Mac'nRoll Diaryへようこそ!
Top
Diary
Gallery & Hobby
Macintosh &
Profile
Links

Special
清水市が消えた…

アサブロ

Last modified at
26 .Jul. 2004

この一枚


No.1

 Jethro Tull

■ マニアじゃないけど、数えてみたらLPレコードが240枚ほどありました.いまではほとんどメディアはCDになってしまいましたが(150枚ほど)、LPレコードのジャケットはCDに比べて大きいだけにインパクトがあります.それでも高温多湿のこの日本の普通の家でコンディションを保つのは大変です.レコード盤面はカビが生えるしジャケットには染みが出るし...
 この写真は"Jethro Tull"の1972年発表の「ジェラルドの汚れなき世界」のCDバージョンです.ジェラルドという天才少年の社会批評の詩をもとに創られた、というふれこみですが、これは作曲者でリーダーでもあるイアン・アンダーソンの作り話ですが、一枚まるごと一曲のアルバムです.発売当時私はこのグループにはそれほど興味もなく、ちょっといいからといってLPを買えるほどお金もありませんでした.たまたまFM(NHK)で全曲(一曲!)放送されたときにエアチェック(なつかしぃ〜響き...)しました.それから時々テープで聴いているうちに、このアルバムが欲しくなりました.しかしすでに廃盤となり手に入れるころができませんでした.輸入盤を扱っている店も時々探しましたが見つかりませんでした.そして、とうとう20年後にCD化されて発売になったので、迷わず購入.ほかにも残念ながらいまだにCD化されない欲しいアルバムがあります.
 ちょっといいな、と思ったら迷わず買っておきましょうね.


No.2

KISS ALIVE!

■ KISSの初のライブアルバム「KISS ALIVE!」.私が最初に買ったKISSのアルバムでもある.やはりロックバンドはライブが命.派手ないでたちだけが目立ったようですが、音楽的にもしっかりしていたと思います.77年の日本公演のNHKでのTV放送の映像はいまでも思い出します(NHKさま!再々放送してください.#再放送は同年暮にスキーにいった民宿で見たのだ).そして96年暮れ、一度メイクを落として活動していたKISSがもう一度メイクをし、なおかつオリジナルメンバーで世界ツアーを行い、日本にもやってきた.東京公演には間に合わなかったけど、名古屋公演のチケットが手に入りいそいそと行きました.客はやはり若い者が多かったが、10代と30代半ばから40代で、不思議と20代は少ないように見えた.
 ステージはエース・フレーリーのレスポールが宙に浮きながら音を出して燃えたり、ジーン・シモンズの血ヘドもあって、なかなか楽しませてくれました.やはり彼らは最高のエンターテナーだと思う.


No.3

Robert Johnson

■ 何てったって「Robert Johnson」のオリジナルLP2枚!
 左側が本物の(?)唯一のオリジナル盤.Printは1970年代ですが、1936年録音のマスターからのもの.右はその後に出された続編でしょうか.高校生の頃何気なく手にした「John Mayall & The Bluesbreakers」のEP盤(ミック・テイラーがギターの頃のもの)を聴いて、これはいい!と感じてからはそれまで聴いていたビートルズやホリーズとかは全く聴かなくなり、Blues一辺倒に.白人ブルースのルーツはシカゴブルース(アーバンブルース).そのまたルーツとくればデルタブルースに行き着きます.そのデルタブルースのキングがRobert Johnsonです.その当時知られていたのは写真左のものが唯一でした.いまではCD2枚組でコンプリート盤として出ています(もちろん買いました )が... このLPをなんとしても手に入れたいと思いました.そして、いきつけの地元清水のレコードショップ(いまではパソコン、楽器、電化製品まで扱う、SUMIYA)のおねーちゃんに頼み込んで輸入(?)してもらいました.いまではこの様に個人の希望する輸入盤LP等を取り寄せてはくれませんよね.良き時代に手にした宝物です.


