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■ 動物ジャーナル89 2015 春

自治体の敵は自治体 ー「控帳」から

動物虐待防止会 ・動物行政観察班

前置
刺戟的なタイトルにびっくりなさるかと思いますので、この稿を企画した事情を説明いたします。

 動物虐待防止会はこれまで動物行政に関心をもち、『動物ジャーナル』上にも種々の要望・要請・質問・アンケート実施等を報告してきました。また、行政機関が、その関与する法律・条例を遅滞なく機能させているかも観察してきました(例えば法改正によって「動物取扱業」に変化があった時など)。
 そのような「行政観察」を続ける中で、最近とみに「変化しつつある」と感じられ、それはどういう
ことなのか同志と話し合うことが多くなっていました。それで、個々の観察をもち寄り、整理して、今後の資ともすべく、まとめておこうとなった次第です。

 同志の個々は、各種の問題で行政と接触した経験豊富な人々で、記憶力抜群・するどい洞察力・幅広い人脈・冷静な分析力・判断の柔軟性・等々を、個性的な割合で保持する頼もしい方々です。この稿をまとめるにあたり、仮に「動物行政観察班」と名付けました。
 従って、個性的な文章が集りましたが、あえて個性を消し、そっけない文体にしてあります。表現の責任は青島にあります。

 内容は、同志が一九六九年以来(お人によってその後以来)収集した事例を集めた「控帳」から、本稿を初回として今後も随時とり出して披露し、読者諸兄姉のご検討ないしご判断材料に供します。中には「自治体の味方か」と感じられる資料もありますが、当会の立場は無色透明。ただ不正と不潔が嫌いという一点だけは動きません。
 観察する対象は、動物行政に関る機関全て。時によって関連してくる立法府の人々(議員など)を含みます。
 折角の企画ですので、お読み下さった方の反応を知りたく、異論・批判を含めて、また情報も、どうかお気軽にお知らせ下さい。はがき・メールなど単純なものを歓迎いたします。

1.時の流れなのか…
 その昔或る自治体の動物愛護担当幹部と話(正確には猛烈な言い合い)をした際に「キミたち愛護は自治体の敵だ」と言われたことがあった。今ならば、こういう発言は「動物愛護担当幹部は市民の声を聞かない、官民協働の精神にも欠ける」と叱責され、謝罪させられることになるのかもしれない。
 しかし、意見の対立が生じることは議論出来る環境があったことであり、これ自体悪いことではない。もちろん根拠も争点も事実に基づくものであることが前提であるが。
 今にして思えば大阪万博の頃の動物愛護担当幹部の中には、声がでかいだけでなく、自費で外地視察する等、自らとことん考え、「星の王子さま」に登場する狐のごとく心で見つつ、事実に基づき論陣を張る、なかなか手ごわい相手がいた。
 当時の職員との議論乃至言い合いも、当然中味のあるもので、もはや現在では望むべくもない。

今どきの愛護担当職員さん

 昨今フェイスブックでライトな思いつきを垂れ流す動物愛護職員と、それに間の手を入れる一部愛護諸氏の関係は、ナチの総裁と親衛隊との関係さえ彷彿させるが、犬や猫、兎たちと共に暮す動物愛護担当ではない行政職員に尋ねてみると、日常業務を行う中、フェイスブックに時間を割くことなど不可能とのこと。これは、愛護担当職員も同様であろうから、動愛法遵守細目すら守れない生体繁殖・販売業者や、動物園、動物病院、愛護グループ等の監視指導を適切に行っていれば、なおのことヒマはないはずである。
 興味深いことに、このような自治体に限って、遵法精神のない者を愛護推進協議会委員にしたり、動物関連法や遵守細目すら守れない者に首長が表彰状を与えたりしている。頼りになる親衛隊から怒られ嫌われたくないので厳しく出来ないのか、それとも無知又は職務怠慢なのか、理解不能。時の流れを感じる。
 そもそも、悪徳の烙印を押された生体関連業者の中にも法令をきちんと守っている者がおり、愛護を訴える業者の法令非遵守にはチェックも入らない等のことは法の上の不平等と言える。こういう不平等については、愛護法に詳しいとされる弁護士らしき方も先進自治体様も、お忙しくて考えもしないらしい。マスコミが殺処分ゼロもしくは先進事例として持ち上げる自治体の全てが「公務員服務の宣誓」(注1)を無視しているようである。

