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TOP mook 動物ジャーナル バックナンバー動物ジャーナル46・反響

■動物ジャーナル46 2004 夏

  反 響


『動物ジャーナル41』へ

大沢陽子様
 前田木の実さんの「一つの命」、西山智史さんの「休日」、心をこめて読みました。また書いてほしい、と思いました。生きものたちの生命を大切に思う若い人たちがいて下さって嬉しいです。子ねこたちのこと、ほんとうにかわいそうなことをしました。体重のこと、感染症のこと、もっともっと知らなくてはならないと思いました。つかれたなア、とこのごろ思います。

東門俊子様
 動物を愛して下さる方々が御活躍なされて心強く思います。最近は、世の中、動物虐待のニュースがテレビなどに出ますと、かなしくて凝視できません。
私も今までに何十匹の捨て猫を飼ったことでしょう。只今は三匹おります。長い人生で初めてペット屋さんで買いました、アメリカンカールの白坊(大分前写真を載せていただいたことがございます。)は、唯一、体が弱くて(肝臓、腎臓、アトピー)毎日お薬が欠かせません。その他にアガリペットなる免疫増進剤も飲ませております。とても手がかかりますが、私共を選んでくれた猫と思って可愛がっております。ほかの二匹は元気です。

「署名依頼」に対して
長野靖子様
 前回の九州の時は姪を通じて勤め先の方々に署名してもらいましたが、今回は近所でお願いしてみました。署名なるものを頼んだのは初めてだったのですが、なにかいろいろな勉強?をいたしました。私の話だけですぐさま賛成、OKと書いてくれた人たち、動物実験はやむをえないこと、と言いつつ、でも、と書いてくれたひと、断ったなかには、何はともあれ住所・氏名捺印に拒否反応を示す人、運動団体に異常に警戒心を持つ人、変っていたのは、サルは人間にわるさをする動物で、嫌いだから、という人もいました。意に添わない動物(人間も含めて)はどうなっても構わない、むしろつらい目に遭わせるべき、には唖然とし、いまの世相の一部を見たような気がしました。私とて闇雲にお願いしたのではなく、普段から親しみと尊敬をもっておつきあいしていた方たちで、応じてくれたからいい人、断った人は冷たい人ということではなく、今更のように人の側面というものを見、人の心のさまざまを痛感しました。

『動物ジャーナル43』へ

水谷和子様
 表紙右端の女の子の可愛いこと、いい画ですね。そして…私は茫然自失、しばらく失神いたしました。よもや私の柳句がこのような場所に載せられるとは――。責任を感じちゃいました。困っちゃったなあと思いながら読んで、編集後記に救われました。さすが。能の終楽の如く、救済がありました。助かりました。安心して図書館に届けてまいります。感謝です。(青島注…ご近所の公立図書館へ配達をお願いしています。)
十八歳の犬は最近極端に後足が弱くなり、踏張りがききません。食事を抱っこして食べさせたり、排泄の時はしっぽを持って支えるなど、世話を焼かされております。よたよたと散歩していますと、通行人や知人から「ガンバッテ」と声をかけられます。時には「お母さんも頑張ってー」などと、有名になってしまいました。犬とは見えなくなってきそうですので、もっと冷静に対応したいと思います。

塩崎千鶴枝様
 まあ!表紙絵のかわいいこと。思わず顔がほころびました。足元、手もと、おなか、表情、どこを見ても、子供のもつ純真さや愛らしさが表現されており、何度も眺めております。
さて、毎号充実した内容ですね、。青島様、スタッフの方々のご苦労をお察しして、こんな良い本の読者がたくさん増えてゆくことを願っております。それからわが家の猫ちゃんたちの写真を登場させて頂き、ありがとうございます。軽くなったハルちゃんの体の感触が今もハッキリと思い出されます。どこからどのようにして、なぜ私の家の前まで辿り着いたのか謎のままですが、猫はやっぱり神秘性のある生きものですね。
ところで、編集後記で「飼い主」という言葉にしっくりしないものをお感じとか、私も同感でございます。主人と二人で思いつきました案、「保護者」はどうでしょうか。これは人間にも動物にもおかしくない使われ方のように思います。動物ギライの人は何というでしょう。

伊藤祥子様
 セナちゃん、カムイくん、大沢さんの猫ちゃん、塩崎様のハルちゃん、おうちの猫さん達、この本に載る写真の動物たちはみんなよく写っていますね。ハルちゃん、たった二十九日の出遭いだったけれど、塩崎様の方へ導かれてきた動物の本能ではないでしょうか。死の間際のテレパシーのようなものが、最期に安住の地で横たわりたいと思わせるのではないでしょうか。白い魂のような安らかな寝顔。その柔らかい白い毛の一本一本をもいとおしんだ塩崎様の心のあふれた、よい写真です。汚い人間の心は清められます。ありがとうございます。
セナちゃんとカムイ君のかかったお医者様、なんという対照でしょう。動物は家族なんです。何が痛いか、何が嫌いか、どんな性格か、知っているのは寝食を共にしている家族です。家族に聞けばいいのです。知合いのKさんは、医者に「何だ、野良か」と言われ、「たのまねえ!」とわめいて、往復五時間の獣医まで、助手席にたった一匹猫を置いて通いました。どこに命の違いがあるんだと、Kさんは怒ります。
内田彩さんの文は大好きです。とてもとてもカムイ君やニライちゃんの気持がわかっていて、(シッポの振りが弱くなります)という所など、ほんとにあったかくなります。大沢さん、またやってる……。四匹も捨てられて……もう預からないと心に決めたって無理、やってしまうんです。体、顧みずに。その挙句、人から批判されたり、自分を責めて上の空になったり、心労を重ねているのです。
奥田真理さん、淡々として、ますますいい成長されて、味わい深い文になっていると思いました。常に動物の立場から人間のやる所業に疑問を呈していて、実験をして獣医になる勉強を積む己れにも冷静な目を投げていて、いつも好感を持って読んでいます。動物ジャーナルは私の宝物です。心をキュッキュッキュと磨いてくれる真白いタオルのようです。

