m@stervision mo' columns 'bout monkey business

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「ロードショー」と洋画文化の終焉

いや、映画雑誌の「ロードショー」の話ね。1983年の正月には35万部あった発行部数が、近頃じゃ5万部前後だったそうで、発行元の集英社が「月刊PLAYBOY」に続いて11/21発売号かぎりでの〈休刊〉を決定した、と。「ロードショー」といえばライバル誌の「スクリーン」は大丈夫なのか?ってのは自然な疑問だが、これ、単に集英社のほうが近代映画社よりシビアだってだけで、販売部数としてはどっこいどっこい……つまり「スクリーン」だって青息吐息にちがいないのだ。 ● これが何を意味するかっていうと、中高生の映画ファンが絶滅しかかってるってことだよな、多分。中高年じゃねーぞ、中高生だ。昔も今も「ロードショー」やら「スクリーン」ってのは、自分のお小遣いで映画館に行くようになった中学生や高校生が買う雑誌でしょ? それも「テレビの延長」としての映画じゃなくて、「特別な娯楽」としての映画や〈映画スター〉を憧れのまなざしで見ている子たちのための雑誌だ。そうした雑誌が売れなくなって廃刊てのは、こないだの「洋画離れが深刻」ってニュースと根は一緒だよな。 ● これって洋画の配給をしてる会社と興行各社にとっては一大事だと思うんだけど。ほかの何をおいても、まず取り組まなきゃいけない最優先課題だと思うんだけど。あなたたちの収入を減らしてるのは海賊版なんかじゃなくて、将来の映画興行を支えるべき若年観客層の〈不在〉じゃないのか。前にやってた「高校生3人で1,000円」とかゆーなまぬるいキャンペーンを見ても、この人たちが本気で心配していないってのは明らか。だって、そうだろ? 友だち3人集まるような映画は黙ってたって来るんだよ。いま映画館が呼び込まなきゃいけない客は、誘える友だちのいない中学生・高校生の1人客だ。夏休みとか正月の特別なイベント映画じゃなくて、フツーの映画を観るために毎月、毎月、自分のお小遣いで通ってくれる(たぶん教室の隅に座ってる、あまり目立たない)中学生や高校生だ。そこでおれの提案なんだが〈学割タイム500円〉ってのはどうかね? 一日のうち時間を決めて──具体的には下校時間と夕食時間の間の3時から4時くらいに始まる回──その回だけは、中学・高校の学生証で一律500円にしちゃうのだ(ただし平日のみね) いや、だって、どーせこの時間帯ってのは、おばちゃん客と、会社帰りの客の狭間で、空いてる時間帯だろ? ここで大事なのは料金設定で、1,000円じゃやる意味なし。やるなら500円にしないと。500円なら自分のお小遣いでも観られるし、本当に観たい映画なら、親からもらったお昼代を使わず我慢してチケットを買ってくれるだろう。そうして若いうちから「映画館で映画を観る」楽しさを知ってもらえれば、その人は自分で稼ぐようになっても映画館に来てくれると思うのだ。先行投資、先行投資。どっスか?>業界の偉い人。このまんまじゃ、あと10年もしたら「いまどき紙の新聞を取ってんのと、映画館なんかで映画 観てんのは年寄りだけ」とか言われちゃうぞ。


