聴いた、観た、買った ---淡々と音喰らう日々。
2002.01
★は借りた新着、☆は新規購入。
今回論評したディスクなど:
Scritti Politti: Cupid & Psyche '85 / George Benson: Greatest Hits /
ミニモニ。『ミニハムず』/ Herbert: Bodily Functions /
m-flo: Expo, Expo / くるり『さよならストレンジャー』『図鑑』/
Steve Swallowが作曲した'Falling Grace'という曲について / キリンジ『3』
◆CDタイトル前などのマーク(◆)はそのレビュー項目自身へのダイレクトリンクになっています。
◆CDタイトル等のリンクは、日記鯖上に初出の即興コメントにリンクさせています。時々気まぐれを起こしてリンクしてないこともあります。
◆Scritti Politti: "Cupid & Psyche '85" (Virgin, 1985)☆
彼らが参加しているChaka Khanの'Love Of A Lifetime' ("Destiny" に収録)からの連想で昔録ったテープを引っ張り出し、音質に飽き足らないのでCDで購入。昔はGreen Gartsideのボーカルってヘナヘナだなあとばかり思ってたんだけど、実はそれはとても浅はかな理解であったように今は思う。米音を精一杯模倣した発音で歌うそれは、いかにしてボーカルでファンク感を出すかという実験のようにさえ聞こえる。それは言ってみればAretha FranklinやChaka Khanのアンドロイド、というか今っぽく引き付ければ「バーチャルアイドル」的再構築のようでもある。発声がヒョロいあたりが却ってそのバーチャル感を際立たせるようにも思えるし。音のほうはリズムの作り込みが今聴いても独特でカッコいいんだが、「本場」米国勢(プロデュースのArif Mardinとその関連のパーソネル、例えばDsのSteve FerroneやGのPaul Jackson Jr.、BのWill Leeら)が参加したトラックは今振り返るとむしろ手堅すぎて物足りなく、そうでない'Small Talk'や'Perfect Way'のアンドロイドぶりのほうが光る。
◆George Benson: Greatest Hits (テープにつき版元データ不明)
George Bensonの曲を時々聴きたくなるのは、彼自身のギター+ボーカルのユニゾンによるインプロビゼーションの独特なテクスチャに加えて、多くの楽曲を提供しているRod Tempertonによるところが大きい。そのいずれもが、smooth jazzという言葉が出来る前の「フュージョン」の一典型であり、それ故かどうだか「黒人の」音楽としては評価されて来なかったのだけれど、そういうことは実のところ自分にとってはどうでもいい。いや、どうでもよくはないんだけれど、音楽の価値を一面的に測りたくはないだけだ。'Turn Your Love Around'の、馬鹿馬鹿しいまでにチャラい歌詞をファンキーなホーンセクションに乗せてミディアムテンポで紡いでいく、この職人芸。
◆ミニモニ。『ミニハムず』マキシシングル(Zetima, 2001)☆
せがまれて買っただけなんだけど、実はこの「ミニハムずの愛の唄」なかなか上出来だったりして。アレンジの渡辺チェルって『仮面ライダー龍騎』でも見掛けたけど、今売れっ子なのかな。ホームグラウンドはどんなジャンルなのかしらん。ともかく職人仕事を感じさせる。引き出しが多そう。あざとさが光るつんく節と結構笑える歌詞もいいんだけど、まあ彼ならこのくらお茶の子才々てなところかな。
◆Herbert: "Bodily Functions"(!K7/soundslike, 2001)☆
Herbertについてはtaninenさんの紹介記事があるのでそちらを。まさしくその通りの音です。穏やかな覚醒。いつくしみと、ちょっとしたイタズラ心と。それ以上どんな解説が要るっていうんだろう。
◆m-flo: "Expo, Expo" (?, 2000?)★
