構内放送ログ

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ホームタウンから


碧海電鉄全線


発行当日限り有効 0円
(碧海電子鉄道)ホームタウン駅発行
 
   

半年を経過したログの公開を終了しました。(22.4.3)

●構内放送(23.1.22)【盛りだくさんな一週間/DD200が牽く鶴舞線N3116H甲種輸送】

名市交鶴舞線N3000形最終編成の甲種はDD200が担当して、1回限りの組み合わせとなった。23.1.17〜22にかけて、JR、名鉄ではいろいろな臨時列車が走りました。網羅はできていませんが備忘録的に記しておきます。
1/17 キハ85系5両廃車回送、名市交上飯田線7000形7101H定期検査出場試運転
1/18 7101H舞検出場、犬山へ回送
1/19 HC85系グリーン車なしの4連2本日車出場試運転
1/20〜22 名市交鶴舞線N3116H日車出場甲種
1/20 シキ800形安治川口へ回送

毎日のように注目の列車が運転されるのは珍しいことではないかと思います。
 中でも目新しいのはN3116Hの甲種でしょうか。JR線内の牽引機は初めてDD200形が担当しました。N3000形は今回が最終編成だそうで、1回限りの組み合わせになりそうです。しかし、このところ名鉄の新車輸送と同様、東海道線内は深夜のダイヤになってしまったのは残念でした。
 豊橋から笠寺まで3時間くらいかかるのだそうで、走っているよりも停まっている時間の方が長いほどのダイヤです。その間、JR貨物の運転士さんや日本車両の添乗員さんはその気になれば回避できるであろう勤務を強いられます。働き方改革には完全に逆行していますね。
 しかしながら、N3000形の新造車関連の動きについては、何かと話題に事欠きませんでした。名鉄線内では、EL120形ができる前には旧型デキの3重連が牽引していました。また、名古屋臨海鉄道線内では、通常の青いDLのほか、赤塗装のND5527号機もたびたび充当され、編成のバラエティーを楽しませてもらいました。
 これで当分の間、三河線、豊田線を経由した甲種輸送は設定されることはなさそうです。(23.1.22)

動画:成田線初詣臨時列車1993年

動画の閲覧はこちらからサムネイルの動画を公開しました。先日の本稿で、ビデオカメラの導入は1992年10月であったことに触れました。その後、1993年2月には関西へ転勤することになったため、関東地方ではあまり動画の撮影ができませんでした。毎年恒例になっていた成田線の初詣臨時列車についても、動画はこのとき限りの撮影になりました。
 転勤まで1ヶ月弱になっていたため、沿線でよくお会いした顔なじみの方々には「機会は減ると思いますが、またお会いしましょう」と挨拶をしました。

●構内放送(23.1.15)【1996年夏、吹田機関区撮影会/現三河安城付近、「あさかぜ」事故遭遇機】

展示会のために各地から機関車が集められた。呼ばれた機関車の多くは「更新色」だった。今回の題材は何にしようかと、更新直前まで決まりませんでした。ツイートの埋め込みにすれば簡単ではありますが、地元の話題とは言えないものになります。では、今回は地元の話題なのかと言えば、写真自体は大阪で撮ったものです。
 1996年夏、JR貨物の吹田機関区で開催された機関車展示会の様子です。写っているのは4機ですが、EF66901だけが吹田機関区自前のもので、他はいずれも他の機関区所属のものをわざわざ次無動で運んでいます。中でも、DF200-901号機は青函トンネルを通って遠路輸送されています。
 昨今、JR系各社で行われている撮影会は会費が数万円単位の高額なものが一般的になっています。しかし、写真の撮影会は無料でした。
 さて、この写真のどこが碧海エリアに関係があるのでしょうか。実は決してよい話ではなく、55年前の不幸なできごとになります。
 対象は向かって最左端の機関車、EF65502号機です。写真はJR貨物更新色ですが、東海道・山陽線ブルートレイン牽引機時代の話です。同機は1967年(昭和42年)9月30日、現在の三河安城駅付近で踏切事故に遭遇しています。道路が立体交差になっているのは、この事故がきっかけであったと思います。
 朝5時前、同機が牽く特急「あさかぜ」が踏切から出られなくなったトラックと衝突。前面が大きくへこみ、機関士さんが殉職しています。
 当時、私は保育園の年少組だったことになります。しかし、母方の祖父母宅を訪れるときに近くを通っていたせいか、大きな衝撃を受けたようです。ニュースや新聞の報道写真は、幼児だった私もショックを受けたはずです。断片的ながらも当日のできごとを覚えています。
 当時、自宅からは東海道線がよく見えました。事故のため、列車が1本も来ません。テレビのニュースでは乗客へのインタビューがあり、「列車が急に停まったかと思ったら動かなくなってしまった」と答えていたこと。救援に向かったと思われる列車はSLであったという記憶があります。当時はまだDE10は行き渡っていないはず。過去に刈谷駅の入換にC50が使われていたと聞いたことがあるので、その機関車が駆け付けた可能性はあると思います。
 スキャンしたばかりの画像に同機が写っているのに気づきました。「これ、安城で事故に巻き込まれた機関車だったのでは?」と思って調べたら確かに同機でした。
 デビュー2年後に遭遇した事故です。大宮工場で復旧され、民営化後はJR貨物の所属になりました。P形としては最後の方となる、2008年に廃車になったそうです。
 最後までブレーキハンドルを離さず、命を落とされた「あさかぜ」の機関士さんには改めて手を合わせたいと思います。(23.1.15)

●構内放送(23.1.8)【シリーズ40年前/東名古屋港への発車を待つ混合列車】

東名古屋港への発車を待つ混合列車昨年末から1982年2月28日に運転された名鉄常滑線の「混合列車」関係の写真をアップしています。どうしてもツイッターが先出しになってしまいますが、今回はツイッターには未掲載の写真です。
 日長の鉄橋周辺で混合列車を往復撮影したツアー客たちは、常滑から戻ってくる「なまず」に乗車して大江へ向かいました。スタッフの方が「この電車に乗り遅れると混合列車に乗れません。」と、注意を促していました。私たちも余裕がないながらも間に合って、ノートには乗車記録として「日長→太田川 ク2351」との記載があります。
 写真はツアー客の皆さんがいそいそと混合列車のモ810に乗り継ぐところを撮ったものです。ネット上で公開されている写真を見ると、常滑線内では乗車しなかった模様です。そうなると、混合列車ツアーなのに、乗車できたのは大江−東名古屋港という、片道1km少々の区間になってしまいます。
 理由はわかりません。珍しい編成の列車の走行シーンを撮影することとすれば、このダイヤしか組めなかったのでしょうか?当時の考え方は不明ですが、もし、近年に運転しようとすれば、社内で安全上の反対意見が出そうな気がします。優等列車も高速で走る常滑線で、実質貨物列車にお客さんを乗せるわけにはいかないという考え方です。
 この日の朝、3790系に乗車する目的で東名古屋港まで往復していますが、そのときはまさかこの日、同じ築港線の線路を混合列車が走るとは思いませんでした。(23.1.8)

謹 賀 新 年

●構内放送【シリーズ30年前/池の浦をゆくユーロ色DD51+ユーロピア】

池の浦をゆくユーロ色DD51+ユーロピア明けましておめでとうございます。せっかく定期更新日が1月1日となりましたので、時間を繰り上げて更新します。碧海エリアは風が弱く、穏やかな元日となりました。日頃ご覧いただいている皆様はいかがお過ごしでしょうか。
 まずは今年の地元の鉄道の展望についてです。
 JR線については、引き続き315系の増備が進み、それに関連した車両の置き換えが進むものと考えられます。昨年は311系2本が廃車になりましたが、今年はどうなるでしょうか。
 貨物列車に関しては、既にEF210が続々と増備されており、EF65PFが充当されている5087列車の動向が注目されます。(私が予想を書くとよく外れますので、断定は避けておきます)
 また、東海会社では、ドクターイエローに一般客を乗車させる企画が発表されています。鉄道事業はビジネスであるという価値観によって、ひところはかたくなにファンサービス的なことをしませんでした。そのJR東海が軟化してきていることは歓迎したいと思います。沿線で撮影しているファンにタイフォンを鳴らして下さる運転士さんが増えているなど、マナーを守っていれば友好的な姿勢を感じます。鉄道従事者の方々とは良好な関係を築いていきたいものです。
 名鉄に関しては、引き続き6000系が9500系等への置き換えが進められるものと思われます。瀬戸線の喜多山付近の高架工事が終了すれば、3306Fの本線転属も想定されるでしょうか。
 また、知立駅の名古屋本線の上り線が3/21に高架切替が発表されています。現状は全てが仮線になっている線路がいよいよ高架の使用開始となります。
 写真はちょうど30年前、1993.1.1に参宮線の名所、池の浦で撮影したDD511037+ユーロピアです。この日はほかにDD51が牽く初詣臨時列車が2本ありました。まだバブルの名残を感じさせる賑わいであったと思います。
 私はといえば、2月頃、東京から大阪への転勤の内示を受けていました。関東地方の鉄道を慌てて撮り回ったかといえばそうでもありません。関東での生活は、学生時代を含めれば、9年半に達しており、撮り足りないという心境ではなかったものと思われます。
 本年もどうぞよろしくお願いします。(23.1.1)

●構内放送(22.12.25)【地元の新車および引退車両】

今回は年内最後の定期更新となります。
 このところ「シリーズ40年前」が多くなっていましたが、地元の新車と引退した電車の話題を扱います。

【315系3000番台が登場】

貫通幌が取り付いたクハ315-3000番台315系では2022年度2回目の新製車出場は初めての4連固定編成2本となりました。これまでのC1〜C8編成は増解結には対応しておらず、貫通幌や電気連結器が省略されていました。しかし、今回の編成は連結可能な仕様となり、東海道線基準で下り方には幌枠、上り方にはさらに幌が取り付けられました。出場当日には多くのツイートがありましたが、多くの方が言われているように、締まった顔つきになったという感想は同感です。
 また、今回出場した4連2本は3000番台が与えられ、ワンマン運転に対応してるとのことです。
 鉄道チャンネルのこの記事によれば、現状、東海会社ではワンマン運転は2両編成以下とのことです。それを3連、4連に拡大するため、乗務員扉付近にカメラが取り付けられました。今後、2023年1月からはワンマンの試運転を実施する計画とされています。
 現状、武豊線では311系が運行されていますが、将来的には315系のワンマン運転が実施されるのかもしれません。(22.12.25)

【名鉄6000系6007Fが廃車に】

東名古屋港に到着したEL121+6007F6000系の初期車は特別整備を受けたものだけが残っています。しかし、6006Fを皮切りに、それらも徐々に廃車されるようになりました。今回廃車になったのは6007Fです。2本とも非ワンマン編成です。
 22.11.24に発生した自動車衝突事故では、6005Fの側扉を破損しました。ツイッターで見た外見上は軽傷のようにも見えましたが、取り換えを行うことになったようです。そのドナーとして廃車予定の6007Fが選ばれ、当初の計画よりも前倒しで運用離脱。舞木検査場へ回送の上、6005Fに提供する扉のほか、外見からもわかるような転用部品の取り外しが行われたようです。実際に、扉を外した個所は板で塞がれているのを確認しています。
 その結果、通常の自力回送ができなくなりました。そこで、今回はEL120形の牽引となったようです。12/21の夜にはELのパンタグラフが上がっているとの情報がありましたが、その後、パンタグラフが下ろされたとのことです。折しもその日は21時頃、岐阜市内で人身事故が発生。ダイヤの乱れが想定されることから、急遽延期された模様です。
 そして、翌日の深夜、舞木検査場から大江へ回送。さらに、12.23に東名古屋港→名電築港の解体場へ搬入されました。ここ最近の廃車回送は大江で1泊することが多くなっていましたが、今回は大江到着の翌朝には築港線の運転が行われました。
 人身事故の影響で舞木発が急遽延期されたと推測されますが、その理由は築港線内での自社社員のほか、リサイクル業者さんやレッカーの手配を急に変更することを避ける意図あったものと想像できます。不幸なできごとでしたが、廃車回送の発車予定直前に人身事故発生してしまい、1日余裕を見込んだスケジュールが有効になったということになりそうです。
 6007Fにとっては、急遽前倒しで運用を終え、他編成に扉を譲ったり、回送スケジュールに変更が出るという波乱に見舞われました。同車の長年の活躍をねぎらいたいと思います。
 それでは皆様、よいお年をお迎えください。(22.12.25)

●構内放送(22.12.18)【小田急LSE 東海道線試運転】

国鉄では、次世代特急列車(スーパー特急)の研究データ取りのための試運転を実施。連接車も比較の対象になりました。当時の小田急新鋭ロマンスカー、LSEが借りられました。(←ツイートです)この冬最強という寒波がやってきて、一層寒くなりました。いよいよ冬が本番を迎えたのでしょうか。身体を冷やすのがよくないのか、冬場は体調が下降線になることがよくあります。幸いにも体調は良好ですが、どのように過ごすのかは工夫のしどころです。
 さて、まずはシリーズ40年前のツイートから紹介します。
 1982年の12月、国鉄は小田急LSEを借りて、東海道線の大船−熱海間で試運転を行いました。目的は在来線特急列車の高速化に向けたデータの取得です。国鉄は183系。連節車との比較を行うため、小田急LSEが選ばれたのです。
 ツイートにコメントをいただいたのをきっかけに、当時の雑誌記事を探しました。すると、鉄道ファン誌1983年3月、4月号に掲載されていました。
 LSEの運転は12.10〜15。土曜、日曜日も実施されています。幸いにも鉄研メンバーを通して情報を得ることができました。
 小田急線沿線には海がないため、やはり海をバックにしたシーンにこだわりたいものです。思い浮かぶのはもっとも有名な根府川の白糸川橋梁です。当時は早川−根府川間の撮影地に関しての知識がなかったせいか、10月に訪問したばかりの白糸川橋梁を再訪しました。
 非公表の列車だからでしょうか。撮影地はごった返しているというような状況ではありませんでした。それでも口コミで情報が広まり、私よりも若い人も結構来ていました。隣で撮っていた人は明らかに年下に見えました。新幹線が好きなようで、新幹線の話ばかり聞かせてくれたことを思い出します。ちなみに、東海道新幹線はこのポジションの真下を走っています。
 海側しか日が当たらない1往復目は晴れていましたが、2往復目は曇ってしまいました。それでも、目的としていた海バックの小田急ロマンスカーを撮ることができて、満足でした。
 なお、記事中、連接車が「連節車」という表現になっていることに違和感を感じられた方がお見えかもしれません。鉄F誌1983年4月号の記事は国鉄工作局の方が執筆されていますが、「連節車」という表現に統一されています。少なくとも国鉄部内では「連節車」と呼ばれていたものと思われます。

動画 ビデオ撮影30周年、C12のトラストトレイン(大井川本線部分再開を祝して)】

動画の閲覧はこちらから(←動画はこちらから)1992年10月3日は大井川鉄道を訪れています。この日は101列車が重連運転。その後に来たのがトラストトレイインです。運転日が重連運転の日と同じであったために両方が撮れました。
 当時は日本ナショナルトラスト保有のC12164が担当し、客車はスハフ43を含めて全て茶色塗装でした。
 2005年以降はATSの取り付けがないことや、機関車自体の不調もあって、C12は運転されていません。2022.9の台風による水害で大きな被害を受け、去る12.16から金谷−家山間の運転が再開したばかりの時期に、このようなことを書くのは心苦しいようにも思いますが、いつの日か復活することを願いたいところです。
 なお、この日の映像は買ったばかりのビデオカメラを初めて使用して撮ったものです。重連運転はご覧いただける水準ではないため、トラストトレインのほうにしました。まだ撮影テクニックが備わっていなかったことのほか、写真の撮影も同時に行いながらズーミングをするという、欲張った撮り方をしました。華奢な雲台に固定しながらズームを動かしたため、原画はグラグラ揺れています。それを編集ソフトの「シェークキャンセラー」という機能で緩和しています。また、デジタル上でズームを調整しているため、画質は見劣りします。このあたりはご容赦いただければ幸いです。(22.12.18)

●構内放送(22.12.11)【1982年、名鉄「混合列車」】

乗車会員の皆さんが待つ日長川の鉄橋をそろりそろりと渡る「混合列車」に熱い視線が注がれる。(←ツイートです)前回は「混合列車」の前に来た「なまず」を紹介しました。今回は本命です。(本命といっても、ツイートの高評価は「なまず」のほうが上回っていますが・・・)
 まずは当日までわからなかったダイヤについてです。ある駅で尋ねたところ、すんなり教えていただけました。当時、今は無人になった小駅も有人のところが少なくなく、運転関係の通達文書が来ていました。国鉄ならば「局報」に相当するものです。
 新聞記事にはダイヤは非公表と書かれていたので、ダメ元で聞きました。何もかもが厳しくなった今ならばNGですが、通達の該当する部分を見せていただくことができたのです。
 「日長停車になっているな。なぜあんなところに停まるんだろう。」と、駅員さんは首をかしげておいででした。
 「なまず」からどれくらい待ったでしょうか。いよいよ「混合列車」がやってきます。通達資料どおり、日長に停車するのが見えました。駅を出たところの鉄橋付近でツアー客が撮影しています。必ずしも鉄道写真の心得を備えた人ばかりではないため、いったん停車して安全確認を行ったものと思われます。
 その、初心者についてですが、写真で言えば、切り位置スパンのど真ん中あたりで構えた少年がいました。近くにいた方が「おれ、行ってくる。」と、駆け寄って行かれました。こちらを指差して、「大勢の方が撮られているでしょう。あなたがそこにいるとみんなの邪魔になってしまうよ。」と指導されたようでした。
 少年は素直に移動に応じました。初心者だからと罵声を浴びせて排除するような人はいません。特段のトラブルもなく、無事に列車は通過していきました。
 今週も動画のリンクを残しておきます。当該列車のご提供映像
 なお、ツイートの写真についてですが、原画は不均等で複雑な変色を生じていました。この画像の補正については、伝言板の記事にある大西様ご紹介のツールを使用しています。
 古いネガ、とりわけ富士フイルムのものは、空などの明るい部分は黄色っぽくなる一方、画像の周辺は青紫っぽい変色を生じることが多くありました。ご紹介のツールはその変色を除去することができるというものです。
 ただし、どんな写真も一発きれいに補正というわけにはいきません。例えば、名鉄デキのトラ塗り警戒色。黄色の部分が変色と認識され、補正されてしまいます。このようなところは部分的に補正結果を除外するという調整が必要になります。
 補正前後の写真のツイートはこちら(22.12.11)

●構内放送(22.12.4)【1982年、名鉄混合列車の先行でやってきた「なまず」】

「混合列車」に先行して来た電車は851F「なまず」。スタッフらしい方がメガホンで案内していたので、あらかじめ仕込みがあった模様です。(←ツイートです)前回は急に寒くなる予報が出ていることに触れましたが、そのとおりになりましたね。10月まではかなりの高温傾向でしたので、秋が短く感じられます。
 旬の食べ物はおいしく、春先のように花粉症を気にすることもありません。せっかく年間でも快適だと感じる季節が短いのは困ったものです。
 さて、今回は久しぶりとなる名鉄古ネタです。ツイッターでは#名鉄混合列車1982というタグを付けましたが、40年前の2月末、常滑線70周年、貨物輸送廃止を記念して運行された列車です。なぜ混合列車かといえば、前後にELが付き、客車(電車)と貨車が連結されていたからです。当該列車のご提供映像を既にご案内していますので、ご覧になられた方もおみえのことでしょう。
 当日撮影したネガは長年にわたって行方不明でした。それが、3年前に見つかったことは以前記しました。窓際の温度、湿度の変動が大きいところにある引き出しに入っていたためか、カビに侵されてしまっています。遅々として画像修復が進まないうちに師走となってしまいました。
 遅ればせながらではありますが、年内に当該列車のほか、当日撮影した他の写真もご覧いただくことにしました。ツイートを埋め込みましたが、混合列車に先行するダイヤで運転された851F「なまず」です。
 混合列車のツアー客の方々は、さらに前の電車で日長駅を出たところの鉄橋付近に来ました。現状では乗車区間が特定できていませんが、多くの区間は乗車せず、撮影するという行程だったようです。近年でも有志が企画した撮影目的の列車運行「フォトラン」が行われますが、この日は鉄道友の会名古屋支部の企画でした。
 私たちは当初、鉄橋で構えていましたが、たいへんな混み方になったため、場所を移動することにしました。中には「私たちが先にいて、事前の告知もなかったではないか」と文句を言う人もいそうですね。しかし、私たちはギャラリーの立場。ツアー参加者さんが優先だから場所を移動しようと、同行者一同の意見が一致しました。(ただし、主催者側からどいてくれとは一切言われていません。)
 ツイッターのほうにいただいたコメントをきかっけにして、このポイントがどうなっているかをgoogle ストリートビューで確認してみました。
 国道155号線は4車線となり、立ち位置は木が生い茂っていました。しかし、駅寄りの鉄橋については、大きな変化がなさそうです。40年の時を経て、大きく変わっていることとあまり変化がないことが共存しているようです。

●構内放送(22.11.27)【動画:見かけ3重連/三河線(海線)5000系】

例年、11月下旬になると、そろそろ暖房を使わないとという日が出てきます。しかし、今年はかなり暖かいのではないかと思います。それでも、今週は一気に寒くなるという予報も出ています。体が寒さに慣れていないので、気を付けたいですね。
 さて、今週は地元で見られた少し珍しい列車2種類について、動画でまとめました。(22.11.27)

●見かけ3重連の2078レ

動画の閲覧はこちらから(←動画閲覧はこの写真からどうぞ)11/21の朝、2078レはEL+DL+EL+コキという変わった組成になりました。自宅に近い国道23号線バイパスは、6:45頃の通過ですが、下り電車にモロ被られたことがあります。また、前夜からの雨がまだ止まず、日の出が遅くなってきたこともあって、露出も厳しい状態が予想されます。サイド寄りから撮りたいという思いもあって、相見−岡崎の直線へ行ってみました。ここは7:00頃の通過ですので、15分ほど時間を稼げますが、露出は依然として厳しい状態でした。
 本務機の次位にDD200が付くことは時々あります。多くの場合は西浜松に到着したレール輸送列車8090レの一部を静岡貨物まで牽くための牽引機送り込みとなります。今回はその後ろにEF210-150号機の無動力回送が付きました。

