歳時                     戻る



2019.10.31
 首里城が火災で焼失。
 明け方のニュース映像を見て、言葉を失う。
 つい1ヶ月前に訪れていたのに・・・

「串八景」が今日で閉店。
 2002年1月の来阪時、随分お世話になった。
 月日は巡る。
 昨日まであたりまえだったことが、いつの間にか様変わりしていることに
気づき、人は歳をとったことに気がつくのかもしれない。

2019.10.28
 高雄病院へ。
 朝イチ7時に家を出る。
 最近9時頃に家を出ているため知らなかった。
 朝の空気が冷涼になっていた。
 季節は巡っているのだな。

2019.10.27
 クリーニング屋へ夏物衣料の回収。ヤナギヤ

2019.10.25
「咲花草」で生ビールとワインを1本、「オーガスタ」でカクテル3杯。梅
田駅に向かう途中で転んだ。また唇が切れている。前歯が痛い。右手中指は
捻挫したようだ。膝もすりむけている。沖縄の再来だ。とほほ。ホント進歩
がないね。

2019.10.22
 富士山、初冠雪。観測史上3番目の遅さ

2019.10.21
 ヤナギヤにクリーニング半分出し
 今シーズンはあまり袖を通さなかった

2019.10.06
 冬物コート類のクリーニング回収

2019.09.30-10.04
 ボーイング767の伊丹、那覇便は、ガラガラ
 9月末からで街は空いている。暑さはかわらず。首里城を歩いただけで汗
みずくになった。ジャケットは濡れ雑巾状態。まだジャケットはいらん。シ
ャツもパンツもズボンも濡れ濡れ。夏の沖縄は、昼と夜の2着の服が必要な
のを思い出した。
 ジャッキーステーキハウスに18時ちょい前に入店。待ちなし。ただし自
分の番で満席。
 それでも、ものすごい行列にはならない。
 サイズと重量の備忘・・・テンダーロインL250、M200、S150、
ニューヨークL250、S200
 首里城は増殖中。今年2月から東の展望台までが開放された
 琉球珈琲館がかわってしまった。店内一新。机や椅子をとっぱらってかな
りオープンな空間。席に着く前に支払う形式。なんか悪いほうに変わってる
な、自分にとっては。カタコトの日本語の店員。安らぎ度が落ちちゃった。
 首里図書館、役に立った
 おきみゅーの資料室、役に立った。
 円鑑池から龍潭への水の流れ、その流路を見た。カリオストロの城だな
 ゆいレール、てだこ浦西まで10月1日に開通。行ってきた。駅まわりに
は何もなし
 2日券1400円。なんと本当に48時間有効。買ったのが30日10時
40分。2日10時40分まで有効。
 儀保の界隈を散策。
 今帰仁城、今帰仁城前って停留所から30分登攀
 中城城、久口から30分登攀
 勝連城はバス停の目の前にある。ロープに足がひっかかって転倒。
「シェフズテーブルサクモト」の2日目は沖縄食材で沖縄料理と泡盛
「ha-na」は1年ぶり以上間があいていたが、覚えていてくれた。

2019.09.27
 志の輔落語を京都春秋座で。
 壷算と抜け雀。
 相鉄フレッサイン京都祇園烏丸に投宿。

2019.09.26
 北海道では、氷点下の朝。標茶町ほか7地点で。標茶はマイナス1.7度。
 久しぶりに4時半起き。
 札幌10.4度 東京21.1度
 日の出は札幌5;25 大阪5:48
 
2019.09.19
 北海道、大雪山黒岳・旭岳、羊蹄山で初雪

2019.09.18
 2、3日前、夜、エアコンを止めた。眠れた。
 昨夜も止めたが夜半、目を覚ましてやや寝苦しさを感じて、作動。
 季節は一歩一歩進んでいる。
 今宵もエアコンを止めて就寝。

2019.09.15
 記念日。30年間の締めくくり。日曜日だったからゆきつけの店は休み。
「ビストロえくうす」
でKへの慰労も含めて旨いモン食った。
 淀屋橋でKと別れて「オーガスタ」へ。
 30年間の一区切りをうった日に立ち寄るには最適の店でもある。
 今日、Kがいなければ、たぶん京都Vespaに行っていた。

2019.09.09
 台風15号が関東直撃。千葉に上陸。
 関東上陸時、最大風速40メートル、960hPaは過去最強クラス。
 JRは計画運休を発表していたが、台風通過の翌日の首都圏のJR、私鉄
各駅では通勤通学の出勤登校難民が溢れかえることに。
 千葉の被害は甚大。
 ほぼ千葉全域で停電。完全復旧は1週間たってもならず、停電による、断
水(ポンプが動かず)など付帯的被害も大きかった。
 1個の台風でここまでの被害が出るとは、都市機能の脆弱さが露呈したと
言える。いや、千葉は千葉市や市原市など東京のベッドタウン以外のエリア
はかなり雛だから、しかたないのか。
 石垣島や沖縄のように台風慣れはしていないだろうし。

2019.08.12
 ジョーシンで扇風機を購入。
 駅前のパパママショップを覗いたら、たかが扇風機が皆1万円台。
 予算とまったくかみ合わない。
 高度な機能などいらんのだ。そもそも扇風機の高度な機能って?
 ジョーシンの最安値物件は2500円。
 買おうとしたら、リモコンがついていなかった。
 リモコン付きにして、2700円。
 適性価格だ。

2019.08.04
 ジャケットを着ないで外出。
 冷房が効いている空間で、(寒っ!)
 糖質制限のおかげか、暑さに強くなったが、冷房に弱くなったかもしれな
い。

2019.07.31
 いよいよエアコン稼動。
 とにかくいきなり暑くなった。
 終夜稼動開始。
 設定温度は28度。
 扇風機が死にかけている。
 スイッチを入れても回らない。
 手で羽をぶんまわすとやっと回り始める。
 昔の車か?

2019.07.29
 東京梅雨明け、平年より8日遅く、去年より30日遅い

2019.07.24
 関西は梅雨明けした。
 去年より15日遅いそうな。

2019.07.22
 朝イチで東京に向かう。
 風呂上りのマッサージチェアでも嫌な汗が流れて、電動歯ブラシの使用を
早々に切り上げ、ベッドにひっくりかえり、バスローブをはだけて扇風機に
あたりまくる。
 駅のホームで冷や汗が流れ、自販機からミネラルウォーターを購入して喉
に流し込む。
 何かあって、通勤途中で倒れて救急で運び込まれるか、死んでしまうのは
こういうときなのかもしれない。

2019.07.17
 2日前の腹筋運動で筋断裂をおこしたらしく、腹筋運動をしたら、起き上
がれない。
 腹筋が痛い。
 ほとんどからだを倒さない腹筋でノルマの50回をごまかした。
 現代社会は情報過多だ。
 いろいろな連中が、それぞれの経験や理論から、それぞれの方法論を発信
している。
 腹筋運動についても実にさまざまな型がTVで報じられている。
 とりあえず、四捨五入してしまって、背中を床まで戻すかどうかが、筆者
の興味の的である。
 あるトレーナーがTVで曰く「床まで背を倒さずに腹筋を続けた方が負荷
がかかる」
 やってみた。
 実はもう何度かやっている。
 結論は「床まで背を倒した方がつらい」である。
 今回の筋断裂も、一昨日、ゆっくりと床まで背中を倒してやった結果なの
だ。
 情報は、自分で吟味しなさい、ということである。

2019.07.13
 冬物衣料のクリーニング出しは、2店にわたっていた。
 なぜ2店に分かれたかと言えば、割引セールの期限のズレによる。
 早めにセールが終わる店は自宅からやや離れている。(老母を川崎から大
阪に迎えるために転居したのだが、その転居前に常用していた店だ)
 ここに所有する冬物衣料の半分を巨大なバッグ2個にぎゅうぎゅう詰めに
して、季節外れのサンタクロースのような姿でチャリにまたがり店まで運ん
だ。(そもそもこのチャリは、この作業のために買ったようなものなのだ。
電動アシストでメチャメチャ楽である)
 しかし、自宅と店を2往復する気力はなかった。
 自宅そばのクリーニング屋がGWをかなり過ぎたころにセールハガキを送
ってきたようななんとなくの記憶にすがって、それを待つことにした。
 結局、かなり遅くなってハガキが届いたが、割引率がよくなかった。
 うろ覚えは駄目である。
 実は先に出した店の割引セールは、5月と7月に分かれていて、どちらで
出しても割引率は同じ。
 だから、7月まで衣料の搬出を待てば、有利な値段で取り引きできる。
 しかし、ここで問題が生じる。
 待てないのである。7月まで。
 この歳時で何度も書いているとおり、去年の10月から筆者はそれまでの
日常を完全に喪失してしまっている。
 東京と大阪を往還する日々の中で、自分の私生活に割ける時間がかなり少
ないのだ。おまけにクリーニング出しは雨だと不都合だから、天候にも左右
される。いきおい、出せる日は、当日決まることになる。
 ちゅうことで近場の店に、やや不足を感じる値引き率でクリーニングを出
したという次第である。
 あれ?
 何を書こうとしてたんだっけ?
 あ、そうだ。
 5月末仕上がりの冬物衣料を、今日、取りに行ったということを書きたか
ったんだ。
 搬出完了を確認
 まだエアコン稼動していない

2019.07.12
 搬出準備

2019.07.11
 東梅田パークビルでの営業最終日

2019.07.05
 PT。3日前にやったからか、腹筋の感覚は戻った。

2019.07.02
 PT。久しぶり。腹筋50回が辛いくらいに久しぶり

2019.06.29
 沖縄、梅雨明け、去年より6日遅い。

2019.06.28
 扇風機、スイッチをいれると、ゆっくりと羽をまわして、やがてとまる。
前面カバーをあけて、昔の車みたいに手でぶん回すと回り始める。
 寿命か。
 稼動のたびにキュルキュルと歯軋りのような異音を発し続け、しばらくす
ると「しょーがない、動いてやるか」とでも言わんばかりに緩慢に羽を廻し
ていた。
 この後も稼動のたびに、手で羽をぶん回し続けたが、8月も中盤になると、
気持ちを入れ替えて正常に動き始めた。

2019.06.26
 大阪、入梅。最も遅い。
2019.06.14
 亡父の祥月命日法要を菩提寺で。
 年に1回、死者と向き合い続けて、もう15年になるか。

2019.06.09
 いよいよデジタル体重計。それも香典返しのカタログギフトから
 でもオムロン。
 メーカー品。
 一応、体重、体脂肪率、内臓脂肪、BMIを表示する。
 34年間使ってきたアナログ体重計よさようなら。

2019.06.08
 博多、デイトスの地下の「もつ鍋おおやま」で姉(あね)さん、ひとり呑
みに遭遇。
 しかも2人連続。
 姉さん席と命名。
 二人目の姉さんは、白いブラウスに明るい緑のスカート。実はこれ、筆者
の好きな組み合わせだ。

2019.05.25
 クリーニングの半分を出す。
 今回はマンションそばの25%割引の店。
 31%の店の次の受付は6月14日で、それまでは待てん。それに残りの
衣料は15000円程度だから、差額は900円程度。これくらいなら出し
ちゃえ、と巨大バッグ2つとさらに一袋・・・あれ?ちょっと多い?
 15000円の予算だったが20000円近くを支払った。
 残りの衣料を見誤ったか。
 年始にトラウザーを5本買った。
 これが誤算の原資か。

 大阪は今年初の真夏日。
 明日も今日以上に暑くなるらしい。
 エアコンはまだ稼動していないが、こういうときに老人は熱中症になるの
だろーなー。

2019.05.23
 ホワイティのドトールで、「謎のカップル」を発見。
 出勤か同伴かのルートを変更したわけではなかったのか。
 なにがなしホッとしている。

2019.05.19
 クリーニング出し。
 マンションのそばにあるクリーニング屋からはGW明けに割引セールのハ
ガキが届く。
 ハガキがいつ届くかやきもきするのが嫌で、老母来阪前に住んでいたマン
ションそばのクリーニング屋に冬物を出してしまうのがいつものことだった。
 去年も、このちょっと距離のある店にクリーニングを出すことになり、電
動アシストのチャリを購入したのだ。
 今年は、GW明けにハガキが届くという確信のもと、クリーニング出しを
控えていた。
 昨日の夕、やっとハガキが到着。
 しかし、割引率が25%になっていた。
 遠くの店は31%。
 結局、チャリにまたがり、巨大バッグ2つ分を預ける。
 ほぼ同量の冬物衣料があるのだが、これを近場の25%にするか、思案中。
31%割引の店の割引期間が明日までなのだ。ただし、もう一度6月14日
から同じ割引率でのセールが始まる。6月中旬まで待つかどうかの判断なの
だ。

2019.05.17
 ホワイティの泉の広場撤去工事に伴う東方面出口に閉鎖によって通勤経路
に微妙な変化が生まれた。
 曽根崎警察の前から地上に出てそのまま東進するか、富国生命ビルのエス
カレータを使って地上に出て阪急東通商店街を東進して中通商店街をちょっ
とだけ南進するかの二択を日々行っている。
 朝、6時半の開店と同時にコーヒーを喫する習慣は変わっていない。
 この店にも常連はいる。
 朝のホームのようにコードネームを付している。
「黒いオバチャン」「ナスのヘタ」「渋いリーマン」「謎のカップル」
 泉の広場撤去工事開始以来、「謎のカップル」の姿がなくなった。
 7時過ぎに店を出て、泉の広場で北上ルートをとっていた年齢差のある謎
のカップルだったが、出勤ルートか同伴ルートかは知らねども、ルートの消
失によって、朝の習慣を少し変えたのかもしれない。
 最近、変化に対して少し過敏になっているかな。

2019.05.11
 抜けるような青空。
 先週、近江坂本で山登りをして運動意欲が復活している。
 どこか、城山に行きたいような天気だ。
 しかし、ここは我慢して千里の図書館へ。
 青空も飲み屋もなくなるわけではない。(店はたまになくなるけど)
 しかし、時だけは、今しか使えない。
 いつでも使える時ならば、いいのだが生憎、ここまでというリミットのあ
る時と向かい合っている。
 
 今日も半袖
 5月5日からインナーを半袖にしているが、いよいよ今日からジャケット
を着ずに外出。
 家のそばにあるヤナギヤのクリーニング割引セールのハガキはまだ届かな
い。

 キャリーバッグは、キャスターが命だ。
 走行音があまりせず、滑るように転がる。これが一番大事。
 次いで仕切り。
 細々とした物をそれぞれの性格ごとに分け入れることができる仕切りが多
いと嬉しい。
 そして、それらの開閉、出し入れが容易であるとさらに嬉しい。

 先般買ったエースのキャリーバッグはキャスター◎、仕切り△
 以前からの小さなキャリーバッグはキャスター△仕切り○
 なかなか「この逸品」というものには出会わないもんだ。

2019.05.09
 横浜オフィスのオーナーへの引渡しと、NTT関連の最後の工事に立会い。
 横浜オフィスを閉じた。
 立ち上げの2005年、筆者の発意で設立したわけではなかったが、準備
はまかされた。1週間ほど横浜にいたか。
 あの頃、駅前には東急エクセルホテルがあった。
 当時オーナーだった、気持ちのいい専務は、いまや社長とのこと。
 引渡し担当者から社長からくれぐれもと挨拶をされ、往時を思い出した。
 内装工事の最中、JR西日本の福知山線脱線事故のニュースに遭遇した。
 あれは2005年4月25日だから、14年前のことだったのだな。
 横浜オフィスの歴史は14年間。

2019.05.08
 朝イチからの工事なので朝イチの新幹線でも間に合わない。
 前夜、横浜入りとなった。
 だったら、4月末に行った「柳せ」に行こうじゃあありませんか。

 梅田のホワイティにある「泉の広場」は今日まで。
 明日からは解体工事に入る。
 周辺の区画を閉鎖することになるので、区画内の店は皆閉店していた。

2019.05.05
 日吉大社の境内にある八王子山山頂近くに奥宮がある。
 八王子山は標高381m。前回、城山に登ったのはいつのことやら、とい
うほど体を動かしていなかった。
 登った。死にかけた。詳細は「紀行」をご覧ください。

2019.05.03
 昨日に引き続き、今日も春モノジャケット。
 しかもインナーはいよいよ半袖。
 朝の電車が空いているから早起きはしない。
 目覚ましをかけずに自然の目覚めに起床を委ねる。
 6時ちょい前に目を覚ますね。
 昨日もそうだった。
 風呂に入るのを止めてシャワー生活に戻したら、朝の時間にゆとりが生ま
れる。
 ひさしぶりにPT。
 腕立て伏せ、腹筋、スクワット、腕のストレッチ。
 
 電車は空いている。
 梅田駅のホーム、何か落ち着いている。というかすこし元気がないぐらい。
十連休に疲れたのかな、駅も。

2019.05.02
 書斎の整理。
 ほぼ老母の物置と化していた。
 齢90を超えているから、力仕事は無理なのだ。
 なるほど、こうやって部屋がゴミ箱化していくのかと納得しきり。
 老化のせいもあるが、キッチンまわりを見る限り、整理能力にも疑問なし
としない。
 とにかく、ダンボールを解体し、テーブルの上を綺麗にして、ハンガーも
ひとまとめに掛けるフックを設置。空き瓶をマンションの廃棄BOXに並べ、
老母の保険や契約関係書類を再ファイリングした。
 ひさしぶりに家内のJOB。
 気分が良くなったゾ。
 ジャケットも春むけにした。

2019.05.01
 横浜オフィスの閉鎖作業で体を動かしたからか
 軽い筋肉通とちょっとしたフワフワ感。
 こりゃ、今日は1日ポンコツだわ。
 あと1回、横浜に来るが、それで横浜オフィスは完全にジ・エンド。
 たぶん、これからの人生で横浜(ここ)に来ることはないだろうな、と思
うと少し感傷的になる。

2019.04.30
 横浜オフィスの撤収作業。
 どんなに口をすっぱくして、作業イメージを伝え、早めの準備を促しても、
ゆとりのある準備は絶対にできないのが筆者の会社の悪弊。
 今回は少しまともだったが、それでも合格点ギリギリだった。
 自分は体を動かさなくて済むかと思っていたが、甘かったな。

 ホテルへの途上にある「牛角」に目をつけていたが、満席で2時間待ちと
言われた。お一人様が嫌われたか。
 うろうろしていたら「三浦三崎鮮魚料理 柳せ」に出合った。
 オーダーことごとく品切れだが、店長と調理場の2人の姿がいい。あるも
のを先に言えなんて思いながらも腰を落ち着けて酒食を楽しんでいたが、そ
ーか十連休か。市場なんてやってないよな。漁師も海に出ないか~なんて、
二人との会話を楽しむ。
 契約漁師がいるみたいで、なんとか入荷はしているらしい。
「呑むの速いですね~」
 いつもの評価。 

2019.04.27
 朝シャン復活。

2019.04.21
 反省しきりである。
 きかっけは昼前の血糖値測定。
 何も食していないのに、暁現象で164台をたたき出した。
 かなりデスベレートな気分になってしまった。
 絶食を数日実施して、高原状態を脱するか、昼酒で血糖値を落とすか、こ
のまま放置するか、三択で悩んだが、結局アルコールブロックに頼ることに
した。
 京都に向かう。
「祇園みずおか」に予約を入れた。
 河原町で降りたのは測定の1時間後、駅でもう一度測定したら143まで
下がっていた。
 それでも高いことにかわりはない。
 ボタンの掛け違いのように、今日は出る目が少しずつ狂っている。
「祇園みずおか」の今日の姫懐石コースは筍ずくし。
 それはいい。
 合間の料理がもち米だったり、筍ずくしだから筍ご飯だったりする。
 食い意地に負けて食べてしまった。
 それでも食後2時間強の血糖値は132。
 大阪に戻り、新大阪の「赤白」へ。
 子羊のステーキを頼んだら、山盛りのポテトが添えられていた。
 4本ほどいたずらした。
「赤白」を出たときの血糖値は133。
 ここまではよかった。
 何かタガが弛んでいたのだろう。
「赤白」の後、「だるま」に入店してしまった。
 駄目だろう。串カツは!
 結局21時に血糖値を測ったら179だった。
 食後の血糖値はあるいは200を越えていたかもしれない。
 グズグズだな。
 朝から、気力が萎えてしまった。
 今日も暁現象だ。
 10時半の血糖値は145。
 普段の昼飯タイムの11時半でも143。
 昨日に引き続きデスベレート。
 こうなったら、今日は昼を抜いてやる。

2019.04.20
 抜けるような青空。
 1日中、雨の懸念はない。
 土曜日。
 ちょっとした仕事はするが、公的にはオフだから朝イチで仕事は済ませる
ことができる日。
 日常を喪失し、生活のダウンサイジングなんぞ考えてもいなかったあの頃
なら、まず間違いなく倉敷あたりへ行っていると思える行楽日和(このファ
ミリーな語感がちと嫌い。なぜなら独りモンだから)
 失われた日々を懐かしみはするが、ダウンサイジングを始めて5ヶ月目と
もなると、金銭感覚がペーペーの昔に戻りつつあることを自覚する。
 家に帰れば、家族がいて、食事は家で。というルーティンをもてなかった
から酒食に金をつぎこんでいたわけだが、今、筆者は架空の家庭を持つこと
にしている。つまり、家に帰らねばならないイメージで自分を縛るトレーニ
ングをしている。そしてそれが哀しいかな、身につき始めたのである。
 効果はあるが、でも・・・やっぱ、ちょっと悲しいよね。

2019.04.19
 自宅の机の上を整理した
 ほぼ死んでいるLavieも書斎に移した。
 ひさしぶりに机が綺麗になった。
 
2019.04.17
 漂泊したい。
 この半年間、出張以外では、どっこにも行っていない。

2019.04.13 都の桜Ⅱ
 トレンチコートを脱いだ。(爾後、着ていない)。
 用務で京都に行った。
 業後、せっかくだからと、取引先の社長に紹介された原谷苑へ向かった。
 遅咲きで有名なのは、建仁寺と原谷苑らしい。
 期待度マックスで入園料1500円を払う。高いゾ!
 感想はネタ不足で更新枯渇ぎみの紀行に載せるか



2019.04.08 都の桜
 検診のため、京都高雄に向かう。
 これまでは京都駅前診療所だったのだが、テナント代の高さに撤退を決定し、
高雄の本院のみの診療になってしまったからだ。
 高雄は遠い。
 田舎だ。
 京都駅から嵯峨野山陰線で花園に向かう。
 花園からはタクシーでしか行けない。
 これまでは半休で検診をうけていたのだが、これからは1日がかりになる。
 検診が終わって、せっかくだから京都の桜を愉しむことにした。
 関西は、今が桜の最盛期だ。いつものことながら、東京とは1週間以上のタ
イムラグがある。
 二条城にむかったが、券売所の前に100メートルほどの行列が伸びていた。
 即座に撤退を決定。
 金を払って、人の頭ばかり見ることになると思ったからだ。
 無料で楽しむならいつもの通り加茂川端だな。浮気はイカンということか。
 往復で3キロほどを歩き、満喫した。 
 


2019.04.02 焼肉
 目覚めたときから疲れていた。
 年に数回、あるかないかの疲労感。
 珍しく「会社に行きたくない」と思いながらも、それが習慣で寝床でぐずぐ
ずすることができない。
「生活空間から離れたどこかのホテルに投宿して温泉に浸る。そしてどこかの
居酒屋のカウンターで明日のことを気にせずに杯を傾けたい」
 そんな空想を頭に浮かべることなどそうはないのだが、これは昨日、東京に
日帰り出張をした反動だろうか、それとも自宅で飲んだワイン1本が必要以上
の酔いと疲れを引き出したのだろうか。昨夜は適量の範囲を1ミリリットルも
超えていないというのに。
 種々の決済、判断すら物憂いが給料分は働かねばならないので定時を30分
ほど越えてから職場を出た。
 ゆきつけの店が頭に浮かんだ。今宵はそこに行こう。
 エレベーターホールで休日出勤をしていたSが待ち構えていた。完全に狙っ
ていたな。2人で行くには頭に浮かんでいた店は羽が生えて飛んでいく金が多
すぎるから、ダウンサイジングして焼肉屋にした。ここもゆきつけではある。
とは言え、この1年で2回目の訪店だった。
「明月館」
 筆者は大阪ではこの焼肉屋にしか行かない。
 来阪時から通いつめている。
 生活のダウンサイジングが始まっているから、今までのように「上」とか
「特上」とかの冠がついた肉は頼まない。それでも十分に旨い。先日見た「孤
独のグルメ」の焼肉屋編を思い出しながら、けっこう堪能した。
 肉を食らう。
 アルコールは控えめ。
 店を出るときには、朝から肩にへばりついていた疲労感が嘘のように消えて
いた。
(焼肉効果。絶大)
「孤独のグルメ」風に心につぶやいた。 

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2019.04.01 カスコミ あるいは マスゴミ
 新元号が発表されて、世間はうかれきっている。と、言うか、マスコミが煽
りまくっているというべきか。
 個人的には元号に思いいれはない。仕事では、契約書作成などでも西暦中心
主義で通している。それにしても、何かにつけて『平成最後の・・・』と冠を
つけるこの底の薄い大衆扇動文化はいつから、こんなに世間御用達のお墨付き
をもらったのだろうか。

2019.03.31 尾張の桜
 用務で名古屋に行った。
 毎年恒例のイベント会場の督励もあるが、もうひとつのプロジェクトの準備
を始める意味あいの方が強い。
 名古屋駅から地下鉄東山線、名城線を乗り継ぎイベント会場へ向かういつも
の経路はなぜか非常に混雑していた。
 イベント会場は名古屋城の隣にある。
 市役所駅に降りて気がついた。
 今日は日曜日だし、名古屋では桜が見ごろを迎えているのだ。
 皆、名古屋城へ花見遊山に向かっていたのね。
 イベント会場を出て、堀伝いに名古屋城の裏側へ回る。実はそこが穴場的な
スポットなのだ。入場料もいらないしね。
 何人か、わかっている人が三脚をたてて写真を撮っていた。満開まではもう
1,2日必要か、という咲き具合だった。
 まだ、寒い。
 風も強い。
 名駅に戻り、新規プロジェクトのために界隈を歩いた。
 腰、と言うか股関節がバキバキになった。
 歳をとったということなのだな。



2019.03.30 シェーバー破損
 シェーバーの外刃が壊れた。
 ブラウンのそれなりの機種が壊れてからは、パナソニックのトラベル用2枚
刃のシェーバーを使っている。動力源は、乾電池。単3が2本で、水洗いでき
る。軽いし、出張回数が増えているから、家でも旅先でも使いまくっている。
 かなり古い機種なので、交換用の外刃はないかもしれないと思い、ネットで
商品検索をしてみた。
 やはり、代替わりしていた。通販で2700円くらい。まあ、安い。高級機
になると3万くらいはする。
 家電量販店でシェーバーコーナーを覗いたら、旧機種の換え刃を売っていた。
1700円。
 換え刃が本体の17/21って、シェーバーの命は外刃なの?

2019.03.28 江戸の桜パートⅡ
 職場の近くに新宿区の管理する西戸山公園がある。
 山手線からの車窓で、そこに桜が幾本かあることはわかっていた。
 昼、ちょっと覗いてみた。
 三井不動産がこの一画に高田馬場としては大きなビルを建ててから、朝の通
勤風景が変わった。ぞろぞろぞろぞろ大量のスーツが高田馬場駅では場末にあ
たる戸山口から吐き出されてくる。三井不動産のビルが周辺の再開発を誘引し
たのか、新宿界隈ではもはや収納しきれない建築物が高田馬場まで押し出され
てきたのか、とにかく建築途上の物件が幾つもあって、道路がかつての動線を
失っている。やや、困惑しながらも何とか昔は、新大久保から一直線でやって
こられるはずの道路端にあった西戸山公園に出た。
 まあまあの桜並木を目に治めた。 


 
2019.03.27 江戸の桜
 ゆきつけのヤキトン屋が目白にある。
 いつものように過ごしていると大将が「今日は昼、花見をしてきましたよ」
と言う。
「この辺ですか?」
「ええ」
「どこです?」
「鬼子母神のそばの法明寺というところです。ここから15分くらいかな」
「出店もあって昼から呑めるんですよ。今日は店の前に軽くやってきました」
 羨ましいことを言う。
 筆者は、日常の喪失によって、昼酒とはとんと縁がなくなっている。
 4杯目の酒をくいとあおって「ちょっと行ってみます」
 静かな住宅街の一角に、不意に縁日に市がたったような賑やかな一画が現れ
た。
 赤い提灯が連なり、夜桜を浮かび上がらせている。
 屋台も出て、まさしく縁日だ。
 ただ、それほど大きくはない。
 それがかえってこの住宅地の一角にあって慎ましい賑やかさを醸し出してい
た。
 家族連れや近所の住人が、据えられたベンチで酒食を楽しんでいる。
 賑やかだけれども静か。
 角館の夜桜を楽しんだ一夜を思い出した。
 今年最初の観桜。



戻る

2019.03.06 白内障
「白内障による視力低下が進みましたね。3カ月前1.2あったのが0.6。
白内障の場合、このような低下は珍しくありません。すでに手術適応です。た
だ、意思決定して、今、申し込んでも2ヶ月は先になります」
10年前、右目白内障の診断から手術までの手配をしてくれたこのかかりつけの
眼科ドクターを筆者はミスタースポックと呼んでいる。論理の神様から賞状を
もらっているに違いない。
「確かに左は黄色い霞みがはっきりと意識できるようになりました」
「視力の問題です」
「…はい…」
 ただ今はまずい。最悪のタイミングだ。
 まさしく弱り目に祟り目とはこのことか。
 ドクターの指示で3ヶ月ごとの検診をⅡヶ月に短縮することになった。
 前回指摘された左目の出血跡はまだ吸収されきっていないとの診断。中央に
近いことを懸念されていたが、今回、中央ではないとの診断が下った。

右目白内障の手術顛末はコチラ


2019.02.19 PTをサボると報いがくるだろう
 PT(フィジカルトレーニング)復活。
 謎の股関節痛発症から1週間。大事をとって朝のPTを控えていたが、今日
から復活。

2019.02.13 乗車口
 5年前の今日、来阪12年、不変の乗車口を変えてみることにした。
 最後尾車輛の位置に立つ。こんな僻地にも人がいるっちゅうか、いつもの位
置より人多いし。先住民族らしいオヤジの「おまえなにもんじゃ」光線に曝さ
れ、いつもの電車なのにすごいアウェー感。「そーです。私は侵略者の偵察部
隊です。気に入れば侵略します」

2019.02.12 股関節痛 
 体の異変は突然やってくる。
 右股関節が痛くて一日中びっこをひいていた。そしてそーゆー時に限って東
京出張だったりする。
 老母が大腿骨頭壊死症なんて難病を患っているだけに、股関節の痛みにはリ
アルな爾後イメージがつきまとい、朝からかなり凹んでいた。
 帰阪してドライにして風呂に浸かって一晩寝た。
 12日の朝、症状は緩和した。まだびっこだが昨日よりは大分いい。何が原因
か心当たりがないのが嫌だが。昨日、ハセガワマスタと記憶飛ばし飲みを敢行
しているのだが、そこでずっこけるか何かして関節を痛めたのだろうか

2019.02.10 図書館探訪
 ゆえあって図書館を視察した。
 いやあ、大学受験以来のことだ。
 近場から。
 地元にはないから隣駅の江坂から。しかし小さすぎた。
 図書館には関係ないけど心斎橋の「ローカーボキッチン然」も試してみた。
こんにゃく麺カルボナーラがイケタ。
 梅田大丸に寄ってダイズインターナショナルの山食パンと丸パンを購入した。
 千里中央の図書館を視察した。
 好感触。
 使うならここだな。
 パソコン持ち込み用の机まである。 
 3連休の中日。少し活動的な1日。新しい知見も広めて、ひさしぶりにいい
1日だった。

戻る

2019.01.16 さよなら「ル・パッサージュ」
 11月に閉店の知らせを受け取った神戸北野の「ル・パッサージュ」で夜を
過ごす。
 東京での諸事に日常を奪われ、今まで訪店できずにいた。
 以前なら、週末の午後に飛び込んでいるところなのだが・・・
 神戸の店と言えば、ここと、明治屋神戸中央亭、六段がゆきつけの代表銘柄
だった。
 中央亭も今はない
 パッサージュも失うのか。
 春名シェフとソムリエには、どれだけの憩いを供されてきたのか。
 今宵は、「琵琶湖のわかさぎフリット」、「パリのル・ノートルのパン」
 シェフのスペシャリテ「タマゴとフォアグラのシンフォニー」
「ズワイ・イタヤ貝・マグロほほ肉と大トロタルタルのカクテル」
「オマールエビ・根セロリのピュレ」
「エゾ鹿」
 デセールの替わりに「フロマージュ」
 シャンパンは「ドラピエ」、白「ブズロー」、白(ソーテルヌ)、白「マコ
ンビラージュ」、赤「シャトー・ラ・トゥール・ド・ベッサン2011」、「マー
ル」とコーヒーで満喫した。
 いつものように、けれんみのないドストライクのフレンチだった。
 寂しさが募るが、東京の「トゥリオ」の例もある。
「トゥリオ」は先年、3回目の開店を迎えたのだ
 シェフも次のステージにむかっての決意を話してくれた。
 再会のときを、今は楽しみにしよう。
 店は2月3日で24年の歴史に幕を閉じる。

2019.01.13 2018年の読書
全部で36冊
読めなかったなあ。
特に10月以降はわずかしか読んでいない。
忙殺の日々と後世の人から言われる数ヶ月ということか。
いつものように、初見本には★を。

★アルスラーン戦記⑯天涯無限 田中芳樹
外国人が選んだ日本百景 ステファン・シャウエッカー
★旅の窓 沢木耕太郎
米朝開戦 1・2・3・4 トムクランシー ジャックライアンシリーズ マークグリーニー
★慟哭の谷北海道三毛別・史上最悪のヒグマ襲撃事件 木村盛武
★琉球歴史の謎とロマン その二 人物ものがたり
街道をゆく6 沖縄・先島への道 司馬遼太郎
機密奪還 上・下 マークグリーニー
★琉球戦国列伝 上里隆史・和々(イラスト)
司馬遼太郎全講演〔1〕 司馬遼太郎
何をかいわんや ナンシー関
★欧州開戦 1・2・3・4 マークグリーニー
★万国津梁外伝 三十六の鷹 その一天の巻・その二地の巻 亀島靖
司馬遼太郎全講演〔2〕 司馬遼太郎
★まねしたくなる土井家の家ごはん 土井喜晴
★土井喜晴さんちの「名もないおかず」の手帳 土井喜晴
なしても北海道だべや!! 千石涼太郎
★沖縄の世界遺産 高良倉吉・垂見健吾
ライアンの代価 1・2・3・4 トムクランシー・マークグリーニー
★パイナップルの丸かじり 東海林さだお
アナタの年頃 永倉万治
何だかんだと ナンシー関
★誰かを幸せにするために 伊集院静
この国のかたち3 司馬遼太郎
★お友だちからお願いします 三浦しをん

去年は?・・・

2019.01.13 2018年の映画
 読書と同じで「忙殺の日々」のため、これまた10月以降はほとんど見ていない。
 気分転換にどうよ?と、11月にファンタビを見ただけか。
 ロードショー15本のみ。
 いつものように見た順に並べると

「キングスマン ゴールデンサークル」
「ジオストーム」
「マンハント」
「ブラックパンサー」
「パシフィックリムアップライジング」
「レディプレーヤー1」
「アベンジャーズインフィニティウォー」
「デッドプール2」
「ハン・ソロ スターウォーズストーリー」
「ジュラシックワールド炎の王国」
「ミッションインポッシブル フォールアウト」
「劇場版コード・ブルードクターヘリ緊急救命」
「MEGザ・モンスター」
「ザ・プレデター」
「ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生」 

 んでもって2018年のお気に入り順は・・・

「レディプレーヤー1」 これはもうダントツですね。
「キングスマン ゴールデンサークル」
「ジュラシックワールド炎の王国」
「ミッションインポッシブル フォールアウト」
「ブラックパンサー」
「アベンジャーズインフィニティウォー」
「デッドプール2」
「ハン・ソロ スターウォーズストーリー」
「マンハント」
「劇場版コード・ブルードクターヘリ緊急救命」
「ザ・プレデター」
「MEGザ・モンスター」
「パシフィックリムアップライジング」
「ジオストーム」
「ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生」 

 自分は魔法は駄目ってことがよくわかりました。

去年は・・・

2019.01.05 プライベートの諸々を解決
 CANON PIXUS MG6102(プリンターね)に接続していた
 NEC LAVIEが壊れた。
 予備のちょぼいFMV(OSは7)ともうひとつのノートPCに接続設定を
してみた。しかし、無線LAN設定をして、ネットワーク上にプリンターが現
れない。LAN接続を試みたが同様の結果。何度か、あーでもない、こーでも
ないとトライしたが結果が出ない。ふと思いついて、プリンターの電源を一旦
落としてから無線接続を試みたら、あーら不思議、簡単に繋がった。
 ついでHPだ。
 ホームページビルダー12をノートに落とした。
 サーバ上の全ファイル、フォルダをダウンロードし、ローカルでの作動を確
認。成功。
 昨日と今日で、プライベートの諸々が一気に進捗した感じ。
 ここしばらく、仕事がらみの煩雑さに心も体も蝕まれて、私事に心を向ける
ゆとりがなかった。しかし、それではいかん!とデスベレートな心にムチ撃っ
て、頑張った。とりあえず、いいぞ。 

2019.01.04 仕事始め
 東京からかい!
 まあ、仕方がない。
 日帰りにした。
 7日(月)も行かなければならないが、ホテルに連泊したほうが経費はやや
安いが、土、日をアウェイのホテルで過ごす味気なさはもういい加減うんざり
だ。
 夜、帰る。

2019.01.03 物欲
 カシミアのチェスターフィールドコートの袖口が擦り切れてきた。購入した
のは2004年だから、14年も着ている。擦り切れても無理はない。老母の
支援を得て買い換えることにしたのは2日の初売りだったが、既述のとおり不
首尾に終わった。
 ダイマルを覗いて、駄目なら京都に行くか、と思っていたが、なんとダイマ
ルでいい物件に巡り合った。購入。それにしても、チェスターフィールドは、
時代のトレンドからはずれているのだな。品数が少ない。ましてや、カシミヤ
はさらに少ない。購入したのはチェスターフィールドではなかった。スタンド
カラーのコートとでも言うか、筆者的には一目ぼれ的に購入。
 メレルのジャングルモックも1足購入した。
 それにしてもクラシックな紐靴は2007年のゼニアのストレートチップ以
来、買っていない。この間11足も買っているのに、みんなスリップオンか冬
靴。1足だけカジュアルながらプレーントゥのリーガルがあるが、これは雨靴
替わりに買ったので、クラシック部隊には編入していない。
 ついで、ダウンジャンパーの買い替えにAOKIへ。
 2008年にハーフキルトコートと筆者が称するジャンパー(カテゴリー的
には実はそうらしい。今回、そう表示されていた)はジッパーがぐずぐずしは
じめ、ジッパーのタグも千切れている。機能性に優れていたのでここまで愛用
していたが、13、650円の割りにはよくもった。誉めてつかわす。百貨店
に並んでいるブランドもんはデザイン重視で機能性が低い。ここで言う機能性
は、極寒地でのそれをさす。層雲峡や支笏湖では、まず、胸ポケット(ジッパ
ー付)がないと駄目。内ポケットしかないと、極寒の状況で前を開けることに
なるから論外である。脇ポケットも収納部と横から手をつっこめる部分がセパ
レートされていないと駄目。内ポケットも最低3箇所は必要だ。
 ダンロップとアオキプレゼンツの2着が候補にあがったが、ダンロップはジ
ッパーがぐずつくのでアウトにした。店員が上げようとしたが、そんなん、自
分がうまく上げられなければ、常にうまく上らんということだ。しかも今冬、
前半が暖冬だったせいで、アオキプレゼンツは割引率が高い。半額になってい
た。20520円が10260円。即買い。
 トラウザーも5本新調。アオキで。セール価格のうえ、5本買うと2本がタ
ダになるからオトク感強し。
 いい1日だった。

2019.01.02 Hasegawaマスタから
 マスタは1月1日生まれ。
 FBで「お友達に誕生日メッセージを」なんて言われて祝意を表したら、
天橋立から戻った2日に電話が入り、5日にどこかで飲ろうということになっ
た。
「でも、5日じゃあ、まだ店やってないんじゃないすかね?」
「ⅰさんにまかせますわ」
 お祝いの強要だな。(笑)
 4日、出張先の東京からガニュパンに予約を入れた。
 難なく予約がとれた。
 東京での諸々で疲弊の極にあって、久しぶりに愉しみな1日が生まれた。

2019.01.02 初売り
 老母がスポンサーになってくれるという嬉しい申し出があったので、コート
の物色に出かけた。阪急メンズ館と阪急、阪神を巡ったが、一目ぼれするよう
な物件に出会わず、撤退。
 天橋立から帰阪したばかりであまり体力が残ってなかった。

2019.01.01 PT(フィジカルトレーニング)復活
 早朝。
 天橋立の温泉宿の大浴場。
 誰もいないので、腹筋と腕立て伏せをした。
 10月10日からこっちまで、それまで起床時の日課にしていたPTを完全
に中断していた。
 こんなことではイカン!(最近コレばっかりだが)と今日からPT復活。

2018.12.21 大掃除じゃないが・・・
 せめてもと、リビングの電球交換とカバーを清掃。
 もうへろへろになりながら。
 ものすごく久しぶりにチャリで買い物。
 すぐそばの酒屋だけど。

2018.12.07 年賀状宛名書き
 自宅PCが死亡しても、東京の仕事のせいで日常を失い、いつものように過
ごすことができない。
 結局、宛名書きは手書きになった。
 恒例行事で、博多、京都、名古屋を1日で回る(いつもなら泊をつけるが、
今回は大阪発、大阪着の日帰り。
 移動の新幹線内で実施。
 16日に投函終了。

2018.12.13 東京のオフィス移転
 11日から開始した。
 本業並みの印刷機材を誇る部署が先陣。
 1日あけて13日に残りの4部署。
 今回は、10月10日事案のせいで移転専業ができず、東京のスタッフがサ
ポートについてくれた。これがなかなかに働き者かつ仕事がわかっている男で、
ものすごく助けられた。

2018.11.26 高雄病院京都診療所、閉所
 2007年から11年間診療を続けていたそうな。
 筆者は2009年6月からお世話になっている。
 京都駅前で家賃が高いらしい。
 3月からは高雄の本院のみの施療になる。
 継続のつもりだがDr江部は木曜診療だから、ちょっと日常がかわるか。

20018.11.18 まねき
 京都南座の改修が終わったようだ。
 京都でトラブルがあり、対応のために東京からやってきた。
 事態を収めて、久しぶりに京都で昼酒。
 四条通りをぶらぶらしていたら、恒例のまねきが飾られていた。
 年の瀬なんだなあ。
 知らない間に・・・



2018.11.09 1ヶ月
 東京でのトラブル発生から1ヶ月。
 この1ヶ月間、感覚的には、40年近く前のアーケードゲーム「スピードレ
ース」に似た日々を過ごしていた。平面画面の上方から次々と現れてくる対向
車や遅い車をコースを逸脱することなく右に左にかわしながらゴールを目指す
というゲームだが、この先、何が待っているか、何の手をうっておかねばなら
ないかが、明確に掌握できないままに過ごす日々がなんとなく、これに似てい
た。
「明日の朝食の心配は、今日の夕食を食べられたら、ということにしよう」
 なんてスタッフに言っていたが、やっと、明日の昼食の心配ぐらいはできる
ようになってきたというところだろうか。

2018.11.03 クリーニング第3弾
 クリーニング屋に最後の衣料をたたきこんで、第2弾を回収。これを回収す
ればほぼ完了。
 東京残置のトラウザー2本はまた、後日。
 寝室のクローゼットは、オンステージ中のワードローブをかけている。
 書斎のクローゼットは、季節違いのワードローブ。
 夏冬入れ替えでクローゼット内の衣服の交換終了

2018.11.03 初風邪の予兆
 朝から何かシャキッとしない。
 ちょっとフワフワしている。
 はて?昨夜は生ビール1杯とワイン1本。
 つまり適量。
 アルコールが残るはずもないのだが・・・
 フワフワ感はアルコールが残っている時の自覚症状だが・・・記述のとおり、
適量の範囲内だし。
 行動がノタクタしている。
 思考にキレがない。
 疲労蓄積のせいか?と思っていたらくしゃみを連発して思い至った。
 風邪の初期症状だ!
 前回、いつ罹患したかも覚えていないから、危なく見落として初動期の対応
が後手にまわるところだった。
 常備薬はパブロンエース。赤い網バッグに入れてあらゆる時に携行するあら
ゆる鞄に入れているはずなのに、この日に限って、東京の長逗留からの帰阪で
気が緩んだか、家を出るときにブリーフケースに移し変えそびれていた。(今
日は大丈夫だろう)と思って。
 自分史的にも、世界史的にも、何故こんなときに限って、というのがクライ
シスマネジメントで失敗が生まれるときの常套句だろう。
 家に帰ってからでもいいや、と手間と金を惜しむと、二重の過誤を犯すこと
になる。速攻でオフィスそばの薬局に行った。
 たぶんセーフだ。 

2018.11.02 大阪の日の出
 この季節、出勤途上の淀川で生駒山から昇る朝日を見るのが好きなのだ。
 朝6時20分過ぎかな。



2018.11.01 キャリーバッグ新調
 2009年9月に購入したキャリーバッグの取っ手が壊れた。
 新大阪に帰阪したら、駅構内アルデのaceショップで買い替えを。
 壊れた奴は購入時、「(エアの)機内持ち込み最大容量です」と言われて買
ったのだが、1、2度、登場口でGAから少し大きめですと、機内持ち込みの
辞退をやんわりと申し入れられたことがあった。その謎が今回解けた。今回も
「機内持ち込み最大容量」と言われたのだが、明らかに、以前のものより高さ
が低い(かわりに幅は広い)。
「こいつも持ち込みOKと言われたんですがね」と主張すると、店員がメジャ
ーで計測してこう言った。
「コマの高さを引けば、範囲内なんですね」
 コマとは車輪のことらしい。確かに、旧バッグは車輪から収納部までの長さ
が長い。タテ×ヨコ×タカサで、この空間を省いて計算していたのだな。
 それが、虚偽申告なのかどうか・・・
 しかし、今回は一点の曇りもない機内持ち込み最大容量。
 胸を張って使うことにしよう。
(後日談)
 このバッグ、けっこう気に入ってしまった。
 車輪の滑走が滑らかで軽いのである。
 エアの荷物入れにも驚くほどピッタリとはまるので、何か自慢したくなって
しまう。





2008.10.25 中野島小学校の仲良しメンバーの集い
 7月19日に集まったメンバーが拡大。
 今回はOB、OGの輪が少し広がって男女7人が「東京ステーションホテル」
に集まった。
 メンバーの一人がステーションHの総料理長と支配人と飲み友達だったので
営業していないその日の夜のホテルレストランのさらに個室を独り占めで酒食
を楽しむことができた。
 同窓会という奴にとんと縁の無い(というかどちらかと言えば忌避していた)
人生だったが、この集いは愉しかった。

2018.10.22 死亡宣告
 次々とガタがきた。
 PCはLavieがほぼ死んだ。
 こいつは、2008年8月に買ったのだ。
 10年頑張ってくれたのか。
 しかし、こいつに自宅プリンターの設定から、年賀状用の筆まめ(だったけ
か?)やホームページビルダーがインストされているので、不便極まりなくな
った。
 しかも、あろうことか、保有している中でエアの機内持ち込み最大容量のキ
ャリーバッグも取っ手が言うことをきかなくなってしまった。
 ただでさえ、仕事がバタバタしているときなのに・・・

2008.10.20 博多の屋形船
 博多在住の友人の誕生祝いを「ローブランシュ」という西中洲のフレンチで
実施。
 店はリバーサイド。
 窓の外を行き交う屋形船が2種あって、そのうちの1隻がものすごいスピー
ドでもう1隻を抜き去り、あっという間に折り返してくる。これがちょっとオ
モシロすぎて笑える。
 料理はかなり堪能させてもらった。
 ワインはペアリングで5種のワインだった。
 ペアリングは早飲みドリンカーには、不足感があるもんだが、この店はジャ
バジャバ注ぎ足しをしてくれる太っ腹ぶりがすごくよかった。



2018.10.21
 日常を失って12日目
 急ごしらえの道具を仕立てて、カツカツでなんとか日々のやりくりをしてい
る。
 ルーティンの確立なんかまだとーぶん先の話。
 不正防止のセキュリティを考慮したシステムを作らねばならないのだが、今
晩の晩飯の用意ができてから明日の朝食の心配をしよう。 

2018.10.20 唇、パックリ割れ
 冬ってことですか。
 乾燥しているんですかね。
 顔に軽いアトピー症状も。
 昨日のボディソープやシャンプーがいけなかったのか?
 ホテル暮らしで常時乾燥空間で寝ているからか?
 ストレスからか?
「?」だらけだが、たぶん全部のせいだ。

2018.10.16 長野県できのこ採りの死亡者13人
 どんだけ危険なの「きのこ狩り」って?

2018.10.15 老眼は2.0に進行
 老眼を認識したころは一番拡大率の低い0.5なんぞを使っていたが、いつ
の間にか1.0となり、いくつかの100均メガネの中には1.5も入ってい
たりしたが・・・
 1996年の雑誌を見たら、いつものメガネでは店舗所在地の小さな地図が
かすんで、かすんで、
(よくもまあ、こんな小さな地図を普通に見れていたもんだ)と感心しきり。
 2.0で見たら、より鮮明になった。とうとうこれがスタンダードになるの
か。
(後日談)
 しかし、1.5の方が目になじむこともあり、2.0は時期尚早という判決
を下した。

2018.10.14 起きちゃった 
 3時に目が覚めてしまった。
 いつもなら、もう一眠り・・・できなかったとしても、ベッドに横になって
いるだけでも休息はとれると、そのままでいるのだが、やらねばならないこと、
確認しなければならないことが次々に頭に浮かんできて、沸き立ってしまった。
あきらめて起床。

2018.10.10 経理部長逝去
 東京出張。朝、東京についた途端の一報。
 言葉を失う。
 満60歳だった。
 想像だにしていない情報は、現実感を失わせる。
 耳に入ってくる、種々の話にリアリティがない。 

2018.09.30 台風24号
 9月4日に関西圏に大きな爪あとを残していった台風21号と同じような勢
力で24号がやってきた。
 JR西日本は21号で計画運休を実施した。
 前日のうちに翌日の10時頃から域内の全線を順次運休するとアナウンスし
たのだ。
 8月にも実施していたが、筆者の記憶にある限りでは、関東圏では経験した
ことがない。
 これは支持できるぞ。JR西。

2018.09.29 Lavie駄目か
 2008年に購入したNECのノートPC「LaVie」の死期が近づいて
いるようだ。
 起動させても、しばらくすると勝手に落ちてしまう。
 最初のうちは、ちょっと目を離した隙に落ちていたようなイメージだったが、
だんだん、使える時間が短くなってきた。使い始めたらすぐに落ちることも多
くなった。
 さらに1発で立ち上がらなくなり、何度も同じコマンドをたたき、何度目か
で起動するようにもなってきた。
 なんか、何度も眠りに落ちかけている雪山遭難者の頬をはたき続けているよ
うな気分になる。
 OSが「Vista」だからサポートもとっくに終わっている。
 パソコンを看取ることになるのだと、終活準備をすることにした。
 機能的には、ネットに繋がって、エクセルとメモ帳が使えて、年賀状の宛名
印刷ができて、裏面のデザイン加工や食い物日記のために画像を編集するため
のフォトショップがあって、ホームページビルダーでホームページの更新がで
きればいい。
 各種データは、クラウドではなく、外部記憶に収めているから、いつお迎え
がきても慌てることはないのだが、周辺機器各種との設定が面倒くさいんだわ。  

2018.09.23 高麗青磁 
 大阪市立東洋陶磁美術館で鑑賞。
 文化的だ。



2018.09.07 志の輔独演会

 北海道があんなことになってはいるが、京都で落語を鑑賞した。
 志の輔師匠が言っていた。
「予定通りできることの有難さ」は、災害を経験しないとわからない。



去年は・・・

2018.09.06 平成30年北海道胆振東部地震
 よくもまあ、ここまで自然災害が続くものだと、もはや呆然とするしかない。
 今度は北海道で震度7の地震。
 当初は震度6強との発表だったが、最終的には震度7と、北海道では初の最
大震度を記録した。
 死者は41人。
 震源地の山林の土砂崩れの広さは、見たこともないものだった。
 樹木が押し流され、むき出しになった赤茶けた山肌は地球が何かの皮膚病に
犯されたかのような姿だ。
 しかも北海道全土が停電となる。
 道内最大の発電所が発電を停止してしまったため、連鎖的に他の発電所も発
電を停止する「ブラックアウト」が発生したらしい。そのメカニズムは電力の
供給不足によって周波数の低下が発生し、発電機が停止するというものだが、
はっきり言って、そのメカニズムは、まったく理解できなかった。ニュースを
読み上げているアナウンサーにも「オマエ、本当に分かっているのかぁ?」と
つっこみをいれていた筆者。
 それにしても、大阪の地震、西日本豪雨、台風21号、北海道の地震。
 もう、何十年に一度とか、過去に前例がないとか、関係ないな。
 これからは、毎年、こーゆーことが起こると考えて生きていかなきゃいけん
のだろう。
 富士山が噴火したって「あ、やっぱり?」ぐらいにしか反応しないんじゃな
いか、もはや。

2018.09.04 台風21号
 近畿圏直撃の台風21号。
 記憶にある台風経験の中でベスト1、2かもしれない暴風雨だった。
 今年は台風の当たり年だったがこれで締めにしてもらいたいもんだ。
 台風のせいで前日からオフィスの休業を決めたのは初めてだった。
 最近、JR(西日本)は運転見合わせの決断が早い。
 ためらいがないね。
 ただし、以前実施した時は、非難轟々だったらしい。
 でも今ならOK。
 これも時代の流れかもしれない。
 いいことだろう。
 昭和世代は何かにつけ、根性とか精神論をふりかざすけど、ありゃあもう終
わりだな。
 USJ、阪急、阪神、大丸、高島屋、近鉄の百貨店、グランフロント、み~
んな休業。
 根性系の私鉄も、南海、京阪は早めに万歳。阪神も万歳、頑張っていた阪急
も全線万歳。
 新幹線も東海道、山陽が運転見合わせ。
 船も飛行機もアウト。
 なぜか大阪メトロと北急だけは走ってた。
 関空は水没。
 おまけに給油船が橋げたに打ち寄せられ、橋がゆがんだ。
 これで関空は海の孤島となった。筆者も東北大震災のとき、羽田空港に閉じ
込められた経験があるので、少しは想像できるが、停電まで重なっていたから、
トイレやら何やら、本当に大変だったろう。
 地震は、身近な所でも猛威を震っていた。
 会社スタッフ2名の家の窓ガラスが割れ、京都在住のスタッフの家の屋根の
一部が剥がれたりした。
 韓国に行っていたスタッフは関空孤立の1日前に帰国してセーフだった。
 最近、連絡がとれた小学校フレンドは家が停電で断水。会食の約束は後日に
延期。
 自分史では、1982年台風10号の大雨で富士川鉄橋が流出した事件が生
々しい。筆者はその日、流出前に東海道線で橋を渡っていた。結局、浜松で泊
まったんじゃなかったっけか。

2018.08.27 健康診断
 今年もこの季節がやってきた。
 オフィスの健康診断。
 各種検査結果にはあまり、意を払っていない。
 注目は毎年、たったひとつ。
 減量である。
 70キロを切るのだ!
 昨年は200グラム届かなかった。
 しかし、今年は5.7キロの減量を達成し、目標の70キロ未満、69.3
キロをマークした。
 夜は「キュイジーヌHasegawa」で祝杯!


 以下に診断チャレンジの記録を掲載します。

 8/14(火)朝、75.0 を契機に健康診断にむけた減量を開始。
      同日夜、ソイジョイ1本のみを摂取。
 8/15(水)朝、73.5 で一晩で1.5kg減量。
      同日夜、ドライ、ほとんど食べていないつもりだった。
      ダイズインターナショナルの丸ダイズパン(くるみ)糖質量0.8g
      でマックのWチーズBの中身を挟む(バンズは捨てる)。
      目玉焼き・とろけるチーズ・サルサソース、ベーコンしめじソテ
      ージェノベーゼソース、アサヒドライゼロ350CC
 8/16(木)朝 74.0 
      0.5kgの減量を期待していたのに、逆に0.5kg増量。
      あの食事で減らないのか。
 8/17(金)~18(土)の2日間は、東京、博多の出張。
      食事制限解除となる。
 8/19(日)朝 74.5 ここから巻きなおし。

 8/20(月) 73.5      ALC105CC
 8/21(火) 72.9 夜 73.0 ドライ
 8/22(水) 72.5 夜 72.5 ALC105CC
 8/23(木) 72.5 夜 72.5 ALC120.5cc
 8/24(金) 72.1 夜 72.1 ALC113.25cc
 8/25(土) 71.5 夜 72.0 夜から絶食開始 ドライ
 8/26(日) 71.0 夜 71.0 関大から自宅まで徒歩 夜の時点で絶食24時間 ドライ
 8/27(月) 70.1(朝の時点で絶食36時間) 
 5時間後  69.3 

 どんなに控えても、朝から夜の体重は変化しない
 基礎代謝で減量してゆくのは睡眠中ということがわかった
 アルコールもエンプティカロリーなので体重に影響しない
(ただし、最終日前に便通を良くするための飲酒を控えるほどには確信をもてていない)
 今度実験の要あり

 それから、去年もそうだが、減量→絶食を開始すると早朝空腹時血糖値は必ず落ちる

2018.08.11 お盆ですか
 出張で東京へ。
 帰阪の朝、指定席は全滅。
 新大阪着。
 西行き指定席は全滅。





2018.08.04 京都へチャリ
 仔細はコチラで

2018.07.19 小学校時代の友達
 SNSのフェースブックで小学校時代の友人がつながった。
 それはちょい前のことだったが、彼が当時仲の良かったほかの2人と渡りを
つけてくれた。
 東京出張の折に再会の運びに。
 一人とはなんと45年ぶりである。
 神楽坂のビストロで時が遡行した。
 他のメンバーとも渡りをつけて、また会おうということになった。
 神楽坂という街は、なんか、こーゆーシチュエーションにはうってつけな感
じだね。
 浅草もいいかも。(異人たちとの夏だな、それじゃあ)



2018.07.18 猛暑
 岐阜では40度を越えたそうな。
 大阪や京都も37度、38度。
 この猛暑は、7月いっぱい続くらしい。
 地球温暖化が顕在化したのかどうかはわかないが、年間平均気温は確実に上
昇している。
 何に対してかははっきりしないが、皆が目をそむけ、口にするのを躊躇って
いる事実が、確実に進捗しているのは間違いない。
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2018.07.10 行脚
 半年に一度の東海西日本行脚の日。
 大阪から京都へ。
 京都から名古屋へ。
 名古屋で一泊。
 早朝の名古屋、セントラルタワーのバックはぬけるような青空。
 ミュースカイでセントレアに向かい、福岡へ飛ぶ。
 福岡天神は、祇園祭りの山車が飾られている。
 夏真っ盛り。 



2018.07.08 西日本豪雨(平成30年7月豪雨)
 過去の経験、記録が役に立たない災害が増えている。
 今回は西日本が襲われた。
 台風7号と台風に刺激された梅雨前線による集中豪雨。
 死者220名、行方不明10名。
 死者・行方不明者が多かったのは広島で114名、次いで岡山の64名、愛
媛の27名。
 広島は4年前にも豪雨による土砂災害で74名が亡くなっている。
 自然災害の発生頻度が上っているし、被害も増大している。
(8月17日時点で、広島の在来線はいまだにあちこちで寸断されていた)
 岡山では倉敷市真備町の25%がまさに水没した。
 浸水水位は最大で5.4m。
 5mの深さまで達したのが南北1キロ、東西3.5キロの範囲と言うからち
ょっと想像し難い水難だ。真備町の死者51名のうち42名が浸水した住宅の
1階で発見されたとのこと。自宅で水死することなど考えていた人などひとり
もおるまい。住居の天井高は一般的には3m未満だから5mの水位では沈没し
た船内と同じ状況になる。
 常々、生死の別れ目は映画やテレビで見るような劇的なものでは決してある
まいとは思っている。
(あれ、もしかしたら、俺は、このまま死ぬのか)
 というような『まさか』という楽観モードが、一気に『まずい』というサバ
イバルモードに移行するのだろう。
 トラブルに見舞われると何につけ、機敏に動き回る自分の性格が、こういう
ときにはたして吉と出るか凶と出るか、そのときになってみないと分からない。  

2018.06.18 大阪北部地震
 東京出張中だった。
 京都のスタッフからスマホに着電があった。
「地震のため電車が運転見合わせになり、出勤できない」との情報で、はじめ
て大阪に地震があったことを知った。
 自然災害の発生頻度と発生箇所が過去に前例のないレベルとの認識はあった
ので、地震の少ない大阪だって震災はあるだろうと覚悟、と言うか緩い予感は
あった。
 しかし、発生するとしたら、震源は上町断層だろうとの読みは見事に覆され、
有馬高槻断層などと言う聞いたこともない断層名が浮かび上がった。ただし、
この断層による地震かどうかははっきりしない。
 高槻、茨木、箕面、大阪北区などで最大深度6弱。
 自宅のお隣さんがスマホに電話をくれて老母や家が無事なことを伝えてくれ
た。
(あの家のおばあちゃんは元気だけど、同居している息子さんは不在が多いか
ら)
 といの一番で駆けつけてくれたらしい。
 ありがたいことである。
 老母は老母で地域コミュニティでの存在感を発揮しているのかもしれない。
 とりあえず、東京から京阪のオフィスのその日の対応を逐次取り決め、対応
した。
 帰阪にはせめてお隣さんへのお土産を買っていこ。

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2018.06.28 エアコン稼動
 熱帯夜が続いてなんとなく寝苦しかった26日と27日。いよいよエアコン稼動
だ。一旦稼動すると秋まで一晩中停めることはない。
 室温設定が28度なんてヌルイ温度で大丈夫になってしまったのは加齢のせ
いか。
 ひと夏、ずっと28度で大丈夫になってしまった。
 もちろん、サーキュレーターがわりに扇風機も一晩中ぶん回している。

2018.06.23 沖縄梅雨明け
 いよいよですね。
 恒例の石垣島でのダイビング・・・は、ぽしゃりました。
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2018.06.06 近畿・東海・関東、梅雨入り
 梅雨入りが早いな、今年は。
 
2018.06.02 久しぶりのチャリと日焼け
 チャリを買った。
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2018.05.11 東京、朝9度 52年ぶりの冷え込み
 桜の開花は異様に早かったんだけどな~
 暑いんだか、寒いんだか、はっきりしてくれ~
 そー言えば関東は春分の日(3月21日)に雪降ったし。
 でも3月4日にはGW並の暖かさなんて日もあった。

2018.05,08 沖縄が梅雨入り
 沖縄の梅雨は、大陸の長江気団と太平洋の熱帯モンスーン気団の押し引きで
生まれる。
 一方、本土の梅雨は大陸寄りのオホーツク海気団と太平洋側の小笠原気団の
押し引きで生まれる。
 メカニズムが違うわけだが、そんなことはどーでもいい。
 いよいよだ。
 1月、2月、3月、4月、5月・・・
 な~んとどっこにも漂泊できずに時が過ぎてきた。
 そして5月に入ってしまった。今月もどっこにも行けないだろう。
 沖縄が梅雨入りしたちゅうことは例年通り6月下旬には梅雨明けだろう。
 その頃には、ぜってー石垣に行ってやる。
 固く心に誓うのであった。

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2018.04.21 冬物衣料の大量クリーニング出し
 恒例行事ではあるが、2017年1月に愛機「羊の皮をかぶったママチャリ
2世号」が消えうせて以来、巨大バッグ4~5個分の大量の荷の運搬手段が徒
歩による老母のショッピングカート使用という情けない姿になってしまった。
1シーズン冬もの、夏ものの搬出入2回を我慢したが、もう耐えられん。
 ちゅうことでチャリを購入し、クリーニング出しを敢行。
 チャリについては後日、記載します。

2018.04.08 寒の戻り
 ありり?寒か~。スリーピース復活。

2018.04.07 広島で発見
 広島のイベント会場視察の際、駅ビルASSE2階の鉄板焼き「さち」で昼
飯をとった。
 昔は同じフロアの広島お好み「麗ちゃん」に必ず寄っていたんだが、炭水化
物の塊はもはや口に入れることができない。
 とは言え、ちょっと様子を伺って、往時を懐かしむぐらいのことはしてもよ
かろうと「麗ちゃん」に向かったら、『移転』の貼り紙が。
 2018年の春にオープンした駅北口の商業モールEKIEに移転したらし
い。
 入居したコーナーは「廣島ぶちうま通り」。
 時間があったので覗いてみたら、びっくり。
 ASSEにあった時のレイアウトのまま移転していた。
 焼きの鉄板からカウンターからテーブル席から、何から何まで一切合財、寸
分たがうことなくそのままのレイアウトだった。店の場所が変わっても、オペ
レーションに変化はまったく無しと見た。
 新しい店で、新しいことに取り組むなんて下心は微塵も無い。すがすがしい
と言うか頑ななまでの現状維持の姿勢に頭が下がる一日だった。



 あ、ついでにこの4月はいろいろなものが値上がりしている。
 広島市電が160円から180円に。
 博多の鶏皮揚げが400円から480円にスーパー値上げ。

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2018.04.04 スリーピースをツーピースに
 移ろう季節にあわせて段階的に脱皮。
 
2018.04.03 名古屋
 名古屋のイベント会場を督励。
 地下鉄の市役所駅のアナウンスが名古屋弁になっていた。
 外に出たら金シャチ横丁。
 ずいぶんかわっていた。
 イベント会場は名古屋城の隣なのだ。
 城に寄った。
 何か建っていた。
 本丸御殿?
 そー言えば、名古屋城を木造再建する動きがあったな。
 写真が残っていたりして復刻しやすいらしい。
 桜はさすがに寂しい状況だった。



2018.04.01 那覇に出張
 社用での沖縄行きは22年ぶり。
 何を着ていけばいい?
 この時期に訪沖したことない。
 仕事だし、背抜きの春夏ものブレザーにしとこ。
 日帰りではないが、夕方に一仕事して、朝には帰阪。
 とほほほほほ~

2018.03.30 そうだ京都行こう
 新規部門の立ち上げに係わっている。
 おまけに去年の10月頃から東京の管理部門の引継ぎ。ついでに業務改善を
進めている。
 かつてのアメリカ軍はふたつの大きな紛争とひとつの地域紛争に対応できる
軍備力を有していたと言うが、まさにそんな感じだ。新規部門は大阪が主軸と
なっているので、東京、大阪を行ったり来たりしている。どちらもルーティン
ワークのようにこなれたものではないから、いちおう、気を張って臨んでいる。
このふたつに、ルーティンの管理業務をこなすから、まさしくふたつの紛争と
ひとつの地域紛争だ。
 気ままに漂泊などしている場合ではないし、さすがに気が休まらないからそ
んな気にもならない。
 人間、気が張っていると眠れないものだ。
 あーすれば、こーすれば、あれはどーなっている?これはどーしている?
 次々に頭の中に検討材料やチェック項目が浮かんでくる。夜中に目が覚めた
らもう眠れない。頭が活動しちゃうのだ。ま、こんぐらいの歳になると無理し
て眠ろうなどと思わないぐらいには経験を積んでいる。頭は勝手に動いてりゃ
いい、身体は横になっているだけでいい、本当に疲労したら起きようとしてい
ても寝てしまうもんだ。ぐらいに夜中の3時くらいから起床の4時半まで、半
覚醒状態の時を過ごす。
 気を張り続けるためにアルコール摂取日数も減っている。これは良い点と悪
いがある。良い点は、朝から頭の回転がフルモードなこと。悪い点は、既述の
とおり眠りが浅い。夜中に起きちゃったりすること。
 こりゃいかん。
 ちゅうことで一日、フルに休む・・・と思っても朝イチに仕事をしてしまっ
たが、昼前から京都に向かった。
 桜を愛でるのだ。
 すさんだ心にやすらぎを。
 東寺の桜を観賞し、京阪七条駅まで歩き、京阪で出町柳へ。
 出町柳から賀茂川端をぽてぽてと散策。
 筆者のイッチに好きなコース。
 川に設けられた何段もの堰の音が耳に優しい。
 堰に向かって歩いていると、水音が一段と高まるが、堰を通り過ぎると不意
に音が途絶える。
 一種のドップラー効果か。
 それが何度も繰り返される。
 やっぱこの川端散策はええねえ。
 上賀茂神社まで賀茂川を遡上して四条へ帰る。
 モチのロンでバーとイタリアン。





2018.03.28 脱皮
 とうとうトレンチを家に置いてきた。
 暖かい。
 イベントあり。
 イベント会場に立ち寄り、帰社の途中、大阪城に立ち寄った。
 観桜。
 桜の季節なのだ。
 スルーはしたくない。
 あと何回、桜の季節を迎えれるかわからんからな。



2018.03.26 大阪で桜が満開
 観測史上最速だそうな。
 なんでもありだな。
 3月上旬までは、寒い、寒い、言っていた気がするのに。

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2018.03.25 台風3号発生
 つい4日前には関東で大雪警報が出たっちゅうのに。
 早、台風3号が発生。

2018.03.24 東京、桜満開。過去3位の早さ
2018.03.22 桜の開花 広島、京都、熊谷


2018.03.21 関東積雪
 春分の日。
 でも東京は雪。横浜は積雪1センチ。
 関東では、3月として32年ぶりの大雪警報だそう。
 箱根では27センチの積雪。
 桜の開花情報が先行していたのに、雪ってのは・・・
 近時の自然災害もそうだが、過去に前例のないことが頻繁に起こる。

2018.03.19 高知で桜満開 開花宣言から4日で満開。今年は早い。
2018.03.19 福岡、松山、横浜、名古屋、岐阜、で桜の開花
2018.03.17 東京、熊本で桜の開花
2018.03.16 宮崎で桜の開花
2018.03.15 高知で桜の開花



2018.03.17 ヤンコのリペア
 3月4日にリペアに出したヤンコが帰ってきた。
 去年リペアに出したJ&M(ジョンストン&マーフィー)は2001年12
月に購入したのだが、今回のヤンコは、それよりもわずかに古く、2001年
7月の購入物件だった。
 J&Mもお気に入りだが、ヤンコにはそれ以上に愛着がある。と、いうのも、
このモンクストラップは、購入当初、恐ろしく甲の締め付けがきつく、履くた
びに甲に靴擦れができるほどだった。服飾評論家の故・落合正勝氏の著書に、
いい靴は最後は持ち主の足型にぴったりとあうものだ、という記述があり、そ
れを信じて痛みに耐えながら履き続けた経験があるのだ。そして落合氏の言う
とおり、1年ほど履き続けたら、見事なまでに足にフィットした。ということ
で、17年間履き続けた靴をリペアに出した。
 去年のJ&Mほどは傷んでいなかったが、ビフォー、アフターはこんな感じ
になった。



2018.03.14 トレンチ
 東京は20度越え、でも朝は7.8度
 秋ってあったっけ?ちゅうくらい冬の到来が早かったせいで袖に手を通すこ
となくタンスで待機していたトレンチが満を持して登場。
 朝8度昼20度越えっちゅうんじゃあトレンチ一択。

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2018.03.04 GW並みの暖かさ
 沖縄は27度、宮崎でも夏日。

2018.02.28 まだまだ
 網膜下出血から1週間。出血跡はまだまだ吸収されていない。
 結局、目から赤味が抜けるまで3週間はかかった。

2018.02.24 梅が咲いている
 自宅前の駐車場の奥にある梅の木がいつの間にかピンク

2018.02.22 出たな!網膜下出血
 もう3回目だから慌てない、慌てない。
 朝、鏡を見たら左目が真っ赤っかのカー!
 今回は、過去2回があんなものは出血のうちにははいらんなちゅうくらいの
壮絶な赤。
 スプラッター系ドラキュラみたいになっていた。慌てないが、人さまにとっ
てはこれは怖いだろーな。ちゅうことで2,3日後には百均さんでミラーグラ
スを購入。
 ミラーグラスを外し、電車で座って本を読んでいたら、何か視線を感じた。
本から眼を上げると目の前にベビーカーに乗っている赤子が筆者をじっと見つ
めていた。
 目があった。
 泣くか?
 怖くて泣くか?
 泣かない。
 初めてみる生き物を見ているような顔をしている。
 強い子だった。
 
 ネット情報を貼り付けてみよう。
《結膜下出血とは、結膜下の小さい血管が破れて出血したもので、白目部分が
べったりと赤く染まります。多少、目がごろごろしますが、痛みなどはありま
せん。
 原因はさまざまで、くしゃみ・せき、過飲酒、月経、水中メガネの絞め過ぎ
などでも出血します。結膜下の出血では、眼球内部に血液が入ることはなく視
力の低下の心配もありません。
 出血は、1~2週間ほどで自然に吸収されることが多いのですが、強いもの
では2~3カ月ぐらいかかります。いずれにしても自然に吸収されますので、
ほとんどの場合心配はいりません。》

 今回は回復に、3週間以上かかったかな。
 1週間後くらいの、出血跡が少しひきかけた状態(でもまだまだ赤い)を撮
影しておいた。
 こんな感じっす。





2018.02.03 過去
 ナンシー関のエッセイを読んでいたら「カミさんの悪口2」が出てきた。
 TBS日曜劇場のドラマだ。
 田村正和、橋爪功、角野卓三、篠ひろ子なんかが出ていた。
 けっこう好きでよく見ていた。
 そー言えば、篠ひろ子は伊集院静のカミさんになったんだったな。
 ふとエッセイの雑誌への掲載年を見たら1995年とある。
 ふ~ん、なんて見過ごしかけたが、ちょっと待て!
 23年前じゃないか!
 そんな昔のことですか?
 筆者にとってはつい昨日のことなのだが・・・
 歳をとるってこういうことなのね。
 さながら日本地図の如し。
 幼少期から大学時代までの記憶は恐ろしく長い。幅がある。あちこちにメル
クマールがある。
 社会人になってからは、恐ろしく短い。幅がぜんぜんない。
 大学までの記憶は関東人にとっても、関西人にとっても、東京、大阪間のよ
うなもんだ。
 長いし、今どこにいるかの土地認識は持てる。
 社会人になってからの記憶は、関東人にとっての中国地方、関西人にとって
の東北地方と同じだ。
 神戸のむこうは九州、東京のむこうは北海道。
 岡山や広島があるのは知っていても距離感はない。ぺしゃんこなんである。
 仙台の先に盛岡、それから青森だっけ?1時間半くらい?なんである。
 ちゅうことは、これから先は、九州・沖縄か、北海道というわけか。
 夢があると見るべきか、最果てにたどり着いちゃうと考えるべきか。
 う~ん。 

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2018.01.27 雪
 最強寒波のせいか、大阪でも降雪。
 去年も降ちゃあいたな



2018.01.25 最強寒波
 今年の冬はかなり厳しく寒い。
 東京都心では48年ぶりというマイナス4度を記録。
 22日には同じく都心での積雪が20センチを越えた。
 当然のことながら首都圏の交通機関は大混乱。
 普段、降らないところに降るから無理もない。
 東京はおそらく「除雪予算」は計上していると思う。
 でも「排雪予算」はたてていないだろう。
 除雪しとけば、溶けてなくなるからだ。
 雪国では、除雪しても道路脇に積み上げられた雪は溶けない。
 どこかへ捨てにいかねばならない。
 つまり、排雪予算がない自治体は大雪には弱いのだ。

2018.01.15 メレル
 メレルの代表銘柄「ジャングルモック」を買ってみた。
 普段使いできるスリップオンに不自由していたからだ。
 ア●ックスの「ペダラ」とロ●クポートの「モックスリップ」の2足を保有
しているのだが、ペダラはなぜか1日履くと足裏から小指から猛烈に痛くなる
ことがある。モックスリップは、防水性がゼロで僅かな水溜りでもスポイトの
ように水を吸い上げてくれる。晴れの日にしか履けん。
 ちゅうことで2018年度物欲第2弾を発動。
 履き慣らしているうちに気がついた。
 甲の部分の圧迫が強い。
 最初は、若干痛みすら感じたが、そこはそれ、ヤンコのモンクストラップな
ど甲の激痛に耐えること1年、完全に足に馴染んで、最もお気に入りの一足に
なった経験があるので、我慢していた。
 案の定、足に馴染んだ。
 履きやすい、と言うか履いていて疲れない。
 ペダラとモックスリップと履き比べて、既述の甲部の締め付けの差だと思い
至った。
 甲の締め付けがないと、蹴り足の時、踵が靴底から浮くのである。
 どうやら、これが履き心地と足の疲労感に大きな影響を与えているらしい。
 なにごとにも肝があるな。



2018.01.10 カシミアのブラックジャケット
 昨年2月に愛用していたジャケットがお亡くなりになった。
 カシミアのブラックだった。
 2004年に購入したから13年間のお勤めだった。
 気にいったものだったので、トラウザーをジャケットにあわせて揃えていた。
 黒基調だが、ハウンドトゥースやグレンチェックのクラシック柄だ。
 ワードローブの中でもお気に入りのジャケットは3着だった。
 お亡くなりになったブラック、黒と微かにブラウンが入ったハウンドトゥー
ス、濃いレンガ色。
 ブラックにあわせていたハウンドトゥースやグレンチェックは、ハウンドト
ゥースのジャケットには当然のことながらあわない。濃いレンガ色にもイマイ
チだ。
 つまり、遊んでいるトラウザーが生まれてしまったことになる。
 1年間、凌いできたが耐え切れなくなった。
 久しぶりの物欲の蠢めき。
 正月のクリアランスセールを狙って梅田の各百貨店を回ったが、カシミアの
ブラックはなかなか見つからない。
 やっと見つけたが、セール除外品。
 覚悟を決めて購入。
 瞬く間にお気に入りとなっている。

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2018.01.08 2017年の読書
全部で46冊
2017年はあまり読めなかったな。
再読癖が強いんだが、初見本には★を。

容赦なく 上・下 トム・クランシー
日米開戦 上・下 トム・クランシー
札幌いいね!
★ナマコもいつか月を見る 椎名誠
小耳にはさもう ナンシー関
★トモダチ作戦 気仙沼大島と米軍海兵隊の奇跡の絆 ロバート・D・エルドリッヂ
★旅だから出逢えた言葉 伊集院静
★機密奪還 トム・クランシージャックライアンシリーズ外伝 上・下 マークグリーニー
★さよならの力(大人の流儀7)伊集院静
★江戸前 通の歳時記 池波正太郎
★壁 試練だけが人を成長させる 野村克也
合衆国崩壊 1・2・3・4 トム・クランシー
中年シングル生活 関川夏央
★作家の遊び方 伊集院静
★九十歳。何がめでたい 佐藤愛子
★負けを生かす極意 野村克也
★大人の男の遊び方 伊集院静
★陰陽師 蛍火ノ巻 夢枕獏
★糖尿病はご飯よりステーキを食べなさい 牧田善二
大戦勃発 1・2・3・4 トム・クランシー
★リーダーを目指す人の心得(IT WORKED FOR ME In Life and Leadership) コリンパウエル "私はこれでうまくいった"
米中開戦 1・2・3・4 トム・クランシー マーク・グリーニー
広島ルール
マヴァール年代記 1・2・3 田中芳樹
米露開戦 1・2・3・4 トム・クランシー マーク・グリーニー
漫画の時間 いしかわじゅん
★沖縄プチ移住のススメ 吉田友和
★日航123便 墜落の新事実 目撃証言から真相に迫る 青山透子
新戦争学 松村劭

去年は?

2018.01.03 2017年の映画
 銃撃と爆発、アクションに満ちた2017年の映画のラインナップ。
 1月から観たもの順に。
 今年はロードショー21本。
 首尾一貫して『銃撃と爆発、そしてアクション』

「ザ・コンサルタント」
「ドクター・ストレンジ」
「破門ふたりのヤクビョーガミ」
「パッセンジャー」
「キングコング 髑髏島の巨神」
「グレートウォール」
「無限の住人」
「メッセージ」
「ローガン」
「ハクソーリッジ」
「ジョン・ウィック:チャプター2」
「ザ・マミー/呪われた砂漠の王女」
「スパイダーマン ホームカミング」
「トランスフォーマー 最後の騎士王」
「ワンダーウーマン」
「ダンケルク」
「アトミックブロンド」
「ブレードランナー2049」
「マイティーソーバトルロイヤル」
「スターウォーズ最後のジェダイ」
「ジャスティスリーグ」

 んでもって2017年のお気に入り順は・・・

「ジャスティスリーグ」
「ザ・コンサルタント」
「マイティーソーバトルロイヤル」
「ワンダーウーマン」
「スターウォーズ最後のジェダイ」
「ブレードランナー2049」
「ジョン・ウィック:チャプター2」
「グレートウォール」
「ハクソーリッジ」
「ダンケルク」
「キングコング 髑髏島の巨神」
「ローガン」
「アトミックブロンド」
「パッセンジャー」
「無限の住人」
「スパイダーマン ホームカミング」
「ドクター・ストレンジ」
「ザ・マミー/呪われた砂漠の王女」
「破門ふたりのヤクビョーガミ」
「トランスフォーマー 最後の騎士王」
「メッセージ」

 暗っちかったDC系が「ワンダーウーマン」の成功で華が出た。そして目覚
めたねユーモアに。
「マイティーソーバトルロイヤル」はシリーズ中、一番ユーモラスな出来だっ
た。
「ザ・コンサルタント」以降、ベン・アフレックも筆者的には活躍。バットマ
ンも良かった。
 女優陣は、ワンダーウーマンのガル・ガドットがやはり今期2作野活躍。
「グレートウォール」のジン・ティエンも目立たなかったが「キングコング」
と合わせて今期2作。筆者的にはお気に入りなんだが今後は難しいだろーなー。

去年は?

2018.01.02 ドライ(酒抜き)チャレンジ2017
 2016年、ついに完全週休2日レベルの年間105日のドライを達成したので、
2017年はドライチャレンジをやめることにした。
 しかし、1月に2日のドライだったことに、ちょっと違和感を感じた。
 ノルマのないダルダルな生活は、緊張感に欠けすぎる、かも・・・と。
 メリハリがあった方がいいかも、と思い2月は少しドライを増やしてみたが
結局5日のみ。
 いまひとつピリッとしなかったので3月からは月間7日のドライを復活させ
た。
 やはり、人生には多少のプレッシャーがあった方がいい(それほどのことか
?)。
 結局3月以降は月間7ドラを達成。2か月ほど8ドラを積んじゃったし。

去年は?

2017.12.27 散髪
 五木寛之みたいに伸び放題になってしまった髪(五木さんのお知り合いの方
がいらっしゃったらお詫びします)。
 切りたいけど、なかなか行けなかった。出張が多かったこともあるし、こっ
ちが都合がよくてもあっち(美容室)が予約一杯だったり、休みだったりして。
 やっとこ行けた。
 4ヶ月ぶりだった。
 すっげーすっきり。
 シャワーの後、髪が乾くのが早いこと、早いこと。

2017.12.24 老母の寝室のエアコン交換
 マーフィーの法則そのままに、トラブルは固まってやってくる。
 しかも、こっちが忙しいときに限って。
 洗面所の照明が切れた。
 あいにく予備は使い切っていた。
 帰宅したてだがもう一度家を出て電気屋で蛍光灯を買ってくる。

 寒気が例年以上だからなのだろう。
 今まで、一言も言っていなかった寝室のエアコンの文句を老母が言い始めた。
 なぜ、女はこれが始めてのことなのに前から我慢し続けてきたみたいな言い
方ができるのだろう。
 とにかく旧式であることは間違いないし、全然効かないのも事実だから、大
家が交換することになった。ただ、ちょっと面倒なところに室外機がある。工
事の作業空間確保のため家具の一時避難をしなければならない。それも今日中
に。
 
2017.12.23 年賀状投函
 昨年以上にドタバタした今年だったが何とか年賀状を投函することができた。
 プリントゴッコから離れて今年で2回目の年賀状制作。
 裏面を印刷し、宛名も印字した年賀状を携え訪沢し、一言コメントなどを書
いたのは金沢のホテルで。投函も金沢から。
 不思議なもんで、地元で出さないと不安になる。
 届かないんじゃないか?って。
 全国のポストから全国の家庭に年賀状が届くのだから心配する必要はないは
ずだが、そんなところが自分にとってどこが「地元」か?という意識の源泉な
のかもしれない。

去年の今頃は・・・

2017.12.22 乙女寿司
「5時から7時前までで宜しければ」
「かまいませ~ん!その席くださーい!」
 こないだ、8月もこんな感じだったな。
 乙女寿司のカウンターに座る。
 満喫。



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2017.12.21
 湖北はすでに雪化粧をしていた。
 車窓の変化が、日常からの離脱を加速させる。
 長いトンネルを抜けると今庄。
 雪が厚みを増した。
 山肌を包むのは、降雪か、霞か。
 やがて、雪雲が切れて陽光が注ぐ。
 鮮やかな虹が浮かび上がった。

 金沢市内の寒気は緩んでいた。
 手袋はいらない。
 コートは前を開けて大丈夫。

 29日でコウバコが禁漁になる。
 ぎりぎりの入沢だった。
 ズワイの解禁は11月6日だ。
 例年この日を心待ちにしていたのだが今年は仕事に追われた。
 解禁日が過ぎたことにすら気づかぬ始末。
 やっと追いついたか。
 1ヶ月と2週間のビハインドだ。

 2泊の滞在。
「孫助」で前回なぜか食べそびれたステーキを食べたい。
 そして「バースプーン」「乙女寿司」「New狸」「黒百合」にゆければ今
回は、それだけでいい。


 
2017.12.19 老母の難病認定申請
 毎年、これでほぼ1日がつぶれる(ちょっと盛ってる)
 住民票から課税証明書から指定病院の専門医による証明書から、わかりにく
い申請書の作成から、とにかく、まさに「お役所仕事!!」を形にしたらこう
なる、とうような手続きをしなければならないのである。
 なんとか、今年も無事に終了。 

2017.12.19 チェスターフィールド稼動 (去年は・・・)
 今シーズン、初チェスター。
 東京での業務が一時的なものとは言え増大し、これに定例の名古屋、博多の
往還が重なると、気分的には気取った格好などできなくなってくる。
 服装に軽快さを求めてしまう。
 結果、防寒もしっかりできるし、軽量、軽快なハーフキルトコートに袖を通
すことになる。
 大阪が寒くなりかけた頃、かつて東京のTから「ちゃんちゃんこみたいです
ね」と言われたハーフコートを着てしまったためチェスターが出遅れたという
こともある。

 Tは、口数は少ないが、その割に余分なことだけはしっかりと口にする。
 LANVANのコートなのに、それを着た筆者を見て「おじいちゃんみたい」
と言い切りやがった。
 それがトラウマとなりかなり長い期間、袖に手を通さなかったのだが、もう
歳だし、きっと今なら似合うだろうと着始めた。

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2017.12.18 年賀状作成
 東京の社用につかまり、日常を失っていたが、年賀状を何とかせねば、と原
画作成に着手。

2017.12.18 カレンダー
 老母はリビングにお花のカレンダーを欲しがる。
 筆者は自室に沖縄の風景のカレンダーが欲しい。
 トイレは日本の絶景カレンダーがいい。
 以上3種のカレンダーが毎年、我が家にぶら下がる。
 出遅れたが、梅田の東急ハンズで無事、購入。

去年の今頃は・・・

2017.12.13 左目が重い
 実際に荷重がかかって、ということではない。
 白内障が僅かながらだが進行していて、その進行をたまに実感するようにな
り、何となく目玉が「ごりん」と「どよん」の間ぐらい(何のこっちゃ)に鬱
陶しくなることがあるのだ。
 1年前に発症した網膜静脈分岐閉塞症による出血跡はきれいに吸収されて、
その後新たな出血もなく、こちらは終息と考えていい。
 検診も左目しか眼底撮影はしないし、検診期間も以前は3ヶ月ごとだったが、
6ヶ月ごとに間隔が空いている。大きな懸念材料がないということなのであろ
うが、着実に進行している病根がある、というのはやはり鬱陶しいものだなあ。

2017.12.08 東海西日本行脚
 大阪を出て、京都へ。次いで名古屋に入った。
 寒ぶっ!
 名古屋、寒ぶっ!
 万回申し上げていますが、暑さ、寒さは京都より名古屋でっせ。 

2017.12.04 女の性
 性としか言いようがない。
 以前から老母は何かと理由をつけて冷蔵庫を買い換えたがっていた。
 その理由が「音がするのよ」というもの。
 これに対し「冷蔵機能が壊れん限り買い替えの必要なし」と筆者に歯止めを
かけられていた。
 この1週間、社用で東京にへばりついていたので、帰阪前に生存確認の電話
をいれた。
「冷蔵庫が一晩中、音がしたのよ」と言い出した老母は、なんと
「だから、買い換えたの」と宣言。
(そーかー、そーきたかー!)
 留守を狙ってきやがったか。
 次いで
「あなたいなかったし」
(電話を入れればいいだろー)
 いつもは、肉を買ったの、何を買ってきたのと、どーでもいいことを暇さえ
あれば携帯に電話をかけてくるくせに、こーゆー時はかけてこないのだ。
 止められるからだ。
 それが嫌だったのだ。
 買い換えたかったのだ。
 それだけなのだ。
 買い換えちまったのならすべてはせんもない。
 しかも、買い替えで、今までの冷蔵庫は持っていってしまっている。
 故障だったかどうか、すでに証拠も隠滅しているのである。
 実に狡猾。
 実に巧妙。
 何も言わずにいたが帰宅すれば、出てくるセリフは明日、太陽が昇るのと同
じように確実なものだ
「半分出してね」

 その日の夜、帰宅。
 ほーら、帰宅したら
「冷蔵庫代、半分もってちょーだい」だって。
 明日の朝が来るより早く半額負担が確定。
「私が死んだら、あなたのものになるのよ」ですって。
 に、してもなんでこんなデカイの買う?
 前のもでかかったが、新しいのはさらにデカイ! 

2017.11.28 日常性
 家を空けることが多くなった。
 社用のせいでもあるし、ストレス散じのための漂泊のせいでもある。
 日常を離れて長逗留するときに疲労をためない秘訣は日常性の確保だ。
 擬似日常空間を作り上げるということだ。
 起床時間、その後のシャワー、歯磨き、髭剃り、身だしなみなどの手順、食
事の時間とその内容などできるだけ普段通りにできる環境を整える。
 だが、どんなに取り繕っても、1ヶ月かな、もたせられるのは。
 それを越えるとどこか投げやりになるというか、緊張感を失い始めるのだ。
 緊張状態の持続は、もって1ヶ月ってところか。

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2017.11.21 エアコン始動
 東京は寒い寒いとやたらマスコミが煽るから
 東京出張で、厚手のショートコートを着てしまった。
 まだ、トレンチコートさえ来てなかったのに。
 これで今シーズンのトレンチ出動の目はなくなったな。
(去年は11月13日に稼動していた)
 春先に着るかどうか。
 帰阪したら寒かった。
 エアコンを初稼動。 

2017.11.19 志の輔落語
 昨年から寄せてもらっている京都芸術劇場春秋座へ。
 演目は、「茶の湯」と「宿屋の富」
 風流だなあぁ



去年の今頃は・・・

2017.11.05 懐かしい町
 ウルトラマン商店街で有名(?)な世田谷の祖師谷大蔵は、筆者が25の歳
から15年間住み暮らした町。すでに大阪暮らしの方が祖師谷時代よりも長く
なったが・・・
 駅から少し離れた団地の前に「鈴木」という精肉店がある。
 ここの「メンチカツ」と「コロッケ」がとにかく旨かった。
 東京出張中の一日、つかの間の休みを利用して、ちょっとコトリップ。
 祖師谷大蔵へむかった。
「鈴木」は健在だった。
 朝10時の開店のちょっと後。早、お客さんが並んでいる。
 メンチカツとコロッケとトリカラを購入。
 東京を離れて16年近く。
 糖質制限修行の身もあって、この味に再開できるとは思っていなかった。
 やばいよ、やばいよ~ だけどいっちゃうよ~
 あ~懐かしいこの味!
 これ、これ!これよ。メンチとコロッケはやはり筆者にとっては、鈴木が暫
定日本一なんだよな~



2017.10.31 スリーピー稼動
 朝の気温が8.3度ではスリーピーにせざるをえない
 風がないせいか、コートはいらん。
 昨日は、京都で木枯らしを感じたんだが・・・

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2017.10.28 衣替え
 クリーニングに夏物衣料を大量に叩き込む
 ただし、今年は3回にわけて。
 去年は11月4日だったからちょっと早い。
 
 冬ものスーツが出来上がったので取りに行った。
 ひさしぶりのイージーオーダーだ。
 前回は2010年だから7年間も兵力補充をしていなかった。
 その間、スーツ1着、ジャケット1着が退役していった。

 んでもって受け取りに阪急メンズ館を歩いていたら
 至極当然のことではあるが店内や客の装飾がダークなのだ。
 秋冬になってるのね。
 ところがこっちは、白のシアサッカーに派手なエメラルドグリーンのかりゆ
しウェア。
 白のチノパン。
 浮くな~

2017.10.27 4つのうちひとつでも
 血糖値、月の支出総額、体重、ドライ日数。
 この4つが筆者のコントロール対象。
 どれかひとつでも、アドバンテージをとれていれば、心慰められるのである。
 4つともアカンと気分はブルー

2017.10.25 眉毛が白い
 白髪は放置している。
 でも眉毛の白いのが長いと、すっごくじじ臭い。
 どーしよー?
 そーだ。
 黒マジックで塗っちゃえばいいんだ。

2017.10.23 北海道でいよいよ積雪
 冬が始まるのか?
 あまり実感、湧かないけど。 

2017.10.19 60年ぶり?
 東京の冷え込みは10月にしては60年ぶりのものだそうだ。
 日中の最高気温は11度。
 大阪はそれほどでもない。
 先般、冷え込み始めた東京出張時に長袖を着てはみたものの、それ以降、い
まだに半袖のワイシャツを着ているし、寝具はタオルケットだ。さすがに17
日からTシャツ、短パンはやめてパジャマにしているが。

2017.10.18 お一人様?
 NHKの早朝のニュースで暇ネタなんだろう、『今、お一人様市場が成長中』
なんてやっていた。
 とんでもない話である。
 こちとら20数年来のお一人様だ。
 筋金入りのお一人様である。
 だから言わせてもらうが、お一人様ちゅうのは、決して日が当たってはいけ
ないアウトサイダーなのだ。社会不適合者なのだ。
 まっとうな社会的責任を果たしている家族持ちがいる日向の世界に背を向け
て、世間の片隅で肩をすぼめてひっそりと生息している。それがお一人様なん
だ。
 いくら暇でニュースネタに不足しているからといって、それを取り扱ってい
かにも世間的に認知が進んでいるなどと当事者が勘違いしそうな話に落とし込
んではいけないのである。
 わかったか!NHK。
 ほっといてくれ。
 そっとしといてくれ。

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2017.10.17 ネクタイ
 東京に出張。最高気温14.3度。10月中旬で15度を下回るのは46年
ぶり。前回は1971年ですって。
 だから、長袖のワイシャツにしてネクタイもちゃんと締めて家を出た。
 都内では恐らく12、13度くらいだったんじゃないか。
 確かに、ちょっと冷え込む感じではあったが、「寒反応」をひきおこすほど
じゃなかった。

 寒反応はコチラ

2017.10.10 疲労感あり
 疲労が抜けない。慢性疲労状態。ドライにした。今月3日目のドライ。
 木、金と深酒して、せっかく博多にいるのだからと土曜は昼酒。
 その日はそれだけにすればよかったのか。
 夜、軽く食べて白ワインを半分飲んだら、一気に疲労が引き出されたような
感じ。
 日曜にドライして月曜に適量のはずのワイン1本とスタイルフリー350飲
んだら、火曜の目覚めが悪かった。老いか?一過性の飲み疲れか?体がどこか
壊れているのか?

2017.10.03 スリーシーズンスーツ復活
 でもまだネクタイ締めず
 帰宅時に締めたままで1本ずつ戻す

2017.09.13 一神教じゃないんだけどな
 最近の不倫バッシングを見てると、日本もキリスト教国になったな~と思う。
なってもないのに。
 日本は少なくとも江戸の昔から戦前まで風習として「性」の縛りは緩い国だ
と思っている。封建体制下や、武士のお家継続のための側室制度とはちょっと
違う意味で。
 お大尽になったら妾の一人も・・・みたいな通念は、日本男子共通のもんだ
と思っていたが(この制度を支持している訳ではないからね)。もはやそれは
失われつつある。
 確かに、近時の愛人と妾は違う。
 妾は男が、その生活すべての面倒をみることができる大人の甲斐性あっての
話で、愛人となるとそこのところが自由恋愛の逸脱ちゅう感じに落ちこんでし
まう。
 旦那衆になったら妾を持ちたい、と言うのは経済力が背景にあって、それを
達成した他人を、羨ましいとは思っても誹謗中傷の的にはしなかった社会的背
景下の物語だ。
 戦後民主主義教育は、男女が机を並べるところから始まっているから、そこ
で育った世代が旧時代の「悪しき」風習を尊ぶはずもないのは自明だが。
 でも、世間は下世話な話が好きなだけな気もする。羨望と嫉妬と悪口の無料
セット販売だよね。結局。

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2017.09.07 ハエや蚊はたたけるだろーがゴキブリはどーなんだ?
        キネティックじゃないから気楽にタタクんだろ!君たちは

 叩く、叩く、最近はマスコミでもSNSでも何かあれば叩きまくるのがブー
ムのように叩くね。
 日本人の国民性がそうなのだとは思わない。アジアだってアラブだって欧米
だって叩くでしょう。原因は宗教的な倫理観に逸脱した場合もあるだろうし、
スキャンダルだってネタになる。
 人は他人を叩くのが好きなのだ。
 ただ、日本でも昔は、今のようにここまで一億総だたきには簡単にはならな
かった。
 やっぱ道具のせいでしょう。
 ネット社会になって、個人が好き放題にものを言えるようになったこと、そ
してそれを共有したり、拡散させることがいとも簡単になってしまったことが
原因だよね。
 昔は、そーゆー扇動はマスコミにしかできなかった。一個人の発信力など新
聞の日曜版への読者投稿ぐらいのもの。ましてや、それらもマスコミが自身、
選別したものでしかなかった。叩きまくりはあったとしても地域限定の村八分
ぐらいにとどまっていたような気がする。

 物言えば唇(くちびる)寒し秋の風。

2017.09.04 エアコン期間終了
 ホンマ、エアコンのオンステージが短くなったなあ。
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2017.08.28 健康診断
 量作戦失敗。
 結果は70.2キロ。
 あと300gだったかぁ~

 せめてもの言い訳は、BMIが24.4だったからデブではない。
 断食は65時間の実施で問題なし。
 非常時にモノ食えなくても65時間はなんもだ~ちゅう実証にはなった。

去年の今頃は・・・

2017.08.27 健康診断
 去年は社会人になって達成した高度体重成長から初の70キロ切りを達成し
た。
 体重68.2キロ。

 今年も狙った。
 しかし、諸事情から去年ほど減量作戦をスムーズに進められない。
 26日の体重は73.5.
 髪を切った。絶食もしてみた。
 27日の体重は72.0。
 微妙だな?。ど?した??
 健康診断は明日だぞー
 
 絶食をし始めている。
 実は、糖質制限しているので空腹感はあまりない。
 代謝もケトン体燃焼系になっているので何もしていなくても体脂肪燃焼が継
続しているはず。どんぐらい代謝してるのか試してみた。
 1日、1.5キロか?。
 水分は制限してないから発汗を促進し、水飲まなきゃもう少し減らせるかも
だがそれはやらない。体に良くない。
 日常、糖質摂取してると代謝は解糖系に頼るので体脂肪燃焼はあまり期待で
きない。
 その点、市販されているトクホ飲料で脂肪の分解を謳っているが糖質を日常
的に普通に摂取している人にどれほどの効能があるのだろー?かなり疑問だ。
 体にとっては、ケトン体が炭なら糖質は新聞紙だ。
 燃やすのがめっちゃ楽なんで糖質入れたらそっちに代謝を頼るのは自然な流
れなのだ。糖質制限始めても解糖系からケトン体燃焼系へ体が変わるのにある
程度の期間が必要になる。
 閑話休題、今日も食い物は抜いている。

 夜、断食開始48時間経過。
 体重は71.0。
 微妙だ。実に微妙だ。あと15時間。
 ついでに断食実験の備忘。
 水分は、水、コーヒー、カロリーゼロ飲料(アップルティー)を気の向くま
まに飲んでいる。固形物(食い物)は何一つ入れてない。
 今朝の時点で断食開始から36時間だったが、空腹感はなかった。
 体調に変化なし。
 朝の血糖値は91。
 昨日の朝97。
 日頃筆者を悩ます糖新生による糖質生成が、今回は断食中の万が一の低血糖
への安心材料になっている。
 念のため断食開始から42時間後と46時間後に血糖値測定。
 117と97だった。
 今回は糖新生、いい奴認定。
 体調も問題なし。
 関大前で、強烈な西日を浴びながらビラ配りするも普通に遂行。ついでに関
大から一丘越えて自宅まで徒歩で帰宅。

2017.08.21 東京は8月に入って21日連続降雨 40年ぶり 
 関東は8月に入ってからは、夏らしくない日々。梅雨みたいな感じが続いた。
 関西は夏らしい夏。
 出張で東京に行くと涼しくていい。

2017.08.09 カフェでネズミ
 梅田のカフェで朝のコーヒーを喫するのが習慣だ。
 いつもの席に座り、ふと前を見たら、灰色の塊がちょこちょこと動いていた。
 ネズミだ。
 鼠と書くと少し厭な感じが増す。
 しかし、なぜかゴキブリよりは微笑ましい。
 不衛生なのは知っている。病原菌の保菌者であることもわかっている。
 なのにあまり目くじらたてることなく「カワイイ」とさえ思ってしまうのは
哺乳類同士の親近感か?
 やっぱ、昆虫(ゴキブリ)は、あいいれないのである。

2017.08.05 乙女寿司
「5時から6時半までで宜しければ」
「かまいませ~ん!その席くださーい!」
 ついにとれた。
 乙女寿司の席が。
 北陸新幹線開業前までは、取りにくくはあっても年に最低でも3回は訪沢の
際に訪れていた店だったが、2015年5月の訪店が最後になってしまってい
た。
 その時「新幹線が開業したら、どうなるんですかね」などと今にして思えば
ノーテンキなことを言っていたわけだ。「開業したらこーなるのね」と201
7年10月に2年5ヶ月ぶりのカウンターでしみじみと思った。
 筆者の大阪住まいをきっかけにゆきつけとなったのだからかれこれ15年に
なる。
 乙女寿司、太平寿司、千取寿司本店、小松弥助。
 大将の年齢順に並べれば、一番若い店だったのだ。
 千取では2代目が店をまかされ、弥助は一度店をたたんで最近復活した。寿
司屋以外では「さわいのパン」「寺起屋」も店をたたんで久しい。歳月は、そ
れを振り返り慈しむほどの年齢にならなければ、羽毛のように軽いものにすぎ
ないとわかってきた。

2017.08.04 金沢駅に自動改札が?!
 太平洋上で自転車並みのスローペースで足踏みを続ける台風5号の影響か、
日本海側はフェーン現象をともなった猛暑に焼かれていた。
 金沢では35度弱、もう少しで猛暑日だった。
 そんな金沢駅に降り立ったら、あーらビックリ!中央改札がとうとう自動改
札機になっているじゃああーりませんか。
 いや、実は金沢駅のJR改札口、駅員が立って検札していたんです。つい、
前回の訪問までは。近代的になったな~

2017.08.02 北陸、新潟、東北  梅雨明け

2017.07.19 大阪、梅雨明け
 お待たせしました。

2017.07.14 地元で蝉の合唱開始
 6月末に行った石垣島では、まだ蝉の鳴き声はなかった。
 今朝、駅に向かう途中の街路樹から蝉の合唱が降り注いできた。
 いよいよ夏本番か。
 日の出の時間はすでに折り返していて遅くなっているのだけれど・・・
(最速は4時44分だったのだが、今日は4時55分)

2017.07.13 大阪もついに猛暑日

 北海道は14日に10日連続の真夏日。20年ぶりの記録。
 今年は猛暑の夏になるのかな。

2017.07.13 九州南部梅雨明け
 九州南部で梅雨前線が消滅したようだ。
 九州南部は梅雨明け。

2017.07.12 習慣は変わらない
 新卒で採用された前職のC社時代、起床時間は今より遅かったが、家を出る
時間はほぼ同じだった。
 今は、6時半前に職場のある梅田にいるが、あの頃は恵比寿に7時頃につい
た。この時間差は東西での職住環境の相違に他ならない。
 あの頃、朝7時の恵比寿は、まだやや気だるい雰囲気を漂わせていたし、会
社へ向かう道中に今のようなカフェなんてなかった。それでも、夜はスナック
となる店がモーニングをやっていて、その開店時間が7時だった。新入社員の
あの頃も出社前にコーヒーを飲んでいた。スナックの店員が、夜用のミネラル
ウォーターの瓶に水道水を入れて割り箸をちょこっとさしていた。あれは何の
まじないだったのだろうか。
 とにかく、人間はあまり変わらないようだ。結局、梅田のカフェでコーヒー
を喫するのが1日のスタート。
 32年間かわらない習慣。

2017.07.11 夏の装い
「日本の夏はアフリカより暑い」とマサイ族の男性が言ったとか、ネットにあ
がっていた。
 暑いのではなく蒸し暑いのである。
 モイスチャーが多いので酸素量が少なくなるのだろうか。大気中の酸素含有
量は21%だが水蒸気に少し場を奪われるのかしらん。息苦しいときがある。
 筆者も夏場のノータイはすでに日常となってしまった。
 でもジャケットは着ている。
 これがないとポケット数の減少に持ち物の数が耐え切れないから。
 ただし、本切羽(袖のボタンが飾りでなく本当に着脱のできるタイプ)で腕
まくりのできるデニム地のもの
だ。
 トラウザーは、夏用スーツの下をそのまま利用していて、上はタンスでお休
みである。
 下はスーツ、上はカジュアルジャケットだから、バランスをとるためジャケ
ットの色は派手にしている。
 で、もってオフィスに入るとネクタイ装着。
 オフィス内はクーラー効いているからね。それに外に出かける職種でもない。
 クールビズのエクスキューズである室温28度なんかには絶対なっていない。
 客商売なので、客が暑いと言えば(言うはず)室温は下げざるを得ない。
 オフィスでネクタイをしていると、営業職がネクタイを外しづらい気持ちは
わかる。訪問先でネクタイされていたら、ノータイにはなれないよな。
 だから、営業と会う時はノータイになってあげて、営業職が気をつかわずに
すむような環境にしなければならない。とは言え、すべてのオフィスでそうし
なければ、結局、営業はネクタイを締め続けなければならない。
 国民運動にすべきだな。

2017.07.08 博多の20時はまだ明るい
 また、山笠の季節になった。
 飾り山が並んでいる。
 中洲流と、オフィスが新しくお世話になる新天町流。
 サザエさんなのね。



2017.07.01 クーラー稼動
 去年よりは3日早い。
 設定温度は28度でやっていける。
 そのかわり、一晩中つけっぱなしの、扇風機も回しっぱなし。

去年の今頃は・・・

2017.06.23 慰霊の日
 沖縄では慰霊の日。
 朝、関空からの便の離陸時間が那覇空港管制からコントロールされて遅らさ
れた。
 那覇空港では利発着便の遅延が次々と伝えられていた。
(なんじゃ?)
 搭乗口通路の中央に柵が設けられ花道が用意されている。
 その回りにはSPや警備関係者。
 その即席の中央通路を東南アジア風の黒いシャツを着た連中が数人歩いてい
る。どこぞの国から沖縄訪問しているのか?背をむけて座りなおした。
 やがて大きなザワメキが生じたので背後を振り返ったらアベくんが歩いてい
た。柵の周囲の大衆に向かって手を振ってる。時にはオバチャンの肩を抱いて
握手も。
 慰霊の日に出席してたんだ。
 政府専用機のおかげでダイヤが乱れてたんだ。
 納得。
 以前、羽田でも、彼がアメリカに行くときに同じような目にあったことを思
い出した。
 こと、エアに関してはアベくんとは相性が良くないのであった。

2017.06.22 沖縄が梅雨明け
 今年の梅雨明けは遅かった。
 明日から、石垣島行なのだが、なんとか間に合ったかな。

2017.06.21 北陸が梅雨入り
 石垣からは夏至南風(カーチバイ)の便り。
 梅雨が終わり、夏が始まる1週間ほど、南西の強い風が吹き、海ががぶるこ
とがある。
 この南西の風を夏至南風(カーチバイ)と言う。
 いよいよ梅雨明けだ。

2017.06.18
 二日酔いでは、気持ち悪くなるのが常だった。吐くこともたまにあった。
 それが糖質制限を始めたら、気持ち悪くなる二日酔いがなくなってしまった。
 頭痛とは昔から無縁だったから、二日酔いをしなくなったということになる。
 ただ、翌日もフワフワしていることはある。
 それが糖質制限時代の二日酔いなのかもしれない。
 隣町で昼酒。
 最近身についた悪癖である。
 京都か、神戸で昼、食べて呑む。地元(大阪)ではほとんどやらない。

2017.06.16 入梅宣言は早まったんじゃないか
 天気予報で梅雨の晴れ間、とか、中休みとか言っているが、そんなもんじゃ
ない。雨が降らんのだ。入梅からこっち、まともな雨は1日ぐらいしかなかっ
たんじゃないかしら。
 気象予報士の舌打ちのコーラスが聞こえてくるようだ。
(しまった~、もうちょっと待てばよかったか~)
 後半も降らないとなると、水不足や農作物への影響が心配になってくるな。

2017.06.07 四国~関東甲信越が入梅
 去年は6月4日だったな。

2017.06.02 13回忌
 去るものは日々に疎し。
 亡父の13回忌を迎えた。
 あれから早12年になるのか。老母との同居も10年になる。
 中年の気ままなシングルライフを失って10年か・・・
 来阪前に「友達はいなくなる」「俺はほとんどまかってやれない」と脅迫半
分で覚悟を質せば「泣き言は言わない、愚痴は決して言わない」と言う。「だ
からそっちに行かせてちょーだい」「文句は言わないんだな?」「言わない」
なんてやりとりの末、やって来たのだ。
 しかし家内のことを支配したがるのは専業主婦を稼業としてきた婦人の常。
うやむやのうちに多くの自治権を失ってしまった。きわどく占有できているの
は、家の面積比で言えば六分の一というところか。
 これでも、それなりに整理整頓も行き届き、きれいな生活をおくってきたつ
もりだったが「綺麗」という言葉の尺度は男と女の間には揚子江の河幅なみの
隔たりがある。
 所詮、男の「綺麗にしている部屋」なんてのは女にしてみたら「整理された
豚小屋」程度のものでしかない。とりわけシンク回りの清潔維持に関しては、
女は、冬眠明けの子連れの熊のようにテリトリー意識が強固だ。男の「綺麗な
シンク」は女にとっては「食卓を雑巾がけして食事を始める」ようなものに違
いない。
 男は女に敵しえない。
 
2017.05.08 半そで
 いよいよ、通勤時のインナーも半そでに。

2017.04.27 台風1号
 今年の第1号が発生。
 ちなみに2号は6月の中盤になった。

2017.04.19 東京4日連続夏日 観測史上タイ
 16日~19日まで夏日ですって、東京。4月なのに。

2017.04.22 クリーニング
 自転車がなくなってしまったので老母のショッピングカートを借りて、巨大
バッグにしこたまの冬着を詰め込んで、恒例のクリーニング出し。
 詰め込みきれないで、ジャケットやチェスターフィールドコートを着て店に
向かう。季節感はゼロ、と言うか、変なおじさん様の視線が集まる。はなはだ
恥ずかしい。汗は暑さのせいだけではない。
 近所のクリーニング屋の割引セールの期間が筆者の衣替え時期と合わないの
である。
 老母来阪前に住んでいたマンションそばの店に遠征しなければならない。
 んでもって、GW明けに近所の店から割引セールのハガキが届くのよね~
 今年もやっぱ、そうなった。

2017.04.12 歯冠(右上奥)落ちる
 いつもは、取れたら速攻で歯医者に行く。
 また被せてもらって、それだけで終わるのだが・・・
 いつもと違って歯の空洞部が痛かった。
 なんと奥歯(右上)がマップタツに割れていた。
 小片の方を抜くことになった。
 まずレントゲン。
 それから麻酔注射。
 ずううううううん
 歯の麻酔注射ってどよ~んと圧迫かけてくるいや~な感じなんだよね。
 ちゅいーん
 次いでドリル。
 欠けている歯の上部はすぐ取れた。
 根っこがなかなかとれない。
 難儀をしつつ抜歯完了。
 施術時間は1時間。
 明日も消毒に通院。
 残した歯の欠損部に金属の柱を埋め込む形で補完して冠をかぶせるらしい。
 歯を抜いたという外科的侵襲だろうか?
 寒気がする。
 これは、一種のショック状態?