近未来バーチャルエキスポをコンセプト展開するトータルアルバム。というと何だかPizzicato Fiveのようでもあるんだけど、でも何か全てが微妙にハズしてる感じ。どう説明したらいいんだろう。敢えて雑に言うと、こういうのってキッチリと笑いを取りに行くくらいのつもりで作らないとダメなのに、そこが中途半端というか理解してないというか。これでいいんだよねーっていう内向きな価値観で終わっちゃってるというか。その辺が、「一応コンセプトアルバム、らしい」とか「一応オシャレな音、つの?」とか「一応それらしいライム」とかいう、全体を覆う「一応」感につながってるように思う。そういう脇の甘さだから、台本やライムの所々で綻んだように偏見や差別のイヤなにおいが立つ。裕福さの浪費、やも知れず。
◆くるり『さよならストレンジャー』(Victor, 1999?)★
聴こうと思ったのは、元はと言えばタニメロさんのお薦めだったからだろうか。ロックというかポップというか。微妙にねじれた音作りについグッとくるが実はこれは単にプロデュースの佐久間正英な音なんだろうか(別にイヤだってんじゃないけど、どこに行っても彼の名前にぶち当たる気がする...)。でもこの盤はそんなことよりも、楽曲の良さとコーラスワークの絶妙奇抜と、そしてタイトな演奏のツボにはまり具合が全てというか。それってやっぱりポップと言うべきか。
Jim O'Rourkeだけが悪いんじゃないとは思うけど、このいじり方は何か「昔、混沌さんというとてもいい人がいたんだけど、誰だかがお礼に目鼻口を穿ってあげたら死んじゃった」ってあの話(荘子だっけ? 前にも使ったなあこの譬え)を思い出す。一言で言えば「オルタナっぽいのキライ」てことだが、前作のキモは「ヘンであること」では全然なかったので、そのキモでない部分を膨張させるというのはやはりポイントがずれてると思う。結局くるりはこれ以降の盤が未フォローだけど、その後お元気ですか?
◆Steve Swallowが作曲した'Falling Grace'という曲について。(Chick Corea & Gary Burton: In Concert, Zurich, October 28, 1979 (ECM)等に収録)
さるレビューによると、Swallowは逗留先の誰だったかの家のピアノに向かっているとき、突然この曲がひらめいたらしい。降ってきた、というのに近いようなことを、インタビューに答えて本人が言っていた。それから、一聴して明白なように、Bill Evansの影響下に書かれたことを作曲者本人も認めている。
ではこのタイトルの意味はどう解すればいいのだろう。その辺突っ込んだ解釈はあまり見当たらないが、唯一の公表された後付け歌詞は、「舞い降りる優雅」すなわち「雪」であるとして書かれている。だが...本当か? この成立の経緯、この曲調(の疾走するかなしみ。駄文家小林某の『モオツァルト』ではないが)から考えると、graceはやはり神の恩寵、それが空から舞い降りてきたのだと考えないと腑に落ちない。
こちらの意思や希いにかかわらず、神の気まぐれで地上に遣わされるささやかな恩寵、それが腕の中からすり抜けて行っても、それは神の意思なのだとただ感謝し、胸の中に留めておく気分。自分で書いた後付け歌詞はそんなことを織り込んでみた。いずれ発表できる場があればいいが。
◆キリンジ『3』(A.K.A./Warner, 2000)★
ブラジルのコンテンポラリーに惹かれ、ポップス職人芸にすべてを捧げてるらしい、というので以前からずっと聴いてみたかったのをようやく。最初の1枚として相応しいかどうかわからないが、レンタル屋で目の前にあったので。だが、どうもなあ。T-1「グッデイ・グッバイ」の出来の良さに目が眩んだのも束の間、ヒネりにこだわりすぎてノれない楽曲と、歌謡であることに執着しすぎて足がもつれそうな楽曲とが続いて行く。これも一種の考えオチじゃなかろうか。思考の力が感覚的な流れを一方的に裁断/断裁した結果の袋小路というか。これがせめて、盤石の文体への試行錯誤の一里塚であってほしいとは思うが。あともう1点、下世話と言い切るのもどうかという、やや妄想混じりの歌詞はどうなんだろう。ストレートに男尊女卑なマッチョ歌詞のほうがまだマシかと思ってしまうのだが。いやその、ウジウジしててもいいんだけど、それならそういう美学がほしいというか。
→インデックスへ
→ただおん目次に戻る
ただおん |
(c) 2002 by Hyomi. All Rights Reserved. |