| 2000.05.01.Mon. | |
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AM7:00起床。丁度、与論島に寄港したところだったので、皆で甲板に出てみる。すると外は晴れていた!しかも雲一つ無い快晴。昨晩の大雨が嘘のようだ。 そして、甲板の縁から海面を覗いて目を見張る。水の色が違う! 見事なエメラルドグリーン。ヘドロだらけでどんよりと濁った東京湾とはエライ違いだぜ。感動! そして水面に映える太陽の光が眩しい。南国に来たのだという事を実感させてくれる。きっとお天道様がオイラの為に天気を良くしてくれたんだ。そうに違いない! イイねイイね。最高だ!! オイラは浮かれて、デジカメでそこら中撮影しまくる。今回のツーリングの為に買った秘密兵器、SANYOのマイクロドライブ対応動画デジカメ、DSC-SX550だ。いくら撮影してもフィルムの無駄なんて事がないので、港やコンテナとか後で冷静になって考えるとどうでもいいものまで撮ってしまう。いや、そんぐらい浮かれてたんですよ。
那覇港が近づいてきたところで部屋に戻り、下船の準備を始めた。やがて那覇港到着。バイク下船の順番が来るまでの間、同室の人達と写真を撮りメールアドレスを交換する。 バイク組下船準備完了のアナウンスが流れてから車両デッキに降りた。二日ぶりの愛車との対面。乗船用の荷物をテールバッグに括り付け、しかりと固定されている事を確認。同室の他の人は既にエンジンをかけていた。XRを隣に停めていた荒川さんと挨拶を交わす。「良い旅を!」 皆がハッチを潜り下船した後、オイラもThunderAceのエンジンを掛けた。準備万端。ヘルメットを被り愛車に跨ると、ゆっくりと下船口へ向かった。ハッチを潜り、眩しい南国の日差しの中へと飛び込む。遂に沖縄上陸! 感激の余り、ヘルメットの中で歓声を上げる。港を出て那覇市街に向かう道を走りながら、「ヤッター沖縄、遂に来たぜ!」と叫び、スタンディングでガッツポーズをとった。 R58との交差点を赤信号で止まり、タンクバッグ上の地図を見ていると、横に高田さんのアフリカツインがやって来た。那覇市街は右折という事を教えてもらう。オイラは直進車線にいたので、慌てて右折車線に移った。信号が青になる。高田さんは市街を迂回して行くらしく、直進。手をあげて挨拶を交わした。ありがとう、高田さん! オイラは市街へ入り、沖縄県庁前に来た。ツーリングで行き先を決めていない時は、大抵大きな駅を起点しているのだが、沖縄には鉄道が無いので大きな目印として県庁を選んだのだ。県庁舎の前で、ツーリングマップルを見ながらこれからのルートを考える。沖縄滞在期間の7日間中、中三日は八重山諸島に行きたいので始めと終わりの2日づつで沖縄本島を巡るつもりだ。そうすると、石垣へ向かう為に那覇から余り離れたくないので始めの二日は本島南部を巡る事にする。石垣から帰ってきたら、辺戸岬へ行こう。とりあえず、南回りでひめゆりの塔へ行き、高田さんお奨めの玉泉洞に寄ってから東側を北上して、適当なビーチでキャンプしようと決め出発する。 R58で那覇市街を抜ける。途中、那覇空港へ道を確認してR331を南下。しかし、程なくして道幅が狭くなり、道が混み始める。流れは止まらないので渋滞ではないのだが、如何せん速度が遅い。片道一車線で道幅も狭いので、すり抜けもできない。のんびりしているのは良いのだが、日差しが強い中の低速走行なので暑い。遂にはThunderAceの冷却ファンが回りだして、カウルの間から熱風が吹き出してきた。これはたまらんと、沿道にTUTAYAを見つけたのでそこの駐車場に入り、日陰で停車。暑い。ジャケットを脱いでTシャツ一枚となり一息ついていると、他の客の好奇な視線を浴びる。後ろにでかい荷物を括り付けた、真っ赤なでかいバイクが止まってれば、それは目立つだろうが、ThunderAceのようなバイクは沖縄では珍しいのかもしれない。しかしそれは、沖縄では必要ないバイクだという事でもあるだろう。やはり沖縄では、ThunderAceのようなビッグバイクスーパースポーツは向かないのだろうか。 何にしろ、外は暑いので取り敢えず店に入って涼む事にした。だが丁度良いことに、店内で「沖縄離島情報」を見つけたのだ。行きの船内で高田さんに見せてもらったアレだ。しかも数十冊平積みにしてある。やはり、沖縄を旅する者にとっては必需品のようだ。速攻でゲットし、ついでだから石垣行きの飛行機チケットを予約する事にする。 