手動編集による皆様の声のコーナー「腕木信号」に掲示板を設置して3年が経過しました。掲示板をスレッド型に変更しましたので、手動編集による転載を休止します。このページはトップページ「構内放送」のログを掲載していきます。
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ホームタウンから 碧海電鉄全線 発行当日限り有効 0円 (碧海電子鉄道)ホームタウン駅発行 |
(←拡大画像 javascriptを使用)新年度に入りました。予告通り、半年を経過したログの公開を終了しました。
さて、今回は土曜日(26.4.4)にXで公開した写真です。久しぶりに反応のよさを感じています。定期更新ではしばらくXの埋め込みではなく、単独の拡大画像をご覧いただきます。
40年前の96.3.20、瀬戸線向けの6650系4両が日車を出場しました。新城の業務先へ向かう途中、飯田線、名鉄共用区間に少し立ち寄ったと記憶しています。前記の反応の良さについてですが、全区間陸送ではなく、甲種の区間があったことに対する驚きでした。時期的には大曽根は高架に切換られ、国鉄との連絡線はとっくになくなっていたはずです。陸送が不可欠ならば、工場から荷降ろししたであろう尾張旭まで全部トレーラーでよかったのではないかと考えるのはもっともなことです。
このあたりの事情はわかりませんが、今も続く飯田線→東海道線→名古屋臨海鉄道→名電築港→東名古屋港というルートをたどり、積み替えをどこで行ったかは不明ながら、トレーラーに積むという手間のかかる輸送であったことは確かです。
(←拡大画像 javascriptを使用) 続いての写真は4.4に実施された213系の団体列車です。かつての活躍の地であった関西線や、古巣である神領車両区に立ち寄り、さらに少なくとも営業実績がない武豊線にも入るという盛りだくさんのツアーでした。
私は午前中は仕事が残っていたため、武豊線だけの予定でした。ところが、天気予報は最悪。風、雨ともに強まるという残念なものでした。
大府からの戻りは緒川で停車時間があると聞いていました。武豊線らしい場所でと考えて石ヶ瀬川橋梁へ行きましたが、傘が飛ばされそうになるくらいの強風に雨が吹き荒れ、とにかく写ればよいと割り切るしかありませんでした。
ISO800でも1/800でF2.8まで下がり、ピントが甘くなってしまいました。Xから使えるAIであるGrokで修復を試みましたが、例によって空が全くの別物に差し替えられてしまい、満足のいくものではありません。Google Photoの「ボケ補正」で修正したもののコントラストを調整しました。(26.4.5)
(←拡大画像 javascriptを使用)この週末は話題に事欠きませんでした。近場の臨時列車やその日限りの話題を取り出すと、鈴鹿F1輸送、シキ801の特大輸送、名鉄瀬戸線3306Fの団臨、三河線若林駅周辺高架切換、213系飯田線団臨充当車返却回送、名鉄9100系3本の甲種輸送。こんなところでしょうか。
碧電としてはエリア外になりますが、今回は3306Fの団臨をご覧いただくことにしました。
実はこの日、3.28は三河安城スタートのさわやかウォーキングに参加する計画をしていました。すると、瀬戸線の団臨が同じ日になってしまいました。
栄町が9:55発とのこと。時刻表を見ると、この時間帯の上下の運転本数にだいぶ差があります。栄町行の折り返し回送となるスジを利用するのではないか。そんな予想を立てました。
大曽根から矢田へ向かって高架を降りてくるところは桜が咲いています。そこにいた方に尋ねると、先ほど3306Fが瀬戸方面へ向かったとのことでした。ご覧になられたのは大曽根8:51の尾張旭行とみられました。その折り返し980レ(尾張旭9:22発)が栄町に着くのが9:48。9:55の団臨につなげられます。矢田川の鉄橋で同好の学生さんに尋ねると、そのとおりだとの回答をもらいました。
同車は喜多山の高架が完成すれば瀬戸線での運用を終えるだろう。もう同線では撮れないと思っていました。ところが、思いがけない指名登板の機会が得られたため、他をあきらめても瀬戸線を選んだ次第です。
撮影後、大曽根からJRに乗って三河安城を目指しました。金山での乗り継ぎがよく、11時過ぎには改札でコースマップを受け取りました。
日頃は車で通過するだけのところを歩きました。今度はここでゆっくり過ごしてみたいな・・・。そう思うところがありました。さわやかウォーキングは近場コースでも新たな発見が得られます。
次回から新年度に入ります。6ヵ月を過ぎた記事の公開を終了します。(26.3.29)
(←拡大画像 javascriptを使用)26.3.20、武豊線開業140周年を記念した団臨が運転されました。旅行会社はクラツーさんですので、ただ往復するだけではありません。ツアーの目玉が用意されていました。
車両は非電化時代に日常的に使われていたキハ75。武豊駅では乗客を乗せたまま留置線へ入換。復路は尾張森岡から貨物線経由。架線がない線路の通過は気動車だから実現できることです。
沿線で迎える側としては、やはり貨物線通過を押さえたくなります。実質上唯一無二のポイントとなる石ヶ瀬川橋梁に。どれくらい集まるだろうかと思いましたが、まだ余裕はありました。周囲の方から罵声が飛ぶような困ったさんが現れるのはよくあることですが、そのような状況は皆無。混乱なく無事に通過して行ったのは何よりでした。
(←拡大画像 javascriptを使用)日付上は翌日となる3.21、40年前、1986年の同日、武豊線に「ユーロライナー」が入っています。当日の写真は既に碧電でも掲載していますので、使っていないほうをご覧に入れます。Xで3.21に公開したものが未使用のものと思っていたら、そうではありませんでした。
武豊へ向けての回送列車です。早朝は曇っていましたが、お客さんを乗せて戻ってきた頃には快晴になっていました。
まだ埃、塵の除去が済んでいなかったため、写真の準備に少々時間がかかりました。(26.3.22)
