 さて、やっとパフォーマンス開始。客の反応はあっさりしている。拍手はあるが長く尾を引かない。受けていないのかな、と思うとそうでもないらしく、アクロバットの場面などでは(所謂)黄色い歓声も上がっていたりした。最終的にはカーテンコールを予定よりも2回も多くやる事になったので結構受けていたんだと思う。良ござんした。

 私は疲れの為かも知れないが、本番中に一瞬精神がニュートラルに入ってしまい、切っ掛けが一寸遅れるというトチリをやってしまった。恥ずかしい。御免なさい。

 バラシを終えて、ホテルに着いたら、部屋のKeyが素直に開かず、部屋にはBeerもMineral Waterもなく、Internetにも繋がらず、おまけに熱いお湯も出ずガタガタ震えながら48時間ぶりにシャワーを浴び、いつまでたっても寒いままの部屋でガタガタ震えながら朝を迎えた。風邪を引かなかったのが不思議である。
21_to_27 Topへ
21_to_27 Topへ
21_to_27 Topへ
25.Jan.03    Carpi - Teatro Comunale
 
昨日のパコ達の抗議の成果(?)で、400km走って8時入りの筈がホテルのロビーに7時15分集合になった。然し其処は矢張りイタリア人、ホテルを出たのは結局8時であった。
 途中から彼らも一寸遅過ぎるという気になったのか、一番の飛ばし屋パコの運転に変わった。この日の夜とても遅い晩飯を食べながら聞いた所によるとパコのお父さんは、セミプロのオートバイレーサーで本人もレーサーになりたがったが父親の強力な反対でなれなかったとの事であった。元レーサー志望のパコは飛ばす!トニーの比ではない!幾ら高速道路とは云え、乗用車(しかもワゴン車)で私は初めて180km/h Overを体験致しました。ヒョエー!!タコメーターは勿論レッドゾーン、スピードメーターは振り切ったまま帰って来ず!矢張り「このTourは生きて帰るのが目標」です。然しそれを追い越していく車もいる。イタリアは恐ろしい!!

 何時の約束になっていたかは知らないが、Carpiの劇場に着いたのは11時半であった。搬入はアンジェロが先に着いてやっていたのですぐに照明は仕込みに掛かった。音響は既にアンジェロが1人で組んでおり(ま、実際Rikiは“力”以外に役に立たないし、私には手伝わせてくれないので何時もそうなんだけど)なんだけど申し訳ない。

 この劇場は、小さな劇場の割りには照明の仕込みもカットする必要が少なくほぼ何時も通り(この時点でSのOriginal Planからは相当省かれている)仕込む事が出来たし、仕込みもし易くて1時には昼食となった。
 劇場を出てみると劇場前は可成り広い石畳の広場で蚤の市が立っていた。劇場に向かって左側には、たいそう古くて大きな建物が建っていた。1300年前のCapitolだそうだ。広場の正面とも云うべき位置(劇場に向かって左側の辺)には矢張り古くて立派な教会が建っていた。Carpiは、古くて大変美しい街です。機会があったら、又来てみたい、本当に美しい。
 劇場も大変古いようだが、1年前に9ヶ月掛けた改修工事を終えた許りで、外観も内装も美しく綺麗な劇場であった(客の目に付かないバックヤードは、歴史を感じさせてくれる趣が残っていた)。今回のTour Manager、サンドラはこの街に住んで居るんだという。この劇場が自慢気であった。とても気に入ってもいるとの事でもあった。
 本当に美しい劇場なのだが欠点もある。唯一の欠点は、舞台が高過ぎて、客席前方では舞台に立っている人間の膝から下が全く見えない。折角足下までよく見えるように八百屋になっているのに惜しい事である。でもまあ美しい劇場なので私としては許すとしよう。

 上の写真の上4枚は劇場内部、下は左から教会、劇場前の広場とCapitol、劇場外観、街に張り出されていたポスター(何かのFestivalの一環らしい)。
 昼食を終えて広場に戻ったら蚤の市はスッカリ引き上げた後であった。土曜日の午前中に開催されるらしい。

 
さて本日は、Sold-out!でしかも開場前に座席を足していた。凄い!
 サンドラはこの劇場では、通常15分遅れで始めるので9時15分開演だと言ってきた。今までも15分や20分は押して始めてきたし、スッカリそのつもりで居たら劇場の人間に突然「9時5分開演」と言われてしまった。開演15分前から雰囲気作りの音楽を流す事になっているのに突然10分も早まった事でホンの一寸しか音楽が流せず何となく不充分な感じの雰囲気で開演する事になってしまった。
 然しパフォーマンス自体は大受けで、カーテンコールで拍手が鳴りやまず何度も何度も緞帳を開ける事となった。ヤッタネ!

 これで“Ninja”の冒頭で間違った音を出すという私のトンでもないミスさえなければ完璧であった。何と私とした事が2日も続けてミスを犯してしまった。全く今日のは、トンでもなく恥ずかしいミスである。嗚呼恥ずかしい!CDプレーヤーのコネクターの接触不良やプレーヤーが一瞬CDを認識しなかったりと色々あって苛々していたとは言え、美しい街の美しい劇場にトンでもない思い出を残す事になってしまった。こういう事を将に“汚点”と言う。
21_to_27 Topへ