『動物ジャーナル44』へ
長野靖子様
 特にANIMALS U・F・O、共感を持って読みました。

尾形光彦様
 表紙の絵、幼児、犬、猫の寝姿は平和そのもの。

平田澄子様
 戦争中、箱根の山道にたくさんあったヘビイチゴ、幼心にも印象に残ってます。食べられたらいいなと思いました。薬になるとは。

大沢陽子様
 ツキノワグマのこと、いつもかわいそうと思っています。食べるものがなくて。大月の友人宅に現われた時は、猟友会の人に罠で生けどりにされて、そのときとっさに友人が投げ渡したりんごを両手に持って食べていたとか。そのあとのその子の運命は、ほんとうにかわいそうでした。環太さんは生かされてよかった、と思いました。

二〇〇四年お年賀状から
鈴木福子様
 現在花屋に勤めながら一人ぐらしをしております。最近、亡くなった動物に捧げる花束を注文するお客様が増えてきました。みなさん目をまっ赤にして買いに来るので、私も泣きたくなります。

逸名様(徳山)
 とても良いお話を読ませていただき、ありがとうございます。私も、目の前の小さな命を大切にします。勇気の出る『動物ジャーナル』大好きです!

『動物ジャーナル45』へ
K・J・F様
 原点を再確認して、立ち戻って、という姿勢が見える。中身は、地ひびきを立てて迫ってくるようだ。(電話)

浅子かおい様
 表紙、かわいいです!

戸舘正憲様
 「動物愛護団体」を考えるページ・その一を読ませていただきました。「子ども」の問題で市民運動をやっている私も”良くぞ“と共感しました。

望月真理子様
 特に「愛護団体を考えるページ」、この記事はユーモアがあって、大笑いしながら「同感同感」とうなづいてばかりでした。それに、大沢さんの「ミケさんのこと」こんな風にやさしい人がいるなんて、涙が出てくるほどでした。幸せになると思ったら本当にそうなるものなのですね。

塩崎千鶴枝様
 「野良猫裁判」の記事、大変興味深く読ませて頂きました。動物に対する考え方が根本から違う人間同士は永遠に平行線だということを感じました。難しいことは分りませんが、私共のご近所でも似たようなことはありますね。

伊藤祥子様
 動物行政に関するアンケート実施は、青島様の穏やかながらも痛烈な文言が、思わず苦笑を誘う、よい試みですね。「野良猫裁判」は本当に人間関係がつかめず、数学の方程式のように頭がこんがらがっていました。この種の訴えは裁判官にとって痴話喧嘩レベルとしか取っていないような観があります。何か真剣さが感じられません。裁判官や弁護士、警察、役人などの子供の頃からの動物学啓蒙が必修だと思います。
「或る風景」。「家で飼っていた」トラ猫はどうなったのかしら……と思いました。でも、この文は昔の児童文学のような味わいがありますね。
「ヤブにらみ」。米軍基地の残飯に冷凍されたまま切断された鶏の頭が入っていて、それを鶏の餌としたというのはショックでした。

柴田和子様
 大沢さんの投稿文に、先頃イラクで亡くなられた橋田信介さんのことが被さります。救われたミケ猫一匹の背後に、過酷な生を余儀なくされ、死に直面している何十万何百万もの猫(犬)が。同様に、イラクで左目を負傷し日本で治療を受けられることになった少年の背後にも。
 「たかが一匹、たかが一人」。「されど」です。「されど」の意味する重みが人々の意識を呼びおこす大きな力になることを信じます。大沢さんの行動も橋田さんの行動も、それを伝えるメディアなくしては一個人の善行にとどまり、多くの感動をよぶこともありません。大沢さんにも橋田さんにも、より多くの人に”伝えたい“という意志があること、そのための表現行為を常に怠らない共通性が。
 なるほどマスメディアの影響力は大きい。けれど興味本位、一過性はまぬがれません。救助された一少年の映像が繰り返しテレビで放映され続けております。北朝鮮から親元にとり戻された二家族の子どもたちのようすも。それらの背景にある大切なことが情報洪水の渦に飲み込まれ押し流されていることを、ほとんど気にもしない視聴者の日常がスケて見えるような気がいたします。
 たかがノラネコ一匹のために、どれほどの苦労、自己犠牲をはらったからといって、せいぜい「猫好きなオバチャン」の美談めいたエピソードとして一蹴されかねないのがマスメディア。人間の生命も動物のそれも同次元としてとらえ、一つ一つの事柄を丁寧に採り上げ、他に伝える作業こそミニメディアの使命であり存在価値であることを『動物ジャーナル』を手にして、あらためて痛感いたします。
 青島さんが『動物ジャーナル』の発行に熱意を込めて努力なさっていること自体、市民運動の一形態にほかならないと、私は思っております。動物に関するいろんな人のさまざまな想い、考え方を誌面を通じて読者に伝え届けることによって、”あるべき方向性“について一人一人が己れ自身の内なる問題として行動化していくことにつながるからです。
 「動物愛護団体」を考えるホームページの管理人さんの分類によれば、青島さんはさしずめ第四の波ということになるのでしょうか。私もしかりです。
 第四の波派に属すとはいえ、その行動表現は一様ではないように思えます。従来型のように画一的でないのが、第四の波の特色かもしれません。だからといって他者(他の流れ)を敵視、阻害するのをよしとしないような考え方でいきたいもの。

中村 友子様 絵・文