#250 不要品大処分

2005/11/03

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 4畳半ほどのスペースの私の自宅の部屋は、本棚3つにパソコンデスクをはじめ、小物の整理棚や衣装箪笥などもあって、狭い部屋が更に狭くなっている。その上周りには、それらに収まらない書類や小物があふれ、更に子供が生まれてからは紙おむつの袋やもらったおもちゃなどが入り、立錐の余地もないほどである。

 かたや職場の方も、書架や引出しには書類ファイルがあふれ、更に未整理の書類がうず高く積まれた机が多い。OA化が進んでペーパーレスが進むどころか、逆に簡単にペーパーを出力できる環境になったおかげで、紙資料の量は以前とは比べ物にならない程増えている。こんな風景はどこのオフィスでもそう変わらないであろう。

 現代社会はかようにモノがあふれているわけではあるが、いざ整理しようと思っても、これはあとから使うかも知れないとか考え始めると、どれもこれも捨てることができず、結果としてモノがどんどん溢れてしまうものである。同じような環境にある人は多いのではなかろうか。

 とは言え、例えば引越しなどで持ち物をすべて荷造りする段になると、意外にも不要なモノが多く出てきて、かなりの量のゴミが出てくるものであるからまた不思議である。つまり、後でいるかも知れないと思ってとりあえず保存はするものの、そのまま持ち主の記憶からなくなってしまい、時間がたってそのモノの「賞味期限」を過ぎてからも、単に捨てるのが面倒臭くて、結局日の目を見るまで延々と保存されているものということも、またよくあることなのである。

 そんな次第で、現代社会は油断しているとモノで溢れかえる運命にある。特に私のような貧乏性な人間になると、あれもこれも「これは思い出の品だから」とか「これは後で必要になるかも知れないから」とか「これは世に二つとないものだから」とか思ってしまい、ついついいろんなものを溜め込んでしまうものである。

 最近読んだ、「捨てる!」技術(宝島出版社)という本(だいぶ前に発行されたものだが)は、そんな私の「溜め込み癖」を一蹴してくれた。いつか使うと思っているものは結局使われることはない。だからすべての持ち物を「捨てる」という観点から捉えなおそう、という本の趣旨は、ある意味過激ではあるが、思い当たるところも大いにある。

 ということで、この本に蒙を啓かれ、目下のところ私は、自分の部屋や職場にある不要なものを、片っ端から捨てにかかっている。今は使ってないものの動くからとりあえず取ってあるような古いデジタルカメラやオーディオ類などの電脳グッズやその付属品やマニュアル類、昔の手紙や年賀状、学生時代のノートや、各種パンフレットや雑誌や明細票や包装紙や紙袋や空き箱など、片っ端から捨てていく。今はほとんど着なくなったような衣類もリサイクルに出してしまう。滅多に開かない本は二束三文で古本屋に売り払う。カセットテープのMP3化もほとんど完了したので、一気に処分する。中に何が録画されているのかわからないビデオテープも、わからないのだからそのまま捨ててしまう。

 そうやって捨てていけば、捨てること自体が結構なストレス解消になり、毎日ゴミの日に山のような不要品が目の前からなくなっていくのが気持ちよく感じるようになった。捨てる作業はまだ道半ばではあるが、とりあえず机のまわりにあふれていたファイル類はなくなり、自宅の部屋の床や本棚の上などに転がっているものもほとんど一掃された。

 ただし、電子化されていないが重要な書類や写真の類など、捨てたら取り戻せないものについては、なかなかそのまま捨てる勇気が出ないのもまた事実である。これらについては捨てる前に、別の形で記録を取っておくことにする。ここからが電脳の出番であるが、その話は次回以降に。


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