2017.04.04 コートなし3Pで挑戦
 OK牧場だった。
 ちょっと花冷えの気配あるも、もうコートはいらんよーだ。

2017.04.03 コートなしヒートテック&セーター、ジャケットで挑戦
 風が寒く、会社の置きトレンチを着て大阪城へ桜はまだまだ。京都の円山公
園もまだまだ

2017.04.02 東京の桜、満開
 大阪はまだまだ、と、言うか、今年は花冷えのせいか桜は長く楽しめるかも。

2017.03.26 初めての低血糖
 糖尿人とは言え、頓服的に使用する以外、日常では薬は飲んでもいないし、
打ったこともない。
 糖質制限を始める際、薬を常用していると低血糖を起こす可能性があると、
ドクター江部も書いているが、既述のとおりなので、まったく気にせず8年間
糖質制限を継続してきた。
 京都で和食を、軽く昼酒がらみで楽しんで、帰宅したら、なぜか悪寒がした。
 冷や汗が出る。
 軽く指先が震え始めた。
(まさか?)
 知識としてはあった、これが低血糖なのか?!
 血糖値を自己測定器で計測したら、59だった。
 以前、もっと低いこともあったが、その時はこんな症状は出やしなかった。
何はともあれ。低糖質のバニラアイスと、長い間放置していた博多土産(貰い
もの)のめんべいを2枚摂取したら、回復した。
 得難い経験であった。

2017.03.22 東京の桜開花
 いつものことだが、東京の桜は早い。
 去年は大転倒の後遺症で桜どころではなかった。
 今年は、できれば愉しみたいとは思っている。

2017.03.21 チェスターいらんかった
 暖かい。と、言うよりチェスターでは暑い。
 
2017.03.19 トレンチ再稼動
 冬の始まりと終わりにしか稼働しないトレンチがシーズン最後のご奉公。

2017.03.18 日展
 今年も日展に行った。
 気にいって買った絵ハガキは4種。

2017.02.26「ひつじのショーンカフェアネックス」閉店
 低糖質のケーキを販売する「ひつじのショーンカフェアネックス」を見つけ
て通いだしたのは去年2016年の10月からだった。
 糖質表示量について、筆者の食後血糖上昇値から見ると若干の誤差はあるも
ののおおむね良好。信頼のおける店として定着した。
 お気に入りの店だったが、2月26日で閉店との告知がHP上にあがった。
 残念だな~わずか4カ月のおつきあいだった。
「カサデマノーロ」や「明治屋神戸中央亭」の閉店とは違った意味で残念。
 筆者が糖質制限を始めた9年前を考えれば、糖質制限もかなり人口に膾炙し
た。利権喪失を恐れる糖尿病学会や製薬会社などの嵐のようなネガティブキャ
ンペーンにも生き残り、それなりの存在感を示している。しかし、当初、糖尿
人の生存の術としての食事療法から始まった糖質制限も本来の目的から言えば
副次的なダイエット効果が注目され、そのための利用者が増えているのも事実
で、食品メーカーや痩身指導メーカーなどがターゲットをそちらに向けている
のは経済効果から言えば当然のことではある。だから、なのだが最近の低糖質
を謳う食品が厳密に言えば低糖質ではなくなってきている。ローソンのブラン
パンシリーズなど、ブランパンが1個2.2グラムという低糖質を維持してい
るだけでその他のラインナップは、平然と15グラムやら18グラムやら20
gを超える商品も出ている。人によって血糖値上昇には差異があるから一方的
には言えないが、少なくとも筆者のからだにとって、ブランパンは1個4グラ
ム弱の糖質量だと考えている。したがってシリーズ中の緩い低糖質パンは20
g超と考えねばならない。実験的に食べてその推測を裏付ける楽しみ以外には
もはや見向きもしなくなっている。
 そうした中で、糖尿病を見据えてちゃんとした低糖質食品を作り続ける店は
得難い存在なのである。だから、残念なんだ。「ひつじのショーンカフェアネ
ックス」の閉店は。



2017.02.19 部屋の片づけ第2弾
 1月29日のホテルデスク上AV機器整理&書棚整理に次いで、寝室の本整
理。

2017.02.07 スーパー再開
 
年末で閉店した地元スーパー「ヴェンベール」の後に、小規模スーパーの運
用で成長している「フレスコ」が入居してきた。京都を本拠地とするスーパー
だ。
 家チカにスーパーがあるのが当たり前の生活だったので「フレスコ」の開店
までの1ヶ月ちょっとの間、かなり不便だった。
 老母も「やっぱ便利よ~」と喜んだ。
「でも、野菜は××の方がいいし、魚は××ね。お肉も××だわ」
 思いついたことを頭の中で整理することなく口にする老母だから、翌日に前
言を覆すことは、一再ならずある。真面目にとりあわないことにしている。
 1週間後、「フレスコ」は老母にとっては便利で頼りになるスーパーの位置
づけを確保したようだ。
「野菜がいいのよ。お魚も・・・」
 先週、何言ったか覚えているか?
 とも言わないようにしている。


2017.02.01 J&Mのリペア
 ジョンストン&マーフィーのプレーントゥ、革はコードバン、色はバーガン
ディ。
 2001年12月に購入して15年とちょっと。
 ヤンコのモンクストラップとならぶ筆者のお気に入りの一足。
 靴底はペッラペラとなり、まるで足袋を履いているかのような路面との接地
感。おまけに穴まで開いて路面の水たまりをスポイトのように吸い上げる。
 修理に出した。
 送り先は、目白の「靴修理工房GLUE」。
 ほぼ1か月半後、修理が完了し、筆者の手元に、いや足元に帰ってきた。
修理部は、オールソール(レザー)、ハーフミッドソール、トップリフトは月
型で。
 お帰りなさい。
 ちゅうことで修理前と後の画像をペタ



2017.01.26 ああ15年か

 大阪に来て15年が過ぎた。
 40歳で来阪して、今年56歳になる。
 普段、気にも留めていなかった小さな(とそのときは思っていた)変化の積
み重ねが、いつのまにか、『世の中、こんなにも変わったのか』と驚かされる
今日この頃。
 15年前に誰が今の世を想像できたろうか。
 このあと、15年でどうなるだろうかという思いには、期待よりも恐れの方
が多い。
 それに、筆者に次の15年があるかどうかは定かではない。
 故・野坂昭如ではないが『どーせ自分は死んじゃってるんだからこの先のこ
とは関係ないもんね~』という部分はちょっとある。独り身の身勝手である。
 1991年に上梓された椎名誠のエッセイを読んだ。
 時代を俯瞰して見ている様な気分にさせられた。
 今は70代になっている椎名クンが40代の頃に綴ったエッセイの集成だ。
 今でもそこに書かれている気持ちは変化がないかどうか本人にインタビュー
したくなった。とにかくいろいろなことが変わった。変わらないのは、机上の
作文を現実世界に押し付け、逆に状況を悪化させることの多い、省益優先のキ
ャリアが支配する官僚社会。
 絶対に縮小することのない肥大化しかしないシステムである。
 もうひとつ変わったのは、世の中がそーいったものによって民衆のことなん
かそっちのけで作り上げられるのだというカラクリに気づくようになった自分。
 政治は、それを軽んじるものにしっぺ返しを与えるというが、ハッキリ言っ
て、政治は政治であり、行政は行政として政治に対抗しうる。頭を垂れていれ
ば、頭上の大臣なんかすぐにいなくなるのだ。
 な~んか憂国の士になっちゃったようだが、憂国って言葉もなんだかなあ~

2017.01.25 チャリがない?
 マンションのゴミ置き場の横に駐輪場がある。
 ゴミを出しに行ったら、駐輪場が随分すっきりしていた。
 昨年末に1か月程度、マンションの再塗装(含む防水処理)をしていたのだ
が、駐輪場も含まれていたのだろう。以前の住人が転居の際、放置していった
自転車もあったのだろう。(誰のじゃ?)なんて古い自転車が数台あった。法
的にはいろいろ問題もあろうが、この機会に撤去してしまったのかな?などと
自転車置き場を改めて見ていたら・・・
(ありり?)
 筆者の自転車もない。
 1995年に購入した「羊の皮をかぶったママチャリ2世号」の姿がない。
 最後にいつ跨ったかも定かではないほどこいでなかったのだが、当然、空気
もぬけてタイヤもペシャンコだったろうし、埃も積っていたろうし、名前を書
いてないしで、撤去されちゃったのか、あるいは盗難にあったのか?
 合掌である。
 22年モノなんで、すでにディスクブレーキが摩耗しきってブレーキングの際、
シャリシャリいっていたし、前輪のブレーキホースもところどころ穴が開いて
錆が浮かんでいた。内装7段という販売中止になったシマノの変速機はちと惜
しいが、もろもろガタがきていて走行中の事故が怖くなっていた頃合いだった
ので、廃棄料なしで廃棄できたと思ってラッキーであった。
 ただ、後継機を買うかどうかが試案のしどころだな。
 今のところ、往時のようなチャリ漕ぎの情熱がなくなってしまっている。
 チャリ漕ぎに限らず、最近、人生の変節点を迎えた感が濃厚になってきた。
 体力的には、昨年3月の転倒から、明らかに下降局面にある。右股関節の痛
みは、あきらかに最近顕著になり、右足の抱え込みが左足より辛い。
 衣服も靴も往時に購入したものばかりで、どこかしら着古した感が表に立つ。
 書斎の本棚を眺めれば、チャリ漕ぎや旅行の際に使っていた東京、神奈川、
大阪、京都、神戸、北海道の道路地図帳や、広辞苑、和英、英和、カタカナ、
西洋地名辞典などが本棚にギュウギュウ詰めになっている。
(いらんな~もはや。ネット社会では)
 部屋を巨細に眺め渡すと、明らかに老境に近づきつつある男の部屋という感
じが否が応でも目につくのである。
 公私において改装や模様替えは好きなほうなのだが、自室においては少し、
放置しすぎたかな。
 気がついたので、VHSデッキやDVDデッキ、パナソニックのデューダな
どを組み直して今だにアナログ、デジタル変換ケーブルで繋がれているモニタ
ーにアナログケーブルで繋ぎ直して自室のホテルチェストとテーブルの上をす
っきりさせてみた。だから、アナログは捨てろって!そろそろ。
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2017.01.15 京都で積雪
 自宅前がうっすらと積もっていた。
 たまには「京阪」に記事を載っけるか


 前回は、2014年の1月だった。
 休みの日に降らねば、京都の雪景色は見ることができない。
 朝から期待通りに雪。
 隣町というのがちょうどいい。
 隣町だから気軽に行ける。
 ついでに言えば、地元民はいつでも来れるから、結局死ぬまで行かない。
 神戸に住んで、大阪で働いて、京都に遊ぶのがいいと言うが、大阪に住んで
働いて、神戸、京都に遊びに行くのが一番いいに決まってる。
 神戸も京都も隣町なのがいい。
 もっとも、神戸も京都も大阪が隣町だとの認識はないだろう。
 地方と言えども中華思想はある。自分たちが文化の中心というわけだ。いや、
地方だからこそ中華思想は濃いのかもしれない。沖縄なんか本島の中華意識は
離島を睥睨するように強い。
 大津でさえ、大津っ子は滋賀県民であることを隠そうとする。
 つまり滋賀の中心なのだ。
 神戸っ子は自分たちを兵庫県民だとは思っていない。それは、浜っ子が神奈
川県民だと言われると顔をしかめるのと同じだ。
 つまり、そーゆーことだ。


2017.01.08 ふくろうカフェ
 昨年9月に「明治屋神戸中央亭」が閉店してから足が遠のいていた神戸へ。
 元町の「六段」でチャコールのヘレを満喫したあとアーケードを流そうとし
たら「ふくろうカフェ」が目にとまった。ワインの軽い酔いも手伝って扉を開
けた。
 店の壁面に上下2段組の止まり木が設置されていた。止まり木には様々な種
類のフクロウ君(あるいはさん)。反対側に客が座れるスツール。座っている
もよし、近づいて手の甲で軽く頭をナデナデしてもよし。
 コーヒー1杯は1500円。
 天王寺動物園より高いがニフレルよりは安い。規模が違うけどね。
 フクロウってシンメトリーだねぇ。
 いや、ナデナデして間近で見てると愛くるしい奴もいたりして結局、それな
りに楽しんでしまった。
 たまには動物に触れるのもイイネ!

2017.01.07 2016年の読書
 昨年1月から書斎代わりの部屋のテーブルに、読み終わった本を積み上げて
みることにした。12月を終えて、1年間、どんな本を読んだか振り返ってみ
ようという企画だ。
 再読、再々読、再々々読・・・の習慣が強い筆者は、あまり新刊(と言うか
初見)の本には手を出さない傾向がある。
 どうだったのだろう、と年が開けたらテーブルの上をチェックした。
 数えたら、69冊。うち、初見本は26冊だった。予想通り、作者には偏り
が見られるが、ま、そこのところは、ひとつ。
 初見本には★をつけてみた。


名将たちの戦争学 松村劭
司馬遼太郎 旅のことば 朝日新聞社編
新史 太閤記 上・下 司馬遼太郎
★ゼロの迎撃 安生正
あやし 宮部みゆき
それでも前へ進む 伊集院静
★なぎさホテル 伊集院静
続・大人の流儀 伊集院静
★別れる力 伊集院静
★許す力(大人の流儀4)伊集院静
★追いかけるな(大人の流儀5)伊集院静
★不運と思うな(大人の流儀6)伊集院静
スマイル 林俊介
茫々酒中日誌 林俊介
★タイタニア5 田中芳樹
★アルスラーン戦記15 田中芳樹
白夜の弔鐘 田中芳樹
何はさておき ナンシー関
「坂の上の雲」と日本人 関川夏央
やむにやまれず 関川夏央
横浜ルール 
レッド・オクトーバーを追え 上・下 トムクランシー
米中開戦1・2・3・4 トムクランシー
★米朝開戦1・2・3・4(トム・クランシー ジャックライアンシリーズ)マーク・グリーニー
ライアンの代価1・2・3・4 トム・クランシー
教皇暗殺1・2・3・4 トム・クランシー
デッド・オア・アライブ1・2・3・4 トム・クランシー
★米露開戦1・2・3・4 トム・クランシー
愛国者のゲーム 上・下 トム・クランシー
クレムリンの枢機卿 上・下 トム・クランシー
レインボー・シックス1・2・3・4 トム・クランシー
★関西人の正体 井上章一
★陰陽師 醍醐の巻 夢枕獏
★陰陽師 蒼猴の巻 夢枕獏
★陰陽師 酔月の巻 夢枕獏
笑う長嶋 夏目房之介
人生の達人 夏目房之介
★君はどこにでも行ける 堀江貴文
★99%の会社はいらない 堀江貴文
★ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン 上・下 ピーター・トライアス
テレビ消灯時間 ナンシー関
重大事件に学ぶ「危機管理」 佐々淳行
★最後のおでん 北大路公子
★ケトン体が人類を救う 宗田哲男

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2017.01.04 ドライ(酒抜き)チャレンジの総括
 年間のドライ日数推移
 2009年、67日
 2010年、53日
 2011年、65日
 2012年、31日
 2013年、27日
 糖質制限で酒食を抜いている代償行為なのか、酒量が増え続けて年間のドラ
イ日数が年々減っていた2014年、ドライチャレンジを開始した。
 アルコール依存症ではないことを証明するつもりだったのだが・・・

 2014年は、月5日をノルマとして、年間60日を達成。正確には1日無
駄弾を撃ってしまい、61日だったのだが、これは12ヶ月のうち2ヵ月、まる
まる酒を抜いたということで、我ながらえらいと思った。
 2015年は、ハードルを上げて月7日。またもや1日無駄弾を撃ってしま
い、85日を達成。
 2016日は当初目標が年間90日だったが、期中に上方修正して105日
を達成。
 年間52週+1日だから、きっちり完全週休2日制の休肝日を成し遂げたわ
けだ。

 ちゅうことでアルコール依存はないな。と確認終了。ドライチャレンジは終
了とする。
 2017年は気の向くままに酒を愉しもう。

2017.01.01 新年
 老母を連れて年末年始を過ごす企画が2年目を迎え、今回の投宿先は徳島の
祖谷渓。
 祖谷渓は、日本三大秘境のひとつらしい。
 秘境で過ごす年末年始は、世俗との関わりが希薄になる。
 テレビはほとんどつけない。紅白歌合戦も、年越し企画番組、初日の出番組、
新春お笑い番組も視野に入ってこなかった。ただただ温泉に浸かりまくってい
た。

 祖谷渓に行くには、岡山まで山陽新幹線、岡山からは特急南風で瀬戸大橋を
渡り、丸亀、琴平を経て大歩危へ。そこからは宿差し回しの車で、という行程。
岡山までは新大阪から50分程度だし、岡山から大歩危までは1時間40分程
度、88歳の老母を連れて行くにはちょうどいい時間と判断した。老人はトイ
レが近いのだが毎日1時間半、体操とストレッチに精を出しているせいか、老
母はその点が心強い。
 おまけに、瀬戸大橋で瀬戸内海を渡るというイベントをぶら下げたら、老母、
食いつく、食いつく。
 とりあえずイベント終了。

2016.12.31 ヴァンベール閉店
 通勤に使う駅の東西の出口は新御堂筋に遮断されているので地下に降りねば
ならない。現在西側に住んでいるのだが、スーパーのOASISは東側にある。
 西側にあるのは「ヴァンベール」という地場密着のスーパー。
 品揃えは薄いし、品質もムラがあるんだが帰宅途中の買い物に便利だった。
往時は深夜24時までやっていたんだが、やがて閉店が23時になり、21時
にまで縮んでいた。危ないな~と思っていたが、とうとう閉店のお知らせが貼
られた。
 筆者の来阪時からあったので、思い入れがある。ちと寂しい。



2016.12.25 2016年の映画
 2016年はあまり映画を観ていなかった。なんとか月イチぐらいの数。
 1,2月は1本も観ず、3月からなんとか12本。

「オデッセイ」
「バットマンvsスーパーマン ジャスティスの誕生」
「シビル・ウォー キャプテン・アメリカ」
「アリスインワンダーランド時間の旅」
「インディペンデンスデイリサージェンス」
「シン・ゴジラ」
「スーサイド・スクワッド」
「ジェイソン・ボーン」
「スター・トレック BEYOND」
「ジャック・リーチャー NEVER GO BACK」
「スターウォーズローグ・ワン」
「バイオハザード ザ・ファイナル」

 いちおう、銃撃と爆発、アクションは守られている。
 筆者は首尾一貫が好きである。
 んでもって2016年のお気に入りの並べ替えは・・・

「シン・ゴジラ」
「スターウォーズローグ・ワン」
「スター・トレック BEYOND」
「ジャック・リーチャー NEVER GO BACK」
「バットマンvsスーパーマン ジャスティスの誕生」
「シビル・ウォー キャプテン・アメリカ」
「ジェイソン・ボーン」
「オデッセイ」
「インディペンデンスデイリサージェンス」
「スーサイド・スクワッド」
「アリスインワンダーランド時間の旅」
「バイオハザード ザ・ファイナル」

 ん~3位まではすぐに並ぶんだが、あとはドングリかな。

去年の映画は

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2016.12.20 年賀状投函
 なんやかやとドタバタして今年はちょっと遅れた年賀状製作。
 SNSがこれだけ発達しているんだからもーいーだろうという向きもありま
しょうが、まだ、年賀状作りには若干の思い入れがある。やっぱ昭和の男って
ことでしょうか。
 消耗品の蓄えを使い果たしたプリントゴッコは昨年の年賀状製作で引退とな
った。
 思えば1987年から30年近くも年賀状はプリントゴッコで作成していた。
 毎年、干支のイラストを書き続けて2回転半はしたことになる。
 思い入れたっぷりなので、すべてとってあるが、めちゃくちゃに忙しかった
 1994年と、亡父の喪中となった2005年の翌年の2枚だけは欠番となっている。

2016.12.16 金沢、今季初積雪
 久しぶりに入沢。
 北陸新幹線開業以来、「乙女寿司」はまったくとれない。
 今回は「千取寿司本店」とあいなったが、店の格から言えば「千取寿司本店」
の方が上。でも予約はこっちの方が取りやすい。観光客の心理テストみたいな
もんだ。
 昼前についたが、なんと石川県内今季初の積雪。金沢で6センチ。
 香林坊界隈は、融雪のスプリンクラーが車道も歩道も整備されていて心配は
なかったが、小立野通りの歩道までは手が及ばず。水っけの多い雪をしゃりし
ゃり踏みながら店に向かった。



 北陸新幹線、新大阪へ延伸の記事が北陸新聞に載っていた。
 金沢から敦賀を通り、小浜(東小浜)へ抜けてから南下、京都、新大阪に向
かう新ルートらしい。
 湖西線は3セクになるのかなあ。
 最速型「かがやき」は1県1駅のルールにのっとると、金沢の次は福井、ん
でもって京都、新大阪となるから、敦賀も小浜も、通常型「かがやき」の停車
駅になるかどうかが各自治体の関心の的だろう。
 小松や、芦原温泉は、各駅停車の「はくたか」のみになりそうだとか、加賀
温泉は通常型「かがやき」が停まりそうだとか、綱引きはすでに始まっている。
 大阪、金沢間の「サンダーバード」は役割を終えるんだろうけど、名古屋、
金沢間の特急「しらさぎ」はどーなるんでしょうか。

2016.12.14 視野検査
 10月に右目に緑内障の疑いから視野検査をすることになり、本日、検査。
 集中力が必要な検査だった。
 片目で6分ずつくらい。
 中央の光点に焦点をあわせて周囲で瞬く発光に反応してスイッチを押す仕掛
け。結果は出力紙に表れる。死角(発光が見えない部分)が黒くなる。結果は
緑内障疑惑、解消。
 先般の網膜静脈分岐閉塞の出血跡がきちんと死角になっているのが科学だな?

2016.12.13 チェスターフィールド稼動
 ついでにマフラーも。マフラーは、去年は1月に入ってからだったのに。
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2016.11.25 空撮
 宮崎沖を通過すると大隈半島の向こう側に桜島が浮かびあがった。
 南下する飛行機の機窓は次に薩摩半島先端近くにきれいな円錐形の開聞岳を
映し出す。
 なかなかにいい感じだ。



2016.11.25 装い
 東京で11月としては観測史上初の積雪を記録した猛烈な寒気団が列島の東
半分を覆った翌日、4時40分現在の気温が札幌マイナス4.0、東京1.2、
福岡6.5、那覇18.9度。
 那覇の予想最高気温は23度。
 那覇に行くのだが、先月は北海道行で大阪では違和感を覚えるほど着膨れた。
 今月は逆に薄着。
 でも、あれだな。着膨れるより薄着の方が溶け込みやすいな。
 那覇ではTシャツ(半袖)に総背のジャケットでちょうどよかった。

2016.11.25 乗り間違い
 金剛山へも行っているし、関空にも何度も行っているが、実は南海電車には
乗りつけていない。
 筆者にとって交通機関に乗りつけるとは、最低限、地図と路線図が頭の中で
オーバーラップしていることを指す。
 今までの乗車経験は、スマホの乗り換え案内アプリを利用してのことだから、
点から点への移動としてしか認識していなかった。だから南海電車の路線図は
マッシロケのケーだ。
 天下茶屋を過ぎ、しばらくして、いつまでたっても空港線の聞きなれた駅名
が出てこない。見知らぬ駅に停まり続ける急行橋本行き。
 気づくのが遅れたのは本を読みふけってしまったせいだ。
 いぶかしく思い、扉上の路線図を見たが、どこを探しても関西空港が見つか
らない。
 始発駅の難波から新今宮、天下茶屋と丁寧に追いかけて気がついた、天下茶
屋に空港線とだけ書かれた表示があった。糞ったれめ!思わず汚い言葉が脳裏
に浮かぶ。南海電車は全線路線図というものを掲出する気のない鉄道だったの
だ。
 次の停車駅は金剛だとアナウンスがあった。路線図を見る。
(ず~いぶんゆきすぎちゃったのね~)
 エアの時間に間に合うか?アドレナリンを放出しながらスマホの乗り換え案
内アプリをたたく。
 出立時間にかなりゆとりがあったのが幸いした。
 出発時刻の40分前には関空に着くことができる。
 こーゆートラブルを積み重ねて人はいろいろなことを覚えていくのである。
蹉跌のない人生はダメダメ。

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2016.11.24 テレビって・・・
 大陸からの寒波が関東圏までを覆い、太平洋岸を通過する低気圧と連動して
関東地方に雪を降らせると、前夜からマスコミが警告していた。
 深夜から降り始めれば、交通の混乱、事故の発生が予想されるからマスコミ
としてはその注意喚起は使命でもあるので揶揄するような筆致はいかがかと自
粛もしたいが、やっぱ、目に余るは、あの浮かれぶり。あれは警告ではなく雪
を見て走り回る子供に近い。そんなの透けて見えちゃダメだろう。あまりには
しゃぐから、モルヒネでも打ってやりたくなった。
 朝5時半頃は都心にはまだ降雪はなく、多摩あたりで降り始めていたが、都
心のあちこちに待機させていたレポーターは番組プログラムの都合上何か言わ
なきゃいけないのだろーが、降ってないんだからしょうがない。電波の無駄使
いをしていた。
 結局、観測史上初という11月での都心での積雪となったが、翌日の朝の新
宿の歩道橋上でアイスホックーのパックを滑らせて、転倒注意を促していたが、
あのパック、必要だったか?

2016.11.20 高座
 京都造形芸術大学の春秋座は、当時副学長を務めていた三代目市川猿之助
(現・市川猿翁)か?、設計監修した日本て?初めての大学内本格劇場。
 学校の施設なのにとても立派。
 三代目猿之助が宙を飛んじゃうらしい。
 その春秋座で、立川志の輔が独演会を演り初めてもう8年になるとのこと。
 バーVespaの店長から誘われて行っちゃいましたよ。志の輔らくご。
 東京在住時に末広亭には何度か行っていたけど、実に30年ぶり以上(だと
思う)の落語ライブ。
 おまけに演目のひとつが「しじみ売り」。
 自宅における新年の飲み会での演芸会で筆者が4年前に入れた話なんで感慨
深い。
 堪能しました~



2016.11.19 カレンダー
 これまた恒例のカレンダー購入。
 花と景色と沖縄の3種。
 これも、また定番。

2016.11.16 骨頭壊死はやだな 
 右の股関節の具合が悪い。
 ふとした角度で痛みが走る。電気を流したようなギクッという痛みだ。
 気がついたのは、この1ヶ月ほどのこと。
 2012年に老母が罹患、手術になった難病認定の大腿骨頭壊死症が頭に浮かぶ。
 それはやだ。

2016.11.13 トレンチ稼動
 東京が冷え込むとの天気予報をうけて、出張にトレンチを持ってゆく。
 10月末の北海道行ですでに袖を通していたが帰阪してからは出番がなかっ
たが
 ここらでデビューか。

2016.11.11 玄海島
 2005年の福岡西方沖地震で大きな被害を蒙った玄界島は、福岡湾の出口、
18キロの沖合に浮かんでいる。
 博多港から福岡市営渡船で35分。
 気分転換にちょっと行ってみた。
 ほぼ円形の島は、徒歩で一周1時間程度。
 あまり何もなさそうだったので、そのまま戻りの船で帰ってきてしまいまし
たとさ。



2016.11.10 トレンチ稼動開始
 10.28に北の大地で早めのデビューだったが、その後、内地では待機。
 しかし、毎年稼動期間の短いコートだから寒気がちょっと訪れたんで出動を
命じた。
(後日譚)今年は寒気の訪れが遅かったようでトレンチはほぼ1ヶ月の長命を
保ったのであった。

2016.11.06 クリーニング
 毎年恒例、夏物衣料のクリーニング出しは。
 巨大なバッグふたつにパンパンに詰め込んで自宅そばのクリーニング屋へ。

2016.11.04
「ターロギーソナ」のバラさんから聞いて驚いた。
「BARやまざき」の山崎氏逝去の報を聞いた。
 知らなかった。
 金沢の「バースプーン」Hマスター(山崎氏のお弟子さん)から教わって、
2009年に山崎氏に「ポールスタートゥインクル」を手ずから作ってもらっ
たことがある。筆者の切り絵のナンバーは43390だった。
 Hマスタに電話でレシピを教わり、弔意を表した。
 そして献杯。

2016.10.29 のんべのツボ
 つまみの皿が空になり、酒があとちょこっと残っているとき…
 それなりに飲み食いしている前提だが、店から何かちっさいつまみが一品
「サービスです」なんて出てきたら、もー一発で好きになっちゃうのよん。

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2016.10.28 JR北海道の音声アナウンス
 JR北海道の車内アナウンスは落ち着いた男性の声だ。
 女性アナウンスが多いので印象に残りやすい。
 空港線で新千歳から札幌までの空港快速エアポートでのことが多いのだが、
何と、今回、特急カムイに乗っていたら終着札幌の前に自己紹介したぞ!
 大橋俊夫さんですって。

2016.10.28 日本は広い
 北の大地から初雪の便りが届く頃、南の島ではまだ最高気温が30度だったり
する。
 南北に細長いこの列島の長さをまさしく肌で感じることができる季節。
 大阪から札幌へ向かう旅人は、何を着ていけばいいのか思いを巡らさねばな
らない。雪が降っている以上、寒いわけだ。とは言え、大阪は夏日だったりも
する。からだが冬仕度になっていない。頭ではコートまでは必携と認識してい
るから、長袖のヒートテックに長袖のシャツ、オッドベストにカシミアのジャ
ケットまで着込み、さすがにトレンチコートは手に持ちながら、関西空港に向
かう。いささか人の目が気になる。梅雨のさなかに麦わら帽とかりゆしを着て
沖縄に向かうときの心境と似ている。
 天気予報は全国的に雨、北海道は雪。機窓の下には真綿の絨毯のような雲海
が広がり、それは関空上空から新千歳まで続いた。

2016.10.26 夏日
 25度越え。大阪は、今年の夏日累計日数が観測史上のタイ記録だそうな

2016.10.24 旭川最高予想4度、那覇は30度
 いや、ホント、日本列島ってどーして長いよね。

2016.10.21 札幌初雪、積雪1センチ、旭川空港5センチ
 ちょっと早いのかな。北国の冬は。
 来週、札幌から増毛に行く予定なんだが、何を着ていくかちょっと迷うぞ。

2016.10.19 銀歯の欠落、眼もなにやら・・・
 眼科検診日の朝、左上奥歯の歯冠が2個とれた〜とほほほほ
(T ^ T)
 まずは眼科へ。
 いつもちゃっちゃと終わるのだが、ドクターがちょっと首をひねった。
「網膜静脈分岐閉塞症」
 左目眼底中央の左右に動脈と静脈の立体交差点があるがそこで動脈が静脈に
被さり血流を障害、出血したらしい。原因は不明。糖尿由来ではないようだ。
出血は一時的なものですでに止まっているが出血跡が消えるのに一年かかるそ
う。
 次回検査までの期間が短くなって2ヶ月後。
 おまけに右目に緑内障疑診が生まれ、視野検査まですることに。
 眼底の血管のむくみの検査で、むくみとは逆に薄くなっているのがドクター
に警戒心をおこさせたらしい。前回、今回と2度薄い状態だった。
「疑えばそれもあるかな、というレベルだけど、いちおう視野検査をしておき
ましょう」

 次いで歯医者へ。
 前回は2か月前。
「歯冠落ちるのが早すぎ」
 オフィスでもよく言われる。
 さすがに東京在住時の主治医の歯冠があわなくなってきたのだろう。
「新しく作りますか」
 ドクターもさすがに「もう限界やな」ちゅう顔で言った。
「お願いします」
 1週間後、新しい冠をセットする。

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2016.10.14 秋の気配
 新大阪駅前ダイキンの看板の温度計15度。

2016.10.11 秋の気配
 新大阪駅前ダイキンの看板の温度計17度。

2016.10.06 初雪
 稚内初雪。
 もう?
 旭川3.6度、沖縄は26.4度 

2016.10.04 非常時
 御堂筋線が人身事故でストップした。
 新大阪までJRで逃げたが、新大阪のJR改札には、御堂筋線からの振り替
え客が列を成してごった返していた。
 タクシー乗り場に急ぐ。
 初動期のスピードがすべてだといつも考えている。
 新大阪のタクシー乗り場は、小型、中型、大型の乗り場に別れている。
 まだ、それほど行列は伸びていなかったが、中型が一番多いと見て中型乗り
場に並んだ。
 小型と大型はあまり来ない。
 筆者の並んでいる中型乗り場は列がどんどん縮んでゆくが、小型、大型乗り
場の行列は進まない。
 あまり考えてなかった連中が考え始めたようだ。
 中型乗り場に鞍替えする数が増えたが、時すでに遅く行列はかなり長くなっ
ていた。
 背後にそれを見ながらタクシーに乗りこむ。
(今日は、まあまあ作戦成功かな)
V戻る

2016.10.03 衣替えか
 なるほど。
 10月からが衣替えなんだ。
 なんか、ルーズにやってるかと思っていたんだが、開始も終了も会社が決め
てるんだな。
 筆者は先月中旬から戻しちゃっていたから、電車の中で一斉にスーツ姿が増
えてびっくりした。でも、ネクタイはあまり締めてないな。

2016.09.30 明治屋神戸中央亭閉店
 いよいよ閉店の日。
 90年の歴史を刻んできた「明治屋神戸中央亭」が締まる。

 さすがに仕入れの関係で最終日の訪店はしなかった。
 先週、フロアマネージャーとお別れはしてある。
 記録を見たら、筆者は2011年5月からのおつきあいだった。

2016.09.12 TVCMで季節感
 早朝のハウス食品のCMがジャワカレーから、北海道シチューにかわった。
 秋だ。
 上着をジャケットからスーツに戻す。
 でもまだノータイ。
 堕落したな〜( ̄◇ ̄;)

2016.09.11 ブッラータ
 阪急デパ地下で大好きなチーズをめっけた。
「ブッラータ」
 生クリーム&フレッシュチーズ入りのモッツァレラ。
 まさにモッツァレラの月見大福。
 でも、高っ!
 しかし、でかっ!
 さっそくまるまる消費。次は分けて食うか



2016.09.05 またか・・・
 沖縄行きの前。
「かりゆしを買ってきてちょーだい。それとTシャツも。痩せてきたから前に買
ってもらった奴が大きいの。Lサイズでお願い。それからかりゆしは七分袖じゃ
なきゃ駄目、襟はゆとりのあるもの(開襟ってことだろーな)」
 老母の注文は面倒くさい。
 おまけに
「88の誕生日だからプレゼントでお願い」なんて言い始めた。
「前渡しを懇願されて靴を買ってあげただろう」
「いいじゃないの、喜寿よ私は」
「米寿だ」
 ここで譲ると癖になるからお使いとしてうけてあげた。
 七分袖がそもそも珍しいうえにデザインの注文もうるさい。
 捜索で半日潰れた。
 やっと見つけた物件はマオカラーだった。
 お伺いをたてる。
 やっぱNG。
 なんとか条件を満たす品を購入する。

「こーゆーのが欲しかったのよー」はしゃぐ老母。
「あら?あら?あら?・・・」
「なに?」
「小さいわ」
またか・・・
 Lじゃ駄目なんだ。LLなんだ。
 ショップに電話して品を送って交換してもらった。
戻る

2016.08.29 70キロを切った!
 年に一度の会社の健康診断。
 筆者にとってはオリンピック的な存在だ。
 自宅で毎朝体重計に載っているが、減量に成功したって所詮公式記録にはなら
ない。
 会社の健康診断の数字こそが皆が納得する唯一の記録なのだ。
 最近、減量に多少力をいれた。
 プラスマイナス1キロの上下変動はあるが年の初め頃は74キロを中心とした
分布だった。
 最近は71キロが中心となっている。
 今回は70キロを切るのだ。
 サラリーマン生活を開始してから上昇一途の体重は非公式記録で最高値は90
キロだった。
 70キロは30年以上前の通過点でしかなかった。
 30数年ぶりに帰ってこられるのか。
 測定器にのりました〜!
 記録は?
 68.2キロ!
 やった。
 前職の入社前検診のとき(23歳)が69.5キロ
 翌年社会人1年目が76.0キロ・・・
 感無量。

2016.08.29 PT(フィジカルトレーニング)再開
 3月の転倒以来のはじめてのPT。
 腕立て伏せ10回、腹筋10回。
 腕立て伏せ、0回じゃなくてよかった。
 それより腹筋だ。
 背中をフローリングの床に横たえてわかった。
 背中にコブがある。
 転倒して脊椎がゆがんだかなんかしたんだな。
 フローリングにおしつけるとビクンと反応する。
 痛い。
 起き上がりがつらい感じだ。

(後日譚)2016.10.22 腕立て、腹筋、背筋、スクワットまで復活している。背
中のコブがなくなりはしないが、縮退しているのがわかる。当初、ビクンと反応
していた痛みもなくなった。いやあ、7か月かかったな、ここまで。
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2016.08.26
 大阪は8月の猛暑日日数記録を更新中。
 今日も猛暑日予想。

2016.08.22 今日も猛暑
 近畿で一番の暑さは、和歌山県新宮市で38.4度。

2016.08.17 猛暑尾続く
 8/3~16日まで猛暑日連続14日間。
 今日、やっと33.6度に

2016.08.07 昼呑み万歳
 公休の一日。
 今日は半日飲んだくれることにする。
 たまにはそういう日があってもいい。
 しかも不思議なことにそういうときに限って悪酔いもせず清遊ができる。
 話の合う奴と杯を重ねているときの方がよっぽど危ない。時のたつのが早すぎ
るし、ましてや崩れやすい。
 腰を据えて昼酒を楽しむなら、少し体を動かしたほうが旨くなる。
 とりあえず、大津に出て琵琶湖畔を歩く。
 浜大津から京阪電車で国1沿いに山越えをする。
 蹴上で降りて三条通から東大路沿いに祇園まで歩く。
 知恩院の新門前は猛暑のせいか蝉時雨さえ途絶えているようだ。真夏の日差し
の下、白い参道が山門まで物憂げに伸びている。一力茶屋の前まで歩けば、下地
作りは完了だ。
「祇園みずおか」で姫懐石を。
 生ビールと利き酒セットと焼酎の水割りを。常連のお嬢さんと彼氏、名古屋か
らのひとり客
とカウンターを囲んで談笑。名古屋からの客人は京都連泊で、店に翌日裏返しを
する小粋な技
をつかっていた。
 2軒目は「ジンギスカン専門店」へ。
 ソラチ系ジンギスカンの店だが、店長は、明日東京に出張し、マツジン(松尾
ジンギスカン
)系の新店を調査に行くらしい。マツジンは生肉でなく甘めの漬け肉で、糖質制
限の筆者には
ちと危ないのだが、どうやら、新しい店を出す準備らしい。
 3軒目は大阪に戻って新大阪の「赤白(こうはく)」へ。
 ヨーロッパの大使館、公使館で料理長をしていたオーナーが開いたカウンター
ワインバー。
 西洋おでんと銘うっているが、そんな区分はどうでもよろしい。総じて会計が
懐に優しいう
えにつまみも旨いので席が空いていれば、ちょくちょく利用している。
 いい気分になり、燈点し頃に帰宅。そのまま就寝。朝4時35分の起床時間ま
で9時間半も
寝てさわやかに起床。

2016.08.04
 先般2着購入したカジュアルジャケットはちょうどいいサイズである。しか
し以前からの奴がオーバーサイズになちゃった。筆者が痩せたから。最近、あ
ちこちで「すっきりしましたね」とか「痩せました?」とか言われる。そーゆ
ー言葉は何度でも聞いておきたい。しかし、ジャケットのオーバーサイズはい
けない。鏡を見ると、ジャケットが陣羽織みたいになってる。(やばいなあ)
と思っていたらオフィスのKが「ジャケット、大きいですよね」と指摘してき
た。
(ばれてるか!)
 そりゃあバレるわな。見ればわかるわ。

2016.07.28 リストランテ「トゥリオ(Tullio)」の復活!
 5月末、梅田で「カサデマノーロ」閉店。
 9月末、神戸で「明治屋神戸中央亭」閉店。
 ゆきつけの店が相次いで閉店する。
 寂寥の感を禁じえず失意の日々を過ごす筆者。
 しかし、東京出張で、偶然開いたネット情報に、2年半前に閉店した「トゥ
リオ」の復活(移転)情報が載っていた。
 東京在住時、足しげく通っていた店だ。
 通い始めの頃は青山学園(大学)の裏手にあった。
 この店でイタリアの赤、ガッティナ-ラに出会った。
 マダムが薦めてくれた1989年のガッティナ-ラはその翌年1990年か
らDOC格付けがDOCG格付けに格上げされた。だから、89年のボトルの
ネックはDOCだった。
 気に入って訪店のたびに飲んでいた。
 いつの間にかワインリストからはずれるようになっていたが、筆者が行くと
出してくれた。
「これで最後です」と言われたのはいつのことだったか。
 店のストックの最後の1本まで飲みつくしたと思っている。
 その後、店は青山学院脇から宮益坂の坂上に移転して、渋谷駅に近くなった。
 しかし、大阪在住となり、糖質制限を始めてからは足しげくは通えなくなっ
た。
 2014年の1月に訪店後、4月に予約を取ろうとしたら電話が通じなくな
っていた。何かの間違いか、あるいは移転情報でも貼ってあるかと店の前まで
行って確認もした。
 あんなに行きつけていたのに、個人情報を渡していなかった。迂闊だった。
 オーナーのⅰシェフは渋谷のフレンチ「ラ・ブランシュ」のオーナーTシェ
フと仲が良い。
「ラ・ブランシュ」で消息を聞いてみた。
 やはり、店はたたまれていて、再開はしていないことがわかったのが201
5年3月。
「もう少し小さいところでやりたい」と言っていたとのTシェフの話に、再開
の情熱はあるのだと思っていた。
 そして復活の情報を得た。
 場所は南青山7丁目。最寄り駅は広尾になる。
 予約の電話を入れる。懐かしいマダムの声があった。久闊を叙す。
 2階の店から1階に降りてきて待っていてくれた。
 店に入れば、カウンターの向こうにⅰシェフの姿。元気そうだ。
「お食事は・・・」筆者の糖質制限を知っているマダムに「今日はいっちゃい
ましょー!」と逸脱宣言。
 いつも頼んでいた「網焼きロースのコース」をオーダー
 アミューズは「フリッタータ」、「水牛のモッツァレラチーズのカプレーゼ
のスープ仕立て」が面白い。「鮑の焦がしバターソースポルチーニ入り・鮑の
肝のカナッペ」。そして、逸脱の2皿。「アマトリチャーナ」と「ゴルゴンゾ
ーラのリゾット」
「網焼きロース」。
 ドルチェの代わりにフロマージュを。「タレッジオ、バザイオ(デザートワ
インにつけこんだ甘じょっぱいチーズ)、カナリア諸島のヤギのミルクの味濃
いチーズ」。
 楽しいひとときだった。


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2016.07.26 ネットって・・・
 彼岸と此岸があって、俗世まみれの此岸感覚で彼岸にケッと思うのは自由。
ただ、ケッという気持ちを軽~くSNSにのっけちゃうと一億総袋叩きにあう
今日この頃。
 ネットで『金沢でグラタンを食いたい、いい店ありますか』と書き込めば、
『金沢行ってグランタン食うのはバカ。魚を食え』との書き込みがされるらし
い。
 ネット市民の多くは廉恥を知らず、傲慢で、無神経なのだ。いいではないか
洋食食いに行ったって。
「沈黙は金」でもある。
 何書き込んだっていいってわけでもないが、SNSは自分の馬鹿さ加減を晒
しやすい。思いつきで深く考えもせずにのっけてしまうとほぼアウトである。
実に多角的な視点から、自分の考えの至らなさを指摘される。ここでもネット
のクロスファイヤーポイントでハチの巣になること必定。

2016.07.25 物欲。ジャケット編
 久しぶりに物欲が復活。
 7月15日にルーズビスを中止してから稼動を開始したカジュアルジャケッ
トが3着。
 綿麻混毛で背抜き、本切羽(袖口が飾りボタンではなくて、ボタンの開け閉
めができる)スタイル。
 本切羽でないと腕まくりができなくて暑い。
 サーモンピンクとブルー、ライトグリーンの3色のラインナップだ。
 実は、一番のお気に入りだったライムイエローが、襟ボロボロになっており、
さすがに出勤時に着るのは躊躇われた。
 このライムイエローのジャケットがどうしても欲しいのだ。インナーやトラ
ウザーとの色あわせが楽だから。
 梅田近辺で探し回ったが、見つからない。
 ないとなるとより執着が沸くのは世の習い。なんとしても見つけてやると仕
事帰りに阪急三番街に行ったら、ありました!しかもクリアランスセールで3
万9千円が1万円。
 やった!と思って手に取ると、袖口が本切羽じゃなかった。
 袖口がまくれるかと試着してみたが無理だ。
 加工してもらえるか聞いてみた。
「お待ちください」と言って、加工部門にお伺いをたてに行く店員。
 ほどなく戻ってくると満面の笑みを浮かべて「できます」とのこと。
 ただし、加工料が4千円。
(盛りやがったな)
「ちょっとまからん?」と問えば
「勘弁してください。半値にしてさらに半値にサービスしてますので」
 ま、ざっくり4万が1万だからな。
 しかし、横にあった色違いのレッドのジャケットを取り上げて「これも買う
からどや?」と仕掛けたが「勘弁してください」の繰り替えし。
 まあ、許したった。
 仕上げに時間がかかるが、8月には5着の体勢が整う。



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2016.07.23  明治屋神戸中央亭閉店
 神戸、ハーバーランドの商業施設モザイクの1階裏手にある「明治屋神戸中
央亭」で、休日の昼、「タンシチュー」を食べながらワイングラスをかたむけ
るのが、筆者の楽しみのひとつである。
 フロアーマネージャーは筆者の顔を覚えてくれていて、時宜に応じて当を得
た会話で筆者の気持ちを引き立ててくれる。
 この日も、「オードブルの盛り合わせ」と「コンソメスープ」、魚料理は
「天然スズキの香草焼き」、そしてお目当ての「タンシチュー」で、ハートラ
ンドとグラスワインを数杯傾けて会計をしようとしたら、「申し訳ありません」
とマネージャーが差し出したカードには、なんと9月末で閉店との挨拶が。
(ホンマでっか!?)
「夜の集客がままなりませんで、本社の方から通達が・・・」
 ごめんなさい。筆者も昼ばかりでした。
 大正15年からの老舗なのに・・・阪神淡路大震災のときに移転して、モザ
イクにやってきたのだがロケーションが夜向きではなかったかもしれないが・・・
 5月に梅田で「カサデマノーロ」を失ったばかりの筆者に短時日のうちにこ
の悲報。暗澹たる気持ちで店を出た。
 落ち込んでいる自分に、この店がかなり好きだったんだとあらためて気づか
された週末の午後。



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2016.07.18 九州から東海、梅雨明け
 夏本番!
 夏好きの筆者としては嬉しい限り。

2016.07.17 祇園祭り山鉾巡行
 先般移転した京都オフィスは御池通りに面したビルの2階にある。
 御池通りは「祇園祭」の山鉾巡行の通り道である。
 2階観覧席みたいだ。
 筆者が用務を帯びて京都オフィスに着いたのは1時に近かった。
 山鉾巡行は9時から始めり11時半頃には終点に到達するが、それは先頭の
鉾の話で、稼動する鉾は全部で23基あるから最高尾の鉾はまだオフィス前を
通過したばかりで、その後姿を眺めることはできた。らっきぃ
 京都スタッフのOもオフィスの窓ごしにスマホに収めていた。

 山鉾巡行を眺める観光客を「人の頭見て何が楽しい?」と冷視できればあな
たも京都っ子の仲間入りだ。
 それにしても、と思う。
 博多の祇園山笠はまったく逆で、博多っ子の多くが祭りを愛している。
 それに比べてのこの温度差。
 他県人を他所(よそ)さんと呼び隔意を抱く排他性マックスの京都気質とど
この人でもウエルカムの開放的な博多気質の違いがよくでてるわな。



2016.07.15 ルーズビズ中止
 ルーズビズ止め!
 もー耐えられん!
 ポケット少なすぎ!
 札入れ、小銭入れ、定期、鍵束、ボイスレコーダー、スマホ、リーディング
グラス。
 ジャケットがあれば、胸ポケット、内ポケット、外ポケットに分散収納でき
るのだが、ワイシャツ1枚ではいかんせん収容力が薄すぎる。トラウザーの尻
ポケットなどに入れようにも、ボタンがついていたり、蒸れて湿ったりして不
愉快このうえない。
 鞄に入れると、いちいち鞄を開けて札入れや小銭要れを取り出すのが面倒く
さい。
 イライラしてきた。
 とは言え、スーツジャケットは、暑い。腕まくりして着ることができる本切
羽のカジュアルジャケットを着用することにした。腕まくりできれば暑さに対
応できる。スーツの上着って本切羽じゃないのが多いんだよね。
(本切羽=スーツの袖ボタンが飾りではなく、実際にとめはずしができて開閉
するスタイル) 
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2016.07.09 舁き山
 博多祇園山笠は、7月1日から2週間!
 博多の街を7つに分けて「流」と呼ぶグループを作り、それぞれの街の山を
舁いて駆け回り、櫛田神社までのタイムを競うというのが、博多祇園山笠。
 7月1日から9日までは、飾り山が公開される。
 豪華絢爛な山笠が美しい。夜にはライトアップもされる。
 もちろん見張り番もいるが、人通りの絶えた深夜の商店街の山はなにやら幽
玄な気配を漂わせる。
 明日は、流舁(ながれか)き。山舁き初日。



2016.07.08 名古屋から福岡へ
 所用で名古屋から福岡に飛ぶことになった。
 名鉄名古屋駅の中部国際空港方面への発着ホームにはひっきりなしに電車が
やってくる。
 地元の人なら××行きと言われれば、△△より先に行くとかいう見当識があ
るだろうが、不慣れな者にとっては路線図がないとどうしようもない。スマホ
の普及で、路線情報が手に入るようになったのは慶賀の至りである。
 ただし、流石に乗車位置はわからない。
 ホーム、あるいはホーム上部に乗車位置目標があるのだが、なんと中部国際
空港行き特急「ミュースカイ」の乗車位置表示がないのである。
 どこに立ってりゃいいんだ?と不安に苛まされる。新幹線みたいに16両編
成などという長大な編成はないから、列車が駅についてから、エッチラオッチ
ラとドアに向かえばいいんだけどね。
 んでもって次いで空路。
 名古屋中部国際空港(セントレア)から福岡空港は、アイベックスエアライ
ンがANAと共同運航をしている。運行主体はアイベックスだ。
 アイベックスは地域航空会社だ。
 航空会社はレガシーキャリア、LCC、地域航空会社の三つに大別される。
 レガシーキャリア(大手航空会社)はハブ&スポーク戦略で、大型機をハブ
空港間で飛ばし、ハブから中小型機でその先の地域空港に客を運んでいる。L
CCはポイントtoポイントで中小型機を飛ばす。地域航空会社は小型機を使っ
て短距離間を結ぶ。
 だから、アイベックスの機材は100席未満のリージョナルジェットだ。
 小さい。
 低い。
 だから、いつも地上からタラップで乗機する。
 ところが、セントレアではボーディングブリッジが機体にかかっていた。
(車椅子の人がいたからかもしれない)
 でも、リージョナルジェットにボーディングブリッジが繋がるとは思ってい
なかったから、ちょっとビックリぽんだす。
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2016.07.04 いよいよエアコン稼動
 糖質制限のせいで体脂肪が減ったのかエアコンの設定温度が高くなっている。
昨年はシーズン中28度で通して問題なかった。今年も今日からエアコンをつ
けたが、涼しければ稼動させないつもりだが1旬過ぎれば一晩中稼動にはなる
だろう。
 昔は24度設定で一晩中だったのだから、進歩ではあるな。

去年は?

2016.06.28 ノージャケット!ノータイ!
「クールビズ」などと言って、その実「ルーズビズ」なのである。
 楽だからね。ネクタイなし、上着なしって。
 ただ、この格好は、あまりにもしまりがない。
 服飾評論家の故落合正勝氏はスーツ姿の正面には「八つの三角形」がシンメ
トリーに並んで美しさを醸し出しているという。スーツの衿4つ(カラー(上
衿)2つと、ラペル(下衿)2つ)シャツの衿が2つ、ネクタイの結び目とス
ーツに隠されるところまでの大剣で2つ。
 男性のスーツスタイルはこの部分だけで表情を作り、個性を打ち出すと言う
のだが、シャツ1枚では何の表現もできなくなるわけだ。おまけにシャツって
下着の範疇だし。
 でも、ま、暑いし。四の五の言ってないで上着は剥いじゃお。 

2016.06.19 ゲルマニウムを剥がす
 肩凝り対策で2月に貼った「ゲルマニウム」の粒が4つ。
 眉唾物で試してみたら、なんと有効だった。
(あれ?)ちゅうぐらいに肩凝りが消失。痛みがなくなってしまった。
 爾来4ヵ月半、貼り続けていたが、そろそろ剥がしてみよう。
 あの肩凝りがはたして再来するのか?
 ちょっと興味がある。

2016.06.19 交換
 靴を交換するために老母と梅田へ。
 現品チェックをしない限り、絶対、おさまらないと確信している。
 家から履いてきた同一メーカーの常用靴を指して老母
「今履いているのは23.5で少し大きいの」
 すると店員
「お客様これは24.0です」
 ・・・合わんわけだ。

2016.06.18 誕生日祝いの前渡し要求、そしてサイズ違い
「靴がもう駄目なの」と老母。
「そう」(くるぞ!)
「私はこれじゃないと駄目なの。入院していた時にあなたが買ってくれた靴は全
然駄目なの」
(はいはい…)
「誕生日プレゼントの前倒しで買ってちょーだい」
(そーきたかー)
 老母の誕生日は9月2日だ。

「2足あるんだけどひとつは大きすぎるの。それが23.5だから23.0を買
ってきてちょーだい」
 ネット検索で梅田に販売店を見つけた。

「はい、誕生日おめでとう(3か月前だけど)」
「ありがとう!うれしいわぁ」
 ガサガサ
「こんな色もあったのね、いいわ」
「・・・あら?」
「あら?あら?あら?・・・」
「なに?」
「足が入らないわ!」
「ちゃんと言われた通りの23だぞ」
「でも、入らないわ」

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2016.06.18 「ほろらん」は残っていた
 小田急線向ヶ丘遊園駅にもうすぐ到着という踏み切りそばにあるラーメン屋
の名前が「ほろらん」
 亡父と老母が川崎に住んでいた頃、たまに実家に寄るときに目に留まってい
た屋号だ。
「ほろ」は札幌を、「らん」は室蘭を想起させる。
 この組み合わせの妙がどうにも筆者の脳に巣くってしまい、いっかな離れよ
うとしない。
 素通りできない。(してるけど)
 亡父、存命の頃だから12,3年前の話だ。
 典型的な「町の小さなラーメン屋」然としていたので、もう、残ってはいま
いと思っていたら、ああた、ありましたよ、しっかりと。
 1回も利用したことはないのだがなんとなく嬉しい。 
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2016.06.17 法要
 亡父の12回忌、祥月命日法要で菩提寺へ向かう。
 川崎市の西部にある麻生区の丘陵地帯のただ中に亡父の墓はある。
 新宿から小田急線で新百合ヶ丘まで。そこからはタクシーを利用する。
 筆者の人生の過半は、小田急線と共にあった。
 中学、高校から始まって社会人となり、結婚を機に実家を出てさらに大阪に
移るまでの29年間、乗りなれた路線だ。
 大阪に移り住むちょっと前から複々線化工事が始まった。
 大阪在住15年の間に、成城学園も下北沢も地下駅となり、あまつさえ、見
たことのない車種が生まれ、あろうことか登戸で降りる予定だったわが身が新
百合ヶ丘まで運ばれてしまったことがある。下北沢の次に停まるのが新百合ヶ
丘などという電車を誰が考案したのだろう。いずれにせよ記憶の中の小田急線
は遠い思い出の存在となった。
 時間があったので、新宿から各駅停車で新百合ヶ丘へ向かった。往時では考
えられない行為だが、新宿駅の地下ホーム(各駅停車ホーム)に降りた。小田
急線は乗車率の高い路線なので急行で座れることはまずないと諦めていたから
でもある。複々線化工事進捗のおかげで、各駅停車が急行の通過待ちで退避す
ることがなくなり、きびきびと各駅をつむいでゆくことも後押しした。
 大阪での筆者は梅田から6駅目の緑地公園に住まっている。
 小田急では新宿から6駅目は下北沢だ。(自分は今、下北沢に住んでいるの
ね)という満足感があったが、急行などの通過待ちのない各駅停車は下北沢ま
で10分もかからずに到着する。大阪では梅田、緑地公園の所用時間は13分。あ
れ?13分後についたのは梅が丘。そーかー梅が丘に住んでるわけねー。
 実家を出てから16年間住み暮らした祖師谷大蔵界隈はことさらに懐かしい。
多摩川を越える直前の駅、和泉多摩川も人生初アルバイトの地であり、恋の芽
生えた地でもあることからにさらにことさらに懐かしい。
 何やらセンチメンタルジャーニーのようになってしまったが、多摩川に近づ
くと対岸の川崎の生田緑地(丘陵)の山並みが思いのほかすぐ近くに見える。
(こんなに近くに見えていたかな)
 記憶なんて、どんどん書き換えられているのかもしれない。

2016.06.16 沖縄梅雨明け
 早い。今年の沖縄の梅雨明けは常にも増して早い。
 台風もまだ1個も発生していない。
 ダイビングに恰好のシーズンだが、今年はぎっくり腰が完治していない。
 ダイビングは諦めモード。
(後日譚)結局行ったけど。

去年は?

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2016.06.05 関東、甲信が梅雨入り
 昨日に引き続き、さらに梅雨入り範囲拡大。

2016.06.04 梅雨入り
 九州、四国、中国、近畿、東海がまとめて一気に梅雨入り。
 梅雨入り大サービスデイってことっすか。
 梅雨の大盤振る舞い。

2015.05.31 ノーネクタイ
 とうとう負けました。
 ネクタイをはずすことにします。

2016.05.31 カサデマノーロ閉店
 来阪以来からのつきあいではないが、2010年11月頃から通っていた曽
根崎警察裏の「カサデマノーロ」が、今月いっぱいで店をたたむ。去年の6月
カツオ君がいなくなった時にいろいろありそーな予感はあったが、やっぱあっ
たんだな~。実に残念である。大阪の行きつけの店、ひさしぶりの喪失別件。
寂しさ度数アップ。
「イワシの酢漬け」「枝豆の鉄板焼き」「ミンチボールの煮込み」「エビやホ
タルイカのアヒージョ」「タコのアリオリ」・・・いつも食べていたメニュー
も明日からは記憶の中の味になってしまった。







2016.05.25 スパイゲーム2章
 年度が変わったということだろうか。
 梅田駅のホームの常連さんの姿が消えた。スパイゲームの観察対象者「セノ
オカッパ」と「オバハン」「ラバーズ」。
 全員の姿が消えた。まるで情報活動の情報連鎖の輪を断ち切ったかのように。
 駅のホームで見かけるだけという限りなく希薄な接点でしかない他人の人生
にどのような変化が生まれたのだろう。興味と同時にそこはかとなく寂しさも
感じる。
 去るものがあれば、来るものもある。
 新年度からの新顔は「キクチセンセー」「キタムラカズオ」「ソータ」「シ
マダショーゴ1号」「シマダショーゴ2号」の4名。
 ウエルカム。
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2016.05.22 北海道5月としては初の4日連続真夏日
 確実に温暖化が進んでいるのだろう。
 ただ、二酸化炭素排出によるものではなく、地球規模での間氷期の進行だと
いう学者もいる。
 研究一途の学者先生には悪いが、近時、筆者はあまりマスコミなどに登場す
る学者を信用できなくなっている。特に自然科学ではそうだ。地震の発生位置
や規模、頻度などは、統計的類推にすぎないことは明白だ。地球年齢で言えば、
1000年前なんてついこの間だ。1000年前に起こった大規模地殻変動が
明日、起こったとしても不思議ではない。しかし、それを明確に予見すること
はできない。できないにもかかわらず、それらしい言葉で時間を埋めなければ
ならないマスコミも、少し体制をかえたらどうだ。 人間の経験は、映像を残
し始めた近代を除けば、たとえ言葉や文字で記録を残したとしてもその記憶は
薄れてゆくし、実感として捕らえづらい。1771年の八重山地震は明和の大
津波を引き起こした。場所は宮古島、八重山諸島近辺だ。地震の被害は軽微だ
ったが、津波で1万2千の死者行方不明者が発生している。最大遡上高は85
メートルとする研究もある。これはこの間の東北大震災とほぼ同じ数値だ。し
かし、今、沖縄でこのことを認識している人はどれほどいるだろう。
 人はなかなか過去、それも遠い過去の記憶を「遠い」ということだけで、今
に生かすことができないのである。

2016.05.16 沖縄、奄美梅雨入り
 沖縄・奄美が梅雨入りと発表。
 平年に比べて沖縄は1週間、奄美は5日それぞれ遅い梅雨入りとなった。
 でも、昨年に比べると3日前後早かった。
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2016.05.15 伊勢志摩サミット
 伊勢志摩サミットのため、大阪あたりでも保安活動が活発化している。駅の
ゴミ箱を撤去したりし始めた。
 警備しやすい土地なんだろうな、伊勢志摩は。地形が入り組んでいることは
GPSが普及している今、あまり地の利にはならないだろが、それでも単純な
地形よりは有利か。進入、脱出経路が陸路では限られてしまうのが伊勢志摩の
利点なのだろう。
 極東の島国、単一民族国家で「ガイジン」が目立つってのは警備側にアドバ
ンスがあるだろう。
 要人を襲うのは、テロリストにとっては政治的活動の一貫だが、主権国家は
それを政治活動としてはとうてい認めない。あくまでも憎むべき犯罪行為とし
て取り扱う。しかし、マスコミが派手に取り扱ってくれればテロリストの目的
の一部は達成したとも言える。と、すれば要人襲撃に固執しなくてもいいとい
うことになり、日本という従来、あまり政治的利用価値のなかった土地での初
テロという行為はテロリストにとってはもしかしたら実行する価値のある行為
になるのかもしれない。
 そういう観点に立つと、伊勢志摩をターゲットにしなくても、東京や京都の
ような世界的に名の知れた土地でのテロ活動は、意外とリアルに「今、そこに
ある危機」ということに、情報、保安関係者の間ではなっているのかもしれな
い。
 知らないけど。
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2016.05.13 神戸
 京都に行ったら、翌週は神戸。
 ハーバーランドへ。
 ゆきつけの「明治屋神戸中央亭」に寄る。
 ウィークデー、金曜日の昼。案に相違して12時すぎの店内は混んでいた。
平日はパワーランチで周辺の会社員が使っているようだ。
「飲みものはいかがいたしましょうか」とフロアマネージャーに言われて
「ヴァンムスーをください」
「今日のような天気では一番ですね」とにっこりほほ笑み、冷えたボトルを出
してくれた。
 オードブルとコンソメ、舌平目のムニエル、タンシチュー。
 爽やかな五月晴れ。少し汗ばむような気温に、スパークリングがことのほか
よくあう一日だった。




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2016.05.08 エキスポシティ
 エキスポランドの跡地にオープンしたエキスポシティ。
 要は三井不動産系の「ららぽーと」なわけだが、シネコンや水族館などの複
合エンターテインメント施設が大阪モノレール「万博公園駅」前に出現して半
年ほどになる。
 自宅からチャリンコで30分の距離にあるのでいつでも行けると思っていた
が、いつでもいける処にはなかなか行かない世の常に倣い、半年間放置。そも
そも大型ショッピングモールに筆者のニーズはあまりないし。
 で、GWの一日、会社帰りにちょっと寄ってみた。
 エキスポランドにあった観覧車はららぽーとの建設とともに撤去されていた
のだが、駅を出たら、またぞろ観覧車を作っている。なんだかなあ、ちゅう気
もしないではないが、絵的にスターウォーズに出てくる建設中のデススターの
ようでちょっと心が弾んだ。
 入り口にはガンダムのフィギュアもあった。筆者はガンダム世代ではないの
でスルー。
 ショッピングモールは筆者にとっては広いだけである。明らかに施設のコア
ターゲットからは1万光年はずれていることを確認できた。
 万博公園にも寄って、五月晴れの午後のひとときを寛いだ。





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2016.05.04 翠蓋

 季節の変わり目に身体を壊したせいか、何やら季節に置いていかれてしまっ
たような感じがする。
 桜は筆者の目の届かぬところを足早に駆け抜けていってしまった。
 いつの間にか、新緑の季節になっていた。
 翠にまみれて、季節に追いつこう。
「翠蓋(すいがい)を碧空に翳(かざ)すあり」だ。
 何度か書いているが、その昔、筆者が徳冨蘆花に100円で売った歌である。
 琵琶湖畔、近江坂本の日吉大社に行くことが多いのだが、今年は東福寺に向
かった。
 鎌倉時代創建の京都最大級の大伽藍である。
 紅葉の名所として名高いが筆者は紅葉があまり好きでない。人生の終焉を迎
えるような寂しさをおぼえるからだ。やっぱ、新緑の方が活力が湧く。
 東福寺駅から伏見街道を南下して左折、北門をくぐり境内に至る最初の橋
「臥雲橋」を渡る。対面の「通天橋」が翠の海に浮かんでいる。「翠蓋」では
なく「翠海」だ。ぐるりと回り、今度は「通天橋」から「臥雲橋」を眺める。
 三門越しの本堂も迫力がある。その手前にある「イブキ」は焔のような形を
した古木だ。
 開山堂を巡る。
 橋の下の渓谷・洗玉澗(せんぎょくかん)を渡り、ゆるゆると散策している
と、季節を取り戻したような気になった。



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2016.05.03 物忌み物忌み
「ぎっくり腰は内臓が疲れるといけんとですよ」
 博多の「久米」の大将が言っていた。
 酒がいけないのか。
 う~ん、ちょっと飲み過ぎかなと3連チャンのあと、確かに腰の鈍痛がしつ
こい。おまけに白目に出血。あっちゃー。
 白目の出血は、眼底出血とは違って、あまり気にしなくていいということは、
初めて発現した際、眼科医に訴えたときのドクターの反応を見て知悉している。
それでも、出血班がだんだん目の下に降りてきて溜まっているのを見て、心が
晴れ晴れとすることはない。
 それと意識してはいないが、フラストレーションも溜まっているのだろう。
溜まって不思議はない昨今なので、ここは、気をひきしめて慎もう。
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2016.05.01 鴨川の床、オープン
 川床(かわゆか)は恐らく祇園祭にも通じる神事の一部だったように記憶し
ているが、観光都市京都は、神事の一部を商業化して5月1日からオープンす
るようになって久しい。たぶん、本当はもう少し後にかけていたと思う。
 しかし、夏の盛りにクーラーの効かない室外での食事は苦行でしかない。5
月上旬の涼しい今こそが川床を愉しむベストシーズンと言えるのかもしれない。
 ちなみに貴船では川床(かわどこ)と呼んでいる。


2016.05.01 メーデー (◎o◎)!まだやってたのか
 昭和!限りなく昭和!
 平成生まれはたぶん意味わかんないと思う。クイズ番組でやってくれないか
なあ。
 自分はこう見えて前職の新入社員時代2年ほど代々木公園から新宿あたりま
でのデモに参加したことがある。
 組合支部の会計をやっていたからだ。
 上司が支部長をやっていて「おまえ、やれ」と言われて「うぃーっす」と一
片のイデオロギーも持たずに組合活動に参加した。
 社員数が多いと社内で名を知られるきっかけは少ない。業務周辺での知名度
では不足だから組合活動で業務枠を越えた知己を作るのが有効だとの上司の親
心からだった。確かに出張先の工場や支店、営業所で何かしらの恩恵を受けた。
上司の意見とナスビの花は千にひとつも無駄はないってことっすか。
 世代間格差の分水嶺をバブルに置くのが近時の定番だが、筆者の若い頃は戦
争がそれだった。
 戦後世代の代名詞「団塊の世代」と「戦中派」の反目は、反目すら存在しな
いバブル前後の区分けとは明らかに色彩が異なっている。反発してたもん、ど
ちらも。
 戦後の高度経済成長を、日本の復興という精神的支柱で支えてきた戦中派と、
荒廃した国土を知らずただただ成長を目指し、それゆえに生まれる国家のひず
みに漠然とした不安と不満を抱いていた団塊の世代。相いれなさそうな感じで
ある。どちらにも正義があるから譲らない。
 数で圧倒したい団塊はしかし、社会的にはまだ未熟な世代で頭からおさえつ
けようとする戦中派に封建制の残滓や階層社会の弾圧を感じ、反発の度を強め
ただろう。
「資本家による労働階級からの搾取」という図式が実にあてはめやすい時代の
ようにも見えたが、実は、とにかく日本全体が成長していたのだ。ということ
は、多くの世代が何かしらの恩恵に良くしていたのである。停滞あるいは衰微
しつつある日本での分け前の分捕り合戦という現在の方が「資本家による労働
階級からの搾取」はあてはめやすかろう。
 当時、反発していた団塊はそれが一種の若造の甘えであることはほのかに認
識していたはずだ。
 筆者の世代はその時代の世相を知っているので、メーデー、赤旗、工場のト
タン屋根に沈む赤い夕日、つきあげる拳、なんてテクニカルタームにちょっと
尻がむずむずするのである。
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2016.04.25 春夏服
 週末に秋冬衣料をクリーニングに叩き込んだので月曜日からは春夏モノが稼
動。
 この1ヶ月、腰をかばってと、言うか、かがむのがしんどいので靴磨きをサ
ボっていた。クリームも塗らずにレギュラー陣の靴を履くわけにはいかないの
で、ちょっとカジュアルなワークシューズを履き続けていたが、いよいよ今日
からは靴も正規メンバーに切り替えである。落合正勝氏(2006年没61歳)曰く、
1年間、毎週1回、クリームを塗ってメインテナンスしていれば、いい靴であ
れば、それ以降は2週に1回のメインテナンスでいい。1ヶ月はちょっと空け
すぎたが、筆者の革靴は古参は15年、新参者でも9年の年月を経ている。脂
はしっかりと染み込んでいるはずだから、ひび割れや変色、型崩れの心配はま
だ大丈夫だろう。
 しかし、順次、履いてメインテナンスをしてゆかねば。
 レギュラー陣はざっくり10足なので毎日履き替えているとうまい具合に2
週に1回のメインテナンスピッチになるのである。
落合正勝botはこちら(ツイッター)
https://twitter.com/masakatsuochiai

2016.04.23 クリーニング
 年に2回の年中行事だが、今年は出遅れた。ギックリ腰のせいでクリーニン
グ屋への搬入時、大量の衣料の加重に腰が耐え切れないと思ったからだ。なん
とか復調してきたので、巨大なバッグ2個にぎゅうぎゅう詰めにして2往復。
クリーニング代割引セール期間中に出すことができた。
 30%オフは馬鹿にならない。1万ぐらいは差がでるのである。
 
2016.04.20 白内障
 阪神デパ地下を歩いていたら、なんだか視界が煙たい。
 あっちゃ~そろそろきたかな。
 左右の目を交互に手で覆い、確認した。
 右目は8年前に白内障の手術をしているので実にクリア。左目がかすかにハ
レーションを起こし始めていた。全体的に黄みを帯びている。体調によって差
もあるが、左目の白内障の進行を実感した瞬間であった。
 今すぐ、どうこうではないが、先々また白内障手術になるな。

2016.04.16
 ぎっくり腰でQOLが低下している間に、大事件勃発。
 熊本で14日深夜にM6.5、震度7の大地震が発生。
 これが本震かと思っていたら16日にM7.3、震度6強の地震。14日の
地震は前震だったという珍しい展開に。
 日本は地殻活動の活発期に入っているのではないだろうか、と思われるほど
近時、天変地異が度重なっている。
 震度についての筆者の認識は地上での揺れや破損状況からの人為的な策定と
いうものであったが、調べてみれば、なんと1996年から震度計という計器
測定値になっていた。昔の知識が役立たない忙しない時代になってしまったな
あ。
 311の時は羽田空港で帰宅困難になり、その後の東京脱出行で集団心理の
一端を垣間見たが、こうして震災が発生すると改めて、常在戦場の意識を持た
ねばならないと思う。
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2016.03.25 ギックリ腰初体験。時系列をしばらく昇順で
 目覚ましをかけそびれていたが、日頃の早起きの習慣からか奇跡的に5時半
に目覚める。
 6時32分の新幹線に乗らねばならない。
 起き上がろうとしたら背中に激痛が走った。
 そういえば昨夜、あおむけに転倒したのだった。ギックリ腰かヘルニアか。
いずれにせよ初体験。
 あまりの痛みに何もできない。シャワーも歯ブラシもすべて飛ばして這うよ
うに東京駅へ、階段を降りなければならない。叫びながら降りる。それでも東
京駅前八重洲のホテルにしていてよかった。
「はやぶさ1号」はグリーンを予約していた。これも助かった。乗車中に痛み
は緩和。
 八戸から久慈、久慈から田野畑へ。乗車中、痛いが耐えられないほどではな

 田野畑駅までは宿から迎えが来るので、助かる。
 シップをもらった。
 痛み止めももらっておけばよかった。
 和室だが宿の厚意で夜は簡易ベッドにしてくれることに。
 畳に横になろうとしたが、寝返りもうてない。
 テレビのコントローラーがすぐ目の前のテーブルに置かれている。目の前の
そこまで手を伸ばすことさえおぼつかない。普段ならなんということのない距
離が100万光年先に見える。無理に手を伸ばすと激痛が走る。
 7時に夕食会場へ。食欲がない。旨そうな料理が砂をかむようにしか感じな
い。かなり残す。ビールとワインを500ほど。残ったワインは部屋に持ち帰
る。
 簡易ベッドがしつらえてあった。
 寝がえりのたびに激痛。就寝中、人はこんなに寝がえりをうつことに初めて
気がつく。

2016.03.26
 朝、靴下もろくにはけない。パンツの上げおロシすら困難。
 今朝も大浴場は諦め、部屋風呂に浸かる。
 朝はコーヒーだけ。これはいつもの習慣。
 そう言えば、便意がまるでない。たしか一昨日行ってるな。
 歯磨きや手洗いで腰に負担がかかるなことを知る。いわゆる中腰の作業なん
だ。痛い
 宿から田野畑駅へ送迎してもらう。
 ローカル線の車中、椅子があわず少しくつらい。
 本八戸駅で降りる。
 エスカレーターもエレベータもない。悪態をつく。タクシー乗り場が反対側
だった。ついてないときはこんなものだ。
 ホテルのフロントで痛み止めにパブロンを4錠(2回分)もらう。
 ベッドに横になり夜を待つ
 あいかわらず、寝返りは痛い。寝返りよりも起き上るときが痛い。
 夜、パブロンが利いたかも。酒食の意欲が蘇ってきた。
 就寝前にさらに服用。

2016.03.27
 朝、起床時は激痛。
 チェックアウトの際、さらに薬を4錠わけてもらう。
 タクシーを呼んで八戸駅へ。本八戸駅はエスカレーターもエレベーターもな
いから駄目だ。
 タクシードライバー氏もぎっくり腰持ちだった。バンテリンが利くと言って
いた。もちろん医者の湿布が上とのこと。
 新幹線だと新青森から青森までの乗り換えがある。それを厭うて青い森鉄道
の各駅停車で青森へ向かう。
 昨日から、考えてみれば電車移動ばかり。歩行移動はほとんどしていない。
 車中、痛みがあり、パブロンを服用
 青森駅でコインロッカーに荷物を預け、駅前の食堂へ向かうが、その距離で
すら痛みで辛い。
 食堂の椅子があわず、食欲低下。
 伊丹空港でバンテリン(シップと液)、痛み止めを購入。かばんの重量がこ
たえる。普段キャリーバックを使わない習慣をこのときばかりは呪う。
 とうとう、空港内の床に鞄をひきずって歩くようになる。
 伊丹から自宅へはもちろんタクシー。ドライバー氏が普段使わない道を走り、
妖しカラント思ったが常より安くついた。疑ってゴメンなさい。
 自宅の風呂に浸かる。
 考えてみれば、2012年の老母の大腿骨頭置換手術以来、家の風呂に入っ
たことがなかった。浴槽内に老母用の椅子が置いてあり、なんとはなしにその
出し入れが疎ましくてシャワーを使用するようになっていたのだ。
 腰の痛みにはかえられない。入浴は、重力のくびきからひととき開放してく
れる。
 就寝中、寝返り時の激痛回数はかなり減少
 痛み止めは服用。

2016.03.28
 起床時の激痛はかわらず。
 横になって体重の加重から解放されていた脊椎が起床時、垂直方向の加重を
受けとめることになるからなのだろう。
 風呂に入る。
 さすがに混みあう電車に乗りたくないので出社時間をずらす。
 キャリーバックを杖代わりにする。途中、盲人用通路パネルでバックの車輪
がひっかかる。こんなものが邪魔になるとは思わなかった。しかも、近時この
パネルは縦横に張り巡らされている。
 退社時間もずらし混む前に退勤した。
 風呂に入る
 食事を作る台所作業はちと痛い。これも中腰作業なのだ。
 アルコールは控えたので食後も風呂に入る。
 痛み止め服用せず
 寝返りで激痛発生せず。

2016.03.29
 起床時の痛み緩和
 靴下をベッドに腰掛けてはけるようになった
 出退勤時間は昨日と同じにする。キャリーバッグの使用継続。
 あの日以来、排便がない。1週間というのは筆者にとって初めての経験。さ
すがに便秘対策を。会社の健康診断時に渡される下剤の不使用分を時間をあけ
て2回服用。効果は夜中に現れた。
 腰への刺激を避けるためか、くしゃみが出そうになると途中で雲散霧消する。
小用すら排出時、全開にならず一端途切れる感覚があった。便秘になったのも、
からだの防御本能からなのかもしれない。

2016.03.30
 春日より、トレンチコートすら置いてゆく。
 出退勤の時間を常に戻す。
 ただし、始発駅、千里中央駅から座ってゆくことに。

2016.04.04
 通勤時のキャリーバック使用を中止。

2016.04.06
 通勤時、階段をまったく使用していなかったが、今日、地下に降りる下り階
段の使用を再開。

2016.04.10
 通勤路で登り階段使用を再開。

2016.04.15
 薄皮を1枚1枚剥ぐように、体の不具合が薄れてゆき、健康が回復してゆく
のが実感できる段階にやっとなった。出勤時の電車、千里中央経由を卒業。で
もまだ、走りたいとは思わない。
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2016.03.23 桜の開花

 桜の開花は、平年より4日から7日早く、福岡、名古屋では19日、岐阜20日、
東京21日、熊本、長崎、和歌山22日、京都、大阪、広島、松江、横浜、前橋23
日。
 続々と桜が開花している。開花後、また気温が下がるようなので見頃が長引
くかな。

2016.03.20 京トレイン
 阪急京都線の快速特急「京トレイン」の停車駅は十三、淡路、桂、烏丸だけ。
茨木市にも高槻市にも長岡天神にも停まらない。内装も外装も和テイストの車
両で、土日祝に1日4往復だけの運行。巡り逢えたらラッキーだが、河原町駅で
は変則的(ホーム前方)な2番ホームからの発車なので、気がつかない人もいた
りするのよね。


2016.03.19 日展
 先週、大阪市立美術館で開催中の日展を見に行った。
 洋画と日本画をメインに見て歩いたが、今回は、自分好みの絵が少なかった。
自分好みと言っても、モチーフに共感するか(たとえば海辺の駅のホームに旅
好き心がくすぐられるとか)、構図に感心するとか、色使いに感嘆するとか、
といったレベルでしかわからないのだが、毎回、数作は好きな絵があったもん
だ。今年は筆者的には不作。
 ジャンジャン横町の串カツ店「八重勝」の前には長蛇の列ができていた。あ
いかわらず人気があるな。

2016.03.17 座席指定
 新幹線の普通車指定席は1列が3×2で、3席側が窓側からA、B、C、2
席側が窓側からE、Dとなっている。
 座席指定をするとき、あなたは窓側派?通路側派?
 筆者は、朝イチの乗車なら窓側派だが、夜の便なら通路側派だ。
 理由は簡単。朝イチで酒を飲むことはないからだ。飲まなければ、新大阪、
東京間の2時間半、トイレに行くこともない。座りっぱなしでいいのなら車窓
が見えた方がいい。
 ここでの選択肢はAかEかということになる。
 混んでいる列車なら迷わずE、混んでいなければA。
 シートマップで座席指定をしなければ、新幹線の座席は窓側ならAから埋ま
り、AがいっぱいになるとEへと移る。通路側はCから埋まり、Cがいっぱい
になるとDへと移る。3席の真ん中Bが埋まるのは、その後だ。だから混んで
いなければ、Bが空いている可能性が高い。すると、Aの方が隣に人がいない
分快適である。
 一方、夜の便では、乗車前か乗車中に飲酒する可能性が高くなり、途中、ト
イレに向かうことが考えられる。
 窓側では、通路側の客にテーブルを下げられでもしたら、いちいち上げても
らわなければならないし、そのまま眠りこまれたら、万事休すとなる。断然、
通路側である。
 この場合も、混んでいなければC、混んでいればDということになるのは記
述のとおりである。
 新大阪から乗車するときに夜ということはほぼないから、夜便は東京からの
帰阪時になる。東京駅中のグランスタで酒と肴を買って乗り込んだら、新横浜
までは我慢である。
 品川と新横浜で乗車してくる奥の席の乗客がいるかもしれないからだ。
 新横浜を過ぎたら、ガサゴソと袋の中から酒と肴を取り出し、酒宴を開く。
 500mlの缶ビールとワインの泡と赤などをハーフで1本ずつ。ここで注
意すべきは、ワインはスクリューキャップのものでないと抜栓できないという
こと。泡はその点便利である。ポン!という音を立てないように気をつけるだ
けでいい。肴は4種ほど。これで名古屋を過ぎる頃まで気持ちよく過ごせる。
東京、新大阪間はとにかく名古屋までが長い。名古屋を過ぎてしまえば、京都
まで40分、大阪まで55分程度。ほろ酔い気分で一眠りしている間に新大阪
着ということにあいなる。
 最後に、これは絶対にはずせない条件があって、乗車するのは新大阪止まり
の列車だけ!ということである。


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2016.03.16 誤変換
 大阪市営地下鉄御堂筋線の車内アナウンスがおかしいことに気がついた。梅
田駅に到着の際、「梅田~梅田~駅も梅田、ホワイティ梅田前です・・・」な
んて言っている。
 おかしいでしょ?
「駅も梅田」ちゅうことは、その前の「梅田~梅田~」の梅田は何だ?ちゅう
話だ。
 地名を言ってるのか?
 FBでそんなことをつぶやいていたら、知人の弁護士が答えてくれた。
「ekimo梅田のことですね」
「!!!!」
 南口改札から阪急横を通ってJR改札の方に向かう小路沿いに何店舗か店が
連なっているそのエリアの名称がekimo梅田である!
 知ってはいたが、変換できなかった。
 なんか、すっごくスッキリした気分になった。

2016.03.08 熊本、宮崎、高知は夏日
 やっぱ、温暖化は進んでいる。3月上旬に夏日出来!今日は、トレンチコー
トすら置いてきた。熊本は2日前の3月6日にも夏日だった。
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2016.02.28 ジジババ圏(ゾーン)
 ジジババゾーンに突入した。
 以前から肩に触れた人が息を呑むほど筋金入りの肩コリストだったが、凝り
を意識することはなかった。しかし、最近、毎朝のPT(フィジカルトレーニ
ング)で股割がてらに肩入れと首ひねりを取り入れるぐらいに、凝りの痛みを
意識し始めるようになった。特に右後方に顔をむけるのがツライ。
 しかし、肩凝りを意識したからジジババゾーンに突入したと言っているので
はない。

 亡父の晩年、やはり肩凝りがひどかったようで(それが肺癌によるものかど
うかは知らないが)親族が推奨してくれたゲルマニウムの粒とネックレスをプ
レゼントした(させられた、母に)。目をむくほど高価で「詐欺」という単語
が脳裏で踊りまくったが、資金を提供した。そのせいかどうかわからないが、
肺癌であった父は痛みとは無縁に逝くことができた(肺癌末期はかなり痛むこ
とが多いらしい)。
 父亡き後は母が使い始めた。肩凝りの痛みからは完全に開放されたと言って
喜んでいたが、「民間療法未満」というのが筆者の継続した認識だった。

「効くから使いなさい、私はもういらないぐらいなんだから」
 迂闊にも肩凝りの話をしてしまった筆者に、エスキモーに冷蔵庫を売りつけ
るセールスマンさながらにゲルマニウムを押し付ける老母。こちらも痛みが鬱
陶しくなっていたので「それじゃあ」と粒を痛い部分に貼り、「これもやらな
きゃ駄目」とネックレスまで首に巻かされた。
 つまり、そういうことである。
 膏薬を貼るようになったから「ジジババゾーン突入」と書いたのである。
 あ~やだ、やだ。
 んで、使用開始翌日。
 効いてる。
 すごく。
 信じられない。
 夜に貼り始めたが、翌朝、慢性的な凝りの痛みがほとんどなくなっていた。
 いやあ『酒のチャンポンと親の言葉はあとから効いてきますけん』 

2016.02.05 冬靴効果
 アイスバーン化している坂道を慎重に歩きながら、七転八倒の日々を思い出
していた。冬靴の存在を知らずにいた頃のことだ。あろうことか、雪道を革靴
で歩いていた。
 冬靴も2代目となり、そろそろ底が磨耗しているのでは、という危惧から今
回は1回くらいは転ぶかな、と思っていたが、大雪山の坂道でも転ぶことなく
宿に戻った。
(俺もなかなかやるな)とほくそ笑みながら大浴場で湯船に入ろうとしたら滑
った。
 水(お湯)しぶきを豪快に上げて風呂場で大転倒。
 恥ずかチぃ~
 湯船につかっていたオヤジに指をさされて笑われた。

 雪国の行政では雪対策の予算が計上されている。しかも除雪と廃雪を分けて
いる。除雪しても融けなければ道端に雪山ができるだけだからだ。
 東京の雪景色を思い出して、ふと思った。
 東京都の予算には、雪対策の予算って計上されているのだろうか?
 まさか、除雪、廃雪は分けてはいるまい。
 今度、都庁に勤めているHに聞いてみよう。

2016.01.31 時代がどんどん変わってゆく
 ジャストシステムの調査で、10代のスマホユーザーの1日あたりのメディア
接触時間は、スマホでのインターネット接続153分、テレビ118分、パソコンで
のインターネット接続64分。
 総務省の調査で高校1年生世代のスマホ保有率はなんと、91.5%。ネットサー
ビスの利用率はLINE88%Twitter73%Instagram34%(男17%女50%)Facebook28%(
利用中止率22%)だそうな。(日経PCより)
 皆がスマホ画面を見ている電車内。
 よくよく見ると、イアホンをかけて音楽を聴いている人が減っている。
 結局は暇つぶしのツールとしてスマホが支持をされたのだ。
 電車の中での暇つぶしは、本から漫画へ、そしてスマホへ。ウォークマンか
らアイポッドへ、そしてスマホへ。そして電車の中だけでなく、どこにいても
スマホで時間を埋めている。
 パソコンも使われなくなれば、「日経パソコン」がなくなり、「日経スマホ」
創刊の時代がやってくるのか?
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2016.01.29 スパイゲーム
 毎朝の通勤時、ゲームをやっている。
 名付けて「スパイゲーム」。
 電車の乗車時刻、乗車位置など、人は皆、習慣的に固定化していることが多
い。だから通勤電車の座席には、見慣れた顔が必ず幾つかはある。筆者は彼ら
にあだ名(コードネーム)をつけて密かに楽しんでいる。
「スパイゲーム」は車内でのこの遊興ではない。
 梅田駅で降りる筆者は、ホームの最後尾から改札のある最前部まで歩く過程
で、幾つかあるベンチに座っている人の中に常連がいるかどうかを探し出すと
いう訓練をしている。これが「スパイゲーム」である。
 けっこう難しい。
 電車内だと、空間が固定されているし、観察時間も長い。
 ホーム上で歩きながら、さりげなくベンチを見、毎日、固有の人物を特定す
ることは困難なのだ。このゲームをやっていると気がつくのが、ユニークな身
体的特徴や風貌は、かなり大きな記憶のきっかけになるということ。有名人に
似ているとかそういうことでもいい。一方、メガネとか帽子とか副次的要素を
キーにすると、顔が思い出せないことが多い。だから、メガネをはずされたり、
帽子を変えられたりするともう見分けがつかなくなってしまう。
 変装するならヒゲとメガネと帽子はマストアイテムだな。
 かなり前から遊んでいるが、現在、特定できているのは二人だけ。
 コードネームは「セノオカッパ」と「オバハン」という。

2016.01.24 予約が通る1月
 昨日は、沖縄で雪が降るかも、との予報があった。
 ウチナーのワクワクぶりはきっと観測史上MAXだったのではあるまいか。
降らんもんね、雪、沖縄には。
 閑話休題(あだしごとはさておき)。
 普段、予約のとれない宿や店に予約するなら1月中旬から下旬がお勧め、と
いうのが筆者の体験的持論なのだが、支持していただけますか?
 正月休みで散財した人や、満喫した人が、とりえあず息抜きするのが中下旬
だと思っている。
 だから、筆者は1月の中旬以降、攻めに転ずることが多いのである。
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2016.01.23 さらに最強の寒波
 寒波の波状攻撃。
 週アタマの寒波よりもさらに強烈な奴が週末にやってきた。
 沖縄でも雪、降るかもしれんちゅうとったが、ちらほらあったという現地情
報あれどさすがに降雪は公表されなかった。それでも石垣島の最低気温が8.2度
というのはスゴイ。奄美では115年ぶりの降雪だそうな。
 九州でも北は福岡、南は鹿児島まで雪。
 宮崎はどうだったんだろう。

2016.01.20 日が伸びている
 冬至を過ぎてから、昼の時間が長くなっている。
 しかし、大阪では1月上旬までは日の出の時間は遅くなり続ける。
 なのに、昼の時間が長くなるのは日の出の時間の遅れ以上に日没が遅くなっ
ているからだ。
 この時期は、オフィスを出てもまだ西の空が明るかったりする。
 なんとなく心が浮き浮きするのである。
「酒食が俺を呼んでいる」ちゅう感じですか?

2016.01.19 今シーズン最強の寒波
 今日から寒波襲来。朝6時すぎの新大阪駅前にあるダイキンの看板に表示さ
れている外気温は、昨日は9度だったが、今朝は1度。北風が強く体感では氷
点下だろう。指先がかじかむのでとうとう手袋まで着装。
 この日、東京でも降雪。
 さらに北海道では、台風並みに発達した爆弾低気圧で暴風が吹き荒れ、襟裳
岬では最大瞬間風速45.1mを記録。(襟裳岬は北海道のみならず、日本でもト
ップクラスの強風地域だ)
 20日には北海道遠軽町で統計開始以来、最高となる128センチの積雪を記
録。
 暖冬、暖冬と言っていたら、いきなりしっぺ返しちゅうことですか。
 スキー場は喜んでいるだろう。
 北国の行政は「今年は除雪、排雪予算が余っちまうな~」なんて言っていた
んじゃないか?でも、安心してください。このままゆけば、予算は消化できそ
うです。
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2016.01.16 京都東山散歩
 祇園みずおかで昼懐石を愉しんだあと、腹ごなしと時間潰しで東山界隈をぶ
らぶらすることにした。
 祇園から東大路を清水寺の入り口まで、参道を歩いたが、ここはもう、イス
タンブールだな(行ったことないけどイスタンブール)。あらゆる国籍の人間
がひしめき合い、ありとあらゆる母国語が頭上を行き交っている。清水寺の真
ん中でスワヒリ語で何か叫んでも、誰も見向きもしないだろう。
 清水寺のあと、三年坂、二年坂を経て高台寺に行く。
 このルートは何度か来ているが、季節によって、太陽の角度によって様々な
表情を浮かべる。今日は夕陽を浴びた画が美しい。
 円山公園に出て、八坂神社の境内を抜ければ、祇園に帰参。
 バー「Vespa」でカクテルを数杯ひっかけるのが次の目的だったのだ。


冬の方が建物全体を眺め渡せるのがいい。夏場は生い茂る樹木の葉が邪魔するのだ




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2016.01.14 マフラー出動
 寒反応、発現。
 寒気に対してからだが「冷えた!」との認識を持つとそれ以降、寒気に敏感
となり、それまであまり防寒に気を使っていなかったのに、装備に気を配るよ
うになる。そういう心理状態、あるいは体感状態を筆者は「寒反応」と呼んで
いる。
 そうなると、多少寒気が緩んでもそれ以前の装備に戻ることはなくなる。
 寒反応にはレベルを設けている。
 1から5までで、5が最も高い。

 レベル1、トレンチコートを着始める。
 レベル2、コートがトレンチからチェスターフィールドに変わる
 レベル3、マフラーを装着する
 レベル4、手袋を装着、あるいは持ち歩く
 レベル5 アンダーウェアにヒートテック(長袖)を着用する 

 日常生活ではこんなもんだ。
 北国に行くときはこれに、コートがキルト系に、さらにフード付に。靴は冬
靴に。靴下は登山用の厚手生地になるちゅう寒冷地仕様オプションが加わる。

2016.01.13 歯冠脱落
 年に4、5回は落ちる銀の歯の詰め物。
 よく落ちるな~と思っていたら、筆者の詰め物は3箇所あることを知った。
 この3箇所がだいたい10ヶ月~1年くらいで交互に外れているようだ。
 先般、填め直した歯冠が落ちたのかと思ったら、その隣の奴だった。
 ホンマ、まぎらわしい。
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2016.01.12 東京初雪
 大阪はそれほどでもないが、東京はやっと寒気が漲り始めた模様。
 12日、初雪。
 昨年より29日遅く、平年より9日遅い。
 筆者もここ数日、コートはチェスターフィールドに移行している。

2016.01.09 世界がワチャワチャ、でも日本は
 サウジアラビアがイランと外交を断絶し、北朝鮮は水爆実験の成功を吹聴し、
と2016年は幕開けからワチャワチャしている。
 あちこちで空爆や、爆弾テロ、銃撃が繰り返されているが、平和ボケしてい
る日本からでは、緊迫の度合いがようわからん。
 サウジとイランが犬猿の仲なのは筋金入りだし、主権国家同士の角つきあわ
せはある程度の自制も働くかもしれないが、ISみたいなテロ集団に自制はあ
まり期待できない。北朝鮮の孤立が深まれば、核兵器をISに売りさばくこと
は世界の安全保障にかかわる情報、軍事機関にとっては当然の予測事項なのだ
ろうし、その監視の目はかなり真剣だろうと思う。
 でも、やっぱ日本の正月ニュースのトップは「不倫」なのね。
 ナンシー関の「要するに、やっているのか、いないのかだけが皆の注目の的」
なんだというエッセイは、そのとおり!と膝をうちたくなるほど下衆ながら真
理だ。
 ま、ドライだ、酒食だ、と言っている筆者もあんまかわらんもんね。

2016.01.06 ドライ(酒抜き)チャレンジ
 2014年からはじめたドライ。
 月5日をノルマとして、年間60日を達成。正確には1日無駄弾を撃ってしま
い、61日だったのだが、これは12ヶ月のうち2ヵ月、まるまる酒を抜いたとい
うことで、我ながらえらいと思った。
 2015年は、ハードルを上げて月7日にした。
 筆者にはちとキツイ。
 しかし、やってみれば何とかなるもんで、これも達成した。
 またもや1日無駄弾を撃ってしまい、85日になったが、なにか、昨年のよう
な達成感がない。
 60日だと2ヵ月だ!と簡単に計算できるのだが、85日ってハンパ。
 だからインパクトに欠ける。
「85日、達成しました!」言われても
「そうですかぁ、85日どすかぁ」みたいな・・・
 満足度が薄い。ちゃんと前年より月あたり2日も盛っているのに。
 ドライを始めたのは、アルコール依存症ではないことを確かめるためだった
ので、たぶん、そうじゃないことを自覚できたのだから、もうやめてもいいん
だが、なんとなく欲が出た。
 あと1年だけ続けてみることにした。
 2016年は年間90日。
 これならば、12か月のうち3か月ドライ!と分かりやすい。
 31日まである月を8日として、それ以外の月は7日というペースでやってみ
ますか。
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2016.01.02 楽だった
 老母との3泊4日のホテル暮らし。
 楽だったわぁ~
 ナルホド、こーゆー生活もありか、と思った。
 布引ハーブ園(何があるわけでもないのだが)のロープウェイに載せたり
(人生初ロープウェイ)、ハーバーランドに行ったり、中華街を歩いたり(ア
ーケード街はナショナルチェーンのカフェ以外、シャッター商店街状態)と多
少の散歩をさせつつ、年1回の老母の身体状態をチェック。
 来阪時よりは衰えてはいるが87歳でこれだけ動ければ、いいか(知らんけ
ど世間の87歳)と、いうことで、ひとつ。
 29日が仕事納めでその翌日から籠ったが、あっと言う間だったわ。
 老母は、京割烹の朝食がえらくお気に召したようで(特に味噌仕立ての雑煮)、
帰宅してからいろいろと煮物に工夫を加えていた。
 筆者は3晩、メイン・バーに通いつめて、バーテンダーとお友達になった。
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2016.12.30 ホテルで年越し
 正月は、東京在住時代から自宅で新年パーティーを開催するため、泊つきで
外出することがなかった。
 今年は同居の老母の高齢化による体力、気力の衰えを慮って、年末、年始を
ホテルで過ごすことにした。とは言え、なかなか空いていないのね部屋が。条
件をつけなければいくつかはHITするんだろうが、老母は、畳の部屋は駄目
だし、自分から言い出したわりには「あまり遠くに行く自信がない」そうで、
しかし「行ったことのない所がいいわ」という注文もあり、これに応えて何と
か神戸のANAクラウンプラザに部屋を確保した。
 ディナーは、ルームサービスというコースで、ワインを持ち込んで飲めばレ
ストランでの飲酒代も浮くというものだ。
 年末年始、家にいなければ電気代も浮くな。
 3泊4日・・・筆者のホスピタリティの限界を試す年末年始になるだろう。
 はてさて、いかがなりますやら。

2015.12.29 2015年の映画
 2015年中にスクリーンで見た映画は17本だった。
 1月から順に
「エクソダス 神と王」
「ミュータントタートルズ」
「ジュピター」
「ナイトミュージアム エジプト王の秘密」
「寄生獣完結編」
「マッドマックス」
「アベンジャーズ エイジオブウルトロン」
「ターミネータージェネシス」
「進撃の巨人ATTACK ON TITAN PART1」
「ジュラシックワールド」
「ミッションインポッシブル ローグネーション」
「進撃の巨人 ATTACK ON TITAN エンド オブ ザ ワールド」
「マイ・インターン」
「キングスマン」
「エベレスト」
「007 スペクター」
「スターウォーズフォースの覚醒」

 こうして並べてみると、ああ1年なんてあっという間なんだと思う。
 銃撃と爆発、災害のない映画が1本だけ紛れ込んだ(マイ・インターン)が、
これは時間調整のために入ったということで、ひとつ。
 恒例のお気に入りソートをかけると上位から順に

「スターウォーズフォースの覚醒」
「ミッションインポッシブル ローグネーション」
「ターミネータージェネシス」
「ジュラシックワールド」
「キングスマン」
「寄生獣完結編」
「アベンジャーズ エイジオブウルトロン」
「進撃の巨人ATTACK ON TITAN PART1」
「マイ・インターン」
「進撃の巨人 ATTACK ON TITAN エンド オブ ザ ワールド」
「マッドマックス」
「ナイトミュージアム エジプト王の秘密」
「エクソダス 神と王」
「007 スペクター」
「ミュータントタートルズ」
「ジュピター」
「エベレスト」

 2015年は、筆者的にはアタリが多かった。
 上位陣はどれもかなり気に入っている。
 久しぶりに見てあらためて(自分はこのシリーズは好きではなかったんだ)
と再認識させられたのが007。ダニエルクレイグになって評判いいんだが、
ごめんなさい。やっぱ駄目でした。
 時間調整のために入った割に「マイ・インターン」がツボにはまった。
「エベレスト」は最下位。いやあ、これほど感情移入できんかった映画も久し
ぶりだ。

去年の映画は

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2015.12.23 夏日もあれば真冬日もある1日
 23日の最高気温と最低気温。
 北海道富良野がマイナス21.5度。
 沖縄那覇が26.5度。
 南北の温度差は48度。
 すごいな。
 確かにトレンチコートがまだ稼働中でチェスターは3回しか着ていない。

2015.12.19 SWフォースの覚醒
 昨日から公開のスターウォーズ
 梅田の東宝シネマズは満席だろうなとネットで確認したらスクリーン前数列が
ガラガラじゃああーりませんか。さっそく見に行った。
 1987年(だっけ?)の公開時のエピソード4(当時はそんなのついてなかった)
はロードショー館で10回以上は見た。名画座に落ちてからも数10回は見ている。
思い入れはたっぷりだ。ただし、エピソード1~3は除外。
 1作目は、当時のSF映画としては画期的な映像や撮影技法が満載でセンスオ
ブワンダーの塊だった。あれから30年、さすがに映像的な新鮮さを訴えるのは無
理。たぶん、あらゆるパターンは使いつくされてしまっている。
 それでも、楽しんで見られた。それに今回は主人公の女優がイイネ!

2015.12.12 さよならプリントゴッコ
 1987年から年賀状印刷に使っているプリントゴッコ。
 理想科学が生産を中止したのが2008年。消耗品の販売も2012年に終了。
 なんとか備蓄の消耗品でここまでやってきたが、今回の印刷でマスターやフラ
ッシュなどが底をついた。
 かなり思い入れがあったが、ここまでか。
 来年からどーしよーかな~

2015.11.25 C社OB会
 前職の上司、先輩と飲み会を定期的に開こうということになって2回目の会合
は上野の中華料理屋で。道に迷ってしまい、店に電話する。
「はい?」
 中華系の日本語。
「すいません、お店までの道を教えてもらえますか」
「イマ、どこにイル?」
「×××の交差点です」
「×××?・・・ワカラナイ!」
「・・・」
「スマホあるカ?」
「ええ」
「位置情報アプリでミセ探して来レバイイヨ」
「はい」

 前職にあったときの似たようなシチュエーションを思い出した。
 泊り込み作業の日々で、恵比寿の小さなビジネスホテルに部屋が確保されてい
た。小さなホテルで売店や自販機もない。
 夜中のフロントには東南アジア系の若者がいた。
「ビールはありますか?」
「ビール?アルよ!」
「じゃあ3本下さい」
「ビール3本?1本しかナイよ」
「いいです。じゃ、その1本ください」
「冷えてナイよ」
 懐かしいな~
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2015.11.27 大阪でも指先かじかむ
 前日は、東京出張だったが、東京は寒かった。
 そして、大阪も寒かった。
 北日本では発達中の低気圧が通過中で、風致の地えりもでは最大瞬間風速が
30mを越える暴風が吹いている。美瑛では氷点下20度を切った。
 いよいよ本格的な冬到来か。
 トレンチなんぞ1日か2日しか着ていないのに、もうチェスターフィールド
が稼動。
 青森初雪。でも統計開始以来130年で最も遅い初雪。
 寒いけど暖冬、ということで、ひとつ。
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2015.11.25 札幌で積雪44センチ
 暖冬か?なんて2日前に書いたのにこれだ。
 ちょっと目まぐるしすぎでしょ。
 11月に40センチを越えたのは62年ぶりだそーな。
 暖冬気味だったが、徐々に寒気強まるか

2015.11.23 東北初雪
 盛岡で初雪。
 平年より15日遅い。
 1975年以来、40年ぶりの遅雪(造語っす)。
 暖冬か?

2015.11.22 肩こり
 美容院でシャンプー後に肩を揉んでくれるんだが、新人クンが筆者の背中に
指をあてた瞬間目を見張っていた。
「ものすごい凝りですね」
 心底感心している。
(人は、ここまで凝ることができるのか)と新発見をしたと言わんばかりに。
 残念ながら、筆者に凝りの自覚はない。自覚がない以上、そこに凝りは存在
しないのである。
 だが、確かにたまに誰かが肩を揉む真似をするとき、一様にスゴく「凝って
いる」ことに目を見張る。凝っているのだろう、ガチガチに。これでも自宅に
はマッサージチェアがあり、毎朝夕、揉まれているのだが、効いていないとい
うことなのか。意識しないようにしている。意識してしまって、整体なんぞで
人の手によるマッサージを受けてしまったら、凝りを自覚していまいそうだか
らだ。自覚してしまったら、マッサージ代がかかってしまう。筆者はドケチ虫
なのである。
 実は、人生で有料のマッサージを経験したことは一度もないのである。 
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2015.11.22 カレンダー買い出し
 恒例の来年度カレンダーの買出しに江坂の東急ハンズへ。
 昔は各部屋にいろいろ貼りまくっていたが、ここ3年ほどは貼る場所も限定
的になり、毎回同じシリーズを購入している。カレンダーでもあるのね、シリ
ーズが。
 自室には沖縄の美ら島カレンダー、トイレに国内の世界遺産や美しい景色カ
レンダー、リビングには花のギフトカレンダー。
 以上。
 今年も同じシリーズをめでたく入手。
 今度は年賀状の購入か。
 
2015.11.16 タチョスが終わりアマローネが現れた
 地元の行きつけの喫茶店で遭遇したお気に入りのコーヒー豆「タチョス」。
ブラジル国内のコンクールで5万袋のエントリーの中から2位を獲得した希少
品。やっと名前を覚えて「タチョスを」とオーダーしたら、在庫切れになって
いた。前回『あと僅か』との宣告を受けていたからね。
(尽きたか~やっと名前を覚えたのに・・・)
 似たものを、との常連さんの要望が多かったらしい。代わりに、と勧められ
たのは「アマローネ」
 覚えやすい。
 アマローネ時代がやってきた。

2015.11.21 ユーザープロファイルが読み込めません
 自宅PCでは何度も出てくるメッセージだが、記憶中枢が腐敗している筆者
は対応法を覚えていない。日常的な記録ファイルは、ローカルに置かず、外部
記憶にしていることと、バックアップ用のチョボイPCが一台あるので、致命
的な不都合は生まれない。ただ、バックアップPCのチョボさたるや紀元前ク
ラスなのでストレスが溜まり、早く日常使用PCを復旧させたくなるが、既述
のとおり、対応法はレテの川の濁流に呑まれている。スマホで確認しなければ
ならない。それにしても、こういうときにスマホは便利だ。
今回は、何かいつもと違うサイトだな、という印象の幾つかのサイト記事から
復旧を計ったがセーフモードからの再起動やそれ以外の立ち上げオプションは
すべてネガティブとなった。あれれれ?新しいアカウントを作れっちゅう指示
にも、新しいアカウントを作ろうとするところでPCが寝たきりのようになり、
介護士を呼ばねばならない状況。途方に暮れかけたが気分を変えてもう一度ス
マホで別のサイトを幾つか片っ端から開けていったら、(あ~これこれ!)ち
ゅう見慣れたページが現れて、何とか無事復旧した。備忘のため今回はこの
「歳時」に記録を残しておくことにする。
「BIOS画面でF8キーを連打」
「セーフモードで起動」
「スタート」→「すべてのプログラム」→「アクセサリ」→「システムツール」
→「システムの復元」→「前回(あるいは選択で)復元ポイントまでシステム
を遡って修復」
 ちなみに日常PCは「Vista」バックアップPCは「7」。どうよ?
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2015.11.18 銀歯が落ちた
 15日に左上奥歯の銀歯が落ちて修復したばかりだったが、今度は、右上奥歯
の銀歯が落ちた。
 ホントに銀歯と熟柿は落ちるのが早い。
 今年は、1月と6月に落ちている。
 今回は6月に修復した奴だった。

2015.11.14 博多、名古屋と京都、東京2回
 火曜から土曜までで、東京2回、博多1回、名古屋と京都のパック1回で大
阪から日帰り出張を繰り返した。
 さすがに疲りた~
 せっかくだから、帰りにちょいとひっかけようなどという気力もわかんけん。
 土曜日の博多だけは最近、はまってしまった博多駅デイトス1階、ほろ酔い
通りの「もつ鍋おおやま」に寄ったけんね。
 馬刺しと酢モツと明太子、鍋は味噌味。
 


2015.11.09 暖冬?
 今年の立冬は11月8日だった。
 でも、立冬なのに那覇では30度。大阪も夏日に近かったような・・・
 北はちゃんと冷えているようだが、関東以西はそうでもない。
 東京なんざ、9日の気温22.9度。1週間前は9.6度だったそーだが。
 ちょっと出入りが激しいね。
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2015.11.08 鳴門
 低糖質の麺や豆腐麺でラーメンを作る時、糖質量を抑えるために練り物は普
段使わない。
 しかし、ふと魔がさした。
 そうだ。たまには「鳴門」を入れてやろう。
 鳴門は、かまぼこのようでいてかまぼこではない。かまぼこほどしっかりと
弾力に富んだ歯ごたえはなく、味もあやふや。ちくわのように断面が円形では
なく紅葉のようなぎざぎざが周囲に刻まれている。中心になぜか赤い「の」の
字が描かれている。そういう奴だから「いることはいると分かっている」んだ
が「どーゆー奴だかはっきりしない」という実にとらえどころのない位置づけ
にある。
 近時のラーメンには鳴門など入っていないと思うが、昔のラーメンには間違
いなく鳴門が入っていた。鳴門とシナチクと海苔とタマゴ、ひらひらのチャー
シュー一枚。これこそがラーメンのクラシックスタイルである。
 んでもってスーパーに寄って鳴門を買おうとしたら・・・
 ない!鳴門がないのである。
 何軒か探したが、鳴門の姿はなかった。
 ちくわぶが関西にないのは認識していたが、鳴門もないのか!



2015.11.07 紅葉or新緑?
 そろそろシーズンだが、紅葉は、あまり好きじゃない。
 いつも書いているけれども筆者は紅葉より楓の方が好き。
(紅葉と楓はイコールだよね?紅葉が秋で楓が春だよね?)
 紅葉は暗っちくていけない。
 新緑の季節を迎え、キラキラと輝く楓を見ると(よし、まだまだ俺も頑張る
ぞ!)という前向きな気分になる。
 秋も深まり、紅葉が紅く染まりだすと(ああ、あと何度、この景色を見るこ
とができるのだろう)などと後ろ向きな気分にしかならない。
 晩秋という語感が「ばん」繋がりで「挽歌」とか「晩年」という連想を生む。
 嫌でしょう、実に。
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2015.11.06 クリーニング出しで分かる活動停頓期
 シーズン恒例のクリーニング出し。
 今年はでかいバッグ二つに小分けはしたが1回の預け入れで終わってしまっ
た。去年は4回も店に運び込んだのに。
 当然、クリーニング代もかなりの節約になったが、保有するカジュアルジャ
ケットのほとんどに今シーズン袖を一回も通していないのが理由だった。
 つまり、活動的な休日が減っているということだ。
 う~ん、確かにチャリもまったくこいでないもんな。遠出も少なかったし
・・・そもそも週末の資格試験種が増えていることもある。
 思い当たることだらけ。
 いかんな~老いの影が忍び寄っとる。

2015.10.27 半分こ
(今は、平成27年。)
 台所のお母さんのように思いついた言葉を何も考えずに口ずさんでみた。
 平成元年生まれの子供は、27歳か。
 博多華丸大吉の漫才じゃないが『よその子とゴーヤーは育つのが早い』
 そして(はて?)と思った。
(俺は今、54歳)
(今は、平成27年)
 そうか、昭和と平成をそれぞれ27年間生きてきたんだ。
 元号を半分ずつまたいで生きている今。
 来年になれば、平成の世での生が長くなる。
 昭和も遠くになりにけりか。

2015.10.24 東京、木枯らし一号
 暑いんだか、寒いんだかはっきりしてくれ!と言っていたら、
「はっきりしましょう!」とばかりに関東では木枯らし1号が吹き荒れた。
 でも、大阪はまだ。
 そう簡単に寒くなりませんぞ。

2015.10.23 夏日再来
 秋が早いと思っていたら、『暑の戻り』とでも言うのでしょうか。
 大阪では16日から22日まで7日間連続の夏日
戻る

2015.10.15 東京でモロモロ
 会議が終わり、帰阪の前に旧知のSちゃんと待ち合わせをした。
 Sちゃんの仕事終わりを待つので、新宿の東宝シネマズで時間潰し。
 ゴジラが迎えてくれる。



 会食が終われば新幹線の終電はもうとっくに発車している。
 あいにくサンライズ出雲、瀬戸は運行しない曜日なので夜行特急という手段
はない。近時、宿も取れないから最終手段として高速夜行バスに乗り込んだ。
36年ぶり、人生2回目の深夜バス行。JRのプレミアムドリーム号に2列席の
プレミアムシートがあるらしいが、そんなもんはとれるはずもない。3列シー
トの窓側をとった。バスの座席配置図には3席のそれぞれが離れているように
書かれていたからだが、乗り込んだら、2BY1の2列側だった。(詐欺だ!)
と思ったが仕方がない。幸い、隣は空席だった。
 リクライニングを倒すと、後ろのオバハンが「トイレに立つ時出られなくな
るのであまり倒さないでください」などと言う。
 なんか納得できないもやもやした感じ。
 途中3か所のSA停車の他にも、だいたい1時間置きにちょこまかと停車し
ているような感覚。そのたびに目を覚まし、大根の桂剥きのように体力がそぎ
落とされてゆく。
 夜11時10分に代々木を出て、朝7時10分に大阪駅ルクアの表口に到着。
 そのまま仕事に入ったが、もう2度と深夜バスには乗らないと心に決めた。



戻る

2015.10.12 青少年の体力、過去最高
 ほんまでっか?

