#319 東日本大震災に思う:津波被害

2011/04/12

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 その地震を、私は東京の職場で体験した。緊急地震速報に身構えていると、ゆさゆさとした揺れが始まった。時間がたって収まるかと思いきや、揺れは更に長く強くなり、訓練で何度もそうしてきたように、机に潜って自分の安全を確保した。エレベータは止まり、机の上に平積みにした書類が落ち、書架の資料はどっさりと落ちて、膝まで埋まるほどの紙の山になった。

 震源は宮城県沖。マグニチュードの速報値は7.9で、岩手県、宮城県、福島県の沿岸には地震発生後3分で大津波警報が発令された。やがてその範囲は徐々に広がり、最終的には日本の太平洋沿岸のほぼ全域に津波警報が、日本海側も含めた全海域に津波注意報が発令された。マグニチュードは地震発生の3時間後には8.8と発表され、2日後には9.0とされた。日本での観測史上過去最大の東北地方太平洋沖地震の発生である。

 東北地方の太平洋岸は、昔から、太平洋プレートの沈み込み帯で発生する巨大地震と、その地震により発生する津波に何度も脅かされてきた。国内だけで見ても、1894年の明治三陸地震や、1933年の昭和三陸地震と、多くの犠牲者を出す地震津波を経験してきているほか、1960年にも、チリ沖の地震で発生した津波が、遠く太平洋を越えて、ほぼ24時間かけてこの地方を襲い、何百人かの犠牲者を出した。

 こうした過去の手痛い経験から、日本は国内の地震のみならず、海外の地震に対しても、迅速にデータを集めて津波予報を出す体制を整えてきたほか、三陸沿岸の各自治体においても、津波にも耐えられるような堤防を構築して津波に備えてきた。

 しかしながら、今回の津波は、我々がこれまでに経験したことがないような巨大なもので、地震後30分たってから襲ってきた津波の最大波は、堤防をやすやすと越え、あるいは川をさかのぼり、集落をすべて破壊し尽くした。高いところでは建物の3階まで達したとこともあり、そうしたところに避難していたにもかかわらず流されてしまった人もいたという。津波の高さがどれほどであったかは、今後検証が進むにつれ明らかになっていくと思うが、高いところでは30mを超えるものであったという報告もある。

 犠牲者は地震後1ヶ月たって1万3千人を数え、さらにそれ以上の人たちの行方が未だにわかっていない。大津波の恐ろしいところは、集落や自治体組織そのものをすべて破壊し流してしまうことで、その後手を尽くして捜索しても遺体が見つからないことも多々あり、また復興にも容易ならざる困難と時間が伴うことでる。

 しかしながら、死者・行方不明者の数に目を奪われてしまうが、一方でそれ以上の人たちが、津波警報により、あるいは自らの判断で、避難したことも確かである。もしもそういった体制ができていなかったら、被災した自治体の規模と数から考えて、死者・行方不明者の数は10万や100万を越えていたかも知れない

 とは言うものの、ハード面、ソフト面における日本の津波対策が万全であったかどうかは、今後検証していく必要があると思う。そして、同じような地震が別の場所であった時に、これまでに取られてきた津波対策がきちんと機能するかについても、今後早急に検証する必要がある。

 特に三陸地方では、昨年2月のチリの地震や、今回の地震の2日前の地震でも津波予報がでている。これらの事象では幸い人的被害は出なかったが、このことが逆に、津波予報に対する信頼を損ね、今回の警報についても迅速な避難を妨げる要因になっていなかったかということも、懸念するところである。

 自然の驚異を前に我々にできることは限られている。だからこそ、災害に対しては、様々な対策を施してなお、常に謙虚に構え、かつ油断なく備えていかなくてはいけないと、今回の災害を前に改めて思う。


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