構内放送ログ

手動編集による皆様の声のコーナー「腕木信号」に掲示板を設置して3年が経過しました。掲示板をスレッド型に変更しましたので、手動編集による転載を休止します。このページはトップページ「構内放送」のログを掲載していきます。

乗車券発行

ホームタウンから


碧海電鉄全線


発行当日限り有効 0円
(碧海電子鉄道)ホームタウン駅発行
 
   

半年を経過したログの公開を終了しました。(24.4.7)

●構内放送(24.4.14)【動画:衣浦臨海KE65の3号機が秋田から帰還】

動画の閲覧はこちらから (←動画の閲覧はこちらから)この春の桜。開花が思いのほか遅かったのですが、いざ花が開いたらあっという間に満開。結果的に、見ごろは短くなった印象を受けます。長時間は出掛けられない日が続いたこともあって、結局桜の写真を撮りそびれてしまいました。
 さて、今回は動画です。衣浦臨海鉄道のKE653号機が全般検査を終えて半田埠頭に戻ってきたときの模様をご覧に入れたいと思います。
 23.6.4には5号機が帰還した時の映像を公開しています。同じようなシーンでは意義が薄れます。そこで、今回は原則的に撮影場所、アングルを変えました。
 本稿アップの段階で公開から概ね1日になっていますが、再生数が想像以上に大きく伸びています。国鉄色のDE10タイプ機が3台つながるシーンが見られるのは、なんともぜいたくな時間でした。(24.4.14)


●構内放送(24.4.7)【シリーズ40年前/重連ミステリー:このときは廃車前提だったEF5889】

4機種各々の重連によるリレーミステリー列車。アンカーはEF5889+EF58145。89号機の全般検査実施、民営化後も現役継続の動機づけになった列車とも言われる。直接的そうではなくても、庇付きの人気に着目されていたことの現れである。(←ツイートです)新年度最初の定期更新をお届けします。今回は久しぶりにXの埋め込みにしました。
 40年前の84.4.1、EF80、EF65PF、DE10、EF58が各々重連でリレー牽引するミステリー列車が走りました。当然行程は非公表です。しかし、ファンの間では情報がかなり広まっていて、アンカーとなるEF58についてが話題になっていました。「89は検査切れが近くて、最後にこのミステリーを牽かせるらしいよ。」
 ほんとうに走るのだろうか?まさかエープリルフールの釣りネタではないよね・・・?
 釣りではなく、実際に走りました。ここで、なぜこのような列車が運転されたのか。当時の国鉄の状況を振り返ってみたいと思います。
 国鉄の累積赤字は深刻化しており、分割民営化の報道も出てきていました。それでも、国鉄は少しでも収益を上げようと、さまざまな増収策を練っていました。
 鉄道ファン向けのイベント列車も次第に増えていきました。青梅線の「さようならED16号」や中央線の「EF15スイッチバックの旅」など、古い電気機関車も人気があることが幹部にも認識されていったことと思われます。
 1984.2.1は大規模なダイヤ改正でした。同改正では、貨物の取り扱い駅、貨物列車が大幅な削減となりました。機関車は大量に余剰車が出て、まだ新しいものは保留となったものの、結局短命に終わった機関車は少なくありません。
 運転や保守の要員については、貨物列車の大幅な削減の一方、電車の短編成化、増発の動きがあって、機関士から電車運転士への転換が行われました。それ以外にも、鉄道の現場から離れざるを得なかった方々も大勢いらしたものと思います。
 このような背景を考えると、機関車にも人員にも余裕がある状況で、それらを増収のために有効活用したと考えられます。
 40年を経た今、従業員は大幅に減りました。機関車についても、国鉄時代に製造されたものは残り少なくなってきました。それでも、EF80をEF81に、EF58はEF64に、客車は12系にすれば、物理的には同様の列車を走らせることができるということになります。それはそれで、驚きでもあります。
 最後に、この列車を扱った4周年記念企画第43回 「リレーミステリー重連の旅」のリンクをご案内します。(EF58の写真は工程表内にリンクがあります。)(24.4.7)


●構内放送(24.3.31)【愛知機関区最後のDE10が岡山へ/1986年、太多線で撮ったDE101557】

DE101557+12系6連のミステリー列車(←拡大表示)愛知機関区にただ1両だけ残っていたDE10形である1557号機。24.3.27(水)の8865レ次無動にて西へと運ばれて行きました。行先は岡山機関区のようです。
 過去に同じように岡山へ回送されたDE10がありました。旋回窓の寒冷地仕様機であった1592号機です。水島臨海鉄道への直通列車などの運用に充当されていたのはまだ記憶に新しいところです。同機はそのまま廃車になって、岡山県内で解体されたとのことです。愛知へは戻ることはありませんでした。
 その記憶があるせいか、Xの投稿には1557号機に別れを告げる内容のものが目立ちました。まだ断定は避けたいと思いますが、稲沢にあれだけたくさん配置されていたDE10(DE11含)がいなくなったとは、時代の変わり目が訪れたのを感じます。
 同機に関しては、過去に私自身、縁のある機関車であることを記事にしました。2020.6.21、「撮影を始めた46年前から今なお現役(2)」というタイトルで記しています。それから4年近くが経過しています。
 同記事では、最初の出会いが米原−田村の交直接続で、牽引した列車に乗車したこと。そして、更新後、名鉄車の甲種を牽いた写真を公開しました。(すみません。削除しており、過去ログにも残っていません)
 その際、太多線でも撮影したと記しました。今回はその写真をご覧に入れます。
 12系を使ったこの列車は1986年にミステリー列車として運転されました。DE101557は太多線、高山線経由で大垣までを担当。そこからTDE103号機が担当して、行先は神海でした。
 記録ノートに記載が漏れていて、撮影区間がわからなくなっていました。4〜5年前になりますが、スマホにこの写真を入れて、地元の方数名に見ていただいたことがあります。どこかわからないかとお尋ねしましたが、そのときは結局どなたもご存知ありませんでした。撮影から35年近く経っていますので、無理もないところでした。おひとりはインドネシアの方。なおのこと無理ですね。
1991撮影のキハ48542の写真が撮影ポイント特定の決め手に(←拡大表示) そして、ひょんなことから解決に至りました。
 1991年のGW撮影の写真をXに投稿した際、同じポイントで撮影したキハ48の写真を見つけました。google ストリートビュー(←画像表示)で調べたところ、列車の後方に写っている橋と、その後ろに建つ建物が決め手となり、場所が特定できました。下切から約800mほど北側。川は姫川。橋は神田橋とみられます。
 地元の方にお尋ねしてもわからなかった場所が、このように判明して、とても驚きました。
 次回定期更新は新年度に入ります。構内放送で半年を経過した記事を整理の予定です。(24.3.31)


●構内放送(24.3.24)【動画:福井鉄道の前に北陸本線の細呂木へ】

動画の閲覧はこちらから (←動画の閲覧はこちらから)24.2.3に福井鉄道の動画を公開しました。その日は福井鉄道の前に北陸本線の細呂木へ行っています。せっかく前泊したため、福井までやって来る急行「能登」を撮ることにしたのでした。動画には撮影時間が記録されています。「能登」は7:38(ただし、ビデオカメラの時計なので、誤差はあり)。その5分前にEF81が牽く貨物列車が来ました。タンク車が主体の車扱い貨物です。
 最後尾から2両目にはトキ21500形が連結されています。「トキ」は無蓋車を表しますが、この形式については屋根なしではありません。この列車の同形は鋼板コイルを積んでいました。雨ざらしでは困る製品だったのでしょう。
 希少な形式であり、雑誌でも取り上げられたと記憶しています。このような貨物列車がたまたま主目的の列車の5分前に来るとは、なんともラッキーでした。三脚にカメラを固定して撮ったものですが、同型の走行シーンは「いくらでもある」ものではないようです。(24.3.24)


動画福井鉄道の動画を画質改善の上、再アップ

動画の閲覧はこちらから (←動画の閲覧はこちらから)前項でも触れていますが、99.10.24は福井鉄道のイベントに参加して、その動画を公開しました。しかし、どうも元映像に対して、劣化が大きすぎる気がしておりました。全体的にモワーッとした感じで、鮮明さに欠けるのです。同日に撮影した北陸本線、細呂木での映像を編集してみて、このまま放置するわけにはいかないと思うに至りました。
 既に旧映像は限定公開(チャンネルの映像リストには非表示で、urlからだけアクセス可)にしています。せっかく高評価を付けていただいた皆様には申し訳なく思います。
 内容が全く同じで、画質を改善しただけではいかがなものかと思います。最後の方に映像がなく、写真だけを撮影したシーンを追加しています。


●構内放送(24.3.17)【動画:武豊線での315系、311系の交代劇】

この週末、碧電エリアでは話題が豊富でした。(24.3.17)

●3/16ダイヤ改正、武豊線で315系が営業デビュー、311系は同線から撤退か?

