イタリア「人民の家」・グラムシ「陣地戦」について 松田博(立命館大学教授) |
| この報告は、2002年11月15日に、立命館大学の松田博教授の研究室を訪ねていって、「人民の家」とグラムシについて2時間以上にわたってお話していただいたものをまとめたものです。今後、地域で活動していく上で、非常に参考になるお話をしていただきました。また、参加者一同、ぜひイタリアに実際に視察に行って見たいというのが感想で、地域・アソシエーション研究所としてもぜひ、「人民の家」視察ツアーを企画したいと思っています。 なお、4人で押しかけ、各自思うままに質問したり、意見を述べたりしましたが、「質問」として一括しました。 |
| (質問)「人民の家」はイタリアでどのくらいの数あるのですか。 (松田)その地域ごとの記録をきちんと残すということで、フィレンツェはトスカーナ州の州都ですけれども、かなり熱心にトスカーナ州の社会教育セクションが、資金を出しまして、研究者とプロジェクトチームを作って、聞き取り調査をやってるんです。その調査に参加させてもらいました。フィレンツェ県だけで200近くあります。エミリア・ロマーニア州のボローニア県で100近くあります。しかし、全国的にいくつあるのですかと聞かれるのですが、イタリアの人に聞いても、実際あまり統計は取れていなくて、「人民の家」を名乗っているところだけで、おそらく2000ヵ所くらいだろうと。「人民の家」を名乗らない、その地域独特の名前でやっているところを入れると、おそらく数千から1万ヵ所。自治体の数が約8200ですから、ペルージアやボローニアのように多い自治体もあるし、小さいところでも1〜2ヵ所ありますし、少なく見積もっても1万は越えるだろうと。 (質問)1グループの単位の会員数は何人くらいですか。 (松田)これもよく聞かれるんですが、極めて巨大なところ、数千人という会員数をもっているところから、田舎の小さな数十人くらいの、サークル的なものまでいろいろあります。フィレンツェで、比較的大きなところで会員数2000人くらい。こういところは自治体と協力してレストランとかサッカー場だとか、学童保育、お年寄りのための様々なこと、外国人労働者のための語学教室などいろいろやっている。むしろ地域のカルチャーセンターになっている。それからプールや劇場、映画館。イタリアはサッカー好きだからね。 (質問)19世紀からということですけれども、特にイタリアで広まった理由は? (松田)イタリアだけじゃないんですよ。もともと第一インターナショナルで広がり、フランスでもベルギー、ドイツでも、「人民の家」的なものはあった。例えば労働者、市民のサークルとして。かなり大きな建物をもったものもあった。19世紀半ばは、イタリアだけではないんですよね。ただ、それがいろんな条件の中で消えていった。イタリアのように市民が自発的なところで発展していった。フランスはフランス革命以降、逆にジャコバンは集権国家を作るために、自発的な結社は法的に禁止しますからね。抵抗運動として、地下に潜って小さな友愛結社として残ってはいるんですが。それからドイツの場合はやはりどっちかというと、政治優先ということで、「人民の家」の組織自体が社会民主党の支部になっていって、イタリアのように「人民の家」が母体となって、そこから労働者政党や協同組合、いろんな市民運動が生まれてくる、しかし「人民の家」が残るという構造ではないんですよね。どこでも人民の家が母体になるんだけれども、「人民の家」が産後の肥立ちが悪くて母体自体が衰弱していく。 イタリアで禁止されるのは、ファシズムになってからです。「人民の家」を弾圧し、逆に彼らが「ファッショの家」みたいにしてファシズムの大衆基盤にしようとする。面白いのは、民衆がファシズムに動員されるのであれば、その中に入って、ファシズムの中の反対派を作れということをやる。そこもきわめてイタリア的発想だと思うんですけどね。日本なら転向だとか言われるんでしょうが、民衆がそうなるんであればその中に入ってやるのが当然だということで。それで逆にファシズムの方が困ったという記録があります。 イタリアにおいても南部と中部と北部では全然「人民の家」のあり方が違います。画一的に、これがモデルだというふうに言えないんです。一つのパターンがないんですよ。スローフード運動というのは、トリノ近郊の村の「人民の家」が発祥の地なんですけど、他所に行きますと、いや、あれはどこでもやっていたんだと言ってるんですよね。あれはトリノという工業化された大都市の近郊でやったんでマスコミも取り上げた。あれが一挙に有名になったのは、ニュース23で筑紫哲也さんが取り上げてからです。一種のカルチャーショックを受けたんです。農民たちが、ただの反対じゃなくて、代案も出していると。要するに、食生活から見直そうということで、単に農民がトマトを投げつけたりワインをぶつけたりという過激な面だけじゃなくて、ちゃんとオルターナティブを提起してきているという、そこが大事だと思うんです。それで、どっちを選ぶかは市民が決める。別にファストフードに敵対するものではない。 (質問)スローフードが出てくるとき、思想的な背景としてはイタリアのマルクス主義の中に、もともとそういう素地があったのですか。 (松田)スローフードのリーダーの一人が言っているのは、グラムシの影響が大きいと言っています。