奥の細道二人旅・一ノ関
一ノ関 岩手県一ノ関市
  奥の細道の旅も5回目。江戸からだいぶ遠くなったので、今回は新幹線を利用しました。朝10時前に東京を発って、昼には一ノ関着。ビールを飲みながらの旅です。着物で新幹線は初めてですが、やはり他のお客さんにはインパクトあるようで、「何者?」と思われているのでしょうね。
一ノ関駅前と芭蕉の辻碑 
  一ノ関駅前は、やはり典型的な地方都市。静かで落ち着いた街という雰囲気です。駅レンタカーを予約してあったのですが、借りる前に駅周辺を一回り。駅すぐ近くの大町十字路に「おくのほそ道・芭蕉の辻」の碑がありました。とりあえず記念写真。会津木綿の長着に野袴・袖無し羽織が今回の衣装です。

レンタカーを借りて、平泉へ向けて出発です。
おくのほそ道碑
 一ノ関駅から石巻方面へ車で5分ほど。国道342号線旧道に面したかっぱ崖と呼ばれるところに「おくのほそ道」碑があります。
曽良随行日記によると、元禄2年(1689年)5月12日(新暦6月28日)芭蕉と曽良は、「合羽モトヲル」ほどの大雨の中この道を馬子に引かれて通り、、地主町の宿へと急いぎました。

二夜庵跡
 市街地を流れる磐井川にかかる磐井橋のたもとに2軒の宿屋があったといいます。この隣接する2軒の金森家のいずれかに、芭蕉と曾良が宿泊したといわれています。
 今国道に面した橋のたもとには「二夜庵跡」の碑が建ち、裏へ回ると説明板があります。説明版には次のように記されていました。(抜粋)
「風雅の誠をきわめるため、俳聖・松尾芭蕉は弟子・曽良を伴い「おくのほそ道」行脚の旅に江戸を出立した。元禄二年三月二十七日(1689年、新暦5月16日)である。春日部〜日光〜黒羽〜須賀川〜仙台〜松島〜石巻を経て、四十五日後にようやく一関に入り、平泉視察のため二泊した宿がこの金森邸である。その後、日本海側へと旅立ったが、芭蕉が宿泊したことから「二夜庵(ふたやあん)」と呼ばれることとなった。この年、芭蕉四十六才、曽良四十一才。」

磐井橋を渡ってすぐの旧道に「俳聖・芭蕉紀行の道」「元禄2年5月13日紀行」と記された道標がありました。この道を平泉へ向かったのです。
配志和神社
 近くの配志和神社社務所前には芭蕉句碑があります。。句碑には延宝4年芭蕉が33歳の時に詠んだ句「此の梅に牛も初音となきつべし」が刻まれています。石段を登った本殿横にも句碑があるのですが、雨のため登るのは中止。(実は9日平泉からの帰りに立ち寄ったのでした。)

達谷の窟

征夷大将軍、坂上田村麿の創建を伝える達谷の窟(たっこくのいわや)毘沙門堂。
曽良随行日記に「タツコクガ岩ヤヘ不行。三十町有由」とあり、芭蕉は来なかったのですが、せっかくですから立ち寄りました。
岩面大佛。

高さ約16.5m、顔の長さ約3.6m、肩幅約9.9m。全国で五指に入る大像で、北限の「磨崖佛」として名高いもの。

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