(質問)「人民の家」の会員さんは、誰が会員とかはっきりしているんですか。

(松田)地域や歴史によって違う。私が話を聞かせてもらったのは20ヵ所くらいです。見て歩いたのはもっと多いですけど、実際にそこの責任者の話を聞けたのは20ヵ所くらいです。それは全部違う。私がここ(『ボローニア「人民の家」からの報告』)に書いたのはボローニアのことですけど。ボローニアに3ヵ月いたんです。だいたい午前中はお年寄り、年金生活者の人たちが集まる。昼過ぎは主婦層ですわ。お昼の仕度の買物を終わって、お茶も飲めるし、話もできるし、軽食なんかも食べられるということで集まってくる。主婦層は夜は子供が帰ってきますから、そんな長い時間はいれなくて、それから後は仕事が終えた勤労者がだいたい5時過ぎくらいからです。だいたい早く閉めるところでも12時。中には1時、2時。12時というのは一応営業のたてまえがあって、戸は閉まっているけれど、中ではドンチャン騒ぎになってる。  
映画の上映会とかね。映画が好きですからね。だいたい中規模の「人民の家」は映画館ないしはシアターを持っていますね。向うは映画が好きですね。黒沢なんて、もうどこへ行っても黒沢映画について日本人はどう思っているのか話してくれってね。僕も映画大好きだから、尽きないわけですよね。映画の話を始めたら、もう留まるところがない。年間で日本人が平均1.5回か1.6回くらいでしょ。向こうがだいたい、統計によって若干違うんですが、それは、いわゆる興行館の統計と、他にシネクラブがいっぱいあるんですよ。「人民の家」がシネクラブをもっているし、あとは大学がシネクラブをもっているから。映画学科がありますからね、どこの大学にも。ボローニア大学は800席の大劇場とか大変立派なものを持っています。それを入れると年間10回ではきかないだろうと思います。フィレンツェで聞いたところ、月最低1〜2回は見ていると言っていましたけどね。僕がイタリアに留学してシネクラブに入るともう安く観れるんです、名作が。黒沢明週間とか、小津安次郎週間とか、日本で観れなかったものが観れるんですよ。だから映画文化はやっぱり底力がありますね。外国の映画で初めてアカデミー賞を取ったのは「ライフ・イズ・ビューティフル」でしょ。


(質問)日本だとテレビで映画を観たりとかありますよね。そういうことはなくて、広い所で皆が集まって?

(松田)集まって観るのが好きですね。ワイワイガヤガヤ言いながらワインとか飲みながらね。最近は日本の大型のビデオスクリーンがありますよね、ああいうのを入れてやっているのもありますね。もちろん昔の古い「ニューシネマパラダイス」に出てくるような昔の映画館的な、映写機回してやるというのも古い「人民の家」の場合はありますね。映像というのが民衆娯楽として大変大きな存在としてあるんですね。ムッソリーニは映画が大好きで、ヒットラーはそれを真似したんですが、ラジオと映画を宣伝の道具にしたんですよね。ムッソリーニの長男、ジュリオ・ムッソリーニは映画製作の専門家になったんですよ、パトロンになってね。それを担いでビスコンティやネオリアリズム派が、金だけ出させて反ファシズムの映画を作ったものだから問題になったんですよね。

(質問)ベースは地域がベースになっているのですね。労組は労組で別にそういう機能をもった、会館みたいなものはあるのですか。

(松田)イタリアの労働組合の特徴は支部組織が縦と横、産別と地域別に組織されています。イタリアだけではないんですけれども、特にイタリアの場合は産別だけではなくて、地域労組が強いんですよ。これは労働会議所で、職業紹介機能と職業訓練機能を持っているんです。だから強いんです。これは必ず「人民の家」のあるところでは「人民の家」の構成団体に入ってます。地域労組の事務所が「人民の家」の中にあるんですよ、そこへ行けばいろんな社会保障の手続きとかしてくれる。イタリアは税金が自己申告ですから、日本みたいに源泉徴収しないですから。

