■碧海猿渡駅第2展示室

その2:EF62、65(一般型、F型)の活躍

●EF58の引退から分割民営化まで

1984年に東海道系のEF58の大半が引退してからは団体臨時列車の担当はEF65PFが圧倒的に多くなりました。しかし、現在のJR東海エリアである静岡、愛知、岐阜地区からの列車を中心に沼津、稲沢両機関区のEF65もしばしば使用されました。当時の稲沢区には最多勢力の一般型のほかにF型、PF型が配属されており、特に区別されることなく使われていました。PF型以外が客車を牽くだけでも貴重な存在でしたが、特急塗装でありながら、その用途故に客車列車の先頭に立つ機会が少なかったF型、とりわけひさし付きのナンバーが運用に入ったときは注目度が俄然アップしたものでした。
 いっぽう、1984年から下関運転所に配属され、荷物列車専用に使用されてきた山男、EF62は、荷物列車の運用が整理されて余裕ができ、わずかに残っていたEF58から冬季のスロ81系お座敷客車牽引の任務を引き継いだほか、暖房電源を供給する必要のない新系列客車(12系や14系など)による臨時列車にも時折運用されました。
 1986年10月末にはEF62が引退し、翌年4月の分割民営化後には稲沢機関区から旅客会社に引き継がれた5両のみが客車列車の担当となったため、EF58の引退から分割民営化までの約3年間、団体列車の牽引機には記録されるべき数多くのバリエーションがあったことになります。


(注) 拡大画像はJava Script を使用しています。セキュリティーの設定次第では正常に動作しないことがあります。
EF65Fが荷物列車を代走
EF65533(稲)が牽く荷33レ

 定期の荷物列車ですが、EF65Fが荷物列車を牽くのは突発的な運用であったため、こちらで扱います。
 この日は大糸線へ出掛けていて、名古屋まで戻ってきて偶然見かけたものです。所定はEF62ですが、故障か何かで急遽代走となったものと思われます。EF65は当然暖房電源がありませんが、4月のため、支障はなかったとみられます。
 幸い停車時間が十分あり、じっくり撮ることができましたが、パレット車主体の編成で、一見貨物列車に見えてしまうことだけは残念でした。

EF6588+相鉄新7000系甲種
EF6588(岡)が牽く相鉄新7000系甲種

 国鉄時代末期の甲種鉄道車両輸送です。既に車掌車の連結は省略されています。牽引機、EF6588は貨物会社に引き継がれたため、JRマークがないことくらいしか国鉄時代を表わすものがありません。
 日立製電車の甲種は午前中に碧海エリアを上っていくことは近年に至るまで変わっていないようです。

EF6586+特大貨物
EF6586が牽く特大貨物

 積車状態では速度制限が厳しい特大貨物ですが、1986年にはまだ日中に運転されていました。この日、86.6.8は情報を得ただけで7本の臨時列車が走りましたが、そのうちの1本です。この年の11月には分割民営化前最後のダイヤ改正が行われ、東海道線では211系投入や117系の短編成化によって大幅な増発が図られたほか、後年にはスピードアップも行われ、制限速度45km/hの列車は次第に設定が困難になります。
 現在の野田新町駅上りホーム付近での撮影です。

EF6537+サロンエクスプレス
EF65516牽引の名古屋局12系お座敷客車

 サロンエクスプレス東京はデビュー以来、正月を名古屋で過ごすのが恒例となっていました。大晦日に下って1/2に帰る団臨が毎年走っていたためです。1984年2月のダイヤ改正以降、東京区のEF58は3両となり、稼働率も低いため、多くの場合EF65PFでした。この日もどうせPFだろうと、モノクロのカメラ1台だけ持って近場へ行きました。
 すると、来たのはEF65の一般型ではありませんか。予想外のカマにはあっと驚かされました。
 後年、本を見て知りましたが、雪害で金沢→上野の特急「北陸」が米原〜東海道線を迂回し、その牽引機の返却を兼ねたものだったようです。1日早いお年玉となりました。

EF62が牽く天理臨
大規模な設定で走った天理臨はごく僅かながらEF62も担当

 1986年1〜2月、教祖100年祭のため、天理教の団臨が多数設定されました。各地の操配用、予備車をかき集めて長大な編成が天理を目指しました。碧海エリアではほとんどEF65PFが牽きました。
 この日は土曜日ですが、午後から出社したと思います。8104レのスジで設定があることは把握していて、「念のため」カメラを持っていきました。東刈谷駅まで後ろを振り向きながら進み、源蔵山踏切の手前で警報機が鳴りました。やった、EF62です!
 余談ですが、後ろの23号バイパスの跨線橋はまだ完成していなかったことがわかります。

