◇ 音 楽 ◇

永遠の音楽について


<序>

僕は“クラシック”という呼称があまり好きではありません。なぜなら、その名称によって、素晴らしい数々の音楽から人々を遠ざけてしまっているような気がしてならないからです。そして、それは事実だと思います。クラシック音楽は難しい音楽では決してありませんし、高尚な音楽でももちろんありません。むしろ人間らしく(自分らしく)生きて行こうとする者たちへ、音楽は勇気(ヒント)を与えてくれるのです。僕らの人生(生活)に、実は大変密着している音楽なのです。
そして、クラシック音楽と称される音楽は、間違い無く未来永劫にわたって人類の耳に届けられる音楽なのです。


<クラシック音楽への入り口>

確かにクラシック音楽を鑑賞するのには、ちょっとした知識が必要です。その知識も世俗音楽とくらべると多少込み入っているものなので、世間では敬遠されがちなんですが、それはほんのちょっぴりの知識なのです。
よくクラシック通だと称して眉間にしわを寄せ聴いている人がいるけど、本当はあれ、嘘っぱちの姿なんです。入り口のところで十分満足してしまっている人たちなんです。入り口の先にはのびのびとした自由なイマジネーションの世界が待っているのに・・・・と、いつも残念に思ってしまいます。
さて、クラシック音楽をよく聴く方々は、普段聴いていない友人などから「何を聴いたらいい?」と質問されることはないでしょうか? 僕自身も何度か経験があります。当初僕は、チャイコフスキーの「くるみ割り人形」やプロコフィエフの「ピーターと狼」なんかを薦めてみたけど、どうやら失敗に終わったようです。そういった反省を踏まえ、それらの楽曲を(子供を除いて)薦めたりはしません。・・・・もちろん、くるみ割り人形もピーターと狼も素晴らしい作品なんですが・・・・、どちらかと言えば、くるみ割りも狼も僕たちの人生そのものとは、あまり関係があまりありません。
それからというもの、僕は、人々の人生と深く関わっていると思われる作品を紹介することにしました。例えば「英雄は二楽章で死んじゃうんだぜ、なぜだと思う?」とか、「こんなに綺麗な音楽の題名が“蛾”っていうんだぜ、なぜだと思う?」とかやると、“当初”よりかはいいみたいです。


 ベートーヴェン交響曲第三番「英雄」

 ラヴェルピアノ曲“ミラー(鏡)”から「蛾」

 ゲーテファウスト


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