動画の閲覧はこちらから (←動画の閲覧はこちらから)本稿では扱いませんでしたが、1/19に315系が武豊線で試運転を行いました。訓練が行われるのかと思いましたが、結局実施されることなくダイヤ改正を迎えることとなりました。
 前日、いつも311系の運用の調査をしている鉄道仲間から、改正前の最終日、3/15は武豊線の大垣車の運用が全て311系になりそうだとの連絡が来ました。しかし、夕方になって、続報が入りました。名古屋16:13の区間快速武豊行2848Fと次の名古屋16:43発2850Fの2本に315系が入る見込みとのことでした。この時点で、さらにもう1本前の2846Fには311系が入っていることが確認されています。急なことゆえ、十分な調査はできませんでしたが、その311系と315系が並ぶのではないかと期待されました。
 しかし、すぐに出ても2850Fしか間に合いません。取り急ぎ調べた結果、交換列車があるのは石浜駅です。315系が駅を出るところの踏切に到着したのは数分前になってしまいましたが、カメラを取り出すと、間もなく列車が接近してきました。315系C109編成が到着すると、いったん遮断機が上がりました。そしてすぐにまた踏切が閉じました。遠くに見えてきたのは、やった、311系です。今回は石浜駅での311系と315系の交換の模様をご覧に入れます。
 その311系ですが、武豊線からは撤退するという話が聞こえてきます。全列車が神領車両区持ちになるようですので、よほどのダイヤの混乱がない限り、311系が武豊線に入ることはなさそうです。
 そして、改正前日のその日のうちに311系G2、G14の2本が廃車予定車として西浜松へ回送されたそうです。311系の稼働車は残り5本となりました。


●名鉄三河線三河知立駅の移転と仮線切替

3/15はもう一つ記録すべき動きがありました。それは、名鉄三河線の三河知立駅が高架工事に伴って竜北中学校付近へ移転したことです。同時に名古屋本線の高架下から新駅の手前の道路の高架下までの間が仮線に切り替わりました。
 それらの動向については、知立駅高架工事の動きを毎週youtubeに出されている方がおみえです。私も深夜、工事の状況を見てきましたが、今後、動画を出すことがあっても、内容がかぶらないようにしたいと思っています。
 その工事で、ひとつ驚いたことがあります。それは、工事の作業を同級生が担っていたことです。彼は私が鉄道ファンであることを知っていますので、驚き方は軽度でした。仕事の様子を見せてもらいましたが、高いところに昇って手慣れた様子で作業を進めていく様は、とても見事だと思いました。幼いころから知っている仲間が各々技を磨いているのだということを実感しました。


●構内放送(24.3.10)【動画:ロイヤルエクスプレス返却甲種輸送】

動画の閲覧はこちらから (←動画の閲覧はこちらから)ロイヤルエクスプレスが四国へ向けて甲種輸送にて四国へと向かったのは昨年末、12.29のことです。現地でのツアー列車の運行が終了して、3.7の夜には高松を出たとのことです。碧海エリアは翌3.8の8862列車にて運行されました。
 朝からよく晴れていましたが、西の方から次第に雲が流されてくるのが気になっていました。
 矢作川橋梁には20名くらい集まっていたでしょうか。送り込みの下り列車よりも大幅に人が少ないようです。
 通過予定は11:35過ぎくらいと思われます。ダイヤの乱れ、遅延はなさそうです。通過時間が近づくにつれて、雲が増えてきました。そして、大きな雲に陽がさえぎられたとき、遠くにEF210のヘッドライトが見えました。
 なんてこった。よりによって本番だけ陰るのか・・・。こればかりは運次第ですから、どうすることもできません。
 ところが、どうでしょう。列車が橋の上に乗ると、雲の隙間から陽が射し始めたではありませんか。どんな状況であったかは動画をご覧いただくのがいちばんです。このような陽の当たり方は奇跡的であったと思います。
 ちなみに、橋のたもとで構えていた方は良好な光線状態で撮れたようです。
 通過まではやきもきしました。四国ツアーは来年も行われる計画とのこと。次はどんなシーンを見せてくれるでしょうか。(24.3.10)


●構内放送(24.3.3)【シリーズ40年前/EF62の下関転属】

広義の6000系では貫通型、鉄仮面、金魚鉢の3タイプが全て入った混色編成(←拡大表示)名鉄6000系でリバイバル色の3本目となる6009Fが3.2に御嵩駅で発車式を行いました。2002年に引退した3400系がまとっていた通称「いもむし色」です。濃い緑色が明るすぎるという意見も聞かれますが、6000系の車体にはこれくらいのほうがよいようにも思います。
 公式には3.2が新色での運行開始日になっていますが、実際には前日から営業運転に入っています。
 23.12.13、白帯車6011Fが舞木検査場を出場したときは面白い運用で犬山へと向かいました。そのときの運用をメモに残してあり、今回も同じパターンであることを想定していました。
 すると、3.1、伊奈発1581レ東岡崎行に入っているとの目撃情報がXにアップされました。ありがたいことに6011Fと同じダイヤになりそうです。
 東岡崎からは1685レ豊明行になります。目玉は、新安城から後ろ側に6R車2x2を併結することです。6Rの「ブツ6」の先頭に立つことになります。
 組成がわかりやすいように境川の堤防からサイドアングルで構えました。通過の前後だけ陰ってしまったのは残念でしたが、貫通型+鉄仮面+金魚鉢という面白い編成を記録することができました。
 翌、3.2は発車式などを見に行かないかというお誘いがあり、参加することにしました。
 参加者は3名。皆「まる乗り1DAYフリーきっぷ」(3200円)を購入しました。誘ってくれた人は14:30には名古屋駅に戻らなくてはならないとのことで、犬山駅で解散としました。
 フリー切符では、10〜16時の間、特別車の空いている席を利用することができます。3.16のダイヤ改正でその特典がなくなってしまうとのことです。せっかくの機会でしたので、「ミュースカイ」で中部国際空港まで行きました。そして、神宮前まで戻ってきたところで16時になりました。
 御嵩へは久しぶりに行きましたが、撮影ポイントは駅から近く、10度に達しないと予報された寒さもさほど気になりませんでした。おかげさまで楽しい1日となりました。(24.3.3)


●構内放送(24.2.25)【シリーズ40年前/EF62の下関転属】

下関へ転属するEF62は数回に分けて、2〜3両がまとめて回送された。おざようさんのX投稿、鉄F誌1984-5 P106資料によれば、3両はEF6216(梅小路)、29(宮原)、20(姫路第2)で、各々訓練に使用。 1984.2.9 与野付近にて(←ツイートです) 1984.2.1ダイヤ改正では、機関車に転属や置き換えなど、大きな動きがありました。特に注目されたのは、信越線、高崎線用のEF62を下関へ転属させ、東海道、山陽線の荷物列車用EF58を置き換えたことでしょう。
 EF62はダイヤ改正まで使用されているため、すぐに下関の運用にというわけにはいきません。私はたまたま転属計画の資料をいただいたため、転属車の回送を撮影に行くことはできました。しかし、先輩の紹介でアルバイトを入れていたため、何とか撮れたのは2回だけです。
 写真をXに投稿したところ、多くの方がコメントなどを寄せて下さいました。
 ブログをご覧になった方も多いと思いますが、岐阜のおざようさんからは、私が撮った列車を稲沢あたりで撮られたもの(←ツイートです)や、1回だけEF66が牽いたEF62の回送の写真を公開いただきました。
 一連の投稿では、EF58の置き換え用として、北陸線で余剰になっていたEF70を直流化改造する案があったことが話題になりました。しかし、2年半後の1986年11月改正で荷物列車が廃止になってしまいました。民営化までに廃止になるのは目に見えていたという意見もありました。
 モーターは直流ですが、交流機と直流機では制御方式が異なるため、改造には相当な費用がかかったことでしょう。これらの事情を考えると、資金や手間を投じてまで改造を実施することはなかったであろうと思われます。(24.2.25)