2015.10.11 富士山初冠雪
 平年より11日遅い。去年より5日早い。
 秋が早いよね、今年。
 博多のマイングは改装工事のため、完全に閉鎖。12月までしばしのお別れ。

2015.10.14 秋冬ジャケットとトラウザー初出動
 昨日からワイシャツを長袖にしたのだが、冷え込みが早い。今日からジャケ
ットも秋冬に。

2015.10.10 カフェヒラノでタチョスのこりわずか
 地元の喫茶店でコーヒーを飲むひと時が、ちょくちょくある。
 ブルーマウンテンをよく飲んでいたのだが、豆が切れたらしく、聞き慣れな
い豆を勧められた。その名は「タチョス」。
 これがけっこう旨い。
 名前を覚えられないから「例の奴」で通してきたが、どうやらこの豆も在庫
が切れれば終わりらしい。今日「あと僅かです」と宣告された。

2015.10.07 四条通り歩道拡幅
 無茶だ、無茶だと地元では言っていたが、海外観光客の増加、東京オリンピ
ックにむけての観光資源の整備ということで、四条通の歩道を拡幅している。
 本気か?と思っていたがすでに河原町から西はほぼ拡幅終了。
 当然、車道は狭まる。
 だけど、安心してください。
 大久保通りよりは広いです。
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2015.10.08 大阪市営地下鉄御堂筋線、梅田駅アーチ天井
 2002年1月下旬に転勤で大阪在住となった。
 そして地下鉄御堂筋線梅田駅のホームの広々とした空間に驚かされた。
 地下鉄のホームとしては、関東ではあまりお目にかかったことがない空間構
成だった。
 異郷の地に来たなという感を持ったが、実はかなり喜んでいた。阪急梅田駅
のずらりと並んだ9本のホームも、今は改装してしまったが、阪急デパート入口
にあった欧米風の高天井の駅舎後も好きだった。
 10月1日に御堂筋線梅田駅のアーチ天井の改装が終わった。
 4代目だそうだ。
 画像は左側が2002年6月に撮影したもの。右側が今回の新天井である。



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2015.10.01 台風カムバック
 先週先島諸島を襲い、台湾を縦断し、大陸に抜けた台風21号は、温帯低気圧
に変わったあと、日本海側へUターンしてきやがった。シベリアからの寒気に
さらされ、爆弾低気圧に変貌。今度は本土に爪あとを残した。
 しかし、まだ秋になったばかりで爆弾低気圧って、早すぎでしょ。
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2015.09.25 台風
 台風、多かったな、今年は。先島諸島は気の毒なくらい連続して到来した。
今回の21号を入れて5個は来た。やっぱ地球温暖化の影響なのか?
 最後の2個は猛烈な奴だった。奄美で最大瞬間風速81m越え。観測史上最高の
風だったり(70mを越えると電信柱が折れる)した。
 
2015.09.24 シルバーウィーク
 今年からか?9月後半の連休。なんか市民権得てないよーな連休だが、休み
は休みだ。どー使っていいのかわからないパパさんたちも多いだろうが会社が
休みなら家にいなければいけない。筆者の会社はカレンダー無視だからな~ん
も関係ない。おかげさまで朝の電車がガラガラ。これはいいわ~

2015.09.19 歯冠再び。今度は左上
 楊枝を使っていたら、歯冠が取れた。速攻で行かねば歯が欠けてあわなくな
る。それにしても最近、年、4,5回は取れてるよーな気がする。
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2015.09.13 生駒山
 2年ぶりに生駒山に登った。道は整備されている。ガレ場とか足元の危ない
所はない。その点、装備にはあまり気をつかわなくていい。足元のおぼつなさ
から言えば京都の大文字山の方がよっぽど荒っぽい。しかし、大文字山は46
5m、生駒山は642m。この差がハヒハヒ度において生駒が大文字に勝る所
以だ。
 近鉄生駒駅から生駒山山頂に登るケーブルカーがある。途中の梅屋敷駅のそ
ばに岩谷の滝があるというのを今回初めて認識。寄り道をした。谷間の暗がり
に幽玄な気配を漂わせる滝があった。滝と言うよりは雨ダレみたいな感じだ。
なぜか京都清水寺の音羽の滝を思い出した。


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2015.09.01 スーツ復活
 ルーズビズ終了。
 今日からはネクタイを絞めて、スーツを着る。
 例年ならまだ残暑が厳しい頃だが、今年は大丈夫だ。
 今年の夏は、はたして暑かったのか、涼しかったのか?
 確かに梅雨明けから8月上旬までは猛暑だった。猛暑日が連続していた。し
かし、8月の2旬には暑さは失速。雨の多い、低温な日々が続いた。前半と後
半の落差が大きいので、なんかあまり夏が暑くなかったような印象だが、確か
に猛暑が連続した日々はあったのだ。

2015.08.29 キューハク
 ご存知でしたか?「キューハク」。
「九州国立博物館」の略称です。
 大宰府にあります。
 丘陵の高低差を使ったエントランスがけっこう印象的で筆者は好き。
 博多って観光資源に乏しいので、大宰府に寄られたときには是非お立ち寄り
下さい。




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2015.08.26 健康診断はオリンピック
 BMIが25以上はデブ。
 会社の年イチの健康診断はオリンピックなのだ。
 正式記録が残るから。
 一昨年は、25.0、体重73.2でデブ認定。
 昨年は、24.7、体重72.4でデブ脱却。
 そして満を持して臨んだ今期大会は、24.2、体重70.7で新記録達成。

2015.08.25 エアコン停止
 7月下旬から猛暑続きだったが、8月2旬目以降、一気に夏の気配が薄らい
だ。
 結局、8月16日以降、月末までで東京の日照時間はたったの30.3時間。
これは35年ぶりの少なさだったらしい。
 自室のエアコンも今日からスイッチが切られることになった。
 でも、翌日、翌々日は再稼働したけどね。
 結局この夏、エアコンの温度設定は28度で通したな。
 すっげー記録を樹立。
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2015.08.07 東京は8日連続で猛暑日
 大阪も猛暑日が続いている。
 このあと10日まで続いて、猛暑日連続11日となった。
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2015.08.01 からだを動かさねば
 運動不足ここに極まれり。先週、大文字山に登ったので、今日は鞍馬に行こ
う。
 鞍馬寺の本殿から貴船に向かって川床で昼飯。
 いいじゃないか、このプラン。
 鞍馬で避暑。
 叡山電鉄の鞍馬線は混んでいた。
 土曜日だしな。
 終点の鞍馬駅からポテポテと歩く。



ご神木の欅を見上げ、階段を上り続ける。



 鞍馬口から本殿まで20分強だが、けっこうハヒハヒする。途中何か所かの
祠で手を合わせる老婦人がいた。足がすこし不自由そうだ。それでも参拝で山
寺を登る根性が凄いな、などと上から目線で見ていたが、気がつけば、彼女は
あちこちで拝んでいながら。そのタイムロスもなんのその、筆者を何度も抜い
てゆく。あれ?筆者より健脚じゃないか。
 へこむ。



 奥の院までは出発して40分強。
 そこから、貴船口までは下りとなる。1時間弱。

 



川床料理屋はよく行く店がある。いつものように予約なしで飛び込んだ。見
事にはじかれた。夏休みのど真ん中の土曜日。無理だわな。
 貴船川沿いの狭い街道は交通規制がかかっているんじゃないかな。それでも、
それと知らない観光客や地元の料理旅館の送迎マイクロバスで大渋滞である。
 すべての店で、ひとりであるというだけですでに入店資格を喪失しているあ
しらいを受け、すごすごと撤退した。
 昼は、祇園で過ごそ。
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2015.07.30 暑い
 今年の夏はとにかく暑い。梅雨明けとともに猛暑日が続いているような気が
・・・
 7月25日頃からニュースや新聞では、あちこちで猛暑日、猛暑日と言って
いる。
 夏日(25度以上)<真夏日(30度以上)<猛暑日(35度以上)だが、
筆者の少年期は、猛暑日なんて聞いた記憶はあまりなかった。
 それが、猛暑日なんて、もう、ざらね。ざら。
 たぶん近々「酷暑日(40度以上)」が発表されると思うわ。
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2015.07.29 梅雨明け
 今年の沖縄の梅雨明けは早かった。梅雨入りは奄美に抜かれたが、明けは抜
き返した。あっぱれ!
 奄美の梅雨入り5月19日、梅雨明け7月15日(長っ!)。
 沖縄の梅雨入り5月20日、梅雨明け6月11日(早っ!)。
 東北の梅雨入りは6月26日~27日で、沖縄の梅雨明け以降だった。九州
北部は梅雨が長かった。梅雨入りが6月2日で梅雨明けが7月29日。なんか
今年は地域によって、多雨と少雨がくっきり分かれたみたい。

2015.07.28 上着を剥ぐ
 もー駄目です。装いについては洋装のクラシックスタイルに固執してきまし
たが、今の日本の夏は亜熱帯。
 無理。上着来てるの。ネクタイもオフィスに入ってからにする。
 今日から、上着なしの出勤。
 紺ブレを会社に置いておくことにする。
 
 上着がなくなると発生するのがポケット問題。
 筆者は普段、財布、小銭入れ、定期、ボイスレコーダー、鍵束、定期入れ、
スマホ、リーディンググラスを上着の左右のポケット、胸ポケット、左右の内
ポケットにそれぞれ納めている(すでにこの時点で「クラシックスタイル」云
々はダメダメなんだが。シルエットが崩れちゃうから)。収納場所を5か所失
うのは痛い。一部、鞄に入れるしかないんだが、朝はともかく帰宅時に鞄を置
き忘れたりするリスクがある(実際、そんなことは筆者の人生で1回しかない
んだが、発生確率は限りなくゼロには近いけど、ゼロではないわけで)。
 知己からスマホにいろいろ納めることを提案された。
 財布とかボイスレコーダーが収まることは知っていたが、定期も収まるのね。
 しかし、それぞれにちょこちょことしたネガティブな面がある(ボイスレコ
ーダーはスマホだと起動から録音、終了までのアクションに9~11ステップ
かかる。専用機は3ステップだ。即時性を重視する録音シーンでこのビハイン
ドはでかい)
 畢竟、それ以上に不安なのだ。
 電池切れが。
 電池切れたら終わりでしょ。鞄なくすより、スマホの電池切れのリスクの方
が発生確率は遥かに高い。
 やっぱ、最後は現金、と資産運用に不勉強なおじさんそのままな筆者。
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2015.07.27 仙台で猛暑日。今年初
 東北南部は昨日梅雨明けしたばかりだが、いきなり猛暑日。
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2015.07.25 大文字山
 からだをぜんぜん動かしてない。
 去年もチャリにまたがって京都や神戸へ行くことがなかった。
 これはイケンと大文字山に登った。
 出町柳から京大前を通り過ぎて銀閣寺まで20分程度。
 銀閣寺の前で観光客の波と別れて裏手に回る。
 そこには大文字山の登山道が控えている。
 30分強で右大文字の火床につく。運動不足の心肺機能にかかる負荷はそれ
なりだ。
 眺めはいいので、京都の隠れたオススメスポットではある。



 火床からさらにタフな坂道が待っている。
 山の頂上(三角点)はまだこの先にあるのだ。
 三角点からは東山山峰の南面を一望できる。山の左手が山科、右手が京都市
街だ。



 三角点の奥に、さらに京都一周トレイルがあり、南北に峰づたいにトレッキ
ングできる。今日は、南禅寺あたりまで行こうと脇道に入ったが、これがまた
タフな道で、しっかりと次に踏み出す場所を読みながらの難儀な下りとなった。
 南禅寺の水路閣裏に出た。



 南禅寺から祇園までポテポテと歩く。
 途中、琵琶湖疏水の引き込み公園がある。



 東大路にむかってその日3時間の運動を終了。
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2015.07.20 扁平苔癬 疑診
 老母、口の中に水ほうができて痛がっていたが、どうやら「扁平苔癬」の疑
いがあるそうな。阪大病院で検査を受けて8月頭に結果が出るらしい。
 ググッてみたら、命にかかわるとかではないが、あまりいいこと書いてなか
ったな。

2015.07.13 クーラー始動
 つい5日前にクーラー使ってねーなーと言っていたが、いよいよ暑気がやっ
てきた。
 今日からクーラー稼働。
 ただし28度設定でやっていけそーだ。
 なにやら、このぐらいの温度でつけっぱにしていた方が低温設定にして小ま
めに入り切りを繰り返すより電気代がかさまないらしい。
 試す気はさらさらないのだが、扇風機を回しっぱなしにしておけば28度で
やっていけそうだ。

2015.07.08 体質が変わったのか、ジジイになったのか、天候のせいなのか
 ふと、気がついた。
 クーラー使ってねーなー。
 自宅での話である。
 例年ならば、すでに帰宅をすれば自室のクーラーのスイッチを入れて翌朝ま
でフル稼働させているはずだ。
 今年はまだだ。
 糖質制限のおかげで中性脂肪が減ってるから、もしかしたら女子並みに冷え
性化が進んでいるのだろうか。それとも老人性温感不感症なのだろうか。気候
が不順なのだろうか。

2015.07.07 トラベルバッグがボロボロ
 2泊程度の出張や旅行にはエースの肩掛けバッグを愛用している。キャリー
バッグも持っているが、タイル地の道を歩くときに発生するあの轟音が精神衛
生上よろしくないので常用はしていない。後方から他人のバッグのゴロゴロゴ
ロゴロという音が聞こえると、大型トレーラーに背後から迫られた初心者ドラ
イバーのような気持ちになる。小心者なので、自分が他人に同じような圧迫を
与えていると思うととてもとてもおいそれと使う気にはなれない。それでも大
中小3台のキャリーバッグを保有しているが、車輪はどれも制音性の高い特殊
な硬質ゴムだ。
 愛用の肩掛けバッグだが11年来(2004.06購入)の酷使に耐えかねたか、何箇
所かあるジッパーの取っ手が次々に千切れ始めた。耐用年数ということなのだ
ろうか、1箇所が千切れ始めるとしめし合わせたように次々と別の取っ手も千
切れ始めた。肩掛けのベルトのクッション部はボロボロ。手提げ用の持ち手も
ボロボロ。老母は筆者のバッグを見るたびに「みっともない」といたって無神
経な、だが率直な感想をかましてくれる。
 そろそろ買い替え時なのは間違いないな。
 現状のスペックは堅持したい。ジッパー式の収納部は4区画。さらにジッパ
ーでぐるりとバッグを一周するとマチがガバリと広がる作り。バッグ本体は極
めて軽量。
 結局、またエースのバッグになるのかな。
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2015.06.23 さらばカツオくん
 曽根崎警察(通称:ソネケー)裏にあるスペインバル「カサ・デ・マノーロ」
に通い始めたのは2010年10月からだった。Kさんはその頃からずっとフロアを
仕切っている。筆者は心中密かに「カツオくん」と呼んでいるが、これは実名
とは違う。先週、訪店した際「実は来週で退職」という話を聞いた。通い始め
た頃は彼の店だと思っていたのだが、話をしているうちにオーナーは別にいる
ことを知った。
 Kさんはニューオータニのバーを皮切りに「カサ・デ・マノーロ」のオーナ
ーが所有するバーに勤め、このスペインバルには13年くらい前から勤めていた
そうだ。ちょうど筆者が大阪に転勤してきた頃の話だ。
 今週末には店を去っていまう彼と最後のひと時を過ごすために間をあけずに
一人、店を訪った。水曜日から週末までスケジュールが詰まっていたので、今
日しかチャンスはないというタイミングだ。
 泡で乾杯を交わした。人気の店で、混みあう時間帯だったが、折につけ思い
出話をしているうちに「お客さんにこんなことを言うのはなんですけど」と前
置きした上で「ⅰさんって面白い人でしたね~」と言う。
 カウンターから見ていると体がフラフラと揺れながら歌うような口調でボソ
ボソ~と独り言をつぶやく癖が面白かったらしい。筆者に自覚はない。しかも
それって面白いちゅうより、危ないちゅう方がいいような気もしたが、しみじ
みと語ってくれた彼の口調に揶揄やからかいの成分はなかった。
 次の仕事の話を聞いて「頑張ってください」と言って席を立つ。なんとはな
しにしんみりとした夜。
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2015.06.20 シェーバーがボロボロ
 シェーバーはブラウン。
 もう11年間使っている。
 流石に剃れない。
 替え刃はちゃんと定期的に交換しているが、もう、まったく剃れない。深剃
りがウリだったはずだが、スーパー浅剃り。
 トラベルバッグに常駐しているトラベル用小型シェーバーの方がよく剃れる
となってはもうおしまいだろう。
 朝の貴重な時間を髭剃りに浪費するのが苦痛になってきた。クリーナー液3
個パッケージを消費しつくしたら買い換えようと思っている。
 とうとう最後のクリーナー液をセットした。残量表示が黄色になったら、新
しい髭剃りを買おう。今度はブラウンじゃないのにしてみるか。
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2015.06.10 アイポッドのイアホンが千切れかけている
 持ち物全般がすべからく劣化しているようだ。買い替え時のオンパレードち
ゅう感じ。物持ちがいい、というか、酒食以外ではけっこうドケチ虫なので、
完全にアウトになるまで買い替えはしない主義なのだ。
 アイポッドに挿しているいるイアホンのコードの被覆がはがれ、中のエナメ
ル線(で、いいのか?)が儚げに僅かな連携を保持している。千切れたら買い
換えよう。微弱電流で感電なんてないよね。
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2015.04.20 スーツ春夏モノ
 今日から春夏スーツへ
 青森市のソメイヨシノは昨日19日に満開宣言。観測史上2番目の速さだそ
うで、弘前城の桜は満開直前。感覚的には1週間早まってるかな。

2015.04.19 雨靴orカジュアルシューズ
 雨靴が欲しい。
 雨脚が強い日は季節にかかわりなく札幌で購入した雪靴を履いている。防水
という観点では雪も雨も同じだ。ただし、内側にボアがついているので夏冬を
問わず足元が暖かい。2年我慢したがもう限界だ。
 出張用のカジュアルシューズも欲しい。
 2014年1月に購入したロックポートのLT2モックスリップは耐水性が
驚くほど低い。ティッシュペーパーのように路面の水を吸い上げてくる。瞬く
間に靴下がグチュグチュになるのだ。その前2011年1月に購入したアシッ
クスペダラヌバックは、何が合わないのか1日履いていると足の小指に激痛が
走る。不満だらけのカジュアルシューズ2足が唯一の出張、トラベル時の足回
りで、これも我慢の限界を越えた。
 雨靴とカジュアルシューズ、2足買うのはもったいないなあ。どっち先に買
うかなどと考えながらリーガルショップを覗いてみた。ゴアテックス仕様で耐
水性に優れているミリタリーテイストのプレーントウが目に留まった。オンビ
ジネスでもいけそうだし、アジ感のあるステア型押しレザーの雰囲気は、チノ
パンからデニムまで幅広いスタイルで活躍しそうだ。そうだ、そうだ、これを
買えば雨靴との兼用にもなるべ、と普段、あんまり志向しない国産革靴を購入。


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2015.04.17 天候不順と電池切れ
 大阪では、桜が咲いてから、ず~っと天候不順な気がする。なんか雨ばっか
じゃないか。とは言え、あまり気にもしていなかった。インフルが直ってから
こっち、バタバタと忙しくて休んでられなかったから晴れてようと雨てようと
関係ないわけだ。
 でも流石に電池切れなようだ。もーな~んにも手がでないし、やりたくなく
なった。老いたな。
 こーゆーときはスパッとふけるにかぎる。
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2015.04.12 物欲
 物欲は減っている。その点、同居の老母は86にしていまだ旺盛な購買欲を保
持している。やっぱ女だ。家電が少しでもおかしくなると「修理」ではなく
「買い替え」を口にする。
 筆者の物欲は30代なかばから40前半までかな。祖師谷時代の今はなき長崎屋
の紳士服売り場のオネーサンに取り込まれてイージイーオーダーのスーツを買
い始めたところからか。あの頃は、体重MAXでつるしは無理。せめてイージ
ーオーダーに、という流れだった。その後も毎シーズン作りまくり、来阪して
からも阪急で幾つか作った。靴でも服でもある一定以上数が揃うと、リタイア
物件が出なくなる。ローテーションにゆとりが出てくるからだ。
 糖質制限を始めたら、あの頃からは20キロ近くやせてしまった。もったいな
いから今でも着ているが、オーバーサイズでトラウザーなんかボンタンみたい
になっている。ちと恥ずかしい。
 それはそーとして、出張用の肩掛けバックもボロボロになり、自宅のブラウ
ンシェーバーもスッキリ剃れなくなってきた。18カ月での替刃が推奨されてい
るが、替刃したのは、8カ月前だ。レインシューズの購入も2年来の課題だ。そ
ろそろ買い替えたり、買ったりするかね~
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2015.04.08 寒の戻り
 あろうことか、東京では降雪。八王子あたりでは積雪2センチ。東京では、
日中2.2℃まで気温が下がり、大阪でも4.4度。銚子では降雪。銚子地方
気象台によると、統計を取り始めた1888年以降、最も遅かった1925年
4月6日の降雪記録を90年ぶりに更新したそーな。
 そんなことはどーでもいい。
 問題は一昨日、コートをクリーニングに出してしまったとゆーことだ。
 どーするよ、この寒さ。
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2015.04.06 クリーニング第一陣
 去年はかなり出し遅れて4月26日に家とクリーニング屋を3往復もした。
今年は、まずコート類を4月6日に出してしまうのだ。
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2015.04.03 桜
 去年は桜まみれだったが、今年は仕事に追い立てらているせいか、観桜への
情熱が薄い。積極的になれないままに3月が終わりかけていた。
 老母のお友達が毎年、自宅の桜を切って持ってきてくれる。リビングに飾ら
れるその桜をもって今年の桜を終わりにしようか、などと思っていたが、幸い
3月30日に京都へ赴き、河原町の高瀬川沿いの桜を見ることができた。ただ
し、スケール的にはイマイチである。
 そして4月3日、雨の名古屋。社用のイベント会場は名城公園にある。会場
に向かう途上の名古屋城の濠端に満開の桜があった。せわしない日常をほんの
一時、忘れさせてくれた瞬間。




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昨年の今頃は・・・ 

2015.03.21 鹿児島、名古屋、熊本で開花宣言

2015.02.26 Y田のインフル
 アホのY田がインフルエンザに罹患しよった。火曜にコンコンゲホゲホ同情
を誘うかのように不調をアッピールしていた。Y田は典型的な一人っ子なのだ。
甘えん坊の悲観主義者。すぐ帰宅させたが水曜にインフル陰性の連絡が入った。
 Y田との接触が多い筆者に緊張が走る。3日後の木曜、喉がコンコンし始め
た。なにやら物憂い。そう気がついた夜、寝る前に薬飲むの忘れた。金曜の朝、
血糖値が常よりかなり高い。シックデーの兆候。喉の違和感も増大している。
呼気が熱い。すべての指標が「インフル罹患」という単語に収束している。朝
から風邪薬の服用を開始したが遅きに失していよう。それでも一本ビシッとし
て平常心を養う。
 土曜に自宅近くの内科医にインフルの検査を頼んだ。
「もう、この界隈では収束してるんですけどねぇ」
 体温が37度ちょっとということもあり、医師は露骨に『風邪でしょう』的
な態度で接する。
「いや、会社にアホがひとりいて、こいつがインフルだったんですわ」
 インフルの判定は罹患直後では早すぎるし、48時間経過してしまうと遅す
ぎるらしい。発症の翌日だから今日はちょうどいいはずなのだ。鼻の奥の粘膜
を綿棒みたいなもんでコチョコチョして判定キットにセットする。
 10分後。
「反応が出ましたね。インフルエンザです」
(ほらぁ)
 発症から5日、あるいは下熱後2日のインターバルが必要で、その間出禁に
なる。
 風邪薬が効いたのか、1本ビシッとしていたからか熱はインフル特有の38
度以上の高温にはならない。一度だけ検温時38度2分が出て満足したが、体
温は測定のたびに37度2分~6分程度の低レベルだった。
 記憶にある限りでは、初インフルかもしれない。
「アホ菌に侵された。からだ中にちっさなY田がうようよしてる」と言って会
社を休む。あ~迷惑な話だわ。
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2015.02.23 アルコール換算
 ワイン1本と発泡酒やビールの350缶を1本。これが、ややもの足りなく
はあるが筆者が定めた筆者の適量。翌朝の目覚めが爽やかで、日課の腕立てや
腹筋なども淀みなくこなせる。ワイン2本となると目覚めたときの爽やかさに
濁りが生じる。
 つまり、750ml×14%(アルコール度数)と350ml×4%で、
119mlのアルコール・・・ざっくり120mlのアルコールがちょうど良
いということになるわけだ。
 30mlのアルコールが24gだと言うから、96gのアルコールを摂取し
ていることになる。
 アルコールの1日あたりの摂取量は、20gが適量などと書いてある不埒な
HPが多い。その約5倍が筆者の最少飲量ではないか。
 サントリーのHPにはアルコールの血中濃度(%)=飲酒量(ml)×アル
コール度数÷(833×自己体重(Kg))などと書かれてる。
 アルコール血中濃度は
 0.04%までが「爽快期」
 0.10%までが「ほろ酔い期」 
 0.15%までが「酩酊初期」
 0.30%までが「酩酊期」
 0.40%までが「泥酔期」 
 0.50%までが「昏睡期(死の危険がある)」とある。
 筆者の最小飲量(750×14+350×4)÷(833×73)=0.19。
・・・「酩酊期」である。350缶とワイン2本だと「泥酔期」ですって。
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2015.02.17 日課
 3年前、51歳の誕生日の翌日、気まぐれに腕立て伏せを試みたら、1回も
できなかった。
 腕力というのは男にとっての存立基盤のようなところがある。だから、かな
りへこんだ。あろうことか、当時84歳の老母が腕立て伏せをしているのを見
て、さらに奈落の底につき落とされた。老母は、朝、2時間かけて体操をして
いるのだ。
 爾来、朝、目覚めたら、腕立て伏せと腹筋と背筋、股上げを日課としている。
 前夜の飲酒量によってはさぼるときもあるが、一応続いてはいる。あまり向
上しないが。
 腕立て伏せは、ちょっとしか曲げず、おもいきりスピードアップするズルン
チョ腕立てなら100回はいくが、ゆっくりと顎を床につけるように真面目な
腕立てをすると10回しかできない。それでも3年前よりは向上しているわけ
だ。
 腹筋は、時間がないので50回まで、背筋はブリッジを10秒間、股上げを
100回。これだと10分もかからずに終わるから負担が少ない。継続できる
のだ。
 自分史上では最も継続している運動ということになる(これを運動と言うこ
とに含羞はあるが・・・・)
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2015.02.15 定期を忘れると・・・
 定期を忘れた!緑地公園から梅田までは片道330円。意外と高い。往復で
660円の無駄な出費は、コーヒー3杯飲んだと思ってあきらめるしかない。
 筆者の利用駅「緑地公園」から隣駅「江坂」までは北大阪急行の路線となっ
ている。
 この線は実は日本一運賃が安いのだ。初乗り90円。江坂から緑地公園、桃
山台、千里中央の4駅間しか線区はないが江坂から千里中央までは120円。
安い。
 だが、江坂から地下鉄御堂筋線に乗り入れたとたん、運賃が跳ね上がる。江
坂から梅田まで5駅で240円。高い。
 東京と違って地方は地下鉄が高い。

2015.02.01 席をゆずられた
 南海高野線に乗っていた。
「河内長野」から「なんば」までは急行で30分程度。
 思いのほか混んでいて座れなかった。昼すぎに南大阪から盲腸線の南海に乗
っている客のほとんどは終点の「なんば」まで行くだろう。途中で席が空くこ
とは想定しづらい。南海高野線はあまり馴染みのない線区だから、吊り革につ
かまって車窓を眺めているだけで飽きることはない。
 2駅ほども停車した後だろうか、前に座っていた若者が不意に席をゆずって
きた。
(ええええええええー!!どーゆーことですか?!)
 中学から高校くらいの年頃だろうか。
 もちろん、大丈夫だからと元通り座らせよーとしたが筆者が遠慮していると
でも思ったのか、聞く耳を持たん。しかも素早く体をかわして立ち上がるのを
ブロックしていた筆者の脇をすり抜けてしまった。空いてしまった席にどーぞ
どーぞと筆者を座らせよーとする。
 これ以上の抵抗は無理だ。彼に悪気がないのは分かっている。
 座った。
 礼を言って。
 その後、居た堪れないほどの気恥ずかしさに襲われた。
 さらに、降車時に若者に礼を言わねばならんか、と思うと目の前が真っ暗に
なった。
 セルフイメージの中に、こんなシチュエーションは存在しない。
 13年前京都で幼稚園児に席を譲られたことがあったがあれはシャレですん
だ。
 しかし今回は、ちょっとビッグな出来事だ。
 白髪は頭髪の35%くらいを占めている。つまり、かなり白い。しかも髪が
伸びているときだったから、見た目の老け込み度は10%くらいアップしてい
たかもしれん。
 髪、染めてやろうか?と始めて真剣に考え込んだ1日。
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2015.01.13 ドライ(酒抜き)チャレンジ

 な~んにもしなくても新年は迎えられる。散文的に言ってしまえば元旦と言
えども365分の1日なのだ。1月1日が重くて4月4日が軽いというわけで
はない。1日は均等に重い。あるいは軽い。ちなみに4月4日はゲイの日だ。
3月3日と5月5日の真ん中にあるから。
 松の内も明けてしまったが、それでも今年の目標を設定する気になったので
表明します。
 去年は月間5日のドライ(酒抜き日)を設けることにした。たぶん無理かと
思ったが、やればできるもんだ。達成しちゃった。近時の年間ドライ日数の変
遷は以下のとおりである。筆者は酒食日記をつけているので調査は楽なのだ。
 2009年、67日
 2010年、53日
 2011年、65日
 2012年、31日
 2013年、27日
 近2年で飲酒日がぐんぐん伸びている。筆者の飲量は最低ラインでワイン1
本と発泡酒(糖質ゼロ)350mlなので、同居の老母が日々積み上げられて
ゆくワインの空き瓶をお友達に見られるのが恥ずかしくて「飲むのを控えたら
?」などとたわごとを言うようになってしまった。
 とりあえず、月に5日はドライにするか、と始めてなんと年間61日のドラ
イを達成してしまったわけだ(1日は無駄弾)。達成してしまえば、欲が沸く。
今年は月間7日、1週間のドライに挑戦することにします!
 ここまで13日間ですでに5日のドライを仕込んでいるので、1月はゆるゆ
ると達成するだろう。
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2015.01.11 2014年の映画
 2014年に映画館に行って見た映画は全部で13本。ざっくり月イチペー
スだ。
 見た順にならべると以下のとおり。

「マイティ・ソー ダーク・ワールド」
「エンダーのゲーム」
「アメイジングスパイダーマン2」
「Xメンフューチャー&パスト」
「ポンペイ」
「ノア」
「トランセンデンス」
「ゴジラ」
「トランスフォーマーロストエイジ」
「ルパン3世」
「インターステラー」
「寄生獣」
「フューリー」

 見事に銃撃と爆発と災害とSFで統一されている。
 ここまでくれば1本筋が通っていると自らを湛えたくなる。
 お気に入り順にソートしてみた。
 あくまでも個人的嗜好なので反対意見、異論などは一切うけつけましぇん。

「寄生獣」
「アメイジングスパイダーマン2」
「ルパン3世」
「ゴジラ」
「エンダーのゲーム」
「Xメンフューチャー&パスト」
「フューリー」
「トランスフォーマーロストエイジ」
「マイティ・ソー ダーク・ワールド」
「ポンペイ」
「インターステラー」
「トランセンデンス」
「ノア」

 今年は12月にスターウォーズがやってくる。エピソード1,2,3は、は
なはだしく期待外れだったので新シリーズは頑張って欲しい。ま、監督が「ス
タートレック」の新シリーズを見事にまとめあげた、リメイクの名人J・J・
エイブラムスなんで期待度が高いんだが。
 3月には寄生獣の完結編が公開される。1作目は原作のイメージを損ねるこ
となくかなり旨く作っていた。登場人物の四捨五入のしかたも違和感なく、ス
トーリーをうまく2時間に収めていた。キャスト選びも良かったのでこいつも
期待がかかる。
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2015.01.02 歳時復活
 MIXI、ツイッッター、フェースブックとSNSを変遷してきた。さすが
にラインをやる気はしない。MIXIは酒食日記化し、機能的には使い勝手の
いいツールだったがいかんせん世間から陳腐化のレッテルを貼られてしまい、
ユーザーが離れていった。誰もいない仮想空間で食を叫んでも寂しいから筆者
も撤退した。
 ツィッターは文字数的にも画像処理的にも機能的にも満遍なくイマヒトツ感
に満ちていて、これはこっちから縁を切った。
 現在のところフェースブックが筆者のSNSのプラットフォームだが、MI
XIと違い、過去の記事の参照が思いのままにならない。ヒストリ替わりに利
用できると思っていたが、面倒くさいから自分史はHPの歳時に戻すことにす
る。フェースブックは酒食日記とツイッター替わり程度でいい。
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2014.12.28 右上奥歯の詰め物とれる 
 う~む、今度は右ですか。しかも狙いすましたように年末。去年も年末にと
れたような気がする。マーフィーの法則ですね。

2014.11.05 左上奥歯の詰め物とれる
 糖質制限を始めてから、毛細血管の血流が良くなったのか、歯の詰め物がと
れなくなっていたんだが、近時、それなりにとれるようになってきた。老化に
よる歯茎の変形でもあるのかしらん?

2014.07.18 さらばガラ携
 携帯電話はスライド式を愛用していた。パカパカは開閉が面倒くさいのだ。
 しかし、スライド式は故障が多い。接続が切れやすいようでとうとうスライ
ドを下ろすとウンともスンとも画面が真っ暗になってしまうようになった。電
源を入れても戻らないことがあり、その症状は確実に進行していった。スライ
ドを上げたままにして胸にさしていたが何とも不自由だし、何かの拍子にスラ
イドが下りてしまうとまた画面が真っ暗になって復旧しなくなる。諦めてアイ
フォンにした。
 アンチアップル派だったが、アンドロイドにせず、アップルにした。
 今日から使用開始。、

2014.07.18 前歯欠けても修復できるんだ
 正月に前歯を欠いてしまった。素人考えでこんな薄い部分の欠けなんか直し
ようもあるまいと思っていた。左上奥歯の詰め物とれたので半年ぶりに歯医者
に行った。駄目もとで前歯の話をしたら、こともなげに直してくれた。前歯、
修復なる!
 やっぱプロにはプロの技術があるのね。

2014.04.06 桜
 今年は桜を堪能した。
 毎年、この時期に社用で東海西日本のあちこちを行脚するのだが、桜の開花
時期の違いで微妙に観桜のタイミングから外れるのが常だったが、今年は京都
(東寺)、奈良(長谷寺)、名古屋(名城公園)、大阪(大川端と大阪城)、
広島(平和祈念公園)などで観桜のひととき。さすがに博多は散っていた。



2014.01.28 前歯、欠ける
 荷物がいっぱいで手が塞がっていた。部屋の鍵をあけようと鍵束をポケット
から取り出す。持ち手を替えるべく鍵束を口で咥えた。とたんにガリッちゅう
て前歯の一部が欠けてもーた!

2013.09.09 歯のトラブル

 歯冠がとれた。しかも土曜日の夜。
 小路の「アンズデンタルクリニック」へ月曜日に。 
 当日予約で好きな時間を、と安直に思っていたが、医療機関をなめてはいけない。
 なんとか予約して診療をうける。
 前回は2011.12.27。年末にやはり歯冠がとれたのだ。
 マーフィーの法則は生きている。
 今回、行ってわかったが、このクリニック、土日も診療していた。
(安室さんに行ったのは2009年の12月が最後のようだ)
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2013.03.16 東京桜開花。観測史上最速タイ記録
桜開花予想高知3・16、東京3・17、大阪3・24、金沢4・2福岡3・22

2013.03.13 福岡、宮崎でサクラ開花 観測史上最速
 大阪20度、
全国的に20度以上長野21.9.松山22.1、甘沢22.2、熊谷23.1
 これが14日は、松山12、長野、6金沢6東京11、大阪10、福岡12 沖
縄は21
 南風がすごかった。成田はゴーアラウンドの連続か?

2012.05.21 老母の入院
 老母の入院日、前日まで東京出張で仕事だったので、準備はこれから、とい
う慌ただしい朝、な~んと「金環日食」
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2012.05.09 老化
 老母の手術がそれなりに難儀なものであることがわかった。
 いつ、話そうか。
 自分が手術を受けるわけでもないのにブルーな気分になってしまった。
 法律系資格試験予備校のスタッフは若い(筆者の職場だ)。
 近い年齢層でも筆者より7歳は若いし、大阪に来てからはさらにその差に拍
車がかかり、一回り以上離れてしまった。
 前職にとどまっていれば、同年代に囲まれ、健康談義に華をさかせていたの
だろーが、比較する相手がいないから、今の自分が歳相応なのか、老けている
のか、若いのか、わからん。家庭も持ってないからそっちからの情報もない。
 老母の体の衰えに対する歯がゆさ表明に共感できる、ということは立派に歳
ではあると思う。
 子が親の心配をするよーになることが歳をとるということだろーが、そのう
ち親の心配よりも自分の心配をしなければならなくなりそーだ。肘は痛いし、
膝も固まりやすくなった。これが高齢化社会ってことっすね。
 まじでこの1年、老眼が進行している。文字を読むときにリーディンググラ
スを必ずかけるようになってしまった。(老眼鏡という言葉は使いたくないの
だ)。
 右腕の稼動範囲が狭まってきたことを実感し始めたのも最近だ。背中にまわ
る手の範囲が短くなり、無理に手を伸ばすとクキッとなる。これって四十肩の
前兆?(五十肩だけど)

2012.04.17 老いる前に準備を 
 老母の歩き方がぴょこたん、ぴょこたんと、明らかにおかしくなった。日課
のお散歩の途中休憩回数が増え、元気に登っていた階段が目の前に立ちはだか
り始めたのが昨年の11月頃からとのことだった。
「変形股関節症」との診断がかかりつけ医から下され、南千里の病院を紹介し
てもらうことになった。
 明るく、新しい病院で、血流障害による骨頭壊死が原因の変形股関節症だと
いうことが判明した。
 MRIの映像は、レントゲン写真よりもリアルに右足付け根の骨が磨耗して
いることを伝えてくれる。
「手術適応ですね。これは痛いでしょう」と、ドクター。
 5月23日に手術をすることになった。
 入院期間は3~4週間。
 2007年の来阪から今年の7月で5年、歯根嚢胞手術と、両目の白内障手
術を経験し、これで3回目の外科手術だ。
 無事に歩けるようになって帰ってきて欲しい。
 無理だもの、介護は、筆者には。
 この5年間は貴重な体験をさせてもらった。
 幼少期から老人と同居したことがなかったので、筆者は、老人の生態系がわ
からなかった。もの心がついたときには父方、母方ともに全滅していたし、親
族とのつきあいを忌避していた父の独立志向も都市型核家族の形成に大きく影
響していた。
 老母と同居してはじめて「生きている老人」を間近に観察できるようになっ
たのである。
「情けは人のためならず」とはよく言ったものだ。
 おかげで、なるほど、歳を取ると、こーゆーふーになるのね、と自分の未来
絵図を現実的に捕らえることができるようになった。
 そろそろ、体操や柔軟運動を日課にしなければならないな~と思う今日この
頃。
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2012.04.15 クリーニング
 冬物衣料をクリーニング屋に投げ込む。
 今年は遅かったか?と思っていたが、平年並だった。
 老母を大阪に迎え入れる前に住んでいたマンションそばのクリーニング屋を
常用しているが、今回から、現在のマンションそばの店も利用することにした。
実は、ワイシャツの襟を崩されたことがあって完全には信用がおけないのだが、
チョボいジャケットやトラウザーを出す分には問題あるまい。正直、サンタク
ロースのそれよりもでっかい荷物を背負ってチャリで先の店に行くのが少し億
劫になってきたのだ。どちらの店も3割引きサービスだし。
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昨年の今頃は・・・ 
   
2012.04.14 京都の桜
 東京オフィスの大移転があって、3月の頭から対応業務に忙殺されている。
 会社は年中無休で、移転するからと言って休業はしない風土である。
 4段階に区切って、6箇所のビル間で造作、改修、移転作業を進めてきた。
 移転は終了していないが、筆者的にはヤマ場は越えた。
 いつものことだが、この心理的に「ヤマを越えた」と気がつく瞬間は不意に
訪れることが多い。
「史上最大の作戦」だったか「空軍大戦略」だったか、映画の中で登場人物が、
「どうやら、勝ったようだな」とつぶやくシーンがある。全体の状況はまだ混
沌としているように見えて、それでも、勝ったんじゃないかと思う側と、負け
たかもしれない、と思う側があり、この微妙な肌感覚がやがて大きな段差とな
ってゆく。現実ってそんなもんだと思う。
 不意に訪れた、ひとごこち感、そして気持ちのいい晴天の土曜日。
 午前中に仕事を済ませ、京都に向かった。
 阪急で河原町まで行き、四条大橋を渡り、京阪に乗って出町柳へ向かう。
 京都市中を流れる鴨川は、上流の出町柳で高野川と加茂川が合流して一本に
なり、「加茂」から「鴨」に名を変える。
 出町柳そばにある下賀茂神社と上流の上賀茂神社の間に桜並木が続いている。
この間をそぞろ歩くのが筆者の花見であり、年に一度の愉しみでもある。
 途中、北山大橋と北大路橋の間には、紅枝垂れ桜がトンネルを作る「半木
(なからぎ)の路」がある。
 この日、筆者は3時間半をかけて花見客で賑わう加茂川端を散策した。桜を
見ながらだと飽きないものだ。出町柳から御薗橋まで遡上し、折り返す。南下
は四条大橋まで。10キロ強の散歩は久しぶりだった。






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昨年の今頃は・・・

2012.04.12 新歓の嵐
 高田馬場が年に一度、いかにも学生の街らしい顔になる。
 早稲田大学の新入生歓迎コンパで、もーゲロゲロものである、と思っていた
ら、昔ほど酷くないね。若い連中が酒をそんなに飲まなくなったのかもしれな
い。
 この不況下、昨年の3.11の影響もあって、学生への仕送りも減っているらし
い。昨春入学した私立大学生への親元からの仕送りが月額平均9万1300円だそー
な。11年連続の減少らしい。
 調査開始の1986以降で最低。ピーク時の1994年の12万4900円よりも3万3600円
の減少。
 家賃の平均が6万1000円らしいので生活費は3万300円。なかなかに学生も大変
だ。ただし、外食産業は安値シフトが続いている。筆者の学生時代よりも牛丼
やらハンバーガーやらは安くなっているんじゃないか?
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2012.04.09 コートを剥ぐ
 とうとう、コートにおさらば、である。
 それにしてもトレンチコートの稼動期間って短いなあ。
 パフォーマンスの悪いコートだぜ。
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2012.04.05 ありゃ、阪急沿線、桜が咲いている
 阪急電車。シートに座ってカチャカチャ、パソコンを叩いていた。
 ふと視線を窓外にやったら、桜が咲いているではあ~りませんか。
 3月に入ってから、Web講義システム構築とオフィスの移転準備で息つく間も
ない日々を過ごしていたら、季節の変化にも気づかずにいたんだなああ。
「心を亡くす」と書いて「忙」なのである。
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2012.04.04 コートはトレンチに
 さすがにチェスターフィールドでは暑い。
 コートをトレンチに切り替える。
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2012.03.29 浜松町駅の怪
 エアを利用して東京へ。
 モノレールで浜松町へ。
 モノレールからJRに乗り継ぎ。
 これが問題である。
 JRからモノレールへの乗り継ぎは、連絡通路があり簡単にできる。ところ
が、この連絡通路、双方向ではないのだ。
 ありえない!
 モノレールからJRに行くには、連絡通路をくぐるように階段(あるいはエ
スカレーター)で下って上がらねばならないのだ。
 何ゆえ?誰がこの非効率な構造を許したの?そして許し続けているの?
 営団と都営の地下鉄は経営が違うから隣り合った駅間が壁に邪魔されていた
り、余分な移動をしなければならない。それと同じよーなことがここにも!  



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2012.03.24 静岡で桜が開花
 九州、中国では黄砂。静岡は桜が開花。でも北国では雪が降っている。いや
あ、ちぐはぐな季節だなあ。
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2012.03.24 春一番はなし!
 立春から春分の日までに吹かないと「春一番」って命名できないそーな。
 知らなかった。
 東南東から西南西の風向きで、秒速8m以上、かつ気温も上がらなければなら
ないと、それなりに縛りがあったなんて。
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2012.03.22 高知で桜が開花
 桜前線は高知から始まるのかな。
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2012.03.14 3ヶ月ぶりの散髪
 冬の本格的な寒気が到来する前に髪を切り、春の雪解けまで髪は切らない。
 それが1本ビシッとしている筆者の冬のルーティーン。
 寒いさなかに髪切ると、風邪を引きやすくなるのだ。
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2012.03.09 去年のこの金曜日だった
 カレンダーでは3月11日で1年だが、曜日の並びでは今日の金曜日に、あの大
震災があったのだ。筆者はあの日、福岡オフィスへの出張のため、羽田にいた。
 15時発の福岡行きにまさに搭乗しようとして被災した。
 あれから1年。
 戦後最大の災厄の傷は、いまだに癒えることがない。おそらく数十年単位で
癒えることのない日本民族にとっての災禍なのだ。
 時の政権は、当事者能力がないことがはっきりとしている。
 考えてみれば、阪神大震災のときも村山首相を首班とする無能政権が国政を
握っていた。
 そして、今回の東日本大震災。
 無為、無策、無能の政権があるとき、なぜか大災害が発生する。
 天災はしかたがない。しかし、天災のあとに次々と沸き起こる人災。
 本当に日本は沈没する。
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昨年の今頃は・・・

2012.03.01
 26年ぶりに寒かった東京。
 今シーズンは日本のいたるところで20何年ぶりの寒さだったらしい。
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2012.02.20 慣れってスゴい
 採血時、新米看護士では筆者の腕の血管を確保することは恐ろしく難しい。
 遺伝なのだ。
 老母の血管も確保しづらい。
 そんなところ似なくてもいいのに、似ている。
 年1回の健康診断で何度もドライホールを打たれて、しまいには貧血を起こし
てやったこともある。毎年、健康診断の採血には異様な緊張を強いられていた。
 それが、月1回、採血を恒常的にやっていると、あ~ら不思議、人間って慣れ
るもんなんだ。
 もちろん、新人看護士の打つ注射針が血管を探り当てることは10に1もない。
 看護士はえらく恐縮するのだが
「まあ、採血技術向上のためにできるだけ経験を積んでくださいよ」
 と、実に鷹揚なもんである。
 偉いな、筆者は。
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2012.02.10 防寒
 小学生の頃、林間学校とかに泊りがけで出かけると、クラスの何人かは腹巻
きをしていたりしたもんだ。
 それが妙におっさん臭いように思えて、自分は絶対に腹巻きをしないと固く
心に誓っていた。
 亡父は寒がりで、腹巻はもちろん、肌色の長袖シャツ(当時はパッチ、言い
ましたな)と股引もはいていた。
 筆者は絶対にそういう格好はしないのだ、と今まで生きてきたが、ウエアが
格好よくなればいいのではないか、と思える歳になってしまった。長袖のヒー
トテックは寒冷地に行くときや都市でも寒気が厳しそうな日には日常、抵抗な
く着ている。
 装いとは、ルーズにし始めるととめどもなく落ちてゆくもので、防寒的にチ
ェスターフィールドよりもキルトジャケットの方が優位であることを認識する
と、だんだんカジュアルな格好になってゆく自分を押しとどめるのが難しいこ
とに気がついた。
 とは言え、股引(今ではタイツですかね)も腹巻も身に付けるつもりはない
筆者であった。
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昨年の今頃は・・・

2012.02.05 腕の力が・・・
 昨日、晴れて51歳になった筆者。
 書き飽きてはいるが、運動不足、ここに極まれり。
 せめてステッパーでも踏むべ、と40分ほどいっちにっさんっしっとハムスタ
ーのように移動しない歩行運動を実施。
 薄っすらと汗もかき、からだがほぐれたので、超ひさしぶりに腹筋運動。
(たぶん数年レベルでやってなかった)
 不安だったがじわーっと20回ほどはできたので少し安心。
 次いで、腕立て伏せ。
「い~ち~・・・」
(ん?)
 あ、上がらん。
 体が上に上がらん!
「い~ち~・・・・・・」
 腕がピンとなるところまで上がらないではないか。
「い~ち~・・・・・・」
(ううううう!)
 潰れた。
 ・・・情けない!
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2012.02.03 超寒波
 沖縄以外のすべての県庁所在地で氷点下。
 全国38地点で観測史上最低気温をマーク。北海道枝幸町は氷点下32.6度。
 ひさしぶりの超一級寒波に襲われた日本列島。
 明日は誕生だと言うのに、この寒さ。
 この2年、深い訳などないのだが、誕生日の前後を金沢で過ごすことが多か
った。
 今年も、結局、おっとり刀で金沢に行くことになったのだが、この寒波、
豪雪で、サンダーバードのダイヤは千々に乱れたのであった。
 去年の夏と同じだ。(あれは台風の影響だった)
 なぜか金沢行きはトラブルに見舞われる今日、この頃。
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2012.01.26 在阪10年
 10年一昔と言うが、うやむやのうちに大阪生活も10年の節目を越えた。
 大阪に転居してきたのが2002年01月25日だった。オフィスへの着任は01月
28日。
 あれから10年が経過した。
 その間、京都オフィスは2回、大阪オフィスは1回引越しをしている。
 福岡オフィスを新たに立ち上げ、岡山、高松、鹿児島に提携先を設けたの
もこの10年間だ。
 ちょっと出張って横浜にもオフィスを新設したっけ。
 当時の制作企画系スタッフは皆、司法試験に合格し、弁護士になって活躍
している。
 JR京都線に、「桂川」駅と「水無瀬」駅はまだなかった。
 同じくJR神戸線の「桜夙川」駅もなかった。
 もはや山陽新幹線の「こだま」に格下げされた500系新幹線は、まだバリバ
リに格好良かった。
 阪急梅田駅の遺構とも言える阪急百貨店のヨーロッパの駅のようなハイ天
井のコンコースもなくなってしまった。
 オフィスから徒歩半径5分以内のところにあった行きつけの店も北新地に移
転した2軒、拡張改装した1軒と、それぞれ規模と処を変えた。
 伊丹空港にはまだ747が利発着していたはずだ。そして神戸空港は存在して
いない。
 思いつくままに書き連ねても、いろいろと変遷している。
 このあとの10年はどーなることやら。
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2012.01.22 ちょっと旧聞に属するけど・・・ 
 アメリカが財政難から軍縮に乗り出した。
 従来の国是「全世界における2つの紛争とひとつの平和維持活動に同時対
処できる軍備の保持」を放棄するそーな。
 MRC(major regional conflict=主要地域紛争)は、あまり日本では報
道、解説されてない単語かもしれない。トム・クランシーの小説ではちょい
ちょい出てくるけどね。
 まあ、それだけすさまじい軍事力を保持していたということだけど、さす
がに負担に耐えかねはじめたということか。
 とは言え、アジア極東地域へのプレゼンスは堅持、とのこと。
 極東情勢は、確かになかなかに予断を許さない。
 同盟国日本の政治体制のお粗末さは、あきれるしかないだろうし、北朝鮮
の3代目がどーなるか、たぶん、アメリカだってたいして情報は持っていな
い。現在、最も経済的なつながりの深い中国は、軍事という側面で見れば明
らかに仮想敵国だろう。彼等の軍備増強スピードはかなり速い。しかも中国
の軍備が強大化するとあまりに距離が近すぎる台湾における拠点防衛構想は、
過去の遺物になってしまうかもしれない。次いで重要になる沖縄は、あの状
態だし・・・
 なんだかんだ言っても東、ならびに南シナ海周辺に関しては、フィリピン、
ベトナムを始め、台湾、日本、韓国、北朝鮮、と対中国、親中国である国が
目白押しだが、一国で対中国に強いプレゼンスを持つ国はない。アメリカは
なんだかんだ言うても非常に重要な存在であることに変わりはない。
「でも、金がないから、あんたら、もう少し金出してね」
 って言われてどーするか、ぐらいのプランはちゃんと立てているはずだよ
なあ、官僚さんは。
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2012.01.15 コミュニケーション能力あるいはホスピタリティ
 ホスピタリティーがないなと、老母と話しをしていると思う。
「明日××へ出張するから」
 と言っておいた出張の朝、いつもより遅く起きた筆者に「起きてこないから、
大丈夫かと思って心配したわよ」ときて、「××って遠いんだから早く行かな
きゃ駄目でしょ」とたたみかけてくる。
 電動ハブラシを口にくわえ、マッサージチェアで揉まれる筆者は、終始無言。
 目覚ましを頼んでいるわけでもないし、いまどき、国内ならどこであろうと
エアで2時間もあればつくんだわ、と思っていてもいちいちそのことを伝える
気にはならない。
 どちらも「あたりまえのこと」だからだ。
 それに、答えたところで、「そーなの、それでね・・・」という話題転換の
接続詞のあと、前段の話はすべて時候の挨拶のようなものだったのだと気づか
される、本人がイチバン話したくてたまらないご近所の噂話が繰り返されるこ
とは、明日、朝がやってくるのと同じように確実なことだからだ。
 老母の「そーなの」は、(自分にとってはどーでもいいことだけど、とりあ
えず聞いてあげたわ)という受け取りのサイン。そして「それでね」は、(こ
れからイチバン聞いて欲しいことを話すからそのつもりでいなさいよ、ちゃん
と聞きなさいよ)という送信のサインなのである。
 老母ひとりということではあるまい。オバチャンになると(で、なくても)
女性は、どーしてあーゆーどーでもいい話を会話として成り立たせているのか
が筆者にはわからない。女性全員が全員そうというわけではあるまいが、あき
らかに時間と酸素の浪費としか思えない。そもそも基本、会話にすらなってい
ない。なぜなら、全員自分の話したいことを話して相手の話には一応相槌をう
つだけなのだ。そして相手の息継ぎの瞬間を狙ってすかさず、自分の話しを始
めるというゲームを繰り返している。
 それでも、そーゆー話の振りにひとつひとつ子供に言って聞かせるように答
える人もいるのかもしれないと思うと、自らの対応の温度が酷く低い(もしか
したら極寒)ことに瞬時の後悔を覚えることがある。
 できもしないことなんだけどね。これって、ちゃんと妻帯して子供があれば、
自然と、あるいは努力して身につけるようになるものなのだろーか。独り身の
筆者にはちょっとわからない部分である。 
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2012.01.10 コロガシ復活
 恐れていたことが起こってしまった。
 年末、紛失したはずのショッピングカート(老母呼称:コロガシ)が発見さ
れたのだ。
 前夜、普段は1939年、電撃的に侵攻した独軍によってズタズタにされたポー
ランド国軍並みに分断されているはずの老母の記憶中枢回路が、何かの拍子に
一時的に繋がったらしい。
「もしかしたら、コロガシ、パン屋さんに置いてきたかもしれないわ」
「ふ~ん」
 無関心を装いながらも筆者の心は平穏ではいられない。
(もっと、早く思い出せよ!)
 代替のショッピンカートをすでに購入してしまっているのだ。
「明日、行ってみる」

「あったわーコロガシ!」
 帰宅した筆者にショッピングカート発見の報をする老母。
 しかし、さすがに言葉が続かない。悪いとは思っているのだろう。
「よかったじゃないか」 
「パン屋さんでも、買い物にきて、置いていっちゃうんだから元気な人なんだ
ろなーって言ってたそーなの」
「そーだろーな」
「・・・どーしよーかしら、新しい方が使いやすいし大きいから、これは誰か
に・・・」
「いいよ、とっとけよ。またいつか必要になるときがあるかもしれないんだか
ら」
「そんなことないわ。あの赤いコロガシを忘れるなんてこと絶対ないもの」
 はいはい。
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2012.01.06「食べログ」やらせ業者
「食べログ」のやらせ業者がマスコミの好餌になった。
 一般の反応は「やっぱり」であって「まさか」ではあるまい。
「やらせがない」なんて信じている人がいたとしたら、それは幼児だ。
 筆者だって「食べログ」は使う。あくまでも地図と営業時間、カード使用の
可否を確認するためだが、それだって間違っていたことは一再ならずある。そ
れでも、初見の店など備忘として地域ごとのフォルダにブックマークしておく
と便利だ。そういう使い方をしている。
 肝心なことは「評価はまったくあてにしない」というだけのことだ。

 ネット情報の氾濫前はガイドブックの洪水があった。
 ガイドブックはモトネタがあって、週刊誌なり月刊誌なりの毎号の同一企画
の集成版であることが普通だったから、ネタモトの雑誌が若い女性むけなのか、
貧乏学生むけなのか豪華4色紙厚の中高年向けなのかで、ある程度の選別はで
きた。それでも10年前、大阪に転勤してきたときは、地場の情報誌の優劣など
わからないから、片っ端から購入したもんだ。
 1冊のガイドブックの中で、自分が「ここは一番良さそうだ」と思った店に
行く。そこが駄目だったら(あくまでも自分に合わないという意味ね)躊躇わ
ずその本は捨てる。なぜなら、その本の中でイチバンだと自分が選んだ店が駄
目だったのだ。一貫した編集方針の本ならば、残りはすべてそれ以下だろう。
 そうして、最後に2冊のガイドブックが手元に残った。
 その頃の店は今でも通っている。

「客と店は対当」だと思っているから、筆者は謙虚なもんだ。故池波正太郎氏
のエッセイの一文にあるとおり『最初はテーブルの片隅に座っていても、その
うち大将から旦那さん、こちらへどうぞとカウンターを勧められる』まで地道
に通い続けるのが基本だ。
 行きつけの店で「『食べログ』に酷いことを書かれて・・・」なんて落ち込
んでいたら「狂犬に噛まれたとでも思って、気にしちゃ駄目ですよ」と言って
慰める。それは常連だからであって、ネットで批判ばっか書く輩は。そういう
常連客を大事にする店を槍玉にあげたがるから始末にこまる。
 それでも「じゃあ、そのブログに良い評価のメッセージを送っておきますよ」
なんていう気にはさらさらならない。

 食い物の好き嫌い、飲み物の好き嫌いなど一種のマスターベーションで、そ
の共感を求めたり、押し付けたりすること自体、ナンセンスだ。筆者は「ウマ
かった~♪」とHPやMixiに能天気なことを書いたりするが、それはあくまで
も「そこまで」の世界である。なぜ、わざわざ「不味かった」なんてことを書
かねばならないかがわからない。

 店が初見と常連に差をつけるのはあたりまえで、京都の老舗に行けば、それ
はもはや常識の範疇だ。京都に行ってまで「待遇が違う!」と噛みつくブロガ
ーなどさすがにいまい。それをなぜ他のエリアでは不当だと主張するのかその
了見がわからない。
 もちろん常連は常連なりにいろいろと店に気を遣う。そういうやりとりが交
感というものだ。
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2012.01.03 新年会
 毎年恒例の新年会を今年も我が家で。
 メニューはテッパン。毎年ほぼ同じ。それが一番肩がこらない。
 老母担当は「スコッチエッグ」と「もち米団子」「かずのこ」
 筆者担当は「アボカドディップ(マグロ・ブリ・イカ入り)イクラ乗せ、ガ
ーリックトースト添え」「カニ入りコールスローマウンテン」今は無きインド
に召されたY直伝の「クリームテーズディップ、これまたガーリックトースト
を添えて」「かずのこと白菜、中トロの海苔手巻き」「洋ナシとカマンベール
チーズのサラダ」「きのこ汁」
 参加メンバーは毎年微妙な出入りがあるが今年は筆者を入れて8名。
 酒豪女性弁護士のSリンがな~んと身重となって、酒が呑めなくなっていた。
可哀想に。
 かわりに呑めるメンバー6名で泡、白、赤のワインに日本酒、13本のボトルが
空いた。
 愉しいひととき。
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2012.01.02 ショッピングカート
 12月30日のことである。
「私のコロガシがなくなっちゃったのよ」
 老母がオロオロしている。
「コロガシ」とは、老母用語で「ショッピングカート」のこと。ちなみに、オ
リーブオイルのことを老母は「オリーブ油(ゆ)」と言っている。
 買物やゴミ出し、洗濯物の運搬など、「コロガシ」は老母にとって、なくて
はならない生活必需品なのである。
 普段玄関に置いてある「コロガシ」が確かに見当たらない。
「スーパーに忘れてきたんじゃないのか?(それはそれで壮絶な忘れ物だが)」
 行きつけのスーパー2軒に確認してもそれらしい忘れ物はないと言う。
 あちことを捜索するも「コロガシ」の行方は杳として知れなかった。
 ゴミ出しのとき、ゴミ置き場に忘れてきてしまった可能性が一番高い。つい
でにゴミとして持って行かれてしまったのかもしれない。
 老母の落ち込みはかなりのものだ。
「どーしよー。コロガシがないと生きてゆけないわ」
 悲嘆にくれるその姿に哀れみを感じ、翌日、年末の31日、2011年最後の日に
「1日早いお年玉としてコロガシをで買ってあげる」と言った。
 老母の顔がみるみる輝き始める。
 梅田の阪神百貨店に行った。
「ショッピングカートはどこで売ってますか?」
「介護コーナーです」
 老母、ちょとムッとする。
 介護コーナーでいろいろなカートを物色。容量から、カゴ置き機能からなん
やかやと要求が多いのである。
 お気に召したカートが見つかったらしい。
「これがいいわ」
 目にも眩しい真っ赤な花模様のカートを指差す。これなら忘れることもある
まい。
 買って自宅へ帰る。
 老母、もーウキウキ♪    


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2012.01.01 ファーストラン
 年末は30日に窓拭き、リビングの照明の傘をはずしてキレイキレイに。天井
が高いんでけっこーシンドイのだ。31日は仏壇掃除。そして11年間愛用してき
たKENWOODのCDMDカセットコンポを廃棄。よく考えてみたら、ちっとも愛用していな
かったな。筆者はサウンドにうるさくないのである。発火懸念からリコールを
発表したipod-nanoがほぼ1ヶ月かかって帰ってきた。ちゅうか、別モンを送っ
てきた。またメッチャ小さくなってなにやらオペレーションが今までと変わっ
ている。交換されたiPODは初代nanoだったので4Gだったと思うが、今度は8Gだ
から、まあいいとするか。ついでにiPOD用のスピーカーを購入。まったく使っ
ていなかったKENWOODの代わりとすることにした。
 そんなこんなの年末が明けて新年1月1日。
 風呂掃除をして、新年のチャリ、ファーストランを。
 11月、12月とまったく運動らしい運動をしていなかった。なまった体に喝を
いれるとしたら千里丘陵越えがいいだろうと、万博公園経由で茨木へ駆け降り
る。府道14号線から国道171号線へ乗り入れ、いつも京都へのチャリ行で目にと
まっていた西河原の「新屋坐天照御魂神社(にいやにいますあまてるみたまじ
んじゃ)」まで。
 丘陵越えでかなり息が切れた。う~ん、体力落ちてるな、やっぱ。


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2012.01.01 新年を迎えた
 今年は、好きなことを言って、好きなことを書いてみようか、と思う。
 去年五十路を迎え、とうとう51歳になる今年。
 VSOPの原則から言えばパーソナリティの50代だ。
(ヴァイタリティの20代、スペシャリティの30代、オリジナリティの40代だそ
ーで)
 ここで配慮や遠慮を重ねて言うべき時に言うべきことも言えないようでは、
まさに馬齢を重ねただけの人生ということになりそーだし。
去年の今頃は・・・
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2011.12.31 多事多端の1年
 たぶん、戦後最大の災厄の年だった2011年。
 3.11がきっかけだった。
 はっきりしたことは第二次大戦後、営々と築いてきたはずの各種システムが
66年を経て有効に働かないようになってしまったということだ。それも、政治、
行政、報道、という政・官・民にわたってその事実が露呈した。
 いつの時代でもそうだが、当事者能力を失った当事者は、その事実に気が付
かないか無視しようとする。
 感覚的には、日本史を彩る各改革期(江戸年間の改革ではなく、政権交代の
改革期)にあたるほどの失墜ぶりだと思うが、悪い意味で時代が進み、人心か
ら荒々しい気概が失われてしまった。流血を伴う政権交代、時代の改変など難
しかろう。国際的にも不安定さを増すこの極東地域で一時といえどもそのよう
な政治的不安定は許容されない。
 非常に統治しやすい国民性を利用してこのような時代を作り上げてしまった
のは、誰でもない。国民自身なのだ。
 これから先、日本はどうなるのか?
 残念ながらあまり明るい未来が待っているとも思えない。
 それでも、子孫のために僅かばかりでも努力をしなければなるまい。
 ガラ、ポンで壊して構築するのが一番の早道だが、民主主義の制度の元、そ
れは無理。効率は悪いけれども制度の許す民主的プロセスの中で地道な努力を
重ねてゆくしかない。
 若かりし頃は、自らを高杉晋作や大村益次郎、斉藤道三、織田信長なんぞに
認じて革命の主導者たるを夢見ていたが、気が付けば五十路。あの時代の役回
りから言うと、松下村塾の過激分子を庇護した家老、周布政之助のような役回
りになってしまった。
 覚悟はあれども、手段を得られるか。己に問うことが多くなった年末。
 つまりな~んにも考えずに50年間、自分が良ければいいという生き方をして
きちゃったちゅうことに忸怩たるものがあるわけです。 

2011.12.02 いちょうの葉が枯れ落ちて路上をカサカサと音をたてて舞ってい

 やっと、季節感を得た。
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2011.11.27 老母、紅葉の京都へ
「死ぬ前に1回だけ」攻撃は老母の得意技。
 このたび、度重なる攻撃に負けて、観光客満載必至の京都へ。永観堂をチョ
イス。大阪市長選・府知事選のW選挙の府知事選の投票を済まし京都へ。
 夕方、大阪維新の会の勝利速報が開票前からNHKで。
 橋下さんには、頑張ってもらおう。
 たぶん、現在、もっとも期待のもてる政治家の位置づけになっているだろう。

2011.11.19 九州新幹線初乗車
 思えばあの3.11、東北大震災のあった日、筆者は博多と鹿児島に要務があっ
た。羽田を15:00に飛び立つ博多行きの便にまさに搭乗しようとした瞬間、筆者
も被災した。一晩、羽田のラウンジの床にゴロ寝して早朝、新幹線の始発で博
多に行った。思えば、まだあの震災の深甚な状況をその時点では完全には把握
しきれていなかった。
 とは言え、さすがに博多での要務を終えて帰阪することにした。鹿児島への
出張は中止した。
 それ以来、鹿児島には行っていない。今回の訪鹿は2010年7月以来ということ
になる。1年4ヶ月ぶりだ。そんなに間があいていたのか、我ながら時の流れの
早さに愕然とする。時の流れを一番実感するのは前回会った親戚の子供がいつ
のまにか大人になっているときが一番だが・・・
 未訪となった3.12は九州新幹線開業の日でもあった。
 マニアではないので執着があったわけではない。
 それでも、今回、初の九州新幹線にちょっと心が浮き立った。
 1時間40分で鹿児島につく。
 早い。
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2011.11.17 札幌は降雪、積雪、氷点下。西日本は18~20度程度。
 南北で寒暖の差が大きいな。

2011.11.14 これで全部夏物クリーニング、明日は北海道雪ですと
 11月06日に夏物の半分をクリーニングに出した。
 気候はまだ夏物衣料でいいんだけど、クリーニング屋の割引期間の締め切り
が近づいているので起動した。

2011.11.01 暑の戻り
 11月なのに九州各所で夏日。観測史上、最高を記録。
 西日本でも夏日が続いている。

2011.10.26 東京で木枯らし1号
 う~ん、でもまだ夏服なんだよな。
 天気予報と体感にズレがある。
 今年は衣替えが遅れそうな気がする。
 
2011.10.06 ジョブズ氏逝去
 アップルの前CEO、スティーブン・ジョブズ氏の訃報が入る。
 辞任して1か月強。
 見事な人生の幕引きだった。
 傍若無人な王ではあったろうが、ひとつの時代を創世したことは間違いない。
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2011.10.04 やっぱ寒い?
 朝は冷え込む。北海道では氷点下の朝、一部で初氷。札幌5.3度(朝5時)東
京14.6度、大阪12.3度

2011.10.03 旭川で初雪
 う~ん、観測史上4番目に暑かった夏を経験した年にしては早いような。

2011.10.01 チャリで京都へ
 前職の同僚が、大阪へ転勤してきた。
 いっしょに京都へチャリで行くことにした。
 待ち合わせた新御堂沿いの桃山台の交差点に現れたマウンテンバイクに乗っ
た元同僚の一言。
「ママチャリじゃないですかー!?」
 筆者の「羊の皮をかぶったママチャリ号」を見た人は皆、そう言う。
 内装7段(販売中止)だから外装のギアが見当たらない。確かにちょっとタイ
ヤが細いが泥除けカバーもしっかりついてるし、ハンドル前にはカゴも装着。
 服装や装備は態度表明の一手段だ。
 ビスタチオの殻をかぶってパッツンパッツンのスパッツを履いたら、歩道は
走れない。そーゆー人たちだけが車道を走りましょう。
 車道を走るのは走り屋、筆者は主に歩道を走る。171(イナイチ)の車道なん
か、走れるものなら走ってみろっての。大型トレーラーが高速で後背から接近
してくる恐怖感は半端ないぞ。
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2011.09.30 風邪薬はパブロンエースAX
 いっぽんビシッとしている筆者はめったに風邪をひかない。その秘訣は一に、
妻も子もない一人ものだから。家族からうつされない。其の二、「ん?」と思
ったら躊躇いもなく市販薬を飲む。それも、ちょっと喉がいがらっぽいとか、
くしゃみ一発出た瞬間とか、日常と髪の毛一筋といえども違う違和感を感じた
ときに飲む。市販薬が有効なのはこの瞬間しかないとの習慣からだ。
 イブプロフェンが市販薬に使用を許可された薬事法の改正以来、薬局の店頭
に並ぶ「第一種医薬品」を買う。パブロンが常用薬なのだが、パブロンNから
パブロンエースと薬効があがってきた。今年はいよいよパブロンAXなのだ。

2011.09.28 ワイシャツ長袖に
 半袖シャツは閉鎖クローゼットに移設。

2011.09.24 富士山も初冠雪
 あれ?ちょっと早くない?

2011.09.22 北海道、大雪山で初冠雪
 きた。冬将軍が近づいている。

2011.09.14 引用の言葉・・・もっともだと思えるんで
 現代の経済システムは消費や生産の増大に飢えた「エネルギー中毒患者」だ
(アラン・ワイズマン/日/日経ビジネス2011.9.12)

2011.09.09 電力使用制限令、今日で解除
 警察庁がまとめた東日本大震災(余震を含む)の死者は、8日現在で1万5776
人。警察に届け出があった行方不明者は4225人となっている。
 東京での電力使用制限は今日で解除。
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2011.09.08 死者、行方不明100名を越える。台風12号
 9日午前1時現在、毎日新聞の集計では12道県で死者58人、行方不明者55人と
なっている。このうち、和歌山県の死者は40人、不明者は34人。奈良県では死
者6人、不明者19人に上っている。道路崩壊などにより車で集落の外と行き来で
きない孤立状態にある集落は、和歌山県の新宮市、田辺市、那智勝浦町の124世
帯232人。奈良県では十津川村の185人。
 明治のときの十津川の災害の再現のようだ。
 それにしても、今年の自然災害は「人類への警鐘」という手垢のついた言葉を
躊躇いもなく使いたくなるほど頻繁にすぎる。

2011.09.04 沖縄ニュース
 沖縄では売れないという書店業界の常識の中、2009年4月、県内で初出店した
沖縄のジュンク堂。業界常識を覆した。売れ筋は、専門書、学参、児童書。こ
れらの売上は全国44店舗中5位以内。売上は上位7位に入る。那覇店の売り上げ、
当初目標の倍。

 県内の観光バスは610台。夏が終わり、個人旅行客が減る10月~12月は修学旅
行がメインとなるが、今年は東日本大震災の影響で沖縄に集中した修学旅行。
12000人増とのこと。
 300台が不足する試算。バス稼働率は、秋を100とすると夏は20。
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2011.09.01 暑い夏
 台風接近中
 この夏、観測史114年中、4番目に暑い夏との気象庁発表。 

2011.08.30 秋元康って
 AKB48、あちこちでコラボしてる。秋元康のプロデューサー能力のなせる業。
 ピンクレディもキャンディーズにも興味なかった。芸能人に興味なかたった。
と言えば嘘になるか、そこそこ傾斜はした。
 それが山口百恵であれ、松田聖子であれ、小泉恭子であれ、芸能人に入れ込
んだ瞬間、プロダクションの手には載せられているという意味においては、A
KBも百恵も同じである。違いは仕掛け人がはっきり認知されているところ。
「業界」という言葉が耳になじみ、「業界」の裏話に精通していることが事情
通の証となり(その時点ですでに裏話ではないのだが)、事情通であることを
皆が求め始めた今という時代にマッチしているってことだろーな。
 むろん、筆者は秋元さん、好きじゃない。

2011.08.26 ジョブズ氏辞任
 現地時間24日、アップルのジョブズCEO辞任。
 実は筆者。アップルが嫌い(MS好きではない。むしろ嫌い)だった。
 十数年前からアップルがimacで復権はじめた頃から嫌い。
 アップルユーザーの「自分たちはアップルユーザーである」ということに関
してのどっか鼻持ちならなさが気に食わなかったのだ。天邪鬼だからね。
 でも考えてみれば「ⅰpod_nano」だけは使っている。
 日常生活に自然に寄り添ってくる品があるってことは、やはり、偉大なプロ
ダクツアーティストだったということか。
 でも、iPhoneもiPadも使わないもんね。
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2011.08.23 ドレスコード
 涼しくなってきたから昨日からスーツに戻った。
 ルーズな格好にも飽きてきたところだから、ドレスアップ感があって楽しい。
(スーツ(2ピース)でドレスアップもないけど)
 何事もワンパターンは飽きるってことですね。
 石原都知事が「都庁はかりゆしで」なんて言ったみたいだが、結局、無難な
クールビズに収まってしまったようだ。
 官僚ってのは、現状維持の権化だからな。無駄を見つけてコストをカットと
かパラダイムを換えるなんてことは医者が自分で自分の盲腸の手術をするよう
なもんで、ぜってー出来ねえ。
「都民からの服装に関してのクレームが面倒くさい」「沖縄色を都庁で出すの
は・・・」なんてどーしよーもない消極意見もあったのかもしれない。
 かりゆしについてはいろいろな事情もあるんだろーが、勘ぐらせてもらえば
「自分の服を自分で選んだこともないオヤジ」にとって「服装の自由化なんて
困る」ってこともあるんじゃないか?
 オヤジは画一的にポロシャツと短パン、ゴルフパンツで休日を過ごす(ちょ
っと言いすぎ?)。
 服装の自由化と言っても、何をしてもいいというわけではない。ドレスコー
ドのレベルを下げるにしてもここまで、という最低限の服飾の基礎知識がなけ
れば、いきなり海外旅行に出かけるアメリカのオヤジみたいな格好になってし
まうだろう。
 つまり、自主的に自分にあう服、あう色、など考えたこともない無難路線の
人(オヤジ)にとっては困惑するしかないってことだ。
 学校教育にカラーコーディネートと服飾の歴史と知識を伝える授業を加える
べきだ。
 自分で自分の身だしなみに自信がない。センスがない。浮くのが怖い。だか
ら無難にみんなと一緒。ムラ社会の日本にありがちなことだが、そーゆーとこ
ろから自立するのも大事だろう。
 とは言え、筆者だって日本人にとっての究極のトラディッショナル、和服の
ことはよくわからん。
 紋付って家紋のついた着物でしょ。ウチの家紋って何?
 ああ、勉強しなければ。
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去年はホントに暑かった

2011.08.19 急冷、そして豪雨、帰阪でジタバタ
 太平洋高気圧がヘタレて、秋雨前線が南下してきたらしい(え、もう秋雨前
線なの?)。
 東京の気温が朝の30.7度から一気に23度に下がった。
 神奈川や東京都心でも一転にわかに掻き曇り、豪雨に見舞われた。
 帰阪の出鼻だった。
 新幹線が止まったとの情報を得て、ルートをエアに切り替えた。
 羽田についたら、滑走路もよー見えんほどの豪雨と雷。
 嫌~あな予感がしてボードを見れば、発着便は「遅延」の嵐。
 予約した14:00発伊丹便は2時間遅れの16:00発になっていた。
 こーなったらエアも信じられん。案の定、その前後の2,3便は機材ぐりがつか
ず欠航に変更されている。
 こーゆーときじっと我慢の子ができないのが筆者。性分だから仕方がない。
新幹線の運行状況をチェックしていたら、30分~1時間の遅れで運転を再開して
いた。
 羽田から品川に戻る。
 14:37分発の博多行きのぞみを買った。
 10分遅れだった。ラッキー。
 新大阪着は17:18。
 キャンセルした14:00伊丹便は、欠航にはならなかったようだ。伊丹着が
17:30頃。オフィス着は30分はこっちの方が早かったな。勝ち!
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2011.08.18 暑い
 都心の最高気温36.1度。4週間前から東京に来たら、かりゆしに着替えること
にしている。
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2011.08.15 終戦記念日
 66年目の終戦記念日。
 今回の震災でわかったことは戦後66年たっても日本は日本だってことだ。
 国民を欺く政府と官僚、飼いならされたマスコミ、しぶしぶ従う国民。
 66年前のあのときと何がかわっているのだろう。
 大本営発表と検証意識のないマスコミ、教化された国民・・・
 やっぱ、あんま変わってないなあ。
 とは言え、自分に何ができる?愚痴ることだけか?ちょっと情けなくもある。
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2011.08.14 九州うはうは
 九州新幹線が大人気らしい。
 鹿児島は今、沸いている。
 NHK大河の「篤姫」のときどころではないらしい。
 福岡の観光会社では、鹿児島ツアーが昨年の3倍と言う。予約があのとき以
上とは城山観光ホテル。黒豚とんかつの「あぢもり」は7月の売上が3割増。
(西日本新聞より)
 中国地方からの宿泊客が5倍ちゅうから完全に新幹線効果だな。
 久しぶりに新幹線の大きな成功事例を見た。
 次は北陸新幹線だが、金沢もやっぱ鹿児島みたいになるのだろーか?
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2011.08.11 危機感
 目が覚めた。
 まどろみから覚醒までの僅かな時間。目よりも耳の再起動の方が早かった。
 ミシッ
 ピシッ
 何かが軋んでいる。
 気配。
(来るな)
 迫ってくる波動を感じるのは本能なのか、意識なのか
 数瞬の後、建物が小刻みに揺すられ、次いで大きくしなった。
(地震だ)
 覚醒した意識がその脅威を評価している。でもまだ目は閉じたままだ。
 大きくなるか、このままで大丈夫か。
 大阪在住で錆び付いたかと思っていたが、深夜の地震に対して敏感に反応す
る自分に、関東在住40年のDNAを感じた。
 深夜の地震は感知しやすい。それが筆者の見解。
 泥酔していたら駄目だが、素面ならば揺れる前に到来する気配で分かる。目
が覚める。
 ベッドではなく布団だとさらに鋭敏になる。地鳴りとでも言うのだろうか、
地中をこちらにむかって驀進してくる巨大なエネルギーの気配を音として感知
するのだ。
 3時過ぎ、福島沖合いで震度5強。
 東日本大震災で地殻のひずみが解消したのか、あらたに他のエリアにひずみ
を生じさせたのか。いずれにせよ地震列島日本の中心に浮かぶ巨大都市東京は
どこぞの海外の保険会社によれば、リスク指数は世界最大なのだ。
 東日本大震災で日本人の多くが、リスクに敏感になったのでは、と思う。公
助はあてにならず、自助の意識を強く持つようになったと思う。それでも集団
になると危機感が薄れるってことはあるだろう。自分の頭で考えなくなるって
のは、3.11のときの品川駅の行列を見てよくわかったもの。
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2011.08.06 広島の日
 利害関係が絡むと物事は複雑になる。
 福島原発の件でみんながわかったことは「絶対安全なんて存在しない」って
こと。
 設置基準や災害想定には利害関係者の都合が反映するし、そもそも完璧なシ
ステムなんて存在しない。
 人為的なミスをなくすことができると思っている人がいたら、脳味噌が糖蜜
漬けなのは間違いない。
 自然災害だって、観測史上初なんて近時、耳タコもんだ。でも実際には発生
している。記録にないものを想定できないってのは正論っぽいが、少なくとも
他のエリアで起きていることぐらいは考慮しなければならないだろう。
 原発は一旦コントロールを失ったら、どえらい大変なことになり、しかもそ
れが長期間癒えない。どれほどの被害が生じるか、事故後5ヶ月たっても未だ
算出不能なのだ。これで収束などと言う人はいまい。口に出さないだけで皆、
わかっているのだ。
 ちゅうことは、原発はもう信じられないし使えないということだ。
 自明のことに対して、理屈をつけて反発するのは利益を得ている人、という
のは自然の流れ。
 国民だって生活が不便になるのは嫌だろう。
 でも仕方がないんでないの?
 それに電力需要におっつかない時間、時期は限定されている。毎日、毎時じ
ゃない。
 工夫で何とかするしかないだろうし、そーゆーの日本人は得意でしょー。
 話が飛躍(しすぎる)けど、あの北朝鮮が特殊部隊に原発攻撃の訓練をさせ
ていないと考える人がいたら、脳味噌はチョコレート漬けだろう。
 中国という国家の意志決定機能だってかなり危ない。米中開戦の悪夢を見続
けた米関係者も多いと言うが、もし、そーなったら中国が北朝鮮を指そうして
日本や韓国での攪乱戦を企てないと誰が言えよう。
 ナガサキ、ヒロシマ、スリーマイル、チェルノブイリ、そしてフクシマが原
子力の辞書に併記されたのだ。そのことを忘れるわけにはいかない。
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2011.08.09 こちかめ176巻?!
 地元の本屋で何気なく棚を見たら、すさまじいものを見つけてしまった。
(うわ!『こちかめ』って176巻にもなってるの?(しかも継続中))
「こちら葛飾区亀有公園前派出所」にはかなりの思い入れがある。
 あれは中学生のときだろうか。
 両さんは読みきり漫画でスタートしたのだ。
 筆者はそれを読んでいる。たしか南極に飛ばされるオチだったと記憶してい
る。
 漫画家は「山止たつひこ」で、少年チャンピオンの「がきデカ」の「山上た
つひこ」をひねってつけた名だった。(その後シャレにならなくなって秋本治
になったが)
 連載開始以降も破天荒なアイデアが面白くて、筆者にとっては「少年ジャン
プ」連載陣の中でもマストアイテムだった。 
 それがねえ、176巻ですか?
 歳をとったなあ。
 そー言えば、「パタリロ」はどーなってんだろー
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2011.08.07 さよならPS2
 もー使わなくなって久しいSONYのゲーム機「プレーステーション2」。
 とうとう廃棄の運びに。
 東京在住時(だから10年以上前)には年末年始遊びに来た連中が一晩中、
コントローラーをカチャカチャやっていたのも懐かしい記憶。あの連中も今で
は弁護士になり、忙しい日々を過ごしている。
「××コンボ!」
 夜中に大声あげて「鉄拳2」をやっていたのはⅰだ。
 翌朝、正月の朝、「完全にコンボを身に付けましたよ」と誇らしげに言って
いたのが新年の挨拶だった。
 30代後半だったが、妙にあの頃が懐かしい。まるで青春時代みたい。
 ソフト群も同時に捨てた。
 さよなら「鉄拳2」「リッジレーサー2」「バイオハザード2」「零パイロ
ット」「ナムコミュージアム」・・・
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2011.08.03 蝉時雨
 7月上旬に石垣で熊ゼミの大合唱を聞いたのが、今年の初蝉。
 やっぱ、夏は蝉の声だね。
 筆者の住み暮らす大阪の緑地公園は、その名の通り緑が多い。だから蝉の数
も半端ない。
 今朝、いよいよ蝉真っ盛りとも言うべき大合唱が始まった。
 寿命が短いんだから、みんなには、いい伴侶を見つけてもらいたい。
 朝から蝉時雨の中を出勤。
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2011.08.01 買い間違い
 やってしまいました。
 伊丹から福岡へ飛ぶつもりで買ったチケットが羽田行きになってました!
 チェックイン前にボードで見た福岡便の搭乗ゲートとチェックイン後に出て
きたシートの搭乗ゲートが違っていたんでおかしいな?とは思ったんだ。
(搭乗口変更かな?)
 搭乗口に行ったら「羽田行き」の表示が。チケットをよくよく見れば伊丹ー
羽田便のチケットではあ~りませんか!
 出るね、嫌あ~な汗が、こういうときは。
 空港には罠がいっぱい。
 昔、犯した別ヴァージョンの間違いは、伊丹-鹿児島便のつもりだったのに、
関空-鹿児島便を買っちゃったって奴。
 こいつはチェックイン前に分かった。
 チェックイン機にいくらチケットを突っ込んでも受け付けないからだ。
 入れても入れても押し返してくるんだ。
(押し返す力があるなら受け取れよ!)
 機械と無言の押しつけあいをしていたらGAに指摘されて間違いに気がつい
た。
 今回は中に入れちゃったからね。
 乗りたかった便は満席。キャンセル待ちをするもキャンセルは無し。1時間
後の便に変更するも、こいつが30分の「DELAY」。なぜ遅延便って到着
ゲートが一番遠いところになるの?普通、逆でしょ!遅れてんだから一番便利
なゲートにつくんじゃないの?
 待ち合わせの時間があるから、ガンガン走って地下鉄に飛び込もうとしたら、
カードが残額不足!
 もーぷんぷん。
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2011.07.26 なにそれ?
 クールビズのハイネックって皆さん、どーしてます?
 ってそのまま着てればいいんだろうけど、上着を羽織ると襟が妙な寄れ具合
で上着の襟からはみ出してきません?
 あれは、上着を着ない設計なんですね。
 新宿駅で対面のホームに背の高い男が立っていた。
 鞭打ち症のギブスをしていた。
 ああ、可哀想にに思って観ていたら、なんとスーパーハイネッククールビス
シャツだった。
 ここまでくると喜劇だな。
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2011.07.22 涼しい夏
 東京が涼しい。
 大阪は暑い。(それでも去年よりは涼しい)
 台風6号が紀伊半島の沖合をかすめていってから、妙に涼しい夏が始まった
ような気が。
 節電ファッショの中、ラッキーなことだ。
 夏は暑くないと・・・と思う気持ちもあるが、今年は良しとしていいのでは。
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2011.07.16 鳥もも旨し!
 高松に日帰り出張。
 昼、「一鶴」屋島店に連れていってもらった。
 特製スパイスをきかせた鳥もも肉を高温の釜で焼き上げただけの料理なのだ
が、ちょっとはまってしまった。
 かなり前に、心斎橋に出店していたことは既知だったが、わざわざ足をむけ
ることもなかった。
 今回、本場(って言って、創業は丸亀だそうだが・・・)で食べてハマッて
しまった。
 仕事でなければビールをぐいぐいいっていたところ。


「一鶴(いっかく)屋島店」にて 左が親鳥(コリッとしていて皮固め) 右がひな鳥(柔らかくてジューシー)


讃岐富士 と 毎度お馴染み瀬戸大橋線の車窓

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2011.07.14 ドレス(否、ルーズ)ダウン
 クールビズに便乗。
 とうとう、上着なしで出勤するようになってしまった。
 職場には紺ブレを配備している。
 フォーマルからルーズへ。
 その逆と違って、このベクトルの転落は早い。
 上着を着なくなったら、とうとうネクタイまで締めなくなってしまった。
 いかんなあ。
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2011.07.08 梅雨明け
 中国四国近畿東海が梅雨明けした。
 夏、到来。
 今年は早いな。
 6月からかなり暑い日々が続いている。
 でも、やはり夏は暑い方がいい。
 全国行脚があけた今日、福岡から高飛びすることにした。
 夏への扉を開けに行くのだ。

去年の梅雨明けは?
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2011.07.07 七夕
 全国行脚の日。大阪を皮切りに京都、名古屋、東京、博多を巡る。
 7月7日は、実は清涼(濃縮)飲料カルピスの誕生日なのだ。
 大阪箕面出身の三島海運翁が1919年(大正8年)に世界初の乳酸菌飲料の
大量生産に成功し、発売を開始したのだ
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2011.07.04 SNSの憂鬱
 Facebookは、まだよくわかっていない。
 Twitterは、実に気軽に常用している。主に出勤時、電車を待つホームや車内
での暇つぶしに最適だ。大阪は首都圏と違って、職住近接だから、二言三言つぶ
やいていると、もう梅田についてしまう。
 MIXIは、酒食日記を記している。
 ところが、最近MIXIの機能に変更があった。
 足あとという訪問記録の履歴を簡易にしてしまったのだ。身内の訪問記録しか
残らないし、訪問日時もばっさりとカットされてしまった。
 ・・・つまらない。
 今までは、コメントなんぞなくても、ああ、これだけの人が読んでくれたんだ
な、と足あとを見れば、身内や、常連の赤の他人などの存在を認識できたが、も
う、それもかなわない。
 ネットに何か書き込む根底には自己顕示欲があるってことを再認識させられた。
 あ~つまらないなあー。MIXIは足あとを復活させないかな~。きっと足あとの
機能でクレームが多く寄せられた結果なんだろうが、筆者にはいい機能だったの
だ。
 これでは、Fasebookと大差ないではないか。
 SNSのプラットフォームをFacebookに変えちゃうぞ!MIXI!
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2011.06.29 朝が遅くなり始めた
 今日の 日の出:日の入り
  札幌 3:58 19:18
  大阪 4:47 19:15 
  那覇 5:40 19:26

 夏至の 日の出:日の入り
  札幌 3:55 19:18
  大阪 4:45 19:15
  那覇 5:38 19:25

 大阪、那覇は日の出時間が最も早かったのは夏至より前。
 最速は大阪 4:44(6月10日~16日)那覇 5:36(6月6日~15日)。

 南北で日の出の時間はずいぶん差があるけど、日没時間は大差ないでしょ。
 これが、冬至になると逆転するんです。
 日の出時間は大差なく、日没時間が南の方が北よりずいぶん遅くなるちゅうわ
け。
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2011.06.28 九州南部、梅雨明け。観測史上2番目の早さ
 鹿児島は梅雨明け。
 6月中の梅雨明けは観測史上2回目とのこと。
 大阪の梅雨明けは最速記録は1978年7月3日。
 大阪、すでに7日連続の真夏日で5夜連続の熱帯夜。
 でも、まだ梅雨は明けず。
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2011.06.26 なにゆえ、こんなに面倒くさい
 先般購入したシャープのアクオス、筆者の留守中、業者に設置してもらった
のだが、ケーブルテレビが写らない。
 地上波は入る。ケーブルテレビが入らない。
 ヒストリーチャンネルのミリタリーものと、ディスカバリーチャンネルのデ
ザスターものが唯一のテレビ視聴物件である筆者にとってはゆゆしき事態だ。
 あーでもない、こーでもないと配線をチェックしても問題点は発見できない。
 アナログの時代はよかったなあ。インとアウトの関係さえちゃんと理解でき
ていれば、ビデオデッキやDVDデッキに何重にも接続して不具合が出ること
はなかった。
 それが、ダジタル時代になってから、何事も一発で終わることがなくなった。
 原子力発電のように、人類に制御できるものではないのだ(大げさか)。
 結局、ケーブルテレビのテクニカルサポートに電話。
 10分近く「しばらくお待ちください」のメッセージを聞き続け、やっとのこ
と繋がったセンターのスタッフから、ケーブルチューナーのコントローラーの
テレビ認識信号を切り替える裏技を教わり、問題解決。
 そんな設定方法、どこにも書いていない。
 普通の人には、無理ですね、このリカバーは。
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2011.06.24 7回忌法要
 父が逝って6年の歳月が流れた。
 7回忌法要の年が来た。
 普段の法要は、筆者がひとりで菩提寺に行くのだが、7回忌法要は老母も参
列することに。
 大阪に来た4年前、老母の体力は最下限に振れていた。
 亡父の末期の世話は老母の足に負担を強いた。ちょっとした外出も無理なほ
ど膝が痛んでいた。あの頃は、大阪から川崎への移動など考えられもしなかっ
た。
 大阪の気候と、居住地の環境、新たな知己、マンションゆえの住みやすさ、
それらがいつのまにか老母のからだをほぐしたいったのだろう。
 一人でどこかへ出かけることなど、川崎在住時ですら、新宿か、聖蹟桜ヶ丘程度が
限界だった世間知らずの老人は、諏訪へ行き、金沢へ行き、沖縄へ行き、
湯布院へ行き、周辺の京都、奈良、明石へは何度も行き、梅田には近所の買
い物程度の感覚で向かうようになり、新幹線にひとりで乗って、新横浜までや
って来られるようになった。
 やっぱ、同性の子供じゃないことが良かったのだろう。
 男はホスピタリティがない。自分が頑張らねば生きてゆけないと覚悟が生ま
れれば、甘えがなくなる。ボケもしなけりゃ、元気にもなった。
 らっきーである。
 そんなこんなで、大阪の自宅から、川崎の菩提寺までを日帰りで往復してし
まった。しかも、新大阪に帰り着いたら、「美味しいものを食べてゆきましょ
ー」と言いだす始末。
 元気なもんだ。
 亡父も安心だべ。
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2011.06.18 根負け
 老母の宿願、地上波デジタル対応テレビを購入。
 根負けした。
 言っておくけど、リビングにあるテレビはちゃんと地上波デジタル対応なん
ですからね。26インチだから、そんなにちっさすぎることもない。
「アナログ放送は7月までだから、急がなきゃ、急がなきゃ」と朝、亡父の仏
壇にむかって唱える念仏のように、筆者にむかって唱え続けた老母は、ただ、
大きな画面のテレビが欲しいだけなのだ。
 老母の寝室のテレビはアナログ対応だから取り換えねばならない。そちらは
15インチサイズ。これを取りかえるだけならお安く済む。
「違うの。こっち(リビングの26インチ)をあっち(寝室)に持っていってこ
っちに大きなのを置きたいのよ」
 女の購買衝動と執念は、自分の餌に執着するヒグマ並み。
 時間がたてば、諦めて寝室の取り換えだけでいいと言いだすかもと思ってい
た筆者の期待は当初から淡すぎた。
 久しぶりに家にいる休みの一日、「今日こそテレビを買いましょう」との老
母の執念に負けた。
 近所のコジマに買い出しに行った。
 帰路、坂登りをしなければならない立地にもかかわらず、「アタシも一緒に
行く」と言い張る老母は、きっと筆者を信用していないのだ。あるいは、買い
物の瞬間放出されるドーパミンの快感を得たいのだ。
 結局40インチのテレビを購入。安くなってるなあ。6万ちょっとだ。
 ついでに筆者も17年間愛用してきた29インチのアナログテレビ(横長じゃな
い古いタイプの29インチはけっこーでかいんだ)を交換すべく、同じ40インチ
のシャープ、アクオスを購入しちゃった。
(えへ)
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2011.05.29 6年ぶり
 今日は、法科大学院入試の第1ステージ、適性試験の実施日。
 大阪の受験会場は関西大学千里山キャンパス。
 台風接近中で土砂降りの中、営業部隊はビラ配りに奮闘している。
 筆者は受験者数を確認しにキャンパス内へ。
 大阪の受験者数は563名だった。
 18歳人口の減少という大学の収入減の難局を打開するため、従来の法曹養成
プロセスに横入りして、改革というタテマエの元、予備校からWスクールの受
講生を横取りすることに大成功をおさめた文部科学省。
 しかし、おかげさまで指導能力のないタリバン(原理主義的象牙の塔の)教
授陣のおかげで法曹を志す学生の多くがおかしくなってしまった。学力低下は、
法曹養成プロセスの「ゆとり教育化」の弊害だ。(実際はまったくゆとりなん
かないのに、そーゆー誤解を生みだすよーなことを喧伝した奴ら(カスコミも
含めて)が皆悪い。
 だいたい、戦後、文部省と言われた時代から文部官僚がやり始めたことで日
本を良くしたことなど何一つない、と言うか思い浮かばない。
 文科省だけではない。佐藤K、中B何某、鳥I何某が推進した司法制度改革
は、弁護士の就業難を生み出し、結果、優秀な学部学生の法曹離れを招来した。
推進した3悪人は実に爽やかに身を翻して表舞台からいなくなってしまったから、
責任をとって何とかする人間不在のまま、法曹養成の迷走が続いている。
 あ、いかん、いかん。愚痴になってしまった。
 とにかく、大阪エリアでは制度発足時の半分程度の受験生になってしまった。
さらに翻って12年前、旧司法試験の時代は、京阪で6300名の受験生が出願
していたのに・・・
 あ、いかん、いかん。愚痴が・・・
「ⅰさん」
 受験会場で筆者の名を呼ぶ者がいる。
 振り返れば、6年前に会社を退職したⅰ口(2号)ではないか?
「なんだ、受験しているのか?」
「はい」
「ひさしぶりだな」
「ⅰさん、ずいぶん痩せましたね」
 ふむ、いいとこに気がついたな。筆者の糖質制限前に退職したⅰはそのこと
を知らんのだ。
「そーだよ」
 意味もなくVサイン。
「ⅰさん、それにずいぶん白髪が増えましたね」
(・・・そんなことには気づかんでええ) 
 やっぱ、髪、白くなってんだな。

 台風2号が宮古島で最大瞬間風速50m超の暴風をマークしながら、沖縄本島を
経由して本土接近中。5月での台風の本土上陸は珍しい。
 ・・・と思っていたら、予想外に早くヘタレた。
 四国沖で温帯低気圧になっちゃった。
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2011.05.26 中国、四国、近畿 入梅
 どんどん入梅。
 その分、梅雨明けが早ければ嬉しいが・・・電力不足を考えると今年は冷夏
ぐらいがいいのか?いやいや、農産物がちゃんとできんとね。
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2011.05.24 南九州の梅雨入り
 早い。
 いかにも早い。昨年よりも20日も早いとのこと。
 平年でも8日早い。
 観測史上、2番目の早さ。
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2011.05.20
 加齢により嗜好が変化したのだろうか。
 テレサ・テンがいいんだ。
 時速285キロで走り去る車窓も、耳朶に染みる「時の流れに身をまかせ」とと
もにあれば、過去と同化した懐かしむにたるメランコリックな景色と化す。
 昨今の、メロディと一体化した何を言っているんだかわからない歌は、あれ
はあれで役に立つときもあるので、不要とは言わない。でも、あれでは休まら
ないときがある。
 声量を競い合うかのように、腹にひびくヴォーカルを称揚するアメリカ人は
男性なみの迫力ある女性歌手を好む。そこには囁きも無言の謂いにふくまれる
含羞も廉恥もありはしない。ひたすらに論理の交換の中に白か黒を決める2元
論的な世界に住む人たちの嗜好としか筆者には読み取れない。それが実験的多
民族国家に求められる普遍的な最大公約数ならば、世界的ルールとして控えめ
に首肯するしかない。
 多様な表現法を持ちながら、しかし極めて論理性に乏しい母国語を愛する筆
者はひとり密かに、演歌を口ずさむのみだ。
 あるいはそういう歳になってしまったということか。確かに、歳をとらねば
演歌を肯定するのは難しかった。
 あ、でも森高千里の「渡良瀬橋」でもいいよ。
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2011.05.11 歳時復活
 随分、間があいてしまった。
 3月中旬頃、久しぶりにHPへ書き込むつもりでいたところに東日本大震災
があった。HPどころではなくなってしまった。
 4月に入れば、筆者の会社は日祝にイベント続きとなる。気持ちにゆとりを
もてないまま放置が続く。
 阿呆らしい話だが、自ら求めてMIXIやTwitter、Facebookと、手を広げすぎて
しまったせいもある。
 Facebookはいまだに使いこなせておらず、どこが面白いのかわからない。こ
んなのにはまるアメリカ人はよっぽど寂しがりやなんだろーなと思っている。
 いずれにせよ、これらのSNSは、深い思索の末の意見なり、表現なりを書き込
むには馴染まないよーな気がしている。お気軽に、たわいもなく、書き散らか
すもの。あるいは「結論!ついでそこに至るまでの要旨を短く五つまで!」な
んて海軍要務令のような機能的な道具として特化するものだろうと思っている。
 でも、そーゆー細かいガス抜き的道具を便利だからとちょこちょこやってい
るうちに本業(HP)が疎かになってしまったちゅーことなんで、否定もしき
れんわ。
(HPだってたいしたこと書いてないし・・・)
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2011.05.09 15度対30度
 北海道から帰ってきたら、関西はエライ暑い。
 札幌や函館は最高気温が13度や15度で、朝夕はやっぱ寒い。
 函館山の山頂では暖房が稼働していた。
 でも京都豊岡では30度越え。
 あなた、15度と30度じゃ、ダブルスコアでしょ。
 大阪も27度の夏日。
 夜、寝苦しくて、エアコンを稼働させてしまった。
 冷房スタート。東京は節電の嵐だから今夏はどーなってしまうのだろーか。
 昼の服装だが、沖縄のかりゆしウェアを採用したらどーだろー。
 ネクタイしないだけで上着着るってのも、実に中途半端だ。南方の国は皆正
装だって1枚のシャツでしょ。
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2011.05.07 今年の桜
 なんだかんだ言って、桜をなんとか消費した。
 今年の総括は以下に。

 函館の桜(五稜郭にて)








 京都の桜(加茂川)


 金沢(犀川)


 京都(東寺)

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2011.05,01 メーデー
 筆者がサラリーマン生活を始めた頃、すでに組合は、会社と対立するもので
はなくなっていた。ユニオンショップで社員は全員組合員になる(除く管理職)。
 大きな会社では仕事にかかわりのない他部門の社員との交流は生まれない。
「まず顔と名前を売れ」が当時の上司の指導方針で、それには、業務の垣根を
越えて製造部門、管理部門、営業部門が入り乱れる組合活動はまさにうってつ
けの場であった。
 初年度から支部の会計委員長を務めさせてもらい、支部ウン十年の歴史に汚
名を残す失態を犯したり(会計監査で承認してもらえなかったのよん)したが、
けっこーよかったし面白かったと思っている。
 出張先の支店や工場で組合繋がりで誰かしらがフォローしてくれたもんだ。
 でもって、5月1日はメーデーの日。
 代々木公園から旗を先頭に新宿まで練り歩いて、新宿のビアガーデンで打ち
上げ!なんてことを思い出した。
 でも、もーこーゆーご時世では難しいかもしれないな、組合費の消費のしか
たとしては。
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2011.04.30 梅雨入り
 沖縄・奄美、梅雨入り
 大阪・徳島、今シーズン初の夏日。25度越え
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2011.04.24 衣替え 
 冬物衣料、クリーニング投げ込み終了。
 都合3回、16日、17日に巨大バッグに詰め込み、えっほえっほと店通い。今
年から30%オフの割引チケットが4回使えるよーになった。去年までは2回だっ
たんだが。
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2011.04.21 肌寒い
 4月も、もう終わると言うのに、けっこー肌寒い日が続く。
 今年は冷夏になるのだろうか。
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2011.04.07 トレンチお役御免
 いよいよトレンチコートも不要なくらいにはなってきた。
 それでも、スリーピースやオッドベストは手放せない。
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2011.03.31 チェスターフィールドお役御免
 チェスターフィールドはもういいだろう。
 トレンチに切り替え。 
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2011.03.11 大震災
 14時46分、マグニチュード9の巨大地震が三陸沖で発生。
 未曾有の大災害となった。
 マグニチュード9は日本の観測史上最大だが、被害は、主に津波によって
もたらされた。最大遡上高38mが宮古で観測されている。

 筆者は、その瞬間、東京出張を終え、福岡オフィスに移動するため羽田空
港にいた。
 15時00分発福岡行きANA255便に搭乗しようとしたまさに14時46分、
ターミナルが異様に周期の長い、横揺れに襲われた。
 上部にモニターや掲示板のない柱に背中を預け、ターミナル内を見渡して
いると、コーヒースタンドのシャンデリアが天井に水平になるまで、ほぼ垂
直に振り子運動をしている。
 館内放送があり、滑走路のチェックで30分以上離陸が遅れるとのこと。
 この段階で、東北地方のすさまじい被害は知るよしもない。
 やがて、空港内のこととてあちこちにある大型モニターに津波の映像が流
れ始めた。
 船が街中を流れてゆく。
 民家も、ビルも、濁流に呑み込まれてゆく映像を、ターミナル内の皆が無
言で見入った。
「ひどい」
 誰かがつぶやく。それ以外の言葉は誰も思いつかない。

 搭乗しかけた255便は17時発になる旨のアナウンスがあった。
 16時以降の便は全便欠航が決まった。
 15時半以降の便の欠航が決まった。
 目の前にある機材はまさに搭乗寸前だったのだ。こいつだけは福岡に飛ん
でくれると思っていた。
 しかし、その機からCAが退去してきた。
 15時発255便の欠航が告げられたのは17時15分だった。

 福岡には飛ぶものと微塵も疑っていなかっただけに、対応が完全に後手に
まわった。
 当初から携帯電話は不通だった。
 持ち歩いていたPCからエッジでメールを送受信することはできる。それ
で会社に連絡をとり、オフィスの無事と配下要員の無事も確認し、連絡をす
ませていた。
 携帯電話でツィッターには繋がる。
 やはり大量のアクセスへの対応はSNSの方が強い。
 それらを使いながら、宿を確保しようとしたが、結局、徒労に終わった。
 羽田を出ることができなくなったからだ。
 モノレール、京急、バス、すべてが運休していた。
 いつか動き出すかもという期待は終日運休の表示で潰えた。
 唯一の脱出手段はタクシーか徒歩だが、羽田島を抜けて穴守稲荷あたりま
で出たとして、状況が好転するとも思えない。タクシーは長蛇の列だった。
欠航の決定が一番最後に出された筆者は列の最後尾に立つしかない。そして
当初、少しは行き来していたタクシーの姿が途絶えた。羽田に向かってくる
タクシーがなくなったのだ。
 22時、タクシー乗り場の列を離れて、空港ターミナル内に戻る。
 若造の頃の貧乏旅行を思い出した。
 幸い厚着をしていた。コートもカシミアのチェスターフィールドだし、空
港内の空調は終夜稼動していた。朝イチで鉄道に動きがあるかもしれないと
思い、京急・モノレールの改札に近いターミナルの床に出張カバンを枕にし
て寝そべった(懐かしい感覚)
 空港職員が毛布を配布するという。数には限りがあるそうなので、女子供
や高齢者のために筆者は借りずにいた。
 そのまま就寝。 
 朝4時、起床。
 出発ゲートの3階までエスカレーターで上がり、上から見下ろした。
 1階も2階も3階も、ゴロ寝をしている帰宅難民で埋まっていた。
 タクシー乗り場へ向かう。
 早朝4時からタクシー乗り場にいたのは4名程度。しかも数分ごとにタク
シーが来ている。昨夜とはうってかわってわずかな待ち時間の後、タクシー
に乗車した。行き先は「品川」。
 昨夜のうちに新幹線が小田原-新大阪間で運転再開していたことは知ってい
る。
 問題は小田原までだ。JR東海のHPを携帯で覗くも、システムメンテナ
ンス中の表示、新幹線のチケットも買えない。JR西日本のHPから新幹線
情報を拾うと、東海道新幹線は始発から通常運行するとの表示を見つけた。
 午前5時、品川駅に到着。
 すでに200mほどの行列ができていた。
 その最後尾に並ぶ、
 だが、(ん?)
 列は有人のみどりの窓口に繋がっている。開店は5時半だから、まだシャ
ッターがおりている。
 まったく別方向に新幹線の自動券売機コーナーがある。
 その前には数人しかいない。
(群集心理だな)
 列に連なってしまうのだ。筆者は自動券売機コーナーに移動した。列を離
れるときちょっと不安にはなるが、あきらかに自動券売機の方が有利だ。
 券売機コーナーもシャッターが下りている。
 5時半、みどりの窓口のシャッターが上がり始めた。そして券売機コーナ
ーのシャッターも。
 すぐに券売機に飛びつく。
 博多までののぞみ始発のグリーンをおさえようとした。
 窓側席はすべて埋まっていた。
 なんとか通路側の席を確保。
 午前11時過ぎ、博多到着。用務を終え、鹿児島への出張は断念し、大阪行
きのエアを確保して帰阪。
 このあと東京への後方支援基地として忙しい毎日が続くことになる。 
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2011.03.10 桜開花予想
 3月にはいってからの気温低下で桜の開花予想が修正された。
 東京が3月29日。
 ふと、去年、桜をちゃんと消費していなかったことに気がついた。
 去年は4月に老母の口腔外科手術があり、その術前検査や家族としてドク
ターのムンテラを受けたりと春先もドタバタしていた。
 この歳時をめくると、京都での定期健診後、高台寺でチラ見してきた記事
があった。
 形ばかりだけど桜は見たのね。
 そー言えば、昨年は、2月に叔父が亡くなり、5月に京都オフィスの移転、
11月に同じく老母の白内障の手術などドタバタした1年だったことを思い
出す。
 若い頃は桜の開花なんぞ、今日の南極の天気ほどにも気にかけたことなか
った。
 歳である。
 せめて桜の花くらい、じっくりと見やってすごす時間を持ってもいいので
ある。
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2011.03.02 寒の戻り
 春、近しと思いきや、季節は一気に遡行した。
 真冬並みの寒気。
 東京で降雪。
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2011.02,25 早春譜
 東京は南風が吹きわたり、かなり暖かかった。太陽が輝き、早春の気配。
 なのに、伊吹山の麓をまわりこみ、近江に入ると空はどんよりと灰色の雲
に覆われ、雨まで車窓にふりかかってきた。
 ありゃりゃ、山陽から山陰に抜けたときのような天候の激変ぶり。
 近江を抜ければ、再び陽光を取り戻すことになる。
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2011.02.24 寒気、緩む
 4月頃の暖かさと天気予報で言っている。
 九州南部では予想最高気温が20度だそうだ。北陸でも17度、大阪も17度。
でも東京は13度。
 いずれにせよ、先般の極寒気候とはさようなら。季節は着実に、と言うか、
かなりアップテンポで移ろっている。
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2011.02.21 老眼すすむ
 50歳の誕生日を過ぎたとたん、老眼の進行を自覚。
 小さな文字と、暗がりでの判読能力が著しく衰えた。
 ツイッターやMIXIの記事を携帯電話で読みづらくなっていることに気
がついたのだ。
 携帯の文字表示を「標準」から「大きい」に換えた記念日。
「携帯の文字が見づらいから今日から『大』表示。老眼記念日」
 とほほほほほほ
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2011.02.15 今シーズン、大阪で雪を見たことがない
 博多のホテルのニュースで見れば、(大阪、雪?)午後イチでついた博多
は小雨まじりだったが夕刻になり西日が雲間に輝き始めた。今年の筆者は、
大阪で降雪のときは必ず大阪にいない。
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2011.02.14 老母を連れて湯布院へ行こう
「博多にはいつ連れて行ってくれるの?」
 昨年は外泊の旅行をしなかったせいか、老母の「どっか連れてけ」攻撃が
苛烈をきわめはじめた。テト攻勢のようだ。
 父亡き後、諏訪湖へ行き、大阪への移住を手配し、金沢へ行き、沖縄へ行
った。外泊を伴わない日帰りお出かけは地元、大阪は大阪城を皮切りに、京
都、奈良、明石へたびたび連れていってる。
 いつも「××を見たから、もう十分」と言う老母だが、人間の欲望は限り
がない。
 そう言った舌の根も乾かぬうちに「いつもひとりぽっちで家にいるからボ
ケが進んで鬱になっちゃう」などと脅迫を始める。
 TVを見ながら生返事をしている視線の先に「湯布院」の映像があった。
 うっかり「じゃあ湯布院にでも行くか」と口走ったのは取り調べに負けた
被疑者の心境だったのかもしれない。
「嬉しいわ~、湯布院に行ったら、もうどこに行かなくてもいいわ」
 ・・・まったく信用できない。
 ちゅうことで老母を連れて湯布院へ行こう。
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2011.02.08 寒波再来
 大阪の日の出は6時51分。
 冷え込み再来。
 このあいだ、冷え込まなくなったと書いたとたんにこれだ。
 寒波の神様が聞き耳でもたてていたのか?
 最高気温10度。
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2011.02.04 息抜き
 昨日、パンフレットが下阪され、とりあえず一息つく。
 久しぶりに広告制作につっこんだ。
 職制上、経営管理が主務なのだが、数字情報なんかいくら整えても売上が
上がるわけじゃない。情報の有無で意思決定が左右されることは重々承知し
ている。でもやっぱ、クリエイト的じゃないから、言っちゃあ何だが「クソ
仕事」と思うときもある。
 現場がイチバン!
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2011.02.03 節分
 節分に思い入れは、ない。まったくない。
 2月にはいってこの間までのスーパー寒気は何だったのかというくらい冷
え込まなくなった。1月末の冷え込みはハンパじゃなかった。大阪は、気温
1度程度でも北風が身を切るようで、北海道にいるかのような寒さだった。
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2011.02.01 寒暖
 那覇で朝8度台は15年ぶり
 福岡は予想最高気温10度。1月中は一度も越えなかった。
 1月の平均気温、福岡3.8、那覇14.9、両都市にとってこの30年
で一番寒い1月だった。だった・・・って、もう1月終わりか。
 毎年のことだが、クリスマスはもーすぐだな。
 それはそれとして、寒気は和らぐとのこと。春の高気圧が近づいている。
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2011.01.23 Facebook
 全世界で5億人?が参加しているという「Facebook」。
 少しは肌あいを感じておくかといじってみた。
 ログインできるようにしてプロフィールを書き込む。
 孤独だ。
 5億の海の中に漂う板きれのような孤独感。
 まだ「mixi」の方がマイミクが最初からいたこともあり愉しんで始められた。
 え~と、このあとどーなるんでしょーか・・・
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2011.01.21 携帯の常識、筆者の非常識
 1週間前から液晶画面が時に砂漠の嵐常態になリ始めた筆者の携帯電話。
 せめて電話帳ぐらいはバックアップしようとしたら、SDカードが入っていな
いとPCへ保存できない。専用のUSBアダプターも必要だ。しかもPCに保存する
ためには専用アプリをDOCOMOのホームページからダウンロードしなければなら
ない。そ~んなこと何ひとつ、ど~こにも書いていない。・・・それほど常識
の範疇なんですか?これって?
 なにはともあれ、様々な障害を排除しながら何とかバックアップができるよ
うになり、無償修理期間ということもあり、機種をかえたり、スマートフォン
に切り替えたりという前向きさを微塵も発揮せず、修理、という安直に逃れた。
 業者からはその間の代替機を受け取ったが、バッテリーパック裏のカードを
抜いて差し込めば電話番号はそのまま使えるということさえ初見の初心な筆者。
 SDカードから電話帳ひっぱれると思ったが、携帯が認識してくれない。706
に対して906の別メーカーということが影響しているのか?
「?」ばっかりだ。
 それでもPCからアップロードできたので問題なく使えている。 やれやれ。
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2011.01.19 ウィングチップへの違和感
 毎朝、目覚めるとシャワーを全開にし浴室を温めている。
 その間に靴の汚れ落としとクリームを塗る。(ブラッシングとストッキング
での磨きは30分後だ)
 サラリーマン生活を26年も続けていれば、プレーントゥ、ストレートチップ、
プレインキャップトゥ、モンクストラップ、Uチップ、ウィングチップ、タッ
セルスリップオン、ひととおりの種類は揃っている。
 それらの靴を1日1足ずつ(あたりまえか)ローテーションで履いているから、
靴の数が一定数を越えると靴はけっこう、もつようになる。
 色の違いと革の素材の違いなどで同じ種類の靴も複数あるが、今日、出番の
ウィングチップを磨き始めてふと思った。
「こいつ見かけはスポーティなのに、重苦しいんだよなー」
 ウィングチップは甲の部分がW型に貼られた、メダリオンと呼ばれる飾り穴
がじゃばじゃばついている奴だ。FBIが好んで履くと何かで読んだ。だから
なのかスリーピースにはいいようにも思うが、やっぱちょっと違和感がある。
 ウィングチップの日は靴箱をあけて(あ、今日はウィングチップか)と思う
といまひとつ気持ちが乗らない。
 つまり、筆者はウィングチップはあまり好きではなかったのだ。
 26年間もかけて、やっと自分の好みの一端を知った驚き。
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去年の今頃は・・・

2011.01.14 陸か空か
 東京出張の帰阪の足、新幹線が米原あたりで定時運転ができなくなりはじめ
た。雪のせいだ。高田馬場を出発する段階では20分程度の遅れだが、寒気の吹
き込みはこのあとさらに激しくなりそうだ。即座にエアに切り替えた。
 羽田に向かって、伊丹から梅田へ。
 ところが、京都に用務がある。
 しかも17時までにはつかねばならぬ。危険だが大阪、京都間なら大丈夫だろ
うと新大阪に向かう。
 目的は果たせたが、新幹線の東京方面からの遅延は5分に縮んでいた。
(なんだかなあー)
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2011.01.12 ミシェル・クーブレ
 漫画「バーテンダー」18巻が昨年末に発売されていた。今日、本屋で目に
留まりさっそく購入。
(ありゃ)
 京都のバー「Indigo」で飲んだ「ミッシェルクーヴレ」を使った挿話があっ
た。ちゃんと読んでいたのに店では片鱗も思い出さなかった。記憶力の低下、
著し。


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2011.01.11 氷点下
 昨夜の冷え込みは今朝の寒気のプロローグだった。大阪、今シーズン2回目
の氷点下の朝。
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2011.01.10 降雪の影響
 博多から帰阪。
 朝イチ(6時)の「のぞみ」に乗るつもりだったが、朝ニ(7時)になって
しまった。
(この時間だったらエアでもよかったかな)
 そんなことを考えながら入線してきた「のぞみ」に乗った。車体に異常はな
かったが、発車前、隣のホームにすべりこんできたレールスターの屋根には雪
が積もっていた。
 この段階で、筆者の警戒心は完全に眠っていた。
 走り始めたとたん、社内アナウンスで「福岡地区積雪のため徐行運転」を告
げられた。
(やっぱ、エアだった!)
 後悔、先に立たず。
 東海道は通勤電車のように慣れた路線なので、警戒センサーの感度はけっこ
ういい。米原あたりの積雪は冬季になれば常に気にしている。
 木曽三川の河原が雪原と化していれば、1時間程度の遅延は覚悟しなければ
ならないし、熱海、三島界隈で風雨が激しければ、停車もありうる。事前に予
想がつきやすいので機敏に空・陸のスイッチを入れ替える。
 山陽エリアではこのセンサーの働きがちょっと鈍い。抑えるべきツボがよく
わからんちんなのだ。
 結局、新大阪駅も混乱を極めていた。東では米原地区で徐行が始まり、前が
つかえた車両の待機でホームに空きがなくなり、駅手前で雪隠攻めになりかけ
ていた。筆者の「のぞみ」は際どく26番線にすべりこんだ。
 業務を終えて帰宅するべくオフィスを出たら、朝より冷え込みが厳しくなっ
ていた。これは超1級の寒気団だな。


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2010.01.09「五島サバと九州の幸 きはる」
 博多の夜。だけど日曜日。筆者の行きつけの店は休みの日。しかもオフィス
を出たのは21時半。
 翌日が成人の日(祝日)で助かった。
 前から行ってみたい店候補にあがっていた「きはる」が開いていた。祝前日
の日曜は営業しているのだ。
 鯖づくしの夜。


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2010.01.07「ビストロさか」
「ビストロさか」は京都にある。祇園、四条通りの1本裏、おかるビルの2階。
 深夜まで営業しているのもありがたい。


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2010.01.06「NoMiNo市」
「NoMiNo市」は目白の店。新年の初外食はここで。アケオメ、コトヨロでさっ
そくシェフの料理を堪能。


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2011.01.03 我が家のパーチー
 自宅でパーチーをば。
 恒例行事。
 今年は筆者を入れて7名での酒食。
 昼から開宴して例年22時、23時頃まで延々、飲み続け、食べ続け。
 料理は毎年、ほぼ同じメニュー。多少のアレンジは入るが、定番品に変動は
ない。アメリカ人のBBQと同じ。あまり肩肘張らずに自然体で年1回の酒食
を楽しむのが継続の秘訣。
 老母は料理の準備や掃除などに力みかえる癖がある。昭和一桁世代だから仕
方がないが、別にお姑が嫁の家事の審査に来るわけじゃない。適当に手を抜け
といつも肩の力を抜かせている。
 今年も酒瓶が気持ちいいくらいにガンガン空いていった。 
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2011.01.02 福袋
 1月2日、ニュースは必ず百貨店初売りの映像を流す。そこにニュース価値が
あるとは誰一人信じていないはずだが、正月ネタとしては磐石の安定感と季節
性があるからとにかく多用されている。
 福袋目当てのお客さんが前夜から並んでいようと、開店と同時に売り場に殺
到しようと誰も知ったこっちゃないのに、ほぼ全局が取り上げている。
 それはまあいいとして、あの福袋を買う人がいるというのがとにかく信じら
れない。
 だって、中に何が入ってるかわからないじゃん。
 支払い金額よりも高価な物件が入っているのは知っているが、自分にとって
役立つものとは限らないだろう。
 何なんだろう?あれ。あの映像を見るたびに女性の購買(浪費)衝動の恐ろ
しさに身がすくむ思いがするのは、筆者だけ?かしらん。
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2010.01.01 謹賀新年


去年の今頃は・・・

2010.12.31 大晦日
 家の大掃除の一翼を担うことに。
 老母は古い世代だから、大掃除をしなければ新年が迎えられないという信念
を保持している。
 筆者は独り者生活16年の実体験で、な~んにもしなくても新年は迎えられる
ことを知っているが、老人の夢を壊してもいけない。風呂掃除、トイレ掃除、
室外清掃におつきあい。 
 新年会用の酒の仕入れに梅田の成城石井に赴く。キャリーバックに酒を満載
して帰宅。
 百貨店の人出はものすごい。キャリーバックを転がして入れないほど。
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2010.12.30 寒波三来
 寒波が襲ってくる。
 まだ、それほど急激に気温が下がっているわけではないが、オフィスに向か
う朝、今シーズン初のマフラー出動。
 この寒波、日本海側を中心に猛烈な積雪をもたらす。
 米子は観測史上最高の積雪となった。
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2010.12.27 定期健診
 今年最期の定期健診。
 糖尿人の管理指標のひとつ、HbA1cは、5.3。
 これは過去最良の数値。
 2008年9月に現実逃避の視線をしっかりと糖尿にむけたときの数値は10.0。
 糖質制限のおかげで薬もやらずにとりあえず優良な常態を保ちえた。
 血糖コントロール指標と評価(日本糖尿病学会)は、空腹時血糖値とHbA1c
において以下のとおり。(前者が血糖値、後者がHbA1c)
 優 80~110未満 5.8未満
 良 110~130未満 5.8~6.5
 可 130~160未満 6.5~8.0未満
 不可 160以上 8.0以上
 筆者は空腹時の数値がいまひとつ。
 日(時)差変動が激しい。たとえば、前夜深酒していれば血糖値が100を切
ることもあれば、前夜ドライ(酒抜き)のとき、肝臓が生き生きとしていると
140台のときもある。2010年の1年間の平均は131.2。(定期健診12回の平均)だ。
 HbA1cはグリコヘモグロビンと言って、赤血球中のヘモグロビンが血中のブ
ドウ糖と結合したもので、血糖値が高いほどこれが形成されやすい。つまり、
このグリコヘモグロビンの血中濃度を調べると過去1~2ヶ月の血糖の平均的な
状態を知ることができる。
 血糖値では変動が大きすぎるので一喜一憂の幅も広いし、状況を総合的に判
断しづらい側面があり、近時、HbA1cが診断の一要素として加えられるように
なった。(ただし、この数値だけでの判断はまだ容認されていない)
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2010.12.24 逃亡
 クリスマスイブからクリスマスにかけて、独り者の居場所はない。
 とりあえず逃亡。
 カップルの姿を見ずにすむところに逃れるのだ。
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2010.12.22 冬至
 冬至。
 大阪、朝の日の出は7時1分。
 冬至を過ぎれば、日中時間が延びるだけ。
 だけど、実は日の出の時間はまだまだ後退するのだ。日の出の時間差よりも
日没の時間差が大きくなって日中時間が延びるというからくりに、いまだに若
干の違和感を覚える。

