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スター・ウォーズ エピソード2 クローンの攻撃 [DLP Cinema
(ジョージ・ルーカス)

SFX&CGアニメーション:インダストリアル・ライト&マジック 音楽:ジョン・ウィリアムズ
ピンパンパンポン「開映前に お客さまにお願いもうしあげます。上映中のライトセーバーの点灯はご遠慮くださいませ」ピンポンパンポン(←実話)・・・・というわけで、観てきたぞ先々行オールナイト。旧3部作では「帝国の逆襲」(=エピソード5)だけがスバ抜けた傑作だと思っている おれとしては、この新3部作の第2部も大満足である。以前にもまして冒険映画や史劇や西部劇の古臭いクリシェを意図的に多用した宇宙大活劇。2時間22分の目のご馳走。「エピソード1」に疑問符をつけた人にも自信を持ってお勧めできる。てゆーか、観なきゃバカだ。 ● 「可愛らしいアニー坊や」と「邪悪なダース・ベイダー」の橋渡しをするという難しい役にこんなヤンキー兄ちゃんみたいなので大丈夫なのかよ?…と心配されたヘイデン・クリステンセンも(たしかにどこが騎士やねん!という品のないヤンキー兄ちゃんそのまんまなのだが)本作で描かれるダークサイド転落の第一歩である「憎しみの感情を抱くにいたる場面」など、抜擢されるに相応しい感情を表している。 ナブーの女王を2期つとめたあと退役して、本作では銀河元老院の議員になっているパドメ・アミダラはもちろんナタリー・ポートマン。今回やたらと衣裳が色っぽくて、そらそんな背中まるだしとか半乳イヴニング・ドレスとか白の乳透け全身タイツとかでうろうろされたらアナキンならずとも任務を忘れるっちゅうねん。てゆーか、大統領じゃないんだから「女王を退役」って変だろ。だれかルーカスに社会常識ってものを教えてやれよ(次作以降のストーリーの繋がりのためなら、本作でアナキンと結ばれたことにより「王族籍剥奪」でいいじゃんか) ちなみに新女王を演じているのはインド映画「マッリの種」のヒロイン=自爆テロリスト志願の少女を演じたアイーシャー・ダルカール(例の白塗り「歌舞伎メイク」だからインド人だってわかんねえけど) この「2人」が出てこなきゃ「スター・ウォーズ」じゃない、C-3POとR2-D2もメデタク本作で銀河最強の漫才コンビを結成。思いきり笑かしてくれる。本篇最高の台詞はC-3POによって発せられるのだ。てゆーか、あーゆー本来ならサム・ライミが「スパイダーマン」でやってしかるべきギャグを入れられるってのはルーカス君も少しは大人になったんだねえ。 その代わりに用なしとなったジャー・ジャー・ビンクス君はアミダラに「あんた仕事があるんでしょ。あっち行って」とか冷たくあしらわれてたり(じつは本作では、宇宙を戦乱に巻き込んだ元凶はジャー・ジャーだったという衝撃の事実が明らかになるのだ。←マジ) 「ロード・オブ・ザ・リング」と同じような役で出てきて同じようなワザを使う新たなる悪の暗黒卿にクリストファー・リー! てゆーか、この人どー見ても悪の親玉より強そうなんですけど。 そして何といっても今回、すべてのキャラを食ってしまう活躍を見せるのはジェダイ騎士団を統べる古老 マスター・ヨーダ! マスターって「師父」の英訳だったんですね。もうサイコー! ● …と絶讃したうえでちょっとだけツッコませてもらうが(火暴)・・・ジョージ・ルーカスの演出は相変わらずで、ジョン・ウーなら「豪雨の対決」を100倍スタイリッシュにカッコよく演出するのに…とか、スピルバーグならぜったい「砂の民の大虐殺」を撮るはずなのに…とか、あるいはギレルモ・デル・トロだったら「羽虫星人の洞窟」はもっとヌチャヌチャぬめぬめして気持ち悪いのに…とか、いろいろ不満点がないわけではない。何より「銀河共和国を覆うおそるべき陰謀の黒い影」と併行して描かれる「アナキンとパドメ・アミダラの禁じられた恋」の描写があきれるほど稚拙で「ルーカスいい年こいて童貞野郎かい!」って感じ。もう「ワザと古臭くした」とかそーゆーレベルじゃなくて、さすがの名人ジョン・ウィリアムズも劇伴を付けあぐねてるのが可笑しい。だいたい2人は「エピソード1」のラスト以来、10年ぶりに再会したわけでしょ。アナキンが「EP1」でもナタリー・ポートマンが演じていたパドメに恋しちゃったのはわかるけど、パドメはいつアナキンに惚れたんだよ。「EP1」でのアナキンはまだ小学生だぞ!? ほんと頼むよ>ルーカス君。 ● ILMの手掛けるSFXはもちろん世界最高水準。マペットの動きを模倣するヨーダ師父や、タトゥーインの古物商ワトーの表情ゆたかなCGアニメなど素晴らしい出来。ただ「グラディエーター」な場面での怪物はありゃひんやりぬめっとした爬虫類の膚じゃなくってテカテカのプラスチックだ。「トイ・ストーリー」じゃないんだからさ。動きと実写キャラとのシンクロもイマイチだったしなあ。「ジュラシック・パーク」が作れる技術があるのに何故? ● 今回、ソニーのHD24Pデジタル・ビデオカメラによる撮影データをコンピュータ上でデジタル加工&編集してそのままDLPシネマでデジタル上映…という、昔のSF映画で描かれたようなことが、まさに現実のものとなったわけだが、たとえデジタルで撮影してもルーカスが最終的に色調をフィルム画質に合わせてきたのは嬉しい驚きだった。フィルム版と見比べれば違いは歴然とするのだろうが(ピッカピカのCG画質だった「トイ・ストーリー2」や「モンスターズ・インク」と違って)この「エピソード2」はそれと言われずに観たら、おそらく最後までデジタル上映と気付かないのではないか(画質の違いについては、あとでもう1度、フィルム上映で吹替版を観る予定なのでそのときに補足したい) エンドロールの最後に特別扱いで「SONY, ATSUGI, JAPAN のすべてのエンジニアに特別なる感謝を捧げる」と出て、続いてパナビジョンのロゴと左右同格並びで「シネアルタ」のロゴがどーんと出てくるのには(ソニー関係者ならずとも)なんか誇らしい気持ちになったぜ。 ● パンフは800円。写真も文字も設定イラストとかもたっぷり詰まった64頁の大冊で、それでいて金をドブに捨てた気にさせる三文ライターの駄文がまったく載ってないという素晴らしい仕上がり。だけど公式資料のくせして「エピソード1・2・3」がすべて「エピソード I・II・III」表記なのは何故? ● 次の「エピソード3」は2005年。これが終わったらルーカスはもう「7〜9」を撮る気はないようだから、それだったらぜひ「STAR WARS SAGA」というB級宇宙アクション・シリーズを起ち上げていただきたい。これはスカイウォーカー一族の登場しないサブキャラ中心の外伝で、1.「SW」世界の設定に基づいて、2.SFXをILMが担当し、3.ジョン・ウィリアムズのメイン・テーマを使用する(音楽担当は別人でOK)…というシバリで若手監督に自由に撮らせて、100分以内の作品を毎年1本ずつ粗製乱造するのだ。たとえば若い頃のハン・ソロを主役にしたスリルとサスペンスのケイパー・アクションとか、若きメイス・ウィンドゥの豪快なアドベンチャーとか、ボバ・フェット少年の愛と憎しみのビルドゥングス・ロマンとか、辺境の星に棺桶を引き摺って現れたジャンゴ・フェットが対立する2つの宇宙ギャング団を壊滅させるという「宇宙の用心棒」とか、ヨーダが老師役の「酔拳2010」とかね。儲かりまっしぇ。どないだっしゃろ?>ルーカス社長。

スター・ウォーズ エピソード2 クローンの攻撃[フィルム版]

というわけで結局、初日にまた字幕版を観に行ってしまった。今度はフィルム上映の新宿プラザ劇場。デジタル上映のDLP CINEMA版と較べると、冒頭の「鏡面外装の宇宙船の到着」シーンから差は歴然としてて、ルーカスがデジタル上映にコダワるのもよくわかる。ただ、おれは(色調がところどころ いやに赤っぽかったり白っ茶けたりしてることを差し引いても)フィルム版の質感のほうが好きだね。DLP版だとペナペナのプラスチックにしか見えなかった「闘技場のCGモンスター」もフィルム版のほうがまだ見られるし。まあ、もともとビデオで撮影されてる作品にこんなこと言うのも矛盾してると思うけど、もうこれは好みの問題だろう。フィルム版を観てしまうと、やはりDLP版はテレビでDVDを観てるような気がしてしまうのだ。 ● 先々行オールナイトのあとで色々な雑誌とかを読んだんだけど、DLP版とフィルム版で異なっているシーンというのも確認した。ラストシーンなので一部を黒文字にしておくが、アナキンがま〜た師匠に無断でパドメと[結婚式をあげてる]場面で、フィルム版では[アナキンの機械の義手]が写るのだが、DLP版ではその[義手をパドメが握る]のだ。 あと、クワイ=ガン・ジンことリーアム・ニーソンがワン・シーンだけ声の出演をしてるのは、アナキンが[砂の民を皆殺し]にしようとする場面からカットが変わって、心配顔のヨーダのアップに被さる[アナキン! アナキン! ノー!]という声がそれ。 旧シリーズではスーツを着た俳優たちが演じていた「白い装甲をつけた兵隊さんたち」だが、本作ではスーツは1体も作られず、すべてフルCGで描かれたらしい。それが本当だとしたら見事な出来栄えである。だって、どー見ても中に人が入ってるとしか見えんもの。 ● 再見して気付いたネタバレ気味細かいツッコミをいくつか。この映画で最初に登場するレギュラー・キャラはパドメ・アミダラなのだが、そのファースト・カットがあまりに無神経。下からのあおりカットで顔がデブって見えるのだ。彼女が最初にアナキンと再会した場面では、後々の恋愛感情の伏線として、会談を終えて部屋から出て行く後ろ姿に「ついついニンマリしてるパドメ」の切りかえしカットが絶対に必要でしょ。よく考えると、このパドメ・アミダラはとんでもない女で、アナキンといちゃつきながら(夕食のデザートの)キウイを食べた後で「ちょっと失礼して楽な服装に着替えさせていただくわね」とかなんとか言ってわざわざ黒の半乳ドレスに着替えてから暖炉の間に現れたのだあの女は! 映画でも実生活でもこーゆーのは「ヤッてもいいわよ」とゆー合図と相場が決まっておる。それをしゃあしゃあと「使命のために愛は封印しましょう」とかなんとか白々しいことを言いおって、男のほうから押し倒すのを待ってるわけだ。ううん、あたしは悪くないの、厭って言ったのにあのパダワンが無理矢理…とかなんとか。いやいや、おれの妄想ではないぞ。それが証拠に、まだガキのアナキンが女心が見抜けず日和るとみるや、翌朝こんどは褥(しとね)を共にしたわけでもない相手の前で、わざとガウンの前をはだけてシミーズみたいな薄物ネグリジェ姿を見せつけてるし。お母さんはあなたをそんなふしだらな娘に育てた覚えはありません! ● あとさあ、オビ=ワン・ケノビはジャンゴ・フェットの放った毒吹矢から、その出所である「見えない星」を突き止めるけど、ジャンゴはカミーノ星人じゃなくて「流れ者の賞金稼ぎ」だろ。それじゃ「武器の産地」と「所持者の出身星」が一致しないじゃんか。それと「クローン兵士はジャンゴ・フェットをコピーして生産してる」という設定なのに、訓練中のクローン兵たちの素顔が(ジャンゴ・フェット役のテムエラ・モリソンじゃなく)アミダラの警護隊長の顔なのは何故? そんなとこ、どー考えたって間違えようがないと思うんだけど、ひょっとして「どーせマオリ族の顔なんて区別つきゃしねーよ」とか思ってる?>ルーカス。あるいは最初は警護隊長の役者さんがジャンゴ・フェットを演るはずだったとか? あのひょろっとした人たちも、わざわざダイナーの場面で「非社交的で、相手のポケットの中身に執着する連中」であると伏線を張ってるのに、オビ=ワン・ケノビが訪ねていったら、やたら友好的で、代金支払いの話をおくびにも出さないってのは変でしょう。 伏線といえば、小惑星帯でスペアパーツを放出するのは、たぶんあとで「通信機が故障してもパーツが無くて直せない」という伏線でもあると思うけど、それだったらちゃんとフォローの台詞を言わないと意味がない。 意味がないといえば、R2-D2は就寝中のパドメを暗闇で監視するのにいちいち懐中電灯つけて視覚認識って…熱感知センサーとか無いんかい!(すぐその後の場面で女殺し屋は熱感知ヴィジョン使ってるやん!)

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猫の恩返し(森田宏幸)

お、こりゃ少女漫画だね。それも1970年代の、ヒロインの眼の形が><になっちゃったりするよーな(…いや、今もあるかしらんけど、ここ20年の少女漫画には疎いので) 少なくともヒロインが「現代の女子高生」でないことは確かだ。トラックに轢かれそうになってた猫を、たまたま通りかかったヒロインが助けたことから、猫の国の猫王(ねこおう)さま直々の御礼責めに遭わせられるわ、猫の国に無理やり招かれて「このまま王子の嫁にニャれ!」王子たって猫でしょ猫! どーすんのよ!?…ま、猫になってみるのもいいかにゃあ・・・という、ラブコメというよりギャグ・コメディ。面白そうでしょ? でも、それほど面白くないんだにゃこれが。つまりこれは宮崎駿「名探偵ホームズ」や矢吹公郎/東映動画「長靴をはいた猫」あるべき映画なのだが、新人・森田宏幸の演出には才気煥発の欠けらもなく、カット尻は往々にしてCMにでも行くのか!?と思うほど間延びしてる。なにより猫の[御礼参り行列]や[ヒロインを乗せて猫の国へ連れ去る猫群]といったアニメーションとしての魅せ場に力が感じられないのが残念。やはり宮崎駿はアニメーターとして傑出した才能であったのだにゃあ(←過去形にすにゃ!) ● 75分という尺もこの話にはいささか長すぎる。だいたい「耳をすませば」に続いての登場となるダンディ猫=バロンのいる意味がないでしょ。自分の時間を生きるんだのにゃんだのとゆーゴタクを並べるから映画が停滞して つまんなくにゃるのだ。ギャグ漫画に理屈や動機は要らんのよ。客に考える時間を与えず、とっとと話をすすめなきゃ。デブ猫は「ヒロインの飼い猫」という設定にしちゃえばいいじゃんか。 ● ヒロインの声の池脇千鶴は役名「ハル」というより「ドジなハルっぺという感じの古典的なキャラを意外に好演。 バロン=袴田吉彦は最悪。 デブ猫=渡辺哲はそれほど酷くないが、これは本作でいちばん重要なキャラなのだから絶対にプロの声優に演らせるべき。 そして、にゃんといっても本作の白眉はスケベでイイカゲンな猫王=丹波哲郎(!)と、ニコヤカに慇懃無礼な侍従=濱田マリのコンビだろう。台詞の語尾にいちいち「にゃ」を付けて御大ににゃあにゃあ喋らせたのも偉いが、「丹波哲郎」役だった「クレヨンしんちゃん 爆発!温泉わくわく大決戦」と違って、本作ではちゃんと「声優」してるのにビックリした。「千と千尋の神隠し」の菅原文太よりよっぽど器用だニャロメ。<それは違うマンガだにょ。


ギブリーズ episode 2(百瀬義行)

「猫の恩返し」に併映されている4話25分の短篇アニメ。なんでも「エピソード1」は2000年の春に日テレの「ジブリ・スペシャル」で放映されたんだそうだ。内容は架空のアニメ工房「スタジオギブリ」を舞台にした「ホーホケキョ となりの山田くん」の焼き直し。しかも今回は4話が4話とも別々の(パクリっぽい絵柄の)実験的な表現手法に挑戦。そんな内輪受けのクソつまらん代物を全国公開すんじゃねえよ。「おもひでぽろぽろ」的なものならまだしも、こんなオヤジ臭いしろもん、「耳をすませば」や「魔女の宅急便」を期待して「猫の恩返し」を観に来た女の子たちが喜ぶと思ってんのか!? てゆーか、フツーに2Dで作れ2Dで。3D-CGで絵をぐりぐり動かせるのがそんなに嬉しいか?

