「被団協」新聞 1999.6月


1面  核兵器も戦争もない21世紀を−ハーグ
2面 写真にみるハーグ会議 被爆者遊説団の派遣要請アメリカから届く
3面  原爆松谷裁判弁護団 反論書提出  反論書のポイント
4、5面 「被団協」新聞月刊化20周年座談会
6面 読者アンケートより
7面 各地のたより
8面 相談の窓

核兵器も戦争もない21世紀を ハーグで世界100カ国市民が決意 

 今世紀最後の国際平和行動となった「ハーグアピール '99(世界市民平和会議)」は、5月12日から15日まで、オランダ・ハーグで成功のうちに開催されました。

 集会に参加したのは100カ国、790の団体と、個人の1万人でした。

 「つたえよう ヒロシマ ナガサキ」代表団は、日本被団協、日本青年団協議会、全国地婦連、日本生協連、世界大会実行委員会、宗教NGOなどから76人、これに韓国原爆被害者協会とロンゲラップの核実験被害者を招待して、78人で会議にのぞみました。

 会議には、広島、長崎両市長、反核法律家協会の弁護士ら、日本から400人が参加しました。

 「つたえよう ヒロシマ ナガサキ」代表団は、「原爆と人間展」を開き、「つたえよう」の主催集会、アメリカ・フレンズ奉仕委員会主催の「世界のヒバクシャ」の集会や、反核法協主催の「ジャパンデー」などで被爆体験や被爆者運動を語るなど大活躍をしました。

 世界のヒバクシャの証言を聞いたロシア、アメリカ、ノルウエー、ハイチ、イギリスの青年たちが、核兵器の残虐性を実感し、「ユーゴ紛争で核兵器を使うな」と、国際司法裁判所までの平和デモを提唱、これを受けて14日、被爆者3人を先頭に200人が、ハーグ市民の拍手を受けてデモ行進するできごともありました。日本代表団は「ヒバクシャの訴えが青年たちの胸を打ち、自発的に起きた国際共同行動」と高く評価し、感動をともにしました。

 会議後は、ロンドン、ウイーン、アウシュビッツの3コースと、ベルギーのブリュッセルまでの「2000年核兵器廃絶平和行進」に参加する人とに分かれ、21日まで行動しました。

 この会議は、1899年に開かれた第1回平和会議から100周年を記念して開かれたもので、「戦争も核兵器もない21世紀」にするための民間レベルでの運動の展開を課題としていました。

 会議で採択された「21世紀の平和と正義のための提言(ハーグ・アゼンダ)」は、行動目標として「公正な国際秩序のための十原則」をかかげました。その第一項に「各国の議会は、自国政府にたいし、日本国憲法第九条にならって、戦争禁止の決議をおこなうこと」、第六項で「核兵器廃絶のための交渉をただちにはじめること」を盛り込んでいます。

 このアゼンダは国連と各国政府に提出され、その実行を求めるさらなる運動がはじまります。

 核兵器廃絶をめざす運動に、また新しい世論の力が加わったのです。

 しかし開会総会で、原爆投下が批判され、広島、長崎両市長が会議に参加していることが紹介されながらも、原爆被害と核兵器廃絶問題が正面に位置づけられなかったことが心を残しました。

 それでも、核兵器については軍縮や凍結ではなく廃絶しかないことが確認され、民衆の運動によって核兵器のない21世紀の展望をつくったことは大きな成功でした。   他の記事


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