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旅した日:2003.12.27 2004年NHK大河ドラマは新選組 大ヒットした「壬生義士伝」 今、新選組に熱い目が注がれる よし、新選組を歩こう・・・ 8:26・のぞみ107に乗車 |
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京都駅から地下鉄で四条へ、阪急に乗り換えて「大宮駅」で下車。 地上に出ると、四条通。車の往来が激しく歴史を感じることができない。 ここが壬生村か・・・・・。 文久3年(1863年)春、14代将軍家茂上洛にあたり、その警護の為に中山道を通って上洛した浪士組は、ここ洛西の壬生村に身を寄せた。 |
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大宮通りを南に下り、綾小路通りを右に折れると、風景は一変する。 古い家並みが続き歴史の香りが漂ってくる。 綾小路通り沿いに「新選組之墓」と刻まれた碑が建っている。光縁寺である |
光縁寺の門前近くに新撰組の馬小屋があり、毎日隊士たちが行き来していた。寺の山門にある瓦が「丸に右離れ三つ葉立葵」。偶然にも総長の山南敬助と同じ家紋だったことで、山南との親交が生まれた。 |
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本堂裏の墓所には山南敬助など隊士の墓標が3基並んでいる。左から3基目が山南の墓である。 一番左の小さな墓には「沖田氏縁者」の文字。寺の過去帳によると総司の死の1年ほど前、総司が喪主となって葬られた女性であり、俗名の記録は残っていない。 戒名は「眞明院照誉貞相大姉」とある。総司の戒名が「賢光院仁誉明道居士」であり、これから推測すると、同等の夫婦の戒名に思われる。総司が誰にも知られたくなかった内縁関係の女性のようである。 =光縁寺案内より= |
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光縁寺からさらに西に行くと坊城通りとの交差点に、立派な長屋門の旧前川邸がある。
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![]() 現在は株式会社田野製袋所となっており、内部ほ非公開となっているが、土・日のみ母屋で絵葉書等の販売を行っている。 門の右の出窓のある部屋で野口健司が切腹。山南の切腹した部屋の出窓は取り払われているが、手前の坊城通りに面していたらしい。 |
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