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■ 動物ジャーナル 66 2009 夏

  皆様 起ちあがりましょう

天野 涼子


 一九七〇年、大阪万博が終って世の中が経済的にも豊かになりだした頃から、着る物や身に着ける装飾品、またペットまでもがブランド志向になり、その結果発生したのがたくさんの捨て犬でした。一時は愛され、利用され、疎まれて捨てられた犬たちが町にあふれた、そういう時期でもありました。
 野犬と言われて、この地球の土を踏んではいけない犬、この地上を歩いてはいけない犬、だったのです。
 未だ仔犬かと思われる若いおかあちゃんが、乳房に吸い付いた仔犬たちを気遣いながら、群の後を追っているのを、せめて一回だけでもと、家の子たちのご飯をそっと並べて置いてやりました。
 一時間ほどして保健所から職員の人達が駆けつけて来て、「今あなたが野犬に餌をやっていると通報がありました。餌をやってはいけません。若しやるなら、綱でつないで家の中にみんな入れてから与えて下さい。」と言って去って行きました。
 ああ、この子達は食べてもいけないんだ……その時から私の人生は変りました。

 日本動物福祉協会の大阪支部の創設者であった田部兼子女史を訪ねたのは丁度その頃です。
 福祉協会の捨て犬対策としては「保健所が捕獲する前に我々の手で保護して、福祉協会の救護センター、又は獣医師によって安楽死にしてやること」で、捕まえては殺し、捕まえては殺しの繰返しで、現状は少しもよくならない。飼い方の認識を変えなければと、正しい飼い方運動となったのです。
  飼う前にもう一度よく考えて
  飼うなら正しく、捨てる命はつくらない
  飼ったなら生涯めんどうを
というリーフレットを作り、保健所の窓口に置きました。
 また、「野犬野犬と言わないで。みんな人間が捨てた犬」という標語を記したマッチを作り、「一つずつお取り下さい」と、リーフレットと一緒に保健所などに置いてもらいました。この標語を書き付けた本のしおりも作り、町の書店、図書館にも置きました。

 当時は保健所と森ノ宮の犬管理センターの方にも足を運びました。
 その頃の殺処分数は、全国で百万の数を超えていました。
「今はあまり多いので止む無く殺処分だが、半分以下の数になった時は絶対に殺す事は止める。私たちも本当は殺す事はしたくないのです。」
 その時職員の一人が部屋の方から出て来て、上着の中に隠したものをそっと見せてくれました。
「どうしても処分出来なかった。うちにも居るか
ら、もらい手を探します。」仔犬が二匹いました。
 当時このセンターの前の所長は、あまりの悲惨さに神経を病み、自殺されたと聞きました。
 携わっている人たちもきっと私たちが考えている以上の想いがある筈です。獣医師なら又なおさらの事でしょう。亡くなられた所長は獣医師でした。

 あれから三十五年、ずーっと惰性で殺し続けていた犬の数を調べますと、現在は十九万匹と、当時の六分の一になっています。期は十分熟しているのです。殺処分を止める時期は来ているのです。
 殺処分数が減ったのは、みな偏に愛護家たちのなりふりかまわぬ努力と、町の獣医師先生の協力による不妊手術の徹底だと思います。

 飼い主のマナーもずいぶん良くなり、捨てられる数も少なくなりました。それでもどうしても手放さなければならない場合、例えば、飼い主の急な入院など、高々二十年も生きない短い命、残りの寿命を全うさせてやれない筈はない。

 下関市長様、命を大切にするという事はそういう事ではないでしょうか。
 子供たちは泣いています。安楽死だからと言って、殺す事にどれほどの違いもありません。
 生かして、愛して、信じ合って、そこから子供たちの情操は育つのではないでしょうか?
 今はもう殺す事を止める時です。チャンスです。
 どうぞ目を覚まして下さい。

 動物たちの殺処分をのぞまない愛護家の皆様、どうぞ今起ちあがって下さい。
 行動して下さい。

(あまの りょうこ)