●三河海線に5000系

知立発14:47発碧南行に流れる運用の6005Fが新木曽川付近にて事故に遭遇。須ヶ口以降の運用に急遽5000系5006Fが充当されました。豊明でも差し替えは行われず、知立−碧南を1往復しました。(←ツイートです)11/24の15時過ぎ、メールが着信しました。幸いにも遅れることなく内容を確認することができました。知立14:47の碧南行に5000系が入った模様だといいます。すぐに検索してみたところ、5006Fが知立を出たという情報が写真入りで見つかりました。すぐに出られる状況でしたので、10分後くらいには自宅を出ました。
 2/9付本稿では、2/4にも6524Fが同じ列車に充当された写真を掲載しました。そのときは刈谷市−小垣江間でしたが、バックの送電線や手前の柵の処理に難があると考えて、別の場所を考えました。時間的には「お迎え」に行くのは不利になりますが、SR車が運行されていた頃には何度となく行った、三河高浜−吉浜へ行ってみました。インカーブの内側にはポールがなかったのですが、新たにコンクリートのポールが建っていました。カーブらしい写真にはならなくなりますが、1ポール下がって撮りました。
 知立発14:47の電車は、須ヶ口発豊明行の普通〜名古屋から準急が豊明到着後、知立まで回送される運用です。通常は名古屋で夕刊の積み込みがあるそうです。そのために、前運用が乱れると、滅多にないながらも非ワンマン車が充当されることがあります。ただし、猿投から予備車を回送してでも極力ワンマン編成を充当するようです。非ワンマン車の充当によって、急に車掌さんを乗務させることを避けているようにみられます。
 今回は、須ヶ口までの前運用に充当されていた6005Fの側面に自動車が衝突する事故が発生したとのこと。運用途上で事故に巻き込まれたのでは、編成を差し替える時間に余裕はありません。そこで、須ヶ口発の豊明行に急遽5006Fを充当したということのようです。
 私個人としては三河海線内で初めて「銀電」を撮ることができました。鉄友の連絡には感謝です。

●ブルーインパルス

最後に、今回、なぜ動画にしたかについてです。
 11/26に愛知県政150周年を記念したブルーインパルスの特別飛行があるよというメールが数件来ていました。せっかくだからと通過地点を予測してビデオを構えていました。思いがけず予想より北側に現れたため、撮影開始が遅れてしまいましたが、なんとか写っていました。メールをくれた友人にも見てもらおうと、先の列車2本と共に動画を編集したものです。
 もはや速報ものとしての期待に沿えるものではないため、今週末までは一般公開を行わず、碧電からのリンクのみとします。もしご希望があれば、お友達にリンクをお教えいただくのは差し支えありません。→一般公開に切り換えています。(22.11.27)


●構内放送(22.11.20)【動画:名鉄5507F廃車回送(築港線ND552)】

動画の閲覧はこちらから名鉄5500系のうち、4連固定の編成最後の1本であった5507Fの廃車回送の映像を8.28付本稿で紹介しました。今回はその続編になります。
 早朝に大江に到着した5507Fは、午後、名古屋臨海鉄道のND552形牽かれて解体場となる名電築港へと搬入されます。
 当日は何時頃大江を出るのかがわかりませんでした。いつだったかは思い出せませんが、同好の方から午後2時か3時頃ではないかと聞いたのが唯一の情報でした。築港線は夕方には定期の電車の運行が始まります。それまでには機関車を東港に帰すであろうことは予想できました。
 東名古屋港に着くと、カメラを持った方が数名いました。解体線には未搬入です。聞くと、既にDLが大江へ回送されて行ったと言います。情報不足による撮り逃しは避けることができました。
 作業の流れは映像をご覧いただくこととして、その後の変化についてです。
 5500系4連固定編成が全廃となった後にも残った2連3本(リバイバル塗装)や8800系の廃車については、名電築港ではなく、小牧線の間内で解体が行われました。その後は名電築港に戻りましたが、機関車牽引ではなく、自力回送になりました。(ただし、自力回送不能の場合はEL120形牽引)東名古屋港でパンタグラフを降ろしたあとは自社の陸軌車が牽引して、名古屋臨海鉄道からの機関車と要員の派遣を避けることとなりました。また、車体をクレーンで線路外へ移動する作業も車止め付近まで搬入した直後からの実施に変化しました。
 いろいろな工程の合理化によって、経費節減が図られたものと思われます。
 最後に、当日の様子に戻ります。
 作業が終了して係の方たちが撤収したあと、歩みを止めた5507Fをじっと眺めている方がいました。どのような立場の方かはわかりませんが、物思いにふけっておいでの様子でした。思い出深い電車との別れに、寂しい思いをされていたであろうことは、想像に難くありません。


●さよならマーク付きの特急「ひばり」

ひばり24号に取り付けられたさよならマーク先週の定期更新は在来線の特急「ひばり」、「とき」の最終運行40周年の1日前であることを記しました。翌11.14日にはこの写真をツイッターで公開しました。上野駅はホームから転落する人が出るほどの大混乱。大宮駅も相当な人出になっていました。
 期待した181系最終の「とき」にはさよならの表示、装飾はありませんでした。その他、183系のさよなら装飾付きは走り去る最後部を見ただけ。結局、事前情報が全くなかった「ひばり24号」の後部に特製マークが付いていて、人の肩越しになんとか撮れただけでした。
 最近、イベント列車で駅員さんから止められても三脚を使う輩がいたと批判されているツイートを見かけました。
 駅構内の明るさがあれば、三脚など使わなくても十分撮影はできます。最近のデジカメはISO800〜1600に上げても同レベルの感度のフイルムよりはるかに高画質です。また、手振れ補正機能が付いています。私の経験からは、シャッター速度1/10でも手持ちでぶれずに撮れます。当時と比べれば、カメラや記録メディアの性能は大幅に有利になっています。
 まぁ、そもそも最近はそのような人混みに近寄ることをしませんが。(22.11.20)


●構内放送(22.11.13)【シリーズ50年前/181系特急「とき」】

職業訓練校で講師をしていた父は、秋の修学旅行に出掛けると、乗った列車の写真を撮ってきてくれました。写真は新潟駅で撮られた181系特急「とき」とキハ55系の並びです。アップ時点では1日早いのですが、11/14は上越線(在来線)の特急「とき」の最終日から40年となる日です。翌11/15には上越新幹線の大宮−新潟間が開業して、愛称は新幹線に移行しました。
 今年の11/3と11/6には上越新幹線40周年を記念した「リバイバルとき号」が運転されたのは記憶に新しいところです。ただし、使用車両が国鉄カラー風のE653系で、マークの類はありませんでした。そのせいか、世代が近い方々からは違和感を訴えるツイートを複数見かけました。ただつぶやくだけではなく、181系や183系の写真を一緒に出された方もありました。それゆえ、今月に入って、181系の写真は多くの方々の目に触れていると言えそうです。
 写真はさらに10年前、父が撮影したものです。1972年当時、父は職業訓練校の講師をしていました。毎年10月くらいには修学旅行があって、父も参加していました。
 小学生だった私は乗った電車の写真を撮ってほしいと頼んでいましたが、それに応えてくれたものです。上越線のほか、東北本線や九州など、愛知県では見られない列車をいろいろと撮って来てくれました。雑誌などに掲載されている写真ではなく、生のプリントが手元にあるのは嬉しいものでした。
 団体旅行で慌ただしい中、列車の先頭まで行くのはたいへんであっただろうと思います。既に父は他界しましたが、毎年のようにリクエストに応えてくれたことには改めて感謝したいと思います。(22.11.13)


●構内放送(22.11.6)【今年も開業記念日を迎えました(22周年)】

梅小路蒸気機関車館のC55です。鉄道100周年の年、1972年のオープン当時は動態保存の対象でした。(←ツイートです)今年も開業記念日を迎えました。日頃、ご覧いただきまして、ありがとうございます。
 恒例の記念画像は数字由来の形式を選定してきました。「22」という形式や番号は候補として数種類がリストアップできます。碧電としては、地元関連のものがよいでしょう。そうなると、これがよかろうと思ったのが、浜松工場入場車のお供をしていたクモヤ22形になります。そのつもりでネガから再スキャンも行っていました。
 ところが、定期更新に先立ってツイッターにアップした写真はクモヤ22ではありませんね。どうしてでしょうか?
 今年は鉄道150周年に当たること。また、折しも訪問からちょうど50年が経過した梅小路蒸気機関車館の写真もよいではないかと思うに至りました。
 当初は17両のSLのうち、静態保存は4両だけであったと思います。C51239、C5345、D52468、C59164です。
 その他は動態を維持するほか、本線上で臨時列車を牽いたものがあります。記憶の限りでは、C1164、C612、C622が挙げられます。C56160は長らく地方巡業に使用され、四国や北海道にも渡っています。また、C571とC581はその後、山口線における「SLやまぐち号」の牽引機に抜擢されました。
 しかし、当然のことながら、動態保存は維持費がかかります。その後、静態保存に切り換えられたものは少なくありません。個人的には、大正時代の設計ながら、国鉄では最後まで現役を貫いた9600形に火を入れられるものがないのは寂しく思っています。
 50年前に撮影したC55の1号機も静態保存に切り換えられた1両です。ちょうど投炭して煙を吐いているところを撮ることができました。当時小4だった私にしては、うまく撮れた1コマです。(22.11.6)


●クモヤ22もご覧に入れましょう

受験勉強中の1980年8月。朝から雨で気分が優れず。ふと思い立って沿線へ出ました。来るのは50%以下でしたが、運よくクモヤ22が来ました。ツイートには迷ったと書きましたが、候補から外したクモヤ22もご覧に入れます。記念画像が雨降りというところにひっかかっただけですので。
 この写真は数が少ない1980年の撮影になります。ちょうど受験勉強中で、撮影に行っても近場限定でした。この日は雨降りで憂鬱な気分。ふと思い立って「出掛けて来る!」と、沿線へ出ました。浜松工場入場車、回8512Mが来るかどうかは運次第。首尾よく来てくれて、気が晴れました。(22.11.6)


●構内放送(22.10.30)【40年前に撮った「ひばり」の先頭車はまだ現役だった】

後年、お座敷電車「華」に改造されたクハ481-21。特急「ひばり」での活躍が残り1ヶ月弱の頃。(←ツイートです)陽が短くなるのが早いですね。暗くなっても、時計を見ると、「まだこんな時間か。」と思うことがよくあります。
 さて、今回は40年前に撮った東北本線の特急列車からです。
 ボンネット形のクハを先頭にした特急「ひばり」。主目的はEF58が牽くお座敷列車でしたが、たまたま撮ったようです。
 ここで話題が急に変わるようですが、お座敷列車「華」についてです。同車はJRグループでは最後のお座敷列車。それが今日の団臨で引退するとのことです。
 ツイッターでは、同車の種車は初期形の485系であるとのコメントを見かけました。写真の「ひばり」の先頭車、クハ481-21はまさに「華」の種車だというのです。
 調べてみると、同車は1965年6月の製造。82.11.14に東北線での運行を終えると、仙台から向日町へ転属。さらに、民営化前に新潟局の上沼垂へ移動しています。この転属は、民営化後にJR東日本の所属になることを視野に入れたものであったと考えられます。民営化後は通称「新カヌ色」に塗られて「白鳥」にも使われていたため、大阪へ転勤後の私も目にしていたものと思われます。
 そして、1997年に車体を乗せ換えてお座敷電車「華」となりました。製造から57年。改造後、25年も走り続けたのは凄いことですね。同車の引退によって、国鉄時代からの代表的な団臨用車両「お座敷列車」が消滅します。
 ツイートの返信に「華」に改造後、クロ485-2をアップしました。
 なお、碧電でもひびきヶ原駅第5展示室に同写真を掲載しています。(22.10.30)


●JR九州の8620の運行終了

肥薩線のSL、58654号。撮影した時は、その後、大規模水害に見舞われることも、SLの運行が終了となることも想像すらできませんでした。最近、JR九州が何かヘンです。鉄道ではサービス低下がどんどん進んでいます。通勤列車の座席を大幅に減らすのみにとどまらず、快速運転の中止、本数の削減、編成の短縮など。中には積み残しが出る列車もあるようで、地元の利用者の評判がすこぶるよくないようです。
 そこへ来てのSL運行終了の発表です。理由は先週も挙げた「老朽化」以外に、部品や保守要員の確保が難しくなったとされています。
 一方では、桁違いの小規模会社、大井川鐵道が新たにC56135号機の動態復活を目指しています。新金谷では、他社のSL整備も受け入れるという新事業の立ち上げが発表されています。9月の台風15号による水害で、いまだに大井川本線が不通の状況ですが、会社の将来を見据えても、ここでやめるべきではないというお考えとみられます。
 大鐵さんの姿勢を見ると、JR九州の58654号機運行終了はやむを得ないとは考えにくいように思います。運行終了は単なる困難回避だけではなく、肥薩線の存在価値を低下させることにもつながります。復旧断念への先手を打たれたという声すら上がっています。
 私見になりますが、これは単にコロナ禍による事業環境の悪化だけの問題ではないと思われます。それは、JR九州はJR他社と比べても外資株主の割合が高いとされることです。おそらく、外資は鉄道を看板にした不動産や商業などの事業展開で、成長→自分たちへのリターンの拡大を目論んでの投資であることに疑いはないでしょう。日本国内の公共交通の発展を支援したいなどという高尚な意思がないことは明白です。
 実際に、過去には外資の要求に苦しんでいるとの報道がありました。本稿を書く前に地元の大学の先生のブログを読みましたが、JR九州の完全民営化(株式上場、国が保有する株を100%売却)は失敗であったとまでおっしゃっています。
 利用者の不評を買ってまで合理化を図ろうとする姿勢は、外資系株主の方を向いた経営に傾いていると思えてなりません。好意的に見れば、鉄道マンたる経営陣が本音とは違うところで苦しんでおられるかも知れないと思うと、気の毒な気持ちになります。(22.10.30)


●構内放送(22.10.23)【動画:木次線「奥出雲おろち号」乗車】

動画の閲覧はこちらから9.25付本稿では、表題の列車に乗車したことを書きました。気づけばもう1ヶ月が経ちました。乗車時のことを書き始めると、ダラダラと長くなることは自明です。前稿では説明等は省き、動画にまとめることを記しました。その編集がやっと終わった次第です。サムネイルから閲覧できます。
 さて、同列車は2023年度で運行を終了することが既に発表されています。しかし、実際に乗車してみて、甚だもったいないと思えます。
 映像に写っていますが、沿線では、ほとんど各駅で地元の方々の見送りがありました。出雲坂根駅で販売されていたおいしい焼き鳥。数駅で出前予約に応じていただける出雲そば。売り込み方次第ではまだまだ地域が潤う要素を秘めているように感じられます。
 指定席が取りづらいのは、廃止発表による駆け込みはもちろんあるのでしょう。それだけではなく、機関車を入れて3両編成で約60名という定員の少なさ。これでは希望は多いのに、乗車機会の逸失を招くことになります。列車によっては、スイッチバックを含む一部区間だけがバスツアーに押さえられていると聞きます。空席が目立つ区間が長くなっては、運賃収入の低下、話題の輸送密度の低下を招きかねません。(ただし、私が乗った列車は下車後に乗車があり、空席はほとんどありませんでした)
 運行終了の理由は毎度お得意の「老朽化」です。機関車に関しては、冬季の除雪に使用されるキヤ143形ではだめなのかと思っていたところ、地域のマスコミの動画に島根県に提出されたという同形関連の資料がちらっと写っていました。
 キヤ143の充当について、検討はされたということのようです。12系とはブレーキ方式や制御系が異なるので、対応困難という内容が読み取れました。ブレーキに関しては在来型との読み替え装置が甲種輸送のほか、「SLやまぐち号」(SLやDLの自動ブレーキを35系客車の電気指令信号に読み替え)で採用されており、技術的には困難ではないものと思われます。ましてや、1系列2両が連結相手です。
 要はやる気がないのですね。島根県に存続をあきらめさせる意図が透けて見えます。コロナ禍による経営環境の冷え込みがあって、儲からないところは早く止めたいのが本音なのでしょう。しかし、「できないありき」の資料は私たちには知恵も技術力もありませんと宣言しているようで、情けなく感じました。
 島根県とJR西日本は観光列車「あめつち」を途中の出雲横田まで運行することで合意したとされます。しかし、スイッチバック区間を通らないことは木次線の魅力を大きく削ぐことになります。また、グリーン車扱いで全く性格の異なる車両では代替には遠く及ばないものと思われます。このままでは木次線はますます衰退してしまいます。(22.10.23)

●シリーズ50年前/宇野線の茶色い電車

「撮っても仕方ない」とブツブツ言いながら母が撮ってくれたものですが、今となっては貴重な1コマです。シリーズ50年前に該当する写真はまだありますが、なかなか掲載が進みません。ツイッターに先立ってこちらに出しておきます。
 50年前の1972年8月、寝台特急「金星」で訪れた中国地方への旅行では、8.22は山口県、8.23は広島県で宿泊しました。8.24は宮島口から181系特急「はと2号」で倉敷へ。そこからはバスで宇野線の茶屋町に移動。宇野までは153系の快速に乗車しました。急行「鷲羽」のマークを裏返したものでしょう。文字なしでブルーの帯が数本入ったマークであったと思います。こちらのページで湘南色クハ165が掲げているものと同じと思われます。
 快速を退避していたのでしょうか、茶屋町駅に停車していたのは茶色の電車でした。おそらくクモハ51形と思われます。この頃から茶色の電車や機関車が大好きであった私は、母にこれを撮ってほしいと頼みました。
 母は乗らない電車なのになぜ?と思ったのでしょう。「こんなの写してもしょうがないがね」と言いながらも撮ってくれました。私にとってはあるとないとでは天と地ほど違うほどのオタカラになりました。(22.10.23)

●構内放送(22.10.16)鉄道150周年

鉄道100周年の年に撮影した蒸気機関車。我が家には動態保存車ではない現役蒸機はこの1両しか写真がありません。10月14日の鉄道の日は150周年という区切りになりました。しかし、当日の報道の扱いが決して大きくはなかったなど、今一つ盛り上がりに欠けていたという声が少なからず聞かれます。
 区切りを100年単位で見れば、150年は折り返し地点というだけです。しかし、100年間を実際に見ることができるのは、ごく一部の方だけだと考えれば、100年という単位はスパンが長すぎるでしょうか。
 100周年の1972年は国鉄時代で、全国を1つの鉄道と見なすこともできました。その後、1987年には分割民営化が行われたことは、周年イベントが盛り上がらない原因の一つと考えられます。東日本以外の会社にしてみれば、「うちはまだ150周年ではないよね」という考えもありそうです。
 その他、ツイッターでは、こんなコメントも見かけました。長く報道関係のお仕事をされていた方によれば、昨今のマナーの悪さもイベントが行われない理由の一つであるとのこと。とても残念です。
 しかし、50年前、SLの特別運行が行われると、線路内に多くの人々が立ち入っている映像を時々目にします。それを考えれば、今とどちらがマナーが悪いだろうか?とも思えてきます。そこは、社会の寛容さがなくなり、より厳しい見方をする世の中になったということでしょう。
 ここまで、祝意を持ちたいという意思には反した内容になってしまいました。ツイートは1972年、寝台特急「金星」を降りた小郡駅で見かけたC5836号機です。思いがけない発見に「お母さん、早く早く!」と、興奮していたことをよく覚えています。
 当時、愛知県内では既にSLの運行は終了していましたが、近場では中央西線や明知線に残っていました。中央西線のSLはフイルムの装填不良で写真がなく、我が家ではツイートの写真が動態保存ではない唯一の現役機の写真ということになります。鉄道100周年の年に撮影した現役の蒸気機関車を150周年記念画像に選定しました。
鉄道110周年記念号 鉄道150周年関連ツイートでは、もう一つ、40年前の「鉄道110周年記念号」の写真を公開しました。ただし、この写真については4周年企画第5回で公開済みです。この機会に写真を少し大きいものに差し替えました。(22.10.16)


●愛知機関区のEF64形にヘッドマークを取り付け

通常EF510形が担当する「白ホキ」5767レをヘッドマークを取り付けた愛知機関区のEF64形が牽引前半は150周年を記念したイベントが盛り上がらず、寂しいものであったという主旨でした。しかし、地元、愛知県でも何もなかったわけではありません。
 テキストだけになりますが、明治村のSL、12号が修理を終えて、鉄道の日に試運転を始めたことが報道されました。これは国内で走行可能な状態では最も古い蒸気機関車であることは、今さら説明するまでもありません。走行状態を維持される関係者の尽力には頭が下がります。
 また、愛知機関区では、10/12〜10/14にかけて、EF510形の運用をEF64形に変更して、両側にヘッドマークを取り付けました。当初、鉄道150周年のマークであると聞きましたが、実際に取り付けられたのは「鉄道の日」でした。150周年という文字を入れるのには逆風があったとみられます。しかし、東海地方では何もないと思っていただけに、とても嬉しいマークの取り付けでした。
 150周年のマークではなくても、それを意識した取り付けであったのではないかと想像します。碧電独自でロゴを入れました。(22.10.16)

●構内放送(22.10.09)【2000年以降の臨貨、甲種輸送の新ページを設置しました】

ひびきヶ原駅「2000年以降の臨貨、甲種輸送(その2)」へ移動します。今回は久しぶりに新ページを設けました。ただし、多くの写真は過去に構内放送に掲載したものです。
 ひびきヶ原駅展示室では、2000年以降に運転された甲種輸送を中心とした臨時貨物列車のページを設けています。既に公開を終了した記事には、注目に値し、記録に残したい列車が少なからずありました。
 当初は10コマに届かないであろうと考えていましたが、選定を進めると、見る見るうちにコマ数が増えました。そこで、ページを分割するに至った次第です。
 ここで説明する必要はないことでしょう。常連さんには見たことがあるというものが多かろうと思いますが、この15年ほどに走った注目の臨時貨物列車を振り返っていただければと思います。
 なお、リンクのみ示しますが、従前のページ(その1)にも2コマを追加しています。(22.10.09)

●名鉄三河線の知立−重原間が単線に

東海道新幹線の手前から複線に戻りますが、運転上は重原駅の場内という扱いのようです。表題のとおり、複線であった同区間が22.10.8の始発から単線運転に切り替わりました。高架工事関連の措置と考えられます。本稿の更新前に写真を撮りに行こうと思ったのですが、午後から雨が降り出したため、取り止めました。(→10/10の午後、撮影してきました。)
 遡ること、2022.7.9(土)にはダイヤの修正が行われ、最大で4分の変更がありました。その目的については、高架仮線工事のために知立−重原間でのすれ違いをなくすことにあると推定している人がいました。ご自身でダイヤを引いて確認をされたようです。
 10.8からは碧南行に対して東海道新幹線の手前付近に重原駅場内信号機とポイントが設けられました。碧南に向かって右側の線路を走行しており、左側の線路は使用停止となりました。7月のダイヤ修正の目的は推定どおりではないかと思える措置になりました。
 古い写真で確認すると、使用停止になったのは、1976.4に複線化された際に増設されたほうの線路の模様です。複線化当初の頃は従前の線路は37kgのよれよれのレールのままで、行きと帰りでは乗り心地が全く違っていたことを思い出します。
 東海道線または名鉄名古屋本線で不通区間が発生したとき、振り替え輸送力増強のために知立−刈谷市の臨時列車が増発されます。鉄友によれば、それらは複線区間で定期列車とすれ違うようにダイヤが組まれていたとのこと。知立−重原間が単線になることによって、増発に制約が生じるかも知れないという意見でした。(22.10.09,10.10 写真追加)