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クレマスター3(マシュー・バーニー)

クレヨンしんちゃん」TV傑作選のパート・・・ではない。アメリカの映像&彫刻アーティスト、マシュー・バーニーの製作・脚本・監督・主演による映像作品。げげ現代美術ぅ!? 上映時間がさささ3時間!? んでもって料金がにににに2,800円!?・・・ということでかなりヒイたのだが、ビデオ撮りではなく35mmと聞いて、まあ滅多に観る機会のあるもんじゃないしと思い直して、でも5分退出だったらどーしよー!?とちょっとビビリつつ観に行った。 ● 男性諸氏はよくおわかりだが、あれですな、きんたまというものは寒いとキュッと縮んで上にあがり、暑いとダラ〜ンと垂れ下がりますな。その伸縮活動をつかさどっているのがクレマスター筋というのだそうだ。つまり、きんたまサーモスタットである(やっぱクレしん系?<違います) 「3」とついている以上シリーズ作品で、全5部作の構想のうち1・2・4・5は完成済み。先頃、渋谷のシネマライズで1週間限定で行われた1日がかりの全作品上映に続いて、最新作である「3」のみが恵比寿の東京都写真美術館ホールにて公開された。 ● 現代音楽(作曲:ジョナサン・ベプラー)によるBGMのみで台詞は無い。プロローグとエピローグにアイルランド辺りの荒涼とした海岸を舞台とした神話的挿話を配置して、前半がクライスラー・ビル篇。建築中の摩天楼のなかでフリーメイソンの怪しい企みが行われているという話で(ケイブマンは正しかった!)ちょっとデビッド・リンチの悪夢的シークエンスを思わせるダークで奇妙奇天烈なイメージが面白い。…ま、30分ぐらいで飽きるけど。クライスラー・ビルの美しいアールデコ調の意匠が効果的に活かされている。しかし「クライスラー・ビルのエレベーター・ホールに駐められた1台のロンドンちっくな黒塗り高級車に、5台のクリスティーンが寄ってたかって体当たりして一塊の鉄にしてしまう」なんてシーンは、いくらなんでも本物のエレベーター・ホールじゃ出来ないだろうから、やっぱり本物そっくりのセットを組んだんだろうねえ。金かけてるなあ。マシュー・バーニーはつなぎを着たエンジニア(?)で、エレベーター・シャフトをよじ登り、最上階近くのクラウド・バーでひと息ついたところを鍔広帽をかぶったフリーメイソンのメンバーたちに捕らえられ、医務室で顔にパラフィンを貼り付けられ歯を肛門から吐き出してなにか別のものに生まれ変わる…という役。 ● 途中1時間半でインターミッションがあって、後半の舞台はグッゲンハイム美術館。ほら、例の(なんの映画だったかいまパッと出てこないけど)よく映画にも出てくる、回廊式のスロープが巨大な白い渦巻きになっているフランク・ロイド・ライト設計の特徴的な建物にロケして、2層から5層(=天上)にバニー衣裳のラインダンサーズやらハードコアバンドやら半裸の両足義足女やらパラフィンを撒き散らす工夫やらが居て、そこを新宿タイガーマスクの扮装をしたマシュー・バーニーがウォール・クライミングしていく…というトホホ篇。登るのが好きなのね。たぶんそれぞれ神話かなんかのパロディなんだろうけど、おれにはサッパリ。全裸エプロンという嬉しいコスチュームで出てくる、両足の脛から下を幼少時に切断したという元パラリンピック アメリカ代表選手 エミー・マランスが美しい。 ● ちなみにマシュー・バーニーはビョークのカレシ…てゆーか、ビョークのお腹の子どもの父親なんだそうで、ビョークと性生活が送れるという時点でかなりの変人であるのは間違いないわけで、まあフツーの映画ファンにとっちゃ、どのような意味においても2,800円の価値は無いが、ヘンなものならなんでもいいという奇矯な現代美術ファンにお勧めする。

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スパイキッズ2 失われた夢の島(ロバート・ロドリゲス)

もう前作以上に大人そっちのけでオコチャマ大活躍。奇妙奇天烈なガジェットが次から次へと出てくるあたりは完全にドラえもん映画のノリ。てゆーか、これ多分「ドラえもん のび太の南海大冒険」と同じ話だぞ。…観てないけど。つまり「失われた夢の島」ってのは「ドクター・モローの島」なんである。ロバート・ロドリゲスは完全に100%キッズ・ムービーとして作っていて大人の観客など一顧だにしていない。だから出てくる子役たちもワンパク度数だけ高くてロリコン指数はゼロ。吹替版もあるしオコチャマたちには ★ ★ ★ ★ ★ の満足保証だけど、付き添いの大人にはちょっと子ども騙しに写るかも。ガイコツ戦士が出て来たりするけど所詮はCGなので「ハリーハウゼンへのオマージュか!?」なんて、期待して観るとガッカリすると思うぞ。 ● キャストではなんといってもライバルのスパイキッズに扮するエミリー・オスメントちゃんが注目。撮影時たぶん9歳の、なんとハーレイ・ジョエル・オスメントの妹である。あの顔で女の子なので小憎らしいったらない。理想的な敵子役であった。予告篇でタケコプターならぬお下げ髪コプターをブルンブルンしてる子がそう。

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マレーナ[イタリア版](ジュゼッペ・トルナトーレ)

[ビデオ観賞]レビュウにも書いたが2001年に日本で公開されたのはミラマックスがアメリカ向けにハサミを入れた92分版で、もともとイタリアで公開された際には103分あった。そのオリジナル・バージョンが「ディレクターズ・エディション」と題してビデオ/DVDリリースされた。そこでだな。おれとしてもレビュウ・サイトを運営するものの責任として忙しい合間を縫ってビデオを借りてきたわけだ。なな何を言ってるんだ単なる助平心ではないぞ失礼な! ● 予期していたことではあるが、実際に観てみて驚いた。日本公開版はこの作品の核心となる箇所をことごとくカットしていたのである。それはすなわちモニカ・ベルッチの乳とかモニカ・ベルッチの乳とかモニカ・ベルッチの乳とかモニカ・ベルッチの陰毛などである。おそらく「少年が大人の女の乳もんだり」という構図がアメリカではことごとく「未成年セックス」コードに引っかかってしまう故の処置だと思うが──実際、おれがあの主役の少年だったら毎日、撮影でモニカ・ベルッチのナマ乳見せられたりしてたら気が狂うね絶対──1本の作品としてみた場合、モニカ・ベルッチのヌードシーンがあるイタリア版のほうが(こじつけて言うのではなく)ヒロインがあの時代をあのようにしか生きられなかった生身の女の哀しさが出ていて、優れていると思う。すでに劇場版を観賞された諸兄にも再見の価値あり。

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リターナー(山崎貴)

いやそりゃたしかに「世界を将来の破滅から救うため、過去を変えるべく未来からの使者がやって来る」という設定の映画はいくらもあったかも知れないが、「リターナー」の場合はストーリーの近似とかそれ以前にもう誰がどう見ても「ターミネーター」なわけで、まあ今さらそれをここで滔々と述べたてることに意味があるとも思えないが、それでもひとこと言わずにはいられない──そこまで真似るのなら、どうしてタイムスリップして来たターミネーター(リターナー)が現代に出現するシーンを忠実に再現しないのか、と。製作中の「ターミネーター3」ではちゃんと新たな悪役「女性型ターミネーター」の全裸出現シーンを撮影したらしいぞ。<結局それかい。 ● 「ジュブナイル」の山崎貴の第2作。前作同様、本作でも脚本・特技監督を兼任している。とりあえずぜんぜん退屈はしなかった。最初から最後まで面白く観た。そのうえで書くのだが・・・まず、これって大人向けの映画なの? だよねえ? そうじゃなきゃあんなにバンバン人が死んだり「ブラックホーク・ダウン」なみの人体損傷描写は有り得ないよねえ? それにしちゃ映画の体温が妙に生暖かいんだけど。ロコツにお手本にしてる「マトリックス」や「レオン」と比べれば山崎貴の体質が「物語が要求しているクールさ」とは ほど遠いところにあることは明白で、つまりこの人は「裏社会に生きる者の孤独」とか「国際臓器売買」といったハードな現実を描くのに向いてない演出家なのだ。それと「パクリだらけのB級映画」と呼ばれたくないなら、ちゃんとした脚本家アクション監督メカ・デザイナー/クリーチャー・デザイナーを雇いなさい。 ● 鈴木杏が素晴らしい。たぶん全出演者の中でいちばん演技が巧い。何よりこのコには映画にマジックをもたらす力がある。ワタクシ恥ずかしながらスパゲティの場面では泣いてしまいました。15歳になってやや処女太りをしてきたので男の子っぽいキャラにしたのは正解でしたね。 金城武の台詞まわしは相変わらずだが「カッコイイ二枚目の主役」なので、まあこれでいいでしょう。 怪しい漢方薬局の婆あ、じつは華僑裏社会の顔…なんて役にもそれなりのリアリティを与えられる樹木希林は、やはり大したもの。 対して笑っちゃうのが岸谷五朗の「キレた悪役」で、アンタいいのかそんな陳腐な演技で? 15年前の回想シーンからまったく歳を取ってないってのもスゴい。どーせなら内田裕也か遠藤憲一にすればよかったのに。あ、そうか。山崎貴ってそーゆーリアルさがキライなのか。 ● リターナーってのは当然ヒロインの鈴木杏のことを指すのだと思ってたら、チラシによると金城武も「依頼者からの情報をもとに闇の取引現場に潜入、決して足のつかないブラック・マネーを奪還、そして一切 手を付けることなく依頼者にその金を送り戻す」ことを商売とするリターナーなんだそうだ。あのさ。おれがアタマ悪いのかもしらんがこの説明サッパリ理解できないんだけど。Aが金をBが商品を持ち寄り商取引をしてる現場に、Cが人を派遣して金を横取りする行為がなんで「奪還」になるの? それともAとCが同一人物って意味? なんでそんなややこしい事すんの? …?????

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夢なら醒めて……(サトウトシキ)

そのコンピニ店員は、とある まだ本格デビュー前のアイドル予備軍(本人曰く、バッタ・アイドル)の熱烈なファンで、彼女をあまりにも愛するがゆえに、かれが取った究極のストーカー行動が「彼女自身を生きる」こと。彼女がかつて暮らしていたのとそっくりの部屋に住み、家具調度を揃え、熱帯魚を飼う。メディアに露出していないはずの情報もかれにはわかる。なぜならかれは彼女が考えるように考えるから。彼女が好きなことが好きだから。かれにとってもはや生身の彼女は必要としないほどのそれは…だった。 ● ピンク映画の俊才 サトウトシキ、「アタシはジュース」(1996)以来の一般映画である。今回は脚本も盟友・小林政広+今岡信治で、万全の態勢と思われたのだが…。サトウトシキは映画の中盤に三池崇史かM.ナイト・シャマランかという大ワザを繰りだして観客のド肝を抜く。だが、逆にそれでラストが読めてしまうのが(おそらくは作者の意図しなかった)致命的な欠点となった。この物語においてはラストに襲う悲劇は気まぐれな運命の振り子でなくてはいかんのだ。決して、観客に舞台袖の出待ち役者の裾が見えてしまってはいかんのである。あと、所属タレント1人の個人事務所がそんな山崎ハコみたいな暗い歌でCMタイアップ取れるほど世の中ぁ甘くないぜ。 ● アイドル役に じんのひろあき の小劇場自主ビデオ「天使の火遊び」の前田綾花。まあ、せいぜい小劇場ヒロインのレベルのルックスと魅力が、役に合ってるちゃあ合ってると言えよう。 ストーカーのコンビニ店員に「殺し屋1」に続いてイッちゃってる役がハマってる大森南朋。 コンビニ店長に諏訪太朗。 メークさんに佐々木ユメカ。 ● 以下はネタバレのツッコミ。本作の仕掛け、すなわち[一人二役]は基本的にカットの切り返しによって処理されていて、それでまったく問題ないと思うのだが、なぜかただ1カットのみビデオ合成が行われていて、その画質の汚さが全体を台無しにしている。コンピュータ合成&フィルムレコーディングの金が無いのならみっともない真似はおよしなさいって。ゆいいつ金をかけたと思われるラストのモーフィングも致命的なNG。モーフィングなんか見せたら外見が物理的に変化したことになってしまうではないか。そこはあくまで主観の問題にしておくべきだった。

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夜間飛行(ジェイコブ・チャン)

南仏プロヴァンスからモロッコへ。旅先で知り合った香港人女性と日本人OLが育む友情。主演は大ベテラン=アニタ・ムイと、本作が映画初主演となる宝塚OG=純名りさ。監督は良心的な映画作りで知られるジェイコブ・チャン。音楽は香港映画も数多く手掛ける梅林茂。タイトルは有名なゲランの香水から・・・いかにも「ミニシアター向きの女性映画」然としたこのパッケージから誰が東映「ナイル」もビックリのトンデモ映画を想像できよう。まこと香港映画というものは我々のはかり知れない思考回路に拠っている。 ● ま、たしかに冒頭、プロヴァンス観光の団体ツアーで2人が知り合うきっかけが「純名りさがアニタ・ユンの膝にゲロを吐く」ってあたりから微妙なズレは生じていた。アニタ・ユンは冷め切った夫婦仲を見つめなおすための、純名りさは不倫愛を忘れるための傷心旅行なのだが、親切でお節介な日本人OLに、決して我を曲げない個人主義者の香港女が辟易しつつも打ち溶けていくあたりは、それでもまだ女性映画タッチで進行するのだ。ところが(以下、ストーリーを割ります)純名りさが他ならぬ[自分の夫の愛人]だとアニタ・ムイが気付いてからは「なついてくる純名にツンケンするアニタ」というコメディ映画の様相を呈し、なになにそーゆー映画だったの!?と観客がモードを切り替える間もなく、今度はモロッコで純名りさが[悪者に拉致されて、じつは身籠っていたお腹の子を強制堕胎されられ、全身に刺青を彫られ日本人娼婦として売り飛ばされて]しまうのだ(もちろん伏線はない。イキナリの展開である) え、なになに!?と とまどう観客を置き去りにして、映画は「失踪した親友を捜すアニタ・ムイ主演のサスペンス」となり、アニタの夫(なんとサイモン・ヤム兄さん)まで香港からやって来て「出来るかぎりの手は尽くした。香港に帰ろう」という夫(てゆーか、かれにとっては[純名りさは愛人]なんだけど)と「家畜が虐待されるのだって堪えられないのに…(ましてや日本人が)」というよくわかんない理屈でモロッコに残る妻の訣別があり、単身、必死の捜索を続けるアニタ。華僑のチンピラの助けを借りて[ようやく娼館から純名りさを連れ出す]アニタ。追うモロッコ人ギャング…というアクション映画的展開の果てには[純名りさの救出には成功したものの、ギャングに腹を撃たれ、純名の腕の中で絶命するアニタ]。砂漠にひとり、泣き叫ぶ純名りさ…という救いのないエンディング。な、なんなんだ一体!? ● 漢字原題は「慌心仮期」。チラシには「日本公開バージョン」って書いてあるんだけど、ひょっとして香港版はもっと凄いのか!?

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オースティン・パワーズ ゴールドメンバー(ジェイ・ローチ)

なんかもう3作目ともなるとキャラクターが増えすぎて、マイク・マイヤーズなんて新キャラのゴールドメンバー(黄金ちんぽ)も自演して1人4役だし、各々のキャラを動かすだけで精一杯という感じ。たぶん観終わって「あらすじ」を書けと言われても書けないと思う。ただ今回はオースティンの父親の「元祖・女たらしスパイ」役になんと(MI5の国際諜報員ハリー・パーマーこと)マイケル・ケインという、正統派というか掟破りなキャスティングが功を奏して、なんとか最後まで観ていられる。マイケル・ケインが喋るとそこだけ空気が映画になるのだ。だけどそのことが逆に、やはり「オースティン・パワーズ」は映画ではないという事実を浮き彫りにしてしまう。マイク・マイヤーズがやってるのは「ウェインズ・ワールド」から変わらず「テレビのコント」だ。この人には1本の「ストーリー」と「ストーリーの結末」を持った長篇映画を作ろうという気が初手からない。そんな人に「真面目にやれ!」と言っても無駄なのだけれど、どう考えてもこのネタは真面目に演ったほうが面白くなるはずのネタなのだ。マイク・マイヤーズ演じる様々なキャラはそれがパロディとして演じられていることにとても自覚的である。「ぼくちゃんとってもヘンでしょ? 解かってるよ。ワザと演ってるんだもん!」という観客への目配せうざったい。本作の元ネタである大のオトナがバカバカしい話を大真面目に作ってる「007は二度死ぬ」と較べてみるがいい。どちらが面白くて感動的か一目瞭然だから。 ● ドクター・イーヴルが冷凍保存されている間にナンバー・ツーが始めて大成功させたスターバックス事業は引き続き本作でも好調の模様で、そればかりか今度はイーヴルが月へ行ってる間に「まさしく悪の秘密結社に相応しい悪徳事業」であるところのハリウッド・タレント・エージェンシー(略称 HTA)なる芸能プロにも手を染めていて、悪の司令室にレイアウトされているロゴから判断するに、早くもハリウッドの大手芸能プロをすべて傘下に治めている模様なので、劇中に登場する架空映画が実際に製作されていたならば、あれ1本で少なく見積もっても15億から20億円は(スターをブッキングした時点で)手にしたと思われる(なんという商才!>ナンバー・ツー) ● 大挙登場するカメオ・スターについては観てのお楽しみとしておくが、1人だけ書いてしまうと、私生活を晒した(という設定の)MTVのドキュ=バラエティ番組で大人気のオジー・オズボーン一家も登場するぞ!(カンケーないけど、おれ、この番組、日本でも内田裕也ファミリーを主人公に据えれば移植可能だと思うんだよね。考えてもみてよ。モックンとグラスを酌み交わしながら「人生はロケンロールでよろしく」と人生訓を垂れる内田裕也。かいがいしく孫のオムツを換える内田裕也。安岡力也を引き連れて夜の六本木を往く内田裕也。孫の顔を見に来た希木樹林にイヤミを言われ黙って耐えている内田裕也。本木雅弘が出演するテレビドラマのプロデューサーを殴りつけて家族全員を困惑させる迷惑者の内田裕也。そのままプイッと旅に出て客の入りもパラパラな名古屋のライブハウスでロケンロールする内田裕也。もちろん登場人物はすべて実名・・・どうよ? なんか書いてるうちに、まさしくこれぞ21世紀の「男はつらいよ」って気がしてきたな。いっそ望月六郎 監督あたりで映画化してくんないかしら?<だからそれ「オースティン・パワーズ」と何の関係もないって)

★ ★ ★
人妻(ポール・シュレーダー)

まあしかしポール・シュレーダーの映画に「人妻」なんてタイトルつけて、その手のB級エロ映画のメッカ=銀座シネパトスで公開するとはヘラルドもいい度胸してるわ。ま、見事にそれに釣られて初日に行っちゃうスケベ親父もいたりするわけだが。…って、それはおれだ。 ● 白砂の海岸に立つ豪華なリゾートホテル。その偉容をタイトルバックに甘い女声のジャズが「Forever Mine」(=原題)と歌う。冒頭場面は1987年、NYへと向かう飛行機の中。仕立ての良いスーツに身を包んだ伊達男。けれど顔の半面の醜く引き攣った皮膚移植の痕が、他人を寄せつけぬ厳しさを漂わせている。かれは14年前、1973年のマイアミを回想する──そこはニースあたりを模した高級リゾートホテル。白い砂浜には天蓋つきのデッキチェアが並ぶ。男は23歳のしがないタオルボーイ。女は暇を持てあますはちきれそうな肉体の若妻。そして女の金持ちの亭主は…レイ・リオッタ(!) ● この後の展開は皆さんのご想像のとおり。イマドキここまでベタでいいのか!?というほどベタベタな純愛メロドラマ(=エロドラマ)である。まるでハーレクイン・ロマンスのよう(てゆーか、ほんとは「モンテ・クリスト伯」なんだけど) 演じる役者を替えればこのままの台詞でパロディになってしまいそうなほど。だが本作の主役はジョセフ・ファインズとグレッチェン・モルだから、もちろんそうはならない。それぞれが求められた役割をわきまえたプロの仕事である。 ● 1999年の旧作。ジョセフ・ファインズのジゴロ人生からすると「恋におちたシェイクスピア」と「スターリングラード」の間に位置することになる。 ヒロインのグレッチェン・モルは脱ぎまくりのヤリまくりブラボー!) 前にも書いたけど、おれ、いつまで経ってもこの人の顔が覚えられなくって、今これを書いている時点ですでに顔はボヤけてるんだけど、白くてぷにぷにしてて柔らかそうな二の腕とおっぱいは鮮明に瞼の裏に焼きついている。変態か! あと、工場の社長に見初められて社長夫人になった田舎の貧乏OLに「ボヴァリー夫人」は似合わないと思うけど?

