| (質問)僕自身は、会員制で食品の宅配をやっているところに勤めていますんで、食べ物のことをちょっとお聞きしたいと思うんですが。いま本屋さんに行っても、いろんな雑誌で紹介されたりとか、流行りみたいな取り上げ方をされている感じなんですけど、日本でのスローフード協会の運動はどうなっているのですか。 (松田)大きな流れとして、一種のビジネスチャンスと捉えてやっているグループと、そうじゃなくてライフスタイルの問題、つまり文化運動として草の根からやっているグループと、二つの流れがあって。東京でも必ずしも一本化していないって話を聞きましたよ。本来のスローフード、スローライフという方向でやっている私の友人がいるんですけど、その人の話を聞くと、そうじゃなくて、スローフードって格好いいというのでやっているのもいる。ファストフードに対して、「うちはスローフードの店です」なんて言っちゃうと格好いい。昔は「自然食です」とかね。自然食というのはもう慣れっこになってしまったから、スローフードというカタカナで言うと格好いい。 僕は今、地域のいろんな草の根の市民運動とどう結びついていくかということ、それから、やはり食文化の教育ですよね、文化として食をどう捉えるかということに関心があります。日本の場合、高度成長期に食が家庭内のプライベートな事柄になっちゃって、一番大切な食文化は公共的なものだということを忘れてしまっている。長い伝統の食文化が消滅していくというのは、その地域社会の財産がなくなるわけですからね。そういう意味では公共性として食文化を見直そうと。 (質問)一時期、食事は早い方がいいとか言われた。 (松田)食事を文化、つまり交流として楽しむということがなくなった。もともと日本の中には共に食べるという共食の文化っていうのがあったんですけど。それが家庭内でも危ない、時間帯が親と子が違う。地域社会の結合も弱くなっているから共食文化というのがなくなるんですね。「同じ釜の飯を食った仲間」という言葉自体が死語になっちゃうんですね。 ご飯をゆっくり食べるというのが無駄みたいなことになって、仕事が大事だ、仕事優先ということになる。ご飯をゆっくり食べながらそこでいろんな話をする、違った仕事をしている人とね。それとかは、まさしく人間発達ですね。単なる労働力の再生産だけではなくて、人間の再生産。 (質問)グラムシの読みやすい本とか、推薦の本とかありますか。 (松田)いい加減な本はいっぱい出てるんですよね、トリアッティ型のグラムシとか(笑)。やっぱりファストフード型のグラムシはいけないんで、時間かかるけど、スローフード型のグラムシ、添加物の入っていないグラムシ、本物のグラムシ、それを書くために、田畑さんたちとやっている研究会のシリーズで出す本の中の1冊として書き下ろしで、今やっている。これはもう少し先になるんですけど。今までグラムシが住民投票や国民投票について言っているなんて、誰も紹介していないんですよ、アソシエーションについて早い時期から注目しているなんてね。今まで取り上げたのには全然載っていないんですよ。全部削除されています。政党論なんですよね。作為的にそうなっているんです。だから政治っていうのは政党がやることだと思われているんですよ。違いますよね。政治とは市民社会において、市民のアソシエーションが、いろんな文化的活動の中でやっていく中にあるものですよね。一番大事なのは人間を育てること、人間発達ですよね。それから情報をお互いに共有すること。まさに情報公開ですよね。そういう知的文化的発達をやることが人生で一番大切だ、ということをグラムシは言っているんです。 トリアッティ版ではそうではなくて、機動戦になっている。暴力革命に対して平和革命が陣地戦だみたいなね、歪めた捉え方をされてしまっているんです。そういう解説書がいっぱい出ているんです。陣地戦という言葉は、まったくそうではないんです。市民社会におけるアソシエーションをどれだけ豊かにしていくか、極端なところで言えば、政治や官僚に頼らないでも自分達でやっていける、グラムシの言葉で言うと、自己統治社会、自治社会を作っていくために、どれだけ市民社会が、つまりアソシエーションが、自治能力を持つか、これが陣地戦の根本なんです。来年早々出す本の中で、アソシエーションの中で自治体について書いているんですが、自治体をグラムシは非常に重視している。これも紹介されていないんです。 政党もまたアソシエーションなんです。政党がアソシエーション性を失うと閉鎖的になる、そういうところは全部カットしているんです。既成政党がほとんど信頼されないというのはそうでしょ。アソシエーションじゃなくなったわけですね。だから政党支持無し層が多数派になるわけですよね。この間の調査では56 %が支持政党なし。市民の方が賢くなってきたわけですよね。政党が市民社会に目を向けていないから、そうなっちゃうわけですよね。本来政党というのは、まさに市民社会の中から生まれてくる、市民的アソシエーションの一形態だったわけですよね。それが対等から上下関係になってしまったわけですから、悪名高きスターリンの伝導ベルト論によって。政党が市民社会を知らないで、指導するみたいな、垂直的関係が作られたわけで。