△ 不等辺ワークショップ第29回 (2005/07/03)


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写真  唐突ですが、私は「鼓童」のワークショップに参加したことがあります。「鼓童」は、私が言うまでもないですね、新潟の佐渡を本拠地として活動する、世界的に知られた和太鼓のグループです。いつだったか、女優の石田ゆり子と鼓童のメンバーとの「さわやか交際」が話題になりましたね。世界的には石田ゆり子よりもメンバーのほうがはるかに知られた存在です。その鼓童が主催する「鼓童塾」に私は参加したのです。いまから7年前の秋です。たしか4泊5日のワークショップでした。彼らが普段活動している、佐渡の、廃校になった中学校に合宿しながら、和太鼓と親しむという企画です。

写真  参加者は全国から集まった20数名。日本人のみならず外国人もいます。予約なく、飛び入りで参加したフランス人の女優もいました。男女別に、以前は教室として使われていた部屋に雑魚寝をする。朝起きて、山道のランニングから一日がはじまる。食事は毎食、鼓童の研修生の方々が当番制で準備してくれる。午前午後には3時間ずつの、和太鼓のワークショップです。素朴だけど楽しいイベントもいくつか用意されている。夜は校庭で、タバコをふかしながら、参加者同士いろいろ語り合った覚えがある。星がきれいでした。「セサミ・ストリート」の主題歌を私が口笛で吹いたら、アメリカ人とカナダ人の男性があっちとこっちで同時にハッとこっちを向いたのを覚えています。

 …話が長くなりそうですね。このときの体験が、私の「原体験」であるような気がします。ワークショップの原体験。肝心の和太鼓のワークショップは、それはそれは見事なものでした。いま思うといっそう、あのプログラムがよく練られたものであることがわかる。リーダーをなさったのは鼓童の主力メンバー、斎藤栄一さん。なにせ鼓童のエース格ですよ。和太鼓の実力は折り紙付きです。斎藤栄一さんはそれだけではなく、ファシリテーション(という言葉を当時は知らなかったけど)の腕前も超一流でした。私の目標が「鼓童塾」であり、私の憧れは斎藤栄一さんである。私がワークショップをはじめた4年前は、まだそんなことを意識してはいませんでした。やりながら、だんだん気づいてきた。いまの私は、あのときの斎藤栄一さんと同じ年齢なんですね。だからかなぁ。一歩でも近づきたいなぁという思いが、膨らんできたように感じます。

写真  もちろんあちらは世界的な存在であるのに対し、こちらは大きく言っても「世田谷的な存在」にすぎない。スケールもレベルもまだまだ遠く及びません。でもね。前回の松陰コモンズのときに、ちょっと通じるものを私は感じたのです。あちらが和太鼓を用いておこなっていることを、私は演劇を用いておこなう。一歩また一歩と、世田谷から佐渡へ、世界へと近づいていきたいですね。近づいていきますよ。かならずや。

 紹介が遅れました。私は不等辺さんかく劇団ワークショップ管理部の林成彦(はやしなるひこ)と申します。今回のワークショップは世田谷区の後援をいただいて、下北沢の「北沢タウンホール」でおこないました。参加者は16名の方々。最年少は7歳。最年長の方は私の親の世代です。これはチャレンジだ。私にとってのチャレンジであり、ワークショップとしてのチャレンジ、世田谷から佐渡へ、世界へのチャレンジです。ご参加くださったみなさん、ありがとうございました。お疲れさまでした。演劇の手法を用いて「○○○○」を楽しんでいただく。カギカッコのなかには、表現すること、普段は忘れている感覚、演劇そのもの、相手と自分との共通点と相違点、非日常の体験、異年齢のコミュニケーション、日曜の午後、自分、そのほかいろいろな言葉が入るでしょう。みなさんがそれぞれご自身の○○○○を見つけてくださったなら、私はこれにまさる喜びはありません。

