屋久島旅行記その3

屋久島旅行記メニュー 1.屋久島旅行記その1(イントロ&豆知識)
2.その2(志戸子ガジュマル園&白谷雲水峡)
3.その3(屋久杉パーク)
4.その4(フルーツガーデン・鹿児島市内)
2日目は旅館のお兄さんのアドバイスに従って、午前中に「屋久杉ランド」へ行くことにした。ここは「屋久杉ランド」という名前からもけっこう楽勝な物を想像していた。観光案内所のお姉さんも「道が舗装されているので、ハイヒールでも歩けますよ」と言っていたし!! 雲行きが少し妖しいが、多少雨が降ってもここなら平気だとレンタカーのおじさんも言っていたし!
倒木を利用した電話ボックス
屋久杉ランドの脇にあった電話ボックス
台風で倒れた屋久杉でできている。

そう思って車を走らせるが、ここは雲水峡以上に何だか遠い。途中に「屋久杉ランド7キロ」とか書いてあっても、その7キロ走るのに30分とかかかる……。本当にこの表示はあっているのか!?

屋久杉ランドに到着すると、駐車場の脇にお土産屋のようなロッジのような建物があるっきりで、見た目は雲水峡と変わらない。(そのロッジの脇にあったのが右の電話ボックス。可愛い……)

またもや入り口のおじさんに話を聞く。「ここは30分コース、50分コース、80分コース、150分コースになってます。舗装されているのは50分コースまでで、80分コースと150分コースは雲水峡とあまり変わりません。まぁ、50分コースか80分コースがお勧めですかねぇ」

だが欲張りは犬吉は、昨日結構大変だったことも忘れて「どうせなら全部見たいよ……」とか思って、あやめちゃんの顔色を窺う。だが150分コースを歩いていては、島1周のドライブができなくなってしまうのだ。(豆知識にも書いたが、1周道路のうち島の西側は4時までに抜けないと危ないらしいのだ)

おじさんに聞いたところ、150分コースの中でも良い杉は80分コースから分かれて15分くらいの所にあるらしい。「だったら、80分コースにして、この杉だけ見に150分コースに入って、見たら戻ろうか」「まぁ歩いてみた具合だよね。大変でないならこの杉も見よう」ということに決まり、早速歩き出す。

屋久杉ランドの沢
屋久杉ランドの沢。
さすが「物の怪姫」のモデルの森だ。
昔尾瀬の燧ヶ岳を歩いたとき、友人が「自分が歩けると思っているペースよりも少し速いペースで歩く方が疲れない」と言っていたのだが、その時は「まさかそんな……。疲れちゃうに決まってるでしょう!!!」と思っていたのだが(私は燧ヶ岳を登った時点で「もう2度と山と名の付くところには登らない……」と堅く心に誓ったくらい根性無しだ……)、ここは寒い為に、早く体を温めたくて友人が言っていた「自分が歩けると思っているペースよりも少し速いペース」でついつい歩いてしまう。そうすると、何と本当に疲れないのだ!!! いやぁ、びっくりだ!!! いくらでもガシガシ歩けてしまった……。

屋久杉ランドは「手軽に屋久杉を見てもらいたい」という趣旨で作られているので道が舗装されているそうだが、舗装と言っても道幅1m程の石畳がある程度で、基本的には自然をいじってはいない。しかし一度雲水峡を体験した後なので、石畳がうざいのだ。「もっとゴロゴロガツガツした道を歩かせろ!!!!」とつい思ってしまう。50分コースと80分コースの分岐点に来るといきなり道がガレガレになるのだが、思わず「良かった、普通の道だ……」と思ってしまった。もしも「屋久杉ランド」に先に来ていたらそんなことは思わなかっただろうし、それ以前にきっと「ヒールでも歩けるって一たくせに、こんなすごい道じゃないか!! 嘘つき!!」と思ったことだろうが……。ガレガレ道は面白いよ。

さて。ここは「屋久杉ランド」などとポップな名前が付いているだけに、「皆さんに屋久杉のことを知っていただきましょう」と色々な説明書きが充実していた。ので、ここで屋久杉のことを一緒に勉強してみましょう。
試し伐り
試し切り痕。○の中が少しへこんでいるのが
分かるだろうか。これは斧が入った痕だ。