グラムシは『アメリカニズムとフォーディズム』の中で、アメリカのトレードマークの付かない生活様式を作らなければいけないと言っている。これは当時のコミンテルン批判ですね。「どうせ資本主義は潰れるんだから、すぐ革命しようぜ」ということではなくて、アメリカのヘゲモニーは生活様式レベル、大衆レベルにまで浸透しているわけだから、それとはまったく質的に違う生活様式を作ることが、ヘゲモニー闘争になるんだということです。 つまりポストフォーディズムの問題ですね。ポストフォーディズムというのは、経済システムだけじゃない、もちろん経済システムは大事なんだけれども、生活様式、そこまで降りるわけです。大量生産、大量消費で、その結果がファストフードになるわけですから。 「人民の家」をやっている人たちは、いろんな運動を見てインタビューしていますと、結構若い時にグラムシを読んでいるんです。グラムシの陣地戦を、どう現代的にヘゲモニー闘争として適用していくかですね。これはイデオロギーではないんです。イデオロギーでは上で空中戦やるでしょう。ヘゲモニーというのは日常的に自分がどう生きるかというところから出てくるわけです。自分の生活様式そのものから組み換えていくとか、自分の人間関係とかを見直していくというところから始める。単にアメリカニズム批判をやっても、そこからは何も出てこないわけですから、やっぱりオルターナティブを提示していく。陣地戦というのは、グラムシはオルターナティブという意味で使っているわけですからね。単に既存の体制を批判するだけでは創造的なものは出来てこないわけですから、そういう思考能力や行動能力をどう作っていくか、ということが陣地戦のいちばん大切なところなんです。 従来の、これは日本だけではないんでしょうが、非常に既成左翼型のグラムシ理解で、政党中心だと理解されてきた。これはグラムシではなくてトリアッティなんですよね。構造改革論を正当化するために、グラムシはそう言ったんだと言われてきたけど、でも全然違うんですよ。グラムシは政党もアソシエーションの一部なんだと言ってるんです。政党だけが特権的な位置を占めるのじゃなくて、政党もアソシエーションの一部であり、他のアソシエーションとは役割が違うだけでね。それがロシア革命以降、ロシアの革命もどっちかというとジャコバン型革命ですから、上からの革命ですから、民衆の自発的結社に対しては否定的ですから、上からの集団化で潰していくんですからね。 (質問)学生の時から、普通の学生以上には解放文献を読んでいたつもりなんですが、グラムシがスコンと抜けてるんですよ。 (松田)オリジナルノートから翻訳して、田畑さんにはドイツ語だいぶ協力してもらって、今度書いたやつは皆オリジナルのやつなんです。いままで翻訳されていないものをかなり載せています。今まで日本で出たやつはトリアッティ版なんです。だからすごく歪曲されているんです。都合のいいようにされていて、ほとんど使いものにならない。それが長い間、イタリアでも他の国でも日本でも、グラムシの『獄中ノート』だと信じ込まされてきたんで、どうしても否定的影響があるんです。いまオリジナル版に基づいて、これはかなり時間がかかるんですが、まずグラムシそのものが何を書いているかということをきちんと翻訳して出していこうということで、田畑さんの協力も得ましてね。アソシエーションについて実に面白いことをいっぱい言ってるんですよ。それが今までのグラムシの旧版とかに全然出てこない。翻訳されていない。オリジナル版とトリアッティ版を比べているんですが、そういう箇所を削っているんです。極めて意図的なんですね。都合の悪い所を文章を丸ごとズボッと抜かしているんですよ。旧版読んでいるとき、時々つながらないところがあるんですよ。それでグラムシが分かりにくいとか難解だとかいろんな言い方をされる。そうではなくて、継ぎはぎにされているんですよ。トリアッティは柔軟な面と非常に教条主義な面と両方持っていますから、第三インター批判まではいいけれど、レーニン批判までいくと随分抜かしています。 (質問)「人民の家」というのは運動として、行政とか関係なくて、下からの運動として…。 (松田)自発的。公的なところとはいっさい関係ない。施設を作る場合も無償労働です。公的なものは「住民評議会」。これは自治体を支える住民参加の機関です。「人民の家」があるところは「住民評議会」も活発にできる。「人民の家」は草の根で、「住民評議会」は自治体を支える公的な機関です。これもグラムシが言っているんですが、住民投票の権利ですね。これも今まで紹介されたことがないんですが、住民投票、国民投票の権利は重要なんだと。世界の既成左翼的発想だと、日本もそうなんですが、一方では国民主権だと言いながら、住民投票・国民投票とかとても否定的なんですね。怖いんですね、住民投票されるのが、右も左もね。一旦選ばれたら自分たちの特権を維持したいという政治システム。ヨーロッパでもアメリカのほとんどの州でも住民投票・国民投票というのは大事だってなっていますよね。EUの加入問題一つとっても。イタリアの場合、例の原発問題の87年の国民投票が大変有名で、89%くらいで原発凍結派が勝利したんですね。もう原発いらないということで。あれ以降日本でもかなり国民投票について関心がもたれていますが。 |
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