■篠ノ井時代の面影を残すEF6238

02.04.18 NEW

碧海猿渡駅第2展示室のEF6238号機は小林大士さんから下関のEF62の中でも他機とは異なる運命をたどった機関車であるとしてリクエストをいただいたものです。それでは、小林さんに同機に関する解説をしていただきましょう。(碧)




下関(関)のEF62は、1984.2改正で高崎第二機関区(高二)から転属してきたものですが、このうち、38号は、篠ノ井機関区(篠)から高二を経て関へ転属という特異な経歴を持つ唯一のEF62として記憶に留めるべきカマでありましょう。拡大画像はここをクリックしてください。
 38号が篠から高二に転属したのは1976.10で、これは1975年に横軽で起きた4重連回送列車の脱線転覆事故により廃車となった12号及び35号の穴を埋めるためです。もしこの事故がなければ、38号は東海道・山陽筋を走っていなかったかもしれません。
 ところで、篠のロクニは、汽笛を前へ突き出した上嵩上げするという独特の形態を有し、この他、ステップの取替、助士側側面水切りの延長等の改造を施しており(ステップ、水切りについては52〜54号は未施工。)、38号も例外ではありませんでした。高二転属後もほとんど手を加えられなかったため、篠の特徴を備えたまま関へ転属し、その後汽笛覆いの撤去、電暖用ジャンパ詮受けの移設等、関特有の改造を受けたものの、汽笛の取付方法や側面水切り等随所に篠時代の面影を残しています。
 私はこれまで、晩年の38号の汽笛の形状がわからなかったのですが、みやさまの写真のお陰で明らかになりました。掲載していただきありがとうございました。

文: 小林大士様

1975年の事故は国鉄〜JR一の急勾配区間であった横川-軽井沢間では最も恐ろしいと言っても過言ではないブレーキの失効によって暴走したものですね。それが下関転属組のメンバーに影響を与えていたという訳ですか。
 31号機と38号機の拡大画像(小画像をクリック)を掲げましたが、確かに38号機は汽笛が高い位置に取り付いています。また、側面に回り込んだ水切りが31号はドアを過ぎるとすぐ折れ曲がるのに対して38号機はよく見ると水平の部分が長くなっています。これが篠ノ井に籍を置いていた証という訳ですね。

 機関車も人と同じように思わぬできごとが運命を変えることがあるのですね。最後になりましたが、興味深いお話を披露いただきました小林大士さんにお礼申し上げます。(碧)


第2展示室を新たに開く