●構内放送(24.2.18)【シリーズ40年前/EF66901号機】

雪晴れの品川駅。EF66901号機が入ってきました。(←ツイートです) wifiネットワークの調子が悪く、通常使用していないPCに移し替えてやっとアップできました。2/18ギリギリですね。
  さて、今回の写真はXにて公開していますが、Xを使用せずにご覧いただきます。(過去ログ移行後、適当な時期にXの埋め込みに移行します。)
 貨物輸送の大変革となった大規模なダイヤ改正、84.2.1の当日は品川駅にいました。貨物列車の変化を感じることはありませんでしたが、前日までEF58で運行されていた列車の多くがEF65PFに変更。東海道系EF58の衰退を実感しました。
 駅に滞在中、EF66が入換でやってきました。前面窓のピラーが太いため、遠くからでも「あれ?901かな?」と気づくことは多くありました。
 当時、EF66は下関運転所に集中配置されていました。ブルートレインを牽くようになったのは、翌年3月のことです。2.1ダイヤ改正ではEF60にも多くの余剰車が発生しましたが、高速貨物列車が数多く走って、EF66の需要が高まったということは、まだなかったと思います。
 901号機は民営化後は貨物会社の所属になりました。しかし、引退後は部品取りとなり、解体されてしまいました。
 京都鉄道博物館に保存中の35号機はJR西日本から貨物会社に要請があったときに廃車になったものからたまたま選ばれただけで、これといった特徴のない機番です。このような経緯を思うと、EF66形のプロトタイプである当機が失われてしまったのは、たいへん残念に思います。(24.2.18)


●構内放送(24.2.11、一部2.12加筆修正)【名鉄6500系デビュー40周年/6517Fがリニューアルして三河線へ】

おそらく久しぶりの三河線。6500系鉄仮面が高浜川を渡る。(←拡大表示)名鉄6500系がデビューから40年を迎えました。6501Fに記念板が掲出されていますが、公式にも「鉄仮面」の表現を使っているのは驚きました。
 手元には鉄道ファン誌1984-5号があります。40年前、EF58→EF62への移行に向けて、最後の活躍に入ったEF58たちの動きの記事を探すのが目的でした。ちなみに、同誌の表紙は6500系になっています。
 また、「POST」の記事によれば、84.2.13に6500系8両が日車豊川から発送されたとあります。(ここから24.2.12修正)一方、新車ガイドの撮影日は84.2.15で、日車工場内に佇む6503Fが写っています。この時点で既に6501、02Fは発送済と読み取れます。
 名鉄公式HPによれば、同系のデビューは84.2.6になっています。鉄道ピクトリアル臨時増刊号【特集】名古屋鉄道の車歴資料によれば、6501F、6502Fの竣工は確かに84.2.6です。
 84.2.13竣工の車両は6000系6045F〜6048Fとなっています。日車発送の日付は一致しますので、「POST」の記事は6500系ではなく、同時期製造の6000系9次車なのかも知れません。
 また、これらの資料から読み取れるのは、竣工日は甲種で大江へ到着、納車された日になっている模様です。したがって、デビューと言っても、まだ試運転前で、営業デビューではないものと推測できます。(24.2.12修正ここまで)
 6500系は既に廃車が発生しています。しかし、一方では、新しい編成のリニューアル、ワンマン対応改造が行われました。整備予定は8本で、「金魚鉢」編成全てでは1本足りません。結果的に、6500系では「鉄仮面」最後の1本となった6517Fも改造対象になった模様です。
 内装は「銀電」並に。そして、外観で目立つのは、開閉可能な客室窓の保護棒の設置と、行先、種別表示のLED化でしょうか。
 舞木検査場への入場が長期に及んでおり、動向が注目されていました。24.2.5に出場試運転を行い、夜間、豊明へ回送されたとのこと。豊明留置の段階で行き先表示が「佐屋」になっていたといいます。翌2/6の営業運転開始によって、知立14:47発の碧南行で三河線に入ることが運用に詳しい人にはすぐにわかったようです。
 当日は仕事関係の講習をオンラインで受講する予約を入れていました。しかし、前日の段階でシステム障害があって、予約を延期してもらいました。スケジュールが空いたため、高浜川の鉄橋へ行ってみました。
 鉄仮面の6500系はツーマン運転の時代には三河線へも入っていたものと思われます。それが、再び頻繁に見られるようになりそうです。(24.2.11、一部2.12加筆修正)


●構内放送(24.2.4)【動画:福井鉄道デキ3、モ562ほか】

動画の閲覧はこちらから (←動画の閲覧はこちらから:画質改善再アップ版です。)福井鉄道では、荒れるがままに任せていたデキ3号ELが修復され、きれいな状態に蘇りました。ただし、通電ができないため、走行させるのは無理のようです。
 また、名鉄岐阜市内線で使用されていたモ562号は廃線後、福井鉄道に移籍しています。廃車後はジェイアール貨物北陸ロジスティクスという会社に引き取られました。同社では複数の鉄道車両を引き取り、整備の上販売する事業も行っていましたが、既に当該事業からは撤退しているとのことです。モ562号については、解体寸前まで行っていたようです。
 その車体が有志の方々によって救い出され、岐阜県内に移送のうえ、修復が始まっているとのことです。
 保存車の解体処分が相次いでいる昨今においては、どちらも朗報と言えましょう。保存の継続には労力を注いでいる方々がおみえになるわけで、頭が下がる思いです。
 このたび、前記の2車両が登場する映像を公開しました。1999.10.24、名目上はホサ1形貨車の引退を記念したイベントでしたが、事実上は電気機関車のほうに注目が集まっていました。そのイベントの一環として、モ562号も運行されました。
 1990年代後半から2000年代当初の頃にかけて、各地の中小私鉄では、このような所属の機関車を使用したイベントが行われました。地味な存在の事業用の機関車も人を呼ぶことができるアイテムとして認識されたものと思われます。
 しかし、その後は中小私鉄の経営環境が厳しくなり、また、人的な余裕もなくなったことから、これらのイベントはほとんどなくなってしまいました。
 今回の更新では、構内放送で扱っていた名鉄三河線関係の写真3コマを常設化しました。こちら (←甍ヶ淵駅第2a展示室)からご覧ください。(24.2.4)


●構内放送(24.1.28)【名古屋港線、早くも運行終了か?】

青色更新色のDE10が牽くキヤ97。(←拡大表示)2週連続ウォーキングに参加していましたが、実は、この週末も名鉄ハイキングに参加しました。結果的に、3週続きの参加となりました。スタートが知立駅。ゴールが富士松駅と、気軽に参加できるコースだったためです。
 アプリから発行されるデジタルクーポンで藤田屋の大あんまきのサービス券をもらいましたが、使用可能なのは2月中。しかも、知立市内、国道1号線沿いの本店のみで使えるとのことです。遠方からの参加者には実質上使えないクーポンだったかもしれません。
 さて、今回は名古屋港線の話題です。
 同線は4/1付での廃止が国土交通省に届け出されたことが報道されました。しかし、Xでの投稿によれば、1/25の運行が最後で、レールの発送が終了したとのことです。1/27(土)は所定の運転日ですが、単機すら来なかったとのことです。
 3月16日のダイヤ改正で終了など、前倒しによる運行終了はあり得ると思いましたが、まさか2ヶ月も前に終わってしまうとは思いませんでした。
 これ以降、廃止までは「運休」という扱いになるのでしょうか。このことは公式な発表がありませんでしたが、100年を超える歴史がある路線だけに、あっけない幕引きは寂しいものです。
 この機会に同線の写真を探してみました。すると、2008年にたびたび訪れていることがわかりました。同年の3月からキヤ97をDE10が牽くスタイルになり、自走可能な気動車をDLが牽くという見慣れない組成が興味を引いたのでしょう。
 何コマかピックアップした写真から選定したのは、DE10の青色更新色であった1581号機が牽く名古屋港行です。2008.6.28、名古屋駅で撮影したのが10:11。そのあと、名古屋港で入換をしている写真が残っているのは、少し驚きました。撮影時間は10:36です。きわどいながらも、なんとか間に合っていたことになります。
 地下鉄の栄乗り換えでは到底無理だったでしょう。記憶がないながらも、東海道線か中央線の電車で金山へ行き、ここから地下鉄で築地口へ行ったものと思われます。他の日に撮った写真もありますので、通過時刻や撮影ポイントへの移動については熟知していたことでしょう。
 DD200に変わってからは動画を1度撮っただけです。もう少し撮っておきたかったと思っても、残念ながら、もう遅いということになってしましました。(24.1.28)


●構内放送(24.1.20)【動画:名鉄築港線レア6000系6両スペシャル】

動画の閲覧はこちらから (←動画の閲覧はこちらから)定期更新には1日早いですが、動画をアップしましたので、取り急ぎご案内します。
 2024.1.19、表題のイベントが行われました。イベントとはいえ、本来は事業用の廃車回送です。それを参加者を募集してのイベントにするとは驚きました。
 日中の走行は大江→東名古屋港というごく短区間です。そこで珍しいEL牽引の廃車回送が行われるとなると、ギャラリーが大挙して押し寄せ、混乱が生じるのではないかと心配になりました。
 しかし、既にEL牽引の廃車回送は何度も行われているためか、明らかに人が増えたという印象は持ちませんでした。
 今回廃車になるのは、6017Fのほか、昨年末に舞木検査場に入場していた6001Fの中間車2両です。先頭車2両について、まだ公式発表はありません。どうなるのかについては、動向を見守りたいと思います。(24.1.20)