深町章による武田浩介脚本の無断盗用

「OLの愛汁 ラブジュース」(1999)の脚本家として知られる武田浩介が、2005年10月にみずからのブログで告発した。新進脚本家だった武田は、深町章に「生尻娘のあえぎ汁」「未亡人の下半身 濡れっぱなし」「好色長襦袢 若妻の悶え」(1998)「いんらん母娘 ナマで愛して」(2001)といった脚本を提供。武田はその後、映画界を離れたのだが、近年、深町が発表した「小説家の情事 不貞の快楽」(2003)「人妻 あふれる蜜ツボ」(2005)──どちらもクレジットは「深町章 監督・脚本」──は、当時、深町が武田に書かせてボツにした脚本の無断盗用である、と主張。 ● 深町章は近年、武田浩介のほかにも岡輝男・かわさきりぼん・河本晃といった中堅・若手の脚本家を数多く起用しているが、深町自身も達者な脚本家であるのは事実で、艶笑落語のような(かなりドタバタじみた)艶笑コメディを得意としている。もともとこの人が稲尾実という名で「痴漢電車」シリーズで売り出した当時は「山本晋也のドタバタ・コメディの系譜を継ぐ人」というイメージがあったと記憶する。だからたしかに「小説家の情事 不貞の快楽」のような〈死〉の匂いのする悲劇は、深町章の脚本としてみれば異色なのだ。すでに証拠となるオリジナル原稿は廃棄してしまったという武田だが、(深町章ファンのおれとしては)残念ながらこの件に関しては武田の言ってることが正しいと──深町章は腕のある映画監督だが、いっぽうで新人脚本家の脚本をボロクソに貶して没にしといて、あとで無断で盗用してギャラも払わず開きなおるような人間のクズだと──認めざるを得ない。 ● じつは同じエントリーの中で、おれのレビュウも槍玉にあげられている>[この作品に関しては、こんなことを暢気に書いてるヤツがいた。映画たくさん観てるぽいけど、こいつ、本気で「深町章による自筆脚本」だと思ったのか? 普通に映画観てりゃ分かると思うんだけどな。普段の「深町章の自筆脚本」とはテイスト違うって。何かもうホント、目の前のものを何の疑いもなく等身大に原寸大に受け入れてそれでOKな幸せ者なんだな。] ──おれとしちゃ、こーゆー場合「盗作かも?」と疑うよりは「こんなのも書けるんだ!」とビックリすんのがフツーの反応でしょ、としか言いようがないわけで。まあ、「幸せ者」で結構ですよ。 ● 例に出して悪いけど──友人としては絶対に付き合いたくないタイプの荒井晴彦であっても、おれは荒井脚本の大ファンなので作品が公開されれば観に行くし、高けえなあと思いながらも「映画芸術」を毎号欠かさず買っている。同じように、人間性は最低だとしても、おれは深町章の演出のファンなので、これからもかれの映画を観に行くだろう。ただひとつ、これまでと違うのは、武田は挙げていないが、今となっては「脚本:深町章」とクレジットされている「義母と巨乳 奥までハメて!」(2004)なんかも非常にクサいし、新作の「淫絶!人妻をやる」だって、ひょっとして……!?と思ってしまう。これからはシリアス系の映画に「脚本:深町章」とあっても信用できない。深町章が本当に自分でウェルメイドな脚本を書いたとしても「どーせまた盗作だろ?」としか思われないのだ。愚かなことをしたものだ。晩節をけがす、とはこういうことを言うのだよ。 ● 最後に書き添えておくならば、一連の〈不正〉の舞台となった新東宝では昨秋のブログでの告発以来、表立ったてはなんのコメントも発していないが、少なくとも企業としての新東宝には、事実関係を調査して、武田の主張が事実ならば未払いのギャラを支払う/立て替える義務がある。なにより社員プロデューサーの「福俵満」こと福原彰は、武田と同じく深町映画の脚本家でもあるのだから、ないがしろにされた脚本家の気持ちはだれより理解できるはずじゃないか。 ● [追記]脚本家の樫原辰郎さんがBBSに証言を寄せてくださった>[この件に関しては、基本的に武田浩介の主張が正しいことを、事実を知る一人として書いておきたい。ワタシは、武田浩介がまだ脚本家をやっていた頃、お互いの未発表シナリオを読んで意見を交換したりするような間柄だったので、よく覚えております。 そう、ワタシはそのシナリオを読んでいるのだ。 彼が「このホン、イナオさんに没にされたんすよ」と笑いながら見せてくれたのが、当該のシナリオでした。その時は、まさかこんなことになるとは思わなかったし、彼が脚本家を辞めるなんてことも考えなかった。ワタシがコピーでもして、そのシナリオを残しておれば、動かぬ証拠となったわけで、今となっては後悔しております。


おわりのはじまり

このサイトを始めたときから「終わりつつある」のは解っていたことだが、ついにその時がきてしまった。第一の封印が解かれたのである。大蔵映画が、直営館である福岡オークラ劇場を2006年5月28日限りで閉館することを決めた。監督や女優の舞台挨拶や特集上映を頻繁におこなう比較的熱心な映画館(コヤ)として知られ、荒木太郎はここで「年上の女 博多美人の恥じらい」(2002)「美乳暴行 ひわいな裸身」(2003)という2本の現地映画を撮った。 ● 東京に住んでるおれが、なんで博多のピンク映画館の閉館にこれほどのショックを受けるのか? 基本的なことを確認しよう。映画の興行っていうのは、配給会社が映画館からフィルム・レンタル料を貰うことによって成立してる。たとえば大蔵映画(オーピー)の場合は、制作した監督から300万円で映画を買い取って、数本のプリント焼増し代にポスター印刷費その諸々を含めて1本の新作映画を配給するのに400万円の経費がかかると仮定する。これを10万円のレンタル料を払って借りてくれる映画館が全国に40館あって、初めて収支はトントンになるのである。実際の採算分岐点は不明だが、大蔵映画の新作を上映するピンク映画館の数がそのラインを下回った時点で「新作映画をフィルムで撮影する」というビジネスモデルは崩壊してしまうのだ。観客数の減少で「興行会社」としての福岡オークラ劇場の経営は、じっさい大変なのだろうが、映画館が減ることは「配給会社」としての大蔵映画にとって死活問題であるはずなのだ。にもかかわらず今回、自社で経営する映画館を閉める決断をくだしたところに、現在のピンク映画業界が直面する状況の深刻さがあらわれている。 ● もちろん現在でもピンク映画は、ケーブルTV/衛星放送やDVD、ダウンロード販売などで、それなりの二次収益をあげているわけで、大蔵映画が「ピンク映画の製作」そのものを止めることは(たぶん)ないだろう。だが「いつまでフィルムで撮り続けるか」となると話は別だ。映画館からの収入よりビデオ/テレビ/ネットの二次収益のほうが大きいのならば、最初っからビデオで撮影したほうがマスターテープのとりまわしも楽だし、経費だってずっと安上がりだ。現に一般映画の世界では、まさにこれが起こってるではないか。残る直営館の上野オークラ・大宮オークラ・宇都宮オークラ・横浜光音座はビデオ・プロジェクター上映に切り替えればいい。なにも数百万円もするDLPプロジェクターを導入する必要はない。ピンク映画館の客なんて民生機に毛のはえた数十万円の液晶プロジェクターで充分。福岡オークラの閉館は、そういう時代への第一歩なのだ、……残念ながら。 ● とどかぬ声と知りつつ最後に大蔵映画と新東宝とエクセスにお願いしておく。どうか1年でも1ヶ月でも長く、フィルムで撮り続けてくれ。ピンク映画がフィルムで撮影され、フィルムで上映されているかぎりは、おれは金を払って映画館に観にいくから。