(←拡大画像 javascriptを使用)JR、名鉄のダイヤが改正されました。まだ休日ダイヤしか施行されていないわけですが、各々変化が確認されています。
まずJR線については、改正に先立って武豊線が全列車315系4連に統一されています。また、東海道線では、やはり315系の運用変更が見られます。午前中、25.6末まで311系または313系であった運用に充当されていた315系4連x2の新快速が313系に。その代わりに315系+313系の特別快速ができたようです。
名鉄では、注目度が高かった6000系蒲郡、御嵩ワンマン車が名古屋本線内で営業運転を行わなくなったとのことです。犬山‐新安城の往復ともが回送になったようです。平日については6500系との併結による急行がありましたが、どうなるでしょうか。もしこれも他形式に置き換えられたとすれば、満足に撮れず仕舞いになってしまったようです。やはり日頃からマメに記録に勤しむことが大切ですね。
改正初日の3.14、東海道線は車両のトラブルや人身事故の影響でダイヤが乱れました。上りスーパーレールカーゴは岐阜貨(タ)で何らかの措置を受けた後、木曽川駅で長時間停車していました。しかし、トラブルは解消したのか、同駅を出てからは最速での運行となりました。
木曽川9:02頃、名古屋9:20、撮影した野田新町‐東刈谷を9:38ですから、自宅から急がないと間に合わないほどでした。(26.3.15)
(←Xの投稿です。ブラウザの←から戻って下さい。)金曜日の夜から降り出した雨は早々に上がり、週末は好天に恵まれました。JR、名鉄ダイヤ改正前の最後の週末。改正で見られなくなる列車などを撮影に出掛けられた方が多いことと思います。
さて、今週の話題は40年前に運転された381系の団臨です。当時、同系は定期検査を浜松工場で実施していたため、入出場の回送列車で碧海エリアにも姿を見せていました。回送列車は編成の一部にクモヤ90を連結したものでした。
検査入場だけだったのかといえば、そうではありません。当時のフル編成である9両編成で団臨が運転されたことがあります。おそらくとしか言えないのは心苦しいところですが、高校のスキー講習であったものと思われます。
私が通った高校では希望者のみでしたが、定期の「しなの」で信州に行きました。運動音痴の私は時間がかかりましたが、なんとか形になったことを懐かしく思い出します。
これもデータがありませんが、1つの可能性として、写真の列車は名古屋からそのまま定期の「しなの」になったのかも知れません。団体さんは指定席でしょうから、他の席を一般販売することは不可能ではなかったことでしょう。
(←拡大画像 javascriptを使用)本日(25.3.8)の昼頃、SNSで6517Fが「教習車」の札を掲げて知立駅に停車中の投稿を見掛けました。
25.6.22付本稿でも紹介のとおり、三河線では定期的に乗務員訓練を実施しているようです。今日のダイヤ、何往復するのかは不明でしたが、経験以上のことを読むことはできません。来ればラッキーというつもりで沿線に出向きました。すると、首尾よくすぐに捕らえることができました。6月と同様、刈谷市折り返しで数往復するというパターンであったようです。JR線のトラブル発生時振り替え輸送で知立‐刈谷市の増発を行うことを想定した訓練と思われます。
最近、三河線は刈谷駅でも折り返しが可能となる改修が行われています。しかし、今日は従前どおり刈谷市まで行ったようです。
刈谷では定期列車同士の交換があるため、現状では重原で交換するしかありません。高架工事のため、単線の仮線となっている重原‐知立がもし複線ならば、トラブル発生時の臨時刈谷市増発便と定期列車の間隔を均等化できます。定期の知立行を重原から先に発車させて、複線区間で増発臨時列車とすれ違うダイヤにすることによってそれが可能となります。しかし、現状では不均等の発車とせざるを得ません。知立駅は三河山線の発着もあるため、教習列車は定期列車の5分ほど後に出たものと推定しています。(26.3.8)
(←拡大画像 javascriptを使用)武豊線開通140周年。定期更新の本日、26.3.1がその記念の日なのだそうです。関連行事として、さわやかウォーキングが大府駅と武豊駅の両駅で開催されました。両方ゴールすれば、さらに1回分のポイントが付与されるという特典もありました。
私は大府発から参加しました。大倉公園には昭和19年に造られた防空壕が残されており、特別公開。ガイドボランティアさんの説明を聞きました。この防空壕、発見されたのは平成なのだそうです。私は存在すら知らず、比較的近年の発見であったことに驚きました。
ゴール後、10:55の電車で武豊へ。味噌、醤油の蔵などを巡りました。天気に恵まれ、心地よいウォーキングになりました。
140周年記念行事としてもう一つ、大府駅のベルマートで記念グッズの販売が始まりました。キーホルダーは過去から現在に至る使用車両各型式が描かれています。
私が注目したのはキハ17です。「キハ17??・・・そんなの知らない」という方も既に多いことでしょう。
昭和40年代以降、私が見た武豊線の定期列車は朝と夜の名古屋直通通勤通学列車以外はほぼキハ35のみでした。「ほぼ」というのは、一度だけキハ17を見たことがあります。キハ17+58(or 28)+35。順番はともかく、そんな組成の列車が「武豊‐大府」のサボを掲げていて、驚いたのです。小学校3、4年生くらいのできごとかと思います。つまり、キハ17が確かに武豊線に入っていたのをこの目で見ています。
そのキーホルダーですが、大府駅の売り場に並んでいたのは現有車両ばかり。それらを含めて大府駅にゴールしたときには完全に売り切れていました。
写真は武豊線を走ったかも知れない美濃太田のキハ17です。1971年頃ですが、多治見発(中央西線)名古屋経由武豊行という列車に乗っています(乗車はキハ58で、名古屋まで)。武豊線は美濃太田所属車を使っていた時代もあったようです。(26.3.1)