●構内放送(24.1.14)【今週はさわやかウォーキング/JR東海名古屋工場へ】

名古屋工場で全般検査中の213系H3編成(←拡大表示)先週は「名鉄ハイキング」に参加しましたが、今週はJR東海の「さわやかウォーキング」に参加しました。先週参加のメンバーとやり取りをしていましたが、「雨ではねぇ・・・。」と、消極的です。「またの機会にしましょう」と、グループでの参加は見送りました。しかし、JR東海の名古屋工場はぜひとも見たいと思ったので、私単独で参加しました。
 名鉄ハイキングはアプリで「参加する」をタップします。しかし、JRは紙のコースマップを受け取るだけです。これが見学先の「入場証」になります。
 狭い生活道路を避けているのか、遠回りをして、JR八田駅を経由。まずはJR東海バスです。バスのことはわからないのですが、Xのポストによれば、乗務員訓練用のバスが展示されていたとのことでした。
 雨の中、7.3km歩いてやっと名古屋工場に着きました。ここに来たのは1986年の国鉄時代以来ではないかと思います。天気のせいか、人出は少なめと思われます。
 公開されていたのは、383系の2両と313系、213系です。いずれも検査、整備中で、仮台車を履いていました。
 建屋内の公開はなく、短時間の見学で終わりました。国鉄時代の名古屋工場や、吹田工場や大宮工場では整備ラインを見られたので、多少の物足りなさは感じました。しかし、近年は鉄道好きな方が大幅に増えているので、公開範囲を広げると、受け入れ困難になるとの判断があったのかも知れません。幕表示については、当たり前ではないものを選び、しゃれっ気を持たせたとのことでした。各車とも、通常は見られないものを表示していました。
 ゴールの名古屋駅に着いたのは13時頃です。皮肉なことに、ゴール後、急速に天気が回復してきました。
 今日はゴールまで一度も座っての休憩がなかったためか、先週よりは疲れの度合いが大きいと思います。JRも名鉄もよいコースがあったら、また参加したいと思います。(24.1.14)


名鉄ハイキングのコースとして、名古屋臨海鉄道の車両区が公開された。(←拡大表示)この週末は「名鉄ハイキング」に参加しました。コースで名古屋臨海鉄道の車庫が公開されるので行かないかとのお誘いを受けていました。
 まずは前日、広く名鉄関係のサービスを受けることができるアプリ、「CentX」をセットアップ。ウォーキングイベントの会員登録を済ませました。これは迷いなく完了しました。
 当日はスタート地点となる常滑線、柴田駅に参加メンバーが集まりました。朝から雲一つない快晴です。
 アプリでは、コースの地図と、今、どこにいるのかが表示されます。複雑なルートでもコースを間違えるリスクが下がります。これはなかなか便利ですね。
 名古屋臨海鉄道では、紙のコースマップの提示またはアプリのクーポンを適用する必要があります。私はアプリの使用が初めてですので、係の方に手伝っていただいて、クーポンが適用されました。これが立ち入り許可証のようなものになります。
 機関車にヘッドマークを取り付けたり、社員の方の説明を受けることができたりと、想像以上に充実した内容でした。
 写真は既に引退したND55215号機(右)と連結したND5527号機(左)です。15号機は元国鉄のDD13形。名古屋貨物ターミナルで入換用に使用されていましたが、既に引退しています。撮り逃してしまい、もう撮れないものと思っていた機関車です。国鉄のDD13形は40年前の1984.2.1ダイヤ改正で壊滅的と言えるほどに引退していますので、近年まで活躍を続けていたのは、驚異的ともいえます。このあと切り離されたため、2両連結の姿は短時間です。
 ここからはメンバーが3人になりました。東名古屋港駅を経由して、大江駅付近のスターバックスで休憩にしました。
 2人はもう十分満足できたし、踏破するつもりはないと言います。ここで解散になりました。ここからは私単独でゴールを目指します。
 ところどころチェックポイントがあり、そこへ近づくと「チェックイン可能」というメッセージが表示されます。気づくのに遅れて、名電築港の「ダイヤモンドクロッシング」では「チェックイン」(通過済スタンプに相当)を逃してしまいました。しかし、一つでも逃すと踏破達成にならないという厳しいルールではありませんでした。
 名古屋臨海鉄道で長居したせいか、カネハツ食品での販売は終了(完売)していました。
 駅から自宅までの徒歩を含めると、今日1日で14kmほど歩いたと思います。コースについては、一気に歩いてしまわないで、大江で1時間ほど休憩したのは、過負荷を回避する意味で大切であったと思います。
 最後に、名古屋臨海鉄道の皆様のおもてなしに感謝申し上げたいと思います。(24.1.14)


●構内放送(24.1.7)【訪れた当日の映像が公開された! 41年前の筑波鉄道】

元日は能登半島の大地震、翌1/2には羽田空港における飛行機の衝突炎上事故。2024年は波乱の幕開けになっています。
 地震については、震源が浅いせいか、地盤の変状が著しいようです。その結果、ただでさえ限られたルートしかない被災地への道路が、各所で寸断されてしまいました。救援物資は集まっていても、それを現地に届ける手段がないとは、とても歯がゆい思いです。
 飛行機事故の海上保安庁機は震災関連の支援物資の輸送に従事していたといいます。地震がなければ、事故も起きなかったであろうと思われます。
 テレビでは奥様やお子さんを一気に亡くされたご主人(複数の方)がインタビューに応えられていましたが、おかけする言葉がありません。

動画の閲覧はこちらから (←動画の閲覧はこちらから) さて、碧電では茨城県にあった筑波鉄道のページを公開しています。昨年5月には筑波山のふもとあたりを訪れて40年となり、Xで新たな写真も公開しました。
その筑波鉄道について、訪問年である1983年の春に撮影されたという動画が公開されました。動画を紹介したXのコメントには「筑波号の動画が!」とあります。早速視聴してみました。

 「気動車の3両編成か。ここまで長いのは珍しいんだよな。そういえば、私が行った日も3連が走っていたな・・・。」

 「おお、ロッド式のDD501が牽く『筑波』が出て来た。ロッド式なのに、意外と速かったんだな。」

まさか41年前、筑波鉄道訪問当日の映像を視聴できるとは。(←ツイートです)
「待てよ、キハ761号先頭の3両編成、これ、私も撮っているではないか。」

(巻き戻して)
「2本目に出てくる3連は元江若の511号が先頭だ。撮影記録ノートに記載された編成と一致しているぞ。そうか。私はこの列車に乗って筑波へ向かっているんだ。」

 それ以外にも撮影した列車と同じ組成の編成が映っています。どうやら、撮影日は私が訪問した1983.5.3の可能性が極めて高いことがわかりました。
 映像を再度確認して、私が訪問した日に間違いないと思う手掛かりが見つかりました。それは、映像の6:02のところ、薄緑色の機器ボックスあたりを「筑波号」と並走する自転車が写っています。私が撮った写真にもその人が写っています(←ツイートです)
 41年目にして、筑波鉄道訪問当日の映像を拝見できるとは思いませんでした。貴重な映像を公開いただいたyoutubeチャンネル「蔵太和安久」様、映像の撮影者さんに感謝申し上げます。(24.1.7)


●構内放送(24.1.1)【謹賀新年/撮り納めは「ロイヤルエクスプレス」甲種輸送】

大勢の撮影者の熱い視線を浴びて、「ロイヤルエクスプレス」が高松を目指す。(←拡大表示)明けましておめでとうございます。2024年の元日、碧海エリアは雲一つない快晴になっています。Xには撮り初めとなる311系特別快速を投稿しましたが、トップページは年末に通過した「ロイヤルエクスプレス」甲種輸送にしました。
 同車は観光列車に改装後、電源車を連結して北海道への乗り入れを果たしました。低金利の長期化によって、経営安定化基金の運用益(赤字補填の原資)が大幅に減っていたところに、コロナ禍による利用客の大幅な減少によって経営環境がいっそう悪化。JR北海道を支援しようとする働きかけに、運行エリアの拡大をチャンスと捉えた東急の思惑が一致して実現したものと考えています。
 経営環境の厳しさはJR四国も同様。四国での運行が始まるのは、自然な流れなのかも知れません。もちろん、北海道における運行の成功があってのことであろうと思います。
 東海地方には明確な観光向けに特化した仕様の車両がありません。それゆえ、「ロイヤルエクスプレス」の通過は多くの方が楽しみにされていたことと思います。碧海エリアの通過は12.29。年内の業務や学業を終えていた方が多かったであろうことから、各地の撮影ポイントは想像を超える賑わいになったようです。有名ポイントは日の出の頃に行っても既に多くの方がポジションを確保されている状況であったと聞きます。
 四国ではトンネル高さの関係で、パンタグラフを上げて自走することができない区間があり、電源車の連結は必須であることを表現したいと考えました。
 自ずとサイド寄りのアングルになりますが、立ち入りが可能なところは間際になって人が入り込んでしまうリスクがあります。さらに、大人気のポイントは避けたい・・・。その結果、選定したのが西岡崎−岡崎の陸橋となりました。
 中にはかつてのブルートレインのように撮りたいという意図から、アウトカーブで最後尾の電源車を隠して撮られた方もいらしたようです。
 ここも盛況でしたが、特に混乱はありませんでした。
 同車の四国における運行が無事に実施されることを期待したいところですね。
 本年も碧電をよろしくお願いします。(24.1.1)
 (追記)元日の昼頃に更新しましたが、夕方の地震には驚きました。能登半島を中心に大きな被害が出ているようです。お見舞いを申し上げます。