★ ★ ★
キリング・ミー・ソフトリー(チェン・カイコー)

いやこりゃたいへんけっこうなもん観せてもらいましたわ。ぐわっはっはっ。愛する人は殺人犯かもしれない?というサスペンス風味のよろめきメロドラマ。…仕立てのソフトポルノである。いや、だって「ヒロインの濡れ場を魅せる」ことを第一義とする映画はポルノでしょ?(なにしろオープニング・タイトルにはヒロインのアエギ声が被るのだ) それにサスペンス映画やミステリとして観たら論外だし。だいたいヒロインはなぜポラ写真のところに[死体が埋まってる]と解かるのか、おれは2度 観てもサッパリ解からなかった。2度も観たんか! へえ、スカラ座で1回、新文芸坐で1回。それがなにか? ● ヘザー・グラハムは脱ぎまくりのヤリまくりブラボー!) 元来ファニー・フェイスの人なのだが、本作ではみごとに「美人女優の役まわり」をこなしている。あと この人、キリンのように首が長いね。 ジョゼフ・ファインズは「ポルノ映画の相手役」としての職務を立派に果たしている。 ● 「黄色い大地」「人生は琴の弦のように」「さらば、わが愛 覇王別姫」「始皇帝暗殺」のチェン・カイコー(陳凱歌)がこのような映画を撮ったことに驚きを表明する人もいるようだが、おれにはよく解かるよ、うん。カイコー君、こーゆーハダカがいっぱい出てくる映画、撮ってみたかったんだよね。その調子で頑張ってくれ給へ。しかし Chen Kaige でチェン・カイコーとは読めんよな(チェン・ケイジ?)

★ ★ ★
ノンストップ・ガール(リサ・クルーガー)

ヘザー・グラハム主演のストーカー・コメディ。ストーカーする相手はなんと自分の夫。カメラマンの夫が、思い込み女の愛の重圧に息苦しくなって、結婚式から2年とたたずに蒸発。愛さえあればの一念で捜し当てた夫は、メキシコとの国境線の町で美しいメキシコ女とラブラブになっていた…。「のら猫の日記」のリサ・クルーガーの監督・脚本作なので、いわゆるコメディ・コメディではなく、ガス・ヴァン・サント「カウガール・ブルース」なんかに近い。肩の力を抜いてダラーッと楽しむのには悪くない。 ● 家出した夫にデクノボー・キャラにますます磨きがかかってるルーク・ウィルソン。 その恋のお相手となるサンドラ・ブロック似のメキシコ美人が誰だろう?と思ったら、おお「ハムナプトラ」シリーズのネエチャン=パトリシア・ヴェラスケスじゃないの! この人、ベネズエラ人だそうだから、こっちが地なんだね多分。豊かな表情がコメディエンヌとしてじつにキュートで下手すっとヘザー・グラハムよりイイかも。 ● 原題は「COMITTED」。「のめり込んでる」とか「相手に責任を持つ」という意味の「コミット」かと思ってたら・・・じつは本作でおれがいちばんウケたギャグはヒロインの「…そうして わたしはコミットされたのだった」というナレーション。ネタバレOKな人は辞書をひいてみたまへ。

★ ★ ★
13ゴースト(スティーブ・ベック)

「マトリックス」のジョエル・シルバーと「バック・トゥ・ザ・フューチャー」シリーズのロバート・ゼメキスという、映画界を代表する2人の名伯楽が(ジョー・ダンテ「マチネー 土曜の午後はキッスで始まる」にも描かれていた、観客を驚かすための安っぽい仕掛け=ギミックに智恵を絞った往年のB級ホラー監督)ウィリアム・キャッスルの映画をリメイクする…というものすごーく限定した目的のために設立したダークキャッスル・エンタテインメントの、これは「TATARI」に続く第2回製作作品。オリジナルは日本未公開の同題作品で、ギミックとしてお客さんに「ゴーストが見えるメガネ」というものを配布して上映した由。きっと3Dメガネみたいなもんですな。リメイクでも踏襲すりゃあいいのにと思うけど、売上げの大半を占めるDVD・ビデオ・ケーブルテレビのことを考えると特殊な観賞補助器具を必要とする作品は作りにくいのだろう。つまらん時代じゃのう。 ● ま、時代はつまらなくとも映画は面白く出来ている。その安っぽさも含めて、求められている要素はほぼ充たしているので「商品」としては ★ ★ ★ ★ を付けられるだろう。これであとシャノン・エリザベスのシャワー・シーンがあれば完璧だったんだが。内容は「TATARI」と同じくお化け屋敷もので、12人のゴーストがいる屋敷に閉じ込められた7、8人の人間のサバイバル(…てゆーか、死にざま)を描いている。特殊メイクは(アンチCGとしての)リアルSFXの最後の砦=KNBエフェクツ。構成が秀逸で、お化け屋敷ものの通常の導入部の前に「ゴースト狩り」の場面をいきなりトップ・ギアでブチかまし、ゴーストの存在やゴーストの見えるメガネといった非科学的設定を否応なく観客に納得させてしまう。いったんお化け屋敷の扉が閉じると、あとはストーリーが有って無きが如きになるのだが、それはこの映画において別に欠点ではない。 ● 本作でもっとも秀逸なのが、なんとジョエル・シルバーのアイデアだというお化け屋敷のデザイン(美術:ショーン・ハーグリーヴス)で「いまにも崩れ落ちそうなゴシック調の屋敷の暗闇の奥からゴーストが襲ってくる」という従来のイメージを180度くつがえす「隅々まで煌々と照明された鉄とガラスの立方体」で、床も天井も壁も間仕切りも すべてガラス板。そこに筆記体のラテン語で、ゴーストを封印する呪文が白色ペンキで書いてある…という、まるで銀座あたりの有名ブランド・ショップのような「お化け屋敷」なのである。中心部にそびえる巨大な歯車の複合機械が作動して、外壁の幾何学形状のシャッターやガラスの間仕切りが閉じていく様は巨大な寄木細工のからくり箱のよう。この屋敷だけでも一見の価値がある、…あ、いや、でも安っぽいホラー映画がキライな人にはちっとも面白くありませんよ。 ● 「TATARI」のジェフリー・ラッシュに相当するホスト役にF・マーレイ・エイブラハム。 ゴースト愛護団体の過激派闘士に(すっかり色気の抜けてしまった)エンベス・デイビッツ。 ゴーストに感応する特殊能力者にマシュー・リラード。この人の過剰な演技って前から なにかに似てるなあと思ってたら、…そうだ香港映画だ!! おちゃらけ映画に出てるときのサム・リーとかとソックリなんだ! 妻が聖路加病院で焼死して傷心の(いちおう)主人公に「ギャラクシー・クエスト」のトニー・シャローブ。かれの部屋をぐるりとカメラがまわるオープニング・クレジットが、壁や家具の角度に合わせて文字が浮いてる「パニック・ルーム」のものすごーくセコい版でちょっと面白かった。

★ ★
異形ノ恋(堀井彩)[ビデオ上映]

大阪の自主映画監督・堀井彩(ほりい・ひかる/♂)のビデオ撮り自主映画。主演女優3人が全員ヌードになっているので自主映画としてはそれだけで ★ ★ ★ に値するのだが、おれは商業映画館で通常の木戸銭を払って観たのでそのつもりで星を付けた。 ● 〈大都会〉東京に出て来た田舎の青年が、レズ女に岡惚れして女の部屋にインポと偽って居候をきめこんだはいいものの、彼女はレズだからへーきで女を連れ込んで青年の目の前でまぐわったりして、青年は「ぜんぜん気付いてくれないんだな、ぼくの気持ちなんて」(アホか!)と拗ねて、その鬱憤を金属バット通り魔をして晴らしてたとこで出会ったのがくるくるパーマフシギちゃん少女。意気投合して2人でこんな街から出て行こう!と盛り上がったものの、フシギちゃんには近親相姦の兄貴がいて…って、いつの話だよ! 高橋伴明かい! 前から順に田舎青年:宮田諭、レズ女:東てる美、フシギちゃん:豪田路世留(蘭童セルでも可)、近親相姦兄貴:下元史朗あたりが似合いそうな1970年代ピンク映画の世界である。いや、おれ、そーゆーの決してキライじゃないが、それにしちゃドラマとしての輪郭が細いのだ。こーゆーのはもっとベタでやってもらわないと。 ● キャストは自主映画界とピンク映画界から半々ずつ。 田舎青年は(ピ)の西川方啓。 レズ女は(自)の田中愛理。 レズ女のカノジョに「新・したがる兄嫁 ふしだらな関係」の宮川ひろみ <もともと(自)の人らしいけど。 フシギちゃんに(ピ)の奈賀毬子。独特のヘンテコ顔のキュートな魅力爆発で、今まででいちばん可愛く撮れている。 近親相姦兄貴に(自)の石川謙。 他に(プ)の世界から寺田農と木下ほうか がゲスト出演している。 ● ちなみにストーリーからも明らかなように「異形ノ恋」というタイトル(と責め絵調のチラシ)は真っ赤な嘘なので〈異形の恋〉を期待すると肩透かしを食らうぞ。ちゃんと辞書ひけ>堀井彩。どこが「異形ノ恋」だよ。異形なんて(外見的にも精神的にも)出て来ないじゃんか。まさか「レズ」や「近親相姦」や「金属バット通り魔」ていどで〈異形〉ってんじゃねえだろうなあ? せめて「追悼のざわめき」や「Pinocchio √964」ぐらいやってくんないと「異形ノ恋」を名乗る資格は無いと思うが。

★ ★
スナイパー(カリ・スコグランド)

ウェズリー・スナイプス主演最新作。準メジャーのライオンズ・ゲイト・フィルムの製作なのにアメリカではビデオ直行。それもよくわかる。なにしろ本作でのウェズリー・スナイプスは、全篇に渡ってビルの一室から高性能ライフルを構えて、電話を通じて狙いを定めた標的と会話するだけで、アクション・シーンはおろか、最後まで他の俳優とまったく顔を合わせないのだ。台詞を喋ってるだけのウェズリー・スナイプスを観たいという方にお勧め。 ● 舞台はLAのダウンタウン。公園を横切ろうとしたリンダ・フィオレンティーノのケータイが鳴り、誰とも知れぬ男が「そこから1歩も動くな。お前をライフルで狙ってる」と言う。見下ろすとたしかに自分の胸元には赤外線スコープの赤い光が…。誰が、何のために、誰に対して、何をしようとしてるのか?でサスペンスを構成している作品なので、これ以上の説明はしないが、結局のところ最後まで観てもウェズリー・スナイプスが「何のために、何をしようと」したのかは判然とせぬまま。駄目じゃんそれじゃ。 ● 原題は「LIBERTY STANDS STILL」。「リバティ(ヒロインの名)は立ち往生」ってのと「自由は敢然と存在せり」を掛けてるわけ。あれですな。ウェズリー・スナイプスの「おれも『ジョンQ』みたいな社会派映画に出たい!」という有無を言わせぬワガママから作られてしまった不幸な映画ってこってすな。監督・脚本はTV版「ニキータ」のカリ・スコグランド。フィオレンティーノの夫にオリバー・プラット。相変わらず苛められ役が絶品のリンダ・フィオレンティーノは、人目を惹くために公園で突然ハダカになったりすんだけど、そこは明らかにボディ・ダブルなのだった。ちぇっ

★ ★ ★
ネイムレス 無名恐怖(ジャウマ・バラゲロ)

スペイン産のサイコ・ホラー。5年前に連続殺人犯に6歳の娘を惨殺されてから、夫とも別れ、喪失感を埋められないままの編集者のヒロインのもとへ「ママ、わたしは生きてるわ。助けに来て」という電話がかかってくる…。つまり、ハリウッドでリメイクされるとしたら主演は絶対にアシュレイ・ジャッドというジャンルの映画である。原作は英国人ホラー作家 ラムジー・キャンベル(ラムゼイ・キャンベル)の「無名恐怖」。彩度を落とした色調。短いカットで挿入されるショック映像…と「セブン」の映像スタイルの直接の影響下にある作品だが、話はなんと[邪教]ものである。「ネイムレス」っちゅうから「名前なき殺人者の恐怖」を描いたスリラーなのかと思ったら「ネイムレス」というのは[カルト宗教集団の名前]なのだった。つまり命名としては「サンタリア 魔界怨霊」と同じパターンなのね。話がどこへ進んでいくのか見当がつかない前半はスリリングだったが、後半の展開が尻すぼみ。思いっきり後味を悪くしようと企んでるエンディングもそれほど有効に機能していない。 ● 監督は34歳の新人 ジャウマ・バラゲロ(JAUMEって「ジャウマ」と「ハウメ」のどっちの読み方が正しいの?) 冒頭に6歳の少女の惨殺死体(SFX)を詳細に検屍するという、これがハリウッド映画だったら問答無用で星1つな描写があるのだが、まあスペイン人のやることだから今回は大目に見ておく。

★ ★
ノボケイン 局部麻酔の罠(デビッド・アトキンス)

上客中心で商売繁盛。有能なアシスタントの看護婦との結婚も控えて順風満帆な中年歯科医が、深夜に飛び込んできたパンク娘の誘惑に負けて(かねてからの夢だった)診察台での激しいセックスを堪能するが、翌日、出勤すると保管キャビネットの麻酔薬がゴッソリと消えていて…。嘘に嘘を重ねるうちにいよいよのっぴきならない立場に追い込まれていく主人公・・・という「主人公が酷い目に遭う」タイプのサスペンス。 ● スティーブ・マーティン主演だがコメディではない。ま、それでも「保身第一の小心者中年」にマーティンというのはわかるのだが、ヒロインである「有能で美しい歯科助手」と「男たるもの到底誘惑には逆らえないパンク娘」を、ローラ・ダーンと「猿」後のヘレナ・ボナム・カーターに振るのは無理があり過ぎる。ほかにリース・ウィザースプーンとヘザー・グラハムとか、あるいはティア・レオーニとエリザベス・ハーレーとか、いくらだってそれらしい組合せはあるでしょうに。 ● 監督&脚本は「アリゾナ・ドリーム」の脚本家でこれが監督デビューとなるデビッド・アトキンス。これ、そもそも主人公が「彼女に浮気がバレるのがコワい」程度ならまだしも、医師免許剥奪とかゆー危機に至っても警察にすべてを話さない理由が皆目わからないので、観客が映画について行けんのだ。ローラ・ダーンが習ってるという設定のテコンドーの描き方も不快。唯一、ケッサクなのが「警察の捜査過程をフィールドワーク中」という設定で、刑事に代わって主人公にいろいろと質問をして苛つかせる「アホな人気映画スター」役のケビン・ベーコン(!)。やっぱラストには完成したケビンくん主演の刑事映画を写してくんないと。

★ ★
トム・ベレンジャー in 処刑岬(ジョージ・ミハルカ)

B級映画の流刑の地=シネマメディアージュ13番スクリーンで昼2回のみの1週間上映。 ● カナダ映画。犯人の正体を最初から観客に明かしてしまう構成のサスペンスなので書いてしまうが、本作でトム・ベレンジャーが演じているのは女性専門のシリアル・キラーである。この殺人鬼の手口は「頼りになる男」として独身女性に近づき、愛し合うようになり、相手を「幸せの絶頂」にしたところで心臓をナイフでひと突き。なんでそんなややこしいことするかって? 知らんよ。おれに聞くなよ。子どもの頃のトラウマとかいろいろあんだよ。 ● 冒頭でひとり始末したべレンジャーが流れてきたのが最果ての漁村。「小説執筆のために休暇中の大学教授」と偽って岬の灯台(WATCHTOWER=原題)の管理人の職を得る。灯台守はもうひとり、執行猶予中の若者がおり、その保護者代わりの姉は三十路やもめの女漁師。「頼りになる父親像」的魅力で若者を手なづけたベレンジャーは、姉と付き合いはじめる…。 ● 観客は全員、トム・ベレンジャーがシリアル・キラーであることを知ってるわけで、だんだんとその偏執狂的な正体が露呈していく過程がサスペンスになる・・・はずなんだが、なにしろベレンジャーったら、最初に殺してからは基本的には終盤までなんにもしないので、手数が足りず途中が退屈。ヒロインのカナダ女優レイチェル・ヘイウォードの濡れ場もあるんだが、演技力はともかく外見がケイト・ネリガンなので、あんまり嬉しくない。トム・ベレンジャーのファン以外にはお勧めできない。 ● ちなみに先週ここで「クライム&ダイヤモンド」を観たときに、本作のチラシをくださいと劇場のおネエちゃんに頼んだら「上映が始まったら配布します」とか言って(公開前週なのに)くれないんだよ。で、今日行ったら劇場出口で「本作品はパンフレットを製作しておりません。チラシをお持ちください」とかいって置いてあんの。それってチラシ本来の目的と外れてないか? てゆーか、K2エンタテインメントはそんなつもりで、なけなしの宣伝予算を割いてチラシを作ったんじゃないと思うぞ。

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ネバー・セイ・ダイ(ジョン・グレン)