(←拡大画像 javascriptを使用)3電源方式のELとして九州、北陸、東北地方を中心に活躍してきたEF81。既に全機が現役を退いています。そのEF81の中でひときわ異彩を放っていたのが通称「銀ガマ」、最後の1両となったEF81303号機です。同機については既に除籍されているようですが、有志の方による保存の署名活動が行われています。
署名に効力があるのだろうか・・・。現実問題として、保有するJR貨物は保存の予定はない。署名も受け取らないという回答があったとの報道があります。
保存車両に関する活動として、サシ481形最後の現存車の修復費用を集めるクラウドファンディングが実施されています。食堂車サシ481を未来へ残す挑戦〜車体補修再塗装で再びかがやきを〜
その「活動報告」の中に「銀ガマ」に関する記述があります。
そのページによれば、現状は厚生労働省の指導が厳しく、有害物質を使用した車両の社外組織、個人への譲渡は極めて困難であるとのことです。とりわけ交流対応の形式については、アスベストのほか、PCBの使用があり、いっそう難しさを増しているようです。
一方、署名活動についてですが、主催者さんたちによって国や貨物会社に対して働きかけを行う努力が継続されています。その効力については、やはり署名数が多いほど効果が期待できるということです。この記事を読むまでは、既に門前払いを受けて絶望的な状況であると思っていました。
保存車両に関しては、何でも残せばよいとは思いません。私自身、保存活動のクラファンには何度も出資しています。しかし、「このPJには乗れない」と思うものは拡散の協力も含めてスルーします。
一方、現状の国の指導、規定はあまりにも杓子定規、狭い視野でしか物事を見ていないと思います。このままでよいとも思いません。
暗い話題ばかりが続いてマインドがしぼむ昨今、銀ガマ署名活動の主催者さんがおっしゃるような、「動き」が起こることを期待したいところです。
写真は既に現存しないEF81304号機のほうですが、東日本大震災における緊急燃料輸送に関連して羽越線へ応援に駆り出された際に撮ったものです。ATS-PF未装備のため、運用は新潟地区以北に限られましたが、3電源式普及機の威力を発揮しました。(26.2.22)
(←Xの投稿です。ブラウザの←から戻って下さい。)Xでは古い写真の修復にAIを使ったものをしばしば目にするようになってきました。私も関心はありましたが、実際に試したことはありませんでした。
Xのアカウントから直接利用できるAIがGrokです。最近、不適切な画像加工が世界中で横行し、有料会員しか使えなくなったものだと思っていました。しかし、フォローしている方が古い名鉄の写真をきれいに修復されているのを目にして、これはやってみようと思った次第です。
Xの投稿には4コマの写真を並べました。40年前に撮った489系「しらさぎ」の回送が中央線内を走行する様子です。このうち、3コマ目がGrokによる出力です。
初めて使うので使い勝手には戸惑いがありましたが、「黄ばみを除去すること。土や草を自然な色に」という指示を出しました。
色合いはよく修正されていると思います。しかし、空は黄変、青変という真逆な変色を生じているせいか、この命令では補正ができなかったのかも知れません。全く別物の青空に差し替えられてしまいました。
また、細かいところでは、ヘッドサインの「しらさぎ」の文字が破損していたり、草や土がオリジナルとは明らかに相違していることに気づきます。このあたりはBチャンネル再建法のように画像を構成するドット自体の構成は変えずに、色を変えるという仕組みとは全く異なり、新たに生成していることがわかります。草や土はそれっぽく見えますが、ディティールは端折られています。
あら捜しのような評価をしてしまいましたが、色の修復についてはお見事だと思います。
Xのポストを貼っておしまいでは物足りないものがあります。まだXには出していないものとして、この前段階の生成画像をご覧に入れます。「しらさぎ」の原画について「経年劣化した写真を国鉄489系カラーに修復」という指示を与えました。その結果がこちらです。あえてサムネイルは出しません。う〜ん・・・。(26.2.15)
(←拡大画像 javascriptを使用)昨年10月のwindows10サポート終了に備え、windows11の新PCを導入しました。私は個人事業主のため、確定申告をしなくてはなりません。会計ソフトやデータも新PCに移行しました。
銀行取引やカード明細はCSV形式のデータをダウンロードすれば1行1行入力するという煩雑さから開放されます。取り込みを行った結果、年末の預金残高がぴったりと合っているのは気持ちがよいものです。それくらいトラブルなく作業が順調に進みました。
さて、今回は40年前の写真からです。トラックをそのまま搭載した超低床貨車。ピギーバック輸送の試験です。この写真を撮ったこと自体は認識していましたが、スキャン、デジタルデータ化が大幅に遅れていました。取り込んでみて、珍車であることに気づいた次第です。
形式、番号はチサ9000。連結しているコキ車と比べると、車輪、台車がとても小さいことがわかります。コキ車はこの車に合わせて連結器を低くしていたとのことです。
トラックは自走によって搭載が可能で、そこだけを見ると効率がよさそうにも思えます。しかし、貨車1両として見たとき、荷物の積載効率=貨車の有効体積に対する荷物の体積は低いと言わざるを得ません。
調べてみると、ここまで低くしても搭載できるトラックの制限が厳しく、より大型のものは積めなかったということです。建築限界が小さい我が国ではピギーバックは適しておらず、一部で実用化されたものも短期間に留まりました。
本日は見送りましたが、この写真は後日、9周年記念企画「9な仲間たち」の補遺として追加したいと思います。(26.2.8)
(←動画視聴はこちらから)金曜日(1/30)、土曜日(1/31)は撮っておきたい列車が走りました。
385系量産先行車のうち、川崎車両製の2両が甲種輸送で日本車両へ送り込まれました。新形式の甲種はそれほど頻繁にあるわけではありません。それゆえ、甲種車両自体もしっかり撮っておきたいものです。
最近は動画だけということをよくやります。写真は別の機会を待つことにして、ビデオに集中することにしました。先週の名鉄6501F団臨を撮ったあとに下見をしましたが、相見-岡崎が最も好条件でした。
