△ 「ニライカナイ」緑の時代:その1


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緑の布に『AD1983・08・22』と投影される。
暗闇の中から、ラジオの音が聞こえる。

1983年8月22日。
溶暗。舞台上には女の子が一人。寝転がってラジオを聞いている。
顔の上に読みさしの受験参考書。

ややあって、その子の姉らしき若い女が一人入ってくる。
何も言わずラジオを消す。
女の子、寝転がったままラジオをつける。
若い女、消す。
つける。消す。つける。
若い女、消すのと同時にラジオを手の届かないところへ。
女の子、しばらく手で辺りをむなしく捜してから。

女の子 「いい加減にしてよ!」舞台写真
「こっちの科白よ、それは!何やってるの勉強もしないで」
女の子 「息抜き」
「お昼食べてからずっと抜きっぱなしじゃない。そういうのは息抜きって言わないの、ただのサボりよサボり!」
女の子 「ほっといてよ」
「そうはいかないわよ。今日からしばらく母さんも父さんも留守で、あたしがあんたの保護者なんだから」
女の子 「いらないよ保護者なんて。お姉ちゃんだってせっかく帰って来たんだから、友達とどこか遊びに行けば」
「受験生をおいて遊びになんかいけないよ」
女の子 「平気平気、適当にやってるから。そうだ、小山内さんと海でも行ってくれば?泊りでもいいよ、あたしアリバイを…」

姉、参考書で頭をひっぱたく。

女の子 「痛〜い!」
「下らないこと言ってると殴るよ!」
女の子 「殴ってから言わないでよ…もう、受験生の大事な脳みそを…」
「いいから早く勉強しな!」
女の子 「わかってるよ。…暴力女」
「なんだって!?」
女の子 「なんでもありません。ほら、勉強するから出てってよ」

女の子、机に向かう。その様子を見て、姉、部屋から出ていく。

女の子 「…『Whale is no more a fish than horse 』『馬が魚ではないのと同様に、鯨も魚ではない』…当たり前じゃん、ばっかじゃないの。こんなの勉強してどうなるっていうのよ。いつかアメリカに行ったとき役に立つわけ?『ハイ、ベス!馬が魚ではないのと同様に、鯨も魚ではない、ドウユウアンダスタン?』『オウ!ジャッパニーズ、クレイジイ!』」

女の子、しばらく耳をすませ、気配がないのを確認して、ラジオのスイッチを小さく入れる。
そしてやおらポケットから煙草を出し、一服つける。
音楽に合わせ体を揺らしながら。

女の子 「…クレイジイ。何もかも」

と、姉がいきなり部屋に。

「智美!」
智美 「げ!」

智美、あわてて空缶に煙草を押し込む。

「…貸しなさい」
智美 「吸うの?」
「馬鹿、その空缶!」

姉、智美の手から空缶をもぎ取り、中を覗き込む。

智美 「ははは…」舞台写真
「…こんなに…あんた自分の立場わかってるの!?」
智美 「立場?」
「受験控えて、一番大事な時なのよ、今は。なのに煙草なんか吸って…」
智美 「…」
「煙草だけじゃないわ、昼になるまで起きて来ないし、起きたら起きたでず〜っとラジオ聞いてるだけだし、夜は毎日毎日長電話…こんな生活してたら大学なんて、どこも受かりゃしないよ!」
智美 「…いいよ、受からなくて」
「え?」
智美 「大学なんて、受からなくていいよ!」
「何言い出すのよ」
智美 「役にも立たない受験勉強して良い大学入ってそれでどうなるっていうのよ!大人が喜ぶだけじゃない、そんなの下らないよ」
「そんなことないわ。大学に入って自分の好きな勉強できるのは幸せなことだよ」
智美 「何をしたいか、何になりたいか、まだ全然わからないんだよあたしには!なのにみんな『勉強しろ勉強して良い大学へ入れ』って…目標もないのに勉強したって空しいだけじゃない!」
「目標なんて入ってから考えればいいのよ。4年間あるんだよ、ゆっくり決めれば…」
智美 「お姉ちゃんはどうなの」
「なにが?」
智美 「大学でちゃんと勉強してる?将来のことまじめに考えてる?」
「もちろん…」
智美 「嘘」
「なによ」
智美 「お姉ちゃん、学校なんて行ってないじゃない」
「…」
智美 「知ってるんだから、あたし!お姉ちゃん誰か男の人と一緒に住んでて…ここ半年くらい大学に行ってないって」
「あんた…どうしてそれ…。…小山内君ね?彼に聞いたのね?」
智美 「…」
「…まさか父さんや母さんにも」
智美 「言ってないわ、聞いたのはあたしだけ。ひどいよお姉ちゃん、なんで小山内さんがいるのに別の人と…」
「…事情があったのよ。仕方なかったの」
智美 「仕方なかったの一言で済ませるわけ?大学半年も休んでることも、小山内さん捨てたことも」
「…」
智美 「ずるいよお姉ちゃん。自分は好き勝手やってるのにあたしにはえらそうな事言って」
「あんたにはわかんないわ!あたしの…気持ちなんか」
智美 「わからない、わかりたくもない!」
「だったら口出さないで!」
智美 「じゃああたしのことも構わないでよ!」
「あたしは、ただ母さんの代わりを…」
智美 「…よく言えるねそんなこと」
「え?」
智美 「父さんや母さん騙してるくせに、よく言えるねそんなこと!!」

姉、智美の頬を打とうと右手を振り上げる。
思わず顔をかばう智美。足がラジオに当たり、音楽急に大きくなる。
ややあって、姉の顔がくしゃっと崩れる。
姉、静かに手を下ろし、その場を去る。
しばし呆然とする智美。ライターを手に取り、無意識に煙草を探る。
智美、呆然としたままラジオを消して、誰に言うともなく。

智美 「…煙草、買ってきます」

蝉時雨、大きく。遅い夏の、強烈な日差し。

智美 「…暑ぅ…」

以下すべて智美の一人マイム。
智美、ぼうっとしたまま自動販売機で煙草を買う。
智美、店のおばちゃんに呼び止められる。

智美 「ち、違いますよ、ジュース買っただけです。本当ですって!え? あ、ああまだ出てきてないんですよ、ひっかかっちゃったみたいで、この、このっ…いいですいいです来なくていいです!自分で取れますから…あっその、その『なかよし』!『なかよし』ください!」

おばちゃんが包んでいるあいだに、智美わざとらしい独り芝居。

智美 「あ!取れたあ!!あ〜良かった。あ、はいありがとう、どうも、それじゃ!」

智美、走って逃げる。
息を弾ませたまま、小さな公園のベンチに腰掛けようとする。
ベンチには、小汚いTシャツとジーンズ、
そして擦り減ったビーチサンダルが置いてあるが、
智美気づかず座ってしまう。
『なかよし』を見つめながら。

智美 「買っちゃったよ…何年ぶりだろ」

智美、ページをめくりつつ、煙草の火を点けようとしたその時。

(作:中澤日菜子/写真:広安正敬)

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