(注1)公務員として任用された時に署名して、任命権者に出す宣誓書のこと。
○地方公務員の場合、地方公務員法第3章6節に基づき、全自治体同一文面。
 私は、ここに、主権が国民に存することを認める日本国憲法を尊重し、かつ、擁護することを固く誓います。
 私は、地方自治の本旨を体するとともに、公務を民主的かつ能率的に運営すべき責務を深く自覚し、全体の奉仕者として誠実かつ公正に職務を執行することを固く誓います。 
   年 月 日  氏名    印

○国家公務員の場合、国家公務員法に基づく「職員の服務の宣誓に関する政令」による。
 私は、国民全体の奉仕者として公共の利益のために勤務すべき責務を深く自覚し、日本国憲法を遵守し、並びに法令及び上司の職務上の命令に従い、不偏不党かつ公正に職務の遂行に当たることをかたく誓います。
   年 月 日  氏名    印

愛護担当職員の推進員活用

 動物に関する苦情が持込まれれば、電話一本、愛護推進員に出動要請をかけ、職員は座して動かず。おまけに事後の報告も求めない完全丸投げ状態。立ってるものは親でも使えと、保健所も同様のありさま。
 なぜそうなのか事情を聞くと、往々にして、この種の職員は「配属されてまだ間もないので…どう対応したら良いか解らない」もしくは「先輩達もそうしている」と言訳するばかり。対応方法は解らないが、難儀なことであるのはしっかり理解したので避けたいと、逃げたい心理も見え隠れ。
 自分も覚えがあるが、きっと「新しいことはするな」「目立つことをするな」「和を乱すな」という悪い先輩の教えを守っているらしい。こんな日常なので、昇進しても動物に関する苦情対応術を学ぶことはなく、永遠に愛護推進員が対応しなければならない。しかも推進員任せなので、公として妥当性ある解決に至ったかどうかは、まさに神のみぞ知る…。
 呆れる例はまだある。愛護推進員の知人が「動愛センターから飼育が難しくなった飼い主への対応依頼が入った」とツィッターで実況中継を始め、不適切とされた飼い主がネット上で〈無責任な奴〉と認定されてしまったり、同じくツィッターで推進員が、センター職員と当該飼い主とのやり取りをこと細かに解説中継したり等、公である動愛センター発の事案なのに、守秘義務もなんのそのと暴走する。民間でも厳格なルールを持つ団体なら明確にアウトとされる事がまかり通る現状。
 試しに複数の知人に、このツィッターについて感想を求めたところ、「人民裁判や私的制裁(リンチ)と何ら変りない/何よりも、何の為の実況中継なのかまるきり分らない/バカじゃないか/理解できない」との意見が大勢を占めた。
 右のケースは、東京都愛護推進員の知人及び神奈川県愛護推進員の例である。本人たちは至って真面目で終生飼育啓発の心算らしいが、一九七〇年ごろからの反愛護動物共生者や反動物愛護者による根強い指摘「犬猫には優しい又は優しい振りをしても、明確に人には優しくない」を地でいく事象になってしまっている。ついでながら、この動物愛護推進員は動物取扱業でもありながら、遵守細目違反というおまけ付きという、お決まりのパターンの人でした。