映像を見ていただくと、集まった人の多さがわかります。それくらい注目度が高かったほか、夜勤明けないしは出勤前にも何とかなるダイヤであったことも影響していそうです。
翌1/31にはブルーミュースカイを使用した団臨「ありがとう名鉄百貨店」が豊川稲荷まで運転されました。折しもブルーミュースカイは中日ドラゴンズとのコラボによって、ドアラ装飾が行われていました。
近場でも撮りたい気持ちはありましたが、追い掛けができるようなダイヤではなさそうです。今回は単線に魅力を感じて、豊川線内にターゲットを絞ることにしました。
14時台からは八幡で定期列車が交換するため、団臨(復路)は諏訪新道(信)で交換するようでした。行ってみると予想以上に人が集まっていて、ここでの交換に確信が持てました。
ブルーミュースカイ独自のミュージックホーンを鳴らしてくれましたが、音量が小さいようです。そこは編集によってボリュームを若干上げています。
1/11の大井川鐵道さわやかウォーキングで体力に自信が持てたからでしょうか。今回も電車移動でした。車で出掛けた仲間からは寒くてかなわないというメッセージが来ましたが、さほど寒さが厳しいとは思いませんでした。歩くことで寒さに慣れることや、体温が上ったのだろうと思います。これは、日頃の散歩の習慣が功を奏したように感じられます。
国府→諏訪町ほかで通算10kmを超え。よく歩きました。(26.2.1)
(←拡大画像 javascriptを使用)ここ1週間ほど例年よりも気温が低い日が続いています。北国では大雪によるトラブルが多発しているというニュースを見ながら本稿を記しています。
今回の更新の題材。更新当日になるまで決まっていませんでした。午前中、Xに名鉄6501Fのさよなら運転ツアーの写真が流れてきました。ああ、今日だったのか。廃車予定車として舞木に入場後、本宿発着で最後のお客さんを乗せる列車です。
25.6.1付本稿では同様の引退ツアーとして、6003Fの写真を掲載しています。6501Fについても同じ行程の模様との話は聞いていました。
6003Fの写真のデータを確認すると、最後の本宿行が美合で運転停車のあと、15:00頃出ています。今日も美合を出たところで迎えることにしました。幸いにも予想どおりの時間に電車が来ました。
それにしても風が冷たかったです。待ち時間が長く感じられました。
本日が最終営業となった6501Fですが、Xでは同車のデビュー間もない頃の写真を公開しています。6501F+6000系(鉄仮面)の高速(←Xの投稿です。ブラウザの←から戻って下さい。)
同時期に製造された6000系鉄仮面車がとっくに廃車になっていることを思うと、約42年の活躍は長いほうと言えそうです。(特別整備未施工編成)
今年度はまだ9100系の増備が予定されています。鉄仮面車の引退が続きそうです。(26.1.25)
(←拡大画像 javascriptを使用)先週は大井川鐵道の門出がゴールとなるさわやかウォーキングに参加したことを書きました。翌日はしっかり筋肉痛になりました。
リュックに撮影機材を入れて行きましたが、これはそこそこの重量があります。金谷駅から石畳を登り切るまで地図計測で110mの高低差があります。ゴール後、電車で福用まで行きましたが、SLが遅れていたため、戻りは急ぎ足になりました。(遅延は新金谷で交換するさわウォー臨電の遅れの影響と思われます)そのためか、脛の痛みが顕著でした。
さて、今回は久しぶりにJRの電車の話題です。該当する記事は昨年の7.6付本稿以来ありません。311系→315系への置き換え以来、さしたる話題がなかったからと言えましょう。
1.17の午後、ご近所鉄仲間から今日は213系の交番検査回送が4両で来るようだとの連絡がありました。たまたま遅れることなく確認できたため、すぐに準備することができました。
交番検回送は多くの場合、上下セットで運転されます。余裕はありませんでしたが、なんとか上り列車にも間に合いました。
その上り回送電車は213系+313系という異形式の併結となりました。異形式併結回送については、2022.3.27付本稿に同3.25撮影の写真を掲載しています。その時は313系が前でしたが、今回は逆組成でした。
既に315系の予定の両数が揃っており、3月のダイヤ改正で213系は引退が見込まれます。あと2ヵ月弱となりましたが、この時期に撮ることができたのは、とてもありがたいことでした。
話題は変わりますが、Xには阿久比で撮った写真を載せました。3400系3403F(モノクロ)です(←Xの投稿です。ブラウザの←から戻って下さい。)
この日は短時間にしてはよい成果を納めることができました。3400系は3900系や7300系と共通運用であったことと思われます。特に3900系は廃車、機器流用が始まっていました。しっかり撮っておこうという気にならなかったのは、いまさらながらも残念です。(26.1.18)
(←拡大画像 javascriptを使用)2026年定期更新2回目の本日、1.11は広範囲で強風が吹き荒れました。多くの方が影響を受けたことと思います。
地元の鉄道仲間の多くは天浜線の新型電気式気動車の甲種を撮りに出掛けたようです。近場の撮影地は幸いにして晴れたと連絡をもらいました。
私はというと、JR東海さわやかウォーキング、金谷→大井川鐵道の門出のコースに参加しました。昨年も同時期に開催された同コースを歩きましたが、今年も参加しました。それは、C10の改装が始まるため、オリジナルスタイルが当面見られなくなるためです。天浜線甲種と重なってしまったのはたいへん残念でしたが、当初の予定を遂行しました。今日は動画を主に撮ったため、掲載できる写真がありません。
そのような事情で、シリーズ40年前とします。
40年前の年明け、学生時代にお世話になった埼玉のNさんが紀勢線へ行かれることになりました。主目的はEF58です。EF60に置き換えられることが決まり、最後の定期運用が終了することになっていました。通り道だからとお誘いをいただいた次第です。