去年の今頃は・・・
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2010.12.21 壮行会
 知己の壮行会。
 半年間、シンガポールにて海外順応力を高めた後、インドに赴く。
 筆者同様、パスポートを持たないドメスティック派だったが、仕事の関係で
いよいよパスポートボロボロ生活に突入。
 海外慣れしての帰国を愉しみにエールを送る。 
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2010.12.16 寒波再来
 大阪、朝5時の気温3度。この冬一番の冷え込み。
 福岡では初雪を観測。
 北海道内陸部で氷点下22.4度。
 さすがにトレンチでは防寒に不足を感じる。厚めのショートコート、この冬
の初陣。
 トレンチは予備役に編入。
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2010.12.15 祝!合格
 名古屋から帰阪。
 今日は2回試験の発表日。
 知己は皆、合格していた。さっそく合格祝いをビストロ「ファブール」で。
「白子の洋風茶碗蒸しとフォアグラのパテ・バケット添え」
「トラフグのカルパッチョ」
「フォアグラのバートフィロ(トウモロコシの粉と小麦粉で 作った薄い生地)」
「舌平目のムニエルサバイヨンソース雲丹のせ」
「蝦夷鹿の腿肉トリュフ添え」
「デセール」



去年の今頃は・・・
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2010.12.14 名古屋の夜
 名古屋オフィスの忘年会。
 セントラルタワー前のイルミネーション(あるいは高島屋か?)今年は地味。
「手作り居酒屋 甘太郎」で。
 2次会は社員4人で「セパージュ」へ。
 名駅のセントラルタワーズ51階にある、抜群に眺めの良いワインバー。
 オリーブとエスカルゴでシャンパンを2本。


 

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2010.12.13 予想外の展開
 博多から帰阪。
 その前に博多駅デイトス地下の「アンガス」に立ち寄る。
 サーロインステーキM(180g)、フィレステーキM(150g)、チーズハンバ
ーグ(150g)、ホタテバター焼き2Pを赤ワイン1本で。
 新幹線では爆眠。
 今日は、このまま静かな夜を過ごそうと考えていたら、携帯が鳴った。
 修習が終わったので明日、東京に帰ると修習生のSクン。
 Fを誘い、大阪最後の夜を「キュイジーヌHasegawa」で過ごす。
 若さに似ず、健啖家のSクン、締めのヘレカツサンドとオムライスまで到達。
 完食。
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2010.12.12 博多の夜(第3夜)
 博多オフィスの忘年会。
「ゆるり食卓 久兵衛」
 腹いっぱいになったので2次会は無しにしてホテルに向かう。
 ホテルの前の「戦国焼き鳥家康」に入ってしまった。
 串10本と生ビール1杯。
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2010,12,11 博多の夜(第2夜)
「鳥善」にて福岡オフィスのKを慰労。
 2次会は「Vespa」。
 カクテル2杯とスコッチをショットで2杯。
 余市の1988年とシーバスリーガルの25年。
 少し酔ったか、カラオケなんぞに行ってしまった。
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2010,12,10 博多の夜(第1夜)
 博多出張。週末まで博多滞在が続く。
 今日は地元の司法書士と「久米」へ。
 親父殺しの店だ。
 割烹ぽい居酒屋と言うか、居酒屋っぽい割烹と言うか。
 隠れ家的な店で一見さんはあまりやって来ない。
 大将と女将さんとの話も楽しい。
 ひとりで「ロイヤルVespa」の扉をくぐる。
 新人クンが採用されていた。
 最近、「Vespa」の新人クンはいい男が多い。
 採用基準が変わったのか(笑)
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2010.12.09 行脚
 毎年恒例の管轄支店行脚。
 大阪を基点に、京都、名古屋、東京と巡る。
 明日は博多へ飛ぶ予定。
 東京オフィス秘書部門の忘年会で新宿6丁目の「歓」へ。
 2次会は高田馬場のバー「カヴェルナ」
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2010.12.08 寒波襲来
 寒波襲来。
 冬の空気に入れ替わった。
 積雪、大山25センチ 菅平5センチ、日光6センチ。
 予想最高気温、札幌2度、旭川-1度。沖縄ですら18度。大阪は、朝の気温
5度、予想最高気温13度。
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2010.12.07 寂寥
 オフィスのYがギックリ腰になった。
 一昔前は所詮ひとごとと聞き流す気分があった。自分は1本ビシッとしてい
るとの思いは強かった。
 今は「自分も気をつけよう」と思う。
 若さがすべてを吸収してくれるバンパーのようなものだったと、振り返り思
う歳になったのだ。
 視力が2.0はあった。腰に不安はなかった。酒食だって欲望のままに摂取して
いた。
 視力はずいぶんと落ち、酒食にいたっては主食を抜くからだに成り果てた。
腰だけがまだ健常だ。
 だが、その均衡がいつ崩れるかとの心もとなさは京都の冬のような深深とし
た冷え込みと同じだけ心を寒くしている。
 歳をとるとはそういうことなのだとつくづく思う。
 やがて、寝たきりの独り者になる恐怖と闘うことになるのだろう。
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2010.12.05 みんなの遠足
 京都太秦の東映映画村へ。
 人生初コスプレ。
 小一時間かけて、結髪、メイク、衣装を東映のスタッフが整え、セット内を
徘徊。想像以上に面白かった。
 扮装は新選組。
 そのせい、というわけでもないが、夕刻、壬生界隈を散策。
 前田家と八木家を訪れる。
 壬生寺も初探訪。
 夜、京都オフィスの忘年会は、ラウンジダイニング「玻璃 hari」
 ウェイティングと2次会で「Vespa」へ。
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2010.12.04 まねき
 南座前で待ち合わせ。
「吉例顔見世興行」の「まねき」が並んでいる。
 師走の京都の風物詩



2010.12.04 年賀状制作終了
 今年もプリントゴッコで年賀状。
 宛名印刷は先般、購入したCANONのPIXUS6150のおかげで、ラベルシール印刷か
らハガキへの直接印字に切り替えられた。
 いっそ両面を印刷で・・・という誘惑もあったが、プリンターで印刷すると手
書き感が失われる気がして、やはりプリントゴッコにこだわった。1枚1枚、心
をこめて刷り上げるのだ。
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2010.12.03 運転見合わせの日常化
 最近、東京出張時に電車運転見合わせとか電車遅延の現場に出くわすことが多
い。
 ホームから人が降りたのか、落ちたのか、いずれにせよ線路内に人がいたとか、
接触事故とか、人身事故とか、緊急停止ボタンが押されたとか。
 強風や大雨ならばそれなりに我慢もするが、人がらみの事故に出くわすとつく
づくと思う。「器(都市の規模やインフラ)に対して人が多すぎ!」
 だからこその経済効果もあるのは認めるが、日常生活で公共交通機関が遅延常
態というのはヨーロッパやアメリカ、アジアの諸国はともかく日本ではありえな
かった話だ。
 高度経済成長の65年から75年頃、首都圏のホームでは、電車に人を押しこ
む「押し屋」がいたけどな。80年代もその初頭、池袋の朝の山手線はホームか
ら階段にかけて乗客が並び、1本、2本待たねば乗れない状態だった。運転本数を
増やし、埼京線を作り、バイパスの地下鉄も作り、必死にその解消をはかってき
ても結局、今の状況だ。 
(大阪でも朝の出勤時、JRは遅れるか、止まるのが常態とも言える)
 京都のイケズのよーな、よそさんに冷たい風土を培って都市部の人口上昇に歯
止めをかけたらどーだ?ちゅうのも乱暴な話か。
 京都人のあの人気も千数百年の風雪を経て生まれたものだ。たかだか数百年の
江戸では無理だし、生粋の江戸っ子と言っても、最低限3代、今なら5代くらい
か。数が少なすぎる。
 そもそも人口は減少しているんじゃないのか?
 その効果(と言うか影響)はまだ十数年先にしか顕れんのだろうか。
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2010.11.30 老母、退院
「見えるのよ~♪」
 嬉々として病院から帰宅した老母。
「お花の緑もテレビも、カーテンも、テレビもはっきり見えるのよ~♪」
 嬉しいだろう。筆者も2年前に経験したからよくわかる。
「わあ~御台所の床はこんなに汚かったのー!」
 人生には知らずにすめば幸せなことがあるのだ。 

 年賀状打ち出し用に「筆ぐるめ2010」をネットで購入、ダウンロード。
 既存の住所録(エクセルファイル)から読み込み実験。実に簡単に完了。
 さ、年賀状を作るか。
去年の今頃は・・・
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2010.11.29 老母、左目オペ
 右目のオペから3日をあけて左目のオペ。
 10:15の予定時間ちょうどに手術室の中に消えていった老母。
 40分後に病室に戻ってきた。
 元気だ。
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2010.11.26 老母、右目オペ
 東京出張から帰阪。
 手術が終われば、携帯に電話を入れろと伝えていたが、いっかな連絡が入ら
ない。
 手術は16:15だから1時間半程度は安静にしていなければならないのは知って
いる。2時間過ぎても連絡がない。何かあったかと心配し始めた頃、コールが
あった。無事、終了したようだ。
 明日からは毎日、見舞いに行ってやれる。
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2010.11.25 老母、白内障入術のため入院
 東京への出張日に入院とは間が悪い。
 幸い、この1年ほどの間にご近所のお友達に恵まれた老母。
 その中の1人が実の娘のようにいろいろな気遣いをしてくれる。
 入院手続きから、病院への搬送を引き受けてくれたので安心して大阪を離れ
る。
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2010.11.22 暖冬?
 なにかしら暖かい。
 一旦袖に手を通したコートから手を抜いた。
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2010.11.21 プリンター起動
 11月3日に購入したCANONのPIXUS MG6130 のセットアッ
プと無線LAN接続をやっとこ終了。
 先日も書いたが、加齢のせいか、こーゆー作業がますますうっとおしくなっ
てきた。
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2010.11.20 エアコン起動
 エアコンの暖房モードが初稼働。
 江坂の東急ハンズで恒例のカレンダー購入。
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2010.11.17 プリンター梱包開封
 月初に購入したプリンターの梱包をやっと解いた。
 無論、セットアップなら、まだ。
 歳をとったせいか、何事につけ、集中力に欠けるようになり、どこか億劫な
気持ちが先にたってしまう。
 年賀状作るまでには、何とかしなければ。

 家の給湯器が壊れた。シャワーがヌルいのだ。オーナーへ修理を依頼。
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2010.11.16 寒波襲来
 いよいよ寒気も本腰。
 今シーズン初コート。
 一旦、袖を通すと春まで脱げなくなっちゃうんだ。
去年の今頃は・・・
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2010.11.14 冬仕度
 扇風機を仕舞い、ガスファンヒーターを取りだす。
 クローゼットの夏冬入れ替えは完全に終了。
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2010.11.13 え?なぜこの時期に黄砂?
 昨日から時期外れの黄砂に覆われた関西。
 今日ももやっとしている。
 先週預けた夏物衣料を超巨大バックに押しこんで回収。
 ひさしぶりに、1日中、家にいて休養にいそしんだ。「いそしむ」って
「勤しむ」って書くのね。『休養に勤しむ』・・・
 う~ん、ちっとも安らいでない感じだな。
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2010.11.07 冬だ。カニだ。ブリだ。
 6日にズワイガニ漁が解禁した。
 早っ!
 地元のスーパーに浜坂漁港であがったコウバコが並んでいる。
 1パイ500円。
 初物、初物。
 さっそく購入、あしらって食びた。
 ついでにブリも買ってきて食びた。
 ブリは大根おろしをすって、七味をふって、醤油をかけて食びた。



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2010.11.06 大阪城を見るなら
 チャリで大阪歴史博物館に行った。
 思いのほかよかった。
 天井が高く、セットがなかなかに見ごたえあり。
 おまけに最上階の10階から9階におりるエスカレーターのエントランスから見
下ろす大阪城がかなりグッド。今度から、府外からのお客さんはここに連れて
こようと思ったほど。
 デジカメを持ち歩いていなかったので、携帯でパチリ。
 う~ん、人生いたるところにデジカメいるだな。



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2010.11.04 頑張れマッサージチェア
 マッサージチェア修理完了。
 すでに8年使っている。
 耐用年数は6年が目処だと修理マンが言っていた。
 でもそれは家族がいる場合。
 筆者はひとりで使っているから12、3年はもっていいのだ。
 生地が薄くなりつつあるらしい。
 生地が切れると、モミ球にからまって故障するのだそーな。
 ハラハラである。
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2010.11.03 活動の日
 充実の1日。
 クリーニング、夏物、すべて出し切る。
 夏・冬物、クローゼットチェンジ。
 梅田オフィスへチャリ。
 プリンター購入、Canon PIXUS6130。
 PC、解体完了。
 マッサージチェア故障。
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2010.11.01 寒気
 寒い。夕方、コートが欲しくなる冷え込みが始まった。
去年の今頃は・・・
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2010.10.29 逃避
 ふける!
 東京から高飛びだ。
 品川へ行ったら、駅構内でユニクロのヒートテック特設販売コーナーがあっ
た。
 準備もないままに寒いところにふけるところだった筆者には、まさに天の配
剤。
 3着購入。
 京急でエアポート快特に乗り込む。
 今までは、品川を出たら終点羽田空港だったのだが、おお!新国際ターミナ
ル駅に停車した。
 そーだ、そーだ。羽田は国際線接続になったのだ。
 第2ターミナルも心なしか、横に広がっている。大きくなっていた。
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2010.10.28 秋冬もの起動
 東京が11月下旬並みの冷え込みと聞く。
 今日は東京出張だ。
 トレンチコートは道中で持て余しそうだし・・・
 何、来て行こうか。
 とりあえず、秋冬モノのジャケットに出動命令。
 キャリーバックにオッドベストも忍ばせておこう。
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2010.10.27 ミシュラン京阪神版2011年版
 タイヤメーカーの飲食店ガイドの京都・大阪・神戸版が発売されたらしい。
 昨年、京都で行きつけの店「祇園おかだ」が☆で掲載されたよーで、その頃
から席が確保しにくくなった。
 北新地の「びんびや」もよく使う店だ。
「ひとりだけど、今日は、入れますか?」
「すいませーん、今日はいっぱいなんですぅ」
 ありゃ、時間的には滑り込めるはずなんだが・・・と思っていたら、な~ん
と新しいミシュランに☆で掲載されているとのこと。
 こりゃあ、当分、ダメかな。
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2010.10.27 気温10度!
 出勤には地下鉄御堂筋線を使っている。
 地下鉄と言うが、淀川を渡るまでは地上走行だ。
 新大阪駅前のビル屋上に空調機メーカー「ダイキン」の大看板がある。
 その看板の中に温度計がはめ込まれている。
 電車のドア脇に立って、何気にその温度計を眺めたら10度を表示していた。
 ありゃりゃ、大阪に木枯らし1号が吹く日も近いか。
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2010.10.26 北海道で初雪
 クーラーのスイッチを切ってから久しいが、いまだに扇風機は一晩中回って
いる。窓も開け放しているが、そろそろ気をつけんと風邪ひくな。今日は寒波
が降りてくるらしいし。
 札幌、5時、3度4分。昨日より10度以上低下。
 大阪は17,6度。最高予想気温は19度。
 札幌、函館、旭川で初雪を観測。札幌の初雪は去年より6日早い。
 な~んて季節だが、台風14号、沖縄に接近中。アジア名は「チャバ」。意
味わからん。
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2010.10.24 夏物衣料のクリーニング
 恒例の夏物衣料のクリーニング出し。
 昨年も10月24日だった。
 ただし、30%Offのセール期間は今年の方が遅い。11月4日まで有効だ。(昨
年は10月26日が締め切り)
 やっぱ、それなりに暑い日があったからだろうか。
 いまだに時折、半袖シャツを着て、東京のTから「オカシイ」との指摘をう
けていたが、さすがに季節の移ろいを肌に感じ始めた。
 週明け火曜日から寒波襲来との天気予報あり。
去年の今頃は・・・
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2010.10.19 誕生日プレゼント
 老母にフルオーダーでジャケットをプレゼントした。
 誕生日プレゼント。
 秋冬モノを欲しがっていたので、9月の誕生月からちょいとズレた。
 大散財。
 筆者ですらフルオーダーの服など持っていないのに・・・
 ハウンドトゥース柄が好きらしい。
 筆者のハウンドトゥースのジャケットやパンツを見るたびに「いいわねーそ
れ」と羨ましそうにつぶやいていた。(老人だから「千鳥格子」と言っている
が)
 亡父との約束だ。
 亡父が老母と約束して果たせなかった(たぶん熱心に果たす気はなかった)
ことどもをひとつずつ代行している。
 リタイヤしたとき、亡父は老母に「全国あちこち連れてってあげる」と空手
形を乱発していたらしい。
「でも口ばっかり、ぜ~んぜん連れてってくれないの。いつ連れてってくれる?
って聞いたら、今度、今度って、今度ばっかり」と老母。
 亡父にかわり筆者が老母を連れまわした。
 諏訪湖、金沢、奈良、京都は4回、明石に2回、沖縄にも連れていった。
 出不精だった亡父に連れ添った47年間、老母は、長崎と小田原にしか連れて
行ってもらえなかった。それが同居を始めた3年でその数倍の旅に出ている。
 結婚とともに家を出た筆者は、離婚してからも家には戻らなかった。
 独立の強い意思は、一人息子を溺愛する母親の過干渉に辟易としていたから
だが、それも旦那がいてこその話だ。
 映画「タイタニック」のように、老母が亡父とかなえようと思っていた夢を
全部実現させるべく、日夜闘っている筆者であった。 
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2010.09.29 富士山、冠雪
 すでに富士山は冠雪を終えている。
 6月末、沖縄に向かう機上から望む富士山には残雪があった。
 ちゅうことは、猛暑、猛暑と言ってはいても富士山が雪をはらっていたのは
たかだか3か月弱?
 北海道、大雪山系も雪。
 どんどん、夏の記憶が薄れてゆく。
去年の今頃は・・・
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2010.09.23 移ろう季節
 秋雨前線活発化。
 残暑を吹き払う雷雨。早暁から雷光と雷鳴に包まれた大阪。
 兵庫、大阪で竜巻注意報「1時間以内に竜巻の発生が予測されます」とのニ
ューステロップ
 ちょっとお手上げだった血糖値の荒波がおさまりつつある感じ。原因はわか
らない。ただ、SMBGの際、どーせ高いんだろー?という予感が薄くなり始
めている。
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2010.09.16 夏日も終わり
 東京の最高気温予想23度。3か月ぶりに25度以下。
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2010.09.09 台風一過
 北海道の朝は10度を下回っている。
 台風が暑気を吹き飛ばしたか。
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2010.09.08 台風9号
 沖縄で筆者のボートダイビングを中止にしてくれた台風9号は、その後、ジ
ワジワとゆっくり北上し、帰阪した筆者の東京出張の足にも迷惑をかけそーに
なった。 
 なんて奴だ。ストーカー台風と呼んでやることにした。
 際どく、日本海側へ抜け、無事に東京に辿り着いたが、台風から熱帯低気圧
にかわった9号に前線が刺激されたか、関東の降雨がすごかった。
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2010.09.06 猛暑日、最多
 大阪、猛暑日29日、記録をとり始めた昭和36年以降、最多。
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2010.09.03 台風9号
「遊び場」と書いて「あしびなー」
 ウチナーグチだ。
 まさに「あしびなー」の沖縄ダイビング。
 この夏最後と思って、那覇に降り立ったら、台風9号が接近中ですべてはパー。
 紅葉もなければ、雪もない。桜吹雪もない。長~い夏がある沖縄。
「赤瓦の上の三線弾き」を聞きながら、窓の外の猛烈な風雨をぼー然と眺める
午後。
 本土は軒並み真夏日。
 沖縄は29度。
 なんか避暑に来たみたい。沖縄なのに・・・
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2010.09.02 一番暑い夏
 113年で最も暑い夏。気象庁発表。
 偏西風が北に行きすぎて太平洋高気圧の勢力が日本を覆ったせい。
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2010.08.31 どこまで暑い?
 昨日まで、東京熱帯夜47日過去最多の平成6年に並ぶ。仙台も40日。
去年の今頃は・・・
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2010.08.29 カンカン照り
 14日連続猛暑日。豊中は38度越え。38.1度
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2010.08.28 残暑・残暑・残暑・・・
 今日も猛暑日なら大阪、13日連続。
 そー言えば夏休み最後の週末だな。
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2010.08.26 来阪以来、最高の暑さ
 大阪は猛暑日連続10日。1995年以来の暑さだそうな。ちゅうことは筆者が
来阪してから一番暑い夏ということだ。
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2010.08.23 処暑
 過度の飲酒を控えると、朝、きわめて爽やかに目覚める。出勤も背筋をピン
と伸ばして足取りも軽やか。たったひとつ、アルコールブロックをかけられな
い早朝空腹時血糖値だけは、抑止できない。
 処暑なのに暑い・大阪6日間連続の猛暑日。
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2010.07.17 梅雨明け
 関東甲信越までパタパタと梅雨明け。
 瞬間ドミノ倒しのように日本全国、一気に梅雨明けとなった。
去年の今頃は・・・
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2010.07.16 東京は夏空
 昨日と一昨日、京都は豪雨ですごいことになっていた。雲は西から東に流れ
る。東京出張で雨域から一旦、逃れられても追いかけてくると思っていたら、
ゲリラ豪雨だったのかな?東京は昨日も今日も太陽が眩しい。
 午前中、嫌な黒雲が沸き起こり、一雨くるかと思っていたら、強烈な太陽の
熱放射でいつの間にか蹴散らされてしまった。東京は抜けるような青空。ビル
の地平の向こうに白い積乱雲が小さく育ち、まるで沖縄にいるような感じ。
 これは梅雨明けでは?
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2010.07.10 スパイ交換
 米ソ(あ、ロシアか)で相互にスパイを交換。
 旧ソビエト時代は、KGBはすぐにスパイを処刑していたのに、ロシアにな
ってやや人道的組織になったのだろうか。
 生きたまま焼却炉に投げ込まれたスパイの話など、虚実ないまぜでそのよう
な話は流布されていた。諜報のプロのKGBが防諜に失敗するのは『ありえな
い話』なんだろー。もー、捕まえ次第、絞れるだけ絞ったら即刻死刑!
 いまや、諜報はFSB、防諜はSVRと、昔の第一管理本部、第二管理本部
は別組織になってしまったらしい。
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2010.07.08 京都の修学旅行
 新幹線のホーム。
 団体専用列車を待つ修学旅行生は喧しい。
 この時期、よく目にする光景だ。
 大阪予想最高気温33度。京都34度。天気予報嘘つかない。
 暑い。
 京都。新幹線のホームに立っているだけで背中を一筋の汗が伝い降りてゆく
のがわかる。
 6日のニューヨークは39.4度、5日は北京が40.7度、リスボン39度、1日ドイツ、
フランス、スペインで40度近く。北半球が暑い。
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2010.06.21 夏至
 1年中で一番、昼が長い日・・・と言うことだが、日の出の時間は夏至より
早い日もあったりするのが日の出、日の入りの難しいところ。
 たとえば大阪では6月15日は、日の出4:44、日の入り19:13である。
 きっと秒単位まで詰めると夏至が一番長いんだろーが。

夏至
 札幌の日の出 3:55 日の入り 19:18
 大阪の日の出 4:45 日の入り 19:14
 那覇の日の出 5:37 日の入り 19:25

冬至
 札幌の日の出 7:03 日の入り 16:03
 大阪の日の出 7:02 日の入り 16:52
 那覇の日の出 7:13 日の入り 17:43

 那覇って夏は日の出が北海道より1時間42分も遅いのに、日の入りは7分しか
違わない。つまり、昼の長さが札幌より短い。
 冬はその逆。
 なんか、だまされたよーな気になりません?
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2010.06.19 沖縄、梅雨明け
「沖縄では梅雨があけたものと思われる」
 いつものように腰の据わらないふにゃふにゃな気象庁発表。
 でも、許す!
 明けたか、沖縄、梅雨が。
去年の今頃は・・・
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2010.06.17 蒸す!
 とうとう梅雨らしくなってきた。
 息苦しさを感じるほどのモイスチャー感覚。
 湿度ならすげー高そうだ。
 嫌な感じの汗が体から噴き出し全身がしっとりと濡れたまま。
 梅雨だなあ。
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2010.06.16 東北北部が梅雨入り
 北海道を除いて日本全域が梅雨に入った。
 どこもかしこも濡れそぼつ数週間が始まった。
 沖縄はもーすぐ梅雨明けっぽいぞ。
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2010.06.14 関東・甲信・東北南部が梅雨入り
 梅雨入りラッシュ。
 九州、四国、中国、近畿、北陸に続き、我も我もと梅雨入りを急ぐ列島各地。
 今年はスクラムトライ型だ。
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2010.06.13 近畿、東海、北陸、も梅雨入り
 続々と梅雨入り情報が届く。
 沖縄の梅雨明けはいかに?
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2010.06.12 九州、山口が梅雨入り
 九州では北部が平年より1週遅れ、南部は2週遅れ。
 今年の夏は短いのだろうか。
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2010.06.11 祥月命日
 亡父の祥月命日法要をした。
 遺拝と遺影を持って東京出張。
 遺影がでかいんだ。(別に小さなものでもいいらしい)
 仕事帰りに川崎と横浜の境界にある丘陵地帯へタクシーを飛ばす。
 墓の掃除をして、花をあげる。
 線香を焚いて、手を合わせる。
 先般2月、叔父が亡くなった。
 親戚づきあいの薄かった亡父だが、弟である叔父との交流は多少あった。叔
父の逝去で亡父の兄弟4人すべてが鬼籍に入ったことになる。
 墓に手を合わせる回数も数を重ねているうちに、いつの間にか仏事が日常に
溶け込み始めた自分に気がつく。
 特別なことではなく、朝、歯を磨くような日常の一部。
 肩の力が抜けた状態。
 歳をとったってことっすね。
去年の今頃は・・・
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2010.06.09 老母のあじさい
 ベランダを密林状態にしている老母。
 同居してわかったが、彼女の整理能力には問題がある。
 スペースのキャパを考えずにどんどん物を増やすのである。
 あげくのはてに動きにくくなったベランダで植木に水をやっている最中に腰
をおかしくしたらしい。
 老人は感情のアップダウンが激しい。
 ちょっと腰がおかしくなっただけで、目一杯マイナス思考に落ち込んでしま
う。
「でも、まあ、そのあじさいの青はきれいじゃないか」
 元気を出すために、普段関心を寄せていない鉢植えを褒めてやる。
「そうお?」
「そうよね、その青は本当にきれいよね」
 ほら元気になった。 

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2010.06.01 もー半年が過ぎちゃう
 5月は「あっ」という間に終わってしまった。
 本当に「あっ」という間だった。
 今年の繁忙感は例年より大きかった。
 京都オフィスの移転があったからだな。
 ただでさえイベントの多いこの季節に、移転イベントが重なって、息抜きの
暇がなかったせいだ。
去年の今頃は・・・
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2010.05.22 寒暖
 今年の4月、5月は寒かった。3月は前半けっこー暖かかったのに後半からク
ールダウン。
 クリーニング屋も大変だ。
 例年、30%Offの冬物衣料をターゲットにしたセールは期間限定で1回きりな
のだが、今年は2回あった。
 例年のスケジュールでは寒が残って、皆が冬物を出し切らなかったのだろう。
回収しそびれた分を消費するため、第2弾のセールが5月22日までとなった。
 第1弾でほとんどの衣料を出していた筆者だが、さすがに紺ブレとパンツ、
オッドベスト2着は寒さ保険として抱えていた。
 それを全部預けて、やっと今年の衣替えが終了した。
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2010.04.30 抜糸
 抜糸のために病院に行った老母。
 手術中、睡眠剤ですやすやさせられたため、手術の痛みをほとんど経験して
いなかった。
(抜糸は痛いぞ)
 筆者は縫われたことがないので体感はしていないが、抜糸が痛いとはよく聞
く話だ。
 ちっちゃいハートを脅かす必要もないので黙っていた。

「痛いの。ものすごくいたいのよ」
 帰ってくるなり筆者を捕まえて延々と痛みを訴える老母。
「手術が痛くなかったから(そりゃそーだ。眠り呆けていたんだから)安心し
て行ったら、な~に、あんなに痛いとは思わなかったわ」
(まあ、予想通りの展開だ)  
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2010.04.29 やっとベストを剥ぐ
 26日以降もクリーニンに出さず、残留していたベスト2着、ブレザー1着、
パンツ1本だったが、今日からやっとベストを脱ぐようになった。
去年の今頃は・・・
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2010.04.23 退院
 老母、元気に退院。
 手術は思ったほどの侵襲もうけず、かねてよりあった奥歯のズキズキ感も失
せ、いたって朗らかだ。
 とりあえず、植木の水やりから解放された。
 帰宅したら、さっそくクレームをうける。
「植木鉢の置いてあるプレートに水がたまっていた」そうな。水のやりすぎら
しい。根が腐っちゃうから、すぐに水を捨てたと言っていた。
「これだから家を空けられないのよ」
 ここまでくれば、花もペットも子供も同じだな。
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2010.04.20 老母の植木
 朝、植木に水をやる。
(なんでこんなにあんだ?)
 じゃばじゃばホースでぶっかけまわしたい誘惑を必死でこらえ、ジョウロで
ちょろちょろと水をやる。
 大きめのジョウロだが何度も水を入れねばならない。
 植木の数が多いからだ。
(なんでこんなにあんだ?)
 朝の貴重な時間は過ぎるのが早い。
 いつもより1本遅い電車になる。
 筆者に園芸は今のところ無縁だということだけは確信できる毎日。
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2010.04.19 老母のオペ
 手術室には車イスで入るのがルーティンらしい。
 1年半前、筆者の白内障手術のときもそうだった。
 経験こそが共感の温床だ。
 どんなに外科的侵襲が軽かろうと手術は、手術だ。術前の患者の不安は術式
の難易度に比例はしない。筆者も簡単と言われる白内障の手術前、不安はやは
りあった。老母も不安だろうが気丈にはふるまっている。エライじゃないか。
 咳が出るから、術衣のパジャマの下にシャツとタイツを履いていきたいとの
老母の我侭は、術中、心電図をとるから駄目と、にべもなく跳ね除けられ、基
本、ボスキャラの老母も言うことを聞くしかない状況で自己主張が控えめにな
ってきた。これもまたイイことである。
 手術室の入り口までつきそい、かける言葉はつきなみなものしか思い浮かば
ない「頑張ってな」手を握ってやる。
 子熊のミーシャは手術室の自動ドアのむこうに消えていった。
 病室で帰りを待っていると、ベッドが運び出された。
 1時間後、手術が終わり老母はベッドに横になって帰ってきた。
 全身麻酔ではなかったが、点滴の中に催眠剤が含まれているのだろう。「す
ーぴーすーぴー」いびきをかいてオメメをつぶっている。こーしているうちは
可愛いもんだ。
 看護士が1時間ごとに血圧と体温を測りに2度やってきた。
 その都度、目をさますが意識は朦朧としている。「ぜんぜんひらく(痛く)
なかっらわ」と同じことをつぶやき、「すーぴーすーぴー」といびき。
 陽が沈み、外が暗くなってきた。
 ひたすら、持参した本を読む。ペットボトルのお茶やコーヒーはもう3本が空
になっている。夕刊を買ってきて読む。つきそいって退屈との戦いだ。何のため
にいるかと言えば、目が覚めたときにその場にいるためだけにいると言っていい。
 夕食が配膳されたが、起こすのはためらわれる。放置する。
 10時に来院して9時間が経過した。 
 部長と執刀医の総回診があった。
 やっと老母の目が覚め、ドクターの話を一緒に聞いた。けっこー難儀な手術に
なったらしい。切除した歯根がカラコロとプラケースの中で振られた。小さな大
名行列が去ってゆく。
「頑張ったな」ほたほたと布団の上に出された手をたたき、ねぎらいの言葉をか
ける。
 こ~れだけのために10時間いたわけだ。
「ぜ~んぜん痛くなかったわ」
 老母は元気だ。カラ元気だろうと出せる元気があるのはいいことだ。
 流動食の食事を取らせ、片付けをして病院を出た。

 翌日、さっそく電話が鳴る。
「お腹がすくのよー。梅干をあと10個持ってきてちょーだい。あとタオルを2枚、
果物も欲しいわあ」
 すーぴーすーぴー寝ていた可愛い生き物がなあ、あっという間に元に戻っちゃ
った。
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2010.04.17 雪?
 関東以北は白い。
 東京都心も降雪、1969年以来41年ぶりだって。

 入院期間3日~4日とは言え、手術はやはり手術だ。19日に迫った老母の入
院準備をしなければ。
 B型の老母はあまり真剣にものごとを考える習慣がない。
 ホテル使用が多い筆者はためこんでいた使い捨ての歯磨きセットやシャンプ
ー、リンス、ボディソープ、ボディ洗い用スポンジ、洗顔フォームなどのスト
ックを大量に消費するチャンスを得た。
「え~と、ティッシュ、ビニール袋、イヤホーン、携帯ラジオ・・・おお、ス
トロー、箸、フォークに・・・湯のみに・・・歯磨き用のコップ」
「何やってるの?」
「あなたの入院準備!」
「あら、そう」
「タオルや下着はちゃんと準備できてる?」
「それなら大丈夫」
「スリッパだ!あと小さなポット、4人部屋だったら耳栓もあった方がいいか
もしれんな」
「梅干しくらい持ってゆくか」
「紙袋もあればゴミ箱がわりになるかもしれん」

 なんじゃ、けっこう忙しいぞ。
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2010.04.15 春の嵐。真冬か?
 昨日は猛烈な低気圧が北陸、東北、北海道で猛威をふるった。
 北海道は雪まで降った。襟裳で最大瞬間風速31.5mの暴風も記録。
 今日も全国的に冷え込みが続く。
 最高気温が10度を切っている。氷点下のところもある。
 昨日、冬物衣料をクリーニングに出したが、スリーピース数着とトレンチコ
ートは手元に残しておいた。読みはあたり、少なくとも風邪をぶり返すことは
なさそうだ。今日はマフラーまで首に巻いて出勤。
 街頭にはコートなしのスーツ姿も多いが、クリーニングに出してしまったの
か、ゴリラみたいに頑強な体質なのか、皆さんなにとぞ風邪をおひきになりま
せんように。。
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2010.04.14 術前診療
 1ヶ月ぶりに1日フルの完全な休暇を。
 とは言え、休暇取得の目的が老母の術前検診のつきそいとインフォームドコ
ンセントを受けるためなので病院へ行く。
 口腔外科で嚢胞摘出・歯根端切除術の術式の説明を受ける。
 奥歯の歯根付近の膿溜まりが大きくなり、炎症を起こしやすくなっているら
しい。この切除を地元の主治医から提案され、病院を紹介をしてもらったとい
うわけだ。
 近代的な大きく明るい病院だ。
 ドクターから説明をうける。手術時間は1時間。入院が必要とのことで、3日
間の入院を提示された。退院後、抜糸のため通院が必要と聞いて「だったら抜
糸まで入院させてください」と老母。
 どこまで我儘がきくものやら。
 月曜日に入院して即、手術。終日、つきそうことになった。それ以降、術後
の状況が読みきれない。月曜日の様子を見て、介護スケジュールを計画しよう。
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2010.04.10 胸突き八丁・・・かな?
 やっと暖かくなった。
 大阪の最高気温は23度の由。
 それでもコートを手放す勇気はまだもてない。
 風邪がまだ抜けないのだ。
 1日完全に休んだのは(はて?)いつのことだったか。
 指折り数えて思い出すと・・・おお!3月14日じゃ。Hのマスタに旨い焼
き鳥屋へ連れてってもらったあの日。
 なんかすげー遠い日の花火のような気がする。
 老母の口腔外科での手術も近づいている。疲労時の炎症防止を目的として下
顎部を削るらしい。
 4泊5日の入院生活になると言っていた。初日の手術日はつきそってやらね
ば。
 家内のジャングルのような植物群への水遣りも筆者の仕事になる。
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・・・去年の今頃は

2010.04.07 邂逅
 展望台のエレベーターのように気温が上下動している。暖かかったり、寒か
ったり、寒暖の差が著しい。
 昨日は暖かかったが今日は花冷えだ。
 定例イベントで朝イチののぞみで福岡へ。昼過ぎには広島に立ち寄り、夕方、
大阪に返ってくる。
 広島のイベント会場は今回、初。
 目の前を国道2号線が走っていた。
(うほ、これを東へまっつぐ行けば、新地じゃないか)
 2国は、梅田新道(通称、梅新(うめしん))が起点だ。終点は知らない、
ずっと西の方・・・だと思う。知識は体験によって肉付けされる。生活圏を何
百キロも離れたところで日常と繋がる道に触れ、何とも言えぬ郷愁を覚えた。
 夜、「流しのヴァイオリン弾き」氏、東京から来阪。久しぶりの再会。昼に
広島で想いを馳せた新地で邂逅。
 巡り合いの多い1日。
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2010.04,06 今生の別れ
 京都行きの頻度が上がっている。
 GW明けのひと仕事のための仕込みが切迫してきたからだ。
 それはいい。
 よくないのは京都行きの電車が阪急もJRもどちらも混んでいることだ。
 朝10時。普段なら座席確保楽勝タイムだがものすごいオバチャン軍団に阻ま
れて座れない。
(いやじゃ~40分も立っているのは!)
 皆、京都の桜を目指しているのだ。
 そう言えば、今年はなんやかやと忙しくて桜に気持ちを寄せる暇がなかった。
心を亡くすと書いて「忙」。
 常套句をかみしめる。
 せめて一目なりと・・・忠臣蔵の片岡源五右衛門のように、言葉はかわせね
ど末期のひととき(大袈裟か)・・・来年、桜が見れるとは限らないではない
か。最近、めっきり老境に至っている筆者である。
 定期検診の後、東山に行った。時間がないのでベタなところで気分だけでも
補充。高台寺と円山公園を消費した。 
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2010.04.05 漢方なのね
 月1回の定期検診。
 昨日来、風邪をひきこんだ筆者は薬を処方してもらった。
 薬局で手渡された薬には「桔梗石膏」と「葛根湯」との文字が。そー言えば
今かかっているドクターの病院はもともとは漢方系だった。
 風邪薬はなんとなく西洋系の方が効きそうな気がする筆者。無論、根拠なら、
ない。ただ、「イブプロフェン」なんて単語の方が「劇的」とか「速効」とか
と親和性が高いような気がするのである。ましてや薬事法改正で市販薬でも使
えるようになった強い作用の成分云々なんて言われると、「それください!」
千円札を握りしめ、サクラのように飛びつく性格の筆者。
 黄色い痰が出たり、高熱を発したりという症状でもないし、抗生物質の力を
借りずに直せということなのだと理解。「本道」を試してみます。
 葛根湯をコーヒーに溶かして飲みながらそれでも(本当は劇的に、強烈に叩
く奴がいいんだけどなあ)なんて考えてしまうのは性?
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2010.04.04 不覚!
 鼻の奥、喉のつけ根のあたりにひっかかりを感じ強く息をのんだ。とたんに
喉奥の粘膜がぐにょりと気道を塞ぐように惷動した。
(やっちまった!)
 風邪のひきはじめだ。そして、この段階になってしまったら、市販薬で制圧
が困難なことも経験則で知っている。市販薬が有効なのは、本当にひきはじめ
の一瞬、鋭敏な観察力、注意力を総動員してはじめて「今、ここだ」とわかり
うる神の領域の業を必要とする瞬間のみなのだ。1本ビシッとしている筆者な
ればこそ可能な対処術だ。だが、今回は久しぶりに失敗。
 昨夜、料理屋で「焼酎、お湯割りで」「あら、めずらしい」なんて言われて
いたのも、そのときすでに軽い悪寒があったからだが、どうやら寒気によるも
のだと誤認していたようだ。それでも1本ビシッとしている筆者は帰宅して念
のため市販薬を飲んではいたが、おそらく半日遅かったか。
 1本ビシッとしている筆者は風邪とは疎遠。前回、それと罹患を意識したの
は、はて、何年前だったか。にわかに記憶がよみがえらないほどに疎遠。
 1本ビシッとしていても緊張状態が弛緩したときにひきやすいと言うが、今
回はあたらない。まだまだゴールデンウィーク明けと6月までに完了目標のイ
ベントがあって、これに例年のルーティンイベントが重なり、ぶっ倒れている
暇はない。
(ここは一本ビシッと気のいれどころだ)
 幸い、明日は定期検診日。
 保健医療で処方薬をもらっておこう。
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2010.04.03 いいかげんに・・・
 寒い。
 寒の戻りだ。あるいは花冷えと呼べばいいのか。そんなことはどうでもいい。
なんじゃこの寒さは。
 しまった!コートを家に置いてきてしまったではないか。季節に欺かれたよ
ーな感じだ。時代劇ならば「たばかられた!」って奴。 
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2010.04.02 混雑
 新年度が始まれば、日常が帰ってくる。
 早朝の電車が混み合うが、それも毎朝、決まった時間に起きて、毎日、仕事
をしなければならないということが、就寝時間を含めた夜の自由を失いたくな
いという学生時代の残滓を洗い流すまでの1ヶ月程度のことだ。新入社員もや
がて、折り合いをつけることを学ぶ。こんなところで頑張っても、誰も見ては
いないし、自分が参加したこの新しいレースは短距離走ではなく長距離走なの
だとわかれば、遅刻しない程度の通勤路と時間の確保に緊張の度合いを緩めて
ゆく。
 でも、今はまだ駄目。
 しかも、いつも勘違いするのだが、学校の新学期は4月1日じゃないのだ。
 昨日は、新年度を迎える新入社員や転勤組の移動のラストチャンスというこ
とで、とりあえず身の回りのものを詰め込んだと思われる大きめのキャリーバ
ッグを転がす、スーツ姿の男女の群れと、京都の桜目当てなのか超巨大なキャ
リーバッグ(新幹線の最後部座席の後ろに入りきらない!それも4人分!なん
と車両の入り口を閉塞してしまった!)を転がす巨大な海外からの観光客が新
幹線の車内と駅を闊歩していた。
 今日は、学生や子供連れの観光客がいっぱい!やはり京都を目指している。
 恐るべし春の京都。秋も同じだが。
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2010.04.01 春めき
 さすがに寒の戻りももうないだろう。気温が緩めば、気持ちも緩む。
 トレンチコートを家に置いてゆく。
 お役御免だ。
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2010.03.22 日常性の喪失
 自分がいまどこにいて、今日が何曜日なのかわからなくなるときがある。そ
のうち、自分が誰かさえわからなくなるのかもしれない。ホンに人は恒常性を
求める生き物だ。この場合は、日常性って奴か。
 東京出張の帰路、直接博多へ飛び、福岡出張が4泊5日。大阪に帰ってきたと
思ったら、翌日には東京。明日、帰阪して、明後日はまた博多だ。
 ボーッとしていると、エスカレーターの左右どちらに立ったらいいか、とっ
さにわからなくなる。(日本全国で大阪だけが、エスカレーターは右立ち。と
は言え、三ノ宮(神戸)も右立ちだ。面倒くさいのは京都。ネイティブはおそ
らく左立ちだが、エスカレーターの先頭に阪・神の人間が立つと、後続は皆右
立ちになる)
 今日も考えごとをしながら東京駅のエスカレーターに乗ったら、右立ちをし
てしまった。背後からせかされてあわてて駈け下ったのであった。
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2010.03.16 開花情報、おまけに気温上昇
 東京の最高気温21.6度。千葉・埼玉では25度以上。
 3月14日には福岡、松山で桜の開花
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2010.03.14 コート類、クリーニングへ
 寒の戻りがまだ怖い。
 しかし、クリーニング屋の30%OFFサービス期間が19日迄だ。
 今日出しておかないとチャンスを逸する危険がある。意を決してコート類を
クリーニング屋に運び込む。

 昨日、黄砂が山陰、北陸などで観測されたそうな。
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・・・去年の今頃は

2010.03.10 高知で桜、開花
 観測史上、最速タイ記録らしい。
 東京の日の出も5時台になった。
 とは言え、大阪はものすごい寒気。東京でも降雪らしい。最近、外套をトレ
ンチに換装していたのだがチェスターフィールが前線復帰。
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2010.03.03 500系のぞみ記念グッズ
 博多駅で目にとまったのは「500系のぞみバーム」。
 かなり細長いバームクーヘンの外箱は500系のぞみのフォルムを模している。
 のぞみから引退し、こだま運用になる500系の引退記念商品らしい。お値段
も500円。
 いいんじゃないでしょうか。
 もちろん購入。オフィスへの土産にした。
 マニアが多いのだ。
 無論、筆者は関係ない。 
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2010.03.02 8年目の発見 
 福岡、天神の交差点の盲人用音楽は「とおりゃんせ」。
 今の今まで聞き流していたが、ふと口ずさんで初めて気がついた。
「・・・ここはどこの細道じゃ」を受けて「天神様の細道じゃ」と応える。
 そういうことか。
 天神の交差点だからなのね。でも対面の音楽が「故郷の空」(ドリフター
ズが原曲イメージで歌った「誰かさんと誰かさん」の方がピンとくる)であ
る理由はわからない。
 イギリスの春歌のイメージを遊び心で拾ったのか、日本の唱歌のイメージ
を重視したのか、はてどちらでしょう?
 
 3/19には天神交差点で「福岡パルコ」オープンなのだ。
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2010.02.28 チリ津波
 先月、ハイチでM8以上の巨大地震があったばかりだが、今度はチリでM
8.8。
 1日がかりで太平洋を越えて津波が押し寄せてきた。
 映画の影響が大きすぎるのか、津波と言えば、ガバッと襲いかかるタイダ
ルウェーブをイメージしてしまうが、実際は、もっと重厚なエネルギー波の
ようなものなんだよね。
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2010.02.27 梅の香り
 微かな香りが空気中を漂っている。
 梅の香だ。
 万博公園周遊のチャリ行帰り、千里南公園では春を思わせる柔らかい日差
しの下、幾種類とも知れぬ梅が紅白の花を咲かせていた。
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2010.02.25 東京で春一番
 わずかに湿り気を帯びた風は、同時に懐かしい暖かさをも載せていた。冬に
退きどきを告げるメッセージをその南風が運んできたようだ。
 春の到来を予感させる一陣の風がオフィスへの坂道を登る筆者を追い抜いて
いった。
 それは毎年のように繰り返される心浮き立つ季節の行事。
 それとまったく気づかなかったが、関東圏では春一番が吹いたらしい。
 季節がまた、一巡する。人の世に何が起ころうと起こるまいと・・・
 幾世代もの間変わらずに運行するシステム。
 どーんなこともすべては過去になる。そんなことを考えさせる夕刻なんだなあ。
 今日はめらんこりっくな筆者なのだ。 
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2010.02.23 パープルシティ
 家を出て駅に向かう。
 ちょっと前までは夜明け前の漆黒が街を包んでいたが、いつの間にかこの時
間でも東の空が明るくなり始めた。やがて新御堂筋が、周囲のビルが、淡いパ
ープル一色に染まり始める。
 筆者が1日のうちで一番好きなひと時。
 日没も遅くなってきた。
 昼が長くなり、冬が終わろうとしている。
 またぞろ、電車が混みだすな。
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・・・去年の今頃は

2010.02.13 叔父の葬儀
 亡父の弟、つまり叔父さんの訃報が届いたのは水曜日の昼。
 享年80歳。兄貴より4歳長生きした。
 近親者の死は普段あまり真剣にむきあわない死生に想いを馳せるきっかけに
なる。
 末期の水を含ませ、湯灌の儀に参列して叔父さんを送った。
 横須賀の静かなダイニングバーで独り献杯を捧げた夜。
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2010.02.09 寒暖
 日の出が早くなってきた。
 札幌6:41
 仙台6:34
 東京6:35
 大阪6:50
 福岡7:09
 沖縄7:09
 東京が早いのは東京都には小笠原列島が所属しているからと先般、誰かが言
っていたが、この日の小笠原の日の出は6:13。
 気象庁発表の東京の日の出は小笠原時間ではないのであった。
 今日の予想最高気温、東京・福岡18度、鹿児島22度、沖縄24度。立春が過ぎ
たとは言え、ちと先行しすぎでないかい?
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2010.02.08 やっぱり5.9
 月に一度の定期健診。
 悪くするとHbA1C5.8だと思っていたら最悪予想すら超える5.9をたたき出した。
 む~ん。
 なるほど、あんぐらい逸脱するとこんぐらいになるのね。
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2010.02.07 鹿児島は今日も灰が降る
 鹿児島に出張。
 天文館でバスから降りたら同行のNが言う。
「なんか噴煙ぽくないですか」
 はて、確かに何やら視界にもやがかかっているようではある。風が吹けば、
吹き払われるように黒い影が地面を這っている。火山灰だ。
 冬季は海に向かって風が吹き、火山灰が市街地に降ることはないと言うが、
珍しく風向きが逆のようだ。
 小爆発を繰り返している桜島。
 大理石を使った床など微細な火山灰がうっすら層をなして、けっこう滑りや
すい。
「こりゃあ、豚しゃぶ食べていかなきゃあ、駄目だな」
(何言ってんだ筆者) 
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2010.02.06 大雪
 新潟では70センチ、十日町市では3m。
 超弩級の寒波がやってきた。
 東京も雪。
 大阪は、大丈夫。
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2010.02.04 血糖値高原状態
 糖質制限を始めて1年3ヶ月で、かなり良好な状態を獲得した。(薬は一切使
用せずHbA1Cが10.0から5.4へ減少)
 それに気を良くして、この程度はいいだろうと、4日間、無制限ではないにし
てもこれまでの抑止基準からするとかなり警戒を緩めた食生活の反動は、想像
以上に大きかった。
 ちょっと手がつけられない高原状態がその後4日間続いている。通常100~130
程度の早朝空腹時血糖が140~160。昼食前には160~170という体たらく。いや
はや、ほんとに代謝のコントロールって難しい。1年3ヶ月の節制もわずか4日
の弛緩で元の木阿弥か。(ってほどにはきっかけとなった4日間も制限を全面
解禁したわけではないんですけどね)
 今月の診断数値はある程度は覚悟しておこう。 HbA1C5.7ってところかな。
下手すると5.8もありうると見た。ま、経験値を上げたってことで、ひとつ。

 立春なのに、氷点下。東京マイナス0.4度北海道日高町マイナス27.8度、全国
4箇所で観測史上最低気温をマーク。
 北極振動が今年は特異らしい。
 北極圏と日本など中緯度地帯の気圧が相関して変動するのが北極振動。北極
圏の気圧が高くなると、中緯度地帯の気圧が低くなり、高きから低きに流れる
寒気が中緯度地域に流れ出やすくなるちゅうんだが…地球という惑星レベルで
見れば国境なんてないからな。
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2010.02.01 東京で積雪
 支笏湖では氷点下10度、札幌の街も道路ですら真っ白。旭川に至っては、乗
ってるバスの走行中の挙動が路面の雪の影響をうけて横すべりしている感覚を
体験した身で東京の降雪ニュース映像を見たら、まさに「何をやってんだか状
態」。
(勝ったな)
 実に単純に「こっちが上」感覚に支配された筆者であった。
 それにしても、12年ぶりの旭川。新駅舎を建設中。ちょっと目を離すと街は
簡単に様変わりしてゆく。
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2010.01.31 糖も上がればスイーツまで
 2日間、夜はデザートたっぷりの夕食。バケットもそこそこ食べちゃって、
おまけに朝食まで食べている。サラダやタマゴ、サクラマス、ベーコンなどは
良しとして、問題はパン。バターをしこたま塗って、チッさなクロワッサンを
2個だけにしても、デザートにフルーツ、途中、ポタージュスープなんかも出
てくる。おまけにそれが「かぼちゃ」。
 あっと言う間に血糖値が高値安定路線に。
 朝から夜まで常に160台をキープ。アルコールも注入し、散歩もしているの
で170以上にはならないが、気分はさすがにデスベレートになってくる。
 反省はしても、行動には結びつかない筆者。札幌の夜は円山町の「鮨菜 和
喜智」。
 あらあら、ビールなんかを注文して、鮨、食いまくり。
 珍しく「塩」の強いシャリでの鮨喰い。
(強いですね)と言うこともないだろうと思い、どのネタがシャリにあうか、
甘い奴、しょっぱい奴、などネタを左右にふってみた。
「このわたで握ってもらえますか?」
「ウチは酢飯が強いんで、このわただとちょっと合わないと思いますよ」
 と大将。
(ああ、やっぱり、自分の握りの傾向はわかってりんだよな)
 よかった、半可通なこと言わないで。
 帰路、すすきのに寄って、「だるま」のジンギスカン。翌日は「琴似」のビ
ストロで、あろうことかピッツァを食べちまった。でも同情の余地はあるんで
すよお。メニュー見て「自家製ソーセージとベーコンのタルトフランベ 」を
誰がピッツァだと思います?
 え、わかる? そう。じゃ悪いのは筆者。
 毒を食らわば皿までじゃないが、やけくそ気味にレモンパイまで食べた。
そりゃあ、血糖値、落ちんわ。
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2010.01.29 トラブルスルー
 新幹線が止まったらしい。
 パンタグラフの装着事故とのこと。
 普段なら筆者の帰阪の足に使う時間帯だ。危ないところだった。車内にとじ
こめられるという難を逃れたのは、この日、北海道へ行くことにしたからだ。
 事故の頃、筆者はエアーです~いすい。日ごろの善行を神も嘉したもうたの
だ。
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2010.01.24 結婚式
 最近、慶事が多い。
 今日は福岡での結婚式と披露宴に出席。
 せっかくの来福だが、スケジュールのやりくりがつかず日帰りローテ。無念
である。あまりに悔しいので、空港で寿司屋に入ってしまった。10カン食べて、
追加に3カン、ゴマサバとセキサバを食べたので良しとする。無駄な糖質摂取
だが、披露宴でもけっこうワインを呑んでいたし、焼酎も飲んだ。アルコール
ブロックで血糖値上昇を抑止。
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2010.01.16 ディザスター
 ハイチでは12日21時53分、北アメリカプレートとカリブプレートの接触点付
近を震源とする内陸直下型、マグニチュード7.0の地震が発生した。
 それから3日半。16日の時点で死者数は未定。内相や、政府高官やらが地震に
よる死者数、14万とか20万とか50万とか言っている。
 つまり、まったく状況を把握する術がないということを伝えているにすぎな
い。
 阪神淡路大震災のときのマスコミ報道で、壊滅状態の神戸の街をバックに確
認された死者数がデジタルカウントのように刻一刻と数字をあげていった画像
が印象的だった。(ドラマチックに状況を伝えたがる報道、とくにテレビメデ
ィアのこうした演出力には頭が下がると同時に度しがたさも同量に感じてしま
う筆者)。
 地震の発生時間によっても被害量は変わるだろうが(実際、阪神淡路大震災
のときは日中に発生していれば、数万人にまで死者数が増加したであろうと言
われている)、体制や統治能力、各種制度の整備によっても大きく変わる。政
情不安、ライフラインの整備などハイチの状況は、おそらく当時の神戸よりも
芳しくないだろう。天災が人災に変わりうるケースだ。
 1月17日は阪神淡路大震災の日。
 阪神淡路大震災記念 人と防災未来センターの「震災を語る」コーナーをた
まには見るのもいいかもしれない。経験者の談はなにごとによらず耳を傾ける
に値する何事かを含んでいる。
 ライフラインのストップで一番困るのが排泄という生理現象。臨時で設けら
れた簡易トイレには、山盛りの×××・・・なんて話もよく聞く。命を守った
次のステージだって現代日本人には辛いことも多いのだ。とりあえず浴槽には
いつも水を張っておこう。

 http://www.dri.ne.jp/shiryo/katari.html

 ちなみに最近映画化された「沈まぬ太陽」。
 日航123便墜落事故をモチーフとした部分もあるが、この123便の生存者の手
記もかなり生々しくて怖い。日本航空のアシスタントパーサー、落合由美氏が
非番で乗り合わせた同機の状況を語っている。
 
 http://www.goennet.ne.jp/~hohri/n-ochiai.htm

 デザスターは、人生観を変える。同時に現代日本人が失ってしまった「死生
の覚悟」みたいなものをたまに思い起こさせるきっかけにもなる。
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去年の今ごろは・・・

2010.01.15 半月なんてあっと言う間
 クリスマスなんて遠い日の花火だ。
 大晦日っていつの話?
 正月は何していた?
 まことに天体運行のスピードは早い。あっと言う間に1月も半分過ぎた。
 昔、1月15日は「成人の日」だった。
 小正月の1月15日までは「松の内」で、そこはかとなく正月モードがだらだら
続いていたように記憶しているが、それももはや遠い昔。成人式が1月の第2月
曜日になってからすでに10年が経過している。
「そもそも1月15日が成人の日・・・」なんて言いだすのは求めてオヤジ扱いを
受けたいというサインとしか汲み取られない。
 ハッピーマンデー法による1月第2月曜日、成人の日化のおかげで正月ボケで
突入した日常モードの疲労が溜まりきる前にリハビリ的に休め、かつ正月気分
を一新するきっかけになるという思わぬ幸せ効果はあるように思う。
 そもそも1月15日が成人の日だったのは、小正月のこの日に元服の儀が執り行
われていた風習によるもの。武家ではこの日、切腹の作法も教わったと言う。
 まず正しい死に方を知るのが大人だというのが侍的だ。
 潔さなんて、その意味するところが骨董品的価値観になりそうな近時の日本。
 ま、別に憂えているわけではないんですけどね。
 ちょと言ってみただけです。
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2010.01.13 大阪市内にも雪
 ランチタイム、オフィスを出れば扇町通りを舞う白い綿毛・・・と見えたの
は雪。
 猛烈な寒波に襲われた日本列島だが、とうとう大阪にも雪が降ったか。
 昨日、東京の初雪を対岸の火事的に見ていたんだが。
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2010.01.12 東京に初雪
 平年より10日遅く、昨年より3日遅かったそうな。
 大阪はまだまだ大丈夫。
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2010.01.05 寒波襲来
 寒の入り。
 寒い。
 低気圧ふたつが連星のように共鳴しながら東北上空でひとつの巨大な低気圧
になろうとしている。
 ふたつの段階でもすでに日本列島を等圧線が9本もまたいでいる。
 5本またぐと「猛烈な寒気」と呼ぶそうな。
 それが9本ですぜ。
 でも愛媛では例年より1週間早く梅が開花。
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2010.01.01 元旦の光景
 チャリで2010年のファーストラン。
 万博公園に行って、サーキットコースを周回して帰ってくる途中、千里南公
園の円形広場でひと組の親子が凧揚げをしていた。
 凧揚げに興じる親子を見たのはすごい久しぶりだ。最近の子供は凧揚げや
「はごいた」なんかやらんだろうな。
 アメリカンカイト(和凧はさすがに無理か)が思いのほか高く上がると子供
が「すっげー高っけー」大声ではしゃいでいる。やっぱ、子供は子供だ。もし
かしたら、最近は、親の方がすれてしまってこういう光景がなくなっちゃった
のではないだろうか。
 筆者は幼少時に凧も揚げたし、独楽も回した。すごろくのさいころも振った
し、はごいたも振った。花札だって切った。
 正月の空は空気も澄んで、視程も長い。六甲の山襞もクリアだ。すれ違い、
追い越して行く御堂筋線や阪急千里線の車中に人影は少なく、正月ののどかな
空気を運んでいる。年に1日ぐらいはこんなのどかな日があってもいい。
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去年の今頃は・・・

2009.12.26 黄砂と南座、師走の1日
 な~んと16年ぶりに12月の黄砂。
 九州、中国地方、黄色く霞む、霞む。

 京都四条大橋の東岸にある南座。
 毎年11月30日から12月26日まで、「吉例顔見世興行」が催される。今日がそ
の最終日。
 南座の正面に掲げられる「まねき」は役者の名前が書かれた看板。これを隙
間なく並べて縁起をかつぐ。京都、年末の風物詩だ。

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2009.12.25 ドクターイエロー
 わくら葉をすべて振り払い、裸になったいちょうの梢の先には雲ひとつない
抜けるような蒼穹が広がっていた。心が洗われるような空だ。いそいそとむか
った帰阪の足、N700系のホームに人だかりが。
(なんだなんだなんだ?)
 まっ黄っきの新幹線が停まっていた。
(ドクターイエローだ)
 東京駅のホームに停車している姿を見たのは初めてだ。
 筆者はマニアではないのでよく知らないが、新幹線走路の探査車両のようだ。
ちびっ子たちが群がっている。
 帰路、期待した富士山はもやに包まれて裾野すらはっきりとしない。上空の
雲を僅かにわって頭頂部だけが顔をのぞかせている。先般、2人の命を奪った
山。自然は人間なんか愛していないのだ。
 長良川、木曽川、揖斐川の木曽三川を超え、関ヶ原に入る。近江の象徴、伊
吹山は完全に冬景色だ。

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2009.12.24 クリスマスイブ・・・
 東京出張日にクリスマスが重なった。
 仕事だ、仕事だ。
 ラブリーであれ、ファミリーであれ、幸せな聖夜をむかえる人々の輪から目
をそらし、背をむけ、逃れる恰好の口実だ。
 好んで続ける独り者の身に、クリスマスは厄日である。日ごろ、振幅のない
喜怒哀楽曲線は、喜も怒もほぼX軸に平行な直線。喜はわずかにプラスのY軸
線上、怒はほとんどゼロの位置を貫いている。楽は、かなりアッパーなプラス
位置でこれまた振幅のない直線。唯一、哀だけが、日常でも浅いマイナス域に
あり、振幅はほとんどないながらも12月24日から25日にかけてだけカク
ッと深く落ち込んでいる。
 そんな筆者がとまる宿木は目白のビストロ「NoMiNo市」。先週のうち
に誘われ、1席を確保してあった。
「特別なメニューはなし。普段通り」というシェフの言葉とおり、クリスマス
の気配を微塵も感じさせぬ店内でいつも通りの時を過ごした。あ、でもBGM
はクリスマスソングだったな。
 それにしても、不景気のせいか時代のせいか、街のクリスマス色がかなり希
薄な感じ。
 筆者がケーキ屋でアルバイトをしていた時、サンタのかっこうで呼び込みな
んぞしていたもんだ。近所の悪ガキに「や~い、サンタ~(意味不明)」と言
われ、ひげをひっぱっられたり、背中をたたかれたりした。店が終わればそば
のスナックで飲み、売れ残りのケーキを持って帰ったあの頃が懐かしい。筆者
の青春はタイムカードに刻まれていたのだ。
 コンビニの前でケーキを売る店員を見ながら30年前の日々を懐かしむ筆者。
もはや、立派なジジイである。

「NoMiNo市」  アンキモ・タイとブリのカルパッチョ・イシガキ貝のオーブン焼き・わかさぎのフリット・マテ貝・鹿肉の芯玉ブランデーソース・
ブリーチーズ、クリーム、ブラウンシュガーのオーブン焼き


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2009.12.22 冬至
 さあ、今日を境に夏にむかってまっしぐらだ。
 どんどん日が長くなるぞ。
 今年は冬至にふさわしく滅法界、寒い。
 あちこちで記録的な積雪、最低気温を記録している。
 寒い。からだが固く縮こまるような寒気を意識したのは久しぶりのことだ。
 何かと慌しいのと来阪2年で同居の新鮮さも薄れたせいか老母も冬至だから
といって何もしていない。ゆず湯もなし。歳時感ゼロ。
 OK牧場。
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2009.12.20 米原は雪景色
 名古屋の忘年会帰り。
 関ヶ原から米原にかけて一面の雪景色。
 よーも新幹線のダイヤが乱れなかったもんだ。
 今日は、大阪の忘年会だ。

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去年の今ごろは・・・

2009.12.18 本格的な冬将軍
 早朝、まだ誰も出勤していない部屋の中はコートを脱ぎたくないほどの寒さ。
ホントに寒い。日本の上空は氷点下42度、第一級の寒気団に覆われている。
 等圧線が日本列島を5本輪切りにしていれば、猛烈な寒気ということだが、
今日は6本だ。超猛烈な寒気ちゅうことか。
 一昨日、歯のかぶせものがポロッと取れた。
 1年半ぶりに新宿のかかりつけの歯医者へ。
「インフルエンザや風邪対策にはリステリンがいい」という持論を展開するド
クターとは20年来、あるいはそれ以上のつきあいだ。筆者の顔は見忘れても、
治療した歯は忘れないだろうというほどのつきあいだ。
「最低、年に1回は歯石を取ったり、メンテナンスのために来たほうがいいで
すね」と言われた。
 実は糖質制限を始めてから、歯の調子がいい。歯茎が元気だ。
 糖質制限によって、炭水化物系デンプン質の摂取をほとんど排除したせいか、
ネバっぽい物件を口中に入れないため歯垢がたまりにくい。血中のブドウ糖も
減少し、毛細血管まで血流がゆきわたるので歯茎も元気でみずみずしいちゅう
わけだ。
 いいじゃないか。
 凍てついた寒気のせいで視界が広がっている。帰阪の新幹線から久しぶりに
爽快な青空を背景に富士山の全景を堪能した。
 一方、流石は日本海側から太平洋側への寒気の流出路、近江。いつ雪が降り
出しても不思議はないほどの鉛色の空を背景にうっすらと雪をまとった伊吹山
が寒々しくそびえていた。
 梅田の地下街、ホワイティの雑踏は今年最高レベルだ。昨夜の新宿も凄いと
思ったがそれ以上。金曜日の今日が忘年会開催のピーク日かもしれない。

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2009.12.17 新宿で忘年会
 東京のIT部門、京都オフィス、福岡オフィスの忘年会を無事にこなした。
 今日は東京の秘書室の忘年会を主催する。
 筆者の東京出張時の使用デスクが秘書室にあるのだ。大阪でさえ知られた女
性がここに所属している。筆者も一再ならず、世話になったので忘年会で1年
間の感謝の気持ちをあらわすのだ。
 新宿駅前小田急ハルクの1階(とは言っても独立した区画だが)に天麩羅の
店「天兼」がある。
 糖質制限修行僧の筆者としては、必死の覚悟でのおもてなしだ。
 恐らく1年10ヶ月ぶりの訪店にも店の大女将のお出迎えはいつもとかわらな
い。
 ここは新宿駅前にありながら、街の喧騒から完全に遮断される隠れ家的な店
なのだ。創業は明治年間、当初は四谷の大木戸の内側、すなわち木戸内(江戸
市街)にあったが今は木戸外の新宿にある。新宿に移ったのが昭和26年。今の
店になったのが昭和36年。
 昔はお座敷天麩羅を供するときだけに使っていたお座敷でいつものコースを
堪能。
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2009.12.15 チェスターフィールド出動
 寒い。
 昨夜、気持ちのいい酒にメートルをあげたせいか、久しぶりに寝坊。いつも
は4時50分に起床するが目覚めたときには7時。酒に弱くなってきたかな。
 天気予報では寒波到来を告げてたし、昨夜、トレンチでは防寒が不十分な気
がしたこともあり、いよいよチェスターフィールドコートが今シーズン初出動。
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2009.12.14 ゴチ
 新司法試験に合格したメンバーが、修習初任給が出るのでご馳走してくれる
と言う。
 心温まる嬉しい話なので、ありがたくお招きを受けることに。
 大阪西よりの福島界隈で旨い魚と旨い酒。  
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2009.12.13 博多の夜
 福岡オフィスの忘年会は「銀の桃」。
 町家を改造した店内は、ほどよく暗く、寂びがある。中は意外と広く、案内
された2階の部屋も落ち着いた雰囲気だ。中庭の木々を眺めることができるカ
ウンターのような掘りごたつ様の席もある。
 料理の品数が予想外に多く、飲み放題の飲料もワイン、焼酎、よりどりで楽
しめた。博多にはこのての飲食店が実に多い。いつもながらに感心する。
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2009.12.12 居酒屋の名は「久米」
 博多に着任した前職の同僚との会食、第2弾。
 オヤジ殺しの店、「久米」へ行った。
 突き出しの「あおさのり」が酒呑みの心をわしづかみ。白身の刺身にとびっ
こ、牛レバー、こまるふぐ、さがりカツ、テール塩焼き、ごまさば、なめろう、
焼酎「三岳」など、来れば必ずオーダーする逸品を消費しつくした。
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2009.12.11 師走なのに暖かい
 東京から博多に飛んだ。
 博多は師走とは思えぬポカポカ陽気。
 東京は意外に冷え込み、最低気温9度、最高気温13度だった。博多は最高気
温17度。
 歩き回ると、うっすらと汗ばむほどの暖かさ。
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2009.12.10 東京で忘年会
 忘年会シーズンの公式メニュー第2戦は、高田馬場で。
「地鶏地魚の和風創作居酒屋 and tokyo」。
 ロフトのような中2階と地上階の双方に厨房から直接料理を差し出せる変わ
った造り。
 やや狭い店内だが、逆に居心地よく感じるのは木造りの造作のせいだろうか。
 料理が意外やちゃんとしていてCP良し。最近、こういうダイニング系の居
酒屋が増えているよーな気がする。オイラの若い頃、居酒屋って言えば、村さ
来(むらさき)、つぼ八、養老の滝と相場が決まっていたもんだ。豊かな時代
になったなあ。戦争が終わって60有余年か・・・
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2009.12.09 名古屋
 名古屋オフィスの訪問回数は減っている。
 仕事を下ろした結果なのだが、たまにはスタッフを慰労したい。慰労したい
が店がない。訪問しないから店を探せない。悪循環だ。
 今日は、業後、密かに店探し。
 いい店をめっけたら、今度スタッフを連れてゆこう。
 新栄で発見。さっそく試す。使えそうだ。 

店の名は「壺中天」
「オマールエビとうに、コンソメジュレ・カリフラワーのクリームソース」
「ずわい蟹のガレット・ブールブランソース」
「さわら・ダシのソース」
「バルサミコのジュレ・名古屋コーチンとフォアグラ・名古屋コーチンの白肝・エゾ鹿のソーセージ」

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2009.12.07 大雪
 二十四節季のひとつ。大雪。
 季節はきっちりとリンクしている。
 寒い。
 トレンチでは防寒に不足を感じる冷え込みが始まった。
 京都の大報恩寺では「大根炊き(でこたき)」が今日明日で。
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2009.12.06 忘年会、シーズンイン
 京都オフィスの忘年会が今年の忘年会シリーズの開幕戦となった。
 ダイニングで食べ放題、飲み放題の放題コース。
 炭水化物のオンパレードかと思いきや、肉も魚もちゃんと揃って、料理のレ
パートリーもけっこう広い。頑張ってるなあ。飲料にワインはなかったが、焼
酎が各種取り揃えてあってOK牧場。
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2009.11.28 プリントゴッコで年賀状を刷ろう
 今日は、年賀状作成の日と決めた。
 1987年から続く筆者のプリントゴッコ年賀状。
 来年は寅年だ。
 いつも通りユルキャラでゆくか、たまにはタッチを変えるか。
 下絵を描いているときは無心になれる。
 た~のし~な~。
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去年の今ごろは・・・

2009.11.26 1週間遅れでヌーボー
 イタリア産のヌーボーは先々週、呑んでいた。
 初物は西を向いて食えだ。
 その意味するところは、「良薬口に苦し」・・・とはきっとちょっと違う。
 正直、意味わからん。
 で、ヌーボーと言えば、ヴォージョレー。
 BEAUjolais
 途中でフォントを変えたのに意味はありません。なんとなくかっこよさそ
うだったもんで。
 毎年、毎年、この10年で最高の出来とか何とか惹句の嵐が飛び交い、いさ
さか食傷気味の人も増えつつあり、今年は50年に一度などと言われると「い
ーかげんにせんか」とマスコミや広告業界を仮想敵国にする風潮だって顕在
化している(かもしれない)
 筆者もことさらに話題にしないことで距離を置いていたが、足しげく通う
ビストロのシェフに薦められれば飲酒やぶさかでなし。
「トレネル フィス」のボージョレーを出された。
 あ、おいしい。
 ヌーボーなのに熟成モノのような気配があって、時間がたつとちゃんと変
化しよった。
 これならアリだな。
 なにごとも「モノによる」ということで、ひとつ。
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2009.11.22 老母上洛日記
「1回行けば十分」
 老母の口癖である。
 なのに、京都はすでに5回目だと思う。あるいは6回目か。
「紅葉の金閣寺が見たいわあ」「じゃ、行くか」
 ちゅうことで京都へ。
 紅葉の季節の3連休。混雑は覚悟の上だ。とりあえず隣町(?)在住の地の
利を活かして早めに出立。アジア・欧米・自国民入り乱れるインターナショナ
ルな金閣寺を目指す。
 物件紹介の写真よりも実物の方がいいという珍しい観光資源「金閣寺」はや
はり人気がある。初めての人も多いらしい。池ごしに見るその姿にあちこちで
「Oh~」だの「わあ~」だの賛嘆の声があがっている。
 当然そこかしこでカメラをカシャカシャやっている。
 老人は昆虫と同じ。
 突然動き出すママ。
 周囲の動きなどまるで意に介していないから、仲間と写真を取ろうと隙間を
作った中国人観光客の間にばっさり割り込んで、ちっちゃいおメメにバカチョ
ンのファインダーを押し当ててバシャバシャしてる。
(他人のふりをするに如かず)
「もーいいわ。帰りましょう」
 この日のために1年前から宿を予約し、ワクワクして京都へやってくる観光
客に憤りの唸り声を絞り出させるほどのあっさり消費。
 典型的観光客むけとりあえず料理の京都駅伊勢丹最上階の「和久傳」で昼食
を食べさせ、帰阪。

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2009.11.21 「乙女」と「スプーン」と「とんばら」と。ちょっとだけ「黒百
合」
 漂泊スイッチ、オ~ン!
 金沢片町の「乙女寿司」へ行った。
 糖質制限をはじめて1年2カ月あまり。最近の血糖値コントロールは薬なん
て飲んでいないが優良と言っていい。2か月連続でHbA1cが5.5(な~に言って
るんだかわからない皆さんごめんなさい)。
 糖尿人の膵臓は、死んでしまったβ細胞と疲労して死にかけているβ細胞と
なんとか生き残っているβ細胞の3種類にわかれるそうだ。
 ほっとけば、全滅するが、糖質制限を実行すると疲労して死にかけている細
胞が休養をとって元気になるらしい。そのためか、1年2か月前より、明らか
に血糖値の上昇が抑止されている。さらにアルコールをいれれば肝臓の糖新生
(な~に言ってるんだかわからない皆さんごめんなさい)というやっかいな動
きも止まって、ある程度の炭水化物を摂取しても血糖値がさほど上がらない。
「乙女寿司」に通い始めて7年はたつ。
 昨年糖尿人との自己認識を持ったときは「もー寿司は終わりだな」などと諦
めていたが、人生なんて先のことはわからんもんだ。先週は博多の「たつ庄」
で寿司三昧だった。
 しみじみと堪能して、バー「スプーン」へ。
 NBA中部地区の顔役H田バーテンダーは札幌のバー「ヤマザキ」の国宝級バー
テンダー山崎氏の高弟。
 糖質制限のタガを少し緩めて、キウイリキュールを使ったオリジナルカクテ
ル「クローバーラブ」で口あけ。
 今日は、初めて来たときの初々しさをテーマに飲食するのだ。
「ポロ」はジンにグレープフルーツとオレンジのカクテル。「A.J(アップルジ
ャック)」はグレナデンのカクテル。いつもはジャックローズだが、今日はA.J。
さすがに糖質制限を実施して「バンブー」でしめた。 
 今日ははめをはずす。
「宇宙軒」で「豚ばら(とんばら)」を頼む。無論W(ダブル)で。当然ご飯
はとらない。ただし糖質制限の神様には目をつむってもらって生ビール中は1杯。

 翌朝、金沢駅構内の「黒百合」でいつものツマミと焼酎を。無論、時間は朝
の10時すぎ。先客は5名ほど。当然、全員酒を飲んでいる。
 午後11時をまわり、堅気の観光客が増え始めると、朝からカウンターにへば
りついているのん兵衛客はきまり悪そうにひとり、ふたりと席をはなれる…わ
けはないのであった。

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2009.11.19 暖房稼働
 昨夜、今シーズンはじめて自宅のエアコンで暖房を稼働させた。
 今朝、今シーズンはじめて吐く息が白いのを認識した。
 もー冬だ。
 東京出張。
 めっちゃ寒い。明日は最高気温が10度未満になりそうだ。
 トレンチコート、今シーズン初出動。
 トレンチの稼働時期は短い。寒さが厳しくなるとすぐに2軍落ちだ。先発ロ
ーテーションはチェスターフィールドにとってかわられる。
 それにしても、最近、トレンチらしいトレンチにお目にかからんなあ。なん
じゃ、近時はやりのショート丈のトレンチは。
 歳のせいかめっきりコンサバな筆者にとって、なんとなく許せない風潮だ。
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2009.11.15 流浪の果てに旧知あり
 木曜日は東京出張。定番である。
 寒い。
 オッドベスト、今シーズン初登板。
 東京の最高気温13度。
 金曜日に鹿児島へ飛んだ。
 暑い。
 鹿児島の最高気温23度。
 オッドベストはすぐさましまわれた。
 講演の立会が終わり、地元黒豚料理の「寿庵(じゅあん)」で黒豚づくし。
 土曜の朝イチで博多へ。同じく講演の立ち会い。盛況のうちに幕をしめた。
夜は「たつ庄」でアラづくしだ。わははははは。
「ロイヤルVespa」に行く約束を果たした。「Vespa」は京都でも博多でも糖質
制限の筆者をおもんぱかり、糖質ゼロ系清涼飲料を使ったカクテルを供してく
れる。ありがたや。
 大宰府へ行き、1年前のケチ願のお礼をして、キューハク(九州国立博物館)
で思いのほか充実した展示品を見る。朝鮮半島高麗時代の地蔵菩薩(14世紀)
が妙に気にいってしまった。頭巾をかぶり宝珠を掲げて片足を踏み下げる図式
は絵には多いが、彫刻はめずらしいとのこと。この金銅仏がめっちゃ可愛いの
である。
 9万年前の阿蘇火砕流で倒された60キロ離れた大分県佐伯市の倒木もなかな
かの物件。平成3年の台風による土砂崩れで出現したそうな。阿蘇の大噴火の
火砕流はこのとき九州全土を覆ったらしい。
 日曜の今日の夜、前職の後輩Sと会食だ。7月から福岡支店勤務になったと
のハガキをもらっていた。
 シラク元大統領、お忍びの店「鳥善」で鶏料理を堪能したあと「Vespa」へ
行った。堅気のSは日曜の夜遅くまでの飲酒に警戒の色を強め、次回は翌日
休みに日に会おうと提案された。ごめんなさい。
 明日は、用務をひとつすませて昼すぎに帰阪の予定。
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2009.11.10 術後1年
 早いものだ。
 白内障の手術から1年が経過した。
 今日は、筆者の開眼記念日。
戻る  ・・・去年の今頃は

2009.11.08 はっぴいうえでぃんぐ
 Nの結婚式。
 おめでとー。
 いい式だった。
 最近の結婚披露宴のフォーマットには晩酌人だの、主賓の挨拶だのが削ら
れる傾向にあるのだろうか。
 いいことだ。
「新郎は秀才で新婦は才媛で…」のオンパレードの祝辞はやがて泥酔した親
族のおじさんの邪気のないちゃちゃでもはいらねば歯止めがきかない。まあ、
フォーマット(形式)を格式ばって我慢するのも大人への登竜門ではあるが… 
 30年間の独身生活で得られぬ悟りの境地を結婚生活3日で得ることができ
る。頑張れN君。
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2009.11.02 寒い
 昨日、大阪は夏日だった。
 今日は一転、寒い。
 青森は初雪。
 季節はずれの寒波に襲われた日本。
 このまま一気に冬へとむかうのか。
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2009.11.01 びわいち
 初めて聞いたぞ「びわいち」
「無農薬栽培の長崎産の枇杷が一番旨い」ということではないらしい。
 チャリによる琵琶湖一周を「びわいち」と呼ぶのだそうな。
 しかもその認定をするそうな
 どの機関が認定するのかは見そびれた。

 北海道では広範囲で積雪。
 ニュース映像では旭川は完全な雪景色だ。
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2009.10.31 ハロウィーン
 いつのまにか「ハロウィーン」を完全に受け入れてしまったように見える近
時の日本。
 目に触れるありとあらゆるものがハロウィーンで彩られている。
 あちこちでハロウィーンカラー(オレンジと黒の)。
 あちことでハロウィーンフェア。
 あちこちでパンプキン(ここでは「かぼちゃ」と言うことすら躊躇われる)。
 みんな、ハロウィーンのことわかっててやってるのか?筆者は知らん。なん
じゃハロウィーンって。
 クリスマスまでは理解できる。
 バレンタインデーもかなりジャパンアレンジが入っているが定着したと認め
よう。
 でもハロウィーンまで許した覚えはない。
 軽い気持ちでつきあっていたら、いつの間にか部屋の合鍵まで作って、居座
られるようになっちゃった感じである。そんでもって「トリックオアトリート」
なんて言われるわけだ。なんか嫌。 
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2009.10.25 ひさしぶりのスーツ作り
 筆者の肩はなで肩。
 首の両脇は、脱臼したオラウータンよりもなだらか。
 そーゆー体型だと襟のない衣服で胸元が開くと、実にみっともない姿になる。
捕まった虚弱体質の宇宙人みたいに見える。
 先般、那覇のかりゆしウエア店で店員から一発で看破された。やっぱプロっ
てすごい。
 糖質制限のおかげでかなり痩せてきた筆者。
 服がダボダボ。
 せめて一着くらいスーツを作ろう(パターンオーダーだけど)と阪急メンズ
館をおとなった。
 前回、作ったのが3年前で、そのときのデータが出てきた。採寸者は一目で
違いがわかるネスカフェなプロ。
 ウエストサイズが3センチ、胸周りも2センチほど縮んでいた。
 うーん、マンダム(違うか)
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2009.10.24 衣替え
 春夏衣料を2回にわたってクリーニング屋へ搬送。
 30%割引券の期限が26日までだったのだ。危ないところだった。
 まだ秋冬ものでは暑そうな気もするが、やむをえない。明日からは、秋冬ス
ーツで出勤だ。
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2009.10.23 霜降(そうこう)
 24節気のひとつ、霜降。
 今日から霜が降りるという季節の分水嶺。
 ビンゴである。
 北海道では初霜。
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2009.10.14 リニア中央新幹線
 東京・名古屋間の開通が2025年目標ですか。
 16年後っすね。
 ま、生きているうちには乗れるかも。
 東京・大阪間は無理かもしれないなあ。
 リニアついでに・・・橋下大阪府知事は、伊丹廃止、関空存続の方針を打ち
出している。
 現状のままなら梅田から1時間弱の関空は不便極まりない(伊丹は30分)。
ただし、リニアを新設すると言っている。所要時間7分ならありだな。きっと
府庁WBC移転もからめて「府庁前駅」を作るつもりだな。
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2009.10.10 秋めいちゃった
 台風が夏の名残りをなんもかんも一切合財連れてっちゃった。
 立山では積雪。
 日本全国が冷えこんだ1日。
 こんなときこそ一本ビシッとしていないと風邪をひくのだ。
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2009.10.08 台風一過
 台風18号アジア名「メーロー」の直撃を免れた関西。前夜、老母はベランダ
のお花畑を部屋に取り込むのにおおわらわだったようだ。筆者は、東京出張日
なので台風を追いかけて東行することになった。
 JR東海のホームページは頻繁に新幹線の運行状況を更新している。9時頃
には静岡-東京間で120分程度の遅れが見られたが13時にはほぼ定刻運行とな
っていた。下りは遅れている。
 インターネットはホント便利な道具だ。
 JR東日本の運行状況も確認するが画面が表示されない。アクセスが多いの
だろうが回線の太さかサーバキャパか、いずれにせよイマイチな環境のようで
すな。
 新幹線の車窓に映る河川という河川は皆増水している。空気中のチリを吹き
散らし、洗い流してしまったためか景色がめちゃくちゃクリアだ。ものすごい
透明感。遠くまで見渡せる。山襞はくっきり。海は青緑色。
 東行きの上り新幹線では富士山はE席で見るものとの常識がある(え?ない
?)
静岡の手前、安部川を渡河する前、駿河湾にそって大きく右カーブを切るまえ、
実は富士山が駿河湾ごしに右側A席から見えるのだ。無論、筆者はマニアでは
ない。
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2009.10.03 今日は仙台
 札幌から仙台に飛ぶ。
 東北学院大でお仕事。
 昨日の北大は駅チカのお手本のような所だったがここも近い。タクシーで5分。
道ひとつ隔てた向こう側は東北大のキャンパス。
 会場は東北学院の教室を借りたが、お隣から東北大の院生もかなり参加した。
東北学院大の院生より多かったくらい。
 いいなあ、ここの人は。毎日牛タンが食べられて。


「利休」の牛タン定食
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2009.10.02 北大って広大
 東京から札幌に飛ぶ。
 機材交換の憂き目にあい、定刻より30分程遅れて新千歳にランディング。空
港での待ち合わせをキャンセルし、北大正門前でアポを取り直す。
 それにしても北大、デカシ!
 北大出身者が「(キャンパス内で)行ったことのないところがある」という
発言をしていたと聞いたが、納得である。
 真っ直ぐにキャンパスを貫く一般道のような道の果てが見えない。セントラ
ルパークのような公園がある。ここはもはやひとつの街だ。
 しかも、この広大な敷地が札幌駅から徒歩7分のところにある。
 有り得ない。
 東京駅から徒歩7分で東大があるのだ。
 京都駅の7分圏に京大があるってことだ。
 大阪駅の7分で阪大に行けるのだ。
 名古屋駅から徒歩7分で名大だ。
 博多駅から徒歩7分で・・・
 しつこいか。
 さすがは北海道、土地は有り余るほどあるってことですか。
 いいなあ、ここの人は。毎日ジンギスカンが食べられて。
 翌朝、SLニセコ号が札幌駅に止まっていた。
 でもSLの前にディーゼルが繋がれている。
 パワー不足をディーゼルでカバーしているのだろうが、コントの2人羽織ボ
クシングみたいだ。


すすきの「ビストロ・ポアーヴル」 鮭白子のスモーク、ラクレット、さんまのエスカベッシュ、プロボローネチーズ、ホエー豚のソーセージ、パスタ
 
すすきの「だるま」のジンビスカン
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2009.09.23 博多
 鹿児島から博多へ移動。
 九州新幹線の高架工事はかなり進捗している。
 2011年開業にむけてラストスパートだ。
 あと2年。
 北陸新幹線の開業は2014。日本全国がどんどん高速化されてゆく。地域経済
の事情があるだろうが、JALの路線削減に呼応して北海道内の高速鉄道化は
進むだろうか。
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2009.09.22 鹿児島は暑い
 鹿児島出張。
 空港を出たとたん、もあっ!ときた。
 大阪は涼しかったのだ。
 博多からやってきたM氏を鹿児島中央駅へお出迎え。
「暑いですねえ鹿児島は」
 汗をふいている。
 福岡も涼しかったのだ。
 鹿児島だけ暑いのだ。
 それにしてもシルバーウィークを舐めてはいけない。鹿児島の夜の店はのき
なみ満席状態だ。
 隠し札「家のじ(やのじ)」のカードをきってなんとか凌いだ。
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2009.09.21 冬日
 北海道はこの秋初の「冬日」。
 はやっ!
 朝の気温が氷点下だったそーだ。
 天気が良すぎて放射冷却が起こったらしい。
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2009.09.20 キャリーバッグ
 先般、吟味に吟味を重ねて購入したコロコロだが、稼働率は低い。
「そもそもコロコロが好きでない」という前提があるのだが、一概にそれだけ
とも言い切れぬ何かがある。
 使い勝手がイマイチなのだ。
 そんなある日、新大阪のバッグ屋で安売りをしていた。何気なく冷やかして
いたら、あっと言う間にコロコロを購入してしまったのには我ながら驚いた。
完全な衝動買い。
 運命の出会いと言ってもいい。
 軽いのである。
 ポケット数も多い。
 メインの収納スペースがフルオープンになる。
 取っ手の位置を3段階で固定できる。
 何よりも4輪なので機動力がある。
 先般購入したキャリーバックは2輪だった。不意の方向転換や改札の通過な
どで自立走行のできない構造上のハンデキャップから挙動に迅速さが欠け、
ちとイラつくことが多かった。
 今回、先般の物件に対する不満がすべて解消されている。
 ただし、ちゃっちい。手提げ部の取っ手など簡単にバリッとはがれそうだ。
車輪などいつ脱輪しても文句は言えそうにない。
 にもかかわらず気に入ってしまった。
 セールなんで1万円を切っている。定価の4500円引きだ。ま、安いん
だから消耗品ということにして対峙することにしよう。


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2009.09.19 ママと一緒に奈良へ行こう
 最近、放置していた老母を奈良に連れて行くことにした。
 たまに一緒に外出しないと老母の「今」を把握しそびれるという背景もあ
る。
 奈良と言えば、東大寺だ。
 そして鹿。
 老母は鹿を見たくてたまらなかったのだ。
 希望通り、鹿に触れて大歓び。
 東大寺の圧倒的な存在感にも感動した様子だ。
 しめしめ。
 老齢になれば、信心も進む。仏を見ればところかまわず手を合わせ、賽銭
箱を見れば小銭を撒き散らしている。蝋燭も立てる立てる。大仏殿の周囲4箇
所で金を払って立てまくる。
 老母の「今」も確認できた。
 来阪当初より、距離が稼げなくなったよーな気もするが、段差の高い石段
が多かったせいかもしれない。
「一度、奈良に来たかったのよ」
 お得意のフレーズの前フリが始まった。
「もーこれで、いつ死んでもいい」
 出た。
 筆者も旨いものを食べたときに多用するが、老人が言うとシャレにならな
い。マジなのか感動の表明なのかわからないのである。 
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2009.09.12 高松・岡山日帰り出張
 ひさしぶりの取引先出張。
 せっかくの瀬戸大橋渡橋だが、雨天では喜びもいまひとつ。
 岡山、高松間を結ぶ「快速マリンライナー」のダブルデッカー車は、2階
がグリーンで1階が指定席。料金は950円対510円(乗車券除く)。
 1階席は、当然位置が低い。ホームを通過するときホームに立っている人
のつま先が目の前にある。
 ちょっと嫌な感じ。
 高松では滞在4時間、岡山は滞在3時間。
 仕事だから当たり前だが、何することもできずに帰阪。
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2009.09.04 八戸の夜は「ほむら」
 八戸駅前の和食料理「ほむら」は若い大将がひとりで切り盛りするけっこ
ーめっけもんの店。
 たぶん料理は3000円くらいじゃないかなあ。筆者は焼酎の代表銘柄を6杯
ほどこくこく呑んでしまったので8000円ほどの会計だったが、コストパフォ
ーマンスはめっちゃいいよーな気がする。



八戸「ほむら」 上段 しめ鯖・さるなし(キウイ科。さくらんぼを小さくしたチェリーみたいな緑の実)、いかの肝醤油、さんまのつみれ汁、かにのほぐし身とかにみそあえ、アナゴごはん
下段 サワラの南蛮・なすの炙りにみょうがと味噌を挟んでいる・あまだいの焼き、

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2009.09.02 気象庁前言撤回
「中国・北陸、梅雨明けを特定せず」
 夏がなかったということか。
 なかったことにされた梅雨明けなど、かつて存在しただろうか?せつない
なあ。
「東京は猛暑日なし」
 猛暑日は最高気温が35度以上の日。
 熱中症を心配しなくて良かったかもしれないが、なければないで寂しいの
はワガママか。
「北日本は日照不足、西日本は大雨」
 夏が夏らしかったのは沖縄だけということだ。筆者の体験からもそー思う。
 ふと、足元を見れば、はだしの足にうっすらとサンダルの跡。
 夏の想ひ出が消えかけていた。
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2009.08.31 衆院選
 夏休みも今日で終わり。
 学生・生徒の皆さん、哀しいでしょう?寂しいでしょう?せつないでしょう?
 さ、大きな声で呼びかけよー。
「さよ~ならー夏休み子ちゃーん」(by湘爆の1シーン)

 夏の終わりとともに戦後民主主義の歴史にひとつのピリオドが打たれた。
 自民、歴史的な大惨敗。
 民主、歴史的な大勝利。
「大」の字をつけていい客観的事実など、そうそうあるものじゃない。マスコ
ミが視聴率を上げるために旧大本営さながらにあおりまくる昨今の状況におい
てすら、今回は事実を正しく伝えている。
 堅牢かつ非効率、驚異的なまでの自己保存本能を備えた官僚機構をコントロ
ールできると思っている民主党の手腕に大期待である。
 筆者の個人的な見解だが、戦後日本を駄目にした筆頭官庁には「文部科学省」
をあげていただきたい。そんでもってバッサバサにぶった切ってくれたら、未
来永劫、民主党に票を投じよう。
 それにしても、引退した小泉元首相、たしか「自民党をぶっ壊すつもりで云
々・・・」と言っていたよーな記憶がある。発言時のシチェーションも文脈も
おさえずにとりあげるのは遺憾とするが、ある意味、本当にぶっ壊しちゃった
んだなあ。
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2009.08.29 健康診断前
 健康診断が近づいてきた。
 調整期間に入っている。
 去年は検診前3週間の間、3日しか飲んでいない。
 今年は糖質制限という新しい方法論を採用しているので若干気持ちが緩い。
 検診前10日間で酒食は1日だ。
 ただし気持ちは緩いが、効果はでかい。
 ・・・はずである。
 健康診断9月2日(水)。 
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2009.08.27 秋めいた
 大阪の日の出の時間は、はや5時半に近づいている。すでに筆者の起床タイ
ムより遅い。
(札幌は、まだ4時台だが)
 朝、夕の乾いた空気が秋の気配を忍ばせ、このあいだまでの肌にまとわりつ
くような湿潤性の高い炎暑が記憶の中だけの存在になりつつある。
 季節が巡ろうとしている。
 こーとなれば朝は、早く寒く暗くなってほしい。
 理由は単純、電車が空くからである。
 最近、勤労意欲に燃える早起きが増えたのか、始発駅の人口が増えたのか、
電車に座れないことがままある。これでは首都圏と同じだ。大阪でまで6時10
分の電車で立ち乗りはしたくない。
 冬になれば、この時間は暗い。暗いと人が減る。人が減ると座れるというわ
けだ。
 ・・・ということは、日の出の時間で生活サイクルを変える人がいるという
ことだ。
 筆者にとって、夏と冬で生活習慣をかえる人がいるというのは実は了解でき
ない不思議な話なのだが。
戻る 去年の今頃は・・・

2009.08.19 ボルトに筋肉痛はないのか
 16日、100mで9秒58の世界新記録で優勝したウサイン・ボルト。
 1日おいた18日には200m予選でランニングのような走りで1位通過。
 先般、大山登山で人生最悪の筋肉痛にみまわれた筆者の素朴な疑問。
 世界で一番早い走りをしよーものなら、翌日から1週間は筋肉痛で動けなく
なるんと違うの?
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2009.08.18 夏の消費
 夏らしい夏とはちと言い難かった今年の夏。(すでに過去形か?)
 不完全燃焼気味の世間の不満をよそに筆者は堪能した。
 ついていただけだが、ちゃっかりと開けておいた夏への扉のおかげだ。
 6月末、雨に濡れそぼつ本土を離れ、梅雨明け翌日の宮古島に降り立ったの
がよかった。
 夏の始まりを体感できた。
 そして今日、蒼い空と碧い海、島よりもでかい入道雲、夏が夏らしい装いの
景色を堪能して沖縄から帰ってきた。
 オープニングとエンディングをしっかりとおさえた充実感が夏を消費した実
感となっている。今後、この作戦を継続したいなあ。 
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2009.08.06 ヴォイスレコーダー
 愛用のヴォイスレコーダーがポシャッた。
 再生ボタンを押しても、録音ボタンを押してもウンともスンとも言わない。
 ヴォイスレコーダーとは手のひらに収まるミニサイズのデジタル録音機のこ
とだ。筆者は1998年から愛用している。
 使用目的はほとんどが出納記録と飲食記録、ほんのちょっとだけビジネスシ
ーンの備忘録。
 重宝している。
 98年の初代から数えてすでに3代目。
 その3代目が逝ってしまった。
 初代はソニー。
 2代目は名も知らないパチモン。
 このときは世代を重ねるごとに図体がでかくなってゆく業界の動きに反発し
て、最小サイズにこだわったのだ。
 3代目はオリンパス。
 今回新しく購入した4代目は、やっぱりオリンパスになった。
 どーやら、ヴォイスレコーダー市場はオリンパスがイチオシのようだ。筆者
もそー思う。
 機器の発達は目まぐるしい。
 集音マイクの性能が格段に向上している。
 雑音をあまり拾わない。
 ポシャッた3代目は、チャリンコ走行中に録音すると風切り音がやかましく
て聞き取れなかった。4代目は先般の京都行で性能向上の一端ををまざまざと
見せつけて、いや聞かせてくれた。
 筆者が3代目の物件を買った後、オリンパスは、後継機をキャップをはずす
とUSBになる外部入力型のUSBメモリーのようなものにしていた。その段階でマ
イク機能も格段に向上している。筆者はこれが欲しかったのだが、思いのほか
3代目が長生きしてしまった。
、その間さらに世代交代が進んで、機器本体をUSB化する仕様はお蔵入りになっ
てしまったらしい。ソニーの一部機種を除いてUSBケーブル接続型がスタンダー
ドだ。
 ちょっと、残念。 
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2009.08.02 梅雨明け
 近畿・東海でようやっと梅雨が明けよった。
 8月にまで梅雨明けがもつれこんだのは観測史上2回目らしい。
 前回は2003年だと言うから、結局は最近の現象だ。温暖化だろうな。
 いずれにせよ、梅雨明けの遅れが筆者の季節感喪失を招いているよーな気が
する。
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2009.07.28 梅雨が長い
 梅雨はまだ明けない。
 いつの間にか、祇園祭りの山鉾巡航もおわっている。
 四条通りがガラガラだ。
 今年は、夏祭りには縁がなかった。
 あちこちの花火大会もたぶん、ロストするだろう。なんとなくそ~んな感じ
である。
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2009.07.22 パラレルワールド
 皆既日食の日。
 完全にロスト。
 世間の出来事からどんどん遠ざかっている筆者。
 毎週末、発生するビジネスイベントのせい?
 同じ時代を生きているとはとても思えん。すでに涅槃に足をひっかけていな
いか?
 東京のTのオヤジさんの通夜。
 筆者も4年前にオヤジを亡くした。Tも当分、慌しいことになるだろう。
戻る

2009.07.14 関東甲信越、梅雨明け
 いいのか?明けてしまって。
 あまり雨が降らなかったような気もするが・・・
 渇水の心配はしなくていいのかしらん。

 関西の梅雨明けはいまだ。
 でも連日、暑いし、雨も降らんし、いいんじゃないか、明けたことにしても。
 キュイキュイいう声が部屋ですると老母が不安そうな声で訴える。
「そりゃあヤモリじゃ」
 どれどれ。
 雨戸の上部に発見。
 やっぱヤモリだ。
「追い出してちょーだい」
「駄目駄目、ヤモリのいる家は縁起がいいんだ。家を守ると書いて「家守」と
いうくらいだからね。虫も食べてくれるからこのままにしておきなさい」
 わかったよーなわからないよーなことを言って安心させる。
 
戻る ・・・去年の今頃は

2009.07.12 九州南部、梅雨明け
 九州は、けっこー降ったよーな気がするな。
 あれ?あれは沖縄だっけか?
 いずれにせよ夏本番だ。
 東京オフィスからHが来阪。
(実は、昨日は福岡で福岡から来たのだが)
 東京からの客人は「串八景」でおもてなしが基本。
 新幹線終電までの時間、創作串揚げを食べつくす。
 今日も元気だ。完食だ。
戻る

2009.07.11 福岡土産
 昨日の土産モノ話の続きだが、福岡の夏の土産物は如水庵の「ブドウ大福」
と決めている。
「ブドウ大福」の発売時期は7月上旬から9月中旬まで。期間限定のブツなのだ。
 帰阪の前、博多駅デイトスに向かったら、な~んと工事中で閉鎖されている。
九州新幹線博多乗り入れにあわせて駅ビルを大改装しているのだ。
(あわわわわ)
 慌てんでも宜しい。
 デイトスの隣のマイングにも如水庵はあるのだ。
 先般、出張で入福した大阪オフィスのKが如水庵の「トマト大福」なるもの
を目撃したとの情報を得て、密かに狙っておったが、すでに姿はなし。幻の一
品となってしまった。
 ブドウ大福は大々的に展開していた。
 もちろん購入。

 昨夜は「久米」のあと、「バー・ベスパ」に行き、さらに「ロイヤルベスパ」
にも行ってしまった。
 ややふわふわするからだをシートにあずけたら・・・爆!
 瞬間的に新大阪についていた。
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2009.07.10 行脚の果てには居酒屋あり
 福岡へ飛んだ。
 大阪から行くときは「551蓬莱の豚まん」が土産の定番となっているが、東
京からは何買ってこ?
「東京バナナ」はレギュラーも黒もすでに消費済み。
 ご当地土産にご当地消費なし、と言うが(言わんか?)多くの地方土産はそ
の地方の人がまったく食べない物件であることが多い。
 土産は駅で買うのが一般的だから、駅で無理やり名物を作っちゃえば、言っ
たもの勝ちなのだ。
 東京バナナなんか最たるもんだろう。筆者は東京在住時、お遣い物でもらっ
た経験はゼロ。自ら求めて買ったこともない。ちゅうか、スーパーやコンビニ
では扱ってないし。
 たぶん、「白い恋人」を食べてる札幌っ子や「萩の月」を冷蔵庫に蓄えてい
る仙台っ子もおるまい。はて、「ちんすこう」はどーなんだろう?ウチナーは
大好きなの?京都っ子は月に一度は「八つ橋」を口にするのか?名古屋人は
「ういろう」を食べねば夜も日もあけないのか?興味は尽きることがない。大
阪人はちゃんと551を食べている。
 閑話休題。
 筆者の東京土産イチオシは、JR八重洲南口そばの駅ナカにある「ガトー・
ド・ボワイヤージュ」の「とろけるシブースト」。
 ただ、この店、横浜馬車道にあるらしく、正確に言えば横浜土産になっちゃ
うんだけど、そこのところは、ひとつ。
 今日は、新宿で途中下車してサザンテラスに寄った。「クリスピークリーム
ドナッツ」を買い求めるためだ。一時、大行列を成したらしいが、最近は比較
的空いている(旬が終わったってことか?)。それでも福岡には出店していな
いからいけると踏んだ。実際、糖質制限修行中の身なれど、購入時、サービス
で1個もらうグレーズドドーナッツを酒の力を借りて夜陰、密かにむさぼり食
っている筆者はけっこう好きなのだ。
 アソートダズン(このダズンって響きがなぜか脳裏に住みついて離れない。
違和感だしまくりじゃないか)を購入、ガサガサいわせながら機内に持ち込み
訪福。
 オフィスの食いしん坊姫Mは、さすが、既知であった。しかも韓国で食べた
そうな。脱帽の食いしん坊ぶりである。
 今宵は、オヤジ殺しの居酒屋「久米」を半年ぶりに訪れて食いまくり、飲み
まくるのだ。
 
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2009.07.09 行脚の途中にビストロあり
 今日は、大阪オフィスを皮切りに京都、名古屋、東京と渡り歩く旅がらすの
日。
 分刻みのタイトなスケジュールなので休まらない。明日は東京から福岡へ飛
ぶ。
 東京のIT部門のスタッフを連れて目白の「NoMiNo市」へ。
 近時、目白で見つけた筆者好みのビストロ。
 それにしてもたかが一駅なのに、高田馬場と目白の街の雰囲気の違いはどー
よ?
 やっぱ「バンカラ早稲田」と「ごきげんよう学習院」の違いってことっすか?
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6月29日 逃亡
 毎年、4月から7月中旬までなんかしらのイベントが毎週末にあり、休みを削
る日々が続く。
 溜まった未消化休日を捨てるのは大嫌いな筆者。
 隙間を見つけて逃亡だ!
 本土は全域で雨。
 777-200は伊丹を飛び立った。
 途中、間近の下方にJAL機を見た。高度が違うが死角になる下方で同方向
に飛んでいる機影を見るのはあまりいい気持ちではない。
 不安な気持ちで下を見ていたが、5分後、急速に左方向に離れていった。やっ
ぱ、小さなニアミスじゃなかったのか。
 ランディングしたのは那覇。沖縄は快晴。最高予想気温は32度。
 昨日、28日に梅雨明けしたとのこと。
 引きが強いぞ筆者。
 そのまま宮古島へ乗り継ぎ、八重干瀬(やびじ)でダイビング。
 透明度は20mほど。
 癒された。
 
戻る ・・・去年の今頃は

2009.06.28 荒天
 鹿児島から帰阪するとき、鹿児島は全域が大雨注意報に覆われていた。さら
に雷警報のトッピングも追加。あらあらと思っていたら裏ドラは竜巻注意報だ。
 帰れるのかしらん。
 帰れた。
 大阪は曇天。
 伊丹から速攻でオフィスに戻る。同行の演者の講演まで1時間しかないのだ。
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2009.06.26 梅雨明けはまだか?
 梅雨はどーなっている。
 東京も暑い。今日は初の真夏日になりそうだ。
 大阪ではもう何日か経験している。
 その割に沖縄の梅雨明けが遅い。
 昨年は6月17日にはあけていたぞ。
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2009.06.19 法要
 早いもので亡父の5回忌法要を菩提寺で実施。
 回忌は1年加算計算だから、死後4年が経過したということになる。
 法事には疎かった筆者だが、それなりに経験値をあげてきたこの4年。
 実家に母がいた2年前までは家に僧侶を招いての法要なので、筆者は大阪か
らのお客さん感覚ですんだ。当事者意識は希薄。
 母を大阪に迎えた2年前から、筆者が寺に赴き供養してもらうことになった。
そーなると何をどー準備していいか皆目わからなかったが、今年は大丈夫だ。
 寺の最寄り駅の高級スーパーで、日本酒を2本こもかぶりにしてもらう。フ
ルーツのバスケットを選び、皆でわけられるケーキを一箱。すべては供物とい
うことになる。
 筆者、この「供物」の行く末を知らなかった。
 供養が終わるとお寺で消費するんですね。「こちらで供物は準備しましょう
か?」と言われた理由もそれで合点がゆく。そのせいか見得も手伝い日本酒は
八海山、菓子はブランドもののバームクーヘンを選ぶ。
 墓掃除につかうスポンジと歯ブラシ、線香に火をつける100円ライターを購い、
タクシーで乗りつける。(花と線香はお寺で準備できる)
(手馴れているなあ)
 自画自賛である。
 3回忌や7回忌、13回忌のようにあらたまった区切りではないので祥月供
養ということになり、筆者ひとりだけ。ゴージャスなお堂で、ひどく声質のい
い僧侶の読経にあわせ、持ち込んだ位牌と遺影を前に手をあわせる。
 浮ついた人生を送っている軽薄な筆者だが、死者にむきあうときくらいは真
摯になることがあるのである。
 つまり、年に1回だけっす。
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2009.06.16 1年半ぶりに乙女寿司
 糖質制限修行中の身なれど、もー我慢できんもんね。
 ふける!
 半休をとってサンダーバードに飛び乗った。
「切り札は最後までとっておくものだルパ~ン!」
 精神状態を日常の賦活モードから鎮めねばならない。いつもながら、これに
は時間と距離が必要だ。生活圏を離脱しなければ求める精神の安定は得られな
い。敦賀のあたりでやっと解放された。
 夕景が美しい。
 駅からゆるゆると歩く。
 北国新聞の社屋が夕日をあびて赤く染まっている。薄暮をむかえるこの時間
を筆者は愛する。
 片町まで歩き、宿に荷物を放り込んだら「乙女寿司」に行くのだ。
 明日は大阪に帰らねばならぬが、朝イチの10時に「黒百合」に行く。おでん
と固豆腐、ふぐの粕漬けで焼酎を飲んでサンダーバードの中でコテンと落ちて
帰るのだ。
 そーなのだ。わははははは。
 筆者はいま金沢にいます。探さないで下さい。
 
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2009.06.07 今度は腰痛
 腰痛が痛い。
 どよよ~んと痛い。
 立っているより座っていたくなり、座っているより横になりたくなる痛みだ。
 筋肉痛の次は腰痛か。
 とほほほほ。
 それにしても原因がわからん。
 筆者はこれまで腰痛とは縁遠い人生をおくってきた。
 歩いてもビンビンと脊髄に響くような腰痛は過去に1回だけ。
 縄跳びをしたときだ。
 運動神経があちこちで切れている筆者にとって、縄跳びは危険なスポーツだ
った。
 ドスンベタンバタン、足のクッションを利かせられずに地面へ着地(と言う
か落下)する衝撃で過重な体重が脊髄に衝撃を与えたらしい。
 あのときは走ることもままならなかった。
 しかし、今回はそんな上下動をした記憶が・・・
 あった!
 乗馬だ。
 早足のときだ!
 あぶみの上に立って座っての体重移動ができなくて、ずっと鞍上に座ってい
たのだ。
 早足の馬の上下動をすべて尻でうけとめていたのだ。
 きっとあれだ。
 それにしても1週間はたっているのに・・・
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2009.06.01 過去最高の筋肉痛
 筋肉痛が痛い。
 痛い。痛い。痛い。
 過去最高の痛さだ。
 筋肉痛マーックス!
 原因は土曜日の大山登山以外に考えられない。
 太ももがまったく上がらない。
 靴下を履くのもままならない。
 階段なんか上りも下りもできん。
 自宅から会社まで完全なバリヤフリーコースで出勤。
 一端、オフィスの椅子に座ったら、終日、立ち上がらないことにする。
(太陽にほえろのボスになるのだ)
 結局痛みは3日続いた。
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2009.05.24 ハッピーうぇでぃんぐ
 辣腕弁護士S氏、華燭の典。
 理と智の女神様の祝福をうけて生まれてきたとしか思えん彼が、とりあえず
全面降伏型に幸せ光線をビシビシ放っている。
 家内では奥さんを持ち上げておくのがピースキーピングの基本だが、意外と
本心から鼻の下が伸びているようにも見受けられるが・・・
 末永くお幸せに。
 最近、筆者のまわりで慶事が多くなってきた。
 年齢的には弔事が続々と、いう感じなのだが、逆なのはいいことだな。
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2009.05.22 免疫
 CDC(アメリカ疾病対策センター)が、『1957年以前に生まれた、現在52歳以
上の世代は新型インフルエンザに対する免疫を持っている可能性がある』との
見解を発表したとネットサーフィン先のニュースやドクターのブログにあった。
 筆者は1961年生まれ。
 惜しい!
『CDCが今回の新型インフルエンザによる入院患者164人を調べたところ、患者
は5歳から49歳までがおよそ7割を占めており、また、60歳以上の血清の多くが
新型インフルエンザへの免疫反応を示したという』
戻る  ・・・去年の今頃は

2009.05.21 大阪へ、そして東京
 朝イチで慌ただしく帰阪し、ひと仕事片付けてから東京へ。
 ひさしぶりにボンバルディアに乗った。
 レシプロ機はやっぱ緊張するなあ。
 東京では目白に宿をとった。
 久し振りに行きつけのビストロに行って癒されることにしよう。
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2009.05.20 博多へ
 博多へ出張。
 仕事を持ち歩きながら、昼から博多で執務。
 夜はオフィスの歓迎会。
 う~ん、やはり博多はよかところばい。
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2009.05.19 もーいいだろう
「緑地公園」6時11分発「なかもず」行のいつもの乗車口に、新年度になって
から見かけるようになった女学生の姿がない。
(あ、休校なのね)
 インフルエンザが猖獗を極めている関西では学校の休校が相次いでいる。
 大学受験予備校も早々に休校を決め、大学も幾つか休校を決めた。
 三宮、大阪は顔を白く覆ったマスク軍団が闊歩している。
「弱毒性」と「季節性インフルエンザ」という新しいキーワードが現れ始めた。
 今回の騒ぎは初動はともかく、近時の動きはマスコミも含めて社会的な反応
が率直に言わせてもらえば明らかに過敏でありすぎる。過剰ですらある。
 いかにも日本的と言っていいだろう。アメリカでああいった騒動が起こって
いるとの報道は見かけない。
 筆者の個人的見解だが、弱毒性のインフルエンザとの認識を持った国が、強
毒性のより危険なウイルスが発現した場合の防疫、隔離処置に関する絶好のシ
ミュレーション機会と見て、これを利用したのではないかと思っている。
 もういいだろう。いつものインフルエンザの季節の対応に戻したらどうだ? 
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2009.05.12「寿庵」三度
 鹿児島出張。
 京都オフィスのOを帯同。
 大阪での会議終了後、午後の便で鹿児島に赴く。
 はじめての鹿児島と言うOを「寿庵」に連れてゆく。
 名物の「塩しゃぶしゃぶ」を頼む。
 6種の塩をだしに入れて食べる。
 塩の種類を変えるときは、それまでのだしをすてて改める。
 筆者はゴマとポン酢のレギュラーの方が好きだが、初見の客はまず塩しゃぶ
しゃぶだ。
 聞けば、塩しゃぶしゃぶもレギュラーも肉は変わらないと言う。ただし、テ
ーブル中央に据えるだしが異なるため同席者が違うしゃぶしゃぶを頼むことは
できない。
 ちゃっちゃと「塩しゃぶしゃぶ」を食べて次いでレギュラーを注文。
 カツもステーキも冷しゃぶも、堪能しきって店を出る。2軒目は「ハイブリ
ッジ」。京都のバー「Vespa」で紹介してもらったオーセンティックな店。
今日で2回目だ。オーナーバーテンダーのT氏は今日初めてお会いすることに
なった。
 翌日の昼は、初めての店、「吾愛人(わかな)」天文館本店で「トンカツ定
食」。
 嗚呼、糖質制限の神様、お許しを。ご飯はもちろん残しました。

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2009.05.07 台風
 台風1号が発生。
 早いなあ。でもマダマダ空気はひんやりしている。
 5月になっても涼しい日が多い今年、冷夏の気配か?
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2009.05.04 朋あり遠方より・・・
 東京からSちゃんとN来阪。
 GWを利用して格安バスツアーでの旅。
 最終目的地は「鞆の浦」らしい。行きは3列シートだが帰路は4列の一般バ
スタイプ。
 筆者には想像もつかない体力勝負の旅だ。
 夕方、東京を出た2人は今朝、大阪へ。そのまま斑鳩の里を巡ってきた。
 筆者には想像もつかない体力だ。
 とりあえず「串八景」で完食し、筆者の自宅に泊まってもらう。こういうと
きは風呂が最大の御馳走だ。
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2009.05.03 園芸家の反応
 今年は、カレンダーの関係でオフィスの年中行事が4月29日でエンディン
グとなった。例年5月3日までは必ず行事があるので、GWにはとんと縁がな
かった。GWあけの日曜も2週にわたって行事が続くので4月から5月はかな
りあたふたするのである。
 5月3日の日曜、家でほけほけしているなんてめずらしいことだ。
 ベランダの老母の鉢植え群の上にちょーちょが飛んでいる。
「おーかわいいやんけ」と筆者の反応。
 老母は顔をしかめて言う。
「嫌だわ」
 ちょーちょは害虫なのだ。
 老母、完全に園芸家目線。
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2009.05.01 コロコロ顛末記
 とうとうコロコロ購入。
 キャリーバック否定派急先鋒の筆者もさすがに過積載のバッグを体重に加算
して歩き回るのに疲労を感じ始めた。
 歳である。
 節を曲げてコロコロを買うことにした。
(通行人の邪魔になるんで嫌なんだがなあ)
 今までの旅経験のすべてをここに束ね、商品の吟味をする。
 旅の七つ道具(爪切り・マイ箸・風邪薬と塗り薬・耳かき・カフスボタンと
ピンホール・靴べら・携帯とデジカメのバッテリー)がひとつ所に収まらねば
おさまりが悪い。本やデジカメ、アイポッドはサイドポケットに入れたい。衣
類と書類・パソコンは別々でなければ、パソコンを取り出すたびにパンツが現
れるのは具合が悪い。
 つまりポケットが多くて収納の分別ができることが大前提だ。
 漂泊の旅で地方に行くとエアの機材が小型であることが多い。小型機は天井
の収納庫が小さかったりする。バッグを押し込むためにはソフトタイプでなけ
ればならない。
 雨には弱いが、詰め込みに耐えられるのもソフトタイプのいいところだ。
 引き付けの利く4輪を選びたかったが、そのタイプでホイール交換ができる
ものがなかった。タイヤが最も消耗する部品だろう。交換可能が大前提だ。そ
して音が静かなものに如かず。
 以上の厳しい審査を潜り抜けて筆者の手元にやってきたキャリーバッグ。
 デビューはいつになることやら。
 東京出張のお供は今まで通りのバックだったりしている。
 だって、腕の筋肉使うことがほとんどないんだもの。せめて鞄を持ち歩いて
筋力維持しないと腕がなまってしまうのである。
 