B級映画の流刑の地=シネマメディアージュ13番スクリーンで夕方2回のみの1週間上映。 ● アラブ(パレスチナ)の凄腕テロリストと、イスラエル情報局所属の外人部隊の対決。メインのロケ地はルクセンブルクとエルサレム。クレジット上は「イギリス=フランス=ルクセンブルク大公国の合作」ってことになってるが、明らかにイスラエル資本による一種のプロパガンダ映画である。製作には「ドッペルゲンガー 憎悪の化身」「タイムボンバー」の(名前からして明らかにイスラエル系の)アヴィ・ネッシャー監督の名前も見える。原題は「THE POINT MEN(暗殺部隊)」で、冒頭に主人公のナレーションが「アラブとユダヤ人が戦争をして、互いに暗殺部隊を持って殺し合ってた」みたいなことを言う。たしかに物語はイスラエル側の視点から語られているし、敵方のアラブの「政治闘争の戦士」はテロリストと呼称はされるのだが、本作には「お互いにやってることは同じ」という視点が最後まで貫かれている。「もういい加減に止めようやこんなことは」という声すら聞こえてくる。「アラブ=テロリスト=人殺しの極悪人」というステロタイプに何の疑問もさし挟まぬハリウッドのアクション超大作よりも、イスラエルのプロパガンダとして作られ、ビデオ屋の棚の片隅で忘れ去られるB級映画のほうがまともな視点を持っているというのはなんとも皮肉だ。 ● 中身は出来の悪いスパイ・アクションである。監督は「007」のロジャー・ムーアのケツ3作とティモシー・ダルトンの2本を撮り、マーロン・ブランド版「コロンブス」(1992)の大失敗で第一線からホサれたジョン・グレン。Vシネで活躍してる小澤啓一みたいなもんだな。主演に、ユダヤ帽の似合わないこと甚だしいクリストアァー・ランバート。パートナーに「インティマシー 親密」のケリー・フォックスと「007 リビング・デイライツ」のマリアム・ダボ。後者にはヌードもあるんだが、それが有難いんだかイマイチ微妙なところ。

★ ★ ★
ファイティング・ラブ(ジョー・マ)

なんでも世界でいちばん婚期が遅いとかいう香港の年増OLたちの絶大な支持を得たサミー・チェン(鄭秀文)の「Needing You(孤男寡女)」に続く主演作。相手役をトニー・レオンに変えて、話はやはり年増OLラブコメものである。監督・脚本はジョー・マ(馬偉豪)。じつはこの2人、かつて1996年に人気コミックスを映画化したラブコメ「百分百感覚 FEEL 100%」とその続篇「百分百[ロ岩]FEEL」で一斉を風靡した監督&主演コンビ。この2作は、当時 大ブームだった古惑仔ものでもなく、カンフーでもエロでもグロでもないとあって日本には未輸入のまま(おれも未見) 「ファイティング・ラブ」はたしかに「Needing You」の二番煎じかもしれないが(てゆーか間違いなく二番煎じだが)日本のトレンディ・ドラマのパクリ映画(…を作ってるつもりなんだけどコテコテ・ギャグが加味されてどー観ても「香港映画」としか言いようのない代物)の先駆はジョー・マなのである。多分。 ● というわけで香港の元祖トレンディ・ドラマ男(推定)の手になる本作は、理不尽な理由で会社をクビになったやり手(=イライラギスギスガミガミ)の年増OLが、クルマの接触事故がもとでケンカ友だちになった牛モツ屋の若旦那の家に転がり込むが、若旦那には有名芸能人のフィアンセがいたのでした。はたして彼女は見た目=佐藤江梨子で性格=神田うのなフィアンセを蹴落として、しかも秋野暢子 似の姑にも認められて、牛モツ屋の若旦那の愛を得ることが出来るのか!?…という話。原題は「同居蜜友 FIGHTING FOR LOVE」。うーん。これってト、ト、トレンディ!? ● 「Needing You」のときは(おれ的には)それほど良いと思わなかったサミー・チェンだが、「Needing You」「痩身男女」と観てきて情が移ったのか、本作では「ああ、キレイだ」と思う瞬間も何度か。イビキをかいて寝てる姿を「いとおしい」と感じるなんざ完全に作者の術中にハマッてますな。 「花様年華」でカンヌ映画祭最優秀主演男優賞に輝いた受賞第1作に「牛モツ屋」を選んで香港役者魂を見せるトニー・レオンは、下町の牛モツ屋の若旦那なんだけど名物の牛モツ麺が日本人観光客に大人気で(あと宝クジに2度当たったので)山の手の豪邸に住んでるという不思議な設定。自分でもサミー・チェンが好きだと判ってるのに香港男の常としてフィアンセの前ではアタマが上がらないダメ男クン。 そのフィアンセにモデル出身の新人女優ニッキ・チョウ(日記帳 周麗[王其]) ● ラブコメとしては肝心の、主人公がヒロインを選択する件りの脚本がぐずぐずで締まりがないんだけど、香港映画ファンにとっては愛すべき一品。

★ ★
クライム&ダイヤモンド(クリス・ヴァー・ヴェル)

いつものお台場シネマメディアージュ13番スクリーンで2週間限定上映。 ● ダイナーにいかつい男が2人。「バート・レイノルズがバンジョーを弾く映画って何だっけ?」とか話してる。場面変わって何とかパレスって感じの古い映画館の2階席で「ティファニーで朝食を」のラストシーンに涙を流すティム・アレン。かれは昔の映画を何よりも愛していて「批評家ジム」と異名をとるプロの殺し屋で、クライアントの求めに応じて早速、クリスチャン・スレイターを拉致してくる。ところがクリスチャン・スレイターは、おれはあんたの捜してる人間とは違うんだこれにはいろいろとわけがあって。よし話してみろ映画みたいに面白い話だったら見逃してやらんでもない。で、回想が始まる…というタランティーノの映画オタク的側面を強調した出来の悪い亜流。 ● ここでクイズ。刑務所を脱獄して、野原の大樹の根元に埋めたダイアモンドを掘り出しに行った主人公。変わり果てた現状に呆然。さてそこには何が建っていたでしょう?・・・正解は皆さんが最初に思い浮かべて「いくらなんでもそんな安易な」と否定したモノである。監督・脚本の新人クリス・ヴァー・ヴェルはこの手の話を撮るには独創性が無さすぎる。それと、いくらコメディ・タッチの作品とはいえ、なまぬるい時間ばかりが流れていき、どの映画にも必ずある「真実の瞬間」を欠くのもイタい。ラブ・ストーリーのパートなどあれのどこに説得力があるというのだ? ● 原題は「WHO IS CLETIS TOUT?」。クレティス・トウトなる人物に間違えられる主人公に(どーでもいい脇役ばかり演ってるうちに輝きを失ってしまったのが哀しい)クリスチャン・スレイター。 なにかというと古い映画の台詞を引用する殺し屋にティム・アレン。「古い」映画といいつつ「天国から来たチャンピオン」(1978)とか「愛と追憶の日々」(1983)あたりまで含まれるんだけど、線引きはどの辺にあるのかね?(スピルバーグ以前?) てゆーかこれ、明らかにダニー・デヴィートの役だよな。 スレイターが獄中で知り合う「年老いた金庫破り」にリチャード・ドレイファス。スレイターと並ぶと(かなり身長が低いほうの)スレイターよりさらに小っちゃいのが判るのだが、劇中で容姿を描写する場面で「身長175cm」って…嘘つけ! ドレイファスの娘で、脱獄したスレイターと行動を共にするヒロインに「アリー my ラブ」のポーシャ・デ・ロッシ。デビュー作が「泉のセイレーン」のセイレーン役ってことは例の3人の裸女の1人ですね。 ちなみにアメリカでは、この7月にアメリカのシネマメディアージュ13番スクリーンで限定公開されたばかり。

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トータル・フィアーズ(フィル・アルデン・ロビンソン)

いや、これはレビュウではないのだ(しかも ややネタバレ) 娯楽映画としては充分に ★ ★ ★ ★ 級の力を持っている傑作だと思うが、途中からある事にショックを受けて、映画を楽しめなくなってしまったのだ。こんな馬鹿サイトで朝日新聞みたいなこと言ったってしょーがないとは思うんだけど、まあ聞いてくれ。 ● 中盤のストーリーを明かしてしまうが、この映画ではスーパーボウルの会場でテロリストの仕掛けた核爆弾が爆発して、ボルチモアの街がふっ飛ぶ。それをきっかけにアメリカ=ロシア両国は疑心暗鬼の臨戦体制に突入。終盤は全面核戦争のフェイル・セイフのサスペンスが展開する。 ● つまり「ブラック・サンデー」の後を描いた作品であり、そこにこそ、この映画の眼目がある。それはわかる。それはわかるが、そこでおれは引っかかってしまったのだ。はたして娯楽映画の──悲劇的なクライマックスでさえなく──ストーリーを展開するきっかけとして、数万人(数十万人?)の命を犠牲にしていいものだろうか? SF映画で何度 人類が滅亡しようと、巨大な円盤がホワイトハウスをふっ飛ばそうと気にはならないし、地球に隕石が激突するカタストロフを描く映画で都市が壊滅しても、それで憤ったりはしない。なんで本作が許せないかというと多分、リアリティを売りものにしたポリティカル・サスペンスでありながら、大勢の人の死の重みが「1人1人の積み重ね」としてではなく「総体」として一瞬の閃光だけで記号的に処理されているのがイヤなんじゃないかと思うが、じつのところ自分でもよく解からない。実際、フィル・アルデン・ロビンソンは 9.11 に配慮して敢えて死の実態を描かなかったのだと明言しているし。 ● ただ、はっきりしてるのは「エンタテインメントなら何をやっても許されるというわけではない」ということ。たとえ真摯に世界平和を願って作られた映画であったとしても(拡大公開されるような商業映画においては)人の死は相応の敬意を持って描かれるべきだと思うのだ。どこまでが良くて どこからが駄目なのか、ハリウッド映画はNGでも香港映画ならOKなのか、踏み越えてはいけない一線は何処にあるのか──自分でもよく解かってないので今回は判断保留。星は付けない。ただ、本作はあえて一線を踏み越えた映画として必見。 ● まあ、この娯楽映画の本質的な問題に較べれば、曝心地の死の灰の降る中を右へ左へ走り回ってたベン・アフレックや、そのカノジョの、マスクもせずに被曝患者の寝ずの手当てを続けてた看護婦が、ラスト、平和の回復された世界で末永く幸せに暮らしましたとさメデタシメデタシ…って、原爆をナメるな。てめーら確実に死んでるよ!…なんてのは、いつもの瑣末なツッコミに過ぎない。

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悪魔の毒々モンスター 新世紀絶叫バトル(ロイド・カウフマン)

例によって例のごとくの、血とチチまみれの品性下劣で退屈な…いやつまり、いつものトロマ映画である。「悪魔の毒々モンスター4」というタイトルで昨年の東京ファンタで上映された際には例によってロイド・カウフマンのおっさんが開映前のステージに登場。いきなり「おっはー!」とカマしたあとで日本の観客にリップサービスしまくったあげくに、塩田時敏と「骨まで愛して」をデュエットし、本人曰く「アメリカじゃオスカーよりも権威ある」毒々アワードの盾を東京ファンタ事務局と日本の配給会社に授与したところで、特別出演の毒々モンスターにモップでブチ殺され、そのままずるずると引き摺られて退場していった。まこと見上げた芸人魂である。芸人じゃないけど。 ● 今回の「毒々」はトロマとしても久々の勝負作のようで、モップを持ったスーパーヒーロー「毒々モンスター」が善悪2人登場するのに加えて、善悪2人のカブキマン、さらには狂牛マンにイルカマン、バイブレーターにマスターベーターといった正義のヒーローが総出演する豪華版で(…ま「豪華」の定義にもよるが)お話はなんとパラレルワールドもの。平和なトロマ町で活躍する「毒々」と、荒廃したマロト町を荒らしまわる「悪毒」がそれぞれ相手の世界に次元スリップしてしまう・・・などと書くと皆さんが「あら面白そう」なんて観に行っちゃうといけないので御注意申し上げておくが、これはトロマ映画としては傑作の部類だが、普通の人が観ても決して面白くない映画なので念のため。原題は「CITIZEN TOXIE: THE TOXIC AVENGER IV」で「市民ケーン」のパロディも申し訳程度に含まれている。

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春の日は過ぎゆく(ホ・ジノ)

「八月のクリスマス」のホ・ジノ(許秦豪)の第2作。日本=韓国=香港合作で、松竹が製作費も出している。 ● ひなびた海岸で波の音を録音しながら うたた寝をしていた音響効果マンの青年が、家に帰ってナグラのオープンリールを聞いてみると、6ミリ・テープには涼やかな声の鼻歌が録音されていた。青年はその声にすっかり心を奪われてしまう・・・というのはじつは、榎本敏郎のデビュー作「禁じられた情事 不倫妻大股びらき」(1996/脚本:井土紀州&榎本敏郎)の冒頭なのだが、「春の日は過ぎゆく」には ほぼこれとそっくり同じ場面があるのだ。まあ韓国の注目若手監督が日本のピンク映画を観てる可能性は低いだろうから偶然の一致だと思うが、それともほかに「自然音を収録していた音効マンが偶然、女性の鼻歌を録音してしまう」という元ネタがあるのだろうか?(知ってる人がいたら教えて) ● さて本作。ふだんは新宿あたりの録音スタジオでアニメの音効やってる青年が、バイトで、金沢のFM局が流してる「人と自然」っちゅう「さまざまな自然の音に女性アナのNHK的お便りが被る」という地味ぃな深夜番組のために、その番組の「DJ兼ディレクター兼 構成作家 兼テープ編集」の、色白で持田真樹 似の女性キャスターと地方巡りをするうち恋に落ちて…というラブ・ストーリー。男は両親とアルツ気味の婆っちゃんと同居してる好青年で、女はインスタントラーメン好きで部屋の片づけが苦手でキムチも漬けられない三十路のバツイチ女。蜜月を過ごす2人だが、やがて女が松任谷正隆 似のヒゲ&グラサンの音楽評論家に心移りして、青年は心破れ…という、典型的な「田舎青年と都会女」パターンなんだけど「田舎青年」が東京にいて「都会女」が金沢と、ひっくり返してあるのがミソ。しっかしいくら遠距離恋愛たって毎週毎週、日本アルプス越えて金沢まで通うってのは無理がねえか? てゆーか金沢にも録音技師ぐらい居んだろよ。てゆーか深夜に「川のせせらぎ」だの「竹林を吹きぬける風」だの聞かされた日にゃ深夜便の運ちゃんは居眠り運転必至。危なくてしゃーないわ。 ● あ、いやまあ、てゆーか、なにせ「八月のクリスマス」の監督だから「リメンバー・ミー」のユ・ジテ(劉智泰)演じる青年が例によって悲しいことがあってもいつも静かに笑ってんのよ。なんか無性に虫唾が走るんだよねおれ>こーゆー奴。実際、やな奴なんだよ。ひとが二日酔いで寝てんのに朝っぱらから「二日酔いに効くスープ作ったから、さあ起きて起きて!」とかご親切にも起こしに来やがってこっちが「もっと寝てたいの」と言うと、例によってフッと悲しそうに笑うの。キ────ッ! 映画は、恋に破れた主人公が写真館をオープンするところでジ・エンド(嘘です) その点、ヒロインの「JSA」のイ・ヨンエ(李英愛)はいいね。ときどき思い出したように電話をかけてきてヤラせてくれる元カノジョって理想的だけどなあ。思わぬボーナスって感じ?(はいそうですねサイテーですね自覚してます) ● タイトルは婆っちゃんが歌う昔の流行歌の歌詞から。あと「音」を扱った映画なのに、ところどころサウンドトラックに完全無音の箇所があるのがスンゲー気になるんですけど(フツーの映画だと「沈黙」を表現する音があるのに、本作ではそこだけ「サウンドトラックが物理的に存在しない」ような感じなのだ)

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世界で一番醜い女(ミゲル・バルデム)

次から次へとヘンテコファンタスティコな映画を送り込んでくるスペイン映画界の新作。舞台は近未来2011年のマドリッド。あまりのおぞましさに産みの母さえショック死したほどの世界で一番醜い女が、最新DNA整形によってスーパーモデルに変身。いままで自分を蔑みつづけてきた世間への復讐として歴代ミス・スペインを次々と惨殺していく・・・という、つまりアレックス・デ・ラ・イグレシア「ハイル・ミュタンテ! 電撃XX作戦(未来世紀ミュータント)」の醜女版である。誰にも理解されないヒロインをゆいいつ理解するのがマドリッド市警のハンサムな警部で、なぜなら警部には人に言えない身体的秘密があって…って、やりたいことは解かるんだが、肝心の演出が付いていってないとゆーか、きっとこの新人監督はどのキャラにも思い入れがなく、ただ「どうすれば話が面白くなるか」だけを考えているのだろう。監督がキャラを愛してあげなかったら人の心は打たない。いや、こんな映画で人の心を打ってどーする!?という意見も御座いましょうが、かといって話の畸形さだけで魅せるにはからきしパワー不足。

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パワーパフ・ガールズ ムービー(クレイグ・マクラッケン)

社会適応性に欠ける独身のオタク化学者が「お砂糖とスパイスとステキなものぜんぶ」と、ちょっとした化学薬品を混ぜ合わせて作った、自分だけとぉーってもカワイイ女の子3人組の幼稚園児と同居することに。最初はそんなぼくたちを白い眼で見ていた街の人たちも最後には快く受け容れてくれましたメデタシメデタシという願望充足ファンタジー・・・誰の?(火暴) いやあれですよ。「超人的パワーを持った子どもと、保護者の大人」というパターンは「鉄腕アトム」のバリエーションなのだが(その原型が「フランケンシュタイン」にあるのは言うまでもない)愛情と厳しさをあわせ持つ典型的父親像(fatherly figure)だったお茶の水博士と違って、本作のユートニウム博士はケイリー・グラントというか「奥様は魔女」のダーリンみたいなキャラで、ガールズをデレッデレに溺愛してるのである。あれかね。おれは女の子だったことがないのでよう判らんけど、この番組の主要視聴者層である「幼稚園から小学生の女の子」たちにとっては、ハンサムで決してあたしを叱らないパパとのスウィートな2人暮し+ときどき街で大暴れ…ってのは憧れなのかね? つまり「口やかましいママなんて要らないもん!」ってこと? 夏休みで娘さんにせがまれて付き添いで映画版を観に行ったお母さんはフクザツだろうねえ。テレビシリーズでも「母親」の存在は無視されたのままなのかな? ● まあ、でも描線の太い独特な絵柄による、マッハのスピードで空を飛び、ドングリまなこからはレーザー光線を発する幼稚園児3人組の活躍は、おれのようなケイリー・グラントから観ても(誰がや!)たいへんに面白く、利発&めそめそ&オテンバと3タイプそろったキュートなヒロインの生態を眺めてるだけでも充分に楽しい。しかもストーリーは「他人より優れた能力をもつために差別を受けるヒーローの苦悩」という本格的なもので、結局は「移り気な大衆の怖さ」が炙り出されるところなど明らかに「スパイダーマン」よりも優れてる。81分。アニメーション制作はラフ・ドラフトという韓国のスタジオのようだ。 ● なお、同じ作者による、天才幼児科学者を主役にした「デクスターズ・ラボ 水疱瘡の巻」(←正式な邦題がわからない)という観てるこっちまで痒くなりそーな5分の短篇がアタマに付いている。 ● [追記]併映短篇の邦題は「デクスターズ・ラボ ニワトリ男の恐怖」のようだ。BBSで「女の子と父親」パターンの直接的な元ネタは「Dr.スランプ」では?という指摘があった。たしかにそのとおり。

