奥の細道二人旅・毛越寺・高館
毛越寺・高館 岩手県西磐井郡平泉町

高館から見た
北上川と束稲山
 藤原氏三代の栄華も、一炊の夢のようで、大門の跡は一里程手前にある。
秀衡の館跡は、今は田や野原になってしまい、金鶏山だけがその形をとどめている。
まず、高館に上ってみると、眼下に見える北上川は、南部地方から流れ来る大河である。
衣川は、泉ヶ城をまわって、高館の下で北上川と合流している。
泰衡たちの屋敷跡は、衣が関を隔てて、南部地方からの出入り口を固め蝦夷からの侵入を防いだと見られる。
偖も義臣すぐつて此城にこもり、功名一時の叢となる。
それにしても、忠義な家来たちがよりすぐって高館にこもり功名を競ったが、それも一時の夢と消え、今では草が生い茂るばかりだ。
それにしても、すぐれた忠義な家来たちが高館にこもり功名を競ったが、一時の夢と消え、今では草が生い茂るばかりだ。
国破れて山河あり、城春にして草青みたりと、杜甫の詩を口ずさみ、笠を打敷いて、いつまでも泪を落したことだ。

夏草や兵どもが夢の跡

卯の花に兼房みゆる白毛かな 曽良
毛越寺 拝観料:500円
 平泉町に入ります。先ずは芭蕉は訪れてはいませんが、中尊寺を遥かに凌ぐ大伽藍だったという毛越寺を見物しました。 
正面が毛越寺本堂 庭園・大泉が池 遣水
 毛越寺は慈覚大師を開基として、藤原二代の基衡により建立されたと伝えられています。特別史跡と特別名勝の二重に国指定されており、現在までに、発掘調査の結果をもとにして平安時代の優美な浄土庭園が復元されています。

常行堂の秘仏・摩多羅神が特別に御開帳されていました。
開山1500年記念
常行堂
芭蕉句碑 
左の小さい方の句碑
 芭蕉の真筆をうつしたもの
右の大きい方の句碑
 平泉出身の俳人素鳥が文化3年(1806年)に建てたもの
英訳の句碑
句碑には、芭蕉の「夏草や兵どもが夢の跡」を新渡戸稲造が英訳したものが刻まれている。
The summer grass
'Tis all that's left
Of ancient warriors' dream

高館 拝観:200円
続いて、今回の旅でも是非来てみたかった高館を訪れました。

高館は判官館または衣川館とも呼ばれ、その昔、源義経が藤原秀衡を頼って下向した時に居城したところで、秀衡の子泰衡によって家臣や妻子もろとも討たれたところでもありります。

石段を登ると、正面には束稲山、眼下には北上川が流れています。左手には義経堂、右手には平成元年に建てられた「奥の細道300年 平泉芭蕉祭記念句碑」が建っています。ここからの景色を眺めていると、芭蕉ではありませんがしみじみとした思いにかられます。
高館からの眺望 クリックすると連続写真が見られます。(369KB)

卯の花清水
 
 高館の下、JRの踏切近くに卯の花清水があります。当地から古来霊水がこんこんと湧き、里人はこれを「卯の花清水」と名付け大切にしてきたといいます。
 傍らに、曾良の句碑があります。
卯の花に兼房みゆる白毛かな
卯の花清水 曾良句碑

伽羅御所跡
秀衡の居館・伽羅御所は、今宅地や畑に利用され往時を偲べるものは何も残っていません。ただ伽羅御所跡の標柱と説明板があるだけです。
柳之御所遺跡
伽羅御所跡の北隣に、清衡、基衡、秀衡の居館であった柳之御所跡があります。現在も発掘調査中。近くに出土品などを展示した「柳之御所資料館」があります。見学は無料で月曜日が休館です。
無量光院跡
高館の下、旧道から少し入ったところに、無量光院跡があります。無量光院は、藤原秀衡が柳之御所の西側に建てた持仏堂ともいわれる寺院で、「吾妻鏡」には宇治の平等院鳳凰堂を模して建てたと書かれている。現在は礎石などが残っているだけです。

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