オーディオ日記 第60章 音楽に抱かれて眠りたい(その10)2025年12月12日


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好きな音楽を良き音で:

先に お遊びでAIに拙ブログの内容を読み込ませて総括してもらったことは既に書いた。多少の誇張もあって笑っちゃうような内容と当初は軽く思っていたのだが、そこで示されたエッセンスが妙に当を得ていてそれが気にかかってブログを書く手が何となく重い。総括内容をごくシンプルに捉えてみれば、モーツアルトを心地良く聴きたいという望みが起点でありながらオーディオ機器の構成をエスカレーションさせてしまうばかりで行き着く先の果てがない。そして、世には自分では超えられない音もあるし、どんなに自分を納得させてみても理想の音への完全なる到達はない、というここで集約されたような結論が当方にとって全く否定しようも無い真実に思えて、この先これ以上どうすべきなのか、との思案ばかり。

AIの進化を実感するが時に恐ろしくも:(追加で 紙芝居 も生成させてみた)
Gonzaemon Audio

それ故に理想を求めようとする心の中にはかすかな、それでいて消えることの無いさざなみも立ち続けている。結局のところ安寧に至る道は、「好きな音楽を良き音」で聴けること。それを幸せの時間として感じられることなんだろうと今更ながらに思ってもみるのだが、自分のやっていることが空回りと云うか堂々巡りをしているようで何だか妙に落ち着かなくもなる、、、AIに浅薄な心情を見透かされたような気分なのだ。

現状の4way構成の音はミッドハイに二つのユニット(Bliesma M74BとSONY SUP-T11)を使い分けてはいるのだが、どちらももうこれ以上は設定を弄りようもない音を聴かせてくれるようになってはいると思う。その観点で考えれば(長らく手にすることが出来なかった)幸せの音楽、幸せの音は確かにここにある(はず)。従って望みが満たされたとして素直に自縛から解放できれば多分もっと幸せになれるのかもしれない。そう思ってもみるのだが、これにて打ち止め、としてしまうことは心の中の何かがそうたやすく許してはくれない。自分でもこれは大いなる矛盾ではないかと自分の本当の欲求は何なのか分析してみようと試みるのだが、その解に至ることはまだできていない。何か揺れ動くものがどうしても残る。

何だか踏ん切りのつかない中途半端な気持ちもありながら、聴いてばかりで何もしないのも性分に合わないので、このところ長らく使っていなかった FPS (Flat Panel Speaker)をミッドロー帯域の担当として再登場させてこちらの調整を進めてみようと考えてみた。接続自体は常用しているベリリウムミッドウーファから差し替えるだけなのでシンプルだし、使用帯域も基本そのまま踏襲すれば後は出力レベルの調整だけ。不思議なことに拍子抜けするくらいに纏まりの良い音がする。かってこのユニットでいろいろと葛藤したこともあったので何だか狐につままれた感じ。

これはつまり、他のスピーカーユニットの使用帯域やその調整が整ってきていることと、ストリーミングを中心とした環境(機器、ネットワーク)の整備、変遷の恩恵が大きいのではないだろうかとポジティブに捉えることにしたい。

音そのものの精緻さや分解能という観点ではベリリウムユニットにかなわないところもあるのだが、振動板面積がFPSは圧倒的に大きいこともあって音が押し寄せるような感やある種厚みのある音という印象を改めて受ける。また、音の前方への飛びが良い(多少指向性は狭いのだが)という利点もあるので音楽のプレゼンスや実在感的には優る点もあり、特に小音量の場合に音が痩せてしまうような印象も少ない。ベリ三兄弟のようなオールラウンダーでは無いかもしれないが音源と合わせた使いどころはあるだろう。

一方で、物欲のしがらみからは脱却したいとの思いもあって、好きな音楽を聴くのに幾通りもの4wayスピーカーの構成や設定を維持することが果たして本当に必要なんだろうかと自問してみるけれど、結局は何かどこかを弄っていないといられないという困った性分を自覚することになる。この様な内なる矛盾に満ちた自分の性格分析をAIに行わせたら果たしてどういう結果となるのか。やってみたい気もするが分析内容によってはまたまた落ち込むことにもなりかねないのでこれは止めといた方が良いのかも、、、




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