「ボランティア」というもの

 そもそも、ボランティアをいかに適切に活用していくか、検討されたのは二〇〇一年。損害保険協会とNPO団体が中心となって、あらゆる問題やリスクについて検討されている。
 想うにこの種のボランティアというものに付きまとう頭の痛い問題は、その定義。すなわち単なる無償労働奉仕と言い難いことにあるであろう。おのれ自身が考えて参加し、主体性を持ちつつ責任も持ち、金品は勿論、誉れも求めず、多くのメンバーと一緒に或る時は痛みを或る時は喜びを感じ、細くても出来るだけ永く活動する…これがほぼ定義となると思うが、それを如何にして理解してもらうか…至難の業のようだ。
 特にこれまでの実例から考察すると、動物愛護系のボランティアは、中々難儀な部分がある。例えば「或る愛護グループで活動したが、奴隷のように扱われた」等の相談を受ける場合があるが、確かに受け入れ側が単なる労務費削減の為にボランティアを使っているとしか思えないケースがある一方、ボランティア側も、自宅で飼うと犬が病気した時大変だから、または集合住宅なので飼えないから、触れ合いたくてボランティアを志したのに、食器洗いやおしっこシーツの交換、飼育部屋の掃除ばかりさせられ、全然自分と犬だけで触れ合う時間をくれない、もしくは犬の散歩がしたいのにさせてくれないなどの不満をぶちまける人も少なくない。
 更に、自分の置かれた立場を不遇な動物に投影する為か、これまでボランティア自身が生きてきた人生観等が一気に吹き出ることがある。仮に独特の人生観を主張してきたとしても、そのボランティアの生き様ゆえに安易に完全否定など出来ないことではある。しかし、公益団体や行政は常に公益を考えざるを得ない立場であり、ボランティアには一定の枠(ルール)に従ってもらうしかなく、一方ルールを厳格な小さな枠にし過ぎるとボランティアならではの声を拾い上げることが困難になる。官民協働の輪などと安易に言えるほど単純なものではない。
 では、と、カリフォルニア州保護施設ばりの仕来りをそのまま持ち込んでも反感や誤解を生むと思う。本当の意味で「動物愛護ボランティアの適正運用」は容易なことではない。
 ならば「動物愛護ボランティアのあり方」教育をと望んでも、その教育ができる講師が日本に存在するのか、はなはだ疑問である。

自治体への不満はたまる

 前述・動愛センターから依頼された愛護推進員の犬猫相談一部始終を、ツィッター等で実況中継するという人民裁判まがいの事象が、誰でも閲覧できるネット環境で行われるとなれば、非動物共生者を含む多くの市民も当然見ることができ、反発を招くことになるのは火を見るより明か。それに加えて、適切にまともに野良さんたちをケアする猫ボラさんまでが同類扱いされてしまうというやりきれない例も発生している。
 それでなくても、自治体譲渡登録団体が行う保護犬の譲渡会をのぞいて見たごく普通の犬共生者が「怖い思いまでして、うちの子には毎年予防注射をして、登録もしているのに、自治体に協力すれば、この団体のように接種が免除になるって本当ですか」「何で知事はこんな人たちを表彰するの?」という声が出ている。譲渡団体優遇が知られるようになれば、不公平感が広がっても不思議ではない。
 こういう状況であれば、自治体の動物愛護事務事業への理解など得られる筈もなく、このような不信不満が当会に寄せられる度に、「全国全ての自治体が、ご不満のような事をしている訳ではありません」と強く伝えるものの、怒っている人全てと話ができる訳ではない。「最大のクレームは苦情や怒りのたけを全く見せないことだ」という大原則から言えば、怒りのマグマはため込まれたままとなっているわけで、当会がいくら説明したところで焼け石に水である。
 結果として、程度の差があるにしても、自治体への内なる不満が解消されない限り、犬猫への公金投入などに賛成してもらえるはずはない。まして、もともと「受益者負担にすべし」と、潜在的に手厳しい意見が多い東京のような場合、予算の増額はおろか、多少の金額をひねり出すことすら「大事業」となる。
 さらに内閣府は、自治体動愛センター改修事業への補助金要請について「要望する自治体は多いようだが執行に問題点あり。見直せ」と押し返す(注2)。また財務省は、飼犬等の不妊手術・迷子犬探索用マイクロチップ装着などと具体的政策を名指しして「財源は国を当てにするな! 自分で捻り出せ」と主張する(注3)。これら国の動向を見れば、残念ながら、将来導入の可能性を否定できない自治体独自の動物行政向け新税なんて、夢のまた夢。
 でも、ドイツドイツと草木もなびく中、一部の愛護諸氏がいだく幻想に共鳴していると、動物愛護担当職員の人生を一変させる〈民間への完全アウトソーシング/早期退職募集/解雇/転籍〉という事態が夢と消えることは決してないと思われる。

(注2)「内閣府行政事業レビューシート」に多数指摘のある中から二例を挙げると、11年度事業番号175及び13年度同番号241。
(注3)財務省主計局「地方財政関係参考資料」(2013年、2014年)