EF58についてはXに1コマをアップ(←Xの投稿です。ブラウザの←から戻って下さい。)しています。Xには未掲載のものとして、キハ82系の「南紀」をご覧に入れます。昔からの有名撮影地である波田須。1982年の鉄研夏合宿では同級生たちが好んで訪れました。
駅から近いという知識しかありませんでした。Nさんに車を走らせていただいて、眼前に海が広がったときは「ここだ!」と声を上げたのを覚えています。
40年の時を経て、周囲の樹木の成長で海は僅かしか見えなくなっているとのことです。キハ82系の後継として民営化当初の頃に登場したキハ85系も既になく、HC85に置き換わっています。それらを思うと、40年という年月の長さを感じます。(26.1.11)
(←拡大画像 javascriptを使用)
明けましておめでとうございます。曜日配列の関係で連続した休暇が取りやすかったことと思います。碧電は今回が新年最初の定期更新となります。
今日が最初のと言っても、Xの投稿は通常どおり金曜日(1/2)から始めています。それをそのまま掲載というのでは碧電本編をご覧いただいている方には申し訳なく思います。そこで、トップ画像としてXでは未公開の写真をご覧に入れます。
40年前の1985〜1986年の年末年始休暇は12/28〜1/5でした。その休暇最終日、朝は下のX投稿に出てくる帰省列車「ふるさと号」を撮影。午後から名鉄の河和線の撮影に行っています。通常、本線の三河地区では見られなかったパノラマDXが目当てであったと思います。DXだけはカラーで撮っていて、他はモノクロですので、力の入れ方の違いが感じられます。
しかし、「ついで」であったモノクロもとっくに撮り直しができないものになっています。今回ご覧に入れるのは5200系5201Fです。既に5300系への機器流用が決まって、手続き上は廃車が始まろうとしていました。
この編成は中間車の2両が先に廃車になり、5200系の2連としてしばらく活躍を続けました。後年、機器は5300系の2両編成に流用。車体は豊橋鉄道に譲渡され、1900系となって1500V昇圧まで活躍したことはよく知られていますね。
5200系は5000系と共におろそかにしてしまい、更新によって側窓がアルミサッシになった写真はこれしか残っていません。
(←Xの投稿です。ブラウザの←から戻って下さい。)Xの年始投稿第一号はトヨタ系自動車企業の従業員向けに設定された帰省列車「ふるさと号」(回送)です。本列車については碧電開業当初の頃から碧海猿渡駅第2展示室にて扱っています。EF62が20系寝台車を牽く姿は同形の古巣、高崎、信越線では見られなかったものであり、(なかったと断定はできませんが)珍しい組み合わせでした。実際に東海道線で撮れたのはこの日限りでした。(26.1.4)
(←動画視聴はこちらから)2025年内最後の定期更新になります。
既に年末年始休暇に入った方も多いことでしょう。例年ならば年賀状の準備に追われて、だいたい本日(12.28)くらいまでかかってしまいます。しかし、近年の年賀状離れの影響か、今年はピーク時の半分くらいになりました。かけている手間は例年どおりですが、「もう終わってしまったか・・・。」という印象を持ちました。
そういう意味では、比較的余裕のある年末になっています。だからというわけではありませんが、初めての試みとして、2025年に走った話題の列車などを1本の動画にまとめてみました。対象はJR線です。
網羅的に詰め込んだわけではなく、これは今年独自のものと言ってよかろうという話題をある程度厳選しました。ただし、列車のバラエティーも考慮して、独自ではない列車も入れています。
同じアングル固定で何本も列車が来るという構成はしばしば退屈さを招くことがあります。それを避けるため、車窓(走行音)や客扱いの様子を入れるなど、映像に変化を持たせました。
また、説明のテキストの記入はかなりの時間を要しました。これだけでも本稿の1ヵ月分以上のボリュームがあるのではないかと思います。
これ以上の説明は無用ですね。ゆっくりご覧いただければ幸いです。
今年1年、ご覧いただきましてありがとうございました。日曜日の夜から月曜日にかけては明らかに閲覧数が多く、定期的にご覧いただいている方が多数お見えなのがわかります。来る2026年がよい年となりますように。どうぞよろしく願いします。(25.12.28)
(←拡大画像 javascriptを使用)この週末は大井川鐵道に行ってきました。鉄道ファンではない方向けの年賀状にSLの写真をよく使います。毎年楽しみにしているというお返事を下さる方もあります。年末押し迫る時期ですが、素材収集の目的もありました。
最近、表題の言葉を目にすることが増えたように思います。つい先日、名鉄の社長緊急会見があり、名鉄名古屋駅周辺の再開発計画が「未定」となることが発表されました。
人件費、資材費が高騰する中、長期間、高度な推進力を要する事業です。辞退したというゼネコンさんは先が見通せない状況下に高いリスクを取ることはできないと判断したのであろうと思われます。
時代が変わる前ならば、仕事の取り合いになっていたかも知れません。「みんなやりたい仕事のはずだ」時代の変化は急速ですが、どこか楽観的な見立てが残っていたのかも知れません。
規模はまったく違いますが、訪問したばかりの大井川鐵道でも苦渋の決断が起ころうとしています。唯一の動ける黒いSLであるC10を改装する計画が発表されました。
来年の7月にはSLの大井川本線での運行開始から50周年を迎えます。そのときを姿を変えられたSLだけで迎えることになります。さらには、その状態が全線復旧予定の2029年まで続く見込みと言います。会社の発表には「心苦しい」という文言があります。
奇跡的に1両だけが残っているC10に原型を留めない改造とは何ということを・・・という声がSNSでは溢れています。私もできればこのようなことはしてほしくありません。
しかし、復旧までまだまだ長い年月がかかります。まずは会社が存続しないことには、復旧計画もSL列車もかげろうになってしまいます。ここは計画どおりの全線復旧と黒いSLが再び見られるように見守ること。私たちができることをしていくしかないと思います。(25.12.21)