 主なゲームを振り返ります。まずは「シャラポワ」。正しくはマリア・シャラポワですね。ロシアの女子テニス選手のなまえ。私は年齢的にシュテフィ・グラフの世代です。なので強い選手というと、まず浮かぶのはナブラチロワ。あるいはクリス・エバート・ロイド。ゲームのなまえは「グラフ」でも「ナブラチロワ」でもよかったのですが、ここは「シャラポワ」です。

写真  まずは心のなかで自分にとってのシャラポワをひとり決める。自分も女子テニス選手です。強敵のシャラポワと対戦する。この部屋のなかで、シャラポワとなるべく距離をとりましょう。シャラポワが走れば、自分も走る。仮想シャラポワと、仮想ラリーをする、ここは仮想テニスコートです。

 コートではだれでもひとりひとりきり〜♪
 私の愛も私の苦しみもだれもわかってくれない〜♪

 エースをねらう。しかしそれも苦しいものですね。つぎに尊敬するコーチをひとり、心のなかで選びます。シャラポワとは距離をとりつつ、同時になるべくコーチのそばにいる。シャワポワが走る。なぜかコーチも走る。そして自分も走るのです。

写真  最後はネットを決めます。このコートにはネットがまだ張っていなかった。心のなかでネット役の人をひとり決めます。シャラポワと自分の間にかならずネットをはさむ。シャラポワが走る。コーチが走る。なぜかネットも走る。私は息も絶え絶えです。お疲れさまでした。テニス選手はたいへんですよね。

 前回もおこなった「神様」を今回もおこないました。前回は人口密度が高かったですが、今回はなにせ部屋が広い。前回は畳敷きの部屋だったのに対し、今回はリノリウムの床です。足音がひびく。このゲームはこれまでにもたびたびおこなっています。いままでは耳をすまして、神様の存在をひっしに探るようなケースが多かったです。今回はむしろ神様の側から積極的に足音をたてる。人間に働きかける神様だ。「神の見えざる手」だなどと言いますが、今回は「神の足音が聞こえる」。神様もそれぞれだなぁ。いずれにせよ私たち人間は翻弄されるのだ。

 部屋の広さを活かしたゲームとして「椅子とり」。人数分の椅子を部屋全体にランダムに配置する。ひとりがオニとなって部屋の隅にスタンバイします。残る全員は着席状態です。つまり空席がひとつある。オニは片足でケンケンしながら空席をめざします。残る者たちはオニが座ってしまう前に席を埋める。たえずどこかに空いている席があり、オニに座らせないように空席を守る。そういうルールのゲームです。いったん席を立ったら、元の席には戻れません。勇気をもって、積極的にリスク・テイクすることを奨励しました。この「積極的なリスク・テイク」は、結果として今回のテーマになりましたね。

写真  このゲーム、じつはなかなかむずかしい。初めは、やすやすとオニに着席されてしまうのです。なぜだろう。全員で空席を守るにはどうすればいいのか。チームワーク、チームプレーが求められます。リスク・テイクのみならず、メンバーの積極的な提案により、場が活性化しましたね。また、すすんでオニになってくださったみなさん、ありがとうございました。

 そうそう、このゲームでついついうっかりうっかり、私は禁句を発してしまいました。たしかに「だめ」という言葉を使ってはだめだ。リーダーとしてもうちょっと言葉に敏感に、デリケートな言葉使いを心がけねば。とはいえ「からし」くん。オニがすぐ隣にいるのに、ダッシュしちゃさすがにマズいっしょ。

写真  今回のフード・ネームは「からし」くんのほか、マンゴスチン、小麦粉、ほや、ヨーグルト、酢の物、刺身、かんぱん、あんぱん、桃、オレンジ、すいか、つみれ、納豆、ねぎ、いくら、ハムでした。かんぱんとあんぱんが韻を踏んでいる。「つみれ」のネーミングをした「納豆」くん。きみの年齢でそのなまえが出てくるとは、ちょっとしたおどろきでしたよ。

