△ 「ニライカナイ」赤の時代:その3


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赤い布に『AD1945・03・10』と投影される。
ラジオの音が聞こえる。昭和20年3月10日。
女、壷の中のしおれた桃の枝をいじっている。
松浦、寝ぼけ眼でやってくる。

松浦 「おはよう」舞台写真
「おはようじゃありませんよ。今何時だと思ってるんですか」
松浦 「しょうがないだろう、昨日遅かったんだ」

風の音、大きく。
松浦、新聞を広げながら。

松浦 「すごい風だな」
「お節句もとうに過ぎたというのに…冬に逆戻りしたみたい」
松浦 「今日は何日だっけ」
「10日」
松浦 「そうか。じゃもうすぐ久保田君が来るぞ」
「えっ!?」
松浦 「この間うちに来たときに約束したんだよ、1週間後にまた遊びに来るって。そうだそうだ大事な話があるんだった」
「何で言ってくださらないんです!」
松浦 「忘れとった」
「もう、あなたって人は…」

鈍いノックの音。
舞台上に久保田と、その影に隠れるように若い女が一人。

久保田 「こんばんは。久保田です」
「どうしよう、散らかしっぱなしなのに…」
松浦 「構うもんか」
「あなたが構わなくても、私が構うんです!いいからお迎えに行ってください。その間ちょっとでも片づけるから…」
松浦 「へいへい」
「たいへん、たいへん」

松浦,面倒くさそうに立っていく。女、小声で文句を言いながらも楽しそうに立ち働く。
松浦、二人を部屋へ案内してくる。

久保田 「すみません奥さん、夜分に」

女、振り向きざまに。

「いいえ、とんでもない…」

女の動きが止まる。女の目、久保田の後ろの若い女に吸い寄せられたように動かない。

「…そちらは?」
久保田 「いや、あの、実はですね…」
若い女 「堀綾子と申します。いつも久保田がお世話になっております」

綾子、深々と頭を下げる。

「…え?」舞台写真
松浦 「かわいらしいお嬢さんだろう。久保田君の許婚だそうだ」

女の手から新聞が零れ落ちる。

松浦 「おいおい」
「…すみません…」
松浦 「いいから、さあ座りなさい」
久保田 「お邪魔します」
松浦 「吃驚したか。だろうな、何も言ってなかったからな」
久保田 「そうなんですか。僕はてっきり奥さんはもう全部ご存知なんだと」
松浦 「いや、言おう言おうと思っていたんだけどな、今日になるまですっかり忘れとった(笑う)」
久保田 「ひどいな。他人事だからって」
松浦 「いいじゃないか。おかげでこうやって直接報告できるんだ」
「…」
久保田 「実は来月結婚することになりまして…急な話で申し訳ありませんが、ぜひとも松浦先生ご夫妻にお仲人を務めていただきたくて、それで今日伺ったんです」
「…来月…」
久保田 「いや本当になにもかも急で。大体僕らが出会ってから…」
綾子 「まだ3ヶ月と経ってないんです」
松浦 「綾子さんも芸術に興味をお持ちでな。久保田君たち若い絵描きの会…、あれ、何と言ったかな」
久保田 「自由芸術です」
松浦 「そうそう。その自由芸術の展覧会に綾子さんが見えて、久保田君と運命の出会いをしたんだよな」
久保田 「やめてくださいよ先生」
松浦 「自分で言ってたじゃないか。綾子さんを一目見たとたん、心の中を赤い風が吹き抜けて行ったと…」
「じゃあ、この人が…」
久保田 「(照れたような笑顔を浮かべて)僕の、femme fataleです」
松浦 「成る程ねえ!」
綾子 「なあに」
久保田 「なんでもないよ」
綾子 「嘘。私の話?」
久保田 「絵の具、赤の…話したろ、前に…」
綾子 「…ああ、あれ…」
「…」
松浦 「確かに綾子さんを描くなら赤、だね。それもとびきり鮮烈な…」
久保田 「はい」
松浦 「羨ましいよ、身近にこんな綺麗なモデルがいて」
久保田 「先生にだって奥さんがいらっしゃるじゃないですか」
松浦 「馬鹿、綾子さんと比べたら罰が当たる」
綾子 「そんな」

3人、笑いあう。
女、壷を手にふらりと立ち上がる。ぐらりと揺れる。久保田、支える。

松浦 「どうした」
久保田 「大丈夫ですか」
「…何色でしょう」
綾子 「え?」
「私は、何色ですか」
久保田 「奥さん?そうですね…柔らかい、青」
「あお?」
久保田 「その青磁のような、暖かい、青。安心できる…僕には姉はいませんが、もしもいたとしたら…こんな青だと思いますよ」

