#321 東日本大震災に思う:節電対策

2011/06/06

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 東北地方太平洋沖地震によって、原子力発電所はじめ発電・送電設備に生じた甚大な被害により懸念される電力不足に対応するため、東京電力は、地震後初の平日となった3月14日の月曜日から、地域を指定した計画停電(輪番停電)を実施した。具体的には、東京電力管内における対象地域(東京23区等を除く)を5つのグループに分けて、グループごとに2時間ごとに順繰りに停電するというものである。

 こうしたことを行うらしいことは週末から報じられていたので、私は、具体的にどういう計画で、どこが対象になり、停電になるのは何時なのか、東京電力などから情報が提供されるのをずっと気にして待っていたのだが、実際にその内容が明らかになったのは前日の夜になってからだった。ただ、計画的にとは言え、無差別にこれだけのことを行うのであれば、我々一般家庭はともかく、鉄道などの基幹インフラを担う企業等にはあらかじめ伝えられているのだと思っていたら、実はそんなことは全くなかったと後で知ったのは驚きであった。

 はたして、ぎりぎりまで計画を知らされなかった各鉄道会社は、計画停電初日は大幅に運転本数を減らしたり、停電実施の際には運休するなどの対応を取らざるを得ず、首都圏の交通網は、地震当日の夕方に続き大混乱に陥った。利用者についても、出勤する時に初めて知ったという人が多かったようで、「計画」停電というにはあまりにもお粗末な対応であった。

 その後も、電力の使用状況を見ながら、計画されている地域や時間であっても実施したりしなかったりという運用がしばらく続き、企業も店舗も自治体組織も、対応に非常に苦慮することになった。「やるかも知れないし、やらないかも知れない」という状況では、それに対する対応などあらかじめ「計画」することなどできないのだから当然である。

 その後、季節が春になり暖房による電力消費が減ったほか、発電・送電設備の復旧や、各機関の独自の節電対策が奏功し、ただちに電力の供給不足に陥る危険がなくなったと判断され、4月8日に、当面計画停電は行わないと発表された。

 計画停電は一旦終了したとはいえ、各企業や団体による節電への取り組みは継続されており、駅では照明や広告の蛍光灯が一部落とされ、エスカレータなどは軒並み止まっており、電車の運転本数も震災前より削減された特別ダイヤで動いている。また、東京電力が提供する、現在の消費電力の実況値を示すグラフが、あちこちのWebサイトや駅の掲示などで示されるようになった。更には、冷房による電力需要を抑える一環として、政府は例年より1カ月早くクールビズを開始したほか、6月からは、ジーンズやアロハなどの着用も認めた「スーパークールビズ」を推進している。

 社会全体が今回の震災をきっかけにして、それぞれ節電に取り組むのは結構なことだと思う。しかしながら、節電のために生産・消費活動が萎んでしまうのは今後の復興ためにならないので、何でもかんでも電気を使わないようにするというのがいいことであるとは思えない。特に今の季節は、冷房も暖房も特に必要としないせいか、消費電力のグラフを見ても、最大で供給能力の80%程度しか消費されていないのを見るにつけ、必要なところはもう少し電気を使うようにしてもいいのではないかと思ってしまう。

 だいたい計画停電にしても、あるいは節電目標にしてもそうだが、その根底にあるのは、個人や企業の自主的な節電努力を信用せず、ある程度強制力をもって電力使用量を管理しなければならないという管理者的思想であって、時に空恐ろしいものを感じる。

 またクールビスに至っては、極論すれば、個人が何を着て仕事をしようと電力の消費とは無関係であり、まして、6月にしては肌寒かった1日の東京で「スーパークールビズだから」と、無理に寒々しい服を着るのは滑稽ですらある。服なんぞ、その時の気温に応じて個人が快適に過ごせるものを着ればよろしいのあって、クールビズの期間になったからクールビズにしなければならないというものでもない。(もちろん、クールビズであっても失礼にはあたらないという空気を役所が率先して作り、社会全体の取り組みを促進するということについては意義があると思うが。)

 年間を通じた電力消費のピークは、夏の日中、すなわち最も気温が高くなる時間帯にやってくる。そしてその時の電力消費の1/3は冷房需要によるものと言われている。冷房にかける電力消費のみ抑えることに成功すれば、その他の部分(照明や動力等)については、これまで通りの電力消費であっても問題はないはずである。

 これから夏に向けて、再び節電に向けたプレッシャーはますます高まることが予想されるが、個人も企業も団体も、自らに過度に不便を強いることなく、ポイントを押さえた節電に努めることで、夏の電力不足を乗り切っていくことを願ってやまない。


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