(質問)「人民の家」で、さっき労組が構成団体になっていると言われましたけど、イメージが良く分からない。「人民の家」というのはすごく曖昧なものなのか、それとも普通の組織のように、規約みたいなものを持っていて、会員がいて、会費払ってというふうになっているのか、イメージがよくわかりません。

(松田)「人民の家」というのは、基本的には個人加盟の一つの協同組合ないしはそれに準じた組織、ないしは相互扶助組織です。

(質問)その運営の仕方なんかは、生協法みたいなもので決められているのですか。

(松田)そう。一応原則は会員制。会費は非常に安いです。

(質問)ということは名簿があるということですね。

(松田)そうです。でもいちいちチェック出来ませんからね。いろんな人が出入りする。例えば会員であれば、会員証で映画を観る時に割引になるとか、飲んだり食べたりする時に割引になるとか、私も会員証を作ってもらいましたが、そういう事はありますよね。

(質問)やっぱり年1回総会開いてとか、法律で決まっているのですか。

(松田)それはやっぱり公的な団体ですから、それはあります。

(質問)いわゆる部外者も自由に利用することはできるわけですか。

(松田)飲んだり食べたりすること自体はオープンです。飲食の営業許可を取っていますから。スナックを開く時はスナックの営業許可が必要だし、レストランを開く時はレストランの営業許可を取りますから、部外者が行って飲食するのは自由です。

(質問)締め出し食うこともない?

(松田)いっさいないです。それで、安いんですよ、皆ボランティアでやっているから。「人民の家」でお茶を飲んだりご飯食を食べたりするのは普通のだいたい半額なんですよ。それが人気でね。

(質問)実体的にもいろんな人が利用しているんですか。それともやっぱり左派的な傾向の人たちがずっと居座っているとか。

(松田)いやいや、それはないです。彼らは「アカ(左翼)の家」になるのがいちばん嫌なんです。「人民の家」なんです。だから本を作るときに困ったんです。「人民の家」がいいか、「民衆の家」がいいか、「市民の家」がいいか。イタリアで「ポポロ」というのは極めて日常的な言葉ですからね。「ポポロ」とは「市民」の集合名詞なんですよ。だから「市民の家」でもいいんですけど。「市民の家」と言っちゃうと、日本は行政の「市民の政策」だとかありますからね。最終的には「人民の家」で行こうとということで。「ポポロの家」にしようかとも思ったんですけどね、日本語で言うと「人民の家」というのは固いですからね。

(質問)日本に導入された時はどなたが「人民の家」と紹介されたのですか。

(松田)「人民の家」についての初めての本は、これですね。

(質問)松田さんが命名されたわけですか。

(松田)私と編集者が悩みまして、どっちにしようかということで。まだあの時代では「ポポロの家」というと、「ポポロ座」というのがあったでしょう演劇団体で、「ポポロ座事件」なんていう、そういうイメージで捉えられると(笑)。いまで言うと「市民の家」か「ポポロの家」か「民衆の家」でもよかったかなと思っているんですけど。要するに、これは翻訳の問題ではなくて、実体の問題なんですね。それにふさわしい市民社会が成熟していないから、なかなか言葉が定着しないというね。いまで言えば「市民の家」でもいいかなと思っているんですけどね。中では必ず「カーサ・デル・ポポロ」と書いてるんですよ、「人民の家」にね。

(質問)ここに自分たちでビルも作ると書いているんですが、3階建てのビルとかも自分たちで作るんですか。

(松田)だって地域には必ず専門家がいます。皆職人さんですから、皆専門もっているわけですから、いちいち行政に頼まなくてもやれるわけですよ。ただ電気関係の工事は公的な認可を受けなくてはならないので、そういう公的認可を受けた人にやってもらう。電気、水道、ガス関係は消防法の関係があるから。それでもほとんど実費プラス若干で、もうほとんどボランティアです。だから安く出来るんです。地域で必ずいますからね。

(質問)人件費の部分は?

