秘境の旅 写真館
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旅ノート サウジアラビアの旅(2003年12月27日〜2004年1月4日)

◎旅の日程◎
1.関西空港 〜 リヤド
2.リヤド 〜 リヤド市内観光 〜  ディライーヤ遺跡 〜 ハイル
3.ハイル 〜 ジュッバ 〜 アル・ウラ
4.アル・ウラ 〜 マダイン・サーレ 〜 アル・ウラ近郊キャンプ地
5.アル・ウラ近郊 〜 ヒジャーズ鉄道跡 〜 タイマ 〜 キャンプ地
6.キャンプ地  〜 ヒジャーズ鉄道跡 〜 キャンプ地
7.キャンプ地 〜 タブーク 〜 ジェッダ
8.ジェッダ 〜 市内観光 〜 メッカ近郊 〜
9.〜 関西空港


1日目 (関西空港 〜 リヤド)

サウジアラビア航空チャーター便
お正月など限られた時期に日本人観光客だけを乗せてリヤドに直行する、サウジアラビア航空のチャーター便。しかし、今年はイラク情勢のせいかガラガラでした。着陸間近になると、女性は皆、サウジアラビア航空から支給されたアバヤという黒い服とスカーフに身を包みます。これよりサウジ国内では、ずっとアバヤとスカーフ姿で過ごさなければなりません。

2日目 (リヤド 〜 市内観光 〜 ディライーヤ遺跡 〜 ハイル)

リヤド博物館
先史時代からのアラビア半島の歴史、サウド王家の歴史やメッカ巡礼のことなど数多くの展示品がある、とっても豪華な博物館でした。いつもは午前中は男性のみしか入れないらしいのですが、ガイド氏の力添えで我々うら若き女性の集団でも見学することが出来ました。

マスマク城
ここはサウジアラビアの近代史の中で最も重要な建物です。サウジアラビアを建国した王、アブドルアジズが、ラシード家からリヤドを奪還する際に攻め入ったのがこのマスマク城です。城門にはそのときに突き刺さった鏃が残されていました。
隣接するチョップスクエアでは、現在でも公開処刑が行われるそうで、主な刑は鞭打ちだとか。近くにはムタワ(宗教警察)の車なども止まっていて、なぜか緊張してしまいました。

マスマク城 ムタワ(宗教警察)の車


ディライーヤ遺跡 
リヤド郊外にあるサウド王国時代の古都で、18世紀後半から19世紀初頭に繁栄しましたが、1818年オスマントルコにより破壊されました。その後1902年にサウド家は再興しましたが、首都はリヤドに移されたので、ディライーヤは廃墟のままとなっています。

ディライーラ遺跡(写真館@) ディライーヤ遺跡


リヤドのスーク(市場)
リヤドに戻りマスマク城の近くのスーク(市場)を散策しました。後に訪れたジェッダのスークとは異なり閑散として活気に欠けていました。女性の姿は見られず、お店の人も外国人労働者です。この国では労働者は皆外国人で、サウジアラビア人は働かず、税金や教育・電気料金なども無料なのだそうです。日本も石油が出たらいいのになぁ。

ハイルの空港で
夜、飛行機でハイルに移動しました。ハイルに到着すると空港職員の方が、お茶やケーキを用意して出迎えてくれました。サウジアラビアは最近まで観光客を受け入れていなかったので、たまに来た私達が珍しかったからでしょうか、写真まで撮って歓迎してくれました。

3日目 (ハイル 〜 ジュッバ 〜 アル・ウラ)

カラート・アイリフ
ハイルの小高い丘にあるカラート・アイリフは13世紀末に建てられた要塞です。建物の内部に入ることはできまでんでしたが、テラスからハイルの町を一望しました。

カラート・アイリフ


ジュッバの岩絵
 
自然のままの乾燥した岩場に、古くは紀元前4000年頃に描かれたといわれる壁画や文字が残っています。描かれているのは、動物や狩をする人、部族の戦いの絵などと、上から下に書くのが特徴であるタムード文字などです。ジュッバとは「井戸」という意味で、近くにある井戸が地名の由来になっています。

