△ 「ニライカナイ」青の時代:その1


トップページ > ページシアター > ニライカナイ > 青の時代:その1 【公演データ

<前一覧次>

緑の布に『AD2058・11・12』と投影される。
暗闇の中から、遠くかすかに海の音が響いてくる。
2058年11月12日。

溶暗。薄暗い舞台上には疲れ切った一群の人々。
スピーカーがひっきりなしに搭乗のアテンションを流している。
その中に、一人の女(女1)。窓の外の海を見詰めている。
そこへ、四角い包みを大事そうに抱えた初老の男(男1)が現れる。
自分の『許可証』を確かめたのち。

男1 「失礼。何番ですか?」

女1、気づかない。

男1 「すみません。あの、あなた」

女1、ようやく気づく。

女1 「なんでしょう」
男1 「『許可証』の番号は、おいくつですか」

女1、取り出して眺める。

女1 「…030A・918818…」
男1 「私は(確かめて)…近いですね。隣、座ってもよろしいですか」

女1、頷く。

男1 「失礼。(吐息)やれやれ。…いやもう、この島まで渡るのが一苦労で。無理を承知でこの島に渡ろうとする輩が大勢いて」
女1 「…」
男1 「私なんざ、船に乗る前にもみくちゃにされましたよ。大丈夫でした?あなたは?」
女1 「…ええ…」
男1 「それはよかった」舞台写真

間。

男1 「酷な話ですよね。抽選で自分の運命が決まるなんて…受け入れ人数は決まっているんだから、そんなことを言っても始まらないですけれど」
女1 「…」
男1 「どちらからいらしたんですか?」
女1 「沖縄です」
男1 「本島ですか?」
女1 「いえ。八重山の…小さな島です」
男1 「八重山…行ったことがないなあ。本島なら一度行きました、あの『大異変』の前に。北部のビーチを回ったんですが、いやあ綺麗でしたよ、海が、真っ青で…」
女1 「…」
男1 「でも土地の人に、八重山の海はもっともっと青いと聞きました。同じ沖縄でも、色が違うと…そうですか、八重山…」
女1 「今は、同じです」
男1 「え?」
女1 「八重山の海も、本島の海も、そしてこの島の海も…色を失ってしまった今では、みんな同じ…暗い、黒い、重い水…」

女1、視線を窓の外へ。

女1 「(呟くように)残酷な話だと思いませんか…記憶の中だけに、青い海があるなんて…」

二人、見つめる海。しばらくの間。
搭乗のアテンション(第1アテンション)が流れる。
人々が動く。舞台上に、小さな包みを抱えた若い1組の夫婦(男2・女2)が現れる。
女2は盲目。男2、空いている椅子を見つけて。

男2 「空いてる椅子がある」
女2 「うん」

夫婦、男1の横へ。

男2 「ここ、腰掛けてもいいでしょうか」
男1 「どうぞ」
男2 「失礼します。…椅子は右だよ」

女2、頷いて座る。

男2 「あのう、何番ですか」
男1 「ええとね…030A・918829」
男2 「ありがとうございます。僕らの8つ前だ」
女2 「そう。けっこうかかるのかな」
男2 「ああ…。あの、もう大分待ちました?」
男1 「いえ、私はまだそんなに…。ああでもこちらの方は…」

そういって女1を見やる。

女1 「…私も、一つ前の船で、着いたばかりです」
女2 「そうですか。良かった」
男1 「ここまで来て、また長いこと待たされたんじゃ、いい加減嫌になっちまいますよ」
男2 「ええ」
女2 「ね、あれ食べましょうよ…」
男2 「そうだね」

男2、蜜柑を1つ取り出し、むき始める。

女2 「皆さんにも…」
男2 「うん」

男2、頷いて半分に割り、男1に差し出す。

男2 「あの、よかったらどうぞ」
男1 「蜜柑ですか!」
男2 「餞別にもらったんです」
男1 「いや結構です、そんな貴重なものをいただくわけには…」
女2 「気になさらずに」
男2 「どうせ、今食べなきゃ、没収されちゃうんですから」
男1 「そうですか…じゃあ遠慮なく…ありがとう」舞台写真

男1、蜜柑を受け取る。
女2、半分に割ったもう1つを女1に。

女2 「どうぞ。食べてください」
女1 「…いえ、私は」
女2 「向こうじゃ、ほとんどが合成食品なんですって」
女1 「…」
女2 「(にっこり笑って)甘いですよ」
女1 「…ありがとう」