●構内放送(22.10.2、10.6追記)【名鉄築港線モ3791号の兄弟車:総武流山電鉄モハ1002】

総武流山電鉄のモハ1002号は元東濃鉄道のモハ110形。名鉄モ3791号も同社からの移籍した同形車。1975年6月、ともに名鉄鳴海工場で整備を受けた。今回は久しぶりにツイートの埋め込みにしました。
 ツイッターでは画題を日付にちなんだものにする慣習があることは何度も書いています。今回掲載した総武流山電鉄のモハ1002号は撮影から40年が経過したため、近日中の公開を考えていました。
 ふとカレンダーに目を遣ると、今日は10月2日です。「日付ネタ」にもできることに気づき、急いで画像を用意しました。
 さて、総武流山電鉄のモハ1002号と言われても、ピンと来ない。なぜ碧電で扱うのかと思われる方がもはや少なくないかもしれません。ツイートにも記していますが、同車は名鉄築港線専用で使用されていたモ3791号と同形で、共に東濃鉄道駄知線で使用されていたものです。
 同線は水害で1972年7月に休止。結局のところ、2年後には全線廃止となりました。2年間も動いていなかった電車ですが、名鉄、琴平、総武流山の各社に引き取られました。ELだけは解体されたようですが、中小私鉄に在籍した電車9両全てが次の活躍の場を得られたのは、奇跡的ではないでしょうか。
 ツイートではオイルショックによる車両不足を理由に挙げましたが、琴電は1500Vで使用できる電車が早急に必要だったという事情のようです。名鉄に関しては、当時、東急デハ3700系を導入。格違いの会社の電車まで引き取ったのは、築港線専用であった3800系2両を本線に復帰させる意図があったことから、ラッシュ需要を捌くための車両が緊急的に欲しかったという事情は確かなようです。(ただし、復帰したモ3818+ク2816は3790系より4年ほど早く引退したようです。より古く、2両だけの形式の方が長生きしました。)
 総武流山のモハ1002+クハ55が元東濃車であることは、鉄道ファン誌を定期購読して間もない頃の記事で知っていました。1982年の初めに訪問した際はモハ1002号は検査中なのか、編成を解かれて車庫に入っていました。この日、82.9.24は馬橋に停車中のところを目撃して、慌てて常磐線を降りて撮影したものと思います。(22.10.02)
 ここからは追記です。流山のモハ1002の編成ですが、確か名鉄鳴海工場で整備したはずだという記憶がありました。名鉄モ3791がデビューした1975年の鉄道ファン誌を確認したところ、元東濃の2本は同時期に鳴海工場で整備を受けていたことがわかりました。流山のモハ1002号と名鉄の関係が俄然深まりました。
 そうなると、車両の輸送にどんな方法が取られたのでしょうか。駄知線は鉄橋が流失して、既に廃線の手続きが取られていたため、陸送であったと考えられます。それがどこまでであったかは不明です。
 当時は今とは違い、車扱いと呼ばれる貨物列車が多数ありました。それに併結すれば、甲種輸送は容易であったと思われます。今は、機関車の手配、高度化したブレーキ装置への対応、許認可の問題など、甲種のハードルが高くなっています。その結果、1両ずつでも陸送の方が安上がりなどという事例は少なくないと言われます。(22.10.06)

●田園茶屋駅構内放送(22.9.27)【台風15号で大井川鐵道が大きな被害】

9/23の夜から翌24日未明にかけて襲来した台風15号。週間予報の段階では、熱帯由来の低気圧なので、大雨に警戒が必要という程度でした。気圧や最大風速の線引きだけで台風の扱いになるだけかと思っていました。ところが、愛知県東部や静岡県内では線状降水帯が発生。当初の予報を大幅に上回る雨量となりました。
 東海地方では、伊勢湾台風を上回る勢力で、これまでに経験がないほどの危険な台風と言われた台風14号よりもたちが悪かったとすら言えるものと思います。
 大井川鐵道はどうなるだろうかと心配していましたが、倒木や土砂流入など、広範囲の被害を受けたと伝えられています。特に、神尾−福用では、倒産した採石業者の土砂が大量に流入。架線の高さ程度にまで積もった土砂のセンセーショナルな写真がツイッターに流れてきました。
 それを見て、ついに廃線か?のような過剰な反応が見られます。これは、過激な発言で注目を浴びたい人が少なくないという現象でしょうか。「プチ」を含めた「炎上」狙い。SNSのよくないところでしょう。
 あくまでも私見ですが、移動先が確保できれば、線路上に積もった土砂の除去はそれほど難しくないように見えます。むしろ、その上を通る国道は路盤が崩壊してしまっており、線路よりも復旧がたいへんであるような印象を受けます。
 大井川鐵道ではこれまでにもたびたび大規模土砂崩れの影響を受けてきました。しかし、コロナ禍によって数年の単位でダメージを受けている環境下での被災は、より深刻度が高いのであろうと思います。
 頑張れというのは簡単ですが、傍観するのは無責任にも思います。長年お世話になっている大鐵さんをなんとか応援する手立てはないものかと考えています。
 写真は1982年に下泉−駿河徳山が不通となった際に新金谷までいったん回送されて来ていたSL列車です。客車は国鉄の12系お座敷車です。

●構内放送(22.9.25)【木次線トロッコ列車「奥出雲おろち号」】

DE101161(後)が牽く「奥出雲おろち号」がスイッチバックして出雲坂根に到着この週末は山陰地方へ出掛けていました。コロナ感染症による出控えもあって、宿泊を伴う旅行は3年ぶりです。
 きっかけになったのは、新幹線のエクスプレス予約のグリーン車ポイントがいよいよ今月末で完全に失効してしまうことです。コロナ対応でポイントが1年X2回無償延長されてきましたが、今年はその措置がありません。本来、6月末までですが、裏技的に延長が可能です。6月末に一旦予約。夏休み、18きっぷシーズンを避けるために予約した列車を乗車変更して、3ヶ月というの変更期限限界まで温存してきました。
 目的に選んだのは、来年で運行終了となる木次線の「奥出雲おろち号」乗車です。今や壊滅的に減った客車列車に乗りたくなりました。
 指定席券を取りづらい同列車です。空席状況は×印が続く中、24日(土)の復路のみが〇印でした。半ば諦めていましたが、〇印を見て予約に踏み切りました。
 備後落合発の「おろち号」は乗り継げる列車が朝しかありません。調べた結果、伯備線の生山からタクシーを使うことにしました。(注:台数、営業日が限られるので、前日までの平日、日中に要問合せ)列車ならば前泊になります。それが、当日朝出れば間に合います。1万円でお釣りが来るくらいというタクシー代は、宿泊費+食事代とさして変わらないと思います。
 幸い現地は好天に恵まれ、トロッコを吹き抜ける風はとても心地よいものでした。書き始めると長くなるため、乗車記を後日動画でまとめたいと思っています。
 ところで、出発日の9/24といえば、前夜の台風15号による豪雨の影響はなかったのかと思われますよね。正直なところ、大ありでした。
 予約していたひかり531号は同じダイヤで新大阪止まりのこだま65号に変更。しかし、本来のひかり531号は新大阪発定時と公式HPに記載がありました。車掌さんに確認したところ、接続は取らないとの回答。実質1本の列車の車両交換なのに、これは冷たいですね。それでも、新大阪で急いだら辛くも乗り継ぎできました。
 実は、「おろち」の後、出雲市へ出て、「サンライズ出雲」の予約を入れていました。愛知県は深夜通過なので、5:30頃まで乗車できる熱海までです。しかし、静岡県内は台風で被害箇所が多かったとのことで、台風通過時と翌日の2日連続の運休となりました。出雲市駅に着いて、赤文字で表示されるテロップには愕然としました。
 本稿では、遅れ打ち切り列車の写真を何度か掲載して、楽しみにされていた方はさぞかし残念だったことでしょうと書きました。それを自分が味わうことになりました。
 しかし、気を取り直して、本日9/25の特急「スーパーはくと」の前面展望を楽しみながら帰りました。(22.9.25)

●構内放送(22.9.18)【EF5861号機が大宮総合車両センターへ陸送】

富士駅に停車中のEF5861+14系鉄道の日まであと1ヶ月足らずとなりました。皆様ご承知のとおり、我が国の鉄道開業150周年となります。しかし、祝賀ムードの盛り上がりがあまり感じられません。東海地方などは特にその傾向が顕著に思われます。まぁ、昨今の事情を考えれば、サプライズイベントを行って、収拾がつかなくなることを避けたいということなのでしょう。
 さて、今日のツイッターはEF5861号機の投稿が目立っています。長らく保管されてきた東京車両センターの車庫から陸送によって大宮総合車両センター、国鉄時代の呼称で言えば、大宮工場へ搬入されたことが話題になっているということのようです。専らの噂では、大宮の鉄道博物館に収蔵されるのではと言われています。(→9/19の夜、入換機によって鉄道博物館内に搬入されたそうです。)これは鉄道150周年の機会にということなのでしょうか。
 私はここ1ヶ月以上にわたって、1982年の鉄道研究会紀伊半島合宿関連の写真を投稿していますが、こちらではEF5861号機の思い出深い1コマをご覧に入れます。
 この日、82.2.5は後期試験が終わって帰省の途中でした。身延線の竪堀でアコモ車(モハ62系)を待ったものの、来たのは115系でした。声を掛けて下さった駅員さんが「鉄道ファンに運用を投稿したのは私だよ。変わってしまって済まないね。」とおっしゃったことを覚えています。
 残念な思いで富士駅に戻ってきて、東海道線の下り列車を待っている時に来たのがこの列車です。既に日没の頃です。三脚を持っていないので、露出は開放近く。ブレないように撮るのが精一杯です。
 発車間際の頃、助手席の窓が開いて、何かを言われているようでした。聞き取れませんでしたが、「撮れた?」とおっしゃっているように感じられました。私が会釈をすると、軽く手を挙げられました。そして、窓が閉まり、発車して行きました。
 職員さんのお気持ちが嬉しかった。それだけのことですが、思い出に残る1コマになりました。
 昨今、マナー違反が度々報道されたりしています。しかし、親子連れのファン等にタイフォンやミュージックホーン(遅れていたサンライズEXP)を鳴らして下さるのを何度か目撃しています。今もファンを大切にして下さる職員さんがおみえなのはありがたいことです。(22.9.18)

●構内放送(22.9.11)【西尾市、蒲郡市で募集された「ミュースカイ」の団臨】

6000系白帯車と交換する「ミュースカイ」の団臨7.3付本稿では、当日になって取りやめになってしまったミュースカイの西尾、蒲郡線にも入る予定の団臨について触れました。西尾、蒲郡線については、西尾市、蒲郡市、名鉄の共同企画としてミュースカイの臨時列車が運転されました。沿線自治体として、積極的な集客活動と言えます。西尾、蒲郡発の列車の乗車希望は各々各市で募集されました。たいへん好評を博したようで、席が埋まっているように見えました。
 私も沿線に出ておりましたが、三河鳥羽駅付近で白帯車6011Fを目撃。吉良吉田の折り返しは12時とわかりました。一方、ミュースカイは蒲郡発12:02です。過去の目撃情報などから整理してあったデータを確認すると、西浦ですれ違うことが予想できました。
 今から行ってもとは思いましたが、わかった以上、交換シーンを見たいものです。既に多くの方がお見えでしたが、親切な方数名が入れて下さいました。
 写真は動画から切り抜いたものです。ここを見て下さることはないかもしれませんが、周囲で撮影された方のご親切には感謝です。(22.9.11)

●構内放送(22.9.4)【大井川鉄道も台風被害にめげずに頑張った】

新金谷を発車するC11227牽引の12系「いこい」(写真は電線などを消去する加工済)(今回サムネイルから入るのは田園茶屋駅展示室、大井川鐵道のページです。)8.21付本稿では、40年前の1982年、台風10号による増水で富士川橋梁が流失。それでも、残った上り線を利用して短期間で運転再開(単線運転)に漕ぎつけたことに触れました。
 同台風では、大井川鉄道も被害を受けています。下泉−駿河徳山間が不通になりました。しかし、SL列車は運休にはなりませんでした。下泉まで運転を継続して、2往復運転日には家山と新金谷へ回送して折り返し整備を行いました。
 私は8.12に五和駅付近で1001列車を撮影。こちらのページ(写真と同一のリンクです)に掲載済みですが、沼津の12系お座敷客車「いこい」でした。その後、101列車が新金谷を出るところだけを撮って埼玉県の学生寮へ向かうつもりでした。しかし、101レの発車前、11:40頃に「いこい」が帰ってきました。もう一度下泉まで回送されるはです。これを放って立ち去ることはできません。
 車庫へ行って機関士さんから回送列車の発車時間をお聞きすることができました。時間があったので、他にもお話を伺いました。滋賀県から毎週のように撮影に来られる方の話。最近は汽笛も苦情が来るといった苦労話など。また、あなたは三波春夫の息子さんに似ているねと言われました(笑)
 大井川鉄道さんにしてみれば、同じ収入を得るためにほぼ2倍の距離を走らせたことになります。夏休みのかき入れ時ということもあったのでしょう。地元の観光業を守ろうとする熱意が感じられました。
 静岡県内で被災した国鉄さんも大井川さんも頑張っていました。(22.9.4)

●構内放送(22.8.28)【動画:名鉄デキ600形PP、5500系5507Fの廃車回送】

動画の閲覧はこちらから名鉄5500系のうち、4連固定の編成が全て引退したのは2002年のことです。最後の1本、5507Fは2002年4月末あたりまで営業運転に充当されました。運用離脱後は布袋駅に疎開留置されて廃車準備を待ちました。
 その後、舞木検査場へ回送されて再用部品の取り外し等を行い、6.5の深夜、デキ600形に挟まれて舞木を出ました。翌6.6の早朝、神宮前から金山、折り返し大江へと回送されています。日の出が早い時期、神宮前からは走行シーンが撮影可能となりました。
 この日撮影した映像を20年が経過した機会に公開します。今回は牽引機の回送から神宮前−金山間で撮影したものです。
 2002年はネットを通して知り合った方と直接お会いすることが何度となくありました。もう20年ものお付き合いになるのですね。(22.8.28)


【寝台特急「金星」に乗って出掛けた中国地方旅行から50年】

リバイバル「月光」、「しおじ」と山陽特急小集所蔵する写真には50年が経過したものが出てきました。ツイッターでは新たに「#碧電シリーズ50年前」というタグを設けましたが、まだ1コマのみです。
 1972年(昭和47年)の夏休み、初めて中国地方への旅行に出掛けました。過去に書いたことがあると思いますが、当時小4の私は行程表を見てびっくり。名古屋から小郡までが寝台特急「金星」だったのです。憧れだった581系に乗ることができる。はたから見てもずっとハイテンションであったことは想像に難くありません。
 ツイッターにはとても書ききれませんが、乗車中のエピソードを少し記します。
 興奮してぐっすりは眠れなかったように思いますが、はっきり目が覚めたのは、広島到着の案内放送でした。6時前なのでごく短い放送です。私は中段寝台の小窓からずっと外を眺めていました。上りの581系とすれ違いましたが、サインは「きりしま」でした。また、瀬野駅にはEF59が停まっていたのを記憶しています。
 なぜそんな機関車を知っていたのでしょうか。当時から我が家には「電気機関車ガイドブック」という本がありました。小学生には難しい本ですが、父が買ってきてくれたものです。EF59はその本で知ったもので、見たいと思っていたのです。
 写真からリンクしたページは2001年に暑中見舞いとして公開したものです。このたび、碧電蔵町駅扱いとし、サーバーを移転しました。特急「金星」の写真はプリントからスキャンしたものでしたが、ネガがみつかったため、そちらから取り込んだものに差し替えています。
 最後尾のクハネは何かにぶつかったのか、へこんでしまっています。当車だと思われる写真がこちらのブログに掲載されています。へこみ具合が同じです。このブログは更新が停止していますが、国鉄、私鉄と幅広く、貴重な写真が満載です。

●構内放送(22.8.21)【単線運転の富士川橋梁/伊豆箱根鉄道に入ったお座敷列車】

(今回サムネイルから入るのはいずれもツイートです。)体温越えの猛暑はなくなり、朝晩は多少ながらもひんやりとした空気を感じられるようになりました。自動車産業系の会社にお勤めの方は今日までがお休みでしょうか?
富士川橋梁流失事故で単線になった富士−富士川間の改善工事の影響でEF65PFが充当されたと言われる荷33レ さて、最初の1コマは10年前、2012.9.2に掲載したものです。今回は「シリーズ40年前」としての再掲載になります。
 ツイートに記したように、EF65PF牽引の荷物列車は、82.8.2に発生した富士川橋梁下り線の流失事故後、単線区間短縮、自動信号導入工事に伴うものと考えられます。工事のために折り返しとなる荷物列車の到着が遅れ、別の列車を牽いて品川に来ていたEF65PF(下関)を充当したものと想像しています。急遽変更したのではなく、あらかじめ変運用が組まれていたのかも知れません。
 82.8.12、私は弟と一緒に埼玉県の学生アパートに向かっていました。当時発売から2シーズン目であった「青春18のびのびきっぷ」の利用であったため、もし富士川橋梁が運転再開にならなければ、中止も覚悟していたものです。
 ちなみに、なぜ弟が一緒だったのでしょうか。ひとつは私がどんなところに住んでいるのかを見たかったこと。もうひとつは、東京の親戚宅を訪れていた弟の友人と待ち合わせの約束をしていたようでした。
 翌、8.13からスロ81系(シナ座)を用いた臨時急行「お座敷レジャー号」が東京−修善寺間で運転され、EF5861号が牽くのではないかと期待していました。ところが、同機は沼津に留置されているのを見てびっくりしました。たたまれたパンタグラフが傾いていて動きそうにないのです。後日聞いたところでは、台風による飛来物の衝撃を受けてパンタグラフが破損したとのことでした。
お座敷レジャー号の関連投稿です とても残念でしたが、すぐに頭を切り換えて、伊豆箱根鉄道線内で撮影することにしました。
 しかし、学生アパートの最寄り駅、東大宮の初電は6時過ぎ。東京発7:10の「お座敷レジャー号」には間に合いません。東武線の大和田まで自転車で行き、早く着けるようにしたものの、伊豆箱根鉄道の大場に着いた時はもう次が「レジャー号」という時間でした。それでも、既にE257系に代わっている特急「踊り子」の185系との並びは貴重な記録になりました。(ツイートは撮影順と反対になります。ご了承願います)

●構内放送(22.8.14)【シリーズ40年前/鉄研夏合宿1982 続き】

前年よりもダイヤが繰り上がり、上下とも9:00発、16:30終着のダイヤが実現したようです。雨で暗く、コダクローム64では厳しい露出でした。ツイッターで連載中の鉄研夏合宿。宿泊先が新宮なのに、そこから特急を使っても3時間ほどかかる非電化ローカル私鉄を訪れています。紀州、有田の両社には、国鉄から既に消え去った形式が所属していました。どちらもその当時で実質上引退しており、車籍があるだけという状況でしたが、それらを見たかったということです。当初の計画では2社を初日に訪れて、2日目は先輩たちと紀勢線南部を訪れるつもりだったようです。しかし、お目当てであったEF5866号機(当時唯一残っていた青色塗装の大窓機)が休んでいると聞いていたため、ローカル私鉄を優先しました。
 実は、7.23に宿へ帰ると、先輩たちから「66号機が来たぞ」と言われました。運用どおりに流れれば、7月25日の朝新宮を出る121レ和歌山市行を牽きます。当時は事前に運用がわかることはなかなかありません。休んでいると聞いた66号機が動くとなっては、撮り逃す手はありません。
 使っていた「南近畿ワイド周遊券」は名古屋が周遊範囲に入っています。名古屋→刈谷を別途支払って、出直すことを決めました。ただし、名古屋までは紀勢線または関西線を利用しないと、周遊区間外の別途乗車券が必要となる区間が長くなってしまいます。時間はかかりましたが、奈良、亀山経由で一旦帰宅しました。
 そして、自宅で一泊だけして再度特急「南紀」〜「はやたま」で大阪へ向かいます。反対向きの天王寺発924レ「はやたま」に乗車すれば121レを紀勢線の奥の方で撮れたものと思います。なぜそうせずに、あえて7.21〜22と同じ経路を選んだのでしょうか。当時の私は撮影地にはこだわりがなく、キハ82系にもう一度乗れる方が魅力的であったということだったと思います。
 さて、ここまで掲載写真の説明に全くなっていませんね。7.25に再出発する前に撮影した列車。それがリバイバル特急「つばめ」でした。自宅から近いところでの撮影ですが、前年の通過時間を想定していました。ボーっとしていると、隣で撮っていた人(中学生?高校生?記憶があいまいです)が私の方を見ているのに気づきました。なんと、もうヘッドライトが見えていたのです。慌てて構えましたが、彼がいなかったら危うく撮り逃していたかも知れません。残念な天気でしたが、写っているだけましと思うしかない状況でした。
 ツイッターにも追って掲載予定ですが、碧海エリアを通過した列車ですので、本稿に先に掲載します。(22.8.14)

●構内放送(22.8.7)【シリーズ40年前/鉄研夏合宿1982 紀伊半島】

牽引機の前パンが下がっていますが、この日はそのまま発車してしまいました。 (←連載中ですが、現状におけるツイッターの一連の投稿が表示されます。)ヒガハス92.6.28の連載に3週間もかけてしまったため、本来ならば先月40周年になった鉄道研究会夏合宿の写真をご覧いただくのが遅れてしまいました。
 前年は北陸地方でしたが、1982年は新宮駅に近い旅館を宿舎として紀伊半島になりました。鉄研には先輩たちを中心にEF58やEF15を撮りたい派と同期の一部など、非電化区間しか撮らない派がいて、相いれない希望になっていました。そういう経緯があって、どちらの要望も満たされる新宮が宿舎になったものです。
 2泊では行けるところが限られると判断して、集合の前々日に名古屋を出ました。私ひとりではなく、同学科の友人、YDさんが一緒です。YDさんにはさらに前日、我が家に泊まってもらいました。
 初乗車になるキハ82系の南紀で新宮へ向かい、時間つぶしのため、有井まで天王寺行921レ(新宮から寝台車を連結して「はやたま」)を迎えに行って乗車しました。
 まだ2本目のポジフィルムで夜間撮影をするのは無謀というもの。やはり失敗作を量産しただけでした。それでも、サムネイルの1コマは唯一ましなものです。強引な補正で画質が荒れてはいますが、編成内容がわかるところまで救済できました。
 ツイートにも記しているように、この夜の天王寺行「はやたま」は片パンのまま発車してしまいました。最悪の場合、大電流で架線が溶断してしまう恐れがあったものと思います。しかし、長大な編成を高速で牽くような列車ではないことから、実質的には問題がなかったのかも知れません。いつの間にか両パンになっていました。
 天王寺から大阪環状線で大阪駅へ行きましたが、そこでは思いがけない機関車がやってきました。それも一連のツイートでご覧いただけます。
 本シリーズは他の写真もお目に掛けたいと思います。(22.8.7)

