いのぐちのぶゆきの政策と政治理念

地方議会の役割〜国は議員内閣制・地方は二元代表制

1 成り立ちも役割も違う・国会と地方議会 国会(議院内閣制)/国会議員が総理を選ぶ―地方(首長公選制)有権者が首長を選ぶ

 地方自治体では、首長(知事や市町村長)と議会議員をともに住民が直接選挙で選びます。これを二元代表制と言います。これに対して国では、多数の議員が指名する内閣総理大臣が内閣を組織する議院内閣制です。

 二元代表制の特徴は、首長と議会がともに住民を代表するところにあります。ともに住民を代表する首長と議会が相互の抑制と均衡によって、市の基本的な運営方針の決定やチェック、更には政策提案をすることが二元代表制の本来の在り方です。
 このような制度の違いから、国では内閣を支持する政党とそうでない政党との間に与野党関係が生まれます。しかし二元代表制では、制度的に与野党関係は発生しないことになっていますが、実際はそうなっていない場合があります。
 地方議員が与党感覚になって首長を支える立場に立ってしまえば、議会が行政をチェックする機能は低下します。それが、恵庭のように「与党」が過半数を超える様なまちでは極めて深刻な問題であり、このような構図は間違いです。

2 議会改革が急務

 国が決めたことを自治体が実施する中央集権の行政から、自治体自らが考え自らが実施する時代、それが地方の時代です。地域が個性を持って内外の地域と直接結びつき、市民が主権者、主体者として自治に関わる時代を迎えているのです。
 しかし、地方自治の実現は決して簡単ではありません。中央集権時代の膨大な財政赤字や、人材が執行に集中し政策づくりに集中できない行政組織市民参加による地域課題の掘り起こし市民と協同で政策づくりをした経験の少ない行政や地方議会、自治の担い手である市民やコミュニティが中央集権下で弱体化して来たことなど、数多くの壁が立ちはだかっています。地方自治体の未来は、決して楽観できる状態ではないのです。
 特に、今日の議会の在り方は深刻です。行政の提案を通すだけの何でも賛成の形式的な議会では、持続可能な夢のあるまちづくりはできません。更には、議員の行政への口利きなどが横行するようになれば、まちは瀕死の重症になります。

 ■議員の口利き■ 

議員の口利き

 議員が、特定の企業や団体、個人のための利益導入を、行政に対して仲介したり世話をしたりすることです。行政には、契約や職員採用、人事異動、市営住宅や保育所入所待機の順番決定など様々な権限があります。
 口利きをした議員は、行政チェックに手心が働き、議案通過がスムースになります。口利きを頼んだ人も得をするので、事実が表に出て来にくい構図になっています。
 しかし口利きは、市民の財産や権利を特定の人のために使うもので、場合によっては犯罪にもつながり、あってはならないことです。

 昨年の12月議会に、口利きを全て記録する「口利き記録条例」の制定を求めたのですが、理事者は「必要ない」と突っぱねました。この種の条例は、市が提案しても議会が反対してなかなか成立しないのが通常ですが、恵庭は違うのです。

総合的・戦略的なまちづくり

●総合的と政策の羅列は違う〜何でもありではなく、ストーリーのある総合性〜

 経済の活性化と言うと、全国どこでも、過疎の町まで「企業誘致」を掲げます。企業誘致で本当にまちは活性化するのでしょうか。炭鉱で栄えた夕張、鉄鋼のまち室蘭でさえ、今は大変厳しい状況です。一方で、観光や外需頼みでは、まちが経済の好不況にさらされます。目に見える箱物づくりの行政は、莫大な借金の返済と維持費や運営費を毎年払い続けなければなりません。一見耳障りの良い何でもありの「総合的」なまちづくりは、一方で未来を食いつぶし、持続性のあるまちづくりにはならない場合もあるのです。

 地域の活性化には地域に根ざした雇用があり、地域社会には住む人が互いに必要とされた生活が必要です。文化やスポーツ、憩いや、まちに対する愛着や誇りが必要です。それを奏でるのが、ストーリーのある総合的なまちづくりなのです。