(←拡大画像 javascriptを使用)40年前の写真の修復を進めています。しかし、時を経るにつれてネガの劣化が進みます。補正には苦労することが多くなりました。
今回は高山線を訪れたときに撮ったローカル列車です。遠くへ出掛けた時の写真はついつい主目的の臨時列車ばかりお目にかけています。たまには日常だった普通列車も載せましょうというわけです。
国鉄時代に地元で車掌さんをされていた方のブログ「昭和の鉄道員ブログ」はよく拝読しています。その中に先週載せた「ユーロライナー」の記事がありました。私は列車名を失念していましたが、ブログに時刻表の抜粋が載っていました。急行「ユーロライナーのりくら」9913レです。
撮影ポイントである焼石‐飛騨金山の向かって右側、飛騨金山の発車は11:43です。定期の上り普通列車828Dの到着を待つことがわかりました。828Dは富山発岐阜行。高山線を走破する列車でした。
高校生時代の1978年の秋にもこの列車を撮っていますが、当時はキユニ28が連結されていました。それから7年。既にキユニの連結は終了して、キハ26や55がキハ48に置き換えられたようでした。(25.12.14)
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記録ノートを眺めていると、撮影当時のことをいろいろと思い出します。40年前の10.20に東京から愛知に戻って来ましたが、ノートには行きたいと思った撮影ターゲットが3つあったと記されています。
1つは10.26付本稿で紹介した関西線のDD51+サロンエクスプレス。2つ目は小海線にも入ったサロンエクスプレス。そして、3つ目が高山線に入る「サロンカーなにわ」でした。
高山線を訪れた85.11.24はあいにくの雨降り。それでも「なにわ」の他に「ユーロライナー」の設定があり、予定を中止することはありませんでした。
なぜならば、「ユーロライナー」はこの年の夏にデビューしたばかりです。DD51が牽く列車はこのときが初めてだったのです。専用塗装機は592号機1両のみでしたが、首尾よく充当されていました。
この日までは忙しく出掛けています。いずれもYMさんが車を出して快く同行してくれました。改めて感謝したいところです。
しかし、12月に入ると、ぱったり記録が途絶えています。撮影対象がなかったのか、業務が忙しかったのかはわかりません。(25.12.7)
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11.29の土曜日はJRのさわやかウォーキングに参加しました。地元の東刈谷出発なので気軽に参加できますが、コースは約10km。2週連続で10km超えの徒歩になりました。日頃から約3kmの散歩を習慣にしているためでしょうか。くたくたに疲れるということはありませんでした。
今回は久しぶりの「シリーズ50年前」です。ご覧に入れるのは荷物列車を牽く浜松のEF58の中で、元お召予備機の60号機です。運用を事前に知る術はなく、とにかく来るまで撮り続けるしかありませんでした。
毎日のように線路端に通って1ヶ月近くかかったでしょうか。やっと当たりが出たのは75.5.29でした。撮れた時は友人と「やったー!」と歓声を上げました。
ところが、写真が仕上がって来ると、ひどいブレ。他のクモハ40などもことごとく同様で、これにはがっかりでした。
当時は中学1年生で、父のカメラを持ち出すことを許されるようになったばかりの頃でした。絞りを決めるとオートでシャッター速度が決まるカメラです。最高1/250のため、引き付けて撮るとブレてしまいました。
そのカメラでISO100のフイルム。陽が長い時期であっても、曇り空の18時頃ならば、絞りを2.8くらいには下げる必要があったことでしょう。
それは後年身に付いた知識であって、初心者の中学生には知識不足による失敗は無理からぬことです。記録ノートにはF5.6とありますので、オートでシャッター速度が1/60くらいになったものと思われます。
大西さんの黄変補正ツールで処理してから、google photo の「ボケ補正」という機能を使ってみました。
同機能については、6.22付本稿にてクモハ40の写真を公開しています。その写真と比べて、EF5860の写真は補正効果が顕著でした。特に銀色のお髭は明らかなブレがかなり鮮明になりました。拡大するとまだまだの水準ですが、スマホのような小さな画面で眺める程度ならば十分という画質になったものと思います。
50年の時を経て、「がっかり」が救われるようになるとは驚きです。(25.11.30)
(←拡大画像 javascriptを使用)3連休という方は多いことと思います。季節もよいので遠くへ出掛けられる方が多いのでしょうか。Xの定期投稿は目に見えるほどの低アクセスを感じます。
私は久しぶりに名鉄ハイキングに参加しました。11.22、23の両日、参加者限定で犬山検査場が公開されました。ハイキングイベントの公報写真では7本の電車が並んでいました。ここまでは無理だろうと思いましたが、実際は東側の行き止まりでほとんど引きが取れません。とても窮屈なポジションでの撮影になりました。
ご覧に入れるのは入り口ゲートの近くです。このような並びがずっと撮れたわけではなく、時間によっては手前の線路に電車が入って塞がれてしまいました。
たまたま撮れたステンレス車4本。全て形式が異なります。奥から300系、3300系、5000系、名古屋市7000形です。横から見たときに「く」の字を形成する点は共通しています。細部に違いがあるのがよくわかる写真になりました。
天気に恵まれて、親子連れの来場が目立ちました。いろいろな電車を間近に見る機会はそうそうあるわけではありません。聞こえて来た来場者の声からは満足度が高かったと感じました。(25.11.23)
(←動画の閲覧はこちらから)このところ、週末になると雨降りが続いていました。しかし、やっと2日とも快晴に恵まれました。