東映のラインアップを考える:妄想篇

東映のアキレス腱は秋冬ラインアップにある。ライバルの東宝が毎年、年末パーティーで翌一年間のラインアップをがっちり固めて発表してるのとは裏腹に、東映は──ここ数年は夏の終わりに「仮面ライダー」が入るので、そこまで決めるのがやっと。毎年、正月映画までの9・10・11月は「渋谷シネ・ラ・セットでやるビデオ映画のほうが集客力あるんじゃねえか?」とゆーよーな、おそるべき貧困なその場しのぎ映画を全国公開しては閑古鳥の大合唱をくりひろげてるのである。これはもう、ここ何年もずーっとそうなのだ。 ● 2006年でいえば(これを書いている)3月現在で確定してるのは6月17日公開の「バルトの楽園」まで。「仮面ライダー」が今年は8月に置いてあって、メインの夏休み映画がまだ決まってない状態<あと4ヵ月っきゃ無いってのに! 秋にはこないだ製作発表した深作健太/松浦亜弥の「スケバン刑事」があって、これはそこそこ期待できそうだけど──中身じゃなくて興行成績の話ね──その一方で、また性懲りもなく幸福の科学のアニメを引き受けたりしてる(幸福の科学が大量の前売券を買ってくれる=興行を保証してくれるので、商売としてはこれ以上ない安全パイなのだ) ● そこで、東宝のひとり勝ちを憂慮する当サイトとしては、特別に無償で東映に番組編成の智恵を授けて進ぜようというわけだ。まず火急に決めなきゃいかんのが7月の夏休み映画。東宝の「日本沈没」「ゲド戦記」や、「M:I:III」「ポセイドン」「スーパーマン リターンズ」「パイレーツ・オブ・カリビアン2」「カーズ」と居ならぶハリウッド勢に対抗できる強力な夏休み番組は今からでも可能か? いや、それが可能なのだよ。日本人なら全員が観たいと思う国民映画がいまだ誰も手をつけず宙に浮いたままなのだ。そう、ソクーロフの「太陽」である。等身大の昭和天皇を描いた映画ってことで、右翼の抗議を恐れてどこの配給会社も二の足を踏んでいるようだが、そりゃ朝日新聞後援とかでユーロスペースでやるから右翼の攻撃対象になるんであって、「男たちの大和」や石原慎太郎 製作総指揮の特攻隊映画をやる会社が公開するならだれも文句は言わんよ。宣伝コピーも「あなたは私たちの太陽でした」とかしてさ。国民の明日に心をくだく人間ヒロヒトを描いた愛国映画ってことで、場内満員の死にぞこない お年寄りが涙ナミダよ。いや絶対だって。こんな確実に当たる映画をなぜ放っておくのか。東映はいますぐロシアに電話して「太陽」を買うべし。もしすでにどこかの小っちゃい配給会社が買ってるんだとしたら、ギャガの韓国映画方式で共同配給しろ。東映系で全国公開してくれるんなら厭とは言わんだろ。急げ!>東映。 [追記]ご承知のとおり「太陽」は8月に零細配給会社スローラーナーによって銀座シネパトスで(当初は)単館ロードショーされて劇場の記録を塗り替える超弩級のヒットとなり、その後、公開規模が拡大されて全国各地のシネコン等でも上映され、同様のヒットを記録した。その間、東映はといえば何の策もなく「バルトの楽園」を2ヶ月も上映していたわけで、まさしく逃した魚は大きかったと言える。 ● もう1本、秋冬のラインアップ用に筒井康隆の老人版「バトル・ロワイアル」こと「銀齢の果て」はどうよ。いや、これはもうたぶん、各社が争奪戦をくりひろげてるだろうけど、おれのアイディアってのはね、これを東宝と東映で競作するのだ。ほら昔は、よくあったじゃない、同じ企画を二社で競作するってやつ(最近だと松竹「利休」vs 東宝「千利休 本覺坊遺文」が最後?) これを東宝「銀齢の果て 関東篇」、東映「銀齢の果て 関西篇」として2ヶ月連続で公開するのだ。老人バトル・ロワイアルは日本各地で行われてる設定なので、話が繋がってる必要はない。まったく別々に作ればよろしい。東宝の関東篇はルーズに原作に沿った形で脚本化し、監督は(演出勘がニブってない人ってことで)黒木和雄でどうだろう。そうすると主役は自動的に原田芳雄か。あとの出演者は仲代達矢、小林桂樹、佐藤允、ミッキー・カーチス、寺田農、砂塚秀夫、二瓶正也、本田博太郎(@厚生省の役人)など喜八組の生き残りを中心に、あと大滝秀治とか山崎努とか、もちろんマメ山田も。ちなみに本作は森繁久弥の遺作になる予定。 ● 東映の関西篇は言うまでもなく、往年の東映オールスター扮する痴呆性老人やくざが殺しあう「仁義なき戦い」のパロディとなる。脚本は高田宏治。監督は熱烈 筒井ファンの鈴木則文。現場を離れて久しいので関本郁夫を共同監督につけようか。主演はもちろん菅原文太。共演に小林旭、松方弘樹、梅宮辰夫、千葉真一、長門裕之、加藤武、宍戸錠、山城新伍、田中邦衛、曽根晴美、八名信夫、そして遠藤太津朗と錚々たる面々が、いまやいいツラのじじいになってる。これを活かさぬ手はあるまい? いや、おれがじじいになったから言うわけじゃないが、近ごろのシルバー層をターゲットとした中高年俳優が主演の日本映画って、なんでアルツハイマーだの過去の自慢話とかばっかなの?(あと「釣りバカ」ね) 団塊の世代が──仕事に追われてすっかり映画を観なくなってしまう前の──若いころに親しんだ映画スターたちが、まだまだこれだけ元気でいるんだから、かれらが画面せましと大暴れする、チンケな泣かせとは無縁の、テレビドラマじゃ絶対やらないような映画を……おれなら観たいと思うけど、どうですかね?>諸先輩方。

