ベートーヴェンの交響曲第三番「英雄」
僕が大学生時代、ベートーヴェンの交響曲第三番の二楽章が、なぜ『葬送行進曲』なのかが、不思議でなりませんでした。「ここで英雄が死んでしまったら、みーんな終わりじゃ〜ん!」と。
スコアーの解説では、ナポレオンが引き合いに出されており、ナポレオンと関係しているのは第一楽章のみで、他の楽章は関係がないと・・・・、第二楽章に関しては、「1801年の3月に、エジプトのアレキサンドリアで戦死した、アーバークロンビー将軍の霊を弔うために創られたのである。」(野村光一/音楽之友社)という説明が記されていました。その時の僕には、どうも納得がいきませんでした。でも、すぐに答えが見つかりそうもなかったので、しばらく放って置くことにしたのです。
数年後、大学の研究科に籍を置いていた時のこと、当時の僕はプライベートなことで非常に悩んでいました。それこそ、真剣に自殺まで考えるほどに。(笑) そんな個人的な悩みを解消させるためなのか、逃れるためなのか、貪るように無我夢中で読書に耽りました.
ある日、ふと過去に解決できていなかった、あの疑問に対する解答を見つけたのです。その解答とはこういったものです。
――生の頂点が死の象徴によって表現される、ということはよく知られた事実である。自分自身をこえて成長する、ということは死を意味するからである。――(C.G.ユング/変容の象徴)
素晴らしい瞬間でした。交響曲第三番の第二楽章が葬送行進曲でなければならないその理由、“英雄”とは象徴であって“人”を意味しているという発見、「僕が苦しまなければならないのは、この苦しみをこえて成長しなくてはならないんだ。」という深い感動。本当に素晴らしい瞬間でした。
世界中の誰しもが、常時ではないにしても、それぞれ個々の悩みを抱えて生きていると、僕は思います。個々の悩みの“種類”なんてまったく意味を持ちませんし、それこそ個々の悩みに対して、大きい小さいなどと批評することなんてできません。悩みに直面している時の、当の本人にしてみれば、半ば、あるいはほとんど、精神的に死んでしまっている状態なのですから。そういった状態からでも、本当に死なないで、どれだけ時間がかかるかは知れないが、悩みから逃げようとするのではなく、悩みをこえて生きようとする行為そのものが、偉大なことだと思います。
星の数ほどの人がいて、星の数ほどの悩みがあって、星の数ほどの英雄たちがこの星にいる。・・・・そんなふうに僕には思えます。
ベートーヴェンの交響曲第三番が、個人的な悩みを解消したという話しは、聞いたことがありません。しかし、悩みそのものを肯定化してくれるとは思います。そうしたら、僕らは一体、それ以上何を望んだらいいのでしょうか?
ベートーヴェン作曲 交響曲第三番 変ホ長調 Op.55 「英雄」
第一楽章:アレグロ・コン・ブリオ
第二楽章:葬送行進曲(アダージョ・アッサイ)
第三楽章:スケルツォ(アレグロ・ヴィヴァーチェ)
第四楽章:アレグロ・モルト
「ベートーヴェン交響曲全集」
(サー・ゲオルグ・ショルティ指揮/シカゴ交響楽団/ポリドール株式会社)
「BEETHOVEN - SYMPHONY No.3」(音楽之友社)
C.G.ユング「変容の象徴」(野村美紀子訳/ちくま学芸文庫)