ジュッバの岩絵 ジュッバの岩絵
ジュッバの岩絵(写真館H) ジュッバの岩絵(写真館I)


サウジアラビア料理

岩絵の見学後、岩絵の管理人アティークさんの家を訪れました。アラビアコーヒーやデーツのおもてなしの後、本場のサウジアラビア料理を現地の人たちと同じように、手を使ってご飯を握って食べますが、羊の肉と一緒に炊いているので油でギトギトで上手くいきません。
食後は、管理人さんの個人博物館に招待されました。彼は部族長の家系で、ご先祖は初めてサウジに来たイギリス人女性探検家をお世話したそうです。博物館にはそれに纏わるものや、古民具の数々、訪れた人の写真などがありました。今頃は、私達の写真もそこに展示されているかも。

サウジアラビア料理(写真館B) 伝統的な食事


4日目 (アル・ウラ 〜 マダイン・サーレ 〜 キャンプ地)

アル・ウラ博物館
博物館には、マダイン・サーレやアル・ウラの町の歴史、ヒジャーズ鉄道についての展示品がありました。ヒジャーズ鉄道は1908年、オスマントルコによりダマスカスとメディナを結ぶ巡礼列車として建設されましたが、わずか10年足らずで破壊されました。博物館で、100年前のアル・ウラ駅の写真を見た後、同じ場所に行き現在の様子と比べました。

アル・ウラ旧市街
アル・ウラは約1400年の歴史のある町です。20年前まで人が住んでいて、今は廃墟となっている旧市街を散策しました。土壁の同じ造りの2階建ての家が軒を連ね屋根まで繋がっているので、迷路の中を歩いてるようです。近くには預言者ムハンマドが訪れたというモスクもありました。

アル・ウラ旧市街 アル・ウラ近郊の奇岩


マダイン・サーレ
サウジアラビアの観光の目玉、マダイン・サーレは、紀元前1世紀から紀元後1世紀頃に栄えたナバティア王国の南の首都で、北の首都はヨルダンのペトラでした。遺跡は12.39平方キロという広大な範囲にわたっているので、四輪駆動車で移動して見所を見学します。
地元の人の間では、マダイン・サーレは呪われた所という言い伝えがあるので、人々はここに近づかないそうです。という訳でここに限りアバヤを脱いでもいいことになりました。遺跡内には131基のナバティア人のお墓の他、機関車が展示されているヒジャーズ鉄道の駅、ディワンといわれる宗教地区などがあります。ディワンではタムード人の壁画を見るため岩の細い隙間に入ったり、岩山を登って雄大な景色を眺めました。

マダイン・サーレ(写真館C) マダイン・サーレ(写真館D)
マダイン・サーレ(写真館E) ヒジャーズ鉄道 マダイン・サーレ駅
写真館Fマダイン・サーレ 写真館Gマダイン・サーレ



5日目 (キャンプ地 〜 タイマ 〜 キャンプ地)

砂漠のドライブ
マダイン・サーレ近くのキャンプ地を出発し、道なき砂漠のドライブを体験しました。自然の造形の奇岩を間をぬって走った後、ヒジャーズ鉄道沿いに点在する駅舎跡を見物しながら進みました。駅舎跡には、ボルトやネジ等の列車の朽ちた部品が散乱していたので、いいお土産物となりました。

タイマ
旧約聖書にも登場するタイマは、古くは紀元前8世紀のメソポタミアの記録にも名前が残されている歴史のある町です。ここには紀元前6世紀にできたといわれる、アラビアの歴史上最も有名なハダジの井戸があります。でも現在の井戸はゴミがたくさん浮いていて、放置されている状態でした。

砂漠のドライブ ハダジの井戸


キャンプ地
夕食まではお散歩タイムとなったので、近くに見えたサラサラの砂丘を目指しました。歩いてみるとなかなか遠く、1時間近くかかってやっと砂丘に到着。しかしここからが大変でした。足が砂に埋まって登れません。「3歩登っては2歩ずり下がる」を繰り返しやっと頂上へ。苦労した甲斐あって砂漠に沈む2003年最後の夕日は感動的でした。