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去年の今ごろは・・・ 

2009.04.30 IT部門の慰労会
 豚インフルエンザは「フェーズ5」に。
 封じ込めは初動期から失敗しているので、世界的感染は間違いなしというこ
とか。

 東京のIT部門スタッフ慰労で中国料理「歓」へ。
 フカヒレの姿煮を始めて食べる子もいたりして初々しいものである。
 甕開けの紹興酒を少しだけのつもりだったが、久しぶりの旨さにけっこう呑
んでしまった。(嗚呼糖質制限の神様ごめんなさい)
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2009.04.28 アウトブレイク
 鳥だ、鳥だと言っていた。
 発生地最右翼はアジアだ、中国だと言っていた。
 なのに豚。
 そして北米、メキシコ。
 豚インフルエンザの感染が広まり、WHOは警戒レベルをついに「フェーズ
4」にレベルアップ。
 ウイルスが人から人への感染力を手に入れた段階だそうな。
 これだけ交通手段が発達すると、一部地域への封じ込めはほとんど不可能だ。
ペーシェントゼロ(発症第1号)が今回はメキシコらしい。国境を接するアメ
リカは経済的側面からも、国是からも入国の垣根は限りなく低い。アメリカへ
感染が広がれば、そこを基点として全世界に広がる可能性は極めて大きい。
 ウィルスの封じ込めが可能だとすれば、潜伏期間が著しく短く、致死率の高
いウィルスということになる。しかしそれでは宿主の死が早すぎて、寄生して
いるウィルス自身も生き延びられない。生存を求める本能(なんてものがある
かどうか知らないが)から、適度に宿主を生かしておくんだそうな。
 映画「アウトブレイク」のシーンを思い出した。
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2009.04.27 冷え込み
 朝、出勤時にコートが欲しくなるほどの冷え込み感。実際はそれほどでもな
いのだが、秋田で寒反応をひっぱりこんでしまったか。
 目覚めると、低目設定だがエアコンを暖房にしてしまった。
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2009.04.26 筆者は春の嵐を呼ぶ男
 寒い。
 本当に寒い。
 南の国に帰れば温かいのか。南って言っても大阪だけど。
 帰阪。
 寒かった。
 全国的な寒気なのね。
 青森、北海道にいたっては雪。それも積雪。北海道では53センチ!?、青
森でも2センチ。強風は襟裳町で45.7m。春の嵐としては最大級ではなか
ろうか。青森の積雪は観測史上最も遅いものらしい。
 それでも本日、冬物衣料の残りすべてをクリーニングに出してしまったので
ある。
 なぜ筆者が北に行くたびに春の嵐が吹き荒れるのだ?
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今年の桜

左から 熊本 福岡 京都 角館 横堀


2009.04.25 「すがわら」でほけほけ
 秋田にいる。
 今年最後の桜を見納めた旅人は、それだけで満ち足りていた。
 食への執着は今回は薄い。しかしふと旅人の脳裏をかすめたのは、宮崎や津
山での後悔。ガツンとした思い出は作っておいたほうが後日の引きを生む。
 そうと思い立ってむかった「和食のすがわら」。
 カウンターは3席だけ。あとは座敷主体なのだろう。
 カウンターに招じ入れられた。空いていた2席はその後、飲食店のママとそ
の常連らしき社長が占めた。
 当日の飛び込み予約に、仕入が終わっているとの申し訳なさそうな返事で7
千円のおまかせコースをすすめらた。
 断る理由はなし。
 突き出しは、箱に盛られて準備されている。
「かに、ほたるいか沖漬け、ほたるいかの明太子マヨのせ、このわた、胡麻豆
腐、チーズと何か、筍の木の芽あえ、えび、いくら、たこの含め煮、菜花」
 品数も多い。ほたるいかに明太子マヨネーズがあうとは初めて知った。
「アン肝」と「時シラズ・笹筍の粕汁」
 いいなあ。
 時シラズは北海道産。秋の収穫期に外れて春から夏にかけて獲れるサケの別
名。
 お造りは「なんばえび(甘エビ)、ひらめこぶ締め、まぐろ、うに」
「アワビの肝ソースと鰆の幽庵焼き、とらふぐ白子グリル」
 温暖化の影響か、鰆は新潟あたりでも獲れるようになったらしい。
 アワビが旨い。ソースは、卵の黄身とサラダオイル、玉ねぎを刻んで、オイ
ルと卵をゆっくりと乳化させつつ、さらにひと手間は・・・
「企業秘密です」「あと2、3回来られたら教えます」
 楽しい大将である。
 秋田沖はトラフグの産地でもあるそうな。初めて知りました。
「のど黒のあんかけ」
 中には「ユリ根・海苔・じゅんさい・しどけ」が入っている。
 じゅんさいの粒が大きい。扱いが難しそうだ。
「県産牛に焼きトマト、うみぶどう添え、焼き筍」
 トマトの中には「ウニ」が入っている。海ぶどうは沖縄産。どうやら大将は
食材のチャレンジャーらしい。
 締めに「ふぐ雑炊」
 デザートは「白いコーヒーゼリー」
 ローストしたコーヒー豆を使ってどーやって白くしているのか、また来る理
由ができてしまった。
 焼酎をロックで5杯たしなんだ。「魔王・伊佐美・佐藤黒2杯・宝山綾錦」
 コストパフォーマンスがめちゃくちゃにいい感じだ。旨いし、いい店に巡り
合えたようだ。
 
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2009.04.18 鹿児島で黒豚三昧
 今年3度目の鹿児島。
 鹿児島来訪の機会が増えている。商用ではあるがチャンスは逃がさない筆者。
 黒豚チャレンジ!
 食べるぞ!
 黒豚!
 いや、あくまでも仕事で来てるんですけどね。
 実のところ「しゃぶしゃぶは牛だろう」と無邪気に信じ込んでいた筆者だが
「騎射場(きしゃば)」の「寿庵(じゅあん)」で黒豚しゃぶしゃぶに目覚め
ちゃった。
 爾後、「寿庵」を筆頭に「華蓮」「黒福多」を消費。今回は「遊食菜彩いち
にいさん鹿児島本店」へ。残すは「あぢもり」だ。これは次回に譲ろう。
「いちにいさん」のしゃぶしゃぶのタレは、そばつゆ(関東風の濃い奴ではな
い)。そこにネギを大量に投入して食べる。家でも真似できるところがいいな。
肉の追加をして2皿目を。
「寿庵」ではおススメの6種のハーブ塩を使った塩しゃぶしゃぶよりもレギュ
ラーの方が好きだった。筆者にとって、あそこの肉はゴマタレが妙になじむ。
「いちにいさん」は、黒豚豆腐、豚トロ煮、揚げ豚などサイドメニューも個性
的だ。全部食べた。ついでに卵焼きと生ハムもオーダー。隣で食べていた「蒸
し豚」が旨そうだったなあ。
 最近の流行か、すでに切り置きして、取り分けてある大量の皿がガラスの保
冷庫に並んでいるのは、ちょっとシステマティックが過ぎる気もするが、OK
サイン。
 赤ワインハーフと焼酎ロック2杯。
 昼は、天文館の老舗鰻屋「末よし」で鰻重の松を。糖質制限的にはレッドカ
ードだが、毎回松かば(蒲焼の松)に白焼き、肝焼きを食べては、胸やけ気味
になっていた。ご飯の助力をちょっとだけ得ることにした。
 

 


 
 「寿庵」

 
「華蓮」

 
「黒福多」 豚しゃぶ・ゆで豚の粒マスタードソース・もつ煮
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2009.04.18 「歓(ふぁん)」へ
 久しぶり、本当に久しぶりに「歓」へ。
 Tと一緒に訪店。
 糖質制限の筆者はワインを飲んだ。
 かまりまわった。
 その後オーナーのU氏と魚料理屋へ。
 焼酎をコクコク。
 翌日、Tの奴は取締役会に遅刻した。
 嗚呼情けない、情けない。 
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2009.04.12 名古屋へ
 年中行事の行脚の足は名古屋へ。
 地下鉄桜通り線の「車道」へ行って帰ってくる。
 大阪、名古屋間は50分。
 首都圏のサラリーマンの平均通勤時間よりも短い。
 現地での移動もあるが行って帰ってきて4時間弱。楽である。
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2009.04.11 広島・福岡へ
 年中行事の行脚の日。
 昨年は、大阪起点で名古屋・博多を1日で回ったが今年は広島に立ち寄るこ
とにした。
 1日で全行程を消化するのはさすがにやめた。
 今日は広島・博多を訪問して帰阪する。
 のぞみ17号が広島駅のホーム吸い込まれる直前、目の前に現れたのは新生広
島球場。ちょっと意表をつかれるぐらい間近にあった。
 昨日の中日戦がこけら落としで、今日は2日目。土曜日なのでデーゲームの
ようだ。左右の外野席の一部が高楼のように宙に浮いているように見える作り
が目新しい。車窓から球場の内側がのぞきこめそうなくらい通り抜け構造の多
い開放的な球場は「ベースボールパーク」と呼んであげたいほどフレンドリー
なイメージを帯びている。
 ゲームはすでに始まっているようだ。スタンドにはお客さんが溢れていた。
 昨日はドラゴンズに負けちゃったからな。
 今日は頑張って勝ってください。
戻る  去年の今ごろは・・・ 

2009.04.10 暑いじゃないか
 夏日ですか? 
 25度を越えちゃいましたか。
 さすがにコートを着る気にはならないっすね。冬物スーツですら、ちょっと
重たい感じ。
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2009.04.09 茅場町の鶏料理
 お江戸の桜、散り染めし頃、茅場町の鳥料理屋で一献献上。
 開店6年という「鳥ふじ」。
 店の歴史は若いながらもオーダーした名古屋コーチンの鳥すきコースは、味
も量も十分満足。
 久しぶりに銀座の「Vespa」に寄ることもできた。後からY氏が入って
きてちょっとびっくり。
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2009.04.07 桜の都へ
 忙中閑を作って、老母を京都へ連れてゆく。
 一人息子について歩けるだけで嬉しい老母は、るんるんはしゃいでエッホエ
ッホとついてくる。
 彼女もこの7月で来阪2年になる。
 上洛は4回目だ。
 すでに清水寺、金閣寺、竜安寺、銀閣寺、西本願寺はクリアしている。
 今日は、南禅寺と知恩院、円山公園だ。ついでに南禅寺の「順正」で湯豆腐
を食べさせてしまおう。
 昼前に大阪を出て京都にむかう。
「京都の桜が見たかったのよ」
 老母の夢がまたひとつ叶った。
 都市における桜木密度は京都が最高なんではなかろうか。まさに桜の都であ
る。
 3月19日、驚愕的に早い開花宣言が出てから2週間。「このままでは3月
中に散ってしまうんやなかろか?」今年の新入社員や新入生の仕事がなくなる
かもしれんという状況から、寒の戻りが厳しく長かったおかげで、これまた驚
異的に長く花が持ちよった。
 おかげで平年並みの満開日となり、ルーキーたちも失職の危機を切る抜ける
ことができたというわけだ。右も左もわからん新人の初仕事は、花見の場所取
りと相場が決まっている。
 街のいたるところで桜が咲き誇っている。
 黒谷あたりまでは、完全に見頃だ。南の伏見や醍醐界隈はすでに盛りを過ぎ
たかもしれない。半木(なからぎ)の道や北野はこれからだろう。
 枝垂れ桜は盛りが早い。すでに盛時を過ぎつつあった。ソメイヨシノは今が
盛りだ。
 ウィークデイの火曜日なのに観光バスがコンボイとなって押し寄せている。
土日だったらと思うと恐怖である。
 京都の桜は、ソメイヨシノが終わっても、紅しだれ桜が待っている。半木
(なからぎ)の道や平安神宮はこの紅しだれ桜でも楽しめる。
 口さがないタクシーの運転手氏がカルテルを組んでいるという湯豆腐屋(安
いコースがだいたい3千円と相場が決まっている)。
「順正」の豆腐は、黒谷の服部さんから仕入れてるけど、その前にある「八千
代」や「五右衛門茶屋」もそうや。こっちは1割方安いで。との運転手氏の親
切な提案は聞き流し、「順正」に入る。(運転手氏が店からリベートを貰って
いないという保障はない・・・京都っ子は生き馬の目を抜くしたたかさを持っ
ている。)
「順正」の豆腐は煮え端のちょっと手前が一番好きな筆者。なぜか、火が通り
すぎると豆腐の甘みが消えてしまうのである。
 堪能しきったママをつれて夕方前に帰宅。
 大量の冬物衣料を半分、クリーニング屋に放り込む。今日は、半袖Tシャツ
に春ものジャケットをはおっただけで通した。

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2009.04.06 覚悟
 1週間前から左わき腹が痛い。
 震源がはっきり特定できない広域地震のような痛みがわきから背中に広がり、
徐々に強くなってきていた。
 2年前に帯状疱疹を患っていなければ、帯状疱疹を疑心したかもしれん、筋
肉痛だか内臓の炎症だかわからんズキッとしていながらドヨ~ンとした痛み。
(はて、さては膵臓か、腎臓か、もしかしたら癌かしらん)などと勝手に診断
を下す筆者。
 ネットでちらっと叩いたら、膵臓は右だった。これだから素人の生兵法は困
りものだ。
 とはいえ、ネットで確認するまでは、風呂につかりながら脇腹から背中をな
でさすりつつ、ちょっと真面目に考えた。(これが歳をとるということだ。若
いうちは、こんなもんは筋肉痛だとたぶんな~んも気にしなかったはず)
 気分は勝手に終末モード。
 癌前提であれこれ考え始める始末。
 逆縁となってしまった場合の老母の先々、会社の今後(それは逆に大丈夫だ
な)、来年の桜は見れないかもしれないこと・・・そうか、来年がないかもし
れないんだ、などと柄にもなくいろいろと思いをめぐらした。日本沈没の主人
公、小野寺の作中での思いが妙にリアルに思い起こされる。
『みんな逃げろ!・・・
 春はもうじきくるだろう。だが、この夏はわからない、秋はさらに不確実で
あり、来年というものは、もう君たちのふみしめている大地の上には存在しな
いかもしれないのだ・・・(日本沈没・小松左京著)』
 亡父は、肺癌で逝ったが、自分が癌だと認知していた。
 宣告したからである。
 あの時、彼は実に見事に受け入れた。
(高杉は28だったしなあ、土方は35、信長が48・・・信長のあたりで仕舞か
(数えで勘定)・・・死後の事務なりを託す依頼書にも目を通し直すところあ
れば手をいれといたほうがいいな)
 風呂に顔を沈めてブクブクと考える。
 ぽにょである。
 で、ネットでポチ。
 ・・・膵臓は右ね。
 ・・・脾臓が左。
 ふむ、痛くなるのは酒の飲みすぎが多い・・・
 思い当たりすぎる。連夜のマール、グラッパ、スコッチ飲み。しばらくの間、
飲食の適量越えによる血糖値上昇を抑止するためにかなりアルコールを流し込
んでいた。
(酒か・・・)
 ちゅうことで4日間ほど酒をやめていたら、痛みがひき始めてしまったので
あった。
 ちゃんちゃん。
戻る

2009.04.05 春めき
 梅田の北ヤードの向こう側のイベント会場に顔を出し、京都のオフィスへむ
かう。
 阪急京都線の沿線は桜が多い。
 書類に目を通していたが、ふと窓外を見れば満開の桜が次々と目前を通り過
ぎてゆく。
 仕事をやめた。
 4月第1週の日曜日、日差しはうららか、沿線は桜に満ちている。
 ほけほけと車窓を楽しむ。
 途中駅「桂」で嵐山線のホームに普段目にすることのない多くの人の姿があ
った。
(嵐山に行くんだろうな~)
 今年は寒いころから桜が開花したため、例年になく桜への傾斜が低かった筆
者だったが、気温が上がれば、やはり気持ちも軽くなるみたい。
 やっぱ桜はいいんである。
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2009.04.03 惨事
 新年度、新学期が始まった。
 ルーキーがラッシュアワーに参戦するこの時期、おそらくは大都市圏は1年
で最も混雑する1か月をむかえる。(なぜかGWを過ぎると、潮が引いたよう
に混雑がある程度緩和されるのだ)
 玄人の通勤・通学人はすでに高度に訓練されたアレキサンダー大王の軍隊の
ように、明確な目標を持ち、完璧な運動律を手に入れている。
 通常、そのファランクスが崩されるのは、なぜこの時間におばあちゃんがこ
こに?というような非常事態時しかないのだが、新年度のルーキーたちもおば
あちゃんと同じである。一時、目にとまったのが、群れで動く新人達だったが、
最近はどうなのだろう。非常に朝の早い筆者はすでにラッシュというものを忘
れてしまっている。
 今朝は、会議が電話会議になってしまった。
 山手線、三田駅で人身事故があったらしい。
 それも壮絶な事故だったらしく「クレーンで釣り上げている」などとの未確
認情報も入ってきた。
(マグロになっちゃったんだな)
 列車の轢死体は無残らしい。肉片があちこちに飛び散り、マグロの赤身のよ
うに見えることからついた符牒である。
 筆者はてっきり、ラッシュ時ホームから押し出されたか、踏み外した人が巻
き込まれた事故だと思っていたが、どうやら自殺のようだ。
 こういうとき、遺族に請求されるJRからの損害賠償ってどーゆー額になっ
ちゃうんだろうな。
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2009.03.27 混んでる 
 東京出張。
 会議が早めに終わったので、とっと帰阪することにした。なにせネットの新
システムが週明けの月曜日にグランドオープンなのだ。最終チェックの段階は
ホームグランドにいたい。
 山手線と中央線が混んでいた。
(なして?)
 東京駅も混んでいる。
 いつもより、明らかに混雑している。
 子供が多い。
 子連れの家族が目立つ。
(こらこら子供は学校に・・・)
 あ、学校は春休みなのね。
 そーか、そーか。春の行楽シーズンなのか。
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2009.03.26 寒の戻り
 観測史上最速の開花を記録した3月だが、ウインター様も負けてはいない。
真冬並の寒気がぶりかえしてきた。
 どーする筆者。すでに25日にチェスターフィールドをクリーニングに出して
しまった。
 でも、それほどは寒くないぞよ。
 とは言え、コートなしで過ごしたのは結局1日だけ、結局トレンチの袖に手
を通すことになってしまったのであった。
戻る   ・・・去年の今ごろは・・・

2009.03.22 博多の桜と送別会


 春は旅立ちの季節。
 今日は福岡オフィスの送別会だ。
 このての催しでピックアップされる店なのになぜかレベルが高く値段もリー
ズナブルなのが博多の飲食店の特徴だ。
 今日は薬院の「とりのこ」。
 腹ごなしをかねて開会2時間前から散策。
 舞鶴公園で観桜した。
 ここは福岡城跡を利用して作られている。西隣には大濠公園があり、かなり
広大な敷地面積を有する。
 城内や堀端では桜がすでに六部咲きから七部咲き。雨模様の空がやや白みは
じめたが、すでに火灯し時のせわしない薄暮が迫っている。春を予感させる緩
い気温と鼻の奥がわずかに滲むような湿度、幾分物憂い天蓋の鉛色の雲が筆者
の心に漂泊の火を灯した。
 心は縦横に刻と処を遡行し滞留する。
 意外と饒舌な内省タイムの気分は、まさに田村正和。無論、古畑任三郎の方
ではない。哀愁、あるいは憂愁の気配を身にまとい、会場の薬院にむかった。
「とりのこ」は隠れ家的な店だった。
 看板やサインが見あたらない。その先が袋小路になっているのではないかと
錯覚させる細い路地裏にちいさな路地行灯がひとつと玄関灯のようなオレンジ
の鈍い明かりがひとつ。イメージ的にはすでにシャッターをしめたガレージ。
でも、その前まで行くと小さな路地行灯に小さく「とりのこ」と書かれている。
 隠れ家的の「的」をとっぱらってもいい。
 本当に隠れているので発見はきわめて困難だ。持参した地図では。店が接す
る路地は記載されていない。1万3千分の一くらい詳細じゃなきゃ無理だろう
な。
「しゃぶしゃぶ風鳥すき」がメインだが、鳥のスープに始まり、野菜、馬刺、
鳥刺し、牛みすじ、鳥レバー、タラの芽の天ぷら、菜花のおしたしなど、洒落
た器に洒落た料理が供される。
 締めは卵かけご飯。糖質制限修行僧なれど、これを食さぬわけにはゆかぬ。
ご飯を極少量摂取。
 あり、ということでひとつ。
 また1店、博多で寄りたい店が増えてしまった。
 締めは「Vespa」中洲店で節度のあるアルコール摂取。

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2009.03.20 京都で送別会
 京都オフィスのKを送る会。
 スタッフのOは、サプライズパーティを企画していたらしい。
 それを知らない筆者は、先週、KもOも参加する会議の終了時「Kの送別会
はどーなってんだ?」と素朴な質問を発してしまった。
(あっ!)
 ちゅう気配があたりに満ち、OとHがあたふたあたふた要領を得ない返事を
返す。
 KYな筆者。まったくのみこめず「22日は福岡に行くから駄目だよ」などと
と実に暢気だね。
 後刻Oから連絡が入り、ようやく状況を理解した。
「当日までKさんには知らせずにサプライズをしたいんです」
「それを早く言えよ」
 送別会当日。
 京都オフィスの新スタッフ採用面接のため会の2時間半前に顔を出した。
 面接を終え、時間にゆとりがあったので「Vespa」で軽くひっかけてこよう
かとオフィスで誰にともなく声をかけた。
「今日は、7時からだっけ?」
(あっ!)
 ちゅう気配があたりに充満。あたふたあたふたするOとH。
 Oは(この人、ほんま難儀や)ちゅう顔しとる。Hは(おまえ出てけ)オー
ラ発散。
「じゃ、俺「Vespa」行くわ。お先に~」
 そそくさとオフィスから逃げ出したのであった。
 1時間後、送別会に現れた主役のKに聞いたら、ま~ったく気づいてなかっ
たとのこと。さすが天然系。いいぞK。鳥取で健やかにすごせ。でも、本当に
気づいてなかった?筆者への最後の気遣いではなかろうな。
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2009.03.19 京都、最速!桜の開花
 地球温暖化の影響か、全国各地で堰を切ったように桜が咲きまくっている。
 とうとう京都でも19日、近畿のトップを切って、市内の桜が開花したそう
な。平年より12日、昨年より5日早い。1953年の観測開始以来、2番目
に早い開花。
 この日京都の最高気温23・9度。
 関西の桜の見ごろは例年、東京よりも1週間遅い。いつものような気分でい
ると、今年は見のがすかもしれんなあ。
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2009.03.18 暑い
 日本全国、快晴。
 最高気温は、福岡23.5度、京都で20.8度、横浜で20.2度
 4月中旬から5月下旬並みの陽気だそうな。
 松山で桜、開花。
 大分も開花。
 16日には宮崎でも開花している。
 平年より10日から11日早い。
 高気圧が呼び込んだか、黄砂も舞い降り、もはや冬への逆行はなさそうだ。
 チェスターフィールドを着なくなってすでに久しい。
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2009.03.14 ブルトレ、ラストランに出くわした
 博多駅在来線のホームが騒然としている。
 マニアの方々がカメラの砲列を敷いているではないか。対面のホームは人で
溢れかえらんがばかり。
 どうやら3月のダイヤ改正で廃止されるブルトレのラストランを待ち構えて
いる鉄道ファンの皆さんらしい。
 熊本行きの「はやぶさ」が定刻の1時間半遅れで博多駅に到着する瞬間に偶
然でくわしたというわけだ。
 筆者の乗車する「リレーつばめ」鹿児島中央行きは、「はやぶさ」を先行さ
せるため10分の延発となった。せっかくだからカメラを向けたが、こういう
偶然が筆者をして周囲から「マニアだ」との嫌疑をかけられる原因になるのだ
から非常に困る。
 最初の停車駅「鳥栖」に到着した。
 ホームにカメラを構えたマニアの方々がすずなり。
(ん?どーゆーこと?)
 筆者の列車がホームにすべりこんだ瞬間、隣ホームからさきほどの「はやぶ
さ」の後尾がゆっくりと離れていった。
 鳥栖駅でもマニアが待ち構えていたのだ。
(なるほど・・・これは延々と「はやぶさ」の尻について走るってことか)
 かなりの遅延を覚悟したが、さすがに管制サイドもマズいと思ったのか「久
留米」で「はやぶさ」を追い越すことになった。
「はやぶさ」に先行して走り始めて気がついた。通過駅の多くでマニアの皆さ
んが待ち構えている。沿線の激写ポイントには必ず露駐の車の群れ。こんなに
も人々に愛されていたのかブルトレ。
 ふと思ったが、海外にも「鉄」ちゃんているのかしら?
 惜しまれつつ去りゆくブルトレの走路の脇にはそれを見下ろすかのようにそ
びえる九州新幹線の高架が「久留米」まで延びていた。「鳥栖」では車窓に目
をやっていなかったのでもしかしたら見落としているかもしれない。
 鹿児島・福岡間全線開通はもうすぐだ。
 新旧の主役交代のシーンは象徴的だ。
 開通すれば、新大阪・鹿児島中央間直通新幹線も走り出す。
 無論、マニアではないので乗りたいとの欲はない。

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2009.03.07 バー「やまざき」
 金沢に行くと立ち寄るバーが、「バー・スプーン」。オーナーバーテンダー
のH氏はNBA中部地区の有力メンバーだ。
 氏が、札幌の老舗バー「バー・やまざき」の出身であることを知ったのはず
いぶん前の話。
 米寿をすぎてもバーカウンターに立つ、おそらく現役最高齢のバーテンダー
山崎氏(これだけ有名人ならイニシャルトークはいるまい)を愛情あふれる表
情で「オヤジ」と呼べるのは古参の弟子ゆえなのだろう。
「札幌に行ったら、7時過ぎに訪店して『ポーラスタートゥインクル』を頼ん
でください」
 アドバイスを貰っていた。
 そして訪れた札幌、はじめて「バー・やまざき」の扉を開ける。
 金沢のH氏の紹介をうけた旨を話し、ポーラスタートゥインクルをオーダー
した。
 若いバーテンダーが山崎氏に声をかける。
 先般、開店50周年のパーティーを開いた、日本バーテンダー界の先駆者は、
いささかの奢りも見せず、止まり木の向こう側の客にわずかの緊張感すら与え
ず、カクテルを差し出した。
 隣の若いカップルにはカードマジックを披露し、筆者は横向きになるよう求
められ、切り絵をプレゼントされた。2枚出来上がる切り絵の片方にサインと
おそらくは制作ナンバーを記入し客に渡す。残り1枚には客のサインを求め、
自らが保存するようだ。
 #43390の切り絵はこの日、執着の薄い人生を求める筆者にとっていく
つかの例外物件のひとつにになった。

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2009.03.11 桜
 大阪駅前第1から第3ビルの前が淡いピンクに染まっている。
(何じゃ?)
 近づいたらひったまげた。
(桜が咲いている!)
 まだ3月中旬なのに・・・
 早すぎる季節の便りは、なぜかあまり心弾ませないのであった。
 
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2009.03.10 歳の違いか
「何しにいったんです?」
 オフィスのYが筆者に問う。
「襟裳岬で『襟裳岬』を歌いたかったんだ」
「襟裳岬?」
「そう、森進一の」
「森進一は知ってますけど・・・」
「え?襟裳岬を知らない?」
「はい」
「森進一と言えば?」
「おふくろさん」
「違う!襟裳岬だ!」
 Yは33歳。
 本人は当然のように言っているが、Vespa京都店のルーキー君は20歳台前半
で知っていたぞよ。
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2009.02.17 寒い!
 昨日から冷え込み始めた。
 何じゃ?
 この間夏日を記録したばかりじゃないか。
 昼、大阪梅田にはちらほらと雪片まで舞ってしまった。
 もーどーにでもなれじゃ。
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2009.02.14 夏日?
 朝5時の東京の気温は18.4度。6月上旬並だ。
 予想最高気温は20度、横浜で22度。
 速攻で帰阪。
 強風は新幹線を止める。エアだともっと危ない。
 帰り着いた大阪も暖かかった。
 この機を逃さず散髪である。
 髪を切ると頭部の保温効果が薄れて体調を崩しやすいのだ。だから、冬の間
は髪を切らない。筆者は一本ビシッとしているから、そんなことにまで気を使
って風邪を予防している。筆者の一本ビシッとは、単なる精神論ではないので
ある。勘違いをしている連中は馬に食われるであろう。
 ほぼ4カ月弱ぶりに髪を切る。
 10月に白内障の手術のため、高校卒業以来、最も短い髪となった筆者だが、
短髪は面倒がなくていいことに気付かされた。
「いつもよりガッツをいれて短めに」
 美容室のお兄ちゃんにガッツをいれたオーダーをかます。

 オフィスのYが筆者の顔をしげしげと眺めて言った。
「髪、切ると若く見えますねぇ」
「30代に見える?」
「それはちょっと・・・」
 ゴマをすれない奴である。
 どうせするなら、すり鉢をゴリゴリこするようなせこいゴマすりはやめてお
くことだ。
 大轆轤を全身の力を使って大円をかくようにゴマをすろう。
 筆者は、命にかかわらない限りゴマをすれない。どちらかと言うと炒るほう
なので、相手はパチパチはじかれて痛いことになる。損な性分である。
 
 北海道を通過した低気圧に南から暖かい空気が流れ込んだ影響で、全国的に
気温が上がり、北海道から九州にかけて2月としては記録的な高温となった。
 静岡なんぞ26.8度、小田原26.1度などあちこちで夏日。
 夏日?!
 東京も23.9度、6月下旬並みの陽気になってしまった。
 どうだ、これでも温暖化は世迷いごとだと言うのか?!
 って誰に言っている?
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2009.02.13 春一番
 ディレクティングしている開発業務の詰めがヤマ場を迎えている。
 東京から大阪に帰る移動の間、3時間強、細かい指示ができない。
 おまけに大阪オフィスに帰ってからも、途切れた思考の波に乗り直すのに時
間がかかる。
 大阪への移動は明日朝イチにして、今日は東京から仕事をコントロールしよ
う。
 と、言うことで帰りそびれた週末。
 オフィスの窓をたたく風の音が騒がしい。
 と、思っていたら春一番でした。
 この日、近畿を除く東西日本、九州・四国・中国・関東・北陸に春一番が吹
いた。
 ちと早くないかい?

 Mクンからちょっと遅めのバースデーゴチ。ありがたく甘受。
 こんなゴチならいくら遅くなってもかまわない。
 半年後でもいいっす。
戻る   ・・・昨年の春一番は?

2009.02.10 京都で梅開花
 梅は咲い~た~か、桜はまだかいな。
 早い。
 今年の梅はかなり早い。
 すでに1月29日には太宰府天満宮のご神木「飛梅」が開花している。
 2月2日には、富山、佐賀でも開花している。
 この日、ロンドンでは18年ぶりの大雪だった。(関係ないけど)
 筆者の自宅の窓に映る梅の木も1週間程前から薄紅色に染まりはじめた。
 温暖化、進んでいるのか?
 1月25日の記事では寒い、寒いと泣きをいれていたのに・・・
戻る

2009.02.04 厄男
 筆者の生誕48周年記念日である。
 オフィスのYは、毎年、ちょい悪オヤジの雑誌「LEON」をプレゼントし
てくれる。
 意図は不明。
「今日は、お誕生日でしたよね。たしか厄男でしたっけ?」
(厄男?!)
 厄年なら知っている。
 男の厄年は数えで25、42、61のはず。
 でも筆者は48。
 意味がわからん。
 小学6年生並のボキャブラリーを誇るY、きっと「年男」と言うつもりだっ
たのだ。
 言うにことかいて「厄男」。
(俺は災厄を撒き散らす疫病神ってことか)
 ころころと笑いながら許す。

 夜、恒例のメンバーに福島の鶏料理屋へ招かれた。
 メンバーの顔ぶれが増えている。
 お気持ち、ありがたく頂戴いたしましたぜよ。
戻る   昨年の今頃は・・・

2009.01.29 失策
 用務で来福し、朝イチの新幹線で帰阪するつもりだった。
 6時始発の「のぞみ」に乗るために4時半に起きる完璧な計画。
 目覚めたきに窓の外がほの明るかった。
(明るいじゃないか。随分朝が早くなったもんだ)
 起き抜けの朦朧とした頭に漠然とした疑問が浮かぶ。
(はて、博多の日の出はまだ7時台のはず・・・)
 その瞬間、脳の配線が正常につながった。
 がばと飛び起き、時計を抱え込む。
(7時15分!)
 瞳孔が開ききった。
 即死。
 広島を発車しているはずの時間にわたしゃ博多のホテルのベッド。
 とりあえず都都逸を唸る。
 寝坊なんぞ、過去にいつしたか記憶にないぐらい縁遠いものだったが、やら
かしてしまった。その点、筆者の会社の東京オフィスのTなぞ、年に2回は取
締役会を寝坊で遅刻する剛の者。40を超えて数年がたっている今でも高校生の
ような生活をしている。朝寝坊なんぞ日常茶飯事(ちゃめしごと)だから、こ
んなときも悠然と構えているだろうな、きっと。
 その点筆者は初心(うぶ)である。
(前夜の「たつ庄」の焼酎がいけなかったのだ。「Vespa」を出たのは12時前
だったはず・・・)
 死んだ子供の年齢を数えるようなむなしい反省をしつつ、シャワーも浴びず、
歯も磨かず、とにかくホテルを飛び出した。
 朝一の新幹線に乗るつもりだったが朝八の新幹線になってしまった。
 8時発の「のぞみ」に飛び乗る。
 9時の始業に出社し、一仕事してから東京に行くつもりだったが、2時間の
ビハインドを負ってしまった。大阪での一仕事は30分しかできず、慌しく東京
に向かった1日であった。 
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2009.01.25 西も南も積雪
 伊丹空港にむかうモノレールは薄っすらと雪化粧を施された北摂の山裾を走
っている。
 2時間後、鹿児島市街に向かうリムジンバスは、薄っすらと雪化粧を施され
た山間の高速道を走っていた。
 どこもかしこも雪だらけ。
 今年の冬はけっこう寒い。
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2009.01.19 大寒
 大寒である。
 一番寒い季節のはず。
 立冬と立春の間が、冬なわけだが、昨日19日には、石垣島でソメイヨシノの
開花が発表された。
 沖縄の桜は、花びらがひいらひらと舞い落ちることなく、がくごとぼたんぼ
たんと落ちてゆくる寒緋桜(カンヒザクラ)。
 それが沖縄の桜のすべてかと思っていたのだが、ソメイヨシノもあるんです
ね。お見それしました。
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去年の今ごろは・・・

2009.01.04 仕事始め
 大阪と京都のオフィスを回る。
 仕事始めのスタッフには、ケーキをプレゼント。
 明日から本格的な仕事再開なのでアイドリングを兼ねて、幾つかの案件を処
理。
戻る     ・・・去年の今ごろは

2009.01.03 Wiiで筋肉痛
 我が家で新年会。
 YとFが「Wii」を持ってきた。
 テニスと野球、体力測定に興じる。
 Yは完全にやりこんでいる。
 プロの領域だ。
 FもN嬢も筆者より格段に旨い。
 O嬢、H嬢、筆者がビギナー。
 体力測定の結果は、Y26歳。若い!筆者47歳。まさに年相応。
 O嬢60代、お気の毒。
 H嬢70代、ご愁傷様。
 翌日、なぜか筋肉痛。Wiiが原因だと気がつくまでしばらく時間がかかっ
た。なぜなら、ありえないことだから。でも、ありえたのであった。
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2008.12.30 仕事収めと「パーネヴィーノ」
 残務を片付けて、今年1年を締める。
 Yから電話あり。
「Iチョ~、Y大将が今年最後の『パーネ』を愉しみにしてまっせ」
 ほいほい。
「パーネヴィーノ」へ。
 それにしても、今月はよく飲んだ。今日こそ酒食の締めにする。
 メニューを眺めていると・・・「仔猪の骨付きグリル?」
 仔猪?
 ウリ坊のことか。
 ウリ坊を食べちゃうのか。
 可哀そうだ。

 旨かった。
 スパークリング1本、白1本、赤2本、グラッパで締めてグデングデンになる。
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2008.12.29 「パーネヴィーノ」
 公的には仕事納めとなる今宵もアフターはある。
 「パーネヴィーノ」へ。
 室津産の牡蠣、生ハム盛り合わせ、トリッパと卵焼き、ウニのトマトクリー
ムパスタ(筆者はパスタは10本だけ、同行のYに他は譲る)、サンダニエル産
豚ローストリュフソースで白2杯、赤1本、グラッパのエスプレッソ入りをひっ
かける。

2008.12.28 「暁」
 大阪オフィスの忘年会は「暁」。
 赤鍋、白鍋と称するものごっついヴォリュームの魚あり鶏あり豚あり野菜あ
りの鍋を満喫。
 店はかつての診療所をそのまま使っている。
 外装や入口などは、まさに診療所のイメージ。
 ジュニアが生まれたSクンを誘って「The倶楽部キュイジーヌ」で2次会。
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2008.12.26 休肝日2!
 もー酒は辞める。
 ・・・少なくとも2日くらい。
 まだ、28日に大阪オフィスの忘年会が残っているのだ。
 東京から帰阪。
 猛烈な寒気団に襲われた日本列島はめっちゃ寒い。
 関ヶ原を越え、滋賀に突入した瞬間、どんどん雪景色が深くなる。 
戻る   ・・・去年の今ごろは

2008.12.25 「松銀亭」
 東京出張。
 IT系の取引先との忘年会。
 高田馬場、明治通り沿いの「松銀亭」にて。
 炙りが得意のお店で、エビを炙り、銀ダラの味噌漬けを炙り、ハラスを炙り、
ハタハタを炙り、鶏肉を炙り、牛肉を炙り、豚肉を炙り、炙り尽くして語り尽
した夜。お付き合いいただいた皆様、本当にお疲れ様でした。
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2008.12.24 「串八景」
 東京からのお客様に抜群のウケをとる「串八景」。
 今日は東京から来たお二方と筆者の3人で。
 クリスマスイブだったのだな、今日は・・・
戻る

2008.12.23 休肝日!
 会社がらみのない終日のお休み。
 なんか、すっごい久しぶりのオフ感覚。
 チャンス!
 アルコールを抜き、年賀状を作らねばならない。
 プリントゴッコ出撃。
 その前に軽く運動。
 万博公園へチャリを転がし、公園周回コースを一周して帰ってくる。約1時
間半。
 昼寝。
 年賀状を作らねば。
 年賀状にプリントゴッコを使い始めて23年。12種類の干支はすべて書き尽く
している。
 すでに2回転目の干支も多い。
 来年は・・・牛(丑)ね。あ、筆者は年男だ。
 とりあえず、原画を描き、フラッシュを焚き、活版刷り。
 ラベル出し、貼り込み、一筆啓上。
 1日が終わってしまった。
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2008.12.22 「パーネヴィーノ」
 もはや、誰も筆者をとめることはできない。
 怒涛の飲酒13連荘。
 勢いつきすぎて止まれない。
 まさにローリングストーン。
 まっつぐオウチへ帰れない病は重篤だ。
「腹がへったよー」
 まるで駄々っ子のようにYの携帯へお誘いコール
「パーネヴィーノ」へ行く。
 室津の牡蠣、生ハム盛り合わせ、トリッパ、ペンネでカルボナーラ(6本)、
ピッツァミニサイズ(3切れ食べてしまった!不覚!嗚呼、糖質制限の神様)、
豚ロースバルサミコ、白1本、赤1本、赤1杯。
 ママの目を盗んで金沢は「たろう」の羊羹(日本初のカカオ味なのだ)1/4
を食べてしまった!不覚!嗚呼、糖質制限の神様。
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2008.12.21 「鉄板居酒屋やんや」
 名古屋オフィスの忘年会は「鉄板居酒屋やんや」。
 横浜から名古屋へ向かう。
 毎年、クリスマスシーズンのトップページの画像を飾る、名古屋駅前のイル
ミネーションは今年も健在。トヨタビルもできて周辺部も加わり幾分派手にな
っている。
 メニューはけっこう充実。
 鶏から南蛮、お造り(ブリ・イカ・サーモン)、豆腐、カリカリ水菜サラダ、
卵焼き、豚鍋、締めは雑炊かうどん(食べず)、白ワイン1杯+デキャンタ、
赤ワインデキャンタ


 名駅前

 近鉄や名鉄方面

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2008.12.20 「ブラッスリーコションドール」
 横浜の夜。
 西駅前がそうなのか、今日という日が特別なのか。
 ぞわぞわぞわぞわ、若者たちが湧いてくる。
 駅にむかう若者、駅から来る若者。つきることなく湧いてくる若者の群れ。
 冬休みの歳末モード?
 おかげでネライをつけていたジンギスカンの店からは「おまえ何言ってんだ」
光線を飛ばされつつ予約をはじかれた。 
「ブラッスリーコションドール」でステーキ300g、シーザーサラダ、赤ワイン
2杯、アイスコーヒー
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2008.12.19 「金臨門酒家」と「アンセンサ」
 東京での会議のあと、週末は横浜オフィスの改装・増床工事の立会い。
 老母はB型なので、ものごとの把握が実にダイナミックだ。
 出勤する筆者を見送る玄関で
「土・日は大工ね」
「違う」
 夜、MとOを連れて横浜スカイビル29Fの「金臨門酒家」。
 チャーシュー・くらげ・帆立、伊勢えびと春雨(春雨は残し)、ふかひれ、
ペキンダック(米餅2枚と味噌、・・・食べちゃった。嗚呼、糖質制限の神様
・・・)、帆立とえび団子蒸し、もち米チャーハン(Mにあげた。エライ!)、
いちごのムース(半分だけ食べる)、白ワイン1杯、ピュイヒュメ1本、ヌフデ
パブ1本
 2軒目は、ワインバー「アンセンサ」、チーズと豚肉ロースと(?)、赤ワ
イン3杯
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2008.12.18 「酒洛」
 旧職の先輩おふたりと高田馬場で待ち合わせ。
「酒洛」へ行く。
 筆者のサラリーマン人生のその後のスタイルを教育してくれたおふたり。
 話せば、あっという間に時計は20年を遡行する。
 ひさしぶりのパシリ。
 嗚呼、何、この懐かしくも新鮮な感覚。
 焼酎2本、焼酎1杯、ピリ辛モツ大根、ゲソ揚げ、かんぱち、エビ明太ポテト、
ホタルイカ、鮭ハラスのゆず焼き、銀タラみそ柚子あん、漬物、チーズの59秒
揚げ
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2008.12.17 「丼ぶりや」
 新幹線「のぞみ100号」は早朝6:00に新大阪を発車する。
 東京到着は8:26。
 所要時間2時間26分は1日100往復はあるかもしれない「のぞみ」の中でも最
短の部類だ。
 東京、大阪間の所要時間はおしなべて2時間36分という列車が多い。
 車中で仕事をしようと思っても、いまひとつリズムに乗り切れない。
 日常を、人はリズムで生きている。
 毎朝6:11発の電車で出勤し、週に3日ほど「梅田」の1駅前「中津」で降りて
20分程歩く特定日以外は6:35にはオフィスで執務を取る筆者にとって、6:00発
の新幹線車中での仕事は、さして苦痛ではないはずなのだが、わずか30分の違
いと朝からのルーティンの違いが最適リズムを奪うようだ。
 6:30、京都を発車し、近江を疾駆する途上、伊吹山のシルエットが明け始め
た薄蒼い空を背景に浮かび上がった。先日の博多からの帰阪時よりも夜が明け
るのが早い。関が原を越える頃には空の色が溶けはじめる。夜が朝に押しやら
れようといていた。
 早暁の富士を見て活力を得ようと期待して渡河する富士川も、あいにく雨ま
じりの曇天。八幡の製紙工場群は盛大な陰影の濃い白煙を吐き出しているが、
その背後に霊峰の姿はなし。車窓は一面、水墨画の世界。
 新横浜、東京間は朝9時まで、自由席特急券で空いている指定席に座れる。
神戸、大阪、京都間でもやってくれないかな。
 朝イチの会議を終え、帰阪。
 夜は「丼ぶりや」へ。
 大阪にいながら北海道を満喫できる店。
 まだらの肝のグリルは和風フォアグラのようだ。バルサミコで。
 飯寿司でサーモン・さんま・にしん。
 まだらの白子と身のしゃぶしゃぶ(ぽん酢・塩ごま油・ジェノベーゼで)、
お造り(つぶ貝・うに・ホッキ貝)、塩蒸し鍋(たらば・白子)、たらの赤味
噌焼き。
 牡蠣天ぷらと生蠣生の食べ比べ。牡蠣は厚岸。
 スープカレー(筆者はライスぬき)。
 白ワイン1本、焼酎3杯、白ワイン2杯。満腹で帰る。
 先週の水曜から始まった連続酒席も今日でひと段落。さすがに8連投はから
だに来るわ。
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2008.12.16 「びんびや」
 東京からOが出張で来阪。
 帰京前に「びんびや」で慰労。
 せっかく大阪に来たのだ。浪速の旨いモンを食わせて帰さねば。
 突き出しのあとのお造りは「鯛・ひらめ・しまあじ・かつお」。
 鯛の脂がつけた醤油の表面にぱぁーっと広がる。
 しまあじはいつもとおりぷしぷしの歯ごたえ。
 ひらめに乗せられたひとひらのうにの甘み。
 焼きは、鰆の味噌漬け。
 煮は、てっちり。 
 大阪の冬はこれを食わねば始まらぬ。
 揚げは、牡蠣のてんぷら。
 珍しい。
 塩につけてはむ。
 旨味~♪
 追加で、てっさと白子の醤油焼き。
 19:30には新幹線に乗せて送り出す。
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2008.12.15 「The倶楽部キュイジーヌ」
 6:00発の博多始発のぞみ2号は、8:35に新大阪25番ホームにすべりこむ。
 天神のホテルで地下鉄の接続を確認するも始発はまだないと言う。
(本当か?)
 しくじりたくはないのでタクシーで博多駅に向かう。
 この時期、博多の夜明けは7時過ぎ。
 東にむかう新幹線だが、夜の帳は重くて厚い。
 夜汽車のような車窓は、今日1日の長さを想起させ、いささか憂鬱になる。
 徳山のコンビナート群が海に浮かぶ軍艦のように満艦飾の電灯に彩られてい
る。その背後の空の下層が赤みを帯び始めた。
 遅々として上りきらぬ太陽に、いっそ沈んでしまえと呪いの言葉を吐きなが
らいまひとつピリッとしない筆者。
 広島に着く前に日が昇った。
 その眩しい輝きに照らされているうちにやっと活力が蘇りはじめた。
 まさしく太陽は命の源泉だ。
 定刻通りに新大阪に到着。新大阪から梅田(大阪)への移動が悩みどころだ。
京都線、神戸線の遅延は筆者の感覚では日常化している。タクシーを使いたい
ところだが、延々と連なる車列を高速上に見かけたばかりでその意思を実行に
移す勇気はとてもない。
 地下鉄で梅田に行くことにしよう。
 いつもなら淀川を渡りあっと言う間に地下に吸い込まれ、中津、梅田と停車
してゆく地下鉄だが、新大阪を出たとたんに先行車両がつかえているため延々
と発車遅延。やはり日本全国、都市圏の出勤ラッシュの様はかわらんのだ。な
んとか始業の9時ギリギリにオフィスに到着。
 夜は、「The倶楽部キュイジーヌ」へ。
 いつも店のオーナーが別に営む「キュイジーヌHasegawa」に行っているので
「3回に1回はこちらでも」と店長から誘われていた。
 佐越の牡蠣をカクテルソースで。アボガドディップとマグロ、リエットのガ
ーリックトースト乗せのトーストは同行者に。キッシュのパイもきれいにナイ
フで分離し、隣のキッシュのパイ生地をダブルにしてあげる。
 この店の鳥から揚げのジューシーさは特筆に値する。
 白子のグリルサラダ、ホッキ貝の香草パン粉焼きも甘くて香ばしい。牛ホホ
肉赤ワイン煮。ヘレカツサンドのパンは上半分をはがす。
 スパークリング1杯、白ワイン2杯、赤ワイン1本

 
 ただいま徳山駅を通過しました・・・


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2008.12.14 「もつ竜」
 福岡オフィスの忘年会。
 昼の間に入福。
 夜、福岡城跡の堀端、読売新聞社屋に近い「もつ竜」で。
 博多のもつ鍋は「山中」「越後屋」に次いで3軒目。
 もつ鍋以外にも来福すれば、慶州鍋の「いずみ田」、水炊きの「鶏善」「新
三浦」にも行く。博多の鍋は実に多彩だ。
 突き出し(酢もつ・スモークタン・もやしの辛味あえ)、チジミ。チジミは
皆に譲る。キムチ、豆腐とミニトマト胡瓜の味噌のせチシャ巻き、牛テールの
甘辛煮。
 もつ鍋は5種から味を選べるそうな。
 塩とんこつと味噌で落ち着いた。
 途中、豆腐と野菜の追加投入を経て締めはチャンポンと中華細麺を投入。麺
については遠慮をする筆者。だが、すでに腹はいっぱい。デザート(アイスを
一口のみ)。
 白ワイン3杯、JINRO4杯。
 酒食の連投が続いているので、今日は多少へばり気味。
「Vespa」中洲店に行く元気はなかった。
 無念である。
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2008.12.13 「Vespa」と「浜松屋」
 大阪でバックログの解消にやっきになりつつも、京都ブランチへ行かねばな
らない。
 夕方、上洛。
 用務を片付け、「Vespa」京都店へ。店長のI氏、バーテンダーのW氏、2人
一緒のときを過ごすのは久しぶりだ。
 6日前の日曜に来たときはかなり酔っていたと記憶している。
 日曜の夜はW氏ひとりでいることが多い。
 酔漢をうまくあしらってくれた氏からああ、そういえば・・・と記憶を蘇ら
せること多し。
 生ハム、チーズ(シャンパンのグラス出しにチョコレートフォンデューを供
する期間なのだが、糖質制限イーターの筆者にはチーズ)アンチョビー、ソー
セージをつまみ、つまみ、シャンパン、ウォッカリッキー(アブソリュートの
マンダリンフレーバー使用でオレンジ風味)、アクアビットダイキリ、ロンド
ンミスト(マティーニのミスト版)、スプリッツァ、ジョンコリンズ(グレン
リベット12をベースに)
 Vespaを出て「浜松屋」に寄る
 焼酎は、阿吽の人、酔神、夢の番人の3杯。突き出し(うざくの酢のもの)、
明太子、うまき、おでん(卵・厚揚げ・だいこん)、蒲焼。
 やはり鰻重の方がうまい。
 ご飯の威力を再認識。
 無論、我慢である。


いかにもな京都のエントランス(浜松屋)

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2008.12.12 「キュイジーヌHasegawa」
 帰阪。
 S氏と待ち合わせの「キュイジーヌHasegawa」へ。
 宮城の牡蠣は、カクテルソースとビネガーソースで。白子とあわびのグリル、
カモ、ヘレカツサンド(パンは下半分だけ摂取)、オムライス(2匙だけ摂取)、
リキュールたっぷりのキョコケーキ(一匙だけ)、スパークリング2杯、赤1本、
シードルの上澄み酒1杯(これは甘い。糖質制限的には危険酒)、グラッパ1杯。
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2008.12.11 「新宿ねぎし」
 福岡から東京へ飛ぶ。
 大阪から東京出張に来ているMは、結婚後、愛妻家に変貌したドイツ系東北
人。
 事前に決められた酒食以外の飛び込みの誘いには決してのってこない。
 見上げたものである。
 そして筆者はほとんど事前に酒食を決める計画性を持ち合わせない行き当た
りばったりの性格。
 せっかく東京で落ち合ったのだ。
 軽くいこうと高田馬場の「新宿ねぎし」へ。
 近時、牛タンを百万光年は遠ざけているメニュー構成のねぎしだが、やはり
牛タンを食わずにいられまい。赤ワイン4杯、冷奴、牛タン2人前、ロース1人前
、シーザースサラダ(クルトン食わず)、テールスープ、お新香、牛カルビ1人

 完全な居酒屋使い。
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2008.12.10 「久米」
 今日は、年中行事の行脚の日。大阪オフィスを基点に、京都、名古屋、福岡
を巡る。明日は東京だ。
 夜、警固のそばにある「味処久米」へ。
 福岡オフィスの3名を連れてゆく。
 親父殺しの店である。
 親父を殺すにゃ鉄砲はいらぬ。手のかかった肴と酒があれば良い。
 店内の雰囲気は居酒屋のそれだが、大将の仕事ぶりと丁寧なおかみさんの接
客、若い衆の教育もいい。そして次々に出される肴の数々がハイレベルに旨い。
ひと手間かけたそれらの親父殺し度は致死量。一皿で100人は殺傷できる。
 4人で訪店したのでつきだしも4種だ。
 白あえ・豆もやし豆板胡麻油・自家製オイルサーディン・菜花おひたし。
 どれも旨い。
 しらさえび(ポン酢で)、小丸ふぐ、ひらめの昆布締めのびっこまぶしを肝
醤油で食べさせる。おばいけ(くじらの尾・酢味噌で)、なめろう(海苔を巻
いて肝醤油で。この海苔の香りが絶品だ)、牡蠣焼き、さがりカツ(さがりは
牛の横隔膜)、店名物の巨大しいたけ(傘の中のだしを呑む)でかいし、香り
も豊か。おでん、テールスープ(皆は白子雑炊、テールクッパ、鯛茶漬け)焼
酎5杯、皆はビールと日本酒(雪漫々(出羽桜)・越州・寒北斗)。
 かなりまわって中洲へ移動。
「Vespa」で生ハムとカクテル?杯。記憶が途切れた。
 朝、ホテルのゴミ箱を除いて驚いたのはひさしぶりのことだ。
(カラアゲクンの包み紙?・・・チーズの包装紙?・・・マカダミアナッツの
袋?)
 しかも後で判明したことには、タクシー代をたてかえたMに清算するために
金を崩しに入ったVespa下のパン屋で買ったパンが行方不明。


久米のつきだし

しらさえび

小丸ふぐの使用前・使用後

親爺は即死。ひらめの昆布締め・とびっこあえ、肝醤油で

おばいけ

これまた親爺殺し。なめろう

牡蠣焼き

さがりカツと名物のしいたけ
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2008.12.07 「鮨レストラン間」
 京都オフィスの忘年会は「鮨レストラン 間」
 カラフルサラダ、5品の小品(小鯛の笹漬け・豚角煮・魚の南蛮漬け・銀杏
豆腐(Kにあげる)・いかの黄金和え)、ゴマ豆腐、栗かぼちゃの饅頭(Kに
あげる)、海鮮ちらし(上だけ食べる)、赤だし、マンゴープリン(Hにあげ
る)。焼酎水割り1杯、焼酎ロック1杯、グラス白1杯、赤ワイン数杯。
 なぜかまわった。
「Vespa」京都店になだれこみ、生ハム・チーズ、シャンパン、カクテル2杯。
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2008.12.04 「酒洛」
 東京のIT部門の忘年会。忘年会シーズンの開幕である。
「酒洛」にて。
 刺身(ホタテ・マグロ・ハマチ・鯛・ぶり)、焼きタラバ、鶏から、大根
モツ煮、砂ギモから、かんぱちかぶと、サーモン腹身、サラダ、焼酎水割り
4杯、赤ワイン1杯、白ワイン1杯。居酒屋も侮れない。
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2008.12.03 「キュイジーヌHasegawa」
「キュイジーヌHasegawa」へ。
 アボガドディップ+ひきずり&ガーリックトースト(これは譲る)、牡蠣
(ビネガーとカクテルソース)、マダラの白子グリルとサラダ、パイ包みエ
ビすり身とエビ(パイ、半分は食べる)、フォアグラとだいこん、ジビエは
ウズラ。ヘレカツサンド(パン1/3だけ食べる)、オムライス(これはすべて
譲る)、スパークリング、白ワイン1本とグラス1杯、赤ワイン1本とグラス1

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2008.12.02 「パーネヴィーノ」
「パーネヴィーノ」へ。
 牡蠣、トリッパ、生ハム、ワタリガニのクリームパスタ、あさりのペンネ、
ピッツァ、舌平目、白金豚、(パスタは5本、ペンネも5本、ピッツァは1/16)、
グラッパ、白ワイン1本、赤ワイン2本。
 楽しく時を過ごす。
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2008.11.30 舞子へ行こう!
 今日の結婚式の会場は「シーサイドホテル舞子ヴィラ神戸」。
 明石海峡大橋を一望する丘の上の風光明媚なホテルだ。
 明石海峡大橋の景観は筆者の愛する日本の景色ベスト10に確実にランキング
される。
 式場の最寄駅は「舞子」。
 舞子駅は三ノ宮から10駅。西明石から3駅。新大阪から在来線で新快速、三ノ
宮で快速か各駅に乗り換えて行くよりも新幹線で西明石に行って在来線で逆行
した方が早い。
 新大阪の新幹線ホームへむかう筆者の脳裏をチラリと不吉な予感が走った。
 西明石に停まる新幹線は、「こだま」がメイン。わずかに何本かの「ひかり」
も停車するが、筆者が往路でピックアップしたのは「こだま」。
 確か・・・今日は0系新幹線のラストランだったはず。
 嫌な予感がするなあ。
 もし、0系だったら、ぜってぇ座れねぇ。
 ハラハラしながらホームに上ったが、セーフ。ホームはガラガラだった。
 マニアの方々はいらっしゃらない。
 もっとも、ラストランと言いつつも、JR西日本、売れる!と見たのだろう。
まだ何本かの臨時列車をしたてているそうである。
 無論、すでに予約は完売。
 浜の真砂は尽きるとも世にマニアの種はつきまじ。


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去年の今ごろは・・・

2008.11.21 連休の移動はやっぱ危険
 秋の行楽シーズンって言うんですか?
 世間は、土曜日から3連休。
 空港、新幹線のターミナルは、旅行客がいっぱい。
 東京から福岡に飛ばねばならなかったのだが、羽田-福岡便は皆満席。
 やむを得ず、北九州空港行きのスターフライヤー、ANA共同運航便に乗っ
た。
 それでも、残り座席はわずかに5席というきわどさ。
 1時間半のフライトの後、町営なんじゃないかと思えるほどコンパクトな空
港に降り立ち、JR小倉駅までバスで40分。もっと近いかと思っていた。
 海に浮かぶ空港から市街への連絡道路の眺めが、なかなかにいい。
 もっとアクセルを踏んでもいいのでは?と注文をつけたくなる運転手氏の安
全運転のおかげで目星をつけていた新幹線の発車5分前に小倉駅前に到着。
 重い荷物をひいこらかついでダッシュ。慌しく切符を購入し、階段をはひは
ひ駆け上がり、発車のベルを背に飛び乗った。セーフじゃ。小倉から博多は16
分。
 自由席におさまり、新幹線携帯時刻表をめくってみる。
(この電車は12時17分に品川を出ている。え~と、12時47分に品川にいたわけ
だから、30分前に発車した電車に追いついたわけだ)
 80日間世界一周みたい。
(・・・・・・勝ったな)何にじゃ? 

 翌日の朝、博多駅の新幹線券売機はすごい行列。
 ほとんどすべての列車の指定は満席だ。
 グリーンだから助かったが、やっぱ連休って危険。
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2008.11.20 冬将軍
 この秋(冬?)はじめての冬将軍到来。
 北海道や北陸で降雪。
 それも北海道では大雪警報レベル。
 冬将軍の中でも、三ツ星(中将)以上に違いない。だとすれば指揮下にある
のは軍か軍団だ。ガッツがあるに違いない。
 大阪の最高気温も4度とのこと。今回は東京の方が少し暖かそうだ。出張の
荷物になるがトレンチコートに出撃命令を下す。それにしてもこのコート、購
入したのが95年だから13年もの間、現役を通したことになる。襟は黄ばんで、
袖はほつれて、さすがに着ているのが恥ずかしい。退役か、そろそろ。
 冬将軍が引きこむ強風によって空気中の塵が吹き払われたせいか、空が澄み
渡っている。新幹線の車窓に映る遠い山々の峰のひとつひとつがくっきり浮か
びあがり、山襞が露わである。ハイビジョンテレビを見ているようだ。思わず、
伊吹山と富士山を連写。
どちらも山頂に雲を戴き、ちょっと残念。

近江の象徴、伊吹山っす。

富士川渡河の瞬間っす。


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2008.11.18 術後の経過
 白内障の術後8日目。
 診療に行く。
 今までは、それと知らずについていたのかもしれない。今日初めて診察まで
1時間半を待機した。
 右目をクリアにしてもらった感謝の気持ちが溢れているので文句はなし。読
書タイムにあてておとなしく待つ。筆者は紳士だから、決してソファをひっく
り返して暴れたりはしないのである。
 眼圧やら視力検査やらを事前に済ませ、何度目かの臨死体験(くだんの瞳孔
を開く薬を点眼。俺はもう死んでいる・・・心の中でつぶやく筆者)。
 検査結果を見てドクターも満足げ。
 感染症もおこさず、炎症にもならず、傷口を広げることもなかったらしい。
「視力が1.5ですか。良好ですね」
(おお、1.5まで回復していたのか)
 筆者も視力はいまはじめて知った。
 木が生えていたら駆け登りたくなるほど嬉しい。
「明日からは顔を洗ったり、前かがみで髪を洗ってもいいですよ。保護メガネ
もはずしていいでしょう」
 ちょっと不安げな筆者の表情に
「不安だったら、しばらくかけていても問題ありません。そのほうが安心です
しね」
 まだ、かけとこうっと。
 それほどに回復した視力を失いたくないのだ。
「あの~、先生、アルコールは?」
「大丈夫ですよ」
 こともなげに解禁された。
 でも、これももうちょっと控えとこうっと。
 これからは紹介をしてもらった稲葉眼科に診療を引き継ぐとのこと。カルテ
を送っておくので11月中に診療を受けるよう指示された。
「ありがとうございました」
 プロに対する感謝の念がこのときばかりは素直に湧き上がるのであった。

 初診時、紹介状を持参することについて、その後、情報を得た。
 他の医療機関の紹介状を持たずに、200床以上の病院を受診した場合、初
診時に特定療養費が加算されるそうな。
 しかも、この初診料特定療養費は保険対象外なので全額自己負担。その額は
病院が勝手に決められるのでウン千円クラスのところもあるらしい。(片手で
すまないウン千円ね)
 知らなんだー。
 まず、近所の開業医に行って、紹介状を書いてもらうのがベストなようだ。
無論、重篤でなかったり、緊急性が低かったりする場合だが。
 紹介状の作成は医療報酬が決まっていて2000円強だが、これは保険がきくの
で患者は600円強の支払いで済む。
 これにより大病院に患者が集中しすぎて、機能不全を起こすのを防ぐのだろ
う。実際、多くの場合、開業医レベルで大丈夫なんだろうし。一種のトリアー
ジ(救急優先順位づけ)だな。
 それにしても、人生、落とし穴の存在に気付かずにスタスタ歩いていること
の怖さと穴の数の多さよ。
 今回、初めて眼病についていろいろと調べる気になった。
 精神衛生上、よくないが初めて数値の意味がわかってきたものもある。
 オフィスの健康診断では、眼圧測定はあるが、眼底検査はない(むべなるか
な。全員瞳孔を開かされてたら、ゾンビの群れになってしまう。目薬点眼後20
分くらい間があるし)。眼圧検査なんて無意味じゃないかと憤りもあったが、
あれはあれでもっと大変な「緑内障」の検査になるらしい。10~20㎜Hgが正常
値らしい。ふむふむ筆者は・・・一昨年16・15、昨年14・14、今年18・17
・・・上がってるじゃん!
 などと急速に健康オタクになりつつあるのであった。
 健康診断の測定値は、理論と制度と利権でコロコロ変わる。
 今年から筆者のオフィスの健康診断では「総コレステロール値」はなくなっ
てしまった。無価値ということがわかってきたのだろう。かわりに「HbA1C(ヘ
モグロビンエーワンシー)」を出し始めた。
(もっと前から出しとけよ!)
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2008.11.12 眼病百戒(何のこっちゃ)
 歳時史上初の時系列記載。 しばしのおつきあいを。
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 話は1年前に遡る。
 2007年9月5日。その日、筆者は定期健康診断を受診していた。
 視力測定の椅子に座り、レンズを覗き込む。
(・・・・・・・)
 いつまでたっても画像が出てこない。
 いぶかしむ筆者
(・・・・・・?)
 次の瞬間、いきなり巨大な「C」マークが現れた!
 しかも巨大なくせにボケている!
 いつまでも画像が現れなかったのではなく、とっくに表示されていた画像に
気づいていなかっただけらしい。
 いくら待っても反応がなかったので機械がじれて巨大な画像を叩きつけてき
たのだ。
 往時2.0はあった視力がなんと右目0.1と判定され、かなりヘコんだ。

 その後1年、右目がハレーションをおこしたようにぼやけにぼやけ、光を失
ったわけではないが、右目だけをあけて見れば、日中はすりガラス越しの映像、
夜は露出不足の映像となり、モノを見る機能としてはものの役にたたない状態
になっていた。
 生活に支障をきたさないのは左目が稼動しているからだが、その左目とて、
視力0.2となり、ここらで何らかの対応をせねばならないと覚悟をきめた。
 おりしも、健康診断で糖尿懸念を指摘されて10周年の今年、症状からは
「白内障」と判断していた筆者だが、緑内障や、網膜症の懸念もないわけじゃ
ない。
 しかし、とりあえず眼鏡でなんとかなれば・・・と大阪近辺の信頼のおけそ
うな眼鏡店の物色を開始した。 
 
2008.09.22 眼鏡店へ
 曽根崎に「アイトピア」という眼鏡店があった。
 手作り感溢れるホームページが気に入った。
 直感的に信頼がおけると判断して訪店。
 たてこんでいた。
 しばらく待機。
 店主自らが視力矯正の各種チェックをしているらしい。
 45分ほど近隣で時間を潰した後、再訪店。2階に招じ入れられ細かい視力
チェックをしてもらう。
 眼鏡経験のない筆者にとっては、このまま、まかせてしまおうと思える細か
い熱心な手作業。
 結果、左は矯正で1.2まで持ってゆけるが右は0.2がやっと。メガネは0.8ま
で矯正できなければ、医者の領分と言われ、眼科の検診を勧められる。
(眼鏡では救えないわけね)
 駅前第1ビルの稲葉眼科を紹介してもらう。

2008.09.24 眼科開業医へ
「アイトピア」に紹介された稲葉眼科へ。
 大阪駅前第1ビルならオフィスのそばである。
 半休をとって午前中に予約、報院。
 ビルの1Fなかほどにこじんまりとした個人医院があった。
 待合室も広くはない。5~6人も入ればいっぱいになってしまう。
 やはり老人が多い。
 世に目を患っている人ってやっぱいるのだなあ、と自分のことは棚に上げて
妙に感心する。
 あらかじめ記入した問診カードの病歴欄に初めて「未治療だが糖尿病懸念を
指摘されている(10年ほど・・・)」と記入。近時、空腹時血糖値は、懸念を
百万光年は通りこしているんだけど・・・
「アイトピア」のときのように、細かいチェックを受ける。
(ルーティンなんだな)検査に慣れて来た。
 いよいよ診察。
「糖尿をね、10年もね、ほったらかしにね」
 問診カードを一瞥し、一語一語区切りながら話すドクターの顔が心なしかと
ほほ状態に。
「糖尿性網膜症がいつ出ても不思議はない経過年だから、半年に1回は定期的
に検査に来てもらう必要があります」
 瞳孔を開く点眼薬をさして30分程。
 瞳孔が開ききる。
(死ぬとこうなるのか)・・・生きてるけど。
 閃光弾のようなフラッシュカメラで両目の眼底撮影。活動不能状態に。
(テロリストならこの瞬間に射殺されてるな)
 さらに待機。
 40分後、再び診察室に招じ入れられ、厳しい顔のドクターと対峙。
 診断結果は、白内障とのこと。
 ドクター、脅す、脅す。
 真っ先に白内障とは言わないのだ。
「網膜症や、緑内障・・・」
(え?)
「・・・ではありません。白内障です」
 患者を怯えさせるツボを心得ていらっしゃる。
 世の中にドクターは2種類しかいない。
 患者のことを、脅かさなければ言うことなんかきかない自己管理のできない
グータラだと断定しているドクターと、患者のことを、脅かさなければ言うこ
となんかきかない自己管理のできないグータラかもしれないと思っているドク
ターだ。
 稲葉先生はきっと前者。
 そうだとしてもプロからの診断である。一安心。しかも悪いのはドクターじ
ゃない。筆者である。
「網膜症や緑内障だったら大変だったけど白内障だからね、どうします?手術
する?」
(なんじゃ、この緊迫性のない問いかけは?)
「放置すれば?」
「良くはなりません。悪化してゆきます。検査は3か月に1回来てもらうこと
になります」
「さっき半年に一度って・・・」
「それは糖尿性網膜症の検査」
 手術のリスクとか、一般的な話を聞く。
「・・・では手術します。ここでできるんですか」
「そんな簡単なものではありません。ちゃんとした設備のところで行います。
手術ですからね」
 なんとなく軽く考えている患者に、またカチンときたセンセ。
「紹介とかは、していただけるんでしょうか」
「住友病院の××先生に紹介状を書きましょう」
「お願いします」
 紹介状を貰い、さっそく住友病院に電話をいれる。
「初診の場合、8:30~11:30の間にカルテを1Fで作ってもらいます。紹介
状と保険証をそこで提出してください」
 10月7日に行くことにした。紹介してもらった眼科部長のドクターは火曜
と木曜が診療日なのだ。
 それにしても瞳孔を開かされると屋外がまぶしいことビッグバンの如し。ま
ぶしすぎて、眼をほとんど閉じねばならない。日陰を拾って歩き続ける。
 まるでドラキュラ。

2008.10.07 総合病院へ
 住友病院は、リーガロイヤルホテルの裏にある。
 おせじにも綺麗とは言えない堂島川の川端に建つ、とても綺麗で近代的な病
院だ。
 初診でも紹介状はあたりまえのようだ。
 紹介状を添えて初診手続きを・・・とこともなげに案内している。
 カード式の診療券を渡される。
 最近の病院は、警備会社のセキュリティシステムを導入した上場企業のよう
だ。
 再診からは、各科の前にあるカードリーダーにこの診療券を指すと、当日の
診療案内がペーパーで吐き出される。機械の脇にクリアファイルが積まれてお
り、診療券とこの診療案内をはさんで各科外来受付に提出するのだ。
 診療が終われば、このファイルを会計に提出する。整理番号を渡され、会計
前のボードに銀行のように自分の番号が表示されるまで座って待つ。
 薬があれば、領収書に薬が必要な旨、表示され、病院の隣の薬局で、調合し
てもらう。
 医者嫌いでほとんど病院に行かない筆者にとっては、何もかもが新鮮である。

 眼科外来にて初診。
 稲葉眼科のときと同様、いろいろとチェックをされる。
 今日も瞳孔を全開にさせれた。
(二度目の臨死体験・・・)心の中でつぶやく筆者。
 紹介をうけたドクターは役者の橋本功氏にそこはかとなく雰囲気が似ている。
「白内障ですね」
 手術をすることに同意し「しかし、血糖値が高いので・・・」とチェックを
願う。
 そんなことは、先方のルーティンに組み込まれているのである。 
 その場で内科に紹介され、心電図、胸部レントゲン、採尿、採血をし、16
日に問診のため来院を指定される。
 これあるを予期して、昨夜来、何も食べずに来院したのだ。
 順調に行けば11月10日に手術の予定。
 外に出れば、やっぱり日の光がまぶしい。
 日陰を拾って歩き続ける。
 まるでドラキュラ。

2008.10.16 手術決定
 住友病院にて2度目の眼科検診。
 瞳孔、三度目の全開。
 前回の内科検診結果を告げられ、手術前検診でのHbA1C(ヘモグロビン
エーワンシー)は、8.4だったとのこと。
 10.0以上は手術不適応らしい。
 危ないところだった。1ヶ月前の会社の定期健康診断で10.0だったのだ。
 偶然だが、その頃から糖質制限食を始めておいてよかった。1ヶ月で1.6
落としたことになる。
 診断、ならびに手術のインフォームドコンセントを受ける。
 手術適用との認定をうけ、手術実施の方向であれよあれよと話がズンズン進
む。
 手術時間は15分程度。
 日帰り手術も受けられますが、どうします?と問われ、じゃあ日帰りにしま
すと答える。
 日帰り手術センターで手術当日の説明をうける。
 手術センターに入室するために手を殺菌消毒するのが新鮮。
 外に出れば、やっぱり日の光がまぶしい。
 日陰を拾って歩き続ける。
 まるでドラキュラ。

2008.10.22 内科でチェック
 住友病院にて内科検診。
 HbA1C(ヘモグロビンエーワンシー)8.4。(先般眼科で聞いている)
 内科ドクターからは、重症と脅される。(実際そのとおりの数値だが)
「本当は入院」などとも言われるが本気ですすめていないことは態度で明らか。
 アキレス腱の反応をチェックする。
 1ヶ月前の会社検診でHbA1Cが10.0だったから1ヶ月で1.6の削減
効果があり、それは糖質制限食をしているからだとの当方の主張にはまったく
興味を示さず。
 投薬処方もなし。栄養士との面談日と次回の検診日を決めて終わる。
 白内障の手術が終わるまでのつきあいだと思っているので、ま、いっか。

 行きつけの美容室で髪を切る。
 手術後、しばらく顔も洗えず、髪も洗えない。
 短くするに如かず。
 かかりつけの美容院のお兄ちゃん、難病で3週間入院していたそうな。病み
上がりらしい。難病だから、完治ではなく経過観察の身。筆者の糖尿も一生モ
ンだから、病気持ち間にしか生れぬ連帯感で慰めあう。 
 術前にもう一度来て、短髪の最終調整をする約束をして店を出る。 

2008.10.30 栄養指導・・・
 住友病院で栄養士指導。
 近時2ヶ月の糖質制限の話をし、会社の健康診断の結果用紙と先般の診断結
果を比べる。
 1ヶ月でHbA1Cが10.0から8.4になったことは、ここでは評価された。
 栄養士の女性は、観相士かもしれない。(こいつには何を言っても無駄。ひ
との指導なんか受けるタマじゃない)と思ったのだろう。ほとんど指導されな
かった。
 日常の食生活の話(糖質制限食について)、料理のレシピの話など、聞かれ
れば十倍の量を話す筆者は、彼女に、とっとと追い出された。
 しかし、先般、聞きそびれた検診時の空腹時血糖値は185の高値。
 血糖値コントロールに課題を残していることを認識する。

 この日、東京へ出張。東京オフィスのある高田馬場の中西薬局で血糖値測定
器を購入。
 平成17年から血糖値測定器の販売に資格が必要になったらしく、どこでも
買えるようなものではなくなっていたが、東京オフィスのそばにある薬局でこ
んなに簡単に買えるとは行幸である。
 ただし、指定銘柄としていた、アキュチェックアビバは扱っておらず、ニプ
ロのフリースタイルフリーダムを買うことになった12,310円。

2008.11.08 断髪式
 術前2日。
 オフィスにYとF、N嬢が顔を出し、手術の無事を祈ってくれる。
 いや、筆者は幸せ者である。
 髪を切る。
 有史(高校卒業)以来、最も短い髪になった。
 美容師のお兄ちゃんと近況報告の交換。
 お互い頑張りましょうと別れる。

2008.11.10 オペ
 手術当日。
 手術は13時から。
 手術センターには11時半に出頭を命じられていたので、定刻の15分前に
出頭。
 手術センターにはいる前に手を殺菌。
 前回同様のルーティンである。
 手首に氏名と処置科、コードを記入したタグをつけられる。
 氏名と手術対象の目を確認。問われれば必ず軍人のように復命する筆者。
 えらいのである。(命令じゃないって)
 血圧測定 139-91
 体温測定 36.5
 血糖値測定 127(お、筆者にしてはいい数値)
 点眼薬「ベストロン」を何度もさす。これは3日前から1日4回さし続けて
いた消毒薬である。
 カーテンで覆われた安静スペースで服を着替えてリクライニングチェアに頭
をあずける。
 1時間の待機。アイポッドを聞いて時を過ごす。こういうときは沖縄音楽だ。
てーげー、てーげー。
 その間にも瞳孔拡散薬を点眼。(またじゃ・・・)
 しばらくして「開いてますね」と確認され、もう一度点眼(これ以上開かん
て)
 
 安静スペース内にはロッカーがある。
 中には手提げ金庫がある。
 貴重品を入れる。
 鍵を看護士に預けりゃいいのに、靴下に入れる筆者(サンタさんだよ-、
おーほっほ)
 隣のコーナーには午前中に手術を済ませた人が寝ているらしい。
 2人いたが、2人とも両目を手術するらしいことが看護士との会話で伝わっ
てくる。
 顔を2度洗う。
 トイレに行かされる。
 12時50分。
 手術開始は13時と告げられている。
 スリッパを手術室用のものに履き替え、車いすに座る。看護士に押してもら
って手術室へ。
 いかにも手術をするのだという感じだ。
 手術室前で看護師が交代、バトンタッチ。
 氏名と手術する目を確認される。
 復誦。
 頭をキャップで覆い、テープで止める。
 手術室のドアの開閉ボタンは廊下側面の足元にある。踏むのか蹴るのか、置
くのか、入室するドクターや看護士が動作をすると、それで開く。
 中へ。
 目につくだけで手術室が6室あった。
 6番目の部屋に入る。
 ベッドに横になり、心電図の電極をつけられ、血圧測定器をセット。ボール
を握らされる。何かあったらこれを握れとのこと。
 両目に麻酔の点眼。
 目をあけた状態でテープか何かで覆われるようにとめられた。きっとストッ
キングをかぶった銀行強盗みたいになっている。
 両目を開けておくように言われ、頭上の明かりを見つめ続けさせられる。
「よろしく」
 ドクターの言葉で手術が始まった。
 光の乱舞とおびただしい量の流体で目を洗われ続けているような感覚。シン
セサイザーのような妙な不協和音が鳴り続ける。超音波の音かしらん。
 痛みはまったくない。
 ないが、手術の説明は事前にムンテラされている。
 上方の角膜と強膜の境目を3~6ミリ切開し、水晶体嚢の前面を切開。超音
波で水晶体を破砕、吸引。人口レンズの挿入。これらのことを15分程度で処
置するのだ。
 今、何をされているかと思うと、思わず知らずからだに力が入ってしまう。
 何度も肩の力をぬかねばならない。
 ピッピッという心電図と、定期的に作動する血圧測定器のプシューという音
だけが耳に入る。
 ドクターも助手も皆、無言のようだ。(本当は何か話しているのだろうが、
記憶には残っていない)
 何のきっかけも感じずに終了を告げられた。 
 目はガーゼとカッペで覆われそれをテープで止めている。
 自分でベッドから降り、再び車椅子の人となる。
 車椅子を押されながら、手術室を出、再びさっきの看護師とバトンタッチ。
看護師が筆者の次の手術患者を連れてきていた。
 左目だけが生きているが、心なしか今までよりよく見えるような気がする
(あきらかに錯覚だが)
 さきほどのセンターに戻り、1時間、横になる。アイポッドを聞く。
 時計を見ると1時20分。
 ほんとに15分ほどの手術なのだ。
 15分後、さきほど手術室ですれ違った患者が帰ってきた。
 この人も15分程度だ。
 血圧と体温を測る。117-78、36.4度。健康である。
「あとで先生が来ますからね」
 何気なく聞き捨てたが、さっき部屋にいた術後の患者にドクターの顔出しは
なかったような気がする。
(・・・筆者だけ特別?)
 ・・・ちょっと嫌な気分である。
 ドクターの来訪前に、術後に服用、点眼する薬の説明を薬剤師から聞く。
 飲み薬が1種類。これは抗生物質だ。明日からは点眼薬3種を1日4回。3
ヶ月は差し続けるかもしれない。
 明日の術後診療の受診方法を聞く。
 ドクターがカーテンのむこうから顔を出した。
「何ともありませんか」「はい、ありがとうございました」
 微笑。
「おだいじに」
 心配していた嫌な告知はなかった。
(では手術の日にお会いしましょう)と言われた3週間前を思い出した。
 患者を安心させるいいドクターである。
 稲葉眼科はいいドクターを紹介してくれた。アイトピアもよくぞ稲葉眼科を
紹介してくれたものだ。今回の紹介リレーは、北京オリンピックの日本男子リ
レー陣のようにうまく連携してくれた。
 1時間が経過し、帰っていいと言われ、退院証明(日帰り手術でも入院、退
院という事務上の手続きになるのだろう。どこの世界にも事務手続きとそれに
まつわる各種のルール、金銭の計算原簿が発生するものだ)と支払い方法の説
明をうけて、部屋を出る。
 退院支払所で50,720円を支払い、タクシーで帰宅。
 シャワー(首から下)は翌日から。入浴と電気かみそりは3日後から。洗顔
とシャンプーは1~2週間禁止。
 シャンプーは上を向いてならば3日後からOK(美容室でのシャンプー)。
 寝るときはカッペ、
 日常はゴーグル装着(どーやって生きてゆく?)それも1ヶ月ははずせない。
 翌週の診療は明日聞く。
 畏友Iから電話が入っていた。
 留守電を聞く。
「確か今日、白内障の手術だと聞いていたので・・・勇気づけようと思って電
話しました」とのこと。
 笑った。
 電話する。
「はい」「Ⅰです」「どうでした?」「さっき留守電を聞いた。おかげで勇気
づけられたよ」
 大笑。
 所長とオフィスに無事終了をTELし、明後日、予定通りに出勤することを
告げる。
 自宅前を歩いていたら、帰宅途中の小学生の群れにぶつかった。片目を見慣
れぬ金属の眼帯のようなものと、そこから大きくはみ出したガーゼで留めた不
審な男を皆、一様に怖がっていた。
 ふ・ふ・ふ。さらっちゃうぞ~。
 なんだかんだ言っても手術の終わった開放感がある。
 夜、電話をくれたMにその話をし、無事を告げる。何はともあれ、外科的侵
襲をうけたとは思えぬほど、自覚する消耗はない。痛みもまったくないのが嬉
しい限り。

2008.11.11 術後
 手術翌日。
 朝から一般診療が始まる前にドクターの術後診療をうける。
 普段通り、電車に乗って梅田へ。
 8時45分からの診療なので、リハビリを兼ねてオフィスで仕事をひとつ片
付けて病院へ。
 名前を呼ばれて外科外来に入る。
 看護士が、昨日来、右目を覆っていたガーゼとカッペのテープを剥がす。
 注目の一瞬である。
(おおっ!)
 クリアな画像が右目の網膜に映った。
 あまりにクリアで眩暈がしそうだ。
 遠い昔になくし、忘れかけていたクリアな映像だ。
 望遠鏡ごしに見ているような若干の浮遊感がある。
(レンズ越しに見ているようだ)
 あたりまえである。水晶体はすでに人工のレンズなのだ。サイボーグなので
ある。これでオーベルシュタインに一歩近づいた。(銀英伝を知らない皆さん、
ごめんなさい)
 眼圧を測定した後、ドクターに呼ばれる。
「どうですか」
「おかげさまで、かなりクリアです」
 拡大鏡で目を覗かれる。
「ああ、きれいになりましたね」
 異常のない左目も覗く
「こっちの方が少し濁っているくらいだ」
 確かに右目はクリアだ。クリアすぎる。青白色の明るさが戻っている。左目
のほうが視界に微妙な黄味がかかっている。無論、今までそんなことは気がつ
きもしなかった。
 来週の診療時間の予約をし、部屋を出る。部屋を出たところで出入り業者か
ら「保護めがね」を買う。業者の胸元のIDカードを見る。
(アイトピアじゃないのか)
 紹介リレーがあったので、そこはかとなく読んでいた筋は「ハズレ」。
 2,500円。
 ゴーグルかと思いきや、ちょっと見はメガネ。芸能人の八嶋さんみたいにな
る。
 これならば、ゴーグルの不自然さをカバーするためにスキューバダイビング
の格好で出勤しなくてもすむではないか。
 近場の細かい文字はどうやら左目の方が焦点をあわせやすいようだ。
 右はちょっと離れたカレンダーの文字がくっきりと映る。
 焦点深度に微妙なバラツキがあるが、視力が安定するのに3ヶ月はかかると
言う。今の状況に文句はないが、不自然に感じるときは眼鏡で矯正だろう。ア
イトピアで作ることにしよう。
 ドクターに電動歯ブラシの使用を確認。OKと言われるまで一瞬の間があっ
た。振動がよくないかと思って聞いたのだが、口内からのはねとびをおそれて
のことらしい。やはり各種の埃、飛沫が目に入ることを最も恐れている風。
 気をつけて過ごすことにしよう。
 いずれにせよ、日常生活は1ヶ月ほど保護メガネをかけ、寝るときはカッペ
をつけなければいけなかっぺ。
 ・・・ごめんなさい、もう言いませんから。
 目薬も1日4回、3種を点眼。木曜までの4日間は術後の抗菌薬も朝夕食後
に服用で難儀なことではある。
 しかし、回復した視界の晴れやかさを思えば、些事、些事。
 保護メガネはさすがに2,500円だけあって、ツルをひっかける耳が痛く
なる。
 
     カッペ と 保護メガネ

2008.11.12 終章
 術後2日目。
 会社に出勤。
 駅の対面ホームの電照看板を見る。
 今まで、いつも片目で確認するのが癖だった。
 その、かなり大きなタイトルすら見えなかったのが、今日はくっきり。
(還ってきた)
 そんな感じである。
 見える、見える。見えますぞ。
「つしま内科クリニック。内科・小児科・消化器科・アレルギー科。休診日、
日曜・祝日、津島××。内科専門医・肝臓専門医・消化器病専門医・消化器内
視鏡専門医」
 意味も無く読みまくった。
 内臓や他の臓器手術と違って、目の手術は結果がありありとわかるので外科
手術の中でも、『直った!』感が実にストレートに伝わってくる。
 やはりものが目だけに、目に見えるってことですか。

 ・・・・すいませんでした。もう言いません。

 
 術前 と 術後 のイメージ
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2008.08.30 パソコンなんてやめてしまえ!
 先週ノートPCを買った。
 さすがはVISTA様、すべてが一発で決まらない。
 デスクトップのバックアップ機のつもりなのでプラットフォームにするつも
りはない。 だから求める機能は実にシンプルだ。
 メールができて、インターネット検索ができて、iTuneでiPodのメンテが
できて、デジカメの画像を取り込めて、Photoshopで画像の編集ができて、ホ
ームページが作れればいいのである。文章なんて筆者は「メモ帖」で作成して
いる。家計と住所録管理はEXCELでいい。
 なのに、なぜひとつひとつ問題が発生するのだろう。
 そしてその問題解決に時間を取られることになる。
 こちとら無尽蔵に時間があるわけではない。睡眠時間を切り詰めてまでする
作業ではないと思い決しているので1日で問題が片付かず生煮えな精神状態が
続く。
 保有しているエッジに繋ごうとして挫折した。
(現在使用しているネットケーブルをデスクトップから外してノートに繋げば
大丈夫だ・・・とほほ何やってんだ俺)
 Fujiのデジカメ画像は、サムネールまで落としこめるが1枚1枚が開かない。
(Photoshopなら開くのだが・・・とほほほほ)
 iTuneからミュージックライブラリを引越ししようとVISTAでヴァージョン
アップのインストールをした。
 iTunesフォルダーをコピーして上書きしたら・・・な~んとスッカラカン
のカーだ。
 とほほほほほほほほほ・・・ミュージック達は、どこにいったのかしらん。
 そーだ。再セットアップディスクを作成しておかなければ・・・
 などとドタバタしているうちにあっという間に1週間が過ぎてしまった。
 現在、無線LANルータを使ってやっとこさ寝室でノートがいじれるところまで
きた。
(ルーターって無線と有線が混同できるのね。デスクトップも従前通りで稼動
できるのでOK牧場である)
 もろもろの問題は解決したが、ここにくるまで何度、ドライバーやら何やら
をアップデートし、インストールしたことか。保有ソフトが皆古いのも原因の
一端だが、やっぱPCは家電じゃないなと改めて思った。
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2008.08.29 ゲリラ豪雨
 筆者の乗った新幹線が豊橋を通過した1時間後、三河安城、豊橋間の雨量計
が新幹線の走行許容値を超えた。
 新幹線は当然、運行を停止する。
 筆者は際どくトラブルをすり抜けたのである。
 その後も新幹線は終日運転見合わせや徐行でダイヤは混乱の極みとなった。
 これが昨日のことである。
 さて、本日。大阪に帰阪する足をどーするか。
 東京オフィスで考えた。
 窓から見上げる空は青く澄み渡っている。
 しかし、東海、関東では大量の雨が週末まで断続的に降り続くと天気予報は
言っている。
 河川の増水、雨量計の基準値オーバー、強風、こうなると地上を走る鉄道は
リスクが高い。久しぶりにエアで帰阪することにした。
 珍しく、羽田ではタキシングで順番待ちのロスタイムが発生することもなく、
伊丹に向けて順調なフライトが続いた。
 るんるんである。
 しかし、東海地域を過ぎようというところで、前方に巨大な積乱雲が現れた。
 アナウンスの後、乗機がその中に突っ込んだ。
 ガックンガックンブルブルスットーン!
 絶叫マシンだ、まるで。
 ガクガク!ストーン!
 たーびゅらんすだよ~♪
 やけくそとはこんな状態を言うのだと思う。
 無事伊丹に着陸し、梅田のオフィスに戻るなり新幹線の運行状況をネットで
チェック。
「遅延のお知らせ」が掲出されていた。
 よーし正解。あんだけ怖い思いをさせられて新幹線が通常運行ではワリがあ
わない。
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2008.08.27 富士山、初冠雪
 早過ぎないか。
 今年の夏は後半、冷夏ってことになるのだろうか。
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2008.08.24 アロハ
 昨日、関東圏では最低気温が軒並み20℃以下。東京の最光気温は22℃。例年
の平均気温30℃を8℃も下回っていた。当分30℃を超える日はないらしい。
 夏休みもあと1週間。
 学校通いの少年少女にとっては寂しい1週間だ。
 でもオジサンは、そんなのま~ったく関係ないもんね。
 涼しくなり始めて書くのも何だが、今年の部屋着はアロハが主流だった。
 沖縄病が進行しているのだろう。
 一昨年から、夏は「かりゆしウェア」が多くなった。アロハではない。ボタ
ンダウンである。ちょいとデザインが洒落ている。外出に着てもヤクザとは間
違われない。
 それがとうとう今年はアロハに手を出してしまった。風呂上りの部屋着にち
ょうどいいのだ。老母も筆者が石垣に行ったときにおねだりしたアッパッパー
をるんるん気分で身にまとっている。
 ここはハワイアンセンターか?

 
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2008.08.23 ノートPC配備
 自宅のPCは99年に購入したWindows98SEのデスクトップ。
 いまだ健在なれど、老いの影は覆うべくもない。
 いつお迎えがきても不思議ではない。
 看取る前に次世代機を用意しておくことにした。
 近所のコジマ電気でNECのLavieが安売りされていたので購入。
 8月にLavieの新機種が出たので、クリアランスだろう。
 VistaもOffice2007も嫌だが、時の流れには逆らえない。
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2008.08.22 秋来たりなば・・・
 いつもより早めに会議が終わり、東京オフィスを出た瞬間に気がついた。
(涼しいではないか)
 頬を撫で、袖口から忍び込み、そっと襟元をくすぐる風はすでに秋の気配を
滲ませている。
 東京以北は、盛夏の時期を終え、残暑に夏の名残をとどめる季節となったよ
うだ。
 昨日の早朝、稚内の最低気温は10℃だった。
 同じく釧路は予想最高気温が18℃。北海道は、すでに秋半ばである。(これ
はこれで早すぎる)
 大阪でも30℃は超えているが35℃は超えない日が続いていたが、帰阪した新
大阪駅から見えるダイキンの巨大温度計は29℃を表示していた。
 一時期の猛暑は影を潜め始めた。
 お盆を過ぎたら、季節が変わり始めた。
 今年は、天気もちゃんとしているなあ。
 なんと、本日、とうとう就寝中のエアコン稼動まで止めてしまった。
 扇風機は回ってるけどね。
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2008.08.18 牢獄
 お盆をなめてはいけない。
 博多から乗車する「のぞみ」グリーン席が満席なんてことは、森永ピーナッ
ツチョコで金の嘴が出るくらいの確率でしかないはずだ。
 金の嘴はあたったことがないが、満席にあたってしまった。
 今日は月曜日なのにだ。
 お盆のUターンは日曜日で終わりと読んだスジはマルハズレ。
 車両に乗ったら、すでに隣に人がいた。
 博多から新大阪までずっといた。
 グリーンと言えども窓際席は通路側が埋まれば牢獄である。
 幸い、上品そうな初老のご婦人だったからよかったが、これが、デブっちょ
の柄の悪いお兄さんにテーブルを倒され、ビールを置かれ、つまみが散乱し、
挙句の果てにいびきをかかれた日にはどーやってトイレに行けばいいのだ。
 心配で夜も眠れない筆者である。
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2008.08.17 乗り尽くしの日(鉄に非ズ証左の1日)
 地下鉄に乗って千里中央へ出た。
 モノレールに乗って伊丹空港へ向かった。
 飛行機に乗って福岡へ舞い降りた。
 地下鉄が西唐津行きの快速だった。姪浜でJR筑肥線に乗り入れ唐津まで。
 バスが唐津駅前にやってきたので呼子まで乗った。
 船が出ると言うので飛び乗って玄界灘を遊覧した。
 タクシーに乗って名護屋に向かった。
 タクシーを呼んで呼子に戻った。
 バスに飛び乗った。
 唐津で電車は1時間待ち。その間にイカシューマイとイカゲソ天とざるそ
ばを食べた。
 天神で降りて、今日の来福の目的であるTの歓迎会場に向かった。
 翌朝、新幹線で帰阪する。
 あらゆる乗り物に乗りつくした1日となった。

 あ、チャリに乗っていない!
 バイクもだ!
 2輪に落とし穴ってことか。
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2008.08.13 お盆恒例
 いつもより1本遅い6時21分発の電車に乗ろうとホームに上れば人っ子ひ
とりいない。
 さすがはお盆である。
 もっとも11分発の電車が出て5分しかたっていないからだが・・・
 流石に電車が進入してくる時刻には何人かの乗客の姿があった。(ほとん
どが旅立ちモードですけど。通勤客らしいのは筆者を入れて3人しかいない)
 今日は胡瓜に割り箸を刺して馬を準備する日だ。
 ご先祖様に早くやってきてもらうために13日の盆の入りは馬を造るのであ
る。
 ちなみに16日の盆の終わりにご先祖様をお送りするときは別れを惜しんで
ゆっくり行ってもらうために牛を用意するのである。
 それが茄子。
 檀家になって法要を重ね、仏事の薀蓄が増え始めた。
 うんち・くさい先生登場。
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2008.08.10 独居の法悦
 7月末から続いた旅ガラスの人生も久しぶりにピリオド。
 7月27日以来2週間ぶりに終日、家にいることができる。
 しかも母を実家に預けてきたのだ。
 ルン♪
 ひとりきりのおウチ暮らしは実に1年ぶりだ。
 親の居ぬ間に何してやろう(高校生か)
 とりあえず、2ヶ月ぶりに散髪し、牛鍋を作ってオリオンビールを飲んだ。
(沖縄病に罹患中)
 オリオンビールはアサヒが資本参加している。発泡酒におされてオリオン
ビールの売上も苦戦中らしい。
 昼から飲むのは、かなり久しぶりだ。
「沖縄そばだし」と「信州蕎麦」で沖縄蕎麦を作り、昼寝。
 目が覚めれば陽が沈み、1日が終わろうとしている。
 朝夕の植木の水遣りを頼まれているのでベランダの植木に水をやる。
 何がなし、夏の休日ちゅう1日。
戻る  ・・・去年の今ごろは

2008.08.09 ゲリラ豪雨
 新幹線は、突然、雷とスコールラインの中に突っ込んだ。
 車窓は一瞬で真っ白になり、淡いグレイトーンに沈み込んだ街並のむこう
を稲妻が天から地にトールハンマー(雷神の槌)のように何本も投げ下ろさ
れている。
 2時59分に新横浜から乗車した新幹線は、どうやら最悪のタイミングで
静岡を通過してしまったらしい。
(雨量計が300を超えても駄目。落雷で変電所が止まっても駄目。早くここ
を脱出してくれい!)
 立ち往生の車中で時を過ごしたくない筆者の祈りは切実だ。
 その祈りのおかげで列車は、豪雨と雷に打たれる静岡を無事、突っ切った。
 関西はこともなく快晴。
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2008.08.07 立秋
 暦の上で、だけの立秋。
 24節季のうち最も実態とかけ離れた日ではないか?
 まだまだガンガンに暑い。
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2008.08.04 日の出・日の入り
 北緯24度20分、東経124度9分の街、石垣にいる。
 夏至も過ぐること1月と1旬。
 日の出もあの頃より30分強は遅くなっている。
 石垣の日の出は札幌とは2時間弱の違い。
 日の入りにそれほどの差がないのが日の出・日の入りの面白いところ。
 8月4日の各地の日の出・日の入りは以下のとおり。
 
 札幌 4:28 18:53
 東京 4:51 18:43
 大阪 5:10 18:58
 福岡 5:33 19:16
 石垣 6:13 19:26


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2008.08.03 博多にて 
 博多を訪れて太らずにいることは、梱包材のエアクッションを握ってプチ
プチしないでいるくらいに難しい。
「河庄本店」で寿司と魚を満喫し、バー「Vespa」でカクテルを楽しむ。
 同行のK氏は屋台のラーメンも狙っていたのだが、日曜の深夜1時近くと
あっては天神界隈の屋台も帰り支度でこれは断念。
 しかし、翌朝(ちゅうても10時半頃だが)、博多駅デイトス地下の「石蔵」
で鯛茶漬けのオーダーをしているところで氏に再会。夜も朝も席を同じうし
て別れる。

 地下鉄博多駅の筑紫口、上りエスカレーターは2機ある。
 向かって右のエスカレーターの方がスピードが速い。
 無論、筆者は右側に乗る。
 立ち止まってベルトにつかまっていても、隣の人々をグングン抜いてゆく
のである。
 う~ん、快感。

 今日から石垣島へ高飛びである。
 バイバ~イ。
戻る  ・・・去年の今頃は

2008.07.26 連日、猛暑、熱帯夜
「観測史上初」とか「今年最高」なんて言葉は、そうそう簡単に使われないも
のだという認識を改めなければならない。
 毎日、見ている気がする。
 今日は、岐阜で39度。
「熱中症」も筆者の少年期、夏になるとほぼ毎日見聞きしていたような「光化
学スモッグ」と同じくらいメディアを通じて見ている。
 もはや網膜に焼き付いて離れないくらいだ。
 6月は涼しかったような気がするが、いきなり逆激をくらった感じだ。
 筆者の家の電気代が如実に示している。
 前年比166.6%。
 去年は老母を大阪に迎える前だったから、同一に比較はできないけどね。
戻る
 
2008.07.25 神経抜かずに済むか?
 朝7:00、歯医者で診療。
「どうやら神経は抜かずにすみそうですね」
 心安んずる歯医者のお言葉。
「削りますよ」
 ウィィィィィィィンガガガガガ
「あぎ」
「あーここが神経に触れるぎりぎりのところだ」
 ウィィィィィィィンガガガガガ
「あが」
「削れるのは、ここまでですね」
 型をとり、ゴム状の仮詰めを入れる。来週には開放されそーだ。

 8:30からの会議をこなし、11:00すぎには東京のオフィスを出る。
 今日は行脚の日だ。
 名古屋オフィスに13:45。
 京都オフィスに15:00。
 大阪オフィスには16:15に帰着。
 明日は、博多オフィスに日帰り行
 12:45入りで速攻帰阪、16:15着の予定。
 今夏は博多への用務が多い。3週連続で訪福している。
戻る  去年の今ごろは・・・

2008.07.22 大暑
 24節季の「大暑」
 最も暑い日を現す言葉のとおり、連日猛暑が続いている。
 東京では10日連続の真夏日。
 雨も少ないし、各都市の水瓶は大丈夫か? 
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2008.07.21 京都37.5度
 ハッピーマンデーの「海の日」
 会社行事で千里山の関大に向かう。
 立ち仕事だが、昨日よりも暑くない。
 それでも、京都で猛暑日。
 最近京都は昔の「暑い京都」を復権しつつある。
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2008.07.20 猛暑日
 近畿圏、今年初の猛暑日。
 愛媛大洲で38.2度今年の最高気温を更新。
 千里山で年中行事をこなす。かなり暑い。日に焼けるな、これは。
 行事は朝イチなので半ドンにする。
(どっか行くか)
 しかし、昼頃には、何をする気も起こらないほどの暑さに襲われる。
 帰って、昼寝。
戻る

2008.07.19 夏休みの始まりか?
 朝イチの新幹線で帰阪しようと、5:25 高田馬場駅頭に立つ。
 5:30 にホームへすべりこんできた電車は、人がびっしり。
 それを見た筆者はびっくり。
(ありえない)
 朝 5:30だよ。それも土曜の。
 東京駅も人が多かった。
 何?コレ。
 ふと気がついた。
(今日から夏休みだ。しかも世間は今日から3連休)
 なるほど。
 8:30には帰阪。
 今日は公休。
 でもこーゆー朝の使い方をしちまうと、1日何かしようという気力が沸かな
いのはやはり歳のせいだろうか。

 地元で蝉の鳴き声喧し。
 もしかしたら、今年、大阪での初認識かも。
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2008.07.18 歯が欠けた
 朝7:00から診療してくれる歯医者へ。
 1年4ヶ月ぶりの診療だ。
 本当は半年に一度は検診に来たほうがいい。それはわかっているのだが、歯
であれ、健康であれ、それを失うような危地に陥らない限りなかなかしんけん
に向き合えない筆者。
 神経を抜くか抜かざるか、虫歯が微妙に進行していたらしい。
 痛みはないのだ。
 診療に来たのも、先週、カツカレーのカツの衣で歯が欠けてしまったためだ。
(恐るべしカツの衣)
 しかしながら、どうやら深甚な状態の一歩手前まで来ていたらしい。
 カツの衣様様かもしれない。

 内装の打ち合わせを終え、終日、広告原稿の制作。
 今日は帰れない。
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2008.07.17 大阪→東京 夕飯はのり弁 
 近畿、中国で梅雨明け。 (昨年は・・・)

「すでにおまえは明けている」って感じだったっすけどね。
 追認みたいなもんだ。
 関東は、まだ、ということらしい。

 IT部門の外注打ち合わせと、内装工事の打ち合わせで上京。
 広告部門もパンフレットをひとつ、うやむやのうちにディレクティングする
ことになっていた。(言い出しっぺということで)今回、デザイナー兼オペレ
ーター役となった企画・広告部門の現場責任者Tが待ち構えていて身柄を確保
された。取締役と部長級のふたりでパンフレットを1本制作。ホント中小企業
って何から何までやらねばならない。(けっこう嫌いじゃない。性にあってい
るっちゅうことか。中小企業体質の筆者)
 本腰を入れなきゃいけないとの認識欠如のせいか、右脳、左脳変換スイッチ
を入れそびれ、起動が遅れた。頑張らねばならないのね~。

 夕飯に近時、独立騒ぎのあった「HotMot」の「のり弁」。
 懐かしい。
 懐かしすぎる味だ。
 価格は280円。
 筆者の記憶違いでなければ、大学時代もこの価格だったような気がする。
 脅威の価格据え置き商品だ。
 30年近くも価格が変わらない。
 卵か?
 価格が変わらないのは、看板商品ゆえ?原価を押さえられる食材なんだろー
か?販売数の拡大がなければ、売上は増大しない。諸物価は向上しているから、
利益確保は他の商品に拠っている?そー言えば、サラダのドレッシングは20円
で別売だった。
 それにしても、魚の白身フライ、ちくわ天、海苔とこんぶ、大根の漬物。
 メンバーの入れ替えもなかった。
 なんか橋田壽賀子のホームドラマを食べてるみたいだった。食べられるのか?
それ。
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2008.07.16 福岡→大阪 オフィスの手土産はぶどう大福
 東京から福岡に転勤してきたTを福岡オフィスにて待ち構え、着任式と訓示。
 速攻で帰阪。
 のぞみN700系のいいところはグリーン車全席にコンセントがついたことだ。
 テーブルもA4ノートを載せられる。
 仕事モードのときはけっこう有用。

 福岡で蝉の鳴き声を確認。
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2008.07.15 鳥善のポン酢
 会議を2発終わらせて、福岡へ。
 夜、鳥善へ。
 お中元シーズンとお歳暮シーズンにしか販売しないというここのポン酢を購
入しなければならない。
 小鉢・地どり刺身・手羽焼・鳥焼三品・唐揚・水炊・雑炊・香の物・デザー
ト(柚子のシャーベット)で満腹となるコース料理は3600円のお手頃価格。
 最近、銀座にも出店したらしい。
(歌舞伎座のそばだから、晴海、あるいは築地に近いのか)
 東京でも鳥善を楽しめるのか。
 興味本位でホームページをチェックしてみた。
 博多のメニューが銀座では6000円。
 銀座価格ですね、やっぱり。

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2008.07.12 ぶどう大福人気沸騰か?
 博多の朝。
 新幹線で帰ろうかと思っていたが「マニア」呼ばわりをうけるのを回避する
ためにエアで帰ることにした。
 夏。
 この時期の博多土産と言えば、筆者はこれしか思い浮かばない。
「ぶどう大福」
 叙水庵の夏期限定商品である。
 大粒のぶどう品種「ピオーネ」をまるまる一粒。その周囲に白餡を巻き、大
福で包む。フルーツ大福数あれど、筆者にとってはこの一品が暫定日本一。
 販売期間は7月から9月。
 昨年の終売から待つこと1年。
 季節は巡り「ぶどう大福」が帰ってきた。
 9時半頃に福岡空港についた筆者は空港内の売店を覗いた。
 ぶどう大福の商品サンプルが出ている。
(よし!)
 が、しかし・・・サンプルの前にプラカードが。
「これらの商品は現在品切れでございます」
 しまった!
 後手に回った!
 昨夜のうちに品切れになったのだ。
 朝イチの納品には早すぎたのだ。
 空港内には複数の売店がある。叙水庵の取扱店は他にもあるはずだ。ぐるぐ
ると回るも発見したもう1店舗でも売り切れ。
 検査場を潜り抜け、搭乗エリアの売店に期待をかける。
(頼む!残っていてくれい)
 菓子ひとつにここまで執着するのも何だと思うが、購入を急く心の声を押し
留めることはできない。(執着しない人生を標榜しているのになあ)
 6番ゲート、5番ゲート各ゲート前の売店を覗くもすべて品切れ。進退ここ
に窮まった。(だから菓子ひとつでね、大袈裟だとは思うんです)
 かなり端に位置する4番ゲート前の売店まで足を運んだ。
 ぶどう大福はチルド商品なので冷蔵ケースの中におさめられている。
 ケースの前に「品切れ」の文字。
(ここまでか)
 諦めかけた筆者の目にケースの奥に小と大のふたつの箱がそれぞれひとつづ
つ、ポツンと置かれている映像が飛び込んできた。
 速攻購入。
 筆者の後から来たサラリーマン氏が店員に「ぶどう大福は・・・」などと問
い合わせている。
 危なかった。
 なんとか、2個だけ確保。
 ふう~。
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2008.07.11 博多の夜
 前日は、大阪→京都→名古屋→東京のチキチキマシン猛レースをこなした。
 今宵は、福岡オフィスのメンバーを連れて夜の西中洲へ。
 博多を代表する寿司屋のひとつ「河庄本店」で舌鼓をうつ。
 カクテルでしめるべく中州の「Vespa」に向かう。
 中洲に入ったとたん、なにかいつもより浮いた感じにハタと気がついた。
「博多山笠」じゃないか。
 よかったぁ「岩政」に行っていたら、大将、山のぼせ(山笠狂いのご当地呼
称)だから寿司どころじゃないもんな。
 パチンコの「赤玉」の前に「中洲流れ」の山車が格納庫内に鎮座している。
 華麗である。
 考えてみれば、山笠の季節に来て、山笠の山車を見たのは始めてかもしれん。
 あ、そー言えば、昨日木曜日に京都オフィスへ行ったときも街には「コンチ
キチン」の祇園祭りバックミュージックが流れていたな。
 夏が来た。  

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2008.07.08 暑くなってきた
 ここ数日、夜はクーラーつけっぱなしの反社会的存在と化している。
 大阪も暑くなってきた。
 筆者の自宅の玄関とトイレの照明が検知機スイッチなのだが、最近、反応が
鈍い。
 熱感知機なのか動体感知機なのか、その併用なのか。いずれにせよ、熱感知
機能は暑くなると鈍りそうな感じはする。
 梅雨明けはまだか?
 すでに7月6日に九州、山口が梅雨明けしている。
 昨年より涼しいのは確かだが、7月に入って暑気が戻ってきたような・・・
 梅雨の雨量はどーなんだろう?
 集中豪雨を何回かニュース映像で見た記憶はあるが、各月の総雨量はどーな
っている? 昨年の博多オフィスでは、イベントをしかけた7月8日に台風に
襲われた。
 今年はあまり台風を認識していない。
 昨年は、過去最高の上陸数を誇ったはずだ。
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2008.07.05 対暑能力向上
 冷房にあまり頼らない私生活を営んでいる。
 一晩中、クーラー全開ということも今年はまだない。
 老母にあわせて生活しているうちに爺婆体質になってしまったのか?
 んなこた~ない・・・はず。
 なによりも昨年より暑くないのである。
 以前の住居が15階建ての最上階であったため、屋上から伝わる輻射熱で天井
がヒーターと化していたのも、クーラー体質を加速させていた要因だ。
 なにしろ、帰宅時の室温が37℃なんてことがざらだったのだ。
 老母を迎えるために新しく定めた住居は、4階建て低層マンションの3階なの
で、輻射熱がない。
 しかも東西にバルコニーがあり、風が通り抜けるんで涼しいのである。
 西側も対面の家が盾となり、西日が差し込まない。(そのかわり眺望は諦め
ざるをえないが)
 西に緑地公園があるせいか、西から吹き込む風が爽やか。
 皮膚表面に微妙な発汗を認めつつも、昭和な生活を続ける今日この頃である。

 本日、四国が梅雨明け。 
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2008.07.04 東京、今年初の真夏日
 去年は猛暑だったと記憶している。
 今年は、東京でまだ1日も真夏日になっていないそうな。
 なんてことを書いていたら、ギラッと猛暑日がやってきた。
 暑いぞ東京!
 出張帰りの大阪も当然、真夏日。
 大阪では2日から真夏日が続いている。
 東京31度、大阪32度。
 にもかかわらす大阪の方が涼しく感じたのは何故?

 サミット警備のためかJR高田馬場駅のすみっこの改札口(戸山口)にも警
官が2人立っていた。
 公安が、首都圏でテロ発生を予感させる情報でも掴んでいるのか?
 主要各国の首脳が集まるのだから、各国情報部門の協力もあるのかしらん。
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2008.07.03 夏至も過ぎて・・・
 いつの間にか6月が終わっていた。
 札幌の日の出、3時台は昨日まで。今日から4:00になった。
 だんだん昼の時間が短くなってゆく。
 冬も近い。
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2008.06.30 帰阪
 女満別から丘珠へ。
 マイナー空港間をボンバルディアでひとっとび。
 網走-札幌間を地面で行けば、特急「オホーツク」で5時間15分。
 エアは早い。
 丘珠から札幌駅に向かい新千歳行きの「エアポート快速」に乗車。
 月曜日だと言うのに混んでいる。
 新千歳空港も混んでいる。
 空港ビルとしては最も活気があるかもしれない。
 せっかく札幌にいるのだから昼食と言えどもそれらしいものを食べたい。空
港ビル3階の飲食店フロアで物色。
 釧路と網走で、海鮮系もラーメンも消費してしまった。
 と、なればスープカレーだろう。
「キタカレー」という店でスープカレーを注文。
 手羽1本におおぶりのじゃがいも、にんじんなど。1300円。
 F15のタキシングを遠望しながら、シャバシャバのカレーを食べて帰阪。
 沖縄サミットで空自も警戒態勢に入っているのだろうか。



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2008.06.27 逃亡!
 筆者の業界は5月以降、週末にイベントが多くなる。
 うかうかしていると休みを取り損ねてしまう。
 気がつけば、6月も終わろうとしている。
 3月に沖縄に行って以来、流浪不足の日々が続いている。
 辛抱たまらん。
 筆者は逃亡することにした。
 高飛びである。
 おりしも前線が日本列島上空に近づきつつあり、全国的に大雨の気配。
 唯一雨域からはずれていたのは北海道。
 逃亡先は決まった。
 釧路たんちょう空港に降り立った瞬間、あまりの肌寒さに襟を掻き合わせた。
 この日の最高気温、東京25度、大阪29度、札幌24度・・・釧路12度。
 寒いわ。
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2008.06.17 沖縄、梅雨明け
 さすがは、沖縄、梅雨明けが早い。
 それにしても、関西圏、今年の梅雨は雨が少ないような。
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2008.06.16 早暁への憧れ
 今朝の日の出は、札幌3:55、大阪4:44。
 6月12日以来、日の出の時間は微動だにしない。
 北海道の空が白みはじめるのは3時半頃からなんだろうな。
 見てみたいものである。
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2008.06.10 500系の再就職先
 新大阪発博多行きの「ひかり」に500系が使われていた。
 新型N700系に肩を叩かれ、窓際に追いやられ、とうとう格落ち。
 300キロ走行を誇る車両が「ひかり」とは、可哀想に。
 よくよく時刻表を見てみると、なんと「こだま」でも運用されている。
 すでに東京-博多間の「のぞみ」で500系の運用は2本しかない。(7月からの
ダイヤでは1本になってしまった)しかも、500系のぞみの方がN700系のぞみ
よりも停車駅が1駅多い。
 500とN700の速度差を殺す意図的な作戦なのか?老朽化した500で高速走行
を憚るためなのか? 
 500系「ひかり」が、旧700系「のぞみ」を抜いてしまうシーンを君は見たい
と思わないか?え?思わない?そう・・・筆者も思いません。
 マニアじゃないから。
 新型N700系はゆれないしなあ。
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2008.06.04 日の出チェック
 日の出の時間は、札幌 3:57、福岡 5:08。
 北海道と九州では1時間10分は違う。
 しかし、日没が1時間10分差にならないところが、日の出日の入り研究の面
白いところだ。
 札幌ではすでに5月29日に日の出が4:00になっている。
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2008.06.02 梅雨入り
 5月29日に梅雨入りしている四国・南九州に続いて近畿・東海・関東が梅雨
入り。
 平年より6日早い。
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2008.06.01 久しぶりにチャリ
 認識のないままに忙しかった4月と5月は、あっと言う間に終わってしまっ
た。今でも何で忙しかったのかわからん。
 気がつけばすでに6月。
 下旬には夏至だ。
 たぶん、札幌の日の出はすでに3時台のはず。
 抜けるような青空に誘われ、からだを動かす気になった。
 心を蝕むほどの忙しさが抜けた証かもしれない。
 次にやることが何もなくなったり、不意に仕事に残敵掃討戦レベルの軽さを
感じるとき、(あ、終わった)と思うような、前触れなく訪れるトンネルを抜
けた感じ。小松左京氏の「日本沈没」にもそういうシーンがある。あれは実に
共感できるシーンである。
 12月の「しまなみ海道」以来のチャリ転がしを決める。
 半年ぶりかぁ。かつては最低週3日は40キロ程度をこいでいたのに。そりゃ
あ、膝も固まるわ。
 今日は、あまりに久しぶりなので恐れをなして様子見の短距離走。
 万博公園までにしておいた。
 収穫はアリ。
 千里の山中、かねてよりアップダウンの少ない最適な東進の道を探しあぐね
ていたが、今日、実にあっけなくそれを確保。京都への進撃路を掌中にした。
 それにしても、万博公園、4回目の訪問だが、この季節は実にいい。
 かなりいい。
 緑あふれる園内でかなり癒された。
(こんなにフカフカ)
 芝生が伝える足の裏の感触は実にひさしぶりの快感。
戻る   去年の今ごろは・・・

2008.05.26 鶴瓶に万歳
 目の前で世論が出来上がってゆく瞬間を見る幸せ。
 すごいぞ。
 世論が今、ここで生まれている。
 まあ、世論つっても母親の考えなんだけど。
 筆者の勝手な決めつけなんだが、世論って50代から80代の主婦で作られてい
るんじゃないかと思う。
 テレビ、それもNHKを通じて出来上がった世界観(と言うよりも好きか嫌
いか、善か悪かの分かりやすい白黒のついた感情)がこの層の核って言うか、
それだけ。
 いまどき、テレビが客観公平だなどと考えている奴はいない。
 情報があけっぴろげになって、内輪話もネタになってしまうこの時代、マス
コミが社会の木鐸だなどとは少なくとも、都市部中産階級の知識層は考えてい
ない。でも50~80台の主婦は別物という感じである。
 テレビのスイッチを入れれば、チャンネルは必ずNHK。
 ニュースでも情報番組でも機軸はNHK。
 濃厚なNHK体質である。
 でもイチバン好きなのは「鶴瓶の家族に乾杯(だっけ?)」
「キヨシとこの夜」はそうでもないらしい。
「篤姫」を見始めたのは「井戸端会議」の好きな女性特有の噂話好きが「大奥」
話に喰いついたのだろう。
 とにかく鶴瓶がダイスキ。
 恐らく全国の50代~80代の主婦は皆、鶴瓶が好きなんじゃなかろうか。
 紅白の司会を鶴瓶がしたそうだが、あからさまなNHKからのご褒美だ。
 不祥事続きのNHKにあって鶴瓶の存在はデカイ。
 う~ん、なんかなあ。
 大阪府知事選で筆者の母は「そばに住んでいて、子供連れの姿をみたことが
ある」という理由だけで現知事に投票していた。
 ビバ民主主義!
 いいのか、それで?
 いいのかな。
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2008.05.23 京都に修学旅行
 げげ。京都駅新幹線ホームに制服姿の少年少女の大群。
 しかも制服の色は一種類じゃない。
 そうか、修学予行シーズンなのだ。
 いま京都に近寄ったらアカンよ。
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2008.05.22 夏への扉
 沖縄、やっと入梅。
 例年は5月7日頃だと言うから、2週間は遅い。
 早く、開けないかな、梅雨。
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2008.05.19 ママイン金沢
 ゴールデンウィーク最終日の5月6日、潮が引いたように観光客が帰ってし
まった金沢。人影もまばらに日常を取り戻した金沢に筆者はいた。
 前日の雨が空気をきれいにしたのか、夕景がことのほか美しい。
「死ぬまでに一度でいいから××へ行きたい」
 おねだりの枕言葉と化した老母のリクエストに応えて金沢入城。
 サンダーバードで2時間半。
 大阪転居以前に、都合3回は新幹線で2時間半の移動を経験しているので、
本人、移動について自信を持ち始めた。亡父の1周忌の後にも諏訪湖へ「あず
さ」で2時間半の移動をこなしている。
 それでも車輌によって設備が違うことまでは知らない。
 サンダーバードに乗ったら
「足をのせるところはないの?」
「新幹線とは違うの。ここから少しだけ出っぱるよ」
「あら、これでは駄目ね」
 なんて言いながら、生まれて始めて見る琵琶湖の広大さに車窓にへばりつき
状態。
 昼に入沢。
 会席料理の「しげ乃木」に入った。
 海老しんじょうに喰いついた。
「柔らかいわぁ。ここまで柔らかくするのね」
 じっと見つめている。
 彼女の作るしんじょうは、かまぼこのような弾力なのだ。
 夜、会席料理の「利休」へ。
 夏みかんゼリーに喰いついた。
 じっと見つめている。
 翌日の「千鳥寿司本店」ではとうとう女将さんと筍の煮方、保存のしかたに
ついて話し始める始末。瓶に保存する方法を聞き、感心している。
 締めの玉子焼きをじっと見つめている。
 筆者、老母のフルアッテンドにヘロヘロになり帰阪。
 後日、夜遅く帰宅した筆者の前にキメの細かい玉子焼きがあった。
 さらにその翌日、帰宅した筆者が冷蔵庫を開けたら夏みかんゼリーの姿が。
 次はエビしんじょうか?
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2008.05.18 疲労回復に・・・
 静かに心の奥深く疲労がたまっている。
 じわじわと溜まる疲労はやっかいだ。
 ふむ、こーやって書いてみると「じわじわ」というのはかなり気味悪い言葉
だな。
「ざわざわ」「もぞもぞ」と同じ気味悪さ。
 基本的には蟲系の気味悪さだ。
 精神的に病んでいる感じがうまく表現できる。
 精神が疲れたら、体を疲れさせればいい。
 それが筆者の対症療法だが、体を疲れさせる時間がないので、勝ちパターン
に持ち込めない。
 そういうときは食う。
 筆者の場合、ゴージャス海鮮丼が有効だ。
(結局、大食バカ?なんか脳天気な感じが嫌)
 ゴージャス海鮮丼を処方しなければならない疲労感は久しぶりだ。
 前回は「ウニいくら丼」を作った気がする。
 近所のちょっと高いスーパーで買い付けてくるのである。
 今回は前日の福岡出張でネタを仕入れてある。
「福岡さしみ醤油」と「鯛茶漬けの素(正式名称ではない)」である。
 九州の醤油は甘い。
 筆者はこれで魚を食べるのが好き。
 また、福岡の鯛茶漬けは、鯛の切り身をゴマタレにつけてご飯にのせる。そ
こに熱いだし汁をかけまわす(茶でもいいのだが)
 購入したのは、その「ゴマタレ」である。
 鯖でも鯵でも光物をあえればゴマサバになるし、ゴマアジになるという重宝
な物件。
 だから、鯛とひらめ、ハマチとさばを買い込み、かに足ほぐし身と鱧を買っ
てきた。
 ゴージャスである。
 はも鍋に鳥善のポン酢がゴージャス。
 先般、金沢で買ってきたかにミソを大根おろしにあえ、醤油をかけまわす。
カニ脚をそこに投入しご飯の上にぶっかけるカニミソおろしかに丼もゴージャ
ス。
 鯛茶漬けもゴージャス。
 食卓は、叶姉妹のような?印付のゴージャスで溢れかえった。
 サバは〆鯖しかなかったが、強引にゴマサバに持ちこむ。
 同時に〆鯖を軽く炙った炙り〆鯖も作る。
 あ~つくづくシヤワセである。
 あれ、何でこんなに魚食べてるんだっけ?
 あ、そーだ疲労してたんだ。そーだ、そーだ。

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2008.05.05 世に棲む日々
 東京へ日帰り出張。
 フェイタスを膝に塗っているところをTに見つかった。
「忍び寄る老いの影・・・」
 不吉なことを口走りよる。
 否定しきれないところが哀しい。
「筆者の人生、すでに盛夏を通り過ぎて晩夏なのだよ」
「何を言ってるんですか。すでに夏は終わっています(きっぱり)」
 失礼な奴である。
「初秋は早いんじゃないか」
「いや、すでに秋真っ盛りです。盛秋です」
 どうやら、筆者の手持ちカードは、晩秋・初冬・仲冬・晩冬の4枚だけらし
い。
 皆様、ごきげんよう。良い人生だったと筆者が言っていたとお伝えください。
戻る   去年の今ごろは・・・

2008.05.03 心を亡くすと書いて「忙」

 例年なら、オフィスの年中行事で関西の三都を駆け巡っている1日だが、今
年はオフィスに尻をすえた。
 イメージ的には「太陽にほえろ」の「ボス」役、石原裕次郎である。
 あのドラマ、後半、ボスはほとんど動かなかった。
 無線機の前で「オレだ」「なにい?」「よぉしわかった」の3語だけ言って
いたような気がする。あの仕事で管理職手当てをもらっていたとしたら、羨ま
しいかぎりである。
 毎年4月からこの時期まではドタバタが続く。筆者も4月からちゃんと休ん
だのは2日だけだ。仕事が続くと休まないモードになってしまう。それはそれ
で生活のリズムとなるのだが、度が過ぎればゆとりをなくして不機嫌になるだ
ろう。何よりも他人を思いやる気持ちが微塵もなくなる。下の連中が可哀想で
ある。仕事の効率も落ちるしね。
「こんだけやってんだから・・・」と自分を甘やかす言い訳にもなったりして、
基本的には荒廃がゆっくりと進行する。
 そう言えば去年の今日、帯状疱疹を発症したのだ。
 無理がきかない年齢になったってことっすね。
戻る  
 
2008.04.29 坂本の蕎麦
 新緑にまみれに近江に行った。
 坂本を歩いた。
 日吉大社の参道入口に2軒の蕎麦家がある。
「鶴喜そば」と「日吉そば」である。
 食べないわけにはいかないので時間差を設けて2店で食べた。
 筆者にとって暫定日本一の蕎麦は小田原の田毎(たごと)である。
 つゆがすんごく甘い。
 何故かそれがいいのである。
 無論、蕎麦の腰は強くなければならない。
 蕎麦の香り?
 そんなものは知らん!
「鶴喜そば」は田毎指数50、「日吉そば」は田毎指数25、ということでひとつ。
 あくまでも筆者の好みなので、そこのところも、ひとつ。  

 
戻る   田毎へGO!