2.自治体の敵は自治体

改革・改造は可能か

 こういう状況を観察するうちに、数年前からこんな妄想をいだくようになった。すなわち、
…もし自分が自治体の動物愛護担当責任者になったら、迷わず、開口一番、部下に「既に自治体の敵は愛護にあらず」「自治体の敵は自治体」と徹底的に叩き込む。合せて財政再建担当職員に対して、「どんなに削ってもかかるものはかかる」「動物愛護事務事業に近道・抜け道はないこと議論の余地なし」と言える説得力を身につけるよう鍛錬する。
 それから、自治体向け専門誌の類(注4)や『全国知事会先進政策バンク』にも目配りを怠らず、今や「敵はうちにあり」だから、『自治労自主レポート』(全日本自治団体労働組合刊)のチェックも欠かさないであろう。

(注4) 「月刊ガバナンス」(ぎょうせい)/「都市問題」(公益財団法人後藤・安田記念 東京都市研究所)/「自治研究」(第一法規)/など。これらには、経費節減、めざせ官民協働、殺処分ゼロなどの文字が満ち溢れ、「タダほど高いものはない」のに可愛い・可哀想という魔力に取り憑かれてしまった姿をさらしている。

 また、責任者の責任として、当然業務内容の詳細を把握する。
 近年力を付けてきている監査委員から本当に必要なのかと指摘を受け、あれこれ追求される切っかけにもなっている全動協(注5)。実もなく、環境省と同じく頼りになる兄貴でもなくなっているから、ここは監査委員様のお達しに従い、旅費や諸費用の捻出が出来ないことにして、全動協の年次大会には参加しないことにする。仮に社交上止むなく参加したとしても、索敵の為にダンボのように耳が大きく感度の高い若手を出席させ、「夜の酒席でも絶対に腹を割って話すな」」「傷口を舐め合うな! それは犬に対して失礼だ」と強く命じる。 

(注5)全動協=全国動物管理関係事業所協議会。全国の動物愛護担当課が加入する協議会で、自治体各々の実情等を国に上申するなど、現場が仕事しやすくすること=市民にも動物にも幸が訪れることを目的にしているとのこと。なお、全国知事会及び監査委員会の指摘通り、低額とは言え公金が使われているため、何らかの改革が必要。

 これだけ徹底する理由はカンタン、「不良少年の誘惑に負けてはいけない! 付き合ってはいけない!」と親が徹底的に子供へ言い聞かせるのと同じこと。
 具体的に記せば、世間にもまれた団塊世代職員が定年で現場を去り、後継者が育っていない府県や、目を覆うばかりのいびつな動物行政に傾く政令指定都市や中核市などが台頭、「自治体としての動物愛護事務事業」を忘れはて、遵法精神のない一部愛護諸氏のしもべとして、民間の動物愛護運動同様の働きをしているからだ。
 そもそも自治体の動物愛護事務事業と民間の動物愛護運動は全く別物、これは一般常識のはずだが、その区別すらついていないように見える。本道に立ち戻らせるのは至難の業かも、と、妄想は消える。

例えば東京都

 全動協が本部を置く東京都は、一九七〇年代からの観察によると、動物嫌いを含む全都民に政策を伝える熱意もなく、近年では自らが所管する法令さえ守る遺志がないようだ。
 その故に「遵守細目不遵守者であると情報提供したのに、都庁担当課から延々放置された/自宅近くが地域猫モデル地域らしいが、その詳細を聞いたら詳細は言えないの一点張りだった/地元の役所に聞いたら困った様な感じだった」等の信じ難い相談を当会が受けることも、気付いたら珍しいことではなくなっていた。

 全ての市民の理解を得るのは容易でないにしても、動物が苦手だし一部愛護推進員も避けたいと思っている市民が我慢を強いられる動物愛護事務事業はあってならない。何故なら、何よりも動物に対する増悪を生み、増殖させることになり、このような対応は行政として恥ずべきことだから。それぞれが全く面識のない相談者たち(一般市民)が共通して述べる言葉をそのまま拝借すれば「東京都は社会人としての一般常識がない」。これには当会も百パーセント同意せざるを得ない。