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ダスト(ミルチョ・マンチェフスキー)

「ビフォア・ザ・レイン」のミルチョ・マンチェフスキーの7年ぶりの第2作。現代NYでアパートに空き巣に入ったチンピラ黒人が、住んでるババアに逆に銃で脅されて、ババアの身の上話を聞かされるはめに。それは100年前のマケドニア独立戦争に身を投じたアメリカ人カウボーイ兄弟の話だった…。「ビフォア・ザ・レイン」の作者のことだからどうせ最後には叙述トリック的なオチが付くのだろうが、なにしろ語られる話そのものが退屈で飽きてしまった。1時間ほどで途中退出。

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ゴースト・オブ・マーズ(ジョン・カーペンター)

スゲーなあ。「火星の幽霊」ってタイトルだから「ホラーSF」かと思ったらホラーでもSFでもないでやんの。じゃ何か?というと、これが「要塞警察」のリメイクと言ってもいい西部劇アクションなの。西部劇だから敵の火星人は「ゴースト」っつうより、どー見ても野蛮な首狩り族のインディアン(←インディアンに首狩り族は居らんというツッコミは禁止ね) 舞台が火星だからって「光線銃」なんか使いませんよ。使うのは あくまで鉛の玉を発射するトラディショナルな銃のみ。もちろん弾が当たったって火星人がシュウゥゥゥと霧散したりはしない。てゆーか、アクションの中心はガッツンガッツンの殴り合いなのである。いいのかそんなんで!? いいのだジョン・カーペンターだから。だってあなた居ませんよイマドキこんな時代遅れの古典的な活劇を堂々と撮っちゃう監督なんて。エムチービー? 何それ?って感じ。いちおうヒロインの回想劇のスタイルを採用してるのに第三者の記憶まで平気で回想されるし。イーカゲンだなあ(←褒めてる) グッチョングッチョン・アーンド・首チョンパの特殊メイクはKNBエフェクツ。今回もカーペンター自作自演の音楽には、なんとアンスラックスが共演。たしかにある意味、最強の映画かも。 ● 火星では、なんでか知らんけど(てゆーかたぶん意味もなく)「女性上位社会」ってことになってて、偉い人とか火星警察の隊長さんとかはみんな女性。ヒロインのナターシャ・ヘンストリッジは金髪碧眼(グリーン・アイズ)の制服警官。脱ぎはないけど、定番の「エイリアン」な巨乳ズドーンなタンクトップ&パンティ姿には秋本鉄次ノックアウト必至とみた。

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M II B
メン・イン・ブラック2(バリー・ソネンフェルド)

SFX & CG:インダストリアル・ライト&マジック 特殊メイク:リック・ベイカー
このシリーズにおけるギャグの基本形は2つ。1つは「ボケ・キャラのしょーもないギャグを相方がデッドパンで受ける」というもので、ウィル・スミスとトミー・リー・ジョーンズの掛けあいはほとんどこのパターン。ところがこの続篇ではトミー・リー・ジョーンズが引退しちまってるという設定のため、前半はウィル・スミスに「コワモテのデッドパン」の役割りが割り振られており、ギャグがいまいち有効に機能してない。 ● 2つ目のパターンが例の「見た目は えらくチャチいのに威力は超強力なレーザーガン」に代表される「外見の落差ギャグ」で、今回の悪役である「見た目はヴィクトリア・シークレットの下着モデルだけど、中身はおぞましい触手体エイリアン」はこのパターンの応用。この役には、もともとはファムケ・ヤンセンがキャスティングされてて、実際、数シーンは撮影が済んでたらしいけど、姐さんが「身内の不幸」で降板。急遽、ララ・フリン・ボイルにお鉢が回って来たんだそうだ。「男を食い尽くすおっかないネーチャン」にララ・不倫・ボイルってのはつくづくナイス・キャスティングだな。おれも耳をレロレロされたいとかちょっと思ったり(火暴) ● ウィル・スミスとイイ感じになるブラック・ビューティにロザリオ・ドーソン。この人、左右の小鼻の形がズレてますね。 エージェント志願のダメ見習いクンに特別出演の某スター。「ボクもメン・イン・ブラックに入れて」って、キミちっともブラックや無いやん。 ● 既報のように、世界貿易センタービルで収録済みだったクライマックス・シーンを、例の9.11騒ぎでクライスラー・ビルで撮り直したわけだが、それってあの「屋上」がそうなの? でもクライスラー・ビルっててっぺんトガってたよなあ? あと、おれあんま星座とか詳しくないけど、あれ「オリオン座」だよなあ? オリオン座って冬の星座じゃなかったっけ? ● 上映時間わずか85分。夏の大作感のかけらもない軽〜いB級SFXコメディ。終わった瞬間にニューラライザーであなたの脳味噌から映画の内容を完全に消去してくれるので、ひとときの暑さしのぎに最適かと。

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海は見ていた(熊井啓)

「本覚坊遺文 千利休」の加藤剛の搾りだすような「銘は、…命」という台詞(と芝居)に厭気がさして席を蹴って以来というもの「式部物語」「ひかりごけ」「深い河」「愛する」と一向に食指が動かず「日本の黒い夏 冤罪」では遠野凪子の制服姿にちょとピクリとしたものの、けっきょく足は運ばずじまいだったので、熊井啓の新作を観るのは13年ぶりである。げに乳首のチカラとは偉大なもので…って、いやべつにそれだけが目当てって訳じゃなく、ひさしぶりに肩の凝らない娯楽映画っぽい匂いがしたのだよ。 ● 脚本:黒澤明…とはいっても書いたのは「まあだだよ」の後らしいから出来のほうはむにゃむにゃ。だいたい話が前半と後半でまっ二つ。最後に空からカエルが降って大団円という構成はどうなのよ? 出てくる女がみんな辰巳芸者ってよりは、それこそ八王子あたりの田舎女郎みたいだし。まあ、でも黒澤版の想定キャストは原田美枝子+宮沢りえだったらしいから、それを晩年の黒澤演出で観せられるよりは今回の熊井版のほうが良かったんじゃないかと思う。いや、もちろんマキノ雅弘で観られりゃ最高なんだけど。それでも、普段「なんちゃって時代劇」ばかり見せられてると、所作や着付けがきちんとしてるだけで嬉しくなってくるし、木村威夫のセット美術の素晴らしさは言うまでもない。まあ、台詞まわしはずいぶんと現代的だけれど。 ● ヒロインの遠野凪子は感情が激すると変な声になるという不思議な欠点があるのだが、まあ頑張ってる。初脱ぎ。 お武家くずれのインテリ芸者・清水美砂は「いい女」に見えないという致命的な欠点があるのだが、まあ健闘してる。今回は脱いでも乳首死守。 女郎屋の女将に野川由美子。かつての彼女ならば遠野凪子の役でも清水美砂の役でも百倍うまくこなしたという気がするのは、やっぱりいまは女優不足なのか。 たとえば つみきみほ の役など典型的な辰巳芸者キャラなんだからいちばん演りやすいはずなのに、観ててじれったくなってくる。向かいの宿の女郎役で ちょっとしか写らない土屋久美子にでも演らせたほうが、まだ良かったんじゃ。 それとか、人の善い妹分キャラになにも河合美智子なんぞを連れてこなくとも、もっとアイドルっぽい子はいないのか。 ● てゆーかこれ、関本郁夫 監督とかで濡れ場満載の東映映画にしたほうが絶対に面白くて泣ける映画になるのになあ。だいたい前半の遠野凪子と吉岡秀隆のエピソードなんて(山本周五郎 先生に畏れ多いことではあるが)「遊女の恋」なのに肌ひとつ合わせないのは説得力ゼロだと思うけど。 ● 男優についても少し。吉岡秀隆はいつまでたっても満男や純のまんまでぜんぜん駄目。永瀬正敏は意外と時代劇にハマる。色悪・奥田瑛二と御隠居・石橋蓮司は慣れたもの。てゆーか、ラストカット(もしくはエンドロール・バック)はどー考えたって「木場の若い衆(わかいし)に舟を漕がせてやって来る じつは材木問屋の大旦那だった石橋蓮司」以外にありえんでしょーが。

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アイ・アム・サム(ジェシー・ネルソン)

いやたしかに皆さんの仰有るとおりダコタ・ファニングちゃんは死ぬほどカワイイショーン・ペンは入魂の演技を見せているし(予告篇にもあった)ケーキの箱を持ったままスッ転ぶときのコケ方は見事の一語。この2人の天才にくらべるとミシェル・ファイファーは分が悪いけれど、それでも健闘してると言っていいと思うし、何より意外なところで1シーンだけ登場するメアリー・スティーンバージェンが素晴らしい。だからさ。そうした「観るに値するもの」をきちんと見せてくれよ。エリオット・デイビスなるカメラマン──その40本にものぼるフィルモグラフィにはソダーバーグの「アウト・オブ・サイト」や「蒼い記憶」なども含まれる──による撮影は、まるで歩くことを覚えたばかりの幼児のようにせわしなく、あっちへふらふらこっちへよろよろ右を見たり左を見たりキョロキョロと落ち着かないことこの上ない。なんだろうあれはドキュメンタリーっぽくしてるつもりなんだろうか? 本年度最低撮影賞。

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ラッキー・ブレイク(ピーター・カッタネオ)

「フル・モンティ」の脚本家の最新作だの「フル・モンティ」の製作会社が贈るだの、子どもの頃「フル・モンティ」の隣りに住んでましただのといった惹句はいいかげん聞き飽きたかとは思うが、いちおう本作は正真正銘「フル・モンティ」のピーター・カッタネオ監督の2作目である。「フル・モンティ」の世界的なヒットによって、イギリス映画界には「失意の中にある共同体が一見 恥ずかしく思えるような突飛なことに挑戦して誇りを取り戻す」というストーリー・ラインを持った作品が、雨後の筍のようにニョキニョキニョキニョキとそこらじゅうに生えてきて、なんか一時は製作されるイギリス映画の2本に1本は「フル・モンティ」ものだった感がある。 ● じつをいうと本作も「不運な巡りあわせで服役している心優しい囚人たちが所長主宰のミュージカル公演にかこつけて脱走を計画する」というみごとなまでの百番煎じなんだが、さすがはイギリス映画界を代表する松竹大船調の名手だけあって、笑いと感動の匙加減の旨さは一頭地を抜いている。ただ、あれなんだよ。刑務所が舞台で主要登場人物は皆、犯罪者なのに、この映画には悪人が1人もいないんだよ。なんか半数ぐらいは冤罪なんじゃねえかって感じ。憎まれ役は例によって「意地悪な看守」なんだけど、これとてせいぜい小悪党のレベル。あれだ。三木のり平なべおさみしかいない刑務所みたいなもんだな。全体の印象がぬるいのは話に高低差が不足してるからだ。たとえば「限りなく無実に近い善人が家族に捨てられて死を選ぶ」よりは「重罪を犯して家族に捨てられた犯罪者が自業自得を了解して自殺する」ほうが泣けるとおれは思うし、同じハッピーエンドにしても「懲罰房を喰らうのも巻き添えにしか見えない不運な男が愛を選ぶ」よりは「ときに自分の中の暴力衝動を抑えきれない懲罰小僧が悔い改める」ほうが感動的だと思う。ニコラス・ケイジと「コン・エアー」ボーイズで観てみたかったな。 ● 更生プログラムの担当カウンセラーという掃溜めに鶴なヒロインに「シックス・センス」でブルース・ウィリスの奥さんを演ってたオリビア・ウィリアムズ。こうしてイギリス映画に嵌めてみると、眉毛は太いし、微妙にブス入ってるし、やっぱイギリスの女優さんだな。いや、好きだけど。 ミュージカル好きで、囚人たちに自作のミュージカルを上演させる好々爺な刑務所長に「サウンド・オブ・ミュージック」の(!)クリストファー・プラマー。 「フル・モンティ」ものなので当然ティモシー・スポールが出ている。

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セッション9(ブラッド・アンダーソン)[キネコ作品]

築130年の精神病院の廃墟を州の施設に改装することになり、石綿(アスベスト材)などの有害建材を除去するために専門の解体屋が入る。5人の男たちが特別ボーナス欲しさに3週間分の仕事を1週間であげるべく、廃墟にこもって長時間の作業をするうち、そこにいた何かが男たちの精神を蝕んでいく…。 ● 明らかに「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」の影響下に作られたビデオ撮りホラー。「何か」の正体と、取り憑かれたのは「誰か」の2つでサスペンスを張る。「マイ・ネーム・イズ・ジョー」のピーター・ミューラン、「死の接吻」のデビッド・カルーソといった芝居巧者を得て、「ワンダーランド駅で」のブラッド・アンダーソン脚本&演出は「BWP」より よほどまともなプロの仕事である。本物の精神病院の廃墟の、実際にロボトミー手術や電気ショック療法が行われた場所でのロケが、禍々しい空気を伝える。ただ、その迷路のような構造が大きな魅力なのだから、終盤に登場する「施設を一望する空撮」は冒頭にあるべき。 ● しかしあれだな。連中、特別ボーナス欲しさにしゃかりきで働いてるはずなのに、ちょっと仕事しちゃあだらだらくっ喋ったりタバコを吸ったり、ぜんぜん仕事しねえの。あれなら日本の工務店なら正味5日で終わるね。 これ、ちなみにシネスコ・サイズなんだけど、ビデオカメラにもアナモ・レンズって付くの? それとも上下の画を半分近くカットしちゃってんのかな。もしそうだとしたら、ただでさえ画質が悪いのに馬鹿みたい。 ● 観終わってチラシの裏面を読んでたら出だしからいきなり「目の前に広がる漆喰の闇…」って、それはもしかして「漆黒の闇」のことですか? それとも解体屋の話だけに洒落のつもり?>アミューズ宣伝部。

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ディアブロ 悪魔生誕(リチャード・シーザー)

いまやB級ホラーの聖地、シネマメディアージュの13番スクリーンで夕方&夜2回のみの2週間上映。イギリスを舞台にしたドイツ資本のオカルト映画(でも邦題はなぜかスペイン語) 台詞は英語だが、イギリス&アメリカでは未公開のようだ。 ● グレートブリテン本島とアイルランドに挟まれた小さな島=マン島。日本でいえば淡路島ですな。ヒロインはそこのケーブルTV局のキャスターと結婚して以来、幸せな日々を過ごして来たヤンキー娘。だがある日、不気味なタクシー運転手から、初夜の晩に授かった今年8歳になる1人息子は夫の子ではなく、ヨハネの黙示録に語られる反キリスト(アンチ・クライスト)であると告げられる。ふと気がつくと、彼女を取り巻く島民の冷たい視線。不穏な空気。息子は、逆さ言葉の天才(MURDERを逆から読んでRED RUMとかを文章単位で自在に出来る)として夫のテレビに出演し、やがてイギリス本土でCNNで人気者になっていく…。 ● 世界の終末を阻止しようとするヒロインの孤軍奮闘は、はたから見れば「わが子を殺そうとする鬼母」でしかない…という言ってみれば「ローズマリーの赤ちゃん」の産後版である。あるいは「田舎でカルト集団に遭遇した都会人」ホラーの亜種。言うまでもなく、この話には「オーメン」というマスターピースが既に存在するわけで、あれに較べちゃうとネタが地味すぎて物足りないんだが、不気味な雰囲気はよく出ているのでオカルトものとか伝奇ものが好きなら楽しめるだろう。何よりヒロインが童顔のブロンド美人なので観てて飽きないってのがイチバン。「パラサイト」で大変なコトになっちゃうブロンド女子高生を演ってたローラ・ハリスっていう女優さんですな(撮影時24歳) あと「悪役が子どもの場合は殺してはいけない」という倫理コード(香港映画を除く)を非常に頭のよいやりかたでクリアしているのは感心した。


エントランス(スティーブ・カーペンター)

そしてこちらが昼2回のみの上映。いやまあ、おれもたいがいつまらん映画は観て来てるけど、これだけ出来の悪いのはひさしぶり。シネマメディアージュの上映時間を見たときにゃ「なんでこっちがメインじゃないの!?」と思ったんだけど、観れば納得。 ● 元カレとキスしてるのを見られた直後にカー・クラッシュでカレシは死亡。奇跡的に助かったヒロインの前にカレシの亡霊がチラつく…。そもそも「何がコワいんだか」よくわからない脚本。そろいもそろって紙のように薄いキャラクター。才気のかけらも感じられない演出。「ラストサマー」シリーズのニール・H・モリッツ製作とはいえ、よくアメリカで劇場公開したなあ。 ● ヒロインのグウィネス・パルトロウ系の薄倖ブロンドに新人メリッサ・セイジミラー。 はすっぱな同級生に「チアーズ!」の美人転校生エリーザ・デュシュク。 ヒロインのカレシにケイシー・アフレック。 元カレ(で今はエリーザのカレシ)にウェス・ベントレー。 そして本来ならば「ヒロインを助ける救世主」の役割のはずの「学園付き司祭」にルーク・ウィルソン。まあ、もともとこの人はデクノボー・キャラの人なんだけど、あれほど頼りにならなさそうな救世主は初めてだ。初めてスクリーンに映る場面が、庭かなんか掃いてて通りかかったヒロインに「やあ」かなんか言うんだけど、なんちゅうか おどれは無名のエキストラかい!ってほど存在感のないマヌケな登場ぶりに脱力した。 ● 原題は「ソウル・サバイバーズ」。提供の日本ビクターと配給のK2エンタテインメントとしては当然このほうがビデオが売れると踏んで「エントランス」なんてタイトルにしたんだろうけど、…そうかあ? エントランスって「入り口」だぞぉ。怖そうかあ? まだ原題まんまのほうがホラーっぽい気がするけど。それともあれか。ビデオ発売時には「エントランス ここは地獄の一丁目」とかになるのか!? ● 観終わってチラシの裏面を読んで唖然としたんだけど【…の車と急カーブで接触、崖下に転落してしまう。/病院のベッドで目覚めるキャシー。しかし[この事故で一体 誰が死んだのか?]/謎は、ここから始まる…】って、これ、観る前に読んじゃってたら謎も何も台なしじゃんか。もしかして本当にアタマ悪いですか?>K2エンタテインメント宣伝部。


