#320 東日本大震災に思う:原発事故

2011/05/08

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 3月11日の東北地方太平洋沖地震は、地震や津波の被害の大きさもさることながら、その後長く日本中を震撼させているのは、福島第一原子力発電所の電力喪失による冷却不全と、それに伴う放射性物質漏洩事故である。

 国内で発生した原子力関係の事故として思い浮かべるのは、1999年に発生した、東海村JCOの作業ミスにより発生した臨界事故であろう。今回に比べれば規模も小さく、ほぼ一日で終息した事故とは言え、事故を発生させた会社の作業員ら2名が死亡し、現場より半径10kmの住民に一時自宅待機勧告が出されるほどの騒ぎであった。

 このときに私は茨城県に住んでおり、このサイトにこんなことを書いているが、あの時感じたことを今回もまた感じた次第である。すなわち「遠くの人間ほど必要以上に心配する」ことと「正しい知識のない者ほど悪い方に考える」ということである。

 前者に関して言えば、被災地周辺よりも東京の人間の方が、日本国内よりも海外の方が反応が過剰であるように思う。特に欧州や米国など、普通に考えて、健康に影響があるような量の放射性物質が届きそうにないところの方が、あれこれ大騒ぎしている気がしている。筆者に関して言えば、4月にウィーンに出張する際、予約していたルフトハンザ便やオーストリア航空便が、ソウルに駐機し乗組員を交替するという措置を取ったため、移動に余計な時間がかかってしまった。聞けば、乗務員を成田に宿泊させないための措置のようである。そんなことを心配するなら、パイロットが機内で浴びる放射線の方がはるかにレベルが高いはずなのに。

 マスコミの反応も、最初のうちはいたずらに不安をあおる報道もあれば、それほど心配するレベルのものではないという報道もあって、それぞれ論調が分かれていたように思う。ところが、4月に入り原子力安全・保安院が、放出された放射性物質の総量を基準に、今回の事故が国際原子力事象評価尺度によるレベル7(暫定)の事故であったと発表したことで、報道の方向性が、政府や東京電力の対応批判や、どこでどれだけの放射能が検出されたとかの、感情的で悪い評価のものばかり目立つようになってしまったように感じる。

 とはいえ、今回の事故がチェルノブイリ原子力発電所事故と同じレベル7の事故ということになったとしても、その様相は両者では大きく異なるというのが私の感想である。チェルノブイリの際は、当時のソ連政府がなかなか事実を明らかにしなかったために経緯がよく知られていないということもあるが、実験中の原子力発電所が作業の手違いにより暴走し、原子炉そのものを破壊し、加えて発生した黒鉛火災により周辺地域の汚染を助長する結果となったものである。また事故後についても、作業員の健康被害をおよそ考慮しない突貫工事で事態を早期終息させたものの、住民や作業員に重度の放射線被曝が発生した。

 他方、今回の事故については、原子炉そのものは地震発生後の緊急停止措置が正常に機能しており、再臨界の可能性も現段階では低いと考えられている。この事故による放射線被曝による死者も今のところ出ていない。事態終息の作業に時間がかかっているのは、旧ソ連と違って作業員が大量被曝しないよう配慮しつつ慎重に進めているのも理由の一つである。

 前回のJCOの臨界事故の時にも書いたが、放射性物質や放射線といったものは、専門外の者には非常にわかりにくい。しかし、付け焼刃で勉強した程度の基本的な知識あっても、それにより定量的に見積もれば、今回の事故に伴う放射性物質漏洩により、健康や環境、農作物水産物に与える影響は、現段階では非常に限定的なものであり、福島県外に関して言えばほとんど心配するには及ばないものであることは明らかである。にもかかわらず、実際には福島県外、特に東京近辺などで、過剰に反応する住民がいたり、あまつさえ福島に関係する風評被害が発生しているやに聞くことは、非常に悲しいことである。

 このようなことが起こってしまう背景には、政府や東京電力の情報開示が不十分であるという論調もあるが、むしろどちらかと言えば、メディアやマスコミが、様々な機関が出している客観的な情報を放射線や放射能に関する科学的知見に基づいて整理咀嚼しわかりやすく報道するということが十分にできていないことに起因しているのではないかと思う。安易な体制批判や感情的な報道に走ることなく、冷静かつ中立的な報道をしてほしいと思うものである。


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