白河の関 白河の関跡・関の明神
奧の細道二人旅・白河の関
白河の関跡 白河の関

 ぼやぼやと日数が重なっていたが、白河の関にかかって旅心が定まった。
「いかで都へ」とここで便を求めたのも当然である。
 とりわけていえばこの関は三関の一つであって、文芸人の関心が深い。秋風を耳に残し、紅葉を悌(目に残る)にするのだが、青葉の梢がまた風情があるのだ。卯の花の白に、茨の花が咲き添うて、雪に越えるような心地さえする。古人冠を正し、衣装を改めたことなど、清輔の筆にもとどめ置かれたというではないか。

 
卯の花をかざしに関の晴れ着かな 曾良
 芭蕉は白河の古関を訪ねる前に、新関が置かれていたという下野と磐城の国境、境の明神に詣でそれから古関へ向かっていますが、私たちは逆行していますから先に古関を訪れました。
白河の関跡 福島県白河市旗宿

 JR白河駅からバス旗宿行の終点ということで、そうとう田舎です。鬱蒼とした森の中に土塁や空濠、各種の石碑などが点在しています。とりあえず奥の細道に関わるものとしては、奥の細道白河の関碑と古歌碑が見られました。
 今は整備されていますが、芭蕉が通った当時はどこが関の跡なのかわからなかったでしょうね。上の絵(芭蕉翁絵詞伝)でもそんな様子が分かります。
 近くに関址公園と資料館があり、かなり観光客が来ていましたが、みなさんここがどういう場所なのか分かっていないような様子でした。
奥の細道碑 奧の細道碑(左) 加藤楸邨筆
 奥の細道の
「心もとなき日数〜卯の花をかざしに関の晴れ着かな 曾良」
が彫ってあります。

古歌碑(右)
 便りあらばいかで都へつけやらむ
   今日白河の関はこえぬと  平兼盛
 都をば霞とともに立ちしかど
   秋風ぞ吹く白河の関     能因
 秋風に草木の露をはらわせて
   君がこゆれば関守もなし  梶原景季
古歌碑

関の明神
旧陸羽街道、現在の国道294号線の福島県と栃木県の県境に関の明神があります。
 曾良随行日記には
 関明神、関東ノ方ニ一社、奥州ノ方ニ一社、間廿間計有。
 とあります。現在も二つの社が建っており福島県側が「境神社」栃木側が「玉津島神社」の表示がありました。
国道294号県境 福島側 境神社 栃木側 玉津島神社
県境 福島側神社 栃木側神社

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