お気楽CDレビュー
図書館天国:書き捨て御免


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1997年上期のメモ

この辺からごちゃごちゃしてくるので、そのうち索引を用意しようと思います。


ベッチ・カルヴァーリョ「ベスト」 Beth Carvalho (Best)

サンバの名歌手だということで、半ばお勉強で聴いたのだが、今の自分にはちょっと刺激が少なすぎたようだ。最近のブラジルのいわゆるMPBのシンガーは、ジョイスにしろイヴァン・リンスにしろミルトン・ナシメントにしろ、もっと強靱で変幻自在な歌い方をするからなあ。


カエターノ・ヴェローゾ「ポートレイト」(ライヴ盤) Caetano Veloso: Circulado Vivo

なぜか、パリの場末でふらっと入って聴いたシャンソニエの芸人を思い出した。あの、語りと、即興とも出来合いともつかない歌を交互に、軽やかに演じるシャンソニエの唱い手たち。そしてそこで感じた距離、言葉もそうだけど、それだけでなく、その場を共有するバックグラウンドを持っていない、ということを思い知らされる、あの感じ。


ジルベルト・ジル「パラボリック」 Gilberto Gil: Parabolic

カエターノと並ぶMPB(ブラジリアン・ポップス)の雄、もしくはベテラン、のジルはずっと入り易い。語りっぽくなく、とても丁寧に「歌う」。採り入れているリズムの種類も豊富。(このあと、これを含むベストを買ったが、フュージョンすれすれのポップな曲などあり、とても楽しかった。)


パット・メセニー「ゼロ・トレランス・フォー・サイレンス」 Pat Metheny: Zero Tolerance For Silence

ジャケットからは想像できないディストーションノイズ、不協和音、即興的で不規則なずれ。どうしたメセニー、キれてるぞ。

解説文には「シークレット・ストーリー」や「スティル・ライフ」などの超構築型の作品と対をなすアプローチだとかいう書き方がしてあったが、敢えて深読みをすれば、超構築型の作品を作らねばというプレッシャーが歪んだ形で噴出したのが今回作ではないか。何だかかわいそうなメセニー。やっぱり彼の音楽には深い闇があるのか、という風にも感じたが。


エリス・レジーナ「ベスト」 Elis Regina: Personalidade (Best)

ベッチ・カルヴァーリョと同じような印象。お目当ては、イヴァン・リンスの出世作となった「マダレーナ」だったのだが、別にどうということのない曲だった。やはり彼は"Abre Alas"で復活してからの数年が黄金期だろう。


ガル・コスタ「チェシャ猫の微笑み」Gal Costa: Souria de Chat de Alice (タイトルうろ憶え)

ブラジル60年代後半を揺るがした音楽潮流「トロピカリスモ」の象徴ともいえる歌姫。友人のカエターノ、ジル、そしてジョルジ・ベンが主に曲を提供している。よくまとまりバランスもいい。歌いっぷりもクールでパンチが効いてて。それにしても、カエターノは他人が歌う曲のほうが印象に残るのは、何故なんだろう。ガル以外にも、イヴァン・リンスが歌ったのやトニーニョ・オルタが歌ったのはとても良かった。カエターノの独特の語りっぽい歌い方のせいだろうか。


マイ・リトル・ラヴァー「エヴァーグリーン」Evergreen

はずれ。"Hello, Again" は図抜けていい出来だったらしい。


電気グルーヴ「オレンジ」

あっちへ行っちゃう直前の曲(「ママケーキ」「誰だ!」「ビバ!アジア丸出し」)はいいんだけれど、完全にあちら側の曲(「キラーポマト」など)は、やはりついて行けないなあ。ついて行けないながらも只者ではないということがわかる、という感じか。


奥田民生「30」

29ほど確信犯的ではなく、29より個人的な内省に片寄っていて...もう少し聴き込みたいが、一見したシンプルさに比べて難解な手応え。


オーネット・コールマン「ボディ・メタ」 Ornette Coleman: Body Meta

なるほど。熱いぞ。燃えろフリーフォーム。この手法をコールマン自身が「ブルースを取り戻す方法」みたいに説明している訳がよくわかる。質難しい前衛とやらではなく、開けっぴろげな、しかし狙いすました自由奔放。


ディアマンテス「オキナワ・ラティーナ」Diamantes: Okinawa Latina

誰かはっきり言わないのかなあ、ディアマンテスいまいち、って。アルベルト城間はめちゃくちゃ歌上手いし、「ガンバッテヤンド」は優れた楽曲だ。だが、それ以外にはあまり見るべきものがないと思う。この傾向の音楽の最良のものを聴いている、という気はしない。ただ、こう言っている自分のスタンスはあくまでも、東京ベースの全国マーケット前提での感受性なのであって、ご当地で聴けば楽しみ方も違うのかも知れない。社会への音楽の組み込まれ方が違えば評価が違うのは当然だ。だから、そこを無理に解ったふりしたってしょうがない。むしろ、その距離感を厳密に測っていくことのほうがずっと大事な作業なんだろう。

 

ベン・フォールズ・ファイヴ Ben Folds Five
1997.5.13

アルバムの最初の数秒でノックアウトされたのなんて久々だなあ。ピアノトリオなのに極めてロックで。通常のジャズトリオのようにベースが低音、ピアノの左手が中域のコード、右手が高域のリフという具合に3音域を分担するのでなく、ベースと左手が一緒になって重低音の硬質なビートを叩き出す。かっこいい。