今昔伝奇 花神(望月六郎)[ビデオ上映]

何をやっても客が来ないテアトル池袋が、ギャガ、オメガ、KSS、グルーヴ、そして映画の敵 バル企画といった製作・配給会社と組んで「ガリンペイロ」という日本映画の新レーベルを起ち上げた(「金鉱掘り」という意味ですと。スペイン語で。日本映画のレーベルなんだけど) 今後、テアトル池袋はガリンペイロ作品の専門館になるんだそうな。でもって(ハードメーカーのほうの)ソニーと提携して高額なDLPビデオ・プロジェクターを設置。ほぼ全作品がビデオ撮り&ビデオ上映となる。よーするにフィルム代すら捻出できない超ビンボー映画や、学生映画に毛のはえたやつを1,800円とって興行しましょうってコンセプトですな。はやい話がボッタクリってこと? ● そんな事情だから打ちたい球がいっこうに来なくて、ようやく5球目だか6球目にレイトショーで望月六郎 作品が来たので手を出したのだが・・・いや、ひでぇ代物だった。民生用のDV使ってんじゃねえか?という(DLPプロジェクターで映す意味のない)汚い画質。性的民話ものの時代劇なのだが、演技も演出も存在しないAV以下のゴミ。脱ぎまくりの金谷亜未子が「花神」の化身役で「山の神」役の北村一輝と川の中で激しく交わり、その川面にさまざまな花が流れてくる…という場面があるんだけど、画面の上手に「川面に花を放ってる」とこが映っちゃってんの。こんなのプロの作品じゃねえよ。堪えきれず途中退出。なんでもいいから2時間 映像を流しときゃ「映画」になると思ったら大間違いだ。星はゼロ。

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スコーピオン(デミアン・リヒテンシュタイン)

リヴィエラ・ホテル&カジノの支配人(もちろんマフィア)というあんまシャレにならん役を演じてるポール・アンカのつぶやき>「…理解できん。20年以上も前に死んだ男だぞ。まるでデブ祭りだ」 そう、ここラスベガスでは年に1度の「エルビス・プレスリーそっくりさん大会」が開催中で、全世界の自称エルビスたちが、でっぷり太ったビール腹色とりどりのジャンプスーツに押し込んで集結してるのである。 ● まるでゴレンジャーのように5色のジャンプスーツに見を包み、ギターケースを提げた5人のエルビスが大通りをV字並びで闊歩してるスチールを見たときから、観たくて仕方なかった作品である。これ、面白れえじゃ〜ん。なんで世間じゃこんなに評判が悪いんだ? 根性曲がりの悪党どもの騙しあい。かなり薄くなった頭頂部からスクリーンに登場するケビン・コスナーに、ハリウッドの公式エルビス俳優=カート・ラッセルの両主演。これに子連れの性悪女コートニー・コックスだの、旦那のデビッド・アークエットだの、クリスチャン・スレイターだの、「ビッグ・ヒット」のオナニー黒人=ボキーム・ウッドバインだの、ジョン・ロヴィッツだの、「コップキラー」アイス・Tだのが絡んで、誰もが相手を出し抜いて金を独り占めすることだけを考えて暴走するアクション・コメディ。ミュージック・ビデオ出身のデミアン・リヒテンシュタインの撮り方は、やっぱちょっとMTVだが、まあ許容範囲でしょう。 ● なんでも編集段階で両主演男優の意見が対立、コスナーとラッセルがそれぞれ「自分バージョン」を編集してスニーク試写したそうだけど、結局この公開版は「どっちバージョン」なの? その編集合戦のせいか知らんが、コスナーが拾ったガソリンスタンドの娘さん(デイジー・マックラッキン)が途中で忽然と消えちゃうんだけど、あの可愛いコはどうなっちゃったんだ? ● 原題は「グレースランドまで3,000マイル」 グレースランドってのはもちろんエルビス・プレスリーの旧邸のことだが、字義どおり天国の謂でもある。つまり、よく使われる「天国まで n マイル」という言いまわしのバリエーションですな。本作の場合は3,000マイル(4,800km)だからニュアンスとしては「天国までは遠すぎる」という感じか。 それにしても同時期に「スコーピオン・キング」があることがわかってて、なんで「スコーピオン」なんて邦題を付けるんだろう? 「スパイダーマン」と同日公開だった「スパイダー」の場合は原題が「アロング・ケイム・ア・スパイダー」だから、まあしゃあないっちゃあ、しゃあないんだけど、本作の場合は無理して「スコーピオン」にする必要なんてまったく無いじゃん。てゆーか、どーせどんなタイトル付けたって客は来やしないんだから「激突!エルビス・ギャング」とかにすればいいのに>松竹宣伝部。

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笑う蛙(平山秀幸)

エロくないじゃんちっとも! ファーストカットは大塚寧々の喪服妻・汗ばむうなじのアップなのに、ちっともおおっ!てならない(小林信彦はイケるのかこれで?) この映画についちゃあ、おれは宮崎祐治の意見に全面的に同意だな。チラシ裏面から引用するが[その節穴の先の世界に妻の現在の恋人が現れる。妻と恋人の情事。妻の恍惚とした表情、必死にこらえながらも漏れ出すあえぎ、徐々に朱が射し潤いを帯びてゆく肌……夫は、かつて感じたことのない欲情と嫉妬をおぼえるのだった。/夫に覗かれることの羞恥心。恋人に対する罪悪感を持ちながら、自らの欲望に抗い切れない妻は、同時に未体験の興奮を感じている自分に気付く]なんて描写、どこにあったよ? 大塚寧々は、もっと無意識の隙みたいなのが見えなきゃいけない役だと思うんだが(少なくともおれの目には)大人の女に見えない。 ● 成島出の脚本と(大塚寧々以外の)俳優の演技はコメディ映画としてはたいへんによく出来ていると思う。ただ肝心の平山秀幸の演出が鈍重でちっとも笑えないのだ(公平を期すために記しておくと、たいへんにウケているお客さんもいた) 15年ぶりの映画出演だという雪村いづみ繋がりで言えば、岡本喜八 演出で観たかったなあ。とりあえず俳優にはもっと早口で喋らせとけ。「感動作」は撮れてもエロやコメディがダメってのは、きっと真面目な人なんでしょうな>平山秀幸。


ハッシュ!(橋口亮輔)

脚本&編集:橋口亮輔
橋口亮輔の映画を観るのはこれが初めて。監督本人がゲイなだけあって女の描写に容赦がない。女優をキレイに撮ろうなんてこれっぽっちも思ってないね。女に対する幻想も自己弁護もない。おれなんて片岡礼子のことそーとー好きなのに、この映画のヒロインは「ヤだよあんな女」と思うもの。だからそれが幻想だって? いいじゃんか幻想だってさ。あと、主役のゲイ・カップルのうち二丁目二丁目したゲイの高橋和也とその周辺の描写も、あんな紋切り型でゲイの皆さんはムカつかないのか? てゆーか、ひょっとして橋口亮輔は二丁目的なゲイにも嫌悪感を抱いてるのかもしれんな。 ● では、そんな橋口亮輔が何を愛してるかというと、もちろん田辺誠一クンである。まさしく本篇の真のヒロインと呼ぶに相応しいチャーミングな魅力を発散してて、おれなんか無意識に「田辺クン可愛い!」とか思っちゃって「可愛くない可愛くない。ぜんっぜん可愛くない」と慌てて打ち消したり。危ねえ危ねえ。 ● じつを言うと脚本や演出に「達者だな」と感じるところも多々あって(最後がうまく終わりきれてないところを除けば)感心して観ていたのだが、なんで星1つかというと、やっぱ登場する女たちが誰一人として魅力的じゃないんだよ。不快な女ばかり出てくる映画は観たくない。特に田辺誠一にからむ2人の女なんてどちらも「キチガイ」というキャラクター付けなのだ。それ、あんまり酷くないか? 脚本のありかたとして、そういう貶め方は好きじゃない。 あと、劇中、最初のヤマ場である、片岡礼子が田辺誠一に「あなたの子どもがほしい」と頼む場面の長回しが最初っから最後までずうっとピント合ってないんだけどいいのか?>上野彰吾@撮影。 つぐみ がびっこなのはファンサービス?<どんなだよ。

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ヴェルクマイスター・ハーモニー(タル・ベーラ)

なぜなら そこに山があるから。 ● …ちゅうことで、思いっきり険しくて霧の深そうな山に登ってきた。モノクロのハンガリー映画(正確には、おそらくカラーフィルムを使用したモノクロ撮影で、ブダペストとベルリンとマルセイユの製作会社の合作) 2時間25分でわずか37カット(1カット平均4分)というのでアンゲロプロスみたいな「馬が画面の右から左へ横切るのをフィックスのカメラで撮りっぱなし」みたいな「居眠りして起きたらまださっきと同じ画面だった」なんて代物だったらどうしよう…と、いささかビビりながら観に行ったのだが、この映画における長回しは、相米慎二がやってたような「そんなに意地 張らなくてもカット割りゃあいいじゃん!」的、チカラワザ長回しで、カメラはぐんぐんずびずび動きまわるので、普通の人は言われなきゃ たった37カットしかないなんて気がつかんだろう。ちゃんと起承転結を伴ったストーリーはあるし、エモーショナルな劇伴もかかる。少しも難解ではない。娯楽映画の骨法に則った映画なのである。 ● 話は、何処(いずこ)とも知れぬ国での「町で何かが起こってる」系サスペンスである。広場に忽然と出現する巨大なクジラの見世物(巨大なトレーラーに収容されているので観客には尻尾しか見えない) 予告ばかりで一向に登場しないサーカス団の花形。蔓延する甘やかな腐敗。夜霧のように忍び寄る不穏な空気。静かに進行する秩序の崩壊。スティーブ・ザーンに似た頼りなげな青年は、町のさまざまな住民からさまざまな用事を言いつけられて右往左往する。かれは事態に荷担しているのか、抵抗しているのか。いや、どちらでも同じことだ。やがて訪れるカタストロフ。青年は捕らえられ、腑抜けにされる。ラストシーンでクジラは初めてその全貌をあらわにする。それは巨大なハリボテである。当たり前だ。最初から解かっていたことではないか。映画の最後を看取ることになる老音楽家の台詞>「おじさんはクジラを見に行かないの?」「巨大な生物を見に行って、自分は小さくて良かったと胸をなでおろす。さぞや愉快なことだろう。…だが今日はやめておくよ」 ● 資金難で一度 撮影が中断。たった3日間の話に3年もかかったそうだが、執念のかいあって数百人単位のエキストラに戦車1台、ヘリ1機という、それなりにスペクタクルだったりする。 …まだ難解なゲージツ映画だと思ってる? おれが思い浮かべたのは「ウディ・アレンの 影と霧」だ(いや、ほんとだって) 「世界を震撼させた」というタル・ベーラの前作「サタンタンゴ」(モノクロで7時間半!←そら、震撼もするちゅうねん)にも機会があったら挑戦してみようかという気になってる おれである。<命知らずの冒険家やね。

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イビサボーイズ GO DJ!(エド・バイ)

なんじゃそりゃ?というタイトルですな。これはつまり「DJ志望のボンクラ童貞高校生コンビが夏休みに〈地中海の新島〉と呼ばれるスペインのイビサ島に女&クラブ目当てで旅行して…」という「グローイング・アップ」で「アメ・パイ」な内容を表してるわけですね。原題は「ケビンとペリー、ビッグになる(KEVIN & PERRY GO LARGE)」。じつはこれ、イギリスのテレビ・コメディの人気キャラ「ケビンとペリー」の映画版。いや、そこで「ウェインズ・ワールド」を思い浮かべるのは間違い。なぜならこの童貞高校生コンビに扮してるのは41歳のおっさんコメディアンと男装した38歳の年増女優なのだ(!) ギャグの質もトンがったSNL系ではなく「お茶の間みんなで楽しめる」系(ま、うんこちんこ系には違いないが) 主役であるケビンは両親を超ダッセーと思ってて(イビサ島行きも勝手に家族旅行にしちゃうしさあ)表向きは反抗してるんだけど、ほんとはとても仲良くて、もちろん劇中で両親はからかいの対象なんだけど向けられる視線はとても暖かい。つまりあれだ。三宅裕司と(男装した)研ナオコが男子高校生に扮した松竹映画を想像してもらえばいちばん近いな。 ● 主役のケビンにハリー・エンフィールド。 のろまな弟分のペリーに「ニル・バイ・マウス」とかの女優キャシー・バーク。 イビサ島のクラブでブイブイ言わせてるスターDJで、ボンクラ2人組をコキ使う嫌な奴にリス・エヴァンス。 そしてイビサ島で出会うニキビ娘(でも4時間かけてメイクすると美人)に、おお「ロック・ユー!」「ヴァーチャル・セクシュアリティ」「タイタス」「ハロルド・スミスに何が起こったか?」「ディボーシング・ジャック」の当サイト・イチオシ銘柄=ローラ・フレイザーじゃないの。なんで誰も教えてくれないのよ。あぶねえあぶねえ。あやうく見落とすとこだったぜ。

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タイムマシン(サイモン・ウェルズ)

後半部分の監督:ゴア・ヴァービンスキー
悪いことは言わん。これに1,800円出すくらいならジョージ・パル監督版「タイム・マシン」(1960)のDVDが今なら1,500円で買えるから、ぜひそちらをご覧なさい。 ● この新版で驚いたのは思ったより旧版の(ということはH.G.ウェルズの原作小説の)ストーリー・ラインに忠実に作られていること。ただ忠実なのは「ストーリー・ライン」だけで、ウェルズの原作が持っていた文明批評的な要素はすっかり抜け落ち、単なる異世界アドベンチャーになってしまっている。いや異世界アドベンチャーなら異世界アドベンチャーをちゃんとやってくれりゃいいんだけど、それにしちゃあ世界の設定とかモンスターのデザインとかが妙に旧版を尊重してるので古臭いのだ。科学者特有の稚的好奇心から時間旅行に旅立った旧版の主人公と違って、新版では恋人がらみの陳腐な動機を設定しているのだが、そのためにかえって恋人のことを忘れて異世界での冒険に興じる主人公が不誠実に見えてしまう。すべての改変が中途半端なのだ。あと細かいこと言うと、旧版と違って明確に「過去」に行くことを目的として設計されたタイムマシンの「行き先メーター」が9ケタもある(9億9千年!)のは変でしょう。おそらく新版の作者たちは百年前の小説をモダナイズして(ついでに舞台をロンドンからNYに変えて)21世紀の映画にしたつもりなんだろうが、それはH.G.ウェルズの短篇が「古典」として生き永らえてきた所以たる「肝」の部分を空っぽにして空疎な衣裳を着せただけだ。駄作。 ● 監督のサイモン・ウェルズはなんとH.G.ウェルズの曾孫。あまりのプレッシャーから胃に穴が開き、撮影を3週間のこして離脱。後半のトンデモ未来世界の場面は、急遽プロデューサーに拉致されてきた「メキシカン」「マウス・ハント」のゴア・ヴァービンスキーが撮ったそうだ。 ガイ・ピアースは「思い込みの激しいエキセントリックな科学者」に適役。 恋人エマ役のシエナ・ギルロイという女優さんが、初めて見る人だけど可愛いですな。こんな可愛い恋人がいながら…の後半の展開は納得できんぞ。 あと何といっても終盤に登場するジェレミー・アイアンズ。「ダンジョン&ドラゴン」といい、アンタほんとにいいのかそんな役で! ● かくいうおれも旧版はガキの頃にテレビで観たきりなので、この稿を書くためにDVDを買ってきたんだけど、ジャケ裏のあらすじが「(舞台は)1989年、大晦日のロンドン」っていきなり未来かい! 頼むからだれか1人ぐらい気付けよ>ワーナー・ホーム・ビデオ。

ネタバレなツッコミをもう少し。 ● 地表族イーロイと地下族モーロックは、原作および旧版では「優雅な高等遊民=貴族階級」と「地下であくせく石炭 掘ってる連中=労働階級」の暗喩で、モーロック族はイーロイ族のために衣食住を提供し、おかげでイーロイ族はのんびり優雅に何の心配もなく暮らしているのだが、やがて時が来るとモーロック族に喰われてしまう運命にある。だから旧版ではイーロイ族は若くて美しい白人男女ばかりでモーロック族は醜く汚い姿なのだが、新版ではなんとイーロイ族は南米アマゾンあたりの未開民族の姿にされてしまっている。そして襲いくるモーロック族は白塗りの土人だ。そりゃマズイだろ。それじゃあ「無知蒙昧な土人にキリスト教的教養を啓蒙する白人ヒーロー」って図式になっちゃうじゃんか。許せないのはこの理不尽な改変が、われわれ観客から旧版最大の見どころであった「金髪美女が半裸でうろうろ」という眼福を奪ってしまったことである。<結局それかい! いや、まあそれだけじゃなくて、旧版でじ〜んとさせてくれた「主人公と(語り部である)フィルビー氏の美しい友情」の件りがほとんどカットされてしまったのはがっかり。 ● 娯楽映画だからあんまり細かいこと言ってもしょうがないとは思うけど、あのモーロック族の吹矢はなんだったの? ぜんぜん毒矢じゃないじゃん。 それとラストのタイムマシンの「暴走」はどーゆー理屈なの? どーして力が外側に作用するわけ? だいたいジェレミー・アイアンズがちゃんと「コロニーは他にもある」って言ってんだから あそこだけ潰してもダメじゃん。人の話はちゃんと聞かなきゃ>主人公。


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映画史(ジャン=リュック・ゴダール)[ビデオ作品]