●子どもが元気なまちに未来がある

子どもが元気なまちに未来がある

 まちづくりには、人生と同じように方向性や物語が必要です。まちに住む人が同じ方向を向いて進むのです。
 恵庭と言えば、"花""読書""子育て"のまちのイメージが浮かんできます。とても素敵なことです。更に、これに方向性と求心力を生み出す、まちが未来へ進むための柱が必要です。
 恵庭は、地理的・歴史的条件や自然環境などを、これほど教育や子育てを充実する条件が揃っているまちは少ないのです。ここに大きな可能性があります。

 花がきれいで、読書が盛んな子育てや教育のまちには、優秀な企業の立地の可能性も膨らみます。子ども達が、恵庭に帰ってくる可能性も広がります。札幌に勤務して、恵庭に居を構えることもできます。そうすると、家を直したり庭に手を入れたりと、私たちの生活の仕方やまちに対する姿勢も変わってきます。
 子育て世代は税負担と経済活動の旺盛な世代で、地域の活性化や高齢者や障害者の福祉充実のための財源も豊かになります。バランスの取れたまちの姿は、真に総合的なまちづくりの基礎になります。
 子ども達の食の安全には、地元で作られたものをその地で食べる"地産地消"が大切です。農業を大切にしたまちづくりの必要性もクローズアップしてきます。恵庭の都市近郊型農業には、新しい雇用の場としても大きな可能性があります。
 外需だのみではなく内需の拡大が、持続的で豊かな市民生活の実現につながります。

●遊びは子どもの発達に不可欠

 現在の日本は、合計特殊出生率が1.3〜1.4と極めて低く、子どもを産み育てることが困難な育児氷河期と言っても過言ではありません。子どもの側から見ると、孤立した子育て環境や児童虐待、いじめやひきこもりなど、育つことが難しい時代でもあります。子どもの遊び体験の重要性について、多くの研究者が指摘し警鐘を鳴らしているところです。
 かつて子どもは、朝から晩まで遊び、異年齢の子どもたちのコミュニティが成立し、それを見守るおとなの視線もありました。このような中で子どもは、象徴機能や身体機能、社会性やコミュニケーション能力など、人間としてのあらゆる発達の基礎を育んできました。
 しかし近年、密室での母一人子ひとりの生活が当たり前になってしまいました。特に0歳から3歳の子どもたちの遊び体験の喪失に、我が国の子育ての最大の問題があると考えます。子育ては本来、家族や地域の共同の営なみででした。それを遊びを核にして再構築することが、子育ての復権の課題であると考えます。

 今もなお、遊びよりも学習、遊びよりもしつけという意識が、根強く存在しています。特に、発達初期の子どもが、現実世界を越えて自分の世界を切り開き創り出すことの意味、遊びを支える人との関係や遊びそのものの成り立ちを大切にしたいと考えています。加えて、子どもの遊び体験にふさわしい遊びを再現するシステムを確立することで、子どもの遊びと地域再生との相乗効果と波及効果をはかりたいと思います。
 子育てと子どもの発達を大切にするまちづくりは、住民の生活圏選択にも影響するものであり、人口流入やまちの発展にもつながる施策になります。自治体間でその様な競争や切磋琢磨が進めば、子どもの生活世界は格段と向上します。子どもたちの未来を開くこで、まちの進むべき方向を定めるのです。

 恵庭市は2008年から、親の協働運営による自由遊びを基調としたニュージーランド発祥の子育てシステム、プレイセンターを恵庭型社会実験として全国に先駆けて実施しました。短期間の実験にもかかわらず、子どもの生きいきとした成長が実感され、その後の親たちの積極的な社会参加も際立ちました。エンパワーメントやソーシャルキャピタルの蓄積にも大きな成果と変化を生み出した。子どもの遊びとプレイセンターの普及に努めたいと考えます。