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TOP mook 動物ジャーナル バックナンバー動物ジャーナル54・「のら猫にえさやるな」は合法か・続

■動物ジャーナル54 2006 夏

  「のら猫にえさやるな」は合法か・続(一部抜粋)


 ある町で、独り暮しの男性が急病で病院に収容されました。後には四十匹近い猫が残されました。今年一月、厳寒のさ中のことです。主を失った猫たちは、今、三月末現在、全く姿を見ないということです。
 なぜか。
 この町では以前から「野良猫に餌をやるな」という役場の通達が出され、今まで食べ物を与えていた人たちも[村八分]状態になるのを恐れ、萎縮してしまっていました。
 結果として、猫は共食いの状況にまで追込まれ、餓死、衰弱死、他の場所への移動等々で[絶滅]したわけです。
 この状態を、町会長は「猫がいなくなってせいせいしたわ」と広言する始末。
 役場の動物愛護法無視の通達がこのような結果を招きました。
 皆さんはこれをどう思われますか?

『動物ジャーナル53』第一頁に右の文章を掲げました。
 内容が悲惨すぎ、言葉を失われた方が多かったようです。編集人としては、山のような非難・攻撃のメッセージが届くと予想しましたが、浅はかでした。言葉もない…という読者の感性をありがたいものと感じております。
 健気にお手紙や電話で、憤りを寄せて下さった方もあり、共感を呼ぶと思われますので、ご紹介します。

塩崎千鶴枝様
 「のら猫にえさをやるな」読み進むうちに、この方たちは「異人種」なのではないかとしか思えなくなりました。実に貧しい精神構造の、気の毒な方たちです、とハッキリ申し上げたい。
何を話しても理解できないと思います。心のありかが私たちとは別のところにある方と思います。
生きとし生けるものすべてに対して〈いとしさ〉を感じてしまう私なのですが、猫がスキ・キライという単純なことではなく、人間としての資質を疑います。
小林サリ様
キリスト教では、近くに飢えた羊や山羊がいるとき、食べ物を与えない人は天国に行けない。とする。
日蓮上人を祀る波木井山境内の大石に刻んである言葉は「有情のものに施しを与える人は長寿という報酬を授けられる」。
仏教でいう慈悲、キリスト教でいう博愛、意味は同じです。
のら猫だからと差別せず、食べ物を与えるのはすばらしい行為です。その温かい心を封じるのは許せない。
ただ、日本人は、人から何か言われるとすぐ従うというところがある。反対するようなことは言わない。だからこの町のようなことも起ってしまうのです。
慈悲、博愛、良心、罪悪感、こういうものがどんどん失われています。
今の世相を見ても、刺殺、生埋めその他凶悪な行為が平気で行われています。将来はもっと険悪な世の中になるのではないでしょうか。
この町の猫たちが飢死させられたのは、こういう冷酷な心がしみわたった結果と思います。

奈良橋孝様
  「格差が広がって何が悪い、成功者を嫉むのは良くないことだ」
年間三万数千人の自殺者(敗者?)を出す日本の首相が国会での答弁である。
このように、弱者に極めて冷酷な国家だからこそ、地方の小役人どもまで〈ポチ〉を見習い、公僕(死語か)たることを忘れ、法令も無視する。必死に生きようとする小さな命の抹殺を、主権者である国民に命令するとは何事か。
こんな傲慢不遜な奴らを、匿名にする必要はない。私はこんな連中を抹殺したい。
追伸  中高年の方、自殺は絶対にやめましょう。政府・霞ヶ関・蛭ズ族…が喜ぶだけですよ。