●構内放送(22.7.31)【シリーズ30年前/ヒガハスの午後 1992年6月28日】

1992.6.28の午後、東北線の東大宮−蓮田間で多彩な列車たちを撮影しました。 (←ツイッターの一連の投稿が表示されます。広告が含まれるものと思います。)ツイッターで3週にわたって連載してきた画像がやっと完結しました。30年前の1992.6.28は山形新幹線の開業間際の頃です。在来線の特急「つばさ」の撮り納めをしようと、午後一番には撮影地に入りました。「つばさ」のほか、この日は何本もの臨時列車が設定されていたせいか、有名撮影地のここは賑わっていました。
 手元にあった改正前の時刻表は1991年のもの。特急電車の通過時間が食い違っているのに気づきました。投稿後、「つばさ」は奥羽本線(山形新幹線)の改軌工事の関係で、仙山線経由となり、一時的に仙台‐上野の「ひばり」が復活したような列車になったという主旨のコメントをいただきました。その影響で時刻、号数、列車番号が変わっていたのです。
 私はそれを全く認識していませんでした。SNSはコメントを容易に投稿できますので、知らなかったことを教えていただける機会があるのは有り難いことですね。
 11コマの写真の中でメインディッシュはどれか。実は気動車列車の「グラシア」でした。当時、東北線では気動車列車は主に東北方面からの団臨くらいになっていました。キハ58系改造のジョイフルトレインの中では品よくまとまっており、お気に入りでした。
 なお、同車は「こがね」に改装後、2011年にはフィリピンへ渡りました。現車は最近試運転を行った模様がyoutubeに投稿されており、現役を保っているようです。(22.7.31)


●3年ぶりの豊田おいでん祭臨時列車

猿投まで片道運行された後は夜まで留置となる運用ではなく、シャトル列車に使用されたのはラッキーであった。22.7.31は暑くて出掛けるのが億劫でした。定期運用から離脱と報道されたEF6627号が昼頃の3075レで来る予想でしたが、同列車は東北本線からの継承列車が大幅に遅れており、結局碧海エリアの通過は夜間になってしまいました。
 そんな中、ツイッターのあるつぶやきから今日は豊田おいでん祭の花火大会があることを知りました。コロナ感染症の影響で2年連続中止となり、3年ぶりの開催です。
 そのつぶやきは3500系ワンピースのラッピング列車の運用が公式発表されており、午後、おいでん祭増発用に猿投行での送り込みが含まれていることを匂わせるものでした。ひとことだけでピンと来るのですから、秀逸なツイートですね(笑)
 私はアニメ系ラッピング列車には関心がありません。鉄友には参考情報として連絡はしましたが、自身はパスするつもりでした。
 午後、転寝をしていたら、鉄友からメールが着信。無事に撮影できたとのお礼のほか、知立駅に3300系が留置されているとの内容がありました。
 これまでラッピングがない「銀電」が三河線に入ったときは、ことごとく撮影の機会を逃しています。それがやっと撮れるとなれば、ダメ元でも出掛けるしかありません。
 結局、同編成3309Fは16時頃土橋へ回送され、豊田市までの「シャトル列車」に充当されました。複数コマ撮影しましたが、「普通 豊田市」が読み取れるものをご覧いただきましょう。


●構内放送(22.7.24)【シリーズ40年前/ポジフイルムで撮影した大井川乗り入れの111系】

木製ポールの単線区間をゆく111(or 113)系ツイッターでの連載はまだ続いており、完結していません。今週も碧電本稿は独自のものとなります。
 40年前の夏休みは7.20出発予定で鉄道研究会の夏合宿が控えていました。7.18の帰省に際しては、南近畿ワイド周遊券を購入して、東京→静岡で急行「東海」に乗車したことがノートに記されています。
 まっすぐ帰ったかと言えばそうではなく、大井川鉄道に立ち寄っています。この頃、初めてポジフィルムを使用したことから、早速SLを撮影したかったと見られます。しかし、夏場に勾配区間で撮っても煙は期待できないという知識がなく、全く吐かずにやってきてがっかりしました。
 使用したフイルム、コダクローム64(KR)は露出の許容度が狭く、初心者には難しいものです。先輩から「露出オーバーは避けてアンダー気味のほうがよい色が出る」という助言を聞いていたのですが、失敗が目立ちました。それは、カメラの露出計の値をそのまま信じて半絞りほど下げるという決め方をしていたことが災いしました。背景の明るさや逆光の場合を考えず、補正をするというテクニックが備わっていなかったのです。それは、スキャンすると露出不足が目立つネガカラーでも同様でした。
 掲載写真は国鉄から乗り入れてきた111系(or 113系)の快速「すまた」です。定期列車ではなく、多客シーズンのみの運転でした。
 この写真については、背景が濃い緑色で、露出計の値より半絞り絞ったことで結果的に適正露出になったものです。コダクロームは保存性が極めて良好で、40年が経過しても褪色や変色が認められません。


●構内放送(22.7.17)【シリーズ40年前/知立で撮影したモ800形】

踏切待ちの間、たまたまやってきた805Fを撮っていた。先週は1週間で撮影した臨時列車など4コマをアップしました。しかし、今週は一転1コマも撮影していません。
 間が空いていたツイッターの投稿については、連載としています。中途半端な状態ではなく、完結してからまとめてご覧いただく予定です。
 さて、ならば、今週の更新はどうしましょうか。考えていたものの準備が未済のため、急遽レタッチ、修復をしたのが今回の写真です。
 40年前の1982年は埼玉県在住であったため、名鉄はあまり撮っていないことには触れました。その少ない写真の中の1コマになります。
 この日、1982.2.28は、常滑線で混合列車(本稿過去ログ参照)が運転され、撮影に出掛けていました。知立駅から自転車で帰ったようですが、踏切でちょうどやってきたAL車の急行にカメラを向けたようです。800系805Fは鞍ヶ池公園で保存されている編成ですが、現役時代に撮ったのはこの1コマしかありません。
 このネガは38年間行方不明になっていたものです。カビの汚染があり、修復はなかなかたいへんでした。(22.7.17)


●構内放送(22.7.10)【今週は地元の話題が盛りだくさん】

●キハ85系廃車回送

廃車予定の中間車6両を挟む先頭車は後日返却回送された。7/1から名古屋−高山間でHC85系の量産車が営業運転を開始しました。4日後となる22.7.5の早朝、キハ85系の8両編成が西浜松へと回送されました。聞くところによれば、廃車予定は中間車の6両で、両先頭車は7.8に2両編成で名古屋車両区へ帰って行ったそうです。
 過去にキハ85系は岡崎までは「ホームライナー岡崎」として定期の運行がありました。(さらに夜間に蒲郡まであり)自宅付近では撮影実績があります。岡崎以東では日頃見られなかったことも意識して、相見−岡崎間で狙ってみました。(22.7.10)


●名鉄215F定期検査出場

「いちおう」ながらも唯一の200系215F名鉄の鶴舞線乗り入れ車である211〜214Fまでは100系です。同ロットとして製造されましたが、117F〜120Fとすると、120Fで番号の重複が生じるため、200番台にしたと見られます。そして、最終増備の215Fだけは200系とされています。
 広い意味での100系は1978年に抵抗制御車として登場。その後、6連化の際には名鉄初のVVVF制御の電動車+付随車を挟みました。そして、215Fは電動車を全てVVVFとして登場。111Fの登場から16年以上が経っていました。
 さらに、初期の抵抗制御車はVVVF制御に改造されたため、215Fだけを200系として区別する必要があるのだろうかと、疑問に感じる状況になっています。3種類が混在していた制御方式や、ややこしい番号割など、特異な系列と言えましょう。
 舞木検査場の試運転線に出てきたとの目撃情報があり、動向を注視していました。


●名鉄ホッパー車定期検査入場

Mc250-4,5の編成は前日の下りに続いて上りも大幅な遅延が発生した。7/10は名鉄EL120+ホキを撮影するため、5:20頃に起床しました。土曜日朝に犬山→大江、同日夜に大江→豊明と回送されると、日曜日の朝、豊明→舞木というパターンが形成されていて、予想は容易です。しかし、雨音が聞こえたときは出かけるのをためらいました。
 前夜、静岡県内で大雨による規制が行われていたため、検索してみると、SRC、50レが名古屋を数分前に通過したとの情報がありました。そこで、急いで着替えて自宅を出ました。
 東刈谷駅手前の踏切に着くと、数分でEF210-15牽引のコンテナ貨物列車が通過。すると、すぐに踏切が閉まり、僅か2分後には上りSRCがやってきました。
犬山ホキの舞木入場回送はあいにくの雨となった。 名鉄の砕石撒布用ホッパー車は犬山と豊明に各々3両が常駐しています。特に犬山のものは滅多に稼働しなくなっていますが、定期検査を受けて維持するようです。その回送列車が22.7.9〜10にかけて運転されました。EL120は100km/hで走行可能であるものの、ホキは45km/hの制限があるとのことで、結局、ダイヤは旧型ELを使用していた時代と変わっていないと言ってよい状態です。そのため、7/9の早朝と夜間、7/10の早朝という3本の列車に分けての回送となりました。
 もしSRCの遅延情報がなければ、もう一度布団をかぶっていたことでしょう。


●構内放送(22.7.3)【名鉄貨物ご提供映像/声を張り上げて誘導 弥富駅入換

動画の閲覧はこちらから例年にないほどの早さで梅雨が明け、猛暑になったかと思えば、本稿更新日の22.7.3は一転朝から雨となりました。数日前までは夜に一時雨の可能性あり程度だったのに。
 ご存知の方もお見えかも知れませんが、本日催行の予定であった名鉄2000系ミュースカイの豊明‐豊川稲荷‐伊奈‐蒲郡を巡る団臨が中止となりました。尾張方面を中心にゲリラ豪雨に見舞われ、名古屋本線は栄生‐知立間が不通になりました。その影響もあってか、発車時間を過ぎても集合となる豊明駅に到着できていない参加者が続出したようです。
 ミュースカイは2009年の10月に蒲郡線に入っていますが、そのときは休日出勤のために撮影を断念したこともあり、またしても・・・という事態には愕然としました。
 しかし、私のようなギャラリーはともかく、発車予定時間を過ぎてから急遽中止となった参加者の皆さんや、名鉄さんと何度も打合せ、準備をしたであろうツアー会社の方々はほんとうにお気の毒でなりません。
 さて、前段が長くなりました。今回はツイートを使用せず、久しぶりとなる名鉄貨物のご提供映像です。通算では4回目となります。
 当初、映像を拝見した時、どこなのかがわかりませんでした。キハ58系が通過する電化路線・・・。
 本映像は今ならば無線を使用するであろう誘導が肉声で行われているのが見どころ(というよりは聴きどころか)です。大声を張り上げているのは国鉄の係員だそうです。弥富駅に入る貨物はもはや僅かであり、名鉄の係員を配置せず、国鉄に委託されていたのでしょう。
 視聴環境にもよりますが、ぜひ音声はオンにしてご覧いただければと思います。

●構内放送(22.6.26)【特急「やまびこ」下り最終便】

40年前の1982.6.22の今頃(投稿時)、上野発最終となる特急「やまびこ7号」は盛岡へ向かっていました。金曜日〜日曜日以外にツイッターに投稿することはあまりありません。古い写真は修復に時間がかかることもありますが、ほどほどにしておくことが長く続ける秘訣でもあると思います。
 それでも、日時を重視して投稿することで価値を生む場合があります。それに該当するのが6.22の投稿です。
 6.23は東北新幹線大宮−盛岡間が開業して40周年となる日です。40年前の前日には在来線の特急「やまびこ」の最終列車が運行されました。盛岡へ向けて走行中の時間に投稿しました。
 例年ならば梅雨時なのに、天気がよかったようです。この日の行動は覚えていませんが、ネガを見ると、夕方に数本撮って帰宅していますので、授業が終わってからここへ来たものと思います。
 今もなお有名撮影地である「ヒガハス」こと東大宮−蓮田間まで自転車で15〜20分ほどでした。ならば東北特急もさぞかしたくさん撮っているだろうと思われるかもしれません。
 それが、意外なほど撮っていないんです。進学した1981年の春こそは何度となく沿線に出掛けていますが、なぜこんな撮り方をしたのだと、今となっては「残念な」写真が多くを占めています。近いからゆえの「いつでも撮れる」という油断が生じたようです。
 写真の「やまびこ」もマークが汚れていて不鮮明という残念な姿です。いくらでもチャンスがあったというのに・・・。日頃から日常を撮っておくこと。これに勝るものはないと思います。


●飯田線、ED62が牽くお座敷客車「白樺」

朝から大雨で露出が上がらなかったが、本命のED62+白樺の通過時にはいくらかましになった。それでも、浮かび上がるヘッドライトなど、よい感じに撮れた。もう一コマもツイートですが、久しぶりとなる「シリーズ30年前、1992年」です。
 当時、飯田線北部にも時々団体臨時の客車列車が入線していました。客車はJR東日本ですが、飯田線内の牽引機については、ED62がJR貨物、EF58がJR東海の所属で、借用する必要がありました。そのためもあってか、年に数回という頻度であったと思います。それが土休日に当たるとなると、さらに撮影できる機会は僅かしかありませんでした。
 当日の天気予報は「朝から雨、風ともに強い」と、出掛けるのを躊躇するものでした。車を持っていなかったので、夜行電車を利用しますが、苦労しても報われないのではないかと思われました。
 しかし、「雨でどこへも出かけず、家でゴロゴロしているよりは」とは、当時の撮影日記に記されていたことで、成果が思わしくないかもしれないことは覚悟しての決行だったことがわかります。
 ツイートにも記しましたが、撮影ポイントの手前の駅である伊那新町ではしばらくの停車がありました。その間、交換列車は来ませんでした。はっきりした記憶がありませんが、定期の普通電車と行き違いがある駅は通過か、停車してもごく短時間であったように思います。
 想像になりますが、飯田線北部は交換線の有効長さが短いため、交換のために機関車+12系6両という長さの臨時列車が停車すると、有効長さをはみ出したり、構内の踏切を塞いでしまう駅があったのではないかと思われます。
 ちなみに、現状では、保安装置の関係で最大編成は3連までだそうです。(22.6.26)

●構内放送(22.6.19)【165系+185系の高崎線急行】

165系と185系200番台の連結部今週は先週追加した185系200番台の関連画像です。同系は急行「軽井沢」のほかに、吾妻線に直通する「草津」、両毛線方面の「あかぎ」、上越線の「ゆけむり」に使われていました。高崎線内、東北線内は2系統の併結列車があり、一部は在来の165系と185系の併結運転でした。リレー号の運転が始まれば、併結運転が終了するのではないかと考え、お手軽に宮原駅付近へ出掛けました。当時住んでいた学生アパートから自転車で30〜40分くらいであったと思います。5月は2回も県外へ出掛けていたため、出費を抑えたかったのでしょう。
 複数の写真をまとめて1回で投稿される方が多いのですが、私はそれをあまりしません。どのコマに人気が出るだろうかと思い、3コマを意図的に独立したツイートとして投稿しました。
 サムネイルの連結部分は一番人気で、日付が19日に変わって10分ほどで「いいね」が1000を超えました。碧電アカウントとしては2回目です。
 余談になりますが、「いいね」はピークを迎えた後、徐々に減ってしまいます。日頃お使いの方はご存知のことでしょう。どうも、「いいね」をしたアカウントが削除されると、「いいね」も取り消される仕様になっているようなのです。それを知っていたため、これまでの最高記録はスクリーンショットを保存してあります(笑)
 こんなに「いいね」やコメントをいただけるのならば、もうツイッターに一本化しましょうか。いいえ、それは考えていません。その理由の一つは、公開から丸二日を経過したところで、「〇〇さんがいいねしました」などの通知がぱったり来なくなりました。ツイートは埋もれてしまうのが早いのです。
 また、「ツイッターはやらないので、毎週楽しみに見させていただいています」という声を直接いただきました。あくまでもツイッターは補助の位置づけであることに変わりはありません。
 他のコマは#185系200番台というタグからご覧になれます。ただし、汎用的なキーワードのため、他の方の投稿も表示の対象になります。


●ダブルパンタの313系1700番台「特別快速」

ダブルパンタのJ171編成が「特別快速」に6/18は朝からいただいたコメントに返信をするなどで、ずっとスマホが手放せませんでした。すると、5087列車には久しぶりの「カラシ扉」EF652127号機が入ったという写真がタイムラインに流れて来ました。時計を見ると、直前に通過済でした。
 空コキが目立つ編成だったようですし、まぁいいか・・・。しかし、皆さんの投稿を拝見すると、空コキが目立たないようにアングルを工夫されるなど、感心するものが複数ありました。
 翌6/19の朝、ダブルパンタの313系1700番台が8連の「特別快速」の先頭で豊橋に向かっているとのツイートが流れて来ました。調べてみると、豊橋からの折り返しも「特別快速」のようです。しかし、後打ちで撮らなければ意味がありません。
 徒歩圏の定番撮影地ばかりでは能がないですね。とはいえ、後打ちの撮影ポイントは日頃から「こういうときにはここで」という脳内データがありません。
 そろそろ自宅を歩いて出ようかとしたとき、ふと1つのアングルが思い浮かびました。写真の通称「森岡陸橋」は下り列車をアウトカーブで撮影するのが定番です。しかし、大府駅で長時間抑止されていた5086レや8862レを撮影するため、反対側に上がったことがあったのです。すぐに出れば何とか間に合いそうです。
 下り線は周辺では珍しくもポールが奥側にあり、次無動や特大貨車「シキ」など、ポールを掛けずに撮りたいときによく行っています。そこを陸橋上から後打ちで撮ろうというわけです。
 難点はアウトカーブのため、3本の併結で8連になっているのがわからないかもしれないところでした。しかし、結果はご覧のとおり、全体が納まりました。
 ただ、最後尾のパンタグラフは架線ビームをギリギリ抜けたところでした。もう少し深読みが必要なところでした。もうひとつ、LEDの表示はどうしても欠けてしまいます。S.S=1/640で切りましたが、黄色が写れば「特別快速」とわかりますので、なんとか合格でしょうか。(22.6.19)

●構内放送(22.6.12)【詳細な撮影ポイントが判明したEF61の写真(現状の写真を添えて)】

下枠交差型パンタが特徴だったEF6111号機が牽く荷物列車(荷31レ)後年、この上を国道23号線が跨ぐことに光ケーブルテレビの契約を碧海エリアの会社に変えて1ヶ月になります。私が地元を離れていた時期に、近隣建物建設による電波補償工事で入っていた時期がありますので、戻したと言った方が適切でしょうか。その結果、前の会社では見られなかった地元の番組が見られるようになりました。
 長年にわたって「西三河の肖像」というシリーズがあります。2006年に放送された番組の再放送である、「安城支線」(名鉄西尾線の南安城‐国鉄安城間)は辛くも見逃さずに視聴できました。
 長くなってしまいますので、説明は機会を改めますが、明確な目的は謎だとされる同線の建設理由などについて、調べ、考えてみたいと思います。
 さて、今回は久しぶりにツイートを直接埋め込んでみました。40年前である1982年のネガで未スキャン画像を取り込んでいますが、その中にあったものです。
 荷物列車を牽くEF61形の11号機。当時、広島工場で検査を実施する機関車には、PS22形パンタグラフを装備するものが多くありました。EH10にも取り付けたものがありましたので、広島工場に限られたものではありませんが、EF58、EF59、EF61形200番台については広島工場ならではのものであったと言えましょう。そんな中、EF61形基本番台については、結局のところ11号機のみの装備となり、同機を狙って沿線に出たものと思われます。記録ノートにはこの日、これ以外の撮影記録がありません。
 この写真については、詳細な撮影地点が当初わからなくなっていました。その後、他のコマから国道419号線アンダーパスから架線柱2スパン分手前であることが判明。現地へも足を運んで、3スパン目に見える白い標識が現在は国道23号線知立バイパスの上り線の直下にあることを確認しました。写真には写っていませんが、機関車のすぐ左が338.8km。後方の標識が338.7km地点とすると辻褄が合いました。ツイートの返信に現状の写真を添付しています。バックの送電線の写り具合も一致すると考えてよさそうです。
 このような現地調査を伴う考察から発見があるのは楽しいものです。


●鉄研撮影会1982碓氷峠に2コマを追加

#鉄研撮影会82春/横川‐軽井沢間1982.5前回は4コマをアップしましたが、週末に2コマを追加しました。間を空けた理由は、一度に何コマも公開すると飽きられてしまう傾向が感じられるためです。
 当初は「日付ネタ」としてEF62、EF63を選定したものであったため、続きは来年にしようかと一度は思いました。しかし、「シリーズ40年前」として、1982年の話題であった写真の掲載を見送ってしまっては価値が下がると思えて来ました。
 それは、碓氷峠にも185系200番台を使用した列車があったことです。東北、上越新幹線が大宮以北の暫定開業となったため、185系200番台を使用した「新幹線リレー号」が運転されることになりましたが、落成が早かったものは165系の運用を肩代わりして急行列車で運用されていました。
 撮影した急行「軽井沢」を牽いて来た(大半は抑速ですが)のはEF6310+EF631です。横川で185系から切り離されるとき、連結面に隠れていたEF631号機が顔を現しました。
 185系のJNRマークも格好がよく、個人的にも気に入っている写真です。多くの皆さんから反響をいただきました。中でも、185系は横軽越えができることを知らなかったというコメントを複数いただいたのは、今の時代ならではでしょうか。横軽間が廃止されてから今年で25年になろうとしています。無理もないことなのかも知れません。末尾が「9」ではない形式ですので、もちろん非協調運転です。(22.6.12)

