トップページ > ページシアター > ニライカナイ > 緑の時代:その3 【公演データ】
河童、にんまり笑い。
河童 「答えを出すためにできること、あんた、ちゃんと持ってるじゃないか…」
智美 「…え?」
町のスピーカーから、ひどい音の「夕焼け小焼け」が流れる。
河童 「いけね。すっかり遅くなっちまった。おれ、そろそろ行くよ」
智美 「梓川の源流に?」
河童 「ああ。急がないと一族がきちまう」
智美 「ね、また…会える?」
河童 「おれに?」
智美、おずおずと頷く。
河童 「(朗らかに)無理だね」
智美 「なんで、遠いから!?だったらあたし会いに行くよ、梓川の源流まで。だから…」
河童 「おれ、消えるんだもうすぐ」
智美 「…消える?」
河童 「そう。河童の体と全く同じ水でできている川でないと住めないんだ、おれたち。繊細なんだよ、こう見えても。そのために新しく住処を変えるときは…必ず河童が一人、帰るんだ、水に」
智美 「…水に、帰る…」
河童 「おれたちは、いやおれたちだけじゃない、大腸菌もくらげももちろんあんたも、ずっと昔に水から生まれた。そのおおもとに帰っていくだけさ」
智美 「…死ぬの?…死にに行くの、あんた」
河童 「…」
智美 「一族を生かすために、死ぬのあんた!?ばっかじゃないの、自分が死んでどうなるのよ!?たとえそれで一族が助かるからって、そんなの変よ!絶対おかしい…」
河童 「河童が水に帰るとね、その川は、生き返る…たとえどんなに汚れていても、綺麗な流れに生まれ変わるんだ」
智美 「…」
河童 「『死にに行く』なんていわないでおくれよ。おれは死にに行くんじゃない…川を、生かしに行くのさ」
智美 「川を、生かしに行く…」
河童 「そしてその川は海へ注ぎ、海から空に昇った水はいつかまた地上へと降り注ぐ…死なないよ、生きているんだ、川も、水も、海も、地球も…そしておれも」
河童、立ち上がる。
河童 「じゃあね。煙草、ありがとう」
去りかける河童のシャツを、智美しっかと握り締める。
河童 「…切れちゃうよ、ぼろいから」
智美 「河童、あたし、河童、あたし…」
河童、微笑んで、緑の帽子を頭から取り、智美にかぶせる。
河童 「やるよ、これ」
智美 「え?」
河童 「もうすぐゴールだから、受験のお守りに。…あんた、得意な課目は?」
智美 「…物理」
河童 「じゃあ、くれぐれも物理、油断しないことだ。だってほら昔から言うだろう」
河童・智美 「河童の川流れ!!」
河童 「その通り。おれだって何度流されかけたことか」
智美 「変なの、河童の癖に」
河童 「いや、けどな発売されたばかりの『なかよし』が、中州にひっかかってたりすると、焦るわけよおれとしては。ああ早く読みたい、先週のキャンディキャンディの続きはどうなったのかなって」
智美 「で、流されるの」
河童 「そういう時に限って、つるんだわ、足が」
智美、大笑い。
智美 「ばっかじゃないの、あんた!どこの世界に、漫画の続き読みたくて、足吊らせる河童がいるのよ…」
笑いつづける智美。見つめる河童、とびきりの笑顔で微笑む。
そして、帽子のつばをぐっとさげながら。
河童 「おちびちゃんは、やっぱ、笑った顔のほうがかわいいよ…」
去る。大きくなる蝉時雨。
智美 「河童?…河童…河童あ!!」
帰ってくるのは蝉時雨だけ。
智美 「帰ってきてよ、河童!水になんか帰らないで河童!河童!河童!!おしゃべりで少女漫画マニアで地球に優しい河童!」
帰ってくるのは蝉時雨だけ。
智美 「…『なかよし』目指して足の吊る、大馬鹿ものの河童…」
姉、現れる。
姉 「智美?智美でしょ?」
智美 「…お姉ちゃん…」
姉 「どうしたの、なんかあったの、何その汚い帽子は!?智美、智美!?」
智美 「何でもない、大丈夫…」
姉 「そんな…智美」
智美 「ほっといてよ!」
智美、姉に背を向ける。
姉、その背中を寂しそうに見ながら。
姉 「…さっきはごめんね。えらそうなことばっか言ったけど…いちばんシャンとしてないのは、あたしだよね」
智美 「…」
姉 「父さんや母さんにちゃんと話さなくちゃいけないのはわかってるの。でも怖くて…東京にいるあいだ『今日こそ電話しよう』って毎日思うけど、どうしても受話器を取る勇気がわかないの…」
智美 「…」
姉 「結局逃げてるだけなんだよね…」
うつむく姉。
智美、姉のほうへ向き直る。
智美 「…どうしたらいいか考えるのは、汚したもんの責任」
姉 「は?なんか汚したのあんた」
智美 「お姉ちゃん!」
姉 「はい!」
智美 「そうだよ、『Man can no more live without water than Kappa』なんだ!」
姉 「河童?」
智美 「構文も年表も化学式も…そして大学に行くことも、無意味かそうでないかなんて誰にも決められない。決められるのはあたしだけ…あたしだけなんだよ!」
姉 「どうしたの突然…」
智美 「そう考えるとね、あの鯨構文だって立派に役に立つんだ。いつか外国に行く、そこで挨拶する。その時『How do you do?』の代わりにこう言えるもの!『Man can no more live without water than Kappa!』」
姉 「なにそれ?」
智美 「『河童が水なしでは生きていけないように、人間も、水なしでは生きてはゆけない』だからあたしは…」
姉 「だからあたしは?」
智美 「…大学、受けてみようかと思う。(テレ笑いを浮かべながら)…今からじゃあ何処も間に合わないかもしれないけどね」
姉 「…何か、あったんだね、やっぱり。…あたしにも話せないこと?」
智美 「(迷った末)…うん」
姉 「…そっか…そうだよね」
智美 「(慌てて)違うの!聞いて欲しいんだホントは、今日あったこと何もかも。だけど今は…。…あたしも全然シャンとしてないから」
姉 「…」
智美 「(にっこりと微笑んで)自分で自分にオッケエが出せたら、その時に全部お姉ちゃんに話すよ」
姉 「…」
智美 「そん時は笑わずに聞いてよね」
姉 「…うん」
智美、姉に手を差し出す。
智美 「約束」
姉 「…約束、ね」
二人、しっかりと手を握り合う。
二人の眼が合う。
智美 「行こう。おなか空いちゃったよ」
姉の手を取る智美。
姉、その手をぎゅっと握り返し。
姉 「…帰ってきてよかったよ」
智美 「え?」
姉 「あんたと話せてよかった。少し、すっきりした…もしかしたら出せるかもしれない」
智美 「…」
姉 「…勇気、出せるかもしれない」
智美 「うん…」
間。
姉 「よおし!景気づけに寿司でもとるかあ!」
智美 「賛成だあ!」
姉 「奮発して特上、取っちゃうぞ!」
智美 「さらに賛成だあ!」
姉、去る。
智美も去りかけるが、立ち止まり、帽子を見つめて。
智美 「…ちゃんとおさらいしておくね。…物理」
一つ笑って去る。夕焼けの中に蝉時雨響いて。
第2話の、幕は、閉じる。
(作:中澤日菜子/写真:広安正敬)