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動物虐待防止会設立まで

青島 啓子


 パソコンとかインターネットとかホームページとか、無縁であろうと考えていた私が、やむを得ず購入し、少しずつ馴染んでゆき、やがて「動物愛護団体」を考えるページ」に行当りました。そして『動物ジャーナル』に分割連載を始めたのはご覧の通りです。その内容に同感できる点が多々あること、また、別視点で私の経験した時期の問題を批判してあること等が掲載の理由でした。
 連載を重ねるにつれ、自省も含め、自分の経験を再確認しようという思いが深まり、同時に読者諸賢に「私のあり方」判断を仰ごうと考え、1992年『動物ジャーナル』創刊準備号(非売品)のこの文章を転載することにしました。
 発刊から十二年を経過し、動物虐待防止会って何?と思われる読者も多いと思いますので、この再録により私の志のあるところを理解していただけましたら幸いです。

 身のまわりにいるねこや犬と楽しく暮す生活から、一歩ふみ出すことを強いられたのは、東京都のペット条例がきっかけでした。
 正式には「東京都動物の保護及び管理に関する条例」という条例が1978年秋ごろから準備され始め、翌80年4月1日施行となりましたが、その間の市民の反撥は大変なもので、その勢いを結集したのが、自然と動物を考える都民会議(後に市民会議)でした。
 それまでに、私はジョジョという子が行方不明になったのを探しまわる過程で、猫とり被害者の会、日本捨猫防止会、動物愛護同盟等々の先輩方に動物をめぐるおそろしい実態を知らされ、考えさせられていましたが、このペット条例立案のうさんくささに黙っていることができず、自然と動物を考える都民会議の活動に参加しました。
 自然と動物を考える都民会議はペット条例成立後も、改正要求請願や「動物の保護および管理に関する法律」(法百五号)の第九条(不妊手術奨励)、同第十三条(捨てると罰金)二項のPRを要求する請願、実
験への払下げ廃止要求の請願等出しつづけ、私は起草や署名集めに協力しました。けれどもやがてこの会と特定政党とのつながりがわかり、84年10月にこの会を離れました。所属していた最後の頃の会報に、欧州へよく行かれる会員が「ヨーロッパでは不妊手術の問題はもう終っていて、現在は動物実験や毛皮にされる動物の問題にとりくんでいる」と発言なさっていたのが印象に残っています。
 独りでできること ― 結局は書いて訴えていくこと、と悟り、わが家に捨てられ猫が集まる速度がましたこともあって、先ず、猫たちの実情を本にする計画をたてました。自費出版のつもりが、幸運なことに講談社刊『愛
をくれた猫たち』となって86年夏、世に送り出され、多くの読者から激励のお便りをいただくことができたのも、うれしく心強いことでした。
 ちょうどその頃、日本みどりの連合の太田竜氏が欧州で会議に参加、帰国後日本でも動物実験問題を推進しなければということから、動物愛護団体に呼びかけられたようです。私は知人に誘われて会合に出席、実験糾弾のための外国のポスターを直視できず、心痛胃痛が長く続いたのを思い出します。この衝撃から、まもなく設立された動物実験の廃止を求める会に加入、外国の資料、情報等によって、動物実験は科学の方法として信頼できぬものであることを学び、実験廃止の運動にたずさわる覚悟を固めました。
 そもそも都のペット条例成立の裏には、犬や猫を必要とする業界の暗躍があると当時取り沙汰されていました。それ故、自然と動物を考える都民会議の都への請願も、実験用払い下げ廃止を太い柱としていたのですが、その頃実験に関する情報は片々たるもののみ、具体的に追及できるほどの手がかりはなく、まして
理論的に廃止を訴えて行く能力もそなわっていませんでした。ですから動物実験の廃止を求める会への私の期待は大変大きなものでした。
 それゆえ、日本みどりの連合の内紛が、動物実験廃止を目的とする会にも波及して、二つ(動物実験の廃止を求める会と日本動物実験廃止協会)に分裂した時も、私は、数が増えてめでとうござんすと、落語もどきに祝福したものでした。もともと少々不遜ながら、動物の代弁者に徹しようと考えていた私にとって、ヒト同士の争いはどうでもよかったのです。ですからヒトの思わくは無視して両方の会に所属し、日本動物実験廃止協会会報「コンパッション」によって、内外の情報や論点を把握し、動物実験の廃止を求める会の中で、自然と動物を考える都民会議以来の実際的活動の継続を、と私なりの努力を続け、片方では現実の犬猫の救済、たとえば身の程もかえりみず、動物ゆえに行きづまった人々の救済にのり出したりもしました。
 このような積み重ねに曙光が見えたかと思われたのが、動物実験の廃止を求める会会員の救出した実験犬、いわゆるシロちゃん事件でした。