久保田、微笑む。女、久保田の手から逃れる。

松浦 「何処へ行く」
 「…何か、いけるものを…」
松浦 「いいだろう、そんなことは後で」
 「でもこのままじゃこの壷…あまりに可哀相…」舞台写真

強くなる風の音、ラジオの音。ラジオからは切れ切れに歌謡曲が流れている。
女、抱きしめた青磁の壷に話しかける。

「…ねえ聞いた?私は、青なんだって。お前と同じうすい青…困ったねえ、あのひとが探しているのは青じゃなくて赤なのに。お前も見たでしょう、あの、血のような赤。…いいなあ…赤は、いいなあ。あのひとの眼で見つめられ、あのひとの手でカンバスに広げられてゆく…いいなあ…赤になりたいな。…ねえ、どうしたらいいと思う?青はどうしたら、赤に変わることができるだろ…」

間。
突然、ラジオの音も風の音も止む。
恐ろしいほどの無音。大きな災厄の前の一瞬の静けさ。
その静けさを破って、空気を劈く焼夷弾の落下音。
続いて上がる火の手に、女の顔が赤く染まる。
その中で、女の顔が輝く。

「なあんだ、簡単なことじゃないの…」

堰を切ったように鳴り響く空襲警報。怒号と悲鳴。
その中で一人嬉しそうに微笑む女。

「燃えろ燃えろもっともっと燃えろ。何もかも融けて何もかも新しくなれるように、燃えろ東京、もっともっともっともっと…」

女、青磁の壷を地面に置く。

「お前はそこにおいで。あのひとが私を見つけやすいように」

女、赤い布の前へ歩いて行く。
そしてゆっくり振り返って。

「…神様、私のために、素敵な窯を、ありがとう…」

転。

赤い布に『AD1945・03・12』と投影される。
ラジオの音が聞こえる。昭和20年3月12日。
焼け跡を探し回る松浦と久保田、綾子。

久保田 「本当にここで見たんですか」
松浦 「ああ、間違いない。以前隣に住んでた奥さんが、確かにここであいつを見かけたそうだ」
久保田 「でも、ここ…」
綾子 「一番被害がひどかった区域ですよ。なんでわざわざこんなところに…」
松浦 「知るかそんなこと!とにかく最後にあいつを見たのはこの辺りなんだ…畜生、畜生!」

狂ったように地面を掘り起こす松浦。その様子に肩をすくめる綾子。

綾子 「…まだ探すの」
久保田 「しょうがないだろう、先生がああいう以上は」
綾子 「無駄だと思うけどな、私」
久保田 「気が済むまで付き合ってやろう。…動転してるんだよ、先生も…」
綾子 「…これだから嫌よ、年寄りは…」

地面を掘り返す綾子。青磁の壷の欠片を見つける。

綾子 「久保田さん、これ…」
久保田 「(じっと欠片を見つめ)…あの壷だ…奥さんが焼いた青磁の…」
綾子 「じゃあ、このあたりに…」

頷く久保田。

綾子 「先生…」
久保田 「(遮って)僕らで探そう」
綾子 「どうして」
久保田 「…目の当たりにするのは、惨すぎるよ、あまりに」
綾子 「そう?かえってすっきりするんじゃない、自分で見つけたほうが。なまじ変な希望を持たないですむし」
久保田 「お前…」
綾子 「冗談よ冗談…痛!」
久保田 「大丈夫か」

綾子の指の先から鮮血が滴り落ちる。久保田、唇でその血を受ける。
赤く染まる久保田の唇。

綾子 「…何かで傷つけたみたい」
久保田 「気をつけてくれよ、そこら中ガラスの破片でいっぱいなんだから」
綾子 「ええ…ああ、これよ」

綾子、1本の、銀色に輝く絵の具のチューブを拾い上げる。

綾子 「久保田さん、見て。こんなところに絵の具」
久保田 「本当だ…よく焼けなかったな」
綾子 「どんな色かしら」
久保田 「さあね。見てみないとなんとも…」

久保田、キャップを取り、絞り出そうとしたその時。

松浦 「久保田君!向こうで女の遺体が見つかったらしい」
綾子 「まあ!」
久保田 「行ってみましょう」
松浦 「ああ…ああ…」
久保田 「先生、お気を確かに」舞台写真

久保田、絵の具を綾子に預ける。

久保田 「持ってて」

頷く綾子。駆け去る男2人。
綾子、キャップを取ろうとする。
と、微かに響く哄笑。動きを止める綾子。

綾子 「…誰か、今…」

間。

綾子 「…気のせいね」

綾子、ゆっくりキャップをはずし、自分の手のひらに絞り出そうとするその刹那に。

第1話の、幕は、閉じる。

(作:中澤日菜子/写真:広安正敬)

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