しかし、ここで予想外の事態発生。公衆電話で明後日の便の空席を確認したのだが、JTA、ANAともに石垣行きの便は全て満席だというのだ。しまった! 5/3は連休の始まりだから、みんな石垣島へ行くのだ。しかし西表島は諦められない。しばし考えた末、石垣行きを一日ずらして明日にする事にした。再び電話して空席を確認したところ、明日は朝一の便以外は空きがあるとの事。結局、明日の13:00時那覇発の便と、帰りの5/6、8:55石垣発那覇行きの便を予約した。石垣への行き帰りを確保できて安心したので、店の前の売店でアイスクリームを買って食べ、日陰で涼んでから出発した。 相変わらず流れはゆっくりだったが、糸満市街を抜けると車の量が減り、スムーズに走れるようになる。気持ちよく風を切って走る。名城で「具志川城跡」の看板を見かけたので、そちらへ向かう。行き当たりばったりだ。畑の中の細い道を抜け、喜屋無岬の先に着くと具志川城跡の碑が立っていた。歩いて突端へ向かう。そこには、石垣の跡が残っているだけで何もなかった。地図をよく見ると、沖縄南部には○○城跡というのが無数にある。それらは琉球王朝時代の見張り城で、中城を中心として建てられた戦城群なのだ。大半は具志川城跡と同様に朽ち果て状態なのだろう。城跡全てを寄ってたらキリがないと思い、この後は城跡の寄り道はやめようと思った。 しかし折角寄ったのだから、しばし岬の突端に立ってボーっとする。引き潮で珊瑚が露わになった海岸が、遠くまで続いている。その上を、那覇空港を発つ旅客機が轟音をあげてゆっくりと飛び去って行く。潮風を浴びながら青い水平線を眺める。良い景色だ。 暫くしてバイクの所へ戻ろうとしたら、意外な人と出会った。清水さんが手を振ってこちらにやって来る。なんと、清水さんも具志川城跡の看板を見て寄り道したのだった。思わず笑いがこみ上げる。旅先で出会った人に途中で再会するという事はよくある事なのだが、こんな何もないポイントで偶然逢う事になるのは珍しい事ではないだろうか。また、裏を返せばそれだけ沖縄が狭いという事であり、バイク乗りの行き先も自ずと一緒になるという事なのだろう。しかし、その事にガッカリはしない。むしろ嬉しくなった。ここでは急ぐ必要など無いのだ。のんびりと走ればいい。ここの時間の流れがゆったりとしている理由を、こんな所で見出す事が出来た。この再開に、望外の喜びを感じながら清水さんと握手を交わす。記念撮影をして具志川城跡を出発した。
入り口横で花を一束買い、碑の前に行く。団体客が詰めかけ、慌ただしく写真を撮って行く。ちょっと騒がしい気もする。しかし、オイラはどうしても他の人達のように観光気分にはなれなかった。別にオイラの親戚がこの碑に名を連ねているとか、戦争で爺さんを亡くしたとかいう訳ではない。全然知らない人達だけれど、昔の戦争で自分の意志とは関係なく命を落とした人達がいるという事を思ったとき、ほんのちょっと神妙な気分になっただけだ。しかし、周りの観光地らしい雰囲気と、今の沖縄の平和で穏やかな空気が、却って目の前の碑に込められた想いを強調しているようにも思う。出発する前に見た「ザ・コクピット」の影響かな? 気を取り直し、来た証拠に一枚だけ写真を撮るとひめゆりの塔を後にした。 出発した直後、前方から見たことのあるバイクが……。清水さんだ。どうやら具志川城跡からダートを通ってひめゆりの塔まで真っ直ぐ行こうとしたが、少し行きすぎてしまったようだ。すれ違うときにピースサインで挨拶した。 次の観光スポットは玉泉洞文化村。お奨めポイントとしてフェリーの中で高田さんから教えてもらっていた所だ。玉泉洞の駐車場でThunderAceを停めたところで、ガイドらしいおじさんにどこから来たのか声を掛けられる。名古屋港からフェリーに乗って、今日着いたばかりだと言うと「ついてるね」と言われる。なんでも、昨日まではあまり天気が良くなくて、昨晩も雨が降ってたとの事。でも、今日は快晴。確かについてる。 他にも少し話をし、北上するなら太平洋側の道の方が空いてるとか、名護市では取り締まりが厳しいから気をつけた方が良いとか、色々教えてもらう。気さくな感じでイイおじさんだ。礼を言って判れ、玉泉洞の入り口へ向かった。 ここも観光地であるが、今日は平日なので客は疎らだ。チケットを大人一枚\ で買い、早速中へ。因みに、オイラは小学生の頃に川口浩探検隊を見て育ったクチなので、洞窟の類は大好きである。デジカメを準備して、喜び勇んで入って行った。 中は結構広いし涼しい。