(←拡大画像 javascriptを使用) 世間はGW入りしたことになっていますね。しかし、今年は曜日配列の関係で長期休暇が取りにくいとも言われます。個人事業の私には全くと言ってよいほどに実感がありません。
さて、今回は50年前の写真になります。既に一ヶ月ほど前、Xで公開しましたので、ご覧いただいている方もおみえのことでしょう。
野田新町ー東刈谷にある国道419号線から衣浦豊田道路につながる4車線の道路は東海道線の下を通っています。そのアンダーパス橋梁の工事のため、1974年に仮線に切り替えが行われていました。
1コマ目は当時の写真です。カーブと路盤強度の関係でしょうか、制限速度は50km/hでした。それゆえ、シャッター速度が遅いコンパクトカメラでもブレが最小限で納まるメリットがありました。
この列車は153、165系8連の基本編成の後部に165系4両を連結した12両編成。増結車は豊橋で切り離され、折り返し飯田線の急行「伊那3号」になりました。今なら「急行」は誤表示だと騒ぐ人がいそうですが、当時はほぼ誰も気にしなかったでしょう。幕がずれて違う表示になっていることなどしばしばありました。(この列車は違いますが)
(←拡大画像 javascriptを使用) 2コマ目は比較目的で最近撮ったものです。
まずは列車の説明です。列車番号は5087レ。この日はだいぶ遅れての通過でした。ダイヤ改正まではEF65PFの担当で、遠方から撮影に訪れる方もいたと聞きます。改正以降はEF210の担当になりました。しかし、概ね3月いっぱいは吹田機関区のEF66100番台が充当されました。その理由については、一部の方の推測をネット上で見かけました。それによると、2024年度分のEF210の新製投入が遅れており、デビューしていないEF210を補うための代走だったのではないかとのことです。なるほど、それはあり得そうですね。
ここからは仮線からの変化についてです。
仮線は右側の道路の位置に敷かれていました。橋ができ上って、1975年の秋ごろには上り線が本来の線路に戻りました。下り線は少し遅れて復旧しています。
奥のほうに見える瓦屋根の建物が現存する自動車整備工場。さらに遠方には送電鉄塔が見えます。(25.4.27)
仮想の鉄道、碧海電鉄へようこそ。碧海電鉄といってもかつて名鉄西尾線の前身として実在した碧海電気鉄道ではありません。当鉄道では愛知県出身の開設者が50年以上にわたって撮影した鉄道写真のアルバムをご紹介していきます。
改札口(いりぐち)
(全線均一無料)
リンクは自由です。特にご連絡は不要ですが、ご厚意は歓迎します。
必要あれば中身のページでもご自由にリンクして下さい。
画像の著作権は撮影者にあります。画像への直リンク、無断使用、転載はお断りします。
碧海電子鉄道 ©2000-2025