●構内放送(22.6.5)【シリーズ40年前/貨物や旧客普通列車があった頃の碓氷峠】

#鉄研撮影会82春/横川‐軽井沢間1982.5(←ツイートです。)碧電をご覧いただいている皆さんは中京圏在住の方が多いものと思われます。そのためか、地元以外のコンテンツは閲覧数が低くなる傾向があります。
 今までにもシリーズ30年、40年前を度々扱っていますが、該当となる年である1992年、1982年のいずれもが愛知県を離れて埼玉県在住でした。特に名鉄に関しては両年ともあまり撮っていません。結果として碧電らしくないコンテンツが優勢になってしまいます。
 管理上は30年前、40年前という区切りの年にしたほうが扱いやすくはあります。しかし、ご期待に十分お応えできていないのかもしれないことは、考えなくてはならないでしょう。
 冒頭でこのようなことを言っておいてまことに恐縮ですが、今回は前回まで掲載した栃木県植樹祭の1週間前、鉄道研究会の撮影会で訪れた横川‐軽井沢間です。
 掲載写真を選定していると、当時の動向をいろいろと思い出します。訪問日は東北新幹線の大宮暫定開業間際の頃です。11月の上越新幹線開業時に行われたダイヤ改正では、唯一残っていた客車の普通列車が電車化されましたが、改正に先立って客車が12系に変更されています。これは、廃車予定の旧形客車に検査切れを迎えるものが出て、運用から外したために車両不足を来たしたとのことです。そういう意味では、旧形客車による普通列車を撮影、乗車するには最後と言ってよいタイミングで訪れたことになります。
 また、今回は掲載していませんが、「新幹線リレー号」に使用する185系200番台の増備が続き、碓氷峠でも季節急行として運行されていました。
 ツイートは#鉄研撮影会82春というハッシュタグを付けて、関連付けした写真4コマ(+広告あり)が表示されるはずです。


●碧海エリアでは珍しい2両編成の211系

名古屋工場から検査出場した2両編成の211系が静岡へ帰って行く211系は碧海エリアの東海道線では過去の車両になっています。大垣区に5000番台が配属されている頃はクモハ+モハ+クハの3両ユニットでした。
 211系にはクモハ+クハという2両ユニットのものがあります。電動車が1M方式なので、本来ならば別形式になっても不思議ではないところです。1M方式という視点からは213系に編入されそうですが、3扉で211系と一緒に運用されることから211系に含められたようです。
 クモハは6000番台です。運用は静岡支社管内の支線を中心としたものが想定されていたようで、通常碧海エリアに来ることはありません。
 6/1は名古屋工場からの検査出場で、試運転を行いながら所属先の静岡車両区へ帰って行きました。静岡車の検査出場列車は従前からダイヤが大きくは変わっていないようです。
 この2連の211系も置き換え対象になっています。既に211系に運用離脱車が出ている今、今回が最後の大規模検査になってしまうのでしょうか。(22.6.5)

●構内放送(22.5.29)【栃木植樹祭お召列車の写真を追加】

くろがね街道駅「栃木県植樹祭お召列車」へ移動します。前回の更新では栃木県植樹祭お召列車の新ページをご案内しました。取り急ぎまとめた暫定版なので、追加の写真は改めてと思っていました。しかし、後日と言っていると、際限なく遅れてしまうことは少なくありません。資料など、調べたことを忘れないうちに進めてしまうことにしました。
 以下が追加写真のラインナップです。
 まずは日光線内で回送列車を撮影するため、鶴田駅まで歩く途中で撮ったもの。富士重工の工場があり、新製の183系などが留置されていました。同社は既に鉄道車両の製造から撤退しています。その他、5/23のEF5861号機+1号編成、ご帰京の際に乗車された183系+クロ157の写真を追加しました。
 追加写真はツイッターでは未公開のものが多くなっています。撮影順に整理していますので、ゆっくりご覧いただければ幸いです。
 なお、ツイッターには載せなかったというEF58172号機の形式写真ですが、ウインドーサイズの指定に誤りがあり、正常に表示されませんでした。修正しておりますので、ご覧になれなかった方は改めてページにお入りいただければと思います。
 アップが日をまたがないようにと思っておりましたが、慌てるとろくなことはありませんね。


●315系の第1編成が日本車両へ回送

非常時走行用バッテリーを搭載するため、日車へ回送される315系第1編成2週連続県外の話題となりましたので、地元の話題も入れておきましょう。
 沿線でお話した方から、近いうちに315系が日車に入場する予定らしいと聞きました。新製時に搭載できなかった非常走行用バッテリーを積むのだとか。
 そして、5/24の朝、315系のC1編成が岐阜貨物ターミナルへ行って折り返したようだと連絡をもらいました。岐阜へ行くとは方向が逆のようにも思われますが、ピンと来たことがありました。
 4.24の更新ではHC85系の日車入場回送の動画をアップしました。後日聞いた話では、名古屋から貨物線経由で清洲まで行って折り返したということでした。名古屋駅がリニアの工事中のため、中央線や東海道下り線をまたいでの折り返しにダイヤ上の制約があったものとみられます。
 「この間会った方が言われていたのはこれのことかな?315系もHC85と似たような動きをするかもしれない・・・。」
 HC85と同じ時間に来れば儲け。無駄足に終わるのも覚悟で岡崎−相見へ行ってみました。HC85は東刈谷を10時頃の通過でしたが、この時期、その時間は太陽がほとんど真正面なのです。
 あとで目撃情報を総合すると、安城で退避の停車があったとみられますが、予想どおりの時間に運転されたようです。雲が大量に湧いており、動きが遅かったため、やきもきしたタイミングはありましたが、その雲もよい感じに写りました。即決で駆けつけて撮った写真ですが、315系が東海道線を走る姿はゆくゆく珍しくなくなるかもしれませんね。
 ここからは備忘録です。311系も廃車の編成が発生。5/18にG8、G12の2本が西浜松へ回送。
 5/26、HC85系新製車出場。初めての2両組成(D101編成)を含む6両。(22.5.29)

●構内放送(22.5.22)【栃木植樹祭お召列車の運転から40年】

くろがね街道駅「栃木県植樹祭お召列車」へ移動します。2022.5.21、栃木県植樹祭、県内ご視察に伴うお召列車の運転からちょうど40年となりました。
 1979年(昭和54年)、地元、愛知県植樹祭の際に運転されたお召列車は部活の対外試合と重なってしまい、撮りに行けなかったことは以前に記しました。そのような事情もあって、(地元で1本だけ撮れた回送列車を除けば)初めての撮影となるお召列車の運転日をワクワクしながら待ったのはついこの間のことのようです。
 40周年当日、ツイッターにて写真を公開しましたが、通常1〜2コマのところを4コマという大盤振る舞いをしました。各々ツイートをご覧いただくのではアプリの起動などで表示に時間がかかるものと思われます。そのようなご不便を避ける目的で、「くろがね街道駅」扱いでレポートを作成しました。ツイートした文章を利用して、補筆したものですが、書き始めるとどんどん文章が長くなってしまいました。私にとってはそれくらい思い出深いイベントでした。
 前置きはこれくらいにしましょう。暫定公開ではありますが、新作ページをご覧いただければと思います。ツイッターの写真のみでは碧電をご覧いただく価値が下がります。宇都宮運転所で公開されたEF58172号機の写真を1コマ追加し、その際のエピソードを記しました。サムネイルの写真または下記の更新情報から入れます。


●構内放送(22.5.15)【民営化前後のユーロ指定機DD51791】

東中関駅第1展示室へ移動します。掲載した2コマは既にツイッターには載せました。しかし、碧電としてはページの更新を行いましたので、今回はツイッターを使用しません。(縮小写真から掲載ページに移動します)
 22.5.15の定期更新では何を載せようか・・・。決めたのは更新の前日、5/14になってからです。スキャン画像のホルダを眺めていて、民営化の前後で塗装が変わっているDD51791号機の写真を見つけました。
 DD51791は国鉄最後のダイヤ改正である1986.11改正時に北海道の鷲別から転入しました。同改正は民営化に向けて新会社に引き継ぐ車両を転属させることも意図されていたため、おそらくその時点でJR東海に所属することが視野に入っていたものと考えられます。専用機塗装であったDD51592号機が新会社に引き継がれることなく引退することになったため、後継機としてユーロライナーのヘッドマークが取り付けられるようになっていました。国鉄時代の末期、まだ原色だった時に伊勢鉄道の開業に向けて甲種で輸送されるイセ1形を牽きました。
 ちなみに、玉垣の車庫に搬入されたのが2.21。そして、開業は3.27となっています。車両の整備や訓練運転はたいへん慌ただしいものであったことでしょう。国鉄民営化直前のタイミングですが、僅かな期間が「JR東海伊勢線」となって、再移行する手続きの煩雑さを避けたのでしょうか。
東中関駅第2展示室へ移動します。 ユーロ色になった写真は民営化から4ヶ月後に名古屋駅で撮影したものです。「ミステリー飛騨古川町民号」と記されたヘッドマークを掲げて、12系の団臨を牽引するところです。
 以前も記しましたが、この頃、私は資格試験の講習を受けていました。それゆえ、撮影の機会は大幅に減っていました。記録ノートによれば、ユーロ色になった791号機をこの日初めて撮ったようです。
 折よくナゴヤ球場正門前行のキハ58系が並びました。当時の車両は塗装を含めてまだ国鉄時代のまま(ユーロ色も国鉄時代にできた塗装)でしたが、JRマーク入りのヘッドマークが積極的に取り付けられました。新会社をアピールしようとした意図が感じられます。


●構内放送(22.5.8)【キハ56とキニ56】

キハ58系の北海道向け2エンジン車、キハ56。同じ56を名乗るキニ55はキハ55系を種車として、直接の関連性はない今日でGWが終了です。週初めが月曜日なので、1週間が長いと感じられる方もおみえのことでしょう。
 さて、今回はシリーズ〇〇年前から外れます。5月6日のツイートでは、日付にちなんだ形式として、表題の2形式の写真を公開しました。もう国鉄形式の付番ルールを知らない、興味もないという世代が増えています。それゆえ、どこから説明すればよいのかに迷います。碧電読者の皆さんは初歩的なことからの説明はいらないものとして話を進めます。
 民営化から35年が経過しても、国鉄形式はまだ残っています。改めて調べてみると、気動車についての称号規定は1957年に定められたものとなっています。その当時はといえば、最多勢力となったキハ58系もない時代です。おそらく、その後の大量増備によって、番号に重複が生じたり、実質上パンクを来たす時代が来るとは思われていなかったことでしょう。実際には苦しまぎれに付番したと思われる形式、区分番台があります。気動車の20番台(1エンジン)、50番台(2エンジン)はその窮屈さが特に顕著であったと思われます。便宜上とされる系列においても、両者がペアとなっているものが少なくありません。例えば、キハ20系のキハ20、25、52。キハ55系のキハ26、55と言った具合です。
 ツイートで掲載したキハ56とキニ56については、裾絞り車体の北海道向け急行型と、ストレート車体のキハ55を改造した荷物車が同じ番号になってしまったという原則上「芳しくない」事例です。車体の構造のほか、常に同一の編成、列車で使われることが前提になっていたかと言えば、直接的な関連性はないものです。
 キニ55になっていれば、他系列の混入が避けられましたが、既に使用済みでした。10系一族と言えるキハ51(=キハ17の2エンジン版)を改造した荷物車がキニ55を先に名乗っていたのです。そのしわ寄せで異系列重複番号になってしまったと言えます。改造種車のキハ51は規則上は両運車に付けられる番号なのに、現車は片運転台という「例外」でした。ならばそのまま例外としてキニ51にしておけばよかったものを、新規定の運用当初の頃は重複番号を避けて、1桁目の5〜9は片運転台であるという原則を守ろうとした意図が読み取れます。
 ツイートにコメントをいただきましたが、在来型気動車は原則的に相互の併結、場合によっては他系列との共通運用も可能でした。混結できない車両を編成に入れてしまうような不都合はなかったことでしょう。つまり、同じ番号はけしからんと、目くじらを立てるようなことではなかったということです。コメントを下さった方も同様のことを感じておられたのだろうかと思いました。(22.5.8)


●にしがま号に乗車しました

にしがま号の車内には歴代の白帯車の写真が中吊り広告として展示された名鉄蒲郡線で運用する6000系6011Fに白帯を入れて、緑色の「にしがま号」のサボを掲げての運行が本日、22.5.8で終了となりました。ただし、帯はまだ消されないとのことです。
本プロジェクトは、蒲郡線の活性化を目的としたもので、集客効果を測る社会実験的な意味合いもあるのではないかと思われます。やったけれど、さしてお客さんは増えなかったということになれば、プロジェクトの評価が下がってしまうことでしょう。
 半日もあれば蒲郡線に乗ることが可能です。実際にどれくらいの人が来ているのかにも関心があったため、乗車することにした次第です。
 蒲郡まではJRで行き、ここから6011F「にしがま号」を利用しました。カメラ(スマホを含む)を向けている人のほか、前面展望の動画を撮影しようとする少年たち。私のような年寄りは少なかったようです。
 GW最中の好天の日という条件の良さもありましたが、明らかににしがま号が目的という人は少なくないと感じました。
 どこか適当なところで撮影しようと考え、あてがないながらも西幡豆で下車しました。しかし、光線状態がよくないほか、引きが取れる場所がありません。結局一駅歩いて三河鳥羽駅で列車交換を撮影しました。
 その結果、蒲郡、三河鳥羽駅の両駅で買ったきっぷは元々なかったものが売り上げになったということになります。私一人が乗ったところでどうにもなりませんが、これから長い利用者になるであろう少年たちが喜ぶ企画は「お得意様」を育てることにつながります。これからも期待したいところです。(22.5.8)


●構内放送(22.5.1)【シリーズ40年前/EF58の特急「はつかり51号」】

EF58が牽いた特急「はつかり51号」東北新幹線大宮開業を2か月後に控え、客車の「はつかり」は最後と思って撮りました。早いものでもう5月に入りました。コロナによる外出自粛要請がない久しぶりのGWですので、お出かけされている方も多いでしょうか。
 3週連続の”シリーズ40年前”となります。先週は開業を待つ東北新幹線の200系を掲載しました。上野−大宮間は反対運動や用地買収、工事の困難さから82.6.23の開業が見送られ、大宮−盛岡間の暫定営業となりました。しかし、上野−大宮間は依然として在来線のみになるとはいえ、活況を呈していた在来線の特急、急行列車は大幅な減便となりました。
 上野‐青森を結ぶ昼行の特急「はつかり」は全廃を免れましたが、多客時の臨時列車はもう設定がないであろうことが予想されました。
 電気機関車については、EF65PFの製造は終了していたものの、EF64形1000番台の増備が続いており、直接、間接的な置き換えによってEF58は徐々に廃車が進んでいました。14系客車による臨時特急では設定日が比較的多かった「つばさ51号」がEF65PFの担当であったのに対して、「はつかり51号」はEF58が充当されました。翌年春から毎週末にEF58牽引で運転された「踊り子55号」の設定前なので、同形の特急が珍しかった時期になります。
 写真の牽引機であるEF58123は1975年、小学校卒業間際に地元で撮影しており、碧電でも掲載済みです。当時は東京機関区の配置で、前面窓は原形小窓でした。宇都宮運転所に転属することによってSG(蒸気暖房)→EG(電気暖房)の改造を受けています。
 また、ツイッターにコメントをいただきましたが、東大宮操車場に近いこの撮影ポイントは、この年、1982年に新駅の工事が始まり、現在は土呂駅になっています。
 なお、当時は定期の「あけぼの」、「ゆうづる」、「北陸」などにもヘッドマークがない時代です。前から撮っただけでは団体臨時列車や急行列車と区別ができません。ツイートの返信には14系のテールサイン(「はつかり」を表示)の写真を掲載しましたので、そちらもぜひご覧いただければと思います。

●万燈町駅第4展示室の80系の写真を高画質化

80系末期の頃、まだ非全金属車が残っていた。(クハ86076)「 #懐かしの80系電車を貼ろう」というタグがありましたので、碧電としても参加させていただくことにしました。てっきり初公開の写真かと思ったのですが、表題のページに掲載済でした。拡大画像は再スキャンのうえ、一回り大きな画像としています。
 この当時のネガは処理が丁寧に行われており、変色が軽度で済んでいます。色や傷の修復は比較的容易でした。
 冒頭に記載したタグですが、いろいろな写真が集まっています。最後まで現役で残っていた飯田線の比率が高いように感じまれますが、ご興味がある方は次のリンクから#懐かしの80系電車を貼ろうをご覧いただくのもよいでしょう。(22.5.1)


●構内放送(22.4.24)【シリーズ40年前/開業を待つ東北新幹線の200系】

82.4.10は東北本線の利府支線に乗車しました。どんなところを走るのだろうと関心がありましたが、沿線はずっと新幹線の車両基地でした。まずは先週の「構内放送」についての所感です。
 後半では滋賀県内での架線切断によって大幅に遅れて通過したサンライズエクスプレスの回送列車を掲載しました。それに加えて、寒さで冷えてしまった身体を温める食事の写真をテキストからのリンクで紹介しました。
 定期更新の時点で写真の閲覧数はどうなったでしょうか。なんと、食事のほうが僅差ながらもリードしています。余談の部分も読んでいただけているのはありがたく思う一方で、たびたび掲載している遅延サンライズは「もういいよ」ということなのかな?と感じました。
 以前は偶然か、たまたまタイミングよく教えてもらうくらいしか大幅遅延の列車を撮影する機会はありませんでした。それが今では、遅延や現在位置がリアルタイムで把握しやすくなったことのほか、トラブルの発生、運転打ち切りが増えているようにも思います。今回も大阪から東京までの寝台券を持ち、散々待った挙句に1駅だけ走って新大阪で降ろされ、新幹線に振り替えという方もおみえだったとのことです。せっかくの寝台特急乗車の機会にトラブルに巻き込まれた方はたいへんお気の毒です。
 さて、ここからは今週の写真の説明です。不運続きだった40年前の東北旅行ですが、不満を並べ始めたら切りがありません。それでも、このときに行かなかったら得られなかったものも少なくないので、後悔はありません。
 現地での2日目となる82.4.10は仙石線を訪問した後、東北本線の利府支線に乗車しました。開業準備中であった新利府駅を除けば1区間だけの支線です。同線は元々の東北本線の一部が新線に切り換えられ、岩切−利府間が支線として残ったという経緯があります。
 どんなところを通るのだろうかと関心がありましたが、沿線はずっと東北新幹線の車両基地が並行設置されていて、ひなびたローカル線というイメージとは大きく異なるものでした。
 それでも、当時は大宮開業まであと2ヶ月半という時期です。真新しい200系が顔を揃えて並んでいる光景はとても新鮮なものを感じました。

動画:HC85系先行試験車入場回送と量産車出場試運転

動画の閲覧はこちらから先週(22.4.18〜)はHC85系に複数の動きがありました。月曜日、4/18には量産先行試験走行車D1編成が日本車両へ入場しました。動画にコメントをいただいていますが、量産車に仕様を合わせるための改造が行われるのだそうです。
 そして、木曜日、4/21にはいよいよ量産車4連2本が一緒に出場し、関ヶ原までの試運転を行いました。外観デザインの見直しはほぼなさそうです。
 写真としては3コマありますが、全てをご覧いただくには動画にまとめれば1本に全てのシーンが入ります。ただ静かに通り過ぎるのみではなく、3本の列車どれもが力行して来て、動画としての価値が上がりました。特に3本目の大府駅手前を高速で通過するシーンは既存の車両とは違う音を立てているように思われます。
 近年はスマホでも気軽に動画が撮影できるようになって、撮影してすぐにアップされる方もいるなど、Youtube動画の敷居が下がりました。量産車試運転については、既に同じ場所で撮影された動画が複数公開されています。(同じシーンを出されている方がお手軽撮影だと言っているわけではありませんので念のため)
 このように、撮ったばかりの動画で注目度が高い列車については、他の方と頻繁に被るようになりました。撮れたて映像をあまり出さないのはそれも理由の一つです。しかし、碧電をひいきにして下さっている皆さんに「このシーンは〇〇を」などとまどろっこしいことをする必要はありません。他の方と重なっているシーンをカットするのはやめました。(22.4.24)

●構内放送(22.4.17)【シリーズ40年前/「日付ネタ」417系】

旧型客車がまだまだ主体であった東北本線のローカル輸送を改善するために投入された417系であるが、東北新幹線開業後の急行型の転用や、国鉄の財政難の影響もあってか、少数派に留まった。ツイッターでは日付にちなんだ形式や番号の車両の写真を公開することがよくあるという話は何度かさせていただきました。今回は定期更新が4月17日になります。折よく40周年にも該当する417系の写真がありましたので、「日付ネタ」に乗っかることにしました。
 東北旅行は82.4.8の夜から4.10までの日程。最近ご覧に入れた広島県訪問からあまり日が経っていません。それゆえに、ためらいを感じなかったわけではありません。それでも、誘ってくれたYMさんには今まで私の希望にずいぶん付き合ってもらっていました。そこを考えて同行することにしました。
 YMさん最大の希望は東北線の特急列車が新幹線の開業で廃止になる前に、大河原−船岡間の桜並木をバックに撮影したいということでした。しかし、当時はまだリアルタイムで桜の開花状況を知る手段を、少なくとも知りませんでした。結果はといえば、まだつぼみ・・・。これでは全く絵になりません。仕方ないので、撮影場所を変えることにしました。
 下車しようとした駅の改札口にいくら経ってもYMさんが来ません。周遊券をなくしたと言います。実は、集合の上野駅まで来る途中、このシーズンから発売されたばかりの「青春18のびのびきっぷ」を紛失。普通運賃を改めて支払ったばかりだと言います。駅員さんはたいへん親切にして下さり、各所に問い合わせていただきましたが、結局見つかりませんでした。希望が叶わなかっただけでは済まないYMさんはすっかり意気消沈していました。
 写真の417系は宿泊先の仙台への移動途中、旧型客車の列車から下車して白石始発の電車に乗り換えたようです。仙台地区にしかない同系を撮影し、乗車したいというのは私の希望でした。
 雨まで降り始めてまさに泣き面に蜂状態です。YMさんの心境を考えると、本当に寄り添ってあげられただろうかと思えます。この日の写真を見ると、そんなことを思い出します。