音作りも面白い。この楽器編成で何ができるか考え尽くしていろいろやっている。ベースにディストーションをかけてギターのような効果を出したり、ドラムスが何だかわからないガラクタを叩いて効果音にしてみたり、ピアノの最低音部をクラスターで叩いてうまく効果音に使っていたり。この辺の発想はテクノやヒップホップのような、手元にあるものから最大限の音を引き出そうという方法論と実はよく似ている。そういえばライナーの写真では、ベースの人がどういうわけかアディダスのジャージを着て写ってたし。ノースカロライナらしいけど、随分都市っぽい感じがするのもそのせいかもしれない。


オーネット・コールマン「トーン・ダイヤリング」Ornette Coleman: Tone Dialing

うーん、こんなポップなフリーフォームってあっていいのかしらん。とても粋。カッコいい。勝手な想像だが、オーネットはジョン・ケージさながらのポップなオヤジなのではないかと思う。あの、講演で頭に宇宙人のアンテナ(ビヨンビヨンと揺れるやつ)を付けてご機嫌だったケージのような。


カエターノ・ヴェローゾ「シルクラドー」Caetano Veloso: Circulado

傑作! これを聴いて、やっと何故カエターノがそんなに凄いカリスマなのか分かった気がする。そして、なぜ今までわからなかったのかも。「ポートレート」 (ライブ盤) の前にも2、3聴いたけれど、どれもピンと来なかったのだ。

カエターノの曲を他のアーティストがカバーしたのを色々聴いて、非常に優れたメロディストだと思っていたから、カエターノ自身が歌うのを聴いたときの食い足りなさが妙に思えた。アレンジがちゃちで薄っぺらいのを聴いていたせいもあるだろうが(80年代初頭くらいまでは、結構情けないくらいぺらぺらだ)、この「シルクラドー」の飛び抜けた説得力を目の前にして、それが何故なのか、わかったように思う。つまり、カエターノの本質はやはり詩作も含めた「語り」にあるということ。「シルクラドー」は彼のその本質を最大限に強調することに(アレンジ面、演奏面において)成功している、その意味でとても優れたアルバムだ。


矢野顕子「ピアノ・ナイトリー」Piano Nightly

小坂忠の「機関車」とかとてもこわい(歌詞が)。矢野顕子がこわい歌詞を歌うととてもこわいので、これはちょっと。ほかは良かったなあ、同じピアノ1台の前作「スーパーフォークソング」 よりいいかも。発見は、アグネス・チャンが歌った「想い出の散歩道」(曲は馬飼野俊一) と、高野寛の「いつのまにか晴れ」。高野っていい曲書くんだ。


カエターノ・ヴェローゾ&ジルベルト・ジル「トロピカリア2」Caetano e Gil: Tropicalia 2

傑作。「ハイチ」はポスト・クラブシーンのバイーア音楽だ。強烈なイメージ喚起力。しかし2人揃うと強力だなあ。ボサノバナンバーも最上の出来。


パット・メセニー・グループ「ザ・ロード・トゥ・ユー」(ライブ盤) Pat Metheny Group: The Road to You - Live in Europe (1993)

いきなり、聴衆がユニゾンで「ミヌワノ」 (スタジオ盤は「スティル・ライフ」収録)のメインテーマを歌うんだよね。あの、サッカーの応援なんかでよく聴くような感じで。あとで聞いたところによると、スペインかイタリアの聴衆だそうだけれど、この、美しいがそんなに簡単でもないメロディーをこともなげに一斉に歌う聴衆、すばらしい。羨ましい。しかし、これこそがメセニーの書くメロディにふさわしい受け入れられ方だと思う。実に感じのいいライブアルバム。やっぱり買おうかな。


U2「ポップ」 U2: Pop

はずれ。「ディスコテーク」 は図抜けていい出来だったらしい。


ピチカート・ファイヴ「 フリーダムのピチカート・ファイヴ」

お遊び、といっても内輪受けの。これでいいのか小西康陽。


ピチカート・ファイヴ「宇宙組曲」

リミックスもの、としてもまあまあってところか。何だかプロデュース業にはまってるぞ、小西康陽。


カエターノ・ヴェローゾ「エストランジェイロ」Caetano Veloso: Estrangeiro

この次にあたる「シルクラドー」ほどではないなあ。テクノロジーがまだ彼の語り口に馴染んでいない感じがする。逆に言うと、ここでの試行錯誤の上にあの「シルクラドー」はあるのかも知れない。


ミルトン・ナシメント「ミルトンス」 Milton Nascimento: Miltons

ミルトンのファルセットが美しいかどうかというのは、人によってかなり意見が分かれると思うけど(単に「声が出てないだけ」と見る人も少なくないはずだ)、このアルバムでは「美しい」と全ての人に胸を張って言える。「ラ・バンバ」がこんなに涼し気にせつなげに出来るのも彼くらいのものだろう。ハービー・ハンコック(Pf)とナナ・ヴァスコンセロス(Perc)とほとんど3人だけで作ったシンプルさが、ミルトンの声を最大限に活かしている。



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