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大蔵映画は「林由美香 映画祭」を開催してくれい!

2005年7月1日。涙雨が降ったりやんだりの金曜日の夜。林由美香の通夜の行われている時間。おれは上野オークラで(木戸銭を払って)ピンク映画の3本立てを観ることにした。最近、支配人が変わって(?)以来、場内に置かれるようになったワープロ打ちA4四つ折りの番組表──もうちゃんと林由美香の追悼文が載っている──をチェックして「おお、今週はめずらしいことに林由美香の出演は無しか」と思ってたら、清水大敬の旧作──ピンク映画の撮影現場を舞台としたコメディ──にスクリプト・ガール役で不意に〈友情出演〉していてビクッとした。 ● だいたい3本観れば、少なくとも1本は出てる印象があるよね。それほど沢山のピンク映画に林由美香は出てきた。大蔵映画、新東宝、国映、エクセス。会社を問わずだ。この人の偉大なのは「何本かの印象的な主演代表作がある」ことではなくて、ときにはコメディ・リリーフとして、ときには濡れ場要員として、ろくに演技の出来ない新人女優の脇で、何本も何本もの映画を支えてきたことにある。そうして救われた映画のなんと多いことか。つまんない映画でも客に「金返せ!」と思わせない。そういう仕事を彼女はしてきた。 ● 「たまもの(熟女・発情 タマしゃぶり)」はたしかに素晴らしい〈映画〉だし、御本人も誇りに思っていた作品のようだけど、それをもって「林由美香の代表作」とされてしまうのは、ちょっと違和感がある。つまり、佐々木ユメカならそうだけど林由美香は「国映の女優」ではない。だから奇しくも亡くなった日が初号試写だったという遺作が、彼女をずっと「自分のアルター・エゴ」として使って/愛してきた吉行由実の監督した艶笑コメディだと聞いて、変な言い方だけど「良かったなあ」と思ったのだ。 ● で、ここからが本題なんだけど、その遺作「ミス・ピーチ 巨乳は桃の甘み」を、製作の大蔵映画はぜひ一般公開して欲しい。国映や新東宝と違って、大蔵はピンク映画館以外への進出にあまり興味がないようだけど、あなた方の映画にずうっと貢献してきた林由美香への御褒美だと思って、今回だけは節を曲げて「林由美香 映画祭」を開催してくれないだろうか。上野オークラでは9月下旬公開だそうだから、その前に8月に先行ロードショーってことで、どこかの一般映画館で。いや、昼間とは言わんよ。9時からのレイトショーでいいんだ。遺作をメインに2本立て週代わりで4週間8本。たとえば(プリントが残ってそうな)ここ2、3年の作品で選んでみた──。 ● まず1週目は吉行由実 監督作で2本。新作「ミス・ピーチ 巨乳は桃の甘み」に、吉行由実本人と由美香が「年増の売れないピンク女優」役で出演する「憧れの家庭教師 汚された純白」 2週目は、コメディエンヌとしての由美香をもっとも的確に活かした渡邊元嗣で、由美香が「幸せを呼ぶ天使」で主演する「人妻社長秘書 バイブで濡れる」と、魔女三姉妹の次女を演じる「美人姉妹の愛液」 3週目は新鋭・加藤義一で、ピンク映画版「恋しくて」こと「スチュワーデス 腰振り逆噴射」と、ピンク映画版「少林サッカー」こと「痴漢電車 快感!桃尻タッチ」の2大傑作。 そして最終週はもちろん由美香が永遠のヒロインを演じ続けた荒木太郎の「キャラバン野郎」シリーズから「飯場で感じる女の性」と「隣のお姉さん 小股の斬れ味」 ──以上すべて大蔵映画作品。どうよ? ● 会場は、渋谷のユーロスペースが受けてくれるんなら最高だけれど、今からじゃ無理かな。でも大丈夫。あなた方には上野スタームービーという女性客の多い映画館があるではないか! 入場料金は男性1,600円、女性1,000円。オールナイトじゃないのでオークラで夜を開かす常連さんたちは入ってこないとは思うけど、いちおう入場チェックは厳しめで。なに、レイトショーをやるには人手が足りない? 心配するな。どの監督もスタッフも出演者も喜んでボランティアで手伝ってくれるさ。なんならおれもモギリぐらい手伝うぜ。いや、ヨタじゃなくて本気で言ってるのだ。もし大蔵映画の関係者が読んでたら、お願いだから真剣に検討してみてはくれまいか。>ここを読んでる人で「大蔵映画の人を知ってる」という方がいたら、ここを読むように伝えてくれ。お願いだ。 ● ほんとはエクセスの田吾作コンビ作品もシネロマン池袋にリクエストしようと思ったんだけど、どうしても代表作が思い浮かばなかった(火暴) [追記]その後、大蔵映画主催ではなかったけれど、故人と親しかった映画関係者の尽力によって9月に追悼特集上映がテアトル新宿、渋谷シネ・ラ・セット、アップリンク・ファクトリーの3箇所で開催された。