(松田)ほとんどタダです。入れ替わりローテーション組んで、入れ替わり立ち代りボランティアでやる。いま日本の勤労者の年間平均労働時間が2.000時間くらいでしょう。イタリアやヨーロッパは1.500時間代になりましたからね。だから日本と500時間以上は違う。500時間というと、労働日の3ヵ月分に近い。

(質問)ドイツより、短いんですか。

(松田)ドイツより若干短いです。いま一番短いのはフランス、ベルギー、イタリア。もう週35時間法ですからね。35時間のなかに休憩時間も入りますしね。要するに彼らの言う自由時間ですよね。仕事が終わったあとどう過ごすかというときに、職場の人と赤提灯に寄って上役の悪口を言いながら酒飲むなんてね、そういうことではなくて、いろんな人と交流して映画を観たりスポーツしたりということにね。

(質問)その中でビルを建てたりってことも入っているんですね。

(松田)入っています。市にとっても市がお金出をさなくていいから、ボローニアなんて、土地はね、無償で供与したり、めちゃくちゃ安いお金で長期に空いてるところを貸し出しするんですよ。市にとっても、積極的にそれはいいことだと。ボランティアでやってることなんですから、自分達で管理、運営もするわけですから。市の職員が常駐する必要ないんだから。だからサッカー場なんてできるわけですよ、ほとんどタダ同然で借りて。僕がフィレンツェで見たのは、市からもらったも同然だというような、めちゃくちゃ安いお金で。そりゃ市が作ろうとしたら、スポーツ施設なんてお金がかかるでしょう。「人民の家」が全部やるから、土地だけくれって。自分達で整地して、建物も建てて。これは大小問わず、アソシエーションの原則は、やっぱり勤労提供ですね。それはもう非常に長い伝統をもってるんですね。だから出発点が違う。
彼らは、もう小さい時から通っているから。つまり学校に頼らないんですよ、地域社会が大事なんですよ。そこで映画の勉強をしようとか。それで必ず「人民の家」には映画オタクみたいなのがいるんですよ。あの「ニュー・シネマ・パラダイス」ね、すごくよく出来ているでしょう、ご覧になったら。あれはまさに彼らの日常を現しているんです。大人がそういう話をしているとき、まわりに必ず子どもがいるんですよ。大人がそうした話をしているのを聞いているのね。黒澤映画がどうだとか話しているのを、中身は十分には分からないけれど、大人がいきいきと面白い話をしているなと、子供が聞いているんです。
それからサッカー少年ね。サッカーはクラブ制ですから。4部、5部、6部くらいまであるんですよ、小さい子供のチームから。そういうところを「人民の家」がやっているんです。そこからプロのサッカー選手とかね、他の面でもオリンピック選手とかが出ていくし。スポーツ活動は非常に重要な自由時間ですからね。

(質問)「アカの家」ではだめなんだというふうに言うのは、やはり政党サイドから言うと、そこのヘゲモニーを握ってしまおうとかいう失敗とかあったわけですか。

(松田)政党はもうそこから出ていって自立して自分で大衆基盤持っているから、政党がいかに地域社会に貢献するかということで、その政党が「人民の家」の正式なメンバーに入る場合もあるし、メンバーには入らずに賛助団体でやっている場合もあります。政党の人間がむしろ積極的に音頭取りをしてね、社会党や共産統系列の人がね、最近ではカトリックの人たちも入っています。カトリックの人たちはまじめなんですよ。非政治的なことであれば、一生懸命やるんですよ。政治的な「人民の家」だったら参加しないけれど、地域の役にたつことなら協力してやっています。僕が知っている神父さんは、友愛とか平等なんていうのはマルクスやレーニンではなくイエスなんだと、イエスの方が古いんだって言っています(笑)。