2008.04.27 冬物衣料、最後の日
19日に出した第1陣の冬物衣料は会社からの帰宅途中にコツコツと2回にわ
けて引き取った。
 今日は残余の勢力を掃討だ。
 2個の超巨大バッグを、ひとつは肩から襷がけにし、ひとつはカゴに載せ、
ヨロヨロとチャリでクリーニング屋へ向かう。
 09:30の開店と同時に店に押し入る。
 09:40、状況終了である。
 会社に向かう。
 思ったより早く仕事が片付いた。
 阪急百貨店に向かった。
「阪急のメンズ大市」会場は7階催場である。
 建物の大改装と共に、男物(言えん、なぜかメンズと言えんのだ)はすべて
HEPナビオに移っている。さすがにブランド充実のメンズ館(うぅ、言いたくね
ぇ)でセールはやりたくないんか?たぶん筆者のような死んでも「メンズ」な
どと口走りたくない親爺は、メンズ館に来ないかもしれないと危惧したのかも
しれない。
 とにかく会場をブラブラ流す。
 イージーオーダーのコーナーを覗く。
 筆者の体型は既製品の受け入れを頑なに拒んでいる。

 既製品のサイズは体型別にカテゴライズされている。
 痩身むけにY体、普通サイズがA体、ややぽっちゃりはAB体、しっかりぽ
っちゃりがBB体である。これにナンバーがふられて身長とウエストの関係性
を示している。
 Y3 (160-72)Y4 (165-74)Y5 (170-76)Y6 (175-78)Y7 (180-80)Y8 (185- 82)
 A3 (160-76)A4 (165-78)A5 (170-80)A6 (175-82)A7 (180-84)A8 (185- 86)
 AB3(160-82)AB4(165-84)AB5(170-86)AB6(175-88)AB7(180-90)AB8(185- 92)
 BB3(160-90)BB4(165-92)BB5(170-94)BB6(175-96)BB7(180-98)BB8(185-100)
 筆者は、身長173.5、ウエスト91。単位は無論センチである。メートルではな
い。
 うぅ(涙)
 ジャストフィットする人々が羨ましい。
 カテゴライズの網の目をぬけてポトンと落ちてしまう筆者のからだ。
 既製品を選ぶならAB6かBB5にして、出しまくるか、詰めまくらねばならない
のだ。
 だからこの17年来、イージーオーダーばっかりなのである。

 春夏モノは充分な戦力があるので新兵の募集はやめた。
 カジュアル用のジャケットを1着、購おうかと会場を移動。
 暑い季節のカジュアルジャケットは袖をまくるために、袖口ボタンをはずす
ことができる仕様を求めている。つまりちゃんとボタンホールがついているタ
イプ(本開き、あるいは切羽(せっぱ)と言う)でないと駄目なのだ。
 これが意外に少ないのである。
 見せかけのホールに穴をあけず、かがりだけで済ましているものが多い。ホ
ールすらないものもあるのだ。
 結局、欲しいものがなかったので断念。
戻る   去年の今ごろは・・・

2008.04.24 東京、けっこう冷え込む
 冬物のダブルスーツがちょうどいい。
 少し寒いくらいだ。
 この時期は寒暖の波が激しい。
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2008.04.22 旭川26度
 寒いのか?暑いのか?どっちなのだと思っていたら・・・
 暑いのだ!
 北海道、旭川の最高気温が26度!
 那覇と同じ気温だ。
 夏日じゃないか。
 札幌では観測史上最速で桜が開花している。
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2008.04.19 衣替え
「うぉおおおおおおお」
 雄叫びをあげ、振り分け荷物を肩にかけ、カゴにドスンとタイヤがへこむほ
どのプレッシャーをあたえつつ、よたよたとチャリを転がしクリーニング屋へ。
 年2回、恒例の衣替えシーズンのクリーニング「感謝祭」を利用するのだ!
 これはもはや筆者の年中行事として定着している。
 なんせ30%OFFである。
「感謝祭」開催を告げるハガキを今か今かと待ちつづける日々の愉しさよ。
 ハガキの下端、左右両サイドに切り取り線がある。
 クーポン券のようなものだ。
 ハガキを持ち込むと1回につき1枚、切り取られる。つまり訪店2回が30%
OFF券利用の限度なのだ。
 2回の持ち込みでワードローブをすべて消化するためには相当な努力が必要
だ。出す量が半端ではないからだ。
 毎シーズン、筆者は戦後の食料買出しのような大荷物を背負ってクリーニン
グ屋にむかう。
 クリーニング屋にとっても販売戦略は同業他社との闘いである。
 消費者心理を読み、ここぞというタイミングでセールを始めなければならな
い。
 寒ければ、いくら安くても消費者は衣料を持ち込まない。時期を失すれば、
他店に客を取られてしまうかもしれない。暑くなり始める時期の見極めが肝な
のだ。
 そのせいか、年中行事にしては「感謝祭」の時期が定まらない。
 一昨年は4月8日~18日迄、昨年は4月1日~10日迄と、地球温暖化にあわ
せてフェアー期間がだんだん早まっていた。
(さてこそ、今年は?)
 と身構えていたら、いっかな便りがない。
(フェアをやめてしまったのか?)
 不安が頭をもたげはじめ、諦めにも似た気持ちになリ始めた矢先、郵便受け
に「感謝祭」のハガキを発見!
 今年は4月18日~28日迄と近年にないスロースタートとなっていた。
 それだけ、寒かったってことだろうか?
 とにかく、4月に入って唯一の公休日であった今日、両肩に巨大バッグを下
げて店に衣料を持ち込んだ。
 あと半分は期限ぎりぎりのタイミングに出すことになるだろう。
 その日が夏物衣料のスタートの日となる。  
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2008.04.10 東京11度
 暑くなり始めたと思ったら、東京では最高気温が11度だと。
 冬並の冷え込み。
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2008.04.09 行脚
 巡業の季節がやってきた。
 従来は、京都、大阪、三ノ宮(神戸)と三都を巡っていたが、今年から博多、
大阪、名古屋と広域巡業である。
 新大阪始発、博多行き朝一の便は東海道新幹線と違って「のぞみ」ではない。
「ひかりレールスター」である。
 とは言え、山陽新幹線区では最高速285キロと、東海道の「のぞみ」より速い。
しかも、グリーン料金を払わずとも指定席が2×2仕様なので安い値段で席幅
についてはグリーン車並の快適さで移動できるので文句はない。
 時刻表を見て気がついた。
 新大阪発の西行き新幹線は朝6時台はすべて「ひかりレールスター」であった。
 9:00前に博多の会場に顔を出し、開始まで督励。
 天神の福岡オフィスに顔を出し、所用を済ます。
 福岡空港にむかう。
「ポーン」
 空港のアナウンスはどこでも同じような響き方をする。
「ANA××便、名古屋中部国際空港行きは機材遅れのため、予定より・・・」
 やられた。
 タイトなスケジュールに暗雲が立ち込めはじめた。
 結局30分の遅延。
 航空業界には、遅延便はなぜか遅延時間に比例して搭乗口がどんどん端っこ
に追いやられるという法則がある。
 逆だろう!
 といつもキレかけている筆者。乗客の皆様の遅延時間を少しでも取り戻すた
めに一番便利なゲートにつけるべきだろう!
 ま、遅延便だらけってこともあるし、許しはする。
 この日も見事に一番端っこに繋ぎやがった。
 最悪なのはセントレア(名古屋中部国際空港)の都心へのアクセス手段であ
る名鉄の中部国際空港駅が反対側の端っこにあるということだ。
 ダン!ダン!ダン!
 自動走路を全力疾走した。
 これはけっこう危ない。空港ロビーは何本かの走路が繋いでいる。走路が一
旦終了する走路間の継ぎ目で動かない床面に着地するときに慣性がついて前の
めりになるのである。
(と、とと)
 ダン!ダン!ダン!
 名鉄切符売り場に飛びついた。
「名古屋まで!」
「このミュースカイに乗せて!」
 駅員もあわてて乗車駅証明を筆者に握らせる。
「キップ間に合わないから中で買ってください!」
 ボーディングブリッジを出て6分後、筆者は名鉄特別快速ミュースカイに飛
び乗った。
 名古屋から地下鉄桜道線で「車道」へ。
 名古屋の会場には、13:00前に到着。
 名古屋駅前のオフィスにも顔を出し、15:00に新装なった名鉄の9F飲食店街
で「矢場とん」の「味噌かつ丼」を注文。
 濃い。
 喉からからの今、この味は濃すぎる。
 16:30に帰阪。
 大阪会場に顔出しするつもりだったが、流石に疲弊した。明日にしよう。
 従来なら1日で終わる行事が新ヴァージョンは4日間に伸びた。
 無理するのやめた。
 毎年4月は忙しい。去年はとうとう帯状疱疹まで患っている。もう若くはな
いのだ。
戻る   去年は・・・

2008.04.06 新幹線の桜
 新幹線のホームには外国人観光客の姿が多い。
 ジャパンパックは、この時期、桜のシーズンに焦点をあてているのかもしれ
ない。
 なぜか日本人観光客の姿も多い。
 と思っていたら、なんと明日から新学期という人も多いのだそうだ。筆者は
てっきり4月1日から新年度が始まっていると思っていた。
 これだから中年の独り者は困る。

 日本は桜の国だ。
 と思うのは、新幹線の車窓によって。
 東京を発ち、新大阪に着くまで、窓の外の景色のいずくかには必ず桜の姿が
ある。
 4月の上旬では落葉樹は、まだ新緑をしたたらせるほどに茂ってはいない。
むしろ裸木の方が多い。
 桜が早いのである。
 裸の木々の中で、ひとり桜の花のみが短い命を惜しむかのように旺盛に咲き
急いでいる。
 一木すべてが満開の花に包まれることによって、その存在を認知させようと
している。
 あんなところに、こんなところにも、あそこにも・・・
 今まで身を隠していたかのように、そこここから桜が現れる。
 車窓に頬杖をつき、時速275キロでの観桜を愉しむ。

 オフィスのM君は、車窓に興味がない。
 クルージングにはつきない興味をよせるが、電車は移動手段としか認定して
いない。
 だから窓際に座っても、たとえこの季節であれ、さうぐさまブラインドを降
ろしてしまうのであった。
 ガイジンである。 
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2008.04.04 東京の桜
 桜の花びらは、それ自体に意志が宿っているかのように、くるくると中空で
舞っている。
 まるで、地上に身を横たえる瞬間を少しでも先にのばそうとしているようだ。
 偶然通りかかった春風の力を借りて上へ、上へと舞い上がる。
 自分たちのわずかばかりの重さすら忘れてしまいたいかのように、重力の手
から逃れようとしている。
 江戸城北の丸の千鳥が淵の濠に湛えられた水面には、そうして地上への落下
を免れ得た花びらが無数に浮かび、コーヒーに浮かべたクリームのように白く
輝いている。
 あるは濠のふちに吹き寄せられ、あるは、ボートのオールにかき乱され、思
い思いの模様を水面に描いている。
 満開を2日ほど過ぎた金曜日の昼。
 今年の桜は東京で見ることになった。

戻る   去年の今頃は・・・

2008.03.25 ポカポカ
 今冬は寒かったとの認識を持っていたが、3月に入ってからは例年より暖か
い日が多いらしい。
 桜も次々と開花している。
 東京などもうすぐ満開らしい。
 感覚的にはついていけていないのである。
 札幌は15.1度。111年ぶりに3月としての15度越え
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2008.03.22 桜、開花
 東京、静岡、熊本で桜の開花を確認。平年より6日早い。
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2008.03.20 春分の日、寒い
 お彼岸。
 ちょっと寒さが帰ってきた。
 ぼたもちを買わねば。
 ちなみに彼岸はぼたもち、お盆はおはぎ。
 ものは同じでも名称が変わる。
 牡丹と萩、いずれにせよ季節の花を名前にあてる。
 日本人らしい。
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2008.03.11 チェスターフィールドからトレンチに変更
 移動性高気圧に覆われ5月上旬から4月上旬の春の陽気に恵まれた1日。
 埼玉県や山梨県では今年最高となる20度以上を記録。
 東京都心でも4月中旬並みの17.7度。上着は不要だ。
 最高気温は埼玉県秩父21.2度、甲府20.3度、横浜18.4度、仙台
18.3度と各地で今年最高。
 やっと春が来るか。来たら来たで今度はあっと言う間に夏っぽくなるんだろ
うが。
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2008.03.09 博多「鳥善」
 昼の間に長崎の島原に寄る。
 夜は、博多オフィスの歓送迎会である。
 博多大名の「鳥善」へ。ポン酢が絶品の鳥料理の店。
「鶏皮のポン酢和え」
「手羽焼」
「なんこつの唐揚」
 周囲の肉片を残し、店自慢のポン酢につけてある。ほのかな酸味と甘味が脂
っぽさを中和しさっぱりと食べさせてくれる。お好みで柚子胡椒をつけて。
「焼き鳥」
「鳥刺し」3種を柚子胡椒で食べる。
「水炊」
 スープを塩と葱を散らして飲む。次いで、鳥団子をこれでもかというくらい
に丸めて投入。野菜と鶏肉を投入し、必殺のポン酢で食べる。
 店員が残りのスープを適量に調整し、ご飯と玉子を投入して「雑炊」
 葱と海苔を散らして、必殺のポン酢を垂らしてわしわしとかきこむ。
 グレープフルーツのジェラートが旨い。
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2008.03.08 博多「たつ庄」
 昼の間に大分の杵築に寄る。
 夜は 西中洲の寿司「河庄本店」から独立した壱岐出身の大将が営む「たつ
庄」へ。
 前回の博多出張時、バー「Vespa」のKマスターから情報をもらってい
た。
 独立と言えば河庄のつけ場に立っていたことになる。何人もの握り方がいる
わけではない。(もしや・・・)と思っていたがはたせるかな河庄時代、つけ
場で握ってもらうことの多かった大将の顔。
 すでに何度も訪店しているかのような寛ぎを覚える。
 お造りに「さよりの一夜干し」
「のど黒の焼きをひたひたのダシに浮かして、岩海苔を散らばした」一皿でガ
ツン。
 のど黒の香ばしさにダシが染み込みはじめた頃が一番旨い。
 食べているうちにどんどん旨くなる。
「トラフクの白子フライ」にもガツン。衣をつけて揚げた白子に塩と青海苔が
軽くふられている。
 手作りのからすみが甘味の多いだいこんに合うなあ。
 からすみのほかに開店時から造り足しているイカの塩辛もいけそうだ。
 日本酒は、新潟の麒麟山。かなり危険な酒である。焼酎は相良の兵六。
 堪能して店を出て「Vespa」へ。帰路「岩兵衛」で玉子ご飯。
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2008.03.07 小倉「加茂」
 東京から帰阪。
 大阪オフィスでの勤務終了後、新幹線に飛び乗った。
 小倉へ。
 日曜日に博多のオフィスでの用務があるのだ。
 いつ行っても同じだ(そんなことはない)。
 3年ぶりの小倉で気持ちのよい居酒屋に出会う。 
「加茂」は女将さんを筆頭に明るい女性ばかりの腰のすわりの良い店だった。
 小倉の郷土料理「ぬかだき」は鰯や鯖を糠床ごと煮こんだ料理。
 突き出しは「牛たたき」
「ごまさば」と「煮豆腐」「串揚げ」「ねぎ焼き」と大分名物「とり天」を肴
にビール、芋焼酎の「姶良(あいら)」「南方」「宝山」をお湯割で。 
 常連さんの家族話が面白い。
 家族が増えるらしい。ここにはいない娘さんが結婚するそうな。その人が下
戸だ。両親と息子と娘、4人で飲んでいる。娘さんが「酒は飲んで吐いて飲ん
で吐いて飲んで吐いて強くなるもんやろう?」
「そうやが、女が言うな」と笑っている。
 女性陣の方が勢いがいい。小倉出身の芸能人、中尾ミエを思い浮かべた。
 ご家族の店へのおみやげのタコ焼きをご相伴。
 帰路、ラーメン一平でラーメンを。
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2008.03.06 高田馬場「真菜板」
 スタッフの誕生日を高田馬場「真菜板」で祝う。
 酒を肴にあわせてくれる楽しい店だ。ご主人とご内儀の2人で営むこぶりな
店。カウンターは10席程度。
 銀鱈の吟醸粕漬焼き・黒豚つくね・ほやの塩辛・だし巻きなどを肴に静岡
「開運」、新潟「鶴齢(かくれい)」おりがらみ、鳥取「諏訪泉の富田」、島
根「+旭日(じゅうじあさひ)」おりがらみを空ける。
 日本酒の店なのに、チーズ関連メニューが多いのがこの店の面白いところ。
 ゴルゴンゾーラのきのこグラタンで酒が合うから不思議である。
 そー言えば、バー「Vespa」のK店長はドライ明太子にドライシェリー
のカクテルで見事にあわせてくれたことがあった。
 いい気分になってしまい、バー 「カヴェルナ」へ。
 つまみ不毛の店だったが、近時、営業方針が180度転換した。
 筆者の大好きなトリッパの料理が多い。
 トリッパの煮は当然として、トリッパのカツレツがあるのが嬉しい。
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2008.03.05 徳島「栄寿司」
 徳島出張。
 大阪から徳島は近い。
 JR神戸線、舞子駅は明石海峡大橋の直下にある。エレベータやエスカレー
ターを乗り継ぐと高速バス乗り場だ。
 明石海峡大橋を渡り、淡路島を縦断すれば鳴門である。鳴門の渦潮を眼下に
おさめ鳴門大橋を渡れば、徳島は指呼の距離。
 大阪のオフィスから徳島駅前までドアトゥドアで2時間半はかからない。
 所用を終え、2年ぶりの栄寿司へ。
 瀬戸内と鳴門の魚を堪能し、わかめのしゃぶしゃぶ、メバルの煮、鳴門の小
鯛の一夜干しと握りを愉しむ。
 ほろ酔いで帰阪すれば、感覚的には往路よりも早い。
 19時に徳島を出て、大阪には21時15分着。
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2008.03.04 三寒四温
 春の日和がきたと思えば、寒の戻りもある。
 寒い。
 まだ油断はできない。
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2008.03.03 黄砂
 黄砂が来た。
 今年第1号か。
 今日は昼、外出しなかったのであまり実感できなかった。
 雨に守られるかと思ったが、そうでもないらしい。
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2008.03.02 大阪城梅園
 春を予感させるポカポカの日和。
 老人は花が好き。
 母を連れて大阪城の梅林へ行った。
 母親の脚力から梅林までが活動可能範囲と考えていたが初めて見る大阪城天
守閣に興奮した母。
 大阪城の梅林は天守閣のある本丸外にある。
「あたし、あそこに行ってみたい」と言い出した。坂や階段で背中を押しつつ
なんとか天守閣に到達。
 あとは楽だ。
 天守閣では係員に申し出れば、老人は優先される。
「すんません、すんません」と言いつつ、係員に先導されて行列の先頭へ行き
エレベーターに乗る。一般客が乗れない階から乗り込み、一般客が降ろされる
途中階でも降りずに最上階まで上がる。
 帰りも同様、「なんやこっから乗れるんかいな」との一般客が乗ってきた係
員に押し留められる中、「すんません、すんません」と言いつつ、エレベータ
で降りる。
 考えてみれば、事前情報と現物の落差に落胆することの多い観光資源の中に
あって、大阪城は珍しく、事前情報よりもスゴイと言える物件だ。
「夢のまた夢だわ」
 秀吉の辞世と同じことを言うとる。もちろん母は秀吉の辞世の句など知らな
い。
 来阪以来7ヶ月。とりあえず夢であった清水寺にも行った。金閣寺も見た。
おまけで龍安寺の石庭も経験した。明石にも行ったし、当分は安泰だろう。
「今度は銀閣寺に行ってみたいわ」
 人間の欲望は限りないのである。
戻る   去年の3月は・・・

2008.02.28 早春の日の出
 扇町通りに陽が昇る。
 朝陽が東西に走る走路の両側のビル壁面のガラスに射込む。
 日の出の時間が早くなった。
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2008.02.27 何もない1日
 寒気はあいかわらず。今年は寒冬だ。
 公休日だが、買い物以外には外出もせず、1日、ほぼ寝てすごす。
 窓のむこうに広がるピンク。
 梅の木だ。寒さの中梅の木が満開だ。
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2008.02.24 風花
 歳には勝てん。
 疲労していたのだろう。5時に目覚めたがうたた寝のように二度寝に入り、
7時までタイムスリップ。枕もとのテレビをつけ「所さんの目がテン!」を眺
めているうちにまた落ちた。気がつけば9時半。さすがに覚醒した。
(う~ん、あの程度で疲労するかなあ)
 1週間の動きを思い浮かべて、しみじみと気力・体力の低下に心を痛める。
 ガラスのむこうには抜けるような青空が広がっている。
 窓をあければ、吹きすさぶ風は身を切るように冷たい。
 地上に白く、薄く、雪が積もっている。
(夜の間に積もったのか)
 目の前を吹き抜けてゆく白い雪片。
(風花・・・)
 昨日は関東で春一番だったのにな。
 何をする気力もない日曜日・・・こんなことも珍しい。が、ま、たまにはい
いか。
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2008.02.23 春一番
「物凄い風と砂埃ですよ」
 天麩羅屋の大女将が天麩羅にかぶりついている筆者に教えてくれた。
 場所は新宿、時刻は午後2時過ぎ。
 春一番だったのだ。
 3時半に店を出た。
 新宿駅に向かう。
 天麩羅を同席したK氏は新幹線で帰ると言う。中央線まで見送り、筆者は羽
田へむかった。今日は、帰路の足を悩んだ末にエアにしたのだ。
 山手線は平常に動いている。
 そのために事態の把握が遅れた。車内の液晶ディスプレイに次々と現れる
「運転見合わせ」「遅延」の表示に気が付いた。どーやら大変なことになって
いるらしい。すべて春一番の強風によるものだ。
 エアも飛ぶかどうかわからんぞ。
 そもそも、羽田へ京急が通じているどうか。
 はた、と考える。
 浜松町まで行ってモノレールにするか、品川で降りて京急にするか。
 吹きっ曝しのモノレールは風に弱そうだ。
 しかし、モノレールは浜松町と羽田ましか結んでいない。走行距離が短い分、
トラブルの発生確率は減る。しかもモノレールには架線がないから、風で飛ん
できたトタン板や木の枝で障害を受ける可能性も低い。
 京急も東京モノレールも携帯で見る限り、遅延・停止は今のところ、ない。
 結局モノレールにした。
 無事、羽田についたが、機材がボーディングブリッジにかかっていない。
 遅れているのだ。
 何故、筆者が羽田から帰るときにこんなことばかり起こるのか。(1年半前
の地震のときもそーだったな)などとふてくされながら文庫本のスティーブン
・キングに目を落とす。何があっても驚かないもんね。
 結局30分遅れで伊丹着。
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2008.02.20 西日本往還
 岡山と高松に立ち寄り、夕刻、博多入り。
 岡山駅の大改装に驚かされた。
 しょっちゅう立ち寄っていると思い込んでいたが、調べてみれば2年弱も降
りていなかったのだ。
 う~ん。去る者は日々にうとし。(明らかな誤用―良い子の皆は真似して使
わないようにね)
 瀬戸大橋線で高松を往復。
「たも屋」のあつぶっかけを食べることができた。時間的に無理だった「かし
わざる」に念を残しつつ讃岐富士に別れを告げた。
 偶然ホームに現れたN700系で入福。
 岩正・Vespa・忠助(屋台)の定番コースを巡る。
 明日から23日まで東京である。
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2008.02.19 雨水
 24節季のひとつ「雨水」
「あまみず」ではない。
「うすい」と読む。
 これより先、雪も雨に変わるという、春の訪れを予感させる言葉である。
 1月上旬から続いた寒気もそろそろ緩んでくれていいと思う今日このごろ。
頼んまっせ。
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2008.02.09 大阪で5センチの降雪は11年ぶり
 旅の空の下、大阪で雪が降ったと店のお姉さんに聞いた。
「どちらからですか?」
「大阪から」
「ニュースでやってましたよ。大阪がもう真っ白」
 ありゃ、そうだったのか。
 もっとも、真っ白と言えば、今、目の前も真っ白なのだが。道端に除雪の雪
が積み上がり、所によってはバスの背ほども聳えている。 
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2008.02.07 こないぞ日展
 先般、京都で日展を鑑賞した。
 大阪でも、もう一度行こうとそのとき思った。
 京都では最終日に行ったので、搬出、搬送、搬入の段取りを踏んでも1週間
で大阪に来るだろうとの筆者の読みは、いつものごとく、丸ハズレ。
 いつまでたっても来ない。
 しびれをきらした頃、梅田の地下街でポスターが展開され始めた。
(遅いじゃないかよ~)
 あれ?
 開催が2月23日から?
 なんで、そんなに空くの?確か京都で見たのは1月14日。1ヶ月も間が空
くなんておかしい。
 そこに犯罪の臭いを嗅ぎつけた筆者は、パソコンにむかった。
 日展で検索。
 巡回スケジュールをぽち。
 あれ?なんと、京都のあと、名古屋に戻っているじゃあ、あ~りませんか。
 東京→京都→名古屋→大阪→福岡→金沢→福山→福井と、巡回するそうな。
 ずいぶん迷走するもんだ。
 しかも、開催都市に福山と福井がある。妙に「何故?」的に際立つ。金沢だ
って不自然だ。仙台、札幌がないのも何故?
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2008.02.06 日の出、日の入りの怪
 去年の夏まで、筆者は地域ごとの日の出、日の入りの時間差は均等だと思っ
ていた。
 札幌と大阪の日の出の時間が30分違えば、日の入りの時間も30分違う。
 それが46年間の筆者の常識だった。
 しかし、現実は筆者の常識よりも奇なり。お気に入りのシャツは生成り(嗚
呼、オヤジぎゃぐ。ゴメンして~)
 日の出の時間差は日の入りの時間差と一致しない。
 まずこれが驚きの一。
 2月6日の東京の日の出は6:38、日の入りは17:13。大阪は6:53、17:31。
日の出は15分差で日の入りは18分差で3分違う。
 実はこのことに気が付いたのは沖縄にいたとき。
 那覇滞在中、うかれモードに入り、どれだけ遅くまで明るいかをチェックし
たのだ。
 そしたら、夏至の6月22日の日の出は大阪4:52、那覇5:37で52分差がある
のに、日の入りは大阪19:14、那覇19:25で11分しか差がないのである。なん
かがっかし。
 面白いのは冬至の12月22日、日の出は大阪7:01、那覇7:13で12分差、日の
入りは大阪16:51、那覇17:43で52分差となる。
 夏至と冬至で日の出、日の入りの時間差がちょうど逆転している。まあ、な
んとなくは納得できる話だけど、論理的に詰めて考えることは筆者の脳が拒む
ためにできない。
 驚きの二。
 地域間の日の出の時間差は1年中、不変だと思っていた筆者。
 札幌と大阪の日の出の時間差は、春夏秋冬、四季を通じて例えば30分なら30
分の差、夏場は、日の出の時間が早まるだけ。早まりながらも30分の差は不変。
そのように信じて生きてきた46年間。
 これも丸ハズレ。
 まさに馬齢を重ねていたわけである。
 2月6日の日の出は以下のとおり。かっこ内は過去の日の出時間。
 札幌 6:45(11/7 6:16 (8/20 4:45(6/25 3:56))
 東京 6:38(11/7 6:08 (8/20 5:03(6/25 4:26))
 大阪 6:53(11/7 6:23 (8/20 5:22(6/25 4:46))
 福岡 7:12(11/7 6:42 (8/20 5:43(6/25 5:09))
 6月25日には札幌、大阪では50分の差があったのに、2月6日には僅かに8
分。
 実はつい2、3週間前は札幌と大阪の日の出時間は同一だった。さらに冬至
の12月22日など、大阪の日の出7:01、札幌7:03と、逆転しているのである。
 同一地点間の日の出時間の差も変動するのであった。

 2月に入り、ぐんぐん日の出時間が早くなってきている。
 東京の日の出は1月中は、1日が6:50、31日が6:43で、その差7分。
 ところが2月に入ると、1日が6:42、29日が6:12で、30分も早くなる。ま
るで地球の自転スピードが加速しているかのようだ。

 う~ん、天体運行、奥が深い。
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2008.02.04 立春、生誕47年
 小見出し、何のことやらわからんな。
 実は本日、筆者の誕生日です。
 そして、この2月4日は同時に立春でもあるのです。
「春が立つ・・・」
 う~ん、実に味わい深い余韻と含みのある言葉だ。
「春が立つ・・・」
 ・・・いいなあ。

 閑話休題。
 47歳になっちゃったわけである。
 しかし、この第47回生誕祭(何様じゃ?)ほど、お祝いの言葉や品々をい
ただいた誕生日を筆者は今まで経験したことがなかった。
 小学校のお誕生会のときよりも皆に祝福された幸せな筆者。
 皆様、本当にありがとうございます。
 やっぱ人って社会的関係性の中でのみ喜びも哀しみも見出されるのだなあ。
とあらためてしみじみと感じた1日。
 ママも得意のクリームパイをでかでかと作り、ぜ~んぶ息子に食べさせよう
としてくれる。ありがたや~。(殺す気か?)
 オフィスのYが選んでくれたプレゼントはちょい悪オヤジの雑誌「Leon」
・・・ありがとね。

   
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2008.02.02 醍醐へ
 運動不足解消に醍醐へ。
 伏見区の醍醐である。
 世界文化遺産「醍醐寺」のある醍醐。
 山科から京都市営地下鉄東西線で醍醐まで。
 駅から徒歩15分程度で秀吉の催した「醍醐の花見」の醍醐寺に辿り着く。
(醍醐だらけ・・・魑魅魍魎・・・ごめんなさい、字ヅラを見てたらなぜか打
鍵してしまいました)
 国宝の「金堂」や京都最古の木造建築「五重塔」、紅葉の季節に映える「弁
天堂」などが並んでいる。
(はて?)
「上醍醐(かみだいご)参道」などと表示があるではないか。
 山上にも伽藍があるらしい。
 石段を登ることにした。
 山で石段を見たら登りたくなる筆者の習性を利用した悪辣な陥穽であった。
 ・・・1時間後。ヘロヘロになりながら山上に到着。
 標高450mは馬鹿にしたモンじゃない。
 汗みずくになった。
 大文字山のように30分程度とたかをくくっていた筆者が悪かった。
 下山、陽が急速に沈んでゆく。樹木に覆われた参道ではすでに外灯が灯り始
めた。暗くなってきたぞ~。寂しくなってきたぞ~。
 明日、ふくらはぎがパンパンになることは請合える。
 
 帰阪、天満橋の「ル・アルジャン」へ。
 しみじみとシヤワセな晩餐。
 筆者の生誕祭イブイブ。

 

戻る   去年の2月は・・・

2008.01.26 母、2度目の上洛
 母が、箱根の関を越え上方に上って半年がすぎた。
 かねてからの約束を果たすべく、金閣寺に行った。
 9月には清水寺に行っているので上洛は2度目だ。
 かなりはしゃいでいる。
「死ぬまでに来られるとは思わなかった」
 常套句である。
 何よりも厳冬期に歩いて出回ることができるまでに自身の足腰が回復したこ
とが嬉しいようだ。当方も寝たきりになられては途方に暮れる。精神も肉体も
元気を保つため、たまの家族サービスを実施するに如くはない。
 エスカレーターでは後から乗る。
 高齢者は、ステップに足を踏み出すタイミングを取るのが難しいのだ。筆者
が先に乗ると、後ろから乗っているはずの母が5、6段下にいることが多い。
振り返ってもいないのである。上りも下りも背後から乗って、後背からの脅威
をガードし、こけそうになったらとっさに支える準備を怠らなくなった。
 戦後核家族で育った筆者は、なにしろ、生きた老人と同居するのが初めてな
ので(母だって経験してないのだ)日々これ新発見である。
 階段を避けてコース取りをするが、回遊式庭園では石段を避けては通れない
ときがある(金閣寺では順路を無視して、入口から出てきた)石段に足を掛け
体を上昇させる瞬間に背中を押してやる。
「楽だわ~♪」
(そら、そうだろう)
 まだ、筆者は母をおぶりはしないのである(笹川会長、ごめんなさい)おぶ
ったら、たぶん筆者が潰される(重いのだ)
 母を引き連れ、ホームで待合室に入った。
 席に座ろうとして、振り向くと、いつものように姿が見えない。
(なに?!)
 母が入ってきた自動ドアの扉にむかって何かしている。
(自動ドアを手で閉めようとしている!)
 これはボケか?天然か?
「いいの、そのままで」
 母をドアから引き剥がす。
「だって、ここを押してくれって書いてあるわよ」
「それは開けるときの話」
(押しつづけたら、永遠に閉まらんわ)
 待合室中に静かに満ちる笑い声の中で天真爛漫に「失敗、失敗」と言ってい
る母であった。めでたし、めでたし。
戻る

2008.01.24 すっげー寒い
 東京にいる。
 すっげー寒い。
 寒さのレベルは指先のかじかみで測る。
 大阪にいるとき、手袋をすることはない。
 コートのポケットに手をつっこまねばならないほどでもない。
 今、荷物を持つ手をひっきりなしに取り替え、頻繁にポケットに手をつっこ
んでいる。それほどに寒い。
 手が、かじかか、かじむか・・・かじかむのである。
 忘れかけていた久しぶりの感覚だ。
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2008.01.23 ビバ!百円ショップ
 無念である。
「老眼」を認知することになった。
「老眼」認知の要件は、「老眼鏡の購入」である。
 つまり、買っちまったわけだ。老眼鏡を。
 これまで頑なに老眼を否認してきた筆者のガードを下げたのは、百円ショッ
プ。沖縄マチグヮーで知った呼び名で言えば「百均さん(ひゃっきんさん)」
である。
 こともなげに百円で売っているのだ(当たりまえか)
 しかも、40~45、46~50、51~55の年齢を目安に、1.0、1.5、2.0と倍率が
違う。
 もう、ほんとの出来心、いや、好奇心から買ってしまったのだ。
 しかも哀しいかな、役立つ。
 幾つも買って、寝室、書斎、大阪のオフィス、東京のオフィスに配備した。
 東京に余分に持ってゆき、老眼に悩むTにプレゼントした。
 望外の感謝をされた。
 いいことをすると気持ちがいい。
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2008.01.21 大寒
 寒の入りから立春までの30日間、1年間でもっとも寒い期間となる。
 今日は24節季の大寒。
 もっとも寒い日なのである。
 季節も暦とおりの動きを示している。
 寒い日々が続いている。
 上旬までの暖冬の日々が懐かしくなる寒気が日本列島を覆って1週間。
 まだ、当分続くらしい。
 旭川か網走あたりにいって1本ビシーッとしてきたいなあ。
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2008.01.14 この冬イチバンの冷え込み
 京都で目覚めた朝。
 窓から見下ろす町屋の屋根にはうっすらと雪が積もっている。
 この1週間、ラニーニャ現象に後押しされた太平洋高気圧にガブリよられた
大陸の高気圧が一気に押し返してきた。
 完璧な冬型の気圧配置だ。
 鉛色の空から雪片がひらひらと舞い降り、冬の京都らしさを取り戻すこの冬
一番の冷え込み。
 4年ほど前ならば市中でも朝の道路がアイスバーンと化す日が何日かはあっ
たそうだが、最近はそんなこともないと朝まで転がすタクシーの運転手氏。暖
冬はありがたいが、やはり冬は冬らしくないと、と思うのは温暖化への恐怖か
らである。
 二条城→金閣寺→龍安寺→仁和寺とめぐり、嵐電で四条大宮へ。「きて屋」
のラーメンをすすり、京都市美術館で最終日となった「日展」を覗く。
 最期に見た「日展」は1986年の第18回だった。
 21年ぶりである。
 かつて81年から86年まで毎年通っていた時期があった。
 あの頃の出展画家達に今でも出会うことができるのだろうか。
 間に横たわる長すぎる刻の流れになかば諦めつつ展示室を回る。
「!」
 浮き上がってくるかのように明瞭な描線と効果的な白を配した構図に見覚え
を感じた絵が1枚。
 はたせるかな、ボイスレコーダーに入れた作者の名は筆者の昔日の日展コレ
クションの中に確かに納められていた。
 音信不通の知己から不意に受け取った年賀状のような懐かしさが筆者を包ん
だ。同時に、何かしら無沙汰の侘びを済ませた安堵の念をも抱いた。
「日展」は京都の次に大阪に来る。
(もう一度会いに行こう)
 密かに心誓った筆者であった。
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2008.01.09 散髪
 春のような陽気が続いている。
 太平洋高気圧が張り出し、西高東低の冬型の気圧配置が緩んでいる。
 天気図を検討し、この天候はまだ続くと分析した筆者は髪を切る決意を固め
た。
 1本ビシーッとしている筆者は、天気図を見て床屋(美容室だけど)に行く
日を決めるのだ。
 髪を切るということは、頭の防寒具を外すということである。寒気が流れ込
んでいるときにこれをすると風邪を罹患する可能性がある。
 髪を切った1日ほどが暖かければ、スカスカになった頭も外気に馴染む猶予
を与えられる。これが大事。作戦は成功である。髪を切ってもくしゃみが出な
い。
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2008.01.08 最速のタンポポ
 もーどーなっているんだか。
 3月中旬から下旬の気候である。暖かい。
 京都からは、タンポポが観測史上、最速で開花したとの便り。
 水戸では椿が、高松では梅が開花している。
 沖縄なんぞ、予想最高気温が26度。
 夏日である。
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2008.01.05 腕時計、昇天
 おしゃれを突き詰めれば小物に至る。
 オフィスのMクンなどは大物から小物まで、幅広くモノの価値のわかる男と
して認知されている。
 時計、ペン、カードにまで至るこだわりには脱帽せざるを得ない。
「ブランドの薀蓄斎センセイ」である。

 腕時計に惜しみなくお金をつぎ込める人は洒落者と言っていい。 
 その点、筆者などしょせんは付け焼刃の人。
「時間がわかればいいの!」
 なんて言いながら、
「日付と曜日も欲しい」
 と注文をつける。
 高額なブランド時計で日付と曜日の表示があるものなど存在するのだろうか。
 Mクンの監視の目を盗んで、バンドのところにブリキのカレンダーを巻いて
しまいかねないのである。(そう言えば最近、見ないな)
 先般、94年以来使いつづけた腕時計がへタレてしまった。
 国産の自動巻きだが、13年も使えばバッテリーが消耗するのだろうか。
 正月のクリアランスセールで賑わうホワイティ梅田の「時計・宝石・ブティ
ック」店のショーウインドーを覗いて代役を即決。
(これでいいや)
 と買ったのは、国産の1万円強の物件。セールで3割引きなので8千円。お
トクである。
 きっとまた、Mクンに怒られる。
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2008.01.04 仕事始め
 仕事始めである。
 東京オフィスは、年中無休なので大晦日も元旦もないが、地方オフィスは、
4日から営業だ。
 もっとも、大阪のNは、元旦から東京で講演をすべく、日帰りの出張を敢行。
 ご苦労様。好評だったのでよかった、よかった。
 Nはマニアなので帰路、30分待ってN700系にするかどうか悩んだそうだ。
筆者にはよくわからない心理である。
 元旦は、地上からでも空からでも、晴れてさえいれば。1年365日で最も
美しい富士を見ることができる。Nもその恩恵に浴したとのこと。めでたし、
めでたし。

 昼から京都に寄り、名古屋へ移動。
 帰省ラッシュの流れに巻き込まれる。
 京都も名古屋も新大阪も、帰省客の大群が大荷物をかかえて土産モノ売り場
を徘徊している。狭い通路は彼等の抱える、あるいは転がすバッグで大渋滞で
ある。大晦日のアメ横みたいだ。

 名古屋オフィスのそばに「タンドゥール」というカレー屋がある。
 筆者はこの店のカレーを好いている。
 スープ状のシャバシャバ系が本来の好みだが、この店のカレーはその対極に
ある。キーマカレーかと思えば、それとも違う。米がパラパラでカレーにあう。
 味の基本はトマトとタマネギの甘味。これに香辛料の複雑な辛みが絡み合う。
「長粒種ですか?」
 と問えば、ジャポニカ米だとの返事。
「炊き方に工夫があるのよ」
 店のおばちゃん、自慢げだ。

 スタンドカレー好きな筆者。
 東西スタンドカレーの雄は、筆者にとって、東の「C&C」、西の「インデ
ィアンカレー」
 どちらも甘味から入って辛味に抜ける。
 東西の真中、名古屋では、やはりこの「タンドゥール」か。
 大名古屋ビルヂング内に「ボンベイ」という水を使わず野菜の水分だけで出
来上がるインドカレー店もある。名駅近辺の東西に2店。いい配置である。
 大名古屋ビルヂングには「RAKERU(ラケル)」というオムレツ店もあ
る。
 チェーン展開で、新宿、池袋、渋谷にも出店しているし、関西、九州エリア
にも店がある。電子レンジで暖めたようにフワフワ状態のバターたっぷりのパ
ンと小ぶりなじゃがいも1個がつくメニューは、筆者のお気に入りのひとつな
のだが、店によって微妙にオムレツのふっくら具合や味が異なる。
 すべてのチェーン店を訪問したわけではないが、この大名古屋ビルヂングの
ラケルが一番旨いと筆者は思っている。
 名古屋にお越しの節は、ひとつお試しあれ。
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2008.01.03 ホームパーチー
 昨夏、筆者の転居にともなう新居お披露目パーチーに参加したメンバーで新
年の「ママお披露目パーチー」。
 存在自体にどこか滑稽味のある筆者の母を一目見んとメンバー参集。ありが
たいことである。今度は入場料を取って一般公開をしよう。
 パーチーの基本は肩の力を抜いて、ある意味適当にやる。それが基本だと筆
者は信じている。
 ホストもゲストも気楽に楽しめないと、このての催しはすぐに疲労してしま
う。
 今回は昭和一桁世代の母が、昭和の社会人ご自宅お招きモードを全開させよ
うとしたので、ブレーキをかけるのにちと苦労した。しかも筆者まで母親のテ
ンションが若干、転移してしまい、いろいろと用意しすぎて結局、使い切れな
い物件を多数出してしまった。反省である。
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2008.01.01 総決算 
 この数年、毎年、実家に帰省していたが、昨年夏、母を大阪に呼び寄せ、筆
者は故郷を失った。
 帰る場所を失えば、帰らずにすむ道理で、今年の年末年始は久しぶりにのん
びりさせてもらうつもりだ。
 事実、のんびりしている。
 テレビのお笑いも、懐かしい映像も、何かしらの企画性のあるものは、もは
や筆者の気をひくことは無い。せめてニュースで各地の表情を確認できれば満
足である。
 雑煮を食べ、我が家の伝統食に箸を伸ばす。酒は飲まない。
 家庭には家庭の数だけの伝統食があるだろう。
 筆者の家のそれは、いたってシンプルだが、飽きがこず、その気になると酒
も進むという逸品である。
 海苔の上に白菜漬けを載せ、マグロとカズノコを包んでワサビ醤油で食べる。
 それだけのものだが、なかなかにイケル。
 これがなければ正月気分が得られぬのである。

 昨年は、身体の衰えを自覚し始めた年となった。無念である。しかし、人は
順繰りに老いもするし、逝ってもしまう。そろそろ、ツッパリも卒業かもしれ
ん。
 筆者の会社は若者が多い。多少いっても30代前半というところだ。同年代同
士の話はほぼできない。筆者の後を担う世代も7歳ほどの年齢を置いているの
で、やはり同様だ。ただし、Tは、かなりのピッチで加齢現象が進んでいるの
で、今度漢方の話でもしてやろうかと思う。(Tは目と髪にきた。筆者は頭の
南北問題と呼んでなぐさめている。持てる者と持たざる者の格差の話だ)
 筆者自身もTどころの話ではない。
 四十肩とは言わぬが、右肩を上げる何かの瞬間「コキッ」となり、背中に手
をまわす際、軽い痛みを覚えるようになった。
 膝が固まりやすくなったのも嫌なことのひとつである。重いバッグを持ち歩
きながら階段を上るときや、長距離を歩いたあと、膝が痛くなる。ふと気が付
くと膝をさすっている自分に気付く。
 百円ショップで売っていた「老眼鏡」を買ってしまったのも不覚の極みであ
る。
 それまで、絶対に老眼鏡の必要性を認めていなかった筆者の心が陥穽におち
たとしか言いようもない。あろうことか、百円ショップで、である。あまりの
安さと気軽さに(試してみるか)と何の抵抗もなくガードが下がってしまった
のだ。無念である。
 買ったはいいが、それほど使うチャンスは今のところは、ない。
 ウコンの力は愛飲している。飲んだら、帰路、コンビニで2本買う習慣がで
きてしまった。
 毎朝、「カルピスアミール」を飲んでいる。オフィス前のデイリーヤマザキ
で扱っていたが、最近、姿を消してしまった。泉の広場の薬局もどうやら筆者
が在庫消化の役周りをしてしまったようだ。ホワイティ梅田のコクミン薬局で
はまだ扱っているが、カルピスの営業力に大いに期待している。

 身体機能の大部分については向上することはもはやない。折り合って生きて
ゆくわけだが、来年の今日、はたしてどのようなことになっているのだろうか。
興味は尽きない。
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2007.12.31 なぜか思索にふけってしまう帰阪の車窓
 名古屋から帰阪。
 新幹線の車窓に映る空は、哀しいほどの青。
 いつかどこかで見た懐かしい青空が広がっていた。
 経済活動を停止すれば、空はここまで青く澄みわたることができるのだ。
 文明を営もうとすれば、人間は、生きているだけで星を汚す。星の自浄能力
は、どれほどの人間の生存を許せるのだろう。天敵の存在しない人間は本能の
命じるまま種の保存を追及する。限りなく繁殖し、そして利便をも追及し続け
る。その挙句、自らの生存圏を何の自覚もないままに破壊して大絶滅への道を
歩むのか。もはやSFのモチーフのひとつなど言うよりも今、そこにある未来
という感じだ。
 筆者は車を運転しない。しかし、エアコンの偏愛者であり、家中の電気を満
艦飾のように灯し続ける浪費家でもある。偉そうなことは何一つ言えやしない
立場である。
 個人の意識ひとつ変革するのも難儀なことなのに、主権国家という面倒な存
在が話をよりややこしくする。筆者はいい時代に生まれ、そして死んでゆくこ
とができる奇跡的にラッキーな世代なのかもしれない。
 少しの努力を約する事は出来るが、その永続は心もとない。
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2007.12.27 寒耐性
「寒反応」
 それは、筆者が名づけた身体のメカニズム。
「寒っ!」と思ったら、その瞬間から、それまで寒くなかった温度でも寒く感
じてしまうこと。コートの袖に手を通してしまったら、もう、春までコートが
手放せなくなる心理と同じである。
「寒耐性」
 それは、今年筆者が手に入れた身体のメカニズム。
 極寒を体験してしまえば、中途半端な寒さなど何ほどのこともなくなること。
夏に日焼けすると風邪をひきにくくなると言われていた昔の話と同じである。
(何か微妙に違う気もする。すいません、かえって話をこじらせる例え話でし
た)
 11月下旬にマイナス4度を体験(風雪にもまれ、体感温度はさらに低かった
はず)した筆者は、この冬の最低気温と呼ばれる東京にいてもそれほどシビア
な冷え込みを感じずにいた。(ちなみに、同日、大阪は異様に暖かかったとの
証言を得ている)
 これからは冬が到来する前に北海道に行くことにしよう。
 そうすれば、ただでさえ1本、ビシッとしている筆者の精神がさらにビシッ
となること請け合いである。
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2007.12.22 つけてみそかけてみそ
 二日酔いの気味ある朝、帰阪前に東京オフィスのNさんから頼まれた物件を
求めて名駅界隈をさまよう。
 TVで名古屋の特集をやっていたらしい。それを見たNさん、見事に食いつ
いた。味噌ダレ&ドレッシングといういかにもな名古屋商品。メーカー名も聞
きなれぬものだったが、「モナカ」の組み換えで記憶に収め「なんか『かけて
みそぬってみそ』ってものらしい」との曖昧な情報をもとに「ナカモ株式会社
の『つけてみそかけてみそ』」を探し求めた。
 名古屋オフィスの面々に聞けば、皆、けっこう愛用している。ごはんと一緒
になどという者もいた。 
 ひったまげたことに品切れ店続出。
 マツザカヤもタカシマヤも近辺の土産物屋もすべて品切れの札がかかってい
た。恐るべしTVの威力。
 しかし、筆者は慌てない。タカシマヤ近辺は観光客の集まるスポットだが、
地場密着ならば近鉄・名鉄ゾーンである。
(ほ~ら、あった)
 近鉄地下の食品売り場には「つけてみそかけてみそ」が幾つも並んでいる。
さっそく購入。余分に購入したので興味のある方は筆者まで。
 
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2007.12.21 忙中酒間の車中
 明日は冬至という師走の一日。
 陽光を閉ざしてしまうほどには厚く重なっていない雲のベールを通して、午
後3時半の師走の西空は、はや薄紅色の彩色をほどこされている。
 地上には、薄暮の中、誰もいない街を生ぬるいもやが包んでいる。温度を感
じさせない不透明感が漂う地表とは対照的に上空では沈殿しきらぬおりのよう
に、薄雲が地上に垂れ込めることをためらっている。そのおかげで思いの外く
っきりとした富士のシルエットが蒼白く丹沢山塊のむこうに浮かび上がった。
 列車が新富士を通過するときには、もはやその前に遮るものとてない富士の
全景が現れる。
 裾野は油彩画の下塗りのようにシルエットのみが淡く浮かび上がり、山頂か
ら7合目にかけてはくっきりと山襞を映ずるほどに鮮明な富士の姿は、不思議
なほど現実感が希薄である。
 名古屋オフィスの忘年会に参加するため今日は名古屋で途中下車をする。そ
のため、まとまった時間を使うこともなかろうと今日は、何をすることもなく
頬杖をついて眺めていた車窓の一幕である。
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2007.12.16 年賀状
 福岡オフィスの忘年会は、博多のもつ鍋屋ランキングでトップの座に輝く
「やま中」で。
 本店は和のテイストが強いそうだが赤坂店は、どこぞのホテルのフロントの
ような広くて清潔感溢れる作りであった。
 もつ鍋は旨かった。堪能した。味噌味の評判が良いようだが、筆者は醤油味
に一票。

 博多に向かう列車の中で年賀状の筆入れをする。新幹線は偶然にもN700系。
なぜか気分がゆったりとする。
 デビュー当時はチープな手抜き感を漂わせていた簡易製版機(ガリバン刷り
とも言いますな)プリントゴッコを使い続けて20年。カラープリンター全盛の
今、逆に手作り感すらにじみ出てきた。やっぱ継続は力なりである。
 筆者は1年間の思いをこめて1枚1枚刷るのである。
 その年の干支の手書きキャラも干支によっては2順目に入った。22年間の途
中2年だけプリントゴッコが途絶えた年があるが、12種の干支キャラはすべて
書き尽くした。
 個人的には兎(2代目)と猿(2代目)羊(2代目)、牛(初代)などが気
に入っている。来年の鼠も自画自賛の気味、強なれどけっこうお気に入りに仕
上がった。
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2007.12.15 カレンダー
 昭和一桁世代は、カレンダーに金を使うことを贅沢だとなじる。そのくせ
「日めくりが欲しい」などと注文を言うのである。
 自分で買うのは贅沢だが人から貰うのは別らしい。亡父の求めに応じて日め
くりを買って帰省する数年間があった。
 世間との交渉の窓が日を追って小さくなってゆく隠居生活に、働くことを日
課とし、アイデンティティとしていた昭和3年生まれの小さな体躯の中にどの
ような葛藤を沈めながら、毎朝、日めくりの1枚1枚を剥がしていたのだろう
か。ふと、亡父の老境の身に思いをよせる自分がいたりもするのである。
 しかしながら、感傷的な感懐の念は、先天的に楽天家で陽気な母の滑稽味の
ある日常によって暖色の絵の具で塗り染められてしまう。
 筆者によって保有数を制限されている植木の世話を日々繰り返す母の(放任
すると部屋がジャングルになってしまうからである、世の中には限度というも
のがある)、花芽が出たの、花が咲いたのと間断のない見ろ見ろ攻撃につきあ
う日々である。母に、花のカレンダーを手渡すと少女のように自室のどこに貼
るかをあれこれと考えている姿は、映画「スターウォーズ」の前シリーズに出
てきたイウォーク族のようで微笑ましい。
 筆者は5年連用カレンダーと12ヶ月がひと目で見渡せるカレンダーを使用し
ている。93年以降、毎年のカレンダーを重ね貼りしていた筆者の使用済みカレ
ンダーコレクションは、今夏の母の移住に伴う筆者自身の引越しにより中断、
と言うよりも終焉を迎えた。
「死んでしまえばただのゴミ」
 呟きながら、むしろ淡々と家財をけっこう大量に処分したこの夏であった。
 結婚を機に家を出て22年間、3回転居した。その回数が多いのか少ないのか
平均値なのか。独身生活14年を挟んで老母と同居を始めてみれば、独り者の気
楽さを失うほどには至らず、うまく折れ合った共同生活を営み得たのはまさに
行幸であった。
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2007.12.07 逃亡者
 セーフハウス(隠れ家)を用意しておくのは逃亡のプロの心得の一である。 
 実際のところ、ハウスではなくランドだが。
 夕刻、雨の金沢へ入沢。
 乙女寿司に行く。
 今年は暖かいのかブリの漁獲量が少ないとのこと。コウバコは勿論食べる。
11月のズワイガニ解禁以来、始めて外で食べたカニであった。甲羅酒もいつも
の物語の一節だ。ブリカマ、白子のすり流し、香ばしいゴマの乗ったアカイカ。
切り身も寿司もいつものごとくに堪能。2軒目に東廓のワインバー「T」でワ
インを1本。
 翌朝は、黒百合で朝酒。白山の固豆腐の刺身、ふぐの粕漬け、金時草のおひ
たし、ふくらぎとおでんでビールと燗酒を少々。ふくらぎは小さなブリの名だ。
ブリは出世魚なので名前がかわる。ブリ←ガンド←フクラギ←コズクラとなる。
(東ではブリ←ワラサ←イナダ←ワカシ。西ではブリ←メジロ←ハマチ←ツバ
ス)ただし、ブリの成長段階の名称は山ほどあり、これより細分化されたもの
もあれば、土地によって微妙に名称が違う。あまり深入りしてはいけんのであ
る。
 昼は自由軒でハヤシライス。夜は千取寿司本店。ここでもコウバコを。ブリ
カマは昨夜食べたのでノドグロの焼きを頼む。
 店を出て、断続的に降り続ける雨の中、片町まで歩いて帰る。
 バー「スプーン」にてカクテル。キウイリキュールを使ったオリジナルカク
テルの「クローバーラブ」が筆者のお好み。珍しくつまみを何品かオーダーし
た。かなりイケることが分かりメッケもん。
 店を出て「宇宙軒」で豚バラ定食を。今日は絶好調である。
 翌日は帰阪、と言うより上洛。京都オフィスの忘年会があるのだ。離沢前に
「ニュー狸」でタンシチューと焼き飯を食べ、金沢駅で再び「黒百合」へ。お
でんと燗酒。高い満足に包まれた週末であった。
 

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2007.11.26 暖かい
 真冬日を連発した北海道から帰ってくれば、大阪は暖かい。
 朝のエアコン稼動も昨日から止まってしまった。
 先週出動したトレンチコートもしばし待機。
 沖縄には台風23号が近づいているし。
 気候はやっぱちょっと変。
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2007.11.24 ガスファンヒーターON!
 ちょっと肌寒い感じなので
 ガスファンヒーターをつけてみた。
 今年初の稼動。
 でもすぐに停止。
 まだちょっと早いか。
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2007.11.22 真冬日
 北海道は真冬日。
 札幌の予想最高気温が氷点下4度だって。
 沖縄をみたら26度だし・・・
 その差30度。
 日本は広い。
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2007.11.19 エアコンON!
 朝、冷え込んでいる。
 思わずエアコンのスイッチを入れてしまった。
 トレンチも稼動。
 すべて今年初の稼動。
 一気に冬モードへ。
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2007.11.18 寒波来たりなば
 一級品の寒波が大陸から張り出してきた。
 地上で雪が降る目安は上空の寒気がマイナス6度だそうな。
 大阪でも夕方から冷え込み始めた。
 ジャケットの襟をあわせたくなるような寒風が吹いた。
 木枯らし1号だ。
 冬が始まる。
 夏がけの布団1枚の夜も今日までとなった。
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2007.11.17 模様替え

 ホットカーペットを所望する母を連れ、午前中に近所のコジマに訪店。
 柄に不満がありそうだったが、ほかにこれといったものも見当たらず、結局
購入。
 電気膝かけも欲しがるので在庫をあたるもサイズも柄も不満の様子。
 老母と言えども女である。やはりこだわりはあるらしい。
 メーカーに問い合わせ、なんとか納得のゆくサイズを見つけ、発注。
 先日お亡くなりになったデジカメの後継機もついでに購入した。
 型落ちのフジフィルム、ファインピクスZ5fd。
 在庫処分で2万であった。630万画素。
 筆者はホームページにしか写真を使わないので何百万画素も、お顔キレイキ
レイモードも、手ぶれ補正も、とにかく余分な機能はあまり必要ない。
 先代は240万画素程度だったと思う。
 なにせ2000年に買ったものなのだ。それでも技術革新は飛躍的だ。当時6万
強は払ったと記憶しているが、性能は格段に上がって今回は2万。
 安くなったもんだ。
 午後にはオフィスの自室のレイアウト変更。
 5時間半もかかる。
 ほとんど引越しである。
 家に帰れば、ホットカーペットと電気膝かけの併用が危険とのことで取扱説
明書で禁じられていることが発覚。
(なんでじゃ?)
 理由はわからんがしかたがない。
 明日、レシートを持参して返金してもらうように母を指導。
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2007.11.14 インフルエンザ
 今年は例年より1ヶ月は早く流行の兆しをみせているそうな。
 筆者は1本ビシーッとしているので何ら心配はいらない。
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2007.11.11 初モノ
 6日に解禁となったズワイのメスがセコ蟹(コッペともセイコ蟹とも呼び名
は様々)。 近所のスーパーで発見。
 さっそく購い、いつものごとく整える。ま、季節もの、ということでひとつ。
 八海山をちびりちびりと飲りながら、セコ蟹をせこくみみっちくほじくる。
しみじみといい夜である。
 甲羅に外子と内子をちょいと残し、熱燗を流し込みぐるぐると揺する。
 甲羅酒もまた楽しからずや。
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2007.11.10 西進
 先週、レンタママチャリで木津川沿いを30キロほど走行したのが奏効したか。
チャリ復活の兆しが見えてきた。
 今日は西にむかって久々に愛機を飛ばす。
 西宮を越え、芦屋を越え、摂津本山まで。往復で50キロ程度。
 今度は三ノ宮まで行ってみよう。
 その次は舞子だ。明石海峡大橋の袂が目標である。
 下の画像は芦屋川と摂津本山界隈。そして摂津本山駅前「ぶはら」のランチ。
 写メである。画像のぼやぼやはお許しを。

 実は今日、苦楽を共にしてきたデジカメ、FUJIFILMのファインピクス40iが
お亡くなりになったのである。
 2000年に購入してからまる7年、旅にあればいつも筆者の傍らにいた可愛い
奴だった。
 単三の乾電池で電力補充ができる点も重宝していたのだがなあ。
 あちこちでぶつけて、落として、ふんずけて。
 今まで文句も言わず、よくつきあってくれた。
(合掌)
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2007.11.08 立冬
 立冬である。
 冬が立つと書いて立冬。
 しかしながら関西では冬はまだ寝ている。爆眠状態。そろそろ起きてもいい
ぞ。
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2007.11.07 日の出
 日の出の時間は着実に遅くなっている。
 天体の運行は実に精緻だ。
 星系を英語ではシステムと言うが(太陽系はソラシステムですな)こういう
時になんとなく納得してしまうのである。
 ついに本日、筆者が普段乗っている電車の発車時刻よりも日の出の時間が遅
くなった。昨年も書いたが、淀川を越えるときに遠く生駒山のむこうから朝日
が顔を出すのである。 茜色の朝日が覚醒を始めた街を照らす。筆者の愛する
景色である。
 本日、各地の日の出時間は以下のとおり

 札幌 6:16 (8/20 4:45(6/25 3:56))
 東京 6:08 (8/20 5:03(6/25 4:26))
 大阪 6:23 (8/20 5:22(6/25 4:46))
 福岡 6:42 (8/20 5:43(6/25 5:09))

 本日の大阪の最高気温予想は22度。すごしやすいのだ。
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2007.11.06 ズワイガニ解禁
 季節は巡り、今年もカニの解禁日がやってきた。
 ご祝儀相場の初日をやりすごし、値段が安定する今月中下旬が狙い目だ。12
月になってしまうと、歳末相場でまた値があがってしまう。
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2007.11.05 なにごとか、いろいろと
 朝、乗車している電車が新大阪を発車するとき、駅前のダイキンの大看板に
設置されているデジタル温度計が15度を表示していた。それなりに涼しくなっ
てきた朝である。

 昨日、実に久しぶりにチャリに乗り、やめときゃいいのに山から徒歩で下り
たりもした。
 案の定、足がパンパン。
 ふくらはぎが子持ちししゃものようにパンパンである。
 ロボットのように階段を下りる。
 チャリが原因ではなく、下山が原因だ、きっと。

 いよいよ本日からスリーピース部隊に出撃命令。

(パキッ!)
 乾いた音とともに長年苦楽を共にしてきた超軽量折りたたみ傘が死んだ。
(合掌)
 実に便利な道具であった。
 通勤に、旅に、奴は常に筆者とともにあった。
 それほどに小さく、軽量なのだ。
 考えてみれば筆者は大型の傘をほとんど持ち歩かない。
 東京に配備していた同型機を大阪配備に切り替えることにした。
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2007.11.04 クリーニング最終回収
 クリーニング屋に預けていた夏物衣料をすべて回収し、クローゼットの衣替
えを終了した。いつ着てもいいぞ、寒波よ。木枯らしよ。
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2007.10.29 東西で夏日
 もうすぐ11月なのに・・・
 しかしながら、夏物衣料はすでにクリーニング屋の手に渡ってしまっている。
ツーピース部隊に出撃命令を下す。
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2007.10.27 衣替え2
 ガウンを出した。
 朝、羽織るかもしれない。
 でも、まだ、ちょっと早いな。
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2007.10.24 衣替え
 どーにも集中力が持続しない。仕事の効率が落ちている。
 チェックしてみたら、9月24日から1ヶ月ほど休んでいないことに気がつ
いた。
(本当は3日前の日曜に休みをとったのだが、これは母を明石に連れて行くた
めだったので疲れがとれんかった)
 休んじゃえ。
 目覚ましもかけずにいたら、8時近くまで目が覚めん。
 起きて、風呂につかって、冷や汁食べて、また寝た。
 目覚ましもかけずにいたら、3時過ぎまで目が覚めん。
 起きて、クリーニング屋に向かった。
 大量の夏物衣料を預け、先週預けた分を引き取る。
 クローゼットの夏・冬の衣料を交換した。
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2007.10.23 今宵、十三夜
 心丈夫に車夫の顏を見れば二十五六の色黒く、小男の痩せぎす、
 あ、
 月に背けたあの顏が誰れやらで有つた、誰れやらに似て居ると人の名も咽元
まで轉がりながら、もしやお前さんはと我知らず聲をかけるに、
 ゑ、
 と驚いて振あふぐ男、あれお前さんは彼のお方では無いか、私をよもやお忘
れはなさるまいと車より濘(すべ)るやうに下りてつくづくと打まもれば、貴
孃(あなた)は齋藤の阿關(おせき)さん、・・・
 樋口一葉の「十三夜」である。
 今宵、十三夜なので、そこのところをひとつ。
 幼馴染の両想いの恋は、大抵の場合結ばれぬ。いつしか時は流れそれぞれの
人生を過ごしてきた二人が邂逅する。
 古今東西、小説の舞台としては格好のシーンとなる。
「文四郎さんのお子が私の子で、私の子が文四郎さんのお子である生き方はで
きなかったのでしょうか」
 藤沢周平の「蝉しぐれ」もこんな感じだったなあ。
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2007.10.21 ちょっと冷えてる?
 秋はどこにいったのだ?
 筆者に何の挨拶もないままいつのまに立ち去ってしまったのだ?
 関東以北から伝わってくる冬の気配。
 関西にいると実感がなかったが、朝夕の冷え込みはさすがにわかる。
 本日からシャツは長袖に変更である。
 母がいることだし、ガスファンヒーターだけは出しておこう。
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2007.10.20 クリーニングとランブルスコ
 セール期間は10/18~31迄。去年よりも1週遅い。去年は一昨年より1週遅い。
温暖化の影響か?
 さっそく季節はずれのサンタクロースに変身。
 夏物衣料の50%をデカバックに放り込みクリーニングへ。
 帰路、地元の酒屋でランブルスコの入荷を確認。
 780円也。
 3本購入。
 10日程前に「去年はあったのにな~」と酒屋にキックしていたのだ。
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2007.10.20 明石
 母を連れて明石へ。
 旧宅のご近所さんに明石の昼網を贈る約束をしていたのだろう。連日の「連れ
てけ」攻撃はサイゴン陥落前夜の北ベトナム軍の野砲のように筆者に降り注いで
いた。
 ここしばらく休みが取れなかったが、忙中閑の隙間を見つけ、明石に連れて行
った。
 魚の棚(うおんたな)で目的を果たした母は満足げである。筆者もこれで肩の
荷を下ろした気分。
「今度は神戸ね」
 こともなげに要求する母であった。
「菊水鮨」に寄って昼を食べた。
 明石を代表するお寿司屋さんで「上にぎり」と「穴きゅう」を。
「おいしいわ~」
 満足したようである。 
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2007.10.19 やられた!
 高所恐怖症のFはおちゃっぴーな奴である。
 YとFの誕生祝をしたところ
 FからYへプロのイラストレーターの手になるコミカルな肖像画が手渡された。
 イラストを肴にしばらく盛りあがる。
 まさか、同じイラストレーターの手になるさらにコミカルな自画像がFにより
留守中の筆者のオフィスの扉に掲げられていたとは神ならぬ身の知る由もない。
 出社したら、ぶらさがっていたのである。
 下の絵が。
  
 
「30人ほど見てますよ」
 早起き社員のYが教えてくれた。
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2007.10.08 体育の日、体力は減衰傾向
 疲労が静かに積もっている。
 それくらいのことはわかる。
 仕事がはかどらない。
 集中力が落ちている。
 淀屋橋で運営している会場からの帰路、Nが教えてくれた沖縄の店を見つけた。
 買っちゃうから不思議である。
 沖縄病は直っていないようだ。
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2007.10.03 エアコン停止
 就寝中もフル稼動していたエアコンがついに停止した夜。
 エアコンの代わりは扇風機がひきうけたぜよ。
 涼しくなった。
 会社のYなどさっそく風邪を引き込んだ。
「1本ビシー」っとしなければならない季節の到来か。
 風呂上りの髪を放置するのも危険だ。「まだまだ大丈夫」との無警戒が払う代
償は、爽やかな普通の毎日。言い古された言葉だが、人は失なってみなければそ
の価値には気付かないのである。
「しまった!」という後悔の念が事実より先に到来することは決してない。 
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2007.10.01 めざにゅー
 関西テレビもやっと早起きをする気になったらしい。
 フジテレビの朝は関東では「めざましテレビ」の前に「めざにゅー」という編
成である。5:00前から始まるのだが、関西のCX系、関西テレビでは「めざにゅ
ー」をさぼっていた。今日から始まった。よしよし。
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2007.09.29 秋めく
 遅い!あまりにも遅い秋めきである。
 しかし、とうとう今日、秋が来た。しかも、クーラーを止めたほどに涼しい。
筆者的には今日から秋と認定。
 髪を切りに外に出る際、何ヶ月ぶりかでジャケットの袖に手を通した。(秋
だから)
 そー言えば、夏モノ衣料のクリーニング割引セールの案内が来ないなあ。
 なあんて思ったときはこの「歳時」の去年の頃をポチッっと。ああ、10月11
日でつか。安心である。
 おお、そう言えば、母を連れて諏訪に行ったのは去年の今日なのか。
 ああ、ミクシー始めたのも去年の今頃か。
 あれ?富士山の初冠雪は今年はもう終わっていたのでは?去年より早いのか。
 ありゃ、前職の皆と飲んで早、1年。
 そうそう、最近、地元の酒屋でランブルスコが見当たらないんで今日、催促
してきたんだが、去年の中秋の名月頃に飲んでいたのだ。
 筆者は虫?
 知らず知らずのうちに季節ごとの活動が定番化している。
 歳ってことですか?
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2007.09.22 九州へ
 昨日は渋谷でスタッフの慰労をした。
 先週は名古屋へ行っていたが、今週は博多である。いつものことながら筆者
の会社にカレンダーはない。先週も普通の1週間だった。祝日は電車が空いて
て嬉しいんだけどね、実は。
 歓送迎会をやるとしたら、一番皆が集まりやすいのが日曜日だ。火曜日にも
博多でちょっとした仕事があるので、今回は土曜、月曜と変則的に空きができ
た。筆者は仕事中毒ではないので休めるのなら喜んで休む。1年休めと言われ
ても満喫しきる自信がある。休み明けに机がなくなっているだろうが。
 土曜日に宮崎に寄った。
 日曜日は博多だ。
 来福の鉄路は、大分・小倉経由か、鹿児島・熊本経由か。マニアのFやNな
ら悩みまくるだろうが、筆者はマニアでないので悩まない。
 JALでひとっ飛びである。
 飛行時間は30分。あっと言う間に博多である。
 帰阪時、今年最後であろう「ぶどう大福」を購う。
 よかった、間に合った。
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2007.09.15 行ったりきたり
 昨日、東京から帰阪したかと思えば、今日は朝から名古屋である。
 名古屋ブランチでの用務を済まし、帰阪の新幹線の車中で名鉄百貨店の地下
で購った「どて丼」と「味噌串かつ」をほおばる。
 濃い。
 濃いがアリ。
 特に筆者は「どて丼」が好き。
「どて焼き」をご飯にぶっかけた物件である。
 正直なところ「どて焼き」は筆者にはちょっと甘すぎる食べ物なのだが、名
古屋のどて丼のモツ煮はあまり甘くないのである。ちょっと辛めの味付けが筆
者の嗜好のツボを軽くくすぐる。
 隣に座った京都にむかう2人の「ガイジン」の好奇の眼差しの砲列にさらさ
れながら飯をかっこむ筆者であった。
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2007.09.14 東京、大阪で昔と今
 東京から帰阪。
 NとN嬢の誕生日を西天満の「倶楽部キュイジーヌ」で祝う。
 昨夜は東京でOと久闊を叙し、新宿の老舗天麩羅「天兼」で久しぶりの江戸
前を堪能した。さらにその後、昔通ったバーに数年ぶりの訪店。かわらないサ
ービスで迎えてくれるスタッフの顔に過ぎ去った歳月の長さを見出し、ふりか
えって我が身もそうなのかと少し感傷的になってしまった筆者。
 バー「Vespa」に通うようになって筆者のバー基準が大きく変わってし
まった。
 その店のカクテルはすでに筆者の満足を引き出すことはない。しかし、過去
への郷愁がレシピの中に数滴混ざっているのである。それはちょっぴり甘くそ
して苦い。
「倶楽部キュイジーヌ」で若いスタッフに囲まれ、東京から引きずってきたメ
ランコリックが吹き払われた夜であった。
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2007.09.08 金沢でリラックス
 今年初めての金沢。
 去年は年間5回訪沢している。
 今年はご無沙汰であった。やっぱ四季に1回ずつは来たい。
 昨夜、入沢し「乙女寿司」と「バースプーン」で時を過ごす。
 久しぶりのアルコールに不覚をとった。
 その後「宇宙軒」に寄って「豚バラ定食」を食べるは、タコヤキを買って帰
るも3個しか食べずにそのまま落ちるは、財布のお金が1700円不足してい
るは(どこで何を食べたんだろう?)で、もはや恐怖の記憶喪失症である。
 今日は自粛モード。
 昼は「弥助」で寿司をつまむもアルコールは抜き(えらい!)。
 夜、「黒百合」でおでん(がんも・糸こん・つみれ・玉子・ちくわ)、金時
草のおひたし、がんどう、フグの粕漬け、固豆腐で大生ビールと熱燗。
 金時草は「きんじそう」と読む。金沢野菜である。葉の裏側が紫色。ちょっ
とねばりのある葉っぱ。
 がんどうはハマチの加賀読み。出世魚であるぶりの小さい奴である。
 一人呑みのオヤジ人口が多いこの店の尻のすわりのよさは抜群である。
 支払いは3千円代。気持ちに優しく懐にも優しい。 
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2007.09.07 台風一過・・・なのに
 台風にやられたのは久しぶりのことだ。
 新幹線は完全にストップ。
 宿の確保争いはすさまじいものがある。筆者は業務が2日がかりになる可能
性があったのでホテルを確保していたのが我が身を救った。しかし、仕事を依
頼したS氏の足が止まってしまった。新幹線が止まる可能性はある程度考えて
いたが詰めが甘かった。足を失った大量の帰宅難民が宿の確保に東奔西走する
のだ(できないけど東奔西走、台風でみんな止まっているから)。
 最近白髪が増え、老眼のため細かい文字を見ると思わず顔を引いてしまうT
に宿の確保を依頼する。なんとか確保できたのは小1時間後。諸方に迷惑をか
けてしまった。
 翌朝、始発の新幹線に乗り込む。
 ホームにつけた新幹線ホテルや駅周辺のホテルに泊まった客が殺到すれば、
グリーン車と言えども確保が難しかろうと、策を練る。品川6時始発のN700系
が狙い目だ。東京駅発よりも空いているかもしれない。それでもみどりの窓口
や自動販売機が稼動する5:30前には駅に行く。ギャンブルではある。新幹線が
動くという保証はないのだ。駅に電話しても情報がないと言う。なんじゃそれ
は?
 幸い電車は定刻通りに動いた。
 すでに6:10の東京発ののぞみはほぼ満席状態だ。グリーン車にすら△マーク
が灯っている。品川始発ののぞみだって危ない。まだグリーン車は○ではある。
 チケットを確保し、列車に乗った。
 ひと安心である。台風は東北方面に去った。帰るのだ大阪へ。
 しかし熱海で列車が停止した。
 三島の雨量計が300ミリを越えたとか越えないとか。様子見で停車すると言う。
 結局1時間55分も待たされた。
 8時20分過ぎには大阪に帰阪しているはずが10時20分に大阪着。
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2007.09.06 健康診断
 血管が確保しづらい筆者の両腕。
 健康診断の採血時、いつも筆者はベテランを出せと主張する。
 プライドか、はたまた筆者の主張を軽視しているのか、看護士が聞き入れた
ことはこの3年間ない。3年来の強行採血、そしてその失敗という事実の積み
重ねが筆者に採血へのトラウマを植え付けてしまった。
 採血と聞くと緊張が走る。
 今年も健康診断がやってきた。
「採血をしてから血圧、視力などを測ってください」
 順番が逆だろう!
 採血の後で血圧なんかはかってみろ!徹夜あけの高血圧患者並の血圧になっ
てしまうではないか。
「一生のお願いだから血圧を先に測らせて」
 筆者の願いは聞き届けられた。
 当然、血圧はノンプロブレム。
 いよいよ採血。
 採血場に並ぶ3名の看護士の姿。
(お?)
 見た目、新人(ルーキー)らしい姿がないのである。3名ともプロっぽい。
「過去に採血をして気分が悪くなったことはありますか」
 注射器を準備しながら看護士が質問する。
「毎年。それもここ3年間連続で・・・」
 この3年間の鬱憤をぶちまける筆者。看護士にプレッシャーがかかる。
「緊張しますね」
 と言いながら、腕をさする。
 ぺちぺち。腕を叩く。
「右腕を見せてください」
 いつものことである。しかし、両腕とも差はないのだ。
 血管を求めて何度も指を当てている。
「あ、ここだ。血管が途中で曲がっているんですね」
 ぴしゃりと血管を確保した。確保したら楽なもんである。今までの失敗は確
保できないままにえいやっと刺されたことによる。
 久しぶりにきれいに採血された。
 嬉しいのである。
 体重もここ数年で最も軽い75.5をマーク。筆者的には良しである。
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2007.09.02 山形芋煮会
 しまった~!
 毎年9月の第1日曜日に開かれる山形の大芋煮会。
 秋の到来を告げるこの行事、筆者も一度は参加したいと願い続けている。
 しかしながら今年もロストしてしまった。
 無念である。
 健康診断が毎年この時期にあるのだ。
 診断前の調整期間を設ける筆者にとって参加には無理があるのだ。
 しか~し!
 来年の9月第1日曜日は7日なのである。
 行くぞ!来年こそ。堅く心に誓う筆者であった。
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2007.08.20 大阪、猛暑日7日連続。お盆明け
 昨日まで大阪で7日間連続の猛暑日。
 先週は記録的な猛暑日だった。観測史上最高の40.9度という日もあった。北
極の氷の面積も過去最低だそーだし。
 温暖化は確実に進んでいる。戦争なんてやってる場合じゃないぞ。
 家でできること、個人でできることをゴチャゴチャ言って国は目を逸らして
いるが、車社会と火力発電をいじれば、削減効果なんかあっと言う間に達成だ。
そのかわり経済と安全が打撃をうける。火力発電の代わりは原子力しかないし、
ウランの埋蔵量も限界あるからね。
 今日からお盆明け。
 通勤風景が元に戻ってしまう。
 そー言えば引越しによる喪失感をひとつ認識してしまった。
 筆者は日の出と日の入りの景色を失ってしまった。
 そんなもの、あまり価値観を感じずにいたのだが、失ってはじめて分かるこ
とってやっぱりある。
 生駒山や京都方面から上る朝日、日が昇る前の薄紫の空、六甲山系に沈む夕
陽、それらを意識せずに筆者は確かに愉しんでいたのだ。
 いつの日か必ず取り戻す。
 心に誓う筆者であった。
 朝日を失い、早朝の空がよくわからなくなってしまったが、6月25日に記
載した各地の日の出の時間は今、こーなっている。
 札幌 4:45(6/25 3:56)
 東京 5:03(6/25 4:26)
 大阪 5:22(6/25 4:46)
 福岡 5:43(6/25 5:09)
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2007.08.13 お盆、この夏一番の暑さ
 朝、通勤電車に乗ろうとして目をむいた。
 6人がけのロングシートに一人も座っていないではないか。。
 車内はガラ空き。
 筆者は、やっと気がついた。
(あ、お盆ね。)
 いいではないか。ラクラク出勤である。
 父が逝ってしまった2年前からお盆には「実家へ帰省」という新習慣が生ま
れていたのだが、母を大阪に迎えた今年その必要がなくなった。結果、お盆と
いう意識が飛んでしまったのだ。
 実際、生活基盤のない実家での生活って「やること」がない。時間を持て余
すツラさがなくなっただけでも現在の状況はアリである。その分、母のとめど
もない話に毎日つきあうという難行はこなさなければならないが、これも御仏
の道である。なむ~。
 それにしても暑い。
 豊中でも36度を越えていたらしい。
 列島の各地でこの夏一番の暑さ。
 札幌が東京や那覇よりも暑かった。
 もはや暑さからは逃れられない。日本中、逃げ場のない状況と言える。
 それでもお盆をむかえると夏の終わりを予感するこの感覚。日本人である。
それ以前に歳である、きっと。昔はそんな感傷はなかったもの。
 欧米でこの感覚に似たものってあるのかなあ。
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2007.08.12 燃え尽きた
 すでに詩想もわかない。
(書かないけど、詩。)
 言葉は何も浮かばず、脳裏は映像を結ばない。
 次にやることが思いつかない。
 日記に書くことが何もない。
 納品待ちであったリビングのレースカーテンが納品され、最後の昇降テーブ
ルも納められた。細かい調度もひととおり揃え、出さねばならないゴミの発生
も途絶えた。
 5月から始まった「ねばならない」ことの連鎖が切れたようだ。
 やるべきことが終わった瞬間の空白。
 今がどうやらそれらしい。
 これから、ぼちぼちと生活のリズムを取り戻そう。
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2007.08.03 セミ
 なにやら、大阪でセミが大量発生しているらしい。
 4年ごとに大量発生するのだそうな。今年は去年の2倍。
 筆者はセミの声に夏を感じる思いが強いので気にはならない。
 しかも居住地が大阪には珍しい緑の多い土地なのでセミが鳴く朝夕は、出勤
時にセミの声で送られ、セミの声に迎えられて帰宅できるわけだ(さすがに夕
方帰宅は無理。スミマセン嘘を申し上げました)。
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2007.08.02 川越、草加、流山
 川越は、東京北部に位置する埼玉の城下町。
 映画「キューポラのある街」で有名だが、「川越夜戦」で有名な城下町でも
ある。北条8千の兵が上杉・足利連合軍8万を破った戦である。蔵のある小江
戸と呼ばれる街並みは江戸に次ぐとまで言われた。
 残念なことに観光ではない。Mに巻き込まれた仕事である。
 新宿から川越まで30キロを移動し用件を済ませ、今度は外環道を東へむかう。
36キロを移動し草加へ。
 草加煎餅の草加である。
 現地で案内をうけるがひったまげたことに草加から流山を越え、野田を経由、
庄和町へ連れてゆかれた。26キロはあろう。
 流山は近藤勇が捕縛され斬首された土地、野田は醤油の町である。
 用向きを終え、再び草加へ戻る。
 Mの車で都心に帰れば大渋滞に巻き込まれることは明日、朝がくるくらい間
違いの無い未来である。草加駅から東部伊勢崎線で北千住へ、地下鉄日比谷線
で秋葉原へ、JRで東京へ移動。東京北部の交通事情は西部がライフステージ
だった筆者にとって馴染みが薄い。上記路線の繋がりに現実感がなく、東横線
直通で中目黒や神奈川へ向かうことが新鮮である。
 台風5号の影響からか時間を追って湿度と温度が上昇してゆく中、常温常湿
の倉庫を歩き回ったのでヘロヘロである。スーパーヘロヘロ。
 新幹線は台風の影響で広島以西がストップ。
 かなりの疲労感を肩に背負い、帰阪。歳である。
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2007.08.01 関東甲信越梅雨明け
 観測史上4番目の遅さ
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2007.07.24 近畿梅雨明け。東海西日本巡回
 近畿圏が梅雨明けした。昨年より3日早いらしい。
 巡回の日である。
 博多へ向かう。
 夜、「岩政」で葱鮪鍋とお造り、寿司。「ヴェスパ」でカクテル。
 明日は、朝イチで中部国際空港(セントレア)へ飛ぶ。
 名古屋ブランチで用件を済ませ、京都ブランチへ移動。夕方17:00のアポま
でに大阪に帰らねばならない。 
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2007.07.24 N700系乗車日記
(あ、N700系だ!)
 博多へ出張のその日、筆者が乗車した新幹線は7月1日にデビューした新型車
両であった。マニアでない筆者にはまったくどーでもよい話だが、知己に幾名
か「鉄」がいる。彼等のためにレポートをしてあげようと思い立った。
 グリーン車両で、幾つかの設備が更新されたことに一目で気がつく。
 読書灯がヘッドレスト脇に据え付けられた。本にむかって直接照射される配
置である。ロボットの操作席に座っているような感覚を覚えるのは筆者だけだ
ろうか。
 リクライニングボタンの操作がスムーズだ。油圧のような感触である。また、
リクライニング時、座面が微妙な挙動をする。尻のすわりが良くなった。
 窓側と通路側の座席を区切る肘掛がスマートになり、その先端部にコンセン
トが据え付けられた。ACアダプターは重いが、持ち歩けばパソコンのバッテ
リー切れを心配しながら仕事をする負担がなくなった。テーブルも大きくなっ
た。パソコンが置ける。しかもテーブルがエアのようにスライド式になった。
 エアコンの噴出し口が開閉タイプとなり(つまり昔の観光バスみたいになり)
空調の調節が可能になった。
 座席下から暖気が出るボタンもある。
 車両の一部デッキにJR九州の特急かと見紛うようなラウンジ風の作りがあり、
東海道・山陽新幹線ではめずらしいデザインであった。
 以上、N700系からの中継でした。

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2007.07.23 九州北部・中国・四国梅雨明け
 昨年より3日早い

2007.07.22 日常の回復
 疾風怒涛の2ヶ月半であった。
 5月はあっと言う間に終わってしまった。
 GWに帯状疱疹を罹患し、予後を過ごしているうちに亡父の3回忌法要。そ
れが無事終わったかと思えば、今度は母が大阪への転居表明。
 それを受けた6月は母と同居するための家探しとそこへの筆者の転居に終始
した。
 今回の転居は過去のそれと異なり、新たな家財をずいぶん購入した。買い物
って時間を食うな。そしてなにより金も食う。
 筆者の引越しが終われば母の引越しである。
 引越しのダブルヘッダー。
 母は無邪気に筆者におんぶにだっこ。
 40年間棲み暮らした土地を離れるのである。心平らかなはずはないのだが、
少なくとも表には出さない。気丈なのか単純なのか。
 実家の処分も進める。
 さすがに今回は公人としての生活にも影響が出た。公休以外に有給を幾つか
消化した。
 2ヶ月が瞬く間に過ぎた7月上旬、精神の破綻回避に石垣に逃避した。
 我ながらいいタイミングだった。アタリ。心に作った通風孔が淀んだ空気を
排出した。これでなくちゃね。
 引越し作業は昨日の川崎からの転出、今日の大阪への搬入で終了である。
 もっとも家具を据え付けた後の生活動線上の細かい調度の位置調整や補充の
方が手間がかかり、この安定に1ヶ月は要するだろう。今後しばらくはコマゴ
マとした作業と買い物が続くはず。
 そして、筆者の摩擦抵抗ゼロの平和な一人暮らしが終焉を迎えることになる。
 さらば古き良き懐かしき日々。
 今日からは異文化同士の衝突が始まる。
 きっと、最後は家庭内ガンジー。
 無抵抗主義、それが男にできる女性への唯一の対抗手段である。
 男は最終的には女に敵しえない。
 少なくとも主戦場が家庭内である限りはかないっこない。
 今回は22年ぶりに母子で家族を再製する。主権を保持しえれば母子家庭には
ならずに済むかと淡い期待を膨らませてはいる。
 古き良き家庭は昭和40年代前半をもって日本からは失われてしまった。
 かわって、戦後民主主義教育が男女平等と社会よりも個人を不均衡なまでに
尊重する世代を育て上げた。彼等はあまり努力を払わずに手に入れた自由を、
それゆえにその価値を十分に理解することなく濫用し、自我の開放を最優先さ
せた。モラルと徳義は日本人社会から姿を消そうとしている。日本は、かつて
有していた失わざるべき幾つかの儒教的な倫理観を捨てざるをえなくなった。
 筆者もモラルと徳義を失った世代ではあるが、その世代が親になり、教師に
なる頃には2世代をかけて作り上げた新日本人は、創造主にとっても理解不能
な多くの存在を作りあげてしまった。
 家庭の中心は母である。
 母がしっかりとしていれば家庭は保たれる。
 筆者はかつて結婚生活を営んだが、最後まで家庭を作ろうとはしなかった。
友達感覚を脱却しえぬままの友人同士のような結婚生活が最終的に破綻するの
は自明の理である。
 家庭も作れず、家族も成さぬ筆者への神の啓示が今回のママ移住なのだ、と
社会的不良中年の筆者は覚悟を決めたのである。

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2007.07.18 九州南部梅雨明け
 昨年より7日早い 

2007.06.27 転居準備ひと段落
 今日は、0300から転居準備作業開始。
 作戦稼動前の最終局面。
 0500、状況終了。
 計画よりも1日早い。いいぞ。
 室内の物品の配置指定、ライフラインの確保、転居通知など、面倒な抵抗勢
力をほぼ無力化した。
 あとは、ちょっとした作業のみ。残敵掃討戦はたいしたことはない。
 明日は名古屋出張なので、作業効率が悪くなったろうから、今日、初動期の
作戦が終了したことは都合がいい。
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2007.06.25 実動
 仕事が終わってから、帰宅後、転居準備をするのは気がのらない。
 すでにデスクワークの段階から、体を動かす段階だからだ。
 区画コードと配置番号を記入した新居のレイアウト図を見ながら養生テープ
にマジックでコードと番号を記入し、しらみつぶしに貼ってゆくのだ。
 養生テープは何度も貼って剥がせる便利なテープ。おまけにマジックで表面
に記入もできる。このての作業には必須の小道具だ。
 気分転換をはかって作業に集中するため、作業工程を1部屋1時間強と見積
もり、全作業を5時間と想定。
 今日から、いつもより1時間早い朝4時に起床し、4日間で作戦を終了させ
る計画だ。
 今の時期、朝4時の東の空はすでに微妙な紫色に染まり始めている。
 ちょっと目を離すとみるみる明けてゆく。
 各地の日の出の時間は、札幌3:56、東京4:26、大阪4:46、福岡5:09。
 札幌なんか、3時過ぎには空が明け初めているんじゃないか。
 北欧か?
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2007.06.23 夏至を越えて
 夏至の翌日。
 心なしか陽が短くなったような・・・虚。
 大阪、快晴。30度を越える真夏日。
 29日の転居を前に備品の納品待ちや整理の最終調整段階である。
 窓の外に広がる青空が筆者を誘っている。
 どっか行きたいな~。
 文明って緩慢で慢性的に、降り注ぐ酸性雨のように人の心を蝕んでゆく。
 効果も結果もすぐには表れない多くのことに期限を設けて性急に結果を求め
るのが文明だ。
 だから、人の心は蝕まれる。
 多くの場合、蝕まれた結果が表れるのは歳を重ねてからである。この場合も
すぐには結果が表れないから、若いうちはそのことに気づかない。
 ここではないどこかに行くことが精神に必要なメンテナンスであることを筆
者は知っている。

 本土のあちこちで過去30年間で最も遅い梅雨入りが続いているうちに、6月
21日には沖縄がすでに梅雨明けしていた。
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2007.06.22 2年が過ぎた
 亡父の祥月命日である。
 先般、三回忌法要は済ましているので、今日は花を携え菓子を持って実家に
帰る。
 父の小学校時代からの朋友F氏が昼に訪れてくれたと母が言う。
「I」、「F」と呼び合う仲であった2人は海軍仲間であり、旧R省仲間であ
る。半生以上をともに生きた親友であった。
『何かあったら「F」に連絡しろ』との父の言葉とおり、2年前のこの日、F
氏に連絡し役所関係の連絡網の基点を教授いただいた。
 ユーモアのセンス溢れる洒脱な人柄でこよなく酒を愛するF氏は、何度も実
家で母の手料理を食べ、父と酒を酌み交わしていた。
「奥さんのことだから、酒も料理も用意してくれているのはわかっているんだ
けど」
 とF氏が持ち出したのは350mlのビール缶、1個。
「これだけは、自分で買ってきたんだ」
 母に頼んで出してもらったグラスにビールを注ぎ、仏壇に置いた。
「おい、I、おまえと飲むために買ってきてやったんだ」
 先にいってしまった非を咎めながら、きっちり等分にわけたビールを空ける
までのしばしの間、死者と生者の間にしかわからぬ何事かを語り合うF氏であ
ったらしい。
 男同士のつきあいも、いいものである。
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2007.06.07 身体崩壊
 ぐにゃり!
(!!やっちまった!)
 体をずらそうと、座席に握りこぶしで手をついた瞬間、皮膚はそのままに、
皮膚の内側だけが「ずるり」と中で蠢いたような感覚。
 同時に襲ってきた激痛。
 手の甲、中指の付け根の先が「ぐきっ」となった。
 指を屈伸させ、稼動状況を確認する。
(骨折ではないな。走った痛みの割にたいしたことはないか?)
 安堵のため息をつき鞄を握ると
 ズキッ!
 思わず、鞄の柄を離すほどの痛み。
(筋を痛めたか、捻挫だな、こりゃあ)
 何かの拍子にズキンとくる。キャップをあけるのも不自由だ。扉の開け閉め
も不用意に手をかけるとズキンだ。
 たかが中指の付け根のちょっとしたズキンだが、あっと言う間に生活が不自
由になった。
 膝が固まるようになったかと思へば、帯状疱疹、そしてこの事故。忍び寄る
老いの影にメレンゲのように華奢な筆者の心は震えることしか知らずにいる。
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2007.06.06 特濃の1日
 自身の半身を不意に失う哀しさはいかほどのものか。
 弔事で赴いた京都市亀岡での通夜の席、突然、予兆もなく未亡人となってし
まった喪主の姿の寄る辺無さに心が痛んだ。あまりにも細い影。ぽつんと佇み、
弔問客に無言で挨拶をする姿を正視することあたわず。
 家族皆の励ましを切に願う。
 まっすぐ帰るには心が重い。ふと思い立って二条で降りて祇園へタクシーを
飛ばす。精進おとしをかねて「Vespa」に立ち寄った。
「お久しぶりですね」
 塩をふってもらい、スツールに腰掛けると店長のI氏から5月20日に結婚
したとの報告をうける。
 弔事と慶事が一緒にやってきた1日。
 ちょいといいワインを開け、皆で乾杯をしてI氏の多幸を願う。
 帰路、京都駅の新幹線ホームで
「ちょっと」
 と品の良さそうな紳士が筆者の肩についた糸くずをつまんでくれた。
 人懐こそうな面立ちとものごしに、容易に他人に心を許さない筆者のガード
もなんとなく下がり、新幹線の自由席で席を一緒にする。
 岡山のお寺の住職であった。
 どちらかと言えば、酒の酔いも手伝って、なめらかになった筆者の口から話
を引き出す住職は、さすが法話を仕事とするお坊さんだけあって聞き手として
も一流だ。
 夕方以降、夏の日の驟雨のように様々なことがどっと降り掛かった夜だった。
 こんな日も、たまにはある。
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2007.06.04 お引越しでわやや
 母をアッテンドし、転居先を確定させて1週間、新居の採寸、入居申込書の
提出、引越し業者への見積もり依頼、そして現住居での打ち合わせ、現住居の
退去届けの提出、転居先のフロア、壁、天上のクロス打ち合わせと設備チェッ
ク、契約書の受け取り、手付金支払い、家具購入、継続的な廃棄活動(もー捨
てるものはほとんどないぞ)を実行。
 転居日は6月末なのにすでにかなり疲労している。
 自分の転居のあとは母の転居を主導しなければならない。
 んでもって、ちっさくはあるが実家の処分方も決めて、動かねばならない。
「ねばならない」ことだらけの筆者。
 今月はこれで終わるんだろーなー。
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2007.06.01 九州入梅
 田も山も空も、青く染まっている。
 田植えが終わった水田には淡い緑のフィルターがかかっている。
 陽光をうけて耀く新幹線の車窓が映し出す新緑の爽やかさ。
 これぞ日本の景色である。
 今日、九州が梅雨入り。
戻る   去年の今ごろは・・・

2007.05.31 奇跡の5月(ミラクル・メイ)
「めぇ~いちゃぁ~ん」(となりのトトロ)である。
 ご免なさい、知ってる人にしかわからない。
 で、なくて、5月が終わる。
 2007年の5月は忘れられないひと月となった。
 長かった。
 月初で罹患した帯状疱疹の影響で、今月の酒食日数が5日のみ。
 大記録の達成である。
 信じられん。たぶん、こんな月、成人以後ありえない。
 26年間を通じての大記録である。
 で、気が付いた。
 筆者、酒を飲まなけりゃ代謝カロリーで十分痩せていける。
 一晩の飲みで筆者はドカ食いをしてしまう。
 つまみだけで普段の2食分。そして帰宅途中か帰宅後、食べた記憶のない
「失われた1食」。
 一晩に3食分のカロリー摂取をしているのだ。
 生活習慣を変えよう、もう筆者は十分飲んだ。
 引退じゃて。ほっほっほ。
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2007.05.27 猛暑日
 大分で36.1度の猛暑日。
(猛暑日?)
 聞きなれない言葉である。
 気象庁が今年から設定したそうだ。「35度以上の日を猛暑日とします」と
いうことらしい。
 暑いからなあ。地球温暖化を民衆に意識させる計略か。悪いことではない。
 きっと5年後には「酷暑日」が設定される。
 40度以上の日を酷暑日。

 北九州では光化学スモッグで小学校の運動会が中止。
(光化学スモッグ?)
 筆者の子供時代の言葉である。
 死語かと思ってたら、無くなってなかったのか。
 どーやら中国から流れてきた公害物質が原因らしい。
 あの国が高度成長期の日本みたいになると、半端じゃなく大変なことになる
なあ。
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2007.05.26 転居決定
 昨日から母が来阪している。
 亡父の三回忌を済ませ、いよいよ実家を引き払い、筆者と同居すべく大阪へ
の移住の覚悟を決めたのだ。
 フルアッテンドの筆者。
 引率、食事、風呂、就寝すべての準備を執事のように執り行う。
「奥様、お食事のお支度が整いました」
「お味の方は、いかがでございましょう、」
 これからはホブソンと呼んでください(映画「ミスターアーサー」の名優ジ
ョン・ギールガットが好きな筆者)
 母は、ご近所さんに7月転居を勝手に宣言している。
 嘘でもいいから引っ越さねばならないのである。
 町の雰囲気を知ってもらうために一緒に散策。
 足が弱りつつある彼女は、骨折した亀のように歩みが遅い。ピッチをあわせ
つつ、段差の無い道取りを選び、上り階段が無理なのでエスカレーターとエレ
ベーターを繋いで歩く。バリヤフリーの意識が急速に高まる筆者。
 駅前の不動産屋を冷やかし半分で訪れる。
 物件は縁モノである。即決は期待していないが、母には状況は把握させてお
いた方がいい。物事すべてを息子が魔法のように解決すると思い込んでいる母
に現実世界を意識させねばならない。
 そしたらあ~ら不思議。あれよあれよと物件が決まってしまった。1時間も
かからず、転居先決定。
 6月末には筆者が引越し、母は公言のとおり7月転居だ。
 ホントあーゆーのって縁モノである。
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2007.05.18 痺れ
 じん・じん・じん・・・
(いかん。足先で血行障害が進行している)
 正座を続けるには筆者のフトモモは太すぎるのだ。
 読経はふたつ目の阿弥陀経に入ったところだ。
 じん・じん・じ・じ・じ・・・
(た、たまらん)
 冷や汗が出てきた。
 畳に腕をつき、そーっと上体を前傾にするのだ。
 そーっ。
 じん・じん・じん・・・
(そー言えば、昔、森高千里がサントリーアイスジンのコマーシャルで唄って
たな『ジン・ジン・ジン・ジン・アイスジ~ン』)
 ふ。
(い。いかん、馬鹿なことを考えているうちにますます痺れて、き・・・)
 右に上体を預けて、左を浮かすのだ。
(右、よ~そろ~)
 左に上体を預けて、右を浮かすのだ。
(左、よ~そろ~)
 あかん、もーあかん。感覚がなくなって・・・指をいじってみよう。
 あー、もー何も感じない。
 あ、何だ?なにやらくすぐったくなってきたぞ。
 つま先を立てて状態を上へスライドさせるのだ。そーっと、伸び上がりっ。
 少しでも血流を足先へ。指先へ。ゆけ!血液!
 亡父の三回忌法要である。
 父が逝ってから2年の月日が流れた。
 法事アマチュアの筆者だが、とりあえずは無事に法要、終了~。
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2007.05.17 体内浄化
 帯状疱疹発現から2週間が経過した。
 発疹は明らかに収束しつつあるがまだ消えていない。若干の痛みも残る。
 不幸中の幸いは、GW後半に発症したため、仕事に影響が出なかったことか。
絶対安静の4日間を過ごして出社。その後も休みの日には無理せず1日中寝た
きりの日々を過ごしている。
 体重も近時、最低記録を更新し76をマーク。
(わははははははは、どーだ、どーだ)
 帯状疱疹さまさまである。
 2週間、アルコールも摂取していない。禅宗僧侶のような清らかな毎日を過
ごしている。アルコール抜きが2週間というのは、筆者の記憶ではかつてない
長期記録である。酒食日記をつけ始めた1996年以降の公式記録は最長で8日間
だから一気に記録更新である。
 筆者にとっては大病だったということだ。
 なんだかんだで1本ビシーッとしている筆者は、考えてみれば幼少時の慢性
腎炎と小学生低学年時の扁桃腺の摘出手術以外、長期疾患の経験がなかった。
無事これ名馬である。
 我ながら驚異なのは、酒が飲めなくてもあまり辛くないのである。筆者がア
ル中でない証左である。
「まだ、それだけ体が弱ってるってことじゃないですかあ」
 などと事実を否定したがる勢力も周囲に若干存在するが、そんなことはない
のである。
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2007.05.05 クーラー始動
 GWもあと2日、皆様いかがお過ごしでしょうか。
 天候にもめぐまれ「今年のGWは大あたりよね」などとのたまっていやがる
のではないでしょうか。
 筆者は闘病中です。
 よりによって休みに入る5月4日から医者に「帯状疱疹」と診断され、絶対
安静を命じられました。
「帯状疱疹」・・・オジサン、オバサンの病気じゃないですか。あ、いいのか
筆者、オジサンだし。
 ちっさい頃の水疱瘡のウィスルが神経の根っこのところで休眠し、体力が弱
ったときに出るちゅう病気である。
 発症は一昨日だった。赤い発疹が2個ほど出て、ピリピリし始めたのだ。そ
の夜、すでに筆者(里見先生)は帯状疱疹を疑診し、翌昼には休日診療をして
いる近所の医療機関へ行って、追認を得た。
「免疫力の低下」などとのテクニカルタームを駆使する医者の「心当たりはあ
りますか」の言葉にここにいたる1週間が走馬灯のように駆け巡る筆者。
 ありすぎ。
 ウィルス抑止の薬をもらい(これが高い!保険が効いても4100円)刺激
物を避けつつ療養生活を送っている。「風たちぬ」である。
 で、昨日から暑いのである。
 寝てなければいけないのに、眠れない。
 クーラーをつけたら、あら不思議。ぐっすり眠れるじゃあありませんか。
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2007.05.03 東奔西走中止
 年中行事の日である。
 しかし、机上の仕事が溜まっており、これの消化に意を決し、ちょっと疲労
感が残っていたこともあり、京阪神の巡回を中止した。
 来年は、もう年中行事としてのステイタスを失うだろうなあ。
戻る   去年の今ごろは・・・

2007.05.02 昼と夜
 会社近所のピッツリア「パーネヴィーノ」がランチを始めた。
 これはめっけもんである。
 先週から始めたらしいのだが、まだ認知が進んでおらず、ゆったり食べられ
る。
 さっそく訪店し、5種の前菜と完璧なカルボナーラ、エスプレッソを楽しむ。
 去年はマスターとママ、GWにイタリアへ行ったはずだ。今年は?と問うと、
「また行けたらいいですねえ」とママがマスターにはっぱをかける。
 Fが出勤したので夜も「パーネヴィーノ」で飲む。
 1軒で終わらない久しぶりの夜。
「酒肴人」に立ち寄り、カクテル3杯。卵タレごはんで締める。帰宅後、オチ
た。
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2007.05.01 あれ?皮がむけてる
 先般のチャリ行のせいか、顔の皮がむけはじめた。
 この歳で、これはけっこう恥ずかしいぞ。
 博多から帰阪の朝イチの便の中で、顔からぱらぱらと皮が落ちるのに気付い
てしまった。ああ、気持ち悪ぅ。
 朝イチで戻るなら、新幹線の方が帰阪は早い。6時の便なら9時過ぎにはオ
フィスについている。しかし、今回はエアを使った。朝イチでも10時発だから、
楽でよかったが、オフィスに着くのは11時半頃になってしまう。まあ、いいか。
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2007.04.30 博多
 昼前にオフィスを発ち、博多へ出張。
 昼は、「正福」のゴマブリ定食と卵焼のハーフ。
 ゴマブリは、ブリの刺身にゴマダレをかけた食べ物。刺身にゴマだれは博多
料理の定番だ。ゴマサバ、ゴマアジ、など皆同じレシピである。
 夜は「河庄本店」へ。
 お造りは、たい・ひらめ・とり貝・しめさば・赤貝・しゃこ・唐津のうにを
やりいかでつつんだ物件(旨いがな)・たこ(塩で食べる。旨いがな)
 有明の上巻貝の炙り(イケル!)
 穴子白焼き
 わたりがにの酢の物(これもイイ!)
 きんきの焼き(この段階でまだこれが出る。腹がきつくなり始めた)
 握りは、いか・ひらめのこぶ締め・トロ・ふぐ・うに軍艦・あわび・はまぐ
り(あわびが煮だったので炙りである)。
 店の名物海苔巻きを頼む。しいたけとかんぴょうの甘辛煮・菜・鯛・卵・え
び・しゃこ・まぐろ・いか・うにをこれでもかというくらい押し付け、巻き込
むのだ。これは旨い。
 えびのあたま炙りとたまごやき(タイとエビのすり身を使ったカステラのよ
うな物件)
 日本酒は、一の蔵と東洋美人、繁桝(これが旨いんだ)
 店を出てヴェスパへ。
 撃沈。
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2007.04.29 チャリ
 運動不足を痛感し、何年ぶりかのチャリ行。
 神崎川経由で淀川端を遡上。雲ひとつない晴天の下、道が途切れれば、河原
のジャリ道を転がす。帰路を考えると大山崎までが限界であった。あ~体力落
ちたわ~。阪急大山崎駅前で171号線(イナイチと呼ぶそうで、Fから聞いた)
を使って帰路につく。
 この帰路が毎回鬼門筋なのだ。千里丘陵を上がって降りて、上がって降りて、
道に迷うのだ、必ず。今回も迷った。
 往復で55キロ程度。
 次回は必ず上洛したる。
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2007.04.28 復活の日
 GWが始まった。
 だが、筆者にはあまり関係がない。
 毎年、GWのど真ん中、5月3日に恒例行事があるからだ。先週同様、京阪
神を駆け巡る日。
 週明けの月曜日は博多出張だ。
 とは言え、なにがなし心が軽い。天気もいいぞ。関東では寒気の流入に伴う
雷雨注意報が出ているが、関西の空に懸念なし。
 久しぶりに家事もろもろにいそしんだ。
 こんな感覚は来阪以来始めてかもしれない。
 東京にいた頃の筆者の日常はかなり規則的だった。
 週末の土曜日には掃除、洗濯、布団干しをこなし、チャリで羽田空港まで多
摩川のサイクリングコースを下る。往復で42キロ程度のナイスな運動距離。
河川敷の広がりがリフレシュ効果を発揮する。
 帰宅途中、スーパーで買い物、ワインや日本酒、その日の酒にあわせた料理
の準備をする。あとは独り飲みの優雅な土曜日。
 日曜日は、教会へ行き、神に1週間の無事を感謝することを忘れない(嘘で
す)。
 日曜の朝は環八ぞいのデニーズへチャリをとばし、フレンチトーストとコー
ヒーを愉しみながら日経パソコンやら日経ビジネスなどを眺める。
 ウィークデイの2~3日は、祖師谷大蔵の自宅から大久保の会社へチャリ通
勤。片道19キロの格好の距離なのだ。そんな毎日が続いていた。
 来阪後、このリズムが完全に壊れた。
 職制の変化もあり、生活から週間レベルでのリズムが失われた。チャリに乗
らなくなったのも問題かもしれない。明らかに運動不足だ(不思議なことに、
東京時代より痩せ始めているのは夜の酒食のヴォリュームが減っているのだろ
う)。
 最近の膝の違和感など、明らかにチャリ不足が原因と筆者は睨む。睨んでも
しょうがないけど。
 で、だ。
 今日は6年前の祖師谷ライフが蘇ったかのような1日になった。
 まずは布団干しに挑む。筆者の部屋は15階。布団が干せない。
 しかし、今日の筆者はいつもと違うぞ。
「ツッパリ君」やベランダ用の洗濯干し台、エレクターを組み合わせ、ベラン
ダ内で布団を干す装置を作り上げたのだ。
 まずは布団干し完了。
 カジュアル系冬物衣料を季節はずれのサンタクロース姿でクリーニング屋へ。
店の女性が「まだ、あったんですか?」と若干あきれ顔で受け取る。これで冬
物一掃である。
 豊中南郵便局まで不在中の書留を取りに久しぶりのチャリ。たかだか片道5
キロ弱だが、とにかくアップダウンが多い。それなりの運動にはなる。最近チ
ャリに乗っていないのでなおさらだ。今日を機会に昔に還るか。
 外出時の服装に今シーズン初の半袖ポロ、夏ジャケ着用。
 帰宅後、ガスファンヒーターを収納。
 昼寝をして、今、今宵の夕食の準備にかかるところだ。
 いいぞ。
 季節は確実に筆者の季節、夏にむかっている。
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2007.04.26 朝、早し。
 早暁、ふと目が覚めた。
 時計を見れば4時。
 二度寝をしたくなるような目の覚め方ではない。
 上まぶたと下まぶた(ない。筆者は爬虫類ではない。念のため)が磁石のN
極同士を重ねた時のように、もう、ばちっ!と音を立てたように反発しあって
開いちゃったのだ。
 布団を抜け出し、リステリンで口をすすぐと、覚醒度はさらに高まった。
 ちなみに筆者の使用しているリステリンは一番強力な黄色の奴だ。SARS
騒動のときに、香港で威力を発揮した。殺菌力が強いのだ。就寝前と食間に使
用すると良い、とかかりつけの歯科医にすすめられ、爾来、使用を続けている。
 ダイエットにも効果がある。
 飲むのではない(あたりまえか)。
 空腹を感じたとき、リステリンで口をすすぐと、ひりひりする辛さのために
空腹感が沈静化するのである。一石二鳥。
 パソコンをたたき、いくつかの日記を整理しているうちに外が明るくなり始
めた。
 今の時期、朝は、どんどん早くなる。
 今日の日の出は、東京4:56。大阪5:14。福岡5:36。
 大阪は東京より20分弱、福岡では40分、朝が遅い。つまり夜も遅い。博多っ
子の宵っ張りは、中州の深夜にかけての賑わいは、夜が遅いことにも起因して
いるのではあるまいか。
戻る   去年の今ごろは・・・