中を歩いている間、その間写真撮りまくり。いらない写真は後で消せばイイやと、調子乗りまくりだった。 30分ぐらいで中から出てきたら、外はムッとする暑さ。うわー、やっぱり南国だよ。5月だってのに内地の真夏と同じぐらい暑い。そして、玉泉洞の出口には熱帯植物園があり、そこを通過すると待ち構えていたように売店があって各種カットフルーツとジュースが売られていた。ああ、観光地の常套手段だなぁ〜、とか思いつつもこの暑さには勝てず、結局パッションフルーツジュースを買ってしまった。一杯、\380。高い! しかし、これが結構いける。ミカンとパイナップルを足したような味なのだが、結構さっぱりしていて美味い。パッションフルーツって初めて飲んだのだが、気に入ってしまった。 駐車場に戻り出発しようとすると、休憩所から先程のおじさんが出てきてわざわざ見送ってくれた。こちらも手をあげて挨拶する。上機嫌で玉泉洞を後にした。 R331を海沿いに行く。車の量は多くはないがトラックが走っており、片道一車線なので追い越しもできない。ま、天気も良いので慌てずのんびりと走る。知念村の辺りで一旦止まり、海を眺めながら休憩する。海が綺麗だから、つい写真を撮る。 再び走り出し、R329との合流を右折して北上する。車が増えてきたが、車線も片道二車線になったので流れはスムーズだ。中城を過ぎた辺りで、前方にバイクを発見。大阪ナンバーのニンジャだ。リアシートに寝袋を括り付けているところを見ると、オイラと同じツーリングライダーのようだ。信号で停止したところで横に並び、挨拶する。その後しばらく併走する。やがて車が増えてきて渋滞になり、停止回数が増えてきた。痺れを切らしたニンジャのライダーが、並んで止まったところで、茶でも飲まないかと提案してくる。オイラは同意して、沿道に見つけた自動販売機の前に止まって休憩する事にした。 缶コーヒーで一杯やりながらニンジャのライダーと話をする。彼は大阪から来た角野さん。今日、フェリーで沖縄に着いたばかりだと言う。同じ飛龍に乗っていたのだ。話を聞くと学生さんで、なんとなく南の方に行きたくなったのでツーリング出たとの事。しかも、友人から借りた寝袋だけを持って、何も考えずに沖縄行きのフェリーに飛び乗ったという強者。イイねぇ。それでこそバイク乗り! 彼は沖縄から奄美大島、九州と少しずつ北上しながらゆっくり大阪に戻るつもりらしい。羨ましい。オイラも学生の内に、そんな気ままな旅をしてみたかった。 しかし、こうして見知らぬ者同士いきなり何の気兼ねもなく話が出来るってのはイイね。余談だが、ThanderAceに乗っているときはニンジャ乗りに声をかけられる事が多い。センスと言うか好みが、ニンジャ乗りとThunderAce乗りは似ているのかもしれない。オイラもニンジャは好きな方で、一目置いてるしね。 しばしのあいだ道端で談笑した後、再び走り出す。今夜の宿泊予定地の伊計ビーチへ向かう為、オイラはコザ十字路で右折。ピースサインを出して火角野さんと別れる。「良い旅を!」 県道75号を安慶名で右折し与勝半島に入って行く。海沿いの県道37号を走っているとまたもや清水さんとすれ違う。どうやら、オイラが玉泉洞に行っている間に、平安座島に行って戻ってきたようだ。しかし、こうも行き先が一致するとは。思わず苦笑してしまう。県道10号との交差点を左折して海中道路を行く。ここは沖縄本島と平安座島を結ぶ橋で、海の中を真っ直ぐに走る。とても気持ち良い。お奨めポイントだ。しかも夕暮れが近づいており、左側には夕日が見える。停まって写真でも撮ろうかと思ったが、早くキャンプの支度がしたいのと、余りにも気持ちよくアクセルを開けて飛ばしていたので、そのまま走ってしまう(^^; が、ふと左側を見ると見覚えのあるバイクが……高田さんのアフリカツインだ! 高田さんはバイクに寄りかかって夕日を眺めていた。むぅ、絵になっている。「海を見ていたジョニー」だ。と、思わず感心。「あ、折角だから写真撮ろうか」と思ったときには既に通過して、大分後ろの方になってしまっていた。<--そんなに飛ばすなよ とにかく、キャンプ場が本当に泊まれるかが心配だったので、取り敢えず先へ進む。ここから先は道が細くて意外に時間が掛かったが、日が沈む前に伊計ビーチらしき所に着いた。しかし、そこは策に囲まれたビーチで、しかも今は閉まっており人っ子一人居やしなかった。 「そんなバカな……」 地図上近いだけで別の所かもしれないと思い、近辺を走り回ったがキャンプ場らしき場所は他には見あたらなかった。