4人、蜜柑を食べる。

男2 「あと残っているのはパスポートコントロールとボディチェック、それから」
男1 「形見の検査、ですな」

男2、頷く。

男1 「何を持ち出されるんですか、形見として?…ああいや、もちろん別に言いたくなければ言わなくて結構ですが…」
女2 「ご覧になります?」

女2、悪戯っぽくそう言って包みをほどく。中から現れたのはあの『緑の帽子』。

男1 「…はあ…これはまた…」
女2 「あんまり汚い帽子だから、吃驚なさったでしょう」
男1 「いやそんなことは…しかしまた帽子とは…」
男2 「たった一つだけ地球から持ち出すことの出来る『形見』に、こんな小汚い帽子を選ぶなんて人間は、僕らだけかもしれませんね、きっと」
女1 「…ずいぶん古そうな帽子ですね」
女2 「ざっと70年ほど前のものです」
男1 「70年前!よくもまあ残ってますねこんな…あ、いや、失礼…」
男2 「(笑って)いいですよ、その通りですから。しかもこの帽子…」
女2 「誰がくれたと思います?」舞台写真
男1 「え?…小学校の先生、とか」
女2 「実は河童なんです!」
男1 「河童?」
女2 「川に住むといわれる妖怪」
男1 「はあ…しかしまたなんで河童の帽子が?」
女2 「…祖母の形見、なんです」
男1 「おばあさんの?」
女2 「(頷いて)私の祖母は、環境科学を研究していたんです。1980年代…地球環境の悪化がようやく叫ばれ始めたころに。まだまだ専門の研究者は少なくて…大学でも研究所でも、予算が下りなくて大変だったって、よく祖母は笑ってました」
男1 「それで?」
女2 「でもね、別に祖母は初めからそんな道に進もうなんて、思ってもいなかったって。それがある日…河童に出会ってこの帽子をもらって…それで進路を決めたそうなんです」
男1 「河童に?なんでまた…」
女2 「細かいことは教えてくれないんです。…でも祖母は大真面目で…そして口癖が『Man can no more live without water than Kappa!』」
男1 「はあ?」
女2 「『河童が水なしでは生きていけないように、人間も水なしでは生きていけない』」
男1 「変わった口癖だ…」
女2 「でしょう?どこの国の学会に行っても、いきなりこう挨拶するもんだから…学者仲間から『ドクター河童』と呼ばれてましたよ」
男1 「(笑って)愉快なおばあさまだ。それでその…」
女2 「(首を振って)『大異変』のあとすぐ…息を引き取るまぎわまで、悲しんでいました…色を失ってしまったこの世界の全てを」
男1 「そうですか…」
男2 「何もかもあっという間でしたからね。巨大な隕石が大西洋に落ちて…」
男1 「地殻が変動し火山の噴火が相次ぎ塵やガスが厚く大気を覆い…」
女2 「…日の光が失われ…御存知ですか?『大異変』の後に生まれた子供に絵を描かせると、使うのは1色だけ…」
男1 「黒、ですか」
女2 「(頷いて)黒い空、黒い山、そして黒い海…光の無いところに、色は決して生まれない…」

4人、窓の外を見つめる。女1、手の中の小さなものをぎゅっと握り締める。

男1 「しかしよく喧嘩になりませんでしたね」
男2 「ああ…(笑って)でも、この帽子は、僕にとっても大切なものですから」
男1 「というと?」
女2 「祖母と同じ生き方を選んだんです、私。祖母はたいそう喜んでくれて…大学の受験のとき、お守りにって大事にしていたこの帽子をくれたんです。そのおかげかどうか、無事合格して…」
男1 「ご主人と出会ったわけだ」
男2 「はい」
女2 「私たちはまだまだ駆け出しの研究者ですが、祖母の遺してくれた思いだけは忘れずに生きていきたいと思っています。そしていつの日か、またこの地球に戻って来ることができたら…その時は…その時は…」

女2、帽子に視線を。

男1 「あなたがたはまだお若いから…」
男2 「僕らじゃなくてもいいんですよ」
男1 「え?」
男2 「僕らの子供でも孫でも、いや孫の孫のそのまた孫でもいい。『誰が』為すべきかは問題ではありません。『何を』為すべきか…それが大事だと思うんです。そしてそれを決して忘れぬよう」
女2 「この帽子を、持って行こうと決めたんです」

男2、女2、視線を合わせ微笑む。

男1 「そうでしたか」

(作:中澤日菜子/写真:広安正敬)

<前一覧次>


トップページ > ページシアター > ニライカナイ > 青の時代:その1 【公演データ