(質問)「人民の家」を実際に運営している人たちは、何とか党の人であったり、教会の人たちであったりするのですか。

(松田)それは選挙で選ばれます。「人民の家」の会員の中から日常的にやっている人を、男性、女性、老若男女、バランスを取って選ばれます。結果的に、その人が何党に所属しているかというのは関係ないです。その「人民の家」のリーダーとしてふさわしいかどうか、そういう実績を持っているかどうかということで選ばれる。労働者もいるし、企業の社長さんとか、いろんな多様な人たちが選ばれる。要するに地域社会を活性化することが大事なんだと、その一点で結びついているんですね。だからノンポリも多いんですよ。どこにも属さないけれど、自分は「人民の家」で小さい頃から育ってきたからこれを大事にしたいと。もっと若者が参加できるようにしたいと。
彼らが警戒しているのはやはり「アカの家」になることと、「老人の家」になること、この二つ。戦後の冷戦期には「アカの家」になったケースもあるんですね。結局うまくいかない。それから、年金生活に入った老人ばかりが集まって「年寄りの家」になっちゃったら魅力ないですもんね。昔話ばっかり聞かされて、「俺はパルチザンで戦った。今の若者は…」とかね、説教くさくて嫌ですよね。「人民の家」の中に老人クラブは老人クラブで別にして、その人たちを中心にしたいようにしてもらい、多様ないろんな層が参加できる施設にしています。
地域々々地域によって、労働者が多い地域の「人民の家」もあれば、いろいろです。大学の近くに「人民の家」があると、学生のニーズを活かそうということで、たとえば文化的な行事を大学と協力して「人民の家」で公開セミナーをやったりする。一種の生涯学習的なプログラムをつくったりしてね。必ず「人民の家」のメンバーには大学の教員なんかもいますし、いろんな分野の専門家がいますから、そういう人たちの人材活用をする。それを日本でなんとかならないだろうかと思っているんですけどね。


(質問)「地域センター」へみたいな意識は、かなり出てきているんですか。

(松田)住民評議会が作られて、公的なものですけれど、それを支える上で自発的なものとして。実際地域に詳しいのは「人民の家」の人たちですから、「人民の家」のメンバーから地域評議会の議員が選ばれたりするんですよ。

(質問)住民評議会というのは、たとえば市議会みたいなものなんですか。

(松田)ミニ市議会ですね。

(質問)一応選挙で選ばれて。

(松田)そうです。いきなり市民参加ってのはできませんですから、地域割して。

(質問)有償なんですか、その議員は。

(松田)低額ですが若干の。基本的にはボランティアに近い。

(質問)日本でそんなイメージがわくような、それに相当するような組織とかありますか。

(松田)日本でいうとどうですかねえ、区議会ですかね。区議会というのもミニ自治体ですからね。世田谷とか杉並とかで、もう区議会自体が巨大化していますが、百万近いでしょ、イタリアだけでなくいろんなところの経験を参考にして、いわゆる市民参加組織で、住民評議会的なものができています。

(質問)住民評議会というのは最近できたのですか。


(松田)法律は1976年です。基本法で分権法と言われている。実際にはそれ以前から住民評議会的なものはやってきた。ただ基本法として法的に認可されていなかっただけの話で。イタリアの人たちの発想というのが、まず実体を作って法制化するという、最初に法律ありきじゃないんですね、まず実体を作る。まさに自治性なんですね。その公的な成果が法律。まさに実践的なヘゲモニー闘争をやるということなんです。そのための人材育成をやる。

(質問)「人民の家」というのは自主的機関ということであったとしても、数千人の規模となると、どうしてもリーダーシップが形成されていくようになるのではないですか。住民評議会自体も最終的には中央集権的な形になっていくのでは?

(松田)住民評議会はいまでは比例代表制ですから、比例代表制で選ばれますので、それぞれの政党ブロックが候補者リストを出して、大体その地域の人々の政治意識が、そのまま反映されるということです。逆に分権化の方向ですね。知識人、専門家がいますから、その地域に住んでいるそういう人たちが協力して、ブレーン的な役割を果たしています。

(質問)その運営機関みたいなところで運営されていく時に、市民参加型というか市民ひとり一人が意識を持って参加していくけど、でもだんだんと発展していく過程にあって、知識人とか、どこかに集約されていくとかはないのですか。代行主義が出てくるというようなことはないのですか。

(松田)彼らはその前に、その地域に住んでいる市民だから、市民であり専門家ですから、代行主義というより市民としてやっているんだという意識が非常に強いんですよ。これはまさに市民社会的な意識だと思うんですね。自分は法律家だから、自分の専門的な知識を提供するということです。だから、僕は集約されるという意味がちょっと分からないですけど。
 
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