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その後の仁義なき戦い 黒船撤退と第三勢力の台頭

久しぶりの「日本興行戦争史」シリーズをお届けする。 ● その後も東宝(TOHOシネマズ)は勢力拡大を続け、現在では全国 39劇場(343スクリーン)と、2001年のマイカル倒産以来 新規オープンの途絶えたワーナーマイカルシネマズの45劇場(346スクリーン)に告ぐ国内第2位の位置に付け、相次ぐ自社作品の大ヒットとあわせて完全にかつての「興行界の覇者」の地位を回復している。その一方で、ヴァージンシネマズに続いて今度はAMCシアターズが、舞浜のイクスピアリ16を除く4劇場(63スクリーン)をユナイテッド・シネマに売却して日本から撤退すると発表したのだ。当然、各劇場の名前もユナイテッド・シネマ○○○と改称されることになるだろう。[追記]最後に残った「AMCイクスピアリ16」も2005年の3月1日をもって「シネマイクスピアリ」と改名された。 ● で、買い手側のユナイテッド・シネマだが、もともとは米メジャーのパラマウントとユニバーサルの合弁会社として日本に進出してきたこの会社、いつのまにか(名前はそのままで)中身は住友商事80%+角川グループ20%の完全な「邦人系」興行会社になっていた。>住友商事によるAMC買収に関するニュースリリース。 前述のワーナーマイカルシネマズはスーパーのイオン(ジャスコ)グループとの合弁会社だから「外資」系とは言えず、つまりこれで日本から外資系の興行会社はすべて撤退、ということになった。いや、ほんと、おれが国粋主義者なら提灯行列でもすべきところだ。 ● さて、光あるところに影がある。<用法まちがってます。 代わって台頭してきたのが皆さん御存知の角川グループである。ユナイテッド・シネマの出資比率こそ20%だが、ここはなんと大映の買収、アスミック・エースのグループ化(住友商事と50:50の合弁)に続いて、伝統ある独立系配給会社の雄=ヘラルド映画を完全子会社化してしまった。>ヘラルド映画のニュースリリース(.pdf) そしてヘラルド映画には直営のシネコンである8劇場(73スクリーン)のシネプレックス・チェーンがある。これを併せると角川グループ全体としては全国 23劇場(234スクリーン)という、松竹(MOVIXは16劇場 156スクリーン)、東急(109シネマズは10劇場 90スクリーン)、東映(Tジョイは9劇場)をはるかに凌駕する国内3位の巨大興行網が出現するのだ(!) ● もちろん現時点では角川グループは都心部の旗艦劇場を持たない。いちばん近くて豊島園とか岸和田とかじゃ、まだ東宝/松竹のロードショー・チェーンを無視するわけにいかない。だから今のところは角川映画製作の「戦国自衛隊1549」「妖怪大戦争」は東宝系/松竹系に出てるのだ。だけど例えば新宿に建設中の東映=東宝のTジョイ新宿に対抗して、新宿ピカデリーの跡地にシネプレックス新宿松竹なんてのが出来ちゃったり、渋谷の駅前にユナイテッド・シネマ109なんてのが建っちゃった日には、あるいはもっと手っ取り早くシネ・リーブル池袋/梅田/神戸/博多駅の日活チェーンか、東京テアトルの劇場の一部(たとえば銀座テアトルシネマ/新宿のどっちか/シネセゾン渋谷/池袋のどっちか/テアトル梅田)を歴彦クンが買っちゃった暁には、そのときこそ日本の興行界が東宝/松竹/角川の三国時代に突入することになるのだろう。