 恒例の「ペンキ屋」。今回は2部屋を塗りました。じつは曲を用意していたのですが、時間が押してしまい、使う余裕がありませんでした。残念。フランク・シナトラの「マイ・ウェイ」をバックに感動的な会話が展開する、それは次回以降の楽しみにします。いやぁおもしろいおもしろい。唐突に「ライオンがとびかかって来た!」りしたら、大人はなかなか対応できないですよ。いつも以上にスリリングな(なにが起こるかわからない)部屋でした。

 以上。今回はいままで以上にチャレンジングな一日でした。ご参加くださったみなさん、あらためてありがとうございました。私にとって、ひじょうに意義あるワークショップでした。いい勉強になった。みなさんにとってもそのようなものであったことを願ってやみません。今後も、このような異年齢のコミュニケーションが促されるようなワークショップをぜひおこなっていきたいと思います。

写真  ただ、あとで参加者の方から「年齢の下限を設けたほうが、云々」というご指摘をいただいて、「なるほどなぁ、そうだなぁ」とも思いました。今回の参加者の方々には「予期せぬ気遣い」を強いてしまったかもしれません。それが「予期せぬ」ものであった点は、リーダーとして主宰者として申し訳なく思います。今後は年齢の下限(中学生以上とか高校生以上とか)を設ける回と、子供の参加を奨励する回とを、それぞれ明示した上で準備をすすめようと思います。そのほうが安心だし安全でもありますよね。それぞれご期待ください。

 今回のアシスタントは劇団員の池田景です。いつもながら世話をかけました。身内ですが、感謝の気持ちを表明します。どうもありがとう。また今回はアゴラ劇場の岩佐さんに貴重なアドバイスをいただきました。ありがとうございました。今後もますますリーダーとして精進します。よろしくお願いします。

 このワークショップの姉妹企画として、新たに「不等辺演劇倶楽部」という企画をスタートします。その活動予定や活動の様子など、そのつどブログ上でお伝えしようと思います。演劇についての雑多な話題なども随時書き込むつもりです。よければそちらもご覧ください。ワークショップならびに不等辺演劇倶楽部を、どうぞご贔屓に。併せてよろしくお願いいたします。

 https://futohen.exblog.jp/

写真  28歳の夏、私は長野県の木曽御嶽山でアルバイトをしました。木曽御嶽山には「御嶽神社」という、由緒ある神社があります。いまの宮司さんは、たしか22代目だそうです。その神社に住み込みで、神社の仕事の手伝いをするのです。夏は全国から参拝客が大勢つめかけるため、人手が足りなくなる。補充要員として社務所に詰めて、お守りやらお札やらを授与(要するに販売)したり、御神水を汲みに山頂ちかくの池まで採水に行ったり、社務所内の雑務をこなしたり等々、きわめて非日常的な夏でした。(あ。私は、特になんらかの宗教を信仰してはいませんよ。無神論者、というかノンポリです。「神様」だなんてゲームをやってはいても)。

 木曽御嶽山の七合目の社務所で、あれはもうお盆明けの時期だったかな。辺りはもうすっかり秋の気配です。一日の仕事を終えた夕方、キッチンで私は神主のミヤノさん(仮名)、地元採用のおじさんと3人で、お茶を飲みながらくつろいでいました。私はアルバイトに入って一ヶ月がすぎた頃です。地元のおじさんが言いました。「しかし毎年アルバイトもたいへんだわね、見とると。よくやるわと思うよ」。実際、たしかに住み込みのアルバイトには、言えない苦労がつきものです。アルバイト仲間のなかには、すでに途中でバックれて、帰ってしまった者もいました。私がなにも言えずだまっていると、ミヤノさんがおっしゃった。「ハヤシくんは苦労人だわ。ハヤシくんならどこ行っても大丈夫だわ」。いやいや、そんなそんな。