●遅れ「サンライズ出雲・瀬戸」回送

他編成との併結で西尾線内の列車に充当される白帯の6000系6011F4.17の朝、起床するとメールの着信多数。JR西日本管内での架線トラブルによって、深夜に通過するSRCやサンライズエクスプレスが相当に遅れているという内容でした。早速ツイッターで目撃情報を検索しましたが、その時点ではSRCが関ヶ原を通過したというものでした。
 そうなると、碧海エリアに来るまでにまだ1時間以上はありそうです。自宅付近の撮影地ばかりではいかがなものかと考え、3/7に211系(最後の国鉄引継ぎ車)の回送列車を迎えた地点へ行くことにしました。
 50レSRCとサンライズは各々途中駅での退避があり、予想よりは待つことになりましたが、知らせてくれた人が矢作川橋梁にいたため、あと何分という心の準備ができました。
 SRCはパンタグラフがポールにモロ重なってしまいました。そこは気に入らないので、サンライズのほうを出しておきます。ここは緩いカーブになっていて、長い編成の後方が目立たなくなるのを避けることができます。木がかぶっていますが、一応14連全長がギリギリ納まりました。
 先週は初夏のような陽気の日がありましたが、列車を待つ間はガタガタ震えるくらいの寒さを感じました。
 やはり温かいものが食べたくなりますね。帰りがけに、朝からこんなものを食しました。たいへんおいしくいただきました。

●構内放送(22.4.10)【シリーズ30年前/岩手開発鉄道の旅客営業終了】

岩手開発鉄道の旅客営業終了から30年が経過しました。最終日間際の92.3.29にはキハ301とキハ202が2連で運転されました。訪問日から30年を少し過ぎましたが、92.3.29〜30にかけて、岩手開発鉄道を訪れていました。
 私は学生時代から各地のローカル私鉄を訪問していました。全社の訪問達成はハードルが高いと感じていましたが、非電化私鉄はコンプリートしたいと思っていました。
 未訪問のまま廃止になってしまったところが複数社あり、残念なところはありますが、30年前の段階で残り数社になっていました。そのうちの1社が岩手開発鉄道です。
 同社は起点である盛までの足が不便で、訪問に時間がかかります。しかも、旅客列車は朝夕に計3往復。機能優先で魅力という視点では今ひとつのキハ202号1両のためには・・・というためらいが拭えませんでした。
 しかし、いよいよ旅客営業が終了するばかりではなく、予備車で滅多に出番がないキハ301号を動かす予定だと言います。キハ301が動くのならばと訪問を決めたのでした。
 1992年以降は貨物専業となった同社ですが、盛からセメント工場がある赤碕の間が津波で深刻な被害を受けました。復興を願って同社のページをアップしたのは2011.6.19のことです。
 ツイートでは未使用の写真をアップしました。同ページの写真はスキャナーの不具合で状態がよくないものが多いため、別のスキャナーで取り直しを行いました。しかし、その画像も修復が必要な状態です。写真を差し替えたいと思っていますが、今しばらく時間がかかりそうです。

●「にしがま号」用6000系白帯車

他編成との併結で西尾線内の列車に充当される白帯の6000系6011F表題の電車、名鉄6011Fは舞木検査場で白帯を貼り付け、3.19に出場、回送。そのまま西尾駅で発車式を行って運用に入っています。
 地元の話題なのになぜ早く写真を載せなかったのでしょうか。出場の日以来、撮ってはいるのですが、出来栄えが気に入らなかった・・・。それだけのことです。
 ツイッターには蒲郡線内で撮られた写真が多数流れて来ます。特に、満開の桜とこいのぼりを入れて撮れるポイントは人気があったようです。天邪鬼な碧電は皆が見せたがる写真を避けているところがあります。なので、少し視点を変えたシーンをお目にかけたいと思います。
 6011Fの運用ですが、白帯デビュー以来、曜日ごとに同じ運用に入っているようです。これは、白帯を入れた理由が蒲郡線の活性化を目的にしたものであるため、週末は蒲郡線から外れないように計画されているのではないかと思われます。
 ずっと蒲郡線に封じ込められているわけではなく、水曜日の朝、新安城8:37発の急行新可児行で犬山地区へ向かいます。木曜日は広見線のワンマン区間(ただし、他車のこともあり)の運用をこなした後、深夜に新安城へ到着して停泊します。そして、金曜日の朝は他編成との併結のうえ4連で西尾まで2往復半走ります。
 矢作川、鹿乗川橋梁の米津方の堤防には桜の木があったので、それと絡めてみました。ちょうど桜の木の前に低いケーブルがあるのですが、このように真横から広角レンズで撮れば、ケーブルはあまり気にならず、「矢作川」の看板も目立ちません。

●構内放送(22.4.3)【シリーズ40年前/セノハチと可部線用73系】

新年度最初の更新となります。恒例により、構内放送で半年を経過した記事を削除してきましたが、今回は碧電蔵町駅のアーカイブスに移設します。ツイッターは見ていただける時間がせいぜい2日間で、それ以降、多くの投稿は埋没してしまいます。久しぶりに来ていただいた方にまとめてご覧いただけるような体制を整えたいと考えた次第です。
EF59時代は結局この日限りの訪問となった「セノハチ」 さて、4/2、4/3は1982年に広島県を訪問してからちょうど40年となります。その前に3/29〜30は近所の幼なじみと京都観光。3/31は別府鉄道と、4泊5日の旅行でした。
 当時、「そこにしかないもの」に魅力を感じて、それらを重点的に訪問していました。広島県については、セノハチ(瀬野−八本松間)の後押し補機と可部線、富山港線に残るのみになっていた73系をセットで訪れた方も多いことと思います。
 写真からツイートにリンクを貼っていますが、セノハチ、可部線共私よりも若い高校生と現地で一緒になりました。(別々の人)私の高校生時代はといえば、泊まりで遠くへ出かけることはついになく、それゆえに撮れず仕舞いに終わってしまったものは少なくありません。
クモハ73のトップナンバーは試作近代化改造車という珍車でもある。あいにく日中動かない運用で、朝、広島駅到着時に辛うじて撮ることができた。 セノハチについては、EF61形200番台に重連で使用できないという問題が発生しなければ、EF59はもっと数を減らしていたかも知れません。EF611〜を改造して100番台とする計画は中止され、EF58よりも早く全機引退になりました。単機でもEF59重連の性能をまかなうことができるEF67形が完全引退となったのはつい先ごろのことです。
 黄色帯のEF210-300番台は本務機、後補機の両方に使えますが、可部線を含めて「ここでしか見られない」魅力は大きく減退してしまいました。

●大井川鐵道の「さくら」EL急行

茶色の旧型ELがヘッドマーク付きで千頭まで運行された4/3は大井川鐵道を訪れていました。例年ならば半定期のSLかわね路号のほかに家山折り返しの増発客車急行が運転され、ELとSLが前後に付く編成でした。しかし、今年はSLが長期整備中のため異例なほど走りません。桜シーズンの休日ダイヤではEL急行が2往復運転されます。当初は曇だった予報が曇り時々雨に。しかし、現地は止み間がないほどに雨が降り続きました。
 その分撮影は苦労しますが、桜のピンク色がよく出るので、雨の日も悪くはないと思います。
 40年前のこの日、広島も1日雨でした。

●構内放送(22.3.27)【シリーズ30年前/EF651019+旧形客車】

休日出勤の打ち合わせが終わって、翌日の団臨向け旧型客車回送には何とか間に合った。正面に赤い機関車EF651019が現れてビックリ。ツイートに記していますが、30年前の今頃は会社を離れて出先の事業所の勤務になっていました。通勤にはモノレールを使い、埼玉県から東京都でも神奈川県との境に近いところまで通っていました。その事業所は自社の社員だけではなく、同じプロジェクトを担当する他社の事務所もありました。工程が厳しく、振り返ってみれば、いろいろなところで無理を強いられていたように思います。
 写真のEF651019+旧形客車ですが、休日出勤の打ち合わせが延びてしまえば諦めるしかありませんでした。当時の写真の多くはどんな状況で撮影したかを忘れてしまっていますが、方向性で合意に至って会議が終わったこと。思いがけずEF65PFのレインボー塗装機が充当されたこともあってか、よく覚えています。
 社員でも名前を知らなければ、一度も話をしたことがない人がいる一方、同じプロジェクトで一緒に仕事をした他社の方のお名前やお顔が思い浮かびます。もう30年も前のことかと思うと感慨深いものがあります。皆さん元気にしていらっしゃるでしょうか・・・。

●313系+213系の回送列車

313系1700番台+213系の回送列車#313系J173編成+213系H5編成。EF210の試作機、901号機は最近全般検査を受けて塗装が改められました。3/25には1050レ(野田新町14:40頃通過)に充当されていることがわかりました。この日はまたしても定期通院の日と重なりましたが、時間的になんとか撮影が可能でした。撮影地に到着すると、1050レの10分ほど前に前パンの313系がゆっくり近づいて来ました。後ろの2両は帯の色が違います。213系との混結編成です。
 前寄りの313系は3両組成の1700番台で、今回のダイヤ改正で神領から大垣へ転属となりました。同車のうちの1本が交代で飯田線の運用に充当されるのは、転属後も変わらないようです。
 豊橋へ送り込まれる編成と大垣車両区で交番検査を受けた213系(H5編成)が一緒に回送されたということのようです。
 213系は東海道線内では営業運転が行われないため、交番検査の際は豊橋‐大垣間で回送列車が設定されています。2連、固定セミクロスシートの313系R100番台編成については、営業運転の運用途上で差し替えが行われるようです。1700番台ついてはどのような方法が所定なのかはまだわかりません。ただし、今回は動物と衝突した編成の差し替えを行う必要が生じて、急遽回送されたものとの情報もあります。

●構内放送(22.3.20)【シリーズ30年前/215系甲種輸送】

92.3.20、愛知県へ帰る途上、東田子の浦で215系新製車甲種輸送列車を撮影。既に同系は過去の車両に以前、長年使ってきた温水器が不調ながら、半導体不足やコロナによるロックダウンの影響で輸入部品が不足。交換、修理がままならないことに触れたかと思います。漏水しながらも、だましだまし使ってきましたが、ついに電源が入らなくなりました。
 工事店からは入荷、工事の予定日の連絡が入っています。発注から3〜4ヶ月かかるかも知れないと言われていましたが、2ヶ月で入りそうです。まだよい方と言わないといけないのかもしれません。しかし、工事の日までは「お風呂難民」となります。新幹線の撮影で存在を知ったスーパー銭湯へ早速行ってきました。
 年数が経った給湯器は壊れるまで使うことを避けて、早めの交換手配が必要と言えそうです。
 さて、今回はシリーズ30年前です。更新日、3/20の日付の写真が見つかりました。92/3/20、21は愛知の実家へ帰っていました。その主目的はユーロ色のEF65105号機が牽く「あすか」でした。JR西日本のジョイフルトレインとJR東海の機関車との組み合わせは、客車が関西線経由で名古屋まで来て、そこで機関車を交換する場合に多く見られました。ただでさえ他社線乗り入れの団臨が減っていた中、ユーロ色の機関車と他社ジョイフルトレインとの組み合わせは見逃せないと思いました。その写真はこちらのページの1コマ目です。
 前日、92.3.20は在来線を利用して、東田子の浦で下車しました。その目的はツイートの215系甲種輸送です。デビュー当初の頃は熱海までの快速「アクティー」などに使用され、帰省時に好んで利用しました。しかし、次第に限られた用途にしか使われなくなりました。存分に活躍したとは言えずに引退、解体されてしまったのは残念です。
 なお、ツイートの返信をご覧いただきますと、後打ちした215系が見られます。

●構内放送(22.3.13)【三河線の刈谷市折り返し列車】

「知立−刈谷市」のサボを取り付けた刈谷市折り返しの知立行JRグループのダイヤ改正の話題の前に名鉄三河線の写真をご覧に入れます。
 22.3.9の早朝、三河線の吉浜−小垣江間で運転操作を誤ったと見られる自動車の線路内進入という事故が発生しました。幸いにも接近していた電車の衝突は免れ、手前で停車できたとのことです。
 三河線では主に東海道線の輸送障害時における振り替え輸送を担う目的で、知立発刈谷市行の増発列車が運転されることが時々あります。「刈谷市」の行き先表示幕がないためか、このときのためにサボが準備されています。
 今回は東海道線の振り替えではなく、刈谷市以南の不通に対応して刈谷市折り返しの電車が運転されました。撮影仲間に三河線で通勤している人がいますが、サボが入った刈谷市始発列車に乗ったというメールをもらいました。
 8:20には復旧し、直前に通過した碧南行は所定どおり「碧南」を表示して来ました。刈谷で交換した知立行は前面のサボはありませんでしたが、後ろ側には取り付けられていました。
 トラブルへの対応で運転されるものですので、喜ぶわけにはいきませんが、三河線はこのようにして区間運転にも対応できる体制を整えています。なお、比較的最近には増発刈谷市行に9500系が使用された実績があるとのことです。

●3.12ダイヤ改正の話題から

EH200の送り込みはダイヤ改正以降、稲沢を拠点とした中央西線の運用に充当するためであった。3.12のダイヤ改正は中央線に315系が投入され、同線の電車が終日8両編成に統一されたことに関連した車両の移動が特徴的と言えましょう。両数の統一は増解結を実施しないことや、運用効率の向上が目的と見られます。ゆくゆく同線は315系に統一されることが既に発表されています。
 神領車両区からは3両編成の313系の転出が相次いでいます。目立つのは元セントラルライナー車、8000、8500番台が静岡車両区へ転属したことでしょうか。3/11から3/12にかけて、2本ずつ併結の3本の転属回送が実施されています。東海道線静岡地区の普通列車用電車はほぼロングシートに統一されていましたので、どのような使われ方をするのかが注目されます。
 その他、やはり3連の1600番台、1700番台は大垣車両区に転属したようで、こちらは碧海エリアでも運用されそうです。
 三河線の刈谷市折り返し列車を撮影した3/9の5091列車では、EH200形の20号機が稲沢へ送り込まれました。同機は3/12の5875列車から運用を開始しています。EF641000番台に余裕ができて、地元のローカル運用を再び担うのかと思いきや、交直両用機EF510が名古屋周辺で一層の運用拡大したのには驚かされました。これまでの「白ホキ」以外に美濃赤坂−笠寺間で「赤ホキ」や多治見までのコンテナ列車も同形の運用になったのだそうです。

●構内放送(22.3.6)【211系0番台が運用離脱→西浜松へ回送[写真追加]】

青帯をまとい、117系と伍して快速運用に充当されていた頃の211系2022.3.5から中央線で315系の営業運転が開始されました。相前後して3両編成の313系が大垣へ転属した模様で、それを補うように元セントラルライナー用313系8000番台車が愛知環状線や関西線に乗り入れるのが話題となっています。さらには、最後の国鉄からの引継ぎ車、211系0番台2本が3/5、3/6の両日、夜の運用に入らず、他編成によって運行されているそうです。2編成が連結された状態で神領車両区に留置されているとのことで、これにて運用終了というのが専らの噂です。
 ツイートではおさらいとして、国鉄時代に211系が登場した経緯を記しました。近年では同車はJR東海の2本のみの存在で、希少性が高いというコメントをしばしば目にします。登場した当時を知る世代としては、ついついケチを付けたくなりますが、いちいち指摘などをすることはなく、スルーしています。ただ、ネット上でコメントを記すときは、もう少し慎重であってほしいと思うところではあります。
 同車はデビュー当初は117系とは独立した運用で、快速主体の列車に充当されていました。2本のみながら、首都圏に配属された同グループ車とは明らかに異なる使い方をされていました。
 職場が東京になるまでの約1年間ではありましたが、帰宅時にしばしば利用しました。86.11改正では名古屋発21時台の列車が4本になり、待ち時間が短縮されました。それでも、現行よりもはるかに列車が少なく、以降の列車は普通のみでした。
 名古屋21:15発の岡崎行は211系の運用で、21:00(or 20:59?)の列車を見送ることがよくありました。先行列車は混んでいて、113系の非冷房車も多かったのです。
 やっとMT54ではなくなったモーター、ボルスタレス台車の軽やかなジョイント音、進段時のカクンカクンという独特の衝撃など、今までの電車とは明らかな変化が心地よく感じました。
 個人的には思い出深い電車がまた消えていきます。(22.3.6)
JR東海では最後の国鉄引継ぎ車の2本が揃って西浜松へ最後の本線走行 定期更新の翌朝、神領車両区に留置されていた211系(名古屋方)K51+K52編成(>浜松方)が早朝に神領を出て、西浜松の留置線へ回送されました。381系最後の1編成も営業運転を終えた翌日に西浜松へ回送されていますので、「すぐに回送」は実績がないわけではありません。最後の本線走行となる可能性が高い列車を見送ることができましたので、写真を追加します。
 JR東日本、西日本では、まだ113系、115系が残存しています。それゆえにまだ廃車はもったいないとも思えます。晩年は日中も昼寝という使われ方でしたが、デビュー当時は青帯を巻いて颯爽と走る姿。湘南色帯に改装後も120km/hで新快速に充当されたことは、211系史上特筆に価する実績となりましょう。(22.3.7追記)

●構内放送(22.2.27)【シリーズ40年前/飯田線での冬季合宿】

羽場で交換するED62と荷物電車今回の画像は修復がギリギリまでかかったため、ツイッターへのアップは後回しにします。出勤が早い方はそろそろ「おやすみなさい」の挨拶をされる方が少なくありません。
 さて、年始最初の定期更新にて40年前の2月上旬に鉄道研究会の冬季合宿があったことに触れました。行き先は飯田線の駒ヶ根が最寄り駅となる、駒ヶ根ユースホステルです。最寄りと言っても、駅からバスに乗る必要がありました。
 中日となる2/12は先輩の案内で飯田線北部の撮影地や、伊那松島機関区を訪れました。電車の運用は前日に先輩が調べてくれていたため、どの列車で何が来るかは事前にわかっていました。この日は当時の飯田線における珍車(=残存1両となっている形式や、当初から1形式1両のクモハユニ64など)は運用に入っていないものが多く、各種タイプのコンプリートを狙っていた身には少し残念でした。しかし、朝から終日穏やかな晴天に恵まれて、北部飯田線らしい写真をものにすることができました。とても楽しい1日であったことがついこの間の出来事のように思い出されます。
 この時期に撮影したネガは先週書いたように、カビに侵されています。変色が不均等なため、修復には困難が伴いました。
 ネガをなくしたと思っていたため、プリントをスキャンした画像があります。こちらからご覧いただけますが、明らかにぶれていて不鮮明です。ネガからスキャンした画像はそのようなことはありません。どうやら、プリント段階でフイルムの保持が甘かったため、露光中に動いてしまったのではないかと思われます。当時はまだ出始めてあった即日仕上げのお店は「街の写真屋のおじさん」が手作業でネガの位置を調整していました。
 汚れがひどいネガですが、丁寧に修復すれば数段よい画質になりました。

●構内放送(22.2.20)【117系デビュー前の試乗会列車】

中京圏の117系デビューは既に40年前のこと年末年始から多忙が続き、前回の「構内放送」は変則更新とさせていただきました。相手がある仕事のため、自分のペースでは進められません。予想以上の作業内容となりましたが、巻きを入れたのが幸いして、期限を守ることができました。やはり、「ギリギリ」は避けたいものですね。
 さて、少し間が空いた懐古ものですが、40年前のノートを眺めていたところ、117系の試乗会が行われたのは今回の更新のちょうど40年前の日付であることに気づきました。しかし、ホルダを探しても画像が見当たりません。写っているネガは長年窓際の引き出しに入れていたせいか、結露等の影響を受けたとみられ、カビにやられてしまっています。イソプロピルアルコールで洗浄したいところですが、発見当初のアルコール品薄もあって、いまだにできずにいました。
 しかし、せっかくちょうど40年前となる日です。遅れてしまったのでは価値が下がります。スキャン後、修復には少々苦労しましたが、カビ(緑変)が目立たないようにしたうえで公開にこぎつけました。
 既に全車が引退している名鉄局→東海会社の117系ですが、国鉄末期に予算が付いた時には名古屋鉄道管理局では湧き上がったという話が残っています。試乗列車の発車式?の準備の様子ですが、ささやかさは感じるものの、当時の名鉄局の思い入れが伝わって来ます。ただの「並び」写真よりも数段価値のあるものになったと思います。
 この日は名古屋−蒲郡往復の試乗列車に当選して乗車しました。蒲郡までノンストップで爆走はよいのですが、音が113系と同じMT54なのは、少し残念に思ったことを覚えています。
 JR西日本ではいまだに117系やそれよりも古い115系が残存しているのに、東海会社の117系は登場時の期待とは裏腹に、淡々とした扱いで消えて行ったのが寂しく思います。

●名市交鶴舞線N3115H甲種輸送

三河海線に非ワンマン編成6524Fが入線2/18の午前中で業務が一区切りになりましたので、午後から名市交N3000形第15編成の甲種輸送を撮影して来ました。(ツイートはこちらから) やっと余裕ができたので、翌19日は少し早起きして、名古屋臨海鉄道、名鉄築港線内の輸送を撮影して来ました。
 朝、東港付近に到着した時は私を入れて3名でした。その後、徐々に人が増えてきました。若い人が中心でしたが、殺伐とした雰囲気はなく、皆さん気さくに話してくれます。お互いに情報交換をしながら列車の到着を待ちました。
 「通るのは手前から3本目ですよ」(と、スマホに取り込んだ画像を見せてくれる)「笠寺から牽いて来る8号機は後ろに付いたままですよ。」
 到着後、反対側に連結されたのは赤塗装の7号機です。それを期待していたので、嬉しく思いました。(22.2.20)

●構内放送(22.2.9)【2月初頭の話題から】

定期更新が3日も遅れまして、ご心配をお掛けしました。伝言板には書いておきましたが、前の週末は業務が多忙で、日曜日の夕方には更新は到底無理という状況に至ったことがわかりました。余裕があると思っていた早朝には撮影に出掛けていますので、作業時間の読みが大きく外れてしまったことになります。簡単に回答できると思った問いから予想もしていなったところの手直しに波及。10分で済むと思ったら2時間かかったという具合です。同様の事項が複数生じてしまいました。
 昨今、AIならばそんな失敗はしないと言われそうです。何をおっしゃいますやら。AIは教えたことしかできないですよね。AIにバックアップしてもらうのならわかりますが、「お任せ」は人間の思考停止、脳力低下につながりはしないでしょうか。
 前置きはこれくらいにして、今回はツイッターを使わずの更新になります。2月に入ってから更新日までの話題です。

三河海線に非ワンマン編成6524Fが入線

三河海線に非ワンマン編成6524Fが入線2/4、日頃メールでやり取りしている鉄仲間から連絡が入りました。知立14:47発碧南行、通称新聞電車に6500系「金魚鉢」6524Fが入ったということです。
 充電中で見逃しということを時々やらかしますが、今回はすぐに確認できました。「せっかくなので近場で迎えます」と返信しました。
 さすがに碧南行は間に合いません。折り返し知立行は小垣江発15:45です。太陽の近くに大きな雲がまとわりついていて、時々陰ります。しかし、電車が来た時にはうまく日が当たりました。そして、直後に陰ってしまいました。
 ツイッターなどで調べると、三河ワンマン編成の6000系4連に不具合が出て、不足を来たしたのではないかという推定が見つかりました。以前にも「入るかも知れない」という連絡をいただいたことがありますが、「ごめんなさい。所定に戻ってしまいました。」ということがありました。通常ワンマンの列車に車掌さんを乗務させなくてはならなくなりますので、このような代走は極力回避したいという意図が見えます。そういう意味では、とても珍しいことだったようです。
 ちなみに、東海道線の振り替え輸送で知立−刈谷市の増発が行われたとき、9500系が充当された実績があるようです。(11.27付記事、5006F三河海線に戻る)