しかもこの辺りはリゾート開発予定地のようで、区画整理だけされて何も建っていない空き地ばかりで殺風景な所だった。ここで時間を食って日が沈んでしまうのも嫌なので、思い切って諦めて別のキャンプ場へ向かう事にした。 ツーリングマップルで一番近いキャンプ可能なビーチを探して、漢那ビーチへ向かう事にした。来た道を戻る。県道75号を経由して再びR329に出て北上する。日はすっかり沈んで、辺りは夜の帷に包まれた。野宿するならもう少し時間に余裕が欲しかったのだが、上手く行かないものだ。 幸い、暗くなってから道が空いてきたのでちょっと飛ばし、小一時間程で漢那近辺まで来られた。しかし、街灯も少なく真っ暗な中ではキャンプ場を見落としてしまうかもしれないので、ガソリンスタンドに入って給油ついでに漢那キャンプ場の場所を訪ねた。幸い、キャンプ場はガソリンスタンドから500メートルほど離れたところで、スタンドのバイトの女の子に聞いた道を行ったらすぐに見つかった。やっぱりこの手の情報は、地元の人に訊くのが一番だね。 しかしキャンプ場(ビーチ)の入り口でバイクを停めて、しばし途方に暮れる。キャンプ場は閉まっていて灯りも無く、真っ暗闇で様子が掴めなかった。入り口は閉まっているとは言え、鎖が一本渡されているだけで南京錠も掛かっておらず入ることは可能だ。水道は当然止まっているだろうが、これだけ遅くなったら自炊する気もないのでそれは構わなかった。だが、オイラ以外には人っ子一人おらず、ちょっと躊躇する状況ではあった。 しばし考えた後、入り口に看板を発見したのでそこに書いてあった管理事務所に電話を掛ける事にする。ここで今回の秘密兵器その2の登場。携帯電話である。今回のツーリングの為に、携帯を購入しておいたのだ。何を今更と思うかもしれないが、オイラはこれまで携帯を頑なに拒んできたのだ。何故かと言うと、そりゃ所構わず携帯でペチャクチャしゃべりまくるコギャルとか、車の運転している最中に携帯かけてフラフラ運転する迷惑なオヤジ共が嫌いだからさぁ! そんなのと一緒にされたくなかったさぁ!<-- 沖縄言葉 いや、まぁそれは個人のモラルの問題だからオイラ自身がしっかりすれば良いだけの話なんだが……。それに使ってみると結構便利で、特にツーリング中に緊急連絡の必要性が生じる可能性を考えると、持っているだけで安心もする。例えば車が通らないような峠道で事故った時に、バイク屋を呼んで救援を頼むとか。そんな訳で携帯買ったさぁ。 閑話休題。 で、キャンプ場の事務所に電話したところ、明日の朝に使用量を取りに行くから鎖を開けて泊まって良いとの事。これで一安心。鎖を外してThunderAceで真っ暗なキャンプ場の中へ乗り入れた。下は硬めだが砂地のようなのであまり奥まで行かず、胃入り口近くの炊事場の横にあるコンクリート地の所(これも暗くてよく判らないのだが、恐らく消火栓だろう)に停める事にする。サイドスタンドを出して安定を確かめると、リアシートの荷物を降ろしテントを張る。ヘッドランプを取り出して手元を照らしながらの作業だが10分ほどで設営完了。荷物を運び込んで寝床の完成。やれやれ、後は腹ごしらえだ。 漢那に来る途中、米軍基地(キャンプハンセン)らしきところがあったからその近くに飯屋でもあるだろうと検討をつけ、来た道を戻る。時間はPM7:00をまわっていたが、車が殆ど通らない。後ろが軽くなったThunderAceで気持ちよく走れる。10分もしない内に金武町まで戻ってきた。この時間だと、殆どの店が既に閉まっている。それでも、まだ開いている定食屋を一軒見つけてそこに入った。地元の人(基地のアメリカ人も)も来るような普通の定食屋で、焼き肉定食を頼んだ。折角、沖縄まで来たのだから沖縄独自の名物料理と行きたかったが仕方あるまい。考えてみれば昼も食わずに走りっぱなしだったので、腹も空いていた。飯にありつけた事に感謝し食う。結構うまかった。 腹一杯になったところでキャンプ場へ戻る。戻ってみるとオイラのテント以外にも、一つテントが増えていた。中から人が出てきたので挨拶する。チャリンコで沖縄を走りにきた学生さんで、やはり飛龍に乗って沖縄に来たという。キャンプ場に来たときには誰もいなくて、少し心細かったとか。そりゃそうだよなぁ、真っ暗だもんなぁ。何時まで沖縄にいるのかとか、どこを走るのか等、しばし話をした後寝床に入った。 | |
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