写真  ミヤノさんは神主さんらしくない、というか「神主」のイメージに合わない、気さくなおっさん然(?)とした方でした。私たちアルバイト仲間が、暇をもてあまして、お金をかけてUNOをしていたところをミヤノさんに見つかった。ミヤノさんは「オレも賭け事には興味あるでね」と言って、集計係をひきうけてくださった。絵馬に山のイラストが描かれていて、参拝客に「この山はなんていう山ですか?」と尋ねられた。私がよく考えもせず「富士ですね」と応えてしまったときも(そんなの「木曽御嶽山」に決まっている。その客は絵馬を買いませんでした)、ミヤノさんは客が帰ったあとで、感じよくツッコミを入れてくれた(つまり客の前では、なにも言わなかった)。そういうサバケた、40代のおっさんでした。アルバイト仲間のあいだでは「ミヤノさんは信用できる」と評判でした(逆に、腹の読めない大人がほかに大勢いたんですね)。アルバイト中の日常のワン・シーンで、ミヤノさんとは心が通じた、というか私の思い過ごしかもしれないが、互いのリスペクトの感情を認め合えたような、そんな瞬間がありました。そんなミヤノさんの、私にはもったいないお言葉です。

写真  そのころの私は、野宿をしたり、ヒッチハイクをしたり、住み込みのアルバイトをしたり、居候をしたり、普通だったら飛行機で移動するような距離を徒歩で移動したり、恋をしたり、失恋をしたりして、一年以上も国内をフラフラしていました。いま思うとそんな私の日々は、あの夜のミヤノさんの言葉で、一区切りついたような気がします。御嶽神社は、木曽御嶽山の一合目から山頂まで、要所要所にいくつも社務所があります。ミヤノさんはたぶん「どの社務所に行っても」という意味のことをおっしゃったにちがいない。それを私は、自分に都合よく拡大解釈させていただくことにします。

 つい最近、私に演劇教室の講師をやらないかという話が起こりました。まだ本決まりではないですが、ぜひお受けしたいものだと思っています。教室は水戸と静岡にあります。その折その折、東京から出張して演劇の教室を受け持つ。ステキだなぁ。楽しみだなぁ。

 ハヤシくんなら水戸に行っても静岡に行っても大丈夫だわ。

 ミヤノさんがそうおっしゃったものと解釈して、その言葉を支えに真摯に仕事に取り組もうと思います。ぜひ実現せよ! 世田谷から一歩また一歩と世界へ。通算で29回目のこのワークショップが、私のスタートラインだった。あとでそう記憶されるような、今日はそんな一日だったのかもしれません。ありがとうございました。今後も不等辺さんかく劇団ワークショップ管理部をよろしくお願いします。


★アンケートより

◆雰囲気や内容について

写真 ☆いろいろな年代の方々と一緒にゲームができてよかった。
☆もう少し勉強したいと思った。奥の深い部分まで見たい。
☆少し単純なゲームに時間をかけすぎだと思います。
☆最後のペンキ塗りがいちばんおもしろくて勉強になった。
☆ペンキ屋とか、たのしかった。似たようなのが、ラーメンズのネタにあるの知ってますか?
☆ペンキ屋が私的には苦手なので、少しでも関わろうとしたのですが、自爆しました。
☆ペンキ屋のゲームは演劇のスタートとなるもので、いかにストーリーを即興で盛り上げていけるか、かなり難しいゲームでした。しかし大変興味がもてました。

◆リーダーについて(態度&段取りなど)

☆OK.適度な休憩もあったし、お昼なしでも私的には大丈夫でした!
☆マメでした。段取りはよかったと思いました。
☆さすがはプロという感じです。いろんな人への接し方など勉強になります。
☆お子さんもいたので大変なのにうまくなさっていたと思います。
☆子供から年配の方まで幅広い年齢層の参加者をまとめることは大変だと思います。そういう状況の中で、的確な指示やアドバイスをしていただき、大変すばらしい方だと思います

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