No.4

Chicken Shack

■ 昔好きだったアーティストやグループが、表舞台から消えてしまうのはとても寂しいことです.もともとヒットチャートやブームを追わないので、その機会が多い.
 この「Chicken Shack」のリーダーのStan Webbもそのひとり.この「Goodbye Chicken Shack」はChicken Shackの唯一のライブ盤であり、最後の一枚でもある.彼の不運はメンバーに恵まれなかった、ということに尽きる.オリジナルメンバーにはクリスティン・パーフェクトという看板娘(?)がいたが、Fleetwood MacのPeter Greenが脱退するや、彼女の旦那のジョン・マクヴィーがさっさとFleetwood Macに引き抜いた.Stanの不運はここから始まった.その後の代わるがわるのメンバーの力量が彼とはとてもつり合わなかったように思う.彼のギターはPeter Greenに似た、泣きのギターであるが、ちょっと粗削りで不良っぽくてとてもいい.このアルバムではB.B. King作曲の「Thrill Is Gone」がとてもいい味を出している.
 もう、あれから25年.まだどこかのクラブで弾いているのだろうか.


No.5

The Allman Brothers Band

この二枚は、つい最近CD化されたThe Allman Brothers Band のアルバム何枚かのうち、思い入れがあって購入したものです.この二作の前には、デビューアルバムの「The Allman Brothers Band」、そして名盤の誉れ高い「IdleWild South」があるけど、これは持っているLPで充分.これら二枚のオリジナルLP盤はもう発売されて30年近くなります.両方ともその当時2枚組で3000円位しました.それが今回のCD化では1枚になって1600円台.この際、CD化されたアルバム全部買ってしまおうかと思ったけど、この2枚だけにしました.左はライブ盤の「AT FILLMORE EAST」.セッション・ミュージシャンの集合体の本領発揮と言える名盤です.その後、このフィルモア・イーストの全日程の録音から再編集したコンプリート盤が出たけど、やはり細工なしのこのオリジナルが一番です.もちろん、圧巻は23分におよぶ、「WHIPPING POST」です.何回聞いても飽きません.
 右はリーダーであり、リードギターでもあり、且つバンドの看板、Duane Allmanがバイクでの事故死によって、オリジナルメンバーでの遺作となってしまった作品「EAT A PEACH」です.新たに書かれたライナー・ノーツを読んで、Duaneの事故死や、葬儀の模様を記した部分を読んで、その当時を思い出して、思わず涙ぐんでしまいました.歳をとると涙もろくなります.このアルバムでは、Duaneが亡くなった後の録音だけど、「Les Brers in A Minor」がとっても気に入り毎日一回は聴いていました.ギターはディッキー・ベッツだけど、一生懸命 Duane の味を出して演奏しています.

1999.4.18


No.6

MOUNTAIN LIVE

マウンテンのライヴアルバム、「MOUNTAIN LIVE」.なんといっても圧巻は17分以上におよぶ「ナンタケット・スレイライド」.レスリー・ウエストとフェリックス・パッパラルディのギターとベースが最高です.このアルバムには写真右のEP盤(?)がおまけに付いていました.これには3曲が納められていて、そのうちの一曲は、コロシアムも取り上げたジャック・ブルースの「Theme For An Imagunary Western」で、とても得した気分になりました.
 マウンテンを最初に聞いたのは、1969年頃だったと思うけど、この年は伝説的な「ウッド・ストック」が催された年でもあるけど、ラジオのオールナイト・ニッポンで今は亡き糸居五郎がDJの日に聴いた「ミシシッピ・クィーン」が最初でした.この曲もとってもインパクトがありましたが、そのときはまだ国内ではレコードは発売されていませんでした.発売前の曲をかけちゃう糸居五郎は神様のように思えました!?
 4人目のクリームと言われたリーダーのフェリックス・パッパラルディは、マウンテンのレコード・ジャケットを描いていた妻のゲイル・コリンズに銃で射殺されてしまいました.オリジナルメンバーによるグループ再結成はビートルズ同様不可能です.