EF6546+ユーロライナー
EF6546(稲)+「ユーロライナー」9112レ

 86.6.8、この日は午前中だけで4本もの上り団臨の設定がありました。その内、3本が稲沢区のEF65です。当日が来るのが楽しみでした。
 しかし、3本のうち2本がPF型。稲沢のPFはデカパンの初期型で貴重なのですが、PF以外、できればF型をと期待していた当時はがっかりでした。しかも、1本は下り普通が頻繁に被る8102レと同じスジでもろ被り。
 唯一「ユーロライナー」は一般型でしたが、一般型のユーロもそろそろ飽きてきた頃でした。期待がため息に変わった日でしたが、今にしてみれば贅沢な話ですね。

EF65516+12系お座敷
EF65516牽引の名古屋局12系お座敷客車

 1984年2月のダイヤ改正後、それまでEF58が牽いていた団体臨時列車の大多数はEF65PFの牽引となりましたが、時々沼津のEF65も使用されました。当時沼津機関区のEF65はF形の比率が高く、運用がわかったときには極力撮影に行きました。
 なお、この日はスロ81系用に残ったEF58(宮)から運用が変更されたようでした。

EF6536+12系お座敷
貨物専用のイメージが強かったEF65一般型が客車を牽くのも珍しくなかった。

武豊線でC56の「SL1世紀号」を撮影した後、合間にこの列車を撮影しました。この頃は稲沢機関区のEF65一般型が客車を牽くのは珍しくありませんでした。後の「わくわくだんらん」も塗装変更、リニューアル前で、外観は一般の12系と変わりない頃です。
 しかし、この36号機は民営化後貨物会社へ引き継がれたため、客車牽引のシーンは今となっては貴重です。(このポイントは現在逢妻駅になっています。)

EF6234+スロ81系お座敷客車
EF6234牽引のスロ81系お座敷客車

 この頃はモノクロの引伸しセットを買ったこともあってかモノクロ1台だけ持って自宅近くで手軽に撮影ということもしばしばでした。EF62とスロ81系のカラー写真がなぜか1枚もありません。
 この日も手持ちの1丁切りでしたが、遅れていて、短気にもウヤかと思ってカメラをしまうと、ちょうど通りかかった保線係の方が線路脇に待避されるのが目に入りました。慌ててカメラを取り出し、なんとか撮ることができました。

EF6238+お座敷客車「くつろぎ」
暖房電源を必要としない12系お座敷客車「くつろぎ」をEF62が牽くこともあった。

 EF62の臨時運用は冬場にスロ81系客車に暖房用の電源を供給することが目的でしたが、暖房電源を必要としない客車もときどき牽引しました。
 高崎局の12系お座敷客車「くつろぎ」は碧海地区にも度々姿を見せましたが、ほとんどEF65PFの牽引でした。この日も期待せずにモノクロ1丁のお手軽モードでしたが、思いがけずEF62の牽引でやってきました。
 なお、この38号機は東海道、山陽線を走ったEF62では唯一篠ノ井機関区に在籍していた実績を有するそうです。同機を運命づけたできごととは?この写真をリクエストいただいた小林大士さんに解説をお願いしましょう。(02.4.18)

EF6231+20系「ふるさと号」
EF62の20系が実現!九州方面に帰省する自動車関連企業社員向けの臨時寝台列車「ふるさと号」

 愛知県の自動車関連企業に勤務する従業員の方は九州方面出身者が多く、これらの方々の帰省に自家用車の遠距離運転の回避、指定席の確保を目的に時刻表に載らない臨時寝台列車「ふるさと号」が運転されました。
 EF62がブルートレインの元祖である20系客車を牽引して快走する姿に触れ、東海道、山陽筋の機関車となったことを改めて実感しました。
 また、この列車は自宅の最寄り駅である東刈谷にも停車し、普通電車しか停まらない駅に停まるブルートレインとしても注目されました。
 快晴ですが風が強く、とても寒い日でした。

EF65520+14系、潮干狩り列車
武豊線のSL1世紀号を追いかけるように運転されたEF65520(稲)牽引の14系潮干狩り列車

 武豊線の「SL1世紀号」の最終日、それを追いかけるように14系10両の潮干狩り列車が設定されていました。SLを緒川-石浜で撮影後、渋滞する中をなんとか大府-共和間の踏切に到達し、急いでカメラを準備しましたが、モノクロ1台がやっとでした。
 こんな余裕がないときに限ってひさし付きのF型520号機が来るのですから皮肉なものです。今ならばこんな列車が走るとの情報が流れれば大いに注目を浴びることでしょう。(踏切のフェンスの後ろからの撮影です。)


●EF62(下関)の団体臨時列車運用

荷物列車専用であったEF62は1985年から冬季のスロ81系に限定で運用されるようになりました。スロ81系は東京(品川)と大阪(宮原)に各1本が配属されていましたが、必要の都度わざわざ下関からお迎えに行くわけではありませんでした。東京、宮原両機関区では荷物列車で到着後24時間以上停泊する運用が設けられており、団体臨時列車の運用が生じた場合にはそれに投入して不足するEF62を翌日同運用(ダイヤ)で到着した機関車を停泊させずに1日繰り上げて次の運用に充当し、臨時運用の機関車が復帰するまで変則運用を繰り返す方法が採られていました。全国1社であった国鉄時代ならではの運用と言えるでしょう。

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