[DVD観賞]仕事先の知り合いがDVD-BOXを所有してることが判明。貸してもらってちびちびと観た。1A/1Aから4A/4Bまでの8章立て。1Aが50分、1Bが40分で、あとはだいたい30分だから、ちびちび観るのにちょうどいい感じ。古今東西の映画・絵画・写真を細かく細かく切り貼りして、そこにゴダールの挑発的な言葉や、他人の著作のナレーションがかぶさり、控えめなBGMが絶妙なタイミングで挿入される。映画と映画史とゴダールの個人史に関する映像によるエッセイ。まさしくゴダールでなくては成立しなかった企画である。だって権利大国ハリウッドでこれをやったら30分の本篇に30分のエンド・クレジットが必要になるから。いや、そーゆーこっちゃなくてさ。 ● ゴダールの映画で初めて「おもしろい」と思った。出典はいっさい示されないので(おれも含めて)普通の映画ファンには多分、半分ぐらいは元ネタ不明だと思うが、それは欠点にはならない。これは歴史論文ではなく個人的エッセイだから。映画のイメージを借りたゴダールの散文詩だから。たとえて言うなら寺山修司の「書を捨てよ、町へ出よう」や園子温の映画と同ジャンルなのだ。どれだけカッチョイイ言葉をカッチョイイタイミングで観客に投げつけられるかが勝負、みたいな。特に総論である1A・1Bと、締めの4Bに凄みを感じた(てゆーか、この3つだけ観れば充分) ● DVD版で特筆すべきは、メニュー画面の平易かつ明晰なアクセス。すべてのメーカーはこういうデザインを目指していただきたい。また、作中に引用された あらん限りの映画・絵画・写真・人物・ナレーションにほとんどすべて解説をつけたインタラクティブ・リファレンス作成の労は敬服に値する。ま、おれには不要だけどさ(知ってるからじゃなくて、そんなもん面倒くさくて読みゃしないから、ね) 大林宣彦のナルシスティックな吹替版はハマってるし、予告篇演出家のタイポグラフィの魔術師=相澤雅人によるグラフィカルなタイトルワークがまた素晴らしい(←ここ、嘘です) 全部で270分だから、90分の映画3本分。それで3万2千円の価値があるかって言われたら、おれは絶対に自分では買わんけど、どこかでビデオ/DVDが借りられるんなら(ビデオ撮り&スタンダード・サイズという家庭内視聴に適したフォーマットでもあるし)観てみても損はないかも。 ● なお記録のため記しておくが、おそらく本作は無検閲のハードコア・セックス描写(ちんぽがまんこにでたりはいったり)を含む商業的に流通した初めてのソフトウェアである。税関の役人も映倫の審査員も途中で居眠りしてて見逃しちゃったんだろうなきっと。ゴダールだし。ゲージツだし。

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マンホール(鈴井貴之)

チラシから丸引きするが[初監督に挑んだのは北海道で絶大な人気を誇る「ミスター」こと鈴井貴之。本州でも熱烈なファンがいることで知られるお化け番組「水曜どうでしょう」他の企画・構成・出演をはじめ、地元で聴取率ナンバーワンのFM番組「ゴイス」のパーソナリティをつとめている鈴井だが、かつて札幌で人気劇団「オーパーツ」を主宰していた舞台人だった]という人物がその劇団時代の作品を映画化。舞台は札幌。主演の「町のお巡りさん」に[札幌のテレビ、舞台で人気の新人・安田顕]、大口スポンサーにNTTドコモ北海道という成り立ちの作品である。この人らがいかに映画作りに素人かは、せっかく予告篇ナレーションに遠藤マトリックス憲一を起用しておきながら「いよいよ2001年 春、公開」とか余計なことまで言わせちゃってることからも明らか。だーから公開日と劇場名は「ぶら下がり」で作っとかなきゃダメなんだってば。札幌の公開に合わせたんだろうけど、この予告篇を2002年の春に上映してるシネ・リーブル池袋のマヌケだったこと。 ● 札幌のどこかに「夢のマンホール」があるという。紙に願い事を書いてそのマンホールから流せば夢がかなう…。ところが実際に観てみると「17歳の女子高生をヒロインに据えた新人監督の青春ファンタジー」という枠組みから予想されるフレッシュな印象とはおよそかけ離れてるのだ。町の交番のお巡りさん3人の日常を描いた「交番ものがたり 新人巡査奮戦記」とでも名付けたい人情ドラマで、アタマに富士山のロゴが出ても違和感のない映画なのである。あれだなきっと。鈴井のやってた劇団「オーパーツ」ってのは演劇集団 キャラメルボックスとか善人会議(現・扉座)の類だな。 ● って、すっかり馬鹿にした口調のくせになんで星3つ付いてるのかというと「札幌で巡査をしてる息子のもとに田舎の母からジャガイモが1箱ダンボールで届き、添えられた手紙が(いま皆さんが連想した一字一句そのままの文面で)ナレーションされる」とか「妻から外食に誘われた夫がその席で『今日は何の日だか覚えてる』と訊かれて(いま皆さんが思い浮かべたとおり答えはもちろん『結婚記念日』なのだが)『きみの誕生日だっけか?』と答える」とか「ヒロインの父親が彼女の通う進学校の生活指導教師で、娘の心配より自分の体面しか考えてないサイテーのクソ親父(もちろん皆さんの直感どおり本田博太郎です)で、母親の作った朝食を娘も亭主も『要らない』と出かけてしまい、妻は箸もつけられてない朝食をそのままゴミ箱に捨てる」とか、どこをどーしたらそんな陳腐な設定を考えつくのだ!という場面の連続なのに、不思議と個々の場面に力があるのだ。この新人監督にはよくいえば手慣れの──悪くいえば悪ズレした演出力がある。 ● ヒロインの女子高生に三輪明日美。 親に内緒でバイトしてるデートクラブの仲間に「ギプス」の尾野真千子、「カラフル」の駒勇明日香、そして今をときめく小池栄子。 こまめに女のコたちの面倒をみるデートクラブの兄ちゃん…という、ともすればザートラしくなりがちな役を自然にこなしているのは大泉洋。 他に北村一輝、きたろう、金久美子、風祭ゆき、李丹、田口トモロヲらが出演。 どういう繋がりかカーネーションの直枝政広が音楽を手がけ、主題歌も提供している。 ● 本作の撮影は2年ほど前だと思うが、現代風俗を描いた作品で「2年間」というのはとてつもない過去だということが実感される。なにしろデートクラブの兄ちゃんは移動にキックボード使ってるし、ヒロインのケータイはモノクロ液晶だし、タクシー運転手役・田口トモロヲの運転するタクシーにはゲートウェイの牛模様がペイントされているのだ(!) あとファンタジー映画にこのツッコミは野暮かしらんが、あのね、下水道のマンホールは丘の上にはありません

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S P Y _ N(スタンリー・トン)

1980年代にチョウ・ユンファ、チャウ・シンチーらの後塵を拝していたジャッキー・チェンを「ポリス・ストーリー3」(1992)「レッド・ブロンクス」(1995)「ファイナル・プロジェクト」(1996)の3作で再びナンバーワン・スターの座に押し上げたばかりではなく、今までついに成し得なかった香港映画による全米ボックスオフィスの制覇まで実現させてしまった「スタントの鬼」スタンリー・トン監督。チャイナ・ストライク・フォース(雷霆戦警)」という原題で知られていた最新作がようやく日本でも陽の目を見た。 ● ジャッキーの3作で「カンフー・アクションは世界中で商売になる」ことを学んだスタンリー先生、今回も台詞はオール英語。主演に香港四大天王の1人、アーロン・クォクを据えて、隣国・台湾のスーパー・スター&アイドルである「拳神」のワン・リーホン(王力宏。本作が映画初出演)&ルビー・リン(林心如。役名ルビー)に恋人同士を演じさせ、日本向けにはテレビの格闘技番組でホステスをしていた藤原紀香(役名ノリカ)、アメリカのカラテ映画ファンのボンクラ黒人層向けにはギャングスタ・ラッパーのクーリオ(役名クーリオ。しかもサウス・セントラルの黒人ギャング役)、そしてヨーロッパの格闘技ファン向けにはマーク・ダカスコスをキャスティング。舞台となるのは中国本土の上海・・・という全方位外交を展開。たしかにスタンリー・トンならずとも戦略としては完璧と思えたのだが…。 ● 内容は出世作「ポリス・ストーリー3」のルーズなリメイクである。アーロン・クォクと藤原紀香の2トップ制。香港や東京では不可能なムチャな市街地アクションを、まだまだ警察に「融通」の効く地方都市で展開するという作戦も同じ。バイクによるトラック飛び乗りや、ヘリの宙吊りアクションには既視感ありあり。とはいえクライマックスの「超高層ビルの建設現場に吊られたガラス板の上でのアクション」を始めとする、スタンリー・トンの役者を人とも思わぬデンジャラスなスタントの前には、役者が命綱をつけてるか否かとか、ストーリーがイイカゲンだとか、そもそも映画が面白くないといったことは、ほんの瑣末なように思えてくるのだ。アクション映画ファンにお勧めする。 ● 藤原紀香は(あんだけ沢山テレビドラマに出てんのに)ちっとも演技が上手くならないが、普通のネーチャンならしょんべん洩らしそうなスタントにも果敢に挑んでいるので、その度胸を買って演技の拙さは不問とする。エロに関しては、グラビアモデル時代以来のキワドいビキニ姿や、バックからのヨコハミ乳などが拝めるのだが、残念ながらスタント馬鹿のスタンリー・トンはあんまり女体に興味がないらしく諸兄らを満足させるレベルには達してない。 相手役のアーロン・クォクは内臓でも悪いのか顔がどす黒くて、なんか勝野洋みたいだったぞ。 もちろん出たがりスタンリー君も徹夜明けみたいな眼をして上海警察の署長を演じている。 ちなみにクライマックスに登場する「史跡」はたぶん間違いなく「始皇帝暗殺」で作った例の「東京ドームよりデカい」というオープンセット。 ● 香港では2000年のクリスマス公開。CMDbには「上映時間120分」とあるから、今回の日本公開に際して30分ほどハサミを入れているようだ(ルビー・リンの出番がほとんど無かったことから類推すると日本向けの「藤原紀香バージョン」だと思われる) [追記]後日、香港版DVDで確認したところ、上映時間は103分。推測どおり日本公開版はルビー・リンの出演シーンを中心に10分ほどカットしている。

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B O N E S(アーネスト・ディッカーソン)

ドクター・ドレェとのコンビで有名な西海岸のギャングスタ・ラッパーの雄。元・麻薬の売人で、もちろん逮捕&服役歴あり。射殺されたトゥーパック・シャクールとはマブの仲・・・というスヌープ・ドッグ(てゆーか、よーするに「トレーニング・デイ」でいざりの売人をやってたニーチャンですな)が黒人版フレディ・クルーガーに扮したブラック・エクスプロイテーションな1980年代ホラー。ヒロインはパム・グリア。特殊メイクはトニー・ガードナー率いるアルテリアン・スタジオ。「エルム街の悪夢」シリーズのファンにお勧めする。 ● シカゴの「金持ち白人地区」に住む黒人のぼんぼん兄弟が、スラム街に区画整理でポツンとひと棟だけ残った幽霊屋敷を買い取って改装。クラブをオープン。ところがそこは、地元と住民を愛する昔気質のギャング、ジミー・ボーンズが、20年前にドラッグ推進派の新興ギャングに殺された因縁の屋敷で、ぼんぼん兄弟の父親こそがジミー・ボーンズを裏切ったかつての弟分だったのだ! 今、死者の街から甦ったジミー・ボーンズの血の復讐が幕を開ける!…ってな話。フレディ・クルーガーにしちゃあ、このジミー・ボーンズは「必殺技」が明確じゃなくて、キャラ立ちがイマひとつなんだけど、懐かしい特殊メイク&SFXの数々にはニコニコしちゃうね。あと、蛆ゲロ警報なので蛆が苦手な人は要注意。 ● スヌープ・ドッグは回想シーンの1979年で、昔、自分が憧れてたようなキメキメのギャングのボスに扮して御満悦の様子。 パム・グリアの娘に扮したビアンカ・ローソンが別嬪さんで注目。「セイブ・ザ・ラストダンス」で主人公のビッチな元カノジョを演ってた娘さんですね。 ● クラブの名前が「イルビエント」ってのはNYのカッコツケ黒人たちへのスヌープ・ドッグの厭味だろうけど、かかってる音楽がちっともイルビエントじやないよーな…。

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マジェスティック(フランク・ダラボン)

スティーブン・キングの小説世界に登場する「架空の町」の名を社名に抱くキャッスルロック・エンタテインメントの製作。「ショーシャンクの空に」「グリーンマイル」とデビュー以来、2作続けてスティーブン・キング作品を映画化してきたフランク・ダラボンが監督。舞台は1951年。カリフォルニアの海岸沿いの田舎町に記憶喪失の男が現れる。かれは閉館した映画館「ザ・マジェスティック」の映写技師の息子に瓜二つで、戦後の失意の中にあった町の人々は第2次大戦で戦死したと思われていた好青年が無事、生還したと大喜びする。だが、ある日、かくれんぼをしていた町の少年が映画館の地下室にある巨大な莢(さや)を見つける。怯える少年。背後に迫るジム・キャリーの目がミドリ色に光る──。 ● っちゅう話だったら面白かったんだけどねえ。今回、脚本はダラボンではなく別人なのだが、相変わらず勘弁しろよの2時間33分。てゆーか、この映画、なんと上で説明したストーリーの始まる「前」に──後じゃなくて前だぞ──「主人公の正体」の種明かし篇が20分もあるんだけど、誰かおれに何でそんなシーンが必要なんだか説明してくれ。それじゃあ話のいちばん面白いところを殺してるじゃんか。マジ、理解不能。 ● 市井の人々の善意と勇気を謳いあげて、最後は主人公の感動的な演説でシメるというファンタジーで、つまり臆面もなくフランク・キャプラをやってるわけだ。おれも「キャプラもの」は大好きなんだけど、ここでフランク・ダラボンに残念なお知らせがある。今は1951年じゃなくて2002年なんだよ。いまの時代のヒネくれた観客(おれだ おれ)を相手にキャプラを成立させるにはそれ相応の手続きが必要なのだ。そこが脚本家の腕の見せどころだし、皆そのために必至で智恵を絞っているのだ。それを何の考えもなく当時の映画をそのまま(てゆーか稚拙に)なぞって「さあ感動してください」と言われても困る。それにそもそも「アメリカ人同士で内輪揉めしてる場合ではない。今は一致団結して国外の悪者どもを退治すべきである」とか言われてもなあ。「赤狩りに引っかかって苦悩する脚本家」を演じるジム・キャリーなんて見たくもないし。作者たちの善意は疑いようもないが、世の中には退屈で有害な善意ってものもあるのだよ。 ● でも、まあ、最後にひとつ告白しておくと、マーティン・ランドー演じる映写技師の爺さんの心意気にはちょっとジーンとしたし、休館中にもかかわらず保持している古いフィルムについて「想い出の映画だから大枚はたいてプリントを購入した」とフォロー台詞があるのは盗人礼讃映画「ニュー・シネマ・パラダイス」より100倍正しい映画館映画ではある。

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新・仁義の墓場(三池崇史)

企画・脚本:武知鎮典 撮影:山本英夫
深作欣二の「仁義の墓場」とはまったくの別もの。「荒ぶる魂たち」に続いて名台詞脚本家・武知鎮典と三池崇史が組んだ現代やくざ映画である。どうも元・本職だったらしい武知鎮典は「荒ぶる魂たち」の出来にそーとー満足だったらしく、今回(おそらく)初めて本気を出した。名台詞脚本家が一切の名台詞を廃してストレート1本のみでズバッと投げ込む。三池崇史もまた一切の技巧や装飾やCGや大杉漣や田口トモロヲや遠藤憲一といった飛び道具を廃して、来た球をおのれのバット1本で打ち返すのみ。男と男の勝負である。俳優の層も厚く、もはや本家・東映の1970年代作品群に比肩し得るレベルまで来ていると思う。大映と東映ビデオの共同製作。これぞVシネ10年の成果である。 ● 男と男のラブ・ストーリーを謳いつづける武知鎮典にはめずらしく、本作の芯にあるのは狂犬やくざとホステス嬢の、男と女の壮絶なラブ・ストーリー。2度の陵辱でむりやり「女」にされて、血塗れの札束をポンと置いて勝手に自首。女が拘置所に金を返しに行くと「そらぁお前の生活費だ。服でも買いな」「…わたし、あなたの何なんですか?」「女房だろ」 女のためにと金の無心がこじれて下手うって。四方八方 敵だらけ。目が合やあ噛みつく狂犬やくざ。噛まにゃこっちが殺される。追われて隠れて2人仲良くヤク中に。行き着く先は地獄だが、それでも2人いっしょに堕ちていく。虫唾が走る出会いだが、そんなバカなという恋だけど、道理の通らぬ縁もある。それを承知の恋もある。 ● 眉なし&剃り込みパンチの岸谷五朗は、居並ぶ極道専業俳優たちの前では、まだまだ「生まれついての狂犬やくざ」というより「狂犬やくざを演じてる小劇場の役者さん」なのだが、まあこれは我々が岸谷五朗のやくざ役を見慣れてないってだけかも知れんし、第一、あそこまで演じられれば立派でしょう。 有森也美もまたイメージ一新の凄絶な熱演。ここしばらくおれの視聴半径にまったく重ならなかった人だが、高橋玄「銀の男」2部作での好演といい、出演作選択の方針を変えたのかしら。ただ、数回ある濡れ場でも依然としてナマ尻まででビーチク死守の方針は変わらず。今さらそこまでして守らずとも…って気もするけど。 ● それに較べると話のもうひとつの軸である、ムショで五分の盃を交わした兄弟=美木良介と岸谷五朗の「男と男のラブ・ストーリー」がいかにも弱い。厄介事ばかり起こして一方的に迷惑をかける岸谷を、別の大組織の組長である美木が献身的に面倒を見続けるのだが、なぜそこまでして岸谷を愛するのかが伝わってこないのだ。2人の絆の根拠である獄中のエピソードが一切 描かれず「男と男は目が合っただけで恋に落ちるのだ」というのはいつもの武知映画のルールなのだが、それならば岸谷五朗を「男が惚れる男」として描いてくれないと。 ● というのは、本作の特異さは主人公である狂犬やくざを、観客がまったく感情移入できないキャラクターに設定している点にあるからだ。どんな破戒的な主人公であっても「娯楽映画の主役」である以上、観客が何らかの感情移入ができるよう仕組まれているものだ。それは「仁義の墓場」で死んだ女房の骨を齧っていた渡哲也ですら例外ではない。観客はそこに「そういうふうにしか生きられなかった男の悲劇」を観る。ところが本作は「悲劇」といったドラマチックな要素とは最後まで無縁のまま。岸谷五朗は「何を考えているのか解からない男」として登場して、仁義を通すでも、極道としての野望を持つでもなく、いつも不機嫌そうに、劇的な感情を表すことなく、暴れまわり、自滅して、誰の共感も得られぬまま死んでいく。三池崇史は主人公がヒロイックになることを徹底して回避する。で、あるならば狂犬やくざの三十年の馬鹿騒ぎを「物語」の枠内に収めてしまう大沢樹生のナレーションもまた排除すべきではなかったか。 ● あと常識的に考えて、組織ぐるみで血眼になって岸谷五朗の行方を探してるってのに、有森也美への見張りは外さないだろフツー。てゆーか五朗ちゃんたら、風林会館のクラブなんかで呑んでたりしたら、ものの30秒で捕まると思うけど。 キャストではほかに「荒ぶる魂たち」で加藤雅也を結果的に裏切る弟分を演じた大地義行が、美木良介の片腕に扮してまたも「切ない役割」を演じている。この役者いいよなあ。 美木の「極妻」を演じた井上晴美も短い出演場面ながら印象に残る。この人、水泳やっててえらく肩巾ひろいのに不思議と和服が似合うねえ。