伝統とは無縁の近代的企業

2005年は「成瀬巳喜男 生誕100年」にあたるということで、代表作10本が3月5日から一週替わりでニュープリント上映されている。この企画自体はたいへんに結構なことなのだが、問題は上映してる場所で、なんと六本木のヴァージンTOHOシネマズなのだ。バッカじゃねえの!? 想定される観客層から「六本木ヒルズ」ほど縁遠い場所もないだろうに。しかも朝10時半から1日1回上映。……来るなってこと? ねえ、本気で観せる気ないわけ? ● おりしも日比谷みゆき座では(たった一週間ではあるが)来る3月26日から「日比谷映画&みゆき座 さよなら上映会」が始まる。なら成瀬は日比谷映画を使えばいいじゃん。「あずみ2」なんか やんなくていいから2本立て週替わりで5週間、その間だけ名前を「千代田劇場」に戻して、成瀬巳喜男特集をやればいいじゃん。この劇場(と東宝本社ビル)にとって最高の餞(はなむけ)になったのに(※) ● この成瀬の10本というのは7月/8月にそのままDVDボックス上下巻として発売されることになっていて、実は順番としては「DVDのためにニュープリントを焼いたから、だったらついでに映画館でも上映するか……」と、企画の成り立ちとしては、もうおそらく そういうことなのだ。六本木の特集上映も、東宝ビデオのDVD発売のためのキャンペーンの一環であって、つまりは「映画館での特集上映も実施!パブリシティ大量露出!(だから)成瀬DVDボックスは売れる!」とビデオショップ向けの販促資料書けることが重要であって、実際の興行の成否は問題ではないのだ。シネマメディアージュとかでやるビデオスルー作品の「劇場公開」と同じ。観せる気なんて初手から無いんだよ(下手したら特集上映のチラシ印刷代や新聞広告の出稿費も東宝ビデオの「DVD販促費」から出てるかも) ● 悲しいことだが、いまの東宝株式会社には「おれたちは成瀬巳喜男の映画を作った会社で働いているのだ」ということを誇りに思ってる社員は1人も居ないのだと思う。ビジネスマンたる東宝社員の皆さんは「ナルセ? それ売れるの? クロサワに較べたら知名度イマイチっしょ」というふうにしか考えない。いや、だってそうじゃなかったら戦後だけでも40本以上ある成瀬の作品からたった10本だけを選んでDVD発売するなんて愚行がまかり通るわけがないでしょ? きっと売上げと経費の相関をシミュレーションしたときにいちばん利益率が高かったたのが「10本」という数だったのだろう。おれは東宝ビデオが洋画の廉価盤を出さないのも、これとまったく同じ理由だとニラんでる。5,000円で売って利益が出るものを(倍の本数が売れるわけでもないのに)なにを好き好んで2,500円で売らにゃアカンのだ?というのが奴らの論理なのだ。かつてギャガが東宝ビデオから税込6.300円でDVD発売したジム・キャリー「マスク」の廉価盤(税込2,079円)がこんど20世紀フォックス・ホーム・エンタテインメントから出るのが、その証拠だ。これってつまりギャガが「マスク2」公開にあわせて廉価盤DVDの発売を東宝ビデオに持ちかけたら「うちは作品の安売りはしません」とかなんとか言って拒否されたので「おたくが売ってくれないんなら ほかに売ってくれる会社を捜しますよ」ってことで20世紀フォックスに話を持ってったってことでしょ? だけど、こうした東宝の採算至上主義の経営方針からは「作った映画を1人でも多くの人に観てほしい」というクリエーターの端くれなら感じて当たり前の気持ちがすっぽり抜け落ちている。東宝株式会社にとって映画は洗剤やトイレットペーパーと一緒の「商品」であって「文化」ではないのだ。これが、採算の悪い製作部門を1971年に(株)東宝映画として切り離して以来、興行&不動産会社として生き延びてきた東宝30年の成果である。 ● 小津安二郎 全作DVD化に続いて木下恵介 全作DVD化という、売れ行きを考えたら無謀ともいえるプロジェクトを敢行中の、松竹を横に置いてみればよくわかる。だれが考えたって木下恵介のDVDが小津ほど売れるわけがない。売れ行きと旧作の修復&マスタリングにかかる費用を考えたら(東宝の成瀬のように)代表作を選抜してDVD化したほうが儲かるに決まってる。そもそも買うほうだって「欲しいけど総額税込21万円(35,000×6)なんて無理」という人が殆どだろう。それでも松竹は木下恵介の全作品をDVDで発売する。それは松竹の経営陣が、木下恵介と かれが松竹大船撮影所で作ってきた映画を松竹の誇るべき財産だと思っているからであり、誇るべき財産を所有する会社にはそれを後世に残す義務があると考えているからに他ならない(これは松竹が「歌舞伎」という日本が世界に誇る伝統文化を、国のたいした援助もなしに私企業として100年間守りつづけてきた会社であることとも決して無関係ではないだろう) ● またDVDだけでなく劇場でのフィルム上映に関しても、松竹は2000年に京橋のフィルムセンターで木下恵介 全作品の追悼上映を行っているし、2003年にはやはりフィルムセンターで小津安二郎の全作品上映を行った。フィルムセンターは国立の機関だが「全作品上映」などという事業はネガを所有している映画会社の強力な意思がなければ実現不可能であるのは言うまでもない。ちなみに2003年の小津の全作品上映は、今年の成瀬と同じ「生誕100年を記念して」であった。 ● さて、長々と書いてきたが本稿の目的は松竹をヨイショすることではない。だいたいおれ、木下恵介んときも小津んときもフィルムセンター1回も行ってねえし、DVDも買ってないし。<おい。 じゃ、なにが言いたいのかというと、この話がどこへ着地するかというと──東宝は何があってもぜったいに岡本喜八の全作品DVDボックスを出せよ、と。もちろんATG製作の3本も入れてだ。既発売の「座頭市と用心棒」がダブっちゃうけど、許す。代表作5本だけだったりしたら、また悪口 書きまくってやるぞ。<そりは脅迫罪。 ● [追記]千代田劇場:若い皆さんのために解説しておくと、現在の日比谷映画は、いまシャンテ・シネがあるところにあった旧・日比谷映画劇場が1984年の秋に閉館したときに「日比谷映画」の名跡を受け継いだ二代目「日比谷映画」で、それまでは「千代田劇場」の名前で東宝系の封切館だったのだ。1957年の4月14日の開館だそうだから、成瀬巳喜男の作品でいえば同年5月22日に先行封切りされた「あらくれ」以降、「杏っ子」「鰯雲」「コタンの口笛」「女が階段を上る時」「娘・妻・母」「夜の流れ」「秋立ちぬ」「妻として女として」「女の座」「放浪記」「女の歴史」「乱れる」「女の中にいる他人」「ひき逃げ」、そして遺作「乱れ雲」まで全16本を上映してきた実績を持つ、成瀬と縁の深い映画館なのだ。