1999.9.26


No.7

フラワー・トラベリン・バンド

「フラワー・トラベリン・バンド」の「SATORI」です.これを聴くとなぜか白土三平の「カムイ」を連想してしまいます.曲中の喚きが農民一揆を連想してしまうのでしょうか.この曲は車でラジオから流れてきたのを聴いただけでしたが、何ともいえない東洋的なドラッグ・ミュージックが印象的でした.そのときの説明では海外進出を計画.....とか言っていました.その後どうなったか知りませんが、CDが発売になったので迷わず買いました.日本人のアルバムは他には、柳ジョージ&レイニー・ウッドとVOWWOWくらいです.どちらも、もう解散しちゃいましたが..... VOWWOWは国内より英国で人気があったんですよね.

 ちなみに中の説明を読むと、Produced by Uya Uchida...とありました.

1999.9.26

  ▲ ページTop


  No.8

John Mayall & Bluesbreakers

ブルースへ導いてくれたJohn Mayall & Bluesbreakers の、エリック・クラプトン加入時のアルバム「& Eric Clapton」.基本的に初期の、というか最盛期の「John Mayall & Bluesbreakers」にはエリック・クラプトン、ピーター・グリーン、ミック・テイラーの3人の名ギタリストが加入してたが、アルバムは1枚づつしか出ていません.Mayallが個人的に出したアルバムにピーターが参加していたのはありましたが....本当は一番最初の出会いはミック・テイラーの頃のEP盤だったのですが、ライナーノーツを読んで、「& Eric Clapton」を買いました.そしてピーターの「ハード・ロード」、ミックの「ベア・ワイアード」と続きました.「ハード・ロード」のレコーディングメンバーには後の「Peter Green's Fleetwood Mac」のメンバー、「ベア・ワイアード」には「Colosseum」を結成したジョン・ハイズマン、トニー・リーブス、ディック・ヘクストール・スミスが参加していました.いずれも後にとりこになってしまいました.
 このアルバムをきっかけにして、その後ビッグ・ビル・ブルーンジー、エルモア・ジェイムス、ロバート・ジョンソン、マディ・ウォーター...とマディ..いや、泥沼にはまっていきました.

1999.10.27

 


  No.9

LED ZEPPELIN

1960年代の3大ギタリストといえば、エリック・クラプトン、ジェフ・ベック、そしてジミー・ペイジ.3人ともヤード・バーズのリード・ギタリストでした.ヤード・バーズはエリック・クラプトン時代の「For Your Love」しか知らないけど、映画「欲望」でのヤード・バーズは印象的でした.リードギターはジェフ・ベック.ジミー・ペイジはベースを弾いていました.いらいらして演奏していたジェフ・ベックをにやり、と見ていたジミー・ペイジが忘れられません.次のリード・ギタリストは俺だ!と思ったのかな? その後ジミー・ペイジがつくったグループが「LED ZEPPELIN」.グループのなりそめは知らないけど、最初に聴いた「GOOD TIMES BAD TIMES」はとっても印象的でした.いい!と思ったのではなく、うるさい!というのが第一印象でした.今から30年前の「ウッド・ストック」の時代の話です.結局レコード時代は手に入れず、CDになってから買い求めました.今ではカーステレオの定番です.

2000.1.1

 


No.10

柳ジョージ&レイニーウッド

 「柳ジョージ&レイニーウッド」を知ったのは、妻のおかげです.子供の出産のために実家に帰っていた妻が、地元のラジオを聴いて「このグループ、いいよ」と教えてくれました.丁度資生堂のCMソング、「微笑みの法則(Smile on me)」がオンエアされている頃でした.とりあえず、アルバム「Rainy Wood Avenue」を買う.「お!なかなかいいじゃん」と思った.悪い癖で、いいと思うとそれまで発表されたアルバムはすべて買ってしまった.そして名曲「雨に泣いてる(Weeping In The Rain)」のはいったアルバム「YOKOHAMA」である.日本語でブルースを歌うことに戸惑っていた柳ジョージのこだわりが吹っ切れたアルバムだと思う.
 「柳ジョージ&レイニーウッド」のコンサートには何度か行きました.最後に行ったのは二人目の子供の誕生日でした.チケットを買ったとき「やばいかな〜」と思ったけど生まれちゃったので一人で行かせていただきました.おまけに結婚記念日.....
 その年に「柳ジョージ&レイニーウッド」は解散しちゃいました.マンネリになってきたから...との理由らしいけど、マンネリでもいいものはいいのにね.

