殺生石・遊行柳 殺生石・遊行柳・高久

奧の細道二人旅・殺生・石遊行柳

遊行柳  これより殺生石へ行く。館代から馬でもって送られる。この口付きの男「短冊下され」と請う。やさしいことを望みなさるものだなと
 野を横に馬引き向けよほととぎす

 殺生石は温泉の出る山陰にある。石の毒気がいまだに滅びず、蜂・蝶のたぐいが、砂の色の見えぬほど重なり死んでいる。
 また、清水流るるの柳は、蘆野の里にあって、田の畔に残る。この所の郡守の戸部某が「この柳を見せたい」など折々に言ってよこされるのを、何時になったらばと思ったのを、今日この柳の陰にこそ立ち寄りましたのさ。
 田一枚植ゑて立ち去る柳かな
高久 栃木県那須郡那須町高久
 芭蕉は黒羽を出た翌日、那須町の高久の庄屋角左右衛門方に一泊。館代から、馬で送られ馬子に「ほととぎす」の句を与えたのは、高久までの道のようです。高久の部分は奥の細道ではなにも触れられていません。
 私たちは2日目黒羽から郡山へ行く途中に高久の角左衛門(覚左衛門)方に立ち寄りました。
屋敷の脇に碑があります。

碑文
 芭蕉庵桃青君碑
 落ちくるやたかくの宿の郭公 風羅坊(芭蕉)
   木の間をのぞく短夜の雨(曾良)
   名主覚左衛門孫 青楓建立(宝暦四年)


右の碑は近くの高福寺にある句碑 上の落ちくるやの句が刻んであります。
高久句碑 高福寺碑

遊行柳
 遊行柳は田圃の中にこんもりとありました。きちんと整備されており、中には芭蕉の句碑のほか西行の歌碑、蕪村の句碑が建てられています。

田一枚植ゑて立ち去る柳かな 芭蕉
道の辺に清水流るる柳かげ
しばしとてこそ立ちとまりつれ 西行
柳散清水涸石処々 蕪村
遊行柳 遊行柳
芭蕉句碑 西行歌碑 蕪村句碑
芭蕉句碑 西行歌碑 蕪村句碑

殺生石 殺生石・湯泉大明神

 殺生石に着いたときに生憎の大雨になってしまいました。硫黄の臭いも強烈でユキママは気持ちが悪くなりダウン。悟雀おじさん1人で湯泉大明神に参詣しましたが、靄がかかった状態でお社も近づかないと見えないという状態でした。

殺生石句碑
 石の香や夏草あかく露あつし
湯泉大明神句碑
 湯をむすぶ誓いも同じ石清水
 
殺生石句碑
湯泉大明神 湯泉句碑

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