再び御苑の中を南に下ってみよう。丸太町通に沿って拾翠池がある。厳島神社の社殿にの脇から池のそばに行くと、茶室・拾翠亭が見える。ここがもと関白九条家の庭園があった場所である。かつてはこの御苑一帯にこのような屋敷があったのだろう。

九条邸跡

 安政元年(1854)、当主・九条尚忠は多くの反対を押し切り井伊直弼と計って日米通商条約の勅許を得、また皇女和宮の降嫁を実現するなど公武合体に尽力した。しかし、討幕派が実権を握ると、岩倉具視らに糾弾された。その舞台となったのがこの九条邸である。
鷹司邸跡(左)と堺町御門(右)
 長州藩に友好的であった鷹司家の屋敷があったところ。
元治元年(1864)7月の禁門の変で、蛤御門近くで来島又兵衛が討ち死にしたころ、山崎方面から進軍した長州軍が堺町御門に到着した。時既に遅い。久坂玄瑞らがこの屋敷に天皇への直訴の嘆願に訪れるが、当主鷹司政通は巻き添えを恐れ聞き入れなかったため、久坂は屋敷内にて自刃した。
 幕軍の総指揮官一橋慶喜は鷹司邸を焼き払い、火の手は北風に煽られ南へ広がっていった。九条河原に布陣していた新撰組が会津公の指令により御所に向かい到着したのが堺町御門であった。
 堺町御門を出ると丸太町通。すぐ西側に「烏丸丸太町」の交差点。「丸太町駅」から地下鉄に乗れば、10分で京都駅です。
 時間は今11時30分、2時間30分ほど歩きましたか。丁度お昼時です。食事して、ゆっくりして、錦市場あたりでお土産を買って帰りましょう。

丸太町十二段家

 さりげない店構え。茶色の暖簾がかかり営業中の札が下がっているだけ。いったい何屋さんなの?おそらくわからないでしょうね。
店に入ったら、まだ12時前ですが、すでに三組ほど前に並んでいます。ここはちょっと待ちましょう。待っている間にメニューが来ます。順番表がついたバインダーが廻ってきますから、名前と注文を書いておきましょう。

 私たちが注文したのは「すずしろ」。1000円。
座るとすぐに料理が来ます。
「だしまき卵・お漬け物・赤だし・ごはん」そしてほうじ茶。
「美味〜い・・!」「なんじゃこりゃ・・・!」
とにかくご飯が美味しい。卵と漬け物で一膳いただきます。
二膳目はお茶漬け。これまた「旨〜い!」
ご飯とお茶はおかわりあり。


 さあ、駆け足の旅が終わりました。今回も忙しかった。でも、しっかり堪能しています。楽しかった。このシリーズも次が楽しみです。
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