2007.04.23 膝が固まる
 齢も46まで重ねると、いろいろな変化が生まれる。
「もうすぐ50だな」なんて恐ろしいことを淡々と思ってしまうときがある。
 これは怖い。
 36のときは決してそんなこと考えなかった。「もうすぐ40だな」の真逆。
「まだまだ20代だな」である。いけいけドンドンの時代だ。酒も一番強かった。
 筆者の酒量曲線のピークがここにある。
 26のときは「26だ」と思っていた。何もない。自己認識と実年齢がここで合
致していたのだろう。
 16のときは・・・思い出したくもないっす。筆者は若年になればなるほど自
己嫌悪がつのる。あの時代に帰れたら、筆者は謝罪の巡礼者となるだろう。謝
れる人たちすべてに謝り倒したい。ホント、自分で言うのもなんだが、嫌な奴
だった。
 6歳のときは虚弱体質だった。すっげーひ弱。すぐ発熱し、自家中毒症に陥る。
あの頃の筆者の記憶は「点滴」で彩られている。
 で、今日は記録と記憶に残すべき記念日となった。
 ここ最近、膝に違和感が生まれはじめている。ちょっと固まってしまう感じ。
よく、高齢者を体感するための拘束具のようなものがあるじゃないですか。足
の部分ってきっとこの感じが強い状態なんだろうなって思ってしまう。老いの
予感って奴ですか。かなり嫌な感じだ。できれば目をそむけ、耳をふさぎ、逃
避し続けたい。
 しかし、所詮、現実からは逃げられない。
 で、今回、始めて膝に経皮浸透型 鎮痛・消炎薬を塗布した。インドメタシ
ン配合である。何に効くのか知らんけど。フェルビナクはどーなんだろう。
 まあ、足にくるってのは、けっこう心理的に落ち込むものがあるな。
 ・・・寝たきり・・・ これはやはり恐怖である。 
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2007.04.22 巡回の日
 京阪神巡回の日がきた。
 もはや年中行事であるが、あと何年続くか、この行事の命脈はつきかけてい
る。
 天六から四条烏丸へ。さらに衣笠の立命館へ。京都駅にとってかえし、三ノ
宮へ、元町へ。越し方を噛み締めるように4箇所を巡った。
 10時にオフィスを出て、最終地元町に13時25分着。最短記録である。
 赤満の餃子を食べ、帰阪。
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2007.04.12 終焉
 大久保で行きつけの店であった焼肉の「漢江苑」と札幌ラーメンの「味源」
が3月末で店を閉じていた。
「味源」は筆者の学生時代のプレイランド、下北沢にもあった。あの店は今、
どうなっているのだろう。 
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2007.04.08 京都 賀茂川
 下鴨神社の入口脇を、今出川通りから賀茂川沿いに北上する。この間、葵橋
から北山大橋までの2キロ程度を「半木の道(なからぎのみち)」と言う。
 両岸に桜が連なり、寛闊な景色が広がる。
 筆者はこの道の風情を愛する。



 川にせせらぎ。
 橋の背遥かに山並あり。
 空に雲なく、日輪を遮る鳶の影、地に遊ぶ。
 歩をすすめれば、堰の水音、不意に繁く
 堤に桜なり。
 言葉もなし。

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2007.04.08 大阪 大川(桜の宮)
 出町柳から京阪電車、特急で帰阪。京橋で降りる。JRで桜の宮まで北上。
改札前は長蛇の列。ホームから階段を下りられず、人が溜まり始めている。造
幣局の通り抜けも始まり、大阪の桜のメッカはすごい人気だ。スバヤク状況を
分析し、反対側の改札から出る。
 ゆるゆると大川端を歩く。
 さきほどの鴨川の風情と異なり、水の都の華やぎが溢れる。



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2007.04.08 大阪 大阪城
 京橋まで歩いて戻ることになった。大川はここで水流を西に曲げる。その突
端に大阪城がある。
 ぐるりと回りこみ、西の丸庭園(有料2百円)から桜ごしに眺める大阪城が
美しい。
 焼きそばと五平餅を購い、ベンチで食べる。追手門の前でとうもろこしもか
じる。
 しみじみといい。



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2007.04.07 兵庫 夙川(しゅくがわ)
 あいにくの雨。
 摂津本山での用向き後、帰社の途中、昼休憩を利用して夙川公園の桜を望む。
 ここは神戸エリアでは、王子公園と並ぶ観桜スポットだ。
 関西の桜はこの週末が最盛期、見頃となる。



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2007.04.05 東京 新宿御苑
 東京の桜は盛りを過ぎてしまった。
 先週末、3月30日前後が満開だったようだ。
 大阪の方が平均気温は高いはずだが、なぜか桜に関しては関東の方が関西よ
り1週間は早い。新宿御苑の桜も葉桜が多い。
 ここは飲酒が禁止だが食事は許される。芝生の上に寝転び、ひとときの休息
を。



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2007.04.05 暑いんだか、寒いんだか
 観測史上最速の真夏日を観測(於、静岡1日)してからわずか3日で雪です
か(於、東京4日)?
 桜はどんどん開花して、すでに盛りを過ぎ、散りはじめている所も多いらし
い。(於、関東圏)会社スタッフがおととい京都に行ったら7分咲き程度だっ
たと言う。週末までには満開をすぎてしまうかもしれない。いずれにせよ、金
曜、土曜とお客様を向かえるし、博多へも行かねばならないのでこの週末は自
由がきかないだろうなあ。
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2007.04.02 黄砂
 視界が悪い。そのことを昨日から明確に認知した。
 ゴビ砂漠やタクラマカン砂漠からはるばる日本海を渡ってやってくる黄砂。
 水を撒け、水を。
 ひとさまにご迷惑をおかけしないよう、打ち水をしなさい。
 って誰に言ってるんだ私は。
 しかも無理なこと。
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2007.04.01 真夏日
 静岡で31.8度を観測したんですって?
 観測史上、最速の真夏日ってことらしい。
 やっぱり、地球温暖化は進んでいるのか?
 緩やかな前進後退を繰り返しながら、基本的には上昇傾向にある感じ。
 おかげで、桜の季節を迎えても、いまひとつ気持ちが入らない。今年は桜を
見ずに終わっちゃいそうだなあ。 
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2007.03.31 季節はずれのサンタクロースは変質者と間違われ
 去年は4月18日迄が期限だった冬物衣料のクリーニング割引が今年は10日ま
でだと言うのだ。暖冬の影響がこんなところにも。ぐずぐずしていると他店に
客を取られるかもしれないという読み筋か。なにごとにせよ商売とは機敏さが
要求されるなあ。
 割引は持ち込み2回まで有効。
 寒の戻りが怖いが、大量のブツを1回ではさばききれないので、さっそく1
パックを持ち込む。時期はずれのサンタクロースのように大袋のようなバッグ
を担ぎ、入りきらないチェスターフィールドを着込んだ筆者を、すれ違うマン
ションの住人が怪訝な顔をして見送る。変質者だと思われているんだろうなあ。
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2007.03.30 「Hasegawa」復活の日近し
「The倶楽部キュイジーヌ」で満喫。
「キュイジーヌHasegawa」が再開発で地上げされ、若者に任せていた店に避難
していたマスターだが、いよいよ復活の日が近いらしい。復活の地は新地にな
りそうである。
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2007.03.28 うう、背中が痛い
 実は3月も12月と同じ「行」の月なのである。
 昨年も31日のうち21日が酒食日である。今年は少し抑制して28日までで15日。
たぶんあと2日ほどで3月は終われそうだ。
 今日は、梅田のフレンチ「デビット・セニア」、シェフのセニア氏は祇園の
「ケザコ」のシェフ、パンテル氏とは交友関係にあるらしい。
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2007.03.26 初夏のような暖かさ
 コートを脱ぐ。
 この日以降、チェスターフィールドに出番が訪れることはなかったのである。
 トレンチすら袖を通さず、スーツのみの毎日になった。
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2007.03.24 髪を切る
 3ヶ月と10日ぶりに髪を切った。
 繁るは3ヶ月、カットは一瞬。何事も築くよりも壊す方が簡単。
 昨年も同じような期間、髪を切れなかった。
 これには事情がある。
 一本ビシッとしている筆者は、冬場のヘアカットが恐い。髪を切ることによ
りロシアの帽子「シャープカ」のような保温効果を失い、風邪をひきやすくな
るのを忌避しているのだ。
 猫も犬も春になれば毛が抜ける。それと同じだ。
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2007.03.23 奥歯危機一髪。そして「ケザコ」
 危ないところであった。
 歯の詰め物がとれ、かかりつけの歯医者に行った時にその危機が発覚した。
 詰め物がとれたらすぐに歯医者に行く。筆者はそのかかりつけの医者にその
ような指導をうけている。
 一人っ子で坊ちゃん育ちの筆者は模範的な患者なのである。
 詰め物が取れた歯は欠けやすい。欠けたら、詰め物が合わなくなる可能性が
ある。空いた穴で虫歯も進行する。ずさんな施療で進行中の虫歯に気づかずに
詰め物をかぶせてしまうと中で虫歯が進行。エナメル質を腐食する際に発生す
るガスが神経を圧迫し、七転八倒の痛みを発生させる。
 だから、詰め物がとれたら、すぐに医者に行くのだ。
 取れた詰め物はスンナリ元のさやに収まった。
 危なかったのはそれではない。どうやら筆者も知らない間に虫歯が進行して
いたらしい
 あと2ヶ月もすれば神経に達し、痛みが発生するほどの大穴が、奥歯の歯間
に発見されたのだ。
 今日削って、すぐにかぶせる「急ぎ働き」は危ないと医者が言う。
 万が一のための痛み止めをうけとる。
(それほど悪いのか)
 歯って痛くならないと事の重大性に気づかないことが多い。しかも、たいて
いの場合、痛みを感じる時には、かなり事態が悪化しているのだ。
 半年に一度のメンテナンスをした方がいい。ただし、信頼できる歯医者と出
会っていれば、の話だが。

 祇園の「ケザコ」。
 シェフの独創的な料理を楽しめる。「フォアグラの奈良漬巻き」にガツンを
やられた。クリスマス限定のメニューにしようとしたところ、リクエストが多
く、定番化したそうな。前回、はまってしまい、今日も食べられると思ったら、
前回のメニューとかぶらないようにとの心配りが仇となり、K氏に提供しそび
れてしまった。ごめんなさい。
 でも十分に旨い。
 大原のネギをシェリービネガーのアイスと一緒に食べる。酸っぱいアイスな
どちょっと経験がない。
 牡蠣のベーコン巻きをカリフラワーのスープにつけて食べる。これもアリ。
 帆立のパイ包みが面白い。貝の中に野菜とトリュフをつめて蒸し焼きにする。
貝はパイ生地で包んでいる。ナイフを差込み、グリュッとねじるとビーナスの
誕生のように料理が現れる。オモロイし旨い。
 きんきも、子羊も満喫である。
 苺と柚子のゼリーのパイとヨーグルトのソルベもデセールとしてこれだけで
勝負できる一品である。
 Vespaに寄り、最終の新幹線に飛び乗って帰阪。K氏は深更まで愉しん
でいたそう。この時期、桜目当ての観光客によって京都のホテルは占拠される。
帰らざるを得なかったのだ。無念である。
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2007.03.20 「マサ」で定石を崩すのだ
 いつも同じものばかりでは流石にセンス・オブ・ワンダーが薄れゆく。
 たまにはアレンジを。
 しかし、ブルスケッタとリンゴとゴルゴンゾーラのフォカッチャは外せない。
 パスタをゴルゴンゾーラのペンネに、リゾットを魚貝類のトマトリゾットに
した。
 正解である。
 黒豚のグリル、リンゴと蜂蜜、バルサミコソースもOK。
 グラッパには手を出さず、ドルチェも「ジェラートコンカフェ」ではなく、
「黒ゴマのジェラート」に。(いつも通りを想定していたマダムの「え?」と
いう顔が面白い)
 抑制のきいた大人の飲みである。
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2007.03.19 「びんびや」でメートル上がる。朝がまた来る
「初がつお」を食べた。
 太刀魚の焼きとめばるの煮、若竹煮。季節を食べる。
 日本酒が4杯、焼酎が1杯。
 K氏、体調が悪そうだが、酒のピッチは早い。同行する筆者にとっては近時、
危険な量に近づいている。
 危惧したとおり、翌朝、ゴミ箱にチョコデニッシュとアップルパイの包装を
見つけた。食べたんだな。きっと。
 それにしても、飲んだ翌日に鑑識みたいな真似をしなければならない我が身
が切ない。
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2007.03.16 「岩政」の夜
 東京から博多へ直行。2週連続の週末博多出張だ。
 博多の「岩政」は何も言わなくても、「葱鮪鍋」の準備をしてくれる。切っ
て、握って、葱鮪鍋。獣肉をうけつけないN氏にはうってつけのメニュー構成
である。
 若いおにいちゃんが辞めちゃったそうで、店には大将ひとり。
 Vespaでカクテルを数杯。
 博多の夜が更けてゆく。
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2007.03.14 「串八景」のマスタ
 マスターは金主さんを探している。
 T氏と串を消費しながら、マスターの店を移転したい話を聞く。
 梅田にも、東京にも、ニューヨークにも行きたいそうだ。
 名古屋のK氏なら話にのれるかもしれないな。この間も店の電話番号を尋ね
てきたとYが言っていた。
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2007.03.12 寒気
「冬の嵐です。マイナス40度の真冬の寒気が上空に」って言われても、ああ
た。こないだまで暖冬で桜の開花も早ければ明日13日だなんて言ってたくせ
に。
 早朝6時前の博多より、9時前に着いた大阪の方が寒い。低気圧に近いほう
が寒いのか。秋田なんかすっごい寒そうだ。羽越線も止まっている。電柱が折
れている。
 しかし、なんとなく安心してしまう身勝手な筆者。
 やはり、寒いときには寒く。暑いときには暑くということだ。

 東大寺のお水取りのメインイベント籠松明が舞う。
 1日から始まっているお水取りでは「お松明」が舞っていたが「籠松明」は
その親玉みたいなものだ。
 関西の春はこれからだ。

 彦根では雪の中、彦根城築城400年を記念して屋形船が浮かんでいる。
 22日から正式稼動らしい。
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2007.03.11 博多の夜
 旅立ちの季節である。
 福岡ブランチのアルバイトスタッフも卒業とともに就職先に赴く。
 名大の研究室に入るため名古屋に飛ぶY、熊本でバンカーになるU、東京に
向かうUとKは情報関係と東京地裁に就く。地元、熊本に帰るU以外は皆、初
めての土地だ。
 入れ替わりで採用した新スタッフのTとTはどちらもしっかりしている。
 鳥善での歓送迎会は8時から始まり11時半まで続いた。
 新生活にむけて、皆、頑張れ。
 宿のおかみのように見送る人生の筆者である。
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2007.03.10 健啖家登場
 東京から帰阪。
 O氏と「The倶楽部キュイジーヌ」で会食。
 氏のすさまじい食欲に圧倒される筆者。締めにヘレカツサンドとオムライス
を頼んだのは久しぶりのことだ。
 ふたつにわけたオムライスをぺろりとたいらげ、さらに四分の一を「これ、
いっちゃっていいですか」とさらにペロリのO氏。
(ん?それ、筆者のセリフだったのでは?)
 引退である。
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2007.03.08 さがみにて
 東京、大久保のさがみで。
 親爺さんから渡すものがあると言われ、ひさしぶりの訪店(最近、混んでい
るのだ)。
「お、これ、使って」
 かっぱ橋で買ってきてくれたという砥石2種をうけとった筆者。7周年のお
祝いのお返しだと言う。荒研と中研の両面と高級研ぎのふたつ。
「おお、ありがとう」
 家に帰って、研ぎの練習をするのだ。
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2007.03.08 鼻声はあれども風邪は得ず
「すごい鼻声じゃないですか」
 受話器の向こう側から妙に弾んだ声が指摘する。
「風邪じゃあないんですか?」
 他人様の健康を気遣う声音ではない。
「鼻をつまんで話してるの!」
 無論、筆者が風邪をひくはずがない。常に一本びしっとしている人間は風邪
などひかないのだ。
 朝の要務報告にやってきたYが忍び笑いをこらえるような顔で「めちゃくち
ゃ鼻声じゃないですか」と言いよる。
「鼻をつまんで話してるの!」
 朝の要務報告にやってきたMが顔をそむけながら「風邪ですか?」
「絶対違う」
 眉間の中心がモヤモヤしているし、多少咳き込みもあるし、瞼が重たくもあ
るが、断じて風邪ではないのである。
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2007.03.07 熱はあれども風邪は得ず
 公休日。
 せっかくの休みだが故あって終日パジャマで過ごす。
 寝床から抜け出すのは昼食時と夕食時のみである。
 備蓄食料は存分にあるが、解凍や調理の手間を厭う自分がいる。こんな時は
パスタ料理に限ると知った。
 ソースは缶詰でいい。レトルトでもいい。とにかく茹でて暖めてかけるだけ
なのだ。不思議と手抜き感覚に苛まされない料理である。
 皿1枚で足りるし、飯は腹に溜まりそうだがパスタならこなせそうだ。
 パスタを複数種、用意しておくといいことも知った。昼と夜、1日に2食は
食べるからだ。麺を変えれば単調な繰り返しから逃れられる。幸い、平打ちの
フィットチーネとスパゲッティーニの2種がキッチンストッカーに備蓄されて
いた。ペンネもマカロニもあったから、その気になればあと1日篭城できる。
 ポモドーロの缶詰が便利であるとも知った。昼の一食をフィットチーネで、
二食目はスパゲッティーネとオムレツに載せて食べる。ちょびっとの量を惜し
み惜しみパスタにからませる貧乏性な食べ方がこの際は逆に愉しくさえある。
 寝ることも体力が必要なのだと知るのは不惑の歳を越えてからだ。ただ寝て
いるだけでは身も心も腐りはてる。高額な買い物としては最も稼働率も高く、
購入効果のあったマッサージチェアで存分に揉みこまれてから寝る。
 食べて、揉まれて、寝る。
 そんな1日。
 1本びしっとしているなあ。
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2007.03.04 初夏?
 いつのまにか2月が終わっていた。
 もう、あっと言う間のことで、ひきとめる間もなかった。
 本日、大阪の最高気温21℃。4月下旬から5月上旬並の気温とのこと。
 暖冬、ここに極まれリ。
 Yの証言によれば、阪急は冷房をつけていたそうな。
戻る   去年の3月は・・・

2007.02.17 花粉すでに最盛期
 花粉がぼわぁーとすでに盛りとなっている所もあるらしい。
 大阪では、インフルエンザ注意報発令中。今後4週間でインフルエンザが最
盛期をむかえる可能性があるという。
 一本ビシッとしている筆者には関わりのない話だが。
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2007.02.16 富士の裾野に雪なし
 関東の野が、山が、丘が、紅白の薄化粧に淡く染まっている。
 梅の花である。
 うららかな、と言ってよい日差しの中、梅の花が咲き誇っている。
 裸木の樹林も緑に芽吹く前の軽い掻痒感に身を振るわせているような気配で
ある。
 富士山は宝永火口より上にしか雪を頂いていない。
 新幹線、三島駅から新富士駅にむかう車窓でこそそれとわかるほどはっきり
と山容を伺えるが、相模平野から臨む富士の姿は、見慣れた人間でなければ、
その姿を捉えることは難しいほどに背後の青白色の空に溶け込んでいる。頭頂
部の僅かなシルエットのみが微妙な白銀色の縁取りを中空に浮かせているのみ
である。
 普段なら全身を白く雪に覆われているはずだが、今年は雪が少ない。素肌の
足元をさらしている富士である。
 列車は近江に入った。
 伊吹山もまた、吹けば飛ぶような粉っぽい白雪をうっすらとかぶっているの
みである。薄い積雪のベールの下、地肌が透けて見えるほどだ。
 春の兆しが強まる2月の中日である。
 暖冬なのであろう。季節の移ろいが1旬ほどは早い。
 そう言えば、今シーズンは関ヶ原で雪での列車遅延に悩まされることも少な
かった。 
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2007.02.14 春一番
 春一番、近畿にも吹く。
 昨年は吹かなかったのだ。今年は例年より9日早い。
 明石海峡など、漁師が海に出られないほどの台風なみの強風である。
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2007.02.11 失態転じて神戸へ
 公休だが、ちょっと残務を片付けておこうと会社に行ったら気がついた。
 会社の自室の鍵を忘れた。
 入れないではないか。
 バックアップを保持する2名も今はいない。
(ぬおおおおおおおお!)
 失禁ものの不祥事である。
 切歯扼腕。脱糞しかけた。(食事中の皆さんゴメンなさい)

 完全に失意の筆者は、スゴスゴと会社を後に。
 悔しすぎるので元町へ。
「グリル一平」元町店でハンバーグとマカロニイタリアンを食べて帰る。
 マカロニイタリアンは濃い!特濃である。
 細身のマカロニの中にまで侵食したトマトソース(ドミとケチャップをあわ
せているのか?)が口の中を蹂躙する。中央に生卵が落とされている。これを
グッチャグッチャかきまぜて食べる。ナルホド、ちょっとまろやかになった。

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2007.02.09 混んでるなあ。霞んでるなあ。
 帰阪の新幹線がミョーに混んでいた。
 東京昼過ぎ発車の運転日指定の臨時列車、新大阪止まりである。
 混むはずのない列車なのに。
 不覚である。窓際の席に座った筆者は、通路側の席にどっかりと腰をおろし
た太っちょのオッサンに出口を塞がれた。オッサンは、名古屋で降りなかった。
京都でも降りない。結局ずっと一緒だった。運命である。

 もやが地表を覆っている。
 関ヶ原がもやるのはいつものことだ。米原を過ぎ、野洲を越えればたいてい
は晴れる。しかしこの日のもやは大阪までついてきた。
 淀川を越えるとき大阪市街がもやに霞んでいる。めずらしいことだ。日本の
かなり広範な空をもやが覆っていた。地表が温かく空気が冷たい時におこる気
象だ。ここ数日の暖冬の影響か。暖まった地面の上空を低気圧が通過している
のだろうか。
 
 梅田からの帰宅にタクシーを使う。新御堂が異様に混んでいる。
 諦めて東三国で降りる。
 新幹線と言い、この渋滞と言い、今日は何なのだと思っていたら・・・
 あ、三連休なのね。世間は。
戻る   去年の2月は・・・

2007.01.31 早っ! 
 あれよあれよという言う間に1月が終わる。
 もうすぐ夏だ。
 そしてクリスマス。
 もういくつ寝るとお正月~♪
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2007.01.29 トレンチ復活
 足がパンパン。散歩のしすぎ。
 土曜は7,166歩。日曜は28,589歩なのに三(散)歩とはこれいかに?
 
 暖冬のおかげで、例年ならばシーズンインとアウトの両端で、それぞれ稼動
期間が1週間にも満たない薄幸の外套、トレンチが再デビューである。
 ライナーもついていない本格トレンチは、ペラッペラ。
 それでも寒気は感じない。
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2007.01.28 おとなしく週末を
 昨日は地元の緑地公園をお散歩
 今日もどこにも行かないぞ。
 じっとしているのだ。
 ・・・ちょっとだけ京都に散歩に行こう。 
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2007.01.27 おとなしい週末を
 外泊だらけの1週間だった。
 今週末は地元にいよう。
 どこにも行かないぞ!
 じっとしているのだ。
 ・・・ちょっとだけ散歩に行こう。
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2007.01.26 帰阪
 東京から帰阪。
 オフィスで残務を片付け、さすがに今日はまっつぐ帰る。
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2007.01.25 博多礼賛
 支店の移転も無事終了し、営業も欠けることなく継続。(筆者の会社では移
転時もメイン業務の休業はないのである。物販の営業を停止することはあるが)
 移転、新店開設など、これで11回目だ。個人の引越しなど2回しかないのに。
 福岡から東京へ移動。まだ大阪には帰れない。
 かなり充実した日々であった。
 定番の店(岩政・ヴェスパ)にも行けたし、初めての屋台体験(ハマた。2
日行ってしまった)も。居酒屋(喜水丸)や普段定番の店におされて行けなか
った再訪したい店(いずみ田・鳥善)にも行けた。
(充実って仕事じゃないんかい!) 

  ま、ゴマサバ丼でもご覧になって、ひとつ。
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2007.01.24 鹿児島 
 移転作業の合間を縫って、鹿児島に出張。提携先を訪問。
 博多、鹿児島中央(かつての西鹿児島)の所要時間は2時間10分強。九州新
幹線効果だ。かつては特急「つばめ」で3時間50分程度だった。エアで行く距
離感だ(直線距離ではたいしたことはない。大阪、名古屋間と同じくらい)。
今では気軽に行ける範囲になった。
 暖冬の影響か、南国のおかげか、同行のHはコートも羽織っていないのであ
る。
 天文館で昼食を、と「鶏飯」にむかうも店影なし。巡邏中のおまわりさんに
訪ねる。無線で本部に問い合わせてくれた。なんと閉店してしまったと言う。
3年ぶりの訪問でミニウラシマ効果に見舞われた。
 それでは、と「黒福多(くろぶた)」に赴く。黒豚料理の店である。「しゃ
ぶしゃぶ」を頼み、「黒豚の黒酢揚げ煮」をシェアする。
 ここで「しゃぶしゃぶ」を注文するのは初めてのこと。
 結論。「しゃぶしゃぶ」では旨さがよくわからん!Hの強い要望をうけ、
「特製ひれかつ」と「ご飯」を頼む。
 サクッ
「旨味~♪」
「特製ひれかつ」は旨い。衣は柔らかくサクサク。なぜなら、肉がすさまじく
柔らかいから。これで衣が硬ければ食材から浮いてしまうだろう。思わず肉を
合わせたミルフィーユ仕様かと疑ってしまうほどの柔らかさだ。しかも甘いの
である。それがはっきりと分かる。やっぱ、黒豚はカツだな。
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2007.01.22 博多でお仕事
 4日間の博多滞在である。支店が入居しているビルで耐震強度強化工事があ
る。工事の間、別フロアに移動、工事後復帰とのオーナーからの申し出にどー
せなら、移動先に居ついちゃいましょうと逆オファーをかけ、双方円満に合意
に達したというわけだ。
 支店の面積もこれを機に増床となる。
 今日の夜から2夜連続で移転作業が実施される。現在の7Fから8Fへ一目
上がりだ。8という数字も末広がりで宜しい。それを言ったら、7もラッキー
7だったが・・・

 移転作業自体はフロアが上るだけなので手間なし。しかも作業はオーナーサ
イドの担当なので苦労無し。とは言え、移転に関わるルーティン作業は500km
の引越しであろうと垂直距離に3mであろうとやらなければならないことに差
はないのである。
 現状図面を再生し、什器の採寸、新規スペースの実地採寸をし、レイアウト
を作り、電気配線、回路図の指定、照明やエアコンスイッチ位置の指定、照明
設備の増加要請、電話回線と電話機の鳴動指定、内戦番号による位置指定、M
DF装置の位置変更、光ケーブル終端装置、モデム等の位置指定、ドキュメン
ト機器、PCLANの配線指定、消防関連の感知機、スプリンクラーの確認、
避難表示の必要性の有無、引越しの際の元と先の什器の配置先指定など
図面上の指定だけでも10枚程度は用意しなければならない。(ここまで文字を
正直に追いかけつづけた方、あなたはとてもいい人です)

 レイアウトなどの基本作業を追え、LANや実地作業の打ち合わせを各担当
に割り振る。今回は若い(若干26歳)Kが現場責任者だ。いい経験になるだろ
う。

 ユーザー、銀行、リース、カード、取引先、登記などの変更も発生する。
 机上のプランではすべてが完璧に終了する。この段階で問題が残っているこ
となどは通常ない(あったら困る)。しかし、現実には次々と問題が発生する。
想定していない出来事など現場には戎橋でナンパに走る若者の数よりも多くこ
ろがっている。昔、実測上、絶対に収まると思った区画に保管庫が入らず皆が
ワイワイやっていた。あとちょっとで(ほんの数ミリ)収まるのだ。筆者は躊
躇わずに頼んだ。「蹴飛ばして押し込んでください」棚は何とかおさまった。
そんなもんであることもある。
 ま、今日はひとりで来福。明日は大阪から2名がやってくる。
 とりあえず、中洲で食べて、飲んでおこう。
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2007.01.14 プロペラ機
 訪店すれば鯛茶漬けばかりをわしわしと食べる「石蔵」が、博多駅地下だけ
でなく天神にもあったことを知った。
 そうとなれば昼は毎回「石蔵」である。
 昨日は鯛茶を食べた。隣で食べていた鯛天丼も旨そうだった。うどん付だ。
今日は、同行のM君、鯛天丼を注文。筆者は「瓦そば」を食べた。
 名物らしい。
 茶蕎麦を炒め(つまり焼き蕎麦?)牛肉と錦糸玉子、ネギをきれいに並べた
物件。大きな瓦の上にしきつめて供される。もみじおろしを沈めた温かいダシ
につけて食べる。けっこういける。

 
 (瓦そば と 鯛天丼)

 帰阪。なんと機材はボンバルディア。ターボプロップ機である。バスで送迎、
低いタラップで乗り降りする。送迎のブラスバンドはついていなかった。
 プロペラ機の高度は低い。地上の景色をきっちり愉しめる、揺れるけど。雲
中を飛ぶようなことにでもなれば涙が出るが、今日は晴天である。
 ふわりとインディージョーンズの映画のように飛び発った機は、あっと言う
間に関門上空に達する。恐らく徳山のコンビナートを見た後、広島と呉はすぐ
に分かった。その後は、しまなみ海道だ。島々を結ぶ橋を数えて遊ぶ。瀬戸大
橋が現れたあたりで機は少し南下、徳島から(鳴門海峡大橋と淡路島が一望な
のだ)紀伊半島を北上する。淡路島の隣に沼島も見える。目を北に見上げれば
関空が浮かんでいる。仁徳天皇陵を見下ろし、大阪ドームの耀きに目を移せば、
大阪城が現れる。あっと言う間に淀川を越え、新大阪駅上空をパス、神埼川を
越えるランディングアプローチに軸線がのった。右手に筆者の住むマンション
を見ながらタッチダウン。飛行機でこんなに窓にへばりついていたのは久しぶ
りだ。M君は無論、終始寝ていたのである。
 地上タラップで大阪の地を踏みしめる。歓迎のブラスバンドはいなかった。
赤い絨毯も。
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2007.01.12 初めての屋台
 東京から博多に直行。
 ANA(筆者はANA派なのだ)の羽田-福岡便は虐げられているのだろうか。
普段利用している伊丹-福岡便のジェット(たまにターボプロップ機があるのだ)
はかなり便利なゲートにつけてくれる(空港出口に近いのだ)。今日はなんと
福岡空港の一番端につけられた。こんな端っこにもゲートがあったのかという
くらい端っこ。空港設備は最新とは言いがたいので、長い距離を自動走路が繋
いでいるというようなことはない。歩いて歩いて歩き続けて地下鉄通路に辿り
着いた。
 現地は、あまり寒くない。
 夜は河庄本店で福岡の魚を堪能し、ヴェスパでカクテル三昧。3杯で腰をあ
げる筆者のシナリオは必ず無視され「物語はすでに始まっている」との常套句
で迎えてくれる店長のK氏とバーテンダーのI氏らによりいつもオーバースペ
ックな夜を過ごす。ただし、プロの目から見ればアルコール耐性の低下は明瞭
なのだろう。最近は優しいカクテルが多くなった。
 ビリオネアマルガリータ・メーンブレス・フローズンブラックカーラント
(これは本日イチオシ)・ベネディクティンカクテル・ロシアンバレー・メト
ロポリタン。6杯飲んで帰った。今の時期、グレープフルーツが旬で旨いのだ。
それもベラボーに。しかもその品種は博多の店でしか飲めないのかもしれない。
イチオシである。
 帰路、屋台に寄る。(まだ食べるのか?しかしM君もまったく同量を食べて
いる)実は博多の屋台は初めてだった。ラーメンと明太玉子焼、餃子を食べる。
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2007.01.10 スーツ大破
 冬物スーツが1着、退役した。就航したのは97年。9年半の就役期間であっ
た。長い間ご苦労様。
 リタイアの主因は尻の股こすれ症候群。
 大阪在住5年で冬物スーツは1着しか新調していない。部隊の老朽化が進ん
でいる。そろそろ最新鋭艦を投入の時期であろうか。千路に乱れる筆者の心。  
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2007.01.08 成人の日
 朝、電車が妙に空いている。不思議に思ったが、成人の日であった。カレン
ダーにあまり関係のない業界なのでこういうイベントには妙に疎くなる。「成
人の日は成人だけ休めばいいのだ」などと言って顰蹙を買う筆者。
 東京から2人のお客様を迎え、先着の方とひさしぶりにエルポニエンテで会
食。
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2007.01.07 降雪
 滅法界、冷えると思っていたら、朝から雪である。
 大阪の正午の気温は5度8分。
 明日、東京から2人来阪するが、関ヶ原が心配である。注意報を発令しよう。
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2007.01.06 名古屋
 朝イチでIと別れ、名古屋に出張。
 気温が急激に下がり始めた。冷たい雨が降りしきっている。
 昼前に用務を終える。
 近鉄で松阪に向かうことにしたが、行き先表示を見てもどこに行く電車かわ
からん。お膝元の名古屋でこのようなことになるとは。想定の範囲外である。
「中川」行き?どこよ中川って?伊勢中川のこと?だとしたら略さずにちゃん
とフルネームで書きなさい。
「賢島」?どこよ?
 特急の停車駅もよくわからないので、うかつに乗車できないのである。
 やうやう松阪に着いた。
 帰路は難波まで近鉄特急で帰阪。松阪あたりまで南下してしまうと名古屋ま
で北上し、さらに関ヶ原方面にまであがって京都へ下る新幹線経路は遠回りな
のだ。伊賀を抜け、奈良をつっきり生駒山を貫いて大阪にむかう方が最短直線
路である。松阪まで南下はしないがこの直線路はリニアにも採用されるはず。
その日が早く訪れますように。
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2007.01.05 帰阪
 年末年始、筆者の大阪・東京間の帰省はガラガラだった。
 でも出張時は大混雑。
 同じ空間を行き来しているのにボタンの掛け違いのような違和感が生まれて
いる。
 12月29日に東京の仕事を追え、帰阪するときは完全に帰省ラッシュに同調し
ていた。新幹線は16車両すべての席が埋まっている。しかもそれは午後の全便
において同様だ。グリーン車と言えども油断はできない。家族連れがそこここ
にいる。小さな子供の姿が目に留まる。案の定、あちこちで泣き声の即席合唱
団が結成された。ふぎゃーみぎゃーいやーあぎゃー。子供は泣くのが仕事だ。
アイポッドの音量を上げ、イヤホンをしっかり両耳に埋め込むしか対抗手段は
ないのである。
 1月1日に東京へ帰省するときのエアはほとんど自由空間だった。通路で受
け身を取りたくなるほどだ。
 1月3日の帰阪便も往路と同様、3列むこうに座っているCAとアイコンタ
クトができるくらい、間に人の頭がない。幸せだ。
 1月4日。翌早朝からの東京での会議のために乗った新幹線は、戦後の買出
し列車のようだ。1~3両目の自由席を溢れたUターン客が火砕流のように指
定席車両に流れ込んでいる。8両目から始まるグリーン車両にはさすがに難民
の姿はない。しかし指定席との境目7両目との通路は言うに及ばず、グリーン
車両間の7両目と8量目の通路にもうずくまる人影がそこここにある。ここは
スエズ運河か?
 1月5日の帰路、西行き新幹線はいつもと同じ。事前に購入したチケットを
もっと早い便に交換する技もこともなげにできる。
 12月28日から1月5日までの間に大阪、東京間を行って、帰って、行って、
帰って、行って帰った筆者であった。ちと慌しい。
 帰阪すれば、富山に帰省していたIが徳島に戻る途中、立ち寄ると言う。
 さっそく初びんびやである。
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2007.01.03 餅
 目覚めてテレビのスイッチを入れる。
 ニュースのフリップが浮かび上がった。
 関東圏で餅をノドに詰まらせて死んだ人の分布図だった。
 全部で9名。
 朝イチで見る絵じゃないぞ。
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2007.01.02 山の神
 それにしても凄い。
 箱根駅伝往路5区の順天堂、今井君。
 名にし負う急坂、箱根の山登りを驚異のスピードで前走ランナーをごぼう抜
きである。3年連続5区の帝王だ。仲間から絶対の信頼を寄せられているのが
よく分かる。贈られた称号がまた凄い。
「山の神」だって。
 白髯の老爺が金の斧を背負って出てきそうだ。
 で、テレビを見ていて思ったのだが、今井君、研ナオコに似ている。それも
本物の研ナオコではなく、研ナオコの顔真似をする清水アキラに似ているのだ。
 だから何だというわけではないが、誰かに伝えたくてたまらなかったもんで。
つい。
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2007.01.01 高度2万1千フィートから謹賀新年
 あけましておめでとうございます。
 朝9:30、高度2万1千フィートからの富士山をお届けします。
 しかし、この日、富士では滑落事故が相次いでいた。
 眼下の秀峰が今、人の命を奪っているとはとても考えられない。
 世の中の出来事は身近で起こらない限り、
 すべてがCNNのニュース映像と同じだ
  
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2006.12.30 仕事納め
 仕事納めである。
 朝から京都に行き、そのまま名古屋へ向かう。午後遅く帰阪。
 名古屋から来阪しているK氏の講座の年内最終講である。
 講座終了後、K氏、T氏、Nとパーネヴィーノで年内最後の呑み(たぶん)。
 結局、12月中は呑み日が22日で落着。過去最高記録である。しばらく体を労
わろう。
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2006.12.29 帰省ラッシュ
 東京駅の東海道新幹線の空席表示はオールエックスである。のぞみ、ひかり、
こだまを問わず西行きの新幹線は禁煙、喫煙の別なく、指定席、グリーン席す
べてが×マークの羅列を表示しているにすぎない。恒例の年末、日本民族大移
動が始まった。筆者は毎回、出張帰りにこの流れに巻き込まれる。
 自由席の混雑は車内販売のカートの通行を許さず、指定席車両にまで乗客が
溢れている。車掌もその流れを塞き止める無謀は犯さない。なんとかグリーン
車だけは乗車率100%を保っていた。
 雲ひとつない晴天である。
 名古屋を過ぎ、長良川、木曽川、揖斐川を越えた頃、のぞみの正面に「それ」
が広がり始めた。
 白い混沌が地表の起伏も構造物もすべてをおし包み、霧のような境目の曖昧
な幕を張り巡らしている。
 日本海から太平洋へ流れ込んできた雪雲である。
 上空3万6千キロの静止軌道上で地上に電子の目をむける運輸多目的衛星MTSA
T-1R「ひまわり6号」とMTSAT-2「ひまわり7号」はその日、日本海を覆う分厚い
雲が日本の中央部で濁流のように太平洋側に幅30キロの帯で流れ込む様を無機
質なレンズに映していた。
 列車は徐行を開始したが、結局、京都へは7分、大阪へは4分の延着で済んだ
のであった。

 寒い。暖冬と書いたばかりでこの始末。東京は大阪より寒いのでチェスター
を羽織っていったのだが、そんなに寒くなかった。ほぞを噛んだ筆者だったが
結局地元に帰ってきたら、有効だった。ちゃんちゃん。
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2006.12.26 暖冬
 暖冬だ。もう迷わない。暖冬なんである。今年は。
 先週、チェスターフィールドコートが稼動しかけたが3回袖を通しただけで、
トレンチに主役の座を譲ってしまった。
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2006.12.24 Xマスイブ
 さ~いでんな~♪ ほ~でんな~♪
 クリスマスイブである。
 お友達のFからお誘い。
「ウチのクリスマスパーティーに来ぃへん?」
「行く!行く~!」
 皆が何かしら持ち寄り、イブのパーチーを愉しんだ。
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2006.12.22 げげやばい記録更新中
 22日までの酒食がこれで17日になってしまった。今日もThe倶楽部キュイジー
ヌへ行ってしまったのだ。
 去年の同日実績は13日、04年は14日、03年10日、02年9日、01年6日、00年9日、
99年11日、98年12日、97年10日、96年12日と過去の酒食カレンダーをひっくり
かえして確認したら過去最高記録である。本当に節制しないと命が・・・って
こればっかだ。なんとかしよう。
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2006.12.21 東京、善庵
 東京の夜。善庵で会食。静謐な時を過ごす
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2006.12.20 帰阪。夜は摂津本山
 朝イチの新幹線のぞみ博多行きは名古屋始発である。6:16発に乗車すべく名
古屋駅に向かう。6時前につくと改札前に若干の人だかり。改札が開くのは6時
からだった。
 列車はガラガラ。夜も明け切らぬ薄闇の中をのぞみは走る。
 大阪平野に入る頃には東の空が茜色に染まった。早朝操業の工場の煙突からの
煙りがまっすぐに立ち上り、風もないのに途中、低空で横にたなびく。温度境界
域(レイヤー)があるようだ。山間の低い窪みに雲がわだかまる。冬の朝は夜間
に静めた空気をかき乱すことを恐れるように静かに明けようよしていた。
 夜は摂津本山、ルイ・ブランで会食である。
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2006.12.19 TOICAカード
 いつのまにか、JR東海の名古屋エリアでもICカード定期・乗車券が稼動してい
た。隙をつかれたようだ、って誰に何をよ?
 その名も「TOICAカード」。「Tokai Ic Card」の略称である。
 有効区間は、東海道線(ニ川-関ヶ原)中央線(名古屋-中津川)武豊線(大村
-武豊)関西線(名古屋-四日市)。静岡エリアも来年には稼動するそうだ。
 ICカードと言えば、東京の「SUICA」もいよいよ関東私鉄群と共通化するようだ。
ちゅうことは「SUICA」と共通使用ができる「ICOCA」も関東私鉄で使えるように
なるのだろうか?「ICOCA」最強伝説は続くのか?
 本日、名古屋の忘年会。
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2006.12.18 歯止め
 歯止めがきかない。
 昨日は大阪の忘年会だった。明日は名古屋の忘年会なんだから体を休めなければ、
なんて思っていても誘われれば嫌とは言えない優柔不断な性格。
 Masaで至福のひとときを過ごす。
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2006.12.17 酒席、昨年並
 12月に入ってからの酒席の数は、ほぼ昨年並であることがこのほど筆者酒食
統計局の調査により判明した。
 17日までの酒席数は昨年11日、今年は12日でほぼ同数とのこと。地域別に見
ると、昨年は東京5日、福岡2日、金沢2日、名古屋1日、大阪1日と東京で
の酒席数が多い。これは昨年が広告企画系業務のヘルプで11月末から12月上旬
迄、東京に滞在していることが多かったためと見られる。一方、今年は、金沢
5日、大阪4日、兵庫1日、京都1日、福岡1日、東京1日と金沢が圧倒的に
多い。2週連続で週末を金沢で過ごしたとの報告がなされており、冬の日本海
に対する筆者の憧憬が現れた結果となっている。また積算すると13日になって
しまう点については、昼、金沢で呑み、夜、京都の忘年会に出た日曜日があり、
これが重複の原因と発表されている。
 このあと年末までの昨年実績は8日となっており、現段階で1日、昨年を上
回っている酒席数を今年はどれだけ減らすことができるか、内外からの関心が
集まっている。
 インタビューに対し、筆者はこう語っている。
「体重は重くなり、その分、財布が軽くなる」(共同通信)
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2006.12.16 暖冬?
 暖だか寒だかはっきりしない冬である。
 朝の東京駅でアナウンスが響き渡っていた。
「ガーラ湯沢は雪が少ないのでこの土日は営業中止」だそうだ。
 帰阪。
 会社に寄って残務を片付け帰宅。年賀状をこさえなければ(汗)。PC全盛
の昨今、もはや遺物感すら漂うプリントゴッコをひっぱりだす。なんかおじい
ちゃんになった気分だ。
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2006.12.13 大阪、10度をきったぞ
 この冬一番の冷え込み。(こればっかりだ。もうやめよう)
 朝はそれほど寒くなかったのだ。
 しかし、午後に冷え込み始めた。
 今日の大阪の最高気温は9.5度。ついに10度をきってしまった。
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2006.12.11 ガスファンヒータ、出陣
 昨年は1日も出番のなかったガスファンフィーターが満を持して出陣である。
 それほど寒さを体感しているわけで、今年は厳冬になるのか?
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2006.12.05 各地で降雪
 この冬一番の冷え込み。
 各地で積雪相次ぐ。
 新潟以北の日本海側はすでに冬まっさかりだ。
 旭川では1日中、真冬日。すなわち1日中、氷点下だったわけで。
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2006.12.04 初コート
 この冬一番の冷え込み。
 とうとうコートを羽織る。ただしトレンチコートだ。
 トレンチコートの命は短い。寒さが厳しくなればあっと言う間にお役ご免と
なる。
 去年の歳時によるとコートの起動は12月6日。
 暖冬だなんだと言っていても、結局、季節は巡ってくる。
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2006.11.29 朝が深い 
 眠りが深い。
 目覚ましの跳梁を許してしまう。悔しい。目覚ましが鳴る前に起きていたの
に。あるいは、設定時刻に針があう「カチッ」という音で起きていたのに。
 精神的活動に停頓を感じる今日この頃。旅が足りないかな。筆者にとって旅
は伴侶なのである。
 日の出が遅くなりつつある朝はやや暗い。
 サマータイムの終わりとともに、やっと通勤電車が確実に座れるようになっ
てきた。
 軟弱者たちが起きれなくなってきたのだ。ふっふっふ。筆者の時間が帰って
きた。 
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2006.11.27 旅立ち
 新修習にむかった新司法試験の合格者たち。
 主を送り出したスタッフルームはちょっと寂しげ。
 この業界にいると、筆者たちは宿の女将みたいな気分になる。
 いつもお客様をお見送りする人生って奴だ。
 スタッフも新人が補充され、また来年にむかって時が流れてゆく。
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2006.11.26 びんびやで牡蠣ごはん
 親爺殺しの「びんびや」。
 季節は牡蠣を勧めている。
 〆に牡蠣ごはんを頼む。出来上がりまで30~40分かかる。
 土鍋でやってきた牡蠣ごはんは超絶の旨味~♪
 ここしばらくで最高のガツン物件である。
 こんなに旨い食い物だとは知らんかった。 

 
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2006.11.25 白い富士
 東京から帰阪。土曜日は経済活動が減退するせいか、空気が澄んでいる。
 空が青い。
 相模平野を走っている頃から富士の姿がくっきりと浮かんでいる。
 晴れ渡っているせいもあるが、それ以上に5合目あたりより上が冠雪で真っ
白に化粧されているのが視覚を際立たせているのだろう。
 やはり富士は白をもって最上とするな。
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2006.11.24 スンガリーで新設部課の歓送迎会
 いくつかの部課を統合して新設部課を作った。
 歓送迎会を実施。忘年会も兼ねて。
 ロシア料理のスンガリーで、ウォッカのがぶ飲み。 
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2006.11.22 博多の昼
 提携先の福岡支店を訪問し、帰阪。
 このままでは帰れない。
 天神から福岡空港に向かう途中、博多で途中下車。
 地下街にある石蔵で「鯛茶漬け」を腹におさめる。
 駅構内のミニョンのミニクロワッサンを大量に購入。プレーンは表面に軽く
シロップがぬられている。チョコとポテトの3種。買いたてはパリッとして旨
いのだ。
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2006.11.21 博多の夜
 支店の定期巡回が滞っていた。
 3ヶ月ぶりに博多へ。
 入居しているビルで、昨年の地震の影響か、耐震強度を強化させる施工が入
るとの連絡があった。ビルオーナーの担当者と打ち合わせをして、着任3ヶ月
をすぎたKを慰労する。Kは若い。まだ地元で行きつけの店を作っていない。
というか、そもそも外では食べない。せっかく博多にいるのだ。博多定番コー
スを連れまわす。
「岩政」の寿司と刺身と葱鮪鍋。
「ヴェスパ」のカクテルと店長K氏のトーク。
「さかさラーメン」のあっさりした辛し高菜ラーメン。
 満喫である。
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2006.11.18 朝から寒い
 朝から寒いではないか。
 エアコンも入れたし、部屋着がセーターになってしまった。
 それでも心もとない。思わずバスローブをはおってしまった。ガウンを出し
ておこうっと。
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2006.11.17 冬遠からじ
 手を伸ばせば届きそうな低い雲が、千切れ散らしたように中空に浮いている。
陽光をうけて山襞を青く沈ませる遠くの山並みと車窓近くには所々に朱をうっ
たような紅葉をあしらった近江の山塊が黄色く彩られている。
 背後の空は雲の遥か上に高く、蒼く広がっている。
 木漏れ日のように柔らかになってしまった日差しをうけ、雲の影が山腹を流
れてゆく。雲間から射し込む幾筋かの光条がスポットライトのように山腹を耀
かせる。
 帰阪途上の新幹線からの情景。
 秋が深まり、初冬の気配が周囲に満ち始めた。

 会社で残務を処理したあと、帰路、カセットコンロ用のボンベを買って帰る。
本格的な鍋の季節である。
 今日は「クエ鍋」だ。
 昨日がボージョレーのヌーボー解禁日。「クエ鍋」にはもちろん日本酒であ
る。福光屋「福正宗」と会津の「辰泉」。はあ~しみじみといいわ。

 肌寒い。東京から寒反応を持ち帰ってしまったか、エアコン今季初起動。
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2006.11.14 せこがに
 ずわいがにの解禁からすでに1週間と1日。
 地元のスーパーにせこがにが並んでいた。せこがにはズワイガニの雌だ。
 値段は安い。2匹で1000円。
 今日は「かに」で酒だ。家でしみじみとしたい日もあるのだ。
  
  
  作り方はこちらでご確認を。
 
 来年のカレンダーを購入。B2版の大型カレンダーと鈴木英人のイラストカ
レンダーを久しぶり(おそらく5年ぶり)に購入。さらに5年連用カレンダー
を追加。来阪時に買った5年連用カレンダーがあと1ヶ月で期限切れなのだ。
 大阪に来てから5年の歳月が流れた。
 あっと言う間だな。
 カレンダーは実家の母の分も買わねばならない。
 母は花が好き。
 なぜ女性は老年になると土いじり、花いじりが好きになるのだろう。
 とにかく家中を花のカレンダーで埋め尽くしてやることにする。
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2006.11.12 寒波きたりなば
 週末から猛烈な低気圧が北海道で猛威をふるっている。大阪もえらい寒いこ
とになっている。今日、札幌・松本など各地で初雪。
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2006.11.10 大山、初冠雪
 寒くなってきた。大山(鳥取)の冠雪は去年より10日早く、平年より7日遅い。
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2006.11.07 立冬
 寒気が来た。北から来た。
 日本海側を通過する低気圧の勢力が猛烈だ。
 大阪も朝から鉛色の空に覆われ、おどろどろしい気配に包まれていた。
 映画「ツイスター」で見た竜巻でもおこりそうな空模様だと思っていたら、
北海道で本当に竜巻が発生していた。9人が死亡。
 竜巻の勢力は「F」で現す。「F0」から「F5」まで。数字が高い方が勢
力が強い。レベル5以上の設定もあるらしいが地球上では発生しないケースと
されている。
 この「F」は日本人科学者「藤田」氏のイニシアル「F」からきている。
 北海道の竜巻のレベルはどうだったのだろう。「F3」クラスぐらいか。 
 あるいは「F4」クラスにまで成長していたのだろうか。
 最近の自然災害は、時と処を選ばない。今まで何もなかったからと安閑とし
ていられないことが多くなってきた。自然は人間を愛してなどいないのだ。

 たぶんこの冬一番の寒気が列島を覆った。
 この日、スリーピース部隊に出撃命令が下った。
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2006.11.06 かに解禁
 ずわいがに、解禁である。
 始まったな、季節が。
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2006.11.05 目覚めてみれば、はおるものが欲しい
 朝、目覚めれてみれば少し肌寒い。
 窓を開けて寝るのもそろそろ考えたほうがいいか。
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2006.11.03 生活習慣病
 生活習慣病とはよく名づけたものだ。
 ちょっと気を許すとあっと言う間に習慣化するさまざまなこと。
 最近、酒食が週2回程度に減っていた。
 今週はすでに4回もこなしている。魔が差したとしか思えない。連投ぐせが続
いて東京から帰阪した今日も店に電話。不届きなことに休みだらけ。祝日だと
気づいたのはそのときである。前夜会社そばのホテルに宿をとったので朝の出
勤がなかったのがいけなかった。わからんかった。そのまま諦めればいいのに、
それができない。生活習慣病だな。
 なんと奇跡的にやっていた「The倶楽部キュイジーヌ」に。酒食回数は5回に
成長。まずいなあ。抑制しなければ。
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2006.10.30 オッドベスト
 秋冬の装いをスリーピースにして10年。
 それ以前に作ったスーツはツーピースである。ジャケットも数着ある。6年ほ
どややカジュアルな黒のオッドベストでカバーしてきたが、いかんせん飽きて
きた。襟がついていないタイプへの不満もつのったのでこの際、新調しようと
意を決した。
 筆者の体型は既製品を拒否する。
 もともとオッドベストの既製品も少ない。ベストと言えばたいていの店員は
ニットベストを勧めてくる。(嫌なの!それは)
 オッドベストとは、供布で作られたものではないベストのこと。
 珍しく既製品がぶらさがっていても、袖を通せば、前が合わない。(ムン!)
腹に力をいれて前を合わせようとしても届かない。不安そうな店員の目。
 作るしかないのだ。
 時あたかも、イージーオーダーのシーズン、ジャケットコーナーの別珍生地
でベストをオーダーした。(ちなみに別珍は綿糸を用い、ビロードはシルク、
ベルベットやベロアは、レーヨン、アセテート、ポリエステルを使う)
 ジャケットにしたがる店員の消極的抵抗を跳ね飛ばし、襟付、5つボタン、4
つポケット、尾錠付のベストをオーダー。ワインレッドとブラックの2着を作っ
た。(生地が足りずに両方は作れないのだ。もともと作る気もなかったが)
 これで冬ごもりの準備はOK。
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2006.10.24 秋冬モノ稼動
 まだまだ夏日が出かねない晩秋(晩秋なのに)。
 とうとう秋冬モノスーツが稼動した。
 スリーピースはまだ早い。ツーピース部隊に出撃命令を下す。
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2006.10.23 霜降
 歳時らしいネタを。
 今日は、二十四節気のひとつ「霜降(そうこう)」である。
 霜が降りる日と書いて霜降。
 旭川で初雪。札幌の予想最高気温10度。
 季節は正しく節季になぞらえている。
 でも那覇の予想最高気温は30度。真夏日じゃん。
 でも昨日は盛岡で初霜。まさに霜降の季節。
 でも大阪は夏日。
 この季節、細長い日本列島は季節の区切れ目が曖昧である。
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2006.10.22 元町界隈
 身体を動かさなければならない。
 頭ばっか働かせて、身体が疎かになっている。
 机仕事ばかり。
 オンでもオフでもパソコン画面を見つめる日々が起伏なく流れてゆく。
 やばいぞ。オン・オフの切り替えスイッチが錆び付いている。
 休みなのに終日部屋にこもりかねない心理状態に気づき、危機感を募らせた。
 と言って、遠出もしたくない(やっぱ良くない心理状態だ)。
 今日は京都で「時代祭り」だ。混んでいるなきっと。逆を行こう。
 各駅停車で神戸元町にむかう。
 本を眺めながら50分弱。新快速なら20分強だが今日はのんびりゆこうや。
 駅前から元町商店街に入り、散策。
「天記」の「えびワンタン麺」をすすることにした。
 カウンター8席程度、テーブル1席のこじんまりした店だ。
 塩ラーメン系のあっさり味のスープは、本当にあっさりである。癖のなさは
筆者のストレートヘアに匹敵する。人によってはもの足りんと感じるかもしれ
ん。
 麺は超極細、でも腰は据わっている。国内では供給できないらしい。香港か
ら仕入れている。
 麺に乗っている薄皮プリップリのえびワンタンが楽しい。
 店を出て、南京町に向かう。カップルと観光客でいっぱいだ。
 店頭は食べ歩き用の点心売り場がところ狭しと並んでいる。南京町は店で中
華を愉しむイメージからは遠く離れていまっている。
 大丸の前、神戸牛卸店「森谷商店」でコロッケと牛串カツを購入。持ち帰り
の袋の中から思わず1個かじってしまう。(旨味~♪)神戸牛のミンチがじゃ
がいもの中に潜んでいる。ほっこりと甘い。
 一貫楼のミニ豚まんを購入。92年、三宮を訪れて以来のつきあいだ。
 551の豚まんよりも玉ねぎが多く甘味が勝る。これは持ち帰り用。
 ガード下の餃子専門店「ひょうたん」で餃子を2人前。ビールの小でやっつ
ける。赤味噌ダレで食す。専門店なのでメニューには餃子しかない。注文は何
人前にするか、何を飲むかだけである。
 汚いと言っていい店内は、親爺が4人、それぞれのスタイルで餃子を食べて
いる。皆、手元にビール瓶をひきつけていることは言うまでもない。皮はモチ
モチ系(筆者の好み)具は野菜の甘味が少ない肉味勝り系(これはちっと残念)。
 同じ餃子専門店「赤萬」は「ひょうたん」と人気を二分するらしい。白味噌
ダレとキャベツメインの甘めという餃子を食べてみようと訪店。
 小さな店だ。カウンター席のみ、お兄さんが餃子を仕込んでいる。
 え?あ、まだ営業してないんだ。
 13時からの営業であった。ちょっと早すぎた。今度また来よう。
 

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2006.10.20 パープルシティ
 空から帰阪。
 生駒山地を越え、ランディング・アプローチに入った機上から大阪平野が見
下ろせる。
 暮れなずむ薄紫色の地上に瞬きがぽつりぽつりと灯り始めた。
 火点し頃なのだ。
 あるいは、地上に近づいたために視認可能になったのかもしれない。
 灯かりは、どんどん増えてゆく。
 このあと天上に耀くであろう星々の登場の前に、まず地上に光のビーズが散
りばめられ始めた。
 美しい光景である。
 同時に、一抹の寂しさが筆者の胸に去来する。
 この刻限、空からであれ、地上からであれ、自分の街が見え始めたときに不
意に寂寥感が、何の前触れもなく訪れることがある。
 独り身の漂泊感に身を委ねる。
 たまには悪くないけどね。
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2006.10.18 衣替え準備
 10月に入って会社に行かない初の自分だけの休日。
 掃除・洗濯に時間を費やし、夏物衣料のクリーニングを出した。
 今日はスーツのみ。
 スーツはすべて出し終わったがジャケットやパンツが残っている。1回では
出し切れない。再攻が必要だ。
 でも、まだちょっと秋冬物には早いなあ。
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2006.10.16 東京、大阪で夏日
 富士山も初冠雪を記録したと言うのに、今日は大阪26度、東京25度で夏
日である。
 季節感のないこと。
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2006.10.11 恒例、クリーニング割引
 まだかまだかと一日千秋の思いで待ちつづけたクリーニング屋の「秋の感謝
祭」30%OFFハガキ。今日ポストの中にやっと見つけた。
 気をもたせるではないか。これで衣替えの準備が整った。
 14日から29日迄の間に夏物衣料を一斉に持ち込むのだ。
 装いの愉しみはやっぱ寒い季節のものだな。
 奇しくも、今日、久しぶりの新調スーツを持ち帰ったところである。チャコ
ールグレイのペンシルストライプのスリーピース。袖を通すのが愉しみなので
ある。
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2006.10.07 富士山、冠雪。風邪の季節到来
 富士山の初冠雪を観測。平年に比べ6日遅く、昨年に比べ4日早い観測。
 シャワーのあと、ブローを開始。生乾きの髪がラジエーター効果をもたらし、
体温が低下、風邪を引きやすくなる季節が始まったのだ。帰宅時にうがいもた
まにするようになった。
「1本ビシッとしていれば風邪などひかない」が筆者の日頃の言辞。
 ブローやうがいも「ビシッ」との中に入るのである。
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2006.10.02 すでに長袖
 例年より秋が早い。
 長袖に切り替えた。エアコンも止まった。
 9月があっと言う間に駆け抜けていってしまった。
 振り返るゆとりすらないままに。
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2006.09.29 家族旅行である
 亡父の一周忌も終わり、喪が明けた母の「温泉に行きたいわあ」リクエスト
に応えねばならない。父の世話をしつづけた1年間の看病疲れとでも言うか、
この半年、坐骨神経痛が進み足がやや不自由になりつつあった母も毎週の整体
のおかげでかなり元通りになりつつある。
 とは言え、同じ姿勢を長時間続けるのが辛いらしい。どこまで行けるかの実
験も兼ねて諏訪に行った。
 結果は良好。
 2時間半程度の鉄道旅行は可能のようだ。
 久しぶりの外泊旅行に喜ぶ母。
 後が怖いのである。
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2006.09.27 ミクシー参入
 年甲斐もなくと言うか、会社スタッフの手引きによりミクシーに参入である。
 会員制掲示板システムみたいなものか。ブログも作れるし、いろいろな仕掛
けが仕組まれている。
 ホームページが自宅だとすると、ミクシーはサロン。社交場のようなもので
ある。ホームページは自宅を購入した奥さんのように自分好みの内装、調度を
整えお客さんの訪問を待つ世界。ミクシーはチェアに座りながら葉巻をくゆら
し、趣味を同じうする者同士の談笑の世界。共通認識を醸成させるグループウ
ェアの側面も強い。なるほど。システムの提供する「足あと」をチェックすれ
ば、自分のページを訪れた人のページを訪れ、プロフィール確認をし、コミュ
ニティなどをチェックして趣味嗜好を推し量ることができる。
 うまくできているもんである。
 ま、参加者は20代が多いんであるが。そこのところは、ひとつ。
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2006.09.24 反省の1日
 飲酒運転撲滅キャンペーンが昨今のマスコミのメインテーマである。
 日々流される公僕による飲酒運転。
 酒の失敗に甘いと言われる日本社会。
 どーなのよ、そこのところ。世界的に。アルコール分解酵素や民族的体質の
問題なの?アングロサクソンなんか酒、強そうだもんな。
 などと世相をからめて問題を希釈させようとしているのだが、実は昨日の飲
みすぎで終日ごろごろしていたのである。そんなに飲んだ覚えがないのだが
(グラッパも1杯だけだったし)。しかし断片的に蘇る記憶のひとつひとつが
どうにもヤバイ。
 語ったなあ、意味もなく。飛んでるなあ話が、脈絡もなく。
 あ~やだやだ。
 反省なんていくらしても人間はそうそう改まるもんじゃない。
 心底反省してないんだろうな。そこのところが酒の失敗に甘いと言われる日
本社会というわけだ。あ、また話を大きくして誤魔化そうとしている。
 日が沈んでから外に出た。
 頬にあたる風が涼やかで心地よい。
 今日は酒を飲まんぞ。
 蕎麦と四谷荒木町の「蔦の屋」目鯛と鰆の西京漬けを2カンづけで。梅干な
どもつまみながら映画「東京日和」を見る。
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2006.09.23 新司法合格祝勝会。今週は飲みすぎ。
 先日21日の発表で新司法試験に合格した大阪スタッフ6名の祝勝会である。
 パーネヴィーノの2階を占拠して飲んで食べた。
 おめでとう。
 新司法試験ネタはマスコミにとって好餌である。
 O嬢とSは新聞に載っていた。
 一番おいしいはずのN。合格したのにインタビューアーもカメラも近寄って
こない。憤慨である。でもしかたがない。感極まって号泣しながらしゃがみこ
んじゃったんだから。そりゃああんた『落ちた』と思われてもしゃあないわ。
今度は万歳するように、ってもうないかチャンス。受かっちゃったし。
 なにはともあれ、みんなおめでとう。
 で、知らない間にけっこう飲んでいたみたいである。健康診断以来、生活習
慣が変わったつもりでいたが、今週はもう5夜も飲んでいる。
 朝、出納帳につけようと財布を開く。レシートがひらひらと零れ落ちた。
(なんじゃ?)
 拾って眺める。「らーめん一番」(え?)
「ギョウザ・ザル麺」(なに?)
 いつ食った?覚えてないぞ。
 ありゃりゃひさしぶりにやらかした。
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2006.09.22 こわごわ 
「久しぶりじゃあありません?」
 パーネヴィーノのママに睨まれた。
 確かに。1ヶ月と3週間ぶりだ。
「そろそろ行っとかないとやばいですよ」
 Yの忠告に従ってよかった。明日の新司法試験のスタッフ祝勝会の打ち合わ
せもかねて訪店。
 さんまとオリーブのパスタ、ワタリガニのトマトクリームパスタが旨い。生
ハムがスーパー当たり!である。しっとり、むっちり、塩加減が抜群。ミニカ
プリチョーザをつまみ、堪能。
 帰路、酒肴人に寄る。マスターのおまかせカクテルを3種。蕎麦茶を使った
「お茶け」、白ワインのトマト漬け、シークワーサー。いける。
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2006.09.21 スタンド・バイ・ミー
 昔の仲間とのひととき。
 間に挟まった幾ばくかの時の谷間はすぐに埋まる。
 懐かしい話に盛り上がることができるのはオヤジの特権だ。
 腹がよじれて腹筋が痛い。
 胸を打たれて胸郭が痛い。
 一瞬でも帰る場所があるってけっこう幸せなことだとしみじみした一夜。
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2006.09.19 あれ?
 大阪でスタッフの歓迎会。
 京都から着任した東海西日本のゼネラルマネージャーと東京から着任のN。
 8月から始まった異動計画の最終ステージである。
 福岡・大阪・京都に配置された各メンバーの今後が楽しみ。
 福岡着任のKは太るのか?
 福岡から帰ってきたKは痩せるのか?
 帰路、バーに寄る。先般来行きつけている老舗バーだが、初めてギムレット
を頼んでしくじった。ありゃ、そんなギュウギュウスクイーズしちゃったら
・・・ってハラハラしていたんだが・・・あっちゃー、やっぱすごいキンキン。
う~む、雰囲気が好きなんで通っていたが、今後に禍根を残すかもしれん。
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2006.09.18 町屋の縁側で
 中崎町って天神橋筋の脇、梅田の北東方向にある。
 FのひきでYが選んだ中崎町の焼鳥屋「可真人(かまど)」に行く。N嬢も
一緒だ。
 町屋を改造した店内は土間からあがる。
 奥の小さな中庭まわりの縁側が座席となっている。
 そこに陣取る。
 天井がない。空を見上げて酒を飲む。けっこういいぞ。
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2006.09.17 目から鱗
「ジャパンブルー」って藍色のことだったのね。
 知らんかった。
「所さんの目がテン」
 日曜朝7時の所ジョージの番組である。今日のテーマが藍染め。
 幕末・明治期に渡来した外国人には「藍染めの青」がことさらに目立った
ようで、日本の紹介文献にジャパンブルーの文字がすでに記載されていた。
あのサッカー日本チームの青ってジャパンブルーをイメージしていたのであ
る。これはちょっとためになる話だ。
 何の役に立つかはわからんが。
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2006.09.16 秋の夜長にこの一杯(って1本だけど)
 たまにはいいだろう。
 ランブルスコを開けよう。
 イタリアのスパークリングだが、赤である。色は真紅。
 地元の酒屋で750円。
 昨年、目白のワインバー「La Vineria」で飲んで以来、お気に入りの仲
間入り。やや甘口だが、スッキリしている。
 最近、自宅でアルコールを摂取しなくなっているのだが、今日はその気に
なった。
 きのこ数種を山ほどいれたゴルゴンゾーラのクリームソースパスタと一緒
に。
 仕事を夕方までにすませ、秋の夜長をゆったりと過ごすことにした。
   
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2006.09.15 世間は3連休
 世間が3連休だと気づいたのは混み合った新幹線を見た瞬間だ。
 祇園で浜松屋の鰻を食べ、ヴェスパのカクテルを飲み、同行のS氏と帰阪
しようと京都駅に戻った。22時50分の岡山行きのぞみが入線してくる。
 自由席がめちゃ混みだ。指定席車両にまで自由席難民があふれている。
(あ、そう言えば連休だ)
 いつもは余裕で座れるのに、今日は無理。1駅間、15分程度だからそれほ
どでもないが、S氏は3時間立ちっぱなしの講義の後だ。まあ、今日は何時
台でも同じだったと思うがちょっと気が引ける。 
 筆者の会社はカレンダーまったく無視の業界なので、日曜・祝日の感覚が
希薄だ。カレンダーの赤字を知るのは世間の動きによることが多い。平日の
祝日など、電車が異様に空いていてそれと気づくことが多いのだが、今日は
その逆だったな。
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2006.09.14 秋
 季節が巡っている。
 今年は秋が早い。
 筆者は秋をあと何回迎えることができるのだろうか。平均年齢を生きたと
して手持ちの秋は78回だ。すでに45回のそれを使い果たした。残り33
回。馬齢を重ねてしまったなあ。新幹線の車窓に目をやりながらとりとめも
なくそんなことを考えている。秋ってやっぱり少し物悲しい。めらんこりっ
くな筆者。
 自分にとって大切な何かを正しく認識しながら過たず生を過ごす人間は恐
らく少ない。 それと気付いたときにはすでに取り戻すことのできぬものの
多さに半ば呆然とし唇をかみ締めるのみである。
 先年夫を亡くし、寡婦となった母はむしろ陽気にとりとめもなく亡父や自
分が過ごしてきた人生を語る機会が多くなった。父が健在で家長としての尊
厳と誇りを微塵も揺るがさなかった時代には語りえなかった話柄であろう。
 始めて知る事実のいかに多いことか。
 しかも、そのうちの一部は筆者にも関係が及んでいたのである。知らぬこ
ととは言え、今さらながらに、それらのことどもを親の責任範囲のものとし
て自己には無関係を装ってきた未熟な自分への悔恨が己を苛む。
 所詮男同士、父親と息子の情交はぎこちない。恐らくは人生の終焉まで寛
弘をもって腹蔵なく語り合うことは難しかろう。少なくとも筆者と生前の父
の関係はそうであった。敵対はしないが幾分かの反感と若干の離間。
 人生の終焉をむかえたとき、父は筆者に母を託した。託さざるを得ないを
どう感じたか知る由もないが、少なくとも本人が望んだことかどうかはとも
かく、母は家庭内秘話(と呼べるかどうか)を明るい表情で筆者に話す。話
を聞く筆者は莞爾として微笑むのみである。
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2006.09.13 生活習慣の変化
 1ヶ月以上ご無沙汰の飲食店に行こうかと思ったが、結局帰宅。
 最近、あちこちで「筆者はどうしてる?」と訪店した知人達が店主に聞か
れる証言が続いている。
 問われた連中はいとも容易く筆者を売り飛ばす。
「他のもっと旨い店に行くと言ってましたよ」(たぶん嘘。筆者をいたぶっ
て愉しんでいるのである)
「え?××さん?今、旅三昧」(こいつは絶対本当にそう言っている)
 健康診断で体調を整えているうちに外食が減った。そのまま健康診断後も
そうした生活が続いているのでご無沙汰の店が増えているのだ。生活習慣に
変化が忍び寄る今日この頃。
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2006.09.12 やっぱスペイン料理って旨い
 エルポニエンテでトリッパ、ハモンイベリコ、イベリコ豚のグリル、舌平
目のムニエル、パエジャ。
 YとO。
 健康診断前に少し体調を調整して以来、すこぶる調子がいい。体重は77
キロなんですけどね。64キロぐらいが標準体重ということだからまだ13
キロも落とさなければならない。
 筆者の飲食最盛期は99年頃だ。その年の健康診断の体重87.5キロが
公式記録における筆者の最重量である。その後自宅のヘルスメーターが90
キロを越えた瞬間、筆者はメーターを飛び降りた。それから考えれば、それ
なりに体重は減っているのだ。
 昨年から蕎麦喰い大魔王になっているのもいいかもしれない。
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2006.09.06 恐怖の健康診断
 健康診断で体調を崩す。
 ベテランをよこせと言うのに無視した看護士によって採血失敗。筆者の血
管は恥ずかしがりやさんなので深く潜んでいる。昨日今日ナースになった新
人ではこの血管を確保するのは至難の技だ。一昨年は針を指した後、皮膚の
下で血管を探し始めやがった。しかも針が血管をひっかっけたものだから、
痛いやら気持ち悪いやら、じっと注視していた筆者は気を失ってやった。ざ
まあみろ。あわてやがれ。
 今年も新米が同じ失敗を犯した。前回よりましだったのはドライだと気が
ついたら素直に針を抜いたところだ。しかし、もう片方の腕をさすり始めた。
筆者は叫んだ「ベテランをよこしやがれ!」今度は素直に言うことを聞いた。
やってきたベテランはこともなげに「あら、恥ずかしがりやさんだこと」な
どと言いながら一発で確保。
 筆者は新人の練習台ではないのだ。
 健康診断明けのお祝いにMASAに行く。
 いつものオーダー。今日は1品だけ日替わりを。「さんまのカルパッチョ、
マンゴーソース」旨い。
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2006.09.03 秋晴れ
 前回の散髪時、ちょっと長目に残したなと思ったもみあげがかなり伸びて
しまった。まわりの髪はそれほど気にならないのだが、もみあげだけが気に
なってしかたがない。さては、3ヶ月ごとにしか通わない不精な客の回転率
を上げようと散髪屋が遠謀を仕組んだか。健康診断も近い。髪を切れば何g
かは減ずるだろう(ほとんどボクサーである)。髪を切りに行った。
 屋内に居ることに罪悪感を覚えるほどの秋の好日である。昨日、比叡の山
を歩き回ったせいで多少足が痛いのを謂として腰の重さを納得しようとする
筆者。終日在宅であることに忸怩たるものがあったわけである。
 帰宅後、マッサージチェアで揉まれているうちに気を失った。僅か20分ほ
どだが、これでリセットスイッチが入った。
 正午すぎ、思い立って家を出た。東西、どちらでもいい。早く出る新幹線
に乗るつもりで新大阪に出る。東ならば、米原で降り彦根か長浜に、西なら
ば西明石まで行くつもりだ。
 西行きが選ばれた。「ひかり」岡山行きはガラガラである。
 海を見よう。
 日本は水の邦である。清涼な水がとめどもなく流れ、何処に行こうと気に
せずに水を使うことが出来る。四周を海に囲まれ、深い緑のあふれる山々は
山水画の白煙に包まれる。筆者は日本に生まれた行幸を噛み締める。
 西明石から明石に出、渡船で対岸の淡路島岩屋に向かったのであった。
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2006.08.31 夏の終わりに・・・
 夏が終わりである。
 暑いと言っても、盛夏の暑さとは何かが違う。
 今年は秋の訪れが早いのではないか。・・・寂しい限りである。
<< ソウルフード >>
 東京への日帰り出張。
 大阪在住4年半、東京と言われて思い出す料理は我ながら情けないほどにB
級である。ソウルフードってそんなもんか。
 昼、新宿小田急線の「箱根そば」のコロッケそばを食べる。
 筆者の思い浮かべる東京料理、トップナンバーはこの「黒いつゆに沈んだ駅
の立ち食い蕎麦」である。できればコロッケとあげをのせたいところだ。
「箱根そば」のコロッケはカレーコロッケである。つゆが染み込んで崩れるの
を防ぐためか、少し固めにできている。それがまたいいのである。
 夕、新宿紀伊国屋の地下にある「モンスナック」の「チキンカレー」。
 しゃぶしゃぶのスープ状カレーである。創業、昭和39年『元祖サラサラカレ
ーの店』を謳いあげている。そんなこと言わんでも、十分わかってますって。
 サラサラと言うが、僅かに、本当にかすかにとろみがついている。
 サラサラ純度は小田急線新宿駅の「Opty」の「ホットブロー」の方が遥
かに高い。しかし、残念ながらこの店、ホットブローを止めたり復活させたり、
安定供給をしないのである。
<< またか!!>>
 濃霧の次は地震ときたもんだ。筆者は何かに取り憑かれているのだろうか。
 日帰り出張の往復をエアにしたのだが帰路でやられた。
 地震のため滑走路点検で機材準備が遅れたのだ。搭乗口にいたっては3回も
変更され、30分はDELAY!仙台ではダイバートされ、今日は遅延。
 エア、やめようかな、もう。 
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2006.08.23 あれ?夏の終わりかい。
 昨日までタイマースタートで留守宅冷却作戦を展開していた筆者。
 カーテンをしめきり、エアコンもフル稼動という体勢で望んだここ数日。汗
もかかなきゃ、蒸しもしない。
 最初のうちは快適な夜を満足していたのだが人間なんて我儘なものだ。
 寂しくなってしまったのである、汗をかかない生活に。
 日中が炒られるような暑さではなくなっているような気もすることが影響しているかも。
 エアコンのタイマーを切って家を出た。
 ああ、帰宅後、掃除機を振り回している間に滴り落ちる汗の感触。
(これこれ、夏はこうでなくっちゃ)
 とは言え夏のパワーの減衰を感じているのは筆者だけか?密かに秋の気配が
近づいていやしないか?まだ駄目!まだ秋は来るな!!
 蝉は駅前の木立でまだ鳴いている。しかし、その声が心なしか、か細くなっ
ているような気もする今日この頃。
 もうすぐ8月も終わりだ。
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2006.08.22 「結婚できない男」
 2週間前からテレビドラマを見ている。偶然、あわせたチャンネルに阿部寛
が映っていた。タイトルは「結婚できない男」。
 テレビ世代の筆者は、テレビをつけないでいることはできない。しかし、見
ていないのである。音量をゼロにして画面だけBGVにしてしまうこともある。
45年間で、テレビという娯楽を消費しつくしてしまったのである。気がつけ
ば、送り手が「君はもういいから」と明らかに枠外扱いしている立場になって
しまった。
 偏屈な独身男(でも40前)が主人公のこのドラマ、阿部寛がいい感じでキ
ャラを演じている。
 独り者のツボをおさえた脚本もいい。
 独り言が多いのね。
 そして独りであることへの理論武装の厚さと理屈っぽさ。負けず嫌い。いろ
いろなものへのこだわり。2週前にザッピングの手を止めてチラチラ眺めてい
たら久しぶりにテレビドラマにはまってしまったのだ。なによりも、かなりや
ばい。主人公のキャラがかなりおのれにダブってしまう。
 やばいぞこれは、って何がよ。
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2006.08.15 大阪、今夏最高の37.8度。でも僕には清水白桃がある
 あ~ぢぃ!あっぢぃ!
 も~駄目。
 今日の大阪は電子レンジの1日。
 昨日から自宅のエアコンは夕刻始動でタイマーセットの稼動が始まった。
 電気代などかまってはいられない。
 なにせ、家に入ってから2時間は暑くて何もする気にならんのだ。

 そんな我が家に、今夏初の清水白桃という強い味方が登場だ。
 さっそく1個。
 ・・・旨い!
 高貴な香り(これが清水白桃の真価なのだ)、控えめだが腰の据わった甘さ、
 少女のような瑞々しさ。
 も~最高なのである。

 むふ。

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2006.08.14 お盆2
 職業柄、お盆休みがない。
 人が休むときに働き、人が働いているときにも働く。
(休めないじゃないか!)
 大阪はお盆には混むのである。
 都心はガランとする。あの景色を筆者は結構好きであった。
 大阪はゴミゴミする。帰る人より帰ってくる人の方が多いのか。
 それでも朝の電車はガラガラである。
 かつ、夜の店は軒並み休みである。
「喬司」が営業していた。
 お造りは鯛と太刀魚、鮪。銀鱈の照り焼き、じゅんさい、茄子の水煮、雲丹
の潮洗い、鰯の生姜煮、鯨カツ、伊勢エビクリームコロッケをつまみながら、
日本酒を3杯、焼酎を1杯。しめに地鶏の親子丼。なんかしみじみとした。
 帰宅すれば、郵便受けには投げ込みチラシは一片とてない。
 静かである。 
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2006.08.12 お盆
 出張にからめて亡父のお盆法要の帰路、エアはほとんどすべての航路が機材
遅延(つまりヒコーキが帰ってこない)で大幅遅れである。筆者の便も定刻の
1時間5分遅れで離陸した。ロンドンでの航空機テロ未遂事件による警戒態勢
の強化に、お盆の帰省ラッシュが重なり、遅れは覚悟していたのでイライラは
しない。
 案に相違して羽田、伊丹間はそれほど混んでいない。
 京急の車内で大田区の親爺4人組が
「・・・朝のうちは50キロ程度だったけど、140キロだってよぉ、渋滞」
「信じられねえよなあ」
 確かに信じられん。沖縄本島よりも長い車列が高速道に連なっているのだ。
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2006.08.08 お盆近し 
 お盆の気配。
 電車が少し空き始めた。郵便受けから投げ込みチラシの姿が消えた。
 台風接近。チリが吹き散らされたか、大阪の空は沖縄のような青空と陽光。
紫外線を実感する暑さだ。
 自宅から生駒山も六甲も山襞まではっきり見える。これほどクリアな景色も
めずらしい。やがてすさまじいばかりの夕景が広がった。地も空もかつて経験
がないほどの茜色に染まっている。地震の前兆のような不気味な色彩だった。
 暦の上では立秋である。
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2006.08.07 猛暑
 梅雨明け前の気温が嘘のような猛暑が続いている。
 8月にはいって大阪の最高気温は、ここまで33、34、35、35、36、36、36℃
である。
 まずいのである。
 筆者の部屋は15階にある。最上階なので昼の間に蓄積された屋根の輻射熱
も加わり、室温は鰻のぼりに上昇している。
 帰宅時の室温37℃。
 しかも天上から熱が放散されている。壁も熱気を放っている。扉も熱い。室
内が発熱装置と化している。エアコンを18℃設定で2機フル稼働させても、室
温が26℃になるのは帰宅してから4時間。電気代が中層階の3割増しという話
を電気業者から聞いたことがあるが、たぶん事実だ。
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2006.08.06 福岡歓送迎会
 福岡から京都に異動するKと、京都から来たKの歓送迎会。
 送迎されるKのたっての希望で「もつ鍋 越後屋」で味噌ベースのもつ鍋を
堪能。
 博多のもつ鍋はしょうゆベースが基本なので味噌ベースはめずらしい。スタ
ッフOBも集まり、15名での宴会となった。Kも皆に愛されていたようでよ
かったのである。在福中に7キロも太ったのは、やはり博多の美味処のなせる
技だろう。
 Vespaで軽く何杯かグラスを傾け、一風堂で赤丸肉入りとご飯を食べる。
 過食である。
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2006.08.05 摂津本山の中華となにわ淀川花火大会
 摂津本山の中華料理。夫婦で営業している店の奥さんはソムリエ資格を保有
しているそうな。
 ワインと中華のミキシングがウリの店である。
 エビのバルサミコソースかけのようにワインに相性をあわせた料理が出てくる。
 T氏を慰労の夕食は5時半に始まり8時すぎにお開き。
 帰路、JR神戸線は尼崎あたりから車窓に淀川の花火大会を映し出す。
(おお、そうじゃ、今日は淀川花火大会じゃ)
 昼から梅田はすごいことになっていた。今日は神戸でも海上花火大会がある。
 恐らく日本全国花火大会の最盛日であろう。
 夏、真っ盛りである。
 淀川を越える前、塚本あたりから電車が減速しよる。
「本日は淀川花火大会です。安全のため徐行運転をいたします」
(エライ!)
 粋じゃあねえか。
 時刻は8時40分頃。時あたかも花火大会はフィナーレをむかえていた。
 尺玉が連続して炸裂する。「ドン!ドン!ドン!」
 車窓いっぱいに広がる極彩色の火球。
 窓やドアにへばりつく乗客が思わず歓声をあげる。
「おお!」
 河原にはちょっと怖いくらいのファランクス(密集隊形)状態の見物客が
見える。彼等の歓声もどよめきとなって車内にまで響いてくる。
 淀川を渡りきるまで、かなりの花火を鑑賞できた。
 十分堪能した。電車の中から花火見物。これはかなりありだぜ。
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2006.08.02 初モノ
 オフである。博多出張にからめて何処いこ。
 それは、それとして夏の福岡に来たら買わねばならないものがある。
 叙水庵のぶどう大福である。
 買ったぞ。1年ぶりだ。食ったぞ。1年ぶりに。
 旨いぞ!やっぱり。
 
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2006.08.01 5ヶ月もあいていたか福岡
 福岡支店に京都からK島着任。
 福岡に行く。
 前回は3月中旬だったので、5ヶ月もあいていたのだ。
「石蔵」で鯛茶漬け。「岩政」で葱鮪鍋、お造り、寿司。「ヴェスパ」でカ
クテル。「さかさラーメン」で辛し高菜ラーメン。もう何も入らない。
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2006.07.30 梅雨明け
 皆のもの!梅雨明けじゃ!梅雨が明けたぞ!
 東海・近畿・関東・甲信越で梅雨明けじゃ。
 夏じゃ!
 夏が始まるのじゃ!
 でも仕事じゃ!全国区なのに拍子抜けするほど受験者数の少ない某試験が
今日なのだ。東京でも4千名台、京阪で5百名台、鹿児島にいたっては8名
じゃ。
 考えてみれば、この先な~んも予定がないわ。
 いいか、梅雨なんか明けなくとも。 
 あ、ひとことだけ、
 気象庁!最近、毎年の話だが、「梅雨が明けたと見られる」ちゅう腰のひ
けたみっともねえ発表はもういい加減にしたらどうでぃ。いいじゃあねえか
間違ってても。業界その他からのつっこみを恐れてるんだろうが、そんなこ
とやってっから「一番を決めない運動会」なんてぇ気の抜けたビールみたい
なことも大手をふってまかりとおっちまうご時世になっちまうんだよ。
 熊さんか俺は。
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2006.07.28 酒食明け
 17連投の酒食明けである。も~嫌。(俺ってこればっかだな)
 ま、そのうち2日はプライベートなんですけどね。
 東京から帰阪。流石にからだが言うこときかん。
 直帰である。
 夕方の羽田発の便など使わない方が良いな。40分も遅れやがった。新幹
線の方が早かった。なんて、いつもどっちが早かったか勝ち負けで考える、
この癖をなんとかしたい。ゆとりのない奴だよなあ。
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2006.07.27 蝉
 梅雨はまだ明けていない。
 だが、熱暑が続いている。火曜日からは真夏日の連続だ。
 この7月、1週おきに暑さ、涼しさが繰り返して訪れる。
 先先週は、全日真夏日、先週は平成18年7月集中豪雨の週、大阪でも23度
まで下がった。(その日、筆者は沖縄に逃避したのでよくわからんが)
 朝6時半、地元の緑地公園に蝉の声が満ちている。
 ワシワシワシワシ、この鳴き声が夏の訪れを告げるのだ、梅雨は明けてな
いけど。
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2006.07.23 京都で歓送迎会「将月」
 先日、大阪で送別したOを京都で迎える。
 今般、福岡に転勤するKを京都から送る。
 場所は四条河原町の鉄板焼き「将月」。
 京都のスタッフの平均年齢は全支店中、群を抜いて若い。
 学生の町(人口の1割が学生である)京都ならでは。
 女の子だらけの宴会では
 恋の話が横溢する。
 ホント支店ごとにこんなにも雰囲気が変わるかちゅう感じである。
 宴の終了後、Vespaへ。
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2006.07.22 The倶楽部キュイジーヌ
 昼前に帰阪。
 前節終了のK氏(K氏だらけである、大阪)とThe倶楽部キュイジーヌへ。
 タルタルのガーリックトースト添えに始まり、
 締めのヘレカツサンドまで
 あいかわらず旨い。
 初めての訪店の場合、ヘレカツサンドが一番喜ばれるんだ、ここは。
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2006.07.19 串八景
 前節終了のK氏への慰労を串八景で。
 串揚げ通のK氏を納得させることができるか?
 串八景の腕の見せ所である。
「ちゃんと前もって言っといてよ」
 マスタの嘆声もなんのその。K氏には満足していただいた模様。
「今度、家族を連れてこよう」
 このセリフが出ればOK牧場である。
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2006.07.17 きっと腸が溶けている
 スタッフの送別会を阪急東通りの「北の家族」で。
 アルコール摂取7連投の7日目である。
 昨日、一昨日が深夜越えの呑みだった翌日である。
 体がちょっと参っている。2軒目に行く気が起こらなかった。
 明日こそは休肝日にしよう。
 まだ明後日もあるしな。
 絶対、腸が溶けていると思う、少しだけ。
 そんな感じありませんか?皆さんは。
 俺だけの感覚?
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2006.07.16 串八景で完食カルテット
 日曜の夜10時から飲み食いを始めるっていうのだから店にしたら大変な客
である。ごめんなさい。
 場所は天満の串八景。名前の通り串揚げ屋である。
 今日は講義の終わったK氏とK氏(う~ん、どっちもカ行じゃ)と会食。
 スタッフのYも同席して総勢4名である。
 K氏とK氏はすごい。ぺろりぺろりと矢継ぎ早に繰り出される串を次々に
腹中におさめてゆく。K氏など(どっちのじゃ)締めの「アイスバナナ」を
カメレオンがバッタを捕食するかのように串が置かれたとたん、ペロッ!パ
クッ!である。確か今目の前にあったよな、と確認したくなるような健啖家
ぶりだ。
 最近パワーの落ちている筆者も先行に引きずられるようになんとかゴール。
結局訪店した4名ともおまかせの串を食べきった。
「4名でお見えになられて全員が完食したのは初めてです」
 マスターからの賛辞を背に店を出る4人であった。
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2006.07.15 やっぱ祇園祭りは混んでいる
 畏友 I がやってきた。
 今、故あって徳島在住なのだ。
 祇園祭が見たいという。今日は宵々山だ。
 祇園祭は、7月1日から始まる。7月17日が山鉾巡行だ。もともとは9
世紀に諸国で猛威をふるった疫病を調伏すべく66基の山鉾を飾ったのが祭
りの原典。66と言う数字は当時の国の数である。今はそんなに山鉾はない。
据え置いて飾ってるだけでは面白くなくなったのだろう。そのうち山鉾に車
をつけて動かし始めた。あるいは出し入れに面倒くさいから車をつけたニュ
ータイプが出来始めたのかもしれない。動かしているうちに何かいい感じ
(発音は平板に)だったので祭事にランクアップ、中世のエレクトリカルパ
レードになったのかもしれない。いずれにせよ稼動山鉾を動かすのが祇園祭
のフィナーレ山鉾巡行である。現在32基の山鉾が稼動タイプである。
 山鉾は普段、収納庫に納められている。祇園祭のときだけ、外に出し、組
み立てるのである。組み立て終わった山鉾を要所要所に置き、皆で見物する
のが宵山。巡行の前日である。宵々山、宵々々山はそれぞれ、巡行の前々日、
前々々日というわけだ。クリスマスのイブイブみたいなものである。
 筆者の会社の京都オフィスの住所は長刀鉾町(なぎなたぼこちょう)。
 隣の隣に長刀鉾の収納庫がある。長刀鉾は毎年、巡行の順番がくじ引きで
変わる鉾が多い中、唯一毎回、先頭を切る由緒ある鉾である。したがって、
宵山ではオフィスの窓から長刀鉾を見ることができるわけだ。ふ・ふ・ふ、
羨ましいか?
 祭事の主催が八坂神社であったり、祇園祭という呼称からして、祇園のま
わりに山鉾があり、祭りは祇園を中心に行われているようなイメージを持ち
がちだが、山鉾は、南北では烏丸通り、東西では四条通りのクロスポイント
より北側、東側のエリアに集中している。
 山鉾に登ったりもできるのだが、何かしら買わないと上がれない。
 京都衆、さすがである。
 地元のHが言うには、陽が沈んでからは身動きがとれないが、その前なら
ば何とかなるとのこと。陽が沈む前に宵山見物をした。
 やっぱり、混んでいる。身動きは何とかとれるが、自儘には動けない。
「もう、いいです」
 Iがさっそく厭きた。
「じゃあ・・・」と言う事で、人の流れに逆行し、祇園へ直行。「ヴェスパ」
のカクテルと「浜松屋」の鰻を堪能。
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2006.07.08 In the heat of the night ・・・ルイ・ブラン
 湿気がすごい。ここ2週間、毎金曜日に東京で湿度攻撃を受けて消耗していた。
湿気ってのは呼吸機能の何を阻害するのだろう。気管支が枝分かれ(22回らし
い)して肺胞になる。この肺胞で二酸化炭素と酸素のガス交換がなされるなにか
しらの化学反応に高い湿度が影響を与えているのだ、きっと。誰か、化学的に説
明できる人の教示を望む。教えて。
 この2週間は東京でやられていたが、今日は大阪がすごかった。わずか10分
程度で相貌が変わった。エレベーター内の鏡に映る自分の顔に死相が浮かんでい
た。
 摂津本山の「ルイ・ブラン」で愉しんだあとだから、いいか、逝っても。
 前菜の前菜でメロンの炭酸ガス入り生ハム、鮎のテリーヌが肝の苦味も達者で
鮎がしっかりと鮎である。フォアグラがフランスから入ったそうで、根セロリの
ピュレとバルサミコのスペシャリテが復活だ。マナガツオのグリルと鴨のソテー、
バルサミコ。同席のY氏は白金豚、Yは牛のイチボ、デセールはグレープフルー
ツと桃の葛餅をY氏が頼み、筆者は桃の梅酒コンポートと大葉とグレープフルー
ツのジェラートだ。Yは3種のチョコレート。やっぱ、旨いなあ、ここ。
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2006.07.04 梅田のサンボア(バー)
 レトロな店内が眼前に広がっている。扉がすでにかなりレトロな感じだったの
で覚悟はしていたが、想像以上のレトロ感に筆者は呻き声を放った。
「おお~」
 梅田、曽根崎お初天神のそばにある「北サンボア」。
 バーである。
 想像以上に人がいた。満席状態。満席だけど席はない。立ち飲みである。まさ
にバー(止まり木)なのである。椅子つきのテーブルが店内の隅にしつらえてあ
る。そこは、満席で立って飲めない人のための席である。ん?正しいか日本語。
だけどアリだ。
「サンボア」と言えば、京都三条寺町の「サンボア」。日本最古の酒場とまで謳
われている。祇園にもあるし、大阪でも堂島や南、その他数店あるらしい。
 どういう関連なのか、まあ、そのうちもう少し馴染んで聞ける気配を感じたら
聞いてみよう。
 今はあるがまま、ただ愉しむだけである。
 再訪の意思を持ったわけだ。つまり、うまかったのである、筆者にとって。
 初めてのバーでは「ジンフィズ」を頼めなどと言うが、筆者はいつも「雪国」
である。これが舌に馴染めばその店は筆者にとって大切な存在になる。「サイド
カー」もOKだった。いやはやもっと早く来るべきだった。実はお隣が「C.C
なかむら」だったのだ。再開発地区で隣も裏も更地状態。普段隠れていたサイド
やバックが露出。「北サンボア」はどこぞの飯場のようにも見える始末。「C.
Cなかむら」と並んで昭和な感じが匂い立つ。いいエリアである。
 なにはともあれ、大阪で普段使いのできるバーが見つかったかもしれない。
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2006.07.03 ちゃんと前もって予約しなさい
 なんだか、いつもと違う旨さである。
「The倶楽部キュイジーヌ」で舌鼓をうつ3人。旨いじゃないの?なんて口走
ろうものならどんな反撃されるかわかったものじゃないので黙っとこ。いっつも
訪店の10分前に電話して飛び込む客に手間のかかった料理などようでけんのはよ
く分かっているからである。
 アボガドに載った牛刺しと夏野菜のバスケット。チーズスフレがかぶったオニ
オンスープ、かつおのたたき、臭みのまったくない鳥レバーのパイ皮のせ、ヘレ
カツサンドとオムライスは、同行2人の必食メニューである。デセールのチェリ
ーのゼリーのせケーキがまた旨い。カラメルのアイスと一緒にグラッパをあおっ
て締めるのである。
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2006.07.02 桃
 今年、初の桃喰い。
 桃は和歌山の白鳳桃。
 やっと安くなってきた。中玉3個で480円。
 甘くてジューシー。やっぱ、果実の女王は桃だな。キングは何だ?

 慌しい1日だった。
 早朝、京都から帰阪。自宅に戻り、シャワーを浴び、電動歯ブラシ。
 ブラックスーツを掻い込み、出勤。9時にギリギリセーフ。
 バタバタと用務を片付け、4時には司法書士試験会場の関大千里山校舎へ。
 現地確認と督励をして新大阪へ飛ぶ。
 新幹線で再び京都に出、山陰本線に乗り換え、保津峡を越え亀岡へ。
 そして20時に帰阪、帰宅した。
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2006.07.01 鮎は西瓜の香り
 曲げ輪っぱの天と底にガラスをはめ込み水を満たす。
 立てれば立派な水槽である。
 エアーも仕込まれたその水槽に鮎と岩魚が泳いでいる。
 これをいただいてしまうのである。
 少し舌を噛みながら舌足らずに発声していただきたい。
「いただきますというのは、あなたの命をいただかせていただきますということです」
 永六輔氏である。

 場所は祇園円山。
 S氏と鱧や加茂茄子、新生姜の炊き込み御飯、京の季節を満喫した。
 鮎は西瓜の香りがするのである。
 蓼酢(たでず)でいただく。岩魚は付焼きにしてもらう。
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2006.07.01 京都、夏の風物詩、一斉にスタート
 嵐山の鵜飼が渡月橋上流の大堰川で始まる。
 祇園祭の長刀鉾のお稚児さんが祭りの無事を八坂さんに祈願する「お千度」を行う。
 これより17日の山鉾巡行まで京都は街中コンチキチンである。
 夏が始まるのだ。
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2006.06.29 暑い。蒸す。
 汗だくである。温度もさることながら、このモイスチュア、なんとかならんのか。
 東京にいる。
 空調の効いた部屋を出たくない。
 廊下にすら出たくないのだ。
 あっぢい、あっぢい。
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2006.06.26 悪い癖だ。大阪、京都周遊
 Fとパーネビーノでウニクリ、カプリ、生ハムいちじく、ひらめムニエル。
 酒肴人でカクテルでもと思ったら、月曜定休。
 やり場のない不完全燃焼状態に煩悶。
 一酸化炭素中毒になりそうだ。
 9時もまわっているのに、京都に向かう。
 ヴェスパでカクテルだ。無謀だ。1時間しかいられん。
 でも、旨いからなあ。
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2006.06.24 初氷
 今年初のかき氷は、天理の喫茶店で。
 炎天下、歩きつづけて脱水ぎみの体に氷が染みる。
 やっぱ、夏はかき氷でしょう。
 それも「氷いちご」。

 ・・・初氷だと思っていたら、4月14日に金沢で食べていた。嗚呼何たることか。
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2006.06.23 喬司の魚
 東京から帰阪。
 M君と喬司にむかう。
 豆腐のつきだし、お造りは鯖・鯛・大トロ。
 鯖の刺身はなかなかお目にかかれない。
 足が速い、立ち腐れの魚のお造りだ。
 太刀魚の焼きに蛸の煮、ネギヌタ。
 鱧の梅煮は鱧の吸い物に梅が入っているのである。
 桜エビと小柱のかきあげ
 小鮎天となかなかに充実の肴である。
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2006.06.21 夏至である。
 夏至である。昼の時間が最も長い1日。東京では昼が14時間35分、夜が9時間25分。
 昼が長い。
 その分、夜が短い(しつこいか)。
 先週末、東京から戻る新幹線の車窓に紺色の西空が映っていた。
 夜の帳が下りきるほんの数瞬前の情景である。それが20時頃だったので、なぜか
ウキウキしたのである。
 なんでか知らんが胸の中でそっとつぶやいた。
(セーフ。)

 で、明日からはどんどん日が短くなる。もうあっと言う間に冬が来るのだ。
 そうに決まっている。
 もうすぐクリスマスだ。そして正月。
 ああ、おせちの準備をしなければ。
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2006.06.20 びんびや、そしてヴェスパへ。
 珍しい。
 京都在住のYから飲みの誘いである。
 待ってました。
「何がいい?」
「魚が」
 OK。「びんびや」の出番である。
 きんきの煮付けで即死。鱧天とアスパラで三途の川を渡る。
 すずきの刺身が良かったなあ。イワシの梅煮が酒を進める。
 Yとサシで飲むのは2年ぶり。
 あまりに久しぶりで嬉しかったので、京都ヴェスパにまで連れて行ってしまった。
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2006.06.16 グラスを傾けたい夜もある。
 まどろみからふと目覚めると、車窓は漆黒の闇に溶け込む一歩手前であった。
 西空が僅かに青みを帯びて雲間に耀いている。
 どこを走っているのか?
 見慣れたはずの車窓がよそよそしく筆者を突き放す。
 時計を見る。
 20時少し前だ。
 乗車時間から判断して新大阪の手前だ。
 茨木のJR操車場が見えた。あたり。モノレールを潜る。数秒で神埼川を越え、
車内アナウンスが流れるはずだ。
 伊丹空港にランディングするジェットの満艦飾を思わせるライトが頭上低く、
新大阪の街へと沈んでゆく。
 東京から背負って帰った鈍い疲労感が夜になりきらぬ車窓がもたらした夕方感
覚のおかげで軽くなった。
 会社で仕事を片付けてどこかに行こう。
 酒を飲み、旨いものでもつまもう。
 22時、居残りのYを伴い「The倶楽部キュイジーヌ」へ。
 帰り支度をしていたマスターを押しとどめてしまったようだ。御免なさい。
 鮎のリゾット、冷製コンソメ、さばふぐのフライ、ヘレカツサンド・・・
 カリフォルニアのカレラを飲んでいたら疲れが溶けていった。
 デセールとグラッパで記憶を飛ばしてとりあえず今日は終わりだ。
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2006.06.15「さがみ」7周年
 大久保の魚料理屋「さがみ」が7周年を迎えた。
 7年前の6月15日に開店して満7歳である。
「たかべがあるよぉ」親爺さんに勧められる。
「誰よ?たかべって?」
 小骨が鋭い小さめの魚である。これを2尾づけで、煮と焼きで。
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2006.06.14 Y氏来阪。パーネヴィーノに。
 旅の吟遊詩人Y氏。出張で来阪。
 氏の健啖家ぶりは変わっていない。
「明月館」「びんびや」「The倶楽部キュイジーヌ」など、筆者も
存知よりの店をこの3日間で通い倒したそうである。流石である。
 今日は久しぶりの邂逅。
「パーネヴィーノ」で生ハム・ウニのトマトクリームパスタ・カプリ
チョーザ・養老豚のバラとホホ肉のグリルを食べ尽くす。ワインは2
本、グラッパで記憶を飛ばして、夜は更けてゆくのであった。
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2006.06.11 一周忌
 親族づきあいがなかったはずの典型的都市型核家族の筆者の家だが、
父の逝去により、それなりの関係性が生まれ始めている。
 独り者の筆者にとって、このような関係性の中での立ち位置は夢物
語の登場人物のように淡く儚い。現実感の乏しい虚構の世界で筆者と
いう役割を演じているかのような錯覚に陥ることがある。
 とりあえず、母親から分かる限りの親族の話を聞きとり、簡便な家
系図(というか関係図)をまとめ、登場人物の把握に努めることにし
た。語り継ぐ人がいなくなれば、関係性はそれだけでリセットされて
しまう。あとは混沌の世界だ。とにかくまとめておこう。
 事務屋だよなあ、俺って。
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2006.06.10 横浜。そして鎌倉へ。ついでに小田原へ。
 高田馬場オフィスでの仕事は午前中に片付いた。
 久しぶりに横浜訪店。
 昨年2月に立ち上げた横浜のマネージャーもすでに2代目だ。
 午後2時。からだが空いたので北鎌倉に向かい、アジサイで知られ
る明月院を訪れる。
 このまま帰るのも何かしら惜しいので足を伸ばして小田原へ。
 小田原城そばにある「田毎(たごと)」の蕎麦を堪能する。
「もり」と大根と擦りゴマをたっぷりとまぶした店名と同じ「田毎」
の2枚を注文。
 この蕎麦家はその日うった蕎麦が切れたところで店じまいとなる。
 筆者のあとに入った2人客が店員に断られていた。
「蕎麦は、あと1人前しかありません」
 2人客の視線の先に筆者のテーブルがある。
 その上に並べられた2枚の蕎麦。
 2人客の視線はかなりスルドい。

 筆者は今のところ、ここの蕎麦が一番好きなのである。





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2006.06.03 大久保の魚料理「さがみ」もうすぐ満7年
 東京の大久保オフィスの目の前に「魚料理」の店ができたのが7年前。
 筆者は30代後半だった。
 なにごとにつけオクテの筆者の魚喰いはこの店のおかげで始まった。
 民家を改造した5席だけのこじんまりとした店。
 親爺さんがたったひとりでやっている。
 天然ものにこだわり、毎朝築地に通う親爺さんの店のメニューは定食だけである。
「刺身定食」「焼き魚定食」「煮魚定食」夏は「とうばん焼定食」冬は「寄せ鍋定食」。値段は一律1500円。7年間この価格は変わっていない。メイン以外の副食物も多く、
飯は食い放題なので腹にたまる。
 大阪に転勤するとき一番困ったのはこの店から離れることだった。
 東京出張の昼に立ち寄り、金目鯛醤油漬けの焼き魚を食べる。ご飯がすすんで困る。
 親爺さんと話し込む。
「もう7年だよお」
「おめでとうございます」
「おお、はええよなあ」
 筆者は開店時から通っている。時間の経過を共有しているのだ。
「7歳年くっちまったってことだよお」
(ぐさっ)
 そうか、7歳老けたのだ、この俺も。
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2006.05.29 「パーネビーノ」でウニクリ。懐かしの「秀月」
「パーネビーノ」の夜。
 ウニのトマトクリームパスタをメニューボードに見つけた!
 食べねば!
 ナポリ風ピッツァは「カプリチョーザ」が絶品。

 帰路、新大阪で下車。
 来阪時、オフィスのあった東口へ誘われるように足が向かう。
 お好みの「秀月」。
 店の少ない新大阪東口で唯一、よく通った店である。
「厚揚げ焼き」と「ピリ辛ソーセージ」、店オリジナルの「たかしモダン」を頼む。
 何やら妙に懐かしい。
「異人達との夏」みたいだ。
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2006.05.28 沼島「木村屋」再び
 1年ぶりである。
 今年も泉佐野のマリーナから1時間半。
 淡路島南端の沼島(ぬしま)の料理旅館「木村屋」に行った。
 ハモを食べるためである。
 ハモ鍋を食べ尽くすためである。
 ちょい甘めのダシにアラを入れ、淡路のたまねぎを投入。
 分厚いハモの身をさっと皮目の方からゆがく。
 ぱぁっと白い花が咲く。
 ぱくっと食べる。
 圧巻の旨さである。
 湯霜、焼き霜、刺身、寿司、吸い物、などありとあらゆる食べ方で
 肝、浮き袋、真子などあらゆる部位を食べまくる。
 しかし、結局鍋がイチバンである。
 締めは真子と卵を入れたぶっかっけご飯。
 これが、また旨い。

筆者とM君。ビジュアル的には初登場

ハモづくしである

ハモのアップとぶっかけご飯
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2006.05.27 髪を切る
 いらちな性格が反映してか筆者は床屋で過ごす時間がもったいなくて
しかたがない。
 かと言って最近はやりのスピードカットの店に行くわけでなし、行き
つけの散髪屋があるのである。
 一昔前の記憶だが、床屋と歯医者のユーザー定着率(リピート率)は
かなり高いそうな。筆者の会社の千葉在住T(38歳既婚、2人の子持
ち)などいまだに中学時代の散髪屋に電車で通っているという。何かワ
ケありとしか思えん行動である。
 出納帖を確認してみたらここ1年間で5回しか床屋に行っていないこ
とが判明した。
 どうでしょう、この回数。多いの?少ないの?
 床屋の鏡に映る自分の姿がまた嫌である。
 どこから眺めても親爺、トホホな姿に直面しなければならない。髪型
は、ここ20年来変わっていない。考えてみればすごいことだ。七三か
六四、八二、その日のモイスチュアによってアバウトに分け目が変わる。
変化と言えばその程度、そんなこと気が付く他人もいない。高校時代の
生活指導が厳しかった反動で髪を刈り上げることは決してない。
 大学時代、パーマをかけてみたことがある。
「スナックの雇われマスターみたい」との評価を得た。
 爾来、パーマをかけたことは一度もない。
 皆さんのヘアスタイル変遷はいかが?
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2006.05.26 季節の味わい
 親爺殺しの店「びんびや」。
 今日も殺された。
 お造りはけんさきいかとたこ、鯛とひらめが旨い。
 鮎の塩焼き、わたを大根おろしに乗せているのが旨い。
 はもしゃぶが旨い。
 穴子のネギまき揚げも旨い。
 フルーツトマトは甘くて旨い。
 太刀魚を食べ、ひらめ茶漬けで締める。前回は鯛茶漬けだった。ゴマ
だれとだしの味わいがいいのだ。即死である。
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2006.05.21 鞍馬、遠足
 自分だけの時間を有効に使おう。煮詰まりはじめたら遠足である。
 鞍馬に行った。
 貴船で川床。
 下加茂神社をぶらつく。
 映画館で時間調整。「海猿2」をやっていた。
 カフェ縄手通りでチキンカツサンドを食べ、ヴェスパでカクテル。
「3杯で」っちゅうのに、9杯飲んで帰る。
 完全なリフレッシュを得た。
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2006.05.15 大阪、渋谷速攻往復
 GW以来の渋谷の案件の最終段階で渋谷へ日帰り。現地での用件は1
時間もかからないのだが、筆者がいないわけにはいかない。何が起こる
かわからんからな。
 昼前に大阪を出て夕方帰阪。
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2006.05.12 やっぱ、ウチがイチバン
 やっぱ、おウチがイチバンである。
 9日ぶりの大阪。恥ずかしながら帰って参りました。
 なにはともあれ新大阪、在来線ホーム上、杵屋の立ち食いうどんを食べる。
 旨えぇ~。
 さらに天々の餃子を買って帰る。
 家で焼いて食べるのだ。
 旨えぇ~。
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2006.05.11 おウチに帰りたいよぉ~
 大阪を離れて早8日目。
 おウチに帰りたいよぉ~。
 子供かっての。
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2006.05.10 寒いじゃないか
 朝、肌寒い。
 移動した5月4日が汗ばむ陽気だったので、半袖を詰め込んで動いたのである。
 寒い。
 東京オフィスで夏場仕様の格好をしているのは筆者だけ。
 浮くなあ、なんか。
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2006.05.08 忙中閑あり
 ぽっかりとスケジュールに穴があいた。
 工事の進捗がはかどり、予備日が浮いたのだ。
 体が空いた。
 朝イチで幾ばくかの業務をこなし、昼前には上野駅にむかう。
 夕方にはスタッフの慰労を渋谷で催す予定なので猶予は7時間。
 手持ちの7時間で気分転換だ。どっか行こう。
 日ごろ東西の往復が多いので西行きは嫌。
 北行きを企図する。ふ・ふ・ふ。
 水戸へ行った。
 水郡線に乗った。
 常陸大宮へ行った。
 郡山へ行く予定だった。
 13時35分初の郡山行きは16時29分に郡山に着く。渋谷に18時は間に合わないもんね。
 やむなく引き返す。水郡線、恐るべし。
 渋谷「トゥリオ」にて網焼きステーキのコースを満喫。
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2006.05.05 こどもの日だから
 半袖解禁。
 実家にて。菖蒲湯に入る。初めてかもしれん。
 葉っぱが浮いているのである。
 それも、かなりの量。
 湯船に顔を沈めて、目から上だけ出す。
 河童である。
 皆様、GW、いかがお過ごしでしょうか。
 筆者は、仕事。けっこうはかどっている。
 はかどるのはGWの旗日感覚のおかげ?せわしなさが背中を押さないからだろうか。
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2006.05.04 出張
 東京へ移動。新幹線は隣が埋まらない程度に空いている。
 渋谷の物件がらみの仕事で12日まで東京にへばりつきである。
 現地調査とその他諸々のバックログを潰す。
 夕刻、ひさしぶりの新宿。新宿通りの歩行者天国を歩く。
 そう言えば大阪には歩行者天国ってあったっけ?梅田では見たことないような。
「鳥源」で焼き鳥と水炊き、金ぷら、から揚げなど。
 夜の新宿駅が空いている。GWならではか。人が皆、東京を離れた。
 
新宿ホコテン。原宿のホコテンが無くなり、東京のホコテンは3箇所。残りは銀座と秋葉原

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2006.05.03 GWに京阪神を飛び回る
 GW(ゴールデンウィーク)である。
 もう、どこを切ってもGW。こっからここまではGWだけどこっから先は別、
なんてことはまったくなし。もう日本全国隅から隅までGWだらけ。GWにあ
らざれば人に非ず(アラズ)ってなもんである。
 筆者は毎年、この時期恒例の会社行事(祭事?)でネクタイ締めて、大阪、
京都、神戸を巡回である。
 大阪の天六を基点に京都四条烏丸と衣笠の立命館、神戸三宮駅前を回らねば
ならない。基点が東西の真中なので効率が悪い。西を先にするか東を先にする
か。ま、東からなんですがね。
 10時に梅田を出、「天六」へ。「天六」から地下鉄乗り入れの阪急で「柴
島(くにじま)」から地上に出、淀川を渡河、「淡路」で京都線に接続だ。急
行に乗り換え「茨木市」でさらに特急に乗り換え「烏丸」で四条烏丸の会場を
督励。タクシーで立命館へ向かう。タクシーで「京都」駅へ戻り「京都」から
新幹線で「新神戸」に向かう。「新神戸」からタクシーを飛ばし、「三宮」の
会場に1時45分に到着。目的を達した後、在来線新快速で「大阪」に帰る。
帰社は3時。
 書いているだけでも疲れるわ。
 関東の感覚では、横浜を基点に東京へ行って、小田原に取って返し、横浜に帰
ってくるようなもんだ。
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2006.05.02 寒さ戻る
 寒いって言うほどではないが、強めの涼しさだ。
 昨日、暑気が来た、と思ったんだが、すかしてくれるわ。
 東京からS君、来阪。
 京都で待ち合わせ、浜松屋の鰻を食べ、VESPAでカクテル。
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2006.05.01 暑い!
 エアコンを冷房にした、無意識に。
 だって暑かったんだもん(誰に弁解しているのだ私は)。
 朝から汗ばむ陽気だとは、思っていた。
 やはり暑かったのだ。
 東京の練馬で31.6度。きたな暑気が、ついに。
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2006.04.30 引き篭もりクン
 久しぶりに土、日と引き篭ってみた。
 もしかしたら、数年ぶりかもしれない。
 疲れちゃってね、少し。
 たまには家でじぃーっとしているのもいいかもしれないと思って、やってみた。
 食って寝て食って寝て食って寝て食って寝たのである。
 生産性とか向上心とか、そういうもの一切に背をむけてみたのである。
 ・・・床ずれができた。
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2006.04.28 THE倶楽部キュイジーヌ
 松葉蟹のサラダ。
 鳥のテリーヌ。
 冷製コンソメと里芋のヴィシソワーズのようなカクテル料理。
 きんきのグリル。
 牛テールシチュー。
 ヘレカツサンドに少量のオムライス。
 ワインを白と赤で。 
 いいね。
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2006.04.25 渋谷日帰り。でも翌日また東京へ
 東京での突発アポで渋谷に向かう。 
 先週末の帰阪時に乗っているので新幹線は見るのも嫌。
 エアで往復。
 明日、朝には大阪に戻らないと所用があるのだ。
 で、それを済ますとまた東京に行く予定。
 もうエアも見るのも嫌。
 何で行けばいいのだ?船?徒歩?チャリ?。
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2006.04.24 びんびや
 復活したびんびやで魚。
 鯛のあらをついばむ。至福のひととき。
 やっぱ、オジサンには魚である。
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2006.04.21 食い倒れ
 東京からN君、出張で来阪。
 食い倒れさせねば。
「串八景」で創作串を浴びせたおす。
「ロア」で東京風サシだらけのステーキとは一線を画す赤身中心のステーキ
を投げつける。
「パーネビーニ」でナポリ風ピッツァとキャベツと自家製ソーセージのパス
タを押し付ける。パスタはルパン3世カリオストロの城でルパンと次元が捕
り合ったパスタのような太さなのだ。
「喬司」で魚。
 もう入らん。
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2006.04.18 びんびや再開
「びんびや」が帰ってきた。
 場所は新地。
 元が兎我野町だからひとめ上がりってことか。
 若干、オフィスから遠くなったが、徒歩圏内である。
 花輪とかけつける常連で埋め尽くされた開店初日。
 愛されていたんだなあ、皆に。めでたい1日は独り占めにはできない。
 お造りと焼きと煮を食べて店を出る。
 カウンター席は以前並か。テーブル席も以前の小上がりと同様の数。
 新たな小上がり分が以前より増床というところ。
 味が変わらぬのは言うまでもない。
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2006.04.14 F、慰労とお祝い
 寿司を喰ひたいとFが云ふ、
 ほんとの寿司が喰ひたいと云ふ、
 喰ひかたがわからないので教えて欲しひと云ふ、
 私は驚いてFを見る。
 
 と、言う事でFの合格祝いと1年間の慰労を兼ねて金沢に寿司を食に行く。
「乙女寿司」と「千取寿司本店」を紹介したが満喫したようだ。
 そして速攻金沢観光講座も実施。
 折りよく北陸の地は桜が満開。桜に包まれた「金沢城址」にて「菱櫓」と「五十間
長屋」を覗き、花咲き誇る「兼六園」を巡る。
 北陸の遅い春は梅と桜が同時に咲くのである。
 兼六園を出、レトロな建造物「石川近代文学館」の前を通り、「グリルオーツカ」
で「ハントン風ライス」の昼食。
 食後、「鞍月用水」の端を歩く。金沢は用水の街なのだ。途中、左折すれば長町の
武家屋敷跡である。生活の匂いを漂わせる日常の街でもある。
 メインストリートの百万石通りに戻り、ステンドグラスも彩な「尾上神社」を詣で
る。そのまま裏通りから「近江町市場」に入場し金沢の台所を体感する。市場を抜け、
博労町、尾張町ぞいに歩く。前田家は尾張の出身だ。町名は藩祖の地を模したのであ
ろう。
「泉鏡花記念館」の裏手に「くらがり坂」がある。狭隘な、昼なお薄暗い通りは、ど
ことなく神田界隈を彷彿とさせる。坂を降りると「主計町」の茶屋街である。浅野川
のほとりにある旅館が木造の3階建てで風情豊かだ。
「中の橋」で浅野川を渡り、「東茶屋街」に入る。洋食の「自由軒」の前を通りすぎ、
再び浅野川端を遡行する。
 百万石通りは金沢城址をまきこむようにぐるりと走っている。この通りに再び出会
い、兼六園下(金沢城石川門下)に出る。
 かなり歩いたので「漆の実」という輪島漆器の販売店に併設された喫茶店で「氷抹
茶クリーム小豆(白玉入)」を食べて喉を潤す。この氷抹茶クリーム小豆(白玉入)
は実に旨い。かき氷に抹茶がふりかけられているのである。甘味と渋味の塩梅が程よ
い爽やかさを生み出す。
 香林坊に戻り109を西に左折、片町スクランブルを越えれば「犀川大橋」のレト
ロな姿が見えてくる。大正13年制作の鉄橋である。橋を渡り、袂の定食屋「寺起屋」
の前でUターン。犀川端を歩き宿に戻る。あのまま直進して右折すれば「西茶屋街」
左折すれば「忍者寺」がある。しかしもう充分歩いていた。夕刻の待ち合わせ時刻を
確認し、筆者は昼寝を決め込む。
 在沢中は「乙女寿司」、「赤玉本店」のおでん、「グリルオーツカ」のハントン風
ライス、「千取寿司本店」と3食をこなした。
 最後は出立の朝、金沢駅構内の「黒百合」で締めるのだ。
 10時から開店するこの店の広めのカウンターはすぐに満席となってしまう。
 おでんの人気店である。その日もすぐにカウンターは埋まってしまった。しかもカ
ウンターに座る客は皆、ひとりの例外もなく酒を飲んでいる。我々もビールと熱燗を
朝っぱらからたしなむ。いいんだ、実にこれが。
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2006.04.09 朝の嵐山
 関西はこの土日が桜の見頃だ。満開の桜があちこちで人を迎えている。
 昨日、大川と円山公園で昼と夜の桜を消費した筆者は、嵐山に赴く。
 昼など観光客でごったがえすのは必定。
 朝、5時51分の地下鉄で新大阪にむかう。嵐山には7時についた。目論
見とおり人影もまばらだ。亀山公園をめぐる。人の姿が途切れていた。鳥の
さえずり、遠くから降ってくる街の喧騒。静かなひとときを過ごす。
 10時には帰阪。
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2006.04.09 今年は寒い?
 クリーニング3割引きセール中。クーポン2枚を使用できる。期限は18日まで。
 サンタクロースのように冬物衣料を背負い込み、店にむかう。
 気が付けば後ろに長蛇の列。舌打ちすら聞こえそうだ。でも、無視、無視。
 1回では運びきれない。
 訪店は2回。2回目に1回目を引き取ろうかと思ったが、出すときも手間がかか
るが、引き取るときも同じように手間どる。ダブルの作業を強いるのは控えた。
 出しと引きで都合4回訪店。
 案の定、引き取りでもかなり手間取った。 
 気が付けば後ろに長蛇の列。舌打ちすら聞こえそうだ。でも、無視、無視。
 で、夏物衣料を着ているわけだが、今年は少し寒いな。
 ここ数年で一番寒いかも。
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2006.04.08 黄砂舞う。桜ノ宮(大川端)周遊。そして円山公園の夜桜。
 摂津本山に向かう。
 サイバーライブラリーと呼ばれる最新設備の校舎の窓から神戸の海岸沿い
の景色が広がっている。が、霞んでいるのである。六甲の山並も霞んでいる。
(何じゃ?)
 梅田のビル街も霞んでいた。霧雨に煙っているような霞みかただ。しかし、
雨は降っていない。視界は時を追うごとに悪くなっている。
「黄砂だな」同行のYに宣言する。気象予報士か?俺。この日の黄砂は半端
ではなかった。終日降り続け、夜の京都駅では駅構内が煙っていたのである。
車のボンエットにはうっすらと黄砂が積もるほど。
 梅田でYとわかれ、環状線で「桜ノ宮」まで2駅。大川端の桜並木を歩く。
満開である。天満橋、天神橋をくぐり、梅田まで散策。
 夜、京都円山公園に赴く。ここも満開の夜桜。
「浜松屋」でうな重を食べ、「Vespa」でカクテルを数杯。夜半帰阪。
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2006.04.06 坂東の野に桜
 相模平野を走る新幹線の車窓に映る桜。
 その姿が目に鮮やかである。儚さと美しさが同居している。
 関西の桜はひたすらに華やかだ。おそらく群生率が高いのだろう。
 坂東の野に咲き誇る桜はしかし、華麗と言うよりは鮮やかと言ったほうが
いい。1本だけ、野にある桜の数が多い。きらめく春の色彩の中、点をうっ
たような淡雪のような白が人の視線を集める。
 これは、これで美しい。
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2006.04.05 もう、いい
 もう、いい。もう、ここまでである。
 もう、いい。
 もう、いい。(池乃めだかの定番ギャグである。関東の人にはわからんか)
 生活習慣病とは良く言ったものである。
 酒びたりの毎日が続いたおかげで、仕事の必要がなくなったのに、体が酒を求めてしまう。
 もう、やめよう。
 しばらく、酒とは縁を切るぞ。

2006.04.04 喬司で魚を食べて酒肴人で・・・びんびやのマスタと
 子持ちのもろこの照り焼きを二杯酢で食べる。
 白子と筍の含め煮、ぐじ(甘鯛)の焼き、さくらえびと筍のはさみ揚げで春を味わう。
 うにと筍のはさみ揚げが絶品だったなあ。
 魚と日本酒を満喫し、酒肴人のカクテルで締めようと店に向かう。
 ドアをあけてカウンターに腰掛けようとしたら・・・
 カウンターの奥に「びんびや」のマスターがいるではないか。
「おお!お久しぶりです!」久闊を叙す。
「お店はどうですか」
 18日(火)5時から開店だそうである。
「おめでとうございます!」
 曽根新の1-7-26で開店だ。TELは06-6345-3155。
 新地本通りの1本北寄り、永楽町通りに御堂筋から入ってすぐの左手である。

2006.04.03 お!串カツソースだ
「串カツソース」見っけ!
 ありそうでなかった物件だ。
 さっそく、阪神デパ地下で各種串カツ10本購入。
 自宅で串カツをじゃぶじゃぶ食べた。
 もちろん、二度漬け、三度漬け、し放題だぜ。

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2006.04.02 自宅にて。千代の亀
 あっと言う間に3月が終わっていた。
 終日、家で過ごす1ヶ月ぶりの日曜日だ。
 戴きモノの松山の地酒、千代の亀、槽口無濾過生原酒・純米吟醸の口をあける。
 適度な酸味は、すぐに失せて口中に瑞々しさが広がる。そして軽い含み香。
 能登のくちこと甘えびの塩辛、蔦の屋目鯛の西京漬を肴に1合半。
 いい夜である。
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2006.04.01 徳島の海鮮丼、京都Vespa2周年
 徳島駅前に「弾」という店がある。
 ランチにここで供される「潮騒丼」はおすすめだ。
 赤・白の旬の魚を10巻以上、みょうがなどの薬味といっしょにやや酸味のき
いたゴマダレでわしわしとかっこむ。
 旨い。
 ついでに阿波牛のステーキも100グラムほど合わせると陸海制覇である。
 
 バスで鳴門大橋と明石海峡大橋で渡海し、帰阪。少々の残務を片付け、京都へ。
「浜松屋」の鰻重を食べる。
 食後は、ヴェスパ京都店の2周年である。
 博多から店長のK氏も応援にかけつけていた。
 シャンパンはサービス。
 愉しく飲んで夜半、大阪に帰る。
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2006.03.31 栄寿司の鳴門わかめ、そしてBar鴻
 新潟、山形に暴風雪波浪注意報が出ている。天気予報では日本海側から北海道
にいたるまで雪マーク。

 東京から徳島に飛ぶ。
「栄寿司」で満喫。
 ぼーぜの一夜干しはしっとりとして何とも言えぬ。ぼーぜとは、えぼ鯛の地域
呼称。
 鳴門で揉まれた鯛は、脂がのって旨い。
 鳴門わかめのしゃぶしゃぶを二杯酢であろうか、爽やかな酸味の酢につけて満
喫する。茶褐色のわかめが湯をくぐらせると見る見る打ちに鮮やかな緑にかわっ
てゆく。茎の部分はネットリとトロミが表面に浮かび、何とも言えぬ歯ごたえと
なる。
 太刀魚のたたきはこの店の定番である。
 握りを食べて、バーに赴く。
「Bar鴻」で季節のフルーツのカクテルを3杯。
「せとか(柑橘類)」と「いちご」(あまおうともも苺のブレンド)「きんかん」
のカクテルをゴクゴクと飲み干す。
 このバーは擂り潰したフルーツをボストンクーラーを使ってシェークする。
 濃厚なカクテルとなる。 
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2006.03.30 雪?
 寒の戻り。
 北風強く、寒気著し。
 東京に向かう。
 新幹線の車窓に映る木曽川界隈もうっすらと雪景色である。
 季節が一気に1ヶ月は戻ったかのようだ。

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060329 新世界の夜
 2004年09月以来、1年半ぶりの「八重勝」である。
 なんでも揚げる。
 なんでも漬ける(ソースに)。
『これぞ大阪の串カツ屋』の代表格である。ソースはもちろん1種類のみ。当然
2度漬け禁止。タネは牛串(これを串カツと呼ぶ)に始まり、エビ、タコ、イカ、
貝柱、たまねぎ、れんこん、ししとう、しいたけ、じゃがいも、かぼちゃ、ゆで
卵、チーズ、ウィンナー、ロースハム、牛ヘレ、豚肉だんご、シューマイ、トリ
カラ・・・、とにかく何でも揚げてしまうのだ。
 もう何年、この店で愉しんできたのだろう。
 20(はたち)の歳には、大阪に寄るたびに食べていた気がする。
 結局、大阪で一番好きな店はここなのだ。久しぶりに来て再認識。
 安くて旨い。
 それだけでは駄目だ。楽しくなくてはならない。そのためには同行者が必要だ。
それも始めての人がいい。名古屋から転勤してきたYをつれてきた。注文を出す。
同行者の反応をうかがいながら、なぜか笑みがうずうずとこぼれてしまう。相好
を崩しながら次々に串をつまむ。遊園地にいるような楽しさだ。
 満喫して会計、2人で7600円だった。
 生ビール(中)4杯とレモンサワー1杯で2400円だから、食べたのは2人で
5200円というところだ。1人2600円。
 いいんじゃないでしょうか。
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2006.03.28 摂津元山「ルイ・ブラン」
「ルイブラン」は良い意味でアマチュアっぽさが残っている。
 素人と言う意味ではない。
 居心地のいい個人の店という印象だ。
 今日は、「あわびのソテー肝のソース」が嬉しかった。
「白アスパラとグリーンアスパラに伊勢海老をあわせた」一品も、うふふ。アス
パラには定番なのかバターをつかったあっさりソースが舌に優しい。
「白金豚のロティ」でしめる。
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2006.03.27 歓送迎会
 博多から帰阪。
 スタッフの歓送迎会をお初天神通り商店街のダイニングで。
 最近、このての店がはやりのようだが、今日は、味よし、値段よしで、単に流
行りを追って作った軽佻浮薄な店造りという感じがしなかった。
 祇園、原了郭の黒七味をさりげなく出してくるあたり、オーナーのこだわりが
ちょっと見えて面白い。
 会がはじけたあと、「喬司」で軽く3杯。
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2006.03.26 鶴亀とすずめ蜂
「あぶってかも」を炙って噛もう。
「あぶってかも」、冗談のような名だが、正真正銘、博多の地魚の名前である。
スズメ鯛の一種でミニサイズの鯛である。がぶりと噛み付き、苦味と香味を味わ
う。
 いかの耳がこりこりして実に滋味あふれる一品だ。海苔をはさむ趣向も面白い。
 博多駅前の「鶴亀寿司」。
 昼から休憩なしで夜まで営業している。日曜も営業するのでかなり助かるので
ある。
 寿司のあとは日曜の中洲でも営業をする「Vespa」で1杯。いや、3杯。
博多へ転勤して1年半のK川を慰労。

 昼は中洲の吉塚うなぎ屋本店でうな重を食す。
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2006.03.25 博多西中洲の寿司とバーにて
 朝イチの便で福岡に飛ぶ。
 秋以降お世話になったN氏を招いて西中洲の「河庄本店」で一席。
 大変な盛況である。土曜の夜、給料日あとということか。いや、ソフトバンク
ホークスVS千葉ロッテマリーンズのオープン戦目当ての観光客も多いのか。カ
ウンターの隣の席には長崎からはるばるここの寿司を食べに来たカップルがいた
り、どこぞのフードコーディネーター風の2人連れがいたりと一見、常連入り乱
れる混戦模様である。。
 慰労をしたいN氏は魚しかうけつけない。かつて鯨が供されたとき「これは動
物なので駄目です」と駄目出しを出されたほどの徹底ぶりである。確かに鯨は魚
ではない。体質的に肉が駄目なそうで、かなり難儀な人生をおくられてきた由。
 2軒目は「Vespa」である。店長K氏の洒脱なトークと多彩なカクテルを
楽しむ。サヴォイホテルのカクテルレシピ(しかも初版にしか載っていないとい
う)「イヴズアップル」はカルヴァドスをベースにカールスハムクラブパンチ
(痛っ!舌をかんだ)にグレープフルーツジュースをあわせる。最高の味わいだ。
落ち着いた物腰に気品を滲ませるI氏の作った「ソルティドック」は、宅地開発
による伐採で入荷のとまった「オーキッド」グレープフルーツのかわりに「パン
サー」という品種を使用し、これがまたべらぼーに旨い。暫定日本一の旨さであ
った。ハワイ帰りのY氏の「スカイダイビング」も自由落下の気味が心地よし。

 一旦ホテルに戻り、再び外出。
「岩兵衛」でさくらえびを使った「さくらうどん」と「卵かけご飯」を食べる。
 もう入らん。

 昼は博多駅構内の地下街、「石蔵」で「鯛茶漬け」を食べる。
 ゴマだれにつかった鯛のお造りをダシをかけて食べるのだが
 これはいける、いけますぞ!