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多摩川少女戦争(及川中)

東京都と神奈川県が境を接する二子玉川周辺では、全身黒づくめの世田谷ベルベット団と、赤ジャージの川崎ライオネス会が抗争を繰り広げている。そこへかつて一帯の不良少女を束ねていた伝説のスケ番・ナオ(小野麻亜矢)が3年ぶりに鑑別所から戻ってくる。両勢力に緊張が走る。だが、ナオが追い求めているのは、悲惨な運命に堕ちたという噂の孤児院時代からの無二の親友・ユカリ(平岩紙)の行方だった・・という、これは昔なつかしいスケ番映画の三池崇史 的 再生である。赤のリーダー(柳明日香)が「中国残留孤児の子ども」という設定だったり、ナオが身を寄せる独立愚連隊のリーダー(松坂紗良)が「韓国人夫婦の養子になった孤児」だったり。地元やくざの組長・苫米地(とまべち)、略称ベッチ(松重豊)はロリコンで、少女たちを食い物にしようと企んでいる…。 ● 企画としては面白いと思うし、これをゼロから起ち上げてなんとか公開にまで漕ぎつけた監督・脚本の及川中(「日本製少年」「富江」)の努力には敬意を表するけれど、いくら魅力的なキャラクターを並べても、政治的な駆け引きに終始して肉体的アクションすなわちタイマン勝負を欠いたスケ番映画なんてクソでしょ。まあ、児童ポルノ法の問題とかもあるだろうからハダカが出てこないのは百歩譲って認めるとしても、ヒロインとファム・ファタルが2人ともヒラメ系&深海系のブスってのは映画としてどうなのよ。それと政治抗争ドラマとしては世田谷署の刑事(石丸謙二郎)だけ出てきて神奈川県警が出てこないってのは片手落ちでは? あと、どーでもいいけどケータイに「もしもし?」って出るやくざはいないと思うぞ。 ● 独立愚連隊のオミソ役に福井裕佳梨。 物語のカギを握る少女に青山朱里。 黒のリーダーに山口あゆみ。 ピンク映画関係から、ヒゲ面のやくざが中村和彦、口ヒゲの刑事が柳東史。 ● 関係ないけど、チラシ裏の約半分のスペースを占める「アイドル研究家・北川昌弘の談話」が史上最低に中身のない文章でムカついた。こんな何の宣伝効果もない駄文を載せるよか、女のコたちの写真をもっと大きく載せるほうがよっぽど集客に繋がると思うぞ。

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富江 最終章 −禁断の果実−(中原俊)

伊藤潤二のコミックスを映画化したホラー・シリーズの最新作。今までに1999年「富江」(及川中 監督/菅野美穂の富江×中村麻美の薄倖ヒロイン)、2000年「富江 replay」(光石冨士朗/宝生舞×山口沙弥加)、そして2001年「富江 re-birth」(清水崇/酒井美紀×遠藤久美子)と年1本のペースで製作されてきた。 ● 「最終章」と銘打たれた本作は、監督にロマンポルノ出身のベテラン・中原俊を迎えて、富江には「さくや 妖怪伝」の美少女・安藤希、薄倖ヒロインには「害虫」の実力派・宮崎あおい…という強力布陣ゆえ期待大だったんだが・・・難しいものだな。中原俊の「猫のように」(1988)を思わせる「女の子同士のラブ・ストーリー」から「心理サスペンス」へと変貌する前半部分。すなわち富江が殺されるまでは一部の隙もない ★ ★ ★ ★ ★ の出来だったんだが、後半に「モンスター映画」としてのハッタリが足りず単調になってしまった。低予算映画/ピンク/自主映画のフィールドを軽やかに行き来する鈴木一博の手になる、リアリティ重視の画調も「バラバラになった富江の首から胴体が生えてくる」なんて絵ヅラにはいささかチグハグ(…ま、照明予算が無かっただけかもしんないけど) 中原俊がどの時点で企画に参加したのかは不明だが、この監督の資質からすると後半の脚本(作:藤岡美暢)をもうひと練りする必要があったのでは? とはいえ大映さんは、ぜひまた来年ぬけぬけと「富江 復活篇」を(フィルム撮りで)作ってね。富江のオ・ネ・ガ・イ。 ● 左の目尻にホクロがあるゴーマン女王様=富江に安藤希、苛められっ子の内気な少女に宮崎あおい、というキャスティングは過去最強。この2人のラブ・ストーリーだけで1時間半でも良かったぐらいだな。<それじゃ「富江」じゃないって。 突如として目の前に現れた、25年前に親友に殺されたはずの初恋の女に「2人であの頃に戻りましょう」と言われ、すべてを捨ててのめり込んでいく「ヒロインの父親」に國村隼。うーむ、まさか富江が秘密結社「イエスタデイ・ワンスモア」の一員だったとは! なお、今回は富江をめぐる父娘丼ものなので、「富江 replay」の窪塚洋介クンや「富江 re-birth」の忍成修吾クンのような美青年は出て来ません。ほんとは父親の回想シーンに出番を作ろうと思えば作れるはずなんだけど、監督はそっちにはまったく興味がない様子。サスガは「いつも心にロマンポルノを持つ男」中原俊である。

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ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ(ジョン・キャメロン・ミッチェル)

デビッド・ボウイの「ジギー・スターダスト」をいまだに世界でいちばんカッコいいロック・アルバムだと信じてる者としては愛さずにいられないグラムロック・ミュージカルである。断じて「性転換おかまの恨み節」などではない。あ、いや、べつに性転換おかまの皆さんに他意はないですよ。これは理不尽な世界に放り出された独りぼっちの宇宙人が「心の平穏」を見つけるまでの話。つまり、自分の居場所がどこにも無くて「自分がカタワレ/カタワ/ハンパモノかもしれない」という青春期の普遍的な不安についての物語なのだ。「映画」というよりは2時間のミュージック・クリップで、すぐれたコンセプト・アルバムを1枚 聞きとおしたときのような充実感を味わえる。各々の楽曲もたちどころに「ジギー・スターダスト」およびその前後の「ハンキー・ドリー」「アラジン・セイン」あたりから元ネタを列挙可能なボウイの良質なパスティーシュであり、この映画において「脚本」の役割を果たしている「歌詩」にもロックの魂がこもっている。 ● タイトルを直訳すれば「ヘドウィグと怒れる3センチ」(※数値換算は文部科学省の学習指導要綱による) ヘドウィグは主人公の名前。ヘッド・ウィグ、つまり「カツラ子」ちゃんだな。では「怒れる3センチ」が何かというと、米軍基地放送を聞いて育った東ベルリンの青年が、黒人アメリカGIの「妻」としてアメリカへ脱出するための性転換手術に失敗して、15センチのちんぽのうち13センチだけちょん切って、切り取りそこねた3センチの醜く盛り上がった肉のこと(※計算が合わないのは文部科学省の学習指導要綱による) 主人公は「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」というバンドを組んで、曲だけ盗んでヘドウィグを捨てたアイドル・ロックスターの後を追って、行く先々のライブ会場の、近くにあるファミレスストーカー・ライブツアーを敢行中。そこで訊かれもしないのに身の上話を語って/歌っていくという構成。ま、ファミレスの客にしてみりゃメーワクな話で、ジョナサンで飯喰ってたらいきなりローリー寺西とオナペッツが乱入してきたみたいな状況だな。 ● 元になったオフ・ブロードウェイのステージの作者にして主演者=ジョン・キャメロン・ミッチェルが、映画化にあたっても脚本&監督&主演を務めている。女装姿もレイチェル・グリフィス程度にはキレイで(←これに関しては問題があるのはレイチェル・グリフィスのほう…という気もするが)声のハリも素晴らしい。 グラム時代のボウイの「額の ● マーク」を「」にしたみたいなメイクの「ロックスター」に、ちょっと高校生の頃のレオナルド・ディカプリオを思わせるマイケル・ピット。 主人公の恋人の「ヒゲ面ギタリスト」がジェイソン・リーにそっくりで、終盤で台詞を喋るまではジェイソン・リー本人かと思ってた。てことはアレか。ジェイソン・リーって[女装すると美人]なのか!? ● あと、どーでもいいけど この映画、ギャガ配給なもんだから、RPG「ダンジョンズ・アンド・ドラゴンズ」の字幕表記があくまで「ダンジョン&ドラゴン」になってて ちょっと笑った。

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華の愛 遊園驚夢(ヨン・ファン)

彼女はカナリア。抱きしめると折れてしまいそうな華奢な躯に、色艶やかな衣をまとい、甘やかな声で歌ってくれる。何ひとつ不自由のない優雅な暮らし。だが籠の鳥の孤独を誰が知る…。 ● 宮沢りえ がモスクワ国際映画祭で主演女優賞に輝いた中国映画。舞台は水の都・蘇州の旧家・榮家。小学教師をしている「分家の子」が、芸妓あがりの「本家の第5夫人」に恋をする。2人して阿片びたりの夢のようなひとときを過ごすが、やがて時代が翳り、順番が下のほうの第5夫人はまっさきに暇を出される。彼女を自分の家に引き取った主人公だったが、折りしも赴任してきた新任教師との肉欲に溺れていく…。よくある手の話である──主人公が男性ならば。そう、本篇の語り部となる「分家の子」というのは女なのだ。これは「女×女」のラブ・ストーリーなのである。だから後半で登場する主人公の「浮気相手」の男性教師 ダニエル・ウー(呉彦祖)はピンク映画で言うところの濡れ場要員である。美しい筋肉を舐めまわすように撮られたシャワー・シーンなど、まさしく観客サービスとしての「シャワー・シーン」なのだ。 監督・脚本は「美少年の恋」のヨン・ファン(楊凡) やっぱそっちの人なのかね? ● 主人公の男装の麗人にジョイ・ウォン。なんと1993年のツイ・ハーク「青蛇転生」以来という映画出演だが、本作を持って芸能界から引退。ずっと、引退作に相応しい作品を探していたのだそうだ。 そして、コン・リーならさっさと男に見切りをつけて屋敷を去るところを、まるで自分の意志がないかのように流されるままに大旦那に囲われている翠花(ツイホア)に「宮澤理惠」こと宮沢りえ。台詞は吹替。ヨン・ファンは彼女に「変わりゆく時代にとり残された1人の女」というよりは「もはや永遠に失われてしまった輝かしい旧文化の記憶」として、万感の想いを託している。美しく感傷的な映画をお望みの方に。

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裸のマハ(ビガス・ルナ)

スペイン映画界に復帰したペネロペ・クルスの主演作。いやあ相変わらずお美しい。出演してる女優さんたちの中でも、もう、1人だけ「女」としての格が違うって感じ。監督は「ハモンハモン」で一躍ペネロペをセックス・シンボルに押し上げたビガス・ルナ。内容は、絵画史上はじめて陰毛を描写して宗教裁判にまでかけられたフランシス・ゴヤの名作「裸のマヤ」をめぐるミステリ。…もうこれだけで「合格」って感じでしょ。で、当然こっちは全裸のペネロペがあのポーズでしどけなくソファに横たわってくれるもんと思うじゃない。ところがおっぱいは見せてくれるんだけど、…こらー! 腰に布かけるんじゃなぁーい! ● 最近の流行で、時系列をゴチャゴチャにした構成なんだが、それまでの馴れ初めもなく、いきなり男女のどろどろを見せられても感情移入のしようがない。一瞬、リールを掛け違えて終わりのほうの巻から上映してんのかと思ったぜ。ミステリとしてもそーとーなもんで(以下ネタバレだが)じつは「裸のマハ」は、顔はモデルといわれる公爵夫人のものだが、体は若いジプシー女(=ペネロペ)のものだった…と、この映画の作者は主張してるのだが、その主張の根拠となる事実というのが、前述のように「裸のマハ」は絵画史上はじめて陰毛を描写した作品として名高いわけだが、モデルとなった公爵夫人は(当時のフランスの流行に倣って)アンダーヘアを脱毛していた。つまりツルマンだったから別人である…って、バカミスかい!

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ハリウッド・ゲーム(ソンケ・ワートマン)

[ビデオ観賞]ドイツ資本のアメリカ映画。全米では未公開のようだ。ブレイクしないままいい歳になっちまった「中堅俳優」と、酒で身を持ち崩した「かつてのアクション・スター」と、年老いて仕事にあぶれた「オスカー俳優」が手を組んで、ギャングがラスベガスのカジノからくすねた大金をゴッソリ横取りしようと仕組んだ大芝居! 演じるのはトム・ベレンジャー52歳、バート・レイノルズ65歳、そして(7月9日に亡くなった)ロッド・スタイガー 76歳。…シャレになっとらんわ。つまり「スペース・カウボーイ」「マイアミ・ガイズ 俺たちはギャングだ」路線のショボい「オーシャンズ11」である。ケイパーものと呼ぶには脚本が未整理でサスペンスの欠けらもないし、老人奮闘コメディとしても今ひとつ爽快感に欠けるのだが、なにしろバート・レイノルズが夜中にひとり安モーテルの一室で、40年前の「ガンスモーク」のビデオを観て、輝くばかりに若々しかった自分の姿に涙したりするのだ。ちょっと捨てがたい魅力がある。 ● ビリング順はべレンジャーがトップなのだが、美味しい見せ場は先輩と大先輩に譲っている。夜中に「HOLLYWOOD」の字看板(=原題「THE HOLLYWOOD SIGN」)の前でロッド・スタイガーがしみじみ語る名台詞>「午前2時に電話がかかって来て〈仕事がある〉と言われたとしよう。ロケ地は南極。出番はわずか10秒。…飛んで行くよ」 ● 元べレンジャーの彼女で今はギャングの愛人…という、つい最近どっかで観たばっかの設定のヒロインに、韓国系女優ジャクリーン・キム。 ゲイリー・マーシャルが「警察ものTVドラマの監督」として出演して、レイノルズの大根演技に「ソープオペラに戻りたい」と愚痴をこぼす。 ウーピー・ゴールドバーグが2秒ほどカメオ出演。 ● だけど、たとえ相手が頭の悪いギャングだとしても…いや頭の悪いギャングならなおさらのこと、この3人が玄関口に立って「我々はLAPDの刑事だ」と名乗ったって信じるわきゃ無いと思うぞ。
※「映画秘宝」31号 所載分に加筆。

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ザ・フーリガン(フィリップ・デイビス)

[ビデオ観賞]イギリス映画。球蹴りになんぞこれっぽっちも興味のないライター(=おれ)に「ザ・フーリガン」なんてタイトルのビデオを送ってくるなんて編集部の人選ミスじゃねえの?…と思いつつ観てみたら、これは「クルージング」や「フェイク」や「友は風の彼方に」などの系譜に連なる「潜入捜査もの」なのだった(原題は「i.d.」) ● イングランド東部はシャドウェル・タウン・フットボールクラブの、悪名高き過激サポーターの実態を探るべく、ロンドン警視庁は4人の普通の警官に潜入捜査を命じる。なにしろここんちのフーリガンときたら、週末にパブで飲んだくれて暴れるだけじゃ物足りず、試合では敵味方かまわず口汚くヤジるののしる罵倒する、相手チームのフーリガンと暴力沙汰を起こす…と始末におえない。やっぱあれだな。洋の東西を問わず「黄色と黒」をチームカラーとする応援団はロクなもんじゃないってことだな。試合後グラウンドにメガホンを投げ込んだり、リングにペットボトルを投げたり、歩きタバコしてそれを路上にポイ捨てしたり、映画館の座席にゴミを残してくようなクズどもは即刻全員タイホしちまえ。 ● 潜入捜査ものの定石として、だんだんと心情的にフーリガンに同化して自分を見失い、底なし沼に落ちていく主人公にリース・ディンズデイル。(本作は1995年の旧作なのだが)今なら確実にロバート・カーライルかイアン・ハートの役回りだな。うわべだけの付き合いの偽善的なミドルクラス(つってもロウアー・ミドルだが)の生活から、いきなり町中全員ジーンズ着用のワーキング・クラスに投げ込まれて、下町の活気に満ちた本音の暮らしに惹かれていく…んだけど、そりゃアンタは潜入捜査官だもん。毎晩パプで酒喰らって情報収集して、週末はサッカー観戦すんのが仕事なら、そりゃ楽しいさ。だけど周りのフーリガン連中は月曜から金曜までクソみたいな仕事に耐えて、あるいは仕事のない屈辱と絶望を忍んで、週末のサッカーが唯一の生きがいなんだ。この映画は平日の彼らを描写しないけど、ギャングやマフィアと一緒にしちゃ可哀想だ。溜まり場となるパブのウェイトレスに「HEART」「バタフライ・キス」のサスキア・リーヴス。この頃はイイ女だったのね(ヌードあり) ちなみに内容が内容だけに、英国サッカー協会は協力完全拒否。試合シーンは一切なし。あしからず。
※「映画秘宝」31号 所載分に加筆。

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