 一般常識がないという手厳しい意見が出るには相応の理由がある。
 あまり報道されず、全国ネットのワイドショーや夕方の帯ニュースでの後追い特集も殆どないが、都の職員の非行はかなりのもの。動物愛護担当課が所属する福祉保健局だけでも「自転車泥棒・お惣菜の万引き・痴漢・暴行」に加え、「個人情報文書やデータの無断持ち出し」「職務中にアダルトサイト閲覧、熱意があった為か残業、しっかり時間外手当&タク
シーチケットをゲット」「お腹が空いていたのか、福祉施設の備蓄食料や給食を職務域外で部下と共に実食&お持ち帰り」等々のつわものがいる(注6)。これに教育委員会を含め都庁全部局の非違・不良行為がプラスされるので、報道では他府県の不祥事も目立つが、東京都だって負けていない。
 また、管理職である所長に責任があるか若干疑問だが、「若い女性への付きまとい事件」。全動協本部がある都の八幡山動愛センター職員がこういう事件を起し、逮捕される珍事まで発生した(注7)。当会が世田谷区にあるため、「お宅は人間虐待は扱わないのか」と皮肉られてしまったことである。
 若干名の不祥事のために即「怠慢自治体」と断定されることはないにしても、往々にして同類と見られることは回避しにくく、都が「愚連隊」と烙印されるのも仕方がないかもしれない。

(注6)東京都総務局人事部服務班2014〜2015年懲戒処分発表より。
(注7)東京都総務局2014年三月三日付、懲戒免職発令より。

3.市民の声で議員は動く?  
 過去に知事への手紙もしくは県施設に設置されたご意見箱に「何故うちの県にはハルスプランがないのか」「何故うちの県は東京都のように動物保護指導員を置かないのか」などの質問が市民から来ていたと思う。

 近年では「○○県では先進的な取組みをしているが、どうしてウチの県(市)では出来ないのか」「なぜ熊本のように殺処分ゼロにならないのか」「なぜ神奈川のようにゼロにならないのか」「ウチの知事(市長)は動物愛護の意識が足らない」「なぜ動物愛護推進員が少ないのか」などと質問内容も変ってきていると思われる。
 当会にも「熊本市に比べて自分が住んでいる自治体が動物愛護の意識が足らず、駄目なので活を入れて欲しい」等の依頼があるが、「なぜ駄目と思うのか? どの部分が駄目なのか?」と反問すると、「○○に書いてあった/△△が言っていた」と、殆どまるで判で押したような答が返ってくる。
 当会は、その情報の間違いは間違いと指摘し、おおむね納得してもらえるが、中にはいくら説明を尽し、資料を送っても理解してもらえないないケースがある。相談者がその情報を信じるならそれも個人の意見、それに対して云々するつもりはなく、根拠とする情報の事実誤認が溶けなかった力不足を歎くのみ。

 ただし、これが個人でなく、議会という場で事実誤認のまま主張を繰り広げるとなると、影響は大きくなるし、「話は別」となる。
 例えば、動物愛護に目覚めた議員が、聞きかじりの知識や、支持者の意見を聞き、資料を貰い、これを少し直せば質問趣意書になるという安直な考えで、委員会や本会議に提案することがある。
 往々にして、この手の審議は不確かな事実を基に行われることが多く、この世界?の初心者らしい議員でも、ネットで情報を探せば、いっぱしの政策通に見えるように振舞える。
 しかし、議会での質問後に、議員や政策担当秘書等に質問内容の詳細を聞いてみると、即刻付焼き刃が露見、「〇〇に書いてあった/△△が言っていた」と平均的市民同様の返答しかできない。伝聞内容の確認も考察もなく、また、質問の中味を市民から問われることを全く想定もしてないらしい。これでは一部マスコミの垂流し報道と大差ないのではないか。

 こんなふざけた背景の質問でも、省庁や自治体の事務方は答弁書を作らなければならず、労力の膨大な浪費は気の毒のかぎりである。ましてこのような、砂上に楼閣を築くような審議が、人にも動物にも幸せをもたらすとは全く考えられない。
 そもそも議員の議案提出の手順として、質問前に議員と事務方が打合せする機会があることを考えれば、議員は慎重に謙虚に事務方の意見を聞き、事務方は〉住民に選ばれた人〈として議員を尊重しつつ、質問で恥をさらす前に適切なアドバイスをすることが望ましい。