砂丘の夕景(写真館A) 砂漠の夕日



6日目 (キャンプ地 〜 ヒジャーズ鉄道駅 〜 キャンプ地)

砂漠の日の出
今日は2004年元旦。夜明け前に起きてキャンプ地近くの砂丘へ初日の出を拝みに行きました。雲があったので諦めかけたとき、オレンジ色の太陽が砂丘の彼方より昇ってきました。今年も良い一年でありますように...
キャンプに戻ってからは、添乗員さんが焼いてくれたお餅を、現地スタッフの方が作ってくれた豆の煮込みに入れてサウジ風お雑煮をいただき、お正月気分を味わいました。

ヒジャーズ鉄道 ダハッド・ハッジ駅(No.42) 
今回訪ねたヒジャーズ鉄道駅のなかで、最も鉄道駅らしい駅でした。なぜなら、ここにはちゃんと線路と枕木が残っていたからです。線路は砂に埋もれていて、砂漠の鉄道らしさが感じられます。

砂丘の朝 ヒジャーズ鉄道 ダハッド・ハッジ駅


キャンプの夜 
今日でキャンプも最終日です。昼間は20℃以上あり車に乗っていると暑いぐらいなのに、夜は0℃近くまで冷え込みます。あまりの寒さに、アラビアコーヒーや甘いチャイを飲みながら、みんなで焚き火を囲み砂漠の最後の夜は更けてゆきました。

キャンプの食事



7日目 (キャンプ地 〜 タブーク 〜 ジェッダ)

紅海をぬけて紅海へ
朝キャンプ地を出発し、紅海に向かいました。透き通った水に思わず足を入れてみたくなりますが、ここでもアバヤ姿なので素足を出すなんてもっての外。でも他にも楽しみを見つけました。この旅では、すっかり拾い癖がついていたので、ここでは珊瑚や綺麗な石拾いに精を出しました。

キャンプ地の朝 メッカとメディナへの道


タブーク
ずっと砂漠のような所にいたので、久々に都会に来た気分です。この町にもヒジャーズ鉄道の駅舎跡がありましたが、これまで見た物とは違い、しっかり修復されていました。

8・9日目 (ジェッダ 〜 市内観光 〜 メッカ近郊 〜 関西空港)

魚市場
ジェッダではじめに訪れたのが魚市場でした。紅海で水揚げされたトロピカルな色の珍しい魚が多く、活気に満ちていました。ここで働いているのはインドやアフリカ諸国から来た出稼ぎの人たちで、陽気に魚を持ち上げてポーズをとってくれました。

魚市場 ジェッダ旧市街の建物


ジェッダのスーク
旧市街に隣接しているスーク(市場)は、大規模なもので買い物客で賑わっていました。デーツとアザーン時計を購入し、日本製品のまがいものなどを見ながら歩いていると、お昼の礼拝の時間になりました。するとお店は次々にシャッターを下ろし、アーケードの通りは真っ暗になり、あっという間に人影もまばらになってしまいました。

スーク(市場)にて(乳香) スーク(市場)にて(???)


メッカ・ロード
ジェッダはイスラムの聖地メッカへ約70kmあまりで、メッカへ通じる道はメッカ・ロードと呼ばれています。しかし、メッカに行けるのはイスラム教徒のみ。メッカより25km地点には、「イスラム教徒以外立入厳禁」の看板があり、異教徒はその先の検問所でUターンして帰されます。

イスラム教徒以外立入禁止


ジェッダの噴水
最後にジェッダにある世界一の噴水を見に行きました。高さ261mといわれる大噴水は美しくライトアップされているらしいのですが、この日はハズレでした。噴水は毎日出ているのもではなく、いつ出るか決まっていないきまぐれなモノだとか。最後もサウジアラビアらしさを感じつつ帰国の途に着きました。


●参考にさせていただいたもの●
旅の記録(西遊旅行 添乗員さん)
サウジアラビア航空資料
サウディアラビア王国(日本サウディアラビア協会)


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