 この実験に供された犬の無惨な姿がマスコミで報道された時、多くの人がショックを受け、動物実験について考えこまされたであろうと推量されます。その証拠に、動物実験の廃止を求める会の会員は一挙に増えました。そして会員による今後の運動論議も活発に行われるようになりましたが、運動そのものの論議とは別の面、即ち運営方法についての議論の段階で、一会員から会計疑惑が提出され、にもかかわらず帳簿の公開、検討もなされずという「事件」があり、それを発端に疑惑は他の面にも及ぶという状態になってしまいました。
 私自身は、シロ事件をきっかけに運営面での相談にもあずからざるを得なくなっていましたが、いわば会の性格付けに関する諸点に疑問を抱くようになりました。要約しますと、
1) 名簿非公開―会員間の輪・和を作り上げていくことができない。会員数も不明、従って会費収入も不明。
会員であることをかくさなければならない人は会員にふさわしいのか?
2) 寄付者の名を全ては公表しない―公表されて困る寄付者というのは、会を籠絡し内部からつきくずそうとする人ではないのか?つまり会が特定の団体・企業等のひも付きになる可能性が生じないか? 一般的にもその例が多い。
3) 会計帳簿非公開―会計簿は会員に等しく公開されるべきである。恣意的に特定した会員に対し、事実上帳簿を握る人が公開を拒否する類のことは、会の私物化につながる。
4) 一部の会員への費用支給―ヴォランティアが原則の活動に、会員に対して経費以外の労賃等が支払われるようになった。このことは、これで生活する者を発生させ、その結果運動そのものが目的となり、運動終結―実験廃止を目指す姿勢が消滅する。労賃支給は会員以外の専従者へ限定する等細心の注意がなされないと、公私混同を生じてしまう。
 右の諸点によって私はこの会の性格・方向に危険を感じました。そして本年度総会を前に、「運動」そのものを目的とする者の独裁性を保証するような会則案が提示され、総会においては、人任せ的な人の数の力
をかりて、無修正可決となることが確実視されたので、総会(1992年2月15日1時始)直前、同日正午をもって脱会する旨を会へ通告しました。
 またまた一人ぼっちです。
 けれども、この十数年の間に、いろいろな会を通じて、またそれ以外の場で、動物に対して熱い思いを抱く方の大変多いことを知りました。
 動物に向けられている理不尽な攻撃を理不尽と感じ、種々の努力を続ける方々―そういう方々の意志や感性が、人類に普遍のものとなったらどんなにすばらしいでしょう。これは単に動物のためだけではないのです。他者を気づかい、自己を制する生き方、これは動物たちを思う人に共通する傾向と思われますが、このような生き方が実現できれば、日常の暴力沙汰もなくなり、この地上の平和も達成できるのではないでしょうか。そしてこれこそ〈共生〉の基本と信じます。
 今、私は、これまで御知遇を得た方々の、その時々のお気持を心の中に甦らせつつ、それを力に第一歩をふみ出そうとしています。
 顧みますと、自然と動物を考える都民会議、動物実験の廃止を求める会にかかわったことは回り道のようにも思われます。両会に期待したのは動物たちの世話に時間をとられる私たちには不可能な事柄を代行してもらうことでした。けれどもこの種の運動体は、いつの間にか所有者のようなものが出来、動物のためという基本さえ百パーセントは守られることがない、ということも観取されました。
 普通の市民運動にはよくあることだと聞きます。運動屋と呼ばれるプロも存在するそうです。市民運動には無縁だった私の無知ゆえの回り道だったのかもしれませんが、一般の市民運動がそうであるとしても、動物にかかわる運動は決してそうであってはなりません。プロの運動家=運動屋は「運動」そのものが目的なのであり、その存在自体動物を道具とし、搾取するものと言えるからです。
 一友人の言に「黒人解放運動は黒人が、女性解放運動は女性が中心でやってきた。しかし動物解放運動をやっているのは動物たちではない」と。
 動物運動の難しさはここにあります。動物本にんが行動し発言しているのではないため、当然かれらの意志や希望をヒト社会に伝えることは不可能です。そして動物運動はヒトとその言語で進めなければならない以上、代弁者が必要となりましょう。
 聖フランシスコやドリトル先生の再来を望み得ない今、少くとも動物の代弁者に徹することのできる人間が、動物運動にかかわってほしいと思います。もう一言、言うならば、動物運動にかかわる人間は、代弁者に徹する立場に立つべきです。
 私は不遜にも、動物の代弁者を以て任じようとしてきましたが、それが現在は必要だと納得されましょう。動物虐待防止会は、この原点を忘れないようにして行かなければなりません。
 この会の名称は、二十年来胸奥に秘したままでしたが、今年一月、初めて新聞紙上に現れました。それを機に英名も定め、以来、宇治市近辺の母子猿事件、ワシントン条約京都会議、JR線路転落検知マットのら猫の件等々に際し、使用してきました。詳細については以下の資料をごらん下さい。それによって、この会の傾向をご判断いただきたいとおもいます。
 なお『動物ジャーナル』発刊を機に、これまで会員として活動していました日本捨猫防止会と日本動物実験廃止協会両会とも退会し、動物虐待防止会の仕事に専念することにいたしましたことを付け加えます。