そのことによって、政党自体が自らの基盤を失ったんです、市民的基盤をね。で、衰弱する。だから、むしろそういう政党を支持したくないという感覚の方が、健全だと思うんです。政党というのはやはり、一つ形が出来ると、閉鎖社会ですからなかなか変わらないんですよね。部分的に手直しはするけど。根本的にもう一回市民社会の中に戻って、アソシエーション的な政党として、再出発しようというのは、発想がなかなか生まれてこない。 (質問)それは組織が巨大化してくるからということですか。 (松田)一つは巨大組織化することによる硬直性、ということもグラムシは言ってますよね。政党官僚制が出てくる。しかし、これを防ぐ方法はいろいろあるんですよ。政党もレフェレンダムをやればいいんですよ。主権性で指導者を直接選ぶとかね。政策についても、全員投票する。イタリアの場合は左翼民主党は全員投票なんですよ、指導者を選ぶ場合はね。情報公開しますから、誰が何票、何パーセントと全部公開されるんですよね。まあ当たり前なんですけどね、こんなこと。日本はそんなことないですから、何で決まったか分からない人が、いきなり指導者になる。それは違うだろうとなるわけですね。秘密結社じゃないんだからね。グラムシは皮肉っています、政党という特別な団体だと自分で勝手に思い込んでいると。グラムシはかなり痛烈に批判している、一つはね、全員一致で物事が決まったとしても、それは単なる形式的なことであって墓場の静寂と同じだと言ってる。 (質問)「人民の家」の医療とかは?例えば自分達で診療所を経営するとか。 (松田)初期に、そういうクリニックを医者が協力して作ったというのは、フィレンツェにはあるんですけど。ただイタリアは医療制度が国民皆医療制で、公的なものになっている。これまた住民評議会の管理下におかれています。基本的に医療は無料。処方箋を持っていけば薬は公定価格で非常に安い。 (質問)特にそういうところで取り組まなくても、もう全体の体制ができている? (松田)まだ完璧とはいきませんけど、一応そういう国民皆医療制になっている。医薬分業によって医療費の上昇を押さえている。後は老人病院みたいなのは廃止して、全部地域医療にする。お年よりは地域に戻ると元気になるんですよ。収容所に入れたらだめなんですよ。ボローニアなんかでも、それまであった老人専門病院を廃止したんですよ。全部を地域に戻したんですね。医療ネットワークをつくり、日常的医療をやるのと専門的医療をやるのと、その間をつないでいる。カルテも全部統一化して、どこのレベルで対処したらいいかということを決めていく。診療所、クリニックで対処できることと、専門的に処することというふうに振り分ける。我々でも向こうで病気になった時は、そういうのを使えばめちゃくちゃ安いんですよ。それから免除規定があって、今お金がないと言えば、すぐ払わなくてもいいんです。びっくりするほど安いです。同じような薬が日本の半分以下。日本が異常に、世界でも異常に高いんですね。 (質問)するとボランティア医療というようなものはないわけですか。 (松田)それがあります。それはそれで。一つは救急を地域医療なんかでボランティアやっているのもある。まぁ相談ですね、医療相談。それで、あなたはここへ行きなさいとかアドバイスする。実は医療相談は医療だけでなくて、生活相談になってしまうんですよ。日常の健康についてお医者さんに話を聞いてもらうだけで安心するケースが多いんです、実はね。対話活動ですね。これはお年よりだけではなくて、身体障害者もそうです。いま、障害を持った人を専門施設に隔離しないで、地域社会に戻すという取り組みが行われています。これはベニスに近いトリエステというところで、最初に精神病院を廃止したんですよ。地域医療に切り替えたんですね。地域社会の中で生活していくということに切り替えたところが、非常にいい結果を生み出している。社会復帰を早めて、もちろん医療費も安くなる。今かなり精神医療の方では注目されていて、いろんな本で紹介をされていますね。 (質問)日本の老人介護などでボランティア活動が今ちょっと増えてきていますけど、そういう形のものもすごく発達しているんですか。 (松田)発達していますね。これは公的なものを自治体がやるのと、それからイタリアでは教会がやっている。元々は老人介護とか障害者介護を始めたのは、自治都市になってからですから、何百年の歴史を持ってますからね。だいたいキリスト教系の病院というのは、そういうことに関しては非常に力を入れている。フィレンツェなんかは公的なものと市民のボランティア的なものと、教会系のものとあるんですよ。教会系のも見せてもらったんですけど、これはなかなか設備がいいですね。信者さんがいろんなものを、お金や物を寄付するので。ちょうど僕が行ったときに、お百姓さんが野菜や果物を積んでね、ブドウなんかを積んでプレゼントに来ていましたけどね。 (質問)教会というのはいわゆるキリスト教の教会ですよね。 (松田)そうです。カトリックはかなり大きな病院を持っていますからね。医療はキリスト教の活動の重要な分野でして。医療、教育、福祉・奉仕活動。彼らは年季が入っていますからね。2000年の歴史。ただ、宗教というのは心の問題だけじゃないんですね。