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TOP mook 動物ジャーナル バックナンバー 動物ジャーナル64・メディアリテラシー・3

■ 動物ジャーナル 64 2008 冬

  動物愛護とメディアリテラシー(3)

飯田 あきら


希薄な危機感

 前々号では、メディアリテラシーを語らねばならない社会状況を、前号では些末な例ながら、筆者の体験を記述しました。
 情報量の爆発的な増大に関して「私は昔と変わらずテレビと新聞だけだから関係ない」と思わないでください。膨大な情報に溺死しかかっているのは、第一に発信側で、そこで編集された情報がテレビや新聞としてあなたに届いているのですらから。
 松本サリン事件で、長野県警からのリーク情報を検証もせず、第一通報者の河野義行さんを犯人扱いし続けたたケースは、消すことの出来ないマスコミの汚点ですが、その報道に疑いも持たなかった、私たち視聴者の汚点でもあるはずです。

 大手宗教団体の暗部には一切踏み込まない大手新聞社・テレビ。もちろん販売部数の減少や自社制作番組への悪影響を危惧してのこと。「偽装請負」という違法行為を報じられたために、それを報じた新聞社への広告を停止したキヤノン・松下電器、おかげで他紙の後追い報道は殆どなし。ただしこちらはテレビ報道はありました。広告を減らされるリスクが新聞ほどではないためでしょう。
 大手マスコミも、ネットに代表される新しい発信媒体も、それぞれが大きな問題を抱えているにもかかわらず、危機意識は、発信側にも受信側にも残念ながら未だ希薄だと思わざるを得ません。

メディアと上手につきあうために

 マスメディアに限らず、「外部から発信された情報を鵜呑みにすることの危険性」という点について論じてきましたが、自らの情報発信にメディアは欠かすことができません。活動の趣旨をより多くの人に知ってもらうために、動物ジャーナルのように自ら媒体を作成するのも、他のメディアを利用することも大切ですし、情報を受信しなければ、そもそも生活が成り立たないともいえるわけで、要は情報の吟味力・選択する感覚をつけることでしょう。 
 大手企業では、インターネット内で自社がどのように書かれているか監視するスタッフ、一般ユーザーを装って自社製品を持ち上げ、ライバル商品を貶める内容の?書き込み?を業務とするスタッフが常駐しているとすら言われる社会に私たちが暮らしていることも事実で、悲しいことにメディアに取り上げてもらうために仕掛けまでする輩も現れます。日本マクドナルドが、大阪で新商品を発売するに際して、試食に最大で三千人の行列ができたと話題になりました。そして後日、この行列にマクドナルドが雇ったアルバイトが一千人混じっていたことが判明、同社は「試食モニターとして雇った」とやらせを否定していますが、作為的に行列を画策したのは自明でしょう。自分の利益のために「メディアを最大限利用してやろう」と考える人はどこの世界にもいます。広告とやらせの境界はあいまいになりつつあり、この現実は、私たちの関心事である動物愛護に関しても、例外ではありません。

 何年か前の夏、青島さんから電話がありました。
・西日本のとある犬さんの公園が破綻し、その犬さんたちの救出という名目で、関西の評判の良くない動物愛護団体が、その公園に介入したこと
・その動物愛護団体は、さらに評判のよくない動物愛護団体から分派した団体であること
・テレビが取材に訪れ彼らが正義の味方として放映されそうなこと。
 状況説明のあと、青島さんは少し切迫した声で
「どうしたら、よろしいでしょう」とお尋ねになりどうしたらいいのか皆目判らなかった私は、とりあえず推移を見守りましょうと話しました。
 この破綻した犬の公園は、地元の産業廃棄物処理業者が、産業廃棄物で埋め立てた土地を有効利用しようと、犬のプロダクションとタイアップして開園したもので、立地条件の悪さなどから数年で立ちゆかなくなりました。
 青島さんが心配したとおり、報道は「衰弱した犬たち」「運営者の非道ぶり」と「救出に入った動物愛護団体の奮闘」というコントラストで統一され、大きな扱いとなりました。
 一千人を越えるボランティアが結集し、有名企業がこの「救援活動」への支援を表明、多数の芸能人も救済活動への賛同の意志を示し、膨大な寄附金と物資が全国から寄せられました。
 その一方で、この団体が「いかがわしい」と最初に声をあげたのは、動物と共生しようと日々格闘している人々が一様に眉をひそめるインターネットの匿名掲示板・2ちゃんねるでした。
 この動物愛護団体自体もガードが甘く、許可が下りていないにも関わらず、地方自治体の認可団体であると詐称していたことが発覚、ローカルテレビ局が寄付金・物資の流用疑惑、公園オーナーへの恐喝疑惑、善意のボランティアとのトラブル等を報道すると、団体を見る周囲の目は一気に変化します。

 でもなぜ、この団体が一番乗りで現地に入ったのだろう?  地元にも動物愛護団体があるはずなのに、皆さんは疑問に思いませんか?
 ここからは推測ですが、破綻した公園運営者の誰かとこの自称・動物愛護団体が最初から連携していたと考えるとどうでしょう。公園の破綻で経済的にダメージを負った運営者と愛護団体が、全国から寄せられる寄附金や物資を山分けする目的でこの「救援活動」を画策し、メディアを利用した──そのような構図で見てみると、協力を申し出た他の愛護団体が救援活動から除外されたのも、この公園にいた犬さんが三百犬ほどのはずなのに、愛護団体介入時に五百犬に増えていたという情報も無理なく説明がつくのです。マス・メディアはこのよう問題には、何の調査もしようとしません。困窮した犬を救えという美談、介入した団体の表面に現れたスキャンダルは報道できても、闇の中に魍魎が潜んでいるかもしれない部分に踏み込むつもりはないようです。
 この団体は、任意団体ゆえに会計報告の法的義務もなく、(当該団体は報道機関に対して会計報告をしたとしていますが)全国から集まった一億円とも二億円ともいわれる浄財は、その使途が不透明なまま、今に至っています。
 そして世間様におかれては、全ての動物愛護団体に対して「なんかいかがわしい」という印象だけが植えつけられたに違いありません。

 どんな問題を考えるにせよ、人は自分の価値判断に従って行動します。その価値判断は人それぞれで、倫理観で行動する人もいれば、金銭価値が最優先の人もいます。それだけなら問題はありません。人それぞれで片付けてもいいでしょう。
 でも、動物たちの問題を前にして「いかにしてその生命の尊厳を大切にできるか」と考えるこのムックをお読みの皆さんがいる一方で、「いかに動物愛護を儲けの材料にするか」と考え、それを生業としている人がいるとなれば看過できません。彼らは、悲惨な動物たちの写真を前面に押し出し、メディア
に擦り寄り、利用し、なりふり構わず知恵を絞ってあなたの優しい心を揺り動かそうとします。なにせ「生活がかかっている」のですから。
 あなたが彼らの意図に沿った報道を信じ、感情のままに彼らの誘いに応じるなら、メディアは彼らとの関係をますます深め、ひいては大切に思う動物たちの権利や、そのサポートをする本来の愛護運動は衰退します。
 動物愛護の情報に接したら、その都度まず一つ間をおいて、とりあえず呪文のようにこう呟いてみて下さい。
「あやしい。あやしい…。それってホントに動物さんの役にたつ?」 (完)

(いいだ あきら・フリー編集者)