2000.4.25


No.11

Peter Green's Freetwood Mac

 いよいよ「Peter Green's Freetwood Mac」の登場です.「 Freetwood Mac」は今やビッグネームバンドですが、これはその前身というか、「Green God」こと、ピーター・グリーン率いるトリプル・リードギター・バンド、「 Freetwood Mac」です.彼らのアルバムのジャケットにはこの「英国の薔薇」と「Mr.ワンダフル」がとっても印象的です.共にモデルはドラマーのミック・フリートウッドでひょうきんな写真です.実際にひょうきんだったのはジェレミー・スペンサーなのですが....
 元々「チッキン・シャック」や「サヴォイ・ブラウン」とともに若手ブリティッシュ・ブルース・バンドとして活躍していたけど、ピーター・グリーンの音楽性の変化にともないブルージーから、メロウな曲に変化していきました.サンタナによってブレイクした「Black Magic Woman」、ヒットチャートのトップに輝いた「Albatross」等、素晴らしい曲はいっぱいあるけど、最もお気に入りは「Green Manalishi」です.しかしこの曲はなぜかライブ版しか残っていません.スタジオ録音は見当たりません.そしてこの曲を境に「Peter Green's Freetwood Mac」を続けていくのが苦痛になっていったようです.
 そして脱退、ソロ活動、ドラッグ、宗教………. そして2年前の復活!

2000.4.26


No.12

VOW WOW

■ BOW WOWからVOW WOWへ.綴りを替え、新メンバーを加えての再出発のアルバム、「BEAT OF METAL MOTION」.
 実はBOW WOWは知らない.VOW WOWを知ったのはなぜかNHK教育の「趣味講座」の一つ、「ロック・ヴォーカル」っだったか、正確な名前は忘れたけど、中村あゆみが司会をして、つのだ・ひろとVOW WOWの山本恭司が解説してヴォーカルの人見元基が実演(?)してました.そして番組の中でVOW WOWのコンサート風景も放送されて、気に入ってしまいました.クリス・ファーローばりの人見元基のヴォーカルはちょっと日本人離れしてました.山本恭司のギターも最高! 日本より英国での方が人気があったようですね.音楽的には「KISS」に多くの共通点を持つ、数少ない真のロックンロール・バンドだと思います.

2000.9.16


No.13

ジェイムズ・ギャング

 未だに古いレコードを聴くと、その当時の出来事や、心境が思い浮かべられます.このジェイムズ・ギャングの「james gang rides again/CAUGHT LIVE IN CONCERT」もその一つです.このアルバムを聴くと、30年近く前のいろいろな悩み事が思い出されます.人生のターニングポイントと言ったら大げさかもしれないけど、そのときの決断によって今の自分が在るわけですから....この先にも何回かターニングポイントは来るのかな?
 この「ジェイムズ・ギャング」はベース、ドラムスの二人、そしてギター、キーボード&ボーカルのジョー・ウォルシュを中心とした3人のコンボです.
 このアルバムはカーネギー・ホールでのライブ盤です.ロックバンドの常として、ライブでの演奏はスタジオ盤と比較にならないくらいのパワーが感じられ、全く別の曲のようなイメージにアレンジされて演奏されるので楽しみです.
 この後しばらくしてジョー・ウォルシュは「ホテル・カルフォルニア」の大ヒットをとばした「イーグルス」に参加しました.この「イーグルス」は興味ないのでその後どうしたか知らないけど、引っかき回して潰しちゃったのかな...? 