屋久杉伐採
屋久杉はもともと、神木として畏れられていたので、誰も伐ることはなかったそうだ。初めて伐採されたのは豊臣秀吉が京都に寺院を建立するときで、秀吉は島津義久に屋久杉を調達することを命じ、これが屋久杉伐採の始まりであるそうな。本格的に伐採が始まったのは1640年、後に屋久聖人と呼ばれた儒学者の泊如竹が「屋久島島民の貧困を救うため、迷信を信じている島民の目を開かせて」伐採に乗り出したらしい。

伐採と言っても当然斧でガシガシ伐らなければいけないし、普通の伐採のように伐り終えた木を筏に組んで流せるような川もない。だからまず「伐りやすい木であるか」「ばらして運び易い木であるのか」を調べなければいけなかったので、「これは」と思う木に斧を入れて、本当に伐るかどうか調べたらしい。右の写真はその試し切りの痕である。

屋久杉の主な用途は平木(ひらき:屋根の材料)で、ひらきを作るにはなるべく均等に薄く、綺麗に割れることが条件だったのだそうな。だから外見上も木の表面が綺麗で、真っ直ぐな屋久杉を見るとまず斧を入れ、ちょっと伐り取って割ってみるのだ。それにしても痛そうな話だなぁと、つい思ってしまいませんか?

さて。屋久島の豆知識の所でも書いたが、屋久杉はゆっくり生長するので1年に1ミリ位しか成長しない。ということは、木目が目立たないということだ。これは建材としては嬉しい。現在屋久杉は伐採はされないのだが、台風などで倒れた屋久杉は細工物などに利用されているそうだ。この際も、木目の目立たない物ほど「良い物」として利用されているそうだ。

切り株木目が見えづらいとおおもいでしょうが、これ、
肉眼で見ても
このくらいにしか見えないんですよ……。
切り株の木目


山崩れと杉の世代交代
屋久杉がピンチだ。1993年に台風が来たとき、ものすごい山崩れがあったらしい。(沢になぎ倒された屋久杉が折り重なっているのを見かけたが、それもこの時の山崩れのせいだと思う)

山崩れが起こると、地表がごっそり削られ、そこに新しい種が入って植生に変化が起こる。最初に入り込むのは杉の木だ。山崩れが起きてから、50年から100年は、杉は広葉樹に比べて成長が早いし真っ直ぐ伸びるので、杉の木が目立っているらしい。

だが150年から200年も経つと、だんだん新しい植物も侵入していき、杉と広葉樹の割合は半分ずつくらいになる。

それが200年から300年も経つと、広葉樹がどんどん横に伸びてくるので、杉が負けてしまうそうだ。山崩れが沢山起きると、杉は減っていく、ということになる。

この世代交代については鹿児島大学の調査による物らしいが、屋久杉は生長が遅いのだから、50年から100年目でも屋久杉そんなに目立たないんじゃなかなぁと思ったりするのだが、どうだろう……?

切り株更新



切り株更新
放置された切り株の上に苔が生え、その上に新しい種が落ち、新しい木が育つことを「切り株更新」という。木によってはこれを「二代杉」とか「三代杉」とか呼ぶ。二代三代に渡って生きているからこう呼ぶらしい。

雲水峡には「二代大杉」と呼ばれる杉が生えていたが、私達は初め「二大王杉」だと思っていた。何故なら、一番有名な「ウィルソン株」とか「縄文杉」の近所には、実際に「大王杉」と呼ばれる杉の木があるからだ。切り株更新の説明文を読んで初めて「そういう意味だったのか!!」と納得した……。

それにしても、切り株を抱いて大きくなった杉というのは、一瞬ものすごく根っこがどでかい杉に見えるのだ。「うわ!! なんだあれ!!」「あぁ、切り株更新だ……」「……びっくりしたなぁ……」という具合に……。


倒木更新

倒木更新
切り株の上に新しい種が落ちると「切り株更新」。倒れた木の上に種が落ちて新しい木が生えると「倒木更新」だ。倒木更新にはもう一つ面白い仕組みがある。

一本の真っ直ぐな杉の木の上に種が落ちてくるので、当然杉の木は真っ直ぐ一直線に並んで生えることになる。

この木が土の中に埋まると、真っ直ぐ一直線に並んだ杉の木だけが地表に残るということになる。

そうすると、雑然とした森の中に、時々妙に綺麗に整列した杉の木が並んでいて、見る人をびっくりさせるのだ。

倒木更新にしても、切り株更新にしても、上に生える新しい木は杉とは限らない。ヤマグルマとかサクラツツジとか、いろんな木が生えていくらしい。いや、屋久島苔だらけだから、本当に島中苗床だらけだ。



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