●構内放送(23.12.24)【年内最終更新/動画:2023年引退車両集(JR東海、JR貨物)】

動画の閲覧はこちらから (←動画の閲覧はこちらから)気づけば2023年は残すところ1週間となりました。大晦日が日曜日になりますが、その日に「良いお年を」と言ったところで、僅かな時間で年が改まることになります。それゆえ、今回を年内最後の定期更新とします。
 年末のテレビ番組では、その年に亡くなった著名人を振り返る企画がよく放映されます。だからというわけではありませんが、碧電でも今年(2023年)に引退を迎えた車両たちの映像をご覧いただくことにしました。
 JR東海の車両で登場するのは、211系5000番台、キハ85系、311系です。キハ85系は全車が除籍。西浜松へ廃車回送済の車両について、本日時点では、キハ85-1112の1両だけが解体保留となっているようです。(→その後、24.2.7、ついに解体されて、貫通型先頭車は消滅したとのことです。)
 211系は神領車両区配置車が全て西浜松回送済。311系は12/20、12/22に合わせて3本が離脱。残りは7本と、残存編成が半数を下回りました。
 これらは、分割民営化初期の1988年から1989年にかけてデビューした形式です。211系、311系は国鉄車の流れを汲んでいるものの、キハ85系は走行性能、車体構造など、驚くほどの変化があった車両であったと言えるかと思います。いずれの映像も廃車(予定車)回送となります。
 一方、JR貨物に関しては、EF65PFの貨物更新色機が短期間に相次いで引退を迎え、稼働車は全て国鉄特急色となりました。一時は更新色が多数派で、国鉄色は残り僅かのところまで行ったのですが。
 国鉄時代に製造されたものですが、既に5年前に全車が引退したEF200とは比べ物にならないほどに長寿で、EF66-100番台と残存両数が概ね互角なのは、当初の想定とは違うのかも知れません。
 映像については、1本を除いて全て三脚不使用。手持ちでズーム、パーニングによって列車を追いました。最近は同じような写真を量産しても仕方がないとの考えから、ディティールの再現力が劣るのを承知のうえで、動画のみを撮ることも多くなっています。
 今年も1年間、ご覧いただきまして、ありがとうございました。それでは皆様、良いお年をお迎えください。(23.12.24)


●構内放送(23.12.17)【EF66-100番台の福山通運59レ】

なくなる間際に慌てることなく、撮れるときに撮っておく。(←拡大表示)このところ、JR東海の車両の更新が進み、引退車が相次いでいることには触れてきました。JR貨物においても、EF65PFの貨物色が本線上から姿を消したことは12.3の記事で書いたばかりです。
 EF66形の100番台も徐々に運用離脱が進み、目にする機会が減ってきました。それゆえ、珍しい運用に充当されると、俄然注目度が高まります。
 緑色のコンテナで統一された福山通運の列車59レは、通常はEF210が充当されるところ、「12.16はEF66-100番台で下っている。遅延が発生している模様」と連絡をもらいました。
 それほど激レアな組み合わせではないと思いますが、昨今は皆さんが注目しているのか、どこどこを何時に通過したという目撃情報が比較的多く発信されていました。
 旅客列車の時刻表と突き合わせてみると、静岡からは普通電車941Mの後に続き、浜松で同列車を追い抜くことが予想できました。そのまま進むと、早くて新快速5321Fの後、撮影場所に選んだ安城−西岡崎は11:20頃かと予想しました。結局、さらに後の特別快速5119Fの後でしたが、長時間まちぼうけを食らうようなことはありませんでした。
 今は目撃情報やネットの時刻表をすぐに調べられるので、便利ですね。(23.12.17)


【シリーズ30年前/近鉄3000系】

近鉄ではただ1本だけであったステンレス車3000系。主目的は別形式であったが、撮れたらよいなと期待していた当車も首尾よくやってきた。1993.10.31 近鉄郡山−筒井(←ツイートです)もう1題はシリーズ30年前です。
 近鉄は大阪、京都、奈良、三重、愛知という広範囲に路線を有しますが、特定の地域しか走らない形式があります。1979年に登場した3000系は主に京都線や橿原線で運用され、限られたエリアでしか見られない形式でした。外観上、他形式とは明確な相違があり、1本しかないとなると、ぜひとも撮りたいものです。93.10.31は18200系「あおぞらU」の団臨が走ることがわかっていたため、来ることを期待していたのでした。
 幸いにも日中の運用に入っていて、撮ることができました。撮影したのはJRの関西線(大和路線)とクロスするあたりです。関西線はしばしば利用しており、近鉄線もこの付近ならば撮れそうであることを知っていたためでした。
 3000系はその後の増備はなく、当初の目的であった京都市営地下鉄への乗り入れも実現しませんでした。Xにいただいたコメントによれば、晩年は制御器系のトラブルが多かったそうで、目立たない存在で終わってしまいました。
 それでも、1本しかなくて、運用次第では撮れないかも知れない電車を狙って現地へ足を運んだからこそ、写真を残すことができたものです。その後、当車を撮る機会はなかったため、このときに行っておいてよかったということになりましょう。
 撮影後はJRの郡山駅まで歩きましたが、すんなり行ける道がなくて、かなり時間がかかったことを思い出しました。(23.12.17)


●構内放送(23.12.10)【蒲郡ワンマン白帯車6011Fの定期検査に伴う代走に6800系「鉄仮面」】

曜日によって実質上編成ごとの運用が固定化している蒲郡、御嵩ワンマン車。(←拡大表示)この週末は12月とは思えない暖かさになり、天気にも恵まれました。しかし、週明けからは急速に気温が低下する予報になっています。健康管理には気を付けたいですね。
 まずは備忘録として、先週の補足です。
 11/27にキハ85系最後の廃車(予定車)回送が行われましたが、既にそのときに回送された車両の解体に着手しているようです。
 そして、12/5には、神領車両区に残っていた211系2本がまとめて西浜松へと回送されました。そのうち、K1編成については、10/28、29日、武豊線のはんだ山車まつりに伴う多客輸送に使用されたのが、営業運転の最後になった模様です。
 ここからは今回の写真の説明に移りましょう。
 名鉄蒲郡線で白帯をまとった6011Fですが、定期検査のため、11/8に舞木検査場に回送されました。(東岡崎まで営業運転)検査によって、帯が維持されるのか、撤去されるのかが注目されていましたが、維持されていることが確認されました。この週末は「試」の幕を表示して建屋外に留置されているとのことですが、近日中には美しい姿で蒲郡線に復帰するものと思われます。
 その6011Fの入場中、代走を6804Fが務めています。通称「金魚鉢」はよく見かけますが、初期型6800系の「鉄仮面」が使用されるのは珍しいとされています。既に6801F、6802Fの2本が廃車になっているため、なおのこと珍しいと言えるかも知れません。 6011Fの復帰が近いとみられることから、今のうちに6804Fを撮っておこうと考え、この週末は蒲郡線へ出掛けました。
 対面式ホームの三河鳥羽では他編成との並びがホームを挟むことない形で見られます。ここはやはりリバイバル色の6010Fとの並びを見たいと考えて、同駅へ行ってみました。
 6011F(代走の6804F)は通常、水曜日に犬山へ向かい、木曜日の夜遅くに新安城へ戻ってきます。(蒲郡線の日中運用は金曜〜火曜)今週の運用はどうなるでしょうか。(23.12.10)


