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TOP mook 動物ジャーナル バックナンバー 動物ジャーナル65・「動物愛護団体」を考えるページ・補遺

■ 動物ジャーナル 65 2009 春

  「動物愛護団体」を考えるページ・補遺

青島 啓子


[「動物愛護団体」を考えるページ]というタイトルのホームページを『動物ジャーナル』上に転載させていただいたのは『動物ジャーナル45』(04春)から『動物ジャーナル54』(06夏)まで、全10回にわたりました。

 それがこのサイトのほぼ全てでしたが、私に言及された部分については注釈を付けて掲載したく思い、延び延びになっていました。今回下関市問題をきっかけに「愛護団体」を考え、このサイトの目的「欺瞞と偽善を取扱う」を思い出しましたので、ついでに懸案を片付けることにしました。

 内容は、このサイトの言及(JAVAの第二期代表が青島であった)に関し、正確に説明したいということです。

 正確を期すため、その部分を引用します。このサイトの「全項目一覧」中にある「その他のQ&A」内「JAVA」という項目です。
 変遷の様子がよく捉えられていることに感心しますが、事実と異なるところが三点あります。

Copyright(C)2001 jem4wn
【『動物実験の廃止を求める会(JAVA)』の変遷】
代表
事務局長
第一期
武者宗一郎さん
Oさん
第二期
青島啓子さん
Nさん
第三期
Nさん兼任
第四期
集団指導体制
(※代表と主宰者は違います。太字が主宰者です。
  現在の第四期には主宰者と呼べるような人物は
  いないようです)
 筆者注:Oさんは太田龍氏、Nさんは野上ふさ子氏
(1) 第一期の代表は「武者宗一郎さん」ではなく、「栗原佳子さん」です。栗原さんは太田龍氏夫人。
 太田氏主宰の「みどりの連合」の中に「動物実験の廃止を求める会」がつくられ、その設立総会のような会合に私は参加しました。その時、代表に栗原さんが選出されました。機関誌は『この美しきいのちを断つな』、これで確認できる筈です。
 武者氏は多分「みどりの連合」でご活躍の方かと思います。私はこちらには参加していませんのでよくわかりません。

(2) 「代表」と並べて「事務局長」と書いてありますが、この名称は設立当初以来「シロちゃん事件」まで存在していません。
 従って、第一期Oさんは間違い。ただし、注にある「太字のOさんが主宰者」ということは正確です。Oさんと栗原さんの下でNさんは「事務局」と名のっていました。
 少しややこしいのですが、第一期末期、みどりの連合内で対立があったそうで、創始者太田氏と栗原さん、その他の方が抜けられました。JAVAに限定して言えば、残りの会員が第二期のメンバーとなりました。そこでは、「事務局Nさん」が太田氏の財産?を譲り受け?主宰者格であったことも事実です。現実に事務局長の名称が表示されたのは、いわゆるシロちゃん事件後、朝日新聞にNさんが紹介された時。Nさん曰く「新聞社の要求で」でした。直後の世話人会で若い人々から疑義が出たのを憶えています。

(3) 第二期代表が青島となっているのは間違いです。
 太田氏等が抜けられた後、世話人会というかたちで執行機関とする。その合議により運営される。「代表」は置かない。等が決められました。
 ただし団体名に代表者名がなければ申入れの際に不都合であることから、色々な問題ごとに「担当代表」という名称を用いることになりました。私も東京都の動物行政への要望などの時、この名称を使いました。他の方々も他の問題で名のっておられました。
 それ故、「代表」は存在せず、「担当代表」が複数存在したというのが正確な実情です。 
 私個人のことで言えば、第二期に脱会しましたので(後述「私がJAVAをやめた理由」参照)、その後の変遷については知りません。その間の事情は、前述「考えるページ・JAVA2」に譲ります。
なお、私に関すること以外の間違いは、発見していません。

(ここから引用)
「JAVA2」(第三期以降について)
 対外的に示す“代表”という役職は会則上は存在せず、複数の“運営委員”が“事務局長”を選任することになっていましたが、「Nさんが※不正をしている」として運営委員が全員一致でNさんを解任しました。
 つまり、NさんはNさん自身が作った会則によってその地位を追われたわけです。

 これを不満とするNさんは、事情がよくわからない地方の会員さんたちを集めて別の『動物実験の廃止を求める会』を結成しました。
 新左翼に詳しい人によると、Nさんのこのやり方は文化大革命時に毛沢東がやったのと同じやり方なのだそうです。

 ともかく、『動物実験の廃止を求める会』を名乗る団体が一時期二つあったわけです。
 このため、訴訟問題に発展し、結局、Nさんが敗訴したため、Nさんは『動物実験廃止・全国ネットワーク』と名称を変え、新たに結成した『地球生物会議』とあわせて活動を展開し現在に至っています。
(引用ここまで)

