アカペラコーラスの夢と野望 (1) 立志篇 (2000.12.05)


(事のきっかけについてはこちらの「黎明編」をご参照下さい。)

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8月。

誘っていただいたキャンプで、Mさん(夫)がThe Manhattan Transferの『バークリー・スクエアのナイチンゲール A Nightingale Sang In Berkeley Square』("Mecca For Moderns" Atlantic, 1982に収録) をやろうとの話に乗ってきたときは正直驚いた。脂の乗りきった時期のマン・トラの傑作アカペラ・チューン。多分、私くらいの世代(60年代生まれ)にはかなり記憶されているはずの曲なので、知ってるのは不思議でも何でもないのだが。しかも彼はジャズマンなので当然と言えば当然。

ただ、知っていればこそ、普通はこんな難曲に無謀にも挑戦しようとは思わないはずでもあるのだった。旋律が繰り返される度に施される、異なった和声のアレンジ。錯綜する中域。ブリッジ部で不思議な浮遊感を醸し出す無調的な進行。「すげぇ、人間の声だけ4つでこんなことができるんだ!」という驚きが、曲の美しさそのものへの感嘆と混じり合い、いつかこんなこと試してみたいと夢見る一方で、いつそんな酔狂が4人揃うんだよ、と思っていた学生時代...(音源サンプルはこちらに。でも全編通して聴くと更にとんでもないです)。

なのに、だ。私らはとりあえず4人いるからやってみようじゃん、という後先省みぬ無謀さで先ずはイントロの頭2小節にトライし、まずまずの成果を収めたのをいいことに、全曲通そうなどというとんでもない野望を抱くに至ったのである。

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4人。歌のみ。伴奏なし。ボニージャックスではいけないのか。いけないのである。我々のごとき素人、つまりボイストレーニングもソルフェージュもろくにしてない身であるからこそ、高度に複雑な和声のものをやらなければサマにならないのだ。

というのは常識から見れば逆だろうが、やってみると、そうなのだ。鍛えられてない発声や歌唱法でボニーやダークのような「三和音+ベース音」をやっても、「出来て当たり前」にしか聞こえないのだ(というか、私はボニーやダークだってその程度にしか聞こえないが)。それに今更三和音の合唱なんてやっても挑戦のし甲斐がないじゃん。敢えて身の程を弁えず複雑なものに挑み、4つのパートがそれぞれの音を聴き合って絶妙な響きを醸し出す瞬間の興奮に酔う。それがこの向こう見ずなもくろみの目指す快楽である。ついでに和声のお勉強もできて一石二鳥。(なお、6つくらいパートがあれば更に凄いのは言うまでもないが、さすがにそういう神業はTake 6だけで十分かと。)

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ところで、中学高校時代には合唱を経験した人はかなり多いと思う。かなり多くの学校でクラス対抗の合唱コンクールなんてものがある。でも個人的な好みを言えば、あれはどうも好きになれない。コーラスのくせに、何か他のパートの音よりも自分たちのパートが合うかどうかばかり聴いてないですか? どんなに綺麗な合唱でも、いわゆる合唱団によるものに「キマッたああ!」と思うような響きを聴いたことは、ほとんどないのだが(それこそウィーン少年何とやらだって同じ)、それはそのせいなんじゃないかと思う。

その点、1人1パートでのアカペラは緊張度が違う。大体、自分のパートは自分の喉からしか聞こえてこない。聴いて合わせる対象は全て他のパートなのだ。自分のところがちょっとズレたら、それだけで響きが台無しになるなんてしょっちゅう。その代わり、ハーモニーがぴったり決まった時、それは「合唱」とは違って、そこに一片の濁りもない響きが立ち現れるのだ。それも、間違いなく自分の手で生み出した響きが。「キマッたああ!」という快感を味わいたいのなら、やはりこれに限る。

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という訳で始めましたが、それぞれ忙しいのでなかなか捗りません。という苦難の道のりは次回。いやー聴き取り面白かったけど難しかった!

(end of memorandum)



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ただおん

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