ジャーナリズムということ

これは「映画秘宝」2005年1月号の表紙だが、見て唖然とした。漢(おとこ)ですなあ>田野辺編集長。 なに言ってんだよいつもの秘宝路線じゃん、とお思いのあなた、「赤裸特工」改め「レディ・ウェポン」は12月11日(土)から新宿ジョイシネマ3で独占公開……といえば聞こえはいいが、よーするに東京1館でしか上映しなくて、それも、当たっても当たんなくても2週間で打ち切りということが封切前から決定しているような(上映規模の)マイナーな映画なのですぞ。それをためらいなく全国誌の表紙にするところが漢だと言ってるのだ(持って歩くのはちょっと恥ずかしいけどな) ● 対して、文化部の衰退ぶりが目に余るのが朝日新聞である(といってもおれは新聞は日刊スポーツしか購ってないので、夕刊の文化面だけを会社で立ち読みしてるんだけどさ) そもそも「新聞の映画評」というものは、その週に公開される話題作を取り上げるもんだと思ってたけど、近頃の朝日新聞はなんだかタイミングが遅くて、公開されてしばーらく経ってから忘れた頃にひょっこり載ったりして、なんだかなあと思ってた。そしたら2、3日前に「ニュースの天才」の批評が、まだ公開のだいぶん前なのに掲載されてて、ほお、めずらしいこともあるもんだと思って、頁をめくったら、そこには──上2/3が対談+下1/3が広告という形式の「ニュースの天才」の全頁企画広告が! これってつまり、もはや朝日新聞では文化部に決定権がなくて、紙面の編成権を広告部が握ってるってことだよな。「ロッキング・オン」かよ! てゆーか「CUT」かよ! いや、渋谷陽一は成り上がりの商売人なのでそれでも許すけど、アンタら「天下の朝日新聞」だろ。「政府や企業の圧力に屈せず闘う言論の公器」なんじゃないのかよ。それが自社の広告部にさえ逆らえないようじゃ、ジャーナリズムもなにも有ったもんじゃない。酷いもんだぜ。 ● 名物記者の秋山登が定年退職して以来、きっと朝日新聞の文化部には「原稿を発注する人」はいても映画記者は居ないんだろう。おれは柳下毅一郎の原稿が読めるようになって嬉しいけど、そもそもサブカル・ライター風情に原稿を書いてもらわなきゃ、内部に書ける人が居ないってのが文化部衰退のなによりの証じゃないか。

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東京国際映画祭2004で思ったこと

2004年の東京国際映画祭で、いちばん印象深かったのは中国映画の脱皮だ。中国映画はいま劇的に変わりつつある。従来の、中国共産党の指導要綱がチラつく教条的/啓蒙的な文芸映画というイメージを脱ぎ捨て、ごく普通の、観て面白いエンタテインメントが主流になりつつある(ように感じた) その嚆矢となったのはおそらく「スパイシー・ラブスープ(愛情麻辣[湯/火])」(1998/チャン・ヤン 張揚)の大ヒットだと思うが、この新しい波の特徴は、それまでのジャ・ジャンクー(賈樟柯)に代表される、政府の検閲を受けないで作られたインディーズ映画ではなく、普通に政府の検閲を通過した娯楽映画であるという点で、つまり国外の一部の中国映画好きの……つまり暉峻創三のための芸術映画ではなく、中国の一般庶民が楽しむために観る商業映画の(映画館とDVDを含めた)マーケットが、いま初めて生まれつつあるのだ。 ● 中国映画「娯楽新世代」の背景には、政府の検閲の大幅な緩和があるのは言うまでもない。べつに共産党の指導要綱に沿った内容でなくとも──為にならない映画でもOKが出るようになったばかりでなく、今回の映画祭で上映された作品だけでも「恋愛中のパオペイ」にはジョウ・シュンの(乳首こそ写らないものの)全裸ヌードの濡れ場があるし、「見知らぬ女からの手紙」ではシュー・ジンレイ扮する処女の大学生と金満中年男のセックスなどという、ひと昔前なら決して許可が降りなかったであろう描写がある。また、ついこのあいだ中国政府を批判する内容の「シュウシュウの季節」を無許可ロケで撮ったばかりのジョアン・チェンがなんの咎もなく「ジャスミンの花開く」に出演している。まあ、まだ「悪人が生き残る映画は不可」といった枷はあるようなので、反社会的な内容の映画はNGのようだが、こうした開かれた検閲制度が(間接的に)娯楽映画マーケットの誕生を後押ししているのは確かだろう。 ● では中国映画「娯楽新世代」の直接的要因とは何か? おれの見るところ、それはテレビドラマの隆盛である。DVD雑誌に目を通している方なら「香港映画の武侠片」が、かたっぱしから中国で連続テレビドラマとしてリメイクされているのは御存知だろう。武侠片ばかりでなく、日本のテレビドラマのような「大都市の若者の惚れた腫れた」のトレンディ・ドラマ(死語)もまた大量に消費されているようなのである。くだんの「4大若手女優」だって(チャン・ツィイーを除く3人に関しては)テレビドラマでの人気なくしては現在のスターダムは考えられない(=だから、日本人にはいまいちピンと来ないのだ) おそらく1990年代末からのことだと思われる、こうしたテレビの開放が、次に来る映画の開放を準備していたのだ。 ● 香港映画界を例にとろう。かの地では1967年に誕生したTVBのテレビドラマの隆盛が、1980年代の香港映画の黄金時代を産んだ。いまをときめく香港映画界のトップスターたちは(ジャッキー・チェンら「七小福」派を除けば)ほぼ全員がTVBの出身だ。俳優だけではない。主だった監督も脚本家も皆、TVBを修行の場として羽ばたいている。これが現在の中国で起こっていることである。預言しておこう──2000年代末から2010年代には中国娯楽映画の黄金時代が来る。韓流に乗り遅れた配給会社は、いますぐ北京と上海に駐在員を送れ!


