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TOP アピール! 2007年07月

被写体の尊厳は?

動物虐待防止会


かなり前から気になっていたことがある。

それは、行政のいわゆる愛護センターに収容された犬たちの写真が、ひろくもてはやされていること。展示会やイベントなどにも利用されているらしい。そしてそれが観る人に感動を与えることも想像がつく。

しかし、と考えてしまう。
収容された犬たちの恐怖、諦め、又はヒトが近づいてくれたことへの微かな希望…それらをこのように晒しものにしてよいのだろうか。

ヒトの場合、迫力を求めて已まない報道写真家すら、遺骸を写すことはない。死に追いやられる人を撮るのも慎むはずである。例え写しても発表は躊躇するであろう。
動物の場合には斟酌なく激写・発表するのが普通のようだ。例えば旱魃の野に斃れた牛など、また、阪神大震災の時の猫の焼死体。私どもは随分無神経なと反発を感じるが。

写真家はそれを「なりわい」としているのだから、作品を「売る」のは当然である。
が、動物保護乃至愛護を掲げる人々、もしくはその立場に共感する人や機関が、収容犬たちの写真を「利用」するのはいかがなものか。

多くの保護・愛護団体は、生命=動物の尊厳を説く。その動物たちが絶対絶命の境に追込まれている表情を、姿を、見世物にされている。そのことは、かれらの尊厳をいたく傷付けているのだと気付かないのだろうか。かれらの基本的権利は? 「人寄せ」が出来ればそれで良しとするのか。

写真をとどめた犬たちは既に亡い。成仏できているのかどうか、超能力者に聞いてみたいとさえ思う。

『動物ジャーナル58』より