奥の細道二人旅・憧れの松島 |
白石から名取へ・名取 宮城県名取 |
実方の墓の入口 |
鐙摺・白石城を過ぎて笠島郡に入ったので、藤中将実方の塚はどのあたりにあるだろう人に尋ねてみると、「ここから遥か右に見える山際の里を箕輪・笠島と言い、道祖神の社や
形見のすすきが今も残っている。」と教えてくれた。このところ降り続く五月雨のために道が大変悪く、体も疲れきってしまったので、遠くから眺めて通り過ぎながら、箕輪や笠島の地名は、五月雨の季節にちょうど合っているわいと、一句詠んだ。 笠嶋はいづこさ月のぬかり道 笠島はどの辺りなのだろうか。五月の雨でぬかるんだこの道では、尋ねることもできない。 |
芭蕉が「笠島はいづく」と言いながら、訪れることが出来なかった笠島の実方の塚。これは是非とも行かねばならん。で、向かう途中の館腰神社の近くの一の橋のたもとに芭蕉の句碑がありました。三角形の面白い形をしており、表には「道祖神道」と刻まれており、道標を兼ねています。南面に芭蕉の句が刻まれています。 笠島はいづこさ月のぬかり道 この碑は安政3年(1856年)に建てられたもの。 |
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藤原実方の故事 藤中将実方(藤原実方)は、藤原行成と宮廷で口論となる。天皇は二人の争いに裁定を下し、実方については「歌枕見てまいれ」といって左近中将を罷免し、陸奥守として左遷させた。そして在勤中に、笠島の道祖神の前を村人が諫めるのも聞かず、下馬せずにそのまま馬上で通りすぎようとして神の怒りに触れ、落馬して命を落としたという。 |
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道祖神社 | 祭神は猿田彦大神と天鈿女命。 現在の拝殿は入母屋造りの棧瓦葺で、元禄13年(1700年)に四代藩主伊達綱村が建立したものとされている。 毎年六月には、宮城県無形文化財に指定されている「道祖神神楽」が奉納される。 境内自由 |
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笠島・実方の墓 県道仙台岩沼線(東街道)の左側に「中将藤原実方朝臣の墓」と書かれた大きな標柱が立っているので、それを左に入ると実方の墓の入口が見えてくる。小さな川沿いに駐車場があるので車を留め、50メートルほどの参道を行くと、玉垣を巡らせた塚がある。辺りは杉林に囲まれ、手前には西行の歌碑、奥には実方の碑が建っている。 |
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西行歌碑 陸奥・出羽へと歌枕の旅に出た西行は、実方の墓に立ち寄り、霜枯れのすすきに心を寄せながら一首残した。 朽ちもせぬ その名ばかりを 留置きて 枯野の薄 形見にぞ見る |
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芭蕉句碑 | 今に残るかたみのすすき |