奥の細道二人旅・憧れの松島
仙台・宮城野 宮城県仙台市宮城野区
薬師堂境内
「おくのほそ道」の道標
 名取川を渡って仙台に入る。菖蒲を葺く日である。旅宿を求めて仙台に4、5日逗留する。画工加右衛門という者がいる。いささか情趣の心ある者と聞いて知り合いになった。この者は、「数年来、場所の定かでない歌枕を調べておきましたので」と、一日案内してくれた。宮城野の萩が茂り合っているのを見ると、秋の景色はいかばかりかと思いやられる。玉田・横野、躑躅が岡ではあせびの花咲くころである。日の光も漏れないほどの松の林に入ってが、ここが木の下というのだそうだ。昔もこのように露が深かったからこそ古歌で「御侍(ご家来)よ、ご主人に『御笠を』と申されよ」と詠んでいるのだ。薬師堂、天神の御社などを参拝してその日は暮れた。その上、松島・塩釜の所々を絵にかいて贈ってくれた。また、紺染の緒がついたわらじを二足、餞別にくれた。だからこそ風流の痴れ者で、ここに至ってその本性をあらわにした。

あやめ草足に結ん草鞋の緒

その画図にまかせてたどっていくと、おくの細道の山際に十符の菅がある。今も毎年十符の菅菰を作り国主に献上しているという。
 
 車はいよいよ仙台市内に入ります。とりあえず宮城野へ行ってみましょう。車はいよいよ仙台市内に入ります。宮城野はかつては仙台周辺の広い地域を指していたようですが、現在は仙台市東郊の運動公園周辺、仙石線の榴ヶ岡駅界隈や隣の宮城野原駅から陸奥国分寺跡がある木ノ下あたりまでを言うようです。そこでとりあえずその宮城野へ行くことにして、先ずは国分寺跡に車を停めました。
木ノ下・陸奥国分寺跡
国指定史跡。
奈良時代に創建された陸奥国分寺があったが、文治5年(1189年)源頼朝の奥州侵攻の時に焼失し、慶長12年(1607年)、伊達政宗が現存する薬師堂・仁王門・鐘楼などを建立した。

境内自由  無料駐車場あり
薬師堂の仁王門

仁王門が建つあたりは陸奥国分寺創建時に南大門が建っていたところとされ、門内には守護神として一対の金剛力士像が安置されています。
仁王門の茅葺(かやぶき)屋根は、昭和63年(1988年)に葺きかえられたものです。
薬師堂 国分寺の礎石
芭蕉句碑 大淀三千風の供養碑
薬師堂境内の心字ケ池の畔に芭蕉句碑があります。右の窪地になっているところが心字ケ池だが、現在は水がはられていません。

あやめ草足に結ん草鞋の緒
芭蕉句碑の脇には、仙台俳壇の基礎を築いき、芭蕉とも交流のあった大淀三千風の供養碑があります。

榴ヶ岡天満宮
 続いて榴ヶ岡天満宮に向かったのですが、道がわからず苦労しました。カーナビで指示された道が工事中だったのです。結構広い境内でしたが、他に人はいませんでした。
境内には、祭神の菅原道真が丑年生まれで牛を愛でたことにちなみ、「撫で牛」の像が祭られています。天神様ではお馴染みです。
また、境内には数多くの句碑や歌碑が建っていました。



芭蕉句碑
 多くの句碑や歌碑の並ぶ中に芭蕉句碑があります。なぜか北陸路で詠んだ
あかあかと日はつれなくも秋の風
が、刻まれていました。
撫で牛 菅原道真の「こちふかば」の歌碑前で

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