●構内放送(23.12.3)【動きの多かった1週間/313系ブツ8の転属回送】

211系の廃車回送と同様のダイヤだが、休日のため、平日よりも早い時間にやってきた。(←拡大表示)前回の更新(23.11.26)からの1週間、碧海エリアにも関連するいろいろな動きがありました。まずは「最後」を迎えた車両から。
 11.27、名古屋車両区に残っていた最後のキハ85系が西浜松へと回送されました。これにて東海会社のキハ85系が本線上から姿を消したことになります。中でも、貫通型については、保存、譲渡車がないため、全車が解体となる見通しです。
 外観上はくたびれた印象を受けることはありません。このあたりはキハ82系とは大きく違うように思います。それゆえ、(丹鉄譲渡車を除いて)もう見られないのだということが、いまだに信じられません。
 また、JR貨物のEF65PFのうち、3両が運行終了となった模様です。その3両は2060、2063、2065。貨物更新色の2両と、民営化初期の頃、試験塗装をまとっていた元1065号機です。最近、広島更新色の2127号機が大宮車両所に取り込まれましたので、PF形でも話題の機番が一気に引退したことになります。貨物更新色は長年にわたって定着していただけに、こちらももう見られないとは、寂しいものです。
 本稿定期更新日当日となる23.12.3の朝、神領車両区の313系2連4本がまとめて静岡へ回送されました。転属だと言われています。ダブルパンタ車のため、8基のパンタグラフがあがる見栄えのする列車でした。
 新製された315系4連が順次運用を開始し、関西線の313系の運用を置き換えた模様です。大垣車両区の311系にも運用に入っていない編成があるようですので、何らかの動きがあるかもしれません。
 313系は写真を出す機会が少ないため、今回は転属回送の写真をご覧に入れます。(23.12.3)


●構内放送(23.11.26)【シリーズ40年前/EF15重連スイッチバックの旅】

東京西鉄道管理局では、管内に配属されているEF15を増収策として利用。83.6に続く2回目の運転では、機関車が重連になった。(←ツイートです)この週末は急に冷え込むという予報でした。その前は最高気温が20度ほどありましたので、震えるほどの寒さかと思いました。しかし、日差しがたっぷりあったこともあり、それほどの冷え込みは感じませんでした。
 さて、今週は久しぶりにXの投稿を埋め込んでみました。シリーズ40年前、1983年に運転された団臨「EF15重連スイッチバックの旅」です。
 東京西局では、83.3に「さようならED16号」を運転。これが好評であったことから、茶色の古い機関車を走らせることによって集客、増収の効果があると認識されたものと思われます。6月にはEF15が単機で12系6両を牽きましたが、11月の運転では、グレードアップして重連になりました。当時、既に中央線でEF15の定期運用はなく、日頃見られない機関車が入線するという、貴重な機会でした。
 牽引を担当した136号機、137号機はいずれも立川機関区の配属でした。私はこの臨時列車以外に撮ったことがないので、何線で使われていたかの明確な記憶がありません。既にED16は引退していましたので、青梅線へは入っていたものと思います。そのほかに、南武線経由で川崎、鶴見地区へも行っていたものと記憶しています。そのような地味で目立たない存在のEF15にとっては、重連で客車列車を牽くのは晴れ舞台になったことでしょう。ちなみに、当日は天気も終日快晴でした。
 この写真、ネガの汚れがひどく、スキャンしたままの写真は状態が思わしくありませんでした。2018年には変色した部分を切り抜いてその都度バランスを取るという方法で修復を試みました。しかし、今回、大西様の補正ツールを使用することによって、短時間に高度な補正ができました。2018年の補正画像は、補正残しが少なくなかったことに気づかされました。ある程度補正を進めると、「原画よりもよくなった」ことで、満足してしまっていたようです。(23.11.26)


●構内放送(23.11.19)【出版のご案内「電車だけが鉄道車両ではない」】

電車だけが鉄道車両ではない (←版元ドットコム)まずは新刊のご案内です。いままでに碧電で本のご紹介をさせていただいた記憶はありません。しかし、今回は碧電にも写真を提供していただいている西野伊吹さんが書かれたものであるため、ご案内する次第です。この機会に久しぶりに直接お目にかかって、お話を伺いました。
 西野伊吹さん(出版は「原正」さん名)はエンジンに関するお仕事に従事されてきました。鉄道ファンでもある西野伊吹さんは、10代の頃から撮影に出かけられたり、エンジン関係を中心としたHPも開設されてきました。
 本を出されるに至った理由をお尋ねしました。それは、疑わしい通説が正しいものとして定着してしまっていることが、専門家の立場から歯がゆく思われたとのことでした。例えば、キハ181系のオーバーヒートトラブルの原因は屋上ラジエーターの能力不足であったとされている点や、DD54の推進軸折損によって脱線転覆を起こした事故、いわゆる、「棒高跳び事故」について、推進軸の強度不足=設計に問題があったとする説に疑問を呈されています。この2点については通説に誤りがあると、特に強調されているように感じます。
 その他、気動車の燃費について、大阪−青森という長距離運行であった特急「白鳥」を例に、必要となる燃料の量を推定されています。その計算式は高校の物理の初歩に出てくるものです。興味のある人ならば、中学生でも理解できそうです。思いのほか簡単な式で概算の燃費が計算できるものかと驚きました。高校の物理はこのような実用にも使えるのですね。
 技術解説本は、得てして専門家にしかわからないような難解な用語が多用されます。読んでもらう対象にもよりますが、素人の目線に立つことができない人が多いからでしょう。その点については、専門知識のない方にもわかりやすく、平易な言葉を使うように心がけたそうです。とても読みやすい文章になっています。
 愛知県内では、11月20日を目安に店頭に並ぶほか、ネット注文も何社かで取り扱いがあるようです。(23.11.19)


【東へ西への1日】

日の出18分後の通過になった特大貨物輸送列車(←拡大表示)ここ最近、特大輸送用大物車シキ801号が春日井に来ていました。そして、日付が11.18に変わった頃、DD200に牽かれて発車しました。ネット上に投稿されていた写真から、行先は西浜松とわかりました。
 通常はなかなかないことですが、春日井→稲沢という短区間を走っただけで、稲沢で24時間以上停車しました。
 私は近場で通過シーンの動画を撮るに留めることにしていました。しかし、鉄仲間から「どうやら浜名湖の鉄橋では走行シーンの撮影ができるらしい」と聞き、ビデオカメラ以外は置いてあった機材を取りに帰り、未明の国道23号線を東へと向かいました。
 着いたときは誰もおらず、意外に思いました。聞けば、新居町駅で停車時間があるため、入線シーンを撮ろうとしていた人が多かったとのことでした。
 この日の日の出は6:27。通過までは17〜8分くらいしかありません。次第にレールにまで陽が当たってきましたが、たもとで構えていると、機関車だけが陰ってしまう状況になりそうであることがわかりました。多くの方は橋の中腹まで移動していましたが、私はその判断が遅れて、時間不足でビデオは断念するしかありませんでした。
 列車が遅いので手切りで2コマ撮りましたが、次のコマは機関車の顔にポールの影が出ていました。日の出直後はポールの影が長いため、要注意ですね。
宇賀川橋梁を渡るED458+ED454+リサーチキャビン+タキ1300(←拡大表示) 撮り終えた後、そのまま1号線〜23号線を引き返します。早朝なので、蒲郡市内の工事の影響はありません。
 自宅には寄らず、三岐鉄道へ向かいます。
 今日は新型セメント積載貨車、タキ1300形にセメントを積み込み、再び試験を実施する静岡県内へ送り返されるといいます。測定室コンテナ、「リサーチキャビン」の入線は、2015年のホキ1100形の試験時以来でしょうか。非公開の事業用列車でしたが、多くの方が情報を得ていたようで、沿線は盛況でした。
 昨年は実施されたJR貨物のヘッドマーク付き列車が今年はありませんでした。ヘッドマーク付き列車を今年は撮れずで終わるかと思っていましたが、思いがけない機会が得られました。タキ1300形の製造は、今後とも三岐鉄道〜関西線のセメント輸送が継続される見通しであることを物語っています。三岐鉄道さんにとっては、安定した経営のためには不可欠な列車であるものと思われます。マークの取り付けはそれを歓迎する同社の計らいなのかも知れません。(23.11.19)


●構内放送(23.11.12)【動画:名鉄築港線吊掛式3300系の車窓から5507Fとお別れ】

動画の閲覧はこちらから (←動画の閲覧はこちらから)まずは新作動画のご案内です。新作と言っても、アップから1週間以上が経過しています。前回は開設23周年記念の日でしたので、廃車回送というタイトルを使うのはためらいがありました。それゆえ、ご案内を見送らせていただきました。動画チャンネルを登録いただいている方は既にご覧いただいているかもしれません。
 名鉄5500系5507Fの廃車回送については、これまでに2回にわたって公開してきました。今回は名電築港の留置線に押し込まれるところを見届けて、夕方の運行が始まった電車の車内から撮った映像になります。
 乗った電車は3300系。同系の現役車はステンレス車ですが、もちろん別物。先代の吊掛式、AL車からの機器流用車です。吊掛式であることがビデオを回すきっかけになりました。
 駅を発車するとすぐにノッチオフ。名古屋臨海線との直角クロスの通過には速度制限があるのでしょうか。そして、その手前あたりから、留置線にたたずむ5507Fが見えてきます。(23.11.12)