2000.11.1

▲ ページTop


No.14

グランド・ファンク・レイルロード

「G.F.R」の2枚組ライブ盤、「CAUGHT IN THE ACT」.やはり上の「James Gang」と同じ頃に聴いていました.
 「G.F.R」は「グランド・ファンク・レイルロード」の略.かつてはこのように頭文字で略したグループが色々ありましたね.有名どころでは、「ピーター・ポール・アンド・マリー」の「P.P.M」、「クリーデンス・クリアーウォーター・リヴァイバル」の「C.C.R」、「クロスビー・スティルス・アンド・ヤング」の「C.S.Y」(後にグラハム・ナッシュが加わり「C.S.N.Y」に変わった).「マイケル・シェンカー・グループ」の「M.S.G」は新しい? 長い名前の極めつけは、頭文字の寄せ集めじゃないけど、「オー・ケイ!」の一発ヒットさせた「デイブ・ディ・グループ」! 正式グループ名はメンバー全員の名前を並べた「デイブ・ディ・ドジー・ビッキー・ミック・アンド・ティック(ティッチ?)」.
 さて、2枚組でのライブ盤というのはほかに持ってないですね(クリームの「Wheels Of Fire」は一枚はスタジオ録音).たっぷりアメリカンバンドの醍醐味を聴かせてくれます.「THE LOCO-MOTION」や、「INSIDE LOOKING OUT」、「HEARTBREAKER」は最高です.

2000.11.1


No.15

Dick Heckstall-Smith

1971年に『COLOSSEUM』が解散して1年後の、1972年発表のDick Heckstall-Smithのソロアルバム、『A Story Ended』.まさにコロシアムの解散を告げるアルバムです.参加メンバーも、ジョン・ハイズマン、デイヴ・グリーンスレイド、マーク・クラーク、クリス・ファーローのコロシアムメンバーに加え、旧友、グラハム・ボンド、奇才、クリス・スペディングが参加して、雄大なアルバムに仕上がっています.

 特に旧コロシアムメンバーにクリス・スペディングを加えての『The Pirate's Dream』はダイナミックです.

 近々『John Mayall's BluesBreakers』繋がりで、ジョン・メイオール、ジャック・ブルース、そしてピーター・グリーンも参加して、ニュー・アルバムが発表になります.再びディック・ヘクストール・スミスの重厚かつ、軽快、繊細なサックスが聴けるのが楽しみです.

2001.5.4


No.16

BEATLES

なんと弁明しても私は紛れもない第一期のビートルズ世代の若手でした. 姉はプレスリーでしたけど...^^)

 「BEATLES」と言えばやはり20世紀最強のヒットメーカーだったんでしょうね.バッハ以来の....

 第一期のビートルズ世代の若手故、日本公演はおとなしくTVに釘付け.その2年後だったか世界初の衛星生中継でのビートルズの「All You Need Is LOVE 」は朝早くに起きて、やはりTVに釘付け.ポップスに目覚めて最初に聴いたのがビートルズってのは、今思うと幸せだったかもしてない.結局その後はブルースに傾倒しちゃったけど、今また当時のビートルズの曲が良く流れるようになって、ビートルズの偉大さを感じています.

 写真の真ん中は、すでにコンサートを止めてしまったビートルズの「SGT.Peppers Lonely Hearts Club Band」という、当時最も長い名前のアルバムで、実は初めて買ったLPレコードだったりします.なかなかLPなんて買えませんでしたからネ.

 内容はここで改めて書く必要もないほど有名だけど、初めて聴いたときは、それまでのビートルズのイメージとのギャップが大きかったです.おまけにこのLPにはライナー・ノーツがありません.背表紙に歌詞が載っているだけです.とにかく話題にはなりました.でも、中の曲はあまり好きではありませんでした.改めて30年以上経ってから聴くと、その先進性を感じさせられました.あの当時、ガキにはちょっと難解だったんでしょうね.

 右のLPは「BEATLES NO.5」というアルバムで、曲のほとんどが「カバー」です.ビートルズのもう一面が見える感じで好きなアルバムです.

 左は英国TV放送用の「MAGICAL MYSTERY TOUR」の日本盤.33rpm、EP2枚組です.ちなみにジャケットのトレードマークには、「apple presents」とあります.