●DD200形が自力運転で碧海エリアへ

日の出直後に三河塩津付近をゆくDD200形。ASA1600で撮れました。DD200形が広域の定期運用を持つようになって1年になろうとしています。そして、次回の改正以降、さらに運用を拡充する見通しで、ここ最近では17号機以降の新製が行われています。
 同形は愛知機関区から各地へ回送されて、検査のために帰って来るまでは派遣先に駐在するという運用方法が取られています。地元配属の機関車ながら、定期的に見られるのは四日市駅構内の入換と、差し替えを兼ねた深夜のタキ列車くらい。目立つ存在ではありませんでした。
 このたび、往路2/6、復路2/9の臨時レール輸送列車に使用されました。
 これまでにも、九州からのレール輸送列車の貨車の一部を継走して、西浜松から静岡貨物駅までの列車に使用されたことはありました。稲沢から西浜松ヘは次無動で送り込みが行われており、碧海エリアに自力運転で現れるのはこれが初めてと言われています。
 写真は碧電掲載写真では初めての区間になります。あえて本文には撮影区間を記しません。すぐ近くではこんな写真が撮れます。

●広島更新色風塗装のEF641046が原色に

広島更新色風塗装のEF641046が原色に大宮車両所でJR貨物のEF64形としては最終の全般検査を受けていたEF641046号機が検査を終えて、2/8に愛知機関区へ帰ってきました。
いまさらの説明は不要と思いますが、少数派のためか人気があった広島更新色風塗装がついに消滅してしまいました。
 中央西線へEH200を導入する準備が進んでいるとみられるほか、EF64形を取り換えるための新型機関車調達の動きが見られます。国鉄形式の機関車は数年先には大幅に数を減らしそうです。
 遅れた分、写真は4コマ使用しました。掲載日数を確保するため、次回の定期更新は20日にしたいと思います。ツイッターへの投稿も滞っていますので、次回までになんらかの投稿を行いたいと考えています。

●構内放送(22.1.23)【シリーズ40年前:1981年の続編/スカ色とカナリア色の混結編成】

新宿駅にスカ色とカナリアの混色編成が現れた。クハ111-1333 1981.9.22交流電化の試作機、ED91が結局解体されています。PCBや水銀など、危険物の除去が容易ではないのがその理由だそうですが、後発のED70が長浜市内で屋内保存されているのとは天と地ほど違う扱いになってしまいました。
 さらには、屋根付きで保存されている瀬戸市のデキ200形、モ760形まで解体が決定したとのことです。どちらも瀬戸線オリジナルのもの。ウエスチングハウス社製のコピーであるデキ200形は、アメリカの博物館関係者に「ぜひ欲しい」と言われたものの、為替の変動のために実現しなかったという経緯があります。モ766号は旧黒野駅に帰してあげたいくらいです。
 これもコロナの影響なのでしょうか。両件に限らず、維持するための自治体の資金繰りが厳しくなっているのは疑いの余地がありません。
 また、新しく鉄を造るよりも、リサイクルの方がCO2の発生が少ないとして、その需要が伸びています。リサイクル鉄の単価が上がったことによって、解体の「メリット」が出ています。これが「持続可能」を謳うSDGsの影響で車両の保存が持続できなくなるのだとしたら、なんとも皮肉なことです。
 さて、ツイートとは関係がない話が長くなりました。ツイートは「シリーズ40年前」、1981年の未掲載画像を取り上げました。約40年前の新宿駅に停車中の混色編成です。スカ色のクハ111は房総線用と思われますが、カナリア色は101系なのか、103系なのか記録が残っていません。ちょうど工事中の南口コンコースの下に隠れてわかりませんが、千葉寄りはクモヤ143形でした。大井工場からの出場車のようです。
 当時地元では、神領電車区の103系と113系が混結された浜松工場入場回送がありましたので、それほどの驚きはありませんでした。
 南口コンコースは1987年〜92年の通勤時に毎日利用していましたので、工事中の模様は感慨深いものがあります。「設計監理 国鉄第三工事局」とありますが、分割民営化後は各社で別部署との合併などがあって、いろいろな部署名になっているようです。

●100系の回送列車が三河知立に現れる

20m車の6両編成の100系が三河知立に停車。後部はポイントにはかかっていません。(←非ツイッター) 三河線定期運用区間外に現れた100系を久しぶりに撮ることができました。検査のための回送列車が三河知立駅に停車中の状況です。
 長いのでもっと前まで来るのかと思ったら、通常の旅客電車と変わらないようです。信号機やATS地上子の位置の関係でしょうか。
 google mapで停止位置から豊田市寄りのポイントまでを計測してみましたが、後部がポイントにかからずに止まることができます。
 列車が接近すると立ち位置の真横にある踏切が閉じますが、3分弱ほど閉まったままになりました。知立駅から本線の下り線へ入って豊明で折り返しますが、そのためには4番線へ入る必要があります。停車している三河線の碧南行が発車するのを待っていたようです。
 今まで意識したことがありませんでしたが、100系の向かって右側の線路は生きた状態です。実はアップ当日(22.1.30)確認しましたが、知立方向への出発信号機が点灯していました。線路が使われている形跡がないので、ずっと赤信号のままです。豊田市方向への出発信号機はありません。
 高架工事の進捗に伴い、三河知立駅は来年にも約800m三河八橋寄りに移転されるとのことです。構内は線路の保守作業基地にもなっていますが、見慣れた光景が変わってしまうのはそれほど遠いことではありません。(22.1.30)

●構内放送(22.1.23)【機関車故障で大幅遅延の東武500系リバティー甲種】

この記事はひびきヶ原駅第1a展示室にて常設化しました。

●9周年企画、第26回:EF659の写真を差し替え

貨物線ミステリーというツアーでJR貨物の機関車が「スーパーエクスプレスレインボー」を牽引9周年企画、12周年企画でアップした写真は状態がよくないものがあります。原因は不明ですが当時使用していたスキャナーが正常に動作しなくなっていました。どうも気に入らない・・・と感じる写真の共通点としては、暗部の締りがよくないこと。色の境目がにじんでいるように感じられるという2点が挙げられます。
 別のスキャナーで再取り込みを行い、画質を改善しました。
この列車が走る前日、岡山県内へ向かう車内で、愛知から来たHさんが「明日関東ではとんでもない編成が走るそうですよ。」と。ぽろっと言った一言がきっかけでした。そして、大阪の自宅へ帰宅後、ツテを通してなんとかダイヤが判明。当日夜の寝台急行「銀河」で現地を目指しました。
 EF659号機は稲沢機関区配属で、愛知県内では頻繁に見られたことでしょう。しかし、清算事業団から茶色塗装で車籍復帰して以来、私は東海道線から離れたところに住んでいたため、とうとう貨物列車を牽く写真は撮れませんでした。走行シーンが撮れたのはこのときだけです。

●構内放送(22.1.16)【動画:EH200次無動/315系制動試験/雪の白ホキ】

16日に日付が変わって間もない時間。テレビの番組がほとんど津波に関する報道に変わっていました。日本から8000kmもあるトンガの海底火山の噴火によるものとのことです。爆発によって衝撃波が発生。その空気の振動が海面を押し下げたために潮位が変化し、津波という形で伝播してきたと言われています。
 大爆発による衝撃波で数キロ先の建物のガラスが割れたという事故はたびたび起こっています。目に見えない空気の濃淡がかなり遠くまで破壊力を及ぼすという恐ろしさを感じます。火山の爆発の規模が桁違いに大きいと、気象庁も経験がないという現象が起こることには驚きました。科学が進歩しても、決して何でもわかっているわけではないという謙虚さが必要だと思います。
 さて、先週の更新では動画のURLが未修整のままになっており、EF58の映像がご覧いただけない状態になっていました。修正までの約3日にアクセスいただいた方にはたいへん申し訳ありませんでした。
動画の閲覧はこちらから 2週連続の動画になりますが、今回はアップした3本の列車全てが碧電エリアでの撮影です。
 1/10、5091列車の次無動でEH200-17号機が稲沢へ送り込まれました。昨年末に高崎機関区へ返却されたのと同じ機番です。中央西線での運用投入のための準備が進められるものと思われます。
 1/13には315系5本目の日車出場試運転が実施されました。前回、東刈谷駅付近で制動試験が行われたとの情報があったため、朝、目撃情報の連絡をもらって出掛けました。動画だけ撮ろうと、ビデオカメラを構えていたら、アングルにぴったり納まる位置で停車しました。減速の感じを見ると、非常ブレーキを掛けたとみられます。停車する直前には、つかまっていないと立っていられないほどの衝撃が来ます。
 翌1/14は平野部でも積雪の可能性があるという予報でした。白ホキ5570レに間に合いそうであったため、石浜を出たところへ向かいました。当初は吹雪いていて、KE65であることがわかりませんでした。しかし、かすかにエンジンの音が聞こえたため、急いで動画の準備をしたものです。

●構内放送(22.1.9)【動画:EF58150が牽く「なにわ」+「あすか」】

動画の閲覧はこちらから昨年末くらいから給湯機の漏水が始まりました。20数年くらい前に取り付けた電器店を調べると、営業していました。チェックに来てもらいましたが、古い機種故修理は不能。
 報道をご覧になった方もお見えかと思いますが、給湯器がメーカーを問わずに品薄状態です。半導体不足にコロナによるロックダウンで、海外の工場から部品の入荷が途絶えているそうです。取り寄せに数か月かかるとのこと。故障で入浴できなくなっている方が全国で増え続けているようで、今後どうなることやら・・・。
 さて、今夜は久しぶりに自前の動画です。1997年1月、主に出雲大社初詣団臨に使用する「なにわ」と「あすか」を岡山支社へ回送する列車をEF58150が牽きました。まだ私は関西ではツテがない頃で、愛知の鉄仲間から「逆輸入」的に教えてもらったものでした。
 動画をご覧いただくとわかりますが、風が強い日でした。この列車のためだけに帰省中の実家から兵庫県まで出掛けましたが、幸いにも順光で撮影できて、よきお年玉になりました。
 ダイヤは予定臨の急行スジですが、なぜかスピードがかなりゆっくりでした。こんな長い列車を高速で牽くのがゴハチらしかったのですが。
 そこは少しストレスを感じますので、もう1列車入れました。こちらは颯爽と通過するシーンです。

●構内放送(22.1.2)【謹賀新年/雪晴れの飯山線、キハ55系】

1982年の冬、鉄道研究会の合宿で訪れた飯山線。まもなく40周年。明けましておめでとうございます。東海地方は寒さが厳しいものの、穏やかな年末年始になっています。皆様いかがお過ごしでしょうか。
 私はと言えば、当初は12月頭には区切りになる予定であった業務がいろいろな原因で遅れており、その対応で完全には休めません。正月を感じられたと言えば、氏神様の八幡宮が初詣客で長蛇の列になっていたことくらいでしょうか。
 さて、年始最初の更新は撮影日からすれば少し早いですが、シリーズ40年前、40年雪晴れの飯山線にしました。大学は後期の試験期間が終われば2月初旬には春休みに入り、夏休みよりも長いくらいでした。2月11〜13の3日間は鉄道研究会の冬合宿。宿泊先は駒ヶ根ユースホステルでした。
 先輩たちは飯田線の旧型国電にどっぷりでしたが、同級生のうちの2名は「架線があるところでは撮らない派」でした。非電化路線と言えば、長野県内では飯山線か小海線になります。どちらも宿からは遠く、移動に時間がかかるという難点があります。それでも、82/2/13はDD16牽引の臨時列車が運転される飯山線へ行くことにしました。
 メンバーは1年生ばかり4人。「非電化派」の2名は風景重視。川を入れて撮りたいと主張して、列車重視の私ともう一人とは意見が合いませんでした。それぞれのこだわりを尊重しようということになり、2名ずつで別々の撮影地を目指しました。
 私たちは一旦飯山まで下見をした後、替佐駅まで戻りました。30分ほど蓮(はちす)寄りに歩いてたどり着いたのがこのポイントでした。
 この日は十日町雪まつりが開催されており、DD16の臨時列車がもう1本運転されました。しかし、それには間に合わなかったため、主目的は「戸狩スキー」号でした。(同列車についてはネガがカビに侵され、洗浄が必要なため、機会を改めます。)それに先立って来た普通列車140Dは増結されていたようで、7両という長い編成でした。
 キハ55系が主体で、塗装は急行色とタラコが混じっています。そして、キハ40が中間に挟まっています。さらに、キハ40の次はキハ52と思われます。当時、キハ40系は大量増備の途上でしたが、飯山線ではまだ入り始めたところというタイミングであったことが読み取れます。
 この写真、実は20年前にも掲載しています。そのときは、2002年4月にこのポイントを久しぶりに訪れたとして、そのときから20年前に撮影した写真を掲載したものです。
 本年もよろしくお願いします。

●構内放送(21.12.27)【品川で24系ブルートレインを入換中のDD13/地元の鉄道の2020年】

品川機関区には初期型のDD13の配属がありました。通常より半日少々遅れての更新となります。遅れているといえば、滋賀県内の大雪によって12/27、12時の段階で関ヶ原よりも西の東海道線がいまだに運転再開に至っていないようです。(→結局29日朝からの運転再開となりました。)
 さて、年内最後の更新となる今回は、碧海地区を離れた話題が主体になりますが、地元の鉄道、2021年の動きについて記しておきたいと思います。テキストのみとなりますが、ご了承願います。
 その前に、DD13+24系撮影時のエピソードに少し触れておきます。
 この日、1981.5.24は同じ学科の友人と東急の撮影に出掛け、その前に品川駅に立ち寄りました。彼は鉄研の所属ではありませんでしたが、授業の前の雑談で「僕も鉄道は好きだよ。Nゲージをやっているんだ。」と聞き、それ以来の長い付き合いになりました。
 写真の左側に写っているガイドさんと生徒さん。確か「こまどり」の修学旅行生であったと思います。それは、地元、中京圏から来ているということであり、プチホームシックの心境になったのを思い出します。

●名鉄:ミュースカイを使用したイベント列車と6Rの廃車

構内放送でも触れましたが、コロナウイルスの影響で中部国際空港からの国際線が大幅に減便され、名鉄のミュースカイも減便されています。空いている車両の有効活用として、イベント列車への投入がこれまでに3回ありました。そのうち2回は一般車との併結運転となり、好評を博しました。
 一方、6000系は特別整備(更新修繕)未施工車の廃車が進んでいます。代替となる9500系と9100系は早い段階でデビューしていましたが、6000系の廃車のタイミングがずれているのが特徴と言えます。
 (追記になりますが、1700系最後の1編成、1702Fが引退したのは2021年2月でした。)

●EF510が大府まで進出。反対に、EF64-1000は大府以東の運用消滅

EF64が担当していたフライアッシュ、炭酸カルシウム輸送の5767レ、5580レが富山機関区のEF510の担当になりました。交直両用の機関車が大府まで来るようになりました。
 一方、EF64については運用が大幅に減り、関東への運用が消滅しました。地味ではありますが、私有貨車の入出場列車の牽引もEF64から新鶴見のEF65PFに交替しました。
 8月には中央西線の水害不通により、東海道線経由で石油輸送列車の迂回運転が行われました。いずれもEF66-100番台の牽引となりましたが、検査切れしたものから運用離脱が進む同形の貴重な記録になるかも知れません。

●315系の試運転が始まる(EH200も試運転を実施)

315系最初の編成、C1編成が11/6深夜〜11/7の早朝にかけて出場、試運転を行って以来、現在までに第4編成までが出場しています。使用を予定している中央線のほか、東海道線や関西線でも夜間に試運転を実施しているようです。
 3月のダイヤ改正によって、中央線は終日8両編成に統一されるとのことです。315系以外の形式がどのような動きになるのかが注目されます。同改正以降、東海道線も増解結を極力行わない運行になる見通しです。
 他の中央本線の動きとしては、長らくEF64形1000番台の基本重連で運行されてきた石油輸送貨物列車にEH200形が投入される方針が見えてきました。12/12〜13日、および、12/16〜17の8081レ、6088レにてEH200-17+EF64の重連でタンク車を牽引しての試運転が行われました。(おそらくEF64は非常時バックアップ用で、無動力であったと思われます。)上下で機関車を入れ替え、EH200形が先頭に立っています。同好の方からは変電所への負荷確認が目的だと聞きました。
 ただし、現段階ではEH200形の増備は発表されていません。EF64形も全般検査を受けて間もないものがあることから、置き換えには時間がかかるものと思われます。

 今年もご覧いただきましてありがとうございました。来る年も碧電をどうぞよろしくお願いします。どうぞよいお年をお迎えください(21.12.27)

●構内放送(21.12.19)【太田川駅高架化10周年記念号】

太田川駅高架化10周年記念号。側面に日が当たる場所へ行きましたが、曇りがちなところ、幸いにも晴れました。コロナウイルスの影響で国際線の飛行機が大幅な減便を強いられている影響で、名鉄のミュースカイは控えめな運行となっています。空いている車両を使用したイベント列車が時折運行されています。
 今回は表題のとおりの列車名となりました。イベントの実施ありきの計画なのか、少々こじつけがましい名称ですね。それでも、復路の太田川駅では市長やアイドルも呼ばれての出発式が行われました。
 列車の特徴としては、ミュースカイ2000系が日頃運行されない河和線を走ること。また、これも普段は見られない他形式との併結運転を行うことです。
 6月に実施された9500系との併結運転が好評だったこともあるのでしょうか。今回は3100系を一般車として併結を行いました。公式発表では白+赤帯塗装でしたが、そのとおりの編成になりました。もし無頓着に赤塗装車を用いれば、クレーマーたちの格好の餌食になりかねません。
 特別車4両に一般車2両ではアンバランスなように感じられますが、増発の臨時列車としての運転であったことから、一般車が大混雑を招くような支障は生じないとの判断だったのでしょう。
 撮影ポイントの検討には太陽の角度を表示できるアプリを用いました。河和線の南側は概ね南北を向いており、昼頃の通過となると、太陽が正面勝ちになります。12時頃の太陽の向きを表示してみると、案の定サイドには陽が当たらない箇所が多いという結果になりました。そんな中、植大−半田口間は線路が若干東側に振れるため、光線状態はまずまずになると判断しました。
 しかし、朝はよく晴れていたのに、冬型の気圧配置の影響か、次々に雲が流れ込んでしまい、陰る時間が長くなっていました。それでも、通過数分前にはしつこくまとわりついていた雲が取れて、意図したような写真が撮れました。
 記念の「サボ」にこだわった方も多かったことと思います。これについては、かつてのような大きなヘッドマークで記念列車らしい装いには程遠いものです。過去を知るものとしては寂しいところですね。

●構内放送(21.12.12)【タキ1000形1000号】

21/12/1に日本車両から出場したタキ1000形1000号は21/12/6の8862レで関東へ川崎車両所における私有貨車の検査入出場はおおよそ月初めの日曜日に下り8863〜9863列車(出場車、廃車予定車)、翌月曜日に上り8862列車が走るというパターンが定着したようです。12/5(日)に9863レが走りましたので、12/6の8862レを注視していました。すると、12/1に日本車両から出場したタキ1000形10両であることがわかりました。今回の新製車の特記事項としては、タキ1000形の1000号が含まれており、記念の特別塗装、ロゴが施されているということです。
 ただし、「1000号記念」というロゴは山側だけとのこと。それをきちんと記録したいと考え、相見−岡崎間へ行きました。
 当日はあいにくの天候でしたが、晴れると山側に光線が回りません。この日ばかりは好都合でした。
 1000号は日車を出る段階では機関車、車掌車の次位。「前後賞」となる999号と1001号は後尾に付いていました。そのような組成になっていることがあらかじめ目撃情報でわかっていたため、狙いやすかったと言えます。
 タキ1000形は1号車の製造から28年が経過して、まだ増備が続いているのは驚かされます。

●EF80牽引「ゆうづる」編成の東大宮回送

1982.11改正以前は一部の夜行客車編成が尾久から東大宮操車場へ回送されていた。ここからはシリーズ40年前になります。1981.5.21、実は朝5時くらいから東大宮−蓮田の撮影地へ行っていました。雨だったのですが、せっかく起きたから行こうというところだったのでしょう。雨だけでなく、霧が出てしまい、まともな写真は残っていません。
 そして、早々に切り上げて大宮−東大宮間へ移動しています。どうも天気が急速に回復したようで、目的であった特急「ゆうづる」の回送は良好な光線状態で撮れました。
 「ゆうづる」は上野着が早いため、当時住んでいた東大宮からでは始発に乗っても間に合いません。しかし、上野から尾久へ推進回送された後、機関車を付け替えて東大宮操車場まで回送されていたため、「近場」で撮ることができたのです。走っているのは大宮から東大宮へ入出庫する回送列車の専用の線路になります。
 しかし、非効率なのは言うまでもなく、1982.11ダイヤ改正で解消されてしまいました。同改正では上越新幹線が大宮以北で開業したわけですが、在来線で廃止になった列車があったため、尾久の留置線に余裕ができたものと思われます。他にも東大宮までやって来る夜行列車編成がありましたが、機会を改めます。