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2006.03.24 ルイ・ブラン
 東京から帰阪。新大阪から新快速で芦屋にむかい、各駅停車で2駅目「摂津本
山」にむかう。
「ルイ・ブラン」で慰労の会食。
 今日は、とこぶしや赤貝、いかなど海の幸を使った料理で攻めてきた。フォア
グラのスペシャリテを指定しておいてもよかったが、この店の料理はなかなかに
多彩である。
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2006.03.23 中華久しぶり
 東京に向かう。
 新宿三丁目にほど近く、医大通りぞいの中華料理「歓(ふぁん)」でひととき
をすごす。
 甕開けの紹興酒の中でもその日飲んだ上澄み部分はスマッシュヒットの旨さで
あった。酸味がほとんど感じられず、ボルドーのサンテミリオンの赤を飲んでい
るような重厚な甘さと渋さ。フカヒレのウニソースだのホタテのトーチソースだ
のを食べ、締めの定番「あんかけチャーハン」で満喫する。
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2006.03.22 忙中肝休。寒いぞ。
 アルコールを抜く、肝臓から。
 疾風怒濤の酒びたりの日々からつかの間の休肝日である。
 8試合を消化。あと4試合が残っている。
 西鉄の稲尾みたいだ。
 東京で桜が開花と言うのに、大阪は午後から急に冷え込んできた。
 大丈夫か?大阪の桜。
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2006.03.21 邂逅、旅の吟遊詩人Y氏、健啖力健在。 東京は桜開花。
 旅の吟遊詩人Y氏、来阪。
「The倶楽部キュイジーヌ」で待ち合わせ。
 驚異である。世代交代の波を感じた。何に?食欲にである。
 下降線の筆者と上昇気流のY氏の食欲曲線は交錯しすでに数光年乖離している。
 あるいは最初から乖離していた?
 松山で蔵元通いをしたY氏、帰路、徳島の栄寿司に立ち寄り、夜を大阪ですごしたので
ある。とにかくすっごい食べる。そして飲む。
 いやはやおそれいりました。脱帽です。筆者は引退します。

 東京で桜の開花である。
 見頃は1週間後くらいとのこと。
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2006.03.20 I が来た。魚を食うべし「喬司」
 畏友 I が渡欧すると言う。ご両親と一緒の7泊9日の旅だ。
 日本語の通じぬ世界に行くとは驚きである。土産話はかなり高いレベルで期待させても
らおう。
 関空発の便に乗るため、前夜、大阪入り。
 1週間の洋食を覚悟した彼に頼まれ、和食処へ。
「喬司」で夕餉。
 お造りはもちろんだが、筍が旨い。
 おまかせのほかにわかめと筍の「若竹煮」を頼み、「めばる」の煮付けも追加。「いわ
し茶漬け」で締める。
 筆者もしみじみとじじいになった。
 若竹煮など、見向きもせんかったのに、最近はこれを食べんと春をむかえた気がしない
。薄いおだしに筍とわかめの相性が抜群なのである。関東では甘めのものがあるが、しっ
かりとだしで勝負する関西の方がこの食品は旨い。
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2006.03.19 「ビストロ山形」20周年
 京都で会食。
 20周年をむかえた「ビストロ山形」で夜を過ごす。
 マスターと呼ぶよりも大将と呼んだほうがしっくりくる酒好きのシェフの料理は、なか
なかにほっこりとしたもの。
 フレンチなのに、締めに小皿のカレーが売りの変わった店である。
 お奨めは牛ロースの和風ソース。ごぼうの上に載った牛ロースの適度な分量としっかり
とした赤身の旨さ、日本人のDNAが求める和風ソースのなんともいえん味わいがたまら
んのである。
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2006.03.18 淀屋橋「エルポニエンテ」
 T氏を招いて慰労の会食。
 って、なんか最近、食ってばかりだな。
 筆者も年なので、昔みたいに無茶はできない。セルフコントロールをしっかりとし
なければ。
「エルポニエンテ」はスペイン料理。
 旨いのである。お薦めはイベリコ豚の生ハム「ハモン・イベリコ」。
 運がよければイベリコ豚料理も食べられるが、最近、競争率が高く、売り切れ御免
が多い。今日も、イベリコ仔豚の丸焼きを食べそびれた。
 筆者はここのモツ煮込みが大好きである。
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2006.03.17 神戸「ジャンティ・オジェ」
 東京から帰阪、と言うか帰神。
 1年間お世話になったK氏への慰労を神戸で。
 異人館の並ぶ、北野通り沿い、北野坂を登ってすぐ右手の「ジャンティ・オジェ」
で会食。
 和の食材をフレンチの技法で、との店である。
 けれんみのない、筋の通った料理は、旨い。
「わかさぎのフライ」を突き出しに、前菜は、「帆立、ミル貝、ツブ貝」などの春を
告げる一品。魚料理は、「鯛のグリル、ふぐの白子添え」肉料理の「仔羊のグリルフ
ォアグラ添え」で仔羊の肉の柔らかさが記憶に残る一品。チーズを食べまくり、デセ
ールも食べまくり。少し食べ過ぎたな。今日は。
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2006.03.16 山崎の山々がもわっと
 山の麓を新幹線、JR京都線、阪急京都線が走る。
 山崎の山である。
 車窓にかぶさる山々が「もわっあ」と盛り上がっている。
 かびに覆われたメロンパンのようだ(例えが悪いね、どうにも)。
 桜が芽吹こうとしている。
 まだ、つぼみでしかないかもしれないが、そのせいで山が膨れている。
 もうすぐ桜の開花だ。
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2006.03.15 高知で桜の開花。送別の宴を「Masa」で
 早っ!この2日程かなりの寒気に襲われたのに高知では桜の開花ですかい?
 観測史上2番目の速さらしい。

 毎回、同じ料理を食べ続けて、飽きることがない。
 少し間があくと、また「あの料理」が食べたくなる。
 その「料理」が特化した一品と言うのならまだしも、最初から最後まで、ほぼ、
毎回同じと言うのは珍しい。しかし、あり得るのである。
 梅田のイタリアン「Masa」の話である。
 プルスケッタ、タコとポテトのガーリックバター、りんごとゴルゴンゾーラのフ
ォカッチャ、ペペロンチーニ、パルミジャーノとキノコのリゾット。
 メインだけはたまにかわるが、ドルチェは、ジェラートコンカフェ。
 偉大なるマンネリなのだが、まったく飽きない。それほどに旨い。無論、筆者に
とっての話である。
 来阪以来、大阪と京都の移転、福岡の新規立ち上げと、そのすべてで世話になっ
た内装業者のN氏が退職すると言うので、送別の宴。
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2006.03.14 東山の花灯路と京都四条「あと村」の夜
 近時、独立したS弁護士が入洛。
 東山の花灯路(はなとうろ)を覗いて四条「あと村」で会食。
 花灯路は青蓮院から知恩院を経て高台寺の下「ねねの道」から、一年坂、二年坂、
産寧坂を登り、清水寺まで路地行灯を並べる観光用行事。
 昔ながらの催事ではなく、純粋に観光客誘致のための行事だが、風情はなかなか
にいい。朧月がかかる東山をバックに露地行灯の灯りが並ぶ。小雪も舞い、幽玄の
気色溢れる一夜である。期間は3月11日から21日まで。
 サーチライトが夜空を刷いている。
 高台寺や清水寺がライトアップ中であるとのサインらしい。
 東山から四条に降りて「あと村」に向かう。
「若竹煮」で春を感じ、「ふぐから」で冬を見送る。「白子の塩焼き」はマシュマ
ロのような風情。外皮が香ばしく、中はトロっと熱い。
「もろこ」は琵琶湖の小魚。近時、バスなどの外来種に食われてしまうのか、数が
減ってなかなか手に入らないそう。炭火の網焼きを二杯酢で食べる。
「小魚は儚い味がいい」
 S氏の感想は詩的である。
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2006.03.13 季節、逆行。東西で雪。
 降雪。
 大阪も京都も雪。ニュース映像では、東京でも降雪。
 トレンチコートからチェスターフィールドに逆戻り。
 ホント、この時期の天候は目まぐるしく変わる。
 司法試験合格者のU氏を交えて「倶楽部キュイジーヌ」で夕食。
 あいかわらず、ここの「ヘレカツサンド」は絶品也。
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2006.03.12 東大寺二月堂のお水取り・保津川下り解禁
 火の粉が舞う東大寺二月堂。保津川の下り船。
 春の行楽シーズンの開幕を告げるかのような催事の始まりである。
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2006.03.11 千取寿司本店と宇宙軒(なんでや?)の夜
 千取寿司を出て、徒歩で片町まで戻る。
 旨い寿司を食べたと言うのに、なぜか宇宙軒に寄ってしまう筆者。
 豚バラ(とんばら)定食を頼む。600円。ギャップがあるなあ。
 しかし旨いのである。
 鉄板で焼き上げた豚バラを特性ソースにつけて食べる。
 ごはんがすすむことうけあいのメシだ。
 特性ソースは味噌を混ぜているらしいが、サラリとしていて味噌は、完全に脇にまわって表に
出てこない。この次は、ここだけで1食を過ごすつもりで「ダブル」を注文してやろう。
 店内の貼り紙には、あいかわらず「豚バラ定食、目標1日500食」の文字が躍っている。
 何度も書きかえているんだろうなあ。紙が新しい、内容は変わらないけど。

 千取寿司本店は、小立野通りを金沢大学付属病院の前を通り過ぎ、酒造福光屋の前を折れ
た一角にある。静かな佇まいの寿司屋である。
 お造りとあてを注文。
 お造りは、きんぱち・なめらばちめ・がすえび・ぼたんえび・とり貝・まかじきのはらみ・きすのこ
ぶじめ。
 あては、のどぐろの焼き・ほたるいかと赤貝、さよりの酢味噌あえ・がすえびの頭の炙り・ぼたん
えびの頭の炙り・このわた
 握りは、あら・あかいか・甘えび・ばいがい・めじ・たいらぎ・たこ・ぶりの砂ずり・まんじゅ貝・
あなご(たれ)・あなご(塩)。
 つみれ汁で締める。このつみれ汁が旨いのだ。
 冬のものが終わり、春のものが入ってき始めたようだ。今日は貝が愉しい。
 まんじゅ貝は金沢の寿司屋でよく使われる。2枚貝で白い貝殻に青いストライプがきれいだ。
 なめらばちめはハタの地域呼称らしい。
 昨夜、乙女寿司で冷3合を飲み、あとでかなりまわったため、今日は2合にしておく。
 口開けの「副正宗辛口生」のすっきりぶりは料理の邪魔を絶対にしないだろう。「加賀鳶瑞穂」は
古酒3年ものの柔らかい酒だ。いずれも福光屋の酒。
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2006.03.10 乙女寿司と赤玉本店(なんでや)の夜
 夜、入沢。
 乙女寿司にむかう。
 ここはいつ来ても、最高の寛ぎを得られる。
 ビールで口をしめらせ、お造りとあてを頼む。
 お造りは、あら・さより・さるえび・あかにし貝・あじ・七尾のこはだの締め・ばい貝・鯛。
 あかにし貝はたにしのように小さいが、こりこりとした食感が妙味。
 さるえびはぼたんえびの一種。金沢はえびの種類も豊富だ。このほかにも「がすえび」が有名。
 あてに、いかと金沢せりのぬた・のどぐろの焼きは身質、焼き加減が絶品である。
 甘えびに塩してあぶったクチコをきざんでまぶした一品は、酒の友として絶品である。
 にぎりを頼む。
 ひらめのこぶじめ・きじえび・うに・いか・こはだ・ぐじ・さばの押し寿司
 味噌汁がまた旨い。
 締めに、とろ巻きを食べる。
 酒は3合、「能登誉」と「白山純米吟醸」、「菊姫大吟醸」。

 いい夜だった。
 そのままブラリとおでんの「赤玉本店」に立ち寄る。
 食べられはしないのだ。腹もいっぱい、酒もまわっている。
 それでも「加賀麩」と「がんも・厚揚げ」で生ビールを一杯。
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2006.03.07 名古屋の心月はあり
 名古屋で宴会。
 夜、名古屋に向かう。二次会の心月は2度目だが、ここはいい。
 翌朝、朝イチののぞみで帰阪。
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2006.03.06 関東で春一番
 東京に常備している着替えを回収、交換しなければなるまい。
 大阪でも今週から、コートはトレンチに切り替えだ。
 それにしても、トレンチの稼動期間は短かく儚い。
 この時期のコートを購入する気になれないのは、この稼動期間の短さにあるのだな。
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2006.03.05 ももいちご
 筆者は、地元スーパーを見限った。
 毎年この時期には「ももいちご」を販売するのに、今年はなぜか姿を見せない。
 とちおとめ、さちのか、あまおう、明日香ルビー、などなど種類だけは豊富だ。
 あたかも「ももいちご」を販売できない贖罪意識から種類だけは揃えているかのよう。
 これ以上は待てん。
 梅田で買って帰った。あ、やっぱ旨いな。

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2006.03.04 若狭周遊
 東西の変則生活にリズムを失いかけている筆者。
 週末、逼塞して生活を安定させようと朝から掃除、洗濯にいそしむこと1時間。
 したが、なんという好天であろう。
 雲ひとつない、うららかな日差しが筆者を呼んでいる。
 室内という閉ざされた空間で、蛍光灯という人工の光を浴びているということがいかに不自
然であるか。こういううららかな日差しの中、部屋にこもるということがいかに心重いものか、
筆者の心は千路に乱れるのである。人は春への憧憬とともに、陽の光を浴びたい生き物なので
ある。
 もう駄目、我慢できん。
 で、いつものように行き先を決めぬブラリ旅(日帰りだけどね)
 優柔不断な朝の状態を持ち越したかのように、今日は、本当に目的地が定まらぬ。
 新大阪から米原へ。米原から長浜を通過して敦賀まで。敦賀から小浜に来てしまった。
フィッシャーマンズ・ワーフ2階の食堂で「へしこ茶漬け」と「刺身」「鯖寿司2貫」を食
べる。海岸線を周遊し駅に戻る。
 小浜から東舞鶴を通り、綾部経由で京都に帰る。
 京都のヴェスパでカクテルを6杯、店長のI氏、バーテンダーのW氏のニューヨーク、ハワ
イの土産話を聞く。その後、富永町通りのうなぎ「浜松屋」でうな重を食べる。
 大友柳太郎似の大将の焼く鰻は絶品である。
 注文を受けてから目の前でさばく。串をうち、炭火の上にかざす鰻を見る大将の目はいささ
かの変化も見逃すまいという気迫に満ちている。そんな大将の仕事である鰻が旨いの
は当然のことであって(ここ、池波正太郎風)そんじょそこらの鰻とは一線を画するわけである。
 最初に浮いてくる脂は、身体に悪い脂とのことで水で流してしまう。さらに炭火で焼き上げ
るその鰻は江戸前の「蒸し」行程のない「地焼き」になるのだが、実にさっぱりとしていて美
味しい。後から浮いてくる脂は身体にいいのだそうな。
 カウンター8席、小上がり8席程度の小料理屋か呑み屋の佇まいだが、筆者はかなり気に入っ
ている。
 3ヶ月半ぶりに来て、かつまだ2回目の筆者は「ヴェスパに紹介されて・・・」と、言い終
わる間もなく「このあいだおいでいただきましたね」と覚えていてくれるのも嬉しいではない
か。無骨で無口な大将と同じく無口な内儀だが、実に客あしらいのツボを抑えていると
言わねばなるまい。
 新快速で帰阪。実に充実した1日であった。
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2006.03.03 桃の節句
 ももの節句である。
 ももの節句には「ももいちご」である。
 例年、この時期には地元のスーパーに出回っているのだが今年は、なぜか出てこない。
 もしかして品薄?
 認知が進み、あちこちから引き合いがきて、筆者の手元には届かないのだろうか?
 漠然とした不安を覚える筆者であった。
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2006.03.01 時速368キロのファステック
 JR東日本が、JR東海とJR西日本の隙をついてきた。
 試験車両「ファステック」走行試験で時速368キロを記録である。
 新青森駅まで開通する平成23年をめどに、世界最速360キロの営業運転を目指している。
 8月には時速398キロを達成している。
(テスト車輌では300Xが443キロというスピード記録を持っているけど)
 東海道新幹線はカーブが多いので、いくら頑張っても所要時間の短縮は難しい。
 このあいだN700でカーブ時の速度をちょっと速めて、東京、大阪間を5分縮める計画だ。
(悪いけど、何か無駄な努力って気も少しする。
 5分の違いに誰がどうくいついてくるのかわからない筆者)
 西日本はちょっと悔しいだろうな。500系の300キロ走行が色褪せてしまう。
 新型新幹線は、単編成になるのだろうか。「こまち」や「つばさ」の連結はできないだろう。
 さらに、制動にエアブレーキを使用するとのこと。
 エリマキトカゲのようなエリマキが出るんですよ、この新幹線。
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2006.03.01 大阪でバー見っけ。「酒肴人」
 幸せの青い鳥は会社のそばにあるものだ。
 なぜ今まで気がつかなかったのか。
 一歩間違うと、居酒屋同然の微妙なコンセプトのバーだ。
 オリンピック、アーチェリーでメダルをとった先生似のマスターの繰り出す技は、しかし多彩にして
独創的。
 おそらくはフォーマルをしっかり固めたうえでの崩し方という印象を得た。
 バーボンと水を1:1で割りシェーク。
 なんとまろやかな飲み物になるのだろう。
 きんかんのリキュールにきんかんをつけ、香りを増し、たんかんのジュースを混ぜる、季節感。
 日本酒に、ゆずかなああ、すだちかなあ、効きそびれてしまったが、
 しらこの醤油焼きにぴったんこのカクテル。
 ここは面白いぞ。
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2006.02.27 名古屋が自信に満ち溢れている
 早朝、仕事で名古屋に向かう。
 早く着きすぎ、喫茶店に入る。名古屋の喫茶店は、太っ腹でつとに名高い。
 食い放題(パンとかパスタとかゆで玉子とか)、
 飲み放題(コーヒーとかジュースとか)が多い。
 それでいて料金は400円、500円である。
 今日はしっかりと750円を払って、オムレツプレートで飲み放題の店に入った。
 それにしても、最近の名古屋の自信に満ち溢れた態度はどうであろう。
 万博以来、この土地にそれまでただよっていた気後れ感が影を潜めた。何か、妙に強気。
 おみやげを見ればわかるのである。
 数が増えた。しかもアレンジなし。素の名古屋もの。
「みそたま」「どてめし」「あんかけパスタ」「みそ隠し(餅である)」「即席八丁味噌出し豆女将(最中で
包んだ即席八丁赤出し油揚げ三陸わかめ入り)」・・・
 地場の常食が全国で通用するとの確信を持ったのだ。
 今までは、思っていなかったのに。
 それが万博で全国の人々に消費されつくし、気がついたのだ。
「アリ」だと。
 思い込みでありませんように。
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2006.02.27 魚のお店、見っけた。「喬司」
 幸せの青い鳥は会社のそばにあるものだ。
 10人も入ればいっぱいになったしまう、こじんまりとした店。
 マスターひとりでやっているのか。
「びんびや」休業状態の魚欠乏期に救世主の登場である。
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2006.02.24 摂津本山でお値ごろフレンチ発見!
「ルイ・ブラン」
 コストパフォーマンスがめちゃくちゃいい。
 スペシャリテの「フォアグラのソテー」は絶品である。
 根セロリのピュレにバルサミコ、黒コショーの効いた逸品。
 グリーンアスパラのスープも、マナガツオの松川焼き(フレンチの手法名を知らんのだ)に
タラバガニをあえたものも、白金豚(はっきんとん)のグリルも美味い。
 前菜のバナナの炭酸ムースに生ハムちゅうのもガツンときたね。
 しかも、ああた、ここは消費税は内税(それはあたりまえか)、サービス料も、チャージも、
一切、ビルにのってないんだから、良心的。
 カードが使えなくても、納得のお値打ち感である。
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2006.02.15 東海、西日本は初夏? 明日から神戸空港開港
 静岡で最高気温が24.6度だそうな。東京は19.9度。
 三寒四温とは言え、何とも節操のない気候だ。
 寒いよりは、暑いほうが好きなので筆者としてはいいのだが・・・

 明日から神戸空港が開港だ。
 30キロ圏内に空港がみっつ。
 多い。
 あきらかに過剰。
 三ノ宮から15分強というから、アクセスはよさそうだ。少なくとも、関空よりはいい。
 しかし、この空港、市営なんだよね。バス停みたいだな。
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2006.02.14 びんびや、復活の気配
 魚の禁断症状が現れている。
 それもこれも、10月以来、移転先が決まらぬままに移転してしまった(何を言っている?)「びんびや」
のせいである。
 あ~早く復活して欲しい。
 魚が食いてえぇよぉ~
 と、言うことで、辛抱たまらず、電話。旧店に電話をすれば、店のお姉さんの電話に転送されるのだ。
「4月頃、再会の予定です」
「やった~♪」
「場所は?」
「(北)新地です。開店前に連絡します」
「やった~♪」
 と、言うことで、もうちょっとの辛抱だ。(旅の吟遊詩人Yさん、と、言うことです)
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2006.02.13 朝が明るくなってきた
 朝、ドアを開けると、目の前に月が浮かんでいる。
 去年の11月16日の、あの日から冬至をはさんでさらに1月齢分、暦が進んでいた。
 だから、周囲は明るい。11月8日の記載とほぼ同一の日の出時間に近いのだろう。
 春にむかって、まっしぐらだな。
 冬至の前後など、筆者の出かける6時10分から20分頃は、朝というよりは夜だった。
 淀川を越える風景は、今やまさにあの早暁と同じ情景だ。季節が巡ったのである。
 緊張感に欠けると書いた時期だが、春の予感に満ち溢れた心浮き立つ時期であった。
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2006.02.12 りんごは「王林」
 りんごの季節である。
 あなたのフェイバリットアップルは何?
 やっぱり、りんごの王者「ふじ」?
 筆者は最近になって「王林」派になった。
 酸味が少なく、甘味が強く、ジューシー。しかも果肉が少し柔らかい。梨に近いかな。
 外皮も梨のように果点がある。香りもいいよ。
 
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2006.02.08 ネーミング大賞!
 運命の出会いがあった。
 その日、どこに焦点があうでもなく、流れ去る車窓に視線を向けていた筆者の目の前に、不意に
転がり込んできた店名があった。
 オレンジ色のビニールテントに白ペンキで書かれたその店名は、「ほろらん」。
 やられた。
 筆者のツボにジャストフィット。どういうツボだか、わからんが。とにかく素通りはできない。電車に
乗っていたのであっと言う間に素通りしてしまったが。
 ステレオタイプのイメージは大衆がそれを簡単に受け入れられる道具として便利である。
 三白眼でメガネの出っ歯がカメラをぶらさげれば、日本人である。図体ばかりでかくて品の悪そうな
外人が音をたてながらガムを噛み、ツバをはきすてればアメリカ人の出来上がりだ。(ツバを吐き捨
てているのは噛みタバコを噛んでいるからなんだが、まあいい)
 オレンジのビニールテントがひさしがわりにかかっていれば、それは「ラーメン屋」である。違うお店
には御免なさい。近時のラーメン事情は知らないが、筆者の年代が思い浮かべる「オレンジテントの
ラーメン屋」は「サッポロラーメン」である。だから、テントの白文字には「サッポロ」を期待し、入口の
ガラス引き戸には「アイヌ」の姿を望むのである。
 なのに、「ほろらん」
 しかも、微妙に外しているように見えて、実は外角低めにギリギリ入っている。ストライク。やられた。
「ほろらん」
 実に味わい深いネーミングである。物語が見えないか?君には。筆者には見える。よくわからんが。
「サッポロ」と「室蘭」の融合から生まれた店名と見た。あわせて何が生まれるかはわからないが、
少なくとも、筆者のハートは射止められた。「ハートに火をつけて」だ。
 いつになるかはわからないが、必ず、あの店には行ってみよう。そして確かめるのだ。メニューには、
「味噌ラーメン」と「味噌バターラーメン」と「味噌バターコーンラーメン」があり、なぜか、「ホッケ」
と「コマイ」があり、「ナウピー」と「十勝ワイン」「ウニ丼」と「イクラ丼」そして「豚丼」、冬には
「タラバ」「花咲」のカニが並び、「チャンチャン焼き」をやっているのだ。どこの話だ、いったい?
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2006.02.04 立春。誕生日。散歩の果てに旨いもの。
 立春である。
 言葉とは裏腹にむちゃくちゃ寒い。
 関東の知友、N.Sコンビから「海軍さんの珈琲」が届く。
 筆者の誕生日を忘れずに、毎年、ミリタリーグッズを贈ってくれている。ありがとう。
 実は、誕生日である。あ~あ、とうとう45だな。
 会社で軽い社用をこなす。
 風邪がなかなか抜けない。静養して抜けないならば、逆療法だ。
 身体を動かすことにした。
 昼前、会社で社用を軽くこなし、昼食後、四天王寺に向かう。
 帰路、梅田まで徒歩だ。途中幾箇所かで寄り道をするが、M君との約束の5時半には梅田に戻る。
 M君、誕生日を祝ってくれるとのことで、パーネビーノでゴチ。旨い。いいぞ。ご馳走様。
 いい1日であった。
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2006.02.03 節分、大阪の恵方寿司、皆、食いきるのか?
 あっと言う間に1月が駆け抜けていった。
 節分である。
 1月12日の記事にも書いたが、大阪では恵方(今年は南南東)にむかって黙々と願い事を思い
浮かべながら巻き寿司(恵方寿司)を食べる習慣がある。
 東京でも、コンビニが売り込みをかけていたが、所詮、企画屋の机上の空論、大きなムーブメン
トにはなりえない。そこいくと、やはり、本場の大阪は違う。伊丹から自宅への帰宅途上、ターミナル
の寿司屋では、外にテーブルを持ち出して、巻き寿司の大販売会だ。しかも客がそのまわりを囲ん
でいる。地元駅のスーパーでも惣菜売り場にはゴロゴロと巻き寿司が転がっている。
 やはり、これは文化である。
 で、筆者もつられて買ってしまった。
 南南東に向かい、ひたすら食べながら思った。
(これ1本で夕食、終わり?)
  
 ・・・寂しい。
 食い終わってみればやはり、もう何も入らん。
 皆は、どうしているの?
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2006.01.29 風邪薬は女の子なのか?
 日曜、1日ゆっくり静養して体調を戻すことにしよう。
 久しぶりの感覚である。「病気への逃げ込み」とでも言う隔離感に包まれている。
 来阪4年、1日だけ会社を病欠したことがある。あれは2年前だったか、3年前だったか。
 風邪の季節に風邪ネタをお送りできる慶び。
 風邪薬のCMはかならず「女の子」か「お母さん」だ。
 やはり治療、療養というシーンは「母性」に頼るということか。甘えたくなる心の弱さをつくには、
彼女か母親を投入するのがイチバン。ここに佐藤B作とか竹中直人を持ってくると、病勢が進んでし
まう。場合によっては命にかかわる。
 佐藤さんや竹中さんは水虫やトイレの消臭系で頑張ってもらいたい。そういうことだろう。製薬
会社もCMプランナーもそこのところはしっかりとおさえている。
 やっぱ、彼等を投入すると風邪薬の売上は変わるのだろうか。
 ちょっと、試してみたい。製薬会社の広告部で誰かチャレンジしていただけないものか。
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2006.01.28 1本ビシッとしていれば
「1本ビシッとしていれば風邪など引かない」
 筆者の常套句である。事実、ここ2年ほど風邪をひいた記憶がない。
 ワクチンをうった経営幹部が全員、風邪に倒れても、うたない筆者だけはぴんぴんしていた
ものだ(昨年の話である)
 福岡から帰って以来、どうも様子がおかしい。
 喉がひりつくので、さっそくイブプロフェンを150mg投入。10年近く前、薬事法の改正で使用
可能になった市販薬中最強の成分だ。
 夜、フレンチを食べ、栄養も十分、と思っていたその夜、発症しやがった。しまった。明日から
東京へ出張だ。一晩中エアコンをオンにし、水をたらふく飲み、布団をかけまくる。嫌になるほ
ど発汗し、新幹線グリーン席で毛布にくるまり東京までの2時間半を休息にあてる。けっこう効
くぞ。
 渋谷に寄って、大久保に寄って、高田馬場で執務。夜は和食。熱燗でからだをあっためる。
ホテルのエアコンはつけっぱなし。仕事が終わればすぐにベッドに転がり込む。
 喉の炎症がひかない。喉奥に空気を送り込むとき「ぐにょっ」と気道を塞がれるような感じにな
るまで腫れが増大している。
 金曜夜に帰阪。土曜も社用だが半分あきらめ、夜の部だけにする。
「1本ビシッとしてたんじゃないんですかぁ?」
 電話をしたF岡にここぞとばかりにつっこまれた。
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2006.01.21 餅、やっと消費完了
 朝、磯辺巻を食べる。
 餅は新潟県産「越後もち」。
 海苔は、千葉県産「青まぜ」(香りがいいのである。寿司屋の海苔に肉薄する旨さ)を焼く。
 焼きあがった餅をつける醤油は、和歌山県「湯浅醤油」の生一本黒豆(丹波黒豆100%使用、杉樽天
然醸造のすぐれものである)
 醤油に、京都府祇園の原了郭「黒七味」を振り入れる。
 焼きあがった餅を醤油につけ、海苔で巻く。
 口に入れる。
 極めて美味。
 これにて年末に購入した「越後もち」1袋800グラムの消費をやっと終了である。
 最後の1ヶにカビが薄くついていた。1袋の餅、完全消費の大記録を阻害する重大なアクシデントにみ
まわれたが、包丁でカビをこそぎ落として最悪の事態は回避できた。
 ついにやった。購入した餅を完全に消費しつくすという快挙の達成に筆者は今、万雷の拍手につつまれ
ている。(嘘。)

 あ、東京では本格的な降雪の模様。横浜・東京で5~6センチの積雪だ。よかった、昨夜のうちに帰って
きておいて。
 今日は、日がな1日ほけほけしていたなあ。今月にはいって初めてのホケホケ日だった。たまにはいいな。
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2006.01.15 間人蟹(たいざがに)・丸大根・鴨ネギ
 古武士 I が司法試験に合格したので、お祝いを京都で。
 昼は和久傳、夜は祇園丸山である。
 和久傳では、お造りは鯛、ブリのポン酢揚げ(ポン酢吉野(ポン酢に吉野葛でトロミをつけたものかな)と
七味をかけた大根おろしで食べる)鴨ネギ鍋、丸大根の蟹吉野のせ、鯛の黒寿司。
 大根の滋味深さは特筆ものである。
 祇園丸山では、あわびの石焼味噌にいきなり肝を奪われる。先付けがその後に出る。会席の趣旨を合
格祝いと告げてあるので、先付けも七福を見立てたもの。床の間には「萬歳」と墨痕あざやかに大書され
た金地の屏風。
 お造りはひらめ・鮪・甘えび。ひらめが絶品。
 ぐじとゆり根をおぼろあんかけにしてうにをのせた碗ものを豪快にくずして食べる。
 まる(スッポン)なべのスープときたら、思わず「まる雑炊にして!」と叫ぶところであった。
 最近急に目にとまるようになった(どーせマスコミのせいだろうが)間人蟹の焼き、甲羅にかに味噌をひき
そこにカニ肉をほぐしいれて食べたり、甲羅酒にして飲んだり、2人で2ハイを食べ尽くす。
 蒸しカニも食べ、うずみ豆腐を腹におさめ、赤飯の焼きにぎりで祝いをうけ、京都の夜が更けていった。
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2006.01.12 恵方寿司、東京で?
 今年の恵方は南南東である。
 ごめん、あまり気が入っていないな。
 なにせ関東出身なもので、そこのところは、ひとつ。
 節分の夜に恵方の方角にむかって目を閉じ、願い事を思い浮かべながら太巻きにかぶりつくという奇
習である。関西では歳時の基本。
 巻き寿司を食べ尽くすまで口をきいてはいけない。
 謎だらけではある。
 そもそも「恵方」って何?
「今年は南南東」ということは年によって変わるのか?極点移動と同じ?
 恵方のシステムがわからない。
 恵方は「歳徳神(としとくじん)」のいる方位だそうだ。
 誰?「歳徳神」って?
 謎は深まるばかり。
 歳徳神は、方位神の一人、その年の福徳を司どる吉神。歳神とか正月様なんて名前もあるらしい。
 恵方はその年の十干(じっかん)により4つの方位を巡行するそうだ。
「十干?」
 嗚呼、ベトナム戦争のようになってきた。
 十干は、甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸のことである。天干(てんかん)とも言う。 古代
中国で考えられ、日本に伝えられた。十二支と合わせて干支(「かんし」または「えと」)と言う。
 もう、誰も読んでないだろうな。
 で、である。関西の風習の恵方を関東に持ち込もうというプロジェクトが起動しているらしい。
 大手コンビニの関東の店で「恵方」の旗のぼりがひるがえっている。
 すげえ商魂だ。従来消費ゼロのエリアに無理やり消費に結びつく風習を持ち込めば、売上の前年比較
は100%新規計上だからな。
 でも、ちょっとあざといかな。文化まで弄ぶのは控えたほうがいいのでは?
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2006.01.08 串八景にて完食
 天満「串八景」にて慰労の宴。
 久しぶりに完食を果たす。満足。
 5月1日で10年を迎える同店。1年365日、1日も休みのない鉄人の店としてやってきたが
 これからは水曜日を休みにするとのこと。
 ただし、1日1組完全予約で串揚げ以外の料理を供する計画を実施する模様。
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2006.01.07 なまこの鉄板焼き
 淀屋橋「エルポニエンテ」にて慰労の宴。
 ハモンイベリコ(イベリコ豚の生ハム)はあいわらず美味。
 鯛とカニのグリルもいける。そして、トリッパの煮込みがあるのが何より嬉しい。
 いいぞ!スペイン料理!
 なまこの鉄板焼きは始めての料理。いける!高級料理なんですと。
 中華で食べるナマコ煮とはまったく違うイメージ。
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2006.01.06 寒波きたりなば
 寒い。
 氷河期じゃないのか?
 東京が寒いのだ。
 東京に限らず、東西日本で戦後最も寒い12月だったそうな。積雪量も戦後最高。
 年を越した1月もこの冬1番の寒さ。12月から1月の今日までに寒波の波状攻撃が5波も連
なっているそうだ。
 こうなりゃ、もう矢でも鉄砲でも持ってきやがれってなもんだな。
 しかし、東京のこの寒さは、大阪の気候に馴染んだからだにはかなりきつい。面をひっぱたく
ような寒気の風に身をさらしていると5分もたたずに風邪をひきこみそうだ。室外活動は5分以
内にしないと死ぬな。
 大阪へ帰れるのが正味の話、かなり嬉しいぞ。
 そして、夕刻、帰阪。
 やっぱ、東京より暖かいわ。
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2006.01.03 大掃除
 帰阪。そして大掃除。
 惣菜日記、酒食日記、購買日記、すべて10月以降の更新がおぼついていない。
 つまり、その頃から日常が非日常に変わったということだ。
 それらのほころびをすべて直す。
 ついでに、部屋の大掃除も実施。
 久しぶりの手料理と酒。
「つる幸」でもらった「日榮、加賀太鼓太郎」を飲む。
「日榮」は「歳盛」が一番と思っていたが、今日の筆者には「加賀太鼓太郎」が一番。
 嗚呼、高い酒より安いほうが舌にいいとは。 
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2005.12.31 東京への帰省はガラガラ
 帰省。エアで帰る。昨夜、予約しようとしたら全便ガラガラ。大阪→東京の逆帰省コースは、
往きも帰りもラクチンなのである。
 では、皆様、良い新年をお迎えください。
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2005.12.30 仕事治め。キュイジーヌ「Hasegawa」最後の夜
 仕事治めである。
 夜、キュイジーヌ「Hasegawa」で最後の晩餐。マスターは西天満の店に移るだけなので、こ
この絶品「ヘレカツサンド」が食べられなくなるわけではない。が、来阪以来の通いの店なので
そこはかとなく一抹の寂しさも。
 会社で残り番のスタッフに「ヘレカツサンド」を差し入れ、今年の業務は終了である。
 東京のスタッフは年末年始も勤務、ご苦労様である。
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2005.12.29 帰省ラッシュで空席無し。ウニのクリームソースパスタで締める
 東京で本年最後の会議をすませ、午後帰阪。大阪の仕事おさめは明日なのである。
 東京駅の新幹線切符売り場の空席表示には一面真っ赤な×が並んでいる。普通指定席、
グリーン席、すべて満席である。無論禁煙、喫煙の別はない。
 ちなみに比較的空席の多い喫煙席しか空き席がなく、やむなく喫煙車両に座った筆者が
かつて目撃した光景。
 ふいに前方で、かんだかい女性の声があがった。
「さっきから、タバコはやめてくださいって言ってるじゃないですか!」
「・・・?・?」
 こういうとき、どう対応したもんでしょう。みなさんでお考えください。

 さて、帰省客が多い車内はやはり浮き立っている。
 仕事が続く筆者は相対的に沈んでいる。
 浮くなあ、違和感をぷんぷん撒き散らしているのが分かる。せっかくのお休みモードを急速
冷却させているような、身の置き所のない筆者であった。 

 しかし、夜は、曽根崎のパーネヴィーノで今年最後の「ウニクリ(ウニのクリームソースパスタ)」。
 やっぱ、旨い。
 カプリチョーザ(ピッツァ)も生ハムも本マ(本鮪)のカルパッチョも、ここはやっぱ旨いなあ。
 今年、結婚したM君と2005年の締めくくりをした大阪の一夜であった。
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2005.12.28 今夜はお祭り?
 地上ホームから溢れた人々が階段を埋め尽くし、地下通路にまでファランクス状態である。
もちろん、我々は重装歩兵ではない。
 場所は、新宿駅、時は、12月28日水曜日の深夜12時30分。電車は山手線、池袋方面への
外回りホームである。年末の慌しさのせいか、忘年会のせいか、とにかく人人人人である。
「人という字は支えあって・・・」などと言っている場合ではない。
「人人人人人人人人人」では、津波かドミノ倒しのように見えるではないか。
 電車が入線。ドアが開き、人が降りるのを待って突進だ。身をもみこむように車内に突入す
る。「Move it!Move it!Move it!Move it!」海兵隊軍曹が突入口で叫んでいる。
筒井康隆氏ならこのあたりで場面が切り替わり、戦場にいる「オレ」が現れるところだ。
 ホームの全員が乗り切れるわけもない。まるで戦後の買出しだ。
 乗車率は優に200%を越えている。それは間違いない。足の踏み場がある状態で300%超だ
から、300%を越えているな、これは。
 余談であるが、座席に指定数の人が座り、つり革もすべて人がつかまっている状態が乗車率
100%である。つり革は、通常窓にむかって立ち、つかまるが、設計では電車の進行方向にむか
って立ち、つかまるものとなっている(実際、そんな奴はいない。想像するだけでもマヌケな絵に
なる)。
 発車する電車は、ホームからこぼれ落ちそうな人をひっかけるのが怖くて、ノロノロノロノロ、
ホーム突端を越えるまで加速をしない。過密ダイヤの山手線だから、ホームの端にはすでに次
の電車が進入待機をしている。すげえな、やっぱ。東京らしいと言えば東京らしい話ではあるが。
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2005.12.26 歳末に突入!・・・Hasegawa閉店
 2005年も最後の週に入った。
 ものすごい歳末感である。
 世間が一体となって歳末にむかって突進している。そんなイメージである。
 地に足がついていないな、特に仕事関係。
 歳末で仕事どころじゃないという感じが通勤電車の車内に満ちている。学生が休みに入っ
ているのも、腹立たしい。春も夏も冬も、休みに満ちているのが学生生活の醍醐味で、かつ
て自分も体験したことがある社会人も、普段は『いいよな学生はよ』という程度の反応しかし
ないが、なぜか年末のこの時期、繁華街に繰り出している学生を見ると、M16の連射のひと
つはしたくなるのである。
 クリスマスの飾りつけを取っ払い、年始の飾りつけも一夜で完成。
 このクリスマス撤去、正月セットの完成という仕業も、『借り物の服を着てみたけど、やっぱ着
慣れた服が一番』という国民のコンセンサスがそこに凝縮しているような一事である。
 青森(なぜか青森)から19歳で上京した「いとこのお姉さん」が正月に里帰りして、『今、東京
ではこの××が流行っているの』なんて言いながら、親戚に羨望半分『東京で何してやがるの
か』観半分の反応をうけ、何も知らない子供が『東京で流行っている××』を身にまとい、客観
的に見れば、まったく似合わないのにクルクル回っている図に似ている。セーラー服の下にジャ
ージの如し。
 正月のお出まし、という国民の認識は、クリスマスという前座が終わり、いよいよ大物登場とい
う期待感と同じ?
 やっぱ身につかねえよなあ、俺たちには、クリスマスって。
 クリスマスは子供の日(個の日)、正月は家族の日(家の日)である。明治近代日本で生まれた
個人と家の相克、森鴎外が苦悩した、その対比がここで復活するのである。

 来阪4年、筆者の心の支えであった「Hasegawa」が撤収する。
 再開発地区で頑張っていたが、いよいよここまで、今年で閉店である。
 西天満の店に一旦、戻るそうな。その意味では完全な閉店ではないのだが、筆者にとっては思
い入れの強い店である。ひとつの時代の幕引きという感慨がある。
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2005.12.25 ・・・
 ・・・・・・・・・買っちまった。

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2005.12.24 クリスマスイブ?ふん!
 何気なくテレビをつける。
「・・・一緒にいる人のいない寂しい方もクリスマスケーキだけは買うでしょう。今日は、そんな
方でも簡単に作れるクリスマスケーキの作り方を・・・」
(ムカッ)
 無神経で無知蒙昧で未熟な構成作家が勢いだけで深く考えもせずに書き進めた台本であろ
うが、言うに事欠いて『一緒にいる人のいない寂しい方』だぁ? はぁ?しかも『クリスマスケー
キだけは買うでしょう』だぁ? はぁ?
 瞬間消耗品であるテレビ放送の泡沫ナレーションにいちいち目くじらを立てるのも大人気ない
が、聞き捨てならないセルフである。
 ひとりものがすべてクリスマスに寂しい思いをしていると決め付け、しかも、ひとりでクリスマス
ケーキを買いにゆくというイメージの刷り込み。悪意に満ちた情報操作である。
 不見識なこのナレーションを看過することはできない。
 ひとりでもさみしくなんかないもん!
 ケーキなんか買わないもん!
『日出る処の天子(山岸凉子)』でも蘇我毛人が聖徳太子に「それで皇子はお寂しくはないので
すか?」と聞くシーンがある。太子がそれに応える。
「お寂しくなんかない」
 まったく関係ないが、『7つの黄金郷(山本鈴美香)』では、ロレンツォ・デ・クレメンテ公爵が言
っている。
「この世の栄光は、はかなし」
 うん、やっぱ、関係なさすぎるな、これは。
 クリスマスイブである。少なくとも私のまわりの人々の上には幸あらんことを。

 今夜は京都で会食である。
 クリスマスに京都というのも何かいいね。ヴェスパに行ければいいのだが。
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2005.12.23 のぞみ70分の遅延
 のぞみ119号は停車と徐行を繰り返している。
 粉雪が風に舞う木曽川畔は真っ白だ。川面も雲間から淡く注がれる陽光を銀色に受けとめ、一
面が銀白色に包まれている。
 河原は堤も含めて平面で構成されているのだな、と気付かされるのはこういう時だけかもしれな
い。
 微妙な凹凸など雪が埋めてしまう。
 すると、きれいな雪面、雪原がそこに生まれるというわけだ。
 列車は地方のローカル線よりも低速で走っている。
 長良川をやっと越え、揖斐川をやっと越え、名古屋を発って45分が過ぎようとしているが、まだ関
ヶ原にすら達していないのであった。
 ⅰポッドナノから流れているのは森新一の「襟裳岬」である。妙にあうんだこれが、今の状況に。
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2005.12.22 冬至
 冬至である。
 昼が一番短い日。と、言う事はこれ以降どんどん日が延びるということだ。つまり底打ちである。い
いぞ、あとは夏にむかってまっしぐらだ。もうすぐ夏だ!
 さて、冬至、ここのところ馬鹿な話ばかり書いてきたので「歳時」らしい話にする。
 冬至は「二十四節気」のひとつである。
 わかる?「二十四節気」。いくつ言えるか家族でおたのしみください。
「立春 雨水 啓蟄 春分 清明 穀雨」
「立夏 小満 芒種 夏至 小暑 大暑」
「立秋 処暑 白露 秋分 寒露 霜降」
「立冬 小雪 大雪 冬至 小寒 大寒」
 である。
 迷惑?
 こんなどーでもいい話。しかし、まだまだ押し付ける話があるのである。
「冬至」には「ゆず湯」に入り、「かぼちゃ」を食べるのである。(やったことないけど)
 筆者の年来の疑問は、なぜ「春分」と「秋分」は祝日なのに、「夏至」と「冬至」が休みではないのか、
というもの。どなたか、無知蒙昧な筆者にお教えを。

 東京にて企画・広告部門の忘年会。久しぶりに「北京ダック」を食べた。
 筆者のいない間に大阪では降雪があったらしい。東京、金沢、名古屋、大阪、筆者がその地を離
れると気候が急変しているようだ。何か、間一髪で危機をすり抜けているような気がする。
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2005.12.20 マサのペペロン
 大阪、イタリアン「Masa」で忘年会。ここのペペロンチーノはやっぱ絶品だなあ。

2005.12.18 博多で忘年会、大寒波・・・って寒いネタが多いな
 福岡で忘年会。韓国と日本の味噌をミックスしたちょい辛の「慶州鍋」、いわしはもちろんだが、そ
れを巻く海苔も旨い「活いわしの磯辺巻き」などを堪能。

 12月としては過去最大級の寒波に襲われて、今年の12月は本当に冬らしい冬。佐世保でも雪が
舞う。佐賀はうっすらと雪化粧。感覚的には昔、昔、豊かになる前の日本の寒さという感じがする。
大雪情報を見ても、『そうそう、昔はこんなもんよ』という気がしないでもない。金沢では20年ぶりの
大雪。高知は32年ぶりの大雪。名古屋は58年ぶりの大雪。
 高知までは筆者も生まれているが、名古屋の58年前はさすがに知らん。
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2005.12.15 秘書室の忘年会
 東京で忘年会。少人数でほっこりと。

2005.12.14 なんじゃ、この寒さは
 名古屋発早朝、6時42分ののぞみ始発で帰阪。途中、関が原から米原の間で徐行。
 しかし、その後ぶっちぎりに飛ばしたのぞみは、定刻7時31分に新大阪着。
「ほっ」とぬくいとこに帰ってきたと思いきや、
 なんじゃ、なんじゃ、この寒さは。
 駅前の外気温計が「1度」って表示しているぞ。
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2005.12.13 名古屋は寒い
 名古屋で忘年会。
 筆者の体感では、名古屋は京都よりも寒いし、暑い。
 京都の寒暑は深深という感じだが、名古屋のそれは物理的な暴力に近い。
 寒いで、しかし。
 2次会の「心月」、なかなかに良い。安いし旨い。
 凄まじい寒さの中、久しぶりに食べた屋台のラーメンもまた、良し。
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2005.12.11 「つる幸」の夜
 昨日来、寒波に襲われた日本列島。北陸の地も寒い。外気にふれている手がかじかむ。
 マフラーにタートル、チェスターの厳寒体勢で入沢したのは正解であった。
 しかし、積雪にはならない。

 夜、1年ぶりの「つる幸」。
 しらこのいしる焼き・いかのこのわた和え・ゆずの器にごま豆腐
 ぶりとろのにぎり
 かぶら寿司・あんきも
 まる鍋(みぞれのポン酢あえで)
 ずわいがにの刺身・鯛・たいら貝
 山椒餅(からすみいり)
 鴨のロースト、にんにくチップ添え
 こうばこ
 とちもちの揚げ・えびいも・あわび3種の炊き合わせ
 門前の蕎麦
 ざくろ3粒がのった洋ナシ・いちご・キウイ・茶巾まんじゅう
 抹茶。
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2005.12.10 M君が知りたがる「乙女寿司」の夜
 夜、片町の「乙女寿司」で過ごす。
 突き出し、いかと金沢せりの柚子みそ和え
 お造り、ぶり・あら・甘えび・さば・あなご
 あて、こうばこ・あんきも・のどぐろの焼き・白子のポン酢・白子のすり流し
 にぎり、あかいか・かじきまぐろ・ぶり・ばい貝・あじ・トロ・あなご・鯛・クエのこぶしめ・
いくらの軍艦巻き・こやりいか・しらこの軍艦巻き
 酒は菊姫山廃吟醸の9年ものと、もう一種・・・いかん、名前を忘れた。
 岩のりのみそ汁で締めて店を出た。
 M君のリクエストにお答えして、以上、中継でした。どう?M君?
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2005.12.10 休みだ!
 わはははは。休みだ。休みなのだ。土、日と休めるぞ。ついでに月も休むのだ。
 うはははは。晴天だ。雲ふたつしかないカラッ晴れだ。
 公人から私人に戻るときがきた。
 気分転換をはからねばならない。
 気分転換には、日常圏からの離脱が一番だ。と言って、着いた先で「赤ゲット」モードの観光
気分では、疲労回復の効能がない。日常圏から離脱し、かつ日常的に寛げる逃避地を用意し
ている者をオトナと言うのだ。
 ほんのちょっとの隙間のような休みでも休めるうちに遊ぶのだ。
 遊びも仕事だ。仕事も仕事だ。(何を言っているのだ俺は)
 24時間365日、生きている持ち時間すべてが仕事だ。会社の仕事か、自分の仕事かの違
いだけだ。(そんなことが書いてあるHPがあったが、まさにそのとおりである)会社の仕事も手
は抜かないが、自分の仕事も手を抜かないのである。
 行くぞ!金沢へ!
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2005.12.07 空から
「気象と海洋に現れる事象の類似性についてはよく知られたことだが・・・」
 田所博士も述べていた・・・ような気がする(日本沈没)。
 エアで富士山上空を通過するときにその情景を目にした。
 太平洋側から雲の波が内陸に押し寄せている。
 その雲の流れを富士山が遮っている。
 水流が障害物にぶつかる時に生じる、波や流れの変化が、雲にも生じている。
 富士山の山腹にぶつかる雲が岩礁にぶつかる波のように幾重にも折りたたまれ、皺のよう
な模様を見せている。山腹を左右にまわりこんだ雲は遠く、左に甲府、韮崎方面、右に八王子
方面へたなびいている。
 かなり壮大な水槽実験のような絵が眼下に広がっている。
 けっこう、面白い。
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2005.12.06 初タイマーに初コートそして初忘年会
 冬来たりなば。
 在阪のM君が言う。
「これまでは暖かかったが、昨日から急に冷えこんだんです」
 やはり、大阪は暖かかったのだ。すでに過去形の話だが。
 昨夜、筆者はエアコンのタイマーをセットした。シーズン初の行為である。
 出勤にはとうとう、トレンチをはおった。これも大阪では今シーズン初。
 冬が来たのである。
 そして忘年会の始まりである。まずは大阪から。
 筆者の会社は若い。ジジイは実は筆者だけなのである。
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2005.12.05 大阪でも木枯らし
 東京は寒い。11月12日には木枯らし1号が吹いている。
 寒さに慣れているからか、帰阪しても寒くない。
 しかし皆、コートを着ている。どうやら本日、大阪で木枯らし1号が吹いたらしい。
 大阪の最低気温2.5度、京都0.6度、桜島では初冠雪だ。
 今、掃除を終え、洗濯を終え、ひとまず落ち着いているのだ。
 帰宅するなり、洗濯機を引っかきまわし、掃除機を振り回し、やけくそのような家事三昧だ。
 この3週間、家で寝たのは3日だけだ。博多に行って、京都に行って、東京にへばりつき
 男の子は忙しいんですぅ~ふぅ~。
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2005.12.04 冬だ!乾燥注意だ!
 没原稿をクシャクシャに丸めた瞬間、紙で手が切れた。
「原稿に手を切られる」とはこのことだ。
 腹立たしい限りである。しかしこの怒りをどこにぶつけようもないのである。
 行き場のない悔しさだけが瞬間沸騰である。
 乾燥による手湿疹の一種だな。手の表面がカサカサ。まるで皮膚が薄くなってしまったかのよ
うに切れやすい状態だ。
 紙で切れた指の先にぷっくりと血玉が膨れた。
(く、悔しい!)
 と、隣の指先にひっかかりがある。
(ささくれまで、出来てやがる)
 よしゃあいいのに思いっきりひっぱがしてしまったのは、感情の傾斜を転げ落ちてゆく制御不
能の負の心理ゆえである。
(痛っ!)
 案の定、予想以上に深くはがれた「ささくれ」跡から血が滲み出してきた。
(くっそおおおおお、痛ええじゃねえかよおおお)
 バンドエイドは隣のオフィスにある。建物が違うのだ。無機質なスチールのドアを開けて部屋を
出ようとした。
「ばちっ!」
(痛ぇえっ!)
 静電気が指先を襲う!
「もう勘弁ならねえ!こんちきしょうめ!束になってかかってきやがれ!」
 誰もいないオフィスでわめき散らす筆者であった。
 ・・・通報されたらどうしよう。
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2005.11.27 クリスマスシーズン
 気がつけば、街はクリスマスのイルミネーションに彩られている。
 そう言えば、阪急百貨店など10月末からディスプレイがクリスマスモードになっていた。
「早っ!」と思っていたら、もう11月も終わりだ。
 気がつけば師走ではないか。
「早っ!」
 先般来福したとき、中央公園や市役所周辺のイルミネーションが伝統の電灯色で安堵したこ
とを覚えている。
 オレンジ色のネオン。
 基本である。
 いいな、寒い冬の夜、人の営みに想いがめぐらされる暖かさがそこにはある。
 青色発光ダイオードのおかげかどうか知らないが、昨年あたり都市部では青白のイルミネーシ
ョンをよく見かけた。
 あれは寒い。
 今年も、新宿のアルタ口では、壮大な青白イルミネーションが寒々しく輝いている。
 何を意図してのことか、意味を汲み取れない筆者。
 クリスマスは暖かくなきゃ。
「クリスマスキャロル」だろう、やっぱ。
 どーせ広告屋が仕掛けたにきまっている(違っていたらごめんなさい)
 広告屋は最先端にとびつく。
 シズルだシナジーだとか言いながら(誤用)、結局、最先端ならば何でもいいのだ。先駆けるこ
とが命!意味の斟酌はあとから「作文」である。
 寒いだろう、あの青白ネオンは。ひとつふたつならいいが、結局皆がこぞって使うから、目新た
らしさゼロ、寒々しさだけが際限もなく降り積もってゆく。
「失敗!」
 と思ったんだろう。今年は今のところあの寒々しい光景は新宿でしか味わえない。
 味わいたくもないが。
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2005.11.26 ここは何処?私は誰?
「今日は何曜日?」
「此処は何処?」
「私は今、何をしているの?」
「あれは、いつのこと?」
 ああ、久しぶりだ、この感覚。
 時間も空間も位相が完全に入り乱れている。記憶が前後してしまう。1週間前のことが1ヶ月は
前のことのように感じられる。
 広告制作で徹夜続きのあの頃の感覚。ま、今、徹夜はしないがな。
 何せ体力が追いつかない。しかも当時は広告だけをやっておればよかったが、今はあれもこれ
もそれもどれもかれもやらねばならない。戦力は慎重に保持しておかなければならないのだ。
 昔話だが徹夜にも技術があった。
 その日のうちに片付けるべき目標のうち、頭を使うステージは脳の活動がクリアな陽のあるうち
にやっつける。徹底した右脳中心主義。左脳は一切動かさない。テレビもつけなきゃ、新聞も見な
い。数字に関するものは一切排除。アイデア出し、レイアウト練りはすべて朝のうちだ。
 午前中に片付いた仕事量が午後のリズムを左右する。
 頭が働かなくなる深更には、力技の作業中心ステージに移行するのである。
 こういう状況になると、時間に関する切迫観念が高まる。初期症状は、時間がぜんぜん足りなく
感じてしまうこと。
 ついで机の前から離れられなくなる。
 ディスプレイを見ながらカップヌードルをすすり始めるのも典型的な症例。
「ズルズル・・・ず・・チュピ」
 まるでカリオストロ城の外にいる銭形警部だ。
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2005.11.21 ぬくいぞ大阪
 夜、東京から帰阪。
 さっきまで東京にいたから比較ができる。
 ぬくいぞ大阪。
 いいぞ!
 でも、帰宅したら、エアコンをいれてしまったのである。
 やっぱ「寒反応」かなあ。
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2005.11.17 寒いぞ東京
 関東は「この冬一番」ラッシュ。
 どーせ、このあと毎日「この冬一番」が続くんだろうが。
 昨夜の博多もそれなりに冷え込んではいたが、東京のこの体感温度に比べればまだまだぬくい。
 長野では雪が降り、どこそこでは氷が張り、東京ではこの冬一番の冷え込み。
 インナーがボアのコートがさっそく稼動(大阪から手回しよく送っておいたのだ)
 帰阪したとき「寒反応」になってなければいいのだが。
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2005.11.16 そして福岡の夜
 言葉で伝えることの限界を、筆者は今感じている。
 どうすれば、今のこの状態を読者の皆様に伝えることができるのだろうか。
 いや、できはしない。(反語)
 誠に文章表現とは難しい。
 無理なのである。言葉だけで事象を説明するのは。(倒置)
 あたかも外人に侘び寂びを伝えようとするが如し。(暗喩)
 伝えきれないもどかしさの中、筆者はじっと耐えている。
 苦しいのである。
 つらいのである。
 食い過ぎである。
 まさに暴飲暴食。
 腹がはちきれんばかり。
「河庄本店」で寿司を食い、「ヴェスパ」で酒を飲み、「岩兵衛」で「葱鮪うどん」と「玉子かけご飯」を食べた。
 馬鹿だ、俺って。
「ヴェスパ」までで家に帰ったK川は正しかった。 
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2005.11.16 伊丹から福岡へ
 ブッシュが来ている、京都に。
 おかげで、伊丹空港が特別警戒態勢下に入った。
 空港ターミナルビルの前で行列が出来ている。
 手荷物検査だ。
 ひとりひとりちゃんと検査をするのだ。
 待ち行列から運動会の徒競走のように自分の順番が来ると呼び出される。
 地雷探知機のミニチュア版をかざされる。
 忙いでいるのになんじゃこれは。
 イライライラ・・・
 やっとパス。今度はターミナル内で搭乗チェック。
「ぴー」
(え?何?)
「すいません、鞄をチェックしていいですか」
「ええ、はい」
 ゴソゴソ・・・(ん?)という顔の係員。
「これは?」
 カッターの替刃が大量に出てきた。
「・・・」
 広告制作用に購入していたやつだ。
 無論、筆者はテロリストではない。
「・・・処分してください」
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2005.11.16 朝の月
 早朝、家のドアをあけたら目の前に月が浮かんでいた。
 玄関は西向きだ。
 赤く輝く満月が六甲の山の端、ほんの少し上に浮かんでいる。
 丘陵上の15階に筆者は今いる。
 今まさに沈まんとしている赤い月が筆者のまさに正面にある。
 反対側、ベランダのある東の空はまだ黎明の中だ。
 少し重たげな黒い雲が幾重にも重なり東の空のかなたまでたなびいている。
 ところどころ絹を裂いたような雲の裂け目から薄い紫色の空が覗いている。
 太陽はまだ顔を出していない。
「月は西に陽は東に」だ。
 出会い頭の朝の月ってのも、なんか意表をつかれていいなあ。
 ま、それだけのことなんですがね。
 
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2005.11.13 暖房を入れてしまったのだ
 今年初のエアコン暖房モードが起動。ついにやってしまった。
 で、早いの?遅いの?世間ではそこのところどうよ?
 筆者の東西変則生活は継続している。変動はあるが平均すれば、大阪3.5日、東京3.5日の毎日だ。
この季節の悩みは、東京が寒いっちゅうことぢゃ。12日の夜などコートが欲しいくらいであった。
(後で聞いたら、この日、12日は東京で木枯らし1号が吹いたのであった)
「寒反応」と筆者が勝手に名づけた「人体の不思議」習慣がある。
「寒っ」と感じた日を境に人は、寒さに弱くなる。それまでさして気にもしていなかった気温でも「寒っ」と
感じた日以降、何となく「寒く」感じてしまうのである。
 コートに手を通した瞬間、春までコートから離れられなくなるのも同様である。
 東京で「寒反応」のスイッチが入ってしまったのでせうか。
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2005.11.08 朝の光景。淀川
 緑地公園6時21分発の御堂筋線は、6時30分過ぎに淀川を渡る。
 太陽はまだ顔を出していない。しかしあとほんの僅かで日の出を迎える僅かな瞬間である。
 生駒山にかかる雲の端が輝いている。
 街はまだ、完全に目覚めてはいない。覚醒とまどろみの中、御堂筋線と平走する新御堂とJRの鉄橋
上で車と列車が、筆者の列車と渡河を競う。このスピード感と光景が好きだ。
 JRの列車の輪郭が燐光を発している。
 500メートルほど東の鉄橋上には、すで陽がかかり始めているのか。
 1年の中で、この瞬間は今しか得られない。
(春は、なにかしら緊張感に欠けるのである)
 晩秋も深まれば、日の出はさらに遅くなる。
 この妙にすがすがしい、かつ緊張感を含んだ朝の景色が筆者の密かな愉しみなのである。 
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2005.11.07 ワタリガニのトマトクリーム・リングイネ
 曽根崎1丁目の「パーネヴィーノ」に、軽く一杯のつもりで立ち寄る。
 ワタリガニのトマトクリーム・リングイネがメニューに並んでいた。
 2週前にもここで食べたが、旨いんだこれが。
 この店はトマトのクリームソースが絶品なんである。
 夏場はウニ、晩秋はワタリガニ、もーうみゃーていかんわ。 
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2005.11.06 来年度のカレンダーを購入。・・・とカニが解禁だ!
 カレンダー購入のシーズンだ。
 仕事帰りに江坂で下車。
 東急ハンズのカレンダーフェア売り場に向かう。
 リビングに貼るカレンダーのサイズは、B1から大きいものでB全である。
 12ヶ月が一面に並んでいるモノを買う。
 1993年以来、破れた襖の目張りのように貼り重ねている。来年で14枚目だ。
 今年のカレンダーは、少し小さすぎた(それでもB1変形だが)
 何が小さいって、記入式だったため、文字がちんまいのだ。
 遠目で文字がかすむのである(断っておくが老眼のせいではない)。
 来年度はデカ文字だ。
 む~ん、見やすいぞ。
 
 きた!
 ズワイガニの解禁だ!
 福井では越前ガニ、鳥取では松葉ガニ、名称は異なるが要はズワイだ。
 カニカニエクスプレスの季節がきた。
 金沢が、金沢が俺を呼んでいる(呼んでないか)。
「ブリおこし」は鳴っているのだろうか。
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2005.11.05 京都散策、清水寺界隈の紅葉未だし。ぐじ、出回る
 土曜日の昼。梅田「明月館」で肉喰いのあと、腹ごなしに京都へN氏を案内。
 阪急河原町駅から、四条通りを東進。祇園をかすめ、高台寺の麓をパスし、二年坂、産寧坂を登り、
東山の「清水寺」へ歩く。やっぱ、観光客の大群であった。
 舞台の下は一部、紅葉が進むも、まだ早い。山の紅葉はまだ僅か。
 この時期の観光パックは、それを承知のものなのか。
「運がよければ早めの紅葉にあたるかも」ということで格安だったりするのだろうか。
 京都市外を見晴らした後、裏道をブラブラ戻り、先斗町の筋を練り、シェフのN氏には錦市場がいいの
では、と思い、錦通りに入る。
 京野菜に関心を示す氏の眼差しはビッと鋭い。
 魚屋は、どこでも「ぐじ(あまだい)」が並んでいる。
 シーズン・イン・ザ・アマダイである。
「食材は旬のものを中心に並べて、何から何までは取り揃えないんですね」とN氏。
 確かに、豊富な食材が並んでいるわけではない。
 旬のものが並ぶという感覚が、市場はもちろんスーパーあたりでも浸透している。
 東京の頃はそれほどでもなかった。
 なにより、グジだ、ズワイだ、セコガニだ、ふぐだ、クエだ、ハモだ、がスーパーに並ぶことがなかった。
 こちらに来てから、食物で季節の変化を感じるようになった気がする。
 年中、いろいろなものの出回る東京では、季節の旬という感覚は希薄だったな。
 途中、麩嘉で「麩嘉まんじゅう」を買い、帰阪。今夜は「串八景」だ。
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2005.11.04 いとより
 金曜深夜、東京発21:18の「のぞみ」最終便で帰阪、大阪着は23:48。
 のぞみ最終便は東西で同時刻に進発する。
 新大阪発東京行「のぞみ」最終便も21:18発である。
 東西を同時刻に出たふたつの新幹線は、豊橋付近で交錯する。
(念のために書き記すが筆者はマニアではないのでそこのところは、ひとつ)
 金曜、最終の大阪行き自由席は立錐の余地もないほど、混みあっている。
「シンデレラエクスプレス」なんて優雅なもんじゃないよ。
 深夜に大阪着。東京からお迎えしたN氏と梅田の「H」へ向かう。
 0:20、入店。
 なぎら健一似のS氏がいた。氏のクルーザーで沼島へむかったのは5月のことだ。
 店内にはこれ見よがしに「祝儀袋」が貼り付けられている。
「祝14周年」だそうである。
「これからは、1年、1万で計算します」と、マスター。
 ぼったくりの店である。

「いとより」のグリルが出た。
 サワーなソースがちろりとかかって松皮焼きのようなカリカリした表面。
 旨いがな。
 ちょうど旬の端(はな)と言ったところか。白身でやわらかい身質がほっこりといいっす。
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2005.10.30 もみじの天ぷら
 大阪の遠足メッカ、箕面の名物である。
 紅葉シーズン一歩手前。箕面の山もまだ深く色づいていない。
 11月中旬まで待たねばなるまい。
 とりあえず「もみじの天ぷら」を買って食べる。
 揚げ菓子である。
 もみじは食用だそうだ。どこで栽培してるんじゃ。
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2005.10.24 たこ焼き
 ついに出た!駅前の「たこ焼き」売り。
 屋台である。
 軽(自動車)を屋台と言っていいのかどうか、という論点はあるが。
 実は地元駅の反対側改札には夏でも屋台が出ているのだ。
 しかし、こっち(筆者)側では寒くならないと出てこない。
 正しい振舞いである。
 夏のたこ焼きなど、「夏炉冬扇」の極み。
 電車を降り、駅から出る。
 触れる外気の肌寒さに秋の深まりを知り、やがて訪れる冬の予感に微かな憂愁を漂わせる。
 そんな男の前に現れる灯火。
 なぜかそこだけが闇の中で赤く彩色され、
 空気の中に微かに(いや、濃厚に)ソースの香りが漂う。
「たこ焼き」屋である。
 いいタイミングだ。ここ数日の冷え込みにたこ焼き指数が高騰している。
 粉モノにはあまり食指の動かぬ筆者だが、今日は許そう。
「おっちゃん、12個入り。マヨはいらんから」
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2005.10.23 衣替え
 衣替えである、遅いか。
 クリーニング屋の30%割引券の有効期間が10月16日~26日だ。
 遅くはないのだ。
 山盛りのスーツとスペアパンツを大黒様のようにしょいこみ、クリーニング屋へ。
 年中行事である。
 1回では、出し切れないので、期限内にもう一度行かねばならない。
 スーツのクリーニングはシーズンに1回だけ。
 頻繁なクリーニングは、スーツを痛めるのである。
 生活小百科でした。
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2005.10.22 大阪も寒くなった
 とうとう夏と冬の分水嶺を越えたらしい。
 22日の土曜日、夜、東京から帰阪。
 水曜日の夕方、大阪を経ったので当然、まだ夏服。シャツはさすがに長袖。
「寒い」
 寒いではないか。しかも3時間前までいた東京よりも寒い。
 夏が逝ってしまった。
 今週が季節の変わり目だったのだな。合掌、夏を惜しんで。
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2005.10.18 マルガリータ閉店。びんびや、移転
 来阪後、新大阪から梅田に移転以来3年間、
 ランチに愛用してきたイタリアンレストレン「マルガリータ」が閉店する。
 10月いっぱいか、もって11月まで。
 ビルオーナーからの立ち退き依頼をうけての話である。
 残念だ。パスタとプレート料理(メインとサラダ、パン)、デザートがついて850円の
 お値打ちランチともおわかれである。
 親爺殺しの名店「びんびや」も移転が決定している。
 まだ移転先が確定していないとのこと。
 早く決めてくれい!魚の摂取は「びんびや」でしかできんのだ。
 でも、お願いだから「ミナミ」には行かんといて。
 せめて「北新地」で・・・って家賃高いから、値段にはねかえるなあ、あそこは・・・
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2005.10.15 蕎麦食い
 蕎麦ネタ、第2段。
 食事中、音をたてない西洋人は、蕎麦が食べられない。
 正確には、美味しそうに食べられない。
 蕎麦食い大魔王と化した筆者は、蕎麦をすする音に自信がある。筆者は今、全国の蕎麦
屋と『客引きのため無料で蕎麦を食べてあげる契約』を交わす準備がある。いつでもいいぞ。
どこでもいい。タダで蕎麦を食べてあげる代わりに丼モノを頼んだお客さんに「ミニもり」や
「もり」への追加オーダーを受注させてあげよう。筆者の蕎麦をすする音で。
 さて、西洋人である。船旅好きのM君の言によれば、食事中、無音教育を施される西洋人
は、「すする筋肉」がついていないらしい。
 顔のどこに「すする筋」が存在するのかわからないが、(きっと頬の内側ではないか)なるほ
ど、と思わせるワールドワイドな話である。
 少しは皆様の人生のお役に立てましたでしょうか。
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2005.10.13 季節感のズレ
「うお!ジャンパーだ!」
 ジャンパーを着た人間が目の前を通り過ぎた。
「コ、コート?!」
 コートをはおった女性が目の前に立っている。
 いいのか?
 東京でのことである。
 目くじらを立てることでもないのだが、書き留めてはおきたい。
 春先と秋口のこの時期に発生する「季節感の混乱」は主に「服装の乱れ」によって表わ
される。服装の乱れは非行への第一歩だ。
 夏と秋、冬が混在するのがこの季節の特徴。気温の地域差が際立つ頃。10月13日の今
日、東京は最高気温が23度、大阪は29度。熊本32度、釧路は16度だ。
 大阪在住の筆者はまだ半袖生活だ。家では短パンにTシャツである。
 同じ関西エリアでも芦屋在住、鉄道嫌いのM君はすでにスリーピースでビシッときめてい
る。早っ!芦屋は寒いのかもしれん、六甲おろしが吹くからな。六甲山系の街は梅田界隈
とは2,3度違う気がする。冬は寒い。大阪は冬も暑い。(嘘である)
 衣替えのスケジュールをカレンダー優先にするか気温重視でゆくか、性格の現れるところ
だ。規格にあわせて何事も『きちんとする』のはドイツ人。あ、そうかM君はドイツに3年以上
いたものな、そういうことか。
 に、しても帰阪すれば周囲はやはり薄着だらけ。
 なぜか、ほっとする筆者であった。
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2005.10.10 蕎麦には七味だ
「新そば」の季節だ。
 外皮をとった芯の部分だけを使用したのが「更級そば」。
 色は白い。
 外皮を若干まぜてやや茶色がかったのが「田舎そば」。
 先般山形に逃亡して以来、むやみと蕎麦を食べ始めた筆者。無論筆者はじじいではない。
「小麦が取れん貧しいところの食いもんが蕎麦だ」と言い放ったのは、筆者の前職の上司。
ギャグではあるが、実際、筆者もうどんの方が好きだった。つい最近までは。
 実は山形でふとしたきっかけがあり、「もり」(むこうでは板盛と言う)に七味をふって食べた
のだ。わさびとネギは使わない。
(いけるがな)
 以来、蕎麦漬けの日々が続いている。
 七味で食べて気がついた。
 蕎麦にネギとわさびの組み合わせは実は、あわないのではないか、少なくとも筆者にとって。
七味か一味で食べると、飽きがこない。香りもいい。この食べ方は、田舎蕎麦よりも更科蕎麦
のほうがさらに相性が際立つような気がする。
 しかも、健康志向(あ、ちょっとやだ、この考え方)
 カロリー低いし、ルチンも豊富。糖分控えめ。(ってあるのか蕎麦に糖分)と、いうことで今日も
蕎麦を「ずるずる」っとね。

 それはそれとして、朝、出勤時、外気にあたると部屋の中より涼しいではないか。
 夜、とうとう冷房のスイッチを切った。
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2005.10.08 さんま
 今年は豊漁のさんま、8月から食べていたが、まだ食べられる。
 今の時期は、脂がすごい。
 お造りにビネガーをふり、荒挽きの黒胡椒をきかせて食べる。
 酸味と香味、辛味が効いてさんまの脂を感じさせない。
 旨いな。
 前夜、夜中の2時過ぎまで講演収録をし、翌日の今日、名古屋で昼、ついで大阪で夜、と
LIVE講演の強行軍をこなすK氏と、梅田の「Hasegawa」で。
 宴が始まったのは11時過ぎだったので、2時過ぎまで。
 K氏は翌朝、博多に向かった。お体お大事に。
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2005.10.07 1年半など、あっと言う間だ
 京都にて、旅の吟遊詩人Y氏と。
 Y氏、前日の昼、バスで松山から徳島へ。徳島の「栄寿司」で寿司18巻をたいらげ、
酒もけっこうきこしめし、そのままバスで鳴門大橋、明石海峡大橋経由で梅田へ。
 夜、梅田「Hasegawa」で飲食をしたあと、京都で講演をこなしている。
 筆者は、その講演後久々の邂逅。
 祇園の「クーランデルブ」と「VESPA」で清遊。12時半頃迄刻を過ごす。
 Y氏、体力あるなあ。 
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2005.10.03 洋梨
 夏に桃、初秋に梨、中秋過ぎに洋梨。
 最近の梨は旨い。
 水分も多く、酸味が少なく、糖度の高い赤梨(豊水、幸水系)が人気か。
 日本の梨は「サンドペア」と呼ばれる。
 シャリシャリ感が洋梨のネットリ感と対比されての名称らしい。
 実際、表皮の白い斑点はコルク質だそうだ。表皮から果肉の水分が蒸発するのを防ぐために
あるそうな。ワインの栓と同じだな。このため、梨はりんごに比べ、水分が多い。りんごの表皮は
蝋質のコーティングで水分の蒸発を防いでいる。
 で、山形の洋梨である。「ラ・フランス」が女王らしいが、「マルゲリットマリア」を買って食べた。
 大粒で水気が多く、爽やかな甘味。
 王様、ということでひとつ。
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2005.09.27 夜、昼を抜く
 秋分の日も過ぎて、いよいよ今日からは、夜が昼より長くなる。
 多事多端の一夏が過ぎた。
 来年の夏は、必ずや心ゆくまで消費しつくすことを、ここに誓おう。

 日の出が遅くなれば、ひとつだけいいことがある。
 電車が空き始めるのだ。
 筆者の乗車時間はおおよそ、朝、6時20分~30分。
 信じがたいことだが、下手すると座れんのだ。
 遠~くから来る電車ではない。
 千中(千里中央)から2駅目なのに、席が空いていないときがある。
 勤勉にもホドがある。
 早く、みんな、寝坊スケにならないかなあ。
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2005.09.18 中秋の名月
 晧々と輝く月光で眼下の竹林が濡れている。
 地上は人工の輝きに満ち溢れ、天上の光輝を拒んでいる。
 都市を彩る灯火は、今宵、無粋な存在でしかない。
 中秋の夜ぐらい、せめて中世の浄闇を再現してもいいではないか。
 自分勝手な物言いと承知でそう思うのである。
 いつか、周囲に灯明のない自然の中でこの日を迎えてみたいものだ。
 月を眺め、饅頭のかわりに「ぶどう大福」を食べる。
 旨い。
 芋焼酎「甕雫」のロックを嘗め、ぶどう大福を口にする。
 さらに旨い。
 忙中、月見の閑あり、である。 
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2005.09.17 ぶどう大福の姿が!
 17日朝、福岡空港の売店から「ぶどう大福」の姿が消えた。
 販売スペースすらなくなっていた。
 7月から9月までの限定販売商品なので品切れ懸念はあったのだが・・・
 搭乗待合室の売店では冷蔵ケースに見本とPOPが残っている。
 でも、在庫はない。
 トホホ。
 が、神も照覧あれ。立ちすくむ筆者の前で納品があった。
 速攻買い。
 たぶん、今年はこれが最後だ。
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2005.09.16 なぜだ?
 福岡、福ビル1Fにケーキ屋がある。
 ホテルにチェックインする前にケーキを購入。
「すいません、××を」
「おひとつですか?」
「いや、それと、△△と□□を、ひとつづつ」
「みっつですね」
「はい」
 深夜、お酒のあとにケーキを食べるのだ。
 ・・・
 夜、ケーキ箱をあけた。
 中にはケーキが3個とスプーンが1個。
(???、スプーンが1個?・・・1個?)
 ケーキは3個ある。なぜスプーンが1個?
 なぜ、3人で1個づつのケーキを食べると思わないのだ?
 なぜ、スプーンが1個なのだあ!
 だあっ!
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2005.09.15 秋めく
 昨日、書いたとたんに、この変化。
 まさに女心と秋の空。
 15日以降、17日までめっきり秋めいた日々が続く。
 残暑後退。とうとう、夏も終わりか。
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2005.09.14 秋めかない
 めっきり秋めかない。
 大阪では、いまだに最高気温が30度を越える日々が続いている。
 朝夕、吹き渡る風に秋の気配がほんの少し混じる日も現れ始めたが・・・
 日中は暑い。
 汗をぬぐうハンカチは乾く暇がない(無論、筆者はデブではない)
 にもかかわらず、本日の北海道の最高気温は15度だという。
 肌寒さを感じる気温ではないか。
 やはり、日本は細長い。 
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2005.09.11 な~んかちょおっと忙しいんでないかい?
 ばたばたばたばた
 ばたばたばたばた
 ばたばたばーだばだば、ぱっや~。
(壊れかけている)
 ちょっと忙しいのである。
 実は7月末頃から、慌しい毎日が続いている。
 大阪→東京→名古屋→京都→福岡→大阪→三ノ宮→横浜→東京・・・
 こ~んな感じで「旅の吟遊詩人」状態が続いている。
 四国地方整備局の仕事で高松に行ったのは・・・3週間前だ。
 えれえ、昔のことのようだ。
 先々週は、東京に3日、大阪に2日、福岡に2日。
 先週は、確か台風14号に追い立てられるように、
 福岡から大阪、大阪から東京へ台風からの逃避行が続いた。
 貯水率0%の早明浦ダムは、あの台風1個であっと言う間に100%になっちまった。
 やっぱ、台風ってスゴイ。
 先週は、東京に4日、大阪に1日、福岡に1日、名古屋に1日だ。
 ばたばたである。
 それにしても名古屋は何であんなに混んでいるんだ。
 万博効果だと分かってはいますがね。
 昼飯時、名古屋テイストの飲食店には人が殺到している。
「矢場とん」のエスカ店など、なぜこんなに並ぶことができるのか、
 と思えるほどの長蛇の列だ。
 つまり、筆者もそこで食べようと思っていたわけだが、メゲタ。
 マクドナルドで月見バーガーを食べた。
 なぜか強い疲労感に襲われた。 
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2005.08.27 鰻の稚魚、不漁
 鰻の蒲焼は蒸しの入った関東風が良いか、直焼きの関西風か。
 蒸しが入るとほっこりふっくら柔らかく出来上がる。
 直焼きだと、ほっこり感にやや欠けることは否めない。
 大阪のスーパーなどでは長焼きで売っている。お頭つきというわけだ。
 これはあまりいただけない筆者。
 しかし、強烈な炭火で一気に焼く鰻重は、
(と言って、やはり焼き上がりまで、そこそこ待ちはしたが)
 香ばしくてうまいのである。タレは少な目。でも味はしっかりと乗っている。
 高知の帯屋町、「鰻料理せいろ」のうな重である。
 高知産の鰻を入口近くの大きな焼き場で炭火焼きにして供するお店。
 鰻重を頼んで待っている間のこと。見れば、店内に貼り紙が。
「昨今のシラスウナギ(鰻の稚魚)の不漁により、鰻の供給量が逼迫をはじめ、
9月から値上げをいたしとう存じます・・・云々」
 ご丁寧な説明、痛み入ります。
 鰻不足とは、知らなんだ。
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2005.08.27 かつおのたたき
 どうにもモノが違うな、本場だと。
 高松の「司」にて頼んだ皿鉢料理。
 日ごろ、一人旅の筆者は、この手の料理を食べられない。
 長崎の卓袱、下関のトラフグなど、どれも2~3人前からなのである。
 今回は同行のS氏がいる。
 頼んでやるぜ、皿鉢料理。
 で、旨い。土佐のかつおは年中料理で旬のネタでもないのだが(戻りがつおにもちと早いし)
やっぱり旨い。地のものは地で食べなきゃ駄目なわけだ。
 本当に旨い。皿鉢料理の中でまず、かつおのたたきを食い尽くしてしまった。
「クジラの串カツ」やら「サバ寿司」やら「チチコ(かつおの心臓)」「さえずり(クジラの舌)」
 など、欲望のままに食いつくした。
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2005.08.26 太刀魚のたたき
 徳島の「栄寿司」にて。
 微かに香る「にんにく」と少しだけ焦がした香ばしい皮の香り、
すだちを含んだ酢に軽く浸された太刀魚のたたき。
 絶品である。

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2005.08.25 あこう鯛のアラ
 しめたての「あこう鯛」のアラ。
 食べなければ、後悔する。
 身の弾力の強さときたら、噛み砕こうとする歯を押し返してくるのである。
 ミノでもないのに、魚肉でこんなの始めて。
「魚肉でこんなの始めて」部門、第1位にランキング。
 ちなみに第2位は「鮪のほほ肉」を始めて食べた時。
 獣肉のような食感と味わいにビックリしたものである。
 アラのコラーゲンを含む「ふるふる」感と、強い弾力性の「プシプシ」感を愉しむ。
 高松、「魚好人」にて。
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2005.08.19 まながつおの味噌漬け
 瀬戸内で獲れる「まながつお」は、足が速い。
 すぐに味がおちてしまうので地元で食べるのが一番。
 大阪ですら、滅多に出会わない魚だ。
 シーズンは夏の今。
 刺身も旨いが、味噌漬けにして焼いて供される「まながつお」の旨さときたら、
筆舌に尽くしがたい。などと言いつつ筆に尽くそうとしているのだが。
 まず、第一の特徴は、身の締まり具合。
 ぱさぱさにはならず、キシッと締まっているのである。
 コシコシした食感は、従来の「ほっくり」を至上としていた味噌漬け魚界に衝撃を与えた。
 いつ、どこの話だ?
 砂糖を加えた少し甘めの味噌漬けは、網で焼けば、皮と身が網にひっついてしまうので、
遠火で炙り焼きにする。
 手間も時間もちょっとかかるこの料理、最高に旨い。
 高松、古馬場町の「魚好人(ぎょこうじん)」にて。
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2005.08.15 異人達との夏
 月曜日だが、お盆休みの人は多い。
 筆者にはかかわりのないことである。仕事、仕事。
 嫌ではない、人とライフサイクルがズレるのは。
 でも帰省ラッシュのテレビ画像を見るのはやはり少し愉しい。
 ああ、お盆だったと思うのは、ふとしたときである。
 マンションの郵便受けにチラシが全然入っていないとき。
 出勤時の電車が空いているとき。
 ただし、昼になると梅田も京都も日常より騒がしい。
 ここが東京との違いだ。お盆の東京は本当に静かだ。
 京阪は、帰省するよりも戻ってくる人の方が多いのか。
 で、夜半、マンションに帰る。ふと見上げたマンションの窓は皆真っ暗。
 一箇所だけ灯かりが漏れている。
 転勤族が多いマンションだ。
 この建物の中、筆者のほか、一部屋にしか人がいないのか。
 山田太一脚本、大林宣彦監督「異人達との夏」を思い出す。
 好きなのだよ、あの映画。 
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2005.08.13 盆の入り
 お盆の入りである。
 13日が迎え火で故人を自宅にお招き。
 15日が送り火で故人をお墓にお送り。
 京都五山の送り火も、この送り火だとは、この節知った次第。
 典型的都市型核家族の筆者は、近親者を弔ったことがない。
 何事も経験してみねば分からぬものだ。
 先般、父を亡くして初めて迎える新盆である。
 昔、お盆のときに必ずテレビで放映していた「怪談牡丹灯篭」など
 やっと、その味がわかるようになった。
 大人の仲間入りである。 
「新三郎さまあぁぁ~」
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2005.08.09 土瓶蒸し・・・早いか?
「びんびや」にて、土瓶蒸し。
 早いか?早いのかあ!?
 早いよなあ。松たけとしては早い。
 銀杏としては超早い。
 しかし、鱧としては早くない。
 松たけも入っていたけど、鱧のための土瓶蒸し、ということで、ひとつ。
 すだちもちょっと早いか?いや、微妙かな。
 
 P.S
 さいまき海老も必須アイテム。
 ちなみにさいまき海老とは9センチくらいまでの車えびのことだそうで。
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2005.08.07 立秋・・・暑いけど
 立秋である。
「秋立ちぬ」ってなわけで、語感は涼やか。でも季節感はズレている。
 本日、群馬県、館林では37.1度を記録。
 名古屋も35.3度である。
 館林って言っても、「何処よ?」って方が多いのでは。
 筆者は前の会社に館林工場があったので、ちょっと、反応してしまうのだよ。
 あ、暑中見舞いはこの立秋の前日までに届くようにね。
 立秋を過ぎたら、残暑見舞いです。
 頼まれもしないのに生活小百科を語らせていただきました。
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2005.08.06 花火大会、淀川河川敷で。
 ドバンドバン騒がしいのである。
 雷鳴かと思えば、花火大会であった。
 十三(じゅうそう)のあたりでドバンドバン、どばばばばばばばばばば。
 景気いいなあ、懐かしいなあ。河川敷の花火大会。
 世田谷在住の頃は多摩川の花火大会によくチャリを転がして行ったもんだ。
 二子玉川(ふたこたまがわ)がテリトリーだった頃の話。
 今は、自宅のベランダから、見下ろすような感じで炸裂する花火の群れを愉しむ。
 距離はそこそこあるのだが、
 自宅マンションが高台にあり、しかも15階だ。見晴らしがいいので
 遠くの花火を何か非現実的な絵として愉しむことができる。
 そういえば
「恋は遠い日の花火ではない」なんてコピーがあったなあ。
 あれは名コピーだと思っているのである。
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2005.08.01 鰯(いわし)の梅煮
 出た!鰯の梅煮の季節である。
 毎度おなじみ、親爺殺しの店「びんびや」の大皿料理。
 旨い。ってこれしか書かねえな、オレ。
 しかも、突き出しにヒト欠出てきたので「コレ、コレ」なんて言っていたら
「それは、さんまの梅煮です」
 恥ずかちぃ。
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2005.07.28 土用丑の日
 立秋の18日前から立秋までが土用。
 土用の入りは今年は7月19日。
 土用の中で丑の日が今日。
 土用の丑の日は、鰻を食べるのである。
 店で売っている関西の鰻は、長焼きなのである。頭つき。
 串に刺して柵で売っている関東の鰻が懐かしい。
 鰻だけは関東風がいいなあ。
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2005.07.27 これは・・・肉懐石か?
 三ノ宮の焼肉屋「鶴参」にて。
 ありとあらゆる部位の肉を食べさせるつもりらしい。
 ツラミ、イチボ、各種ホルモンやタン、しゃぶ焼きという極薄スライスのミノなど
 肉漬けの一夜である。
 突き出しの各種生肉やタタキも部位によって味の異なるタレで食べる。
 ここは旨い。
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2005.07.25 コハダ、イワシ・・・
 博多、西中洲の寿司屋「河庄本店」
 ここの寿司は旨い。今回はコハダ(コノシロ)とイワシがベラボーな旨さ。
 しっかりとした仕事をしているって言うんですかね、こういうのは。
 突き出しも面白い。
「梅わさび」ってのがあって、梅のわさび和えなのかな。
 酒にあうんだ、これが。
 何が悲しいって、博多と大阪、とんぼ帰りの出張なので、今は昼。
 酒が飲めないんだ。しかも、エアの時間はあと1時間だから、
 実に慌しい。悲しいなあ、こんなに旨い店にいるのに。
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2005.07.20 川床
 京都の川床。去年は雨で室内になってしまった。
 3年ぶりである。
 風情があって宜しい。筆者はけっこう好きである。
 梅田のビストロのマスターなど
「暑い中冷房もきかん外にわざわざ出る気が知れん」
 などと言うてますが、これはこれでありだと思っている。
 川床は鴨川では「かわゆか」、貴船では「かわどこ」と、呼び名が違うのである。

 四条大橋から
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2005.07.19 さんま
 東梅田、兎我野町の魚処「びんびや」にて。
 わたが甘いんである。
 半身程度をじゅうじゅうと焼き、わたを練ってのせるのか。
 とにかく旨い。これもこの季節からの逸品である。
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2005.07.12 ウニのトマトクリームソースリングイネ
 来た!ウニのトマトクリームソースリングイネの季節が来た!夏期限定。
 曽根崎1丁目(って、兎我野町の南なんですけどね)のピッツァリア「パーネビーノ」の逸品。
 ほんのちょっとだけきかせたトマトソースの淡さがまったりしたウニと抜群のカラミを見せる。
 旨いっす。
 ナポリ風ピッツァの店なので「カプリチョーザ」が絶品。
 生ハムも貴婦人のベルベットの素肌のような滑らかさと艶やかさが・・・ああ、もうたまらん。
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2005.07.06 ハモン・イベリコ、だけじゃない。白桃とカニのミルフィーユ
 淀屋橋のスペイン料理「エルポニエンテ」
 目の前を土佐堀川が流れ、中央公会堂のレトロな姿が目を楽しませてくれる。
 いい立地だと思う。
 スペインと言えば、イベリコ豚。その生ハムが「ハモン・イベリコ」
 さらにイベリコ豚の蜂蜜塗りグリルなど、もうイベリコ三昧。
 スペインワインも侮りがたい旨さで、こりゃあ、めっけもんの店である。
「白桃とカニのミルフィーユ」って、イメージできますか?
 旨い。どんなものかと言うと・・・あ、いかん紙幅が尽きた。
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2005.06.28 鮎のリゾット
 愛と情熱の兎我野町を西に横切り、(会社の裏側が兎我野町なのだ)
 ちなみに、関東の方には馴染みが薄いかもしれぬが、大阪で兎我野町といえば、
東京の新大久保みたいなもんである。
 一言で言えば、歓楽街。無料案内所の数たるや、モノスゴイものがある。
 閑話休題、新御堂筋、西側の再開発地区にあるビストロ「Hasegawa(ハセガワ)」
 鮎の季節に供されるリゾット。
 開いた鮎の中にリゾットを詰め、サワークリームソースがチロリとかかり、旨いのである。
 ちょっと、時期遅れの観あれど、なんとか間に合った。セーフ。
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2005.06.08 鱧(はも)しゃぶ再び
 東梅田、兎我野町の魚処「びんびや」で「はもしゃぶ」を供される。
 この店、筆者は「親爺殺しの店」と呼んでいる。
「おまかせ」を頼むと、「お造り・焼き・煮・揚げ」の4品を実に見事に出してくれる。
 毎日、メニューが変わるのも愉しい。
 初めての人には「ポテサラコロッケ」のうけがいい。
 その名のとおり、本当にポテサラのコロッケなんだよ。和えるタルタルも旨いし。
 さて、「びんびや」の「はもしゃぶ」は、先般の木村屋のそれと違い、ダシが京風。
 甘くない。これを小鍋だててやるのだが、何とも言えずいいのだよ。
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2005.05.22 鱧(はも)しゃぶ
 南淡の孤島、沼島(ぬしま)木村屋で「はもしゃぶ」を食べる。
 鱧は関西の食材だ。
 関東にいた頃は、焼き霜の梅肉和え程度の料理しか知らなかった。
 それが、関西に来て初めて知った鱧料理のバラエティの豊かさ。
 圧巻は「鱧しゃぶ」だが、「照り焼き」あり「刺身」あり「焼き霜」「湯霜」・・・
 まさに鱧を食い尽くすといった観あり。
 木村屋の「はもしゃぶ」は淡路島名産の玉ねぎと一緒にちょい甘のダシにくぐらせて
食べる。旨い。これは旨い。
 沼島の木村屋
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2001.12.21 東京初雪

2001.12.17 カーヴ・ド・タナカ銀座で復活
* 2000年8月に大久保から姿を消したカーブ・ド・タナカが銀座に復活。長引く不況、飲食店の閉鎖、身売りが多い中でひさしぶりに勇気付けられるお話デス

2001.11.28 新宿「かぶらや」閉店
* 嗚呼、寄せ鍋のうまい店がひとつなくたってもうた~

2001.11.10 東京、最高気温12.3度、12月中旬並の寒さ

2001.11.06 東京、大阪で木枯らし1号

2001.11.05 今シーズン最高の冷え込み、東京の予想最高気温15度

2001.10.19 エアコンの暖房、シーズン初稼動

2001.10.18 東京、最高気温17.6度、前橋13.9度11月下旬~12月上旬の寒さ

2001.09.22 札幌郊外で降雪
* 去年は暑かったのになあ。今年は寒いのか。

2001.09.11 久し振りの台風上陸
* 台風と言えば、停電と蚊帳。雨戸のうちつけが風物詩だったのに、っていつの話?

2001.09.04 関東地方、梅雨明けの変更。富士山初雪。この1週間真夏日ゼロ(昨年6)
* 梅雨明けが7月11日頃から7月4日頃に変更。頃とは何だ、頃とは!
  8月の平均気温は平年より低め。6~8月札幌では真夏日はゼロ(47年ぶり)。7月は猛暑。8月は東日本で猛暑失速、西日本では加速。

2001.08.21 虫の音。秋の気配。台風11号列島縦断の恐れ
* 大型で強い台風11号、速度も遅く、強風・大雨の可能性大

2001.08.18 二子玉川、花火大会。それにしても夏失速
* 暑くない夏は夏ではない。今年は6~7月が盛夏だったのだな

2001.08.12 最高気温25度を越えず。6月22日以来の連続夏日記録ストップ

2001.08.04 浜松観測市場最高の39.9度。根室は13.8度(平年よりマイナス77.5度)
* 7月の平均気温は全国20地点で観測史上最高を更新。利根川上流のダム、貯水率8月1日現在で65%。利根川水系のダムは8つ。最大の八木沢ダムでは貯水率46%。ピ~ンチ

2001.07.26 猛暑一服
* 東京の最高気温30.1℃、33日ぶりに平年値を下回った関東各地も30℃を下回り、
猛暑も一服。東北北部・北海道では「やませ」(海から吹き寄せる冷たく湿った北東風)が吹く
  ちなみに7月26日のロンドンの予想気温は最低/最高で15/26 パリは16/28

2001.07.24 今シーズン最高の暑さ 東京都心38.1℃ 7月としては過去最高。静岡40.2℃。
* 熱中症患者、関東を中心に240名越え。3名死亡。ちなみに7月26日のロンドンの予想気温は最低/最高で15/26 パリは16/28

2001.07.21 水ようかん 祖師谷 「三好屋」

2001.07.20 氷イチゴ 二子玉川 川の家
* 7月15日に初氷いちご、二子玉川の川の家にて。20日に2度目の氷いちご、鳩が欲しがり目の前に。

* 7月14日に東京の最低気温が28.2度。7月の最低気温としては最高気温というよくわからない記録を樹立。
35℃以上の最高気温、東京で連続連続3日熊谷が4日で記録更新中。さすがは内陸性気候の熊谷。


 初物は東をむいて食べよう。

 糖度が12~13は最適品。14だとあま~いあまい。
 糖度が11や10だとやや甘味にかける





2001.07.13 東京の熱中症、40人が救急車で病院へ搬送

2001.07.11 関東地方、梅雨明け
* ちなみに9月4日に修正発表・7月4日頃が梅雨明けだったとのここと。

2001.07.11 関東地方、梅雨開け

2001.07.04 東静岡県、天竜で有人観測所での最高気温を記録にせまる39.1度(最高は1933年7月25日山形の40.8度) 東京35.3度

2001.07.01 千葉で37.1度。7月の観測史上最高
* 東京36.7度(平年26.4度)熱中症患者増、え?フェーン現象?

2001.06.26 甲府で36.4度。今夏一番
* 浜松では1886年の観測開始以来6月の最高気温34.4度。東京は31.1度

2001.06.06 関東地方、梅雨入り

* 関東地方の梅雨入りは例年より2日早い

2001.06.04 東京、今年初の真夏日。最高気温31.1度

2001.06.02 葛桜(くずさくら) 祖師谷 「三好屋」

* 季節感をあしらうのが和菓子。生菓子・半生菓子・干菓子に大別され、生菓子(和生)は 御遣い物の王者。
葛桜は初夏の和生。涼しげ。

* 道明寺は関西発祥。道明寺桜餅が代表銘柄。餅米を加工した糒(ほしいい)を細分し、蒸して生地にしたもの。
餅米そのままを皮としたのが桜餅、これは関東を代表する長命寺桜餅が有名。

2001.05.26 道明寺(どうみょうじ) 祖師谷 「三好屋」

2001.05.21 とうとうエアコンの冷房、稼動。昨日迄は扇風機で我慢をしたのに・・・

* 昨年はドライ稼動は5月7日

2001.04.21 寒の戻り 東京の午後3時の気温は8.9℃ 昨日より-16℃。夏日の翌日、真冬並。

* 気温と衣服の関係は5度で1枚。30℃の時に1枚だとすると、25℃で2枚、20℃で3枚・・・
  10℃で5枚、なるほど・・・35℃以上は裸か・・・

2001.04.20 東京、今年初の夏日、最高気温26.2度。立山黒部アルペンルート山開き。札幌降雪。

2001.04.15 羽田沖 

* 4月の有害紫外線は夏と同レベル。ご注意を。

2001.04.07 柏餅 祖師谷 「瑞穂」

2001.04.01 PM12:15 桜満開 前日は真冬並の寒気襲来、降雪(桜満開後の雪は25年ぶり)    

桜の開花動向

2001年3月24日(土)  2001年4月1日(日) 2001年4月7日(土) 2001年4月15日(日)

2001.03.02 特急「白鳥」40年の歴史に幕

* 在来線の昼間の特急としては国内最長の運転区間を誇る白鳥(青森-大阪間千四十キロ)が3月2日をもって廃止。
 これを利用していつかは長距離片道切符の旅をしてみたいと思っていたのだが、その夢を果たすことなく白鳥が消える。無念。

2001.02.10 10℃を超えた日14日間、ここ10年で最少

* 1月1日から2月10日までに10℃を越えた日は14日間。これはここ10年で最も少ない日数

2001.02.04 桜餅 祖師谷 「三好屋」

2001.01.26 新宿区大久保、スポーツ会館内「保志奈」閉店

2001.01.07 初雪
* 東京の2001年は雪の当たり年 1/7・20・27・2/7・14・3/2・12・31私的記録では都合8回 

1月7日(撮影1/8) 1月20日 1月27日

2000.12.28 新宿区大久保、「一兆」閉店

2000.12.13 東京の朝の気温2.9℃、今シーズン一番の冷え込み

2000.11.29 八王子で初霜・初氷(八王子の朝マイナス0.8℃)

2000.10.04 気象庁発表。9月の東京の平均気温は1999年に次ぐ観測史上2番目の暑さ
* 25.6度(平均差2.6度)を記録。でもやっぱり、去年の方が暑かったのね。なんせ10月2日に30℃を記録していたものなあ

2000.09.18 真夏日67日。観測史上最高
* 大正12年以来の観測史上、最も真夏日の多い年となった記念すべき1日になりました。

2000.09.02 東京の最高気温37.8℃
* 9月の気温としては観測史上最高を記録した熊谷では39.7度をマーク。気温もここまで来ると、歩いていてもめまいを感じる。汗が止まらず、ハンカチはびしょぬれ。
 フェーン現象が発生したそうだが、東京で?

2000.08.19 二子玉川、花火大会
* 遠雷のような花火の音、ひぐらしの蝉時雨、けだるい夏の夕方、日本の夏だなあ。

2000.08.xx 新宿区新大久保、「カーヴ・ド・タナカ」閉店

2000.07.17 梅雨あけ

2000.07.01 今年初の熱帯夜
* 6月30日の夜の気温が25℃を下らず、今年初の熱帯夜。これはここ10年のうちで最も早い記録。東京の最高気温は33.5℃

2000.06.09 関東地方、梅雨いり

2000.04.02 多摩川堤の桜並木、まだ一分咲き

2000.01.30 さくらもち、初物

2000.01.28 この冬、はじめて東京で氷点下の朝。マイナス0.4℃

1999.12.02 戦後一番暑い秋
* 気象庁は12月2日、秋(9-11月)の気候統計を発表した。九月の厳しい残暑などが影響して全国的に気温は高く、全国147の観測地点のうち東京、大阪など39地点で同期間の平均気温が過去最高を記録した。3ヶ月の平均気温で最高値を記録したのは根室、前橋、水戸、名古屋、静岡、東京、横浜、京都、神戸、大阪など。平均気温が過去3位以内に入った地点は117に上った。また、東日本の平均気温は平年より1.9度高く、平年との差では、同庁が記録を整備している1946年以降最も高くなった。

1999.10.10 体育の日は晴れて当然
* 10月10日は体育の日。昭和39年の東京オリンピックを記念して設定された国民の祝日。したがって、快晴。
なんでかって言うと、オリンピック史上アジアで初めて開かれた位置付けの東京オリンピックはその開催日を決めるにあたって過去の気象データを徹底研究、雨の最も少ない期日を選んだというエピソードがあるからだな。

1999.10.04 9月は記録的猛暑と気象庁
* 9月の平均気温は全国140以上あるすべての観測地点で平年を上回り、そのうち7割近い99地点で同月の最高値を更新する記録的残暑であったとのこと。東京の平均気温は26.2度で平年を3度以上上回り、日照時間も関東では平年を上回った。一部では1.2倍以上とのこと。大阪の平均気温などは那覇の平年のそれと同程度だって。したがって、残暑は猛烈だったわけですね。

1999.08.21 二子玉川、花火大会
* 東名高速上、路肩に停車して花火見物をきめこむ車をパトカーが追い立てている。



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