碧海エリアを土日に通過する「ロイヤルエクスプレス」ですが、この週末は催行中止になった模様です。当初の発表の段階では11/14発のツアーがありました。それが公式サイトのカレンダーからは消えていることを鉄友から教えてもらいました。同車が来るとなぜか天気がイマイチのことが多かったのですが、晴れると今度は中止とは皮肉なものです。
さて、今回は久しぶりの動画です。2002年の末、琴電で行われたイベント企画「旧型電車祭」。カルダン車への置き換えが進んで希少性が増しつつあった吊掛式車の撮影、乗車を存分に楽しむことができるものでした。
12.22に撮った映像のほとんどを使用しましたが、映像を見ただけでは当日の行動を思い出すことができませんでした。
2002年の撮影記録を見ると、車番のほか、撮影時刻、列車番号まで記されています。これは古い資料を綴じたファイルに入っているかも知れないな・・・。
資料はすぐに見つかりました。当時の公式HPからダウンロードした車両の運用計画、時刻表が出てきました。同じ向き、同じ車両の映像が連続しているのはなぜだろう・・・。資料からそれは途中駅で折り返す列車だったことがわかりました。
古い資料は捨てずに残していますが、ばらばらで保存していても見つけられません。やはり、きちんと整理しておきたいものです。
吊掛音重視の映像クリップになっています。音声が聞ける環境でのご視聴をお勧めします。(25.11.16)
(←碧海猿渡駅第3展示室へ)定期更新に先立って25周年記念画像へのリンクを追加します。
11.5、碧海電子鉄道は25周年を迎えました。長年閲覧いただきまして、ありがとうございます。
この写真は碧電開業当初から掲載しているものです。キハ25形であるため、25周年記念画像に起用し、画質を改善のうえ、差し替えを行いました。
ここまでは25.11.7に記しました。以下は定期更新による続きになります。
この1年の記事を改めて確認してみました。碧海エリアは話題に乏しくなったことは否めません。しかし、私個人の好みや、たまたま複数の話題が重なったりして扱わなかった事柄もあります。とはいえ、シリーズ40年前、50年前を中心に、よくここまでつないで来ることができたものだと思います。
今回は画質改善を図った旧作だけというのはためらわれます。既にXでは公開済みのものですが、40年前、こちらに戻ってきて最初に撮った1コマを紹介しましょう。
(←Xの投稿です。ブラウザの←から戻って下さい。)名古屋で仕事が見つかるまで預かっていただいた会社は土曜日の休みが月に1回だけでした。それが、名古屋の会社は既に週休2日が導入済みでした。だからというわけでもありませんが、85.10.26の土曜日に出掛けています。
荷物電車がクモニ143またはクモユニ147に置き換えられて以来、何度も併結列車を狙いました。ところが、来るのはなぜか143形ばかりでした。それがようやく147X2に当たったのがこの日でした。
この1コマを撮っただけで帰ったようですので、早く147形を撮りたいという意思があったようです。
しかし、荷物電車の併結は長続きせず、この1年後には荷物列車(客車、電車)そのものが一部の例外を除いて廃止になってしまいます。
クモユニ147として改造落成したものの、荷物・郵便車としての活躍は僅か4年。旅客用のクモハ123形に改造されてからのほうがはるかに長い年月を過ごすことになります。(25.11.9)
表題の写真集が刊行されました。共著者の泉さんは中日新聞の記者さんです。私がXで公開しているBチャンネル再建法による黄変補正がお目に止まり、補正ツールの使い方を教えてほしいとのご依頼を受けました。あらかじめ数点の画像データをお送りいただき、電話でお話ししながら一緒に作業を進めるという方法を取りました。そのときに作業を行った写真も掲載されています。
ツール開発者の大西さんに直接相談された画像もあるそうで、大西さんは補正ツールを使用した写真を載せた写真集が刊行されたことを喜んでおいでです。
私は使い方をお教えしただけですが、それまではあるつまづきで手順がわからなくなっておいででした。そこを突破することで、順調に補正作業を進めることができたそうです。
大半がカラー写真で、多くの写真は変色の補正をされているそうです。北陸地方の貴重な写真が満載です。中日新聞の公式ページの案内はこちらです。
(←拡大画像 javascriptを使用)本題に入る前に1つ。
伝言板をご覧になった方は「何だろう?」と思われたかもしれません。テレビ番組の制作会社の方からの写真使用依頼でした。ご担当の方とメールでやり取りをして、BSフジの「鉄道伝説」で名鉄3400系を扱うので、番組内で使用する写真の提供をというご依頼でした。第1回から視聴している番組ですので、快く協力させていただくことにしました。
その放送が本日25.11.2のAM10:00からありました。ご覧いただいた方はいらっしゃるでしょうか。
さて、それでは本題です。
伊豆急の2100系R5編成ロイヤルエクスプレスは機関車に牽かれて北海道や四国でも活躍しています。既に四国ツアーへの充当のため、2シーズン分が甲種輸送として碧海エリアを通過しています。
今回、愛知、岐阜へのツアーが設定されて、自力走行による運転が実現することになりました。同車の来碧を心待ちにしていました。
10.28の昼過ぎ、仲間内からLINE着信。なんと、ロイヤルエクスプレスが下り列車としてこちらに向かっているというのです。他の方からも連絡があって、近場で待ち受けました。しかし、その回送列車は10分前に太陽が雲に遮られてしまいました。
同車は大垣車両区に滞在する形で乗務員訓練が行われるようです。初日の10/30は上下とも好天に恵まれました。翌10/31は雲が目立ったものの、まずまずでした。
碧海エリアのJR線は日頃特急電車の設定がありません。そこを私鉄の観光特急が走行するのはとても感慨深い思いです。(25.11.2)