そういうことをやることで、現世の救済をやることで、支持者を集める。最近、来世救済はあまりみんな信じませんからね。宗教でもやはり現実のご利益のある、ご利益宗教じゃないとね。カトリックは定期的に教会に行く人はそんなに増えていないんです。だからそういう危機意識があるんでしょうけれど。ACLI(カトリック勤労者協会)とか、地域活動にはずいぶん熱心なんです。「人民の家」でもフィレンツェなんかでは、教会と「人民の家」が協力していろいろ若者の麻薬の問題やエイズの問題に取り組んだり、お年寄りの介護の問題に取り組んだり。 (質問)教会が「人民の家」になっているという所もありますか。 (松田)冷戦期に「人民の家」に対向するために、教会が「人民の家」的なものを作ったんですが、これはキリスト教民主党の出先機関で、逆に政治色が非常に強いんです。要するにアンチ左翼ですから。 (質問)自発的なものじゃないんですね。 (松田)人々が作ったわけじゃないから、結局うまくいかなくて、機能しなくて、ダメになりましたね。むしろ今はもう冷戦も終わったんだから、政治的問題は別にしてお互いに協力しようじゃないかと。ずいぶんカトリックの人たちが「人民の家」に来ていますからね。カトリックで左翼になった人もいっぱいいますしね。冷戦時代は左右対立が非常に厳しかったが、今は昔みたいではない。トリアッティは、「教会があるところには必ず『人民の家』を作れ」と言ったらしいですね。(笑)まさにコミンテルン的発想で教会が大衆的影響をもっている間は、革新的にならないんだからということでね。今は、むしろなかなかいい。特に今の法王というのは、ポーランド出身で、自分自身がいろいろ経験してきたことがあって、平和の問題なんかには非常に熱心ですから。対話を重視する人で、平和の問題に熱心ですから。教会の対応もその辺はずいぶん柔軟です。 (質問)現実的に地域の中で、「人民の家」的のなものを日本の中で作るとすれば、なかなか難しいなぁと思って聞いていたんですが。 (松田)イタリアでもヨーロッパでも一朝一夕にできたわけじゃないから。今の姿を見ちゃうとね、極めて巨大化しているから難しいというふうに感じると思うんですが、どういうプロセスで「人民の家」ができたかという、そこを考えればいいのでは。別に「人民の家」になるならないは別として、どうすれば人と人とのつながりがもっといきいきしてくるんだろうとか考えれば。実は僕のゼミの卒業生で、教師をやっているのがかなりいるんですが、教育の関係は深刻ですよね。つまり、世の中高度成長のときに、地域教育や家庭教育をする余裕がなくなって、あらゆることを学校教育に押し付けたでしょ。学校任せ。学校化社会を作ったわけですよ。その矛盾が今出てきているんですよ。教師の方はそんなことまでできませんよ、となってきているわけですよ。それがゆとり教育とか変な言葉になっちゃうんですけどね。将来の子供の問題というのが心配ですから、どうつながれるのか考える。先程でてきた食文化を通じてどうつながれるのかとか、お年寄りは知恵のかたまりですから、それとどうつながれるのかとかね。そういう感じで考えてみれば、いろんな目はあるんではないかと思います。 (質問)来やすい場を作ることだと思う。市会議員の事務所でも、クラブ・サークル的な事務所でもなんでもいいと思うんだけど。 (松田)イタリアでも、最初は溜まり場ですからね。溜まり場からスタートしたわけで。最初から「人民の家」を作ろうということではない。後から、みんなが集まってくるから名前を付けただけであって。人々が仕事を終えたあと集まってね、お茶でもいいし、お酒でもいいし、ちょっと鍋でも囲んでいろいろと、交流の場だと思うんですね。 ボローニアに行ったとき、一番古い「人民の家」を見に行ったときは、生協の事務所の片隅にコーナー作って、そこに仕事終わった人たちが集まってきて、ここぐらいの広さでね、だんだん場所が足りなくなって、継ぎ足し継ぎ足ししてね。だからレンガの色が違うんですよ。1階のレンガと2階のレンガの色が違ったりね。2階はまた後からレンガを買う金ためて、積み立てて、レンガ工はいるから。レンガの色がみんな違うんですよね。最初、おしゃれかなと思っていたけど、そうではなくて。 最初はやはり溜まり場じゃないでしょうかね。人々が自由に集まれて、いろんな話ができて、飲んだり、食ったりできますもんね。胃袋というのは意外と連帯しやすいもんですから。頭の連帯というのは、なかなかね。価値観が違うから。胃袋というのは意外と共同できやすいから、そのあたりから始めて、あとは地域の人たちのニーズですよね。こういうサバイバル時代には自分のことだけで精一杯で、人のことを考えるゆとりがなくなってきますから。私の住んでいる地域でも、ご近所と話をすると、一番大きな問題が子供の教育をどうするかということ。これはみんな深刻なんですよ。相談をどこへ持って行っていいのか分からないんですよ。学校の先生はめちゃくちゃ忙しいでしょ。 (質問)それでは、時間もかなりオーバーしてしまいましたのでこのあたりで終わりにしたいと思います。どうも長い時間ありがとうございました。 |
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