2001.10.5

  ▲ ページTop


No.17

Blind Faith

スーパーグループといってまず思い出すのは、スーパートリオ「CREAM」でしょう.ジンジャー・ベイカー、ジャック・ブルース、そしてエリック・クラプトンの三人の緊張した関係はライブ映像を見るとよく感じられます.よく言われる音楽的思考の対立で、1968年に解散します.最も際だったのはエリックとジャックとの対立だったのではないでしょうか.というか、ジャックの才能に妬んだというか、クリームがジャック・ブルースのワンマンバンドになってしまうのがいやだったんでしょう....

 結局クリーム解散後、エリック・クラプトンとジンジャー・ベイカーは、クリームからジャック・ブルースを抜いて、代わりにトラフィックのスティーヴィー・ウインウッドを加え、さらにもう一人、リック・グレッチ(よく知らない...)を加え、「ブラインド・フェイス」を結成しました.グループとはいっても、どちらかといえばセッション・バンド的な感じだったんでしょうね.

 曲もスティーヴィー・ウインウッドのヴォーカルが目立って、ジャック・ブルースが目立ったクリームと何ら変わらない結果になって、このアルバム一枚を残して解散しちゃいました.

 ちなみにこのLPは、珍しく中古で手に入れました.

2001.12.27


No.18

Stan The Man Live

No.4で取り上げた「Chicken Shack」の、Stan Webb 1995年のライブ盤です.まだ現役で活動していたんですね.嬉しい限りです.

 当然マイナーなので日本国内盤ではなく、輸入盤です.
 中に納められている曲は、 「Goodbye Chicken Shack」と通じるところがあり、お馴染みのChicken Shack時代の曲とともに、「Peter Green's Freetwood Mac」の「Oh Well」が演奏されているのが興味深いです.

 なかでも、「Goodbye Chicken Shack」に納められていた「Thrill Is Gone」も演奏されていて、イントロの部分が全く違って、とってもメロウで最高です.

 久々の名盤です.

2002.2.23


No.19

■  URIAH HEEPは日本では3作目の『LOOK AT YOURSELF』というアルバムでデビューしました.日本では『対自核』というアルバム名で発売されました.ピンクフロイドの『原子心母(ATOM HEART MOTHER)』に次ぐいい加減な邦題が付けられました.
 そのアルバムは姉が買ったので買わなかった(笑).後から発売された1作目の『...very 'eavy... very 'unble』と2作目のこの『SALISBURY』を手に入れました.でも、その『SALISBURY』はUSA盤なので、今回のCD復刻版とはジャケットが違いました.このCD盤が英国オリジナルなんでしょうね.
 URIAH HEEPは日本では「ユーライア・ヒープ」っていわれるけど、本来の発音では「由来屋・ひーぷ」かも....デビューアルバムはちょっと黒魔術的な印象がありました.

 これは1971年に発表されたLPの焼き直しCDだけど、完璧にLPジャケットをそのままCDサイズに縮小して制作されています.おまけに印刷された曲目もそのままで、CDでは順番が違っているので当てになりません.

 16分に及ぶ「SALISBURY」はとてもドラマチックなのですが、20何年か前にこの「SALISBURY」の長いイントロをまんまコピーしたような曲を日本の女の人が歌っていたのをラジオで一度だけ聴いた事があります.それっきりで、あれは何だったんだろう...と、未だに不思議な想い出です.

2002.8.25


No.20

Blue Cheer

■ 2004 年の聴き初めはBlue Cheerの「Summertime Blues」 でした.夏でもないのに….
Blue Cheerの曲はヒット(?)したこの「Summertime Blues」しか知りません.多分ヒットしたのはこの一枚だっただと思います.手に入れたCDは「メイド・イン・ジャーマネー」なので、詳しいことは解りません.
彼らのデビューは、最強トリオのクリームの全盛期か解散間際の1968年ごろ.ギター、ベース、ドラムスによる最小コンボはジミ・ヘンドリックス&エクスペアリアンシスもしかり.ロック坊主の憧れだったんでしょうね.

ファズを効かせたギターと、重厚なベース、軽快なドラミングが爽やかです.爽やかってロックにゃ似合わないか^^)

2004.3.12


▲ ページTop
[Back]

 


Mac'nRoll Diary はリンクフリーです
green_manalishi@mac.com