筆者注;文中の「訴訟問題」とは、
[(甲事件)平成七年(ワ)第八五三二号 地位不存在確認等請求事件=原告 動物実験の廃止を求める会/被告 野上ふさ子]と、[(乙事件)平成七年(ワ)第一九三七六号 地位不存在確認等請求事件=原告 動物実験の廃止を求める会・野上ふさ子/被告(事務局スタッフ二名)]とを一括して、東京地方裁判所が「平成七年一二月二七日判決言渡」したもの。
判決は野上ふさ子氏が敗訴。さらに上級審で争われたが、最高裁にて最終的に野上氏の敗訴が確定した。


[参考]
私がJAVAをやめた理由   青島啓子
──『コンパッション』第46号(92年六月)より転載

栗原佳子様
 新緑の美しいころとなりました。お元気にお過しのご様子およろこび申し上げます。
 さて、先日のお手紙にて、私がJAVAをやめるに至った経過などを書いてとのご依頼を承りました。どのようにお応えすべきか、かなり長い間迷っておりましたが、この、栗原さま宛のご返事がご要望にふさわしいものでありますなら、このままお使い下さいますよう。
 丁度前後して『地球維新』No. 二二を長田彫潮様から頂きました。その中の栗原さんの「連載その二」末尾で私のJAVA脱会に触れておられますが、それを切詰めて左に引用し、少々説明を加えさせていただきます。それがお答になるかもしれません。

 JAVA創立当初からの会員でありこれまで、野上のJAVAとこちらの「廃止協会」両方の会に所属していたAさんから電話があり、二月十五日正午をもって、JAVAに退会届を出したとの連絡があった。Aさんは我々の同志ではないが…

 先ず「Aさん」が青島であることを言明しておきます。私は名前は勿論、発言、行動、文章(私信も)全て、とり隠さなければならない必要を感じません。ご遠慮なくお扱い下さい。それからこだわるようですが、退会届を出したのではなく、脱会を通告したのであります。
 脱会の理由はJAVAの新会則案です。この会則案は民主主義の常識からは到底考えられない内容のもので、明治憲法に匹敵する前近代的な感覚に満ちています。分裂直後のJAVAは真先に民主的運営を方針として掲げていましたが、新しい会則との懸隔の甚しさにほとんど絶句、その会則がおそらく無修正で成立するはずの今年度総会(二月十五日午後一時始)の直前に、私はJAVAを離れました。
 そのことを栗原さんにお電話いたしましたわけは、説明ぬきでは邪推の種になるかもしれませんので、ここで申し上げておきましょう。
 JAVA分裂当時、私は「みどりの連合」には入っていませんので事情が皆目わからず、主として文書の類で見当をつけていました。実はひそかに動物の代弁者を以て任じる私にとって、人間のことはどうでもよかったのです。いくばくのかの日が経ち、太田栗原御夫妻が私宅へお見えになり、廃止協会へとお誘い下さいました。分裂は夫婦喧嘩のようなものと茶化して申し上げたのもその時のことだったかと思います。私は即刻入会をお願いし、けれどもお勧めにもかかわらず、JAVAもやめませんと申しました。右の経緯によって、やめたことをお知らせする義理が私には生じておりました。これがお電話した理由です。
 分裂後のJAVAを、その定例会の席上、私はタツノオトシゴと評し、周囲から反発を受けましたが、この感想は現在も変っていません。竜の落し子は親の基本路線に、従来の愛護団体の方法(パネル展、抗議行動等)をとり入れ、設立当初の「ひろく知らせる」目的は或る程度達成しつつあるものの、未だ独自の方策を確立し得ていないと思われます。
 分裂直後の「今後は民主的運営を」という挨拶状文面を信じ、若い方々の活躍を期待し、私はつっかい棒以上の役はいたしませんでしたけれど、シロ事件をきっかけに深く事務局とも係わらざるを得なくなり、運営細則づくりにも加わりました。その過程で会計疑惑が派生、いわゆる“騒ぎ”が出来したのでした。
 定例会に古い会員が出席しないのは何故か、事務局の仕事に加わる方が次々に辞めてしまうのは何故か、この五年間数多くの人が集り立去っていったようですが、その知恵を集積できなかったのは何故か、具体的に語るのは他の方にお委せします。私は、新会則で全てが理解できたと感じております。

 動物実験は私の倫理、生き方にかかわる問題として、今後私なりに活動して行く予定です。今年初め狩猟の件で一寸おさわがせしました時に用いた名称「動物虐待防止会」を、きちんとした御挨拶状で近々御披露するつもりでおります。ドリトル先生や聖フランシスコの能力なく、代弁者を以て任じるのは思い上り者め、と、未来で動物さんたちから叱られるかもしれませんが、この世の現状では出しゃばらざるを得ないようです。この会で、実験を虐待の最たるものととらえ、廃止を目指して行きたいと考えております。
 二十年来「動物虐待防止会」は、財団法人、株式会社、と構想幾変転の後、小さなグループにおちつきました。小さいけれど強い、動物の命を最優先に考えるけれど人間を傷つけることも好まない、私のようにぼやっとした会になると思いますが、お見守り下さい。
 では、皆さま御自愛のほどを。   かしこ

五月二十日     青島啓子