●構内放送(21.12.5)【シリーズ40年前/初めてのお召電車撮影】

警備の警察官と183系+クロ157のお召電車が恵比寿駅を通過既に記していますが、40年前の1981年は進学によって愛知県を離れ、初めて埼玉県での生活が始まった年です。鉄道の撮影に関しては、当然ながら初めての連続で、期待感、感激の度合いは今とは比べ物にならなかったと言えます。連載している「シリーズ40年前」はそれを振り返る機会になっています。
 ワクワクしてその日を待ったものがいくつもありますが、その一つが今回扱う183系+クロ157のお召電車です。あと一ヶ月弱で40年前シリーズの対象は1982年になりますので、この機会に出しておきましょう。
 大宮のキャンパスでは週一回のペースで鉄道研究会の集会(と、言ってもフランクな雑談)があって、同級生から近いうちにお召電車が走るよと聞かされたのでした。
 お召列車と言えば、1979年(昭和54年)に愛知県植樹祭に伴うお召列車が走りました。しかし、走る2日間は部活の対外試合と重なってしまい、諦めざるを得ませんでした。そのためもあって、お召列車独特の空気を味わうのはこの日が初めてでした。同級生は撮影の経験があって、私は案内されてついていくだけなので迷うことはありません。
 カメラを向けていると、確か手荷物を調べられたと記憶しています。当時はホームで撮影する人も数えるほどでした。
 1979年頃までは牽引車は157系のクモハ、モハの1番、2番ユニットでしたが、既に引退して183系1000番台に変わっています。写真からわかりますが、警備の警察官、公安官(あいにく区別がわかりません)が列車に背を向けて立っています。通過時間が近づくと、上空にはヘリコプターが飛来して、一気に緊張感が高まりました。
ご紋章を掲げたクロ157-1 御料車はクロ157-1です。ツイートにも記しましたが、この頃、両陛下がご乗車になるときは、運転台が後ろ向きになるように連結されました。この時は伊豆の下田御用邸からのお帰りだったはずですが、往復で向きが反対だったことになります。
 183系の幕は無地にするため、白ではなく、車体のクリーム色に近い色になっています。これが目印にもなっていました。機関車牽引の1号編成とは違い、国旗の掲揚はありませんが、現地へ向かう道中など、かけがえのない思い出です。なかなかないチャンスを得られて、同級生、Kさんには改めて感謝したいと思います。

●構内放送(21.11.28)【東武鉄道の荷物電車/91.11.10撮影の画像の続き】

シリーズ40年前:東武鉄道の荷物電車モニ1471早いもので、もう11月の最終週になりました。本稿アップの11.28は朝から好天に恵まれました。こんな日に家にこもっていることはありません。しかし、鉄道の撮影はなし。業務用の年賀状に使用する写真を撮ってきました。
 さて、今回の更新ですが、2コマを扱います。いずれも関東で撮影したものになります。40年前、30年前はいずれも関東住まいだったということです。40年前の東武鉄道モニ1471号はツイートをご覧いただくことにして、30年前、1991.11.10に撮影した写真の続きです。先日、この日に撮った臨時列車を2本アップしました。(ツイート)
シリーズ30年前:1991.11.10撮影の写真から。 先にアップした「やすらぎ」の前に、EF81+EF65500番台の重連が牽引する貨物列車が通過しました。一見、EF65の故障救援をEF81が務めたようにも見えますね。後機もパンタが上がっていて、次無動ではありません。パン上げということは、次位機にも機関士さんが乗務していたということになります。
 この列車の重連区間など、詳しくはわかりませんが、早朝高崎線の撮影に出掛けると、何度となく撮る機会がありました。また改めてご覧いただくこともあろうかと思いますが、1988年には前後が反対でEF65が前の列車が写っています。貨車も一般の車扱いで、明らかに別の列車だったようです。つまり、どちらかが回送機であり、1つの列車にまとめられたために重連になったということのようです。
 EF81は田端の所属なので、JR東日本です。この当時、高崎線でも貨物列車の運用があったということになります。当時はまだそれほど貴重な列車という認識がなく、次位機がポールにかかっている中途半端な写真しか残せなかったことは少し悔いが残ります。

●構内放送(21.11.21)【315系の第2編成が出場】

落成後の公式試運転を行う315系C2編成(写真からひびきヶ原塚駅第6展示室へ移動します) JR東海ではまだ営業運転に充当されていない新形式車両を2週連続でご紹介することになりました。
 315系最初の編成が11/6深夜〜11/7の早朝にかけて出場、試運転を行ったことは11.7更新の本稿で触れました。そして、11.18には早くも第2編成が出場しました。
 HC85系は試運転が2年近くに及んでいます。それに対して315系はすぐに2本目が出てきたということは、第1編成が量産先行車ではないということになります。HC85系は電気式で、クモハ、クモロという形式を名乗っています。おそらく315系にも共通の部品が使われているものと思われます。そうであれば、技術的には確立されたものという判断なのでしょうか。
 2本とも8両貫通編成ですが、3.5から中央西線で営業運転を開始すること。中津川までのローカル列車は今後同系に統一される計画であるという公式発表が行われたのは、第2編成が出場する前日、11.17のことでした。
 幌や併結対応の連結器が省かれており、8両固定編成単独での使用が想定されているものと見られます。315系の製造が発表された頃、同好の方との沿線での世間話として、増解結を省きたいという意向があるようだという説を聞きました。実際にそのとおりになっていると感じられます。人件費の削減のほか、保安機器の高度化によってイニシャル、ランニングコストが高騰している先頭車を削減する意図があるように思われます。
 中津川までずっとロングシートではつらいものを感じますが、今後、どのように他線区に導入されていくのかは興味が持たれるところです。

●構内放送(21.11.14)【碧海エリアでHC85系をキャッチ】

日没直前の厳しい露出の中、ASA3200でなんとか撮影できたHC85新製から33年を迎えるキハ85系を置き換えるため、量産先行車4両が試運転を続けてきたHC85。JR東海としては初めてのディーゼルハイブリッド型を採用するためでしょうか。テストは相当な長期間に及びました。そして、21.10.22に製造元の日本車両に入場しました。
 その時に思ったのは、11.13には美濃太田駅開業100周年記念事業として、同形の展示が発表されているが、それに間に合うのだろうかということです。改造を行ったと言っても小規模なものであったとみられ、11.11の午後に出場しました。
 目撃情報を注視していましたが、キヤ97系「ロンキヤ」の検査に伴う入場時の回送(15:20頃であった)よりも遅い時間のようです。既に日の入りが16:49まで早まっています。途中駅で長時間停車すると撮影ができなくなる懸念がありました。
 16:30頃には安城駅で停車中であることが確認されました。日没時間が迫り、どんどん露出が下がっていきます。HCを追い抜いたと思われる快速電車の通過時には一時的に夕陽が当たりましたが、すぐに陰ってしまいました。
 既に感度をASA3200まで上げないと厳しい状態です。もうだめかも知れないと、やきもきしていたところ、野田新町駅手前の踏切警報機の点滅を確認。なかなか来ないのはじれったいものがありましたが、白いヘッドライトと特徴的なおでこの照明が見えて、ほっとしました。
 そして撮れたのがこの写真です。フイルムカメラの時代、ASA1600のネガカラーフィルムはありました。それを倍増感しても、粒子がボロボロに荒れて、ただ写っているだけになったことでしょう。それが、デジカメの進化によって、大幅な拡大をしなければ気にならない画質で撮れました。
 さて、碧電としては同系を初めて掲載しました。登場以来、いろいろな評価が聞かれます。キハ85系のほうがよい。前面展望車はできないのか。近鉄みたいだ。という声が主なところでしょうか。
 過度にカクカクなデザインが多い昨今、丸みを帯びて柔らかいデザインは優美さが感じられてよいと思います。また、現存の各車では、運転台ユニットが白とステンレスの継ぎ目が目立ち、「取って付けた」状態になっているのに対して、HC85では連続性がうまく処理されています。また、窓下にオレンジ帯一辺倒からやっと脱却してくれたところは評価したいと思います。

●シリーズ30年前:JR貨物のEF65F形が牽く「やすらぎ」ほか

シリーズ30年前:1991.11.10撮影の写真から。ツイートの「返信」に順次追加していきます。1991.11.10は高崎線、上越線へ撮影に出掛けました。2021.11.14のツイートではEF65501号の故障によって急遽JR貨物のEF65F形が牽いたお座敷客車「やすらぎ」、その後上越線へ移動して撮影したEF641001号機(茶色塗装)が牽いた「スーパーエクスプレスレインボー」を掲載しました。現時点では未完ですが、当日撮影した他の写真も追加していきます。


●構内放送(21.11.5、7追記)【おかげさまで21周年】

21にちなんだ形式は素直に伊豆急2100系にしました。2021.11.5に碧電は21回目の創設記念日を迎えました。長年にわたるご愛読をありがとうございます。
 さて、20周年は趣向を変えましたが、21周年は例年どおりに数字にちなんだ形式を記念画像としました。21という番号はあまり多くはないように思います。あまり凝った選定はせず、素直に伊豆急行2100系「リゾート21」にしました。この写真を撮影した当時はまだ第3編成ができたばかりで、私鉄車両としては初めて東京駅に乗り入れたということです。当初は快速であったものが特急になりました。
 私も社員旅行で乗車したことがあります。向かい合わせでリクライニングもしないシートでしたが、今となっては日頃乗れない電車に乗ったという一つの思い出になっています。
 以上、記念画像のみ開業記念日の本日中にご覧に入れます。(21.11.5)
 ここまでは開業記念日、11/5に掲載しました。以降は、この1年の動向を振り返ってみたいと思います。
 碧電における大きな変化。これはいうまでもなく、ツイッターを併用するようになったことです。トップページの更新情報を見ると、各駅の展示室の更新がほとんど進まなかったという印象を与えてしまうかも知れません。しかし、定期更新となる本稿「構内放送」のログを見ると、碧電エリアの話題は決して少なくはありません。1週間に写真を2枚以上掲載したことも多く、昨年よりは新しい(古い写真なので語弊はありますが・・・)写真の枚数が増えています。
 これまで、遠方の地域の列車、車両を掲載すると、目に見えて閲覧が少なくなりました。しかし、ツイッターでは注目していただける写真に地域的な偏りがなくなったと感じています。
 フォローしていただいている方はやはり人口に比例して大都市圏の方が多いようですが、特定の私鉄車両を出したときや、遠方へ出掛けたときの写真を出したときは、それをきっかけに関連地域の方がフォローしていていただくこともあります。それがこの1年に感じたことです。ご期待にはできるだけお応えしていきたい・・・。碧海エリア周辺だけにこだわることなく、幅広い話題を扱っていきたいと思います。
 最後に備忘録として。
 11/6深夜〜11/7の早朝にかけて、JR東海の在来線用新形式、315系が日本車両を出場。試運転を行いながら配属先の神領車両区へ入区したとのことです。週末の真夜中とは驚きました。深夜の出場はHC85系に続くものです。従前どおり日中に実施されていたら、情報が瞬く間に拡散され、駅や沿線でトラブルが起こりかねないという判断があったのかも知れません。これもSNS時代ならではの動向なのでしょうか。

●構内放送(21.10.31)【ご提供動画:名鉄デキ300形 布袋駅貨車入換】

動画の閲覧はこちらから名鉄貨物列車のご提供映像の第3回目になります。初回で犬山橋を渡る貨物列車の映像をご覧いただきました。その行き先は布袋でした。名鉄さんとしては、電車の高速化、高密度化、貨物扱い施設、車両の老朽化による維持費の増大という事情があり、貨物輸送を早く廃止したかったようです。しかし、荷主さん側の抵抗があり、名鉄貨物としてはかなり末期まで残っていたと伺っています。貨物の輸送方法が変われば、荷主さん側も施設や荷役機械等を変更、更新するといった投資が必要になるわけで、「止めますからよろしく。」では済まないということになります。
 その貨物輸送の末期の頃の映像になりますが、見たいところがちゃんと撮られていて、期待に応えられるものになっています。
 また、映像の中に係員と運転士さんが会話を交わすシーンがありますが、どのような状況なのかについて、撮影者の伊藤様より解説をいただきました。そちらはyoutube動画の説明文に記しましたので、ぜひご一読いただければと思います。一見何気ないシーンであっても、状況がわかることによって深みが出てきます。
 貴重な映像を快く公開に応じていただいた伊藤様に謝意を表します。


●20周年企画/ユーロ色のEF64+「ホリデーパル」

ユーロ色のEF6466+「ホリデーパル」20周年企画として20系客車の列車を特集してきましたが、このところ中断のような状態になっていました。予定していたものを話題の動向に合わせて差し替えたこともありますが、イマイチ不人気なのか?と感じたこともありました。既に20年以上前、1990年代末には引退した客車ですので、特に若手の方にはなじみがなくても無理はありません。
 しかし、以前から申し上げているように、碧電は万人受けを狙ってアクセスを稼ぐことを趣旨としていません。価値のわかる方に認めていただければそれで充分です。11.5が創設記念日のため、次回の更新時には21周年を超えていますが、「20周年記念企画20系客車」はスローペースにて継続します。
 前置きのような内容が長くなりました。今回は中央西線で撮影した「ホリデーパル」です。間に14系が入っていますが、20系を昼行の団臨にも使用できるように簡易な改造を施したものです。当初は原色のままでしたが、独自性をアピールするためか、塗装変更されました。機関車が白系主体の塗装のためか、違和感がなくなっていると思います。
 画像からツイートが開きます。ツイートの返信をご覧いただくと、当日、ツイッターのフォロワーさんがここで一緒に撮られていたことがわかりました。こういうことが時々あります。
 その他、ご指摘をいただいていますが、撮影区間の大曽根−「新森山」は「新守山」の誤記です。

●構内放送(21.10.24)【7300系「特急」の写真を高画質化】

7300系の森上行特急を再スキャン画像に差し替えました。(←写真から池鯉鮒駅第2B展示室へ移動します。)先週までに掲載したキハ8000系は2コマとも初めて公開するものです。若干のブレなどがあったことから、使用を差し控えてきました。20年以上もデジタル画像を扱っていれば、見る目が肥えて、テクニックも身に付きます。ブレを目立たなくするツールも導入しました。そこで、この機会にまずは1コマ、高画質化を図りました。
 選んだのは7300系の特急です。撮影した半年後にはダイヤ改正があり、特急は原則的に座席指定の列車になりました。そういう意味では、吊掛車の「特急」を撮っていた当時の私を褒めてやりたいところです(笑)旧式のままの台車の時代であることも評価ポイントです。
 ただし、大きめの画像に差し替えることによってファイルサイズが約2倍となります。使用しているサーバーの容量の関係で、高画質化を積極的に進めるのは難しい状況です。その写真を話題にするような機会があればというところです。

●9周年企画(23)キハ391も画像差し替え

1991年10月、おおみや鉄道祭による大宮工場一般公開で展示されたガスタービン試験車キハ391こちらは9周年企画第23回で掲載済みの写真ですが、撮影から30年となりましたので、「シリーズ30年前」扱いにて改めて紹介します。9周年企画の当時、使用していたスキャナーが劣化してきており、色のにじみやくすみが見られるようになっていました。中古でお譲りいただいたDimage-F3000というスキャナーを使いこなせておらず、思うような画質が得られなかったのが、不具合が出始めていたスキャナーを騙し騙し使ってきた理由です。このような傾向は12周年企画でも同様です。
 前半でデジタル画像に対する技能の向上について触れました。容認できない水準のものは再スキャンしたものに順次差し替えたいと思っています。今回は第23回(画像から入れます)のほか、第25回(EF200-901とEF500-901)の画像を差し替えました。(21.10.24)

●構内放送(21.10.17)【名鉄キハ8000系の続き、名古屋283D号】

平日は「名古屋281D号」。日曜、祝日は「名古屋283D号」となり、時間が30分くらい遅かった。先週アップした名鉄キハ8000系の「豊橋60D号」はさよなら北アルプス(1)のページで常設します。そして、豊橋で折り返して戻って来た「名古屋283D号」については、ツイッターに先行掲載しました。予想外の好評をいただいており、驚いています。
 最高1/250のコンパクトカメラによる撮影のため、先頭部はブレていますが、それを軽減する処理を施しています。あとは傾きを若干修正しただけで、大幅なトリミングはしていません。当時中二だった私としては二重丸の出来栄えです。2週にわたって掲載した2コマは撮影から45年にして初めての公開となります。
 同車に関しては、初日であるこの日が最も真剣に撮ったと言っても過言ではありません。その後、何度となく撮ってはいますが、撮影地の知識が広まった今、あそこでも撮っておきたかったなどと、今さらながら思うところです。
 この撮影地点は向かって右側に高層のマンションが建ち、冬場は影がかかるようになりました。しかし、今のところ高いフェンスができることもなく、手軽に撮影が可能です。

●関西線のDF200重連8075レ

西日を浴びて走るDF200重連8075レ(←非ツイッター)例年、10月に入ると雲一つない快晴が期待しやすくなります。しかし、今年はどうも天候がイマイチです。連日曇りがちないしは雨天という予報が続いています。そんな中、10.15は朝から快晴となりました。
 関西線の8075レは見かけながらも重連運転が名物になっています。(次位機はアイドリング状態)昨年はDD51が先頭に立ち、3月で引退予定という報道があったため、沿線は過熱気味となりました。
 昨年は白鳥信号場付近に同時期に行っています。日没が日々早まるため、なんとか時間を取って出掛けました。集まったのは7〜8名だったでしょうか。昨年よりも大幅に減っています。
 しかし、いずれかのダイヤ改正で運用や運転時刻が変わらないとも限りません。撮れるときに撮っておく。それが鉄則だと思います。
 信号場にはここで交換する快速「みえ」が先着し、それを確認するかのように8075レは加速していきます。エンジンよりもモーターの音が大きく感じられます。DF200は発電機を積んだ電気機関車なのだと改めて感じました。

●構内放送(21.10.10)【名鉄キハ8000系特急塗り分け45周年】

私にとってキハ8000系初撮影の1コマまずは碧電エリアの話題から。(ツイッターにはまだアップしていません。写真から「さようなら特急北アルプス(1)」のページへ移動します。)
 本稿アップの時点では半日近く早いのですが、45年前、1976.10.11の7時過ぎ、名鉄キハ8000系を初めて撮影しました。
 当時私は中学生。国鉄びいきが強く、名鉄ほかの私鉄を毛嫌いしていました。それを打ち砕いたのは、級友が新聞の切り抜きを持ってきたキハ8000系「北アルプス」特急格上げの記事です。国鉄のキハ58のような塗分けがキハ82に似せたものとなることは予想外でした。とてもよく似合っていて、思わず「格好いい!」と口走りました。その級友を含めて数名で知立市内へ出掛けたのは、それから約10日後のことでした。
 この日は控えめでしたが、以降、すっかり名鉄にはまってしまったことが訪問頻度からもうかがわれます。
 この時期、AL車と呼ばれる旧型車はスカーレット化、すなわち、赤1色塗装への塗り替えが進んでいました。もしキハ8000系「北アルプス」の特急塗装化がなかったら、相変わらずの名鉄「食わず嫌い」が続き、旧塗装車を撮り逃した可能性が高いのです。
 今回お目にかけるのは記念すべきキハ8000系撮影の1コマ目。豊橋60D号です。

●貨物列車併結の大宮工場出場車キニ55形

貨物列車に併結されて突然姿を現した狭幅気動荷物車前回ご覧いただいた急行「津軽」と同じ日、下りの貨物列車の最後部(ただしその後ろに車掌車あり)に併結された気動車の荷物車を見かけました。大宮工場で整備を受けたものと思われます。外観上、塗装が部分的に補修されているのみですが、重要部検査だったのでしょうか。
 車番はキニ554。狭幅車体はキハ10系の一員であることを表しています。この時代にまだキハ10系が残っているのは意外に感じられました。
 55という番号ですが、キハ55系ではありません。種車はキハ17の2エンジン版、キハ51でした。一般型気動車の2エンジン車は50〜54が両運転台、55〜59は片運転台ですが、キハ50、51は例外でした。ならば、そのままキニ51でもよかったのではないかと思いますが、片運転台車の規則を守ったため、キハ55系の一員であるかのような番号になってしまいました。
 今ならば工場の検査出場車は編成ごとの試運転、回送が一般的です。気動車運転士がいない区間では単独仕立ての機関車牽引列車となるのであろうと思われます。
 40年前は写真のように一般の貨物列車に併結されて入場、帰区するシーンが時々見られました。後方に連結されたのは、気動車の連結器は貨車よりも強度が小さいからと言われています。
 キニ55は常磐線の荷物列車用で、所属は水戸です。どのような経路で水戸へ戻ったのでしょうか。
 右側に白帯の貨車が写っていますが、配給車代用として使われていたものです。車両の配置区へ保守用の部品を運んでいました。

●構内放送(21.10.03)【シリーズ40年前:EF58102けん引の急行「津軽2号」】

早朝の東北本線を上野へと向かう急行「津軽2号」。当時はここが有名な撮影ポイントだと知らずに撮っていました。この週末は好天に恵まれました。しかし、私はどこへも出かけることなく、自宅にこもっていました。日頃、業務のことはあまり書きませんが、今回は愚痴ります。
 今年は手切れの悪い仕事が重なって困っています。そのうちの一件をいただいているところから、日曜日に出社して確認するから土曜日中に資料を揃えてくれと・・・。結局、日曜日は朝から地域の清掃活動。午後は手直しや追加請求があって、対応せざるを得ませんでした。
 この仕事、元々は昨年11月から今年3月末までの工程でした。もう倍以上も引きずられています。なかなか殺生な話です。フリーの立場だから仕方ないと折れるのではなくて、撤退されては困りますと言わせるくらいにならないといけませんね。
 さて、今回の1コマ目は進学して2ヶ月目に撮った東北線の急行「津軽」です。10系寝台車が連結されている急行列車では数少ない手持ちになります。碧電では10年前にも公開したかと思いますが、今回は再スキャンで画質を向上させました。
 学校に近い学生向けアパートから近かった東大宮−蓮田間。東京近郊の有名撮影地です。40年経っても雰囲気があまり変わらず、今も当時と変わらないアングルで撮影ができるのは奇跡的です。
 しかし、当時はここが有名なポイントとは知らず・・・。この日の少し前、もう少し蓮田寄りへ行ってみようと、たどり着いた場所でした。

●東京までやってきたJR九州のキハ183系「オランダ村特急」

東京までやってきたJR九州のキハ183系「オランダ村特急」急行「津軽」はEF58の機番が102号機で、公開日、10月2日にちなんだものでした。102のほか、1002でもよいので、何かないかと考えました。すると、数日前にスキャンしたばかりの画像の中に該当がありました。
 キハ183系1000番台。JR九州の新特急車「オランダ村特急」がELけん引で東京までやってきたときの記録です。1988.3.6のことです。先頭車はキハ183-1001および1002ですが、1002番と特定できたのは「JS3VXWの鉄道管理局」さんの珍車ギャラリーという記事からでした。3両時代の1001番の写真が掲載されていますが、連結器の横のホースが片側にあります。反対側は両側にあることに気づきました。そちらが1002番という判断をしました。
 こちらのサイトは9周年企画第28回:阪神8901Fでも参考リンクをお願いしました。
 その後、この車両は何度も装いを変えていますが、この塗装の印象が強いせいか、個人的にはもっともしっくりと来ます。
 乗車する機会を得たのは2003年の春。当時は特急「シーボルト」の末期で、塗装は初代のこれに近いものでした。
 この2コマ、当初は圧倒的に「津軽」の閲覧が先行していました。しかし、本稿アップの時点ではかなり拮抗しています。・・・その後、「津軽」はフォロワー、投稿が多い方からリツイートされ、再び引き離しました。

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