 地方自治体と官庁=国では違いがあるかもしれないが、こういう話を聞いたことがある。
 或る官庁OBの自称猫キチさんによれば「昔はヘンテコな質問をしようとしている議員に対して、省の担当課がざっくばらんに「勉強が足りない! 出直せ!」と切り返したこともあった。議員は自らのスキルのなさに気付き、質問しようとした問題に関していっそうの考察を深めたという、或る意味で妥当と言える関係があったものだ」とのこと。
 しかし時の流れと共に「勉強が足りない」と指摘することが「官僚の横暴」と受取られるようになり、これに省の担当課のスキル低下や気概の衰えが加わり、「面倒な事は止めよう」「いいんじゃない、質問したいって言ってるんだから」と投げやり状態に至っているとしか思えない。
 まぁ、衆参議員の質問内容に対して「それは事実と違っている」とか「立法考査局の一夜漬け程度の報告で質問なんかするな」と指摘するには相応のスキルと度胸が必要であろうから、現在の官僚には、少なくとも環境省には、望みようもない。我々としては大いに望みたいが、無理強いは虐待なので止めておく。

4.「愛誤」のヒト・ヒト感染力

 当会関係者の十年以上前の体験談です。
 或る時、胃痛が長引き、市販の薬を飲んでも駄目、次第に味噌汁も受け付けず、大好きなサツマイモの天ぷらも匂いだけで吐き気をもよおし、近所の病院に行ったものの好転せず、或る大学病院を受診したところ、問診で「何時ごろから痛みますか? どの辺ですか? 猫は何匹飼ってるの?」と聞かれ、思わず七頭ですと答えてしまったが、胃痛と何の関係があるのか、人畜感染症がテレビ等で話題になっていたなあと、ふと紺色セーターの袖口を見ると同居猫たまの毛が数本。これが原因かと思っていた。
 その後、保険外診療(当時・注8)を受けることになり、治験に協力する旨の承諾書にサイン。治験協力といっても、おちょこ一杯の苦くない検査薬を飲み、風船に自分の息を吹き込むだけの検査(尿素呼気試験というそう)。それから内視鏡検査があり、ピロリ菌の感染による潰瘍が胃痛の原因と判明した。
「ピロリ菌とは何か。感染って人や猫に移してしまう可能性がある?」と聞いたところ、「口移しをするのはまずいが、愛護と違ってカンタンにヒト・ヒト感染しないから大丈夫」とのこと。
 加えて「猫や犬にも胃の中にピロリ菌がいるため、人に移すという研究者もいるけれど、どの程度なのか統計的学説も定まっていないし、第一、僕が飼うのを止めなさいと言っても無理でしょうし、そもそも、その必要があるとは言えない」とのこと。
 やれやれ一安心、その後二週間位、処方薬(二種類の抗生物質)を飲んだ後に痛みは完全になくなり、再検査でもピロリ菌は検出されなかった。
 が、〈愛護と違って〉がどうしても気になったので、再診時にどういうことなのか医師に聞くと、間に髪を入れず「自分で確かめもせず、いい加減な話をふり撒き、広げるから」と答が返ってきた。これは忘れられなくて。(以上が一関係者の体験談)
 〈愛護と違ってカンタンにヒト・ヒト感染しない〉
という発言はまさしく名言。愛護の現況を見渡すと痛切に身にしみてくる。

 考えてみると、〈愛誤〉(注9)はペストやエボラ出血熱を遥かに凌ぐ恐ろしい病と言えると思う。
 この病源を「愛誤PM2.5」と名付けていいかもしれない。その訳は、感染のメカニズムが〈よく見ず、よく聞かず、よく話さず〉の三点で、至ってシンプル。しかし自然免疫で防御できない場合があり、語学堪能であっても愛護事情視察で海外へ出掛けても、後天性免疫が得られるとは限らず、愛誤末期になると、所かまわずデマを嘔吐し、自分と異なる意見に耳を貸さなくなる等の症状で、根治不能となる。 
 この「愛誤PM2.5」の感染は、注意深く見守らなければならないと考える。

(注8)現在でも呼気検査だけを希望した場合は、保険適用外。
(注9)「愛誤」は校正ミスではありません。「おかしな動物愛護」を表現する時などに意図的に使われる造語。インターネット掲示板2ちゃんねるから生れたと思われる。動物虐待を容認ないし肯定する言葉ではない。

あとがき
 かなり強烈な意見、考察を集めました。次の機会に述べられるのはどのようなものか、只今予測不能です。
 「愛誤PM2.5」という名称は妥当なものと考えられますので、このシリーズに限らず、今後『動物ジャーナル』上で再々使用することになると思います。 (青島)