(←拡大画像 javascriptを使用)40年前、名古屋市内の会社に通うようになって最初の週が終わりました。アップする10.26は1日早いのですが、今回は85.10.27撮影の1コマにします。サロンエクスプレス東京が紀伊半島を1周して、名古屋へ抜ける列車を関西線で撮るのが目的でした。
中学校時代からよく一緒に出掛けていたYMさんと6:00に出発。車の中では新しい会社がどうかという話をしたのだろうと思います。業務量がひっ迫していて「早く来てほしい」と言われたので、連日帰宅は遅くなりました。
紀勢線内でも撮れましたが、思っていたよりも通過時間が早く、場所選定の時間切れ。その結果、ド逆光でした。関西線内へ移動しようとするも、地図を持参するのを忘れて、迷いながらやっと撮影ポイントにたどり着くことができたようです。撮影記録ノートには、カメラのセットが終わったらすぐに来たと記されています。
民営化後は東海エリアまで来る頻度が減ったものの、鈴鹿F1や八耐の臨時列車でサロンエクスプレスが来ることはありました。原則としてJR東海機が充当されたため、ユーロ色機との組み合わせの期待度が高まりました。(25.10.26)
(←拡大画像 javascriptを使用)2025.10.14限りでwindows10のサポートが終了となりました。拡張セキュリティーの登録をしましたが、業務にも使用している1台はエラーで登録ができません。会計ソフトなどもwindows10を見放す動きのため、windows11のPCを購入しました。
アプリの入れ替えを進めていますが、今のところ、これまでの使い勝手が損なわれるようなことがなくて済んでいます。古いアプリはもう使えないかと思えば、無事に起動。windows10のPCでは条件によってはフリーズしてしまっていたトラブルが解消されました。今回のアップロードについても、新PCを使ってみます。
(←拡大画像 javascriptを使用)
さて、今回は特大貨物輸送です。
10.15に日付が変わってから春日井を出て、南松本行です。7.9にもあった輸送と同様に、なぜか中央西線を通らず、東海道線を上る経路です。
前回は陽が長い時期ゆえ、晴れると側面が陰ってしまうという条件でした。その点、今回は順光になることを確認していました。
ところが、前夜からの雨がまだ完全には上がらず。ISO1600でもF2.5、1/500という厳しい条件になりました。なかなか思うようには行きませんね。
7月にあったばかりなのと、天候がよくないせいか、人出は僅か。撮っているの私を含めて3名だけでした。(25.10.19)
(←Xの投稿です。ブラウザの←から戻って下さい。)今回はXの埋め込みとしました。東海地方の皆さんはあまりなじみがないと思いますが、埼京線が9.30に開業40周年を迎えました。同線は東北・上越新幹線と並行する形で建設された(仮称)「通勤新線」です。
単線非電化、タブレット閉塞、腕木式信号機を使用していたローカル線である川越線が、新線、赤羽線とつながって、池袋行の直通電車が走るようになりました。
私は赤羽線を通勤で利用していましたが、それも終わりが近づいていました。
私はUターン就職を希望していましたが、うまくいかず。思えば、こんな仕事がしたいという明確なビジョンがありませんでした。
大学の先生の後輩が経営者の一人である会社に置いていただいていました。そこからの紹介で名古屋に支社を持つ会社を訪ねたところ、業務量のひっ迫があって、早く来てほしいという話になりました。
9/21の本稿では、乗ったはずの「エキスポライナー」について何も覚えていないと記しました。しかし、仕事に関してはかなり細かいことまで覚えています。それくらい新鮮なことばかりだったのだと思います。
会社には個人事業の方が出入りされていました。その方は技術的なことを深く学んでおられて、新人の私にもいろいろと伝授していただきました。そのときのことが年月が経つにつれてありがたいことであったと思うようになりました。(25.10.12)
(←9な仲間たち(25)へ)もう10年近く前でしょうか。例年この時期になると、JR貨物広島車両所で一般公開の案内を兼ねたヘッドマークが取り付けられ、毎年楽しみにしていました。コロナの影響による中断を経て、最近の開催は2023年だったそうです。
つい最近、公式Xで定員を絞った有料での公開を行うことが発表されました。ここで驚いたのは、公開予定の車両は「最後の公開」とされ、解体予定と書かれていたことです。
Xでは大きな反響がありました。企業判断だから仕方ないという意見。貴重な車両の解体は許しい難いという意見。何とか救う道はないだろうかという声などです。(社員さんもご覧になる公式Xに辛辣なコメントを浴びせるのはいかがなものかというものも・・・。)
広島車両所は改築が計画されており、保存車両が支障するので、この機会に処分するのであろうという見立てがあります。さらには、マナーの悪化や、イベントに人が集まり過ぎることも影響していそうです。
今回の写真は9周年企画「9な仲間たち」の第25回で公開したものです。EF500-901が今回の公開、終了後は解体予定の対象に含まれます。
この写真を撮ったのは1991年、新鶴見機関区の一般公開が行われたときです。このとき、両形式を初めて見ました。INVETER HI-TECH-LOCO。このようにおしゃれで先進的な機関車が活躍するようになるのだと、わくわくしたのを思い出します。
時はバブルの最中。そんな時代に登場したからか、仕様にコスト低減という視野が乏しく、初期費用、維持費とも嵩んだという話は聞きます。
特にEF500形は試験のみで機関車として活躍できなかったものです。それを末永く維持する必要があるのかと言われれば、難しいですねという回答になってしまうのかも知れません。
同様の性格の機関車には津山で保存されているDE50があります。EF500は活躍できなかったからこそ、30年以上残された今になって消されてしまうのは惜しいというのが率直な気持ちです。
なお、使用している写真については、画質改善のため、再スキャンしたものに差し替えています。(25.10.5)
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