それはムービーなのかフィルムなのか。

おれはこのごろとても悩んでいる。自分の意志で映画館に行くようになって以来およそ30年にわたって〈自分の愛してきたもの〉の正体がよく解からなくなってしまったのだ。照る日も曇る日も雨の日もせっせと映画館に通って観てきたのは、それが「映画」だからなのか、それともそれがフィルムによって撮られているからなのか? 人によってはこの設問自体が意味をなさないだろう。フィルムで撮ろうがビデオで撮ろうが映画は映画だろ?と。そう あなたは言うかもしれない。おれもほんの数年前まではそう思っていたのだ。おれが好きなのは「映画館で映画を観る」という体験であって、それが35mmで撮られていようと8mmで撮られていようと、はたまたビデオ撮りであろうと関係ない、と。ところがこの数年、ビデオ撮りの上映物件を──それはキネコされたピンの甘いフィルムだったり、画質の劣悪なビデオテープ上映だったり、あるいはハードディスクからのデジタルデータ上映だったりするわけだが──いやでも数多く観るようになって、違和感が無視できないほどに膨れ上がってしまった──これはやっぱり映画ではない。 ● 少なくともおれにとってはフィルムとビデオは別物である。たとえば「HDビデオ撮りされた作品をDLPプロジェクターで観る」なんて場合は自宅のモニターと同等(以上)のクォリティで観ることが出来るわけだが、隅々までシャープなギラギラした画調は それこそまさに画面のデカいテレビを観てる気がするのだ。いや、テレビが悪いって言ってるんじゃないよ。面白いテレビドラマだっていくらでもある。それは承知してる。でもそれは「映画」とは別物なのだ。テレビなら自分ちのテレビで観ても一緒じゃん。いやそれどころか「アカルイミライ」みたいに、キネコ/フィルム・レコーディテングの品質に問題があってフィルム版のほうがピンが甘い/発色が悪いなんてケースすら少なくないのだ。そうなったら、わざわざ映画館に足を運ぶ意味がどこにある? ● いまのところ(観たい作品に関しては)DVDを買うのに数千円も出すより映画館で観たほうが安いとか、レンタルビデオを借りるのが面倒くさい(=習慣になってないので)という消極的な理由で映画館に通っているわけなんだが、「それほど積極的に観たいと思わない」作品については、従来だったらとりあえず観てたのに、最近は「ビデオ上映じゃいいや」とパスすることが目立って増えている。このまま(ビデオ上映の増加につれて)映画館に行く回数が激減してしまうのか、それともだんだんとビデオ画質に慣らされてしまうのか。それは判らないが、どちらにしても、そのことを考えるたびに憂鬱になる今日この頃なのである(平和な悩みですんませんなあ) ● それで、ひとつ提案なんだけどさあ。昔の外盤CDって裏に[A|A|D]とか[D|D|D]って入ってたじゃん。これはそのCDが[アナログ録音|アナログ・マスタリング|デジタル製造]されたとか[デジタル録音|デジタル・マスタリング|デジタル製造]されたことを示す略号なんだけど、これ映画のチラシや「ぴあ」に載っけてくんないかな。たとえばトラディショナルな[フィルム撮影|フィルム原版|フィルム上映]の映画なら[F|F|F]ね。テアトル池袋や渋谷シネ・ラ・セットでやってるようなビデオ映画は[V|V|V]、最近 主流のスタイルである「キューティーハニー」や「下妻物語」とかは[V|V|F](=ビデオ撮影|ビデオ原版|フィルム上映)。フィルムで撮ってデジタル・マスタリングした「赤い月」なら[F|V|F]だし、洋画の吹替版上映とかでたまに見かける極悪な「フィルム作品のビデオ上映」は[F|F|V]となる。どうよ? 一目瞭然でしょ。ぜひドルビーとかDTSのロゴみたいな感じで表記を義務づけてもらいたい。そしたらそれを参考に観るか観ないか決めるからさ。いや冗談で言ってるんじゃないぞ。心の底からそう思ってるのだ。 ※正確にはビデオじゃなくD(デジタル)と表記すべきケースもあるだろうが、判りやすくするために「V」で統一するものとする。