【EF5888号機が牽くスロ81系お座敷客車「シナ座」】

EF5888号機が牽くスロ81系お座敷客車「シナ座」(←拡大表示)動画のアップから時間が経っていますので、既にご覧いただいている方向けにもう1題。とはいえ、最近は写真の撮影が減っていて、10.19アップの武豊線以来、全く撮っていません。
 いままでに撮ったことがない列車がなかなかありません。同じような写真を何度も撮りたいと思わなくなってきました。
 その代わり、動画だけ撮るということは増えています。三脚に固定せず、ズーム、パーンによって列車を追います。私の技量不足ではありますが、どうしても手ぶれが目立ちます。それを軽減したいと考えて、アプリで処理をしています。ところが、使っているPCのメモリ、CPUとも不十分なようで、フリーズして一向に作業が進まない状況です。
 このようなわけで、新しい動画も写真もご覧いただけそうなものがありません。そこで、今回は表題の列車にしました。Xを含め、シリーズ40年前では未公開のものです。
 撮影ポイントである国道419号線アンダーパスは今も撮影は可能です。コンクリート製であったフェンスは鋼製に取り換えられています。道路幅の関係か、ここはポールの間隔が若干広いようです。この写真でも、2両が1スパンに無理なく納まっています。それゆえ、次無動付の貨物列車などの撮影には重宝しています。(23.11.12)


●構内放送(23.11.5)【おかげさまで23周年/クモル23050】

類例がないユニークな顔立ち クモル23050(←拡大表示)定期更新の日が23周年の日になりました。通常は夜の22:00〜23:00頃の更新ですが、時間を繰り上げてアップします。
 例年、〇周年の数字に合わせた形式を選定しています。23を名乗る形式はそれほど多くはありません。電気機関車については、ED23が存在していましたが、私の世代では手の届くものではありませんでした。蒸気、内燃機関車には該当がありません。
 気動車、客車には該当がありますが、そこは、さらにレアなものを選定することにしました。
 クモル23050。この車両を使うことは22周年の段階で決めていたと言っても過言ではありません。類例がないユニークな傾斜型2枚窓は、格好の模型の題材にもなっているようです。
 旧性能の配給車には両運転台のクモル23、片運転台のクモル24+クル29がありました。しかし、受験生であった1980年から81年にかけて、クモル145系に置き換えられてしまいました。関西のものは受験終了後に辛うじて間に合ったかも知れませんが、不定期運転で、情報がない環境では、チャンスが得られませんでした。
 そんな中、クモル23050は唯一首都圏、関西圏以外である豊橋機関区の所属。しかし、現車は通常、浜松工場にいることが多かった模様です。
 進学前の春休みに運転情報が得られたものの、あいにくの運転取り止め。夏休みの帰省時に改めてチャンスがやってきました。この日は検査明け出場ダイヤである回8587Mにて浜松工場から豊橋機関区に帰って来るもので、1両だけでの運転でした。豊橋駅ではもっとも新幹線側のホームに到着しましたが、直接機関区へは入れません。転線によっていったん4番線?に入り、入区したものと思われます。
 ネット上には飯田線用の電車の出場控え車として運用される同車の写真が公開されているのを見かけたことがあります。豊橋では、配給車としてではなく、牽引車として使われていた模様です。しかし、同区にはほかにクモヤ22形が3両あったため、クモル23はなかなか見られなかったようです。(23.11.5)


●構内放送(23.10.29)【武豊線はんだ山車まつり多客輸送に211系】

珍しくカーブで撮影してみました。(←拡大表示)この週末の碧海エリアは天候に恵まれました。少し風が強かったですが、過ごしやすい気温であったと思います。
 さて、今週は久しぶりとなる武豊線の話題です。5年ごとの開催ながら、コロナの影響でさらに1年の間が開いていた「はんだ山車まつり」に伴う多客輸送です。久しぶりの運転とあって、注目された方は多いことと思います。
 中でも、神領区の211系が応援にやってきたことは、いちばんの話題と言えるでしょうか。211系自体は入線実績がありますが、神領の211系は315系に置き換えが進んで、残り4編成だそうです。主要な活躍の場であった中央西線での定期運用が終了して、関西線の多客対策(クロスシート車をロングシート車に置き換えて収容力を増す)のために、315系4連への置き換えまで、暫定的に使用されるのみになっています。
 このような状況ゆえ、もう武豊線に入るのは最後になるであろうというのが大方の見方です。
 いままでに行ったことがない場所として、半田−乙川のカーブへ行ってみました。この付近は高架化関連の工事が進んでいます。
 カメラを構えていると、地元の方からどんな電車が来るのかと尋ねられました。こことは違う場所では、せっかっくだからと手持ちのスマホで撮影される方もおみえでした。
 民営化初期の頃から当たり前のように見られた211系5000番台ですが、愛知県内では見られなくなる日が迫っているようです。(ただし、静岡車の名古屋工場定期検査入出場だけはしばらく残りそうです。)(23.10.29)


【EF55の高崎第二機関区静態保存時代】

高崎第二機関区構内で静態保存されていた頃のEF551号機。3年後に動態復活して本線上を走るようになるとは思えなかった時代。(←ツイートです)23.10.28、XにEF55の写真を公開しました。「連結器がなかった」と書いたところ、「回転させて格納されているのであって、ないわけではない」という主旨のコメントをいただきました。どれどれと思って検索したところ、鉄道ホビダスにわかりやすい記事がありました。
 双頭式連結器は横に90度回すことによって、自動連結器と密着連結器を使い分けるものですが、EF55の前側の連結器は下方向に180度回転させて格納する仕組みだということです。ピットがある場所でないと切替の作業はできないため、大宮の鉄道博物館では、連結器カバーを取り付けるために、連結器を取り外したそうです。
 このような構造であったことは知らなかったので、ご教示をいただいて勉強になりました。
 1986年にEF55が動態復活して以来、方向転換のためにDE10に牽かれて遠江二俣へ行ったり、EF58+EF55の重連による「EL・SL奥利根号」の回送列車など、回転格納式連結器はそこそこ使われていたことになります。(23.10.29)


●構内放送(23.10.22)【再開されたキハ85系の廃車回送】

雲の隙間から差し込んだ陽の光がステンレスの車体を照らした。(←拡大表示)この週末は地域の厄年同年会の旅行で北陸方面へ出掛けていました。参加者は幼少の頃から長い付き合いになった人たちです。組織を代表する要職についていた人もいて、苦労話に耳を傾けました。幼少の頃を思い出すと、あの〇〇君がね・・・という活躍を遂げている人もいて、そんな世代になったのだと、改めて感じたところです。移動はバス利用でしたが、敦賀付近では、北陸新幹線の真新しい高架橋が見られました。
 このようなわけで、今回の更新はあまり時間を取ることができません。あらかじめ用意してあった写真を使用して記事を記します。
 この週末はHC85系のブルーリボン賞受賞式典があったとのことです。一方、そのHC85系に任を譲ったキハ85系の動向について、少しおさらいをしましょう。
 同系は7.8〜9のさよなら運転をもって、東海会社としての営業運転を終了することが発表されました。営業運転の終了によって、廃車のために続々と西浜松へ回送されると思いきや、直後の回送は7.13日に実施された4両にとどまっていました。
 そして、10.10に7両、10.19日に6両が回送され、名古屋車両区に残るのは12両になったそうです。3ヶ月のブランクがあったのは、解体作業のスケジュール(請負業者との契約など)や進捗の影響もあったのだろうと思われますが、ネット上では熊野花火、鈴鹿F1、高山まつりと、多客イベントを視野に、HC85系の万一の不具合、または、需要増大に備えて、「予備の予備」を残したのではないかという意見を見かけました。まず使うことはないが、不測の事態に備えたのではないかという考え方です。
 まあ、これは想像の域を脱することはありませんので、奇跡の復活の可能性はもはや期待できないであろうことは、やや残念といったところでしょうか。(「やや」とは、ほとんどあり得ないことのため。)
 運転台のない中間車は廃車が早かったため、残された車両は運転台付きのものが多くなっています。10.19の編成は、6両中5両が先頭車というありさまでした。なお、写真は10.10、矢作川の堤防から後打ち撮影したものです。雲の隙間から差し込んだ陽の光がステンレスの車体を照らしました。(23.10.22)


●構内放送(23.10.15)【313系8000番台車による臨時快速「浜松家康公祭り号」】

記事の閲覧はこちらから(←ひびきヶ原駅第7展示室へ)10.14、久しぶりに時刻表掲載の名称付き臨時列車が走りました。早速当該ページに掲載します。
 使用車両は元セントラルライナー用313系6両編成です。1回限りの運転であるため、撮り逃しは許されません。鉄道仲間からは、野田新町駅を微妙な時間に発車する下り普通列車があるとの連絡が来ました。定刻ならば、野田新町駅から猿渡川鉄橋あたりですれ違いそうです。鉄橋の手前のポイントは少しカブリのリスクが高そうです。
 一方、光線状態については、事前に太陽の角度を表示させるアプリで確認したところ、順光になることがわかりました。
 そして当日、カブリリスクを考えて、23号線の歩道橋へ行きました。30分前の段階では、順光側は3名だけでした。そして、時間が迫って来ると、反対側も入れて10人くらいになったようです。
 順光が期待されましたが、ここは曇り。他の地点で撮られた写真を見ると、晴れているところが多いため、よりによってのようです。
 一方、下り普通列車については、三河安城を4分遅れで発車したとの情報がありました。なんとしたことでしょう。猿渡川のカブリリスクを避けるために23号線に来たのに、こちらのほうがハイリスクになってしまいました。実際に、臨時快速が通過して10数秒後には下り普通列車が通過しました。
 東刈谷駅寄りの源蔵山踏切で撮られていた方が動画をXに出されていましたが、写真的には、快速の後ろ3両が普通電車にカブられてしまったようです。遅れていなければ大丈夫なはずだったのですが・・・。(23.10.15)


【シリーズ40年前/あかぎ国体お召列車】

通過時にはうまい具合に晴れてくれた。栗色の車体が美しい。(←拡大表示)1983.10.14、16、学生時代2度目となる1号編成によるお召列車を撮影する機会に恵まれました。今回は群馬県におけるあかぎ国体ご臨席および、県内のご視察に伴う運転です。10.14は上越線の沼田までの運転でした。同好の方々の間でも話題になっていましたが、皆さんが口を揃えて津久田という駅名が出ました。撮影地としては、同駅と次の岩本との間にある鉄橋が断トツのいちばん人気のようです。
 鉄道研究会のメンバーも同じ希望を持っている人がいましたが、熾烈な場所取りが繰り広げられているのは想像に難くなく、私は「避けた方がよい」という主張をしていました。
 なぜ津久田の鉄橋を避けたかったかといえば、混雑の予想以外にもうひとつあります。それは、遠景での撮影のため、列車が小さくなってしまうことです。1982年の撮影では、遠すぎて列車が小さくしか撮れなかったことが不満だったのです。
 後輩がレンタカーで行きたいというので、4人で同乗することになりました。前夜出発しましたが、結局、八木原駅に比較的近いポイントに決めました。すると、鉄研の他のメンバーも集まってきました。事前の打ち合わせはしていません。(ちなみに、当日は創立記念日で、全学科休講でした。)
 津久田へ行ってみたが、まともな場所が確保できそうにないのでという人もいました。
 朝から曇りがちでしたが、お召列車の時間が迫るにつれて、次第に雲が薄くなってきました。写真のとおり、旗は横風に流されましたが、美しい色には満足でした。(23.10.15)


●構内放送(23.10.08)【新京成80046F甲種輸送】

日曜日に発送された新京成80046F(←拡大表示)3連休になる方も多いことと思います。体育の日だと思ったら、今はスポーツの日なのですか。せっかくの3連休ですが、あいにく天気には恵まれないようです。
 さて、定期更新日の今日、23.10.8は日曜日の甲種輸送があると聞き、久しぶりに豊川の鉄橋へ行ってきました。晴れると光線がよくないため、今日はここがよかろうと思った次第です。
 なんだかんだで30名ほどの方が来られていましたが、広く分散していたため、混乱などはありませんでした。
 通過前から降っていた雨が上がりましたが、帰り道はかなりの雨量になりました。
 ここからは余談です。
 先週アップした大井川鐵道いぶき501号の動画。YouTube Studioという管理アプリがあるのですが、サムネイルを改善せよというアドバイスをしてくれていました。
 人気の動画のサムネイルと並べられ、どの動画を見たくなりますか?と問いかけています。AI君は「あなたのサムネイルではダメですよね」と言いたげでした。
 比較されたものは、文字に黄色や赤を使ったものが多くなっています。目立つという理由で皆が使うのでしょう。それを意識して、あえて黄色や赤を避けたつもりでした。
 しかし、当初使用した濃い青色の文字は背景の山との明るさの差が小さいため、例えば、モノクロにしたら全く目立たないことでしょう。カラーでも目立たないことに気づいたため、文字の色を改めることにしました。
 その効果が出ているかどうかの判断には、もう少し時間が必要なようです。(23.10.8)


●構内放送(23.10.01)【動画:いぶき501号大鉄デビュー記念列車ほか】

動画の閲覧はこちらから 大井川鐵道本線が大規模な台風被害を受けて、運休になってから1年が経過しました。定期更新日である今日、10.1に家山−川根温泉笹間渡間の運行が再開されました。しかし、まだ千頭までの復旧は見通しすら立っていない状況です。
 運行区間延長の機会に行われたダイヤ改正によって、定期電車が大幅に減便されました。日中の利用者はもはや見込んでいないということのようです。通常の鉄道はまず沿線住民の利用が基本ですが、大鐵は「観光鉄道」に舵を切ったことになります。
 厳しい環境下で経営を維持するには、そうせざるを得なかったのでしょう。しかし、地元住民の利用をごく僅かしか見込まないとなると、自治体側も補助を行う大義が失われてしまうかも知れません。
 神尾付近の大規模土砂崩れによって、長期間の運休を強いられた際は、客車や機関車を陸送で輸送してまで福用−千頭間の運行再開にこぎつけました。それほどまでに観光客の誘致にはSLが必要であることを地元が理解し、期待していたからでした。
 今回の区間延長によって、川根温泉笹間渡まではSLも走ることになりますが、川根本町には依然として恩恵が及びません。さらには、千頭まで行かないことは、リピーターを呼びづらい環境になってしまっているものと思われます。
 それでも、会社の方々は諦めることなく、いろいろなアイデアを実現に導き、苦境を乗り越えようとしています。全線の復旧が実現することを願い続けたいと思います。
 さて、前段が長くなりましたが、今回の動画は大阪セメント専用線から移籍して、客車列車も牽くようになった「いぶき501号」のデビュー記念列車が登場します。説明文を書く前に検索によって情報を集めましたが、記念列車運行よりも前、既に三岐鉄道の土砂輸送用に貸し出し(501号)、譲渡(502号)の協議がまとまっていたことがわかりました。運転から2ヶ月後には三岐鉄道の保々に搬入されていますので、大阪セメント時代の姿のままでの活躍は、ごく短期間であったことになります。(資料は「津島軽便堂」さん参照)(23.10.1)


【西武鉄道のサステナ車両】

ネットでは名鉄3880系や3790系を「サステナ車両」扱いする投稿が目立った(←拡大表示)西武鉄道から「サステナ車両」と銘打って、他社から車両の譲渡を受ける方針が発表されて以来、どこのどんな車両が来るのかが、大きな話題になっていました。そして、このほど、東急の9000系(広義)、小田急8000形であることが公表されました。Xでは、多くの方がそれに関するコメントを投稿。一方では、「タイムラインがサステナ車両に関するうんちくで溢れていて、辟易とする。」というコメントも見かけました。そこは鉄道ファンの世界「あるある」です。「解説」をしたくて仕方ない方が少なからずいますからね。
 その、うんちくの中で、過去の東急や西武(東濃鉄道を経由)から、名鉄に移籍された車両があったことも話題に出ていました。大手同士の譲渡として、同列に扱われたとみられます。
 少し気になったのが、それらも「サステナ車両」であるかのように扱った投稿が少なからずあったことです。限られた文字数で主旨を的確に表現するのは難しいことですが、「#サステナ車両」というハッシュタグ付きで名鉄3880系(東急時代を含む)の写真が出されているのは、「それ、ちがうんじゃないの?」としか思えませんでした。
 3880系も3790系もオイルショックによる乗客の急増に対応するため、緊急措置的に購入されたもの。それらは、新車、代替車が導入されるまでのつなぎであったことは明らかです。環境負荷低減や維持コストの低減という、「持続可能性」とは相いれないものを感じます。(維持コストは「持続可能性」と直接の関係はないのでしょうけれど。)
 ところで、先のコメントで「辟易としていた方」。きっと、私もうんちくを講ずる方々と同類だとご覧になられることでしょう(笑)(23.10.1)


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